読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2017早大現代文・学習院大現代文・論点的中報告③・ポピュリズム

予想論点的中報告 現代文 国語 小論文 流行論点 流行テーマ 最新論点 レイシズム ホビュリスト政治家 トランプ現象 トランプ旋風 早稲田大学法学部現代文 早稲田大学法学部現代文解説 早稲田大学政経学部現代文解説 早稲田大学政経学部現代文 学習院大学現代文 学習院大学現代文解説 排外主義 萱野稔人 西谷修 『離脱と移動』 吉田徹 入試頻出著者 早稲田大学現代文 早稲田大学現代文解説 人種差別主義 人種主義 予想論点 ナショナリズム イギリスEU離脱 ポピュリズム 「ポピュリズムにどう向き合う」 大衆迎合主義

(1)2017早大・学習院大・国語(現代文・評論文)・予想論点的中報告・解説③→ポピュリズム

 

 今回の記事では、このブログで予想論点記事として発表した「トランプ現象」・「ポピュリズム」・「民主主義」が、2017年度入試の国語(現代文・評論文)問題に、どのように的中したかを報告します。

 

 つまり、具体的に、「トランプ現象」・「ポピュリズム」・「民主主義」が、

①  早稲田大学・政経学部・法学部と、学習院大学の、国語(現代文・評論文)に、どのように出題されているか、

②  そして、「論点・テーマ」を意識した学習が難関大学入試国語(現代文・評論文)に、いかに有用か、

を解説していきます。

 

 参考までに、「トランプ現象」・「ポピュリズム」・「民主主義」に関する、当ブログの記事のリンク画像を以下に貼ります。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

  

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 なお、「科学論」については、2017センター試験国語第1問(現代文・評論文)、2017東大国語(現代文・評論文)に、当ブログの予想論点・テーマ記事が的中しました。

 これらについては、すでに、それぞれ、「予想論点的中報告・解説記事」を発表していますので、そちらをご覧ください。→下に、リンク画像を貼っておきます。

 「科学論」は、当ブログの予想通りに、今年の流行論点・テーマになっているようです。

 「科学論」がセンター試験・東大以外に、さらに、どのような大学に出題されているか、については、近い内に追加の記事を発表する予定ですので、ご期待ください。

  

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  ここで、「ポピュリズム」の意味を確認的に説明します。

 「ポピュリズム」とは、一般大衆の利害・権利・欲望・不安・恐怖などを利用して、大衆の支持を基盤として、既存の体制・エリート層・インテリ階級などと対決姿勢をとる政治思想のことです。日本語では「大衆主義」・「大衆迎合主義」などと訳されています。
 また、同様の思想を持つ人物・集団を「ポピュリスト」と呼び、大衆主義者・大衆迎合主義者などと訳されています。

 

 「ポピュリズム」の最近の事例については、2017年度入試・学習院大学経済学部に出題された吉田徹氏の論考(「ポピュリズムにどう向き合う」)が分かりやすいので、ここで紹介します。

(なお、この2017年度・学習院大学経済学部の問題の概要については、今回の記事の最後に解説します。)

 

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

「一匹の妖怪が世界を徘徊(はいかい)している。ポピュリズムという名の妖怪が」。マルクスの「共産党宣言」をもじった言葉がメディアで躍る。

 英国では2014年の欧州議会選挙で主権回復と移民の権利制限を訴える英国独立党(UKIP)が二大政党の得票率を上回った。フランスでも12年の大統領選以降、ユーロ圏離脱や移民排斥を主張する国民戦線(FN)が保革に次ぐ第三極の地位を固めた。

 南欧では、反緊縮と雇用創出を公約に掲げるスペインの左派政党ポデモスや、ギリシャの急進左派連合(SYRIZA)が伸長。オランダやスイス、デンマークなどの小国、ポーランドやハンガリーなどの東欧諸国では、ポピュリズム勢力が与党の座を占めたり、閣外協力を通じたりして、政策に影響を及ぼしている。

 米大統領選予備選での「トランプ旋風」も加わり、先進国はポピュリズムの時代を迎えている。

 

 それでは、このブログで予想していた「トランプ現象」・「ポピュリズム」・「民主主義」が具体的に、上記の難関大学でいかに出題されているかを解説していきます。

 今回の論点は、流行論点化していて、来年度にも出題が予想されるので、この記事を予想論点記事としても、お読みください。

 

 権力の読みかた―状況と理論


 

 

 

 

(2)2017早稲田大学政経学部ー『権力の読み方』萱野稔人

 

 2017年度の早稲田大学政経学部・国語(現代文・評論文)では、入試頻出著者の萱野稔人氏の、以下のような論考が出題されました。

 最初の2つの段落は、以下のような内容です。

 

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)(【1】【2】・・・・は当分ブログで付記した段落番号です)

 

「【1】現代のポピュリズム運動には、「国家はわれわれのたちに治安を守るべきだ」という要求が込めらている。一義的には国家のためのものである治安を、なぜ民衆がみずからのために国家に対して要求するのか、あるいは要求できるのか。

【2】じつは、ポピュリズムのこうした要求は国家のひとつの歴史的形態を前提にしている。国民国家とよばれるものがそれだ。国民国家とはまさに、国民として同定された住民全体が国家の主体となるような国家形態にほかならない。いわばそこでは、富を徴収する側と徴収される側とが一体化しているのである。」

 

 最後の2つの段落は、以下のような内容です。

「【15】国家はいまや、軍事的にも経済的にも、国民という形態に依存する必要性から脱しつつあるのだ。国家にとって、領土内における住民全体の生存条件を整えることは、見返りのすくない非効率的な作業となりつつあるのである。

【16】ポピュリズムによる「国家への呼びかけ」は、現在の国家の脱国民化にたいするひとつの反作用にほかならない。その運動をうみだしている不安感は、国民国家のもとでむすばれていた民衆と国家のセキュリティ上の絆がほころびつつあることに起因している。そのほころびをむすび直そうとして、ポピュリズムは、国民であるための核となる人種的アイデンティティへますます傾斜(→「人種差別的になる」ということです)しているのだ。」(萱野稔人『権力の読み方』)

  

 今回の問題本文全体の要旨は以下の通りです。

 

 国内の産業構造の転換、つまり「経済のグローバル化」の進展によって、国家の関心は、自国の経済を牽引するグローバル(多国籍)企業の活動の保障に、重点を移していきます。

 すなわち、逆に見ると、ある意味で、「国家」が「国民」を見捨てるという「国家の脱国民化」の動きが顕著になっていくのです。

 この流れの中で、見捨てられつつ「国民」(つまり、「グローバル化」の恩恵を受けない階層)が、「ポピュリズム」の基盤となっていくのです。(→今回の「トランプ現象」において、「貧困化しつつある労働者階級」が特にトランプ候補を支持したのも、同じ構図です)

 その際の「国民」の要求は、「レイシズム」(→「人種主義」という意味です。「本質的な優劣の基準」を人種に求める主義です。人種差別的な思想です)的な色彩を帯びます。

 「国民」は「国家との一体性」を強く求めるからです。

 

 これらのことは、「トランプ現象」についての予備知識があれば、分かりやすかったでしょう。

 

 なぜ、トランプ候補はグローバル企業のアメリカ国外の経済活動を制限しようとするのか?

 なぜ、トランプ候補は人種差別的な発言をするのか?

 そして、その発言が、トランプ候補の支持率アッブに直結したのか?

 なぜ、トランプ候補は、インテリ階級を、マスメディアを罵倒するのか?

 なぜ、これらの過激な発言をしていたトランプ候補は、労働者階級の圧倒的な支持を集めたのか?

 

 これらのことは、一体として、「見捨てられつつある国民」を救済するための手段として機能しているのです。

 だからこそ、トランプ候補は、マスメディアの攻撃を受ければ受けるほど、支持者を集めたのでしょう。

 

 トランプ現象についての様々な論考を入試以前に読み、これらについての疑問を前もって持っていれば、今回の入試問題を、スムーズに理解できたはずです。

 

 ーーーーーーーー

 

  なお、問題としては、以下のような設問が出題されています。

 問1  この文章が議論の前提としている「ポピュリズム」の例として適切でないもの次の中から一つ選べ。

イ  デモ行進を通じて市民が政治的要求を達成しようとするありさま。

ロ  より過激な言葉遣いをする政治家ほど世論の支持を集めるありさま。

ハ  移民労働者に対する排外主義政策が民衆の広範な支持を得るありさま。

ニ  治安が悪化しているという感覚に基づき人々が監視強化を求めるありさま。

ホ  社会的弱者の境遇は自己責任の結果だとする世論が社会に蔓延するありさま。

 

ーーーーーーーー

 

 (解説・解答)

 ロ・ハは、トランプ現象そのものです。

 私のブログ記事を入試の前に読んで、トランプ現象についての新聞記事などを熟読していた受験生にとっては、ラクな問題だったでしょう。

 正解はです。

 

ーーーーーーーー

 

 また、最後の設問(趣旨合致問題。配点割合は多いはずです)は、次のような内容になっていて、「トランプ現象」・「ポピュリズム」を、予備知識・教養として知っておけば、かなり有利になると思います。

 

問7  本文の内容に合致する文として最も適切なものを次の中から一つ選べ。

イ  昨今の人種主義にもとづく差別の蔓延は、国民国家という体制のなかで偶然に生まれてしまった病である。

ロ  経済のグローバル化によって起こった生産拠点の海外移転は、国民に与えられるべき福祉のリソース(→「資源。資産」という意味)を流出させている。

ハ  国民が、いずれは自らの首を絞めるような政策を支持し始めているのは、国家形態が次の段階に移行する前触れである。

ニ  人間社会は進歩によって国民国家という形態を生み出したが、同時にぞれを維持するために暴力を占有するようになった。

ホ  コンピューター・ネットワークを介して行われるサイバー戦争のような軍事テクノロジーの高度化は、国民を兵士として動員する理由を失わせた。

 

ーーーーーーーー

 

(解説・解答)(趣旨合致問題)

 

イ  「トランプ現象」・「ポピュリズム」を知っておけば、この選択肢は、それらの現実と大きくズレているので、本文を読まなくても、この選択肢は誤りと、すぐに分かります。

 

ロ  文章自体が論理的に成立しない内容になっているので、誤りです。

 

【15】・【16】段落より、これが正解です。現在の国家の脱国民化が「人種主義的」なポピュリズムを生み出しているのです。

 

ニ  これが適切か否かについては、問題文本文の全文を精読・熟読する必要がありますが、結論・主張部分である【15】・【16】段落の内容とは無関係です。その点で、と比較して、正解の可能性は低いと予想できます。

 

ホ  このような具体的・些末的な内容は、通常は、「本文の内容に合致する文として最も適切なもの」を選ぶ問題としては、正解とは無関係な場合が多いのです。この選択肢も、正解の可能性は低いと予想できます。

 

 ーーーーーーーー

 

ここで、萱野稔人氏の紹介をします。

萱野 稔人(かやの としひと)
1970年生まれ。2003年パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了(パリ大学哲学博士)。現在、津田塾大学国際関係学科准教授。
著書に
『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、
『権力の読みかた―状況と理論』(青土社)、
『「生きづらさ」について』(光文社新書、雨宮処凛との共著)、
『金融危機の資本論―グローバリゼーション以降、世界はどうなるのか』(青土社、本山美彦との共著)、
『超マクロ展望―世界経済の真実』(集英社新書、水野和夫との共著)、
『ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)、

などがある。

  

 離脱と移動―バタイユ・ブランショ・デュラス

 

 

 

 

 

(3)2017早稲田大学法学部ー『離脱と移動』西谷修

 

 早稲田大学法学部では、入試頻出著者である西谷修氏の論考(『離脱と移動』)が出題されました。

 この論考は、(主に、ポピュリズムにおける)「ナショナリズム(国家主義)への依存」を強く批判しています。

 この問題も、最近の「トランプ現象」・「イギリスのEU離脱」などのポピュリズムにおける「排外主義」を意識した出題と思われます。

 以下に問題本文の最終部分の一部を引用します。

 

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(【最終段落】は当分ブログで付記した段落番号です)

「人間は定住することにあまりになじんでいるため、移動や環境の変化が不安を誘う。あるいは言語や文化の違う環境が疎外感を生む。そして移民を迎える側も、異質な要素の侵入による自分の環境の変化に不安を抱く。それだけでなく、世界の全般的な流動化(→グローバル化)が個や共同体のレベルで「アイデンティティの危機」を生む。だがひとつになったこの地球上で、誰も自明で不変な環境に生きているわけではない。もちろん流動の時代であればこそ、国家や民族の神話がふたたび担ぎ出され、そこに拠り所を求めるだけでなく、その価値を原理に社会を再統合しようとする動き(→現在では、「トランプ現象」、「イギリスのEU離脱」などが、これに該当することは明白です)も現れる。けれどもそうした逆行の試みが、輪をかけた混乱と抗争しか招かないのは二十世紀の歴史がすでに証明している。

【最終段落】移動の時代の遠い発端で、世界進出を開始したヨーロッパが最初に到達したのはカリブ海だった。そこではヨーロッパとの暴力的な出会いのなかで原住民がほぼ絶滅し、その後にまず大西洋の向こうから、移民たちだけの「新世界」が作られた。いま「クレオール」と呼ばないれて注目されるこの世界は、起源の不在を出発点とし、世界の各地から多様な要素を受け入れて複合的に形成され、みずからがつねに変成の途上にあることを意識している。そこではアイデンティティとは、どんな単一の起源や本質に還元されるものでもなく、それ自体複合的なものとして形成され、そのつど編み直される帰属のバランスのことだ。カリブ海の経験が、現在の世界のモデルになるとは言わないが、そこにひとつの先例を見ることはできる。たぶん長い射程で考えれば逆行できないだろうこの「移動の時代」に、それに見合った住まい方を見いだすには、4 危機」を唱えて身構える(→「ポピュリズム」・「トランプ現象」そのもの、と言えます)より、未知の状況に積極的に対処する創意(→異文化理解、異文化との共生の意欲・工夫)こそが必要だろう。」(西谷修『離脱と移動』)

 

最後の設問として、次のような問題が出題されています。この大問における唯一の記述式問題で、指定字数も比較的多いので、配点は多いと思われます。

 

問  傍線部4「「危機」を唱えて身構えるより、未知の状況に積極的に対処する創意(→異文化理解、異文化との共生の意欲・工夫)こそが必要だろう。」 とは具体的にはどういうことか、著者の考えに即し、「アイデンティティ」「移動」2語を用いて120字数以上180字数以内で説明せよ。

 

 この問題は、傍線部直前の最終段落の「たぶん長い射程で考えれば逆行できないだろうこの「移動の時代(→「ほぼ宿命」・「時代の流れ」という意味です)と、傍線部を含む文の二つ前の文、つまり、「アイデンティティとは、どんな単一の起源や本質に還元されるものでもなく、それ自体複合的なものとして形成され、そのつど編み直される帰属のバランスのことだ」を、中心にまとめるべきです。

 

 この論考の趣旨は、以下のようになっています。

 世界の全般的な流動化(→グローバル化)が、個や共同体のレベルで「アイデンティティの危機」を生むが、ひとつになったこの地球上で、誰も自明で不変な環境に生きているわけではない。

 流動の時代であればこそ、国家や民族の神話(→ナショナリズム・国家主義)に拠り所を求めるのは、賢明ではない。

 そうした逆行の試みが、輪をかけた混乱と抗争しか招かないのは二十世紀の歴史がすでに証明している。

 むしろ、アイデンティティの複合化に、新たな解決策の光明を見いだそうとしている論考です。

 従って、その論理の流れに沿った記述を心がけるべきです。

 

 解答としては、以下のようになります。

「現代の移動の時代は、個・共同体のレベルで「アイデンティティの危機」を生み、国家や民族の神話に拠り所を求める傾向があるが、そうした逆行の試みが輪をかけた混乱と抗争しか招かないのは二十世紀の歴史がすでに証明している。この移動の時代に、それに見合った住まい方を見いだすには、アイデンティティの本来的な複合的性格に注目して、未知の状況に柔軟に対応するべきだということ。」(180字)

 

 この問題は、明らかに、現在の「トランプ現象」・「イギリスのEU離脱」・「ポピュリズム」などを意識して、出題されたものだと思います。

 その点で、これらについての予備知識・教養があれば、かなり読みやすく、分かりやすかったでしょう。

 このように、現在の社会情勢を積極的に知ろうとすることは、入試国語(現代文・評論文)・小論文に、かなり、役に立つと言えるのです。

 

 ーーーーーーーー

 

ここで、西谷修氏の紹介をします。

西谷 修(にしたに おさむ )

日本のフランス哲学者。1950年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。フランス思想・哲学研究をベースに文明論、戦争論、世界史論、メディア論、ドグマ人類学、身体・医療思想、芸術論などのテーマで多くの論考を展開している。明治学院大学、東京外国語大学教授を経て、立教大学。立教大学大学院文学研究科(比較文明学専攻)特任教授。東京外国語大学名誉教授。

著書として、
『不死のワンダーランド』(青土社 1990年 / 講談社学術文庫 1996年)
『戦争論』(岩波書店 1992年 / 講談社学術文庫 1998年)
『夜の鼓動にふれる――戦争論講義』(東京大学出版会 1995年 / ちくま学芸文庫 2015年)
『離脱と移動――バタイユ・ブランショ・デュラス』(せりか書房 1997年)
『世界史の臨界』(岩波書店 2000年)
『「テロとの戦争」とは何か――9.11以後の世界』(以文社 2002年 / 「〈テロル〉との戦争」増補新版 2006年)
『理性の探求』(岩波書店 2009年) 
『アフター・フクシマ・クロニクル』(ぷねうま舎、2014年)
『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書、2016年) 
『アメリカ 異形の制度空間』(講談社選書メチエ、2016年)
などがある。 

  

 ポピュリズムを考える 民主主義への再入門 NHKブックス

 

 

 

 

 

(4)2017学習院大学経済学部

 

 学習院大学経済では、吉田徹の氏の論考(「ポピュリズムにどう向き合う」)が出題されました。

 

 最初の4つの段落は、以下のようになっています。

 

「「一匹の妖怪が世界を徘徊(はいかい)している。ポピュリズムという名の妖怪が」。マルクスの「共産党宣言」をもじった言葉がメディアで躍る。

 英国では2014年の欧州議会選挙で主権回復と移民の権利制限を訴える英国独立党(UKIP)が二大政党の得票率を上回った。フランスでも12年の大統領選以降、ユーロ圏離脱や移民排斥を主張する国民戦線(FN)が保革に次ぐ第三極の地位を固めた。

 南欧では、反緊縮と雇用創出を公約に掲げるスペインの左派政党ポデモスや、ギリシャの急進左派連合(SYRIZA)が伸長。オランダやスイス、デンマークなどの小国、ポーランドやハンガリーなどの東欧諸国では、ポピュリズム勢力が与党の座を占めたり、閣外協力を通じたりして、政策に影響を及ぼしている。

 米大統領選予備選での「トランプ旋風」も加わり、先進国はポピュリズムの時代を迎えている。」

 

 最後の4つの段落は、以下のようになっています。


 「民意の期待値を代表エリートが満たしていないと感じられる時に、いや応なくポピュリズムは台頭する。

 ポピュリズムは民主政における鬼子だ。ポピュリズムと無縁な民主政はなかったし、これからもないだろう。ただしポピュリズムは、硬直化し劣化した政治を流動化させ、それまで取り上げられてこなかった争点を政治に持ち込むことで、代表制と民意の間で不可避的に生まれる不一致を解消する契機ともなる。

 もっとも、それを可能とするのは「共産党宣言」の言葉を再び借りれば「妖怪をはらい清める同盟」の実現にかかっている。具体的には、既存の政治が自己改革を含むイノベーションを完遂し、政策の実効性を高めるといった、民意の「入力」と政策の「出力」の両面での改善を意味する。

 こうした民主政の絶えざるバージョンアップ、すなわち統治されるものと統治するものの一致が実現され、民主政の持つ本来の理念が生かされるのであれば、ポピュリズムという妖怪は初めて窒息させられることになるだろう。」(2016年月2月に発表された、吉田徹「ポピュリズムにどう向き合う」)

  

 この問題文本文に対して、次のような問題が出題されています。

 この大問の設問は全部で7問です。

 次の問題は問5で、選択肢が8個で、正解が2個なので、配点は多いはずです。

 

問5の②  傍線部B(→今回のこの記事では、この部分はカットしました)で、筆者はポピュリズムの特徴を「人々を束ねるイデオロギーではなく、彼らの不満を表現する否定の政治だ」と述べています。現代のポピュリズム政治家はどのような政治をするのですか。次の中から、合致するものを二つ選びなさい。

 

1  ポピュリスト政治家は、ナチスなどに見られたようなファシズム的な政策を唱えることが一般的である。

2  ポピュリスト政治家は、世界的な市場の拡大によって社会的な格差が拡大したとして、福祉政策の充実を訴えている。

3  ポピュリスト政治家は、民族や言語の同質性に根幹を置き、地域的に限定された国民国家の再編を主張することが多い。

 4  ポピュリスト政治家は、巧みな選挙戦術を駆使して議会を牛耳ることで、政策決定の回路を我が物としようとしている。

5  ポピュリスト政治家は、伝統的に労働者階級に地盤を置いて、既得権益を握る人々を攻撃する政策なら何でも賛成する。

6  ポピュリスト政治家は、市場の自由化を図って新自由主義を主張し続ける一方で、文化的には伝統主義的な傾向が強くなっている。

7  ポピュリスト政治家は、移民排斥を主張すると同時に、市場の世界的な拡大を肯定しようとするため、一貫性に欠けることがある。

8  ポピュリスト政治家は、マスメディアの力を利用して、テロなどの事件が起きるたびに宣伝活動を繰りひろげて、勢力を拡大しようとしている。

 

ーーーーーーーー

 

(解説・解答)

 

 本文を熟読・精読することは、勿論です。

 が、トランプ現象イギリスのEU離脱ポピュリズムを知っておけば、この問題においても、かなり有利だと思います。

 本文を熟読・精読しなくても、3・7が正解だということは見当がつくはずです。

 

 結果として、正解は、3・7です。

 

 この問題も、論点についての予備知識・教養の重要性を知らせてくれます。

 

ーーーーーーーー

 

ここで、吉田徹氏の紹介をします。

吉田 徹(よしだ とおる)

1975年生まれ。日本の政治学者。東京都出身。
1997年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業2002年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学修士課程修了。ドイツ研究振興協会DIGES II(Diploma for German Studies and European Studies)修了。2005年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程単位取得退学。
専門は、比較政治・ヨーロッパ政治。北海道大学法学研究科教授。芹沢一也主宰のシノドスアドバイザー。フランス社会科学高等研究院日仏財団リサーチ・アソシエイト。

著書として、
『ミッテラン社会党の転換―社会主義から欧州統合へ』(法政大学出版局、2008年)
『二大政党制批判論―もうひとつのデモクラシーへ』(光文社新書、2009年)
『ポピュリズムを考える―民主主義への再入門』(日本放送出版協会、2011年)
『感情の政治学』(講談社選書メチエ、2014年)
『「野党」論―それは何のためにあるのか』(ちくま新書、2016年)
などがある。

 

ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後の予定です。

ご期待ください。

 

 

  

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

権力の読みかた―状況と理論

権力の読みかた―状況と理論

 

 

離脱と移動―バタイユ・ブランショ・デュラス

離脱と移動―バタイユ・ブランショ・デュラス

 

 

ポピュリズムを考える 民主主義への再入門 NHKブックス

ポピュリズムを考える 民主主義への再入門 NHKブックス

 

 

私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

2017東大国語第1問(現代文・評論)的中報告・解説・科学と倫理

科学論 科学と倫理 東大現代文解説 2017東大国語第1問解説 2017東大現代文解説 2017東大評論文解説 東日本大震災 福島原発事故 伊藤徹 哲学 『芸術家たちの精神史』 科学批判 現代文明批判 現代文明論 テクノロジー 科学技術 人工受精 倫理的判断 虚構 虚構性 環境倫理 論点的中 小論文 科学の暴走 人類の危機 現代文 国語 科学の民主的コントロール 科学的倫理基準

(1)2017東大国語第一問題・的中報告→2017センター試験国語第1問に続き、2017東大国語第1問にも当ブログの予想論点記事(「科学論」「科学と倫理」)が的中しました。2016東大現代文ズバリ的中・一橋大現代文ズバリ的中(全文一致)に続く喜びです。そこで、今回は、2017東大国語第1問(現代文・評論)の解説をします。

 

 当ブログでは、「東日本大学震災」・「福島原発事故」・「人工知能」などを素材として、「科学の急激な発展」、「科学の暴走」、「科学コミュニケーション」、「科学と倫理」について考察した予想論点記事を発信してきました。

 詳しくは、下のリンク画像をご覧ください。

 

 そして、2017センター試験国語第1問で、「科学コミュニケーション」が出題され、2017東大国語第1問で「科学と倫理」が出題されました。

 「科学コミュニケーション」の重要な目的の1つが、「科学的倫理基準の民主的コントロール」であることを考慮すると、2つの問題は、『「科学の暴走」と「人類の危機」』という同一の問題意識が背景にあると言えるでしょう。

 2017センター試験国語第1問、2017東大国語第1問ともに、「科学の暴走」という、現代の重大な問題を真正面から取り上げた、「誠実」かつ「真摯(しんし)」な問題だと思います。

 2つの問題の作成チームに敬意を表します。

 「人工知能」・「遺伝子操作」・「分子生物学」・「原発」・「先端医療」等を考えると、今回の2問は、来年度入試においても、国語(現代文)・小論文における重要論点・テーマとなるはずです。

 従って、よく理解しておく必要があるでしよう。

 

gensairyu.hatenablog.com

  

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

  

 芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

 

 

 

 

 

(2)2017東大国語第1問(現代文・評論)・解説ー『芸術家たちの精神史』伊藤徹

 

(問題文本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

【1】テクノロジーには問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる。科学技術によって産み落とされた環境破壊が、それを取り戻すために、新たな技術を要請するといった事例は、およそ枚挙にいとまないし、感染防止のためのワクチンに対してウィルスが耐性を備えるようになり、新たな開発を強いられるといったことは、毎冬のように耳にする話である。東日本大震災の直後稼働を停止した浜岡原発に対して、中部電力が海抜二二メートルの防波堤を築くことによって、「安全審査」を受けようとしているというニュースに接したときも、同じ思いがリフレインするとともに、こうした展開にはたして終わりがあるのだろうかという気がした。技術開発の発展が無限に続くとは、たしかにいいきれない。次のステージになにが起こるのか、当の専門家自身が予測不可能なのだから、先のことは誰にも見えないというべきだろう。けれどもァ 科学技術の展開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引(けんいん)していく不気味なところがある。

 

 ーーーーーーーー

 

(問題)

設問(一)「科学技術の展開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引していく不気味なところがある」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

………………………………

 

(解説・解答)(傍線部説明問題)

→今回の東大の問題も、設問が誘導的で親切です。

 本文より先に、設問から読むとラクです。

  「不気味なところ」を、明確に説明するようにしてください。

 

 つまり、 「科学技術の展開」がどのような点で「不気味」と言えるのかを説明することが大切です。

 第一段落は、全体が「科学技術の展開の不気味なところ」の説明になっています

 傍線部と第1段落第1文が、ほぼ同内容です。

    「困難を人間の力で解決しようとして営まれるテクノロジーには、問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っている」の部分が、かなり「不気味な」内容です。

 従って、第1段落第1文のキーフレイズを使用して、傍線部を説明するとよいでしょう。

 

(解答)

問題解決のための科学技術が自ら新たな問題を作り出し、次なる技術を要請するという自己展開過程に、人間を巻き込むということ。(60字)

 

(補足的説明) 

   「科学技術の自己展開の不気味さ」は、「人工知能の発展」に特に顕著です。

 人工知能がどこまで発達するかは、全く未知数です。

 最近のSF映画には、人工知能をテーマにしたものが目立ちます。

 特に、『2001年宇宙の旅』『ターミネーター』『マトリックス』などは、「人工知能の自己展開の不気味さ」をテーマにしていると言えます。

   「人工知能の自己展開の不気味さ」については、下の記事を、ご覧ください。

 

gensairyu.hatenablog.com

ーーーーーーーー 

 

 (問題文本文)(概要です)

【2】医療技術の発展は、人工受精技術を開発してきた。そして、多胎妊娠対策のために、現在は子宮内に戻す受精卵の数を制限するようになっている。だが、この制限によっても多胎の「リスク」は、自然妊娠の二倍と、なお完全にコントロールできたわけではないし、複数の受精卵からの選択、また選択されなかった「もの」の「処理」などの問題は、依然として残る。

【3】いずれにせよ、こうした問題に関わる是非の判断は、技術そのものによって解決できる次元には属していない。 延命に関する技術の進展は、以前なら死んでいたはずの人間の生命を救済し、多数の療養型医療施設を生み出すに到っている。

【4】しかしながら老齢の人間の生命をできるだけ長く引き伸ばすということは、可能性としては現代の医療技術から出てくるが、現実化すべきかどうかとなると、その判断は別なカテゴリーに属す。「できる」ということが、そのまま「すべき」にならないのは、核爆弾の技術をもつことが、その使用を是認することにならないのと一般である。テクネーである技術は、ドイツ語の語源が示す通り、「できること」の世界に属すものであって、「すべきこと」とは区別されねばならない。

【5】テクノロジーは、本質的に「一定の条件が与えられたときに、それに応じた結果が生じる」という知識の集合体である。すなわち、「どうすればできるのか」についての知識、ハウ・トゥーの知識だといってよい。それは、結果として出てくるものが望ましいかどうかに関する知識、それを統御する目的に関する知識ではないし、またそれとは無縁でなければならない。その限りのところでは、テクノロジーは、ニュートラルな道具だと、いえなくもない。ところが、こうして「すべきこと」から離れているところに、それがィ 単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由もある。

【6】テクノロジーは、実行の可能性を示すところまで人間を導くだけで、そこに行為者としての人間を放擲(ほうてき)するのであり、放擲された人間は、かつてはなしえなかったがゆえに、問われなかった問題に、しかも決断せざるをえない行為者として直面する。

【7】妊婦の血液検査によって胎児の染色体異常を発見する技術には、そのまま妊娠を続けるべきか、中絶すべきかという判断の是非を決めることはできないが、その技術と出会い行使した妊婦は、いずれかを選び取らざるをえない。

 

 ーーーーーーーー

  

(問題)

設問(二)「単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

 

………………………………

 

(解説・解答)(傍線部説明問題)

 

「こうして「すべきこと」から離れているところに、それが ィ 単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由もある。」

という文脈からは、傍線部の意味は把握困難ですが、直後の2つの段落に、分かりやすい説明があります。

 この設問は、傍線部直前と傍線部だけを見て悩まずに、すぐに傍線部直後を読めば、標準的なレベルの問題と言えます。

 

 (解答)

 テクノロジーは行為の是非とは無関係に、行為の実行の可能性を示すのみで、人間にその行為の是非の決断を迫るということ。(57字)

 

ーーーーーーーー

 

(問題文本文)(概要です)

【7】妊婦の血液検査によって胎児の染色体異常を発見する技術には、そのまま妊娠を続けるべきか、中絶すべきかという判断の是非を決めることはできないが、その技術と出会い行使した妊婦は、いずれかを選び取らざるをえない。

【8】療養型医療施設における胃瘻や経官栄養が前提としている生命の可能な限りの延長は、否定しがたいものだ。だが、飢えて死んでいく子供たちが世界に数えきれないほど存在している現実を前にするならば、自ら食事をとることができなくなった老人の生命を、公的資金の投入まで行なって維持していくことが、社会的正義にかなうかどうか、少なくとも私自身は躊躇(ちゅうちょ)なく判断することができない。

【9】ここで判断の是非を問題にしようというのでは、もちろんないし、選択的妊娠中絶の問題一つをとってみても、最終的な決定基準があるとは思えない。むしろ肯定・否定を問わず、いかなる論理をもってきても、それを基礎づけるものが欠けていること、そういう意味でゥ 実践的判断が虚構的なものでしかないことは明らかだと、私は考えている。 

【10】たとえば現世代の化石燃料の消費を将来への責任によって制限しようとする論理(→環境倫理)は、物語としては理解できるが、現在存在しないものに対する責任など、応答の相手がいないという点で、想像力の産物でしかないといわざるをえない。その他倫理的基準なるものを支えているとされる概念、たとえば「個人の意思」や「社会的コンセンサス」などが、その美名にもかかわらず、虚構性をもっていることは、少しく考えてみれば明らかである。主体となる「個人」など、確固としたものであるはずがなく、その判断が、時と場合によって、いかに動揺し変化するかは、誰しもが経験することであり、そもそも「個人の意思」を書面で残して「意思表明」とするということ自体、かかる「意思」なるものの可変性をまざまざと表している。

 

 ーーーーーーーー

 

(問題)

設問(三)「実践的判断が虚構的なものでしかないことは明らか」(傍線部ウ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)

 

………………………………

 

(解説・解答)(理由説明問題)

①  傍線部直前の「そういう意味で」に着目して、「むしろ肯定・否定を問わず、いかなる論理をもってきても、それを基礎づけるものが欠けていること」が、ヒントになることを読み取ってください。

②  また、直後の段落が、傍線部の具体的説明になっていることを読み取ってください。

③  この設問は、傍線部の直前・直後をまとめる問題です。

 

(解答) 

科学技術使用の是非を判断する時に適用される倫理的基準は、人間の可変的な想像力によるので、判断の基礎として確固としていないから。(63字)

 

ーーーーーーーー 

 

(問題文本文)(概要です)

「【11】だが、行為を導くものの虚構性の指摘が、それに従っている人間の愚かさの摘発に留まるならば、それはほとんど意味もないことだろう。虚構(→ここに言う「虚構」とは「人工な制度」も含まれます)とは、むしろ人間の行為、いや生全体に不可避的に関わるものである。人間は、虚構とともに生きる、あるいは虚構を紡ぎ出すことによって己れを支えているといってもよい。問題は、テクノロジーの発展において、虚構のあり方が大きく変わったところにある。テクノロジーは、それまでできなかったことを可能にすることによって、人間が従来それに即して自らを律してきた虚構、しかもその虚構性が気づかれなかった虚構、すなわち神話を無効にさせ、もしくは変質を余儀なくさせた。それは、不可能であるがゆえにまったく判断の必要がなかった事態、「自然」に任すことのできた状況を人為の範囲に落とし込み、これに呼応する新たな虚構の産出を強いるようになったのである。そういう意味でェ テクノロジーは、人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう。 」(  伊藤徹『芸術家たちの精神史』)

 

 ーーーーーーーー

 

(問題)

設問(四)「テクノロジーは、人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう」(傍線部エ)とはどういうことか、本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。

 

………………………………

 

(解説・解答)(傍線部説明問題)

 本設問は「人間の生の不安定性」という点で、前の設問(一)~(三)に関連していることに注意してください。

  傍線部直前の「そういう意味」は、直前の一文、つまり、それ(→テクノロジー)は、不可能であるがゆえにまったく判断の必要がなかった事態、「自然」に任すことのできた状況を人為の範囲に落とし込み、これに呼応する新たな虚構の産出を強いるようになったのであるを、受けています。

②  傍線部の「人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう」の説明は、最終段落第4文(「問題は、テクノロジーの発展において」以下)から始まることに注意してください。

   「従来の倫理的基準のあり方」が、「暴走するテクノロジー」によって、いったい、どのように変質しているのか、を「本文全体の論旨を踏まえた上で」説明するようにしてください。

④  上記のについては、「テクノロジーの本質的な性質」を指摘した第1段落第1文(「テクノロジーには問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる」)を、意識してください。

 

(解答)

自己展開するテクノロジーの発達により不可能な行為が可能になり、人間はその是非の決断を迫られる場面に直面して、既存の倫理の虚構性が暴露されたが、新たな問題に対処するために倫理的基準を作成し続ける必要性が生じたということ。 (116字)

 

(補足的説明)

 

 自己展開する、急速なテクノロジー(科学技術)の発展に合わせて、社会は、頻繁に新しい科学的倫理基準を作成する必要に迫られます。

 「倫理」・「科学的倫理基準」は人々の行動基準です。

 「倫理」・「科学的倫理基準」が可変的で暫定的であるということは、「テクノロジーが人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう」ことに、つながるのです。

 つまり、「人間的生のあり方が可変性的に暫定的になるということ」は、「人間が将来を明確に展望できないために、不安で不安定な精神生活の中に、生きざるを得ないということ」なのです。

 「利便性と効率性を過度に求めた結果、人類滅亡の不安までも生じている」という皮肉な状況を、筆者である伊藤徹氏は指摘しているのです。

 

 

(3)伊藤徹氏の紹介

 

著者について
1957年 静岡市に生まれる。 1980年 京都大学文学部卒業。 1985年 京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。 現在 京都工芸繊維大学教授。(哲学・近代日本精神史専攻)。京都大学博士(文学)
著 書
『柳宗悦 手としての人間』(平凡社,2003年),
『作ることの哲学ー科学技術時代のポイエーシス』(世界思想社,2007年),
『作ることの日本近代・1910~40年代の精神史』〔編著〕(世界思想社,2010年)
『 芸術家たちの精神史』(ナカニシヤ出版)

 

『芸術家たちの精神史』の内容は、〈ナカニシヤ出版の「BOOK」データベース〉によると、以下のようになっています。(赤字は当ブログによる「強調」です)

「作品に映る近代日本の精神を考察。高橋由一から岡本太郎、寺山修司まで、芸術家たちが造形してきた近代日本の精神と、原発問題に象徴されるテクノロジーの暴走、一見かけ離れた両者の交叉点を哲学的に探る。」

 

 以上を読むと、今回の東大現代文の論点・テーマが「テクノロジーの暴走」であり、2017センター試験国語第1問の論点と同一であることが、分かります。

 


(4)当ブログの他の「科学の暴走」・「科学と倫理」関連記事の紹介

 

今回の東大現代文に関連している当ブログの最近の記事です。

今回の問題に対する理解を深めるためにも、ぜひ、ご覧ください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

   

 

芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

 

 

 

作ることの日本近代―一九一〇‐四〇年代の精神史― (世界思想ゼミナール)

作ることの日本近代―一九一〇‐四〇年代の精神史― (世界思想ゼミナール)

 

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

志望理由の書き方ー推薦・AO入試ー熱意・意欲を具体的に明示せよ

志望理由書 AO入試 推薦入試 慶應義塾大学文学部推薦入試 就活 就職試験 志望理由の書き方 福澤諭吉 社会貢献 志望理由 小論文 慶應義塾大学推薦入試 早稲田大学AO入試

(1)志望理由は、合格のポイントです

志望理由は、一般に思われているよりも、合否のポイントになっているようです。


 これから、長年の受験指導から実感した、合格率の高まる志望理由の書き方を提示していきます。

 ただし、この記事は、あなた方、読者諸君の合格を100パーセント保証するものでは、ありません。

 合格を決定づけるのは、あなた自身の熱意・意欲であり、キャラクター、学力などです。

 自分自身の気持ちを、合格に向けて集中するようにしてください。

 なお、これから、様々な文例を提示しますが、それらを、そのまま書くことはやめた方がよいです。

 自分自身の表現で、もちろん、なるべく大人の表現で、書くようにしてください。

 年齢・キャラクターにふさわしい表現があります。

 読む側は、あなた自身の表現か否かについて、敏感になっています❗

 

 

(2)志望理由書に書くべきこと→相手方は、特に、ここを見ています

 

 ①  まず、第1に、卒業後につきたい職業を具体的に明示する

 

 まず、卒業後につきたい職業を具体的に明示してください。

 なるべく、大学教育を受ける必要のある職業を書くべきです。

 今回は、一例として、「高校の国語教師」ということで書いていきます。

 

 なぜ、高校の国語教師を目指すのか?

 理由としては、以下のようなことを書くとよいでしょう。

 

 ・国語が得意

 ・人を教えることに興味がある、

 ・高校で素晴らしい国語教師に出会い、あの教師のようになりたいと思った

 ・高校の国語教師として教育に携わり、社会貢献していきたい←ここが最も重要です

 

②  上記した職業につくために、大学で専門教育を受ける必要があるので、その大学・学部を選択した理由を書く→以下の(3)~(11)では、この点を重点的に記述していきます

 

 この部分は、大学側が最も注目しています。

 受験生としては、分量的にも、内容的にも、ここを最も充実させるべきです。

 

 「その大学・学部を選択する理由」としては、一般的に、

「実地教育」、

「現場重視」、

「学生参加型授業」、

「少人数教育」、

「最先端授業」、

「グローバル化を意識した授業」

などがあります。

 

③  入学後に、どの授業を選択するのか、どのように自分の勉強を進めていくか、を書く

 

 志望校が要求していなくても、用紙に余裕がある時には、この点についても記述するようにしてください。

 ここでも、具体的ビジョンを明示するべきです。

 「自分の、勉学への熱意・意欲の証明」です。

 

 

(3)最大のポイントは、「その大学・学部を選択した理由」を、具体的に、しっかり書くことです

 

  「志望校のどこに惚れたか」、を具体的に明示してください。

 志望校が、学校案内のパンフレット、インターネットや学校説明会で発信しているアピールポイントを、受験生としては、素直に評価してあげることが大切です。

 素直にプラス評価されると、つまり、惚れられると、人間は嬉しいものです。

 惚れてくれた相手に、つい、好意を持ってしまいます。

 従って、堂々と、熱く、「いかに惚れたか」を、受験生は具体的にアピールしてください。

 

このことは、以下の大学側の記述を見ても、明らかです。

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

「〈この入試について〉

 1994(平成6)年度より慶應義塾大学文学部では、従来の入学試験制度に加えて、「自主応募制による推薦入学者選考」制度を採用しています。この制度は文学部の従来の入学試験制度とは異なる視点から入学者選考を行うことを目的として設けられたものです。

「自主応募制による推薦入学者選考」の目的は、一般の学力考査とは異なった視点・尺度を導入することによって、さまざまな資質を持ち、慶應義塾大学文学部への志望動機が明確で意欲的な皆さんに対し入学への道を開くことにあります。

 

ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 「慶應義塾大学文学部への志望動機が明確で意欲的」とは、「いかに自分の大学で学ぶ意欲があるか」ということです。

 つまり、「いかに熱く、自分の大学に惚れているか」、ということなのです。

 単に、「学問修得の意欲」を言っているのでは、ないのです。

 この点は、よく意識しておいてください。

  

 

(4)なぜ、その大学を選択したのか①ー「塾長メッセージ」も参考にする 

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

【塾長メッセージ】

学問による貢献

慶應義塾は1858年、福澤諭吉(→創立者が著名人の場合は、創立者についての、ある程度の予備知識を仕入れておいた方が賢明です。慶應義塾大学の場合は、福澤諭吉の著作を1~2冊は読んでおくべきです。面接で、「福澤諭吉の著作を読んだことがあるか」と問われることもあります)によって創立されました。封建の江戸時代に生まれ、幕末に慶應義塾を創立し、近代国家として歩みはじめた明治の日本の知的指導者となった福澤は、そのような激動の時代を生きた同世代人を、「恰(あたか)も一身(いっしん)にして二生(にしょう)を経(ふ)るが如く」と表現しています。まるで一人の人間が二つの人生を生きたような、大きな変化だったということです。

今日の私たちもまた、大きな変化の時代を生きています。たとえば社会の基本をなす人口構造について見れば、今年大学を卒業する大学生が生まれた頃には、65歳以上の高齢者は総人口の10人に1人を超えたばかりでしたが、今日ではもう4人に1人が高齢者の社会になろうとしています。そして今年の大学の卒業生が働き盛りの40代になる頃には人口の3人に1人、その人たち自身が高齢者の仲間入りをする今世紀半ばには5人に2人が高齢者となります。まさに人口の構造がピラミッド型から逆ピラミッド型に近い形にまで変わるような、大変化の時代となります。

大きな変化の時代には、過去の延長線上でものを考え、問題を解決することは難しくなります。新しい状況を自らの頭で理解し、その理解にもとづいて問題を解決することが求められます。考えるべき問題を見つけ、その問題が起きる理由について自らの考えをまとめ、その考えが正しいかどうか客観的に確かめて結論を導き、その結論にもとづいて問題を解決するということです。これは学問の方法にほかなりません。

福澤が「一身にして二生を経る」と言ったような大きな変化の時代に、学問の大切さを強調したのはそのためです。大きな変化の時代であればあるほど、学問の重要性はますます高まってきます。私ども慶應義塾は、何よりも学問を大切にした創立者福澤諭吉の考えにもとづき、学問によって自ら考えることのできる人材を育て、学問を深めて社会に新たな叡智を与え、学問にもとづく医療などの実践活動を行うことによって、社会の進歩に貢献していきたいと考えています。

 

ーーーーーーーー 

 

(当ブログによる解説)

 「大学全体の方針」について、「自分が、どう思っているか」をコメントしておくべきです。

 なるべく、プラス評価する方が良いでしょう。

 上記の文章の最終部分を読むと、「学問によって自ら幅広く深く考える人間に成長して、社会に貢献していきたい」というようなことを書くと、相手方は、高い評価を与えてくれるでしょう。

 ここでも、「自分がいかに慶應義塾大学に興味を持ち、慶應義塾大学に関する様々な資料を調査したか、そして、それに共感したか」、を積極的にアピールするようにしてください。

 

 

(5)なぜ、その大学を選択したのか②ーその大学が取り組んでいる「新しい教育の試み」

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

【新しい教育の取り組み】

ここでは、慶應義塾が取り組んでいる新しい教育の試みなどについてご紹介します。

《現在の取り組みの数々》

〈全塾的な取り組み〉

文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援」事業に世界レベルの教育研究を行うトップ大学として採択される慶應義塾大学は、文部科学省の平成26年度「スーパーグローバル大学創成支援」事業に、世界レベルの教育研究を行うトップ大学(タイプA)として採択されました。この事業は、徹底した国際化と大学改革を断行する大学を重点支援することにより、我が国の高等教育の国際競争力を強化することを目的としています。

〈個別の取り組み〉

科学的思考力を育む文系学生の実験の開発ー実学の伝統の将来への継承-文系学生が自然科学の実験や実習を通してデータの定量的な評価を行い、問題の本質を見抜き、解決策を考えることができるような総合的な科学的思考力を育成するプログラムです。また、得られた理論、根拠と結論をしっかり文章と口頭で表現できる学生を育成します。

 

ーーーーーーーー 

 

(当ブログによる解説)

 まず、「世界レベルの教育研究を行うトップ大学で学びたい」に類する記述は、書いても、よいと思います。

 いずれにせよ、この「新しい教育の試み」については、ぜひ、コメントするべきです。

 「この『新しい教育の試み』を活用して自分の視野を広げていきたい」くらいのことは書いた方が良いでしょう。

 積極性が、「志望理由書」においては、不可欠です。

 

 

(6)なぜ、その大学の、その学部を選択したのか①ー「少人数教育」

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

 2年次以降は、落ち着きのある洗練された雰囲気をもつ三田キャンパスにおいて、17専攻のいずれかに所属し学びます。卒業後の進路も意識しつつ、専門的で深遠な知の領域に進んでゆきます。文学部が大切にしている教育の特色の一つに、少人数教育少人数教育があります。ゼミ(研究会、演習)をはじめとして三田で開講される多くの授業科目は小規模で、教員と学生、さらに学生同士が親密な関係を保ちつつ、切磋琢磨しながら成長してゆくことができます。

 

ーーーーーーーー 

 

(当ブログによる解説)

 「少人数教育」についても、かなりプラス評価をするべきです。

 「キメ細かい教育を受けられること」への「期待」と「感謝」の気持ちを、素直に表現してください。

 相手方は、「素直で、謙虚な受験生」を高く評価します。

 

pi201b♪エンジェルプチアート

 

 

 (7)なぜ、その大学の、その学部を選択したのか②ー「教育方針」〈1〉

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

文学部の方針

 福澤諭吉は、societyという概念を「人間交際」という日本語で表現しました。そして、学問にとりくむことの趣旨について、個人で充足するためではなく、「人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉むるところなかるべからず」(『学問のすすめ』)と説きました。
 文学部の「文」は、ひとりぼっちで机に向かい、黙々と本を読むことによって達成されるのではありません。慶應義塾大学文学部は、「文」(ことば)によって人と人をつなぐことをめざします。そして「文」(ことば)はまた、人と人とのつながりのなかで生成されます。文学部の「文」(ことば)は、人間交際を成立させる要です。と同時に、人間交際の躍動のなかで「文」(ことば)が構成されるのです。私たちの「文」(ことば)は、決してモノローグではあり得ず、人と人との交わりと、それが幾重にも重なり合う社会のなかで育まれ、その交わりや社会を紡ぐ媒体になります。
 このように文学部の「文」(ことば)は、「人間交際」すなわち社会のあり方と緊密な関係をもちます。文学部の研究教育が多様な領域に開かれているのは、こうした知の躍動が現代社会のなかで無限の拡がりをもって展開してゆくからです。そしてそこの根幹には、さまざまな人々や社会がいろいろなものの見方や考え方をもつことを尊重する、という意思や姿勢が貫かれています。「人間交際」は他者への理解と配慮によって成立するからです。文学部の知の多様性は、そうした思想を基盤としています。
 さらに文学部の知は、単に多様性や広領域性を特徴とするだけではありません。私たちの知は、人間と文化、社会、環境を成り立たせている根源を志向します。つまり事象の本質を追究するという姿勢です。そしてそれには「文」(ことば)が重要な役割を果たします。いわゆるグローバル化や情報社会の到来によって、変動の激しい流動化する社会や世界の動向があるからこそ、根源や本質を追究するという文学部の意義はますます重要になってきます。慶應義塾大学文学部の教員と学生は、ともに互いの文ことばを尊重しながら、事柄の本質を見極めるための知的探究に共同してとりくんでいます。

 

ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 慶應義塾大学文学部における「人間交際」の重視や、「グローバル化や情報社会の到来」の中でこそ、「根源や本質を追究するという文学部の意義はますます重要になってきます」という文学部のポジティブな姿勢についても、受験生は何らかのコメントを記述するべきです。

 

 

(8)なぜ、その大学の、その学部を選択したのか③ー「教育方針」〈2〉

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

【カリキュラム】

1年は日吉キャンパスで幅広く学び、2年から三田キャンパスで専攻に所属

他学部と異なり、文学部の学生は、日吉キャンパスで第1学年を、第2学年以降を三田キャンパスで過ごします。日吉では、さまざまな学問に接することによって自らの視野を広げ、第1学年の終わりに17専攻から進むべき専攻を決定します。

〈多様な科目を学べる系列科目を含め、全ての科目は半期制で履修〉

カリキュラムは、総合教育科目と必修語学科目、専門教育科目に分かれています。総合教育科目は、系列科目と系列外科目に分かれ、系列科目はさらに人文科学系列、社会科学系列、自然科学系列に区分され、多様な科目が用意されています。各科目とも2007年度から半期制をとっています。

〈バライティ豊かな13ヶ国語を学ぶための語学科目〉

英語、ドイツ語、フランス語、中国語、朝鮮語、ロシア語、スペイン語、イタリア語の他、ギリシア語、ラテン語、アラビア語、ペルシア語、トルコ語などの授業も設置されています。英語はプレースメントに基づく習熟度別クラスとなっています。

 

ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説) 

「バライティ豊かな13ヶ国語を学ぶための語学科目」

「英語はプレースメントに基づく習熟度別クラス」

は、ともに、学生にとって、魅力的なシステムでしょう。

 

 これらについての、「期待」と「意欲」についても、何らかのコメントが欲しいところです。

 

 

(9)なぜ、その大学の、その学部を選択したのか④ー教育方針〈3〉

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

〈専攻以外の科目も自由に学び、幅広い視野を身につける〉

専門教育科目には、特色あるユニークな講義が目白押しです。各専攻の必修科目数を抑えることにより、専攻以外の科目も自由に履修できるよう配慮しています。このメリットを活かして、文学部では、それぞれの関心に応じて、幅広い視野で複眼的、総合的に判断できる能力を身につけることをめざします。

 

ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 これからの激動の時代において、「幅広い視野で複眼的、総合的に判断できる能力」は、必要不可欠だと思います。

 大学で、この能力を身に付けられることは、幸福なことでしょう。

 ただ、専攻と専攻以外の科目のバランスに注意する必要はあるでしょう。

 その点に配慮して、志望理由書に、このシステムについてのコメントを書くようにしてください。

 

 

 (10)なぜ、その大学を選択したのか②ー就職・進学への充実したサポート

 

(慶應義塾大学のHPより引用)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

進路に関すること、就職・進学に関することはどんなことでも相談に応じています。

遠慮なく就職・進路支援担当窓口を利用してください。

その他、ES添削や模擬面接も受けられます

【 求人情報 】

〈慶應義塾大学への求人票の利用方法〉

①  インターネット経由で送られて求人票 → keio.jp上の「求人ナビ」で公開中
②  郵送・メール等で送られてきた求人票 → 学生部就職・進路支援担当事務室内のファイルでのみ公開中
③  企業団体が大学に持参した求人票 → 企業の人事の方が大学に直接持参した求人票。学生部就職・進路支援担当事務室内のファイルで公開中

就職関連図書の閲覧について

就職資料室(南校舎1階)で利用が可能です。

就職関連図書等は就職資料室に設置しています。学生証があれば閲覧できますので気軽に利用して下さい。

また、就職ガイダンスのDVDも就職資料室にて貸し出しています。

 

「【 OB・OG名簿閲覧方法 】

OB・OG訪問システム(塾員検索用)のための専用P C でOB・ OG名簿を閲覧することができます。

[OB・OG訪問システム(塾員検索用)専用PC設置場所]
・就職・進路進路支担当援事務室(南校舎地下1階)
・就職資料室(南校舎1階)

【 就職活動体験記 】

就職活動を終了した先輩達の「就職活動体験記」がインターネットで閲覧できます。
keio.jpにログインし、「就職・進路支援システム」から利用してください。

【 就職ガイダンス・業界説明会 】

就職・進路に関する様々なガイダンス、説明会を開催しています。
また、希望者には就職資料室にて収録DVDの貸し出しを行っています。

 

 ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 見事な、充実した、「就職・進学へのサポート・システム」です。

 文字通り、至れり尽くせりです。

 上記に引用したものは、実際の一部です。

 この点も、慶應義塾大学の魅力の一つと言えます。

 私が志望理由書を書くとしたら、この点についても、コメントするでしょう。

 

 

置時計 アンティーク風 インテリア 卓上 置き時計 猫 キャット&マウスクロック [sik1277]

 

(11)まとめ

 

 以上、志望理由書に書くべきポイントを、幾つか記述しましたが、もちろん、以上のすべてを書く必要は、ありません。

 あなたの主観、相手方から要求されている字数などにより、取捨選択してください。

 大切なことは、「受験生の熱意、誠意、謙虚さ」です。

 これらを、「分かりやすく、具体的に相手方に伝達すること」を心がけてください。 

 「結果を気にせず、爽やかに、自己をアピールすること」が重要なポイントだ、と私は思っています。

 

ーーーーーーーー

 

なお、こちらの記事も、ぜひ参考にしてください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

 

  

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

  

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

  

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

  

『生物と無生物のあいだ』福岡伸一・頻出出典・科学論・生命とは何か?

入試頻出著者 福岡伸一 生物と無生物のあいだ 人間機械観 生命観 生命 二重ラセン 分子生物学的生命観 機械的生命観 遺伝子操作技術 『動的平衡』 動的平衡 淀み 生命とは何か? エントロピー増大の法則 現代文明批判 現代文明論 文明と科学 東日本大震災 デカルト ルドルフ・シェーンハイマー 身体 食べる 頻出出典 2008早稲田大学国際教養学部国語解説 2008早稲田大学国際教養学部現代文解説 早大国際教養現代文解説 早大現代文解説 早大現代文

 「科学論」・「科学批判」は、東日本大震災以降、増加し、現在に続いています。 

 今回の記事は以下の構成になっています。

(1)なぜ、この記事を書くのか?

(2)『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)ー2008早稲田大学・国際教養学部の問題・解答・解説

(3)「動的平衡」の概略的解説

(4)「生命とは何か?」ー「エントロピー増大の法則」と「動的平衡」の関係

(5)福岡伸一氏の紹介

 

 

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 「科学論・科学批判」は、東日本大震災以後、激増し、現在に続いています。

 その背景は、以下の通りです。

 

 難関大学・センター試験の入試現代文(国語)・小論文に出題される「科学批判」・「科学論」の論点・テーマは、3・11東日本大震災・福島原発事故以降、より先鋭化し、明らかに出題率も増加しています。

 3・11以前も、環境汚染・地球温暖化・チェルノブイリ原発事故等により、「科学批判」・「科学論」の論点・テーマは、一定の多くの出題がみられました。
 しかし、3・11以降は、「近代科学」に対する批判は明白に先鋭化し、「科学批判」・「科学論」の論点・テーマは出題率が増加しています。

 これは、考えてみれば、当然のことです。

 福島原発事故の際の、原子力村の学者達、地震学者達の無責任な「想定外」の連呼。

 崩壊した「安全神話」。

 今だに完全には収束していない福島原発の処理。

 これらをみれば、「科学」に対する厳しい批判的論考は、増えこそすれ、減ることはないでしょう。

 

 しかも、現代文明においては、地球温暖化・核廃棄物等の問題を見ても分かるように、我々人類の生存・存立に多大な影響を及ぼすような理科系の論点・テーマが発生しています。

 現代文明は、「文明と科学」が密接な関係にあるのです。

 

 「文明と科学」の問題は、文科系、理科系の壁を越えて、今や、人類全体にとって、緊急な重大な問題になっているのです。

 大学における現代文(国語)・国語入試問題作成者の「問題意識」も同じでしょう。

 たとえ、問題作成者の「問題意識」がそうでないとしても、入試現代文(国語)・小論文の世界は、「出典」の関係で論壇・言論界・出版界の影響を受けるのです。


 以上の理由により、最近の入試現代文(国語)・小論文においても、「科学論・科学批判」は、最も注目するべき論点・テーマです

  従って、現代文(国語)・小論文対策として、今回は、入試頻出出典として、『生物と無生物のあいだ』を、早稲田大学国際教養学部の過去問を元に解説します。

 

 

(2)『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)ー2008早稲田大学・国際教養学部の問題・解答・解説

 

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

 

 

 

 

 

 

 

(本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(【1】【2】【3】・・・・は、当ブログで付加しすた段落番号です)

【1】生命とは何か? それは自己複製を行うシステムである。20世紀の生命科学が到達したひとつの答えがこれだった。1953年、科学専門誌『ネイチヤー』にわずか千語(1ページあまり)の論文が掲載された。そこには、DNAが、互いに逆方向に結びついた2本のリボンからなっているとのモデルが提出されていた。生命の神秘は二重ラセンをとっている。多くの人々が、この天啓を目の当たりにしたと同時にその正当性を信じた理由は、構造のゆるぎない美しさにあった。〔 A 〕さらに重要なことは、構造がその機能をも明示していたことだった。論文の若き共同執筆者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは最後にさりげなく述べていた。この対(つい)構造が〔 1 〕ことに私たちは気がついていないわけではない、と。


【2】DNAの二重ラセンは、互いに他を写した対構造をしている。そして二重ラセンが解けるとちょうどポジとネガの関係となる。ボジを元に新しいネガが作られ、元のネガから新しいポジが作られると、そこには二組の新しいDNA二重ラセンが誕生する。ポジあるいはネガとしてラセン状のフィルムに書き込まれている暗号、これがとりもなおさず遺伝子情報である。これが生命の "自己複製" システムであり、新たな生命が誕生するとき、あるいは細胞が分裂するとき、情報が伝達される仕組みの根幹をなしている。

 

【3】分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、〔 B 〕分子機械に過ぎないといえる。デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿である。生命体が分子機械〔 C 〕、それを巧みに操作することによって生命体を作り変え、"改良" することも可能だろう。たとえ、すぐにそこまでの応用に到達できなくとも、たとえば分子機械の部品をひとつだけ働かないようにして、そのとき生命体にどのような異常が起きるかを観察すれば、部品の役割をいい当てることができるだろう。つまり、生命の仕組みを分子のレベルで解析することができるはずである。このような考え方に立って、遺伝子改変動物が作成されることになった。"ノックアウト" マウスである。」

 

…………………………… 

 

(問題) 

問1空欄A~Cに入る最も適当な語を、それぞれ次のア~オの中から選べ。

A  ア もちろん  イ もっとも

   ウ とりわけ  エ なかでも

      オ しかし

B  ア あるいは  イ すなわち  

      ウ もしくは  エ いわゆる

      オ いわんや

C  ア を使えるならば

      イ のはずならば

      ウ でないならば  

      エ に似ているならば

      オ であるならば

 

問2  空欄1に入る最も適当なものを次の中から選べ。

ア  直ちに自己複製機構を示唆する

イ  いずれ生命の神秘を明らかにする

ウ  DNA二重ラセンの根本機能を担う

エ  生命の設計図としての機能を持つ

 

……………………………

 

(解説・解答)

→今回のように、空欄補充問題が多い時は、本文の要約はアバウトで良いのです。厳密にやる事は無理ですし、時間のムダです。

 また、すぐに、選択肢を見て、正解を検討するようにしてください。記述式のように解く、つまり、「自分で解答を書いてから選択肢を見る」という方法もあるようですが、無限の可能性にチャレンジすることになります。

 

 問1 (空欄補充問題)

Cは、直後の二つの文の「文末」に注目してください。

(解答)  A→オ  B→イ  C→オ

 

問2(空欄補充問題)

 まず、空欄の直前の二つの文、つまり、「さらに重要なことは、構造がその機能をも明示していたことだった。論文の若き共同執筆者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは最後にさりげなく述べていた」に注目するとよいでしょう。

 次に、第【2】段落の最終文の生命の「 "自己複製" システム」に着目してください。

 アが正解になります。

 

ーーーーーーーー

 

(本文)(概要です)
【4】私は膵臓(すいぞう)のある部品に興味を持っていた。膵臓は消化酵素を作ったり、インシュリンを分泌して血糖値をコントロールしたりする重要な臓器である。この部品はおそらくその存在場所や存在量から考えて、重要な細胞プロセスに関わっているに違いない。そこで、私は遺伝子操作技術を駆使して、この部品の情報だけをDNAから切り取って、この部品が欠損したマウスを作った。ひとつの部品情報が叩き壊されている(ノックアウト)マウスである。このマウスを育ててどのような変化が起こっているのかを調べれば、部品の役割が判明する。マウスは消化酵素がうまく作れなくなって、栄養失調になるかもしれない。あるいはインシュリン分泌に異常が起こつて糖尿病を発症するかもしれない。
【5】長い時間とたくさんの研究資金を投入して、私たちはこのようなマウスの受精卵を作り出した。それを仮母の子宮に入れて子供が誕生するのを待った。母マウスは無事に出産した。赤ちやんマウスはこのあと一体どのような変化を来たすであろうか、A  私たちは固唾(かたず)を呑んで観察を続けた。子マウスはすくすくと成長した。そしておとなのマウスになった。なにごとも起こらなかった。栄養失調にも糖尿病にもなっていない。血液が調べられ、顕徴鏡写真がとられ、ありとあらゆる精密検査が行われた。どこにもとりたてて異常も変化もない。私たちは困惑した。一体これはどういうことなのか。

【6】実は、私たちと同じような期待をこめて全世界で、さまざまな部品のノックアウトマウス作成が試みられ、そして私たちと同じような困惑あるいは落胆に見舞われるケースは少なくない。予測と違って特別な異常が起きなければ研究発表もできないし、論文も書けないので正確な研究実例は顕在化しにくい。が、その数はかなり多いのではないだろうか。

【7】私も最初は落胆した。もちろん〔 2 〕、実は、ここに生命の本質があるのではないか、そのようにも考えてみられるようになってきたのである。

【8】遺伝子ノックアウト技術によって、パーツを一種類、ピースをひとつ、完全に取り除いても、何らかの方法でその欠落が埋められ、バックアップが働き、全体が組みあがってみると何ら機能不全がない。生命というあり方には、パーツが張り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。ここには何か別のダイナミズムが存在している。私たちがこの世界を見て、そこに生物と無生物とを識別できるのは、そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか。では、その " 動的なもの ″ とは一体なんだろうか。

【9】私は一人のユダヤ人科学者を思い出す。彼は、DNA構造の発見を知ることなく、自ら命を絶ってこの世を去った。その名をルドルフ・シェーンハイマーという。彼は、生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、〔 3 〕身体から抜け出て行くことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。」 (『生物と無生物のあいだ』福岡伸一)

 

…………………………… 

 

(問題)

問3  傍線部A「私たちは固唾を呑んで観察を続けた」に込められた気持ちとして、最も適当なものを次の中から選べ。

ア  生命の神秘が解明されるのではないかと、わくわくしながら見守っている。

イ  長い時間と多額の研究資金を投入したのに、実験が失敗したらどうしようとびくびくしている。

ウ  赤ちゃんマウスがおとなになるまで育って、実験が成功するように祈っている。

エ  いつどんな異常が現れるか、期待と緊張でどきどきしている。

 

問4  空欄2に入る最も適当なものを次の中から選べ。

ア  今でも心底落胆している。しかし落胆ばかりでは研究は進まないので

イ  今ではもう落胆していない。想像をたくましくすれば

ウ  今でも半ば落胆している。しかしもう半分の気持ちでは

エ  今ではまったく落胆していない。なぜならば

 

問5  空欄3に入る最も適当なものを次の中から選べ。

ア  次の瞬間には

イ  私たちが死ねばすぐさま

ウ  次の世代には

エ  そのままの形で

 

問6  「生命とは何か」について著者が最も重視する論旨として適当なものを次の中から選べ。

ア  生命は実験的に異常を生じさせても、それを修正するシステムである。

イ  生命は個々のパーツに還元できない動的なシステムである。

ウ  生命は自己複製を行うシステムである。

エ  生命は無生物には見られない特別な要素を有する動的平衡システムである。

 

ーーーーーーーー

 

(要約・解説・解答)

(要約)

生命の仕組みを分子レベルで解析できるという分子生物学照り返しな生命観に立ち、遺伝子改変動物を作成して、観察を続けた。しかし、ついに、異常も変化も見られなかった。生命とは静的なパーツから成り行つ分子機械ではなく、「動的平衡状態」にあるものであり、パーツ自体のダイナミックの流れの中に成り立っている。

 

(解説・解答)

問3(傍線部説明問題)

 【3】~【5】段落に注目して、「遺伝子改変動物作成の意図」を考えてください。

 正解はエです。

 

問4(空欄補充問題)

「私も最初は落胆したもちろん〔 2 〕(今でも半ば落胆している。しかしもう半分の気持ちでは) 、実は、ここに生命の本質があるのではないか、そのようにも考えてみられるようになってきたのである。」という、空欄を含む一文のニュアンスに注意してください。

 その上で、最後の三つの段落から、「落胆しつつも発想を変えようとしている著者の心理」を押さえるとよいでしょう。

 正解はウです。

 

問5(空欄補充問題)

 空欄直前の「瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり」、空欄直後の「身体から抜け出ていく」、同段落最終文の「パーツ自体のダイナミックな流れ」に着目してください。

 正解はアです。

 

問6(趣旨合致問題)

→本文を読む前に、この設問を見るべきです。出題者は、「生命とは何か」が本文のテーマであると、ヒントを明示しています。

 

 分子生物学的生命観に疑問を抱きはじめる最後の三つの段落に注目するとよいです。

 特に重要なのは最終の【9】段落の次の二つの文です。

生命が「動的な平衡状態」にあること」

「私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。」

 最強のキーワード(「動的な平衡状態」)の入っている選択肢を選ぶようにしてください。

 正解はエです。

 

ーーーーーーーー

 

(3)「動的平衡」の概略的解説

 

 福岡氏は、この実験の結論として、次のような感動的なことを述べています。

 

「私たちは遺伝子を失ったマウスに何事も起きなかったことに落胆するのではなく、何事も起きなかったことに驚愕すべきなのである。動的な平衡力がもつ、柔らかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ感嘆すべきなのだ。」

 

 ここには、「生命の神秘と素晴らしさ」が、あります。

 そして、それを素直に評価する福岡氏の、柔軟な感性に、私は感心しました。

 『生物と無生物のあいだ』は、「『科学者と詩人』の心」を持つ著者によって、丁寧な記述がなされた名著だと思います。

 

 ここで言う「動的平衡」とは、概略的に言うと、以下のような内容になります。

 

 生物分子レベルでのパーツから成る集合体です。

 従って、分子レベルでみれば、「絶えず分子の入れ替わり(食べたものが吸収されて生物の構成物となり、不要なものは排泄等により生物の体外へ排出されていく)が起きている」という意味で、「動的」であり、

 同時に、「『動的』でありつつ、常に一つの個体としての生物を形作っている中で、その個体の生存のために内部の組織が協働して、秩序が保持されている状態」という意味で、「平衡」と言えるのです。 

 

 

置時計 アンティーク風 インテリア 卓上 置き時計 猫 キャット&マウスクロック [sik1277]

 

 

 (4)「生命とは何か?」ー「エントロピー増大の法則」と「動的平衡」の関係

 

あらゆる物質は、エントロピーを増大させています。

エントロピーとは「乱雑さ(ランダム)」を表す尺度である。すべての物理学的プロセスは、物質の拡散が均一なランダム状態に達するように、エントロピー最大の方向へ動き、そこに達して終わる。これをエントロピー増大の法則と呼ぶ。」(『生物と無生物のあいだ』福岡伸一)

 

 秩序は無秩序の方へ、形あるものは崩れる方へ動く。

 全ての構造物は風化し、全ての熱あるものは冷める。

 エントロピー増大の法則です。

 エントロピー増大の法則は容赦なく、生体を構成する成分にも降りかかります。 

 高分子は酸化され分断されます。

 タンパク質は損傷を受け変性します。

 生命にとって、エントロピー最大の状態とは「死」です。

 

 この点について、『生物と無生物のあいだ』の続刊の『動的平衡』において、福岡氏は「生と死」について、さらに分かりやすく、以下のように述べています。

 

「長い間、エントロピー増大の法則と追いかけっこしているうちに、少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピーの増大に追いつかれてしまう。つまり、秩序が保てない時が必ず来る。それが個体の死である。

 したがって「生きている」とは「動的な平衡」によって、「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけているということである。」(『動的平衡』)

 

 では、生命は「自らの死」をどのように引き延ばしていくのか。

 

 もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになります。

 この点について、福岡氏は、以下のように述べています。

 「エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。」(『生物と無生物のあいだ』)

 つまり、生命体は、自らの物質的条件により、エントロピー最大化に対抗しようとしているのです。

 

 では、どのように「自らの生命の秩序」を生み出していくのでしょうか。

 言い換えると、かみ砕いていうと、「食べる」というのはどういう行為なのでしょうか。

 福岡氏は、以下のように記述しています。

「生物は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、炭水化物にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれる情報をむざむざ捨ててから吸収しているのである。なぜなら、その秩序とは、他の生物の情報であったものであり、自分自身にとってはノイズになりうるものだからである。」

肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支があわなくなる。」(『生物と無生物のあいだ』)

 

 つまり、体内の分子は、絶えず破壊され、また新たに作られているのです。

 エントロピーの最大化に対抗するためには、生命は、自らを破壊し、かつ再生するという形で、自らを維持しているのです。

 

 以上のことを、まとめて言うと、以下のようになります。

エントロピー増大の法則は、容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行なうことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。つまり、エントロピーの増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろ、その仕組み自体を流れるの中に置くことなのである。つまり、流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。」(『生物と無生物のあいだ』)

 

 「生命」が「自らの生命」を維持するために、恒常的に、自分の組織を自ら進んで破壊・排出しているということです。

 私は、その点に「生命の神秘」と「生命の英知」を感じます。

 

 

 シャコンヌ

 

 『動的平衡』では、このことについて、さらに、分かりやすく、ある意味で、衝撃的な説明をしています。

生命とは、絶対的な決まった形のあるものではなく、瞬間瞬間の化学変化の連鎖によって維持されている。」

生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。体のあらゆる組織や細胞の中身は、こうして常に作り替えられ、更新され続けているのである。

 だから、私たちの身体は分子的な実態としては、数か月前の自分とはまったく別物になっている。分子は、環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれてゆく。

 分子は常に私たちの身体の中を通り抜けている。

 いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。

 なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
 つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。
 その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。
 その流れ自体が、「生きている」ということなのである。
 シェーンハイマーは、この生命の特異的なありようをダイナミック・ステイト(動的な状態)と呼んだ。
 私はこの概念をさらに拡張し、生命の均衡の重要性をより強調するため「動的平衡動」と訳したい。
 ここで、私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。
 「生命とは動的平衡にあるシステムである」という回答である。

(『動的平衡』)

 

 以上の記述の中で、

私たちの身体自体「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。

 つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。
 その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。
 その流れ自体が、「生きている」ということなのである。

の部分が特に衝撃的ですが、何となく分かる気もします。

 この部分は、「生命の儚さ」の分子科学的な説明なのです。

 「若さ」も、ほんの一瞬です。

 「かろうじて一定の状態を保っている」ことの、奇跡的な状況を、「生命のいとおしさ」と、私たちは評価しているのでしょう。

 「生きていること」の、「危うさ」と「奇跡性」を感じないわけには、いきません。

  

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

 

 

 

(4)福岡伸一氏の紹介

 

福岡伸一(ふくおか  しんいち)

1959年東京生まれ。京都大学卒。

米国ハーバード大学研究員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学理工学部 化学・生命科学科教授。分子生物学専攻。専門分野で論文を発表するかたわら、一般向け著作・翻訳も手がける。

 

2007年に発表した『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)は、サントリー学芸賞、および中央公論新書大賞を受賞し、ベストセラーとなる。

他に『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス・講談社出版文化賞)

『ロハスの思考』(ソトコト新書・木楽舎)、

『生命と食』(岩波ブックレット)、

『できそこないの男たち』(光文社新書)、

『動的平衡』(木楽舎)、

『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)

『ルリボシカミキリの青』(文春文庫・文藝春秋)

『生命科学の静かなる革命』(インターナショナル新書・集英社インターナショナル)

など、著書多数。

 

 美術ではヨハネス・フェルメールの熱心なファン。

 現存画は必ず所蔵されている場で鑑賞することをポリシーとしていて、著書の発表や絵画展の企画にも携わっている。

 

ーーーーーーーー

 

以上で、今回の記事は終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

 

   

  

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

  

gensairyu.hatenablog.com

 

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

 

 

生命科学の静かなる革命 (インターナショナル新書)

生命科学の静かなる革命 (インターナショナル新書)

 

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

頻出論点・「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫・消費社会・欲望論

情報 消費者 消費社会 高度消費社会 欲望 社会的欲望 欲望のサイクル 広告 広告化文明 現代文明批判 現代文明論 現代社会論 高村薫 新欲望論 「私消え、止まらぬ連鎖」 欲望の外部化 欲望のための欲望 支配の欲望 所有の欲望 アイデンティティ 自己 入試頻出著者 幸福追求 IT化社会 資本主義 グローバル化 モラル 自己喪失 アイデンティティ喪失 地球環境問題 地球の資源の有限性 環境倫理 操り人形 マリオネット 主体性 主体性放棄 主体性喪失 ロボット 欲望論 2007早稲田大学文化構想学部国語解説 2007早稲田大学文化構想学部現代文解説 小論文 早大文化構想学部現代文解説 早大現代文解説 早大現代文 早大文化現代文解説

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 様々な、深刻な社会問題の背景には、実は、「消費社会」・「欲望論」の問題が潜んでいます。

 「消費社会」・「欲望論」の論点は、このブログで以前にも記事化しました。(→下にリンク画像を貼っておきます)

 しかし、分かりにくい側面がありますので、入試頻出著者である高村薫氏の論考「『私』消え、止まらぬ連鎖」(2007・早稲田大学・文化構想学部)を元にして、解説していきます。

 

 高村薫氏の論考は、簡潔な表現で本質を鋭く突くのが特徴です。

 爽やかで、切れ味の良い文章なので、難関大学の現代文(国語)・小論文で頻出です。

 現代文(国語)・小論文対策として、今回の記事は、かなり役に立つと思います。

 

 以下では、次の項目を解説していきます。

 

(2)「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫・(2007早稲田大学・文化構想学部)の問題・解答・解説

(3)当ブログによる発展的解説ー「消費社会のマイナス面と、その対策」・「欲望論」

(4)「モラル(倫理)」について

(5)「入試現代文(国語)・小論文における原典修正」について

(6)高村薫氏の紹介

 

 

(2)「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫・2007早稲田大学・文化構想学部の問題・解答・解説

 

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(【1】【2】【3】・・・・は当ブログで付加した段落番号です)

 

【1】食べる。寝る。愛する。排泄(はいせつ)する。そのつど、ただこの身体から湧(わ)きだし、自らを駆り立てる生命の営みを、わざわざ欲望と名付け、「」という主語を与えているのは人間だけである。しかも、所有や支配の欲望になると、とたんに話は複雑になる。

【2】持ち家がほしい。名声がほしい。力がほしい。そういう「」は、はたしてどこまで「」であるか。たとえば〔 A 〕を惜しんで株に熱中する「」を、「」はどこまで「」だと知っているか。人間の欲望について考えるとき、A まずはそう問わなければならないような世界に私たちは生きている。〔 イ 〕

 【3】たとえば、ある欲望をもったとき、私たちはそれをかなえようとする。その段階で、私たちはなにがしかの手段に訴えねばならず、そのために対外的な意味や目的への、欲望の読み替えが行われる。健康のため。家族のため。生活の必要のため、などなど。こうした読み替えは、すなわち欲望の外部化であり、欲望は、この高度な消費社会では「私」から離れて、つくられるものになってゆく。

【4】そこでは名声や幸福といった抽象的な欲望さえ、目と耳に訴える情報に外部化され、置換されるのが普遍的な光景である。たとえば、家がほしい「私」は、ぴかぴかの空間や家族の笑顔の映像に置換された新築マンションの広告に見入る。そこにいるのはうつくしい映像情報に見入る「私」であり、家族の笑顔を脳に定着させる「私」であって、たんに家がほしい漠とした「私」はずっと後ろに退いている。代わりに、家族の笑顔を見たい「私」が前面に現れ、それは映像のなかの新築マンションと結びついて、欲望は具体的なかたちになるわけである。〔 ロ 〕

【5】けれども、こうしてかたちになった欲望は、ほんとうに「私」の欲望か。「私」はたしかに家がほしかったのだけれども、その欲望は正しくこういうかたちをしていたのか。仮に、確かに家族の笑顔を見たいがために家がほしかったのだとしても、家という欲望と、家族の笑顔という欲望は本来別ものであり、これを一つにしたのは「私」ではない、〔 B  〕である。

【6】このように、消費者と名付けられたときから「私」は誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている。そこでは「私」は覆い隠され、ただ大量の情報に目と耳を奪われて思考を停止した、「私」ではない何者かが闊歩(かっぽ)している。〔 ハ 〕

【7】こうして、欲望から「私」が消え、おおよそ政治の権力闘争から一般の消費生活まで、欲望のための欲望と化して、現代社会はある。欲望は「私」の外部で回転し、「私」を駆り立てる。そこに明確な主体はおらず、従って欲望を止めるものはいない。〔 ニ 〕

【8】ところで〔 ① 〕の世界では、欲望のサイクルも〔 ② 〕になるはずだが、実際はあたかも〔 ③ 〕であるかのように回転し続け、そこここで、さまざまな悲喜劇を引き起こす。欲望は必ずしもかなえられないばかりか、ときには実質的な損害になって返ってくる。そのとき、これがサイクルであるがために悪者はすっきり定まらず、定まらないがために悪者探しは逆に苛烈になる。〔 ホ 〕

9】「私」の欲望であれば、失意も損失も「私」が引き受けることで収まりがつくが、「私」の消えた現代の欲望は、始まりも終わりもない。破綻(はたん)したら破綻したで、ともかく悪者を探して社会的な辻褄(つじつま)を合わせるだけである。一方、〔 C 〕の「私」はどこまでも無垢(むく)(→「①潔白で純真なこと②金・銀などの金属が、まじりけのないこと」という意味。今回は①の意味)に留まるのだが、「私」が無垢でないことは、「私」が知っている。」

( 高村  薫 「『私』消え、止まらぬ連鎖 情報に支配され『消費者』に」 )(朝日新聞・2006年1月5日・夕刊4面・文化欄「新・欲望論2」)

 

ーーーーーーーー 

 

(問題)

問1  空欄 A・Bに入る最も適当な語をそれぞれ次の中から選べ。

A  イ 名声  ロ 寸暇  ハ 身命  ニ 財貨  ホ 労力

B  イ 欲望  ロ 消費  ハ 笑顔  ニ 幸福  ホ 広告

 

 問2  傍線部A「そう問わなければならないような世界」を説明している最も適当なものを次の中から選べ。

イ   「私」自身の欲望が消費を形成する世界

ロ   「私」自身の欲望が所有の主体となる世界

ハ   「私」自身の欲望が行動の基準となる世界

ニ   「私」自身の欲望が自己を隠蔽(いんぺい)する世界

ホ   「私」自身の欲望が家族の幸福となる世界 

 

問3  文章中の空欄①・②・③に入る語句の最も適当な組み合わせを次の中から選べ。

イ   ① 有限  ② 有限  ③ 無限

ロ   ① 有限  ② 無限  ③ 有限

ハ   ① 有限  ② 無限  ③ 有限

ニ   ① 無限  ② 無限  ③ 有限

ホ   ① 無限  ② 有限  ③ 無限

ヘ   ① 無限  ② 有限  ③ 有限

 

問4  次の文は、本文中に入るべきものである。空欄・イ~ホから最も適当な箇所を選べ。

個々の欲望の当否は、ほとんど損得に置き換えられ、損得もまた外部化されて新たな欲望になるだけである。

 

問5  文章中の〔 C 〕に入る最も適当な語句を次の中から選べ。

イ   自らを駆り立てる「私」

ロ   消費者という名の「私」

ハ   明確な主体としての「私」

ニ   損害を引き受ける「私」

ホ   悪者と断定された「私」

 

問6  本文の内容と合致するものを次の中から一つ選べ。

イ   「私」の欲望は映像情報によって外部化され、欲望の主体を明確で形ある具体的なものにしている。

ロ   私の欲望は常に政治権力に支配されており、欲望のあり方も国家により巧みに管理されている。

ハ   私の欲望は経済力によって左右され、損得勘定が重視されるのが現代社会の特徴となっている。

ニ   私の欲望は情報のグローバル化によって均質化し、効率性を追求する現代社会に順応している。

ホ   私の欲望は消え止まることなく連鎖を続け、いつの間にか、消費者は情報に支配されてしまう。 

 

ーーーーーーーー

 

(要約)

私たちは欲望をかなえようとして、対外的な意味・目的ヘの欲望の読み替えを行う。こうした欲望の外部化は、高度消費社会では、「私」から離れて、つくられるものになってゆく。欲望から「私」が消え、明確な主体を持たぬ「消費者」がいるだけになる。そこでは、欲望のサイクルは回転し続け、さまざまな悲喜劇を引き起こす。「私」の消えた現代の欲望は、破綻したら破綻したで、悪者を探して社会的な辻褄を合わせるだけである。が、「私」が無垢でないことは、「私」が知っている。

 

 ーーーーーーーー

 

(解答)

問1 A →ロ   B →ホ

問2 ニ    問3 イ   問4 ニ   問5 ロ   問6 ホ

 

(解説)

問1(空欄補充問題)

 →空欄補充問題は、すでに選択肢を見て、チェックしていくべきです。

 A  熱中している状態についての慣用表現です。

 B  「家という欲望と、家族の笑顔という欲望は本来別ものであり、これを一つにしたのは「私」ではない、〔 B  〕広告である」の文脈に注目してください。「欲望の外部化」については、【3】~【5】段落に説明があります。

 「広告」・「広告化文明」は、現代文(国語)・小論文における、重要なキーワードです。

 

問2(傍線部説明問題)

 傍線部の「そう」に注目してください。

 傍線部の説明は、【5】段落~【7】段落に、あります。

 

問3(空欄補充問題)

 直前段落・最終文の「欲望を止めるものはない」や、直後の段落の「現代の欲望は、始まりも終わりもない」から、「実際にはあたかも『無限』であるかのように回転し続け」とされている、という文脈に注意してください。

 本来、 「地球環境」や「地球の資源の有限性」を考えれば、「欲望のサイクル」は「有限」になるはずですが、「無限」と思い込むことに、しているのです。

 

問題4(脱文挿入問題)

 →「脱文挿入問題」は、本文を読む前に「脱文」を読んで、「脱文」のポイントを頭に入れ、本文を読みながら挿入箇所の候補をチェックしていく作戦が、オススメです。

 「欲望の外部化・「損得」の説明が記述されている段落に注目してください。

 

問5(空欄補充問題)

ハ   明確な主体「私」、

ニ   損害を引き受ける「私」、

ホ   悪者と断定された「私」、

は、いずれも、本文の記述とは、対立的な内容になっています。

 

問6(趣旨合致問題)

→「趣旨合致問題」こそ、本文を読む前に、設問・選択肢を見るべきです。

 「テーマ」は、「私が消えた欲望の連鎖(サイクル)」です。

 キー段落は、【段落です。

  【段落の、「消費者と名付けられたときから「私」は誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている。そこでは「私」は覆い隠され、ただ大量の情報に目と耳を奪われて思考を停止した、「私」ではない何者が闊歩(かっぽ)している。」という記述を熟読してください。

 

イ   「欲望の主体を明確で形ある具体的なものにしている」の部分が誤りです。「欲望の主体」は消えています。

ロ   「欲望のあり方も国家により巧みに管理されている」の部分が誤りです。このような記述は、本文には、ありません。

ハ   「私の欲望は経済力によって左右され」の部分が誤りです。このような記述は、本文には、ありません。

ニ   「私の欲望は情報のグローバル化によって均質化し」の部分が誤りです。このような記述は、本文には、ありません。

ホ   これが正解です。

 

ーーーーーーーー

 

(3)当ブログによる発展的解説ー「消費社会のマイナス面と、その対策」・「欲望論」

 

 まず、【8】段落と【9】段落の接続が少々、ギクシャクしている感じがしているのは、以下の具体例の段落がカットされているからです。

 カット部分を含めて全体を読むと、論旨が、より明確になります。

 以下が、カット部分(概要)です。

  

「たとえば去年春のJR西日本の転覆事故や、秋に明るみに出たマンションの耐震擬装問題で、声高に責任の所在が求められたのは記憶に新しい。けれども冷静に見るなら、過剰な利便性を求めた社会とJRも、より安価で広いマンションを求めた消費者と業者も、全員が欲望のサイクルを回っていたとは言えまいか。人命の損失も、数千万円という多額の損害も、現に発生した以上、責任を負うべき主体は社会的にはっきりしているが、それでは片付かない心地悪さが残るのは、誰もが欲望のサイクルの一員だったからであろう。また、そこに欲望のほんとうの始まりである「私」が隠れていたからであろう。」

 

 上記の早稲田大学・文化構想学部の問題文本文と、カット部分からなる、高村氏の論考は、本質をズバリと突いた、切れ味の良い論考です。

 

 今回の論考では、「高度消費社会」は、「私」が消えた「欲望のサイクル」と化していることを前提にしています。そして、損害発生の場面における苛烈な悪者探しの底に流れる、ある種の居心地の悪さを指摘しています。つまり、「欲望のサイクル」の中で生きるしかない「現代の日本人の、仕方なさ」を提示しているのです。

 

 高村氏の論旨は、実に明快です。

 「消費社会」は、本来的な、どうしようもない「マイナス面」を含んでいることが、よく分かります。  

 一方で、「消費社会」は、「幸福追求ヘの意志」、「情報化社会( IT化社会 )」、「資本主義」、「経済のグローバル化」に密接に関連しているので、これを単純に、全面的に否定することは困難です。

 それだけに、「消費社会のマイナス面」についての「対策論」は、複雑な側面を有しているのです。

 

 ただ、欲望のサイクルは、いつまでも続けられないと思います。

 それ自体に無理があるがあるからです。

 

 第一に、地球の資源には限りがあります。

 さらに、地球環境をいかに維持していくか、という問題もあります。

 

 また、「広告に取り込まれて、誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている」(【6】段落)ということは、自分の主体性を放棄して、操り人形(マリオネット)(自己喪失・アイデンティティ喪失)になっている側面があるということにも、注目する必要があるでしよう。

 

 以上の、「消費社会の問題点と、それらの対策」・「欲望論」については、当ブログで、最近、記事化したので、それらを参照してください。

 以下に、リンク画像を貼っておきます。

  

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

(4)「モラル(倫理)」について

 

 なお、ここで、「消費社会のマイナス面」・「欲望論」に関連して、「モラル」について解説します。

 以下は、最近の当ブログの記事( 「予想問題『スポーツと民主主義』」『反・民主主義論』」 )の、私の解説です。

 ここに、再掲します。

 さらに、詳しい解説を読みたい方は、下の記事を参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 人々は、自分とは無関係な、スポーツ選手の経済的欲望・社会的欲望の暴走は、「高い精神性や公共性」、つまり、「公正性」・「上品さ」・「徳」・「冷静さ」を掲げて制御・制限できても、自分自身の「経済的欲望」・「社会的欲望」の制御・制限はできないのではないでしょうか。

 「自由」、「権利」という名のもとに、人々は、自己が逸脱した行動をとっていることの「愚」に恥ずかしさを感じていない、あるいは、多少は感じていても、他者が同様な行動をとっていることから、自己の行動を容認しているのでしょう。

 「資本主義の進展」・「新自由主義」・「IT革命」などにより、「宗教的精神」・「道徳的精神」が薄まってしまったことも、背景にあるのでしょう。
 しかも、人々のその自己容認を承認する公教育、マスコミの報道が氾濫しているという現状があります。

 

 上記の解説は、「消費社会のマイナス面と、その対策」・「欲望論」を考察する際に、重要な視点になると思います。

 

 

(5)「入試現代文(国語)・小論文における原典修正」について

 

 なお、今回の早稲田大学文化構想学部の問題のように、難関大学の入試(現代文)国語・小論文の問題文本文は、「原典の一部カット」や・「修正」をしている場合が多いのです。

 そのような場合は、本文の文脈が少々、ギクシャクしていることがあります。

 その時は、「本文の要約」を厳密にやるべきでは、ありません。

 私は、「入試現代文(国語)・小論文の本文は、原典の修正が著しいので、本文の要約は頭の中でアバウトに考えれば良い」と、生徒に指導しています。

 メモを書くことは、入試の場では、「時間のムダ」でしかないと言っています。

 入試現代文(国語)・小論文の問題文本文における「原典修正の現実と、その対策」については、下の記事を参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

  

 土の記(上)

 

 

 

 

 

 

(6)高村薫氏の紹介
髙村 薫 (たかむら・かおる)

作家。1953年(昭和28年)大阪府大阪市生まれ。国際基督教大学人文科学科卒。

著作に
デビュー作『黄金を抱いて飛べ』(新潮文庫)(第3回日本推理サスペンス大賞受賞)、
『リヴィエラを撃て(上)・(下)』(新潮文庫)(第11回日本冒険小説協会大賞・第46回日本推理作家協会賞受賞)、
『マークスの山(上)・(下)』(新潮文庫)(第109回直木賞・第12回日本冒険小説協会大賞受賞)、
『李欧』(講談社文庫)(『わが手に拳銃を』(1992年)をベースにした作品)、
『照柿(上)・(下)』(新潮文庫)、
『レディ・ジョーカー(上)・(中)・(下)』(新潮文庫)(毎日出版文化賞受賞。『98年度版このミステリーがおもしろい』ベスト1)、
『晴子情歌(上)・(下)』(新潮社)、

『空海』(新潮社)、

『土の記(上・下)』(新潮社)、

などがある。

 

ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

  

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

土の記(上)

土の記(上)

 

 

土の記(下)

土の記(下)

 

 

空海

空海

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

2017早大(文化)「見ることとうつすこと」鈴木理策・予想出典

鈴木理策 「見ることとうつすこと」 写真論 経験 模写 オリジナリティ 身体論 作家性 コピー 表現 風景との交流 近代的価値観 人生の本質 早大現代文 芸術論 早大文化現代文 早大文化現代文解説 早稲田大学文化構想学部現代文解説

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 今年の早稲田大学文化構想学部の国語の問題を読んだところ、鈴木理策氏の「見ることとうつすこと」という名文に邂逅したので、すぐに記事化することにしました。

 近いうちに、鈴木理策氏の論考・対談などが難関大学の現代文(国語)・小論文に出題される可能性があるからです。

 この名文は、「経験」・「風景との交流」・「表現」・「芸術」・「写真」の問題について、本質的・根源的な考察がなされているので、一読する価値があります。

 最近の難関大学には、「近代的な常識」・「近代的価値観」を根本的に見直し、「人間の本質」、「人生の本質」に迫ろうとする論考が、よく出題されています。

 この論考も、その傾向に沿っているのです。

 この論考自体が、入試に出題されないとしても、このような本質的・根源的な論考を熟読することは、難関大学の現代文を解く上で、かなり参考になると思います。

 

 

鈴木理策 熊野、雪、桜

 

 

 

 

 

 

(2)「見ることとうつすこと」鈴木理策(2017早稲田大学文化構想学部)の解説

 

(鈴木氏の論考)(概要です)

(【1】【2】【3】・・・・は、当ブログで付記した段落番号です)

(青字は、当ブログによる「注」です)

(赤字は、当ブログによる「強調」です)

(紫色の字は、早稲田大学・文化構想学部の入試で、傍線部説明問題・空欄補充問題として問われた部分です)

 

【1】松本清張原作の『天才画の女』というドラマがあります。一九八〇年の作品です。放送当時、私は高校生でした。画家憧れ、上京することを夢見ていた私にとって、東京の画壇を舞台とするこのミステリーはどの部分をとっても興味深く、すっかり夢中になりました。ですから少し前にケーブルテレビでこのドラマが再び放送されると知った時は心躍り、ぬかりなく全話を録画して、以来繰り返し、繰り返し見ています。歳を重ね、写真家となった今、昔とは違う感じ方をしても良いはずですが、何度見ても十六歳の頃の心境に引き戻されます。記憶とは本当に不思議なものです。

【2】物語の主人公は会津から上京した若い画家の卵です。彼女の実家には終戦後まもなく放浪画家が逗留した際に描いた天井画が残されていて、ドラマ版の主人公はその天井画を写真に撮り、プロジェクターで画布に投影して、こつこつと模写していました。それは彼女なりの絵の勉強法であり、あくまで「模写」だったのですが、同じマンションで起った殺人事件をきっかけに、彼女の絵が「作品」として銀座の有名画廊に運ばれさらに目利きという知られる美術愛好家の銀行家の目に留まってしまいます。模写であると言い出せないまま画家として脚光を浴びることになった主人公の戸惑いと高揚、彼女に商機を見出して売りだしに躍起となる画廊主の欲望、彗星のごとく現れた新人を訝(いぶか)しみ、盗作を疑って真相を探り始めるライバル画廊の炯眼(けいがん)(→「鑑識眼」という意味)。さまざまな思惑と感情が絡み合う中、物語はスリリングに展開していきます。初めて見た時から三十年以上もの時間が経っているのに、見る度に必ず少し緊張してしまうのは、表現とはいかに成立し得るのか、という根源的な問いをこのドラマは含んでいるからではないかと思います。

【3】十九世紀に写真術が発明された時、一番に影響を受けたのは画家たちだったと言われています。対象を正確に写し描くという職能は、写真の再現性の前では意味を持たなくなったためです。写真に写されたものは非常に多くの情報を含んでいたので、肉眼で見ることの信頼性は揺らぎ始めました。「機械の眼」を通すと、見て知っていると思っている以上のものが見えるという事実に直面した画家の中には、写真を見て絵を描き始める者もありました。しかし彼らはそのことを進んで公言することはなかったようです。写真を手本にして描くことに後ろめたさを感じていたのでしょうか? だとすれば、その感情は何処からくるものなのでしょうか? 

【4】写真を見て描くということは、描く対象を直接見ていないこと、さらに描いている光景とつながった空間(その場)に画家がいないことを意味します。これが後ろめたさの原因だとすれば、画家が対象と直に交わっているかどうかが絵画にとっては重要ということになります。外の世界と画家の身体が直接触れた結果としての絵画は、画家の目に映る「今」が絵具を介して表出され、揺らぎを帯びたみずみずしい感動を伝えるが、写真を見て描いた絵画は、より仔細に対象を観察できるはメリットがあるにせよ、間接的な経験であるため、絵画に寄せられる期待に応えていない、ということだったのかもしれません。(→「模写」の問題が発生していると思います)

【5】写真はすでに誰かによって見られた結果である、ということも写真を基に描いた画家たちにとって都合の悪い事実だったのだと思います。世界をどの様に見ているか作家性と結び付けて評価される場合が多く、他人が撮った写真をお手本にして描いたとなれば、そのオリジナリティはどこにあるかが曖昧になってしまいます。(→「オリジナリティ」がないのであれば、まさに、「模写」「コピー」の問題になるはずです)ただし二十世紀以降、絵画についての考え方は変化・多様化し、写真の機械的な視線や無名性をあえて取り入れた絵画も登場し始めます。時代の変遷の中で、絵画と写真は敵対するものでは無くなっていきました。

【6】表現をめぐる価値観は時代と共に変化していますが、写真表現に関してはかなり長い間、根強い考え方が引き継がれいるように思います。それはフレーミングやシャッターチャンスに撮影者の狙いを盛り込むことで個性を表すのが良い、という考え方です。この考えは写真を見る側に、撮影者が何を表現しようとしているか、その意図を正しく理解することが大切だ、というような見方を要求します。(→写真は撮影者の個性を表現するものである、という根強い常識のことを、説明しているのです。「写真を見る作法」についての固定観念は、今や、かなり強固なものになっています。「写真を鑑賞する様々な可能性」を封じ、一つの方法のみしかないと、写真家も、見る側も思い込んでいるのです。「写真家の個性」についての、「偏見」が崇拝の対象になったということです)

【7】この時、撮影者と写真を見る人の間では、写真を通して言葉による確認作業(→「固定観念」・「暗黙の了解」のキャッチボールです)が行われている訳です。このことは写真表現を画一化させる原因になっているになっていると思います。過去に撮られた写真のイメージを思い出して安定した構図(→「構図」を考えること自体が「近代的人間の悲しみ」と言えます。「自然」・「風景」そのものには、「構図」は、ないのですから)に整え直したり(→この点は、ほとんど、「模写」・「コピー」と変わらないとも評価できます。つまり、記憶に残っているシーンを「模写」しているだけなのです)、画面の中に見どころを用意するためにシャッターチャンスを待ったりすること(→写真家の功名心による「風景の一部の切り取り」と評価できます。しかも、「模写的」な「切り取り」です)は、写真家が直接世界と出会う機会を遠ざけるものです。(→「無の心を持って、風景と直接的に対面・交流すること」は、全くできていない、ということです)  写真は二度と出会うことの無い光景(→確かに、人と光景・風景は、一期一会の関係です)と出会う豊かさに満ちた表現であり、大きな可能性に満ちています。

【8】私は撮影では出来るだけ何もしないことを目指します。わざわざ大型カメラを担いで出かけていくのですから、何もしない、というのは矛盾しているようですが、画面に作為を込めないこと、私自身の存在を消していくことを目指しているのです(→「写真家としての主体性の放棄」、を意図している感じです。「写真家と風景の関係」から、「近代的な『主体』・『客体』」という枠組みを消去しようという、大胆な実験の感じがします。「写真家の主体性」を明確化することは、「お決まりの作法」に染まることだ、と意識しているのです)カメラを構えて歩いて行き、気になる光景に出会ったら三脚を立て、大体の位置で構図を決めて、その後は変更しません。ピントは、その場所で最初に目がいった部分に合わせます。シャッターも狙わずに押す工夫をしています。(→道を歩いていて、気になった風景のある場所に立ち止まり、風景をじっくり見つめる直前の瞬間を、風景を「構図」・「シャッターチャンス」を意識して見つめる直前の瞬間を、フィルムに保存する感じです)そんな風に撮影した写真は、いわゆる写真的な見どころを含みませんが、外の世界をありのまま(→写真家の「近代的な解釈」による変形・強調が介入していない、ということです)表しています。(→写真を見る人は、初めて風景と対面した時の、ぼんやりとした当惑の場に、直面することになります)私が写真でしたいと思っていることは少し変わっているかもしれません。

【9】今年の春、香川県丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の企画で個展を開催しました。展覧会は七月から東京オペラシティアートギャラリーに巡回しています。写真を見せるというより風景を見る(→「対象と直に交わっている場」・「外の世界と入場者の身体が直接触れる場」、つまり、「風景と初めて出会う場」・「風景に目の焦点が合って、風景を『構図』・『シャッターチャンス』の枠組みの中で再構成する以前の場」という意味、だと思います)になれば良いと考え、自身で展示構成を行いました。会場に並ぶ写真を見ると、その都度新しい発見があります。写真家は自分の写した全てを確認済みと思われるでしょうが、ものを見ることは常に新しい経験(→外の世界とその人の身体が直接触れた時に、その人の目に映る「今」は、「過去」と常に違うからです)です。東京展では会場内での撮影を可としました。私の見た風景が来場者のカメラに新たな風景として写されることに興味があったからです。写真を撮った写真は「模写」と呼ばれるのかどうかも気になるところです。」(「見ることとうつすこと」鈴木理策)

 

ーーーーーーーー

 

(解説)

 この論考は、「表現」・「模写」をキーワードにして、「『風景・写真家・写真を見る人』の関係」、「風景を見ること(風景を見るという経験)」、「写真を撮ること」、「写真を見ること」を論じています。

 

 最後の段落の「写真を撮った写真は「模写」と呼ばれるのかどうかも気になるところです。」は、読み手の方でも、気になる一文です。

 私が考える、この一文の解釈は、以下の通りです。

 「模写か否か」は、「対象と直に交わっているかどうか」、「外の世界と画家の身体が直接触れているか否か」、さらに、そこに「揺らぎを帯びたみずみずしい感動」が発生しているか否か、によって、判定されるべきことだ、と思います。

 

 

(3)鈴木理策氏の紹介

 

鈴木理策(すずき  りさく)

1963 和歌山県新宮市生まれ

1987 東京綜合写真専門学校研究科修了

1990 初の個展「TRUE FICTION」(吉祥寺パルコギャラリー、東京)開催

1998 初の写真集『KUMANO』を上梓

2000 第25回木村伊兵衛写真賞を受賞

2006 第22回東川賞国内作家賞、平成18年度和歌山県文化奨励賞受賞

2008 日本写真協会年度賞受賞

2006− 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科准教授

【主な個展】

2004 「唯一の時間」西村記念館、和歌山
2005 「海と山のあいだ」ギャラリー小柳、東京
2006 「Sakura」Yoshii Gallery、ニューヨーク、アメリカ
2007 「熊野 雪 桜」東京都写真美術館、東京
2009 「White」ギャラリー小柳、東京
2011 「Yuki-Sakura」Christophe Guye Galerie、チューリッヒ、スイス
2013 「アトリエのセザンヌ」ギャラリー小柳、東京

【主なグループ展】
2000
「現代写真の母型1999」川崎市市民ミュージアム、神奈川
「the 1st Korea Japan Photo-Biennale」ソウル、韓国
2002
「風景論」東京都写真美術館、東京
「サイト―場所と光景」東京国立近代美術館、東京
2003
「The History of Japanese Photography 1854-2000」ヒューストン美術館、アメリカ
「KEEP IN TOUCH: Positions in Japanese Photography」Camera Austria、オーストリア
2008
「建築の記憶―写真と建築の近現代」東京都庭園美術館、東京
「Heavy Light, Recent Photography and Video from Japan」 ICP、ニューヨーク、アメリカ
2010
「Summer Loves」Huis Marseille Museum for Photography、アムステルダム、オランダ
2013
「マンハッタンの太陽」栃木県立美術館、栃木
2014
「写真分離派展 日本」京都造形芸術大学ギャルリ・オーブ、京都

【主な写真集】
『KUMANO』(1998光琳社出版)、『PILES OF TIME』(1999光琳社出版)、『Saskia』(2000リトルモア)、『Fire: February 6』(2002 Nazraeli Press)、『Mont Sainte Victoire』(2004 Nazraeli Press)、『熊野 雪 桜』(2007淡交社)、『Yuki Sakura』(2008 Nazraeli Press)、『雪華図』(2012 SUPER DELUXE)、『White』(2012 edition nord)、『Atelier of Cézanne』(2013 Nazraeli Press) など

 

  ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 今回の記事は、「速報」ということでしたので、考察する時間が充分とは言えませんでした。

 近いうちに、「再考」という形で、今回の鈴木氏の論考を、じっくり検討した結果を発表できたら、よいと思っています。

 

 次回の記事は、約1週間後の予定です。

 

  

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

鈴木理策 熊野、雪、桜

鈴木理策 熊野、雪、桜

 

 

 

祝/言

祝/言

 

 

 この雑誌には、鈴木理策氏の写真、対談などが、よく掲載されています。

芸術新潮 2017年 02 月号 [雑誌]

芸術新潮 2017年 02 月号 [雑誌]

 

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

予想論点ー労働観・自己・『人はなぜ働かなくてはならないのか』

小浜逸郎 『人はなぜ働かなくてはならないのか』 労働問題 雇用問題 自己 自我 アイデンティティ 関係性 人間関係 労働の意義 労働観 近代的労働観 長時間労働 過労 労働の本質 入試頻出著者 小論文対策 個人主義 IT化社会 IT化社会の影・闇 孤立感 個性尊重 「個性崇拝」批判 人生 職業 小論文 2003早稲田大学教育学部国語解説 2003早稲田大学教育学部現代文解説 早大教育学部現代文解説 早大現代文解説 早大現代文 早大教育現代文

最近、様々な労働問題・雇用問題が注目されています。そこで、入試現代文(国語)・小論文予想論点として、「労働の意義」・「労働観」について解説します。

 

 (1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 かつて、日本は先進国でも低失業率を誇ってきましたが、最近では、経済のグローバル化、不景気、デフレ経済を背景にして、雇用環境・労働環境は著しく悪化しています。
 その中でも、若者の雇用が厳しさを増しています。 フリーターやニート(無業者)の増加も、若者の労働の意欲の弱体化というよりも、正社員として安定的に働ける機会が減少したことの影響が大きいのでしょう。
 また、2000年代に入ってからは、特に、苛酷な「長時間労働」や「過労」が社会問題化しています。

 このように、様々な労働問題が注目されている時期には、「労働の本質」を問われる問題が、よく出題されます。

 そこで、今回は、現代文(国語)・小論文対策として、「労働観」・「労働の意義」について解説することにします。

 

 

 (2)『人はなぜ働かなくてはならないのか』(小浜逸郎)を解説する理由

 

 小浜逸郎氏が入試頻出著者であり、『人はなぜ働かなくてはならないのか』が入試頻出出典であり、「近代的労働観」について、分かりやすく説明しているからです。

 また、本書が「アイデンティティ」・「自己」に関する重要論点について、分かりやすい解説が、なされているからです。

 

 ここで、小浜逸郎の紹介をします。

小浜 逸郎(こはま いつお、1947年4月15日生まれ)は日本の評論家。国士舘大学客員教授。

 

 主な著書は、以下の通りです。主な出題校を付記します。

『大人への条件』(ちくま新書)、

『なぜ人を殺してはいけないのか-新しい倫理学のために』 (洋泉社、新書y)・(のちPHP文庫)→2008愛媛大学

『人はなぜ働かなくてはならないのか 新しい生の哲学のために』(洋泉社、新書y)→2003早稲田大学教育学部、2007山口大学

『エロス身体論』(平凡社新書)→2009早稲田大学スポーツ科学部

『「責任」はだれにあるのか』(PHP新書)、 

『言葉はなぜ通じないのか』(PHP新書)→2008岡山大学、2010明治大学政経学部

『人はひとりで生きていけるか 「大衆個人主義」の時代』(PHP研究所)、

『日本の七大思想家 丸山眞男/吉本隆明/時枝誠記/大森荘蔵/小林秀雄/和辻哲郎/福澤諭吉』(幻冬舎新書)

 

 人はなぜ働かなくてはならないのか―新しい生の哲学のために (新書y)

 

 

 

 

 

(3)2003早稲田大学教育学部・『人はなぜ働かなくてはならないのか』(小浜逸郎)の解説

 

 

(問題文本文)(概要です)

(青字は当ブログによる注です)

【1】労働が私たちの社会的な存在のあり方そのものによって根源的に規定されてあるということには、三つの意味が含まれている。一つは、私たちの労働による生産物やサービス行動が、単に私たち自身に向かって投与されたものではなく、同時に必ず、「だれか他の人のためのもの」という規定を帯びることである。 


【2】自分のためだけの労働もあるのではないか、という反論があるかもしれない。なるほど、ロビンソン・クルーソー的な一人の孤立した個人の自給自足的労働を極限として思い浮かべるならば、どんな他者のためという規定も帯びない生産物やサービス活動を想定することは可能である。じっさい、私たちの文明生活においても、〔 1 〕など、部分的にはこのような自分の身体の維持のみに当てられたとしか考えられない労働が存在しうる。 

 

…………………………… 

 

(設問)

問1 空欄1に当てはまる最適なものを次の中から選べ。

ア  ボランティア活動への参加

イ  夫婦二人からなる共同生活

ウ  身近な存在への看護や介護

エ  一人暮しにおける家事活動

オ  インターネットによる学習

 

……………………………

 

(解説・解答)

 すぐに選択肢を見てください。まず、自分で、記述式問題を解く感じで解答を作り、それから選択肢を見るという、手間のかかる不思議な解法があるようですが、すぐに選択肢を見る方が効率的です。

 次に、消去法を積極的に活用してください。難関大学入試においては、消去法を活用しなければ、高得点は取れません。

 

 空欄直後の「部分的にはこのような自分の身体の維持のみに当てられたとしか考えられない労働」に注目するとよいでしょう。

 ア・イ・ウでは、「自分」以外が加わるので、誤りです。

 オは、全くの論点ズレです。

 正解は、エです。

 

 ーーーーーーーー 

 

  (問題文本文)(概要です)

【3】しかし、そのようにして維持された自分の身体は、ほとんどの場合、今度はそれ自身が他の外的な活動のために使用されることになる。また自分自身を直接に養う労働行為といえども、そこにはそれをなし得る一定の能力と技術が不可欠であり、それらを私たちは、ロビンソン・クルーソー的な孤立に至るまでの生涯のどこかで、「人間一般」に施しうるものとして習い覚えたのである。自分自身を直接に養う労働行為において、私たちは、「未来の自分」「いまだ自分ではない自分」を再生産するためにそれを行うのであるから、いわば、自分を「他者」であるかのように見なすことによってそれを実行しているのだ。2 自分一人のために技巧を凝らした料理を作ってみても、どこかむなしい感じがつきまとうのはそのゆえである。 

 

 ……………………………

 

 (設問)

問2  傍線部2とは、どういうことか。最適なものを次の中から選べ。

ア  自分一人のために自身で作る料理は、料理をするという社会的行為と、それを食べるという生命維持のための行為が同一人物のなかで行われるために、その技巧についての判断が不能になり、自分が「他者」であるという錯覚に陥ってしまうということ。

 

イ  自分一人のために自身で作る料理は、それをなし得る一定の能力と技術が必要となるために、人生において事前に学習や修練が不可欠になり、その成果として料理がとらえられてしまうので、味わうことに集中できないということ。

 

ウ  自分一人のために自身で作る料理は、自分自身を直接に養う労働行為であり、自己の料理に対する技能についていちばんよく承知している本人としては、ことさらに技巧を凝らすことに対して無意味さを感じるということ。

 

エ  自分一人のために自身で作る料理は、人間のみが可能に文明の産物であり、単なる生命維持のための行為ではなく、社会的な労働行為への端緒となるので、そこに必要以上の技巧が凝らされると「本来の自分」がおおい隠されてしまうということ。

 

オ  自分一人のために自身で作る料理は、自己を「他者」と見なして行われるが、労働行為の主体とその生産物の受益者が完全に一致しているので、技巧を凝らしても新たな価値を見出し得ないということ。

 

…………………………… 

 

(解説・解答)

 この問題でも、すでに選択肢を見てください。。

 傍線部の「どことなくむなしい感じ」とは、「どんな料理を作っても、やりがいがない」ということです。

ア  「自分が『他者』であるという錯覚に陥ってしまう」の部分が誤りです。

イ 全くの論点ズレです。

ウ  「ことさらに技巧を凝らすことに対して無意味さを感じるということ」の部分が誤りです。

エ    「『本来の自分』がおおい隠されてしまうということ」の部分が誤りです。

 本文の文脈に沿って、傍線部の「どことなくむなしい感じがつきまとう」の説明をしています。

 

 正解は、オです。

 

 ーーーーーーーー

 

  (問題文本文)(概要です)

【4】さらに、私たちは、資本主義的な分業と交換と流通の体制、つまり商品経済の体制のなかで生きているという条件を取り払って、たとえば原始人は、閉ざされた自給自足体制をとっていたという「純粋モデル」を思い描きがちである。だが、いかなる小さな孤立した原始的共同体といえども、その内部においては、ある一人の労働行為は、常に同時にその他の成員一般のためという規定を帯びていたのである。つまり、ある一人の労働行為は、彼が属する社会のなかでの一定の役割を担うという意味から自由ではあり得なかった。 


【5】労働の意義が、人間の社会存在的本質に宿っているということの第二の意味は、そもそもある労働が可能となるために、人は、他人の生産物やサービスを必要とするという点である。これもまた、いかなる原始共同体でも変わらない。一見一人で労働する場合にも、その労働技術やそれに用いる道具や資材などから、他人の生産物やサービス活動の関与を排除することは難しい。すっかり排除してしまったら、3 猿が木に登って木の実を採取する以上の大したことはできないであろう。 

 

 ……………………………

 

(設問) 

問3 傍線部3とは、どういうことか。最適なものを次の中から選べ。

ア  どんな他者のためという規定も帯びない、独立したサービス活動を行うこと。

イ  人手を借りず、道具も使わないで自分の身体のみを用いて活動すること。

ウ  孤立した原始共同体の構成員として、自給自足の生活に徹すること。

エ  資本主義的な分業と交換と流通の体制の中で、限定された単純作業を行うこと。

オ  社会的な人間関係から隔絶し、いかなる人からも認識・評価されないこと。

 

 …………………………… 

 

(解説・解答)

「猿」が本文で、どのような文脈で使われているかを考えてください。

ア 「独立したサービス活動」の部分が誤りです。

イ    傍線部の直前の文脈に沿っています。

ウ  「孤立した原始共同体の構成員」の部分が誤りです。

エ    全体が誤りです。

オ    「いかなる人からも認識・評価されない」の部分が誤りです。

 

正解は、イです。

 

ーーーーーーーー

 

 (問題文本文)(概要です)
【6】そして第三の意味は、労働こそまさに、社会的な人間関係それ自体を形成する基礎的な媒介になっているという事実である。労働は人間〔  X  〕の、〔  Y  〕を介してのモノや行動への外化・表出形態の一つであるから、それははじめから〔  Z  〕的な行為であり、他者への呼びかけという根源的な動機を潜ませている。 

 

…………………………… 

 

(設問) 

問4 空欄X・Y・Zに当てはめる言葉として最適なものを次の中から選べ。

ア  X 存在  Y 言語  Z 個別

イ  X 精神  Y 身体  Z 関係

ウ  X 世界  Y 疎外  Z 中心

エ  X 関係  Y 精神  Z 身体

オ  X 中心  Y 世界  Z 疎外

カ  X 個別  Y 存在  Z 言語

 

……………………………

 

(解説・解答)

 直前の「労働こそまさに、社会的な人間〔X〕関係それ自体を形成する基礎的な媒介になっているという事実」、直後の「他者への呼びかけという根源的な動機を潜ませている」という記述より、Zに、イの「関係」が入ることが分かります。

  「人間〔X〕」から、Xに、イの「精神」が入ることが分かります。

 

 正解は、イです。

 

ーーーーーーーー

 

 (問題文本文)(概要です)
【7】人はそれぞれの置かれた条件を踏まえて、それぞれの部署で自らの労働行為を社会に向かって投与するが、それらの諸労働は、およそ、ある複数の人間行為の統合への見通しと目的とを持たずにばらばらに存在するということはあり得ず、4 だれかのそれへの気づきと関与と参入とをはじめから「当てにしている」。そしてできあがった生産物や一定のサービス活動が、だれか他人によって所有されたり消費されたりすることもまた「当てにしている」。そこには、労働行為というものが、社会的な共同性全体の連鎖的関係を通してその意味と本質を受け取るという原理が貫かれている。労働は、一人の人間が社会的人格としてのアイデンティティを承認されるための、必須条件なのである。 

(小浜逸郎「人間はなぜ働かなくてはならないのか」)

 

……………………………

 

 (設問)

問5 傍線部4「だれかのそれへの気づきと関与と参入をはじめから『当てにしている』」とは、どういうことか。最適なものを一つ選べ。

ア  労働とは、個人的行為ではなく、他者の働きかけでどのようにも変質し得る他者依存型の行為であるということ。

イ  労働とは、それを行う者と享受する者とがその価値と目的を認め合い共有することによって、はじめて有益なものとなる行為となるということ。

 ウ  労働とは、ともすると社会的行為と理解されやすいが、実はつねに他者の行為を当てにしている利己的行為であるということ。

エ  労働とは、自己と他者という社会性の中で発生してきたものであるので、他者の関わりを想定しない労働はあり得ないということ。

オ  労働とは、他者への呼びかけという本質を持つ行為であり、呼びかける対象のない労働は無意味な行為になるということ。

 

 問6 本文の内容と合致するものを、次の中から二つ選べ。

ア  自身を維持するための労働は、社会的な評価にさらされることを免れる場合が多いために、外界に働きかけるものに比べて惰性に陥りがちである。

イ  労働とは本来、他人の生産物やサービスを前提にしているものであり、自己の働きかけは常に他者の働きかけと結びついている。

ウ  資本主義的な分業と交換と流通の体制にあっては、労働の成果が他人の手に落ちるあり方は、必ずしも一定していないので平等にすべきである。

エ  労働とは、必ずしも人間行為の統合への見通しと目的をもって行われるものではなく、いかなる場合でも他人との協業や分業のあり方が前提になっていない。

オ  労働とは、人間精神の表れであり、たとえそれが自己に向けられたものであっても社会的な行為と関係することを免れない。

 

 ……………………………

 

 (解説・解答)

問5

「だれかのそれへの気づきと関与と参入とをはじめから『当てにしている』」とは、「他者を意識している」ということです。

ア  「他者依存型の行為である」の部分が、誤りです。

イ  「それを行う者と享受する者とがその価値と目的を認め合い共有することによって、はじめて有益なものとなる行為となる」という限定的な解釈は、本文とズレています。

ウ    全体的に論点ズレで、誤りです。

エ    この選択肢が正解です。

オ    全体的に論点ズレで、誤りです。

 

 正解は、エです。

 

問6

→問題文本文を読む前に、この「趣旨合致問題」を見ておくと、効率的です。

ア  「惰性に陥りがちである」という表現は、本文にありません。

イ【4】段落に合致しています。→正解です。

ウ  「労働の成果が他人の手に落ちるあり方は、必ずしも一定していないので平等にすべきである」の部分が誤りです。

エ   全体として、「本文の内容」に反しています。

オ   本文の内容に合致しています。→正解です。この選択肢は問4と関連していることに注意してください。

→入試本番では、よく、あることです。

→難関・国公立・私立大学の入試問題においては、本文のキーポイントを、表から、裏から、斜めから、何度も聞いてくるのです。この点は、模擬試験と大きく違う所です。大学の優秀な教員は、時間をかけて問題文本文をじっくり読むことで、本文のキーポイントを見抜くことができます。そして、自信をもって、大胆に何度でも、受験生に、そのポイントを理解できているかを聞いてくるのです。私が今まで見た中で、一番すごかったのは、一橋大学です。一つのポイントを4回(しかも、全て記述式で!)聞いてきたことがありますした。

→本問のキーポイントについては、この後に、すぐ解説します。

 

 正解は、イ・エです。

 

ーーーーーーーー

 

(4)本問・本文の要約

 

 労働が私たちの社会的な存在のあり方そのものによって根源的に規定されてあるということには、三つの意味が含まれている。

 一つは、私たちの労働による生産物やサービス行動が、単に私たち自身に向かって投与されたものではなく、同時に必ず、「だれか他の人のためのもの」という規定を帯びることである。

 労働の意義が、人間の社会存在的本質に宿っているということの第二の意味は、そもそもある労働が可能となるためには、人は、他人の生産物やサービスを必要とするという点である。

 そして、第三の意味は、労働こそまささに、社会的な人間関係それ自体を形成する基礎的な媒体になっているという事実である。

 労働は、一人の人間が社会的人格としてのアイデンティティを承認されるための、必須条件なのである。

 

 

 (5)本問のキーポイント・論点の解説

 

 本問で重要なのは、問4・問6です。

 まず、問題4・問6に関連する本文を、ポイントをしぼって再掲します。

【6】そして第三の意味は、労働こそまさに、社会的な人間関係それ自体を形成する基礎的な媒介になっているという事実である。労働は人間〔  X=精神  〕の、〔  Y=身体  〕を介してのモノや行動への外化・表出形態の一つであるから、それははじめから〔  Z=関係  〕的な行為であり、他者への呼びかけという根源的な動機を潜ませている。 

 

【7】人はそれぞれの置かれた条件を踏まえて、それぞれの部署で自らの労働行為を社会に向かって投与するが、それらの諸労働は、およそ、4  だれかのそれへの気づきと関与と参入とをはじめから「当てにしている」。そしてできあがった生産物や一定のサービス活動が、だれか他人によって所有されたり消費されたりすることもまた「当てにしている」。そこには、労働行為というものが、社会的な共同性全体の連鎖的関係を通してその意味と本質を受け取るという原理が貫かれている。労働は、一人の人間が社会的人格としてのアイデンティティを承認されるための、必須条件なのである。 

 

 この二つの段落が、ほぼ同じ内容を強調していることを、確認してください。

 さらに、分かりやすくするために、キーセンテンスだけを抜き書きすると、以下のようになります。

 

労働こそまさに、それははじめから〔 Z=関係 〕的な行為であり、他者への呼びかけという根源的な動機を潜ませている。 

それらの諸労働は、だれかのそれへの気づきと関与と参入とをはじめから「当てにしている」。

労働は、一人の人間が社会的人格としてのアイデンティティを承認されるための、必須条件なのである。 

 

 つまり、「人間が自分のアイデンティティを承認されるためには、労働が必須条件、言い換えれば、必要条件だ」と言うことです。

 「労働」は、賃金を得るためだけのものではないのです。

 自分の、人間としての「アイデンティティ」を他者に承認してもらうために、あるのです。

 逆に言えば、自分の「アイデンティティ」を、他者に承認され、尊重されるためには、自分の労働を丁寧に遂行する必要がある、ということになります。

 

 この論理は、「近代的人間観」・「アイデンティティ」・「自己」と、「関係性」・「人間関係」の関連を、スムーズに説明することを可能にします。

 それどころか、両者の、相互補完的な、密接な関連を、私たちに、知らせてくれます。

 

 私たちの今まで常識の中では、本来、「近代的人間」・「近代的人間観」とは、宗教的・封建主義的な拘束から解き放たれた自由な人間でした。

 すなわち、自我を確立して、自立性を保持し、理性・自己責任に基づいて行動できる人間。

 そして、「自分自身のみ」を自己の存在根拠とする人間。

 

 しかし、現代になり、極端な個人主義、IT社会、個性尊重の果ての「個性崇拝」などの中で、他者との人間関係に思い悩み、孤立感、虚無感に苦しむ人間が多くなりました。

 このような状況において、この小浜氏の論考は、対策論として、かなり有用だと思います。   

 

 この論理の流れは、よく理解しておいてください。

 類似の論考が、入試頻出です。(小浜氏の論考のように簡潔で分かりやすくは、ありませんが)

 また、自分の「アイデンティティ」について、悩みのある人は、この論理の流れを、よく噛み締めるとよいでしょう。

 

 本問は良問です。

 小浜氏の論考が、入試現代文(国語)・小論文の頻出論点・テーマである「アイデンティティ」・「自己」に関して、分かりやすく、簡潔に説明しているからです。

 これだけ、簡潔に分かりやすく、解説がなされていれば、高校生・受験生にも、充分に理解できるでしょう。

 しかも、早稲田大学教育学部の設問が、小浜氏の見解のポイントを、的確に設問化しているからです。問4・6の解説を、よく読んでください。特に、問6の青字の解説を。

 

  『人はなぜ働かなくてはならないのか』は、まさに良書と言えるでしょう。

  「高校生・受験生の必読書」とも言えます。

 入試だけではなく、人生に役に立ちます。

 

 

 (6)本書の構成の解説

 

 小浜氏は、以下の問題提起から、今回の論考を始めています。

「私は、どんな実力者やヒーローの中にも、彼らがすぐれていればいるほど、自分の資産がこれくらいになったからというだけの理由で、仕事への情熱を投げ捨ててしまわない「何か」があり、その「何か」にこそ、凡人の営々たる勤労意欲と相通ずるものがあるということを指摘したいのである」

 

 そして、小浜氏は、「なぜ人は働くのか?」という問いに対して、成立可能な、

「好きな仕事に就くことで人生の充実を味わえるから」、

「労働の意義はモラルに関連するから」、

という理由付けを否定する論証を、以下のように、展開しています。

 つまり、「好きな仕事に就くことで人生の充実を味わえるから」は、誰もが好きな仕事に就ける訳ではないので、これは不適当です。

 次に、「労働の意義はモラルに関連するから」は、道徳の強制は人を遠ざけるので、これも成り立ちません。

 

 最後に、本問の本文の論考を展開し、結論として、小浜氏は以下のように述べています。

「労働の意義を根拠づけているのは、私たち人間が、本質的に社会的な存在であるという事実そのものにある」と。

 

 もともと、人生には、自分のアイデンティティを承認されるために生きている側面があります。
 そう考えると、全ての労働・職業は、自分のアイデンティティの承認につながるのでしょう。
 そこには、「他者との関係性」の中に生きていく、人間の存在の「けなげさ」が感じられます。

 

 『人はなぜ働かなくてはならないのか』は、評判になった、『なぜ人を殺してはいけないのか』の続編です。
 『なぜ人を殺してはいけないのか』も根源的な考察に満ちた名著でしたが、『人はなぜ働かなくてはならないのか』は、さらに、じっくりとした明察を示した一冊になっています。小浜氏の代表作の一つに挙げられると思います。

 小浜氏も本書の中で「人間というこの不可思議な存在に対する解明の糸口だけはつかんでいるという、ささやかな自負がないわけではない。」と述べています。

 

 なお、 『人はなぜ働かなくてはならないのか』の目次は、以下のようになっています。

 どの項目も、入試頻出論点に関連しています。

第1問    思想や倫理は何のためにあるのか

第2問    人間にとって生死とは何か

第3問  「本当の自分」なんてあるのか

第4問    人はなぜ働かなくてはならないのか

第5問    なぜ学校に通う必要があるのか

第6問    なぜ人は恋をするのか

第7問    なぜ人は結婚するのか

第8問    なぜ「普通」に生きることはつらいのか

第9問    国家はなぜ必要か

第10問  戦争は悪か

 

 最近の小浜氏の著書の中では、本書のほかに、入試頻出出典である『言葉はなぜ通じないのか』(PHP新書)、『日本の七大思想家 丸山眞男/吉本隆明/時枝誠記/大森荘蔵/小林秀雄/和辻哲郎/福澤諭吉』 (幻冬舎新書) が、特に、おすすめです。

 

 ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

  

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010))

なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010))

 

 

言葉はなぜ通じないのか (PHP新書)

言葉はなぜ通じないのか (PHP新書)

 

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

人工知能②ー身体性・自我・倫理問題ー現代文・小論文予想論点

2017センター国語第1問 科学論 科学コミュニケーション 人工知能 AI 神里達博 「人工知能と囲碁」 朝日新聞・月刊安心新聞 小林傳司 人工知能学会・倫理委員会 東ロボくん 自動車の自動運転 テーラーメイド治療 人工知能の暴走 シンギュラリティ 技術特異点 両面価値 人工知能と身体性 人工知能と自我 人工知能と倫理問題 ディープラーニング ネオ・ラッダイド運動 ホーキング博士 内田樹 人間の尊厳 養老孟司 『男女の怪』 山崎正和 小林雅一 『AIの衝撃』 自己 自我 アイデンティティ 入試頻出著者 月本洋 『日本人の脳に主語はいらない』 身体 人類の滅亡 人類の終焉 生命 人間の知性 「人工知能」 知能 地球温暖化 砂漠化 人間を超えた知能 ニューラルネット 現代文明論 現代文明批判 現代社会論 科学と社会の関係 小論文 現代文 国語

2017センター国語第1問・「科学論」・「科学コミュニケーション」を発展的に考察し、「人工知能」について考えます。現代文(国語)・小論文・予想論点として解説します。

 

 以下では、

 

(1)なぜ、この記事を書くのか

(2)神里達博氏の論考・「人工知能と囲碁」(「月刊安心新聞」 朝日新聞)の紹介・解説ー身体性・自我・倫理問題

(3)「人工知能学会・倫理委員会」の取り組みー倫理問題

(4)「『人工知能学会・倫理委員会』の取り組み」は、杞憂とは言えないということ

(5)「人工知能」関連の当ブログの記事の紹介

(6)神里達博氏など、今回、参照した著者の紹介

 

について解説していきます。

 

(1)なぜ、この記事を書くのか? 

 

 今回の記事は「人工知能」の第2回目です。

 今回は、2017センター試験国語・第1問を意識して、前回の記事・「現代文・小論文・予想問題ー『AIの衝撃・人工知能は人類の敵か』」とは、違う視点から「人工知能」を解説します。

 前回の記事については、下にリンク画像を貼っておきます。

 

 今回の記事の主な題材としては、神里達博氏の論考(「人工知能と囲碁」・月刊安心新聞   2016.3.18「朝日新聞」)を使用します。

  

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 2017センター試験国語・第1問本文に以下次のような小林傳司氏の論考が出題されました。

 「科学論」における「科学コミュニケーション」の論点です。

 今回のセンター試験の問題の、キーワードの一つは、「科学ー技術の両面価値」です。

 このキーワードで、すぐに思い浮かべるのは、「人工知能」でしょう。

 

 

(2017センター試験・第1問・問題文本文)(概要です) 

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

「十九世から二十世紀前半にかけて、既に「科学」は社会の諸問題を解決する能力を持っていた。「もっと科学を」というスローガンが説得力を持ち得た所以(ゆえん)である。しかし、二十世紀後半の科学ー技術は両面価値的存在になり始める。現代の科学ー技術は、自然に介入し、操作する能力を入手開発するようになっており、その結果、自然の脅威を制御できるようになってきた。同時にその科学ー技術の作り出した人工物が人類にさまざまな災いをもたらし始めてもいる。こうして「もっと科学を」というスローガンの説得力は低下し始め、「科学が問題ではないか」という新たな意識が社会に生まれ始めているのである。」(小林傳司「科学コミュニケーション」)

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 …………………………… 

 

(当ブログによる解説) 

 

 「科学論」で、最近、最も注目されるべき論点は「人工知能」です

 最近、「人工知能(AI)技術」が大きな話題になっています。

 

 特に、東大受験を諦めた人工知能の「東ロボくん」、自動車の自動運転、囲碁・将棋でプロに勝利した事、個々人の患者に対応したテーラーメイド治療などで、「人工知能」は注目を集めています。

 このように、「人工知能」は、人類の進歩に寄与することが期待される一方で、「人工知能が人間を超える日」も問題になっています。

 つまり、シンギュラリティ(技術的特異点)

(→「シンギュラリティ(Singularity)」とは、「人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事。人類が人工知能と融合し、人類の進化が特異点(成長曲線が無限大になる点)に到達すること」という意味)

という言葉をキーワードにして、「2045年までにAIが人類を超える」とする見解が、最近の様々な月刊誌の「人工知能特集」・新刊本で目立ちます。

 軍事技術への転用、人工知能の暴走への不安もあります。

 

 まさに、「人工知能」には、顕著な「両面価値」が存在しているがゆえに、現在、最も注目されるべき論点なのです。

 

 

 (2)神里達博氏の論考・「人工知能と囲碁」(「月刊安心新聞」朝日新聞)の紹介・解説ー身体性・自我・倫理問題

 

 

文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか (講談社現代新書)

文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか (講談社現代新書)

 

 

 

 ここで、特に参考になるのは、最近発表された神里達博氏の論考(「人工知能と囲碁」 神里達博 (月刊安心新聞) 2016.3.18 朝日新聞)です。

 以下に、神里氏の論考を紹介しつつ、当ブログの解説をしていきます。


(神里氏の論考)

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 囲碁で、世界トップクラスの棋士が1勝4敗で負け越した。このニュースを聞いて、AIが人類を敵に回すSF映画を思い出した方も多いのではないか。今回のAIの「快挙」は、そんな悪夢の始まりなのだろうか。今月はこのあたりから考えてみよう。

 まず、今回のAI勝利の最大の要因は、ここ数年、大いに注目されている「ディープラーニング」を応用したことにある。

 人工知能の世界では、「パターン認識」という課題が古くから関心を集めてきた。たとえば、この世には無数のバナナがあり、全く同じ形のものは無い。だが人間はバナナに共通のパターンをつかんでいるから、瞬時にバナナだと認識できる。一方、コンピューターは正確な計算を積み上げていくことは得意でも、そういう物事を概略的に捉えるような仕事は元来、不得意である。

 しかし、現実世界に存在するほとんどの情報源は、この種の「パターン」である。従って、コンピューターに人間並みの知的作業をさせようと思えば、パターンを認識してもらうよりない。これは容易ではないものの、長年の研究によりさまざまな手法が開発され、郵便番号などの文字を読みとったり、人の音声や顔を認識したりといった作業は、以前から実用レベルに達している。

 

 さて、ディープラーニングが従来と比べて優れている点は、大量のデータを学ぶことで、自力で「特徴ある何か」の存在を見つけることができる点だ。たとえば「バナナというのは、黄色くて、曲がっている」といった特徴を、あらかじめ人間がコンピューターに教えなくても、大量のバナナを含んだ画像を与えることで、そこから「なにか共通する存在が映り込んでいる」ということを抽出する。あとは人間が「ああ、それはバナナと言うものですよ」と教えてやれば、コンピューター内部に「バナナの概念と名前」のパターンが構築されるのだ。

 ディープラーニングは、AIの歴史の初期から検討されてきた、脳の神経回路網をモデルとする研究の系譜に連なる。だが近年、ハードウェアの計算能力が向上したことや、コンピューターに教えるためのデジタルデータがネット上に大量に蓄積されたこと、またアリゴリズム(算法)の適切な改良などにより、従来のものと比べてはるかに精度の良い認識が可能になったのである。

 

 機械に対する根源的な不安・不信が広がることは過去にも何度か起きている。古くは産業革命期のラッダイト運動

(→19世紀初期にイギリスの織物工業地帯に起こった機械破壊運動。産業革命による機械普及に対して、失業の危機を感じた労働者が起こした)

が有名であるが、1930年代、また60年代にも機械と人間の競争についての議論が盛り上がったことが知られている。

 最近でも、宇宙物理学者のホーキング博士

(→イギリスの理論物理学者。量子宇宙論・現代宇宙論の重要人物。現代の理論的宇宙論を明解に解説した『ホーキング、宇宙を語る』などでも有名。車椅子の物理学者としても知られている)

 が、真に知的なAIが完成することは、人類の終焉(しゅうえん)を意味するだろうと警告したことが話題になった。

 今はAIへの脅威論が広がる「ネオ・ラッダイド

(→技術革新・高度情報化社会を嫌悪し、テレビ・自動車・電気などを拒否する生活を実践する運動)

の季節」なのかもしれない。

 

ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説) 

 2014年、BBCの取材に対して、ホーキング博士は次のように語っています。

「完全な人工知能を開発できたら、それは人類の終焉を意味するかもしれない」

「人工知能が自分の意志をもって自立し、そして、さらに、これまでにないような早さで能力を上げ、自分自身を設計しなおすこともあり得る。ゆっくりとしか進化できない人間に、勝ち目はない。いずれは人工知能に取って代わられるだろう」

 人工知能の進化に人類が歩調を合わせることができる能力を、人工知能が上回ることになる、いわゆる「技術的特異点」についてホーキング博士は、既に重大な懸念を表明しています。

「インディペンデント」(英国の新聞)に2014年に掲載された論説で、博士は、

「人工知能の発明は人類史上最大の出来事だ。だが同時に、『最後』の出来事になってしまう可能性もある」

と述べています。

 

 ホーキング博士は「人工知能」の専門家ではないから、その意見は、あまり問題にする必要はないとする見解もあります。

 が、「人工知能の専門家」でないがゆえに、見えることもあるのではないでしょうか。

 無視しては、いけないと私は思います。

 

ーーーーーーーー

 

 (神里氏の論考)

しかし、すでに述べたように、今回のAIの「快挙」は、長年の人工知能研究の流れの延長線上にあるものだ。それだけでコンピューターが意志を持つなどということはあり得ない。重要なのは、AIには身体がないという点であろう。生命は身体という限界性があるがゆえに、自我(→大学入試の現代文(国語)・小論文レベルでは「アイデンティティ」・「自己」と同様に考えてもよいでしょう)を持つことに「意義」がある。この点でのAIと生命の隔たりは大きい。

 

 ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説) 

 上記の最終段落の「AIと身体性の関係」について、さらに解説します。

 「人工知能(AI)と身体性の関係」は、「人工知能」における重要な論点ですが、少々、分かりにくい側面があります。

 その点で、下記の内田樹氏の論考は、「理解の助け」になると思われるので、紹介します。

 

(内田樹氏の論考) 

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

養老孟司先生が書評で取り上げてた月本洋『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ)を読む。

御影駅の待合室でぱらりと開いて、「私は人工知能の研究をしていたが、数年前に人間並みの知能を実現するには『身体』が必要であるという考えにいたった」(4頁)という箇所を読んで、思わず「おおおお」とのけぞってしまった。

そのときはそれが非常に重要なことであることはわかったのだが、どういうふうに武道の稽古につなげればいいのかよくわからなかった。

そのあと池谷裕二さんと対談したときにミラーニューロンの話を聞いて、学習というのが決定的に身体的な経験であることを教えていただいた。

それからSさんと出会い、その指導を見て、身体図式のブレークスルー(→「打開。突破」という意味)は知的なブレークスルーと同期するということについての確信が深まった。
そして、この本を読んでいろいろなことが繋がった。

月本さんによると、最近の脳科学の実験により、「人間はイメージするときに身体を動かしている」ことがわかった。
月本さんはこれを「仮想的身体運動」と呼ぶ。
「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」(4頁)ということである。

書き手と読み手の「身体的な(要は「脳的な」ということだけれど)同期」が「理解」ということの本質であるという月本説は、「身体で読む」私にはたいへん腑に落ちる説明である。

ミラーニューロンによって、私たちは他人の行動を見ているときに、それと同じ行動を仮想的に脳内で再演している。

その仮想身体運動を通じて「他人の心と自分の心」が同期する(ように感じ)、他人の心が理解できる(ように感じる)のである。」
( 「御影駅からリッツカールトンにゆく途中で考えたこと」内田樹の研究室  2008年05月04日)

 

 

日本人の脳に主語はいらない (講談社選書メチエ 410)

日本人の脳に主語はいらない (講談社選書メチエ 410)

 

 

 

  ーーーーーーーー

 

 (神里氏の論考) 

それでは、私たちが素朴に抱く、AIを含めた社会のIT化に対する不安感は、単に杞憂(きゆう)だろうか。問題の本質は、技術を支配するのは誰かという点だ。いかなる技術も結局は人間のためにあるのだが、技術が社会のなかで適切に機能するかどうかは、制度設計に大きく依存する。

 米国政府は、AIを使ってテロリストの行動の特徴を認識するシステムを作り、空港に導入しようとしている。その倫理的な妥当性は、誰がどう担保すべきなのだろうか。

 このように考えていくと、SF的な視点も時には有効だろうが、真の問題を隠蔽(いんぺい)してしまう可能性も否定できない。人間への脅威は、当面はやはり機械ではなく、人間だ。技術と制度をバランスよく目配りしながら、総合的に判断できる人間の知性こそが今、求められているのである。

(「人工知能と囲碁ー技術を支配するのは誰か」 2016・3・18 「朝日新聞」 月刊安心新聞)

 

 ーーーーーーーー

 

 (当ブログによる解説)

 最終段落が重要です。 

 この点について、さらに解説します。

 上記の、SF的な視点も時には有効だろうが、真の問題を隠蔽(いんぺい)してしまう可能性も否定できない。人間への脅威は、当面はやはり機械(→「人工知能」)ではなく、人間だ。技術と制度をバランスよく目配りしながら、総合的に判断できる人間の知性が今、求められているのである。

の部分は、じっくり考える必要があります。

 

 「技術と制度をバランスよく目配りしながら、総合的に判断できる人間の知性」の内実は、何か?

 この問題は、単純なものでは、ないでしょう。

 悩みつつ、ゆっくり考えていくべきです。

 これについて、参考になるのは、以下の見解です。 

 

 

(3)「人工知能学会・倫理委員会」の取り組みー倫理問題

 

AIと人類は共存できるか?

AIと人類は共存できるか?

 

 

 

 「技術と制度をバランスよく目配りしながら総合的に判断できる人間の知性」について、さらに、考えていきます。

 

 参考になるのは、以下に引用する「人工知能学会・ 倫理委員会の取組み」(「人 工 知 能」30 巻 3 号・2015 年 5 月)です。

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

2・2 我々の役割の明確化

では、我々、倫理委員会の役割は何だろうか。人工知能が人工知能をつくるというような未来は当分来ないので、 特に何もしなくてよいのだろうか。
いや、そうではないだろう。
人工知能研究者にとってみると当たり前の技術が社会に大きなインパクトを与えてしまうこともあり得る。
今後、人工知能の技術が、さまざまな 形で社会のインフラに組み込まれていくことは確実であろうから、そうしたときに、思いがけず大きなインパクトを与えてしまうことがあるかもしれない。
専門家として、予見できるものを予見しておくことは、社会に対する誠実な態度であろう。
さまざまな諸問題が起こらないうちに、どういう問題が発生する可能性があるのか、それに対して我々はどのような解決策をもつことができるのかなどを議論しておく必要 があるだろう。
人工知能技術に関して、禁止すべき行為があり得るのかもしれない。例えば、「犯罪的な AI、軍事 AI、中毒や依存をもたらすような AI に基づくシステム」に関しては、社会的な注意を払うべきであると議論されている。
もしこのような AI を抑制すべきことが適切なのであれば、社会を巻き込んでいくことも必要であろう。
また、東日本大震災における原子力発電所の事故を鑑みるに、考え得る最悪なシナリオとその対応を列挙することも専門家の重要な役割であろう。
さらには、現在の技術だけでなく、今後の技術の方向性を指し示すことも社会と対話するうえで重要な役割であろう。

 

2・3 考え方の指針
では,こうした役割を果たしていくために、どのような考え方が活動の指針となるだろうか?
まず、我々は社会と対話しなければならない倫理観は研究者自身ではなく、社会全体でつくっていくものである。

そして、人々の役に立つ人工知能、人々の生活を幸せにし、人生をより豊かにするような人工知能、つまり「万人のための人工知能」を目指すべきであろう。
では、人々を幸せにし、人生をより豊かにするということはどういうことであろうか。
人間にはさまざまな価値基準があるので、一般的には、ある特定の尺度でもって良い悪いを判断することは難しいだろう。
人工知能が使われるうえで、さまざまな良い点や悪い点(→「両面価値」)が出てくるであろうが、おそらく多くの人にとって社会における人工知能システムの良し悪しを判断する価値基準の一つが、「人間としての尊厳が守られるか」ではないだろうか。人工知能が発展することで、人間としての尊厳が侵される(例えばコンピュータに指示されるとおりに動くと生産性が上がるので、それを強要される)ようなことは不幸なことである。
人工知能の技術は、「人間の尊厳」を守るように使われていくべきではないだろうか。
また、人工知能が社会の期待に沿って倫理的に使われるためにはどのような手段を講じれば良いだろうか。
そのためには人工知能システムがオープンであること(透明性をもつこと)が必要であるし、説明可能であることも 必要であろう。
もし人工知能が「暴走する」という危惧を多くの人がもつのであれば、その制御権を複数の人間(市 民)に分散することなども必要かもしれない。
こうした議論を通じて明らかになってくるのは、人工知能の倫理的問題というときに主に議論すべきは、ロボット三原則のような「人工知能がもつべき倫理」ではなく、人間の側の倫理、すなわち「人工知能を使う人間の倫理」、「人工知能を開発する人間の倫理」であるということである。」 (「人工知能学会・ 倫理委員会の取組み」・「人 工 知 能」30 巻 3 号・2015 年 5 月)

 

ーーーーーーーー

 

  (当ブログによる解説)

専門家として、予見できるものを予見しておくことは、社会に対する誠実な態度であろう

万人のための人工知能

人々を幸せにし、人生をより豊かにするということ

人工知能の技術は、「人間の尊厳」を守るように使われていくべきではないだろうか」

人工知能の倫理的問題というときに主に議論すべきは、人間の側の倫理、すなわち「人工知能を使う人間の倫理」、「人工知能を開発する人間の倫理」であるということである」

 

 以上の言葉は、どれもが、誠実、謙虚、聡明であり、極めて正当です。 

 「技術と制度をバランスよく目配りしながら総合的に判断できる人間の知性」

を考える際の、大きなヒントになるものと言えるでしょう。

 

 上記の「人工知能学会・倫理委員会の取り組み」は、2017センター試験国語・第一問で出題された小林傳司氏の問題意識と同方向です。

 小林氏は、「科学と市民の共存」のために「科学コミュニケーション(→科学について、科学者が科学者ではない一般市民と対話すること)」の重要性を主張していますが、上記の「人工知能学会・倫理委員会の取り組み」も、全体として、同様のことを強調しているのです。

 

 小林氏の問題意識の詳細については、最近の当ブログの記事(「2017センター試験国語第一問題・論点的中報告・問題解説」→上にリンク画像があります)で取り上げましたので、そちらを参照してください。

 

 また、

人工知能の倫理的問題というときに主に議論すべきは、人間の側の倫理、すなわち「人工知能を使う人間の倫理」、「人工知能を開発する人間の倫理」であるということである」

の部分は、

人間への脅威は、当面はやはり機械ではなく、人間だ」とする、上記の神里氏の見解とも同方向であり、この見解も卓見だと思います。

 

 

 (4)「『人工知能学会・倫理委員会』の取り組み」は、杞憂とは言えないということ

 

 上記の「ホーキング博士の重大な懸念」を読むと、上記の「人工知能学会・倫理委員会の取り組み」は、決して、杞憂とは言えないことが、分かります。

 

 また、下記に引用する養老孟司氏の見解も、ホーキング博士の重大な懸念」と同様の内容です。

 

  (養老孟司氏の見解)(概要です)

人間は考えたことを必ず実現してきた動物だ。カメラでも、月世界旅行でも、先に考えている、そしてそれを実現する。

 人間には非常に悪い癖があって、考えたものをつくろうとする。考えるだけでは満足できない。

 そうすると、人間が最初に考えてつくりだしたもののひとつが神でしょう。だから、それもいずれ実現するのです。 

 論理で考えるとすぐにわかりますが、もし今以上に大きい脳味噌ができたとすると、われわれが考えることを全部考えられて、われわれが感じることを全部感じることができる。脳にプラス・アルファがついていたら、それでわれわれの仕事は終わり。」 (『男女の怪』養老孟司・阿川佐和子、だいわ文庫)

 

 また、小林雅一氏は、『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』(→当ブログで最近、予想論点として記事化しました→上にリンク画像があります)の中で、次のような見解を述べています。

 

「人間を超えるものを人間はあえて作るだろうか」という「問い」に対して、

「未来の人間はあえてそうした決断を下す」というのが、小林氏の結論です。

 

 この見解の詳細を以下に引用します。

 以下は、上のリンク画像の記事の一部抜粋です。

 

(概要です)

(太字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

「人間を超えるものを人間はあえて作るだろうか」

 「創造性の萌芽を、最近のコンピュータは示し始めたようです。たとえば、ニューラルネット(→当ブログによる注→人間の脳の神経回路の仕組みを模したモデル。コンピュータに学習能力を持たせることにより、様々な問題を解決するためのアプローチ)

機械学習(→当ブログによる注→人工知能における研究課題の一つ。人間が自然に行っている学習能力と同様の機能をコンピュータで実現しようとする技術)

の研究者たちは、最近のニューラルネットは『ある領域で学んだ事柄を別の領域ヘと応用する能力を示し始めている』と言います。

  ニューラルネット、つまりコンピュータが示す、この種の能力を彼らは『汎化能力』(→当ブログによる注→様々な異なる対象に共通する性質・法則等を見出すこと。一般化。普遍化)と呼んでいます。

 今、この分野の技術は日進月歩で進化しています。今後、最先端のニューラルネットを搭載したロボットが世界を自由に動き回り、外界の情報を吸収して学ぶようになれば、それは多彩な経験から学んで成長する人間に急速に近づいていくでしょう。それは、いずれ意識すらも備えた強いAIヘとつながる道でもあります。

 問題は、人間に勝る知性を備えたAI、あるいはそれを搭載したロボットをあえて人間が開発するだろうか、ということです。

 産業革命を境に、人類は、力の大きさや移動速度、あるいは計算能力などの面において、人間の能力を遥かに超えるマシンを次々と開発してきました。

 しかし、どんなことにも対応できる柔軟な『知能』という最後の砦さえも、あえてロボットやコンピュータに譲りわたす決断を人間は下すでしょうか。」

 

ーーーーーー

 

(前回の記事の一部抜粋です)

(当ブログによる解説)

 この部分は、恐い話です。

 まるで、コンピューターが、犬や猫といった身近な動物よりも、「高等な知的生物」になってしまったかのようです。

 「コンピューターが、学習する」というのは、どういうことなのでしょうか。

 この記事の前半にも書きましたが、コンピューターは人間と違って、「飽き」や「疲れ」がないだけに、自律的な学習能力を身に付けたら、恐ろしい存在になると思います。

 コンピューター・人工知能関係の科学者は、そのような危険性・危機感を感じないのでしょうか。

 あるいは、「それでも、構わない」と思っているのでしょうか。

 もし、コンピュータ・人工知能関係の科学者が、このような「科学の暴走」に対して、何らかの問題意識を持たないのであれば、村上陽一郎氏が様々な論考で主張する通り、「科学の進歩」に対する民主的コントロール」が必要になってくるのでは、ないでしょうか。

 特に、今回の問題は、「人類の存続」に直結する重大な問題です。

「人間にとっての『最後の砦』」

(ここも、前回の記事の一部抜粋です)

 この部分は全体の最終部分です。

 「未来の人間はあえてそうした決断を下す」というのが、小林氏の結論です。

 その理由を、小林氏は以下のように述べています。

 「それは私たち人類が今後、直面するであろう未曾有の困難と危機に対処するためです。現時点で、すでに深刻な様相を呈している地球温暖化や砂漠化、PM2・5のような大気汚染、行き場を失った核廃棄物、等々。これら世界的問題は早晩、人類単独の力では対処しきれなくなるでしょう。そこに人間を超える知能を備えたコンピュータやロボットが必要とされるのではないでしょうか。

 

 ーーーーーーーー

 

(以下は、今回の記事の解説になります)

(当ブログによる解説)

 

 このように、「将来、人工知能が人間を超えるか」については、肯定説・否定説の対立があります。

 しかし、いずれにせよ、人工知能が人間を超える可能性がないわけではないのですから、そのことに伴う危険性と対策を、前もって幅広く考慮しておくことは必要でしょう。

 その点で、私は、人工知能学会の姿勢には賛成です。

 

 今までの入試現代文(国語)・小論文に出題された問題の「出題意図の傾向」(→問題文本文・設問から推測した「出題意図」)も、おおむね、私の立場と同方向です。

 

 

 

 (5)「人工知能」関連の当ブログの記事の紹介

 

 入試頻出著者・山崎正和氏が、『ポスト・ヒューマン誕生』(レイ・カーツワイル・日本放送出版協会)を元に、「人工知能」・「ナノ技術」・「ロボット工学」・「自己」・「身体」・「人間とは何か」・「近代科学」などについて考察した論考、を紹介・解説しました。 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

(6)神里達博氏など、今回、参照した著者の紹介

 

①  神里達博氏の紹介

神里達博(かみさと たつひろ)

千葉大学教授。専門は科学史、科学技術社会論。1967年生まれ。1992年東京大学工学部卒業(化学工学専攻)。2002年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学(科学史・科学哲学専攻)。

主な著書に、

『食品リスク―BSEとモダニティ』(弘文堂)、

『科学技術のポリティクス』(城山英明編・東京大学出版会・分担執筆)、

『没落する文明』(萱野稔人との共著・集英社新書)等。

 

 

②  小林傳司氏の紹介

小林傳司(こばやし ただし)

1954年生まれ。科学哲学者、大阪大学教授。1978年京都大学理学部生物学科卒、1983年東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学。現在は、大阪大学理事(教育担当)、副学長。専門は、科学哲学・科学技術社会論。

主な著書・共編著として、

『トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ』(NTT出版ライブラリーレゾナント)
『公共のための科学技術』(編 玉川大学出版部)
『社会技術概論』(小林信一,藤垣裕子共編著・放送大学教育振興会)等。

 

③  内田樹氏の紹介  

内田樹(うちだ  たつる)

トップレベルの入試頻出著者。

倫理学者、翻訳家。専門は、フランス現代思想ですが、論考で取り上げるテーマは、教育論、グローバル化、政治論等、多方面に及んでいます。

著書としては、

『街場の現代思想』(文春文庫)、

『下流志向』(講談社文庫)、

『日本辺境論』(新潮新書)、

『街場のメディア論』(光文社新書)、

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)等、

 

 

 ④  月本 洋氏の紹介

月本 洋(つきもと  ひろし) 

東京電機大学工学部情報通信工学科教授
現在の専門分野は、知能情報学・言語学。
著書に、『心の発生-認知発達の神経科学的理論』 (ナカニシヤ出版)、『日本語は論理的である』(講談社選書メチエ)  、『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ) 等。

 


⑤  養老孟司氏の紹介

養老孟司(ようろう  たけし)

1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学名誉教授。『からだの見方』でサントリー学芸賞を受賞。著書として、『形を読む』『解剖学教室へようこそ』『日本人の身体観』『唯脳論』『人間科学』『バカの壁』『養老訓』等、多数。
入試頻出著者。
 なお、入試頻出著者である内田樹氏・養老孟司氏の論考についての、当ブログの他の記事については、下の記事を参照してください。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

⑥  小林雅一氏の紹介  

小林雅一(こばやし・まさかず)。KDDI 総研リサーチフェロー、情報セキュリティ大学院大学准教授。

 東京大学理学部物理学科卒業。同大学院理学系研究科を修了後、ボストン大学に留学、マスコミ論を専攻。

 著書に『グローバル・コミュニケーションの未来図』(光文社新書)、『クラウドからAIヘ』(朝日新書)、『ウェブ進化 最終形』(朝日新書)、『日本企業復活ヘのHTML5戦略』(光文社)等。

 

 ーーーーーーーー 

 

今回の記事は、これで終わります。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

 

   

 

 

文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか (講談社現代新書)

文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか (講談社現代新書)

 

 

 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 この参考書は、私が制作しました。

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

  

2017センター試験国語第2問・問題解説・小説の純客観的解法

擬古文・文語文対策 野上弥生子 「秋の一日」 夏目漱石 小説の解法 小説の純客観的解法 2017センター現代文第2問 2017センター試験国語第2問解説 センター試験国語・文語文対策 センター小説 センター試験小説解法 設問重視 小説問題対策 夏目漱石の弟子・門下生 2017センター試験国語小説解説 センター小説解説

2017年センター国語第2問は、素直に解けば、20分程度で満点の取れる問題です。以下に、今回の問題を通して小説問題の効率的な解法を説明していきます。

 

(1)2017年センター試験国語第2問(小説)の解説

 

 2017年センター試験国語の小説問題は、文語文・擬古文的で読みにくい側面はありますが、設問・選択肢が素直なので、良問だと思います。

 今後の小説問題対策として、有用な問題と考えてたので、今回、記事化することにしました。

 以下では、次の項目を解説していきます。

 今回の記事は、約1万2千字です。

 

(2)「小説問題解法」のポイント・注意点

(3)「センター試験小説問題」の解法のポイント・コツ

(4)2017センター試験国語第2問の解説

(5)今回の小説問題本文の「あらすじ」

(6)野上弥生子氏の紹介

(7)当ブログの「夏目漱石」関連記事の紹介・一覧

(8)当ブログの「小説問題解説」関連記事の紹介・一覧

(9)当ブログの「センター試験国語解説」記事の紹介・一覧

(10)2017センター試験国語第1問に「当ブログの予想論点記事(科学論)」が的中(著者・論点)したこと、についての報告記事、の紹介

 

 

(2)「小説問題解法」のポイント・注意点

 

 小説・エッセイ(随筆)問題の入試出題率は、相変わらず高く、毎年約1割です。

 まず、センター試験の国語では、毎年、出題されます。

 次に、難関国公立私立大学では、頻出です。

 東大・京都大・大阪大(文)・一橋大・東北大・広島大・筑波大・岡山大・長崎大・熊本大等の国公立大、早稲田大(政経)(文)(商)(教育)(国際教養)(文化構想)、上智大、立命館大、学習院大、マーチ(明治大・青山学院大・立教大・中央大・法政大)(特に文学部)、女子大の現代文では、特に頻出です。

 また、難関国公立私立大学の小論文の課題文として、出題されることもあります。

 

 小説・エッセイ問題については、「解法(対策)を意識しつつ、慣れること」が必要となります。

 本来、小説やエッセイは、一文一文味わいつつ読むべきです。(国語自体が本来は、そういうものです。)

 が、これは入試では、時間の面でも、解法の方向でも、有害ですらあります。

 あくまで、設問(そして、選択肢)の要求に応じて、主観的文章を(設問の要求に応じて)純客観的に分析しなくてはならないのです。(国語を純客観的に分析? これ自体がパラドックスですが、ここでは、この問題には踏み込みません。日本の大学入試制度の問題点です。)

 この点で、案外、読書好きの受験生が、この種の問題に弱いのです。(読書好きの受験生は、語彙力があるので、あとは、問題対応力を養成すればよいのです。)

 

 しかし、それほど心配する必要はありません。

 「入試問題の要求にいかに合わせていくか」という方法論を身に付けること、つまり、小説・エッセイ問題に、「正しく慣れる」ことで、得点力は劇的にアップするのです。

 そこで、次に、小説・エッセイ問題の解法のポイントをまとめておきます。

 

【1】5W1H(つまり、筋)の正解な把握

 

① 誰が(Who)     人物

② いつ(When)      時

③ どこで(Where) 場所

④ なぜ(Why)   理由→これが重要

⑤ なにを(What)    事件

⑥ どうした(How) 行為

 

 上の①~⑥は、必ずしも、わかりやすい順序で書いてあるとは限りません。

 読む側で、一つ一つ確認していく必要があります。

 特に、④の「なぜ(理由)」は、入試の頻出ポイントなので、注意してチェックすることが大切です。

 

【2】登場人物の心理・性格をつかむ

 

① 登場人物の心理は、その行動・表情・発言に、にじみ出ているので、軽く読み流さないようにする。

 

② 情景描写は、登場人物の心情を暗示的・象徴的に提示している場合が多いということを、意識して読む。

 

③ 心理面に重点を置いて、登場人物相互間の人間関係を押さえていく。

 

 登場人物の心理を推理する問題が非常に多い。その場合には、受験生は自分をその人物の立場に置いて、インテリ的に(まじめに→さらに言えば、人生重視的に)、一般的に、考えていくようにする。

 

⑤ 心理は、時間とともに流動するので、心理的変化は丁寧に追うようにする。

 

 以上を元に、いかに小説問題を解いていくか、を以下で解説していきます。

 


(3)「センター試験小説問題」の解法のポイント・コツ

 

【1】先に設問をチェックする

 

 センター試験の小説問題の本文は、難関大学の小説問題か、それ以上の長文の場合が多いのです。

 そこで、センター試験小説問題を効率的に解くための1つ目のコツは、本文を読む前に設問(特に、設問文)に目を通すことです。

 すぐに設問文に目を通し、「何を問われているか」を押さえてください。

 「設問で問われていること」を意識しつつ読むことで、時間を短縮化することができます。

 

【2】消去法を、うまく使う

 

 センター試験の小説問題の選択肢は、最近は、少々、長文化しています。

 しかし、明白な傷のある選択肢が多いので、消去法を駆使していくことで、効率的に処理することが可能です。

 

 

(4)2017センター試験国語第2問の解説

  

野上彌生子全小説 〈1〉 縁 父親と3人の娘

 

 

 

 

 

 

(設問文のリード文)

(青字は、当ブログによる「注」です)

(赤字は、当ブログによる「強調」です)

一昨年の秋、夫が旅行の土産にあけびの蔓(つる)で編んだ手提げ籠(かご)を買ってきた。直子は病床からそれを眺め、快復したらその中に好きな物を入れてピクニックに出掛けることを楽しみにしていた

 →問題のリード文(説明文)は、設問のヒントになることが多いので、注意してください。今回も、問2のヒントになっています。

 

(本文の概要)

(青字は、当ブログによる「注」目です)

(赤字は、当ブログによる「強調」です)

病床にあった時、夫に買ってもらった手提げ籠を眺めて秋のピクニックに行きたいと思っていた。しかし、健康になったものの、特別に出かけようという気にもならなかった。

 その内、世間で話題になっている文部省の絵の展覧会の話がを聞いて、早く行ってみようと思った。けれども、具体的に行こうと思いついたのは、全く偶然な出来心だった。

 ある時、夕焼け空を見て明日の晴れやかな秋日和を想像すると、全く偶然な出来心で、夫の土産の籠を持ち、ぶらぶら遊びながら展覧会に出かける気になった。

 「それが可(よ)い。展覧会は込むだろうから朝早くに出掛けて、すんだら上野から何処(どこ)か静かな田舎に行く事にしよう。」とそう思うと、A  誠に物珍らしい楽しい事が急に湧いたような気がして、直子は遠足を待つ小学生のような心で明日を待った。

 

  ……………………………

 

(設問)

問2 傍線部A「誠に物珍しい楽しい事が急に湧いたような気がして」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

 

① この秋はそれまでの数年間と違って体調がよく、籠を持ってどこかへ出掛けたいと考えていたところ、絵の鑑賞を夫から勧められてにわかに興味を覚え、子供と一緒に絵を見ることが待ち遠しくなったということ。


② 長い間患っていた病気が治り、子供も自分で歩けるほど成長しているので一緒に外出したいと思っていたところ、翌日は秋晴れのようだから、全快を実感できる絶好の日になるとふと思いついて、心が弾んだということ。


③ 珍しく秋に体調がよく、子供とどこかへ出掛けたいのに行き先がないと悩んでいたところ、夫の話から久しぶりに絵の展覧会に行こうとはたと思いつき、手頃な目的地が決まって楽しみになったということ。


④ 籠を持って子供と出掛けたいと思いながら、適当な行き先が思い当たらずにいたところ、翌日は秋晴れになりそうだから、展覧会の絵を見た後に郊外へ出掛ければいいとふいに気がついて、うれしくなったということ。

 

 ⑤ 展覧会の絵を早く見に行きたかったが、子供は退屈するのではないかとためらっていたところ、絵を見た後にどこか静かな田舎へ行けば子供も喜ぶだろうと突然気づいて、晴れやかな気持ちになったということ。

 

……………………………

 

(解説・解答) 心情把握問題

→すぐに選択肢を見て、選択肢に合わせて考えるようにしてください。「記述式として解く」(一度、自分で解答を書く❗)という解法もあるようですが、解答の幅が広がりすぎ(特に、小説問題では)、効率性の面からみて、おすすめできません。私の推奨する「小説の純客観的解法」は、「設問にも客観的に対応すること」、つまり、「設問に素直に対応すること」を含みます。

 

 「小説の筋をまとめる」だけの、単純な設問です。「どの程度まで、まとめていくか」については、設問・選択肢の要求に素直に従ってください。

 ④は、直前の「筋」を過不足なく、まとめているので、これが正解です。

 

    「籠を持ってまずは遊びながら展覧会を見てみようと思いついた」のは、「其前日の「全く偶然な出来心」によるのですから、「夫の勧めなどにより、そのようにしたいと思った」としている①・③は、不適当です。

 また、「夫の土産の手提げ籠」に言及していない②・⑤も、不適当です。

 

 正解は④です。

 

ーーーーーーーー

 

 (本文の概要)

何処か小学校の運動会と見えて、沢山な子供の群れがいた。近づいて見ると、長方形に取り囲まれた見物人の人垣の中に小さい一群れの子供が遊戯を始めているところであった。一張りの白いテントの内からは、ピアノ音がはずみ立って響いた。くたびれて女中に負(おぶ)さった子供は、初めて見る此珍しい踊りの群れを、呆(あ)っけにとられた顔をして熱心に眺めた。直子も何年ぶりかでこんな光景を見たので、もの珍しい心を以(もっ)て立ち留まって眺めていたが、五分許(ばか)りも見ている間に、ふと訳もない涙が上瞼(うわまぶた)の内から熱くにじみ出して来た。訳もない涙。直子はこの涙が久しく癖になった。何に出る涙か知らぬ。何に感じたと気のつく前に、ただ流れ出る涙であった。子供に乳房を与えながら、その清らかなまじめな瞳を見詰めている内に溢(あふ)るる涙のとどめられなくなる時もあった。可愛いと云うのか、悲しいと云うのか、美しいからか、清らかなゆえにか、なんにも知らぬ。今目の前に踊る小さい子供の群れ、秋晴れの空のま下に、透明な黄色い光線の中をただ小鳥のように魚のように、手を動かしたり足をあげたりしている、ただその有様(ありさま)が胸に沁(し)むのである。直子はそんな心持から女中の肩を乗り出して眺め入ってる自分の子供を顧みると、我知らず微笑まれたが、B  この微笑みの底にはいつでも涙に変(かわ)る或物(あるもの)が沢山隠れてような気がした。 」

 

……………………………

 

(設問)

問3 傍線部B「この微笑みの底にはいつでも涙に変(かわ)る或物(あるもの)が沢山隠れているような気がした」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

 

① 思わずもらした微笑みは、身を乗り出して運動会を見ている子供の様子に反応したものだが、そこには病弱な自分がいつも心弱さから流す涙と表裏一体のものがあると感じたということ。


② 思わずもらした微笑みは、小学生たちの踊る姿に驚く子供の様子に反応したものだが、そこには無邪気な子供の将来を思う不安から流す涙につながるものがあると感じたということ。


③ 思わずもらした微笑みは、子供の振る舞いのかわいらしさに反応したものだが、そこには純真さをいつまでも保ってほしいと願うあまりに流れる涙に結びつくものがあると感じたということ。


④ 思わずもらした微笑みは、幸せそうな子供の様子に反応したものだが、そこにはこれまで自分がさまざまな苦労をして流した涙の記憶と切り離せないものがあると感じたということ。


⑤ 思わずもらした微笑みは、子供が運動会を見つめる姿に反応したものだが、そこには純粋なものに心を動かされてひとりでにあふれ出す涙に通じるものがあると感じたということ。

 

 ……………………………

 

(解説・解答) 心情把握問題

 傍線部の「この微笑の底」に注目すれば、極めて素直な問題だと分かります。

 「この微笑の底」とありますから、直前に着目すると「直子はそんな心持から女中の肩を乗り出して眺め入ってる自分の子供を顧みると、我知らず微笑まれたが」とあるので、さらに遡ることになります。

 その際には、傍線部の「涙に変(かわ)る或物(あるもの)」を意識して遡ることに注意してください。

 すると、「小学校の運動会の遊戯の光景を五分程度見ている間に、ふと訳もない涙が熱くにじみ出して来る。子供に乳房を与えながら、その清らかなまじめな瞳を見詰めている内に溢(あふ)るる涙のとどめられなくなる時もあった。」が、解答のポイントだということが分かるはずです。

 正解は⑤です。

 

①~④はそれぞれ、以下の部分が不適当です。

① 「病弱な自分がいつも心弱さから流す涙と表裏一体のものがある」の部分。

②  「小学生たちの踊る姿に驚く子供の様子」、「無邪気な子供の将来を思う不安から流す涙につながるものがある」の部分。
③    「思わずもらした微笑みは、子供の振る舞いのかわいらしさに反応したもの」の部分。
④    「そこにはこれまで自分がさまざまな苦労をして流した涙の記憶と切り離せないものがあると感じた」の部分。

 

 ーーーーーーーー

 

 (本文の概要)

(展覧会で、直子は「幸ある朝」という絵の前に立ちつつ、その絵の作者である画家の義妹であり、直子の古い学校友達の「淑子さん」に関する思い出に浸る。)

直子は今「幸ある朝」の前に立って丁度その頃のことがいろいろ思い出されたのであった。淑子さんはそれから卒業すると間もなくお嫁に行って、そして間もなく亡くなられた。今はもうこの世にない人である。彼(あの)「造花」の画のカンヴァスから此(こ)のカンヴァスの間にはかれこれ十年近くの長い日が挟まっているのだけれども、ちっともそんな気はしない。ほんの昨日の出来事で、今にもあの快活な紅い頬をしたお転婆な遊び友達の群れが、どやどやと此室に流れ込んで来そうな気がする。そして其中に交じる自分は、ひとり画の前に立つ此の自分ではなくって全く違った別の人のような気がする。直子はその親しい影の他人を正面に見据えて見て、笑い度いような冷やかしたいような且(かつ)憫(あわれ)み度(た)いような気がした。而(しか)してふり返る度にうつる過去の姿の、如何(いか)にも価なく見すぼらしいのを悲しんだ。直子は C  こうした雲隠れのような追懐に封じらてる 内に、突然けたたましい子供の泣き声が耳に入った。

 

 …………………………… 

 

(設問) 

問4 傍線部C「こうした雲のような追懐に封じられてる」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の1~5のうちから一つ選べ。

 

 ① 絵を見たことをきっかけに、淑子さんや友人たちと同じように無邪気で活発だった自分が、ささなことにも心を動かされていたことを思い出した。それに引きかえ、長い間の病気が自分の活発な気質をくもらせてしまったことに気づき、沈んだ気持ちに陥っている。

 

② 絵を見たことをきっかけに、淑子さんをはじめ女学院時代の友人たちとの思いでが次から次へと湧き上がってきた。当時のことは鮮やかに思い出されるのに淑子さんはすでに亡く、自分自身も変化していることに気づかされて、もの思いから抜け出すことができずにいる。

 

③ 絵を見たことをきっかけに、親しい友人であった淑子さんと自分たちとの感情がすれ違ってしまった出来事を思い出した。淑子さんと二度と会うことができなくなった今となっては、慕わしさが次々と湧き起こるとともに当時の未熟さが情けなく思われて、後悔の念に胸がふさがれてる。

 

④ 絵を見たことをきっかけに、女学校の頃の出来事や友人たちの姿がとりとめもなく次々に浮かんできた。しかし、すでに十年近い時間が過ぎてしまい、もうこの世にいない淑子さんの姿がかすんでしまっていることに気づいて、件名に思い出そうと努めている。

 

⑤ 絵をみたことをきっかけに淑子さんが自分たちに仕掛けたかわいらしい謎によって引き起こされた、さまざまな感情がよみがえり、ふくれ上がってきた。それをたどり直すことで、ささやかな日常を楽しむことができた女学生の頃の感覚を懐かしみ、取り戻したいという思いにとらわれている。

 

 ……………………………

 

(解説・解答) 心情把握問題

 

 問3と同様に、傍線部の「こうした」に注目することがスタートです。直前を精読してください。

 傍線部Cの「追懐」というのは、直子自身やその友達の「淑子さん」たちに関する記憶です。また、その追憶に「封じられる」というのは、「その状態」に、「拘束されていること。捕らわれていること」を意味しています。

 

 ただ女学生のころのことを思い出しているというだけでは、ありません。

ほんの昨日の出来事で、今にもあの快活な紅い頬をしたお転婆な遊び友達の群れが、どやどやと此室に流れ込んで来そうな気がする。そして其中に交じる自分は、ひとり画の前に立つ此の自分ではなくって全く違った別の人のような気がする。直子はその親しい影の他人を正面に見据えて見て、笑い度いような冷やかしたいような且(かつ)憫(あわれ)み度(た)いような気がした。而(しか)してふり返る度にうつる過去の姿の、如何(いか)にも価なく見すぼらしいのを悲しんだ。」とあるように、直子は、「女学生のころの直子」と「今の直子自身」とは「全く違った別の人のような気がする」という思いに、捕らわれているのです。

 このことを踏まえている選択肢を選んでください。

 正解は②です。

 他の選択肢は「女学生時代の直子」と「今の直子自身」との「違い」の説明が不十分です。

 

ーーーーーーーー 

 

(設問)

問5 本文には、自分の子供の様子を見守る直子の心情が随所に描かれている。それぞれの場面の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

 

① 子供が歩き出すことを直子が想像したり、成長していたずらもするようになったことが示されたりする場合には、子供を見守り続ける直子の心情が描かれている。そこでは、念願だった秋のピクニックを計画する余裕もないほどに、子育てに熱中する直子の母としての自覚が印象づけられている。

 

② 「かァかァかァ。」と鴉の口まねをするなど、目にしたものに子供が無邪気に反応する場面には、子供とは異なる思いでそれらを眺める直子の心の動きが描かれている。そこでは、長い間病床についていたために、ささいなことにも暗い影をみてしまう直子の不安な感情が暗示されている。

 

③ 運動会の小学生たちを子供が眺める場面には、その様子を注意深く見守ろうとする直子の心情が描かれている。そこでは、直子には見慣れたものである秋の風物が、子供の新鮮な心の動きによって目新しいものになっている様が表わされている。

 

④ 初めて接する美術品を子供が眺めている場面には、その反応を見守ろうとする直子の心情が描かれている。そこでは、美術品の中に自分の知っているものを見つけた子供が無邪気な反応を示す様を、周囲への気兼ねなく楽しく直子ののびやかな気分が表わされている。

 

⑤ 「とや、とや。」と言って子供が急に泣き出した場面には、自分の思いよりも子供のことを優先する直子の心の動きが描かれている。そこでは、突然現実に引き戻された直子が、娘時代はもはや遠くなってしまったと嘆く様が表わされている。

 

 ……………………………

 

(解説・解答) 心情把握問題


 まず「初めて接する美術品を子供が眺めている場面」という指定に従って、42行目以下を精読します。(本文については、各種解説書や、Web 上の予備校の速報などを参照してください)

 すると、子供が絵を眺める際の反応を見守ろうとしている直子の心情が記述されています。

 ④との関連で、特に注意するべきは、50行目以下の部分です。概要を引用します。

「子供はたまたま自分の知った動物とか鳥とか花とかの形を見出した時には非常に満足な笑い方をした。女の裸体像を見つけては、『おっぱい、おっぱい』とさも懐(なつか)しそうに指(ゆびさ)しをするのには直子も女中も一緒に笑い出した。まだ朝なのでこうした戯れも誰の邪魔にもならぬ位(くら)い入場者のかげは乏しかったのである」

 以上の部分から、④が正解になります。

 

  

 他の選択肢は、以下の点で誤りです。


① 「念願だった秋のピクニックを計画する余裕もないほどに、子育てに熱中する直子の母としての自覚」は、本文に、このような記述は、ありません。


② 「ささいなことにも暗い影を見てしまう直子の不安な感情」は、本文に、このような記述は、ありません。


③ 「直子には見慣れた ものである秋の風物が、子供の新鮮な心の動きによって目新しいものになっている様」は、本文に、このような記述は、ありません。


⑤「娘時代はもはや遠くなってしまったと嘆く様」のような表現は、本文に、ありません。

 

ーーーーーーーー

 

 (設問)

問6 この文章の表現に関する説明として適当でないものを、次の①~⑥のうちから二つ選べ。

→他の設問もそうですが、この設問も問題5と同様に、本文より先に設問を見ておけば、ラクな問題です。本文を読みながら、一つ一つの選択肢をチェックしていくようにしてください。

  

① 語句に付された傍点には、共通してその語を目立たせる働きがあるが1行目「あんよ」、24行目「あらわ」のように、その前後の連続するひらがな表記から、その語を識別しやすくする効果もある。


② 22行目以降の落葉や46行目以降の日本画の描写には、さまざまな色彩語が用いられている、前者については、さらに擬音語が加えられ、視覚・聴覚の両面から表現されている。


③ 38行目「透明な黄色い光線」、55行目「真珠色の柔らかい燻したような光線」のように、秋晴れの様子が室内外に差す光の色を通して表現されてい

 

④ 43行目「直子は本統(ほんとう)は画(え)の事などは何にも知らぬのである」、44行目「画の具のなさえ委(くわ)しくは知らぬ素人である」は、直子の無知を指摘し、突き放そうとする表現である。

 

⑤ 55行目「暫時うるさい『品定め』から免れた悦(よろこ)びを歌いながら、安らかに休息してるかのように見えた」は、絵画や彫刻にかたどられた人たちの、穏やかな中にも生き生きとした姿を表現したものである。

 

⑥ 直子が、亡くなった淑子のことを回想する68行目以降の場面では、女学生時代の会話が再現されている。これによって、彼女とのやり取りが昨日のことのように思い出されたことが表現されている。

 

……………………………

 

(解説・解答) 表現に関する問題

 

④ 本文の他の記述を考慮しても、43行目・44行目の表現が「直子の無知を指摘し、突き放そうとする表現」と評価することは、無理です。

 

⑤ 「『品定め』から免れた悦(よろこ)びを歌いながら、安らかに休息してるかのように見えた」の説明としては、「絵画や彫刻にかたどられた人たちの、穏やかな中にも生き生きとした姿」は、ズレている、と言えます。 

 従って、不適当です。

 

 他の選択肢は、本文と照合すると、「適当」と評価されます。

 →本設問は、素直で単純な問題でした。選択肢だけで、ある程度、正解が絞れました。

 

(解答) ④・⑤

 

ーーーーーーーー 

 

(5)今回の小説問題本文の「あらすじ」

 

 病床にあった時、夫に買ってもらった手提げ籠を眺めて秋のピクニックに行きたいと思っていた。しかし、健康になったものの、特別に出かけようという気にもならなかった。

 その内、世間で話題になっている文部省の絵の展覧会の話がを聞いて、早く行ってみようと思った。けれども、具体的に行こうと思いついたのは、全く偶然な出来心だった。

 ある時、夕焼け空を見て明日の晴れやかな秋日和を想像すると、全く偶然な出来心で、夫の土産の籠を持ち、ぶらぶら遊びながら展覧会に出かける気になった。

 秋の一日、主人公・直子は、子供(幼児)と一緒に文部省美術展覧会(文展)を見に行く。その会場に着くまでの運動会の場面、会場内での出来事が描かれている。

 直子が流す涙、美術品を見て女学校時代を思い出す場面などがメインになっている。

 

 

(6)野上弥生子氏の紹介

 


野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ(のがみ やゑ)、旧姓小手川、1885年~ 1985年) は、日本の小説家。大分県臼杵市生まれ。14歳で上京。

 1906年明治女学校高等科卒業。同年野上豊一郎と結婚,その縁で夏目漱石門下となり『縁 (えにし) 』 (1907) を発表。以来、『海神丸』 (22) ,『大石良雄』 (26) などを書き,昭和に入ると『真知子』 (28~30) ,『若い息子』 (32) ,『迷路』 (6部,36~56) などの社会小説を発表。

豊一郎の妻。夏目漱石の門下。弥生子は漱石の会に出る夫を通じて、夏目漱石の指導を受けた。「海神丸」で文壇的地位を確立。広い社会的視野と教養主義を統一した作風を築いたと評価される。没するまでに読売文学賞、女流文学賞、文化勲章、日本文学大賞などを受賞。

 

 

(7)当ブログの「夏目漱石」関連記事の紹介・一覧

 

 私は2016年12月30に以下のようなツイートをしました。

 

#ブログ更新しました
「 #トランプ現象 と #夏目漱石 →反グローバリズム的発言と文明開化批判」
今年は漱石没後100年、来年は生誕150年という節目。また、来年度の入試では、トランプ現象に関する論考が流行になる可能性が大です。https://t.co/ne30miUrDT

 

 この直後の、センター試験国語第一2問題に野上弥生子氏の『秋の一日』が出題されましたので、2017年1月31日に以下のツイートをしました。

 

 #ブログ更新中
#2017センター試験国語 に出題された #野上弥生子 は #夏目漱石 の弟子。私の予想通りに、今年も、早くも、漱石関連の著作が出題されました。2016は漱石没後100年、2017年は #漱石生誕150年 。この調子で、今年は漱石関係の著作が多く出題されそうです。 https://t.co/yKIJlAIIwU

 

 ここ数年は、これまで以上に、漱石関係の著作に注目する必要があると思われます。

 そこで、当該ブログの最近の「漱石関係」の記事のリンク画像を以下に貼っておきます。ぜひ、ご参照ください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

(8)当ブログの「小説問題解説」関連記事の紹介・一覧

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

(9)当ブログの「センター試験国語解説」記事の紹介・一覧

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

(10)「2017センター試験国語第1問・的中報告・問題解説」記事の紹介

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 以下の記述は、上の記事の冒頭部分です。上の記事を、ぜひ、ご参照ください。

 

 ……………………………


「(1)当ブログの予想論点記事が2017センター試験国語[1]に的中(著者・論点)しました。

2016東大・一橋大・静岡大ズバリ的中(3大学ともに全文一致→下にリンク画像があります)に続く快挙です。

 2016・12・13に発表した当ブログの記事((「国語予想問題『プロの裏切り・プライドと教養の復権を』神里達博」→下にリンク画像を貼っておきます)が、2017センター試験国語(現代文)問題[1](「科学コミュニケーション」・小林傳司)に、的中(著者・論点→科学論→科学コミュニケーション)しましたので、この記事で報告します。

 

ーーーーーーーー 

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

   

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 今回の試験問題になった「秋の一日」が収録されています。

野上彌生子全小説 〈1〉 縁 父親と3人の娘

野上彌生子全小説 〈1〉 縁 父親と3人の娘

 

 

下の本は、私の制作した問題集です。文語文・擬古文対策をポイントにしています。早稲田大学政経学部などで出題された、文語文・擬古文(夏目漱石・高村光太郎・正岡子規・柳宗悦など)の過去問を7問解説しています。

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

下の本は、私の制作した問題集です。小説問題(夏目漱石・芥川龍之介・幸田文など)が6問収録されています。

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

現代文(国語)解法・対策ー「文章並べ替え問題」のコツ・ポイント

谷崎潤一郎 岡本綺堂 文章並べ替え問題の解法・ポイント 難関大学現代文対策 「旅のいろいろ」 「春の修善寺」 「高坐の牡丹燈籠」 頻出著者 論理力 推理力 エッセイ対策 擬古文 文語文 文脈把握 キー段落 早大・上智大・同志社大対策 情報化社会 宣伝 落語 円朝 避寒 花見 怪談物 現代文解法 接続語 2010早稲田大学教育学部現代文解説 2009早稲田大学教育学部現代文解説 2008早稲田大学政経学部現代文解説 2009早稲田大学教育学部国語解説 2008早稲田大学政経学部国語解説 入試頻出著者 2010早稲田大学教育学部国語解説 早大現代文解説 早大現代文

 

 (1)現代文(国語)で頻出の「文章並べ替え問題」をマスターしよう。

 

 最近は、早稲田大学、マーチレベル大学、関関同立などの難関大学で、「文章並べ替え問題」が流行になっています。

 今まで出題歴のない大学や学部で、突然、出題されることも、よくあります。

 従って、しっかりと対策をしておくべきです。

  

 この問題が出来ないと、全体の文脈の把握が困難になります。配点以上のダメージを受けることになります、

 しかも、本番では、本文全体のキーの部分が、文章並べ替え問題として使われることが多いので、「文章並べ替え問題」を得意分野にしておくべきです。

 

 「文章並べ替え問題」が不得意な受験生は、「文章並べ替え問題」のみを、集中的にやるようにしてください。

 短期間に「文章並べ替え問題」を集中的にやることで、解法のポイント・コツを会得することが、可能になるのです。

 しかも、その際には、志望校レベルの過去問のみを、やるようにした方が賢明です。

 良質な問題を演習しなければ、実力はつきません。

 

 「文章並べ替え問題」は、論理力や推理力のアップに有用です。

 しかも、先程述べましたように、志望大学で今まで「文章並べ替え問題」が出題されていないとしても、いつ出題されるか分からないので、油断なく準備しておくべきでしょう。

 

【「文章並べ替え問題」の解法・ポイント】

 

① 第一に、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)の全体、空欄の直前・直後の文脈にざっと目を通して、大まかな内容(文脈)を把握する。

 

② その後は、まずは、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)に集中する。 

 初めに、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)各文の中心テーマを把握。その際に、各文の接続語、指示語、文末等をチェックする。

 

③ その上で、文章のペアを作っていく。  その際には、わかるものからペアを作っていく。

 つまり、どれが「全体の最初の文章」として適切か、については、あまり気にしないようにする。

 →全部の順序を一度に確定しようとはしないことです。せっかちは禁物です。イライラしないように! 冷静第一です。地道第一です。

 最初は、「ペアを作ること」に専念するべきです。

 

④ ペアを2~3組程度作った後で、「どのペアが最初に来るか、最後に来るか」、を考える。

 その際には、「空欄(並べ替え問題の空欄)の直前・直後」と「並べ替えた文」との接続関係を精密にチェックする。

 

 以上を前提にして、早稲田大学教育学部・政経学部の過去問の演習にチャレンジしてしてください。

 演習問題の直後に、解説・解答記事があります。

 

 

(2)2010年度・早稲田大学教育学部・「旅のいろいろ」谷崎潤一郎

 

 

陰翳礼讃 (中公文庫)

 

 

 

 

 

 

 (↑「旅のいろいろ」が収録されています)

 

(問題文本文)

(青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です)

当節の宣伝は騒々しいお客を一(ひ)と纏(まと)めにして一つの地方へ掃き寄せてくれる働きがある。せんだっても和気律次郎君の話に、近来紀州の白浜が大々的の宣伝をやり出した結果、別府がすっかりさびれてしまって弱っているということであったが、もともとわれわれは、新し物好きの、一時のお調子に乗り易い国民であるから、或る一箇所が鉦(かね)や太鼓でジャンジャン囃(はや)し立てると、どッとその方へ寄り集まつて、余所(よそ)の土地は皆お留守になってしまう。そこで、そのコツを呑(の)み込んで、宣伝の裏を掻(か)くようにする、一方へ人が集まった隙(ひま)にその反対の方面へ行く、という風に心がけると、面白い旅をすることがある。何処(どこ)そことはっきり指摘するのは趣意(→「考え。目的」という意味。「意味問題」が入試頻出)に反するからいわないが、大体において、瀬戸内海の沿岸や島々などは、そういう意味で閑却(かんきゃく)(→「無視する。捨て置く」という意味。「意味問題」が頻出)されている地方ではないか。冬あの辺へ行ってみると、実にぽかぽかして暖かい。

[   D   ]

そうしてそういう心がけになれば汽車や電車の御厄介(ごやっかい)(→「読み」が頻出)にならずとも、たとえば私が住んでいるこの精道村の裏山あたりの誰も気が付かない谷あいや台地などに、却(かえ)って恰好(かっこう)(→「読み」が頻出)な花と場所とを見出だすことがあるからである。

 なおまた、これだけは大阪地方の読者諸君にそっとお知らせしたいのであるが、私は実は、桃の花の咲く時分、関西線の汽車に乗って春の大和路を眺めることを楽しみの一つに数えているのである。」(谷崎潤一郎「旅のいろいろ」)

  

ーーーーーーーー 

 

問題  空欄Dには、次のア~オの五つの文章が入る。正しい順序に並び替えよ。

 

 如才(じょさい)のない(→「如才のない」とは「気がきいて、手抜かりがない」という意味。「意味問題」が入試頻出です)鉄道省では、毎年山々の雪が融(と)けてスキーが駄目になった時分からぽつぽつ花の宣伝を始め、四月中は花見列車を出すのは勿論(もちろん)(→「読み」が入試頻出)、次の日曜には何処(どこ)が見頃とか何処が七分咲きとか一々掲示をしてくれるので、静かな花見をしたい者は、そういう場所を避けて廻ればよいことになる。

 

 阪神地方も暖かいけれども、あの辺はまたひとしお暖かく、一月の末には早(は)やちらほらと梅が咲き初めるし、蓬(よもぎ)を摘んで草餅を作ったりなどしている。

 

 私は花見が大好きで春はどうしても絢爛(けんらん)(→「読み」・「意味問題」が入試頻出)たる花盛りの景色を見ないと、春の気分を堪能(たんのう)(→「読み」・「意味問題」が入試頻出)しないのであるが、これにもやはり今のコツで行く。

 

 そのくせ、避寒の客たちは白浜や別府や熱海などへ集まってしまっているから、何処の宿屋もひっそり閑(かん)として、まことに悠々たるものである。

 

 それというのが、何も花を見るのには名所の花に限ったことはないのであって、見事に咲いたただ一本の桜があれば、その木陰に幔幕(まんまく)を張り、重詰めを開いて、心のどかに楽しむことが出来るからである。

 

ーーーーーーーー

 

(解説・解答)

上記の、

① 第一に、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)の全体、空欄の直前・直後の文脈にざっと目を通して、大まかな内容(文脈)を把握する。

 

② その後は、まずは、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)に集中する。 

 初めに、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)各文の中心テーマを把握。その際に、各文の接続語、指示語、文末等をチェックする。

 

③ その上で、文章のペアを作っていく。  その際には、わかるものからペアを作っていく。

 つまり、どれが「全体の最初の文章」として適切か、については、あまり気にしないようにする。

 

の手順に注意してください。

 

 

(1)まず、各選択肢を検討します。

 

 イ・エは「暖かい」・「避寒」でペアになり、ア・ウ・オに共通するテーマは「花見」なので、グルーピング(分類分け)が可能になります。

 

 まず、イ・エから検討します。

 エの「そのくせ」がヒントになります。

 イの「あの辺はまたひとしお暖かく、一月の末には早(は)やちらほらと梅が咲き初めるし、蓬(よもぎ)を摘んで草餅を作ったりなどしている」を受けて、「そのくせ」(それなのに)「避寒の客たちは白浜や別府や熱海などへ集まってしまっている」(エ)のである、と理解することが可能です。

 「イ→エ」のペアが確定します。

 

 次にア・ウ・オを検討します。

 オの「それというのが、心のどかに楽しむことが出来るからである」は、直前の一文のを理由になるので、オの「何も花を見るのには名所の花に限ったことはない」に対応する一文を探せばよいことになります。

 そうなると、何も花を見るのには名所の花に限ったことはない」は、アの「鉄道省では、・・・・次の日曜には何処(どこ)が見頃とか何処が七分咲きとか一々掲示をしてくれるので、静かな花見をしたい者は、そういう場所を避けて廻ればよい」に対応します。

 従って、「ア→オ」が成立します。

 ウの「私は花見が大好きで」・「これにもやはり今のコツで行く」は、「花見の基本的な方針」の表明なので、「ア→オ」の前にくることが分かります。

 よって、「ウ→ア→オ」のセットが確定します。

 

(2)次に、「これまでに作ったペア、セット」と、「空欄の直前・直後の文脈」との接続関係の確認をします。

 

 空欄直前は「大体において、瀬戸内海の沿岸や島々などは、そういう意味で閑却されている地方ではないか。冬あの辺へ行ってみると、実にぽかぽかして暖かい。」であり、

空欄直後は、「そうしてそういう心がけになれば汽車や電車の御厄介にならずとも、たとえば私が住んでいるこの精道村の裏山あたりの誰も気が付かない谷あいや台地などに、却って恰好(かっこう)な花と場所とを見出だすことがあるからである。」

となっているので、「イ→エ」→「ウ→ア→オ」が確定します。 

 

(解答) イ→エ→ウ→ア→オ

 

ーーーーーーーー

 

(谷崎潤一郎の紹介)

 

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう・1886年~1965年)日本の小説家。

初期は「耽美主義」と評価された。国内外で、近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。過去においては、ノーベル文学賞の候補になったことがあった。

代表作として、
『刺青』(→入試頻出です)『痴人の愛』『卍(まんじ)』『蓼喰う虫』『春琴抄』『陰翳礼讚』(→入試頻出です)『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』『瘋癲老人日記』などがある。

→なお、2010年度早稲田大学・教育学部では、問19として、「谷崎潤一郎の作品名(小説)を一つあげて、記せ」という問題が出題されました。谷崎潤一郎は文学史問題として頻出ですが、このような出題は珍しいです。

 

 

(3)2009年度・早稲田大学教育学部・「高坐の牡丹燈籠」岡本綺堂

 

(問題文本文)(青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です)

私は「牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」の速記本を近所の人から借りて読んだ。その当時、わたしは十三、四歳であったが、一編の眼目とする牡丹燈籠の怪談の件(くだり)を読んでも、さのみに怖いとも感じなかった。どうしてこの話がそんなに有名であるのかと、いささか不思議にも思う位であった。それから半年ほどの後、円朝が近所(麹町区山元町)の万長亭という寄席へ出て、かの「牡丹燈籠」を口演するというので、私はその怪談の夜を選んで聴きに行った。作り事のようかであるが、恰(あたか)もその夜は初秋の雨が昼間から降りつづいて、怪談を聴くには全くお誂(あつら)え向きの宵であった。
「お前、怪談を聴きに行くのかえ」と、母は嚇(おど)すように云った。
「なに、牡丹燈籠なんか怖くありませんよ」
 速記の活版本で高(たか)をくくっていた。(→「高をくくる」とは「軽くみる」という意味。今回の入試では「高」の部分が空欄になっていて、「ひらがな二字で記せ」という問題として出題されています)私は、平気で威張って出て行った。ところが、いけない。円朝がいよいよ高坐にあらわれて、燭台(しょくだい)の前でその怪談を話し始めると、私はだんだんに一種の妖気(ようき)を感じて来た。満場の聴衆はみな息を嚥(の)んで聴きすましている。伴蔵とその女房の対話が進行するにしたがって、私の頸(くび)のあたりは何だか冷たくなって来た。周囲に大勢の聴衆がぎっしりと詰めかけているにも拘(かかわ)らず、私はこの話の舞台となっている根津のあたりの暗い小さい古家のなかに坐って、自分ひとりで怪談を聴かされているように思われて、ときどきに左右を見返った。今日(こんにち)と違って、その頃の寄席はランプの灯が暗い。高坐の蝋燭(ろうそく)の火も薄暗い。外には雨の音がきこえる。それらのことも怪談気分を作るべく恰好(かっこう)(→「読み」が頻出)の条件になっていたに相違ないが、いずれにしても私がこの怪談におびやかされたのは事実で、席の刎(は)ねたのは十時頃、雨はまだ降りしきっている。私は暗い夜道を逃げるように帰った。
 この時に、私は円朝の話術の妙と云うことをつくづく覚(さと)った。速記本で読まされては、それほどに凄(すご)くも怖(おそ)ろしくも感じられない怪談が、高坐に持ち出されて円朝の口にのぼると、人を悸(おび)えさせるような凄味(すごみ)を帯びて来るのは、実に偉いものだと感服した。時は欧化主義の全盛時代で、いわゆる文明開化の風が盛んに吹き捲(まく)っている。学校にかよう生徒などは、もちろん怪談のたぐいを信じないように教育されている。その時代にこの怪談を売り物にして、東京じゅうの人気を殆(ほとん)ど独占していたのは、怖い物見たさ聴きたさが人間の本能であるとは云え、確かに円朝の技倆(ぎりょう)(→「読み」が入試頻出)に因(よ)るものであると、今でも私は信じている。
[   D   ]
「牡丹燈籠」の原本が「剪燈(せんとう)新話」の牡丹燈記であるとは誰も知っているが、全体から観(み)れば、牡丹燈籠の怪談はその一部分に過ぎないのであって、飯島の家来孝助の復讐(ふくしゅう)と、萩原の下人(げにん)伴蔵の悪事とを組み合わせた物のようにも思われる。飯島家の一条は、江戸の旗本戸田平左衛門の屋敷に起こった事実をそのまま取り入れたもので、それに牡丹燈籠の怪談を結び付けたのである。伴蔵の一条だけが円朝の創意であるらしく思われるが、これにも何か粉本(ふんぽん)(→「種本」という意味。今回の入試では、「意味」を選択問題として出題。文脈から解答が可能です)があるかも知れない。ともかくも、こうした種々の材料を巧みに組み合わせて、毎晩の聴衆を倦(う)ませないように、一晩ごとに必ず一つの山を作って行くのであるから、一面に於(お)いて彼は立派な創作家であったとも云い得る。

 (岡本綺堂「高坐の牡丹燈籠」『岡本綺堂随筆集』)

 

ーーーーーーーー

 

問題 空欄Dには、次のア~オの五つの文章が入る。正しい順序に並び替えよ。

 

ア これは円朝自身が初めてこの話を作った時に、心おぼえの為にその筋書を自筆で記しるして置いたのであるという。

 

イ 実に立派な紀行文である。

 

 春陽堂発行の円朝全集のうちに「怪談牡丹燈籠覚書」というものがある。

 

エ 円朝は塩原多助を作るときにも、その事蹟を調査するために、上州沼田その他に旅行して、「上野(こうずけ)下野(しもつけ)道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある。

 

オ 自分の心覚えであるから簡単な筋書に過ぎないが、それを見ても円朝が相当の文才を所有していたことが窺(うかが)(→「読み」・「意味問題」が入試頻出)い知られる。

 

ーーーーーーーー

 

(解説・解答) 

(1)まず、各選択肢を検討します。

 

 ウの「春陽堂発行の円朝全集のうちに「怪談牡丹燈籠覚書」というものがある。」は、具体例の提示であるから、これが最初になります。

 アの「これ」が、ウの「怪談牡丹燈籠覚書」をさすので、「ウ→ア」の接続関係が確定します。

 アの「心おぼえの為」と、オの「自分の心覚えである」・「それを見て」に着目すると、「ア→オ」の接続関係が理解できます。

 エは、「円朝は塩原多助を作るときにも」に着目すれば、「円朝が相当の文才を所有していたことが窺(うかが)い知られる」と「円朝の表現力」をかなり評価しているオの、付加的内容であることがわかります。

 「オ→エ」が確定します。

 イの「実に立派な紀行文である」は、「まとめ」の内容になっていますので、「エ→イ」が確定します。

 以上より、「ウ→ア→オ→エ→イ」のセットが、一応確定します。

 

 

(2)「このセット」と、「空欄の直前・直後の文脈」との接続関係の確認をしてください。

 

 今回は、特に直後の文脈との接続関係が問題になります。

 

オ 自分の心覚えであるから簡単な筋書に過ぎないが、それを見ても円朝が相当の文才を所有していたことが窺(うかが)い知られる。

エ 円朝は塩原多助を作るときにも、その事蹟を調査するために、上州沼田その他に旅行して、「上野(こうずけ)下野(しもつけ)道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある。

イ 実に立派な紀行文である。

(空欄の直後)「ともかくも、こうした種々の材料を巧みに組み合わせて、毎晩の聴衆を倦(う)ませないように、一晩ごとに必ず一つの山を作って行くのであるから、一面に於(お)いて彼は立派な創作家であったとも云い得る。」

の文脈の流れは、スムーズです。

 従って、このセットが正解になります。

 

(解答)  ウ→ア→オ→エ→イ

 

 

(4)2008年度・早稲田大学政経学部・『春の修善寺』岡本綺堂

 

 (問題文本文)(青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です)

 避寒の客が相当にあるとはいっても、正月ももう末に近いこの頃は修善寺の町も静で、宿の二階に坐っていると、きこえるものは桂川の水の音と修禅寺の鐘の声ばかりである。修禅寺の鐘は一日に四、五回撞(つ)く。時刻をしらせるのではない、寺の勤行(ごんぎょう)の知(しら)せらしい。ほかの時はわたしも一々記憶していないが、夕方の五時だけは確かにおぼえている。それは修禅寺で五時の鐘をつき出すのを合図のように、町の電灯が一度に明るくなるからである。

 春の日もこの頃はまだ短い。四時をすこし過ぎると、山につつまれた町の上にはもう夕闇が降りて来て、桂川の水にも鼠色の靄(もや)がながれて薄暗くなる。河原に遊んでいる家鴨(あひる)の群の白い羽もおぼろになる。川沿いの旅館の二階の欄干にほしてある紅あかい夜具がだんだんに取込まれる。この時に、修禅寺の鐘の声が水にひびいて高くきこえると、旅館にも郵便局にも銀行にも商店にも、一度に電灯の花が明るく咲いて、町は俄(にわか)に夜のけしきを作って来る。旅館は一(ひ)としきり忙しくなる。大仁(おおひと)から客を運び込んでくる自働車や馬車や人力車の音がつづいて聞える。それが済むとまたひっそりと鎮(しず)まって、夜の町は水の音に占領されてしまう。二階の障子をあけて見渡すと、近い山々はみな一面の黒いかげになって、町の上には家々の湯の烟(けむり)が白く迷っているばかりである。

 [   7   ]温泉場に来ているからといって、みんなのんきな保養客ばかりではない。この古い火鉢の灰にも色々の苦しい悲しい人間の魂が籠っているのかと思うと、わたしはその灰をじっと見つめているのに堪えられないように思うこともある。
 修禅寺の夜の鐘は春の夜の寒さを呼び出すばかりでなく、火鉢の灰の底から何物かを呼び出すかも知れない。宵(よい)っ張(ぱ)りの私もここへ来てからは、九時の鐘を聴かないうちに寝ることにした。」(岡本綺堂『春の修善寺』)

 

ーーーーーーーー

 

問 空欄7は、次の5つの文からなっている。その順序を正しく並べ替えよ。

 

イ しかし湯治客のうちにも、町の人のうちにも、色々の思いをかかえてこの鐘の声を聴いているのもあろう。

 

ロ わたしが今無心に掻(か)きまわしている古い灰の上にも、遣瀬(やるせ)ない(→「せつない。悲しい」という意味」)女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない。

 

ハ それに注意するのはおそらく一山の僧たちだけで、町の人々の上にはなんの交渉もないらしい。

 

ニ 修禅寺では夜の九時頃にも鐘を撞く。

 

ホ 現にわたしが今泊っているこの室だけでも、新築以来、何百人あるいは何千人の客がとまって、わたしが今坐っているこの火鉢のまえで、色々の人が色々の思いでこの鐘を聴いたであろう。

 

ーーーーーーーー

 

(解説・解答)

(1)まず、各選択肢を検討します。

 

 各選択肢の指示語や接続語、並列の助詞などに注目してください。

 イの「しかし」・「この鐘」・「色々の思い」、ロの「古い灰の上にも」の「も」、ハの「それ」、ホの「現にわたしが」・「色々の思い」・「この鐘」、がポイントになります。

 

 ハの「それ」は、ニの「修禅寺では夜の九時頃にも鐘を撞く」ことを、さしています。 「ニ→ハ」が確定します。

 イの「しかし」に着目して、ハの「町の人々の上にはなんの交渉もないらしい」と、イの「町の人のうちにも、色々の思いをかかえてこの鐘の声を聴いているのもあろう」の接続関係に注目します。「ハ→イ」が確定します。

 ホの「現にわたしが」・「色々の思い」・「この鐘」に着目して、「イ→ホ」の接続関係を確認します。

 ホの「この火鉢のまえで、色々の人が色々の思いでこの鐘を聴いたであろう」、ロの「古い灰の上に、遣瀬(やるせ)ない女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない」に注目して、 「ホ→ロ」を確定させます。

 以上より、「ニ→ハ→イ→ホ→ロ」が一応、決まります。

 

(2)「一応確定したセット」と、「空欄の直前・直後の文脈」との接続関係の確認

 「ニ→ハ→イ→ホ→ロ」が一応、決まりますが、「空欄の直前・直後との接続関係」を確認することを忘れないようにしてください。

 今回の問題でも、接続関係を確認してみます。

 

ホ 現にわたしが今泊っているこの室だけでも、新築以来、何百人あるいは何千人の客がとまって、わたしが今坐っているこの火鉢のまえで、色々の人が色々の思いでこの鐘を聴いたであろう。

ロ わたしが今無心に掻(か)きまわしている古い灰の上にも、遣瀬(やるせ)ない女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない。

(空欄の直後)「温泉場に来ているからといって、みんなのんきな保養客ばかりではない。この古い火鉢の灰にも色々の苦しい悲しい人間の魂が籠っているのかと思うと、わたしはその灰をじっと見つめているのに堪えられないように思うこともある。」

 

 以上を検討すると、文脈の流れは、スムーズです。

 従って、「ニ→ハ→イ→ホ→ロ」が正解になります。

 

 (解答) ニ→ハ→イ→ホ→ロ

 

 ーーーーーーーー

 

(岡本綺堂の紹介) 


岡本綺堂(おかもと きどう・1872年~1939年) は、小説家、劇作家。本名は岡本 敬二(おかもと けいじ)。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。
代表作として、
『半七捕物帳』
『番町皿屋敷』
『修禅寺物語』(→文学史問題として頻出です)
などがある。

 

 ーーーーーーーー

 

今回の記事は、終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

  

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

 

  

春の修善寺

春の修善寺

 

 

この私の参考書にも、早稲田大学政経学部等の出題の「並べ替え問題」が入っています。

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

2017センター試験国語第1問・的中報告・問題解説・科学論

科学技術 科学社会学 科学論 小林傳司 科学コミュニケーション 著者的中 東日本大震災 東日本大震災・福島原発事故 現代文明論 現代文明批判 両面的価値 科学哲学 科学と国民の関係 科学における専門家主義 科学技術のシビリアンコントロール 科学技術の民主的コントロール 教養 総合的教養 サイエンスコミュニケーション ELSI 現代文・設問重視 人工知能 人類の発展と存続 科学と人類の望ましい関係 「専門家主義」からの脱却 倫理 倫理的・法的・社会的な論点 ゴレム 両面価値的存在 コリンズ ピンチ 社会学 科学技術社会論 ドローン 最先端医療 科学技術のマイナス面 科学技術のプラス面 『トランス・サイエンスの時代』 『公共のための科学』 評論文 2017センター試験国語第1問解説 2017センター試験現代文解説 2017センター試験国語評論文解説 2017センター現代文 センター現代文

(1)当ブログの予想論点記事が2017センター試験国語[1]に的中(著者・論点)しました。

2016東大・一橋大・静岡大ズバリ的中(3大学ともに全文一致→下にリンク画像があります)に続く快挙です。うれしいことです。

 

 2016・12・13に発表した当ブログの記事(「国語予想問題『プロの裏切り・プライドと教養の復権を』神里達博」→下にリンク画像を貼っておきます)が、2017センター試験国語(現代文)問題[1](「科学コミュニケーション」・小林傳司)に、的中(著者・論点→科学論→科学コミュニケーション)しましたので、この記事で報告します。

 

 つまり、2017センター試験に、下の記事の中で紹介・解説した小林傳司氏のインタビュー記事(朝日新聞2016年3月10日(東日本大震災5年 問われる科学)「7:教訓を生かす 科学技術、社会と関わってこそ 専門家に任せすぎるな」)に強く関連した、小林氏の論考が出題されたのです。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 下の鷲田清一氏の論考は、2016年度・静岡大学国語にズバリ的中しました。

gensairyu.hatenablog.com

 

  

 「2017センター試験国語[1]の『要旨』」と「当ブログ記事・的中」の説明

 

 2017センター試験に出題された小林氏の論考の「要旨」は、以下の通りです。

 科学社会学者(コリンズ、ピンチ)の見解を引用しつつ、その主張を考察する論考です。

 現在、科学の様々なマイナス面が明らかになるにつれて、「科学が問題ではないか」という問題意識が生まれてきている。しかし、科学者は、このような問題意識を、科学に対する無知・誤解から生まれた反発とみなしがちである。

 だが、科学社会学(コリンズ、ピンチ)は、従来の科学者が持つこのような発想を批判する。科学は全面的に善なる存在ではないし、無謬の知識でもない、という。現実の科学は人類に寄与する一方で、制御困難な問題も引き起こす存在である(→科学の「両面価値的性格」)、と主張した。

 そして、科学社会学は、一般市民への啓蒙について「科学の内容ではなく、専門家と政治家やメディア、われわれとの関係について伝えるべき」と言う。
 科学社会学は、一般市民を科学の「ほんとうの」姿を知らない存在として見なしてしまっている。この「大衆に対する、硬直した態度」は、科学社会学も、従来の科学と同様である。科学社会学は、科学を正当に語る資格があるのは科学社会学としてしまう点に限界がある。

 

 センター試験の問題文本文(小林氏の論考)は、

①「科学社会学者(コリンズ、ピンチ)が科学の両面価値的性格を認めている点」は賛成していますが、

 

「『科学と一般市民の関係』についての科学社会学者の主張」については、厳しく批判しています。そして、その批判で終わっています。

 「では、どうしたら良いのか」という筆者の主張・結論が不明確なのです。

 この点で、今回のセンター試験の第一問は、一見、読みにくい問題でした。

 

 この②の問題の筆者(小林氏)の主張・結論は、まさに、朝日新聞のインタビュー記事の小林氏の見解だと思います。(以下で紹介します)


 この記事の、『(東日本大震災5年 問われる科学)「7:教訓を生かす 科学技術、社会と関わってこそ 専門家に任せすぎるな」』という見出しだけでも、ある程度のヒントになります。

 

 以下は 2016・12・13に発表した当ブログの記事(「国語予想問題『プロの裏切り・プライドと教養の復権を』神里達博」)からの引用、つまり、朝日新聞のインタビュー記事の小林氏の見解です。

 

ーーーーーーーー

 

(以下は、当ブログの前掲の記事からの引用)

専門家に望まれる態度・心掛け

「専門家主義」からの脱却

①専門家たちは、「総合的教養」・「生きた教養」を身に付ける→「専門家の相互チェック」のために

②さらに、専門家も、国民も、「民主的コントロール」を意識する→(まさに、今回のセンター試験に出題された「科学コミュニケーション」です!)

 

 ここで参考になるのは、科学哲学者である小林傳司氏の意見です。以下に、概要を