現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題『素手のふるまい アートがさぐる《未知の社会性》』鷲田清一

(1)はじめに/なぜ、この論考に注目したのか?

 

① 当ブログは以下の基本的方針で作成しています。

 

 この基本的方針は、現在も変わっていません。

 以下に、当ブログの第一回記事の「開設の言葉」を引用します。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 …………………………

 

(引用開始) 

 

(青字は当ブログによる「注」です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(以下、同じです)

 

(2)入試現代文(国語)・小論文の最新傾向ー重要な、気付きにくい2本の柱

 今現在の入試現代文(国語)・小論文の最新傾向として、注目するべきポイントとしては、2つの大きな柱があります。

 

【1】1つの柱は、「IT社会の光と影と闇」です。

 この論点・テーマは、3・11東日本大震災の前から登場していたので、割と有名ですが、最近のスマホ(スマートフォン)の爆発的な流行により、新たな論点・テーマが発生しています。

 スマホは、それまでの携帯電話とは、まるで違うものです。それだけに、プラス面、マイナス面も、携帯電話と比較して、拡大化・深刻化するのです。

 私が、「IT社会の光と影と闇」と書き、「光と影」だけにしなかったのは、事態の深刻性を強調するためです。

 

【2】もう1つの柱は、「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」です。

 「各方面」は、実に多方面にわたっています。

 入試現代文(国語)・小論文の問題を読んでいると、現代文明論(文明論)、科学批判(近代科学論・現代科学論)以外に、自己論(アイデンティティ論)・環境論・人間関係論・人生論・政治論(民主主義論等)等、「影響」が思いもしない方面にまで及んでいる事に、驚かされます。

 「影響」は、「単なる影響」のレベルでは、ありません。今までないくらいに大きく、底知れぬほど深く、長期的なものと言えます。

 

(引用終了)

…………………………… 

 

(今回の記事の記述)

 2016・2017・2018年度の入試国語(現代文)・小論文に出題された問題を概観しても、上記の傾向に変化はないようです。

 

 私は、以上のように、

「IT社会の光と影と闇」・「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」の2つの視点(入試頻出論点・流行論点)を重視して、最近の論考を読んでいます。そして、特に注目するべきものを、「予想出典」・「予想問題」として、週に1回のペースで当ブログで記事を発表しています。

 

 東日本大震災以後は、この大震災に関連するハイレベルで良質な哲学的論考が多く発表されています。

 そこで、今回の記事では、難関大学国語(現代文)・小論文対策として、鷲田清一氏の最近の論考を解説することにします。

 

② 鷲田清一氏は、ほとんどの難関大学の入試現代文(国語)・小論文で一度は出題されている、トップレベルの頻出著者です。

 

 最近では、センター試験、東大、東北大、早大、上智大等で、出題されています。

 

 鷲田氏の入試頻出著書としては、

『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、

『じぶんーこの不思議な存在』(講談社現代新書)、

『悲鳴をあげる身体』(PHP 新書)、

『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論』(ちくま学芸文庫)、

『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(ちくま新書)、

『しんがりの思想』(角川新書)、

『語りきれないこと』(角川新書)、

等があります。

 

 最近の難関大学では、

『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(ちくま新書)、

『「聴く」ことの力ー臨床哲学講座』(ちくま学芸文庫)、

『語りきれないこと』(角川新書)、

からの出題が目立ちます。

 

  最近、鷲田氏は『素手のふるまい アートがさぐる〈未知の社会性〉』を発表しました。

 「東日本大震災」以後の 「東北復興」・「日本人の意識改革」・「日本人の価値観の転換」は、鷲田氏の最近のメインテーマで、多くの論考を発表しています。

 そして、それらは、入試現代文・小論文に多数出題されています。

 本書は、その集大成とも言うべき、充実した内容になっています。

 

 その内容が難関大学現代文(国語)・小論文の問題としてふさわしいので、現代文対策、小論文対策として、このブログで紹介、解説します。

 なお、今回の記事の項目は以下の通りです。

 

(2)予想問題『素手のふるまい』/2017佐賀大学・前期日程・芸術地域デザイン学部/総合問題

(3)「コミュニティの解体」の意味、由来について

 ① 「市民の『おまかせ』構造」と、「その対策」について

 ② 「シチズン・シップ(市民力)」について

(4)「アートの力」について

(5)「わからないこと」への態度

(6)当ブログの「鷲田清一」関連記事の紹介

(7)当ブログの「東日本大震災」関連記事の紹介

 

素手のふるまい アートがさぐる【未知の社会性】

 

(2)予想問題『素手のふるまい』/2017佐賀大学・前期日程・芸術地域デザイン学部/総合問題

 


次の文章を読み、後の問いに答えよ。

 

 限られた資源と富の、適切な分配と運用を意味する「経済」は、いまや世界市場での熾烈(しれつ)なマネー・ゲームに、それを制御するすべもなく深く組み込まれている。 こういう制御不能なものの上に、わたしたちの日常生活がある。物価や株式の変動も、もろもろの格差や過疎化の進行も、流通する食材の安全性も、雇用環境や就労条件も、これに煽(あお)られ、左右される。限られた資源と富の、適切な分配と運用を意味する「経済」は、いまや殖財や投資を軸に動いており、企業活動はいまや「経世済民」(politicaleconomy)、つまりは「世を治め民を救う」という軌道から逸れている。それはもはや「経済」(経世済民)を担う公器といえる存在ではなくなっている。

 このことと同時に深く潜行するかたちで進んできたのが、私たちのコミュニティの解体である。

 私たちの共同性は、生き存(ながら)える過程をともにすることで成り立つものである。もっといえば、生き存えるために不可欠のことがら、調理、排泄物処理、出産、子育て、治療、看護、介護、看取り、防災などなどを協働しておこなうところで力をつけてきたものである。ところがこれらの《いのちの世話》ともいうべきプロセスを、人びとは行政や企業によるもろもろのサーヴィスとして消費するようになって久しい。地域から共同性が消えてゆくいちばんの要因はここにある。

 流通にあってはスーパーマーケットの大資本が地域の商店を駆逐してゆく。病の治療は医療と保険のシステムが、教育は学校制度が、ほぼ専門的にカヴァーする。このようにわたしたちの暮らしが行き届いたサーヴィス・システムの恩恵をこうむるなかで、「主(あるじ)」たるべき市民が「顧客」という受け身で無力な存在に成り下がってきた。

 そういう「命に近い仕事」を代行するシステムが停止あるいは機能不全に陥ったときに、ほとんど為す術がないのが現代社会の市民である。

 《生存の技法》がわたしたちの手からすっぽ抜けになっている。国家と市場がわたしたちの一人ひとりの「命に近い仕事」をも植民地化してくるただなかで、〈社会的なもの〉の動性をいかに回復してゆくのか

 そのとき、この失われた「命に近い」手仕事のなかにアートをどう組み込んでゆくか。不快なもの、あるいは異物をたえず押し隠してゆく「安楽」という名の感覚麻痺(まひ)が社会を覆うなか、アートはそこにどんな孔(あな)を穿(うが)つのか

 芸術から生活技術まで、スキルから作法まで《生存の技法》という文脈の中で、アートといま呼ばれているものをもう一度かき混ぜるなかで、「検証」という名のアートの自己言及をなすよりも先に、《アルス》(わざ)の始源のかたちまで立ち戻ることが、そのままアートの孕(はら)む〈未知の社会性〉が閃(ひらめ)く瞬間をみることにつながるはずだ。」

(鷲田清ー『素手のふるまいアートがさぐる〈未知の社会性〉』(朝日新聞出版、2016年)

 

(設問)

問① 「コミュニティの解体」の意味、由来を説明しなさい。 
問② 「コミュニティの維持や回復にアートを組み込む」とは、どのようなことか。説明しなさい。


   「コミュニティの維持や回復」・「新たなコミュニティの創造」には「アートの力」が不可欠ではないか?

というのが、鷲田清一氏の主張です。

 以下では、この点について、解説していきます。

 

(3)「コミュニティの解体」の意味、由来について

 

① 「市民の『おまかせ』構造」と、「その対策」について

 この論点について、鷲田氏の他の著書(『しんがりの思想 反リーダーシップ論』)が参考になるので、以下に引用します。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  以下は、上の記事の引用です。

 『しんがりの思想 反リーダーシップ論』(鷲田清一)からの引用です。

 

ーーーーーーーー

 

(引用開始)

 
(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(以下、同じです) 

「  政治や企業活動と地域社会の違いは、専従のリーダーがいないことである。政治のプロフェッショナル、つまりは職業政治家、ならびに専従の経営者にあたるものが存在しない。すでに述べたように、地方議会の議員がそれにあたるはずであったのだが、町内会や婦人会,商店街の振興会や社会福祉協議会などといった、選挙での集票機能をもった既存の団体とのパイプを使うばかりで、都市部であらたに動きだした NPO(→nonprofit organization の略。非営利の民間組織)やボランティアといった新しい市民のネットワークにうまく対応もしくは連携がとれていない大方の地方議員、残念ながら地域社会の十全な力になっているとはとてもいえない。

 地方議員のこの無力は、市民に力がついてきたからではなく、逆に、政治のプロ(であるはずのひとたち)への市民の『おまかせ』構造がますます昂じてきた結果なのである。」

(『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一)

(引用終了)

 

しんがりの思想 ―反リーダーシップ論― (角川新書)

 

 

② 「シチズン・シップ(市民力)」について

 

 「市民の『おまかせ』構造」と、「その対策」について考察するということは、「シチズン・シップ(市民力)」を考察することです。

 「シチズン・シップ」については、『パラレルな知性』(鷲田清一)の中の、以下の論考が分かりやすいので、熟読してください。

 

「  本来、大学で学ぶということは、全体を見渡し、何が一番大事なのかという『価値の遠近法』を身につけることだったはずではないか。それは平たくいえば、さまざまな事態に直面した際に、絶対に失ってはならないものと、あればいいというものと、端的になくてもいいものと、絶対にあってはならないものという四つを、即座に見分けられる力をつけることである。

 もちろん、その価値の遠近は人によって異なりはするが、本を読むなり対話をするなかで、その全体を考えられるようになる。こうした教養の基盤としての教育が失われたままに知識としての専門家ばかりになってしまった。さながら『智者』はいるが『賢者』がいない社会であろう。

 専門家社会というのは、トータルの責任を取らない社会なのである。これを裏返せば、わたしたちが市民としてどんどん劣化してきたということだとおもう。『市民社会』と言いながら、市民がきわめて無能力化している社会なのだ。大震災は、こうした姿を図らずも露わにした。

 大震災を経て、わたしたちの社会はようやく『他人に任せすぎてきた』ことに気がついた。少し自分でも勉強して自衛しなければという気運が、人びとのあいだに生まれだしているようにおもう。震災は、そういうシチズン・シップ(市民力)を喚起したのではないだろうか。」(『パラレルな知性』)

 

パラレルな知性 (犀の教室)

パラレルな知性 (犀の教室)

 

 

  「シチズンシップ(市民力)」について、同様な内容のことを、<河北新報120年>で、鷲田氏は、「東北復興」に関して、より具体的に述べています。これを読むと、より理解が進みます。

 

「  東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で私たちは、二つの『制御不能』に直面した。天災は防ぎようがないと再認識したし、原子力は人間が制御できないメカニズムだった。

 だが、制御不能は既に生活全般に及んでいる。例えば食材の流通や就労状況もグローバル市場に左右され、暮らしを翻弄している。

 これを民意で制御できる社会、いつでも立ち止まれる社会へと作り替えていくためには、どれぐらいのサイズの共同体がいいのか。そういう課題を可視化したのが『3・11』だった。

 もう『中央』対『地方』の図式で物事を捉える時代ではなくなった。昔は地方を『じかた』と読んでいた。『ちほう』という概念を捨てて『じかた』と考える方がいいと思う。(→「対策論」に入ります)

 じかたの対義語は『町方(まちかた)』。地方(じかた)は町方に食料を売り、日用品を買う。そういう循環関係、定常経済が成り立つ『藩』サイズのコミュニティーがたくさん自立分散している状態こそ、東北が目指すべき姿だろう。

 東北は『つくる』ことを大事にしてほしい。近代は生活基盤のほとんどを金で『買う』。だが、本当に安心できるのは、買わなくても誰かが助けてくれる暮らしの方だ。買う社会をつくる社会に戻す必要がある。

 誰もが公共を担う一員としての意識(→まさに、「シチズン・シップ(市民力)」です)を持ち、『市民』の名刺をもう一枚持つ東北を望みたい。行政任せではなく『みんなのもの』をみんなで担っていく。

(「地方と町方で好循環」鷲田清一〈河北新報120年〉2017年1月17日)

 

表現者たちの「3・11」―震災後の芸術を語る (河北選書)

表現者たちの「3・11」―震災後の芸術を語る (河北選書)

 

 

 ここで、「シチズン・シップ」の回復、創造において、「アートの力」がポイントになってきます。

 以下では、「アートの力」について、解説します。

 

 (4)「アートの力」について

 

① 「生きる力」としてのアート

 

  『都市と野生の思考』 (鷲田清一・山極寿一)から、ポイント部分を引用します。 

「(鷲田) だから生きる力をつけるために、コミュニケーション力をつけようみたいな話になりがちなんですが、そこでアーティストならプリコラージュする。つまり、あり合わせのものを使って自分で道具までつくり、なんとかするわけです。

(山極) 言い換えれば、自分の生活を、自分の感性と力で築き上げていく能力ですね。今のようにすべてが既製品で、人から与えられたものだけで暮らしていたら、生きている実感なんてなくなって当然です。自分では何もつくらず、選ぶだけなんだから。

(鷲田) これからは生きる力としてのアートが必要ではないかと思います。あらゆる社会的活動の中で、アートだけが目標を設定しません。それ以外の活動は、すべてマーケットや企業の論理が入り込んでいて、必ず目標が設定される。受験勉強も、大学運営も目標ありきじゃないですか。(→「目標」という「拘束」が絶対的価値を有している、現代社会の問題点を指摘しているのです。)

(山極) 確かにそうですね。

(鷲田) ところがアートはおもしろいからやる。最初からどんな絵を描くのかがわかっている画家はいない。何かおもしろいものを描きたいと、ああでもない、こうでもないとやっているうちに「いける!」となったときに、最初に考えもしなかったような作品ができる。それが生きる力の根源みたいなものでしょう。アート以外のアクティビティでは、目標が壊れたら、そこで終わりなんですよ。震災はそのことを教えてくれた。

(山極) アートは目標がないのがよいわけですね。(→ここが、ポイントです。熟考してください)

 

都市と野生の思考 (インターナショナル新書)

都市と野生の思考 (インターナショナル新書)

 

 

 上記の鷲田氏の考察は、「語源」からスタートしています。

 つまり、「芸術(art)」の語源を意識しています。 

 「art」は、本来、ラテン語の「ars(アルス)」であり、これは「生きるための技術」という意味です。

 現在、「目標」という言葉の価値が高まり、人々は何事に対しても目標を設定し、これに向かって邁進するようになっています。

 しかし、本来、「art」には、「目標」というものがなく、偶然の産物として発生する側面があります。

 「到達点が明確化していない場面で、人はどのように生きていくのか」という力がまさに、「生きるための技術」であり、「art」です。

 今はそこが軽視されているのではないかと、鷲田氏は主張しているのではないでしょうか。

 この見解は、卓見と言えます。

 私達の、ある種の思考停止状態、近代原理による拘束、悲しきマインドコントロール、を気付かせてくれるからです。

 

 このことに関連して、『素手のふるまい』の冒頭で、「アートが社会的に何の役にも立たないことにおいてのみ、社会に役立つ」という、一見、分かりにくい逆説が記述されていることに注目するべきです。

 そして、

「  東日本大震災直後、被災地に様々なアーティストが駆けつけ、人々を励ましたり、ボランティア活動を支援したりした。また、『絆』の連呼に疑問を持ち何もしないアーティストもいた。被災したひとの心を癒やすとか元気づけるというような『社会に役に立つアートという側面』だけにとどまったものだとしたら、『アート』は薄っぺらな意味しかもたないだろう」と、鷲田氏は述べています。

 これは、アートの、「生きるための技術」としての側面を強調しているのでしょう。

 

 さらに、鷲田氏は、以下のように述べています。

 「『生きるためにアートは本当に必要なのか』という問いに『素手』で向き合う姿。彼らが備えていたのは、あらかじめ共有するゴールはなくとも、ゆるやかだがもろくはない人間関係を編み、ともに何かを作り上げていく技(→多様性の重視ということです)だ。今社会に何が必要で何を立て直さないといけないのか、正解はなく、さまざまな見え方や感じ方をすり合わせていくしかない。その時に我々が持たなくてはいけない社会的態度が、アートの中にある」(『素手のふるまい』)

 

 

② 「自分たちのものだという感覚」と「アート」 

 

 「シチズン・シップ」の問題について、鷲田氏は、「若者の行動力」に期待を寄せています。


「  今の美大の卒業生は社会とリンクした活動を始める人が多い。彼らはどんどん人と交わり、お金を使わず自分の手でモノをこしらえ、面白がって社会を変えようとするタフさを持っている。・・・現代社会はあまりにも複雑で自分たちのものだという感覚が持ちにくい。だから自ら動かせるシステムを作りたいと思うのだろう。震災を契機に広がった感覚だと思う。」(『素手のふるまい』)

 

 「シチズン・シップ(市民力)」の回復、創造に「若者の行動力」が寄与する、と主張しているのでしょう。

 さらに、鷲田氏の見解を引用します。


「  アートはあらかじめ意味やコンテクストの描きこまれていない『がらんどう』から出発するものだからこそ、ゼロからコンテクストを編んでゆくという、手作り感のある運動を牽引するのだろう。このような『素手』の手法こそ、システムや制度にぶら下がらなくてもやってゆける、そのような市民力の育成のなかで生きてくるものであろう。」(『素手のふるまい』)

 
 以下は、「若者の行動力」に対する最高級の賛辞と思われます。


「  世界を転覆するとまでは言わないにしても、わたしたちがいま知っているお行儀のよい議会政治の蓋を開け、祭と祀と政とが不可分であったような『まつりごと』の次元へと測鉛を下ろし、社会秩序のフォーマットを根底から書き換えようという野心に突き動かされていると見えるものもある。」(『素手のふるまい』)

 

 このような芸術家の活動は、新たな「民主主義」・「自由主義」へのチャレンジ、表現とも言うべきものでしょう。

 

「  各自が各自の感受性に素直でいようとしていた。集まった人たちのゆるやかなイメージの交換と調整のなかで、つまり、最後までたがいの差異を解消しないまま、それでも最後はこれ以外にはないという一つのところへもってゆけた。これは、同一のイメージを共有するという形でみなが結集すること(→全体主義的傾向、集団主義的傾向です)対極にあるいとなみである。集団を、内部に向けて集結させるのではなく、未知のものへと開いてゆくこと。

 たがいに差異(→多様性)を深く内臓したまま、ゆるやかではあるがけっして脆くはない紐帯(→「絆」です)をかたちづくること。そういう〈未知の社会性〉の芽ばえに、〈自由〉の新しい形の生成(→自由主義重視)に、彼らは賭けていたのではないか。」(『素手のふるまい』)

 

 『おとなの背中』の中でも、鷲田氏は、「自由主義重視の見解」を述べています。

 

「  東日本大震災後、『幽霊のように』流通している言葉に『絆』がある。『絆』はもともと『動物をつなぎとめる綱』を意味する。何か具体的に必要かが見えるときに比喩の言葉を必要とするとは思えない。とすれば、『絆』言論を生業とする人たちのあいだで流通している言葉のように思える。

 『つながり』を否定する人はいないから、反対できない匿名の言葉として流通しているだけではないか。

 他者とのあいだに存在する差異(→多様性)を知ることは痛い認識であるが、それを通してでしか本当に必要なものは見えない。『絆』という言葉の被いは、多様性の前提となる差異の存在を覆い隠すものになってはならない。(→ここでは、「絆」の危険な側面を指摘しているのです。)

 

おとなの背中 (単行本)

おとなの背中 (単行本)

 

 

 以上のように『素手のふるまい』は、鷲田氏の臨床哲学者として力量が、存分に発揮された良書です。

 これからの入試頻出著書となる可能性が高いと思われます。

 以下に、Web 上の【Book 紹介】を引用します。

 

「  阪神大震災、東日本大震災、原発事故をへて、 臨床哲学者はアートが社会とどのようにかかわるのかを問い続けた。 

 藝大生ふたりは被災地支援の記録と報告会を行い、写真家は東北の村に入って新しい制作に取り組む。世界的に活躍する美術家によるインスタレーション(仮設構築物)、陶芸家の無人タコツボ販売所、美術家の焚き火の集い、工芸家による建築物のウクレレ化保存計画・・・・美よりもなによりも面白さにひかれて始まるアートのさまざまな動きを具体的に見ながら問いかける━━現代社会の隙間で『新しい社会性』はどのように胎動していくのか。

 人間の生きる技術としてのアートは教育、ケアの領域でも核になるのではないか。弛(ゆる)さ、弱さ、傷つきやすさ(→これらも「多様性」の問題です)をそのまま保持する勁(つよ)さとはどのようなものか。わかりやすさに負けず、いかに『わからなさ』(→多様性)を社会とアートの連帯の綴じ目にできるのか。

 芸術から生活技術まで、スキルから作法まで、《生存の技法》の文脈のなかで、素手でこじあけるアートが教育やケアの領域を横断し、未来の予兆を手探りする。これからの日本に必要な人間の生きる技術=『生存の技法』としてのアートと社会との錯綜した関係を読みほどく、臨床哲学者の注目の刺激的評論エッセイ。」

 

 「アート」について、鷲田氏は本書の最後で次のように述べています。

 「多様性維持のためのアートの役割」についての考察です


「  人びとが固まりはじめたら、人びとをつなぐシステムが凝固しはじめたら、すぐに溶剤をかける。固まるものから、たえずすり抜ける。糾合しようという動きにたえず抗う。そのようにいつもシステムの外部に片足を掛けていようとする人は、システムから外されてきた人たちの輪にもたやすく入っていける。

 そして、わたし(たち)の存在を塞ぐもの、囲い込むもの、凝り固まらせるものへの抗いとしてこそ、アートはある。他者との関係、ひいては自己自身との関係をたえず開いておくために、そこにすきまをこじ開ける動性として、アートはある。

 とすれば、生を丸くまとめること(→全体主義、集団主義)への抗いとして、アートはいつも世界への違和の感覚によって駆動されているはずである。そしてそれがまた、システムにぶら下がらなくても生きてゆける、そんな力の育成(→「シチズン・シップ(市民力)」の育成)につながるはずである。そう、《生存の技法》に、である。」(『素手のふるまい』)

 

 (5)「わからないこと」への態度

 

 この点について、鷲田氏の見解を、以下に、確認的に引用します。

「  そもそも人の智慧というのは、わからないものに直面したときに、答えがないまま、つまりはわからないままに、それにどう正確に処するかにあると言ってよい。イデオロギーとはだれも正面だっては反対できない思想のことだと、最初に行ったのは柄谷行人だと記憶するが、いまわたしたちの社会に流通している『エコ』『多様性』『安心・安全』『コミュニティ』『コミュニケーション』『イノヴェーション」(などの観念は、それを仔細に吟味すればさまざまの不整合や撞着に突き当たるはずなのに、さらなる吟味を抑圧し、それに対して正面からは異を唱えさせなくする思考の政治力学が根深く働いている。わたしたちの思考を催眠状態に置くような力学である━━『アート』もまたこの力学に巻き込まれており、それがイデオロギーというべきこうした範疇の諸観念と安易に接合することに抗って、わたしはこの原稿を書いている━━。そして、思考を停止させたまま、含みもなければ曲折もない、そんな単純な物言いが、あるいは不満や不安の強度を単純に高めるだけの粗雑な物言いが、言論の表面を厚く覆っている。屈折もなければ否定による媒介もないそうした思考には、他の人びとの思考の痙攣との過剰な同調はあっても、それをわからないままに抱え込んでいられる奥行きはない。あるいは、すぐには解消されない葛藤の前でその葛藤にさらされ続ける耐性というか、ためがない。

 しかし、個人の人生であれ国家の運営であれ、そこでほんとうに重要なことは、すぐにはわからないけれども大事なことを見さだめ、それに、わからないまま正確に対処するということである。」 (『素手のふるまい』)

 

(6)当ブログの「鷲田清一」関連記事の紹介

 

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(7)当ブログの「東日本大震災」関連記事の紹介


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ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

   

 

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素手のふるまい アートがさぐる【未知の社会性】

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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現代文最新頻出順キーワード入試問題集

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2018センター国語第2問(小説)解説/小説の純客観的解法

(1)はじめに


 息子の死、悲しみ、妻と夫の暗い対立、夫の死、孤独な妻、思い出、見たことがないのに眼前に出現した高校時代の夫の幻影、センチメンタルな結末、人生の鮮烈な一場面。
 2018センター試験小説は、題材(井上荒野)も設問もオーソドックスな良問だと思います。
 「キュウリいろいろ」は、2000センター試験の『鼠』(堀辰雄)に似た風合いの、センチメンタルな、読むべき小説です。

 

 なお、今回の項目は以下の通りです。

(2)「センター小説」解法/はじめに/「センター小説」をめぐる問題点を指摘する

(3)小説問題を得意分野にしよう→なぜ、小説問題は不得意分野になりやすいのか?→問題点と対策

(4)小説問題解法のポイント・注意点

(5)センター試験・小説問題の解法のポイント・コツ

(6)2018センター試験国語第2問(小説)「キュウリいろいろ」(『キャベツ炒めに捧ぐ』所収)解説/問題本文概要・設問・解説・解答

(7)井上荒野氏の紹介

(8)当ブログの「小説解法」関連記事の紹介

 

 

(2)「センター小説」解法/はじめに/「センター小説」をめぐる問題点を指摘する

 

 以下の(2)~(5)は、「センター小説満点のコツ・ポイント/解説・小説の純客観的解法」からの引用です。

 

gensairyu.hatenablog.com

 


 浪人生に敗因を聞くと、センター試験でも、難関大学入試でも、小説問題が敗因だったという声が多いことに驚きます。

 確かに、小説問題は、国語(現代文)の中でも特に解きにくい側面があります。

 

 主観的文章を客観的に読解・分析する作業は、日常的に慣れている精神的活動ではありません。

 しかし、この作業は、「設問に寄り添って考えること」、「筆者の立場に立ち、筆者の心情に寄り添えばよい」だけです。

 「この作業」に「慣れ」さえすれば、よいのです。

 ただ、この作業の手順マニュアルは、あまり普及していないようです。

 その理由として考えられるのは、大学受験の現場に蔓延中の「主体的な読み」という、受け狙いのキャッチコピーです。

 主体的に読むのは当然です。わざわざ言うことではない、無意味な言葉です。このキャッチコピーの誤解が「客観的読解軽視」、「設問軽視」の元凶でしょう。

 問題は、「主体的な読み」という受験界の神話から、いかに脱却するか、でしょう。

 

 ここで問題にしているのは、一部の、大衆受けを狙う指導者、解説書、組織がこの神話を大々的に掲げていることです。

 このキャッチコピーが、ある程度の支持を得ているということは、過度の「個性重視」・「アイデンティティ重視」という歪んだ世間の風潮が背景にあるのでしょうか。

 

 話題を元に戻します。

 ともあれ、少し工夫することで、つまり、対策を意識することで、小説問題を得意分野にすることが、可能です。

 あきらめないことが肝心です! 

 

 センター本番では、平均点が5~6割になるように、基礎的・標準的問題を多くしているのです。

 その点で、受験生に親切な問題とも言えるのです。

 受験生の実力を信用していないとも言えますが。

 

(3)小説問題を得意分野にしよう→なぜ、小説問題は不得意分野になりやすいのか?→問題点と対策

 

①苦手意識、その対策

 センター小説に苦手意識を持っている受験生が多いようです。固い内容の小説自体に苦手意識を持っているのでしょう。

 日常的に固い内容の小説を敬遠していることと、高校の指導方法・教科書に問題があるようです。

 高校において、固い内容の小説の読解の時間が少なすぎるのではないでしょうか。

 対策としては、日頃から意識して、娯楽小説・エンターテイメント小説以外の小説を読むようにするとよいでしょう。

 

②解説書、指導者の問題点、その対策

 センター小説は、それほどハイレベルではありません。

 私は、問題は解法書と指導者にあるように感じています。

 つまり、不必要に複雑化して解説している解説書が、「小説問題は案外とハイレベル」「小説問題は悪問が多い」という風潮を助長している感じです。

 そして、自分で考えることをしないで、それを参考にしている指導者が、そのような風潮を助長しているように思います。

 受験生レベルでも、問題を熟読して自分で考えると、基礎的問題が多いことが分かるはずです。

 従って、複雑化の著しい解説に出会った時には、解説書を疑うことも必要だと思います。

 センターの本番の小説問題で、無意味に複雑な設問は一度も出題されたことはないのですから。

 
③模擬問題・模擬試験問題の問題点、その対策

 センター演習は過去問のみにするべきです。模擬問題はレベル・内容の点から、やらない方が賢明です。

 模試は時間内にやる訓練のみに有効です。自分にとって分かりにくい設問を飛ばす訓練のために。

 時間が余ったら、飛ばした問題をやり直してみるとよいでしょう。

 模擬試験の小説問題の復習は、単語チェックくらいにしてください。丁寧な復習は時間の無駄です。

 

 センター過去問は直近から遡り、最近の傾向を知るとよいでしょう。最近は、見事に易化しているのです。特に、小説問題は、平易になっています。

 生徒のレベル低下に合わせて、一定の平均点を確保するためだと思われます。

 ちなみに、生徒のレベル低下は、小・中・高の国語の授業時間数の低下に関連しています。今の受験生は「ゆとり教育」・「総合学習」等という、基礎学科の授業時間を減少する「教育実験」の犠牲者になっています。

 「教育の場」での「実験」は、生徒にとって迷惑でしか、ありません。生徒の親等は、積極的に反対の声を上げるべきでしょう。国民レベルの議論も必要でしょう。

 センター現代文 は時間が壁になっています。

 しかし、論理的に効率的に処理すれば満点も可能なのです。

 あきらめないことが肝心です! 

 

 (4)小説問題解法のポイント・注意点

 

 センター試験の国語では毎年出題されます。

 難関国公立・私立大学では頻出です。

 また、難関国公立・私立大学の小論文の課題文として、出題されることもあります。

 

 小説問題については、「解法(対策)を意識しつつ、慣れること」が必要となります。

 本来、小説は、一文一文味わいつつ読むべきです。国語自体が本来は、そういうものです。

 が、これは入試では、時間の面でも、解法の方向でも、有害ですらあります。

 あくまで、設問(そして、選択肢)の要求に応じて、主観的文章を設問の要求に応じて、純客観的に分析しなくてはならないのです。(国語を純客観的に分析? これ自体がパラドックスですが、ここでは、この問題には踏み込みません。日本の大学入試制度の問題点です。)

 

 この点で、案外、読書好きの受験生が、この種の問題に弱いのです。

 ただ、読書好きの受験生は、語彙力があるので、あとは、問題対応力を養成すればよいのです。

 それほど心配する必要はありません。

 「入試問題の要求にいかに合わせていくか」という方法論を身に付けること、つまり、小説問題に、「正しく慣れる」ことで、得点力は劇的にアップするのです。

 そこで、次に、「小説問題の解法のポイント」をまとめておきます。

 
【1】5W1H(つまり、筋)の正確な把握

 

① 誰が(Who)     人物

 

② いつ(When)      時

 

③ どこで(Where) 場所

 

④ なぜ(Why)   理由→これが重要

(→必ず、理由の記述は傍線部の近くにあるので、心配する必要はありません。小説家としても、「ある行為・心理の理由」を説得力豊かに、リアリティを感じさせるように記述することは、腕の見せ所なのです。従って、「理由の記述」は、傍線部の近くにあるものなのです。このことは、覚えておくべきことです。)

 

⑤ なにを(What)    事件

 

⑥ どうした(How) 行為

 

 上の①~⑥は、必ずしも、わかりやすい順序で書いてあるとは限りません。

 読む側で、一つ一つ確認していく必要があります。

 

 特に、④の「なぜ(理由)」は、入試の頻出ポイントなので、注意してチェックすることが大切です。

 

【2】人物の心理・性格をつかむ

 

① 登場人物の心理は、その行動・表情・発言に、にじみ出ているので、軽く読み流さないようにする。

② 情景描写は、登場人物の心情を暗示的・象徴的に提示している場合が多いということを、意識して読む。

③ 心理面に重点を置いて、登場人物相互間の人間関係を押さえていく。

④ 登場人物の心理を推理する問題が非常に多い。その場合には、受験生は自分をその人物の立場に置いて、インテリ的に(真面目に、さらに言えば、人生重視的に)、一般的に、考えていくようにする

⑤ 心理は、時間とともに流動するので、心理的変化は丁寧に追うようにする。

⑥ 気持ちを表している部分に傍線を引く。登場人物の心情を記述している部分に、薄く傍線を引きながら本文を読むことが大切です。

 

  以上を元に、「いかに小説問題を解いていくか」を以下で解説していきます。

 

 

(5)センター試験・小説問題の解法のポイント・コツ

 

【1】本文熟読の前に、先に、本文以外の、本文のリード文・設問・本文の「注」などをチェックして設問の全体像を把握する。

 

 センター試験の小説問題の本文は、難関大学の小説問題以上の長文の場合が多いのです。

 そこで、センター試験小説問題を効率的に解くための1つ目のコツは、本文を読む前に本文以下の、本文のリード文・設問(特に、設問文)・本文の「注」に目を通すことです。

 すぐにこれらに目を通し、「何を問われているか」を押さえてください。

 「設問で問われていること」を意識しつつ、本文を読むことで、時間を短縮化することができます。

 

【2】消去法を、うまく使う

 

 センター試験の小説問題の選択肢は、最近は、少々、長文化しています。

 しかし、明白な傷のある選択肢が多いので、消去法を駆使していくことで、効率的に処理することが可能です。

 この点については、上記のリンク画像のほかに、下のリンク画像も参考にしてください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 【3】傍線部説明問題については、傍線部自体に注目する

 

 このことは、案外と盲点になっているようです。

 

キャベツ炒めに捧ぐ (ハルキ文庫 い 19-1)

 

(6)2018センター試験国語第2問(小説)「キュウリいろいろ」(『キャベツ炒めに捧ぐ』所収)解説/問題本文概要・設問・解説・解答

 

 

①問2(本文概要・設問・解説・解答)

 

「次の文章は、井上荒野の小説「キュウリいろいろ」の一節である。郁子は三十五年前に息子を亡くし、以来夫婦ふたり暮らしだったが、昨年夫が亡くなった。以下は、郁子がはじめてひとりでお盆を迎える場面から始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。」


(本文概要)

 郁子はキュウリで二人を迎える馬を作る。息子(草)が亡くなってから、三十五年間、ずっとそうしてきた。

 足の速い馬は仏様がこちらへ来るときに、足の遅い牛は仏様が向こうへ戻る時にのっていただくのだという。

 息子(草)が亡くなってから、三十五年間、ずっとそうしてきた。

 馬に乗って帰ってきてほしかったし、一緒に連れていってほしかった。あるとき、それを夫に打ち明けてしまったことがある。君はほんとにそういうことを熱心にやるねと、からかう口調で言われて、腹が立ったのだ。あの子と一緒に乗っていけるように、立派な馬を作っているのよ。言った瞬間に後悔したが、遅かった。夫は何も言い返さなかった。ただ、暗い、寂しい顔になった。

 後悔はしたのだ、いつも。だが、憎まれ口が飛び出す。そういうことが幾度もあった。一度だけ、夫から「別れようか」と言われたことがあった。

 別れようか。俺と一緒にいることが、そんなにつらいのなら・・・・。

 いやよ。郁子は即座に答えた。

 あなたは逃げるつもりなのね? そんなの許さない。わたしは絶対に別れない。

 息子の死、息子の記憶に、一人でなんかとうてい耐えきれるはずがない。だから、昨年、夫が亡くなった時には怒りがあった。とうとう逃げたのね、と感じた。怒りは悲しみよりも大きいようで、どうしていいかわからなかった。

 キュウリの馬を二人分作った郁子は、息子の写真を見、それから夫の写真を見た。帰りの牛がないけれど、べつに帰らなくたっていい、と思う。馬に乗ってきて、 そのままずっとわたしのそばにいればいい。A  写真の俊介が苦笑したように見えた。郁子は、俊介(夫)の高校の同級生からの依頼により、名簿に載せる夫の写真を整理している。亡くなる前の夫のスナップ、その愉しげな表情が、自分と喋っている時だと教えられ嘘だわと思い、本当かしらとも思った。

ーーーーーーーー

 

(設問・解説・解答)

問2 傍線部A「写真の俊介が苦笑したように見えた」 とあるが、そのように郁子に見えたのはなぜか。その理由として最も適当なものを一つ選べ。

①キュウリで馬を作る自分に共感しなかった夫を今も憎らしく思っているが、そんな自分のことを、夫は嫌な気持ちを抑えて許してくれるだろうと想像しているから。

② 自分が憎まれ口を利いても、たいていはただ黙り込むだけだったことに、夫は後ろめたさを感じながら今も笑って聞き流そうとしているだろうと想像しているから。

③ かつては息子の元へ行きたいと言い、今は息子も夫も自分のそばにいてほしいと言う、身勝手な自分のことを、夫はあきれつつ受け入れて笑ってくれるだろうと想像しているから。

④ 亡くなった息子だけではなく夫の分までキュウリで馬を作っている自分のことを、以前からからかったときと同じように、夫は今も皮肉交じりに笑っているだろうと想像しているから。

⑤ ゆったりとした表情を浮かべた夫の写真を見て、夫に甘え続けていたことに今さら気づいた自分の頼りなさを、夫は困ったように笑っているだろうと想像しているから。


ーーーーーーーー

 

(解説・解答)

問2(傍線部説明問題・理由説明問題) 

 今回の問題は、「前書き」で説明されている状況を把握してから、熟読を開始する必要があります。

 傍線部 A は前段落の記述を受ける形となっています。
 仏様がこちらに来る時に乗るキュウリの馬を、息子と夫に一頭ずつ作った一方で、戻る時に乗る牛を作らなかったことについて、「べつに帰らなくたっていい」「そのままずっとわたしのそばにいればいい」と思った自分の心情。

 こうした話の流れのあとに傍線部Aがきています。
 写真の俊介が苦笑したように見えた理由が問われているわけですが、「そのように郁子に見えた理由」が問われていることに注意してください。

 郁子の心情は、直前の「馬に乗ってきて、 そのままずっとわたしのそばにいればいい」に直接的に表現されています。これを夫が生きていて聞けば 、またいつものようにからかうだろうが、亡くなっている夫は写真の中で「苦笑」したように見えたのです。

 つまり、郁子は、非現実的な「わがままなお願い」をする自分のことを、夫はあきれつつも笑って許してくれるだろう、という思いで写真を見たということです。

 こうした説明になっているのは③です。
 正解の③は、「かつては息子の元へ行きたいと言い、 今は息子も夫も自分のそばにいてほしい」と言う「身勝手さ」が、本文に記述されています。
 後半の「夫はあきれつつ受け入れて笑ってくれるだろう」という説明は、「苦笑したように見えた」という郁子の心情として適しています。
 これが正解です。

①は、「夫を今も憎らしく思っている」が本文に書かれていません。

②は、「夫は後ろめたさを感じながら」が本文から読み取れません。

④は、少々紛らわしいです。しかし、「夫は今も皮肉交じりに笑っているだろう」とする根拠は、ありません。「苦笑」という表現にも沿っていません。

⑤は、「夫に甘え続けていたことに今さら気づいた自分」という部分が誤りです。郁子はこのように自分自身を認識していません。

(解答)③

 

 ーーーーーーーー

 

②問3(本文概要・設問・解説・解答)

(本文概要)

 35行目より場面が転換。郁子が、電車で実家近くの駅に向かう場面です。 

 リュックを背負った中高年の一団に押し込まれるように車内の奥に移動すると、B  少し離れた場所に座っていた若い女性がぱっと立ち上がり、わざわざ郁子を呼びに来て、席を譲ってくれた。どうもありがとう。面食らいながらお礼を言って、ありがたく腰を下ろした。

 その女性は、男性と二人連れで、恋人同士か、夫婦になったばかりの二人のようだ。

 三十数年前、ちょうど今の女性くらいの年の頃、同じ電車に乗って同じ場所を目指していたことがあった。あのときも郁子は席を譲られたのだった。譲ったのは年配の男性だった。その男性の妻が郁子の隣に座ったので、その前に俊介とその男性が立つ。何ヶ月くらいですか? と男性の妻が郁子に訊(たず)ね、四ヶ月ですと郁子は答えた。よくおわかりになりましたね、と俊介が単純に不思議がっている口調で言った。郁子のお腹(なか)はまだほとんど目立たない頃だったから。経験者ですから、と男性の妻は笑い、奥さんじゃなくてご主人の様子を見ていればわかります、と男性が笑ったのだった。


ーーーーーーーー


(設問)

問3 傍線部B「少し離れた場所に座っていた若い女性がぱっと立ち上がり わざわざ郁子を呼びに来て、席を譲ってくれた」とあるが、この出来事をきっかけにした郁子の心の動きはどのようなものか。その説明として最も適当なものを一つ選べ。


① 三十数年前にも年配の夫婦が席を譲ってくれたことを思い起こし、他人にもわかるほど妊娠中の妻を気遣っていた夫とその気遣いを受けていたあの頃の自分に思いをはせている。

② 席を譲ってくれた年配の夫婦と気兼ねなく話した出来事を回想し、いま席を譲ってくれた女性が気を遣わせまいとわざわざ離れた場所に移動したことに感謝しつつも、物足りなく思っている。

③ まだ席を譲られる年齢でもないと思っていたのに譲られたことに戸惑いを感じつつ、以前同じように席を譲ってくれた年配の男性の優しさを思い起こし、若くて頼りなかった夫のことを懐かしんでいる。

④ 席を譲ってくれた女性と同じくらいの年齢のときにも、同じくらいの時間帯に同じ場所を目指して、夫と電車に乗っていて席を譲られたことを思い出し、その不思議な巡り合わせを新鮮に感じている。

⑤ 若い女性が自分に席を譲ってくれた配慮が思いもかけないことだったので、いささか慌てるとともに、同じようなことが夫と同行していた三十数年前にもあったのを思い出し、時の流れを実感している。


ーーーーーーーー


(解説・解答)
問3(傍線部説明問題)

  B 少し離れた場所に座っていた若い女性がぱっと立ち上がり わざわざ郁子を呼びに来て、席を譲ってくれた。

「この出来事をきっかけにした郁子の心の動き」が問われているので、傍線部B直後の内容を押さえていきます。

 42~47行目に書かれている、「三十数年前の同じような出来事の回想」を正確に把握できればよいでしょう。

①は、「三十数年前にも年配の夫婦が席を譲ってくれたことを思い起こし」の部分は本文に合致しています。次に、「他人にもわかるほど妊娠中の妻を気遣っていた夫」も正しいです。

①は過去への回想を的確に表現しているため正解です。
 
なお、「他人にもわかるほど」は「気遣っていた夫」を修飾しています。これは「奥さんじゃなくてご主人の様子を見ていればわかります」といった男性の言動から明白です。

②は、最後の「物足りなく思っている」が、本文に記述がなく、誤りです。

③は、「若くて頼りなかった夫のことを懐かしんでいる」が誤りです。夫は妊娠した郁子を気遣っていたので、「若くて頼りなかった」という説明は不適切です。

④は、「不思議な巡り合わせを新鮮に感じている」という部分が誤りです。ここでの中心は、夫と自分の関係を回想することです。

⑤は、 「時の流れ実感している」が誤りです。ここでは「時の流れ」を実感することは、郁子の心情の中心ではありません。

(解答) ①

 

ーーーーーーーー

 

③問4(本文概要・設問・解説・解答)

 

(本文概要)

 電車に乗ったのは、同級生から、高校の名簿用に夫の写真をかりたいと依頼を受け、夫の写真を、夫の同級生に届けるためだった。
 持参した写真は、結婚したばかりの若い頃のから、亡くなった年のものまでに渡っている。
 照れくさそうに微笑み、いかにも愉しげに笑ったり、熱心に何かを注視してる写真。こんなに幸福そうな俊介の写真が、これほどたくさんあるなんて。しかも、草が死んだ後も撮られている。
 たしかに、草が亡くなってしばらくは二人とも家に閉じこもり、写真とは無縁だった。それでも、いつしか外出し、笑うようにもなっていったのだ。植物が伸びるように人間は生きていく以上は笑おうとするものだ。
 そのことをあらためて写真の中にたしかめると、それはやはり強い驚きになった。郁子自身も笑って、俊介と微笑み合ってすらいる。C  郁子はまるで見知らぬ誰かを見るようにそれらを眺め、それが紛れもない自分と夫であることを何度もたしかめた。

 

ーーーーーーーー

 

(設問)
問4 傍線部C「郁子はまるで見知らぬ誰かを見るようにそれらを眺め、それが紛れもない自分と夫であることを何度でもたしかめた。」とあるが、その時の郁子の心情はどのようなものか。 その説明として最も適当なものを、一つ選べ。

① 息子を亡くした後、二人は悲しみに押しつぶされ、つらい生活を送ってきた。しかし、写真の二人からはそのような心の葛藤は少しも見いだすことができず、そこにはどこかの幸せな夫婦が写っているとしか思われなかった。

② 息子を亡くした悲しみに耐えて明るく振舞っていた夫から、距離をとりつつ自分は生きてきたと思っていた。しかし、案外自分も同様に振る舞い、夫に同調していたことを、写真の中に写った自分たちの姿から思い知った。

③ 息子の死後も明るさを失わない夫に不満といらだちを抱いていたが、そんな自分も時には夫のたくましさに助けられ、夫とともに明るく生きていた。写真に写った自分たちのそのような様子は容易には受け入れがたく思われた。

④ 息子の死にとらわれ、悲しみのうちに閉じこもるようにして夫と生きてきたと思っていたが、自分も夫も知らず知らず幸福に向かって生きようとしていた。写真に写るそんな自分たちの笑顔は思いがけないものだった。

⑤ 息子の死に打ちのめされた二人は、ともに深い悲しみに閉ざされた生活を送ってきた。互いに傷つけ合った記憶があざやかであるだけに、写真に残されていた幸福そうな姿が自分たちのものとは信じることができなかった。


ーーーーーーーー


(解説・解答)

問4(傍線部説明問題)

 この問題は、傍線部を含む段落が理解できていれば、解けます。特に、「植物が伸びるように」以下の詩的な比喩の理解を問うているのでしょう。


 郁子の見ている写真に関しての説明は56行目から始まります。
 「十数枚の写真」を見ながら、郁子は「強い驚き」を感じました。
 「草が亡くなってしばらくは二人とも家に閉じこもり、写真とは無縁だったこと」(64行目)と、
「写真に写っている、いかにも幸福そうな夫・俊介の顔や郁子自身の笑顔」(67・68行目)、
という二つの間の大きな落差に「強い驚き」を感じているのです。

 このために、その写真に写っている「自分と夫の姿」は、「まるで見知らぬ誰か」であるように感じられたわけです。

 このことを説明している④が正解になります。

 まず、前半は問題は、ありません。
 次に、「自分も夫も知らず知らず幸福に向かって生きようとしていた」は、本文の「植物が伸びるように人間は生きていく以上は笑おうとするものだ」と同趣旨です。

 

①は、後半の「そこにはどこかの幸せな夫婦が写っているとしか思われなかった」が誤りです。傍線部Cにあるように、郁子は、写真は自分たち夫婦であることを確認しています。

②は、「案外自分も同様に振る舞い、夫に同調していた」が誤りです。本文にこのような記述はありません。

③は、「時には夫のたくましさに助けられ」が本文に根拠がなく、誤りです。

⑤は、「互いに傷つけ合った記憶があざやかであるだけに」が本文に根拠がなく、誤りです。
(解答) ④

ーーーーーーーー

 

④問5(本文概要・設問・解説・解答)

 

(本文概要)

 夫の実家に近い駅で、夫の元同級生に待ち合わせ。白髪の上品そうな男性・石井さんは自転車で来ていて、二人乗りさせてくれる。

 行き先は俊介の故郷、同級生の石井さんが自転車に乗せて案内する。

 郁子がこの町に来たのは一度だけだった。その時も、駅から俊介の実家へ行く以外の道は通らなかった。それでも、自転車で行き過ぎる風景のところどころに懐かしさや既視感を覚えて郁子ははっと目を見開いた。

 十分も走らないうちに学校に着いた。

 しばらく外から眺めてから、正門から正面の校舎まで続くケヤキ並木を通り、裏門へ出た。守衛さんに話せば校内の見学もできると、石井さんは言ったが、D  その必要はありませんと郁子は答えた。何かを探しに来たわけではなかったし、もしそうだとしても、もうそれを見つけたような感覚があった。

 かつて俊介から聞いていた、その高校時代の話。

 頭の中に思い描いていた男子校の風景が、眼前にあらわれたのだという気がした。
それが、長い間、夫を憎んだり責めたりしている間も、自分の中に保存されていたことに郁子は呆然とした。呆然としながら、詰め襟の学生服を着た十六歳の俊介が、ハードルを跳ぶ女子学生たちを横目に見ながら校庭を横切っていく幻を眺めた。

 

ーーーーーーーー


(設問)
問5 傍線部D「その必要はありませんと郁子は答えた」とあるが、このように答えたのはなぜか。その説明として最も適当なものを、一つ選べ。

①夫の実家のある町並みを経て、彼が通った高校まで来てみると、校内を見るまでもなく若々しい夫の姿がありありと見えてきた。今まで夫を憎んでいると思い込んでいたが、その幻のあまりのあざやかさから、夫をいとおしむ心の強さをあらためて確認することができたから。

② 自分の心が過去に向けられ、たった一度来たきりで忘れたものと思っていた目の前の風景にも懐かしさや既視感を覚えるほどだった。高校時代から亡くなるまでの夫の姿が今や生き生きとよみがえり、大切なことは記憶の中にあるのだと認識することができたから。

③ 夫が若い頃過ごした町並みや高校を訪ねるうちに、いさかいの多かった暮らしの中でも、夫のなにげない思いや記憶を受け止め、夫の若々しい姿が自分の中に刻まれていたことに気がついた。そのような自分たち夫婦の時間の積み重なりを実感することができたから。

④ 長年夫を憎んだり責めたりしていたが、夫が若い日々を過ごした町並みを確認してゆくうちに、ようやく許す心境に達し、夫への理解も深まった。目の前にあらわれた若い夫の姿に、夫への感謝の念と、自分の新しい人生の始まりを予感することができたから。

⑤ 長く苦しめながら頼りにもしてきた夫が、学生服姿の少年として眼前にあらわれ、今は彼のことをいたわってあげたいという穏やかな心境になった。自分と夫は重苦しい夫婦生活からようやく解放されたのだということを、若き夫の幻によって確信することができたから。

ーーーーーーーー


(解説・解答)

問5(傍線部説明問題・理由説明問題)

 まず傍線部の確認をします。
 「その必要」の指示対象は「校内見学の必要性」です。
 次に、「その必要がない理由」は「何か探しに来たとしても、もうそれを見つけたような感覚があったから」と言う趣旨の記述が本文にはあります。
 そして、本文の最終部分には「夫を憎んだり責めたりしている間も、頭の中に思い描いていた俊介の高校時代の風景が自分の中に保存されていたことに郁子は呆然とした」と記述されています。

 このような本文の記述から、郁子の心情をどのように考えるかが問題になっています。

 

 さらに、消去法も併用して、解いていきます。

①は、最後の「夫をいとおしむ心の強さをあらためて確認することができた」の部分が誤りです。郁子は、夫に対して単純に「いとおしむ心の強さ」だけを持って生きてきては、いません。息子の死に遭遇して、夫に腹を立てたり、また夫の死に怒りを覚えたりしながら、心に葛藤を抱えながら生きてきたのです。

② 「高校時代から亡くなるまでの夫の姿がよみがえった」わけでは、ありません。また、「大切なことは記憶の中にあるのだと認識することができた」も誤りです。郁子は、過去の回想や記憶に頼って生きようとしているわけではありません。

③が正解です。問題のない説明になっています。特に、「夫の若々しい姿が自分の中に刻まれていたことに気がついた」と、後半の「そのような自分たち夫婦の時間の積み重なりを実感することができた」の部分が本文の104~109行目の記述と一致しています。

④は、「ようやく許す心境に達し」、「自分の新しい人生の始まりを予感することができた」は、本文にこのような記述がなく、誤りです。

⑤ 「自分と夫は重苦しい夫婦生活からようやく解放された」という部分が本文にこのような記述がなく、誤りです。誤りです。

(解答) ③

 

 (7)井上荒野氏の紹介

 

井上 荒野(いのうえ あれの、1961年2月4日)は、日本の小説家。東京都出身。小説家井上光晴の長女に生まれる。成蹊大学文学部卒業。1989年、「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞を受賞。2004年、『潤一』で第11回島清恋愛文学賞、2008年、『切羽へ』で第139回直木賞受賞。2011年、『そこへ行くな』で第6回中央公論文芸賞受賞。2016年、『赤へ』で柴田錬三郎賞受賞。


【著書】

『潤一』(2003年 マガジンハウス/のち新潮文庫)

『しかたのない水』(2005年 新潮社/のち文庫)

『誰よりも美しい妻』(2005年 マガジンハウス/のち新潮文庫)

『夜を着る』(2008年 文藝春秋/のち文庫)

『切羽へ』(2008年 新潮社/のち文庫)

『雉猫心中』(2009年 マガジンハウス/のち 新潮文庫)

『もう二度と食べたくないあまいもの』(2010年 祥伝社/のち文庫)

『そこへ行くな』(2011年 集英社/のち文庫)

『キャベツ炒めに捧ぐ』(2011年 角川春樹事務所/のちハルキ文庫)

『それを愛とまちがえるから』(2013年 中央公論新社/のち文庫)

『あなたにだけわかること』(2013年 講談社)

『悪い恋人』(2014年 朝日新聞出版)

『リストランテアモーレ』(2015年 角川春樹事務所/のち文庫)

『ママがやった = MAMA KILLED HIM』(文藝春秋 2016年)

『赤へ』(祥伝社 2016年)

 

 

切羽へ (新潮文庫)

 

 

(8)当ブログの「小説解法」関連記事の紹介

 

gensairyu.hatenablog.com

 

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gensairyu.hatenablog.com

 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

   

 

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キャベツ炒めに捧ぐ (ハルキ文庫 い 19-1)

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切羽へ (新潮文庫)

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赤へ

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

  

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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デモクラシーの諸問題/2018予想論点/体系的総整理⑤ 

(1)はじめに

 

(今回の記事の記述は太字にしました)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

 今回の記事では、「デモクラシー」・「民主主義」に関連する当ブログの今までの記事を、体系的に整理して、紹介していきます。

 適宜、「新情報」も追加します。

 

 なお、このような「政治的問題」は、政治的思想調査、政治的踏み絵になりかねないので、大学入試現代文(国語)・小論文に出題されない、と考えている人がいるようです。

 しかし、そうしたことは、ありません。

 最近でも、 慶応大学法学部・小論文で、かなりの「政治的問題」と言える「日本の戦後補償問題」が出題されています。

 

 今回の論点を考察する際には、以下の視点が重要になります。

「 近代の政治哲学は、行政に対する鋭敏な感覚をもちつつも、やはりそこでは立法権中心主義とでも言うべき視座が支配的であった。それゆえに、主権を立法権として定義することの問題点は十分には考察されてこなかった。だが、実際の統治においては、行政が強大な権限を有している。

 ならば、主権はいかにして行政と関わりうるか、主権はいかにして執行権力をコントロールできるか、これが考察されねばならない。」
 (『近代政治哲学』國分功一郎)

 

 なお、今回の記事の項目は以下の通りです。

 

(2)デモクラシーの沿革

(3)リベラルアーツ/ソクラテス的思考

(4)ポピュリズム、大衆民主主義、トランプ現象

(5)日本のデモクラシーの諸問題

(6)グローバル化、グローバリズム、グローバリゼーション

(7)「民主主義」・「自由」に対する脅威/「監視社会」・「全体主義的傾向」

(8)平和と戦争

 

(2)デモクラシーの沿革

 

①  「民主主義」・「デモクラシー」→「言語を使う競技」/《予想問題「スポーツと民主主義」『反・民主主義論』(佐伯啓思)》

  

gensairyu.hatenablog.com

 

 佐伯氏は、「デモクラシーの沿革」を論じた後に、「トランプ現象」の解説をしています。

 この記事の冒頭部分を引用します。


……………………………

 

(引用開始)

(佐伯氏の論考)(概要です)  

「【1】スポーツとは『ディス・ポルト』から出た言葉である。『ポルト』とは『停泊する港』あるいは、『船を横づけにする左舷』という意味だ。『ディス』はその否定であるから、『ディス・ポルト』とは、停泊できない状態、つまり、秩序を保てない状態であり、はめをはずした状態、ということになる。
   
【5】いうまでもなくオリンピックは古代ギリシャ起源であり、ギリシャ人はスポーツを重んじた。争いを様式化し、競技を美的なものにまで高めようとした。そしてギリシャでは『競技』が賛美される一方で、ポリスでは『民主政治』が興隆した。民主主義とは、言論を通じる『競技』だったのである。肉体を使う競技と言語を使う競技がポリスの舞台を飾ることになる。

【6】古代のギリシャ人を特徴づける特質のひとつはこの『競技的精神』なのである。スポーツと政治は切り離すべきだ、などとわれわれはいうが、もともとの精神においては両者は重なりあっていたのであろう。」

(引用終了)

 

 

日本の思想 (岩波新書)

 

 

 

(3)リベラルアーツ/ソクラテス的思考

 

 ①  丸山真男の思想/《予想問題・丸山真男『日本の思想』Ⅳ「である」ことと「する」こと①》

 

 デモクラシー、民主主義を支える国民に必要な一般教養が「リベラル・アーツ」です。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

(2)「『である』ことと『する』こと」の解説ー東大・上智大・学習院大の入試問題を参照しつつ

 

(丸山真男氏の論考)

 「【1】学生時代に末弘厳太郎先生の法の講義をきいたとき「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。金を借りて催促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。この説明に私はなるほどと思うと同時に「権利の上にねむる者」という言葉が妙に強く印象に残りました。いま考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいるように思われます。

【2】たとえば、日本国憲法の第十二条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、〔イ=国民〕の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法第九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば〔ロ=将来〕に向かって投射したものだといえるのですが、そこにさきほどの「時効」について見たものと、いちじるしく共通する〔ハ=精神〕を読みとることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。」

(引用終了)

 

②  ソクラテス的思考/「2017慶大経済小論文・解説・論点的中報告④・ソクラテス的思考」

 

gensairyu.hatenablog.com

   

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

(1)2017慶應大学経済学部・小論文・問題解説

(問題文本文)(概要です)

【1】「吟味されない人生は生きるに値しない」とソクラテスは公言していました。彼はこうした批判的問いかけという理想への忠誠を貫いたために命を落としたのです。今日では、ソクラテスの例が西洋における伝統的なリベラル教育の理論と実践の中心をなしています。伝統や権威を盲信するのではなく、自分自身で考え議論するソクラテス的なやり方で、議論する能力が、デモクラシーにとってかけがえのないものです。」

(マーサ・C.ヌスバウム著、小沢自然・小野正嗣訳、『経済成長がすべてか?━━デモクラシーが人文学を必要とする理由』)

(引用終了)

 

経済成長がすべてか?――デモクラシーが人文学を必要とする理由

 

 

 

 ③  リベラルアーツ教育/「予想問題・『文系学部解体』室井尚・『日本の反知性主義』(2)」

  

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

 最も注目したのは、第4章「大学が崩壊する」の冒頭の『溶解する大学』以下の論考です。

 以下に概要・解説を書いていきます。

 

 (5)「大学が崩壊する」の概要・解説④ー自分の頭で何も考えないような「人材育成」に反対

 【概要④】

「  教養教育やリベラルアーツ教育(当ブログによる注→「リベラルアーツ」=人間性を豊かに育成する幅広い知識、物事の専門的追求の土台となる基礎的学問の総体。日本語では一般的に『教養』と訳される)が大切だというのは、さまざまな考え方を学ぶことで、自分がそれまで自由に考えていなかったこと、さまざまなイデオロギーや因襲に縛られていたということに対する『自覚』や『気づき』を与えてくれるから大切なのである。」

(引用終了)



(4)ポピュリズム、大衆民主主義、トランプ現象

 

①  ポピュリズム/「2017早大現代文・学習院大現代文・論点的中報告③・ポピュリズム」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。

 

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(引用開始)

(2)2017早稲田大学政経学部ー『権力の読み方』萱野稔人

 2017年度の早稲田大学政経学部・国語(現代文・評論文)では、入試頻出著者の萱野稔人氏の、以下のような論考が出題されました。

 最初の段落は、以下のような内容です。

(【1】【2】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

 

「【1】現代のポピュリズム運動には、『国家はわれわれのたちに治安を守るべきだ』という要求が込めらている。一義的には国家のためのものである治安を、なぜ民衆がみずからのために国家に対して要求するのか、あるいは要求できるのか。」

 

 最後の段落は、以下のような内容です。

【16】ポピュリズムによる『国家への呼びかけ』は、現在の国家の脱国民化にたいするひとつの反作用にほかならない。その運動をうみだしている不安感は、国民国家のもとでむすばれていた民衆と国家のセキュリティ上の絆がほころびつつあることに起因している。そのほころびをむすび直そうとしてポピュリズムは、国民であるための核となる人種的アイデンティティへますます傾斜しているのだ。」(萱野稔人『権力の読み方』)

(引用終了)

 

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 さらに、上の記事のポイントの一部分を引用します。

 

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(引用開始)

(3)2017早稲田大学法学部ー『離脱と移動』西谷修

 早稲田大学法学部では、入試頻出著者である西谷修氏の論考(『離脱と移動』)が出題されました。

 この論考は、(主に、ポピュリズムにおける)「ナショナリズム(国家主義)への依存」を強く批判しています。

 この問題も、最近の「トランプ現象」・「イギリスのEU離脱」などのポピュリズムにおける「排外主義」を意識した出題と思われます。

 以下に問題本文の最終部分の一部を引用します。

 

(【最終段落】は当ブログで付記した段落番号です)

【最終段落】いま「クレオール」と呼ばないれて注目されるこの世界は、起源の不在を出発点とし、世界の各地から多様な要素を受け入れて複合的に形成され、みずからがつねに変成の途上にあることを意識している。そこではアイデンティティとは、どんな単一の起源や本質に還元されるものでもなく、それ自体複合的なものとして形成され、そのつど編み直される帰属のバランスのことだ。カリブ海の経験が、現在の世界のモデルになるとは言わないが、そこにひとつの先例を見ることはできる。たぶん長い射程で考えれば逆行できないだろうこの「移動の時代」に、それに見合った住まい方を見いだすには、『危機』を唱えて身構える(→当ブログによる「注」→「トランプ現象」)より、未知の状況に積極的に対処する創意(→当ブログによる「注」→「異文化理解」・「異文化との共生」の意欲・工夫)こそが必要だろう。」(西谷修『離脱と移動』)

 (引用終了)



②  大衆民主主義/「『君たちが知っておくべきこと』佐藤優③・現代文・小論文予想出典」 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

 白井氏は、最近、『永続敗戦論』『日本劣化論』等注目すべき著作を発表している思想史家、政治学者です。

 これから、難関大学の現代文・小論文に、出題されることが予想されます。

 

 白井氏の「反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴」は、2016年大阪大学国語(現代文・評論文)に出題されたので、ここで、その一部を紹介します。

(白井氏の論考については、概要を記述します。なお、赤字は、当ブログによる強調です。)

「【1】リチャード・ホーフスタッター(→当ブログによる注→アメリカ合衆国の政治史家)による『アメリカの反知性主義』によれば、反知性主義とは「知的な生き方、および、それを代表するとされる人びとに対する憤りと疑惑」であり、「そのような生き方の価値を極小化しようとする傾向」と定義される。私はこの一般的な定義に同意するが、ここでポイントとなっているのは、反知性主義が積極的に攻撃的な原理であるということだ。知性の本質的な意味での働きに対して侮辱的で攻撃的な態度を取ることに、反知性主義の核心は見出される。

【2】ホーフスタッターの古典は歴史研究であったのと同時に、マッカーシズム(→当ブログによる注→1950年代にアメリカ合衆国において発生した反共産主義的な社会的・政治的運動)において、その病巣を露呈させたアメリカのデモクラシーに対する分析でもあった。つまり、 反知性主義は、政治の重要なファクターである。反知性主義の類似物として、「パンとサーカス」(→当ブログによる注→権力者により無償で付与される「パン(食料)とサーカス(娯楽)」によって、市民が政治的盲目に置かれている状況。愚民化政策の「たとえ」)の標語に象徴される愚民化政策というものが古代からある。為政者が、大衆が持つ知性への憎悪を操作・利用して動員し、それによって政敵を武装解除するということは、歴史上無数に繰り返されてきたに違いない。

【3】~【5】 (この記事「デモクラシーの諸論点/2018予想論点/体系的総整理⑤」では省略)

【6】かくして、大衆民主主義社会では、反知性主義の心情が社会の潜在的な主調低音(→当ブログによる「注」→「主調」とは「意見等の中心を構成している調子・色調」という意味)となる。」

 (引用終了)

 

③ トランプ現象/《予想問題「スポーツと民主主義」『反・民主主義論』(佐伯啓思)》

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

② 「トランプ現象」については、以下のように説明しています。

「大事なことは、トランプ現象の登場は、決して反民主主義的なものではなく、それこそが民主主義そのものだということです。大衆の歓呼によって指導者を選ぶ。 一方、指導者たらんとするものは、大衆的歓呼をいかに引き出すかに腐心する、それこそが民主主義の核心にほかなりません。民主主義が大衆(デモス)による統治(クラティア)である限り、大衆の歓呼によって選出される指導者こそが民主政治の第一人者なのです。」(『反・民主主義論』P204) 

(引用終了)

 

④  ポピュリズム/「ポピュリズム・その積極的意義とは何かー2017学習院大現代文解説」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

 「ポピュリズム」の最近の論考については、2017年・学習院大学経済学部国語に出題された吉田徹氏の論考(「ポピュリズムにどう向き合う」)が分かりやすいうえに、秀逸なので、今回の記事で詳しく解説していきます。

 私が秀逸だと評価するのは、吉田氏がポピュリズムにプラス面を見出だそうとする点です。

 他の多くの論考がポピュリズムを否定する中で、吉田氏の論考は、かなりユニークです。

 

(2)2017学習院大学・現代文・解説・吉田徹「ポピュリズムにどう向き合う」 

(問題文本文)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

【1】「一匹の妖怪が世界を徘徊(はいかい)している。ポピュリズムという名の妖怪が」。マルクスの「共産党宣言」をもじった言葉がメディアで躍る。

【2】(省略)英国の具体例について

【3】(省略)南欧、東欧諸国の具体例について

【4】米大統領選予備選での「トランプ〔 ①=旋風 〕」も加わり、先進国はポピュリズムの時代を迎えている。

【5】ポピュリズムは、日本では「衆愚政治」と同義にされ、最近では「反知性主義」とも関連付けられる。しかし、本来は民主政に対する主権者の深い疑念と落胆を原動力とした政治現象だ。以下では、本質、スタイル、戦略にまたがるポピュリズムの特徴と、それを生み出す要因を3つ挙げ、代表民主政に持つ含意を探る。

(引用終了)

 

 

(5)日本のデモクラシーの諸問題

 

①  日本の教育の致命的問題点ー「ノブレス・オブリージュ」教育の欠如/「国語予想問題『プロの裏切り・プライドと教養の復権を』神里達博」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

 「ノブレス・オブリージュ」は、欧米社会の基礎的な道徳観であり、「高貴なる身分に付随する義務」を意味しています。

 すなわち、「高い地位にある者は、それにふさわしい振る舞いをしなければならない」とするものです。

 「それにふさわしい振る舞い」とは、「その身分にふさわしい高潔さ、気品、寛容、勇気」です。


 
 ② 内田樹氏の見解→悲観論 

 日本のエリートは「ノブレス・オブリージュ」を持つことができるか、については、内田樹氏の悲観論があります。以下に、引用します。

 
「  欧米の学校教育は、まだ日本の学校ほど激しく劣化していない。「何のために学校教育を受けるのか」について、とりあえずエリートたちには自分たちには「公共的な使命」が託されているという「ノブレス・オブリージュ」の感覚がまだ生きているからである。

 だが、日本の場合、東大や京大の卒業者の中に「ノブレス・オブリージュ」を自覚している者はほとんどいない。
 彼らは子どもの頃から、自分の学習努力の成果はすべて独占すべきであると教えられてきた人たちである。公益より私利を優先し、国富を私財に転移することに熱心で、私事のために公務員を利用しようとするものの方が出世するように制度設計されている社会で公共心の高いエリートが育つはずがない。
 
 結論を述べる。
 日本の学校教育制度は末期的な段階に達しており、小手先の「改革」でどうにかなるようなものではない。そこまで壊れている。」(内田樹の研究室「学校教育の終わり」2013・4・7)

(引用終了)



②  東日本大震災後の「リーダーシップ論」/「予想問題『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一・地域社会」

  

gensairyu.hatenablog.com

 

 入試頻出著者・鷲田清一氏の最近の「リーダーシップ論」です。

 ポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

(2)予想問題『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一

次の文章を読んで以下の問いに答えなさい。
 
(問題文本文)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

【2】社会がいやでも縮小してゆく時代、「廃」炉とか「ダウン」サイジングなどが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、むしろ最後尾でみなの安否を確認しつつ進む登山グループの「しんがり」のような存在、退却戦で敵のいちばん近くにいて,味方の安全を確認してから最後に引き上げるような「しんがり」の判断が、もっとも重要になってくる。実際、震災復興にあっても、ひたすら「防災」のためのハード面での公共事業に取り組むのではなく、地域が震災前から抱え込んでいた問題を見据えながら、そこでの日々の暮らしを〔A=創造的 〕に再興する取り組みと結びついた経済活性化策を講じなければならないだろうし、また、もし、そうした社会全体への気遣いや目配りができていれば、建築資材と労賃の高騰を招くことで東北での復興事業を大きく遅延させることが必定な〔B=東京五輪 〕の誘致など、だれも発想しなかっただろう。こういう全体の気遣いこそ、ほんとうのプロフェッショナルが備えていなければならないものなのであり、また、よきフォロワーシップの心得というべきものである。そして、こうした心得を、ここで《しんがりの思想》と呼んでみたい。

(引用終了)

 

しんがりの思想 ―反リーダーシップ論― (角川新書)

 

 

 

③  「現代日本」の「思考停止状態」・「反知性主義」/《予想問題・丸山真男『日本の思想』Ⅳ「である」ことと「する」こと①》

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


……………………………


(引用開始)

「もしかすると、現代日本の人々は、特に、一般にインテリと言われている人々は、一時代前のインテリよりも、かなり劣化しているかもしれない」と危惧する見解もあります。

 以下に、その一例として、内田樹氏の論考(概要)を引用します。

「しかし、さまざまな市民レベルからの抵抗や批判の甲斐もなく、安倍政権による民主制空洞化の動きはその後も着実に進行しており、集団的自衛権の行使容認、学校教育法の改定など、次々と『成果』を挙げています。
 しかし、あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導くはずのこれらの政策に国民の40%以上が今でも『支持』を与えています。長期的に見れば自己利益を損なうことが確実な政策を国民がどうして支持することができるのか、正直に言って私にはその理由がよく理解できません。

 今回の主題は『日本の反知性主義』です。ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』は植民地時代から説き起こして、アメリカ人の国民感情の底に絶えず伏流する、アメリカ人であることのアイデンティティとしての反知性主義を摘抉した名著でした。

 現代日本の反知性主義はそれとはかなり異質なもののような気がしますが、それでも為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っていることは間違いありません。」(「まえがき」の中の「寄稿依頼の書面」(『日本の反知性主義』編・内田樹)所収) 

(引用終了)

 

(6)グローバル化、グローバリズム、グローバリゼーション

 

 「民主主義」と「グローバル化・グローバリズム(国際化)」・「トランプ現象」は、相互に密接に関連しています。

 

①  多文化社会/「(予想問題)『日本の反知性主義』・鷲田清一氏の論考・異文化理解」

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。

 

……………………………


(引用開始)

(2)鷲田氏の論考の概要、解説

 鷲田氏の論考について、以下、各項目に従って概要を記述し、解説していきます。

 

①分断の過剰

 鷲田氏は、以下のように述べています。

「交通・伝達の不能によって、一つの文化が崩壊する可能性は、社会が、異なる共同体・文化集団・階層が、『統合』されたものとしてある以上は、その社会につねに伏在しています。

 しかし、社会が、最終的に解体・崩壊しないのは、それらの差異を、民主制・立憲制という理念で覆いえてきたからです。

 そのような理念の一つである〈近代性〉は、〈普遍性〉を謳うものゆえに、これに従わない人たちを否認・排除してしまいます。

 それゆえにこそ、ある社会を構成する複数文化のその《共存》のありようが、きわめて重要になります。

 この《共存》の可能性を、社会の諸構成部分のあいだの『摩擦』の中に見ることは、できないでしょうか。

 『摩擦』による刺戟の偏在が、何よりも平和の保障なのです」

 

「知性的」ということの意味

 鷲田氏は、以下のように述べています。

「知性的になれば、世界を理解するときの補助線・参照軸が増殖し、世界の理解は、ますます煩雑になってくるのです。

 世界が壊れないためには、煩雑さに耐えることが、何より必要です。

 煩雑さとは、『手続き、規則、礼儀、調整、正義、道理』です。

 こういう共有された作法に則って、私たちは、限られた自分の視野を点検・吟味し続けてきたのです。

 そして、一つの社会・文化の解体回避のためには、これらの作法とともに、自由主義が必要不可欠なのです」

(引用終了)

 


②『観光客の哲学』/「予想問題『ゲンロン0 観光客の哲学』東浩紀・哲学・グローバリズム」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


……………………………


(引用開始)

【本書の主題→「誤配」・「観光客」】

 本書の主題は、初めに、以下のように明示されています。
「誤配こそが社会をつくり連帯をつくる。だから、ぼくたちは積極的に誤配に身を曝さねばならない」(P9)

 グローバリズムの進展と、それへの反動としてのナショナリズムの台頭という状況下で、リベラリズムの理念である「普遍性」は崩壊しています。現代の世界では、人々は、以前のようには「寛容」を他者に対して示せなくなりつつあります。
 このような、何となく居心地の悪い時代において、リベラルな思考の基本として、著者は「観光客」の概念を強く主張しています。

 

【東氏の主張する「観光客」とは何か】

 本書冒頭で、東氏は、前著の『弱いつながり』を要約して、次のように説しています。
「ぼくは2014年に『弱いつながり』という小さな本を刊行した。そこでぼくは、村人、旅人、観光客という三分法を提案している。人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体にのみ属する『村人』でもなく、どの共同体にも属さない『旅人』でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる『観光客』的なありかたが大切だという主張である。」(P14)


 

【なぜ、「観光客」的なあり方が重要なのか】

(以下省略)

(引用終了)



(7)「民主主義」・「自由」に対する脅威/「監視社会」・「全体主義的傾向」

 

①  監視社会/《予想問題・「である」ことと「する」こと②・『日本の思想』丸山真男②》

 

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 上の記事のポイント部分を引用します。

 

 ……………………………

 

 (引用開始)

 「監視社会」も、「自由」との関係で、最近の流行論点・テーマになっています。

 「監視社会」に関する論考として、頻出著者の古東哲明氏の論考(概要)を、以下に紹介します。

 

「電子光学技術(人工衛星・情報収集技術網)による「パナプティコン(一望監視システム)」が追い打ちをかける。世界規模での「警察化(監視化)」が進行する。世界全体が「一大監房」と化する。自由を奪われ「拘禁」されているという閉塞感情が瀰漫(びまん)する。〈今ここ〉で生きているこのリアルな空間や光景を喪失することを通じ、抑圧的で不自由な生存を獲得する。」(古東哲明『瞬間を生きる哲学』)

(引用終了)

 

②  共謀罪と監視社会(その1)/「予想問題ー共謀罪と監視社会ー自由・人権・民主主義を守るためには」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 上の記事のポイントの一部分を引用します。


……………………………


(引用開始)

 

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 現在、最近成立した共謀罪(テロ等準備罪)の様々な問題性を指摘する論考が、数多く発表されています。

 入試対策上、それぞれの論考に目を通すことも重要です。

 しかし、このような場合には、個々の専門的・技術的な論点よりも、「自由・人権・民主主義の価値」、「脆さ・弱さを内在している『自由・人権・民主主義』をいかに確保するか」、という論点が出題されることが多いのです。

 そこで、入試現代文(国語)・小論文対策として、これらの論点を以下に解説していきます。

  

(2)共謀罪(テロ等準備罪)の問題性ー「監視社会」の可能性、萎縮効果

   「共謀罪(テロ等準備罪)の問題性」に関しては、以下の点が主張されています。

 実際に、どのようになっていくか、については、これからの政府の運用実態、歴史の推移を注視していく必要があるでしょう。

 

①  「監視社会」化の可能性

②  萎縮効果ー活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねない

③  萎縮効果の具体例ー政府の方針に科学的観点から反対することが抑圧される可能性がある

(引用終了)



③  共謀罪と監視社会(その2)/「予想問題・共謀罪(テロ等準備罪)ー賛成説・反対説のそれぞれの理由」

 

 

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上の記事のポイントの一部分を引用します。


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(引用開始)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

  「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を設ける「改正組織犯罪処罰法」は、与野党の激しい駆け引きの末、2017年6月15日に成立しました。安倍晋三首相は「テロを未然に防ぐために、国際社会としっかり連携したい」と意義を強調しました。
 しかし、「特定秘密保護法」、「安全保障関連法」に続き、世論の賛否が分かれた中で、この法案を強引に成立させた安倍政権の手法に、野党側は「民主主義軽視」と主張しています。

 それ以外に、有力な憲法学者、刑法学者、国際法学者、危機管理学者、政治哲学者、法哲学者、文学者等も、この法案に関して、多くの反対説、賛成説の論考・見解を発表しています。

 この共謀罪(テロ等準備罪)は、内心の自由、思想・良心の自由、表現の自由、プライバシー、監視社会、グローバル化のマイナス面、テロ、安心・安全、危機管理という重大な論点に関連しているからです。

(引用終了)



④  「全体主義的傾向・風潮」・「エコ・ファシズム」/《予想問題・「である」ことと「する」こと②・『日本の思想』丸山真男》

 

gensairyu.hatenablog.com

 

上の記事のポイントの一部分を引用します。


……………………………


(引用開始)

 (3)まず、「自由」・「民主主義」を侵害する危険性の高い事柄を検討します

 ここでは、まず、「自由」・「民主化義」を侵害する危険性の高い事柄について、鷲田清一氏の論考(『わかりはやすいはわかりにくい?』ちくま新書)を参照しながら、検討します。

 以下に鷲田氏の論考(概要)を引用します。

 

「正面からはなかなか反対しにくい問題というのが、いまの社会には意外と多くある。

 たとえば「エコ」。環境保護がめざす人類文明のサステイナビリティ(持続可能性)について言えば、人類文明が育んできた諸価値のうちのいったい何をサステイン(維持・育成)するのかについて、突っ込んで議論されてきたとは思えない。くわえて、地球温暖化が科学的に実証されたことなのか・・・・・・。こうした問いよりも、それを大きな声では発しにくい空気(→まさに、「全体主義的風潮」)のほうが、わたしにははるかにリアルに迫っている。

 「安心・安全」がいかに監視社会の深化と連動しているかの指摘も、何かひねくれ者の発言であるかのように受けとられる。」(鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい?』第13章「わかりやすいはわかりにくい?」)

(引用終了)

 

(8)平和と戦争

 

①  平和・戦争/「注目図書『私たち、戦争人間について』『キリスト教と戦争』石川明人」

  

gensairyu.hatenablog.com

 

上の記事のポイントの一部分を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 現代は、戦争の危機が切迫してきている時代です。このような時こそ、単に「平和」を祈るだけではなく、「戦争」・「平和」について、より具体的に主体的に考えるべきでしょう。

 この問題を考察するきっかけとなる良書(『私たち、戦争人間について: 愛と平和主義の限界に関する考察』石川明人)が最近、発行されたので、注目図書、予想出典として、今回の記事で紹介します。

 (引用終了)

 

②  永遠平和/「予想出典・『永遠平和のために』カント・平和・移民問題・グローバル化」

 

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 上の記事のポイントの一部分を引用します。


……………………………


(引用開始)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 最近では、民族紛争・宗教対立・英国のEU離脱・トランプ現象など、国際関係・外交問題・グローバル化関連のニュース・論考が非常に多くなっています。

 最近の大学入試国語(現代文)・小論文でも、これらに関連する政治哲学・政治学関連の論考の出題が増加しています。

 その際に、大哲学者カントの『永遠平和のために』が引用されたり、論考の対象になることが多いのです。

 従って、教養・予備知識として、カントやこの本について知っておくことは、国語(現代文)・小論文対策として、大切なことだと思います。

 (引用終了)

 

③  平和主義/「予想問題『憲法9条の矛盾』平和主義・集団的自衛権・佐伯啓思」

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ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

    

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

言語、その道具的機能と問題点/2018予想論点/体系的総整理④

(1)はじめに

(今回の記事の記述は太字にしました)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

 「言語」・「言語論」・「言語哲学」は、もともと、国語(現代文)・小論文における入試頻出論点です。

 最近では、2013東大国語第1問で「翻訳」、2014センター国語第1問で『漢文脈と近代日本』が出題されています。


 また、最近では、
「能動態・受動態の二分法」にメスを入れ、「中動態」の存在意義に光を当てた『中動態の世界』(國分功一郎)、
言語習得には「洗脳」の側面があるということを指摘している『勉強の哲学』(千葉雅也)、
語ることを考察している『語りきれないこと』(鷲田清一)、
が評判になったことで、
「言語」の論点は、これから、流行論点になりそうです。

 

 そこで、今回は、当ブログの最近の記事から、「言語」・「言語論」に関連する記事を体系的に整理して紹介します。

 

 なお、初めに、『語りきれないこと』(鷲田清一)の中から入試頻出著者・鷲田氏の言語観を引用します。

 次に、2002センター試験国語第1問に出題された『「私」とは何か』(浜田寿美男)から、浜田氏の言語観を紹介します。

 

 

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

 (2)「言語=道具」とする言語観/『語りきれないこと』鷲田清一

 (3)もう一つの言語観/浜田寿美男『「私」とは何か』2002センター試験国語第1問

(4)言語運用能力・思考力の衰退/「『考えないヒト』正高信男・IT化社会・コミュニケーション能力低下」

(5)「言葉」を尊重しない若者の問題性/「2016年センター国語第1問解説『キャラ化する/される子どもたち』」

(6)異文化理解/「翻訳の技法」・「翻訳言語論」について/「2013東大国語第1問解説」

(7)異文化理解/言語の違いが人間の思考に、大きな影響を与える点について/「『君たちが知っておくべきこと』佐藤優③・現代文・小論文予想出典」

(8)学校教育における「英語中心主義」の問題点/「予想問題解説『さらば、資本主義』(佐伯啓思)①」

(9)言語の機能の一側面①/尋問する言語/「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)」

(10)言語の機能の一側面②/言語の一般性→「私という言葉」が私に与える影響について/「予想問題『じぶん・この不思議な存在』鷲田清一・他者の他者としての自分」 

(11)言語の機能の一側面③/言語は思考の可能性を規定する/「『中動態の世界』國分功一郎/現代文・小論文予想出典(前編)」

(12)言語の機能の一側面④/言語と人格形成の関係/「2014センター現代2014センター国語第1問(現代文)『漢文脈と近代日本』解説」

 (13)言語機能の一側面⑤/言語習得には「洗脳」の側面があるということ/「予想問題『勉強の哲学 来たるべきバカのために』千葉雅也」

 

 

語りきれないこと  危機と傷みの哲学 (角川oneテーマ21)

 

(2)「言語=道具」とする言語観/『語りきれないこと』鷲田清一

 
 東日本大震災以後に書かれた、『語りきれないこと』「まえがき」で鷲田氏は次のように述べています。

「被災地の人たちのからだの奥で疹いたままのこの傷、この苦痛の経験が、やがて納得のゆく言葉でかさぶたのように被われる日まで、からだの記憶は消えることはないでしょうし、また消そうとしてはならないと、つよく思います。震災で、津波で、原発事故で、家族を、職場を、そして故郷を奪われた人たちは、これまでおのが人生のそのまわりにとりまとめてきた軸とでも言うべきものを失い、自己の生存について一から語りなおすことを迫られています。

 語りなおしとは、じぶんのこれまでの経験をこれまでとは違う糸で縫いなおすということです。縫いなおせば柄も変わります。感情を縫いなおすのですから、針のその一刺し一刺しが、ちりちりと、ずきずきと痛むにちがいありません。被災地外の場所で、個々のわたしたちがしなければならないことは、まずはそういう語りなおしの過程に思いをはせつづけること、出来事の『記念』ではなく、きつい痛みをともなう癒えのプロセスを、そのプロセスとおなじく区切りなく『祈念』しつづけることだろうと思います。」

 さらに、鷲田氏は「語る」ということについて、次のように述べています。

「わたしたちはそのつど、事実をすぐには受け入れられずにもがきながらも、深いダメージとしてのその事実を組み込んだじぶんについての語りを、悪戦苦闘しながら模索して、語りなおしへと、なんとか着地する。そうすることで、じぶんについての更新された語りを手にするわけです。」

 

 「言語」については、「人間は言語で初めて世界を分節して、世界を認識している」と言われています。

 鷲田氏の主張は、この見解(言語道具説)に沿っているようです。

 さらに、本書より引用します。

感情というのは確かに言葉で編まれていて、言葉がなかったら、感情はすべて不定形で区別がつかない。言葉を覚えることで、じぶんが今どういう感情でいるかを知っていく。語りがきめ細やかになって、より正確なものになるためには、言葉をより繊細に使いわけていかなければならない。心の繊維としての言葉をどれほど手に入れ、見つけていくかは、とても大事なことです。

 

 「感情というのは確かに言葉で編まれていて、言葉がなかったら、感情はすべて不定形で、区別がつかない。」の部分は、特に重要です。

 

 

語りきれないこと  危機と傷みの哲学 (角川oneテーマ21)

語りきれないこと 危機と傷みの哲学 (角川oneテーマ21)

 

 

 

 

「私」とは何か (講談社選書メチエ)

 

(3)もう一つの言語観/浜田寿美男『「私」とは何か』2002センター試験国語第1問

 

 2002センター試験国語第1問(『「私」とは何か』浜田寿美男)の問題文本文の冒頭部分を引用します


 「ことばが語と文法からなるというのは、ことばをある切り口で切ったときの一つの事実ではある。しかしそうして切り取ったことばには、一つ、致命的に欠ける点がある。それはことばのもつ対話性を二次的にしか考えられないという点である。ことばはそもそも他者とのかかわりの場で働くもの。ところが、<語ー文法>的なことば観は、しばしば独我論的で、そこに他者とのかかわりが見えてこない。

 もちろん、ことばを道具として獲得したのちには、その道具を使って他者と対話することにはなる。しかしそこにおいて、対話はことば獲得の結果であって、それ以上のものではない。言い換えれば、このことば観のなかでは、ことばが獲得されたのち、それによってはじめて他者との対話が可能になるのであって、他者との対話(もちろんことば以前の)からことばが生まれてくるという発想がない。つまりことばそのもののもつ第一次的、本質的な対話性に目を向ける視点が、そこにはすっぽり抜け落ちているのである。このことば観によっては、ことばが私たちの生活世界において働くその様をありのままにみることはできない。」(浜田寿美男・『「私」とは何か』)


 浜田氏は、「言葉は道具だ」という言語観に関しての違和感を述べています。

 この言語観に限界がある、と主張しているのです。

 一理あると、私は感じています。

 この点については、このような立論も可能である、と意識しておけばよいでしょう。


 

(4)言語運用能力・思考力の衰退/「『考えないヒト』正高信男・IT化社会・コミュニケーション能力低下」  

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 上の記事の、ポイントの一部を以下に引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 携帯電話、スマホなどへの過度の依存により、言語運用能力・思考力の衰退、反知性主義などの退化的現象が現代日本に顕著になっている、という意見が強まっています。
 そこで、「携帯電話」と「人間のサル化(退化)」の関係を鋭く指摘している、入試頻出著者・正高信男氏の論考が、再び流行・頻出出典となる可能性が高まっているので、今回は、この記事を書くことにしました。

 

(→「(2)予想問題『考えないヒト』正高信男ー立教大(全学部入試)・お茶の水女子大・過去問」の部分は今回の記事ではカットします)


(今回の問題のまとめ)

 人間の言語によるコミュニケーションは、相手の心を読む過程です。つまり、相手方の発話を手掛かりにして、他の種々の非言語的状況を総合的に考慮して、相手の心理を推測する複雑で精密な過程です。

 しかし、最近の日本人は言葉のメッセージを、厳密に記号として把握する「サル的な、単純なスタイル」へ先祖返りしていると、正高氏は主張しているのです。

 ケータイメールのように、視覚情報にのみ依存したコミュニケーションにおいては、対面的状況で言語を使用する場合のように、非言語的状況を総合的に考慮する必要はありませんから、頭や心を使わないようになります。そうなると、長期的に見て、言語運用能力が低下し、必然的に、人間的な思考力、感受性が低下していくのでしょう。

 すなわち、「人間のサル化」・「人間のロボット化」という現象が蔓延していくのです。
 これは、スリラーであり、悲劇であり、人間の孤立化、共同体崩壊・社会崩壊に直結する問題です。

(引用終了)
 

 

(5)「言葉」を尊重しない若者の問題性/「2016年センター国語第1問解説『キャラ化する/される子どもたち』」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 
 上の記事のポイントの一部分を以下に引用します。
 

……………………………

 

(引用開始)

(4)2015年信州大(教育)国語(現代文)(『友だち地獄ー「空気を読む」世代のサバイバル』土井隆義)の解説

 出題された文章の中で、特に気になったのは、 

現代の若者たちは、自らのふるまいや態度に対して、言葉で根拠を与えることに、さしたる意義を見出だしにくくなっている

の部分です。

 そして、土井氏は、現代の若者たちは言葉以前の「内発的な衝動や生理的な感覚」こそが純粋な「自分の根源」であると感じている、と続けています。

 「言葉」を尊重しないということは、単に「自己の言語能力」に限界を感じているだけかもしれません。

 しかし、「言葉」を尊重しないということは、「論理性」・「客観性」・「社会性」を尊重しないということに、つながります。

 人間を言語活動から定義する「ホモロクエンス」という言葉が、あります。

 「話す人」という意味です。

 人間が動物ではなく、ほかならぬ人間であるのは、言語活動をするからだ、とする人間観です。

 この人間観は、一般的に承認されている人間観です。

 もし、言葉を尊重しない若者が社会の多数派を占めるようであれば、この人間観も修正を迫られることになると思われます。

 これは、かなり重大な問題を孕んでいるのでは、ないでしょうか。

 もし、そのような状況になったとしたら、「コミュニケーション」は、どのような形態になるのでしょうか。

 予想も、つきません。

 この問題については、入試現代文(国語)・小論文においても、重要な論点・テーマになっていくものと思われるのです。 

(引用終了)

 

(6)異文化理解/「翻訳の技法」・「翻訳言語論」について/「2013東大国語第1問(現代文・評論文)解説」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事から、「翻訳の技法」についての著者の主張部分を、以下に引用します。

 詳細は、リンク画像から、参照してください。

 

……………………………

 

(引用開始)

(3)2013年東大国語第1問(現代文・評論文)「ランボーの詩の翻訳について」湯浅博雄→本文・設問・解説・解答

(【1】・【2】・【3】・・・・は、当ブログで付記した段落番号です)

【1】詩人━ 作家が言おうとすること、いやむしろ正確に言えば、その書かれた文学作品が言おう、言い表そうと志向することは、それを告げる言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえない。人々はよく、ある詩人ー作家の作品は「しかじかの主張をしている」、「こういうメッセージを伝えている」、「彼の意見、考え、感情、思想はこうである」、と言うことがある。筆者も、ときに(長くならないよう、短縮し、簡潔に省略するためにせよ)それに近い言い方をしてしまう場合がある。しかし、実のところ、ある詩人ー作家の書いた文学作品が告げようとしているなにか、とりあえず内容・概念的なものとみなされるなにか、言いかえると、その思想、考え、意見、感情などと思われているなにかは、それだけで切り離され、独立して自存していることはないのである。〈意味され、志向されている内容〉は、それを〈意味する仕方、志向する仕方〉の側面、表現形態の面、意味するかたちの側面と一体化して作用することによってしか存在しないし、コミュニケートされない。だから、〈意味されている内容・概念・イデー〉のみを抜き出して「これこそ詩人ー作家の思想であり、告げられたメッセージである」ということはできないのだ。

【2】それゆえまた、詩人ー 作家のテクストを翻訳する者は、次のような姿勢を避けるべきだろう。つまり翻訳者が、むろん原文テクストの読解のために、いったんそのテクストの語り方の側面、意味するかたちの側面を経由して読み取れるのは当然なのであるが、しかし、フォルム的側面はすぐに読み終えられ、通過されて、もうこの〈意味するかたちの側面〉を気づかうことをやめるという姿勢はとるべきではない。

もっぱら自分が抜き出し、読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうという態度をとってはならない。そうやって自分が読み取った意味内容、つまり〈私〉へと伝達され、〈私〉によって了解された概念的中身・内容が、それだけで独立して、まさにこのテクストの〈言おう、語ろう〉としていることをなす(このテクストの志向であり、意味である)とみなしてはならないのである。

【3】翻訳者は、このようにして自分が読み取り、了解した概念的中身・内容が、それだけで独立して(もうそのフォルム的側面とは無関係に)、このテクストの告げる意味であり、志向であるとみなしてはならず、また、そういう意味や志向を自分の母語によって読みやすく言い換えればよいと考えてはならないだろう。

【4】自分が抜き出し、読み取った中身・内容を、自らの母語によって適切に言い換えれば首尾よく翻訳できると考え、そう実践することは、しばしば読みやすく、理解しやすい翻訳作品を生み出すかもしれない。ただし、そこには、大きな危うさも内包されているのだ。原文のテクストがその独特な語り口、言い方、表現の仕方によって、きわめて微妙なやり方で告げようとしているなにかを十分に気づかうことから眼をそらせてしまうおそれがあるだろう。

(引用終了)
 
……………………………
 

 

(7)異文化理解/言語の違いが人間の思考に、大きな影響を与える点について/「『君たちが知っておくべきこと』佐藤優③・現代文・小論文予想出典」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 
 上の記事から、「言語の違いが人間の思考に、大きな影響を与える点」について、ポイントの一部分を以下に引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

(3)「人の気持ちになって考えること」(P79)

 以下に、佐藤氏の講義の概要を記述します。

 (なお、【1】【2】【3】・・・・は、当方ブログで付記した段落番号です。赤字は、当ブログによる強調です。)

 

「(佐藤) 【1】私にはロシアにいた時に出会った、非常に尊敬している文化人類学者がいます。本人はグルジアで生まれた。哲学者のウィトゲンシュタイン(→本書による注→哲学者(1889ー1951)言語の分析を哲学の手法として捉え、分析哲学の基礎を築いた。主著に『論理哲学論考』)は、言語の違いが人間の思考に、ものすごい影響を与えると言っているけれど、グルジア語は非常に特殊な言語です。

【2】その先生に、ある時、こう聞かれたことがある。『あなたは生粋(きっすい)の日本人では、ないでしょう。どこか少数民族の血が入っている。あるいは、外国人の血が。違いますか?』と。

【3】『私は母親が沖縄なんです』と答えたら、『ああ、それで分かった』と言われた。彼は日本人には何人も会っているけれど、私と話している時の感覚が他の日本人と全然違ったんだそうです。

【4】彼が言うには、『大民族の出身の人は、複雑なコンプレックスを抱えながらも自分たちの思いを言語化できない少数民族の気持ちは分からない。そもそも、《自分たちが分かっていない》ということも分からない。あなたは少なくとも、《分かっていない》ということについては分かっている。だから、ソ連でも少数民族の友だちが多いでしょう』と。

【5】図星でした。少数民族の友人たちは、ロシアに関する重要な情報を私に教えてくれていました。それは、私の中に刷り込まれている、母親が日本の少数民族である沖縄人だという意識が彼らに通じていたのかもしれない。

【6】人には、それぞれ育ってきた文化による拘束性がある。それがあるから、他人の気持ちを理解することは口で言うほど簡単なことではないのです。

 

ーーー

 

(当ブログによる解説)

 特に、重要なのは、【4】段落の「そもそも、《自分たちが分かっていない》ということも分からない。」の部分です。

 これは、「自分たちは、他の少数民族の複雑な気持ちを充分に分かっている」と、楽天的に思い込んでいる状態(誤解)を説明しています。

 この事こそが、「異文化理解の困難性、ないし不可能性」を物語っています。 

 

 佐藤氏は、入試現代文・小論文頻出の「異文化理解」のポイントを、実に分かりやすく講義しています。

 異文化理解がいかに困難か、が述べられています。

 人は、どうしても自分の文化の価値観を基準にして、異文化を理解しようとして(自文化中心主義=エスノセントリズム)、その「異文化理解の困難性、ないし不可能性」に直面するのです。

 各文化は、 各地域の風土に適合する形で発生・発展してきたので、文化が大きく異なれば、価値観が全く異なることは当然のことです。

 そうなると、「異文化理解」は、ほとんど不可能になるのです。


ーーー

 

(さらに、当ブログによる解説)

 「異文化理解の困難性ないしは不可能性」について、さらに説明します。

 1999年度の慶応大学(文学部)小論文に出題された、入試頻出著者・川田順造氏の『サバンナの博物史』を紹介します。

 慶応大学小論文対策としても役立つように解説していきます。

 川田氏は、最近でも、大阪大学、早稲田大学、上智大学の現代文(国語)に出題されている入試頻出著者です。

 また、『サバンナの博物史』は、長年の入試頻出出典です。

 以下に、慶応大(文)の小論文問題の問題文本文(一部)の、キーセンテンス部分の概要を記述します。

 なお、赤字緑字は、当ブログによる強調です。

 

(問題文本文の冒頭部分)

「近年になって私は、サバンナに生きるモシ族の人たちの、自然に対するあの強靭さ、一切の感傷を払拭した即物性とでもいうべきものを、幾分かは理解できると思うようになった。かつては私はそれを単に、自然に対するこの人たちの感動の欠如というふうにとっていたのだったが。」

 

 (問題文本文の最終部分)

『自然』という、モシ語(→当ブログによる注→西アフリカ内陸部のサバンナに居住する農耕民、モシ族(人口約200万人)の使う言語)にもない概念によって、たとえば『モシ族における自然の利用』といった形でこのサバンナの文化を論んじることが、一方的な枠組みによる対象の切りとりになりやすいことはあきらかだ。

 私自身しばしば行ってきたこのような切りとりは、彼らの思考の枠組みだけをとりいれることによって、『正しい』ものとなるわけでは勿論ない。彼らの枠組みと私の枠組みとの、葛藤ないし相互作用のうちに、世界像ないしイデオロギーと、技術・物質文化とが、相互にもっているはずのかかわりを、具体的にあきらかにしてゆくこと。私が将来に向かって、未解決のままにかかえている課題の一つだ。」   

(引用終了)
 

(8)学校教育における「英語中心主義」の問題点/「現代文・小論文・予想問題解説『さらば、資本主義』(佐伯啓思)①」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  「異文化理解」は重要です。

 しかし、日本の学校教育における「英語中心主義」には、問題点があります。

 この点について、上の記事から、ポイントの一部分を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

(2)「帝国主義」とは、一つの国家が自国の民族主義・文化・宗教・経済体系等を拡大する目的で、あるいは、領土・天然資源等を獲得する目的で、軍事力を背景として他国家を侵略しようとする思想・政策です。

 「植民地主義」とは国家主権を国外に拡大する思想・政策です。

 「帝国主義」と「植民地主義」とは、当然、表裏の関係にあります。

 「帝国主義」は、第二次世界大戦後に事実上、終焉し、「脱植民地化」が進行しました。

 

(3)しかし、現在では「文化帝国主義」、「経済的帝国主義(自由貿易帝国主義)」、「政治的帝国主義(過度の政治的影響力の行使)」が進展しています。

 「文化帝国主義」とは自国の文化・言語を他国に植え付け、他文化・他言語との差別化を促進する政策・行為です。

 「英語帝国主義」は、「文化帝国主義」の一部です。 

 「文化帝国主義」は、それを推進する側が有用性・一般性・普遍性を強調する形態をとることが多いのです。

 

(4)最近における「小学校英語教育の強化政策」の論点は、この「文化帝国主義」の一部である「英語帝国主義」の、「自発的・受身的な受容」の視点から考察すると、かなり問題性があると思います。

 ある意味で、「自主的・受身的植民地化政策」と評価しうる政策です。

 この点については、鈴木孝夫氏(言語学者)の秀逸な論考(『日本の感性が世界を変える・言語生態学的文明論』新潮選書)を題材にした予想問題記事を制作することを、現在、検討中です。

(鈴木氏は、難関大学の入試現代文(国語)・小論文の頻出著者です。)

 

(5)また、「小学校英語教育」については、この記事を書いている時に、施光恒(せ・てるひさ)氏の注目すべきインタビュー記事がありましたので、ここで、報告します。

 そのインタビュー記事は、2016年9月8日の朝日新聞に掲載されました(オピニオン&フォーラム「異議あり」)。

 施氏の紹介は、「教育改革にダメを出す政治学者 施光恒さん」となっています。

 「大見出し」は、「英語強化は民主主義の危機 分断も招く」、
「小見出し」は、「苦手な人は人生の選択肢が保障されず、社会の意思疎通も不十分に」です。

 今現在、政府は「英語強化の改革」を進めています。

 「小学校で英語を教科に格上げし、大学では授業を英語でするよう求める」改革です。

 この「改革」に対して、施氏は、「これでは日本はだめになる」と批判しています。

 施氏は、九州大学准教授で、専攻は政治理論、政治哲学です。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『TPP 黒い条約』(共著)(集英社新書)、『英語化は愚民化』(集英社新書)等があります。

 『英語化は愚民化』は、最近、出版されたものです。

 インタビューを読むと、「英語教育の強化」の論点・テーマを「民主主義」や「日本社会のコミュニケーションの分断」の視点から批判していて、とても興味深い内容になっています。

 いかにも、難関大学の入試問題作成者が好みそうな内容です。

 (引用終了)

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)


 

(9)言語の機能の一側面①/尋問する言語/「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 「能動/受動の二分法」を採用している現在の言語には、「尋問する言語」としての側面があります。
 上の記事から、ポイントの一部分を引用します。

……………………………

 

(引用開始)

⑥  尋問する言語

 本書の中で、著者は、「能動/受動の対立」を際立たせる現在の言語を「尋問する言語」と呼んでいます。

「その言語は行為者に尋問することをやめない。常に行為の帰属先を求め、能動か受動のどちらかを選ぶよう強制する。」(P195)

 →当ブログによる「注」→この「強制」の背景には、「責任を問う」ということがあるのです)

 

 まさに、「オール・オア・ナシング」の世界です。

 警察による取り調べをイメージします。

 「能動/受動の二分法」自体が警察的役割を担っているようです。

 私たちが日々、不可思議な疲労感を感じる原因の中には、このことがあるのかも知れません。

(引用終了)

 

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 


 
(10)言語の機能の一側面②/言語の一般性→「私という言葉」が私に与える影響について/「予想問題『じぶん・この不思議な存在』鷲田清一・他者の他者としての自分」 

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 


 「私という言葉」が私に与える影響、「言語の一般性」、つまり、「言語の負の側面」についても知っておくべきです。
 以下に、ポイント部分を引用します。


……………………………

 

(引用開始)

 『「聴く」ことの力』では、以下のように説明しています。

「だれかに触れられているということ、

だれかに見つめられていること、

だれかからことばを向けられているということ、

これらのまぎれもなく現実的なものの体験のなかで、

その他者のはたらきかえの対象として自己を感受するなかではじめて、

いいかえると『他者の他者』としてじぶんを体験するなかではじめて、

その存在をあたえられるような次元というものが、<わたし>にはある。

<わたし>の固有性は、ここではみずからあたえうるものではなく、

他者によって見出されるものとしてある。」 ( P126 )

 

 さらに続けて、鷲田氏は、以下のように述べています。

「  『わたし』、という(一般的な、社会的な)言葉を使うとき、わたしという存在はすでに集団の中に消えていく。『わたし』が『わたし』を見つけられるのは、『他者から他者として見られたときだけ』である。

(引用終了)
 

(11)言語の機能の一側面③/言語は思考の可能性を規定する/「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)」

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 上の記事から、ポイントの一部分を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

「 言語が思考を規定するのではない。言語は思考の可能性を規定する。つまり、人が考えうることは言語に影響されるということだ。これをやや哲学っぽく定式化するならば、言語は思考の可能性の条件であると言えよう。」(p111)

 

 私たちは自由に思考するように思っていますが、実は、文法に支配されているということです。思考は言語の組み合わせにより構築されるのですから、このことは当然のことなのです。日々、意識していないだけです。そして、自由だと思いこんでいるだけです。

(引用終了)
 

(12)言語の機能の一側面④/言語と人格形成の関係/「2014センター現代2014センター国語第1問(現代文)『漢文脈と近代日本』解説」

 

  

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 「言語」は、「人格形成」に密接な「関係」を有しています。このことも、重要論点です。

 最近では、「能動態・受動態の二分法」と「意志」・「自己意識」の関係にメスを入れ、「中動態」の存在意義に光を当てた『中動態の世界』(國分功一郎)が評判になったことで、「言語と人格形成の関係」の論点は、頻出論点になりそうです。


……………………………

 

(引用開始)

【6】そもそも中国古典文は、特定の地域の特定の階層の人々によって担われた書きことばとして始まりました。逆に言えば、その書きことばによって構成される世界に参入することが、すなわちその階層に属することになるわけです。どんなことばについてもそうですが、人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します。前漢から魏晋にかけて、その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき、高度なリテラシー(読み書き能力)によって社会に地位を占める階層がその世界を支えました。それが、士人もしくは士大夫と呼ばれる人々です。

【10】日本の近世社会における漢文の普及もまた、士人的エトスもしくは士人意識―その中身については後で述べます―への志向を用意しました。漢文をうまく読み、うまく書くには、字面だけを追って真似ても限界があります。その士人としての意識に同化してこそ、まるで唐代の名文家韓愈が乗り移ったかのような文章が書けるというわけです。あるいは、彼らの詩文を真似て書いているうちに、心の構えがそうなってしまうと言ってもよいでしょう。文体はたんに文体に止まるものではないのです。

【20】しかし当の学生たちにとってみれば、漢文で読み書きするという世界がまず目の前にあり、そこには日常の言語とは異なる文脈があることこそが重要なのです。そしてそれは、道理と天下を語ることばとしてあったのです。D 漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあったのです。

(齋藤希史『漢文脈と近代日本』による)

(引用終了)
 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 (13)言語機能の一側面⑤/言語習得には「洗脳」の側面があるということ/「予想問題『勉強の哲学 来たるべきバカのために』千葉雅也」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 言語習得には、「洗脳」という側面があります。

 以下に、上の記事のポイントの一部分を引用します。

 

 ……………………………

 

(引用開始)

 【自分は環境のノリに乗っ取られている】

「  私たちは、いつでもつねに、環境のノリと癒着しているはずです。

 たいていは、環境のノリと自分の癒着は、なんとなくそれを生きてしまっている状態であって、分析的には意識されていない。」(P28)

 

「  自分は、環境のノリに、無意識的なレベルで乗っ取られている。

 ならば、どうやって自由になることができるのでしょう?

 丁寧に考える必要があります。というのも、環境から完全に抜け出すことはできないからです。完全な自由はないのです。ならば、どうしたらいいのか。そこで、次のように考えてみるのはどうでしょう――環境に属していながら同時に、そこに『距離をとる』(→自己の状況の「客観化」・「相対化」ということでしょう。自己の状況に意識的になるということです)ことができるような方法を考える必要があるのだ、と。

 その場にいながら距離をとることを考える必要がある。

 このことを可能にしてくれるものがある。

 それは『言語』です。どういうことでしょうか?」(P30)

 

【自分とは、他者によって構築されたものである】

「  生(せい)とは、他者と関わることです。純粋にたった一人の状態はありえません。外から影響を受けていない『裸の自分』など、ありえません。どこまで皮を剥いても出てくるのは、他者によって『つくられた=構築された』自分であり、いわば、自分はつねに『着衣』(→この表現も悩ましいです。入試では、設問の題材になるでしょう)なのです。

 自分は『他者によって構築されたもの』である。」

 

「  そして、言語という存在。

 言語を使えている、すなわち『自分に言語がインストールされている』のもまた、他者に乗っ取られているということなのです。」

 
「  言語は、環境の『こうするもんだ』=コード(→当ブログによる「注」→「記号」です)のなかで、意味を与えられるのです。だから、言語習得とは、環境のコードを刷り込まれることなのです。言語習得と同時に、特定の環境でのノリを強いられることになっている。」

 

「  言葉の意味は、環境のコードのなかにある。」

 いよいよ、「言語論」に入りました。入試頻出論点でありながら、大部分の受験生の不得意分野です。丁寧な読解を心がけてください。

 

「 言語習得とは、ある環境において、ものをどう考えるかの根っこのレベル(→当ブログによる「注」→「価値観」です)で『洗脳』を受けるようなことなのです。

 これはひじょうに根深い。言葉ひとつのレベルでイデオロギーを刷り込まれている、これを自覚するのはなかなか難しいでしょう。だから、こう言わねばならない。言語を通して、私たちは、他者に乗っ取られている。」(P34)

 

   「言語」=「コード」=「記号」=「価値観」ということでしょう。 

   「価値観」→「文化」→「言語」の方が、分かりやすいかもしれません。

(引用終了)
 

……………………………

 
 以上の問題性の対策論が本書の中心になっています。

 詳細については、リンク画像から、上の記事を、参照してください。

 

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

  

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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2018センター国語第1問・現代文解説・的中報告・アフォーダンス

(1)2018センター試験国語第1問(現代文・評論)的中報告


(今回の記事の記述は太字にしました)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(以下、同じです)

 

 2018センター試験国語第1問(現代文・評論)『デザインド・リアリティ』において、「アフォーダンス理論」・「文化心理学」が出題されました。

 「アフォーダンス理論」・「文化心理学」は、「ポストモダン(脱近代)」・「近代批判」における著名論点である「自己相対化」、「中動態の世界」、「環境との関係性の重視・見直し」、「アニミズムの再評価」と、ほぼ同内容と言ってよいくらいに密接に関連しています。

 「自己相対化」、「中動態の世界」、「環境との関係性の重視・見直し」、「アニミズムの再評価」については、当ブログの複数の記事で解説しました。

 従って、今年も2017年度に続き、センター試験国語(現代文・評論)で当ブログは論点的中したようです。

 当ブログの的中実績は以下の通りです。

 

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 「アフォーダンス理論」・「文化心理学」を含めた、これらの論点は、「アイデンティティ」・「自己」・「主体性」関連の論点です。
 「アイデンティティ」・「自己」・「主体性」関連論点は毎年、現代文・小論文で一定の割合で出題されている頻出論点です。


 特に、個人の無力さが実感された東日本大震災以後、出題率が増加しています。
 そして、2018年度は、「アイデンティティ」が論点になっている『中動態の世界』(國分功一郎)、『勉強の哲学 』(千葉雅也)等が評判になったことにより、より一層、出題率が高まり、今年の流行論点になる可能性が高いと思われます。
 これからの国立大学・私立大学の国語(現代文)・小論文入試に、出題の可能性が高いので、今回の記事で解説・紹介することにします。

 

 そこで、今回はこの問題の重要設問、重要ポイントの解説と論点的中報告、論点解説をします。
 記事は約1万字です。

 

 なお、今回の記事の項目は、以下のようになっています。

(2)2018センター国語第1問(現代文)【問3】の解説ー「アフォーダンス理論」

(3)「アフォーダンス理論」に類似している「中動態の世界」

(4)2018センター試験国語第1問【問5】の解説ー「文化心理学」

(5)2012センター試験国語現代文「アフォーダンス理論」と「自己相対化」の類似性

(6)「アフォーダンス理論」と「アニミズム」との類似性

(7)『夢十夜・第六夜』(夏目漱石)と「アフォーダンス理論」との類似性

(8)「アフォーダンス理論」と「アニミズム」/日本人論・日本文化論

(9)「アフォーダンス理論」の解説ー『アフォーダンス入門』(佐々木正人)より

(10)「アフォーダンス理論」が慶應義塾大学(環境情報学部)小論文に出題されています

(11)センター試験現代文・出典『デザインド・リアリティ』の著者、有元典文氏、岡部大介氏の紹介

 

 

デザインドリアリティ[増補版]―集合的達成の心理学

 


(2)2018センター国語第1問(現代文)【問3】の解説ー「アフォーダンス理論」

 

 「アフォーダンス理論」と密接に関連する設問は問3と問5です。そこで、この2問の解説をします。(なお、他の設問は基礎的レベルです)

 はじめに、問3の解説をします。

 

【問3】に関連する本文

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(以下、同じです)

 

【10】今とは異なるデザインを共有するものは、今ある現実の別のバージョンを知覚することになる。あるモノ・コトに手を加え、新たに人工物化し直すこと、つまりデザインすることで、世界の意味は違って見える。例えば、B 図1のように湯飲み茶碗に持ち手をつけると珈琲カップになり、指に引っ掛けて持つことができるようになる。このことでモノから見て取れるモノの扱い方の可能性、つまりアフォーダンスの情報が変化する。

【11】モノはその物理的なたたずまいの中に、モノ自身の扱い方の情報を含んでいる、というのがアフォーダンスの考え方である。鉛筆なら「つまむ」という情報が、バットなら「にぎる」という情報が、モノ自身から使用者に供される(アフォードされる)。バットをつまむのは、バットの形と大きさを一見するだけで無理だろう。鉛筆をにぎったら、突き刺すのには向くが用途には向かなくなってしまう。

 

……………

 (設問)

【問3】

問3 傍線部B「図1のように」とあるが、次に示す(この記事では一部省略)のは、4人の生徒が本文を読んだ後に図1と図2(この記事では省略)について話している場面である。本文の内容をふまえて、空欄に入る最適なものを次の中から一つ選べ。

 

「生徒Aーーでは、デザインを変えたら、変える前と違った扱いをしなきゃいけないわけではないってことか。

生徒Cーーそれじゃ、デザインを変えたら、変える前と扱い方を必ず変えなければならないということではなくて、〔    〕ということになるのかな。

生徒Dーーそうか、それが、「今と異なるデザインを共有する」ことによって、「今ある現実の別のバージョンを知覚することになる」ってことなんだ。

生徒Cーーまさにそのとおりだね。」


①  どう扱うかは各自の判断に任されていることがわかる
②  デザインが変わると無数の扱い方が生まれることを知る
③  ものの見方やとらえ方を変えることの必要性を実感する
④  立場によって異なる世界が存在することを意識していく
⑤  形を変える以前とは異なる扱い方ができることに気づく

 

 (解説・解答)

「【10】例えば、B  図1のように湯飲み茶碗に持ち手をつけると珈琲カップになり、指に引っ掛けて持つことができるようになる。このことでモノから見て取れるモノの扱い方の可能性、つまりアフォーダンスの情報が変化する。

【11】モノはその物理的なたたずまいの中に、モノ自身の扱い方の情報を含んでいる、というのがアフォーダンスの考え方である。

の部分がポイントになっています。

 特に、太字の部分が重要です。

 正解は⑤です。

 

アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)

アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)

 

 

  『アフォーダンス入門』(佐々木正人)によると、

「アフォーダンス(affordance)」は、アメリカの心理学者J・J・ギブソンが提唱した概念で、「afford」と「-ance」の造語です。

 生態光学、生態心理学の基底的概念になっています。

 アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」ないしは「意味」のことです。

 これが本来の意味のアフォーダンスです。世界と行為者の間には無限の関係性(アフォーダンス)が存在します。

 動物や人は「その関係性」、つまり、「アフォーダンス」を見つけ、「何ができるか」を判断し行動をするわけです。

 

 デザイン分野では、「アフォーダンス理論」は、「物体の属性(形・材質等)が、物体の加工についてのメッセージをデザイナーに発している」とする考えです。

(「アフォーダンス理論」は、最近(2005年)、慶應義塾大学(環境情報学部)小論文でも出題されました(→この記事の最後で一部を紹介します)。
 センター試験で注目されたことにより、これからは、出題可能性が高まると思われます。)

 

 この理論を前もって知っていると、簡単な問題です。

 しかし、この理論を知らなくても、本文の説明が分かりやすいので、素直に熟読すれば、解答は容易でしょう。

 

 この「アフォーダンス理論」は、「主体性の相対化」を内容としているのです。
 「物体の加工」については、物体の属性(形・材質等)からのメッセージに拘束・支配されているので、そこには、「主体性の自由」はなく、「主体性」は、いかに能動的に見えても、半ば受動的な状態にあるのです。
 
 「アフォーダンス理論」の根底には、人間の頭脳内部で、全ての知覚・創造が開始し完結するのではない、という世界観があります。
 この考え方は、自己中心的な「近代的人間観」に反しています。
 まさに、「ポストモダン」の発想と言えます。

 

(3)「アフォーダンス理論」に類似している「中動態の世界」

 

 同様の「ポストモダン」の発想として、最近、『中動態の世界』(國分功一郎)が注目されています。

『中動態の世界』は「能動/受動の二分法」への疑問を提示しています。 

  「能動/受動の二分法への疑問」という点は、アフォーダンス理論と共通しています。

 

 以下に、「中動態の解説」をします。

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

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 かつて能動態でも受動態でもない「中動態」なる態が存在していました。

 「中動態」とはかつてのインド=ヨーロッパ語族(現在の英独仏露語のもと)に広く存在していた態です。プラトンやアリストテレスが活躍した古代ギリシャ時代では当然のように存在し、サンスクリット語にも同種の文法は見られるそうです。

 

 具体例としては、内面から自然に沸き上がってくる、喜怒哀楽のような感情表現をイメージすると、分かりやすいでしょう。

「私は喜ぶ」という表現は、自らの意志で喜んでいるかどうかは、多くは状況・環境によります。

 何か喜ばしい状況・環境の中で、自然に感情が発生したのだとすると、これを純粋な能動態として分類することは無理でしょう。

 

 この他にも、「謝る」・「仲直りする」など、相手と互いに心が通いあって、初めて成立する行為も「する/される」のみで単純に分類することは困難です。

 そこで、このような表現は、「中動態」の概念に含まれるのではないか、と國分氏は主張しているのです。

 この点について、國分氏はインタビューで以下のように発言しています。当ブログの最近の記事(「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)」)の一部を以下に引用します。

 

 ………………………………

 

(引用開始)

「  過去や現実の制約から完全に解き放たれた絶対的自由など存在しない。逃れようのない状況に自分らしく対処していくこと、それが中動態的に生きることであり、スピノザの言う『自由』に近付くこと。僕はこの本で自由という言葉を強調したかった」(國分氏の発言『文春オンライン』2017・5・14)

(引用終了)


………………………………

 

  『中動態の世界』には、同様の、以下のような記述があります。

 最近の記事 (「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(後編)」)から引用します。

 

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 ………………………………

 

(引用開始)

【能動と受動の度合い/純粋な能動にはなりえない

 國分氏は「スピノザ倫理学の一つの注意点」として、以下のことを指摘しています。

われわれはどれだけ能動に見えようとも、完全な能動、純粋無垢な能動ではありえない。外部の原因を完全に排することは様態には叶わない願いだからである。完全に能動たりうるのは、自らの外部をもたない神だけである。」  

(引用終了)

 

(4)2018センター試験国語第1問【問5】の解説ー「文化心理学」

 

【問5】に関連する本文

【19】(最終段落)

「  C  心理’学(しんりダッシュがく)」の必要性を指摘しておきたい。人間の、現実をデザインするという特質が、人間にとって本質的で基本的な条件だと思われるからである。人間性は、社会文化と不可分のセットで成り立っており、ヴィゴツキーが主張する通り私たちの精神は道具に媒介されているのである。したがって、「原心理」なるものは想定できず、これまで心理学が対象としてきた私たちのこころの現象は、文化歴史的条件と不可分の一体である「心理’学」として再記述されていくであろう。この「心理’学」は、つまり「文化心理学」のことである。文化心理学では、人間を文化と深く入り交じった集合体の一部であると捉える。この人間の基本的条件が理解された後、やがて「´」は記載の必要がなくなるものだと思われる。

(有元 典文・岡部 大介『デザインド・リアリティー 集合的達成の心理学』による)

 この段落については、次のような設問が出題されました。

 

(設問)

問5 傍線部C「心理’学(しんりダッシュがく)」の必要性」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から選べ。

 

(解説・解答)

 この設問の解答は①でした。①は、以下のような内容です。


①  人間が文化的歴史的条件と分離不可能であることに自覚的でない心理学は、私たちの私たちのこころの現象を捉えるには不十分でモノ、自らがデザインした環境の影響を受け続ける人間の基本的条件とし、そのような文化と心理とを一体として考える「心理´学」が必要であるということ。

 

 傍線部の後ろの、
「私たちのこころの現象は、文化的歴史的条件と不可分の一体である『心理´学』として再記述」、
「この『心理´学』は、つまり『文化心理学』のこと」、
「『文化心理学』では、人間を文化と深く入り交じった集合体の一部であると捉える」
から、①が正解となります。


 傍線部直後の「文化心理学」の内容を読み取る問題でした。

 出題者が本文から「文化心理学」の「特異性」を読み取ってもらいたかったのでしょう。

 

 なお、他の選択肢は、以下の理由によって、誤りになります。

②  「人工物化された新たな環境に直面した際に明らかになる人間の心理」の部分が、本文にこのような記述がなく、誤りです。誤りです。

③  「心理学実験室での人間の「記憶'」を動物実験で得られた動物の「記憶ʼ 」とは異なるものとして認知し研究する」の部分が、本文にこのような記述がなく、誤りです。

④  「こころの現象を文化歴史的条件と切り離した現象として把握し、それを主要な研究対象としてきた既存の心理学」とありますが、「既存の心理学」は、意識的に「こころの現象を文化歴史的条件と切り離した現象として把握した」わけではないので、誤りです。

⑤  「ある行い(「行為」)結果と別の行い(「行為'」)の結果」を比較するような内容ではないので、誤りです。


 ここで言う「文化心理学」は、「アフォーダンス理論」と同様に、「主体性」・「アイデンティティ」・「自己」の「相対化」の発想が背景にあります。

 「アイデンティティ」・「自己」・「主体性」を、他の何物からも影響を受けない、「確固とした独立性のあるもの」と把握する「近代的な自己概念」は、現実の実態に大きく反するのです。

 「近代的な自己概念」を、「単なる机上の空論」あるいは「理想論」とする論考が、最近では増加しています。

 このような「ポストモダン」的論考が、最近のセンター試験、難関大学・入試国語(現代文・評論)・小論文の出典として主流になっています。

 

 上記の『デザインド・リアリティー』の記述(→「『原心理』なるものは想定できず、これまで心理学が対象としてきた私たちのこころの現象は、文化歴史的条件と不可分の一体である『心理’学』として再記述されていくであろう」)は『中動態の世界』(國分功一郎)における、「古代ギリシャ哲学の『意志概念の不在』」「中動態」の説明と、ほぼ同内容であり、とても興味深いです。

 

 当ブログの予想問題記事(「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)」)から、「古代ギリシャ哲学の『意志概念の不在』」「中動態」の説明を以下に引用します。


………………………………

 

(引用開始)

「中動/能動」という対で語られる時、問題になるのは「過程の内か外か」でした。

 ここで、古代ギリシアに「意志」という概念はなかった、という衝撃の事実が、明らかにされてます。

 中動態の動詞「生まれる、思われる、現れる」は、自由な意志による主体的な行為ではない、ということです。そして、「能動/受動の対」で人間の行動を判断しようとする思考が、中動態的思考を抑圧した可能性が明らかにされます。


「中動態と対立するところの能動態においては、ーーこう言ってよければーー主体は蔑ろにされている。『能動性』とは単に過程の出発点になるということであって、われわれがたとえば『主体性』といった言葉で想像するところの意味からは著しく乖離している」 (P91)

 

 能動態と中動態の対立が、能動態と受動態の対立に転じたということは、意志の有無が問題にされるようになったことを意味します。つまり、「能動/中動」が対立する世界には、「意志」は存在しなかった。つまり、古代ギリシアには、アリストテレスの哲学には、「意志」の概念はなかったのです。

 

 重要なことなので、本書から引用します。

「  アレントによれば、ギリシア人たちは意志という考え方を知らない。彼らは意志に相当する言葉すらもたなかった。ギリシアの大哲学者アリストテレスの哲学には、意志の概念が欠けている。」(P100)

(引用終了)

 

…………………………

 

 まさに『中動態の世界』は『デザインド・リアリティ』に、きわめて類似した発想です。この『中動態の世界』の発想によると、「私」と「外界」は渾然一体です。

 

 以上の『中動態の世界』における「古代ギリシャ哲学の『意志概念の不在』」「中動態」の、さらなる詳しい説明については、当ブログで上記のリンク画像から「予想出典(問題)記事」を参照してください。

 『中動態の世界』は、心理学的側面もある重層的な良書です。


 

(5)2012センター試験国語現代文「アフォーダンス理論」と「自己相対化」の類似性

 

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 「2012センター国語第1問解説「境界としての自己」木村敏・関係性」から、「自己相対化」の説明部分を引用します。
 

……………………………

 

(引用開始)

 本問の

「自己の相対化」・「自己の否定」、
そして、これと表裏一体の、
「自己と他者の境界の重視」・「関係性の重視」・「間主観性の重視」は、
最近流行の現代文・小論文の論点・テーマです。

 これらの論点・テーマは、「自己」・「アイデンティティ」・「個性」・「私らしさ」の、過度の重視が目立ってきた10年くらい前(キラキラネームの氾濫が目につく頃)から出題され始め、東日本大震災以後、明らかに増加しました。

 

 木村敏氏が主張する「自己概念の相対化」は、「自己概念そのものの否定」では、ありません。

 一般的・常識的な「自己概念」から派生する、
「個人の深刻な孤立化」、
各種の(「自己概念」の誤解に基づく)「傲慢」、

「共同体軽視・無視・嫌悪」、
「倫理・モラルの軽視・無視」
等のマイナス面を回避するために「新たな自己概念」を構築しようするものです。


 それでは、2012年度のセンター試験国語(現代文)[1]の問題文本文・設問を検討します。

 出題者の問題意識が、色濃く出ている設問(問5・問6)を、中心に解説していきます。

 

 まず、問5を検討します。問5に関する本文を読んでください。

「ふつうにいわれる『自他関係』とは、境界線上でかわされる心理的な関係ということだろう。そこではやはり境界をはさんだ二つの領域が想定されていて、他者は外部世界に、自己は内部世界におかれることになる。D しかし、そのようなイメージは、特異点としての『私』という自己を考える場合には適切でない。『私』が円の中心だとするならば、私以外のすべての他者は中心の外にいることになる。『私』自身ですら、これを意識したとたんに中心から外に押し出される。しかし中心には内部というものがない。」

 

問5 傍線部D「しかしそのようなイメージは、特異点としての『私』という自己を考える場合には適切でない。」とあるが、筆者はどのような考えから適切でないと判断しているのか。その説明として最も適当なものを次の①~⑤のうちから1つ選べ。

 

 正解は、③でした。(他の選択肢が不適当な理由については、他の解答集を参照してください。)

 

③ 他者の属する外部世界との対立関係で自己をとらえる見方は、境界に隔てられた空間的な内部世界を想定しているが、絶対的な異質性をもつ「私」の自己意識は内部空間をもたない円の中心のようなものであり、むしろ他者との境界そのものにほかならないという考え。

 

………

 

 問5は、何を聞きたかったのでしょうか?

 この設問は、「自己」についての、一般的・常識的な理解と、木村氏の見解との、際立った相違点を、聞こうとしています。

 「自己」についての木村氏の見解は、一般的・常識的な理解と、まるで正反対です。

 

 「私の自己意識」は、「他者との境界そのもの」と、木村氏は、主張しています。

 「自己」は、「硬い外枠を持った内部世界」ではないのです。

 

 近代的常識は、ここでは、全く通用しません。

 反発心を持たないで、木村氏の論考の文脈を理解することが、ここでのポイントです。

 

 「一般的な常識」も、あなたの外部から、やって来たものに過ぎないのです。

 「一般的な常識」に、あまりこだわらないことが、現代文(国語)・小論文対策の重要ポイントと言えます。

(引用終了)

 

 

 (6)「アフォーダンス理論」と「アニミズム」との類似性

 

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  「2009早大政経学部現代文解説「『安楽』への全体主義」藤田省三」の中から、実質的に「アフォーダンス理論」と類似の見解を述べている部分を、赤字化して引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

 (藤田省三氏の論考)(概要です)

「【5】必要物の獲得とか課題や目標の達成とかのためには、もともと避けることの出来ない道筋があって、その道筋を歩む過程は、多少なりとも不快な事や苦しい事や痛い事などの試練を含んでいるものである。そして、それら一定の不快・苦痛の試練を潜り抜けた時、すなわちその試練に耐え克服して道筋を歩み切った時、その時に獲得された物は、単なる物それ自体だけではなくて、成就の「喜び」を伴った物なのである。そうして物はその時十分な意味で私たちに関係する物として自覚される。すなわち、〔B=相互〕的な交渉の相手として経験を生む物となる。「大物主の神」(おおものぬしのかみ)

(→「偉大なモノの神」という意味。「モノ」とは「人が畏怖の念を感じる、魔性を持つ存在。精霊」という意味。「物」は「物の怪(け)」《→もちろん、宮崎駿作品の『もののけ姫』は、この言葉に由来しています》の「モノ」です。「モノ」は「神」という側面を有していました。「大物主の神」は精霊の上に君臨する神なのです)

とも呼ばれ、「物語り」

(→「(物)もの」は「鬼」や「霊」など「不思議な霊力を持つもの」をいう言葉であったので、もともとは、「現実から離れた世界を語る」という意味で「物語」の語が発生したとも考えられるのです)

とも称されて来た、そういう「物」は、明らかに唯の単一な物品それ自体ではなくて、様々な相貌と幾つもの質を持って私たちの精神に動きを与える物(→「アニミズム的な発想」・「アフォーダンス理論的発想」といえます)なのであった。そして成就の「喜び」はそうした精神の動きの一つの極致であった。」

 

 ーーー

 

(当ブログによる発展的解説)

 藤田省三氏は、上記の段落で、「物」との「アニミズム的な交流」、つまり、「霊的な交流」(→「アフォーダンス的」交流とも評価できます)まで意識しているようです。「もったいない精神」、「物を大切する」よりも、さらに上のレベルです。

 それと、「使い捨て社会」「消費社会」とでは、大きな落差があります。

 

 日本の「妖怪」という概念も「アニミズム」に属するといえます。

 『もののけ姫』の世界のように、身近に自然が横溢していた時代には、人々は自然の中に「生命の脈動」を敏感に感じる取るとることができました。

 さらには、岩石や川、夜空の星にまで、「命の脈動」を見いだしたに違いないのです。

 『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『となりのトトロ』などの宮崎駿作品の根元的意味を考察する論考は、最近の入試現代文(国語)・小論文によく出題されています。

 それらの論考は、いずれも、痛烈な「現代文明批判」の内容になっています

(引用終了)



 (7)『夢十夜・第六夜』(夏目漱石)と「アフォーダンス理論」との類似性

 

 

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 夏目漱石の『夢十夜・第六夜』の中にも、アニミズム的、アフォーダンス理論的な内容の一節があります。上の記事の、その部分を赤字化して、以下に引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

【8】 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪(たて)に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一(ひ)と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾(さしはさ)んでおらんように見えた。
【9】 「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。

(引用終了)

 

二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑

 

 

(8)「アフォーダンス理論」と「アニミズム」/日本人論・日本文化論

 

 「アニミズム」は「日本人論」・「日本文化論」として論じられることがあります。内容的には、「アフォーダンス理論」と、きわめて類似しています。以下に、「日本人論・日本文化論としてのアニミズム」の秀逸な論考を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

(松岡) かつて才能というものは日本の場合、「才」が全部物質の中にあったんです。

 それを「才(ざえ)」と呼びましたけれど、石に才があり、木に才があり、花に才があり、釘に才がある。それをはたらかせるというのがモーメントとしての「能」という字なんです。

 それが、やがて能をはたらかせる人に才能があるというように、どこからか変わってしまった。でも、石に才能があるほうが、ほんとうだと思うんですよ。

.(佐治晴夫、松岡正剛『二十世紀の忘れもの トワイライトの誘惑』)

(引用終了)

 

アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)

 

 

(9)「アフォーダンス理論」の解説ー『アフォーダンス入門』(佐々木正人)より

 

 『アフォーダンス入門』から「アフォーダンス理論」のポイントを引用します。

 まず、『アフォーダンス入門』の「Book紹介」を引用します。次に、「アフォーダンス理論」のポイントを引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

【 内容紹介(「BOOK」データベースより)】

「アフォーダンスとは環境が動物に提供するもの。身の周りに潜む「意味」であり行為の「資源」となるものである。地面は立つことをアフォードし、水は泳ぐことをアフォードする。世界に内属する人間は外界からどんな意味を探り出すのか。そして知性とは何なのか。二〇世紀後半に生態心理学者ギブソンが提唱し衝撃を与えた革命的理論を易しく紹介する。」

 

【本文からの引用】

「  生きもののするあらゆることは、それだけ独立してあるわけではない。行為があるところには、かならず行為を取り囲むことがある。まわりがあって生きもののふるまいがある。」(P30)

 

「  世界からの刺激を処理して中枢が「意味」をつくると考える「情報処理」理論にたいして、彼は世界にある意味をそのまま利用する自分の知覚モデルを「情報ピックアップ(抽出)」理論とよんだ。彼はぼくらが世界を「直接知覚(ダイレクト・パーセプション)」していると言った。世界にはそのまま意味になることがある。知覚とはそれを探す活動なのである。」(P78)

 

「  行為のプランが行為に先立ってどこか(脳?)に「スケジュール表」や「フローチャート」のようにあるという説明の仕方にならされているぼくらには、このような事実をすぐに理解することは困難なのだけれど、行為の未来をつくりだすことは、行為が徐々にあらわにする環境の変化の中にあるというわけだ。」(P134)

 

「  行為によって「環境を変えていく」とき、行為によって環境の見えが変わる。
 行為はこの行為がつくった変化によって予期的につくられている。行為が変えた環境の見えが、引き続く行為を導く。ぼくらは行為の環境におよぼした結果に、つぎの行為の可能性の幅を見る。」(P208) 

 (引用終了)

 

(10)「アフォーダンス理論」が慶應義塾大学(環境情報学部)小論文に出題されています

 以下に入試問題を引用します。


……………………………

 

(引用開始)

2005年慶應義塾大学(環境情報学部)小論文・課題文

 

 人が作り出すあらゆる物を人工物といいます。人工物の使いやすさや分かりやすさを決める概念の一つとして、アフォーダンスがあります。アフォーダンスに関して書かれた資料1をよく読んでください。次に、あなた自身の身の回りでアフォーダンスが充分でないため、あるいは間違ったアフォーダンスのために、使いやすさや分かりやすさが損なわれている実例を2つ挙げてください。それらについて、それぞれ、図示して、どこがどう使いにくいか、あるいは分かりにくいか、またどのようにすれば改善できるかを、250字以内で具体的に説明してください。

 

【資料1】 

愚かなデザイン

 『誰のためのデザイン?』の中で、私(=ドナルド・ノーマン)は電灯のスイッチや水道の蛇口あるいはドアについてデザインの問題を詳しく述べたので、ここで、さらに繰り返す必要はないと思うが、それでもまだ、私を驚かせる例は次々と現われる。1の漫画「DRABBLE」を見るまでは、もうドアのことは決して書くまいと思っていた。その漫画の「主人公」はノーマンという名前(意地悪な偶然の一致だ)である。さっそく、ノーマンの言い訳をさせてもらいたい。

 どうして、ドアのような単純なものに「押す」とか「引く」というような言葉による注意書きが必要なのだろうか。もし、ドアが正しくデザインされていたら、説明は不要なはずである。正しい操作以外に何もできないはずだから。

 気の毒なノーマンが押しているドアをもう一度よく見てほしい。ドアの把手(とって)は平らな板でドアのガラスから少し持ち上がっている。しかし、平らな板は明らかに押すというサインである。私はそのノーマンがドアを押しているのを責めるわけにはいかない。こっちのノーマンだって同じことをしたに違いないからである。実は、私はよくドアの近くにそっと立って、そういうドアに対して人々がどう振る舞うかを見ているが、普通平らなものに対しては人は押すものだということがわかる。だからこそ平らにしてあるのではないだろうか。

(引用終了)

 

(11)センター試験現代文・出典『デザインド・リアリティ』の著者、有元典文氏、岡部大介氏の紹介

 

有元 典文

1964年生まれ。川村学園女子大学文学部助手、講師を経て、横浜国立大教育学部教授。専門は教育心理学・文化心理学。 

【著書】
『インプロをすべての教室へ 学びを革新する即興ゲーム・ガイド』(共著、新曜社)、
『学校インターンシップの科学』(共著、ナカニシヤ出版)、  
『越境する対話と学び』 (共著、新曜社)  
『学び手の視点から創る小学校の体育授業』(共著、大学教育出版)
『デザインド・リアリティ―半径300メートルの文化心理学』(共著、有元典文・岡部大介、北樹出版)
『デザインド・リアリティ 集合的達成の心理学 増補版』(共著、有元典文・岡部大介、北樹出版)

 


岡部 大介

1973年生まれ。2001年より横浜国立大学教育学研究科助手を経て、東京都市大学准教授、慶應義塾大学SFC研究所上席研究員。 山形県鶴岡市出身。 専門は認知心理学・社会情報学。

【著書】
『ケータイのある風景』(共著、北大路書房)
『ワードマップ 社会・文化・活動の心理学』(共著、新曜社)
『デザインド・リアリティ 半径300メートルの文化心理学』(共著、有元典文・岡部大介、北樹出版)
『デザインド・リアリティ 集合的達成の心理学 増補版』(共著、有元典文・岡部大介、北樹出版)

 

 

 ーーーーーーーー


 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

  

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

アイデンティティ・主体性/2018予想論点/体系的総整理③

(1)はじめに/早くも、当ブログの予想問題記事が2018センター試験国語第1問(現代文・評論文)に論点的中(「主体性の相対化」)しました

 

(今回の記事の記述は太字にしました)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)


 『中動態の世界』(國分功一郎)、『勉強の哲学 』(千葉雅也)等が評判になったことにより、「アイデンティティ」の論点が、今年の流行論点になる可能性が高いと思われます。

 「アイデンティティ」は毎年、現代文・小論文で一定の割合で出題されている頻出論点ですが、2018年度は、より一層、出題率が高まると予想されるのです。

 

 さっそく、2018センター試験国語(現代文)「アフォーダンス」が出題されました。

 「物体の属性(形・材質等)が、物体の加工についてのメッセージをデザイナーに発している」とする考えです。

 2018センター国語(現代文)の出典『デザインド・リアリティ』は2008年発行です。なぜ10年前の本から出題されたのでしょうか?

 評判の哲学書『中動態の世界』(國分功一郎)のインパクトにより、「主体性の相対化」、「環境からの影響の重要性」が注目されていることが背景にあるのではないか、と思われます。

 

 また、2018センター試験国語(現代文・評論)の結論部分は 「原心理なるものは想定できず私達の心の現象は、文化歴史的条件と不可分の一体である‘心理学として再記述されていくであろう」となっています。

 この記述は『中動態の世界』(國分功一郎)における、「古代ギリシャ哲学の『意志概念の不在』」と「中動態」の説明と、ほぼ同内容であり、とても興味深いです。

 以上の『中動態の世界』における「古代ギリシャ哲学の『意志概念の不在』」と「中動態」の説明については、当ブログで予想出典(問題)記事として発表済みなので、ぜひ参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 今回の記事では、「アイデンティティ」・「自己」を、主に「主体性」・「自発性」、「思考」・「意志」の側面から考えて、当ブログの今までの記事を体系的に整理していきます。

 中心となるのは、『中動態の世界』関連記事です。

 適宜、「新情報」も追加します。

 

  そもそも、当ブログは以下の基本的方針で作成しています。

 以下に、当ブログの第1回記事の「開設の言葉」を引用します。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 ……………………………

 

 (引用開始)

 今現在の入試現代文・小論文の最新傾向として、注目するべきポイントとしては、2つの大きな柱があります。

【1】1つの柱は、「IT社会の光と影と闇」です。

 この論点・テーマは、3・11東日本大震災の前から登場していたので、割と有名ですが、最近のスマホの爆発的な流行により、新たな論点・テーマが発生しています。

 

【2】 もう1つの柱は、「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」です。

 「各方面」は、実に多方面にわたっています。

 2016年の、センター試験や難関大学の現代文(国語)・小論文入試問題を、検討している現在も、この考えは変わってはいません。 

(引用終了)

 

 ……………………………

 

(今回の記事の記述)

 上記の「東日本大震災」と「情報化社会」・「IT化社会」の視点から見ても、「アイデンティティ」・「主体性」の論点は重要です。

 

 「東日本大震災」からの視点とは、

この出来事が、

「生と死」・「本質」・「人生」・「人生観」・「世界観」の「見直し」の契機、

「アイデンティティ」・「自己」・「主体性」の相対化、

「絆」・「共同体」・「人間関係」の再評価、

「ニヒリズム」の蔓延、

の契機になったということです。


 「情報化社会」・「IT化社会」からの視点とは、

「情報化社会」・「IT化社会」と「消費社会」が車の両輪となり、

人々の「暇」・「思考」・「自由」・「主体性」・「自主性」・「自己」の「搾取」をしているということです。

 

 前回の記事(「情報化社会・IT化社会/2018予想論点/体系的整理②」)に引用した入試頻出著者・國分功一郎氏の発言(2018年1月1日の朝日新聞)は「アイデンティティ」・「主体性」を考える際にも、かなり参考になるので、再掲します。

 

 ……………………………


(引用開始)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

「(國分功一郎氏は)いまや平成の日常となった、満員電車の風景を例に語り始めた。多くの人がぼうっとスマホを見ている。消費社会は私たちを終わることのない消費のゲームに投げ込み、もはや依存症(→一種の「自己喪失」・「自己疎外」と評価できます)に近い。平成にもたらされたのは、依存を利用して人々にお金を使わせる仕組みではないでしょうか(→「資本主義」・「高度消費社会」による「マインドコントロール」・「飼育」です。「健康ヒステリー」も、同様です)」

 暇は「自分で自分のすることを決められる自由」。(→これこそ「自主性」・「自己確立」です)

 退屈は「満たされない状態」。
 國分はそう整理し、「暇だからといって退屈するわけではない」と言う。
 平成になってIT化が進んでも、人々は楽になるどころか逆に長時間、仕事に拘束される(→「IT化社会のマイナス面」です。「人間のロボット化・」が進行中です)。仕事以外も誰かとつながり続けている。(→「不安感」・「自己承認欲求」と言えます)

 自分が本当にしたいことは何なのか。心身が疲れてそれを考えられない。(→「思考停止」・「自己喪失」・「自己疎外」・「反知性主義」) 楽しむ(→「人生を楽しむ」ということです。「生の喜び」・「生きがい」そのものです)には、自分と向き合う時間や訓練が必要(→「思索の訓練」、または、國分氏が『暇と退屈の倫理学』で強調している「動物的とりさらわれ(没頭)」の訓練)なのです。人は楽しみ方を知らないと、暇、自由の中で退屈する。退屈がつらいから、スマホに貴重な時間を奪われる」

 國分はユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを思い出したと言う。
「アーレントは『孤独と寂しさは違う』と言っています。孤独とは、私が自分自身(→ここで言う「自分自身」とは、「思い出」・「課題」・「予定」・「夢」・「ビジョン」・「身体」・「感覚」・「欲望」・「意欲」等です)と一緒にいること(→「味わうこと」・「思考」・「思索」・「自問自答」)。自分と一緒にいられない人が寂しさを感じ、一緒にいてくれる他者を求める。だから、自己と対話できない。孤独にならなければ、人はものを考えられない。孤独(→ある意味で「自己そのもの」です)こそ、現代社会で失われているものです。」 (『朝日新聞』2018・1・1/平成とは/第一部 時代の転換/3幸福論/「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」) 

(引用終了)

 

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朝日新聞デジタル for Tablet

朝日新聞デジタル for Tablet

 

 

 

 なお、最近、発表した「2018予想論点/体系的整理①・②」については、以下のリンク画像から、ご覧ください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 今回の記事の項目は以下のようになっています。

 

(2)『中動態の世界』ー「アイデンティティ」・「主体性」概念の再検討

(3)「自己喪失」・「自己疎外」/「思考停止状態」・「マインドコントロール」・「隷属的思考」・「反知性主義」

(4)対策ー「真のアイデンティティ」を取り戻すためには/対策論

(5)「自己肯定」・「自己承認」・「承認欲求」

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

(2)『中動態の世界』ー「アイデンティティ」・「主体性」概念の再検討

 

①『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 最近評判になっている『中動態の世界』(國分功一郎)は、現在の「アイデンティティ」概念・「主体性」概念を根本的に見直す契機になる名著と言えます。

 この本を読めば、自責・責任感・自省に捕らわれ過ぎることはない、ということが分かります

 環境・状況・外部の中で、折り合いをつけながら、人間は仕方なく生き考えているという側面があるのです。

 「自己」・「主体性」が自分のすべてをコントロールしているわけではないのです。

 

 上記の記事のポイント部分を引用します。 

…………………………… 

 

(引用開始)

(2)『中動態の世界』の解説 ② 能動と受動をめぐる諸問題

 以下では、「能動/受動の二分法」と「意志・責任」の「密接な関係」についての記述が展開されます。

 本書の最重要部分です。

 大げさに言えば、この世の中の隠されたスリラーについて、冷静に記述されています。

「 『能動と受動の区別』は、すべての行為を『する』か『される』かに分配することを求める。しかし、この区別は、以上のことを考えてみると、非常に不便で不正確なものだ。だが、それにもかかわらず、われわれはこの区別を使っている。そしてそれを使わざるをえない。どうしてなのだろうか。」(P21)

「  能動/受動の区別の曖昧さとは、要するに、意志の概念の曖昧さなのではないか? 一方、能動や意志という概念は実に都合よく使われるものである。」(P24~26)

 

 上記の「能動や意志という概念は実に都合よく使われるものである」については、以下のように説明しています。

「  能動における『する』という行為の出発点は『私』にあり、また『私』こそがその原動力であることを強調する。だから、そこには『意志』の存在が喚起されてくる。そして、自分の『意志』で自由に選択した行為であるからには、そこには『責任』が伴ってくることにもなる。」(P22)

「  責任を負うためには人は能動的でなければならない。人は能動的であったから責任を負わされるというよりも、責任あるものと見なしてよいと判断されたときに、能動的であったと解釈されるということである。意志を有していたから責任を負わされるのではない。責任を負わせてよいと判断された瞬間に、意志の概念が突如出現する。

  『夜更かしのせいで授業中に居眠りをしているのだから、居眠りの責任を負わせてもよい』と判断された瞬間に、その人物は、夜更かしを自らの意志で能動的にしたことにされる。

 つまり、責任の概念は、自らの根拠として行為者の意志や能動性を引き合いに出すけれども、実はそれらとは何か別の判断に依拠しているということである。」(P25・26)

 

 「能動態」→「意志」→「主体性」→「責任」の流れは、極めて論理的に見えます。

 しかし、立ち止まって考えてみれば、詭弁のような怪しさに満ちた、胡散臭い言葉の構築に過ぎないのではないでしょうか。

 この点について、國分氏は、以下のように、説明しています。短い文章ですが、衝撃的な内容を含んでいるようです。

「  意志の概念が引き合いに出されたり、行為が能動と受動に振り分けられることには、一定の社会的必要性があることを意味している。」(P29)

 

 上記の文章は、読んでいて、ゾッとする内容です。「能動性と責任の密接な関係」、「主体性のリスク」が、よく分かります。以下の文章と合わせて読むことで、より理解が進むでしょう。

「  能動と受動の区別は、責任を問うために社会がある必要とするものだった。だが、社会的必要性はこの区別を単に想定し、要請しているのであって、それを効果として発生させているのではない。」

「  この区別はふだん、われわれの思考の中でまるで必然的な区別のあるかのように作用している。従って、この区別の外部を思い描くことは容易ではない。われわれは能動でも受動でもない状態をそう簡単には想像できない。」(P 32・33)

 まさに、スリラーです。日本の学校教育の強固さ、徹底性が、よく分かります。
 言語や文法が、権力による制度的支配の、見えない、隠された道具のように見えます。

 言語の法則に過ぎないと思われている文法が、責任の基礎にあること。

 このことは、驚きでしか、ありません。

 

 私たちは自由に思考するように思っていますが、実は、文法に支配されているということです。思考は言語の組み合わせにより構築されるのですから、このことは当然のことなのです。日々、意識していないだけです。そして、自由だと思いこんでいるだけです。

 

 さて、以下の文章から、さらに、「新たな驚き」の事実が明らかになります。丁寧に読んでください。「哲学的な覚醒のスタート」です。

「  フランスの言語学者バンヴェニストがはっきりと述べていることだが、能動と受動の対立というのは、一度これを知ってしまうとそれ以外のものが認められなくなるほどに強力だけれども、少しも普遍的なものではない。バンヴェニストは『多くの言語が能動態と受動態の対立を知らないし、そもそも、インド=ヨーロッパ語族の諸言語の歴史においても、この対立は比較的最近現れたものなのだ』と述べている。」(P34)

 (引用終了)

 ……………………………

 

 (今回の記事の記述)

  さらに、上記の記事のポイント部分を引用します。

 ……………………………

 

(引用開始)

(2)『中動態の世界』の解説 ④中動態の意味論

 本書によると、

「主体から発して主体の外で完遂する過程」として、「能動態しかない動詞」として挙げられているのは、「曲げる」「食べる」「与える」などです。

 一方で、「主語がその動作主である過程の内部にいる」として、「中動態しかない動詞」として挙げられているのは、「生まれる」「死ぬ」「寝ている」などです。(P86)

 

 中動態が指し示していたのは、「主語が過程の内部にある」状態です。中動態のみをとっていた動詞、たとえば「できあがる」「惚れ込む」「希望する」などは、どれも、生成の過程、感情に突き動かされている過程、未来に期待している過程を表しています。

 逆に能動態のみをとっていた動詞、たとえば「行く」や「食べる」は、「行ってしまう」や「平らげる」といったニュアンスを持ち、主語が完結した過程の外部にいる状態を表していました。(P88・89 )

「中動/能動」という対で語られる時、問題になるのは「過程の内か外か」でした。


 ここで、古代ギリシアに「意志」という概念はなかった、という衝撃の事実が、明らかにされてます。

 中動態の動詞「生まれる、思われる、現れる」は、自由な意志による主体的な行為ではない、ということです。そして、「能動/受動の対」で人間の行動を判断しようとする思考が、中動態的思考を抑圧した可能性が明らかにされます。


「中動態と対立するところの能動態においては、ーーこう言ってよければーー主体は蔑ろにされている。

 

『能動性』とは単に過程の出発点になるということであって、われわれがたとえば『主体性』といった言葉で想像するところの意味からは著しく乖離している」 (P91)

 能動態と中動態の対立が、能動態と受動態の対立に転じたということは、意志の有無が問題にされるようになったことを意味します。つまり、「能動/中動」が対立する世界には、「意志」は存在しなかった。つまり、古代ギリシアには、アリストテレスの哲学には、「意志」の概念はなかったのです。

 

重要なことなので、本書から引用します。

「 アレントによれば、ギリシア人たちは意志という考え方を知らない。彼らは意志に相当する言葉すらもたなかった。ギリシアの大哲学者アリストテレスの哲学には、意志の概念が欠けている。」(P100)

 (引用終了)

 

……………………………

 

 (今回の記事の記述)

 上記の、めまいのするような、驚くべき内容を、よく熟読してください。

 何かが、足元から、崩れるような感じさえ、します。

 「中動態の世界」を知ることで、「意志」・「主体性」・「自己」(アイデンティティ)の過大評価を見直すことができます。

 肩から力を抜いた人生を送ることができます。

 伝統的な生き方を知ることができたからです。

 

②『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(後編)

 

gensairyu.hatenablog.com

 

上の記事のポイント部分を引用します。

……………………………

 

(引用開始)

(2)「第5章・意志と選択/アレント」の解説

(引用部分は概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

【アレントの意志論】

 本書によると、アレントは「能動/受動の図式」にこだわり、「中動性」の正しい理解に至っていないようです。國分氏は、アレントの『精神の生活』を解説しつつ、その点を厳しく指摘していきます。


 初めに、國分氏は、「アレントの意志の定義」を呈示しています。

「  アレントは次のように述べている。
 われわれは記憶は、過去に関わる精神的な器官と見なすことができる。 それは過ぎ去ったものにかかわっているからである。ならば同じ意味で、われわれは未来にかかわる精神的な器官を考えることができるだろう。それが意志である。」(P128 )

 

 アレントが批判している「アリストテレスの可能態の考え方」は、「未来は過去に存在していたものの帰結以外のなにものでもない」としています。

 この説に対して、アレントは次のように指摘しています。

「実在する一切のものには、その原因の一つとしての可能態が先行しているはずだ、という見解は、暗々裏に未来を、真正な時制とすることを否定している。」(P129)

 

 アレントは「未来」と「意志」の存在を強く主張しています。『中動態の世界』から引用します。

「アレントによれば、未来が未来として認められるためには、未来は過去からの帰結であってはならない。未来は過去から切断された絶対的な始まりでなければならない。そのような真正な時制としての未来が認められれたとき、はじめて意志に場所が与えられる。始まりを司る能力、何事かを始める能力の存在が認められることになる。」(P130)

 
 次に、『中動態の世界』は「意志と選択の違いとは何か?」の論点に入ります。
 まず、國分氏は、次のように述べています。

「意志の概念は、責任の概念と結びついている。われわれは、意志を、何ごとかを開始する能力として理解している。だからこそ、この言葉に基づいて責任を考えることができる。 」(P130)

 

【意志と選択の違いとは何か?】

 それでは、意志と選択の違いは何でしょうか?
 國分氏は、以下のように記述しています。

ある行為が過去からの帰結であれば、その行為をその行為者の意志によるものと見なすことはできない。その行為はその人によって開始されたものではないからである。たしかにその行為者は何らかの選択はしたのだろう。しかしこの場合、選択は諸々の要素の相互作用の結果として出現したのであって、その行為者が己の意志によって開始したのではないことになる。

 日常において、選択は不断に行われている。そして選択はそれが過去からの帰結であるならば、意志の実現とは見なせない。ならば次のように結論できよう。意志と選択は明確に区別されねばならない。」 (P131)

(引用終了)

 

  

(3)「自己喪失」・「自己疎外」/「思考停止状態」・「マインドコントロール」・「隷属的思考」・「反知性主義」

 

 「自己喪失」・「自己疎外」も「アイデンティティ」・「主体性」に関連する重要論点です。

 「自己喪失」・「自己疎外」は、「思考停止状態」・「マインドコントロール」・「反知性主義」を含むので、以下では、「思考停止状態」・「マインドコントロール」・「反知性主義」について解説した記事を紹介します。

 

①「予想問題・丸山真男『日本の思想』Ⅳ「である」ことと「する」こと①」/「思考停止状態」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイント部分を引用します。 

 ……………………………

 

(引用開始)

 鷲田清一氏は、「現代日本の思考停止状態」を以下のように論じています。(以下は概要です)

(なお、赤字は当ブログによる強調、青字は当ブログによる注です)

 

「正面からはなかなか反対しにくい問題というのが、いまの社会には意外と多くある。(→当ブログによる注→この状態を、難関大学の入試現代文(国語)・小論文に出題されている論考では、「全体主義的傾向・風潮」と表現していることもあります)

 たとえば「エコ」。いま、環境保護に反対するひとはたぶんいないだろう。けれども環境保護がめざす人類文明のサステイナビリティ(持続可能性)について言えば、人類文明が育んできた諸価値のうちのいったい何をサステイン(維持・育成)するのかについて、突っ込んで議論されてきたとは思えない。くわえて、地球温暖化が科学的に実証されたことなのか・・・・・・。こうした問いよりも、それを大きな声では発しにくい空気のほうが、わたしにははるかにリアルに迫っている。

 「安心・安全」がいかに監視社会の深化と連動しているかの指摘も、何かひねくれ者の発言であるかのように受けとられる。あるいは「イノベーション」。〈新しさ〉の形而上学(→当ブログによる注→「哲学」という意味)こそ近代という時代を空転させることになった元凶であることの指摘も無視して、「イノベーション」がいかにもニューウェイヴであるかのように呼びかけられる。

 ああでもない、こうでもないとじっくり吟味する余裕もないままに、こぞって思考停止状態に陥っているという印象が拭(ぬぐ)えない。言いかえると、論理に代わってイメージの連接が、推論を駆動しているかのような印象が拭えない。」(『わかりやすいはわかりにくい?』(鷲田清一)の第13章「わかりやすいはわかりにくい?ー知性について」の冒頭部分)

 (引用終了)

 

 

②「現代文・小論文キーワード・最新オススメ本『現代思想史入門』船木享」/「隷属的思考」・「マインドコントロール」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイント部分を引用します。

……………………………

 

(引用開始)

【 第1章 生命   4 生命政治   生と統計・生と死 】
「いまのひとびとには、健康のためにみずから進んで隷属しようとする思考があり、それを促すための膨大な情報が流されている。厚生権力は、行動ばかりでなく特定の思考を促進して、自由で平等であるはずのひとびとをいいなりにしようとしている。

 喫煙も肥満も運動不足も、一定割合のひとに深刻な状態をもたらすのは確かである。それは統計学的に正しい。だが、だからこそ逆に、統計学的には、一定割合のひとは、それにもかかわらず健康であり続け、あるいはほかのことが原因で死ぬのである。「裏は真ならず」、喫煙も肥満も運動不足も、それを解消すればするほど健康になるというわけではない。」

……………………………

 

(当ブログによる解説)

 つまり、「人生」=「常に、自分の健康のみに注意」、というバカバカしい展開になるのです。

 今は、まさに、一部の人々は、この状況になっています。 

 病人でもない人々が、日々、「自分の将来の病気への不安」に思い煩うということです。

 一種の自主的な「精神的幽閉」・「思考停止状態」です。

 見事な、反知性主義的状況と評価できます。

(引用終了)

 

 

③「頻出論点・「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫・消費社会・欲望論」/「自己喪失」・「自己疎外」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイント部分を引用します。

 ……………………………

 

(引用開始)

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(【1】【2】【3】・・・・は当ブログで付加した段落番号です)

 

「【2】持ち家がほしい。名声がほしい。力がほしい。そういう「私」は、はたしてどこまで「私」であるか。たとえば〔A=寸暇〕を惜しんで株に熱中する「私」を、「私」はどこまで「私」だと知っているか。人間の欲望について考えるとき、 まずはそう問わなければならないような世界に私たちは生きている。

 【3】たとえば、ある欲望をもったとき、私たちはそれをかなえようとする。その段階で、私たちはなにがしかの手段に訴えねばならず、そのために対外的な意味や目的への、欲望の読み替えが行われる。健康のため。家族のため。生活の必要のため、などなど。こうした読み替えは、すなわち欲望の外部化であり、欲望は、この高度な消費社会では「私」から離れて、つくられるものになってゆく。

【4】そこでは名声や幸福といった抽象的な欲望さえ、目と耳に訴える情報に外部化され、置換されるのが普遍的な光景である。たとえば、家がほしい「私」は、ぴかぴかの空間や家族の笑顔の映像に置換された新築マンションの広告に見入る。そこにいるのはうつくしい映像情報に見入る「私」であり、家族の笑顔を脳に定着させる「私」であって、たんに家がほしい漠とした「私」はずっと後ろに退いている。代わりに、家族の笑顔を見たい「私」が前面に現れ、それは映像のなかの新築マンションと結びついて、欲望は具体的なかたちになるわけである。

【5】けれども、こうしてかたちになった欲望は、ほんとうに「私」の欲望か。「私」はたしかに家がほしかったのだけれども、その欲望は正しくこういうかたちをしていたのか。仮に、確かに家族の笑顔を見たいがために家がほしかったのだとしても、家という欲望と、家族の笑顔という欲望は本来別ものであり、これを一つにしたのは「私」ではない、〔B=広告 〕である。

【6】このように、消費者と名付けられたときから「私」は誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている。そこでは「私」は覆い隠され、ただ大量の情報に目と耳を奪われて思考を停止した、「私」ではない何者かが闊歩(かっぽ)している。」

( 高村  薫 「『私』消え、止まらぬ連鎖 情報に支配され『消費者』に」 )(朝日新聞・2006年1月5日・夕刊4面・文化欄「新・欲望論2」)

(引用終了)

 

 

君たちが知っておくべきこと: 未来のエリートとの対話

 

 

 ④「『君たちが知っておくべきこと』佐藤優③・現代文・小論文予想出典」/「マインドコントロール」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイント部分を引用します。

 ……………………………

 

(引用開始)

マインドコントロール(4)「自分の思考の鋳型(いがた)を知ろう」(P82)

佐藤氏の講義の概要を記述します。

「(佐藤) 皆さんに、ぜひ読んでほしいのが、岡田尊司(たかし)という精神科の先生が書いた『マインド・コントロール』という本です。

 たとえば、高学歴の人達がカルトに入信したり、ブラック企業で違法行為に手を染めていったりということがある。こういう人たちは、さまざまなマインド・コントロールを受けている。

 彼の分析によると、マインド・コントロールの原形は、子供たちが集まるスポーツクラブや進学塾にあると言うのです。そこでは、子供をトンネルに入れるみたいに周囲から遮断して、その小さな世界のルールや価値観で支配する。トンネルの先に見える明かりは、試合に勝つ、もしくは、志望校に合格すること。そこに向かって脇目もふらずに邁進(まいしん)していく、そんな世界を作る。

 この方法をとることで、確かに効率的に能力を伸ばすことはできるかもしれないけれど、そういう形で思考の鋳型(いがた)(→当ブログによる注→「鋳物を作る際に、溶かした金属を注ぎ入れる型」という意味)を作られた人というのは弱いのです。つまり、企業、役所などでも、比較的簡単に疑問も持たず、その世界に没入してしまう。マインド・コントロールされやすい。

 (引用終了)

 

 

⑤「2016東大国語ズバリ的中報告・内田樹『日本の反知性主義』」/「反知性主義」

 

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勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

(4)対策ー「真のアイデンティティ」を取り戻すためには/対策論

 

 以下は、対策論の記事の紹介です。

 

①「予想問題『勉強の哲学 来たるバカのために』千葉雅也」/「自己改革」

 

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上の記事のポイント部分を引用します。

…………………………… 

 

(引用開始)

(3)「第1章 勉強と言語ーー言語偏重の人になる」(P17~)の冒頭部分の解説

    第一章冒頭部分も重要な内容を丁寧に論じていて、出題可能性が高いので、概要を解説します。

(黒字は本文です)

(「見出し」は【太字】にしました)

 

【勉強とは、自己破壊である】

「  勉強とは、自己破壊(→この表現も刺激的で、この表現の意味を理解することがポイントになります)である。

 では、何のために勉強をするのか?

 何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?

 それは、『自由になる』ためです。

 どういう自由(→ここにおける「自由」の意味内容の理解も問題になりそうです)か? 

 これまでの『ノリ』から自由になるのです。」

 

「  私たちは、同調圧力によって、できることの範囲を狭められていた。不自由だった。その限界を破って、人生の新しい『可能性』を開くために、深く勉強するのです。

 けれども、後ろ髪を引かれるでしょう――私たちは、なじみの環境において、『その環境ならではのことをノってやれていた』からです。ところが、この勉強論は、あろうことか、それをできなくさせようとしている――勉強によってむしろ、能力の損失が起こる。」

 

「  こんなふうに、勉強は、むしろ損をすることだと思ってほしい。(→「損する」とは、どういう意味か? この点も問われそうです)

 勉強とは、かつてのノっていた自分をわざと破壊する、自己破壊である。

 言い換えれば、勉強とは、わざと『ノリが悪い』人になることである。」

 

【自由になる、可能性の余地を開く】

「  自由になるということ。それは、いまより多くの可能性を考え、実行に移せるような新しい自分になるということです。新たな行為の可能性を開くのです。そのために、これまでの自分を(全面的にではなくても)破壊し、そして、生まれ直すのです。第二の誕生です。

会社や家族や地元といった『環境』が、私たちの能性を制約している、と考えてみる。

 圧縮的に言えば、私たちは『環境依存的』な存在であると言える。」(P23)

 (引用終了)

 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

②「予想問題『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/消費社会・真の豊かさ」/「動物的とらさらわれ(没頭)」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

上の記事のポイント部分を引用します。

……………………………

 

(引用開始)

(当ブログによる解説)

 第四章以下では「消費と労働」、「疎外」について考察しています。
 つまり、現代人は、ある程度の「豊かさ」と「暇」を入手したが、その「暇な時間」に何をしたいのか、よく分からない人が多い。人類は他の動物と異なり、環世界を変幻自在に飛び回ることができる自由な存在であるために、退屈を嫌う。その点に企業・広告業界等が注目し、人々が余暇に行うであろう欲望の対象を用意し、広告宣伝等により誘導する。つまり、私たちの需要・欲求は、あらかじめ企業等の供給側によって支配されているという構造があるのです。

 これに対して、國分氏は、受動的で際限のない、虚しい「消費」を批判し、「真の豊かさ」としての「浪費」の意義を強調しています。

 そして、真の豊かな「浪費」を享受するために、浪費を味わえるようにする一定の訓練と、「動物的とりさらわれ」(→「没頭。熱中」という意味)の重要性を主張するのです。

(引用終了)

 

 

(5)「自己肯定」・「自己承認」・「承認欲求」

 

 「自己肯定」・「自己承認」・「承認欲求」は、アイデンティティにおける重要な論点です。これらを解説した記事を、以下に紹介します。

 

①「予想論点ー労働観・自己『人間はなぜ働かなくてはならないのか』」/「自己承認」・「承認欲求」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

上の記事のポイント部分を引用します。

……………………………

 

(引用開始)

 (問題文本文)(概要です)
「【7】人はそれぞれの置かれた条件を踏まえて、それぞれの部署で自らの労働行為を社会に向かって投与するが、それらの諸労働は、およそ、ある複数の人間行為の統合への見通しと目的とを持たずにばらばらに存在するということはあり得ず、だれかのそれへの気づきと関与と参入とをはじめから「当てにしている」。そしてできあがった生産物や一定のサービス活動が、だれか他人によって所有されたり消費されたりすることもまた「当てにしている」。そこには、労働行為というものが、社会的な共同性全体の連鎖的関係を通してその意味と本質を受け取るという原理が貫かれている。労働は、一人の人間が社会的人格としてのアイデンティティを承認されるための、必須条件なのである。」 

(小浜逸郎「人間はなぜ働かなくてはならないのか」)

(引用終了)

 

 

 ②「自己承認」・「自己肯定」/「鷲田清一・関連記事」の紹介

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイント部分を引用します。

……………………………

 

(引用開始)

 本書『じぶん・この不思議な存在』」の冒頭に、以下のような、「問題提起」の一節があります。

「  わたしってだれ?

    じぶんってなに?

 だれもがそういう爆弾のような問いを抱えている。

 爆弾のような、といったのは、この問いに囚(とら)われると、いままでせっかく積み上げ、塗り固めてきたことがみな、がらがら崩れだしそうな気がするからだ。」


 本書の内容、つまり、上記の「問題提起」に対する解説は、以下の、本書の「エピローグ」に要約されています。

「わたしがこの本のなかで伝えたかったことはただ一つ、〈わたしはだれ?〉という問いに答えはないということだ。

 とりわけ、その問いを自分の内部に向け、そこに何か自分だけに固有なものをもとめる場合には。そんなものはどこにもない。

 じぶんが所有しているものとしてのじぶんの属性のうちにではなくて、誰かある他者にとっての他者のひとりでありえているという、そうしたありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を見いだすことができるだけだ。」 ( P 176 )

(引用終了)

 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

  

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

  

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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情報化社会・IT化社会/2018予想論点/体系的整理②

(1)はじめにー「2018直前特集/現代文・小論文予想論点/論点整理②/情報化社会・IT化社会・Web社会・インターネット社会」

 

(今回の記事の記述は太字にしました)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

 当ブログは以下の基本的方針で作成しています。

 以下に、当ブログの第1回記事の「開設の言葉」を引用します。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 ……………………………

 

 (引用開始)

 今現在の入試現代文・小論文の最新傾向として、注目するべきポイントとしては、2つの大きな柱があります。

 

【1】1つの柱は、「IT社会の光と影と闇」です。

 この論点・テーマは、3・11東日本大震災の前から登場していたので、割と有名ですが、最近のスマホの爆発的な流行により、新たな論点・テーマが発生しています。

 

【2】 もう1つの柱は、「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」です。

 「各方面」は、実に多方面にわたっています。

 2016年の、センター試験や難関大学の現代文(国語)・小論文入試問題を、検討している現在も、この考えは変わってはいません。 

(引用終了)

 

……………………………

 

(今回の記事の記述)

 2017年度の入試国語(現代文)・小論文に出題された問題を概観しても、上記の傾向に変化はないようです。

 私は、以上の「IT社会の光と影と闇」・「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」の2つの視点(入試頻出論点・流行論点)を重視して、最近の論考を読んでいます。そして、特に注目するべきものを、「予想出典」・「予想問題」として、週に1回のペースで当ブログで記事を発表しています。

 2017年度も、その方針で、約50の記事を発表しました。

 
 東日本大震災以後は、「IT社会の影と闇」に関連した良質な論考が多く発表されたこともあったので、今年の記事には、この論点について記事の割合が増加しました。

 そこで、今回の記事では、難関大学国語(現代文)・小論文対策として、「IT社会の影と闇」に関連した良質な論考を題材にした「予想出典記事」・「予想問題記事」を紹介していきます。一部、2016年度に発表した記事も含みます。

 

 今回の記事の項目は以下のようになっています。

 

(2)「消費社会」の牽引役としての「情報化社会」

(3)コミュニケーション能力の低下

(4)「電子情報・検索」の問題点ー「個人を殻に閉じ込める」・「反知性主義」ー「共同体を破壊する可能性」

(5)「フェイクニュース」・「ポスト真実」

(6)電子書籍

(7)「監視社会」/「自由」・「民主主義」に対する脅威

(8)人工知能

 

 なお、「東日本大震災・関連記事」の「体系的・論点整理」については、以下の記事を、ご覧ください。

 

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暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

 

(2)「消費社会」の牽引役としての「情報化社会」

 

 「(高度)情報化社会」と「(高度)消費社会」は車の両輪ですが、情報化社会は消費社会を促進している牽引役とも言うべき存在です。

 このことを、入試頻出著者・國分功一郎氏は、2018年1月1日の朝日新聞で次のように明快に述べています。以下に概要を引用します。

 

 ……………………………

 

(引用開始)

「(國分功一郎氏は)いまや平成の日常となった、満員電車の風景を例に語り始めた。多くの人がぼうっとスマホを見ている。費社会は私たちを終わることのない消費のゲームに投げ込み、もはや依存症に近い。平成にもたらされたのは、依存を利用して人々にお金を使わせる仕組みではないでしょうか

 暇は「自分で自分のすることを決められる自由」、
 退屈は「満たされない状態」。
 國分はそう整理し、「暇だからといって退屈するわけではない」と言う。
 平成になってIT化が進んでも、人々は楽になるどころか逆に長時間、仕事に拘束される。仕事以外も誰かとつながり続けている。

 自分が本当にしたいことは何なのか。心身が疲れてそれを考えられない。「楽しむには、自分と向き合う時間や訓練が必要なのです。人は楽しみ方を知らないと、暇、自由の中で退屈する。退屈がつらいから、スマホに貴重な時間を奪われる

 國分はユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを思い出したと言う。
「アーレントは『孤独と寂しさは違う』と言っています。孤独とは、私が自分自身と一緒にいること。自分と一緒にいられない人が寂しさを感じ、一緒にいてくれる他者を求める。だから、自己と対話できない。孤独にならなければ、人はものを考えられない。孤独こそ、現代社会で失われているものです」 

(『朝日新聞』2018・1・1/平成とは/第一部 時代の転換/3幸福論/「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」) 

(引用終了)

 

 

朝日新聞デジタル

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 國分氏は、頻出著書・『暇と退屈の倫理学』のポイントのような、分かりやすいコメントを発言していて、かなりタメになります。
 

 

①予想問題「好きなこととは何か?」『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/2013同志社大過去問+予想問題

 

gensairyu.hatenablog.com

  

 「好きなこととは何か?」は「情報化社会と消費社会の関係」を明快に解説しています。

 上の記事のポイント部分を引用します。

 

 ……………………………

 

(引用開始)

(問題文本文)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

 

【27】最近他界した経済学者ジョン・ガルブレイス[1908~2006]は、20世紀半ば、1958年に著した『豊かな社会』でこんなことを述べている。

【28】現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられて初めて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものが何であるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、19世紀の初めなら思いもよらぬことであったに違いない。 

【46】アドルノとホルクハイマーが言っているのは、カントが当然と思っていたこのことが、いまや当然ではなくなったということだ。人間に期待されていた主体性は、人間によってではなく、産業によってあらかじめ準備されるようになった。産業は主体が何をどう受け取るのかを先取りし、受け取られ方の決められたものを主体に差し出している。

【47】「これが楽しいってことなのですよ」というイメージとともに、「楽しいもの」を提供する。たとえばテレビで、或る娯楽を「楽しむ」タレントの映像を流し、その次の日には、視聴者に金銭と時間を使ってもらって、その娯楽を「楽しんで」もらう。わたしたちはそうして自分の「好きなこと」を獲得し、お金と時間を使い、それを提供している産業が利益を得る。

【48】「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願いがあったかどうかも疑わしい。願いをかなえられる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好きなこと」を与えてもらっているのだから。

【49】ならば、どうしたらいいのだろうか?

【51】資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない。

【52】そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。(國分功一郎「『好きなこと』とは何か?」)

(引用終了)

 

②予想問題『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/消費社会・真の豊かさ

 

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 上の記事のポイント部分を引用します。

 

 ……………………………

 

(引用開始)

(問題文本文)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)


【1】どんなにおいしい食事でも食べられる量は限られている。腹八分目という昔からの戒めを破って食べまくったとしても、食事はどこかで終わる。いつもいつも腹八分目で質素な食事というのはさびしい。やはりたまには豪勢な食事を腹一杯、十二分に食べたいものだ。これが浪費である。浪費は生活に豊かさをもたらす。そして、浪費はどこかでストップする。

【2】それに対して消費はストップしない。たとえばグルメブームなるものがあった。雑誌やテレビで、この店がおいしい、有名人が利用しているなどと宣伝される。人々はその店に殺到する。なぜ殺到するのかというと、だれかに「あの店に行ったよ」と言うためである。

【3】当然、宣伝はそれでは終わらない。次はまた別の店が紹介される。またその店に行かなければならない。「あの店に行ったよ」と口にしてしまった者は、「えぇぇ? この店行ったことないの? 知らないの?」と言われるのを嫌がるだろう。だから、紹介される店を延々と追い続けなければならない。

【4】これが消費である。消費者が受け取っているのは、食事という物ではない。その店に付与された観念や意味である。この消費行動において、店は完全に記号になっている。だから消費は終わらない。

【5】浪費と消費の違いは明確である。消費するとき、人は実際に目の前に出てきた物を受け取っているのではない。なぜモデルチェンジすれば物が売れて、モデルチェンジしないと物が売れないのかと言えば、人がモデルそのものを見ていないからである。「チェンジした」という観念だけを消費しているからである。

 (出典・國分功一郎『暇と退屈の倫理学』「第4章 暇と退屈の疎外論ーー贅沢とは何か?」  の一節)

 (引用終了)

 

 ③「消費社会と情報化社会」に関する、他の記事の紹介

 

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(3)コミュニケーション能力の低下

 

①予想問題「極大化した不安 共に過ごす時間を」山際寿一・現代文明論

 

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  上の記事の冒頭部分を引用します。

 

 ……………………………

 

(引用開始)

①「『極大化した不安 共に過ごす時間を』・山極寿一・耕論・〈私たちはどこにいるのか〉2017・1・1朝日新聞」の解説

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

【4】安心をつくり出すのは、相手と対面し、見つめ合いながら、状況を判断する「共感力」です。類人猿の対面コミュニケーションを継承したもので、協力したり、争ったり、慮(おもんぱか)ったりしながら、互いの思いをくみ取って信頼関係を築き、安心を得る。

【6】現代はどうでしょう。集団とのつながりを断ち、集団に属することで生じるしがらみや息苦しさを軽減する。次々にマンションが建ち、個人は快適で安全な環境を得ましたが、地域社会の人のつながりはどんどん薄れた。

【7】直近では、人々はソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティーを生み出しました。現実世界であまりにもコミュニティーと切り離された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかも知れません。でも、その集団は、150人の信頼空間より大方は小さく、いつ雲散霧消するかわからない。若者はますます、不安になっています。

 (引用終了)

 

②2016年センター国語第1問解説『キャラ化する/される子どもたち』

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  上の記事のポイント部分を引用します。

 
 ……………………………

 

(引用開始)


(1)土井隆義氏の著書の出題状況(第1回の記事がテーマ・論点的中)

 2016年センター試験国語第1問(現代文・評論文)に、最近の流行論点・テーマである「自己」「アイデンティティー」(「若者論」・「日本人論」・「日本文化論」・「現代文明論」・「現代文明批判」・「コミュニケーション論」)が、出題されました。

 

 また、この問題は、「IT化社会」のテーマ・論点です。

 このブログの第1回記事(「開設の言葉ー入試現代文の最新傾向ー重要な、気付きにくい2本の柱」)において記述した、「入試現代文の最新傾向」、つまり、「IT化社会の光と影と闇」が、出題されました。

 テーマ・論点が的中しました。

 

(2)土井隆義氏の著書の、キーワード

 土井氏は、上記の一連の著書において、

「人生は素質により、全て決定されると信じ込む若者」(一種の、新しい宿命主義)

「優しい関係」(摩擦・衝突を神経質に回避する傾向)

「子どもたちの過剰な承認願望」

排除される不安を回避するためのスマホ依存

「友だち関係を維持するためのイジメ」

という視点から、「現代の子どもたちの世界」を、鋭く、説得力豊かに分析しています。

 (引用終了)

 

 

(4)「電子情報・検索」の問題点ー「個人を殻に閉じ込める」・「反知性主義」ー「共同体を破壊する可能性」

 

① 現代文(国語)・小論文問題解説『ビブリオバトル』(山崎正和)

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイント部分を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

(山崎氏の論考の概要)

「⑭ 人々が活字文化を疎んじ、電子情報の検索に頼って生きることは、単に文章力や思考力を弱めるだけでなく、個人を殻に閉じ込めて共同体を破壊することにつながる。

⑮ 私はその意味で、ビブリオバトルを義務教育に取り入れることを提案したい。文化的な階層社会を生むことは、ぜひ避けたいからである。」

(引用終了)

 

…………………………… 

 

  「電子情報の検索に頼って生きることが文章力や思考力を弱めること」(→反知性主義化)については、2015年度センター試験に出題された佐々木氏の論考(『未知との遭遇』)が、とても参考になるので、ここで紹介します。

 

② 2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)『未知との遭遇』解説・IT化社会

  

gensairyu.hatenablog.com

 

上の記事の冒頭部分、ポイント部分を引用します。

 

 …………………………… 

 

(引用開始)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 2015年度センター試験国語(現代文・評論文)に出題された佐々木氏の論考(『未知との遭遇』)は、「IT化社会の問題点」、つまり、「歴史の崩壊」・「歴史意識の衰退」・「系譜学的(体系的)知の衰退」を鋭く指摘しています。この論点、言い換えれば、「反知性主義化」は、「IT化社会のマイナス面」・「IT化社会の影・闇」として、最近、問題化しています。佐々木氏の論考は、とても参考になるので、ここで紹介します。

 

(2)2015センター試験の解説

(問題文本文の概要)  

(なお、[8]・[9]・[10]・・・・は、センター試験国語の問題文本文に付記されている段落番号です)

「[8] われわれは、ある事象の背後に「歴史」と呼ばれる時間があると考えるわけですが、ネット以後、そういった「歴史」を圧縮したり編集したりすることが、昔よりずっとやり易くなりました。時間軸を抜きにして、それを一個の「塊=マッス」として、丸ごと捉えることが可能になった。

[9] ただ、そのことによって、たとえば「体系的」という言葉の意味が、決定的に変わってしまった。しかし、「物語」としての「歴史」の記述/把握という営みは、少なからず行われてきたし、今も行われている。過去から現在を経て未来へと流 れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして「物語」を要求してくる。「物語」とは、因果性の別名です。

[10] しかしネット以後、このような一種の系譜学的な知よりも、「歴史」全体を「塊」のように捉える 、いわばホーリスティック(→問題文本文に付記されている注→「全体的、包括的」)な考え方がメインになってきたのではないかと思うのです。これはある意味では「歴史」の崩壊でもあります。」

(引用終了)

 

 …………………………… 

 

③『考えないヒト』正高信男・IT化社会・コミュニケーション能力低下

 

gensairyu.hatenablog.com

 


 上の記事の冒頭部分を引用します。

 

…………………………… 


(引用開始)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 携帯電話、スマホなどへの過度の依存により、言語運用能力・思考力の衰退、反知性主義などの退化的現象が現代日本に顕著になっている、という意見が強まっています。
 そこで、「携帯電話」と「人間のサル化(退化)」の関係を鋭く指摘している、入試頻出著者・正高信男氏の論考が、再び流行・頻出出典となる可能性が高まっているので、今回は、この記事を書くことにしました。

 (引用終了)

 

(5)「フェイクニュース」・「ポスト真実」

 

①予想問題「広がる『ポスト真実』」神里達博〈月刊安心新聞〉朝日新聞

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事の冒頭部分を引用します。

 

 ……………………………

 

(引用開始)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 最近、世界的に、政治の局面で「ポスト真実」ということが、重大なキーワードになっています。そこで、今回は、この最新キーワードについての解説記事を、

「広がる『ポスト真実』事実の軽視  まるで中世」(2017年2月17日朝日新聞「月刊安心新聞」千葉大教授・神里達博)、

をベースにして、書くことにしました。

 

 今回の記事は、以下の項目を解説します。

〇 「ポスト真実」の定義・内容

〇 「ポスト真実」の訳語、意味を考える

〇 「フェイクニュース」の意味・内容

〇 「代替的事実(オルタナティブファクト)」の意味・内容

〇 「バズワード」の意味・内容

〇 「ポケモンGO現象=現実軽視の風潮=感想社会・感情社会」について

〇 「ボスト真実」の問題点

〇 「ポスト真実」に対する対策論

 (3)当ブログにおける「トランプ現象」に関する記事の紹介

 

「ポスト真実」の定義・内容

 オックスフォード出版局が、2016年に最も注目された言葉として挙げたのが「Post・truth (ポストトゥルース)(ポスト真実)」でした。

 これは客観的な事実よりも、人々の感情や主観の方が、世論の形成に大きな役割を果たす政治状況のことを意味しています。

 反事実的内容のツイートを連発したトランプ候補の予想外の当選、英国の欧州連合(EU) 離脱決定の基盤には、このような政治状況も考えられるというのです。

 この「ポスト真実」は、Web社会の拡大化により、注目されるようになった最新・重要論点です。

 

「フェイクニュース」の意味・内容

 「フェイクニュース」の現状については、「選挙とフェイクニュース ~揺れるヨーロッパ~アメリカ大統領戦の際に大きな注目を集めた『フェイクニュース』」 (2017年4月26日・NHKクローズアップ現代)のWeb上の説明が、明解な解説をしています。以下に引用します。 

 
「『フェイクニュース』(→「フェイクニュース(Fake News)」とは、虚偽の情報でつくられたニュースを意味しています。具体的には、主にネット上で発信・拡散されるウソの記事を指します)が、いま、ヨーロッパを席巻している。今月23日に第1回投票が行われたフランス大統領選挙では、有力候補のマクロン氏など複数の候補を中傷するフェイクニュースが次々と拡散し、陣営は対応を迫られた。 」

 

 ……………

 

(当ブログによる解説)

 日本とは違って、欧米では、「フェイクニュース」が、政治的に、かなり問題になっているようです。この問題は、民主主義の根幹に関連する重大な問題と言えます。日本でも、いずれ問題化することでしょう。

(引用終了)

 

②「メディアリテラシー」内田樹

 以上の「フェイクニュース」に対応するためには、「メディアリテラシー」が必要になりますが、この点について、内田樹氏は、以下のように述べています。

 

……………………………

 

(概要です)

 アメリカ大統領選挙ではネット上に大量の偽情報が飛び交った。

 これについて「ネット情報の信頼性を損なった」という批判をしても始まらないと私は思う。ネット情報は所詮は「その程度のもの」である。

  いま肝に銘ずべきことは、「私たちひとりひとりがメディアリテラシーを高めてゆかないと、この世界はいずれ致命的な仕方で損なわれるリスクがある」ということである。そのことをもっと恐れたほうがいい。

 メディアリテラシーというのは流れてくる情報のいちいちについてその真偽を判定できるほど豊かな知識を備えていることではない。(→「メディアリテラシー」→一般的には「情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」・「情報を批判的に読み取る能力」という意味)

 そんなことは不可能である。自分の専門以外のほとんどすべてのことについて、私たちはその真偽を判定できるほどの知識を持っていない。だから、私たちに求められているのは「自分の知らないことについてその真偽を判定できる能力」なのである。そんなことできるはずがないと思う人がいるかもしれない。

 

 けれども、私たちはふだん無意識的にその能力を行使している。知らないことについて知性は真偽を判定できない。けれども、私たちの身体はそれが「深く骨身にしみてくることば」であるか「表層を滑ってゆくことば」であるかを自然に聞きわけている。

(内田樹・『AERA』2017年1月16日号)

 

 

 (6)電子書籍

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイントを引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

(3)予想問題・内田樹氏の論考「活字中毒患者は電子書籍で本を読むのか?」-明治大学(全学部統一入試問題の一部抜粋)

問題 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

【2】 紙の本はなくならない。というか、紙の本という確固とした基盤ぬきには、そもそも電子書籍というものは存立することができないというのが私の結論である。理由を以下に述べる。

【3】電子書籍の第一の難点は「どこを読んでいるかわからない」ことである。

【4】電子書籍は、紙の本を読んでいる状態を疑似的には経験できる。だが、残り何頁であるかがわからない。

【5】自分が全体のどの部分を読んでいるかを鳥瞰的に絶えず点検することは読書する場合に必須の作業である。というのは、それによって、その文章の解釈可能性に大きな差異が生じるからである。

【12】第二の難点は、電子書籍では「宿命的な出会い」が起こらないということである

【13】その本の予備知識がないにもかかわらず、その本の死活的重要性が先駆的にわかるということはなぜ起きるのであろう。説明は二つある。 

 (引用終了)

 

(7)「監視社会」/「自由」・「民主主義」に対する脅威

 

①「予想問題・「である」ことと「する」こと②・『日本の思想』丸山真男②」

   

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事のポイント部分を引用します。

 

 ……………………………

 

 (引用開始)

 「監視社会」も、「自由」との関係で、最近の流行論点・テーマになっています。

 「監視社会」に関する論考として、最新で、鋭い考察のなされている、頻出著者の古東哲明氏の論考(概要)を、以下に紹介します。

 

「電子光学技術(人工衛星・情報収集技術網)による「パナプティコン(一望監視システム)」(→当ブログによる注→中央の監視塔からは牢獄を監視できるが、牢獄からは監視塔の様子が分からないような一望監視システムのために、囚人は常に直接的に監視されている気分になり、遂には、その気分が日常化してしまうという趣旨)追い打ちをかける。世界規模での「警察化(監視化)」が進行する。世界全体が「一大監房」と化する。自由を奪われ「拘禁」されているという閉塞感情が瀰漫(びまん)(→当ブログによる注→「はびこる。広がる」という意味)する。〈今ここ〉で生きているこのリアルな空間や光景を喪失することを通じ、抑圧的で不自由な生存を獲得する。」(古東哲明『瞬間を生きる哲学』)

(引用終了)

 

 

 上の記事に関連する下の記事も、ぜひ参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

日本の思想 (岩波新書)

 

 

②予想問題ー共謀罪と監視社会ー自由・人権・民主主義を守るためには

 

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 上の記事の冒頭部分を以下に引用します。

 

……………………………

 

 (引用開始)


(1)なぜ、この記事を書くのか?

 現在、最近成立した共謀罪(テロ等準備罪)の様々な問題性を指摘する論考が、数多く発表されています。

 入試対策上、それぞれの論考に目を通すことも重要です。

 しかし、このような場合には、個々の専門的・技術的な論点よりも、「自由・人権・民主主義の価値」、「脆さ・弱さを内在している『自由・人権・民主主義』をいかに確保するか」、という論点が出題されることが多いのです。

 そこで、入試現代文(国語)・小論文対策として、これらの論点を以下に解説していきます。

 

(2)共謀罪(テロ等準備罪)の問題性ー「監視社会」の可能性、萎縮効果

  「共謀罪(テロ等準備罪)ー賛成説・反対説のそれぞれの理由」については、前回の記事で解説しましたので、ぜひ参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  「共謀罪(テロ等準備罪)の問題性」に関しては、以下の点が主張されています。

 実際に、どのようになっていくか、については、これからの政府の運用実態、歴史の推移を注視していく必要があるでしょう。

①  「監視社会」化の可能性

②  萎縮効果ー活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねない

③  萎縮効果の具体例ー政府の方針に科学的観点から反対することが抑圧される可能性がある

(引用終了)

 

 

(8)人工知能

 

①「人工知能②ー身体性・自我・倫理問題ー現代文・小論文予想論点」

 

 「人工知能の進化」に関しては、「無制限とする説」と、「限界があるとする説」に分かれているようです。

 国語(現代文)・小論文対策としては、それぞれの説について知っておくことが必要です。

  

  まず、下の記事を紹介します。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 上の記事の重要部分である「シンギュラリティ」について、引用します。

 

 ーーーーーーーー

 

(引用開始)

 シンギュラリティ(技術的特異点)

(→「シンギュラリティ(Singularity)」とは、「人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事。人類が人工知能と融合し、人類の進化が特異点(成長曲線が無限大になる点)に到達すること」という意味)

という言葉をキーワードにして、「2045年までにAIが人類を超える」とする見解が、最近の様々な月刊誌の「人工知能特集」・新刊本で目立ちます。

 軍事技術への転用、人工知能の暴走への不安もあります。

 (引用終了)

 

 ………………………………

 

 以上に対して、人工知能の進化には限界があるとする意見もあります。以下に紹介します。

 

 ②新井紀子氏の見解

 

……………………………

 

(引用開始)

 「AIと生きる」 新井紀子氏

 

(『朝日新聞』2016・11・9(耕論)「AIと生きる」新井紀子)


「AIの実力とはどれほどなのか、そして私たちはどう備えたら良いのか」 

「推論力磨いて使いこなせ」

 

新井紀子氏(国立情報学研究所教授。1962年生まれ。専門は遠隔教育(システム開発、教育)、数理論理学。著書に『コンピュータが仕事を奪う』『AIvs教科書が読めない子どもたち 』『ほんとうにいいの? デジタル教科書』など)

 


 AIプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」の「東ロボくん」は、高校3年生の上位2割程度の実力です。でも、東大合格は無理。今後も不可能でしょう。5年育て、AIにできることと、できないことがあるのがわかりました。

 東ロボくんは膨大に覚え、傾向を捉えるのは得意です。教科書などで「織田信長」と「楽市楽座」はいつも一緒に出てくることがわかり、選択肢の問題なら正答できる。
 しかし、「市の日はどんな天気だと人々は喜んだでしょう」と聞かれたら答えられない。教科書やウィキペディアには書いてないからです。

 

 東ロボくんに限らず、どのAIも、基本的に言葉のパターンを見て、統計的に妥当そうな答えを返しているにすぎません。言葉の意味を理解しているわけではないのです。

 にもかかわらず、東ロボくんの相対的な成績が良いのはなぜなのか。疑問に思った私たちは、中高校生が教科書をどう読み、どこまで理解できているのかを調査しました。すると、中学生の約2割は教科書の文章の主語と目的語が何かという基礎的読解ができておらず、約5割は内容を読み取れていませんでした。子どもたちもAIのように、意味を理解せず、キーワードを上手に覚えているだけなのかもしれません

 効率良い暗記より、意味を深く理解でき、推論できる教育こそが、AI時代の学校や家庭で必要です。自らの実体験に基づいて想像力を働かせ、未知の世界をより深くイメージできる力です。

 たとえば、何時間もアリの巣を観察する。子どもたちは、アリの様子を眺めるうち、自らの集団生活の経験も踏まえ、「役割分担」というのはこういうことなんだ、とストンと胸に落ちる。現実世界と「役割分担」という言葉がつながるのです。この実体験に基づいた論理的な推論力がないと、AIを超えることはできません。

 

 

ロボットは東大に入れるか (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)



 

 

 ③岡田暁生氏の見解

 

 岡田暁生氏(音楽学者。京都大学教授。著書に『クラシック音楽とは何か』『メロドラマ・オペラのヒロインたち』など)も同様に、「人工知能の限界」を以下のように述べています。

 

……………………………


(『毎日新聞』2017・1・16日夕刊)

「AIはモーツァルトになれますか」ーー岡田氏は最近、よく、このような質問をされるという。

 「モーツァルト風の曲が作れるか」という意味なら「イエス」、「モーツァルト並みの曲が書けるか」なら「ノー」と答えるそうです。


 どんな大作曲家の曲にも、独特のパターンがあるから、AIは、パターンなどデータの集積と組み合わせによって「モーツァルトらしい曲」に仕上げることはできる。

 しかし、パターンそのものを生み出し、人々の心を打つ名曲を作ることは、偉大な作曲家、つまり人間にしかできない、と岡田さんは強調しています。(『毎日新聞』2017・1・16・夕刊)

 

 また、岡田氏は、「人工知能はモーツァルトを超えられるか?」(『世界思想』 44号 2017春特集・人工知能)においても、人工知能には限界があると述べています。

 「見出し」は、以下のようになっています。

 

「人工知能が作る音楽は従来の作曲の延長」

『芸術』への位置は遠い」

「人間の感性が人工知能並みに低下する恐怖」

 

 そして、論考の最終部分で以下のように述べています。

 

「モーツァルトの交響曲に拍手喝采を送った二百数十年前の聴衆のような闊達なコミュニケーションは、今日の人間にはもはや不可能になっているのではないかとすら思う。」

「人工知能が人間並みの能力を持つことよりも、人間の知能が人工知能並みに低下してしまうことの方が、私にはよほど怖い。ただしその兆しはもう既に現れ始めているような気がする。」

 

 

クラシック音楽とは何か

 

 ④「人工知能」に関する、他の記事の紹介

 

 以下の記事は、いずれも、「人工知能」と「人間の本質」の「関係」を考察しています。

 ぜひ、参考にしてください。

 

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ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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2014センター国語第1問(現代文)『漢文脈と近代日本』解説

(1)はじめに

 本問は、漢文脈が江戸時代の武士階級にいかなる影響を与えたか、を論じた内容になっています。

 「言語と人格形成の関係」は重要論点です。

 最近では、「能動態・受動態の二分法」と「意志」・「自己意識」の関係にメスを入れ、「中動態」の存在意義に光を当てた『中動態の世界』(國分功一郎)が評判になったことで、本書を中心として、「言語と人格形成の関係」の論点は、頻出論点になりそうです。

 この論点を理解する「きっかけ」として、今回の問題は役立つでしょう。

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

 設問は、センター試験としては、標準的なレベルです。熟読を基本にして、消去法を併用すると満点も充分に可能でしょう。

 国語第1問(現代文)については、約25分しか使えないので、効率的に処理することを心がけてください。

 

 センター現代文を効率的に処理するポイント・コツについては、最近、当ブログで記事を発表したので、ぜひ参照してください。

 

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 今回の記事の項目は、以下の通りです。記事は約1万字です。

(2)2014センター試験国語第一問『漢文脈と近代日本』齋藤希史/解説

(3)本文解説→「言語帝国主義」について

(4)齋藤希史氏の紹介

 

漢文脈と近代日本 (角川ソフィア文庫)

 

(2)2014センター試験国語第一問(現代文・評論文)『漢文脈と近代日本』齋藤希史/解説

問 以下は18世紀末から19世紀にかけて、幕府の教学制度が整備され、さらにこれをモデルとした学問奨励策が各藩に普及していくに伴って、漢文を読み書きする行為が士族階級を主な担い手として日本全国に広まったことを述べた後に続く文章である。これを読んで、後の問いに答えよ。

 

(問題文本文)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は問題本文に付記されている段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

【1】漢文学習の入り口は素読です。初学者はまず『論語』や『孝経』などを訓点に従ってただ棒読みする素読を叩きこまれました。漢籍を訓読するというのは一種の翻訳、つまり、解釈することですから、解釈の標準が定まっていないと、訓読もまちまちになってしまいます。そうすると、読み方、つまり素読を統一することはできなくなります。「素読吟味」という試験は素読の正確さを問うものでした。素読、すなわち訓読はおおまかにせよ統一されていることが前提となりましたし、さらにその前提として、解釈の統一が必要でした。つまり、解釈の統一は、カリキュラムとしての素読の普及と一体のものであったと言えるのです。やや極端な言い方ですが、異学の禁があればこそ、素読の声は全国津々浦々に響くことになったのです。

【2】このように歴史の流れを理解すれば、十九世紀以降の日本において、漢文が公的に認知された素養であったということも、納得しやすいのではないでしょうか。

【3】さて、こうした歴史的な環境の中で、漢文は広く学ばれるようになったのですが、多くの人々は儒者になるために経書を学んだのではありませんし、漢詩人になるために漢籍をひもといたのではありませんでした。そうした専門家になるためではなく、いわば基礎学問としての漢学を修めたのです。もちろん、体制を支える教学として、身分秩序を重んじる朱子学が用いられたという側面を無視することはできません。しかし、現実に即して見れば、漢学は知的世界への入り口として機能しました。訓読を叩きこまれ、大量の漢籍に親しむことで、彼らは自身の知的世界を形成していったのです。

【4】となると、その過程で、ある特定の思考や感覚の型が形成されていったことにも、注意を向ける必要があります。といっても、忠や孝に代表される儒教道徳が漢文学習によって身についたと言いたいのではありません。そうした側面がないとは言えないのですが、通俗的な道徳を説く書物なら、漢籍を持たずとも、巷に溢れていました。何も漢文を学ばなければ身につかないものでもなかったのです。

【5】 A もう少し広く考えてみましょう。

【6】そもそも中国古典文は、特定の地域の特定の階層の人々によって担われた書きことばとして始まりました。逆に言えば、その書きことばによって構成される世界に参入することが、すなわちその階層に属することになるわけです。どんなことばについてもそうですが、B  人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します。前漢から魏晋にかけて、その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき、高度なリテラシー(読み書き能力)によって社会に地位を占める階層がその世界を支えました。それが、士人もしくは士大夫と呼ばれる人々です。

【7】『論語』一つを取ってみても、そこで語られるのは人としての生き方であるように見えて、士としての生き方です。「学んで時に習う・・・」と始められるように、それは「学ぶ」階層のために書かれています。儒家ばかりではありません。無為自然を説く道家にしても、知の世界の住人であればこそ、無為自然を説くのです。乱暴な言い方ですが、農民や商人に向かって隠逸を説くのではないのです。

【8】思想でなく文学にしても、同じことが言えます。たしかに、中国最古の詩集である『詩経』には民歌に類するものが含まれていますが、その注釈や編纂が士人の手になるものである以上、統治のために民情を知るという視線はすでに定まっています。まして、魏晋以降、士人が自らの志や情を託しうるものとして詩を捉え、ついには詩作が彼らの生を構成するほとんど不可欠の要素になったことを見れば、唐代以降の科挙による詩作の制度を待たずとも、古典詩はすでに士人のものだったことは、あきらかです。

【9】こういう観点からすれば、古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫を制度的に再生産するシステムであったのみならず、士大夫の思考や感覚の型―とりあえずこれをエトスと呼ぶことにします―の継承をも保証するシステムだったことになります。

【10】日本の近世社会における漢文の普及もまた、士人的エトスもしくは士人意識―その中身については後で述べます―への志向を用意しました。漢文をうまく読み、うまく書くには、字面だけを追って真似ても限界があります。その士人としての意識に同化してこそ、まるで唐代の名文家韓愈が乗り移ったかのような文章が書けるというわけです。あるいは、彼らの詩文を真似て書いているうちに、心の構えがそうなってしまうと言ってもよいでしょう。文体はたんに文体に止まるものではないのです。

 

ーーーーーーーー

 

(設問・解説・解答)

問1は省略

問2 傍線部A 「もう少し広く考えてみましょう。」とあるが、それはなぜか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 中国に目を転じて時代をさかのぼり、中国古典文に見られる思想と文学の共通点を考慮に入れることで、近世後期の日本において漢籍が知的世界の基礎になった根拠が把握できるから。

② 中国に目を転じて時代をさかのぼり、科挙を例に学問の制度化の歴史的起源に関する議論を展開することで、近世後期の日本において漢学が素養として公的に認知された理由が把握できるから。

③ 中国に目を転じて時代をさかのぼり、儒家だけでなく道家の思想も士大夫階級に受け入れられた状況を踏まえることで、近世後期の日本において漢文学習により知的世界が多様化した前提が把握できるから。

④ 中国に目を転じて時代をさかのぼり、中国古典文と士大夫階級の意識との関係を考察することで、近世後期の日本において漢文学習を通して思考や感覚の型が形成された過程が把握できるから。

⑤ 中国に目を転じて時代をさかのぼり、中国古典文に示された民情への視線を分析することで、近世後期の日本において漢学の専門家以外にも漢文学習が広まった背景が把握できるから。

 

……………………………

 

【問2解説・解答】(傍線部説明問題)


【2】段落「十九世紀以降の日本において、漢文が公的に認知された素養であった」、

【3】段落「現実に即して見れば、漢学は知的世界への入り口として機能しました。訓読を叩きこまれ、大量の漢籍に親しむことで、彼らは自身の知的世界を形成していったのです」、

【4】段落「その過程で、ある特定の思考や感覚の型が形成されていったことにも、注意を向ける必要があります」、

【5】段落「A もう少し広く考えてみましょう」、

【6】段落「そもそも中国古典文は、特定の地域の特定の階層の人々によって担われた書きことばとして始まりました」、

【8】段落「古典詩はすでに士人のものだったことは、あきらかです」、

【9】段落「こういう観点からすれば、古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫の思考や感覚の型の継承をも保証するシステムだった」、

【10】段落「日本の近世社会における漢文の普及もまた、士人的エトスもしくは士人意識への志向を用意しました」、

より④(→④中国に目を転じて時代をさかのぼり、/中国古典文と士大夫階級の意識との関係を考察することで、/近世後期の日本において漢文学習を通して思考や感覚の型が形成された過程が把握できるから。)が適切です。


①  「思想と文学の共通点の部分」が、

②  「科挙を例に学問の制度化の歴史的起源に関する議論を展開」が、

③  「道家の思想も士大夫階級に受け入れられた状況を踏まえることで、近世後期の日本において漢文学習により知的世界が多様化した前提」が、

⑤  「中国古典文に示された民情への視線を分析」が、

それぞれ無関係です。

→このように、センター現代文においては、消去法を活用すると、誤りの選択肢を簡単にチェックすることができます。

 
(解答)④

 

ーーーーーーーー

 

(設問)

問3 傍線部B 「人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します」とあるが、中国では具体的にどのような展開があったのか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 無為自然を説く道家のことばに導かれ、上昇志向を捨てた人々がいる一方で、身分秩序を説く中国古典文が社会規範として広く支持されるにつれて、リテラシーの程度によって階層を明確に区分する社会体制が浸透していった。

② 中国古典文の素養が士大夫にとって不可欠になると、リテラシーの獲得に対する人々の意欲が高まるとともに、中国古典文が書きことばの規範となり、やがてその規範に基づく科挙制度を通して統治システムが行き渡っていった。

③ 高度な教養を持つ士大夫がそのリテラシーによって中国古典文の世界を支えるようになると、その世界で重視された儒家の教えが社会規範として流布し、結果的に伝統的な身分秩序を固定化する体制が各地に形成されていった。

④ 中国古典文のリテラシーを獲得した人々が自由に自らの志や情を詩にするようになると、支配階層であるが編む経書の中にも民情を取り入れたものが出現し、科挙制度のもとで確立した身分秩序が流動化していった。

⑤ 中国古典文のリテラシーを重視する科挙が導入され、古典詩文への関心が共有されるようになると、士大夫が堅持してきた書きことばの規範が大衆化し、人々を統治するシステム全体の変容につながっていった。

 

……………………………

 

【問3解説・解答】(傍線部説明問題)

 まず、【6】段落「その書きことば(→「中国古典文」)によって構成される世界に参入することが、すなわちその階層に属することになるわけです。B 人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します。その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき、高度なリテラシー(読み書き能力)によって社会に地位を占める階層がその世界を支えました。それが、士人もしくは士大夫と呼ばれる人々です」の部分が、

「中国古典文の素養が士大夫にとって不可欠になると、リテラシーの獲得に対する人々の意欲が高まる」に対応しています。

 次に、【6】段落「その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき」の部分が、

②「中国古典文が書きことばの規範となり」に対応しています。→「その世界は拡大します」に対応しています。

 さらに、【9】段落「こういう観点からすれば、古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫を制度的に再生産するシステムであったのみならず、士大夫の思考や感覚の型の継承をも保証するシステムだったことになります」の部分が、

②「やがてその規範に基づく科挙制度を通して統治システムが行き渡っていった」に対応しています。

以上より、②が正解になります。

 

①  「無為自然を説く道家のことばに導かれ、上昇志向を捨てた人々がいる」が【7】段落に反します。

③  「伝統的な身分秩序を固定化する体制が各地に形成されていった」が無関係です。

④  「支配階層であるが編む経書の中にも民情を取り入れたものが出現」は、文学的側面に限定されているので、不適切です。

⑤  「士大夫が堅持してきた書きことばの規範が大衆化し」の部分は、本文に、このような記述がなく不適切です。


(解答)②


ーーーーーーーー

 

(問題文本文)

【11】そういうふうにして、古典文の世界に自らを馴染ませていくこと自体は、中国でも日本でもそれほどの違いがあるわけではありません。ただ、誰がどのようにして、というところには注意が必要です。もう一度、近世日本に戻って考えてみましょう。
【12】繰り返しになりますが、日本における近世後期の漢文学習の担い手は士族階級でした。となると、中国の士大夫と日本の武士が漢文を介してどのように繋(つな)がるのか、見ておく必要があります。

【13】軍功を競う中世までの武士とは異なり、近世幕藩体制における士族はすでに統治を維持するための吏僚であって、中国の士大夫と類似したポジションにありました。その意味では、士人意識には同化しやすいところがあります。一方、中国の士大夫があくまで文によって立つことでアイデンティティを確保していたのに対し、武士は武から外れることは許されません。抜かなくても刀は要るのが太平の武士です。文と武、それは越えがたい対立のように見えます。

【14】しかしそれも、武を文に対立するものとしてではなく、武を忠の現れと見なしていくことで、平時の自己確認も容易になります。C 刀は、武勇ではなく忠義の象徴となるのです。これは、武への価値づけの転換であると同時に、そうした武に支えられてこその文であるという意識が生まれる契機にもなります。

【15】やや誇張して言えば、近世後期の武士にとっての文武両道なるものは、行政能力が文 、忠義の心が武ということなのです。武芸の鍛錬も、総じて精神修養に眼目があります。水戸市藩の藩校弘道館を始まるめ、全国各地の藩校が
文武両道を標榜ひょうぼうしたことは、こうした脈絡の中で捉えてこそ意味があるでしょう。たとえば、幕末の儒者、佐藤一斎の『言志晩録』にはこんな一節があります。

(問題文本文では、漢文、書き下し文が提示されていますが、当ブログでは「意訳」だけにします)

 剣術は臆病な心を抱く者は負け、勇気に頼る者は敗れる。必ずや勇気と臆病な心を消し、勝負を一動に忘れ、かくの如き者は勝つ。心学もまたこれに外ならず。

【16】 臆病も勇猛も勝負も超越してこそ、勝つことができる。武芸がすでに技術ではなく、精神が左右するものになっています。だからこそ、精神修養の学である「心学」が、武芸の鍛錬になぞらえられているのです。注意したいのは、武芸を心学に喩(たと)えているのではないことです。その逆です。心学を武芸の鍛錬によって喩えるほどに、武芸は精神の領域に属する行為となっていたというわけです。

【17】そして寛政以降の教化政策によって、学問は士族が身を立てるために必須の要件となりました。政治との通路は武芸ではなく学問によって開かれたのです。もちろん「学問吟味」という名で始まった試験は、中国の科挙制度のような大規模かつ組織的な登用試験とは明らかに異なっていますし、正直に言えば、ままごとのようなものかもしれません。けれども、「学問吟味」や「素読吟味」では褒美が下され、それは幕吏として任用されるさいの履歴に記すことができました。武勲ならぬ文勲です。そう考えれば、むしろあからさま官吏登用試験でないほうが、武士たちの感覚にはよく適合したとも言えるのです。

【18】もう一つ、教化のための儒学はまず修身に始まるわけですが、それが 治国・平天下に連なっていることも、確認しておきましょう。つまり、統治への意識ということです。士大夫の自己認識の重要な側面がここにあることは、言うまでもありません。武将とその家来たちもまた、その意識を分かちもつことで、士となったのです。経世の志と言い換えることもできるでしょう。「修身・斉家・治国・平天下」とは、四書の一つ『大学』の八条目のうち、後半の四つです。『大学』は朱子学のテキストとして重んじられ、倫理の基本でもありました。

【19】(中略)近世の思想史をていねいに見ようとすれば、右の捉え方は、ややおおづかみに過ぎるかもしれません。

【20】しかし当の学生たちにとってみれば、漢文で読み書きするという世界がまず目の前にあり、そこには日常の言語とは異なる文脈があることこそが重要なのです。そしてそれは、道理と天下を語ることばとしてあったのです。D 漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあったのです。

(齋藤希史『漢文脈と近代日本』による)


ーーーーーーーー

 


(設問・解説・解答) 

問4 傍線部C 「刀は、武勇ではなく忠義の象徴となる」とあるが、それによって近世後期の武士はどういうことが可能になったのか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 近世後期の武士は、刀が持つ武芸の力を忠義の精神の現れと価値づけることで、理想とする中国の士大夫階級の単なる模倣ではない、日本独自の文と武に関する理念を打ち出すことができるようになった。

② 近世後期の武士は、単なる武芸の道具であった刀を、漢文学習によって得られた吏僚としての資格と、武士に必須な忠義心とを象徴するものと見なすことで、学問への励みにすることができるようになった。

③ 近世後期の武士は、刀を持つことが本来意味していた忠義の精神の中に、武芸を支える胆力と、漢文学習によって獲得した知力とを加えることで、吏僚としての武士の新たな価値を発見できるようになった。

④ 近世後期の武士は、武芸の典型としての刀を忠義の精神の現れと見なし、その精神を吏僚として要求される行政能力の土台と位置づけることで、学問につとめる自らの生き方を正当化できるようになった。

⑤ 近世後期の武士は、常に刀を携えることで、統治のためには忠義て結ばれた関係が最も重要であることを自覚し、出世のための学問を重んじる風潮に流されず、精神の修養に専念できるようになった。

……………………………


【問4解説・解答】(傍線部説明問題)

 まず、【14】段落「武を文に対立するものとしてではなく、武を忠の現れと見なしていくこと」は、

④「近世後期の武士は、武芸の典型としての刀を忠義の精神の現れと見なし」に対応しています。

 次に、【15】段落「近世後期の武士にとっての文武両道なるものは、行政能力が文 、忠義の心が武ということなのです。」は、

④「その精神を吏僚として要求される行政能力の土台と位置づけることで」に対応しています。

 さらに、【14】段落「平時の自己確認も容易になります」は、

④「学問につとめる自らの生き方を正当化できるようになった」に対応しています。

以上より、④が正解になります。

 

①  「理想とする中国の士大夫階級の単なる模倣ではない、日本独自の文と武に関する理念を打ち出すことができるようになった」は、

②  「刀を、漢文学習によって得られた吏僚としての資格と、武士に必須な忠義心とを象徴するものと見なす」は、

③  「刀を持つことが本来意味していた忠義の精神」は、本文に、このような記述は、ありません。

⑤  「近世後期の武士は、出世のための学問を重んじる風潮に流されず」は、【17】段落の「学問は士族が身を立てるために必須の要件となりました」に反します。


(解答)④


ーーーーーーーー

 

問5 傍線部D「漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあった」とあるが、それはどういうことか。本文全体の内容に照らして最適なものを次の中から一つ選べ。

① 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、幕府の教化政策を推進する者に求められる技能を会得するとともに、中国の科挙制度が形成した士人意識と同様のエリートとしての内面性を備えるようになったということ。
②武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、行政能力としての文と忠義の心としての武とを個々の内面において調和させるとともに、幕吏として登用されために不可欠な資格を獲得するようになったということ。

③ 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、身を立てるのに必要な知識を獲得するとともに、士人としての思考や心の構えをおのずから身に付け、幕藩体制下の統治者としてのあり方を体得するようになったということ。 

④ 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、幕府の教化政策の根幹に据えられている修身を実践するとともに、士人としての生き方を超えた、人としての生き方にかなう経世の志を明確に自覚するようになったということ。 

⑤ 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、中国の士人が継承してきた伝統的な思考法に感化されるとともに、それに基づき国家を統治するという役割を天命として引き受ける気になったということ。


……………………………


【問5解説・解答】(傍線部説明問題)

 まず、【17】段落「学問は士族が身を立てるために必須の要件となりました。政治との通路は学問によって開かれた」が、
③「武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、身を立てるのに必要な知識を獲得する」に対応しています。

 次に、【18】段落「教化のための儒学はまず修身に始まるわけですが、それが 治国・平天下に連なっていることも、確認しておきましょう。つまり、統治への意識ということです」が、

③「士人としての思考や心の構えをおのずから身に付け、幕藩体制下の統治者としてのあり方を体得するようになった」に対応しています。

以上より、③が正解になります。

 

①  「幕府の教化政策を推進する者に求められる技能」は、

②  「行政能力としての文と忠義の心としての武とを個々の内面において調和させる」は、

④  「士人としての生き方を超えた」は、

⑤  「国家を統治するという役割を天命として引き受ける気になった」は、

それぞれ、本文に、このような記述はありません。

→このように、センター現代文においては、消去法を活用すると、誤りの選択肢を簡単にチェックすることができます。


(解答)③


ーーーーーーーー

 

問6 この文章の表現と構成について、次の問いに答えよ。

(i)この文章の表現に関する説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① ある程度の長さの段落と段落の間に、第2、第5、第9段落のように、読み手に問いかけるような、一文のみから成る短い段落をはさむことにより、論理の展開に緩急のリズムが付き、読み進めやすくなっている。

② 「やや極端な言い方ですが」(第1段落)、「逆に言えば」(第6段落)、「正直に言えば」(第17段落)などの表現により、それぞれの前の部分と、それに続く部分との関係があらかじめ示され、内容が読み取りやすくなっている。

③   第1、第3、第4、第7段落などにおいて、その最後の部分が「~のです」という文末表現で終わることにより、それぞれそこまでの内容についての確認・念押しが行われ、次の話題に移ることが明らかになっている。

④ 「です・ます」という優しい調子の書き方の中に、「漢籍を待たずとも」(第4段落)や「文武両道なるものは」(第15段落)などの学術的な言い回しも交えることにより、内容に見合う観念的なスタイルが確保されている。

 

(ⅱ)この文章の構成に関する説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 第1段落~第4段落に示された全体の骨子について、第5段落~第10段落と、第11段落~第20段落との二つの部分が、それぞれの観点から具体的に説明するという構成になっている。

② 第1段落~第2段落が前置き部分に相当し、第3段落~第16段落が中心部分となり、それに対して、第17段落~第20段落が補足部分という構成になっている。

③ 第1段落~第10段落と、第11段落~第20段落という、大きく二つの部分に分けられ、同一の話題に対して、前半が概略的な説明部分、後半が詳細な説明部分という構成になっている。

④ 第1段落~第2段落、第3段落~第11段落、第12段落~第19段落、そして第20段落という四つの部分が、起承転結という関係で結び付く構成になっている。

 

……………………………

 

【問6解説・解答】(「文章の表現と構成」を問う問題→センター試験特有の問題)

→この種の設問は、本文を熟読する前にチェックしておくと、問題を効率的に処理することができます。


(i)

① 「第9段落」の一文は読み手に「問いかけて」いるとは言えないので、不適切です。

② 問題は、ありません。

③ 「第1段落」の場合は「次の話題に移ることが明らかになっている」とは、なっていません。

④ 「内容に見合う観念的なスタイルが確保されている」の部分が不適切です。

 

(解答)②

 
(ⅱ)

① 適切です。

② 最終段落が「論の中心」ですから、②は不適切です。

③ 第1段落~第10段落と、第11段落~第20段落を一つのまとまりとする点が不適切です。

④ 第17段落~第20段落が、「結」になっているので、不適切です。


(解答)①


ーーーーーーーー

 

(3)本文解説→「言語帝国主義」について

 問題文本文の「キーセンテンス」は以下の部分です。本問は、キーセンテンスを中心に作成されています。

 

【6】段落「どんなことばについてもそうですが、B 人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します

【9】段落「古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫の思考や感覚の型の継承をも保証するシステムだったことになります」

【10】段落「彼らの詩文を真似て書いているうちに、心の構えがそうなってしまうと言ってもよいでしょう。文体はたんに文体に止まるものではないのです」

【20】段落「当の学生たちにとってみれば、漢文で読み書きするという世界がまず目の前にあり、そこには日常の言語とは異なる文脈があることこそが重要なのです。そしてそれは、道理(→「倫理」)と天下を語る言葉としてあったのです。D 漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあった 

 

 以上を見て分かるように、キーセンテンスの2ヶ所が傍線部説明問題になっています。さすがに、センター現代文の問題作成者のレベルは高いです。

 

 ところで、これらを読むと、私は、「言語と人格形成の関係」の論点とともに、「言語帝国主義」の論点を連想してしまいます。まさに、今回の本文の内容は、江戸幕府による受け身的な「漢文脈・帝国主義」そのものだからです。


 「言語帝国主義」については、最近、当ブログで解説記事(「現代文・小論文・予想問題解説『さらば、資本主義』(佐伯啓思)①」)を発表したので、ポイント部分を再掲します。

 

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……………………………

 

(再掲開始)

(2)「帝国主義」とは、一つの国家が自国の民族主義・文化・宗教・経済体系等を拡大する目的で、あるいは、領土・天然資源等を獲得する目的で、軍事力を背景として他国家を侵略しようとする思想・政策です。

 「植民地主義」とは国家主権を国外に拡大する思想・政策です。

 「帝国主義」と「植民地主義」とは、当然、表裏の関係にあります。

 「帝国主義」は、第二次世界大戦後に事実上、終焉し、「脱植民地化」が進行しました。

 

(3)しかし、現在では「文化帝国主義」、「経済的帝国主義(自由貿易帝国主義)」、「政治的帝国主義(過度の政治的影響力の行使)」が進展しています。

 「文化帝国主義」とは自国の文化・言語を他国に植え付け、他文化・他言語との差別化を促進する政策・行為です。

 「英語帝国主義」は、「文化帝国主義」の一部です。 

 「文化帝国主義」は、それを推進する側が有用性・一般性・普遍性を強調する形態をとることが多いのです。

 

(4)最近における「小学校英語教育の強化政策」の論点は、この「文化帝国主義」の一部である「英語帝国主義」の、「自発的・受身的な受容」の視点から考察すると、かなり問題性があると思います。

 ある意味で、「自主的・受身的植民地化政策」と評価しうる政策です。

 この点については、鈴木孝夫氏(言語学者)の秀逸な論考(『日本の感性が世界を変える・言語生態学的文明論』新潮選書)を題材にした予想問題記事を制作することを、現在、検討中です。

 鈴木氏は、難関大学の入試現代文(国語)・小論文の頻出著者です。

 

(5)また、「小学校英語教育」については、この記事を書いている時に、施光恒(せ・てるひさ)氏の注目すべきインタビュー記事がありましたので、ここで、報告します。

 そのインタビュー記事は、2016年9月8日の朝日新聞に掲載されました(オピニオン&フォーラム「異議あり」)。

 施氏の紹介は、「教育改革にダメを出す政治学者 施光恒さん」となっています。

 「大見出し」は「英語強化は民主主義の危機 分断も招く」、小見出しは「苦手な人は人生の選択肢が保障されず、社会の意思疎通も不十分に」です。

 今現在、政府は「英語強化の改革」を進めています。

 「小学校で英語を教科に格上げし、大学では授業を英語でするよう求める」改革です。

 この「改革」に対して、施氏は、「これでは日本はだめになる」と批判しています。

 施氏は、九州大学准教授で、専攻は政治理論、政治哲学です。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『TPP 黒い条約』(共著・集英社新書)、『英語化は愚民化』(集英社新書)等があります。


 インタビューを読むと、「英語教育の強化」の論点・テーマを「民主主義」や「日本社会のコミュニケーションの分断」の視点から批判していて、とても興味深い内容になっています。

(再掲終了)

 

……………………………

 

  『英語化は愚民化』は、最近、出版されたものです。
 以下に 施光恒氏の『英語化は愚民化』について、「Book紹介」のポイントを引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

英語化を進めた大学に巨額の補助金を与えるスーパーグローバル大学創成支援から、果ては英語公用語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。
英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、英語化を推進すれば、日本経済は急速に力をなくすだろう。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展していくという現代政治学最前線の分析から逆行することになるからだ。
国際政治の力学から見ても、英語による文化支配のさらなる強化は、世界の不平等を拡大するだけだ。
TPPで決定的となった日本社会の英語化。その罠を暴き、公正な世界秩序づくりへの処方箋を描く、衝撃作!

 (「Book紹介」)

(引用終了)


……………………………


 今回のセンター試験の問題は、現在、日本で進行中の、グローバル化、国際化、つまり、「英語による言語帝国主義」を意識した出題だと思われます。

 その問題意識を考慮に入れて、本文を読むと、より一層、理解が深まるでしょう。

 

(4)齋藤希史氏の紹介

齋藤 希史(さいとう まれし、1963年生まれ)は、日本の漢文学者、東京大学教授。専門は中国古典文学、清末-明治期の言語・文学・出版。

 

【著書編集】

『漢文脈の近代 清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会・2005)

『漢文脈と近代日本』(日本放送出版協会・NHKブックス・2007/角川ソフィア文庫・2014)

『漢文スタイル』(羽鳥書店・2010)

『漢詩の扉』(角川選書・2013)

『漢字世界の地平 私たちにとって文字とは何か』(新潮選書・2014)

『詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力』(平凡社・2016)

 

ーーーーーーーーー 

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

 

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漢文脈と近代日本 (角川ソフィア文庫)

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漢字世界の地平: 私たちにとって文字とは何か (新潮選書)

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

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2018予想論点/体系的整理①/東日本大震災と哲学的論考

(1)入試直前特集/2018予想論点・予想出典/体系的整理①/東日本大震災と哲学的論考

 

 今回の記事は、「入試直前特集/2018予想論点・予想出典/体系的整理①/東日本大震災と哲学的論考」です。

 

 当ブログは以下の基本的方針で作成しています。

 この基本的方針は、現在も変わっていません。

 以下に、当ブログの第一回記事の「開設の言葉」を引用します。

 

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 …………………………

 

(引用開始) 

(青字は当ブログによる「注」です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(以下、同じです)

 

(2)入試現代文(国語)・小論文の最新傾向ー重要な、気付きにくい2本の柱

 今現在の入試現代文(国語)・小論文の最新傾向として、注目するべきポイントとしては、2つの大きな柱があります。

 

【1】1つの柱は、「IT社会の光と影と闇」です。

 この論点・テーマは、3・11東日本大震災の前から登場していたので、割と有名ですが、最近のスマホ(スマートフォン)の爆発的な流行により、新たな論点・テーマが発生しています。

 スマホは、それまでの携帯電話とは、まるで違うものです。それだけに、プラス面、マイナス面も、携帯電話と比較して、拡大化・深刻化するのです。

 私が、「IT社会の光と影と闇」と書き、「光と影」だけにしなかったのは、事態の深刻性を強調するためです。

 

【2】もう1つの柱は、「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」です。

 「各方面」は、実に多方面にわたっています。

 入試現代文(国語)・小論文の問題を読んでいると、現代文明論(文明論)、科学批判(近代科学論・現代科学論)以外に、自己論(アイデンティティ論)・環境論・人間関係論・人生論・政治論(民主主義論等)等、「影響」が思いもしない方面にまで及んでいる事に、驚かされます。

 「影響」は、「単なる影響」のレベルでは、ありません。今までないくらいに大きく、底知れぬほど深く、長期的なものと言えます。

 2015年の入試現代文(国語)・小論文にも、その影響は続いています。

  私は、2013年3月に出版した自分の参考書(『頻出 難関私大の現代文』開拓社)の「あとがき」に以下のように書きました。

 

  「2011年の東日本大震災・福島原発事故は、これ以降の難関大入試の現代文・小論文に、かなり大きな影響を与えたようだ。あの事件は、今振り返ってみても、第二次世界大戦に匹敵する出来事なのだと思う。

  2012年の難関大の入試問題を精査してみると、それまでよりも、本質的・哲学的文章、人間関係・人間存在・生命・科学批判・安全・時代の混乱に焦点を絞った文章が、目立ってきている。

 私は、この変化をとても好ましいものだと思っている。本来、現代文の入試問題は、本質的・哲学的文章であるべきだと思っているからだ。

 あらゆる学問の基礎には哲学的視点が不可欠であり、これは欧米では当然の前提である。日本の高校・大学の教育にそれが不足している事に、私はこれまで、少なからず危機感を感じていたのである。

 今回、この参考書の依頼が来た時、私は難関大入試におけるこの傾向の変化を、いかに本書に取り入れるかに腐心した。

 東日本大震災以降、日本人全体の価値観は、大きく変わったのだと感じる。まだ明確には、その全体は把握できないが、何かが大きく変わったのは確かだ。

 よく分からないが、良い方向への変化だとは感じる。

 その実体を探ることは、我々の日々の課題だと思う。

 そして、より良い方向へと進路を変えていくことも」

 

 2015年の難関大学の入試問題(現代文(国語)・小論文)を概観しても、あの時と同じ感想を持ちました。入試現代文(国語)・小論文は、まっとうな道を選んでいるようです。

(引用終了)

 

…………………………… 

 

(今回の記事の記述)

 2016・2017年度の入試国語(現代文)・小論文に出題された問題を概観しても、上記の傾向に変化はないようです。

 私は、以上の「IT社会の光と影と闇」・「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」の2つの視点(入試頻出論点・流行論点)を重視して、最近の論考を読んでいます。そして、特に注目するべきものを、「予想出典」・「予想問題」として、週に1回のペースで当ブログで記事を発表しています。

 2017年度も、その方針で、約50の記事を発表しました。

 

 東日本大震災以後は、ハイレベルで良質な哲学的論考が多く発表されたこともあったので、今年の記事には、哲学論考の割合が増加しました。

 そこで、今回の記事では、難関大学国語(現代文)・小論文対策として、「東日本大震災」に関連した「哲学」・「哲学的論考」を題材にした「予想出典記事」・「予想問題記事」を紹介していきます。一部、2016年度に発表した記事も含みます。

 

 東日本大震災以後、良質な哲学的論考が多く発表されています。

 下の『ニコ生思想地図』の告知コピーは、この現象を象徴している感じです。

 

……………………………

 

(引用開始)
  「暇」と「退屈」という日常的で身近なものごとから哲学のコアへと、一気に急行していく『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎・朝日出版社)は、哲学という学の持つポテンシャルを見事にみせつけています。

 収束しない原発問題に、復調の兆しが見えない日本経済。

 危機が覆っているにもかかわらず、日常がいまだ続いているかに見える震災以後の現在。

そうした壁を突破するために、いまこそ「哲学」が本気を出すべき時が来たのではないでしょうか。

  『思想地図β』編集長で「哲学者」でもある『一般意志2.0』の著者東浩紀と國分氏が、震災以後の哲学の可能性を徹底的に語ります!
(『ニコ生思想地図』「震災以後、哲学とは何か」國分功一郎×東浩紀)

 (引用終了)

 

……………………………

 

 (今回の記事の記述)

今回の記事の項目は以下の通りです。記事は約1万字です。

 

(2)國分功一郎氏・関連記事の紹介

 ① 予想問題『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/消費社会・真の豊かさ

 ② 予想問題「好きなこととは何か?」『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

 ③『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)

 ④『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(後編)

(3)予想問題『ゲンロン0 観光客の哲学』東裕紀/哲学/グローバリズム

(4)予想問題『日本文化の論点』宇野常寛/2014早大社会過去問

(5)予想問題『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一・地域社会

(6)予想問題「シン・ゴジラ」御厨貴・「戦後」と「災後」・東日本大震災

(7)ニヒリズム→「予想問題 「ナウシカとニヒリズム」 重田園江・2014学習院大過去問」

(8)科学批判①→「2017東大国語第1問(現代文・評論)的中報告・解説・科学と倫理」

(9)科学批判②→「2012東大国語第1問(現代文)解説『意識は実在しない』河野哲也」

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

(2)國分功一郎氏・関連記事の紹介

 

① 予想問題『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/消費社会・真の豊かさ

 

gensairyu.hatenablog.com

 

(今回の記事の記述) 

 國分功一郎氏は、最近の入試頻出著者です。『暇と退屈の倫理学』は、入試頻出著書になっています。最近発表された『中動態の世界』も内容的にみて、入試頻出著書になる可能性が高いでしょう。

 当ブログでは、今年、『暇と退屈の倫理学』と『中動態の世界』に関して、それぞれ2本ずつの予想問題記事を発表しました。以下で紹介します。

 

  『暇と退屈の倫理学』は、東日本大震災以後、日本に蔓延する同調圧力に対する異議として書かれた側面があります。そのことは、以下の、2つの「BOOK紹介」から推測されます。 

 

……………………………

 


●朝日新聞やニューヨークタイムズのインタビューで注目を浴びる気鋭のスピノザ研究者が、「3・11以降の生き方」を問う。はつ剌と、明るく、根拠をもって「よりよい社会」を目指す論客のデビュー。

何をしてもいいのに、何もすることがない。

だから、没頭したい、打ち込みたい・・・・。

でも、ほんとうに大切なのは、自分らしく、自分だけの生き方のルールを見つけること。

 

●昨年 発表した著書、『暇と退屈の倫理学』が、哲学書としては異例のヒットを記録。
國分さんは、このテーマを追求することで、去年の3月11日以降、私たちが大切にするべきものは何なのかを問いかけ、多くの反響を受けています。

『暇と退屈の倫理学』「Book紹介」

 

 …………………………

 

(今回の記事の記述)

   「予想問題『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/消費社会・真の豊かさ」の記事における重要部分を以下に紹介します。

 

 …………………………

 

(引用開始)

(当ブログによる解説)

 第四章以下では「消費と労働」、「疎外」について考察しています。
 つまり、現代人は、ある程度の「豊かさ」と「暇」を入手したが、その「暇な時間」に何をしたいのか、よく分からない人が多い。人類は他の動物と異なり、環世界を変幻自在に飛び回ることができる自由な存在であるために、退屈を嫌う。その点に企業・広告業界等が注目し、人々が余暇に行うであろう欲望の対象を用意し、広告宣伝等により誘導する。つまり、私たちの需要・欲求は、あらかじめ企業等の供給側によって支配されているという構造があるのです。
 これに対して、國分氏は、受動的で際限のない、虚しい「消費」を批判し、「真の豊かさ」としての「浪費」の意義を強調しています。
 そして、真の豊かな「浪費」を享受するために、浪費を味わえるようにする一定の訓練と、動物的「とりさらわれ」(→「熱中。集中」という意味)の重要性を主張するのです。

 (引用終了)

 

 …………………………

 

② 予想問題「好きなこととは何か?」『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

 

gensairyu.hatenablog.com

 

(今回の記事の記述)

  以下に、「予想問題「好きなこととは何か?」『暇と退屈の倫理学』國分功一郎」

 の冒頭部分を紹介します。

 

……………………………

 

(引用開始)

 最近、当ブログでは、流行出典である『暇と退屈の倫理学』の入試頻出箇所(「第4章 暇と退屈の疎外論ーー贅沢とは何か?」) について、予想問題記事を発表しましたが、同じく、頻出箇所である「序章 好きなこととは何か」を題材にして、予想問題(予想論点)を解説することにしました。

 問題としては、「2013年度同志社大学過去問」と「当ブログによる予想問題」を使用します。

 (引用終了)

 

……………………………

 

③『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 (今回の記事の記述)

  『中動態の世界』は、『暇と退屈の倫理学』の「真の自由追求のテーマ」をさらに深め、発展させようとしているのでは、ないでしょうか?

 「真の自由とは、決して、自己の自由意志を行使することではない。それは、近代に特有の誤解であり、偏見にすぎない。」

 本書を読み、私は、「國分氏は、そのように主張しているのだ」と感じました。

 本書は、近代批判・現代文明批判・現代文明論・現代社会論の名著です。

 

 以下に「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)」の重要部分を再掲します。

 

……………………………

 

 (引用開始)

『中動態の世界』(前編) 以下では、「能動/受動の二分法」と「意志・責任」の「密接な関係」についての記述が展開されます。本書の最重要部分です。大げさに言えば、この世の中の隠されたスリラーについて、冷静に記述されています。

「 『能動と受動の区別』は、すべての行為を『する』か『される』かに分配することを求める。しかし、この区別は、以上のことを考えてみると、非常に不便で不正確なものだ。だが、それにもかかわらず、われわれはこの区別を使っている。そしてそれを使わざるをえない。どうしてなのだろうか。」(P21)

「  能動/受動の区別の曖昧さとは、要するに、意志の概念の曖昧さなのではないか? 一方、能動や意志という概念は実に都合よく使われるものである。」(P24~26)

 

 上記の「能動や意志という概念は実に都合よく使われるものである」については、以下のように説明しています。

「  能動における『する』という行為の出発点は『私』にあり、また『私』こそがその原動力であることを強調する。だから、そこには『意志』の存在が喚起されてくる。そして、自分の『意志』で自由に選択した行為であるからには、そこには『責任』が伴ってくることにもなる。」(P22)

「  責任を負うためには人は能動的でなければならない。人は能動的であったから責任を負わされるというよりも、責任あるものと見なしてよいと判断されたときに、能動的であったと解釈されるということである。意志を有していたから責任を負わされるのではない。責任を負わせてよいと判断された瞬間に、意志の概念が突如出現する。

  『夜更かしのせいで授業中に居眠りをしているのだから、居眠りの責任を負わせてもよい』と判断された瞬間に、その人物は、夜更かしを自らの意志で能動的にしたことにされる。

 つまり、責任の概念は、自らの根拠として行為者の意志や能動性を引き合いに出すけれども、実はそれらとは何か別の判断に依拠しているということである。」(P25・26)

  (引用終了)

 

   ……………………………

 

『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(後編)

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 (今回の記事の記述)

 上記の記事から重要部分を紹介します。

 

  ……………………………

 

 (引用開始)

 『中動態の世界』は、最近のベストセラーになっています。

 近代的常識や「べき論」の牢獄からの穏当な脱走を提案する、現代人救済のための哲学書です。

 近代批判の良書です。

 丁寧に、分かりやすく記述されているので、難関大学を目指す受験生、高校生であれば、充分に楽しめることでしょう。高校生、受験生は、最低1冊は、國分功一郎氏の著書を読んでおくべきでしょう。

 入試のレベルで見ると、入試出典として採用されやすい論考には、一定のポイントがあります。未知のユニーク視点、日本語として美しい文、明快な論理構造などです。
 本書は、これらのポイントを充分に満たしています。

 本書が、来年度以降の国語(現代文)・小論文問題として出題される可能性は、かなり高いと思われます。

 そこで、国語(現代文)・小論文対策として、予想出典記事を発表します。

  『中動態の世界』は密度の濃い論考であり、「入試題材の宝庫」なので、今回の予想出典記事は、前編・後編の2回に分けて発表します。

 今回は前回の「『中動態の世界』國分功一郎/哲学/現代文・小論文予想出典(前編)」(→主に本書の前半を中心に解説しました)に続く、その「後編」(→主に本書の後半を中心に解説します)です。

 『中動態の世界』の後半では、アレント、ハイデッガー、スピノザ等の偉大な哲学者達の説を、國分氏が解明した「中動態の世界」の視座から読み直すことで、彼らの説をより明快に解説しています。

 ただ、國分氏は、偉大な哲学者達の論理や直感に一定の評価をして、彼らの学問的価値を高めようとしています。彼らへの畏敬の念が感じられる論考です。

  『暇と退屈の倫理学』と合わせ読むと「人間性の真の解放」の意味が実感できます。

 

 今回の記事は、「第5章意志と選択」・「第8章中動態と自由の哲学」を中心に解説していきます。今回の記事の項目は、以下のようになっています。

 (引用終了) 

 

……………………………

 

 

ゲンロン0 観光客の哲学

 

 

(3)予想問題『ゲンロン0 観光客の哲学』東裕紀/哲学/グローバリズム

  

gensairyu.hatenablog.com

 

 (今回の記事の記述)

 『観光客の哲学』は、「福島第一原発観光地化計画」・「ダークツーリズム」

(→「福島第一原発観光地化計画」→東浩紀が中心となって2012年から企画する福島第一原子力発電所跡地付近の復興計画。福島原発事故の記憶を風化させず歴史に残すことを目的とする。事故後25年後にあたる2036年頃、除染が進んで福島原発跡から数百メートルの距離まで一般市民が防護服なしに近づけるようになった状態を想定し、事故跡地付近に建設する施設や、そこでの展示などを提案する)

(→「ダークツーリズム」→日本では、作家の東浩紀やジャーナリストの津田大介が、チェルノブイリ原子力発電所を対象とした紀行を発表し、その後、書籍として福島第一原子力発電所を『福島第一原発観光地化計画』(思想地図βvol.4-2・2013年)として刊行したことで、一般的に知られるようになった)

から発展した名著と言えるでしょう。

 

   『ゲンロン0 観光客の哲学』執筆の背景として、東氏は、ツイートで以下のように述べています。本書理解の参考になると思われるので、以下に引用します。

「ゲンロン0は哲学と文学を扱った本ですが、その背景には、震災(→東日本大震災)後、『いまここ』の現実に右往左往することしかできなくなった人文学と批評全体への静かな怒り、というか(自戒を込めた)絶望が宿っています。そんなことを書きました。」(東浩紀@ゲンロン6発売中 @hazuma 2017・4・8)

 

 東日本大震災以後、良質な哲学論考が多く発表されています。下の『ニコ生思想地図』の告知コピーは、この現象を象徴している感じです。

  《「暇」と「退屈」という日常的で身近なものごとから哲学のコアへと、一気に急行していく『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎・朝日出版社)は、哲学という学の持つポテンシャルを見事にみせつけています。》

 

……………………………

 

 

日本文化の論点 (ちくま新書)

 

 

(4)予想問題『日本文化の論点』宇野常寛/2014早大社会過去問

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 (今回の記事の記述)

 上記の記事の冒頭部分を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

「評論家・宇野常寛氏は、最近の入試頻出著者です。

 宇野氏は継続的に、 「3・11東日本大震災、福島原発事故」について、深い考察をしています。

 今回の宇野氏の論考(『日本文化の論点』)は、「3・11東日本大震災、福島原発事故」と「世界観・終末観の変化」という、入試国語(現代文)・小論文における、頻出で重要なテーマを論じているので、予想問題記事として取り上げることにしました。」

  (引用終了) 

 

 ……………………………

 

 

しんがりの思想 ―反リーダーシップ論― (角川新書)

 

 

 (5)予想問題『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一・地域社会

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 (今回の記事の記述) 

 上記の記事の冒頭部分、重要部分を引用します。

 

 ……………………………

 

 (引用開始)

「鷲田清一氏は、ほとんどの難関大学の入試現代文(国語)・小論文で一度は出題されている、トップレベルの頻出著者です。
 最近では、センター試験、東京大学、東北大学、早稲田大学、慶應大学、上智大学等で出題されています。」

 

「 最近、鷲田氏は『しんがりの思想 反リーダーシップ論』(角川新書・2015年発行)を発表しました。

 本書は、早くも入試頻出出典になっています。具体的には、群馬大学、大阪教育大学、鹿児島大学、早稲田大学(社会科学部)、明治大学、法政大学、立命館大学等の国語現代文小論文に出題されています。そこで、今回は本書のポイントであり、かつ、最頻出の箇所について、当ブログの予想問題を発表することにしました。」

 

『しんがりの思想』の本文(概要)

「【2】社会がいやでも縮小してゆく時代、「廃」炉とか「ダウン」サイジングなどが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、むしろ最後尾でみなの安否を確認しつつ進む登山グループの「しんがり」のような存在、退却戦で敵のいちばん近くにいて,味方の安全を確認してから最後に引き上げるような1 「しんがり」の判断が、もっとも重要になってくる。実際、震災復興にあっても、ひたすら「防災」のためのハード面での公共事業に取り組むのではなく、地域が震災前から抱え込んでいた問題を見据えながら、そこでの日々の暮らしを〔 A=創造的 〕に再興する取り組みと結びついた経済活性化策を講じなければならないだろうし、また、もし、そうした社会全体への気遣いや目配りができていれば、建築資材と労賃の高騰を招くことで東北での復興事業を大きく遅延させることが必定な〔 B=東京五輪 〕の誘致など、だれも発想しなかっただろう。こういう全体の気遣いこそ、ほんとうのプロフェッショナルが備えていなければならないものなのであり、また、よきフォロワーシップの心得というべきものである。そして、こうした心得を、ここで《しんがりの思想》と呼んでみたい。

【3】リーダーが、その「しんがり」の務めに戻るべきときが、いま来ている。ダウンサイジングという、 「右肩上がり」の時代のリーダーたちがいちばん不得手な難問が山積しているという状況が目の前にある。」

   (引用終了)

 

 ……………………………

 

オーラル・ヒストリー―現代史のための口述記録 (中公新書)

 

 

(6)予想問題「シン・ゴジラ」御厨貴・「戦後」と「災後」・東日本大震災

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 (今回の記事の記述)

 上記の記事の重要部分を引用します。

 

 ……………………………

 

(引用開始)

(御厨氏の論考)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

【1】「この国はまだまだやれる」。映画「シン・ゴジラ」の中で、ゴジラ対策の任を負った官邸の政治家・矢口蘭堂のセリフに、ホッとした。今、社会現象となった話題の映画「シン・ゴジラ」は、大人の鑑賞に堪える、いや大人向けの政治映画である。スクリーンに2時間くぎ付けとなること間違いなしだ。

【2】始まってすぐ、これは3・11東日本大震災と福島原発事故、そして日米安全保障条約が絡んだ物語だと誰しも分かる。この5年間を経験した日本人につきつけられた「非常時にどう立ち向かうか」の問いに、見る者は待ったなしの感覚を持たされる。これ、考えないようにしてきたなと。 

   

 ………………

 

(当ブログの解説)

 今回のこの映画は、シン・ゴジラが東日本大震災・福島原発事故の暗喩であることを、堂々と出してきています。


 この作品は、「3・11東日本大震災とは何だったのか」を、改めて問い直したものです。この作品は、大震災当時の官邸・自治体・自衛隊の行動、米国からの働きかけ等を、かなり、なぞっているようです。その上で、この作品は、仮想的「災害」への対応のシミュレーションを示すばかりではなく、さらに、一応の解決がなされた後の不安定な状況と、将来の展望まで提示しようとしている野心作と言えるでしょう。

   (引用終了)

 

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ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)

 

 (7)ニヒリズム→「予想問題 「ナウシカとニヒリズム」 重田園江・2014学習院大過去問」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  (今回の記事の記述)

 東日本大震災・福島原発事故の際に、多くの科学者たちは「想定外」という言葉を乱発しました。しかし、科学を信頼してきた国民にとって、この「想定外」発言は失望そのものでした。

 さらに、原発事故直後の情報混乱等により、国民の科学に対する不信感が増大しました。それとともに、世の中に「ニヒリズム」が蔓延しました。

 「ニヒリズム」に関する秀逸な哲学的論考として重田園江氏の「ナウシカとニヒリズム」を「予想問題」として記事化したので、以下に紹介します。

 

 ……………………………

 

 (引用開始)

 (1)なぜ、この記事を書くのか?
 現代社会は「ニヒリズム(虚無主義)」が蔓延している時代だ、と言われています。現代思想を理解するうえで、「ニヒリズム」の理解は必要不可欠です。入試現代文(国語)・小論文においても、「ニヒリズム(虚無主義)」は、頻出論点・流行論点になっています。

 一方で、宮崎駿氏の作品に関する論考も、最近では頻出です。例えば、2014年度には名古屋市立大で、鎌田東二氏の「鎮守の森から見たトトロ論」が出題されています。

 このような状況で、重田園江氏の「ナウシカとニヒリズム」(『世界思想』2013 春号) が、2014年度の学習院大(経済)が出題されました。

 重田氏の論考は、本質的で明解です。頻出出典になる可能性があるので、今回は、この論考を現代文(国語)・小論文対策として、記事にすることにしました。

   (引用終了)

 

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(8)科学批判①→「2017東大国語第1問(現代文・評論)的中報告・解説・科学と倫理」

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  (今回の記事の記述)

 最近発表されている論考を概観すると、「科学批判」・「科学論」は、2017年度入試に続き、2018年度入試でも、流行・頻出論点になりそうです。

 そこで、「2017東大国語第1問(現代文・評論)的中報告・解説・科学と倫理」の記事を紹介します。

 

  ……………………………

 

(引用開始)

(1)2017東大国語第1問・的中報告

→2017センター試験国語第1問(現代文・評論文)に続き、2017東大国語第1問にも当ブログの予想論点記事 (「科学論」「科学と倫理」)が的中しました。2016東大現代文ズバリ的中・一橋大現代文ズバリ的中(共に全文一致)に続く喜びです。そこで、今回は、2017東大国語第1問(現代文・評論)の解説をします。

 

 当ブログでは、東日本大震災」・「福島原発事故」・「人工知能」などを素材として、「科学の急激な発展」、「科学の暴走」、「科学コミュニケーション」、「科学と倫理」について考察した予想論点記事を発信してきました。

 詳しくは、下のリンク画像をご覧ください。

 

 そして、2017センター試験国語第1問で、「科学コミュニケーション」が出題され、2017東大国語第1問で「科学と倫理」が出題されました。

 「科学コミュニケーション」の重要な目的の1つが、「科学的倫理基準の民主的コントロール」であることを考慮すると、2つの問題は、『「科学の暴走」と「人類の危機」』という同一の問題意識が背景にあると言えるでしょう。

 2017センター試験国語第1問、2017東大国語第1問ともに、「科学の暴走」という、現代の重大な問題を真正面から取り上げた、「誠実」かつ「真摯(しんし)」な問題だと思います。

 2つの問題の作成チームに敬意を表します。

 「人工知能」・「遺伝子操作」・「分子生物学」・「原発」・「先端医療」等を考えると、今回の2問は、来年度入試においても、国語(現代文)・小論文における重要論点・テーマとなるはずです。

 従って、よく理解しておく必要があるでしょう。

 

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(2)2017東大国語第1問(現代文・評論)・解説ー『芸術家たちの精神史』伊藤徹

(問題文本文)(概要です)

「【1】テクノロジーには問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる。科学技術によって産み落とされた環境破壊が、それを取り戻すために、新たな技術を要請するといった事例は、およそ枚挙にいとまないし、感染防止のためのワクチンに対してウィルスが耐性を備えるようになり、新たな開発を強いられるといったことは、毎冬のように耳にする話である。東日本大震災の直後稼働を停止した浜岡原発に対して、中部電力が海抜二二メートルの防波堤を築くことによって、「安全審査」を受けようとしているというニュースに接したときも、同じ思いがリフレインするとともに、こうした展開にはたして終わりがあるのだろうかという気がした。技術開発の発展が無限に続くとは、たしかにいいきれない。次のステージになにが起こるのか、当の専門家自身が予測不可能なのだから、先のことは誰にも見えないというべきだろう。けれども科学技術の展開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引(けんいん)していく不気味なところがある。」

  (引用終了)

 

  ……………………………

 

意識は実在しない 心・知覚・自由 (講談社選書メチエ)

 

 

(9)科学批判②→「2012東大国語第1問(現代文)解説『意識は実在しない』河野哲也」

 

  (今回の記事の記述)

 「科学批判」・「科学論」を考える際には、頻出著者・河野哲也氏の以下の頻出論考を外すことは、できません。

 上記の記事の重要部分を紹介します。

 

  ……………………………

 

(引用開始)
 
 (3)河野哲也『意識は実在しない』ー2012年度の流行出典ー東大と早稲田大(教育)で、同一箇所から出題

 

 ①【科学批判のテーマ】

 本問題は、「科学批判」(近代科学論・現代科学論)がテーマになっている問題です。

 3・11東日本大震災・福島原発事故以降、入試現代文(国語)・小論文に出題される「科学批判」(科学論)のテーマは、より先鋭化し、出題率も増加しています。

 3・11以前も、環境汚染、自然破壊、地球温暖化、チェルノブイリ原発事故等により、「科学批判」のテーマは、一定量の出題がみられました。

 しかし、3・11以降は、「科学」に対する批判は明白に先鋭化し、「科学批判」のテーマは出題率が増加しています。

 

 これは、考えてみれば、当然のことです。

 福島原発事故の際の、原子力村の学者達、地震学者達の無責任な「想定外」の連呼。

 崩壊した「安全神話」。

 今だに完全には収束していない福島原発の処理。

 これらをみれば、「科学」に対する厳しい批判的論考は、増えこそすれ、減ることはないでしょう。

 大学における現代文(国語)・国語入試問題作成者の「問題意識」も同じでしょう。

 たとえ、問題作成者の「問題意識」がそうでないとしても、入試現代文(国語)・小論文の世界は、「出典」の関係で論壇・言論界・出版界の影響を受けるのです。

 

 2012年度の東大と早稲田大(教育)では、河野哲也氏の『意識は実在しない』の「序論 環境と心の問題」の冒頭部分から出題されました。

 東大と早稲田大(教育)を比較すると、問題文本文の最終段落は同じですが、最初の部分が違います。

 早稲田大(教育)の方が、最初の2段落分だけ多くなっています。

 以下に、早稲田大(教育)の問題文本文の最初の2段落の概要を記述します。

 ①②・・・・は、早稲田大(教育)に特有な段落番号です。

「① 人類が全体として取り組まなければならない大問題はいくつもある。

② 2012年3月に起きた東北関東地方での大地震で私たちは、地震と津波に打ちのめされると同時に、原子力発電の危険性をあまりに強烈な形で思い知らされた。

 この大災害には、人災の要素がもちろん存在し、長期的に私たちが環境とどのようにつきあっていくべきなのか、自然と社会のあり方が抜本的に問われている。

 

 ここから分かるように、今回の河野氏の論考は、3・11東日本大震災をきっかけとして書かれたものです。

 まさに、3・11東日本大震災以降の、3・11を意識した先鋭的で哲学的な「科学批判」の代表格の論考です。

 内容的にも、視点が秀逸で、ハイレベルな本質的な論考です。

 いかに素晴らしい先鋭的・哲学的な論考かは、これから説明します。

 これから、長期的に現代文(国語)・小論文の入試頻出出典となる可能性の高い論考と言えます。

   (引用終了)

 

 ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

  

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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2011センター国語第1問(現代文・評論文)解説

 (1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 鷲田清一氏は、ほとんどの難関大学の入試現代文(国語)・小論文で一度は出題されている、トップレベルの頻出著者です。
 最近では、センター試験、東京大学、東北大学、早稲田大学、慶應大学、上智大学等で出題されています。

 鷲田氏の入試頻出著書としては、

『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、

『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)、

『悲鳴をあげる身体』(PHP 新書)、

『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論』(ちくま学芸文庫)、

『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(ちくま新書)等があります。

 

 今回の「身ぶりの消失」は、『 感覚の幽い風景 』所収の「現代住居論」・「身体論」・「ケア論」の名著です。

 「身体論」・「ケア論」は入試頻出論点です。

 特に、鷲田氏の「身体論」・「ケア論」は、最近の流行論点になっています。

 

 本文はハイレベルですが、設問はきわめて基礎的です。

 このことは、センター試験国語(現代文・評論文)の最近の一般的特徴です。

 従って、直前演習の題材として、オススメです。

 

 そればかりではなく、頻出著者・鷲田清一氏の頻出・流行論点である、今回の論考を考察することは、現代文対策、小論文対策としても有用です。

 

 今回の記事の項目は以下の通りです。記事は約1万字です。

(2)2011センター試験第1問・「身ぶりの消失」鷲田清一/問題・解説・解答

(3)本文のポイントの解説

(4)当ブログの「センター試験解説・関連記事」の紹介(リンク画像)

(5)当ブログの「鷲田清一氏・関連記事」の紹介(リンク画像)

  

感覚の幽(くら)い風景 (中公文庫)

 

(2)2011センター試験第1問・「身ぶりの消失」鷲田清一(『感覚の幽い風景』所収)/問題・解説・解答

 

問 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

 

(問題文本文)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

【1】わたしは思い出す。しばらく前に訪れた高齢者用のグループホーム(→本文の「注」→高齢者などが自立して地域社会で生活するための共同住居)のことを。

【2】住むひとのいなくなった木造の民家をほとんど改修もせずに使うデイ・サーヴィス(→本文の「注」→高齢者などのため、入浴、食事、日常動作訓練などを日帰りで行う福祉サービス)の施設だった。もちろん「バリアフリー」からはほど遠い。玄関の前には石段があり、玄関の戸を引くと、玄関間がある。靴を脱いで、よいしょと家に上がると、今度は襖。それを開けてみなが集っている居間に入る。軽い「認知症」を患っているその女性は、お菓子を前におしゃべりに興じている老人たちの輪にすぐには入れず、呆然と立ち尽くす。が、なんとなくいたたまれず腰を折ってしゃがみかけると、とっさに「どうぞ」と、いざりながら(→本文の「注」→座った状態で体の位置をずらしながら)、じぶんが使っていた座布団を差し出す手が伸びる。「おかまいなく」と座布団をおし戻し、「何言うておすな、遠慮せんといっしょにお座りやす」(→本文の「注」→「何言うておすな」・「お座りやす」→それぞれ「何をおっしゃっているんですか」・「お座りなさいませ」の意)とふたたび座布団がおし戻される・・・・。

【3】和室の居間で立ったままでいることは「不自然」である。「不自然」であるのは、いうまでもなく、人体にとってではない。居間という空間においてである。居間という空間がもとめる挙措の「風」に、立ったままでいることは合わない。高みから他のひとたちを見下ろすことは「風」に反する。だから、いたたまれなくなって、腰を下ろす。これはからだで憶えているふるまいである。からだはそんなふうに動いてしまう。

【4】からだが家のなかにあるというのはそういうことだ。からだの動きが、空間との関係で、ということは同じくそこにいる他のひとびととの関係で、ある形に整えられているということだ。

【5】一方でバリアフリーにつくられた空間ではそうはいかない。人体の運動に合わせたこの抽象的な空間では、からだは空間の内部にありながらその空間の〈外〉にある。からだはその空間にまだ住み込んでいない。そしてそこになじみ、そこに住みつくというのは、これまでからだが憶えてきた挙措を忘れるということだ。ただっぴろい空間にあって立ちつくしていても「不自然」でないような感覚がからだを侵蝕(しんしょく)してゆくということだ。単独の人体がただ物理的に空間の内部にあるということがまるで自明であるかのように。こうして、さまざまなふるまいをまとめあげた「暮らし」というものが、人体から脱落してゆく。

 

……………………………

 

(設問)

問2 傍線部A「からだが家のなかにあるというのはそういうことだ 」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から選べ。

①  身体との関係が安定した空間では人間の身体が孤立することはないが、他のひとびとと暮らすなかで自然と身に付いた習慣によって、身体が侵蝕されているということ。

②  暮らしの空間でさまざまな記憶を蓄積してきた身体は、不自然な姿勢をたちまち正してしまうように、人間の身体はそれぞれの空間で経験してきた規律に完全に支配されているということ。

③  生活空間のなかで身に付いた感覚によって身体が規定されてしまうのではなく、経験してきた動作の記憶を忘れ去ることで、人間の身体は新しい空間に適応し続けているということ。

④  バリアフリーに作られた空間では身体が空間から疎外されてしまうが、具体的な生活経験を伴う空間では、人間の身体は空間と調和していくことができるのでふるまいを自発的に選択できているということ。

⑤  ただ物理的に空間の内部に身体が存在するのではなく、人間の身体が空間やその空間にいるひとびとと互いに関係しながら、みずからの身体の記憶に促されることでふるまいを決定しているということ。

 

……………………………

 

(解説・解答)
問2(傍線部説明問題)

 まず、傍線部の「そういうこと」に注目してください。

 直前段落の「和室の居間で立ったままでいることは『不自然』である。『不自然』であるのは、いうまでもなく、人体にとってではない。居間という空間においてである。これはからだで憶えているふるまいである。からだはそんなふうに動いてしまう。」を受けている表現です。

 次に、傍線部の直後の、「からだの動きが、空間との関係で、ということは同じく、そこにいる他のひとびととの関係で、ある形に整えられている」が、傍線部を言い換えていることに着目するとよいでしょう。

 ⑤は、「からだの動きが、/空間との関係で、/そこにいる他のひとびととの関係で、/ある形に整えられている」という2つの要素を含んでいます。

 また、⑤の「みずからの身体の記憶に促されることでふるまいを決定している」は、直前段落の「これはからだで憶えているふるまいである。からだはそんなふうに動いてしまう」を受けている表現です。

 従って、⑤が正解になります。

①は、「空間との関係」を欠いているので誤りです。

②は、「そこにいる他のひとびととの関係」を欠いているので誤りです。

③は、「経験してきた動作の記憶を忘れ去ること」の部分が誤りです。

④は、「そこにいる他のひとびととの関係」を欠いているので誤りです。また、「ふるまいを自発的に選択できている」も「空間との関係」・「そこにいる他のひとびととの関係」に反しています。

(解答)⑤

 

ーーーーーーーー 

 

(問題文本文)

 【6】心ある介護スタッフは、入所者がこれまでの「暮らし」のなかで使いなれた茶碗や箸を施設にもってくるよう「指導」する。洗う側からすれば、割れやすい陶器製の茶碗より施設が供するプラスチックのコップのほうがいいに決まっているが、それでも使いなれた茶碗を奨(すす)める。割れやすいからていねいに持つ、つまり、身体のふるまいに気をやる機会を増すことで「痴呆(ちほう)」(→本文の「注」→「認知症」)の進行を抑えるということももちろんあろう。が、それ以上に、身体を孤立させないという配慮がそこにはある。

【7】停電のときでも身の回りのほとんどの物に手を届けることができるように、からだは物に身をもたせかけている。からだは物の場所にまでいつも出かけていっている。
物との関係が切断されれば、身は宙に浮いてしまう。
新しい空間で高齢者が転びやすいのは 、比喩(ひゆ)ではなく、まさに身が宙に浮いてしまうからである。 まわりの空間への手がかりが奪われているからである。「バリアフリー」で楽だとおもうのは、あくまで介護する側の視点である。まわりの空間への手がかりがあって、他の身体、──それは、たえず動く不安定なものだ──との丁々発止のやりとりもはじめて可能になる。とすれば、人体の運動に対応づけられた空間では、他のひととの関係もぎくしゃくしてくることになる。あるいは、物とのより滑らかな関係に意を配るがために、他者に関心を寄せる余裕もなくなってくる 。そう、たがいに「見られ、聴かれる」という関係がこれまで以上に成り立ちにくくなる。空間がいってみれば、 中身を失う・・・・。

【8】X 「中身」?

【9】この言葉をいきいきと用いた建築論がある。青木淳『原っぱと遊園地』(王国社、2004年)だ。青木によれば、「遊園地」が「あらかじめそこで行われることがわかっている建築」だとすれば、「原っぱ」とは、そこでおこなわれることが空間の「中身」を創(つく)ってゆく場所のことだ。原っぱでは、子どもたちはとにもかくにもそこへ行って、そこから何をして遊ぶか決める。そこでは、たまたま居合わせた子どもたちの行為の糸がたがいに絡まりあい、縒(よ)り合わされるなかで、空間の「中身」が形をもちはじめる。その絡まりや縒り合せをデザインするのが、巧(うま)い遊び手のわざということであろう。

【10】青木はこの「原っぱ」と「遊園地」を、二つの対立する建築理念の比喩として用いている。 そして前者の建築理念、つまりは、特定の行為のための空間を作るのではなく、行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインするような建築を志す。「B 空間がそこで行われるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない」というわけだ。

 

………………………………

 

(設問)

問3 傍線部B「空間がそこで行われることに先回りしてしまってはいけない」とあるが、それはなぜか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

①  原っぱのように、遊びの手がかりがきわめて少ない空間では、行為の内容や方法が限定されやすく空間の用途が特化される傾向を持ってしまうから。

②  原っぱのように、使用規則やそこでの「行動基準が規定されていない空間では、多様で自由な行為が保証されているためにかえってその空間の利用法を見失わせてしまうから。

③  遊園地のように、明確に定められた規則に従うことが自明とされた空間では、行為が事前に制限されるので空間を共有するひとびとの主体性が損なわれてしまうから。

④  遊園地のように、その場所で行われる行為を想定して設計された空間では、行為相互の偶発的な関係から空間の予想外の使い方が生み出されにくくなるから。

⑤  遊園地のように、特定の遊び方に合わせて計画的にデザインされた空間では、空間の用途や行為の手順が誰にでも容易に推測できて興味をそいでしまうから。

 

………………………………

 

(解説・解答)

問3(傍線部説明問題・理由説明)

 傍線部(「空間がそこで行われるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない 」)が直前の二文の理由付けになっているという構造に注目してください。

 直前の二文は以下の通りです。
 「青木はこの『原っぱ』と『遊園地』を、二つの対立する建築理念の比喩として用いている。 そして前者の建築理念、つまりは、特定の行為のための空間を作るのではなく、行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインするような建築を志す。」

 傍線部の「先回り」とは、「遊園地」の「建築理念」、つまり、「あらかじめそこで行われることがわかっている建築」(直前の【9】段落)を指しています。
 それを否定して、「原っぱ」の建築理念(→「そこでおこなわれることが空間の「中身」を創ってゆく場所」)(直前の【9】段落)を支持しているのです。

 

 ④の「行為相互の偶発的な関係から空間の予想外の使い方が生み出される」は、
【9】段落「たまたま居合わせた子どもたちの行為の糸がたがいに絡まりあい、縒(よ)り合わされるなかで、空間の『中身』が形をもちはじめる」
の言い換えになっています。

正解は④です。

 

①  「原っぱ」の建築理念として誤りです。

②  「原っぱ」を否定的に記述しているので誤りです。

③  「規則に従うこと」の部分が無関係で誤りです。
 また、「遊園地」と「原っぱ」の対比は、「空間の中身」に関連しているので、「主体性」について記述している③は不適切です。

⑤  「遊園地」と「原っぱ」の対比は、「空間の中身」に関連しているので、「人の興味」について記述している⑤は不適切です。

(解答)④

 

ーーーーーーーー

 

(問題文本文)

【11】では、造作はすくないほうがいいのか。ホワイトキューブ(→本文の「注」→白い壁面で囲まれた空間、美術作品の展示などに使う) のようなまったく無規定のただのハコが理想的だということになるのだろうか。ちがう、と青木はいう。

【12】まったくの無個性の抽象空間のなかで、理論的にはそこでなんでもできるということではない。たとえば、工場をアトリエやギャラリーに改装した空間が好まれるのは、それが特性のない空間だからではない。工場の空間はむしろ逆に、きわめて明確な特性を持っている。工場には、様々な機械の自由な設置を可能にするために、できる限り無柱の大きな容積を持った空間が求められる。そこでの作業を考え、部屋の隅々まで光が均等に行き渡るように、天井にはそのためにもっとも適切な採光窓がとられる。その目標から逸脱する部位での建設コストは切り詰められる。工場はこうした論理を徹底することでつくられてきた。この結果として、工場は工場ならではの空間の質を持つに至る。 工場は、無限定の空間と均一な光で満たされるということと引き替えに、一般的な意味での居心地の良さを捨てるという、明確な特性を持った空間なのである。
工場は、単に空間と光の均質を実現した抽象的な空間なのではない。工場は、そこでの作業を妨害しない範囲で、柱や梁(はり)のトラス(→本文の「注」→三角形を組み合わせた構造)が露出されている、きわめて物質的で具体的な空間なのである。

【13】このような空間に「自由」を感じるのは、そこではその空間の「使用規則」やそこでの「行動基準」がキャンセルされているからだ。「使用規則」をキャンセルされた物質の塊が別の行為への手がかりとして再生するからだ。原っぱもおなじだ。そこは雑草の生えたでこぼこのある更地であり、来るべき自由な行為のために整地されキューブとしてデザインされた空間なのではない。そこにはいろんな手がかりがある。

【14】木造家屋を再利用したグループホームは、逆に空間の「使用規則」やそこでの「行動基準」がキャンセルされていない。その意味では「自由」は限定されているようにみえるが、そこで開始されようとしているのは別の「暮らし」である。からだと物や空間とのたがいに浸透しあう関係のなかで、別のひととの別の暮らしへと空間自体が編みなおされようとしている。その手がかりの充満する空間だ。青木はいう。「文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえずは結びつけていた機能以上に成熟し 、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか」、と。そのかぎりでC 高齢者たちが住みつこうとしているこの空間には「文化」がある

 

……………………………

 

(設問)

問4 傍線部C「高齢者たちがすみつこうとしているこの空間には『文化』がある」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

①  木造家屋を再利用したグループホームという空間では、人のふるまいが制約されているということとひきかえに、伝統的な暮らしを取り戻す可能性があるということ。

②  木造家屋を再利用したグループホームという空間では、多くの入居者の便宜をはかるために設備が整えられているので、暮らすための手がかりが豊富にあり、快適な生活が約束されているということ。

③  木造家屋を再利用したグループホームという空間では、そこで暮らす者にとって、身に付いたふるまいを残しつつ、他者との出会いに触発されて新たな暮らしを築くことができるということ。

④  木造家屋を再利用したグループホームという空間では、空間としての自由度がきわめて高く、ひとびとがそれぞれ身に付けてきた暮らしの知恵を生かすように暮らすことができること。

⑤  木造家屋を再利用したグループホームという空間では、さまざまな生活歴を持ったひとびとの行動基準の多様性に対応が可能なため、個々の趣味に合った生活を送ることができるということ。

 

……………………………

 

(解説・解答)

問4(傍線部説明問題)

  傍線部の直前の「そのかぎりで」という限定的表現、傍線部の「この空間」、「文化」に着目する必要があります。

 
 傍線部Cの直前に、
 「文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえず結びつけていた機能以上に成熟し、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか」
と、「青木淳」による「文化」の定義が示されていて「そのかぎりで」傍線部Cが成立するのです。

 従って、③が正解になります。

 

①は、「伝統的な暮らしを取り戻す」が、「今度はその関係から新たな機能を探る段階」に反しています。

②の「多くの入居者の便宜をはかる」・「快適な生活が約束されている」、

④の「空間としての自由度がきわめて高く」、

⑤の「さまざまな生活歴を持ったひとびとの行動基準の多様性に対応が可能なため、個々の趣味に合った生活を送ることができる」は、

【14】段落の「木造家屋を再利用したグループホームは、逆に空間の『使用規則』やそこでの『行動基準』がキャンセルされていない。その意味では『自由』は限定されているようにみえる」に反しています。

(解答)③


ーーーーーーーー


(問題文本文)

【15】住宅は「暮らし」の空間である。「暮らし」の空間が他の目的を明確にもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれることにある。何かを見つめながら、まったく別の物思いにふけっている。食事をしながら、おしゃべりに興ずる。食器を洗いながら、子どもたちと打ち合わせをする。電話で話しながら、部屋を片づける。ラジオを聴きながら、家計簿をつける。食事、労働、休息、調理、育児、しつけ、介護、習い事、寄りあいと、暮らしのいろいろな象面(→本文の「注」→ここでは暮らしのなかの場面のこと)がたがいに被(かぶ)さりあっている。これが住宅という空間を濃くしている。(犬なら、餌(えさ)を食いながら人の顔を眺めるということができない? 排尿しながら、他の犬の様子をうかがうということができない?)

【16】住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。リヴィングルーム、ベッドルーム、仕事部屋、子ども部屋、ダイニングルーム、キッチン、バスルーム、ベランダ・・・・。生活空間がさまざまの施設やゾーニング(→建築などの設計において、用途などの性質によって空間を区分・区画すること)によって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。当然、ふるまいも切り分けられる。襖を腰を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、歩きながら食べ、ついでにコンピュータのチェックをするというふうに 、(注意されながらも)その形をはみだすほどに多型的に動き回らせるのも住宅である。D  行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。かつての木造家屋にはいろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、からだを眠らせないという知恵が、ひそやかに挿し込まれていた。木造家屋を再利用したグループホームは、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている。

(鷲田清一「身ぶりの消失」による)


ーーーーーーー

 

(設問)

問5 傍線部D「行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

①  現在の住宅では、仕事部屋や子ども部屋など目的ごとに空間が切り分けられており、それぞれの用途とはかかわらない複数の異なる行為を同時に行ったり、他者との関係を作り出したりするような可能性が低下してしまっていること。

②  現在の住宅では、ゾーニングが普及することでそれぞれの空間の独立性が高められており、家族であってもそれぞれが自室で過ごす時間が増えることで、人と人とが触れあい、関係を深めていくことが少なくなってしまっていること。

③  現在の住宅では、空間の慣習的な使用規則に縛られない設計がなされており、居住者たちがそのときその場で思いついたことを実現できるように、各自がそれぞれの行為を同時に行えるようになっていること。

④  木造家屋などかつての居住空間では、居間や台所など空間ごとの特性が際立っていたが、現代の住宅では、居住者が部屋の用途を交換でき、空間それぞれの特性がなくなってきていること。

⑤  木造家屋などかつての居住空間では、人体の運動と連動して空間が作り変えられるような特性があったが、空間ごとの役割を明確にした現在の住宅では、予想外の行為によって空間の用途を多様にすることが困難になっていること。 

 

問6 この文章の表現について、次の(1)・(2)の問いに答えよ。

(1)傍線部X(→【8】段落)の表現効果を説明するものとして最適なものを次の中から一つ選べ。

①  議論を中断し問題点を整理して、新たな仮説を立てようとしていることを読者に気づかせる効果がある。

②  これまでの論を修正する契機を与えて、新たに論を展開しようとしていることを読者に気づかせる効果がある。

③  行き詰まった議論を打開するために話題を転換して、新たな局面に読者を誘導する効果がある。

④  あえて疑問を装うことで立ち止まり、さらに内容を深める新たな展開に読者を誘導する効果がある。


(2)筆者は論を進める上で青木淳の建築論をどのように用いているか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

①  筆者は青木の建築論に異を唱えながら、一見すると関連のなさそうな複数の空間を結びつけ、「暮らし」の空間として木造家屋を再利用したグループホームに関する主張をしている。

②  筆者は青木の建築論の背景にある考え方を例に用いて、それぞれの作業ごとに切り分けられた現代の「暮らし」の空間を批判し、木造家屋を再利用したグループホームの有用性を説く主張を補強している。

③  筆者は青木の建築論を援用しながら、空間の編みなおしという知見を提示することで、「暮らし」の空間として木造家屋を再利用したグループホームに価値を見いだす主張に説得力を与えている。

④  筆者は青木の建築論を批判的に検証したうえで、現代の「暮らし」と工場における空間とを比較し、木造家屋を再利用したグループホームに自由な空間の良さがあると主張している。


……………………………

 

(解説・解答)

問5(傍線部説明問題)

 傍線部の「行為と行為をつなぐこの空間の密度」とは、「(人を)多型的に動き回らせる」空間です。

 つまり、【15】段落に記述されている、

「複数の異なる行為」が「同時並行でおこなわれる」空間、

「暮らしのいろいろな象面がたがいに被さりあっている」空間、

「濃く」なっている空間です。

 一方、傍線部D「行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である」とは、その逆です。

 つまり、「現在の住宅」は、「目的によって仕切られ」、「用途別に切り分けられるようになった」空間です。(【16】段落)

 以上より①が正解です。

 

 ②~⑤は、「行為の重なり合い」について触れていないので不適切です。

(解答)①

 

問6(1)表現効果

 傍線部の前後の「論の構造」を問う問題です。「論の構造」を把握していれば、解答にたどり着けます

  【7】~【9】段落の「論の構造」は、以下のようになっています。

【7】段落「『バリアフリー』で楽だとおもうのは、あくまで介護する側の視点である。そう、たがいに『見られ、聴かれる』という関係がこれまで以上に成り立ちにくくなる。空間がいってみれば、 中身を失う・・・・。」

【8】段落「X「『中身」』?」

【9】段落「この言葉(→「中身」)をいきいきと用いた建築論がある。青木淳『原っぱと遊園地』(王国社、2004年)だ。青木によれば、『遊園地』が『あらかじめそこで行われることがわかっている建築』だとすれば、『原っぱ』とは、そこでおこなわれることが空間の『中身』を創(つく)ってゆく場所のことだ。」

 以上から、明白なように、「論」が「空間の中身」に関連していることについては、傍線部Xの前後を通じて一貫しています。

 従って、④が正解です。

①の「議論を中断し問題点を整理」、

②の「ここまでの論を修正する契機を与えて」、

③の「行き詰まった議論を打開するために話題を転換して」

は、いずれも不適切です。

(解答)④

 

問6(2)(「引用文の位置付け」を問う問題)

 筆者は【13】段落で「青木淳の建築論」を引用して、「原っぱ」・「(アトリエとしての)工場」に共通するのは、新たな行為を生み出す「手がかり」があることと述べています。

 そして、筆者は、【14】段落で以下のように述べています。

「木造家屋を再利用したグループホーム」では、「別のひととの別の暮らしへと空間自体が編みなおされようとしている」

(グループホームは)その手がかりの充満する空間だ」

 つまり、「木造家屋を再利用したグループホーム」でも、新たな行為を生み出す「手がかり」があると主張しているのです。

 従って、この構造を把握している③(③→筆者は青木の建築論を援用しながら、空間の編みなおしという知見を提示することで、「暮らし」の空間として木造家屋を再利用したグループホームに価値を見いだす主張に説得力を与えている。)が正解です。

 

①・④→「青木淳の建築論」に批判的ではないので、誤りです。

②は、「筆者は青木の建築論の背景にある考え方を例に用いて」の部分が意味不明です。また、「グループホームの有用性」の意味が曖昧で不適切です。

(解答)③

 

ーーーーーーーー

(出典)「身ぶりの消失」(『風景の幽い感覚』)

 

(3)本文のポイントの解説

 

 「身ぶりの消失」のポイントは、以下の段落の赤字部分でしょう。再掲します。

 

 ……………………………

 

【1】わたしは思い出す。しばらく前に訪れた高齢者用のグループホームのことを。

【2】住むひとのいなくなった木造の民家をほとんど改修もせずに使うデイ・サーヴィスの施設だった。もちろん「バリアフリー」からはほど遠い。玄関の前には石段があり、玄関の戸を引くと、玄関間がある。靴を脱いで、よいしょと家に上がると、今度は襖。それを開けてみなが集っている居間に入る。軽い「認知症」を患っているその女性は、お菓子を前におしゃべりに興じている老人たちの輪にすぐには入れず、呆然と立ち尽くす。が、なんとなくいたたまれず腰を折ってしゃがみかけると、とっさに「どうぞ」と、いざりながら、じぶんが使っていた座布団を差し出す手が伸びる。「おかまいなく」と座布団をおし戻し、「何言うておすな、遠慮せんといっしょにお座りやす」とふたたび座布団がおし戻される・・・・。

【3】和室の居間で立ったままでいることは「不自然」である。「不自然」であるのは、いうまでもなく、人体にとってではない。居間という空間においてである。居間という空間がもとめる挙措の「風」に、立ったままでいることは合わない。高みから他のひとたちを見下ろすことは「風」に反する。だから、いたたまれなくなって、腰を下ろす。これはからだで憶えているふるまいである。からだはそんなふうに動いてしまう。

【4】A  からだが家のなかにあるというのはそういうことだ。からだの動きが、空間との関係で、ということは同じくそこにいる他のひとびととの関係で、ある形に整えられているということだ。

 【7】停電のときでも身の回りのほとんどの物に手を届けることができるように、からだは物に身をもたせかけている。からだは物の場所にまでいつも出かけていっている。物との関係が切断されれば、身は宙に浮いてしまう。新しい空間で高齢者が転びやすいのは 、比喩(ひゆ)ではなく、まさに身が宙に浮いてしまうからである。 まわりの空間への手がかりが奪われているからである。「バリアフリー」で楽だとおもうのは、あくまで介護する側の視点である。まわりの空間への手がかりがあって、他の身体、──それは、たえず動く不安定なものだ──との丁々発止のやりとりもはじめて可能になる。とすれば、人体の運動に対応づけられた空間では、他のひととの関係もぎくしゃくしてくることになる。あるいは、物とのより滑らかな関係に意を配るがために、他者に関心を寄せる余裕もなくなってくる 。そう、たがいに『見られ、聴かれる』という関係がこれまで以上に成り立ちにくくなる。空間がいってみれば、 中身を失う・・・・。

 

……………………………

 

 鷲田氏は、常識では、絶対的なプラス的存在である「バリアフリー空間の問題性」を、鋭く指摘しています。

 鷲田氏は、「身体と空間の関係性」を重視しています。

 身体性重視の観点からの「合理性批判」・「近代批判」は、読んでいて心地よいです。

 國分功一郎氏の『 中動態の世界 』と同じ味わいです。

 「高齢化社会問題」、「ケアの論点」を考える上で、この論考は重要です。

 国語(現代文)・小論文対策として、この論考を、ぜひ熟読しておいてください。

 

 

(4)当ブログの「センター試験解説・関連記事」の紹介

 

 

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(5)当ブログの「鷲田清一氏・関連記事」の紹介

 

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 ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

  

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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センター小説満点のコツ・ポイント/解説・小説の純客観的解法

(1)「センター小説」解法・はじめに・「センター小説」をめぐる問題点を指摘する

 

 今回の記事は、当ブログの「2008センター小説解説」、「2017センター小説解説」の2つの記事をベースにしつつ、新たに、「センター小説で満点を取るコツ・ポイント」を提示することを目的として、大幅な加筆を加えた内容になっています。

 加筆部分は字 ( 赤太字青太字にする場合もあります)にしておきます。

 なお、上記の記事についてのリンク画像を下に貼っておきます。

 

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 浪人生に敗因を聞くと、センター試験でも、難関大学入試でも、小説問題が敗因だったという声が多いことに驚きます。

 確かに、小説問題は、国語(現代文)の中でも特に解きにくい側面があります。

 

 主観的文章を客観的に読解・分析する作業は、日常的に慣れている精神的活動ではありません。

 しかし、この作業は、「設問に寄り添って考えること」、「筆者の立場に立ち、筆者の心情に寄り添えばよい」だけです。

 「この作業」に「慣れ」さえすれば、よいのです。

 ただ、この作業の手順マニュアルは、あまり普及していないようです。

 その理由として考えられるのは、大学受験の現場に蔓延中の「主体的な読み」という、受け狙いのキャッチコピーです。

 主体的に読むのは当然です。わざわざ言うことではない、無意味な言葉です。このキャッチコピーの誤解が「客観的読解軽視」、「設問軽視」の元凶でしょう。

 問題は、「主体的な読み」という受験界の神話から、いかに脱却するか、でしょう。

 

 ここで問題にしているのは、一部の、大衆受けを狙う指導者、解説書、組織がこの神話を大々的に掲げていることです。

 このキャッチコピーが、ある程度の支持を得ているということは、過度の「個性重視」・「アイデンティティ重視」という歪んだ世間の風潮が背景にあるのでしょうか。

 

 話題を元に戻します。

 ともあれ、少し工夫することで、つまり、対策を意識することで、小説問題を得意分野にすることが、可能です。

 あきらめないことが肝心です! 

 

 センター本番では、平均点が5~6割になるように、基礎的・標準的問題を多くしているのです。

 その点で、受験生に親切な問題とも言えるのです。

 受験生の実力を信用していないとも言えますが。

 


(2)小説問題を得意分野にしよう→なぜ、小説問題は不得意分野になりやすいのか?→問題点と対策(今回の記事の追加部分です)

 

①苦手意識、その対策

 センター小説に苦手意識を持っている受験生が多いようです。固い内容の小説自体に苦手意識を持っているのでしょう。

 日常的に固い内容の小説を敬遠していることと、高校の指導方法・教科書に問題があるようです。

 高校において、固い内容の小説の読解の時間が少なすぎるのではないでしょうか。

 対策としては、日頃から意識して、娯楽小説・エンターテイメント小説以外の小説を読むようにするとよいでしょう。


②解説書、指導者の問題点、その対策

 センター小説は、それほどハイレベルではありません。

 私は、問題は解法書と指導者にあるように感じています。

 つまり、不必要に複雑化して解説している解説書が、「小説問題は案外とハイレベル」「小説問題は悪問が多い」という風潮を助長している感じです。

 そして、自分で考えることをしないで、それを参考にしている指導者が、そのような風潮を助長しているように思います。

 受験生レベルでも、問題を熟読して自分で考えると、基礎的問題が多いことが分かるはずです。

 従って、複雑化の著しい解説に出会った時には、解説書を疑うことも必要だと思います。

 センターの本番の小説問題で、無意味に複雑な設問は一度も出題されたことはないのですから。

 
③模擬問題・模擬試験問題の問題点、その対策

 センター演習は過去問のみにするべきです。模擬問題はレベル・内容の点から、やらない方が賢明です。

 模試は時間内にやる訓練のみに有効です。自分にとって分かりにくい設問を飛ばす訓練のために。

 時間が余ったら、飛ばした問題をやり直してみるとよいでしょう。

 模擬試験の小説問題の復習は、単語チェックくらいにしてください。丁寧な復習は時間の無駄です。

 

 センター過去問は直近から遡り、最近の傾向を知るとよいでしょう。最近は、見事に易化しているのです。特に、小説問題は、平易になっています。

 生徒のレベル低下に合わせて、一定の平均点を確保するためだと思われます。


 ちなみに、生徒のレベル低下は、小・中・高の国語の授業時間数の低下に関連しています。今の受験生は「ゆとり教育」・「総合学習」等という、基礎学科の授業時間を減少する「教育実験」の犠牲者になっています。

 「教育の場」での「実験」は、生徒にとって迷惑でしか、ありません。生徒の親等は、積極的に反対の声を上げるべきでしょう。国民レベルの議論も必要でしょう。


 センター現代文 は時間が壁になっています。

 しかし、論理的に効率的に処理すれば満点も可能なのです。

 あきらめないことが肝心です! 

 


 (3)小説問題解法のポイント・注意点

 

 センター試験の国語では毎年出題されます。

 難関国公立・私立大学では頻出です。

 また、難関国公立・私立大学の小論文の課題文として、出題されることもあります。

 

 小説問題については、「解法(対策)を意識しつつ、慣れること」が必要となります。

 本来、小説は、一文一文味わいつつ読むべきです。国語自体が本来は、そういうものです。

 が、これは入試では、時間の面でも、解法の方向でも、有害ですらあります。

 あくまで、設問(そして、選択肢)の要求に応じて、主観的文章を設問の要求に応じて、純客観的に分析しなくてはならないのです。(国語を純客観的に分析? これ自体がパラドックスですが、ここでは、この問題には踏み込みません。日本の大学入試制度の問題点です。)

 

 この点で、案外、読書好きの受験生が、この種の問題に弱いのです。

 ただ、読書好きの受験生は、語彙力があるので、あとは、問題対応力を養成すればよいのです。

 それほど心配する必要はありません。

 「入試問題の要求にいかに合わせていくか」という方法論を身に付けること、つまり、小説問題に、「正しく慣れる」ことで、得点力は劇的にアップするのです。

 そこで、次に、「小説問題の解法のポイント」をまとめておきます。

 
【1】5W1H(つまり、筋)の正確な把握

① 誰が(Who)     人物

 

② いつ(When)      時

 

③ どこで(Where) 場所

 

④ なぜ(Why)   理由→これが重要

(→今回の記事における補充説明→必ず、理由の記述は傍線部の近くにあるので、心配する必要はありません。小説家としても、「ある行為・心理の理由」を説得力豊かに、リアリティを感じさせるように記述することは、腕の見せ所なのです。従って、「理由の記述」は、傍線部の近くにあるものなのです。このことは、覚えておくべきことです。)

 

⑤ なにを(What)    事件

 

⑥ どうした(How) 行為

 

 上の①~⑥は、必ずしも、わかりやすい順序で書いてあるとは限りません。

 読む側で、一つ一つ確認していく必要があります。

 特に、④の「なぜ(理由)」は、入試の頻出ポイントなので、注意してチェックすることが大切です。

 

【2】人物の心理・性格をつかむ

① 登場人物の心理は、その行動・表情・発言に、にじみ出ているので、軽く読み流さないようにする。

② 情景描写は、登場人物の心情を暗示的・象徴的に提示している場合が多いということを、意識して読む。

③ 心理面に重点を置いて、登場人物相互間の人間関係を押さえていく。

④ 登場人物の心理を推理する問題が非常に多い。その場合には、受験生は自分をその人物の立場に置いて、インテリ的に(真面目に、さらに言えば、人生重視的に)、一般的に、考えていくようにする。

⑤ 心理は、時間とともに流動するので、心理的変化は丁寧に追うようにする。

⑥ 気持ちを表している部分に傍線を引く。登場人物の心情を記述している部分に、薄く傍線を引きながら本文を読むことが大切です。

 

  以上を元に、「いかに小説問題を解いていくか」を以下で解説していきます。

 

 

(4)センター試験・小説問題の解法のポイント・コツ

 

【1】本文熟読の前に、先に、本文以外の、本文のリード文・設問・本文の「注」などをチェックして設問の全体像を把握する。

 

 センター試験の小説問題の本文は、難関大学の小説問題以上の長文の場合が多いのです。

 そこで、センター試験小説問題を効率的に解くための1つ目のコツは、本文を読む前に本文以下の、本文のリード文・設問(特に、設問文)・本文の「注」に目を通すことです。

 すぐにこれらに目を通し、「何を問われているか」を押さえてください。

 「設問で問われていること」を意識しつつ、本文を読むことで、時間を短縮化することができます。

 

【2】消去法を、うまく使う

 

 センター試験の小説問題の選択肢は、最近は、少々、長文化しています。

 しかし、明白な傷のある選択肢が多いので、消去法を駆使していくことで、効率的に処理することが可能です。

 

 消去法については、上記のリンク画像の「センター小説問題・解説記事」、下の「小説問題・解説記事」リンク画像も参考にしてください。

 

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 【3】傍線部説明問題については、傍線部自体に注目する

 

 このことは、案外と盲点になっているようです。

 以下で、さらに「センター過去問」を使用して具体的に説明します。

 

彼岸過迄 (新潮文庫)

 

 

(5)本文熟読の前に、本文のリード文・設問文等から「あらすじ」・「問題のポイント」・「問題の全体像」を把握する。→2008センター過去問による解説

 

 以下は、2008センター小説問題の、本文のリード文・設問文のみをピックアップしたものです。これらを読み、5分程度で、「本文のあらすじ」・「問題のポイント」・「問題の全体像」を把握してみてください。

 私の見解は、この下に提示します。

 

 次の文章は、夏目漱石の小説『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』の一節である。「僕」と従妹(いとこ)の田口千代子は、幼いうちに「僕」の母が将来の結婚を申し入れた間柄である。父の死後、母は「僕」と千代子との結婚を強く望むが、「僕」は積極的に千代子を求めようとしない。以下の文章は、田口家の別荘を「僕」と母が訪れた場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。

 

問2 傍線部A「この男は生まれるや否や交際場裏に棄てられて、そのまま今日まで同じ所で人となったのだと評したかった」とあるが、そのように高木を評する「僕」の思いを説明したものとして最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

 問3 傍線部B「僕をして執念く美しい人に附纏わらせないものは、まさにこの酒に棄てられた淋しみの障害に過ぎない」とあるが、この部分で「僕」は自分をどのようにとらえているか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。


問4 傍線部C「僕はどうしても僕の嫉妬心を抑え付けなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした」とあるが、なぜ「僕」はこのような気持ちになったのか。その理由として最適なものを次の中から一つ選べ。

 

問5 傍線部D「僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜んだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦燥しがらせたのも嘘ではない」とあるが、この部分での「僕」の心情はどのようなものと考えられるか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

 
問6 この文章における表現の特徴についての説明として適当なものを、次の中から二つ選べ。

① 初めて嫉妬に心を奪われることになった経緯を、「僕」の心情の描写よりも、高木をめぐる母と叔母の噂話、千代子と高木とのやりとり、高木の「僕」に対する態度の描写などを通して示している。

② 「落ち着いた今の気分でその時の事を回顧してみると」とあるように、出来事全体を見渡せる「今」の立場から、《当時の「僕」の心情や行動》について原因や理由を明らかにしながら描いている。

③ 「僕」自身の心情を回顧的に語る部分に現在形を多用することで、別荘での出来事から遠く隔たった現在においても、「僕」の内面の混乱が整理されないまま未だに続いていることを示している。

④ 「凝結した形にならない嫉妬」「存在の権利を失った嫉妬心」などのように、漢語や概念的な言葉で表現することによって、「僕」が自分の心情を対象化し分析的にとらえようとしていることがわかる。

⑤ 笑いながらの千代子の発言を「罵られた」と述べたり、玉突きの経験がないことを「幸いにして」と述べたりすることによって、出来事をそのままには受け取ろうとしない「僕」の屈折したユーモアを示している。

⑥ 「自然が反対を比較する」「会話を僕の手から奪った」「自然から使われる自分」などの表現から、擬人法を用いることで、「僕」が抽象的なものごとをわかりやすく説明しようとしていることがわかる。

 

ーーーーーーーー

 

 (私の見解)

 把握するべきポイントを赤字と「→→」で明示します。


問 次の文章は、夏目漱石の小説『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』の一節である。

「僕」と従妹(いとこ)の田口千代子は、幼いうちに「僕」の母が将来の結婚を申し入れた間柄である。父の死後、母は「僕」と千代子との結婚を強く望むが、「僕」は積極的に千代子を求めようとしない。以下の文章は、田口家の別荘を「僕」と母が訪れた場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。

→ここには、主な登場人物と、人間関係が説明されています。特に、「僕と田口千代子」、「僕と『僕の母』」の関係は、要注意です。→【1】

 

問2 傍線部A「この男は生まれるや否や交際場裏に棄てられて、そのまま今日まで同じ所で人となったのだと評したかった」とあるが、そのように高木を評する「僕」の思いを説明したものとして最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

→「僕」が高木をのマイナス評価していることが分かります。→【2】

 

 問3 傍線部B「僕をして執念く美しい人に附纏わらせないものは、まさにこの酒に棄てられた淋しみの障害に過ぎない」とあるが、この部分で「僕」は自分をどのようにとらえているか。その説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

→この部分では、「僕」の「自己評価」の内容が問われています。→【3】


問4 傍線部C「僕はどうしても僕の嫉妬心を抑え付けなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした」とあるが、なぜ「僕」はこのような気持ちになったのか。その理由として最も適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ。

→「僕」と「僕の嫉妬心」の「関係」が問われています→【4】

 

問5 傍線部D「僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜んだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦燥しがらせたのも嘘ではない」とあるが、この部分での「僕」の心情はどのようなものと考えられるか。その説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

→「僕の占い」とは「何か」に注目する必要があります。→【5】

 
問6 この文章における表現の特徴についての説明として適当なものを、次の中から二つ選べ。

① 初めて嫉妬に心を奪われることになった経緯を、「僕」の心情の描写よりも、高木をめぐる母と叔母の噂話、千代子と高木とのやりとり、高木の「僕」に対する態度の描写などを通して示している。

② 「落ち着いた今の気分でその時の事を回顧してみると」とあるように、出来事全体を見渡せる「今」の立場から、当時の「僕」の心情や行動について原因や理由を明らかにしながら描いている。

③ 「僕」自身の心情を回顧的に語る部分に現在形を多用することで、別荘での出来事から遠く隔たった現在においても、「僕」の内面の混乱が整理されないまま未だに続いていることを示している。

④ 「凝結した形にならない嫉妬」「存在の権利を失った嫉妬心」などのように、漢語や概念的な言葉で表現することによって、「僕」が自分の心情を対象化し分析的にとらえようとしていることがわかる。

⑤ 笑いながらの千代子の発言を「罵られた」と述べたり、玉突きの経験がないことを「幸いにして」と述べたりすることによって、出来事をそのままには受け取ろうとしない「僕」の屈折したユーモアを示している。

⑥ 「自然が反対を比較する」「会話を僕の手から奪った」「自然から使われる自分」などの表現から、擬人法を用いることで、「僕」が抽象的なものごとをわかりやすく説明しようとしていることがわかる。

 

→この設問では、赤字部分に注目してください。→【6】

→また、③と④は、矛盾的内容になっていることにも着目してください。→【7】

 

→短時間にザッと見ただけでも、以上の【1】~【7】の「有用な情報」を入手することができます。

 

  

(6)「センター小説問題」特有の「文章表現問題」を処理するポイント→先に設問をチェックする→2017センター小説・問6 

  

 以下の問題を見て、最初に、どこに目をつけるべきでしょうか? 5分間くらい考えてみてください。


問6 この文章の表現に関する説明として適当でないものを、次の①~⑥のうちから二つ選べ。 

① 語句に付された傍点には、共通してその語を目立たせる働きがあるが、1行目「あんよ」、24行目「あらわ」のように、その前後の連続するひらがな表記から、その語を識別しやすくする効果もある。

② 22行目以降の落葉や46行目以降の日本画の描写には、さまざまな色彩語が用いられている、前者については、さらに擬音語が加えられ、視覚・聴覚の両面から表現されている。

③ 38行目「透明な黄色い光線」、55行目「真珠色の柔らかい燻したような光線」のように、秋晴れの様子が室内外に差す光の色を通して表現されている。

④ 43行目「直子は本統(ほんとう)は画(え)の事などは何にも知らぬのである」、44行目「画の具のなさえ委(くわ)しくは知らぬ素人である」は、直子の無知を指摘し、突き放そうとする表現である。

⑤ 55行目「暫時うるさい『品定め』から免れた悦(よろこ)びを歌いながら、安らかに休息してるかのように見えた」は、絵画や彫刻にかたどられた人たちの、穏やかな中にも生き生きとした姿を表現したものである。

⑥ 直子が、亡くなった淑子のことを回想する68行目以降の場面では、女学生時代の会話が再現されている。これによって、彼女とのやり取りが昨日のことのように思い出されたことが表現されている。

 

ーーーーーーーー 

 

(解説)

 要注意ポイントは赤字で、解説は青字で明示します。

 
問6 この文章の表現に関する説明として適当でないもの(→要注意❗)を、次の①~⑥のうちから二つ選べ。

 

① 語句に付された傍点には、共通してその語を目立たせる働きがあるが、1行目「あんよ」、24行目「あらわ」のように、その前後の連続するひらがな表記から、その語を識別しやすくする効果もある。


② 22行目以降の落葉や46行目以降の日本画の描写には、さまざまな色彩語が用いられている、前者については、さらに擬音語が加えられ、視覚・聴覚の両面から表現されている。


③ 38行目「透明な黄色い光線」、55行目「真珠色の柔らかい燻したような光線」のように、秋晴れの様子が室内外に差す光の色を通して表現されている

 

④ 43行目「直子は本統(ほんとう)は画(え)の事などは何にも知らぬのである」、44行目「画の具のなさえ委(くわ)しくは知らぬ素人である」は、直子の無知を指摘し、突き放そうとする表現 (→「直子の無知を指摘し、突き放そうとする表現」は「極端表現」です。まず、この④を先に検討するべきです❗→このような、いかにも怪しい選択肢は、要注意です。このことは、意識しておいてください)である。

 

⑤ 55行目「暫時うるさい『品定め』から免れた悦(よろこ)びを歌いながら、安らかに休息してるかのように見えた」は、絵画や彫刻にかたどられた人たちの、穏やかな中にも生き生きとした姿 (→「生き生きとした姿」は「安らかに休息してるかのように見えた」と矛盾しているのではないでしょうか?→まず、この⑤を先に検討するべきです❗→選択肢自体の中に「矛盾した表現」がある場合には、要注意です)を表現したものである。

 

⑥ 直子が、亡くなった淑子のことを回想する68行目以降の場面では、女学生時代の会話が再現されている。これによって、彼女とのやり取りが昨日のことのように思い出されたことが表現されている。

 

→「各行数」と赤字部分をチェックしてください。

 

……………………………

 

(設問の解説・解答)

 

④ 本文の他の記述を考慮しても、43行目・44行目の表現が「直子の無知を指摘し、突き放そうとする表現」と評価することは、無理です。

 

⑤ 「『品定め』から免れた悦(よろこ)びを歌いながら、安らかに休息してるかのように見えた」の説明としては、「絵画や彫刻にかたどられた人たちの、穏やかな中にも生き生きとした姿」は、ズレている、と言えます。 

 従って、不適当です。

 

 他の選択肢は、本文と照合すると、「適当」と評価されます。

 →本設問は、素直で単純な問題でした。選択肢だけで、ある程度、正解が絞れました。

 

(解答) ④・⑤

 

 

(7)「小説・傍線部説明問題」の解法→「傍線部説明問題」については、「傍線部自体」に注目する必要があります。具体的には、以下のような手順で処理すると効率的です。→2008センター小説過去問

 

 次の設問を解いてください。

 

問 次の文章は、夏目漱石の小説『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』の一節である。「僕」と従妹(いとこ)の田口千代子は、幼いうちに「僕」の母が将来の結婚を申し入れた間柄である。父の死後、母は「僕」と千代子との結婚を強く望むが、「僕」は積極的に千代子を求めようとしない。以下の文章は、田口家の別荘を「僕」と母が訪れた場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。

 田口の叔母は、高木さんですと云って丁寧(ていねい)にその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉の緊(し)まった血色の好い青年であった。年からいうと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非とも青年という文字(もんじ)が必要になったくらい彼は生気に充(み)ちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑(うたぐ)った。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改まって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落(しゃれ)としか受取られなかった。
 二人の容貌(ようぼう)がすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対ぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳にいかなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹とか、皆親しみの深い血族ばかりであるのに、それらに取り巻かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしに己(おのれ)を取扱かう術(すべ)を心得ていたのである。知らない人を怖(おそ)れる僕にいわせると、この A この男は生まれるや否や交際場裏(こうさいじょうり)に棄(す)てられて、そのまま今日まで同じ所で人となったのだと評したかった。彼は十分と経(た)ないうちに、凡(すべ)ての会話を僕の手から奪った。そうしてそれを悉(ことごと)く一身に集めてしまった。その代り僕を除(の)け物にしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎(あいにく)僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげにお母さんお母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染(おさななじ)みに用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほどお着きになった時は、ちょうど千代ちゃんと貴方(あなた)の御噂(うわさ)をしていたところでしたと云った。

 

 ーーーーーーーー

 

(設問)

問2 傍線部A「この男は生まれるや否や交際場裏に棄てられて、そのまま今日まで同じ所で人となったのだと評したかった」とあるが、そのように高木を評する「僕」の思いを説明したものとして最も適当なものを、次の中から一つ選べ。


① 初対面の人にも全くものおじせず、家族のように親しげに周囲の人の名を呼ぶので、羨ましく思っている。

② 明るく話し上手で人づきあいに長けているうえ、そつのない態度で会話を支配するので、不快に思っている。

③ 周囲のすべての人に配慮しつつも、その態度はおしつけがましいものでもあるので、うっとうしく思っている。

④ 品格もあり容貌も立派な人物だが、完全無欠な態度によって「僕」の居場所を脅かすので、憎らしく思っている。

⑤ 洋行帰りという経歴の持ち主であり、自分をよく見せる作為的な振る舞いをするので、面白くなく思っている。

 

……………………………

 

【解説・解答】(主人公(「僕」)の心理を問う問題)

 (解説の太字は、今回の記事で追加した「補充説明」です)

  「生まれるや否や交際場裏に棄てられて、そのまま今日まで」という露骨な悪意に満ちた表現のニュアンスから、「僕」は高木を不快に思っていることが分かります。

 また、
交際場裏に棄てられ」という表現と、

傍線部の直前の「僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹とか、皆親しみの深い血族ばかりであるのに、それらに取り巻かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしに己を取扱かう術(すべ)を心得ていた」とから、

「高木」は美辞麗句を駆使して、その場の人々を、自分に有利なように巧妙に操るテクニック(社交術)を自然に身に付けている、と言いたいのです。 


 つまり、「高木」は、ほぼ、詐欺師的なイヤな人間ということです。『坊っちゃん』における「赤シャツ」をイメージするとよいでしょう。
 


「傍線部説明問題」の解法のポイント・コツ

 「傍線部それ自体」を、「精密に分析」していくことが必要です。

(以下は、今回の記事による補充説明です)

 本番入試では、「傍線部それ自体」に、「露骨なヒント・ポイント」があることが、かなり多いのです。傍線部の説明をするのですから、傍線部自体にヒントがあるのは、よくあることです。

(ただし、模擬試験には、このことは、当てはまりません。気付かないのか、知っていても、一般大衆受けしないので営業上この種の問題を回避しているのか、は不明です。)

 

 「傍線部それ自体に、露骨なヒント・ポイントがあること」については、「センター試験過去問の検討」を通して実感しておいてください。この作業は、各人が、自分自身で地道に進める必要があります。

 様々な解説書を、そのまま信用することなく、一つ一つ丁寧にチェックしていってください。

 特に、納得しにくい、妙に複雑化されている解説に出会ったら、この作業は必須です。短時間で終わるので、面倒に思わずに取りかかってください。

 有名出版社発行の解説書が、当該設問の「傍線部それ自体に、露骨なヒント・ポイントがあること」に気付かず、誤解の迷路に迷い込んで、勝手に難問化して解説していることが、よくあります。「悪問だ」と評価していることさえ、あります。この種のミスは、毎年度の解説に発生している感じです。

 笑ってください。苦情の通知は出す必要は、ありません。すぐに訂正されますが、あなたの努力が報われることはありません。思考力のない他の受験生の得点力アップに貢献するだけです。

 「プロ」の、いい加減な本質を見抜いたことで、よい「人生勉強」になったと思えばよいのです。
 そして、より一層、入試問題に限らず、「何事も自分自身の頭で考えることの大切さ」を、自覚してください。

 受験勉強をすることの最大の価値は、この点にある、と私は思っています。

 「プロ」の書いた解説の、基本的なミスに気付くことにより、「プロ」を疑い、「プロを高評価する世の中」を疑うこと、つまり、「プロ」も「世の中」も完全には信用しないこと、この姿勢が大切なのです。


 これは、小説問題だけではなく、評論問題でも必要なことです。

 厳しい時間制限があるので、「傍線部それ自体」の「精密分析」に、すぐに着手してください。

 段落要約・全体要約を書いている時間的余裕は、ありません。

 センター試験では、小説問題は25分前後で処理する必要があるのです❗

 

 各選択肢を検討します。

①は、「羨ましく思っている」の部分が不適で、誤りです。

②は、上記の解説より、これが最適であり、正解です。

③は、「周囲のすべての人に配慮」の部分が誤りです。「僕」は「配慮」されていません。

④・⑤は、「交際場」との関連性がないので、誤りです。

 以上のように、実に基礎的な、単純な問題です。

 実態を知れば、小説問題に対する苦手意識は不要だと分かるはずです。

(解答) ② 

 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

  

 

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彼岸過迄 (新潮文庫)

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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2010センター国語現代文解説/岩井克人「資本主義と『人間』」

(1)はじめに

 センター試験国語(現代文・評論文・小説)は、「問題文本文の全体構造」を問う問題が頻出です。定番と言えます。

 2010年度第1問は、全体構造を問う問題として、かなりの良問です。

 その上、著者は国語(現代文・評論)・小論文の入試頻出著者・岩井克人氏なので、小論文にも役立ちます。

 そこで、センター試験国語(現代文・評論)・小論文対策として、今回の記事では2010センター試験第1問を丁寧に解説していきます。  

 

 なお、今回の記事の項目は以下の通りです。

(2)2010センター試験第1問/岩井克人「資本主義と『人間』」(『21世紀の資本主義論』 )/ 問題・解説・解答

(3)要約

(4)岩井克人氏の紹介

(5)当ブログの「センター試験・関連記事」の紹介

(6)当ブログの「岩井克人氏・関連記事」の紹介

(7)当ブログの「資本主義・関連記事」の紹介

 

 

二十一世紀の資本主義論 (ちくま学芸文庫)

 

 

(2)2010センター試験第1問/岩井克人「資本主義と『人間』」(『21世紀の資本主義論』 )/ 問題・解説・解答


 
(問題文本文)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

【1】フロイトによれば、人間の自己愛は過去に3度ほど大きな痛手をこうむったことがあるという。1度目は、コペルニクスの地動説によって地球が天体宇宙の中心から追放されたときに、2度目は、ダーウィンの進化論によって人類が動物世界の中心から追放されたときに、そして3度目は、フロイト自身の無意識の発見によって自己意識が人間の心的世界の中心から追放されたときに。

【2】しかしながら実は、人間の自己愛には、すくなくとももうひとつ、フロイトが語らなかった傷が秘められている。だが、それがどのような傷であるかを語るためには、ここでいささか回り道をして、まずは「ヴェニスの商人」について語らなければならない。

【3】ヴェニスの商人━━のそれは、人類の歴史の中で「ノアの洪水以前」から存在していた商業資本主義の体現者のことである。海をはるかへだてた中国やインドやペルシャまで航海をして絹やコショウや絨毯(じゅうたん)を安く買い、ヨーロッパに持ちかえって高く売りさばく。遠隔地とヨーロッパとのあいだに存在する価格の差異が、莫大(ばくだい)な利潤としてかれの手元に残ることになる。すなわち、ヴェニスの商人が体現している商業資本主義とは、地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法である。そこでは、利潤は差異から生まれている。

【4】だが、A経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した

【5】年々の労働こそ、いずれの国においても、年々の生活のために消費されるあらゆる必需品と有用な物資を本源的に供給する基金であり、この必需品と有用な物資は、つねに国民の労働の直接の生産物であるか、またはそれと交換に他の国から輸入したものである。

【6】『国富論』の冒頭にあるこのアダム・スミスの言葉は、一国の富の増大のためには外国貿易からの利潤を貨幣のかたちで蓄積しなければならないとする、重商主義者に対する挑戦状にほかならない。スミスは、一国の富の真の創造者を、遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動にではなく、勃興(ぼっこう)しつつある産業資本主義のもとで汗水たらして労働する人間に見いだしたのである。それは、経済学における「人間主義宣言」であり、これ以後、経済学は「人間」を中心として展開されることになった。

【7】たとえば、リカードやマルクスは、スミスのこの人間主義宣言を、あらゆる商品の交換価値はその生産に必要な労働量によって規定されるという労働価値説として定式化した。

【8】実際、リカードやマルクスの眼前で進行しつつあった産業革命は、工場制度による大量生産を可能にし、1人の労働者が生産しうる商品の価値(労働生産性)はその労働者がみずからの生活を維持していくのに必要な消費財の価値(実質賃金率)を大きく上回るようになったのである。労働者が生産するこの剰余価値――それが、かれらが見いだした産業資本主義における利潤の源泉なのであった。もちろん、この利潤は産業資本家によって搾取されてしまうものではあるが、リカードやマルクスはその源泉をあくまでも労働する主体としての人間にもとめていたのである。

【9】だが、産業革命から250年を経た今日、ポスト産業資本主義の名のもとに、旧来の産業資本主義の急速な変貌(へんぼう)が伝えられている。ポスト産業資本主義――それは、加工食品や繊維製品や機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、B技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態であるという。そして、このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒(けんそう)のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである。

【10】なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである。事実、すべての人間が共有している情報とは、その獲得のためにどれだけ労力がかかったとしても、商品としては無価値である。逆に、ある情報が商品として高価に売れるのは、それを利用するひとが他のひととは異なったことが出来るようになるからであり、それはその情報の開発のためにどれほど多くの労働が投入されたかには無関係なのである。

【11】まさに、ここでも差異が価格を作り出し、したがって、差異が利潤を生み出す。それは、あのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にほかならない。すなわち、このポスト産業資本主義のなかでも、労働する主体としての人間は、商品の価値の創造者としても、一国の富の創造者としても、もはやその場所をもっていないのである。

【12】いや、さらに言うならば、伝統的な経済学の独壇場であるべきあの産業資本主義社会のなかにおいても、われわれは、抹殺されていたはずのヴェニスの商人の巨大な亡霊を発見しうるのである。

【13】産業資本主義ーーそれも、実は、ひとつの遠隔地貿易によって成立している経済機構であったのである。ただし、産業資本主義にとっての遠隔地とは、海のかなたの異国ではなく、一国の内側にある農村のことなのである。

【14】産業資本主義の時代、国内の農村にはいまだに共同体的な相互扶助の原理によって維持されている多数の人口が滞留していた。そして、この農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。たとえ工場労働者の不足によってその実質賃金率が上昇しはじめても、農村からただちに人口が都市に流れだし、そこでの賃金率を引き下げてしまうのである。

【15】それゆえ、都市の産業資本家は、都市にいながらにして、あたかも遠隔地交易に従事している商業資本家のように、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。もちろん、そのあいだの差異が、利潤として彼らの手元に残ることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にもとづくものなのである。

【16】この産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異は、歴史的に長らく安定していた。農村が膨大な過剰人口を抱えていたからである。そして、この差異の歴史的な安定性が、その背後に「人間」という主体の存在を措定 (→「想定」という意味)してしまう、伝統的な経済学の「錯覚」を許してしまったのである。

【17】かつてマルクスは、人間と人間との社会的な関係によってつくりだされる商品の価値が、商品そのものの価値として実体化されてしまう認識論的錯覚を、商品の物神化と名付けた。その意味で、差異性という抽象的な関係の背後にリカードやマルクス自身が措定してきた主体としての「人間」とは、まさに物神化、いや人神化の産物にほかならないのである。

【18】差異は差異にすぎない。産業革命から250年、多くの先進資本主義国において、無尽蔵に見えた農村における過剰人口もとうとう枯渇してしまった。実質賃金率が上昇しはじめ、もはや労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異を媒介する産業資本主義の原理によっては、利潤を生みだすことが困難になってきたのである。あたえられた差異を媒介するのではなく、みずから媒介すべき差異を意識的に創(つく)りだしていかなければ、利潤が生み出せなくなってきたのである。その結果が、差異そのものである情報を商品化していく、現在進行中のポスト産業資本主義という喧噪(けんそう)に満ちた事態にほかならない。

 【19】差異を媒介して利潤を生み出していたヴェニスの商人(X) ━━あのヴェニスの商人の資本主義こそ、まさに普遍的な資本主義であったのである。そして、D「人間」は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった。

(岩井克人「資本主義と『人間』」による)

 

ーーーーーーー

 

(設問)

 

問1(漢字問題は省略します)

 

問2 傍線部A「経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。

① 経済学という学問は、差異を用いて莫大な利潤を得る仕組みを暴き、そうした利潤追求の不当性を糾弾することから始まったということ。

② 経済学という学問は、差異を用いて利潤を生み出す産業資本主義の方法を排除し、重商主義に挑戦することから始まったということ。

③ 経済学という学問は、差異が利潤をもたらすという認識を退け、人間の労働を富の創出の中心に位置づけることから始まったということ。

④ 経済学という学問は、労働する個人が富を得ることを否定し、国家の富を増大させる行為を推進することから始まったということ。

⑤ 経済学という学問は、地域間の価格差を利用して利潤を得る行為を批判し、労働者の人権を擁護することから始まったということ。

 

問3 傍線部B「技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態」とあるが、この場合、「情報そのもの」が「商品化」されるとはどういうことか。その具体的な説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。

① 多くの労力を必要とする工業生産物よりも、開発に多くの労力を前提としない特許や発明といった技術の方が、商品としての価値をもつようになること。

② 刻一刻と変動する株価などの情報を、誰もが同時に入手できるようになったことで、通信技術や通信機器が商品としての価値をもつようになること。

③ 広告媒体の多様化によって、工業生産物それ自体の創造性や卓越性を広告が正確にうつし出せるようになり、商品としての価値をもつようになること。

④ 個人向けに開発された教材や教育プログラムが、情報通信網の発達により一般向けとして広く普及したために、商品としての価値をもつようになること。

⑤ 多チャンネル化した有料テレビ放送が提供する多種多様な娯楽のように、各人の好みに応じて視聴される番組が、商品としての価値をもつようになること。

 

問4 傍線部C「伝統的な経済学の『錯覚』」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。

① 産業資本主義の時代に、農村から都市に流入した労働者が商品そのものの価値を決定づけたために、伝統的な経済学は、価値を定める主体を富の創造者として実体化してしまったということ。

② 産業資本主義の時代に、都市の資本家が農村から雇用される工場労働者を管理していたために、伝統的な経済学は、労働力を管理する主体を富の創造者と仮定してしまったということ。

③ 産業資本主義の時代に、大量生産を可能にする工場制度が労働者の生産性を上昇させたために、伝統的な経済学は、大きな剰余価値を生み出す主体を富の創造者と認定してしまったということ。

④ 産業資本主義の時代に、都市の資本家が利潤を創出する価値体系の差異を積極的に媒介していたために、伝統的な経済学は、その差異を媒介する主体を利潤の源泉と見なしてしまったということ。

⑤ 産業資本主義の時代に、農村の過剰な人口が労働者の生産性と実質賃金率の差異を安定的に支えていたために、伝統的な経済学は、労働する主体を利潤の源泉と認識してしまったということ。

 

問5 傍線部D「『人間』は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった」とあるが、それはどういうことか。本文全体の内容に照らして最適なものを、次の中から一つ選べ。

① 商業資本主義の時代においては、商業資本主義の体現者としての「ヴェニスの商人」が、遠隔地相互の価格の差異を独占的に媒介することで利潤を生み出していたので、利潤創出に参加できなかった「人間」の自己愛には深い傷が刻印されることになった。

② アダム・スミスは『国富論』において、真の富の創造者を勤勉に労働する人間に見いだし、旧来からの交易システムを成立させていた「ヴェニスの商人」を市場から退場させることで、資本主義が傷つけた「人間」の自己愛を回復させようと試みた。

③ 産業資本主義の時代においては、労働する「人間」中心の経済が達成されたように見えたが、そこにも差異を媒介する働きをもった、利潤創出機構としての「ヴェニスの商人」は内在し続けたため、「人間」が主体として資本主義にかかわることはなかった。

④ マルクスはその経済学において、人間相互の関係によってつくりだされた価値が商品そのものの価値として実体化されることを物神化と名付けたが、主体としての「人間」もまた認識論的錯覚のなかで物神化され、資本主義社会における商品となってしまった。

⑤ ポスト産業資本主義の時代においては、希少化した「人間」がもはや利潤の源泉と見なされることはなく、価値や富の中心が情報に移行してしまったために、アダム・スミスの意図した「人間主義宣言」は完全に失効したことが明らかとなった。

 

問6 この文章の表現について、次の(ⅰ)・(ⅱ)の各問いに答えよ。

(i)最終段落の(X)のダッシュ記号「━━」のここでの効果を説明するものとして適当でないものを、次の中から一つ選べ。

① 直前の内容とひと続きであることを示し、語句のくり返しを円滑に導く効果がある。

② 表現の間(ま)を作って注意を喚起し、筆者の主張を強調する効果がある。

③ 直前の語句に注目させ、抽象的な概念についての確認を促す効果がある。

④ 直前の語句で立ち止まらせ、断定的な結論の提示を避ける効果がある。

  

( ⅱ )この文章の構成の説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。

① 人間の主体性についての問題を提起することから始まり、経済学の視点から資本主義の歴史を起源にさかのぼって述べ、商業資本主義と産業資本主義を対比し相違点を明確にした後、今後の展開を予測している。

② 差異が利潤を生み出すことを本義とする資本主義において、人間が主体的立場になかったことを検証した後、その理由を歴史的背景から分析し、最後に人間の自己愛に関する結論を提示している。

③ 人間の自己愛に隠された傷があることを指摘した後で、差異が利潤を生み出すという基本的な資本主義の原理をふまえてその事例の特徴を検証し、最後に冒頭で提起した問題についての見解を述べている。

④ 差異が利潤を生み出すという結論から資本主義の構造と人間の関係を検証し、人間の労働を価値の源泉とする経済学の理論にもとづいて、具体的な事例をあげて産業資本主義の問題を演繹(えんえき)的に論じている。


ーーーーーーー

 

(解説・解答)

問2(傍線部説明問題)

 傍線部の「ヴェニスの商人」とは「商業資本主義の体現者」(【3】段落)です。
 そして、「商業資本主義」とは、「地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法」(【3】段落)です。
 従って、「ヴェニスの商人を抹殺する」とは、「一国の富の真の創造者を、遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動にではなく、勃興しつつある産業資本主義のもとで汗水たらして労働する人間に見いだ」(【6】段落)すことです。


① 経済学の「利潤追求の不当性を糾弾」の部分が不適切です。本文に、このような記述はありません。

② 本文に、このような記述はありません。

③ 適切です。

④ 本文に、このような記述はありません。

⑤ 本文に、このような記述はありません。

(解答)③


問3(傍線部説明問題)

→この設問こそ、問題文本文の熟読・精読が不可欠です。
「問題文本文の熟読・精読」さえすれば、何でもない問題です。要約のメモはやめて、大切な部分に線を引くだけで十分です。


 傍線部直後の「このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである」、

次の【10】段落の「なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである」、

「ある情報が商品として高価に売れるのは、それを利用するひとが他のひととは異なったことが出来るようになるから」、

に注目してください。


 ここで、【3】段落に着目すると、「ヴェニスの商人」とは「商業資本主義の体現者」(【3】段落)であり、「商業資本主義」とは、「地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法」です。「そこでは、利潤は差異から生まれている」のです。

 従って、「差異そのものが生み出す価値」「差異が生み出す価値」がキーワードになります。

 つまり、「『情報そのもの』が『商品化』される」とは「『情報そのものの差異』が価値を生み出す」ということになります。

 

①~④ 「差異が生み出す価値」に関連した記述になっていないので、不適切です。

⑤ チャンネルの差異により、視聴者が番組を選択するという内容です。「チャンネル間の差異」が価値を決定することになるので、適切です。

(解答)⑤

 

問4(傍線部説明問題)

この差異の歴史的な安定性(→「産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異」が、「歴史的に長らく安定していた」こと)が、その背後に「人間」という主体の存在を措定(「想定」)してしまう、伝統的な経済学の『錯覚』を許してしまったのである」

という文章の構造に着目する必要があります。 

 

 上記の「この」に注目して、直前の部分を熟読する必要があるということです。【14】~【16】段落のポイントを列記すると、以下のようになります。


【14】段落「農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。」

【15】段落「都市の産業資本家は、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。これ産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」


【16】段落「この差異の歴史的な安定性 (→「産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異」が、「歴史的に長らく安定していた」こと)が、その背後に「人間」という主体の存在を措定(「想定」)してしまう、C 伝統的な経済学の『錯覚』を許してしまったのである。」

以上の構造を、丁寧に把握してください。⑤が正解になります。

 

①~④ 無関係です。本文に、このような記述はありません。

(解答)⑤

 

問5(傍線部説明問題)

 傍線部の「この資本主義の歴史のなかで」に注目してください。

 「商業資本主義」・「産業資本主義」・「ポスト産業資本主義」の三つの「主義」の内容を、チェックする必要があります。

 三つの「主義」は、「差異によって利益を生み出す」点では共通しています。

 

 具体的には、以下の各段落をチェックするとよいでしょう。

 

「商業資本主義」→【6】段落「遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動

 

「産業資本主義」→【14】・【15】段落

【14】段落「産業資本主義の時代、国内の農村にはいまだに共同体的な相互扶助の原理によって維持されている多数の人口が滞留していた。そして、この農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。」

【15】段落「都市の産業資本家は、あたかも遠隔地交易に従事している商業資本家のように、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。もちろん、そのあいだの差異が、利潤として彼らの手元に残ることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義(→「商業資本主義」)とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」


「ポスト産業資本主義」→【9】・【10】段落

【9】段落「ポスト産業資本主義――それは、加工食品や繊維製品や機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、B技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態であるという。そして、このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒(けんそう)のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである。」

【10】段落「なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである。」

 

 ③は、「産業資本主義の時代においては、労働する『人間』中心の経済が達成されたように見えたが、そこにも差異を媒介する働きをもった、利潤創出機構としての『ヴェニスの商人』は内在し続けた」の部分が、以上の本文の説明の通りです。

 つまり、「『ヴェニスの商人』は内在し続けていた」と、3つの「主義」を普遍的に把握しているので正解です。

 

① 「利潤創出に参加できなかった『人間』の自己愛には深い傷が刻印されることになった」の部分は、本文にこのような記述がないので、誤りです。

② 無関係です。本文に、このような記述はありません。

④ 「主体としての『人間』もまた」「資本主義社会における商品となってしまった」の部分が明らかに誤りです。

⑤ 「アダム・スミスの意図した「人間主義宣言」は完全に失効したことが明らかとなった」の部分が明らかに誤りです。

(解答)③

 

問6 (表現を問う問題)

→この設問こそ、特に本文を読む前に読み、ポイントをチェックするべきです。(1)は単純な問題なので、本文を見るまでもなく、すぐに解答してよいでしょう。その後で、本文を読みながら、確認的にチェックするとよいと思います。

 

(1)(「ダッシュ記号」の効果を聞く問題) 

 ダッシュ記号の効果としては、「強調」の機能があります。

④ 「断定的な結論の提示を避ける効果」のような婉曲表現ではありません。従って、正解は④です。

(解答)④

 

(2)(文章構成を聞く問題)

→この設問は問題3・4・5と同様に、「本文の全体構造」を問う問題です。「本文の全体構造」を把握していれば、容易に解答できます。

 逆に言うと、問3・4・5と本設問の内、一つでもミスした一人は、「本文の全体構造」を完全に理解していることには、なりません。よく復習しておいてください。

 

 ③が、本文の構成に合致しています。

① 「商業資本主義と産業資本主義を対比」の部分が誤りです。

 【15】段落の「これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主(→「商業資本主義」)とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」に反します。

 また、「今後の展開を予測している」も誤りです。このような記述は本文には、ありません。

② 「最後に人間の自己愛に関する結論を提示している」の部分が誤りです。このような記述は本文には、ありません。

④ 「人間の労働を価値の源泉とする経済学の理論にもとづいて」の部分が誤りです。また、「具体的な事例をあげて産業資本主義の問題を演繹(えんえき)的に論じている」の部分も誤りです。

(解答)③

 

ーーーーーーーー

 

(出典)岩井克人「資本主義と『人間』」『21世紀の資本主義論』 (ちくま学芸文庫) 

 

 

(3)要約

フロイトによれば、人間の自己愛は過去に三度ほど大きな痛手をこうむったことがあるという。しかし、資本主義の歴史を振り返ると、もう一つの傷がある。「ヴェニスの商人」が体現者である商業資本主義は、差異が利潤を生み出した。現在、急速に進行しているポスト産業資本主義においても、差異そのものである情報を商品化して利潤を生み出している点で、同様の構造がある。いや、さらに言うならば、産業資本主義においても、結局は労働生産性と実質賃金率との差異を媒介にして利潤を生み出していた点で、ヴェニスの商人の巨大な亡霊を発見しうるのである。差異を媒介して利潤を生み出していた、あのヴェニスの商人の資本主義こそ、まさに普遍的な資本主義であったのである。そして、「人間」は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった。

 


(4)岩井克人氏の紹介

岩井 克人(いわい かつひと、1947年生まれ ) 日本の経済学者(経済理論・法理論・日本経済論)。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1972年)。米イェール大学助教授、東大助教授、米ペンシルベニア大学客員教授、米プリンストン大学客員准教授、東大教授などを経る。国際基督教大学客員教授、東京大学名誉教授、公益財団法人東京財団名誉研究員、日本学士院会員。

  

【著書】

『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房・1985年、ちくま学芸文庫・1992年)

『不均衡動学の理論』(岩波書店・1987年)

『貨幣論』(筑摩書房・1993年、ちくま学芸文庫・1998年)

『資本主義を語る』(講談社・1994年、ちくま学芸文庫・1997年)

『二十一世紀の資本主義論』(筑摩書房・2000年、ちくま学芸文庫・2006年)

『会社はこれからどうなるのか』(平凡社・2003年、平凡社ライブラリー・2009年)

『会社はだれのものか』(平凡社・2005年)

『IFRSに異議あり』(日本経済新聞出版社・2011年)

『経済学の宇宙』(日本経済新聞出版社・2015年)

『不均衡動学の理論』(モダン・エコノミックス20/ 岩波オンデマンドブックス) 

 

  

(5)当ブログの「センター試験・関連記事」の紹介

 

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(6)当ブログの「岩井克人氏・関連記事」の紹介


  なお、当ブログでは、頻出著者・岩井克人氏の論考について、最近、予想問題記事を発表しました。ぜひ、ご覧ください。

 

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(7)当ブログの「資本主義・関連記事」の紹介

 

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ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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二十一世紀の資本主義論 (ちくま学芸文庫)

二十一世紀の資本主義論 (ちくま学芸文庫)

 

 

経済学の宇宙

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資本主義から市民主義へ (ちくま学芸文庫)

資本主義から市民主義へ (ちくま学芸文庫)

 

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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センター国語(現代文・評論・小説)満点奪取への過去問解説→最新7問

(1)センター試験国語(現代文・評論・小説)満点奪取への過去問解説→最新7問

 

 2018センター試験が、いよいよ迫ってきました。そこで、2018センター試験国語(現代文・評論・小説)対策記事を書くことにします。センター対策としては、以下のことを注意してください。

① まず、センター対策演習は過去問のみにするべきです。模擬問題はレベル・内容の点から、やらない方が賢明でしょう。
 もし、模擬試験を受けるのであれば、時間内に解く訓練の場として活用する。問題の復習は単語のチェックくらいにして、あまり熱心にやらないようにしてください。結局は、時間のムダになります。

 

② センター現代文は最新論点の出題が多く国公立・私立大の国語(現代文)・小論文対策にもなります。

 最近の例でいえば、センター現代文では「アイデンティティ」・「自己」、「情報化社会」・「IT化社会」に関する論点が多く出題されています。これらは国公立・私立大の現代文・小論文にも、最近よく出題されるので、対策として有用なのです。

 

③ また、センター現代文は時間が壁となっています。しかし、ある程度のレベルの受験生が能率的・効率的に処理すれば9割、調子がよければ満点には取れるように作成されています。

 センター国語は80分で大問4問をやらなければなりません。現代文2問を45分前後で処理する必要があるのです。

 現代文2問は、いずれも問題文本文が3000字以上あり、設問文も長いので、読むだけでも大変です。各選択肢のチェックにも、時間がかかります。

 設問を重視した解法を意識するべきでしょう。

 本文を読む前に設問から先に読む。

 選択肢のチェックは消去法を活用する。

 これらの効率的な解法を駆使するべきでしょう。

 

 以下では、当ブログで発表した、センター試験国語(現代文)の解説記事を、最新年度から、紹介していきます。

 7問の冒頭部分ポイント部分を紹介します。

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

 各項目にそれぞれの記事のリンク画像を貼っておきます。

 ほとんどの記事には、問題文本文の概要があります。

 

(2)2017年度センター国語第1問(現代文・評論)解説

(3)2016センター国語第1問解説『キャラ化する/される子どもたち』

(4)2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)解説・IT化社会

(5)2013センター国語第1問(現代文)解説「鐔」小林秀雄・エッセイ

(6)2012センター国語第1問解説「境界として自己」木村敏・関係性

(7)2017センター試験国語第2問・問題解説・小説の純客観的解法

(8)2008センター試験国語第2問(小説)解説『彼岸過迄』夏目漱石

 

 

トランス・サイエンスの時代―科学技術と社会をつなぐ (NTT出版ライブラリーレゾナント)

 

 

(2)2017年度センター国語第1問(現代文・評論)解説

 この年度の問題は、「科学論」・「科学批判」に関する最新の論点が出題されました。そして、その直後の東大国語(現代文・評論文)で、同一論点が出題されました。

 従って、「センター試験現代文には、その年の、国公立・私立大学の現代文・小論文の流行論点を予告する側面がある」ということを、改めて再確認しました。

 皆さんも、このことは、意識しておいてください。

 

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 上記の記事は、以下のような内容になっています。

 最初の部分を再掲します。詳しくは、リンク画像・経由で、ご覧ください。

 

ーーーーーーーー

 

(1)当ブログの予想論点記事が2017センター試験国語[1]に的中(著者・論点)しました。

 2016東大・一橋大・静岡大ズバリ的中(3大学ともに全文一致→下にリンク画像があります)に続く快挙です。うれしいことです。

 

 2016・12・13に発表した当ブログの記事(「国語予想問題『プロの裏切り・プライドと教養の復権を』神里達博」→下にリンク画像を貼っておきます)が、2017センター試験国語(現代文)問題[1]  (「科学コミュニケーション」・小林傳司)に、的中(著者・論点→科学論→科学コミュニケーション)しましたので、この記事で報告します。

 

 つまり、2017センター試験に、下の記事の中で紹介・解説した小林傳司氏のインタビュー記事(朝日新聞2016年3月10日《東日本大震災5年 問われる科学》「7:教訓を生かす 科学技術、社会と関わってこそ 専門家に任せすぎるな」)に強く関連した、小林氏の論考が出題されたのです。

 

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 「2017センター試験国語[1]の『要旨』」と「当ブログ記事・的中」の説明

 2017センター試験に出題された小林氏の論考の「要旨」は、以下の通りです。

 科学社会学者(コリンズ、ピンチ)の見解を引用しつつ、その主張を考察する論考です。

 「現在、科学の様々なマイナス面が明らかになるにつれて、『科学が問題ではないか』という問題意識が生まれてきている。しかし、科学者は、このような問題意識を、科学に対する無知・誤解から生まれた反発とみなしがちである。

 だが、科学社会学(コリンズ、ピンチ)は、従来の科学者が持つこのような発想を批判する。科学は全面的に善なる存在ではないし、無謬の知識でもない、という。現実の科学は人類に寄与する一方で、制御困難な問題も引き起こす存在である(→科学の「両面価値的性格」)、と主張した。

 そして、科学社会学は、一般市民への啓蒙について『科学の内容ではなく、専門家と政治家やメディア、われわれとの関係について伝えるべき』と言う。
 科学社会学は、一般市民を科学の『ほんとうの』姿を知らない存在として見なしてしまっている。この『大衆に対する、硬直した態度』は、科学社会学も、従来の科学と同様である。科学社会学は、科学を正当に語る資格があるのは科学社会学としてしまう点に限界がある。」

 

 センター試験の問題文本文(小林氏の論考)は、

①  「科学社会学者(コリンズ、ピンチ)が科学の両面価値的性格を認めている点」は賛成していますが、

②  「『科学と一般市民の関係』についての科学社会学者の主張」については、厳しく批判しています。そして、その批判で終わっています。

 「では、どうしたら良いのか」という筆者の主張・結論が不明確なのです。

 この点で、今回のセンター試験の第一問は、一見、読みにくい問題でした。

 この②の問題の筆者(小林氏)の主張・結論は、まさに、朝日新聞のインタビュー記事の小林氏の見解だと思います。(以下で紹介します)


 この記事の、

『《東日本大震災5年 問われる科学》「7:教訓を生かす 科学技術、社会と関わってこそ 専門家に任せすぎるな」』

という見出しだけでも、ある程度のヒントになります。

 

 以下は 2016・12・13に発表した当ブログの記事  (「国語予想問題『プロの裏切り・プライドと教養の復権を』神里達博」) からの引用、つまり、朝日新聞のインタビュー記事の小林氏の見解です。

 

ーーーーーーーー

 

(以下は、当ブログの前掲の記事からの引用)

専門家に望まれる態度・心掛け

「専門家主義」からの脱却

①専門家たちは、「総合的教養」・「生きた教養」を身に付ける→「専門家の相互チェック」のために

②さらに、専門家も、国民も、「民主的コントロール」を意識する(→まさに、今回のセンター試験に出題された「科学コミュニケーション」です!)

 

 ここで参考になるのは、科学哲学者である小林傳司氏の意見です。以下に、概要を引用します。

 

(小林傳司氏の意見)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です。青字は当ブログによる「注」です) 

「  震災(→「東日本大震災」)により科学者への信頼は大きく失墜した。学界などから様々な反省が言われたが、今では以前に戻ったかのように見える。

一つは、日本社会が「専門家主義」から脱却できないことだ。「科学と社会の対話が大切」と言いながら、原発再稼働などの政策決定過程をみると「大事なことは専門家が決めるから、市民は余計な心配をしなくてよい」という姿勢が今も色濃い。震災で専門家があれほど視野が狭いことが露見したにもかかわらずだ。

 これらの課題にどう対応すればよいか。まずは、市民が意思決定を専門家に任せすぎず、自分たちの問題ととらえることだ。科学技術は、それがなければ私たちは生活ができないほど重要で強力になっている。原子力のような巨大技術ほど「科学技術のシビリアンコントロール(→民主的コントロール)」が必要だ。

 専門家は、市民が基礎知識に欠ける発言をしてもさげすんではならない。専門家は明確に言える部分と不確実な部分を分けて説明する責務があり、最終的には「社会が決める」という原則を受け入れなければいけない。

 日本社会は「この道一筋何十年」という深掘り型は高く評価してきたが、自分の専門を超えて物事を俯瞰(ふかん)的に見られる科学者を育ててこなかった。広い意味での「教養」が重要だと思う。」

(朝日新聞 2016年3月10日 《東日本大震災5年 問われる科学》「7:教訓を生かす 科学技術、社会と関わってこそ 専門家に任せすぎるな」)

 

 

キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 (岩波ブックレット)

 

 

(3)2016センター国語第1問解説『キャラ化する/される子どもたち』

 

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 この記事の冒頭部分は、以下のようになっています。

 

ーーーーーーーー


(1)土井隆義氏の著書の出題状況

(当ブログ第1回の記事がテーマ・論点的中)

 2016年センター試験国語第1問(現代文・評論文)に、最近の流行論点・テーマである「自己」「アイデンティティー」(「若者論」・「日本人論」・「日本文化論」・「現代文明論」・「現代文明批判」・「コミュニケーション論」)が、出題されました。

 また、この問題は、「IT化社会」のテーマ・論点です。

 このブログの第1回記事(「開設の言葉ー入試現代文の最新傾向ー重要な、気付きにくい2本の柱」)において記述した、「入試現代文の最新傾向」、つまり、「IT化社会の光と影と闇」が、出題されました。

 テーマ・論点が的中しました。

 この記事については、下の画像からリンクできます。

 

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 著者は、最近、注目されている気鋭の社会学者、土井隆義氏です。土井氏の著作は、過去に、以下の大学で出題されています。

2005慶応大(文)(小論文)『「個性」を煽られる子どもたち』

2009北海道大(後期・法)(小論文)『「優しい関係」に窒息する子どもたち』       

 2015信州大(教育)(現代文)『友だち地獄ー「空気を読む」世代のサバイバル』

 このように、小論文を含めた、入試現代文・小論文の世界では、注目すべき著者でした。

 

 そして、今年、2016年に、センター試験に『キャラする/された子どもたちー排除型社会における新たな人間像』(岩波ブックレット)から出題されのです。

 

(2)土井隆義氏の著書の、キーワード

 土井氏は、上記の一連の著書において、

「『個性』を過剰に指向する現代社会の病理」

「人生は素質により、全て決定されると信じ込む若者」(一種の、新しい宿命主義)

「優しい関係」(摩擦・衝突を神経質に回避する傾向)

「『社会性』を喪失した子どもたち」

「『異質』の『排除』」

「子どもたちの過剰な承認願望」

「排除される不安を回避するためのスマホ依存」

「友だち関係を維持するためのイジメ」

という視点から、「現代の子どもたちの世界」を、鋭く、説得力豊かに分析しています。

 

 

未知との遭遇【完全版】 (星海社新書)

 

 

(4)2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)解説・IT化社会

 

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 この記事の冒頭部分は、以下のようになっています。

 

ーーーーーーーー

 

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 2015年度センター試験国語(現代文・評論文)に出題された佐々木氏の論考(『未知との遭遇』)は、「IT化社会の問題点」、つまり、「歴史の崩壊」・「歴史意識の衰退」・「系譜学的(体系的)知の衰退」を鋭く指摘しています。

 この論点、言い換えれば、「反知性主義化」は、「IT化社会のマイナス面」・「IT化社会の影・闇」として、最近、問題化しています。佐々木氏の論考は、とても参考になるので、ここで紹介します。

 また、センター試験国語(現代文・評論文)対策として、役に立つように、丁寧な解説をしていきます。

 今回の記事は、以下の項目について書いていきます。記事は、約1万字です。

(2)2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)『未知との遭遇』佐々木敦・の解説

(3)問題文本文の構成

(4)当ブログにおける「IT化社会」関連記事の紹介

(5)当ブログにおける「反知性主義」関連の記事の紹介

(6)当ブログにおける「センター試験国語(現代文・評論文)」関連の記事の紹介

(7)佐々木敦氏の紹介 

 

 (2)2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)・『未知との遭遇』佐々木敦・の解説

(問題文本文)(佐々木敦氏の論考)

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は、本文に付記されている段落番号です)

【1】ネット上で教えを垂れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。僕も啓蒙は必要だと思うのですが、どうも良くないと思うのは、ともするとネット上では、啓蒙のベクトルが、どんどん落ちていくことです。たとえば掲示板やブログに「○○について教えてください」などという書き込みをしている「教えて君」みたいな人がよくいますが、そこには必ず「教えてあげる君」が現れる

 

 

小林秀雄全作品〈24〉考えるヒント〈下〉

 

 

 (5)2013センター国語第1問(現代文)解説「鐔」小林秀雄・エッセイ

 

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この記事の冒頭部分は、以下のようになっています。

 

ーーーーーーーー

 

(1)~(2)は、前回の記事の(「センター試験現代文対策ー3・11後の最新・傾向分析①ー2012」)の(1)~(2)の概説です。(→この部分は省略します)

前回の記事を読んだ方は(3)から読んで下さい。

 

 (3)2013年度センター試験現代文[大問1](小林秀雄「鐔」)の、出題意図、本問作成者の問題意識の探究

【1】小林秀雄氏の紹介、入試出題状況

 小林秀雄氏は、近代日本の文芸評論の確立者です。

 個性的な、少々切れ味の良い挑発的な文体、詩的雰囲気のある表現が、特徴です。

 西洋絵画の批評や、ランボー、アラン等の翻訳にも、業績を残しました。

 

 入試現代文(国語)の世界では、20年くらい前までは、トップレベルの頻出著者(ほぼ全ての難関大学で、最低1回は出題されていました。)でした。

 現在は、トップレベルではないですが、やはり、頻出著者です。

 最近の入試に全く出題されていない、ということは、ありません。

 最近でも、以下の大学で出題されています。
 大阪大学『考えるヒント』
 明治大学『文化について』
 国学院大学『無常という事』
 明治学院大「骨董」

 
【2】この問題に対する一般的評価、それらに対する私の意見

 この問題については、

「かつての入試頻出著者ではあるが、小林秀雄氏の文章は今の受験生には難解過ぎて、少々、不適切な問題であった」

という評価が多いようです。

 本当に、そうなのでしょうか。

 

 私は、そうは思いません。

 単語のレベルは少々高いです。

 しかし、最近、京都大学・大阪大学・一橋大学・早稲田大学(政経)(教育)(国際教養)(文化構想)・上智大学・明治大学(法)・青山学院大学・中央大学(法)・法政大学等の現代文で流行が続いている擬古文(明治・大正期の文章)、
慶應大学・国公立大学等の小論文で頻出の福沢諭吉の論考、と比較して、
全体的に分かりやすい名文だと感じました。

 丁寧に読んでいけば、受験生にとっても、難解ではないはずです。

 本文のレベルを考慮して、設問は、例年より著しく平易になっています。

 

 しかし、本番直後では、平均点が例年より低下したことが、マスコミやウェブ上で、話題になりました。

 本文の丁寧な読解を諦めた受験生が、多かったのでしょう。

 受験生の粘りや集中力のなさを、問題とするべきです。

 私は、本問を難問・悪問と評価することは、できません。

 また、本問の問題文本文は、論理が飛躍しているので、試験問題として不適切という批判もありました。

 笑うべき批判です。

 今回の本文は、「エッセイ」・「随筆」なので、論理飛躍がある程度あるのは当然です。

 受験生は、著者の気持ち・感性・感想に、寄り添って読解して行けばよいのです。

 つまり、本問に対する様々な批判は、小林秀雄氏のイメージに固執したムード的なものか、的外れなものです。

 これから、そのことを、検証していきます。

 

【3】問題文本文のポイント

 問題文本文は、4つのブロックに分かれています。

 私が注目したのは、第1ブロック第3段落の記述です。

 筆者小林秀雄の主張が、ここにあります。

 以下に引用します。

 「誰も、身に降りかかる乱世に、乱世を以て処する事は出来ない。
 人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなけれぱ生きて行けぬ。
 そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鐔に仕立てて行くのである。」

 現代も、まさに、「乱世」です。

 日本国内では、3・11東日本大震災、福島原発事故、不景気、非正規雇用問題、年金破綻問題、少子化問題、高齢化問題、そして、熊本地震等の問題が山積しています。

 世界レベルでは、経済問題、テロ問題、難民問題、地球環境問題、温暖化等の難問だらけです。

 つまり、日本でも、世界レベルでも、政治的・経済的・社会的に大混乱が続いています。

 このような「乱世」の中でも、人々は、「乱世」のまま生きていくことは、できません。

 「秩序」、「安定」、さらには、レベルの高い「精神生活」が必要不可欠です。

 

 3・11東日本大震災の時にも、体育館等に避難していた被災者達は、読書への欲求があったと聞いています。

 また、少し落ち着いた時には、近くの書店に訪れる人が多かったようです。

 今現在の人々も、「乱世を乱世のままに生きていくこと」は、できないのです。

 

 受験生は、この第1ブロック第3段落を、しっかり読む必要があります。

 この部分が、この問題のキーセンテンスになっています。

 そして、複数の設問で、このキーセンテンスを聞いてきています。

 第2~4ブロックは、このキーセンテンスの具体例であり、本文も設問も、とても分かりやすい簡明な構造になっています。

 つまり、本問は、決して、難問でも悪問でもないのです。

 

 「本問の論考が、小林秀雄氏の論考にしては、今まで、頻出出典にならなかったのは、全体構造が単純だったからではないか」、

と私は推測します。

 難問か否かは、題材となった文章と設問を精査して、客観的に考えるべきです。

 著者のイメージから軽々に論ずるべきではないと思います。

 ましてや、受験生の平均点や感想は、一応の目安に過ぎません。

 悪問という評価は、よほどのことです。

 

 

自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 (ちくま学芸文庫)

 

 

 (6)2012センター国語第1問解説「境界として自己」木村敏・関係性

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 この記事の前半部分は以下のようになっています。

 

ーーーーーーーー

 

(3)2012年度センター試験国語第1問(現代文)・(「境界としての自己」木村敏)の、出題意図、本問作成者の問題意識の探究

 木村敏氏は、精神病理学者、京都大学名誉教授です。

 臨床哲学的精神病理学の立場に立ち、現代の「科学主義」・「客観主義」、つまり、「現代の科学的常識」・「客観性重視主義」に対して異議を申し立てる姿勢を保っています。

 木村氏は、最近の難関大の現代文(国語)・小論文における入試頻出著者です。

 最近では、早稲田大学(法学部)(商学部)、上智大学、法政大学等で出題されています。


……………………

 

 今回の問題は、少々、分かりにくい内容になっています。

 しかし、実は、本問の「自己(アイデンティティ)の相対化」・「自己(アイデンティティ)の否定」、そして、これと表裏一体の、「自己と他者の境界の重視」・「関係性の重視」「間主観性の重視」は、最近流行の現代文・小論文の論点・テーマです。

 これらの論点・テーマは「自己(自分)」・「アイデンティティ」・「個性」・「私らしさ(自分らしさ)」の、過度の重視が目立ってきた10年くらい前(キラキラネームの氾濫が目につく頃)から出題され始めました。

 

……………………

 

 また、2011年には、早稲田大学(法学部)で、今回、センター試験現代文(国語)の問題として検討中の、木村敏氏の哲学的論考(『自分ということ』→この本も、最近流行の現代文・小論文の入試頻出出典)が出題されました。

 

 この論考のキーセンテンスは、以下の部分です。

 「『人と人のあいだ』が、単なる空白の隙間ではなくて、ずっしりと重みのある、実質的な力の場である。」

 「音楽の生命は、音符に書かれたひとつひとつの音にあるのではなくて、音と音の間の『ま』にはたらいている湧きあがるような時間のたわむれにあるのだろう。」

 「自分と相手との『あいだ』が、二人の真に『会い合う』場所となりうるためには、そしてこの『あいだ』の場所が、自分と相手の『自己』を同時に成立させる自覚の場所となりうるためには、そこに『ま』と呼ばれるようなはたらきが十分にはたらいて、二人がそれぞれ自己自身の歴史を生きていながら、その『あいだ』においては、共通の唯一の時間の生成に関与しあっている、ということがなくてはならないのではないのだろうか。」

 

 最後の引用文の前半部分に、2012年度センター試験と全く同一内容の、

「この(自分と相手との)『あいだ』の場所が、自分と相手の『自己』を同時に成立させる自覚の場所」

という、キーフレイズがあります。

 

……………………

 

 著者が主張する「自己(アイデンティティ)概念の相対化」は、「自己(アイデンティティ)概念」そのものの否定では、ありません。

 一般的・常識的な「自己(アイデンティティ)概念」から派生する、

「個人の深刻な孤立化」、

各種の(「自己概念」の誤解に基づく)「傲慢」、

「共同体軽視・無視・嫌悪」、

「倫理・モラルの軽視・無視」、

等のマイナス面を回避するために「新たな自己(アイデンティティ)概念」を模索・構築・創造しようするものです。

 

 

 (7)2017センター試験国語第2問・問題解説・小説の純客観的解法

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 この記事の冒頭部分は、以下のようになっています。

 

ーーーーーーーー

 

 2017年センター国語第2問は、素直に解けば、20分程度で満点の取れる問題です。以下に、今回の問題を通して小説問題の効率的な解法を説明していきます。

 

(1)2017年センター試験国語第2問(小説)の解説

 2017年センター試験国語の小説問題は、文語文・擬古文的で読みにくい側面はありますが、設問・選択肢が素直なので、良問だと思います。

 今後の小説問題対策として、有用な問題と考えてたので、今回、記事化することにしました。

 以下では、次の項目を解説していきます。

 今回の記事は、約1万2千字です。

 

(2)「小説問題解法」のポイント・注意点

(3)「センター試験小説問題」の解法のポイント・コツ

(4)2017センター試験国語第2問の解説→本文概要と解説解答

(5)今回の小説問題本文の「あらすじ」

(6)野上弥生子氏の紹介

(7)当ブログの「夏目漱石」関連記事の紹介・一覧

(8)当ブログの「小説問題解説」関連記事の紹介・一覧

(9)当ブログの「センター試験国語解説」記事の紹介・一覧

(10)2017センター試験国語第1問に「当ブログの予想論点記事(科学論)」が的中(著者・論点)したこと、についての報告記事、の紹介

  

(2)「小説問題解法」のポイント・注意点

 小説・エッセイ(随筆)問題の入試出題率は、相変わらず高く、毎年約1割です。

 まず、センター試験の国語では、毎年、出題されます。

 次に、難関国公立・私立大学では、頻出です。

 東大・京都大・大阪大(文)・一橋大・東北大・広島大・筑波大・岡山大・長崎大・熊本大等の国公立大、早稲田大(政経)(文)(商)(教育)(国際教養)(文化構想)、上智大、立命館大、学習院大、マーチ(明治大・青山学院大・立教大・中央大・法政大)(特に文学部)、女子大の現代文では、特に頻出です。

 また、難関国公立・私立大学の小論文の課題文として、出題されることもあります。

 

 小説・エッセイ問題については、「解法(対策)を意識しつつ、慣れること」が必要となります。

 本来、小説やエッセイは、一文一文味わいつつ読むべきです。(国語自体が本来は、そういうものです。)が、これは入試では、時間の面でも、解法の方向でも、有害ですらあります。

 あくまで、設問(そして、選択肢)の要求に応じて、主観的文章を(設問の要求に応じて)純客観的に分析しなくてはならないのです。

(国語を純客観的に分析? これ自体がパラドックスですが、ここでは、この問題には踏み込みません。日本の大学入試制度の問題点です。)

 

 この点で、案外、読書好きの受験生が、この種の問題に弱いのです。(読書好きの受験生は、語彙力があるので、あとは、問題対応力を養成すればよいのです。)

 

 しかし、それほど心配する必要はありません。

 「入試問題の要求にいかに合わせていくか」という方法論を身に付けること、つまり、小説・エッセイ問題に、「正しく慣れる」ことで、得点力は劇的にアップするのです。

 そこで、次に、小説・エッセイ問題の解法のポイントをまとめておきます。

 

【1】5W1H(つまり、筋)の正解な把握

① 誰が(Who)      人物

② いつ(When)       時

③ どこで(Where)  場所

④ なぜ(Why)       理由→これが重要

⑤ なにを(What)    事件

⑥ どうした(How) 行為

 

 上の①~⑥は、必ずしも、わかりやすい順序で書いてあるとは限りません。

 読む側で、一つ一つ確認していく必要があります。

 特に、④の「なぜ(理由)」は、入試の頻出ポイントなので、注意してチェックすることが大切です。

 

【2】登場人物の心理・性格をつかむ

① 登場人物の心理は、その行動・表情・発言に、にじみ出ているので、軽く読み流さないようにする。

② 情景描写は、登場人物の心情を暗示的・象徴的に提示している場合が多いということを、意識して読む。

③ 心理面に重点を置いて、登場人物相互間の人間関係を押さえていく。

④ 登場人物の心理を推理する問題が非常に多い。その場合には、受験生は自分をその人物の立場に置いて、インテリ的に(まじめに→さらに言えば、人生重視的に)、一般的に、考えていくようにする。

⑤ 心理は、時間とともに流動するので、心理的変化は丁寧に追うようにする。

 以上を元に、いかに小説問題を解いていくか、を以下で解説していきます。

 


(3)「センター試験小説問題」の解法のポイント・コツ

【1】先に設問をチェックする

 センター試験の小説問題の本文は、難関大学の小説問題か、それ以上の長文の場合が多いのです。

 そこで、センター試験小説問題を効率的に解くための1つ目のコツは、本文を読む前に設問(特に、設問文)に目を通すことです。

 すぐに設問文に目を通し、「何を問われているか」を押さえてください。

 「設問で問われていること」を意識しつつ読むことで、時間を短縮化することができます。

 

【2】消去法を、うまく使う

 センター試験の小説問題の選択肢は、最近は、少々、長文化しています。

 しかし、明白な傷のある選択肢が多いので、消去法を駆使していくことで、効率的に処理することが可能です。

 

 

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 (8)2008センター試験国語第2問(小説)解説『彼岸過迄』夏目漱石

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 夏目漱石は、入試頻出著者です。この問題も、よく検討しておくべきでしょう。

 この問題についても、前記の「小説の純客観的解法」により丁寧に解説しました。

 

ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

  

 

gensairyu.hatenablog.com

  

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「水の東西」等の「リズムの哲学ノート」(山崎正和)による新解釈

(1)はじめに/山崎正和氏の最近の論考「リズムの哲学ノート」、インタビュー記事から、山崎氏の名著「水の東西」・「無常のリズム」(『混沌からの表現』)を読み直す

 

 山崎正和氏の著作は、長期的な入試頻出出典です。山崎氏の著作は大筋は分かりやすいのですが、私は、今まで、その「思想の底流や価値観」が見えにくい面があるように感じていました。
 しかし、最近『アスティオン』に連載された「リズムの哲学ノート」、2017年発行の『舞台をまわす、舞台がまわるー山崎正和オーラルヒステリー』、最近の新聞掲載の「批評」や「インタビュー」を読み、「山崎氏の思想の基盤」が見えてきたのではないか、と思っています。
 つまり、山崎氏の使用する言葉の内容の理解が、より深まったということです。本来、論考は、それ自体の熟読・精読を通して理解するべきです。ただ、その著者が、ある言葉をどのような意味で使用しているかについては、その著者の他の文献を参照することは許されるのです。
 そこで、これらの材料を元に、山崎氏の著名な論考である「水の東西」・「無常のリズム」(『混沌からの表現』)を読み直すとともに、「山崎氏の思想の基盤」を検証することにします。

 以下の記事は、入試国語(現代文)・小論文対策としても、かなり役立つと思います。

 

 まず、初めに注目したのは、『2016年6月25日・読売新聞・夕刊』に掲載された山崎正和氏のインタビュー記事(「生老病死の旅路」)でした。

 この文章は、山崎氏の思考の根幹を、山崎氏自らが分かりやすく説明していて、私にとっては、驚きでした。一読した後に、何の前触れもなく一気に湖水が澄んで、山崎氏の思想の、深い湖の底を見てしまったような感慨を覚えました。
 以下に概要を引用します。


「   運命に後押しされたとき一歩前に踏み込む、8の力で押されたら2は自分の力で頑張り、ここまで来たように思います。
 京大進学以外は、自分で意図したというより、運命に押された感じですが、いま思うのは『人生はリズム』ではないか、ということです。例えば今日みたいな日、『暑いな』と言ったらそれまでだけど、『初夏だな』と思うと、そこには自然、社会と個人との応答がある。さらに『初夏だからショウブを植えよう』になると、単に暑いという認識から進んで、感じる喜び、つくる感動が生まれるんです。
 実は、2012年夏に、がんの兆候を示す指標が最悪で、常識なら死んでいる、と宣告されました。その時、突然、長らく放置していた主題が蘇り、『リズムの哲学ノート』を雑誌連載しました。がんの警告という運命がリズムなら、それが私を執筆に向けて後押ししたのもリズムの流れに違いないと思います。」

 

 この文章に、「私の解釈」を青字で挿入し、「リズム」と「リズムの同類語と思われる表現」を赤字にすると、以下のようになります。

「  運命に後押しされたとき一歩前に踏み込む、8の力で押されたら2は自分の力で頑張り、ここまで来たように思います。

 京大進学以外は、自分で意図したというより、運命に押された感じですが、いま思うのは『人生はリズム』ではないか、ということです。例えば今日みたいな日、『暑いな』と言ったらそれまでだけど、『初夏だな』と思うと、そこには自然、社会と個人との応答がある。(→「リズム」、つまり、「自然」を、どのように受けとめるか、は個人の問題ということでしょう) さらに「初夏だからショウブを植えよう」になると、単に暑いという認識から進んで、感じる喜び、つくる感動が生まれるんです。(→「リズム」(「自然」)に意志で働きかけることができる。気の持ちようによって、「リズム」・「自然」から喜び感動を得ることができる。つまり、「リズム」・「自然」を、どのように柔軟に活用するかの問題でしょう)

 実は、2012年夏に、がんの兆候を示す指標が最悪で、常識なら死んでいる、と宣告されました。その時、突然、長らく放置していた主題が蘇り、『リズムの哲学ノート』を雑誌連載しました。がんの警告という運命リズム(→「リズム=運命」という関係に注目してください)なら、それが私を執筆に向けて後押ししたのもリズムの流れ (→「リズム」が私に「気付き」を与えてくれた、ということです)に違いないと思います。」


 この文章は、山崎正和氏の愛読者にとっては、より深い読解の重要な手がかりになるはずです。

 上記の文章を読むと、山崎氏は、「リズム」を、かなり重視していることが分かります。
 そして、山崎氏は「人生=リズム=自然=運命」と考えているということが分かります。
 しかも、この「リズム=自然=運命」に対して、ある程度は、人間の意志による働きかけが可能であるということが理解できます。

 さらに、冒頭の「運命に後押しされたとき一歩前に踏み込む、8の力で押されたら2は自分の力で頑張り、ここまで来たように思います」という文を読むと、「運命=リズム」の動きに逆らわないで、むしろ、その動きに「自然に」乗ることの重要性に気づきます。

 

 また、「実は、2012年夏に、がんの兆候を示す指標が最悪で、常識なら死んでいる、と宣告されました。その時、突然、長らく放置していた主題が蘇り、『リズムの哲学ノート』を雑誌連載しました。」という記述から明らかですが、山崎氏の「主題」(→テーマ)、つまり、山崎氏の「思想の根幹」は、「リズムの哲学」です。

 言い換えれば、山崎氏は、「リズム」を深く考察することが、「人生・世界・事物」の「根源・原理」の追求につながると考えているのです。
 この一節から、急に視界が開けてきた感じがしました。

 

混沌からの表現 (ちくま学芸文庫)

 

  なお、以下の記事の項目は、次の通りです。

(2)「リズムの哲学ノート」と「無常のリズム」

(3)「リズムの哲学ノート」と「水の東西」

(4)山崎正和氏の思想の背景

(5)「積極的無常観」について

(6)山崎正和氏の紹介

(7)当ブログの「山崎正和氏・関連記事」の紹介

(8)当ブログの「無常観・関連記事」の紹介

 

(2)「リズムの哲学ノート」と「無常のリズム」

 

 「リズムの哲学ノート」(『アスティオン』連載)を元にすれば、山崎氏のこれまでの著作を、さらに深く読解することが可能になりそうです。
 そこで、今回は、このことにチャレンジしてみます。
 このチャレンジは、あくまで試論であり、後に修正する可能性もあることを意識して、大胆に私の考えを展開していくつもりです。

 

 着目するべきは、「リズムの哲学ノート」の中で記述されている「リズム」の内容説明です。
 前述のように、「人生=リズム=自然=運命」と考える山崎氏の思想からすると、「リズム」の内容説明は、そのまま「人生」の内容説明になるからです。

 以下に、主に「リズムの哲学ノート」の中から参考になりそうな記述を引用しつつ、山崎氏の名著「水の東西」・「無常のリズム」(『混沌からの表現』)の解釈をしていきます。

 

(引用は概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

 まず、「リズムの哲学ノート」の中で、私が注目したのは以下の部分です。

「  何よりも哲学は、この世界の根源的な原理であるリズムを感じとり、リズムとともに生きることによって、その働きを如実に知ることができるはずである。」(「リズムの哲学ノート」『アスティオン85』)

「  逆説に響くかもしれないが、人がこの無常観を忘れないかぎり、常識世界における冒険的な自由意志の発揮は安全でもあり有用でもあるといえる。無常観とは正確にリズムの観念の裏返しであって、どんな営みにも始めと中と終わり(序・破・急)(→「序・破・急」を「無常観」の象徴と考えていることが分かります)があり、とりわけ必然的に終わりがあることを知る世界観である。そしてこの世界観を悟達した人は、あらゆる行動について過剰な意志を抱くことはないだろうし、個別の具体的な行為についても終わりの到来を敏感に悟り、心やすらかに諦めることができるはずである。」(『アスティオン85』)


 上記の最後の一文「この世界観(→「無常観」)を悟達した人は、あらゆる行動について過剰な意志を抱くことはないだろうし、個別の具体的な行為についても終わりの到来を敏感に悟り、心やすらかに諦めることができるはずである」

は、まるで日本人のことを説明している感じです。

 「心やすらかに諦めることができる」の部分は、日本人の「何事にも淡白な性格」や「諦念」を、そのまま解説しているようです。

 

 上記の論考を元にすれば、あの有名な「無常のリズム」(『混沌からの表現』)の内容も、よく理解できます。まず、「無常のリズム」の一節(概要)を引用します。

「  寺田寅彦は、花火のなかには『序・破・急』の三段の生成のリズムがあると書いた。始めがあり、中があり、終わりがあり、それが整然たるリズムに乗って展開するとき、われわれはものごとが『完結』したという印象を受ける。

 日本人は、この三段の生成のリズムに敏感であり、一瞬の変化のなかにもまとまりを感じ取る感受性にめぐまれているのかもしれない。

 その感受性が、花火という、純粋な『変化』そのもののような美を育てた。はじけては消える夏の夜の花火を見ていると、ふと、そこはかとない悲しみがただようことは事実である。

 日本人は昔からそういう『はかなさ』に心ひかれ、人生の無常に耽溺してきたと信じられている。それは、たしかに、その通りなのだが、しかしその同じ日本人が、ふしぎに一方で極端なニヒリズムに走らなかったことも事実なのである。人生の無常をかこち(→「嘆く」という意味)ながら、われわれの先祖はそのなかにけっこう安定した自然(→「リズム」、「無常観」)を見出だしていた。そしてそれはたぶん、一瞬の変化の中にも『序・破・急』を感じとる、あの敏感な秩序の感覚のせいにちがいないのである。」(「無常のリズム」『混沌からの表現』)

 

 上記の赤字部分の内容は、前記の論考(「リズムの哲学ノート」)を青字に注目して読むと、さらに理解が深まるでしょう。

 精読すると分かるのですが、下記の論考は、上記(「無常のリズム」)の赤字部分を詳しく説明しているようにも思います。山崎氏は、上記の赤字部分を意識して、下記のようなことを述べているのではないでしょうか。

「  この世界観(→「無常観」)を悟達した人は、あらゆる行動について過剰な意志を抱くこと(→「過剰な意志重視主義」は現代人の悪弊です。「意志万能主義」は「滑稽な信仰」と化しています。特に、日本の会社、教育現場、スポーツ分野に蔓延している、一種の「無知」・「傲慢」です)はないだろうし、個別の具体的な行為についても終わりの到来(→「終わりの到来」とは、「無常の実相」であり、「リズムの実相」と言えるでしょう)を敏感に悟り、心やすらかに諦めること(→「心の平穏を得る」ということでしょうか。そうであるならば、上記の「人生の無常をかこちながら、われわれの先祖はそのなかにけっこう安定した自然を見出だしていた」の部分に対応することになります)ができるはずである。」(山崎正和『アスティオン85』)

 以上の二つの論考は、「日本人と無常観」に関する卓越した考察であり、山崎正和氏の「主題」に密接に関連しています。

 そのことを再確認した私は、この二つの論考の内容の深さに感動し、何度も読み直してしまいました。

 

(3)「リズムの哲学ノート」と「水の東西」

 

 次に、「リズムの哲学ノート」の以下の記述を読むと、「水の東西」の解釈に役に立ちます。

 まず、「水の東西」の著名な一節を引用します。

 「赤字の部分」に注目してください。

 「リズム」と、「リズムと読み替えることが可能な表現」を、赤字化しました。

「『鹿おどし』が動いているのを見ると、その愛嬌の中に、なんとなく人生の気だるさのようなものを感じることがある。かわいらしい竹のシーソーの一端に水受けが付いていて、それに筧の水が少しずつたまる。静かに緊張が高まりながら、やがて水受けがいっぱいになると、シーソーはぐらりと傾いて水をこぼす。緊張が一気に解けて水受けが跳ね上がるとき、竹が石をたたいて、こおんと、くぐもった優しい音を立てるのである。

 見ていると、単純な、緩やかなリズムが、無限にいつまでも繰り返される。緊張が高まり、それが一気にほどけ、しかし何事も起こらない徒労がまた一から始められる。ただ、曇った音響が時を刻んで、庭の静寂と時間の長さをいやが上にも引き立てるだけである。水の流れなのか、時の流れなのか、『鹿おどし』は我々に流れるものを感じさせる。それをせき止め、刻むことによって、この仕掛けはかえって流れてやまないものの存在を強調していると言える。

 言うまでもなく、にはそれ自体として定まった形はない。そうして、形がないということについて、恐らく日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのである。『行雲流水』という仏教的な言葉があるが、そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏付けられていた。それは外界に対する受動的な態度と言うよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の現れではなかっただろうか。

 見えない水と、目に見える水。

 もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのにもはや水を見る必要さえないと言える。ただ断続する音の響きを聞いてその間隙に流れるもの(→リズム)を間接に心で味わえばよい。そう考えればあの『鹿おどしは、日本人がを鑑賞する行為の極致を現す仕掛けだと言えるかもしれない。」(「水の東西」『混沌からの表現』)

 

 この「水の東西」と、以下の「リズムの哲学ノート」の一節を読み比べてください。

 まるで、山崎氏は、「水の東西」を意識して以下の論考を展開している感じです。

「  あらためて読者の記憶を喚起したいが、私の提唱するリズムはベルクソンの言う純粋持続ではなかった。 リズムには拍節が打ち込まれるのが本来であり、純粋持続とは違って堰(せ)き止められ、鹿おどし構造(→「リズム=鹿おどし構造」の関係に注目してください)をつくるのが本然の姿であった。」(『アスティオン83』)

 上記で山崎氏は、「リズムは鹿おどし構造をつくるのが本然の姿」と言っています。

 「水の東西」は、「鹿おどし構造」について論じていますが、「水の東西」の論考自体が「リズム」について考察していることになります。

 このことは、私にとっては、衝撃でした。

 つまり、この「水の東西」は水を通して、「日本人の無常観」を論じていることになります。

 このことを意識して、「水の東西」を熟読すると、私は新たな感慨に包まれます。

 これほど、日本人の、ひいては、自分自身の「無常観」を冷静に洞察した著者は、珍しいと思います。

 

 さらに、以下の論考も注目するべきです。
「  身体が『もの思う』とは、現象に目を凝らすことであり、耳を澄ますことだろうが、いずれも目や耳が思わずしてしまう反応であって、ここには能動性と受動性の前後関係はまったくない。目を凝らし耳を澄ますのは、何かが見えたり聞こえたりしたからであり、その逆もまた真であって、認められるのは、いわば『誘いだされた能動性』というべきもののほかにはない。」(『アスティオン85』)

 この上記の赤字部分は、かなり重要なことを指摘しています。日本人が「鹿おどし」の音に耳を澄ますことは、まさに「身体が『もの思う』こと」なのです。

 このことを元に「水の東西」の下記の部分を読むと、これまでの解釈とは違った解釈が可能になると思われます。

「  もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのにもはや水を見る必要さえないと言える。ただ断続する音の響きを聞いて、その間隙に流れるもの(→リズム)を間接に心で味わえばよい。そう考えればあの『鹿おどし』は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を現す仕掛けだと言えるかもしれない。」(「水の東西」『混沌からの表現』)

の赤字部分を熟読してください。

 日本人は「身体が『もの思う』(→身体によって、音と共に「無常観」を再確認する)民族」ということが、よく分かります。

 

 なお、「身体でものを思う」の点は、デカルトの「物心二元論」、「身体論」の論点にも関連していることに注目してください。

 以下に、当ブログの「物心二元論(心身二元論)」・「身体論」関連記事のリンク画像を貼っておきます。ぜひ、参照してください。

  

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 さらに、「リズムの哲学ノート」から引用します。
「  リズムの特性の第一は、それがもっぱら顕現する現象であり、ひたすら感知することはできても、それを造りだすことはできないという事実である。
 そしてその第二の特色はそれを感じることが喜びであり、その認識が解放感に直結しているという不思議である。たしかにすべて知ることは喜びを伴うが、リズムを知ることの歓喜は次元を異にしている。リズムの喜びはその喜び方そのものが身体的であって、人はただ目を凝らし耳を澄ますだけではなく、たとえ僅かでも全身を揺すりながら享受するのが普通だろう。哲学にとって、リズムは知ることが最終目的となるような現象であり、裏返せば知ることをそれだけで完結自立させるような現象なのである。」(『アスティオン85』)

 この論考を元にすると、「水の東西」の下記の部分の解釈が、より深まるはずです。

「 ただ断続する響きを聞いて、その間隙に流れるもの(→リズム)を間接に心で味わえばよい。」(「水の東西」『混沌からの表現』)

 日本人も微かに、無意識の内に、「音の響き」に身体を共鳴させているのでしょう。リズムを知ることの歓喜、リズムを再確認することの歓喜と共に。

 

 次の一節も参考になります。

「  リズムは当然ながら、たんに哲学者に認識されるだけでなく、常識社会に暮らす普通の人にも感知される。そして、リズムを知るということ、いいかえればリズムを体感しながら生きるということは、誰であれ、二つの意味で認識者を自由にしてくれる。」(『アスティオン85』)

 「花火」や「鹿おどし」の「リズム」を体感することは、ある意味で人を自由にしてくれるということでしょう。

 

 それでは、「二つの意味」とは何か?

 以下の説明を熟読してください。

「  第一に、それはいっさいの機械的な必然性、硬直した規則性から人を解き放ち、閉じられた受動性の檻から救出してくれる。

 第二にリズムは機械的必然性とは逆の、カント的な自由意志の桎梏リズムは機械的必然性とは逆の、カント的な自由意志の桎梏(しっこく)(→「拘束」という意味。「自由意志を持つべし」という命令自体が「近代原理」からの「拘束」ということです。ここには、「近代批判」の視点があることに注意してください)からも人を解放する。意志は見えない石碑に彫られた銘文であって、睡眠中にも他事に追われているときにも人を縛りつづける。むしろ意志は行動が挫折したときに強化され、人の死後に不動の命令となるものであって、およそ生の柔軟性とは無縁の存在なのであった。(→「自由意志」、「意志」をマイナス評価していることに注意してください) この自由意志がいったん形成され、生の硬直が発生した後では、もちろんリズムにこれと対抗して勝つ可能性はない。人にできることは、いわば予防的措置であって、日頃からリズムに敏感な生活習慣を身につけ、頑固な自由意志が生まれにくい環境に暮らすことだろう。」(『アスティオン85』)


 上記の最終部分を読むと、「鹿おどし」は「日本の伝統の知恵」なのかもしれません。

 何か他のことをしている時にも、音は聞こえるのです。

 水の流れを見ることに集中していなくとも、「鹿おどし」の音は、聞こえるのです。

 そして、「リズムを体感しながら生きるということは、誰であれ二つの意味で認識者を自由にしてくれる」のです。

 

 さらに、「リズムの哲学ノート」からの引用を続けます。

「  自然現象についていえば、朝夕の推移、季節の変化を外界の事象として傍観するのではなく、それに運ばれてみずからが現在を生きていることを実感することである。」(『アスティオン85』)

 上記では、「自然現象に運ばれて自分が生きていること」を実感することが、「真の生の実感」であると、山崎氏は主張しているのでしょう。

 

 「リズムの哲学ノート」の以下の論考も「水の東西」・「無常のリズム」を読解に、大いに参考になります。

「  リズムそのものは普遍的であり、さればこそリズム感覚の伝播も早いのであるが、あるリズム単位を最初に発見するのはあくまでも共同体の総意であって、それ以上の絶対的な法則というものはない。現代でもリズムの完結性の指標は文明によって多様に見られ、「序破急」とか「起承転結」とか「ソナタ形式」とか、地域ごとに多彩を極めているのはそのことの名残りだろう。」(『アスティオン81』)

「『ある身体』は世界的なリズムの小さな波として閉じこめられ、誕生と死のあいだの短い時間内にあらしめられている存在だった。この究極の受動性と局限性はただの知識ではなく、幼、青、壮、老という身体変化を通じて直接に感じられる。そしてその結果として獲られる不安と儚さの感覚(→「無常観」と読み替えることが可能です)が、『ある身体』(→「存在する身体」という意味)を駆って身体の外の無限の時空、世界全体を知ろうと努めさせるのだろう。」(『アスティオン82』)

 以上を読むと、山崎氏は、ほとんどすべての事象を「リズム」や「鹿おどし」の視点から見つめ、読み直そうとしていることが分かります。

 そして、そのことが、的確であることに感服してしまいます。

 日本人だけではなく、人類全体、そればかりではなく、この世のすべての存在は「リズム」の下にあるのですから、このことは当然のことでしょう。

 

(4)山崎正和氏の思想の背景

 

 では、なぜ、山崎氏は、このような「揺るぎない強固な視点」・「透徹した視点」を身に付けたのでしょうか?

  『舞台をまわす、舞台がまわるーー山崎正和オーラルヒステリー』(2017年発行)を読むと、「満洲からの引き揚げ体験」等が、山崎氏の幼年期・少年期の人格形成にかなり影響を及ぼしたことが想像されます。

 つまり、満州での凄惨な体験や、敗戦後の未曾有の混乱が、山崎氏を早熟で鋭敏な人間に作り上げたのでしょう。


 満州医科大学教授を父として京都に生まれた山崎氏は、国際都市・奉天で少年時代を過ごします。

 結核治療を理由に戻った京都でイジメを受け、再び満州に戻りました。

 しかし、そこにソ連軍が来ました。山崎氏は以下のように述べています。

「これは本当に『占領軍』でした。それは血に飢えた狼でした。
 このような状況の中で、日本人は子供を学校に通わせました。母親たちは地下室に潜み、大人の男は外出したら殺されるという状況下に、子供だけが外出したんです。」

 マイナス10度以下の学校では、首つり死体が凍結した状態で梁(はり)から、ぶら下がることもありました。そのような中で、臨時教員の授業を受けたのです。

 これらの体験と、山崎氏本人の繊細な卓越した感受性が、「強固なリズムの視点」の基盤にあるのでしょう。

 

(5)「積極的無常観」について

 

 日本人の「リズム(無常観)」に対する態度は、「積極的無常観」とでも言うべきものでしょう。山崎氏も、そのように呼んでいます。

「無常のリズム」の中で「積極的無常観」に該当する記述は、以下の部分です。


「  日本人は昔からそういう「はかなさ」に心ひかれ、人生の無常に耽溺してきたと信じられている。それは、たしかに、その通りなのだが、しかしその同じ日本人が、ふしぎに一方で極端なニヒリズムに走らなかったことも事実なのである。人生の無常をかこちながら、われわれの先祖はそのなかにけっこう安定した自然(→「リズム」、「無常観」)を見出だしていた。」

 

 また、「水の東西」の中で、「積極的無常観」に該当する記述としては、以下の部分が挙げられます。特に、赤字の部分に着目してください。

「  それ自体として定まった形はない。そうして、形がないということについて、恐らく日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのである。『行雲流水』という仏教的な言葉があるが、そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏付けられていた。それは外界に対する受動的な態度と言うよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の現れではなかっただろうか。」(「水の東西」『混沌からの表現』)

 

 朝日新聞に、山崎正和氏が受けたインタビュー記事(「震災国の私たち」2012年3月9日『朝日新聞』)の中でも、山崎氏は同様の主旨のことを延べています。

 以下に引用します。

「  日本では17年の間に2度も国家規模の大震災が起きた。この結果、日本人の中である種の無常観が目覚めたかも知れない。」

「  日本人の場合、無常観を抱えたまま頑張るという不思議な伝統がある。いわば積極的無常観。それが戻ってきたのではないか。」

「  大震災はいつか必ずやってくる。それにもかかわらず、だれもヤケにも投げやりにもならず、『守るな 逃げろ』という非難訓練にまじめに参加している。」

「  震災を予期した無常観を抱えながら、極めて地道に一つひとつ解決し前に進んでいく。そうやって生きていくと思います。」

 

 さらに2014年1月12日『読売新聞』の「《シリーズ・地球を読む》『積極的無常観』のすすめ」の中では、より詳細に「積極的無常観」について述べているので、以下にポイントになる部分を引用します。

「  若者が明日の希望のために努力するのにたいして、老人は明日はどうなるかわからないからこそ、今日をがんばるのである。世は無常であることを痛感するがゆえに、今日を常の通りに生きようとするのである。無常を覚えながら自暴自棄にならず、逆に今日を深く味わう生き方を私はかねて積極的無常観と呼んできた。時代にはそれぞれを覆う独特の気分があるが、21世紀前半を特徴づける気分には、この積極的無常観が色濃い影を落としそうな予感がする。世界的に高齢化が進み、老人の感性が社会への影響力を増すことが考えられるうえ、たまたまそれと並んで、社会の予測不可能性が急速に高まる傾向が顕著になったからである。」

 「 たとえば日本では東海、東南海、南海大地震が同時に襲う恐れが明日にもありうることは誰もが知っている。だが、この報道にたいして、日本人は恐慌にも自暴自棄にも陥らず、防災ならぬ「『減災」』をめざして地道な努力を重ねている。注目に値するのが減災という概念であって、災害のあることを受け入れたうえで積極的な対処を図る思想である。」

「  振り返ると、日本には積極的無常観の長い伝統があって、『明日に夢があるから今日頑張ろう』という思想と、『明日はどうなるかわからないから今日がんばろう』という思想が両立してきた。」

「  科学技術が進歩を続け、他方で明日をも知れぬ個人の偶然が残る限り、進歩主義と積極的無常観の両立は日本が世界に発しうるメッセージになるのではなかろうか。」

 

  以上を読めば、「積極的無常観」こそが、私たちがとるべき賢明な態度だということが、よく分かると思います。

 そして、現に、日本人の多くが、無意識的にせよ、意識的にせよ、「積極的無常観」をとっているということは、誇らしいことだと考えます。

 

(6)山崎正和氏の紹介

 

【1】山崎正和氏の紹介

 山崎正和氏は、1934年、京都生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。劇作家、評論家、演劇研究者。評論は、文明批評、文芸批評、芸術論、演劇論と、実に多彩である。文化功労者。日本芸術院会員。大阪大学教授、東亜大学学長、中央教育審議会会長などを歴任。

 

【2】山崎正和氏の著書 

 主な著書として、

『世阿弥』(新潮文庫)(第9回岸田國士戯曲賞受賞)、

『劇的なる日本人』(新潮社)、

『混沌からの精神』(ちくま学芸文庫)、

『日本文化と個人主義』(中央公論社)、

『近代の擁護』(PHP研究所)、

『社交する人間』(中公文庫)、

『装飾とデザイン』(中公文庫)、

『日本人はどこへ向かっているのか』(潮出版社)、

『山崎正和全戯曲』(河出書房新社)、

『舞台をまわす、舞台がまわる-山崎正和オーラルヒストリー』(中央公論新社)

などがあります。

 以上の、ほとんどの著作は、難関国公立・私立大学の現代文(国語)・小論文の入試頻出出典です。

 

(7)当ブログの「山崎正和氏・関連記事」の紹介

 

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(8)当ブログの「無常観・関連記事」の紹介

 

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今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

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