現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題/「原発と人間の限界」高村薫/思考停止・欲望・身体性

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 

 高村薫氏の論考は、簡潔な表現で本質を鋭く突くのが特徴です。

 爽やかで、切れ味の良い文章なので、難関大学の現代文(国語)・小論文で頻出です。

 

 最近、入試頻出著者・高村氏が発表された「原発と人間の限界」高村薫(『朝日新聞』2019年6月28日)は、秀逸な「現代文明批判」・「現代文明論」であり、「日本人論」・「日本社会論」です。

 「現代文明批判」・「現代文明論」、「日本人論」・「日本社会論」は、現代文(国語)・小論文入試で最頻出の論点です。

 今回の論考は字数が約4000字であり、難関大学の現代文、小論文の題材としています。

 内容的にも、近年の政治的、経済的、社会的な重要論点が網羅されています。

 

 私は、この論考は、来年度以降の難関大学の現代文(国語)・小論文に出題される可能性が高いと思います。

 そこで、当ブログでは今回の論考を、高村氏の他の重要な論考も参照しながら、予想問題として詳細に解説することにします。 

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

 記事は約1万5千字です。

(2)予想問題/「原発と人間の限界」高村薫(『朝日新聞』2019年6月28日)/思考停止・身体性・欲望

(3)当ブログにおける「高村薫」関連記事の紹介

 



(2)予想問題/「原発と人間の限界」高村薫(『朝日新聞』2019年6月28日)/思考停止・欲望・身体性


 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 

 

(「原発と人間の限界」の本文は太字になっています)

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

 

 

 原子力発電をめぐる平成の30年は、国内外の潮流が肯定と否定、推進と縮小もしくは撤退の二つの方向へ分かれ、ウラン濃縮や核兵器の拡散問題もはらみながら、世界に複雑なエネルギー地図を描きだした時代だった。

 1970年代の石油危機が推し進めた先進国の原発利用は、79年の米スリーマイル原発や86年の旧ソ連のチェルノブイリ原発、そして日本の東京電力福島第一原発の過酷事故を経て停滞へと転じ、安全面の不確実性とともに発電コストが大幅に上昇して、近年は新規の建設が困難になってきている。一方で、経済発展とともにエネルギー需要が高まっているアジアや中東では、原発の需要は依然として高い。

 また、原発の積極的な導入が一段落する一方で、地球温暖化の危機感が世界規模で共有され、化石燃料に代わって再生可能エネルギーの利用が飛躍的に拡大したのもこの時代だった。その結果、各国で進められる温暖化防止の取り組みが、CO2を出さない原発の位置づけをあらためて不透明にしており、将来的には廃止を目指すものの、既存の原発は当面使い続けるという国が大多数を占める。日本もそこに含まれる。

 これが2019年の世界の原発のおおまかな現状である。将来的には確実に衰退すると言われる一方、撤退の難しさや、産業界の都合と国益の交錯からくる混沌とした状況は当面続くだろう。しかも、使用済み核燃料の最終処分地という難題や発電コストの増大、ひとたび事故が起きた際の想像を絶する被害のリスクにもかかわらず、多くの国で原発がいまなお命脈を保ち続けている現実には、20世紀型の繁栄への拭いがたい執着も透けて見える。これは日本も同様である。

 私たち日本人は、原子力については広島と長崎への原爆投下という唯一無二の歴史をもつ。その重い記憶の一方、戦後の復興期に語られた「原子力の平和利用」という言葉は、国と産業界と国民に強力な麻酔をかけ、1957年には茨城県東海村の第1号実験炉に初めて「原子の火」がともった。そうして日本は商業原発の建設へ踏み出したのだが、科学の進歩がそのまま人類の希望だった20世紀後半は、同時に大国が核実験を繰り返して核兵器が拡散した時代でもあった。そのなかで日本人がなぜ、核兵器の脅威と原発の夢をかくも都合よく切り離すことができたのか、私たちは今日に至るまで真剣に自問した形跡がない。

 とまれ日本の原発は、平成を迎えた89年には37基を数えるまでになった。その3年前にはチェルノブイリ原発で爆発事故がきていたが、深刻な放射能汚染にさらされた欧州に比べて、地理的に遠い日本ではそれほど大きな騒ぎにはならなかった。

 それどころか、国は当時、日本の原発は多重防護のシステムが備わっているので、チェルノブイリのような事故は起こり得ないと繰り返し説明し、私を含めて大半の日本人は、日本の原発を世界一安全と信じ込んだのである。そんな安全神話が生まれた正確な過程はいまとなっては判然としないが、私たちの思考停止が、繁栄を謳歌(おうか)していた社会の空気と軌を一にしていたのは確かである。

 


(当ブログによる解説)

 上記の「私たちの思考停止」について解説します。

 「思考停止」は、最近の「日本人論」・「日本社会論」のキーワードになっています。

 私は、最近の日本人を見ていると、「思考停止」と言うよりは、最初から思考力が欠如しているのではないか、内面は幼児のまま、少しも成長していないのではないかと思います。


 が、とにかく、有力な論者達は「思考停止」というキーワードを多用しています。

 高村氏は、「思考停止」の実態について、以下のように皮肉を籠めて説明しています。

 哀しみを感じてしまうような実態です。

 

「現在の自分の生活がひっくり返るような大事は起こらないという根拠のない楽観と、仮にそうでなくとも運を天にまかせるほかない無為の間で、私たち日本人は今日も浮遊し続けている」

(「この夏に死んだ言葉」高村薫『作家的覚書』)

 

 

作家的覚書 (岩波新書)

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(「原発と人間の限界」本文)

 もっとも、少し注意深く新聞を読んでいれば、定期検査での不正やデータ改ざん、ときどき発生する配管破断などの事故、地震による緊急停止など、「世界一安全」の内実に不安を覚える出来事がなかったわけではない。そこには、使う以上の燃料を生みだすとうたわれた高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故や、93年の着工から一度も本格稼働していない青森県六ケ所村の核燃料再処理工場など、そもそも確かな技術的裏付けがあったのか、根本的な疑問が生じる事例も含まれる。

 原発は、設計・建設から運転まで、ある意味究極のアナログである。機械や列車と同じく人間がプログラムを組み、構造計算をし、データを検証し、一つ一つ点検・確認をして動かしてゆくのである。しかし人間がこの巨大なシステムを構築したとき、密閉された容器のなかで起きる核分裂反応や、それに伴ってシステムの随所で間断なく発生する物理的・化学的反応のすべてを計算できたはずもない。「もんじゅ」の場合も、ヒューマンエラー以前に、高速中性子や液体金属ナトリウムの物理的振る舞いなど、技術者たちはそもそもいまだ完全に理解できていない世界に手を出したのではないのか。

 

 

(当ブログによる解説)

 上記の「技術者たちはそもそもいまだ完全に理解できていない世界に手を出したのではないのか」の部分は、衝撃的な指摘であり、冷徹な科学批判と言えます。

 一般人、マスコミには、このような視点は予想外でしょう。

 一般人、マスコミは科学技術者を盲目的に信頼しきっているからです。

 よく考えてみれば、そのような信頼は、根拠のない信仰にすぎないのです。

 この点について、高村氏は、傑作サスペンス、科学系犯罪小説とも言うべき『神の火』の中で、以下のように記述しています。

 

「  すべての科学技術は本来、その運用に当たって完全という言葉は使えない人間の所産に過ぎないが、いったん壊れたが最後、周辺地域が死滅するような技術の恩恵を、人間はどれほど受けてきたというのか。原子力は、人間にどれほど必要な代物だったというのか、そう思い至ると、島田は回復不能の懐疑の闇に陥った。」(『神の火』高村薫)

 

 

神の火(上) (新潮文庫)

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神の火(下) (新潮文庫)

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(「原発と人間の限界」本文)

 平成の日本で、原発は当否以前の無関心にのみ込まれて日常の一部になった。そして2011年3月11日、東日本大震災が起きる。

 被災地でまさに生死のはざまに投げ込まれた数万、数十万の人びとと違い、私のように遠く離れたところからテレビ中継を見つめることしかできなかった者にとっても、福島第一原発が刻々と崩壊してゆく時間は、一生消えない衝撃をこの心身に刻んだ。

 このとき私たちはそれぞれ多くのことを考えたが、とくにこの地震国で原発を利用することの無謀は間違いなく私たちの心身に刻み込まれたはずである。個々に価値観は違っても、事故直後に半径20キロ以内のすべての住民が、取るものも取りあえず退避させられた現地の映像を一目でも見たなら、人間の営みが消された風景の残酷さに悄然(しょうぜん)としないはずはない。廃虚と化した4基の原子炉と人間の消えた大地は、まさに「原子力の平和利用」の幻想の下から現れた極北の現実だと言ってよい。

 


(当ブログによる解説)

 上記の

「人間の営みが消された風景の残酷さ」、

「人間の消えた大地」、

に関しては、「離郷」というキーワードがあります。

 「離郷」は、人類、各民族、各個人に関する歴史的、社会的なキーワードと言えます。

 最近でも、東日本大震災、福島原発事故において発生した切実で悲惨な現象です。

 「離郷」については、高村氏の「日本の未来 地に足をつけて」(『朝日新聞』2013年7月5日)という題名の本質的な論考が思い起こされます。

 以下に、その論考の重要部分引用します。

 

「  住み慣れた土地への思いはけっして無条件の愛着だけで語れるものではなく、個々の暮らしの諸条件によって、複雑かつ多様になるということである。東日本大震災を目の当たりにしたせいだろうか。最近、故郷を去る人のことをよく考える。地方の山間に広がる限界集落で、自身の病気や身体的な不自由により、ついに自発的に土地を捨てる決心をする人びと。

 チェルノブイリや福島のように、原発の重大事故で強制的に故郷を追われる人びと。選択の余地もなく故郷を追われるのは、内戦状態のシリアや、ソマリアや南北スーダンなどの難民もそうだろう。限界集落も土砂災害も、原発事故も戦争も、みな人間の営みの過剰と欲望の物語であるが、同時に個人の意思の及びがたい共同体全体の物語でもあり、それゆえ、どんな離郷も深い無念の光景となる。人が離郷で失うのは、馴(な)れ親しんだ暮らしだけではない。最大の喪失は、土地の匂いといった己が身体に根ざしたアイデンティティーである。」

(「日本の未来 地に足をつけて」高村薫『朝日新聞』2013年7月5日)

 

 東日本大震災、福島原発事故において発生した「不意の強制的な離郷」、すなわち、「日常生活の不意の崩壊」ということの重大性について、一般の人々も、国も、もう少し想像力を働かせるべきでしょう。

 そうすれば、避難者達の継続的で安定した生活を軽視して、膨大な予算を必要とする東京オリンピックを開催するという政策が実行される訳がないのです。

 

 

 

(「原発と人間の限界」本文)

 事故から8年経ったいまも汚染水の漏出は止まらず、原子炉の底から溶け落ちた核燃料はその姿をやっとカメラで確認した段階であって、取り出し作業の見通しも立っていないが、これは「想定外」の結果とは言えない。60年代に原発建設が始まったとき、国は20世紀末までに廃炉技術を確立すると約束したのだが、それがいまだ果たされていないのは、端的に技術的に困難だということだろう。小惑星に探査機を着陸させることはできても、高レベルの放射能に汚染された原子炉内で活動できるロボットさえ十分に実用化できないのは、原子力を前にした人間の、これが現時点での能力の限界ということなのだ。

 

 

(当ブログによる解説)

 上記の「想定外」「能力の限界」については、高村氏は、「科学技術のモラルの問題」の視点から、以下のようにも述べています。

 すなわち、「想定外」、「能力の限界」と言って済ますのではなく、「科学技術のモラルの問題」として、科学者達を厳しく糾弾するべきであると主張しているのです。

 「科学技術のモラルの問題」については、2017年、2018年の東大入試の国語問題、2017年センター試験国語第1問としても出題されている重要論点です。

 

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

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【福島原発事故についての、高村薫氏のインタビュー】

「(高村薫)「「想定外」という言葉が使われましたけれども、今回の場合にはそもそも想定しなければならないことが想定されていなかった、という意味では「人間のやることに限界がある」という以前の話で「問題外」の事態だったと思う。「これで大丈夫だろうか」というその想定をするときに、非常に恣意的に、自分たちの都合のいいように作ってきたと思います。だからこれは、科学技術のモラルの問題だと思います。」

(「この国と原発事故」高村薫『NHKインタビュー』2011年5月3日)

 

 

 

(「原発と人間の限界」本文)

 さて、福島第一原発の事故は、世界の原発利用に一定のブレーキをかけたと同時に、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの普及を大きく加速させた。では、当の日本はどうだったか。たとえば国のエネルギー基本計画を見てみよう。そこに定められた2030年度の電源構成は、再生可能エネルギーが22~24%、原子力が20~22%となっているが、原発の新規制基準に伴うコスト増や、40年を超えた原発の延命の困難などを考えると、原子力の比率の20%超という数字はおよそ現実味がない。一方、再エネの比率のほうは、2040年に全世界の発電量の40%に達するという国際エネルギー機関(IEA)の予測に比べて、明らかに低すぎる。

 これはもはや科学技術の問題ではなく、経済の話ですらない。電力会社を頂点とする産業界と、永田町と霞が関の利害がいまなお不可分であり続けていることの帰結であり、三者がそれぞれ変革から逃げてもたれあった末の、成算のないなし崩しに過ぎない。そして国民もまた、長引く景気低迷と生活の厳しさに埋もれ、再び無関心にのみ込まれていまに至っているのである。

 

 

(当ブログによる解説)

上記の、

「国民もまた、長引く景気低迷と生活の厳しさに埋もれ、再び無関心にのみ込まれていまに至っている」の部分も、日本人の幼児性、あるいは、「抽象的思考」ができない愚かさを指摘しています。

 日本人が「抽象的思考」ができない点については、高村氏は、これまでにも何度か、主張しているようです。

 以下の論考は、大部分の日本人には、耳の痛い内容になっています。

「  私たちはいつのころからか、生命や社会や人生について抽象的な思考をしなくなったのではないだろうか。「人間とは」と言いだすだけで「ドン引き」されるいまの時代、もてはやされるのは日常の小さな仕合わせや、ささやかな暮らしの風景や、心温まる小さな生きものたちの物語などである。

 そこでは、人間の一生は日々の暮らしの送り方や、手づくりのご飯や、食卓に生けた一輪の花などに還元される。もっと言えば、個々人の生活感覚や価値観へと矮小(わいしょう)化される。

 それはそれで人間が生きることの一面ではあるし、軽んじていいとも思わないが、それだけで事足りるかと言えば、そうではないだろうと思うのだ。たとえば、「人間とは」を考える言葉が失われたところでは、「人間らしさ」を考えることもできない。「人間らしさ」を考えることができないところでは、貧困や難民について深く考えることもできない。こうして多くの深刻な問題が、私たちの関心の外に放り出されているのである。

 今日、私たちはネットを通して自分に必要な情報を必要なだけ入手するようになった。そうして個々に興味のある情報だけを効率的に収集することで、個人や仲間内の関心事だけで満たされた快適な暮らしが出来上がるが、それは抽象的な思考や公共への関心とは無縁の暮らしと言える。

 もっとも、社会や他者への無関心と引き換えに、足もとの小さな仕合わせがやたらにクローズアップされる今日の風潮は、私たちの隠れた不安を映しているのかもしれない。老いも若きも、明るい未来を思い描くことができないゆえの、足もとの仕合わせ探しかもしれない。かくして「生きるとは」「人間とは」などと哲学するより、猫でも眺めて癒やされたいというのがいまの時代であれば、なるほど、小説が売れないはずである。」

(「抽象的な思考はどこへ」高村薫『毎日新聞』2016年3月13日)

 


 「社会や他者への無関心と引き換えに、足もとの小さな仕合わせがやたらにクローズアップされる今日の風潮」は、確かに、その通りでしょう。

 この「風潮」が、「明るい未来を思い描くことができないゆえの、足もとの仕合わせ探し」であることも、卓見と言えます。

 だからこそ、「猫でも眺めて」、一時的にでも「癒やされたい」と思うのでしょうか。

 

 高村氏は、日本人に蔓延している「思考停止」を、歯がゆく思っていることは間違いないでしょう。

 小説『神の火』の中でも、登場人物に次のように語らせています。


「敗戦のとき、私はこれで新しい日本国が出来るぞと小躍りしたもんだ。

 ところが、五年待って十年待って、あれれだ。国民主権というが、国民の選んだ政治家が、外国から金貰って言うなりになっている国がどこにある。

 日本人が自分の国と意識するに足る主権を持ってこなかったのは、全部日本人の責任だ。自分で考えず、自腹を切らず、責任も取らず、自分の懐だけ肥やすような国民に、自分の国が持てるはずがない。」

(『神の火』高村薫)

 

 『作家的覚書』の中でも、高村氏は、政治的、社会的な重要問題よりも、オリンピックの方が大切と認識している、日本人のバカバカしさを、以下のように嘆いているのです。

 オリンピックは、たとえ国際親善に寄与するとしても、本質は単なる大人の運動会、しかも膨大な費用のかかる大会にすぎないはずです。


「  今夏は、広島・長崎の原爆の日や終戦記念日と、4年に一度のオリンピックの開催時期が重なったために、例年に比べて戦争を振り返る機会が少なかったように思う。連日の日本選手の活躍に沸くオリンピックのニュースの隣では、復興の進まない熊本地震の被災地の現状や、沖縄県東村高江のヘリパッド建設、北朝鮮のミサイル発射、尖閣列島の実効支配を狙う中国戦艦の領海侵犯などが伝えられていた。

 この間、大きく扱われた唯一の例外は、生前退位の意向を強くにじませた天皇のお気持ち表明だったが、皇位継承問題だけでなく、象徴天皇のあり方にまで影響が及びかねない大問題にもかかわらず、これも結局オリンピックの喧噪に押し流されてしまい、国民が深刻に受け止めた様子はない。」

(「お祭りのあと」高村薫『作家的覚書』)

 

 


(「原発と人間の限界」本文)

 とまれ、日本がこうして非常識な数字を並べている間に、世界では自然エネルギーへの投資と技術革新が飛躍的に進み、そのコストはすでに原子力の4分の1にまで下がっているとするデータもある。エネルギー分野で完全に世界の流れに乗り遅れた日本の現状は、いまや人工知能(AI)や次世代通信5Gの技術が席巻する世界に日本企業の姿がないことと二重写しになる。

 この顚末(てんまつ)は、ひとえに日本人の選択と投資の失敗の結果ではあるが、原子力の利用をめぐる不条理は日本だけの問題ではない。戦後、日本は広島と長崎の直接体験が重しとなって核兵器の保有には踏み出さなかったが、世界では核実験が地下にもぐり、さらにはコンピューター上のシミュレーションで間に合うようになって核の保有が拡大していった。現在、世界じゅうに1万4千発もある核弾頭や443基に上る原発は、原子力が人間の身体性を伴わなくなったことの帰結でもある。

 令和となったいま、その原子力を押しのけて、AIや5Gが人間の文明の頂点に君臨する。人間は日夜、モノとインターネットがつながったIoTやクラウドサービスを通してビッグデータと結びつき、世界じゅうどこにいても、スマホ一台で生活のほとんどすべてのニーズが瞬時に解決する。そして、世界を覆いつくすそのサイバー空間の外に、人類がついに満足に制御することのできなかったアナログの原発と、行き場のない核のごみが取り残されているのである。これが今日私たちのたどり着いた地平である。

 巨大地震が明日起きてもおかしくないこの地震国で、あえて法外なコストをかけて原発を稼働させ続ける人間の営みは、理性では説明がつかない。次に起きる過酷事故は確実に亡国の事態に直結するが、人間は最後まで自らに都合の悪い事実は見ない。冒頭に述べた世界の原発事情も、核兵器の拡散も地球温暖化も、そういう人間の不条理な本態と、度し難い欲望の写し絵であり、それだけのことだということもできる。

 

 

(当ブログによる解説)

 度し難い「人間の欲望」の恐ろしさについて、高村氏は、最近のインタビューの中で、以下のように述べています。

「 小説『神の火』は、原子力をめぐるスパイの話です。

 私のように20世紀の真ん中に生まれた人間には、科学技術に対する信奉がありました。1970年の大阪万博のように、新しい技術の発展や、ひたすら明るい未来にあこがれていたんですね。もともと私は文学少女というよりは理系なんです。中でも原子力は、原爆の恐ろしさはあっても、平和利用という条件付きで「希望の火」でした。

 86年、当時のソ連でチェルノブイリ原発事故が起きました。遠い社会主義国で起きたことで、関西に暮らす私のところまで被害は及ばないし、日本の原発は何重にも防護されているから大丈夫だと信じていました。

 90年ごろになって、北朝鮮がウランの濃縮や核兵器の開発をしているという話が出始めました。子どものころ、日本海側に海水浴に行くと、「不審船を見たら通報」という看板が立つなど北朝鮮は身近な脅威でした。そこに関西電力の美浜原発とか、高浜原発とか「原発銀座」の建物が並んでいるのは大丈夫なのかと思い始めました。

 危機感がはっきりとした形になったのが91年の湾岸戦争。米軍がイラクで厚さ5メートルの地下壕の壁を貫く爆弾を撃ち込んだと新聞で読み、わっと思いました。この爆弾だと原発の建屋に穴があくんじゃないかと。日本海をミサイルが飛び交うようになったら、日本の原発はあっという間に破壊されます。そうしたら日本は壊滅です。原子力の技術者たちがどんなに優秀で、多重防護のシステムがきちんと機能しても、戦争が起きたら終わりでしょう。それで、『神の火』を書いたんです。

 その後、原発の検査漏れやデータの改ざんといった不祥事が出てきました。東日本大震災で起きた東京電力福島第一原発の事故は、安全に対する意識の低さを物語るものです。

 以前、ある不祥事を起こした組織の人たちの説明を聞いたことがあります。これぐらいの検査はしなくても安全に影響はないから、しなかったんだと。専門家が考える安全と、私たち一般の人が考える安全が違うということを痛感しました。ギリシャ神話のプロメテウスが神の火を盗んだときの奢(おご)りを人間も持っているのでしょうか。

 いまの世の中は、自ら手がけた科学技術が、制御できないかもしれないと思いながらも使う方向に突き進んでいます。遺伝子操作や人工知能もそうでしょう。欲望が止められないからです。科学技術は人間に大きな利益をもたらしましたが、同時に破滅させるような負の遺産も残したと思います。本当に恐ろしいのは、人間の欲望なのかも知れません。

(インタビュー・欲望(リレーおぴにおん)火のいざない 2 「『原子の火』 怖いのは人の欲」 高村薫『朝日新聞』2018年12月5日)

 

 「欲望」については、高村氏の「『私』消え、止まらぬ連鎖」が必読です。

 この論考は、2007年の早稲田大学・文化構想学部入試の国語問題にも出題されました。

 また、高校の一部の、ハイレベルの教科書にも採用されているようです。

 以下に、私のこのブログで解説した、2007年の早稲田大学・文化構想学部入試の国語問題を引用しておきます。

 

【「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫/2007早稲田大学・文化構想学部の問題】

 なお、解答・解説については、以下の記事を参照してください。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

(概要です)

(【1】【2】【3】・・・・は当ブログで付加した段落番号です)

 

「【1】食べる。寝る。愛する。排泄(はいせつ)する。そのつど、ただこの身体から湧(わ)きだし、自らを駆り立てる生命の営みを、わざわざ欲望と名付け、「私」という主語を与えているのは人間だけである。しかも、所有や支配の欲望になると、とたんに話は複雑になる。

【2】持ち家がほしい。名声がほしい。力がほしい。そういう「私」は、はたしてどこまで「私」であるか。たとえば〔 A 〕を惜しんで株に熱中する「私」を、「私」はどこまで「私」だと知っているか。人間の欲望について考えるとき、A まずはそう問わなければならないような世界に私たちは生きている。〔 イ 〕

【3】たとえば、ある欲望をもったとき、私たちはそれをかなえようとする。その段階で、私たちはなにがしかの手段に訴えねばならず、そのために対外的な意味や目的への、欲望の読み替えが行われる。健康のため。家族のため。生活の必要のため、などなど。こうした読み替えは、すなわち欲望の外部化であり、欲望は、この高度な消費社会では「私」から離れて、つくられるものになってゆく。

【4】そこでは名声や幸福といった抽象的な欲望さえ、目と耳に訴える情報に外部化され、置換されるのが普遍的な光景である。たとえば、家がほしい「私」は、ぴかぴかの空間や家族の笑顔の映像に置換された新築マンションの広告に見入る。そこにいるのはうつくしい映像情報に見入る「私」であり、家族の笑顔を脳に定着させる「私」であって、たんに家がほしい漠とした「私」はずっと後ろに退いている。代わりに、家族の笑顔を見たい「私」が前面に現れ、それは映像のなかの新築マンションと結びついて、欲望は具体的なかたちになるわけである。〔 ロ 〕

【5】けれども、こうしてかたちになった欲望は、ほんとうに「私」の欲望か。「私」はたしかに家がほしかったのだけれども、その欲望は正しくこういうかたちをしていたのか。仮に、確かに家族の笑顔を見たいがために家がほしかったのだとしても、家という欲望と、家族の笑顔という欲望は本来別ものであり、これを一つにしたのは「私」ではない、〔 B  〕である。

【6】このように、消費者と名付けられたときから「私」は誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている。そこでは「私」は覆い隠され、ただ大量の情報に目と耳を奪われて思考を停止した、「私」ではない何者かが闊歩(かっぽ)している。〔 ハ 〕

【7】こうして、欲望から「私」が消え、おおよそ政治の権力闘争から一般の消費生活まで、欲望のための欲望と化して、現代社会はある。欲望は「私」の外部で回転し、「私」を駆り立てる。そこに明確な主体はおらず、従って欲望を止めるものはいない。〔 ニ 〕

【8】ところで〔 ① 〕の世界では、欲望のサイクルも〔 ② 〕になるはずだが、実際はあたかも〔 ③ 〕であるかのように回転し続け、そこここで、さまざまな悲喜劇を引き起こす。欲望は必ずしもかなえられないばかりか、ときには実質的な損害になって返ってくる。そのとき、これがサイクルであるがために悪者はすっきり定まらず、定まらないがために悪者探しは逆に苛烈になる。〔 ホ 〕

【9】「私」の欲望であれば、失意も損失も「私」が引き受けることで収まりがつくが、「私」の消えた現代の欲望は、始まりも終わりもない。破綻(はたん)したら破綻したで、ともかく悪者を探して社会的な辻褄(つじつま)を合わせるだけである。一方、〔 C 〕の「私」はどこまでも無垢(むく)(→「①潔白で純真なこと②金・銀などの金属が、まじりけのないこと」という意味。今回は①の意味)に留まるのだが、「私」が無垢でないことは、「私」が知っている。」

( 高村  薫 「『私』消え、止まらぬ連鎖 情報に支配され『消費者』に」 )(朝日新聞・2006年1月5日・夕刊4面・文化欄「新・欲望論2」)

 

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(問題)

問1  空欄 A・Bに入る最も適当な語をそれぞれ次の中から選べ。

A  イ 名声  ロ 寸暇  ハ 身命  ニ 財貨  ホ 労力

B  イ 欲望  ロ 消費  ハ 笑顔  ニ 幸福  ホ 広告

 

 問2  傍線部A「そう問わなければならないような世界」を説明している最も適当なものを次の中から選べ。

イ   「私」自身の欲望が消費を形成する世界

ロ   「私」自身の欲望が所有の主体となる世界

ハ   「私」自身の欲望が行動の基準となる世界

ニ   「私」自身の欲望が自己を隠蔽(いんぺい)する世界

ホ   「私」自身の欲望が家族の幸福となる世界 

 

問3  文章中の空欄①・②・③に入る語句の最も適当な組み合わせを次の中から選べ。

イ   ① 有限  ② 有限  ③ 無限

ロ   ① 有限  ② 無限  ③ 有限

ハ   ① 有限  ② 無限  ③ 有限

ニ   ① 無限  ② 無限  ③ 有限

ホ   ① 無限  ② 有限  ③ 無限

ヘ   ① 無限  ② 有限  ③ 有限

 

問4  次の文は、本文中に入るべきものである。空欄・イ~ホから最も適当な箇所を選べ。

個々の欲望の当否は、ほとんど損得に置き換えられ、損得もまた外部化されて新たな欲望になるだけである。

 

問5  文章中の〔 C 〕に入る最も適当な語句を次の中から選べ。

イ   自らを駆り立てる「私」

ロ   消費者という名の「私」

ハ   明確な主体としての「私」

ニ   損害を引き受ける「私」

ホ   悪者と断定された「私」

 

問6  本文の内容と合致するものを次の中から一つ選べ。

イ   「私」の欲望は映像情報によって外部化され、欲望の主体を明確で形ある具体的なものにしている。

ロ   私の欲望は常に政治権力に支配されており、欲望のあり方も国家により巧みに管理されている。

ハ   私の欲望は経済力によって左右され、損得勘定が重視されるのが現代社会の特徴となっている。

ニ   私の欲望は情報のグローバル化によって均質化し、効率性を追求する現代社会に順応している。

ホ   私の欲望は消え止まることなく連鎖を続け、いつの間にか、消費者は情報に支配されてしまう。

 

 

(「原発と人間の限界」本文)

 仮に破滅的な事故を免れても、そう遠くない将来、使用済み核燃料の一時保管すらできなくなり、廃炉の技術も費用も十分に確保できないまま、次々に耐用年数を超えた原発が各地に放置されることになるだろう。この途方もない負の遺産を、AIが片付けてくれることはない。片付ける意思をもつことができるのは人間だけだが、果たして身体性を失った人間にそんな意思がもてるだろうか。

(「原発と人間の限界」高村薫『朝日新聞』2019年6月28日)

 

 

(当ブログによる解説)

 「身体性を失った人間」とは、「自分の現実感覚を自覚できない人間」という意味です。

 あるいは、「現実感覚の価値を軽視して、理念に振り回されているロボット的人間」という意味でしょう。

 「近代化」のなれの果てに、このような歪んだ人間が大量に発生しているのです。

 このような歪んだ人間には、人間的な想像力が欠如している場合が多いのです。

 この点について、高村氏は以下のように述べています。

 

「  思うに、この現代の社会ではわたくしたちが働かせる想像力の大半は、知識と情報の織物であって、そこに身体の実感が伴わない場合が多いものだ。

 現実と虚構がいつでも入れ替わり得る意識の前で、絶対の現実である身体が消えてしまった結果、イメージだけがどこまでも一人歩きするというのは、たとえば経済がそうである。

 またたとえば、核兵器はもちろんのこと毒ガスや生物兵器や対人地雷を今なお戦略的に有効と考えている人たちは、刃物で人を傷つけるときの感触を知らないに違いないし、さぞかし人間の死に対する実感は希薄なのだろうと考えられる。」

(『半眼訥訥』高村薫)

 

 

半眼訥訥 (文春文庫)

半眼訥訥 (文春文庫)

 

 

 

 「現実感覚の喪失」については、『作家的覚書』の中に秀逸な論考があるので、以下に紹介します。タイトルは、「2016年のヒロシマ」です。

 

 高村氏は、「オバマ米大統領の広島訪問を、私にはひどく不思議に感じられた」と述べ、以下のように続けています。

 

「  一日本人として、大きな違和感とともに、「なぜ」と自問せずにはいられなかった。なぜ、あの日広島には怒りの声一つなかったのか。なぜ、誰ひとりとしてアメリカの原爆投下を非難しなかったのか。

 戦時下とはいえ一般市民が史上初の原子爆弾の実験台にされ、想像を絶する地獄絵図を味あわされたことの怒りと恨みは、戦後の平和の下で行き場を失っただけで、けっして消え去ってはいない。そう思い込んできた私にとって、抗議行動どころか、歓迎ムード一色だったオバマ氏の広島訪問は、いろいろな意味で戦後の日本人の在り方への思いを揺るがすものとなった。

 ヒロシマ・ナガサキは核兵器の悲劇のシンボルとなる一方、苦しみの主体だった被爆者たちと日本人の怒りは漂白され、核兵器廃絶の理想を語る言葉だけが踊る。

 核のボタンを持参して平和公園に立ったオバマ氏と、怒りを失った被爆地の姿が、くしくも核兵器に溢れた世界の現実を表している。」

(「2016年のヒロシマ」高村薫『作家的覚書』)

 


 上記は、「戦時下とはいえ一般市民が史上初の原子爆弾の実験台にされ、想像を絶する地獄絵図を味あわされたことの怒りと恨み」が、「核兵器廃絶」という「概念」の世界に宙づりにされ、現実感覚から喪失してしまった不思議さを、指摘しているのでしょう。

 なぜ、「怒りと恨み」を持ち続けることができないのでしょうか?

 あるいは、「自分の現実感覚」を自覚できないのでしょうか?

 全く不思議なことと言わざるを得ません。

 

 とは言っても、高村氏は、『作家的覚書』の中で希望の言葉も述べています。

 以下に、私が感銘した一節を引用します。


「  情緒と欲望の低劣な言葉が、政治や社会を席巻する。私たちはいま、どういう時代に生きているのか。考えなくてはいけない。」

「「これはいったいどういう時代なのだ」と、言葉を失って立ちすくんだ瞬間、人は同時に言葉を探し始めるのです。そうしてあれこれ言葉を探しているとき、私たちはすでに未来ヘの意思をもっているのだと思います。諦めないでおきましょう。」

(『作家的覚書』高村薫)

 

 どんな絶望的な状況においても、「諦めない」ことが大切なのでしょう。

 諦めれば、それで終わりなのですから。

 

 

 

(3)当ブログにおける「高村薫」関連記事の紹介

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

ーーーーーーーー

  

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1ヶ月後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

   

 

 

gensairyu.hatenablog.com

  

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想問題/「平成と日本人」山崎正和《地球を読む》『読売新聞』

(1)なぜ、この論考に注目したのか?

 

 

 山崎正和氏は、長期的にトップレベルの入試頻出著者です。

 今回の論考も、「公共意識」の視点からの本質的考察で素晴らしいと思います。

 難関大学の現代文(国語)・小論文の入試問題作成者も注目すると思われます。


 しかも、『読売新聞』の「地球を読む」シリーズからは、難関大学の現代文(国語)・小論文に、よく出題されるので、要注意なのです。

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

 

(2)予想問題/「平成と日本人」山崎正和(『読売新聞』2019年2月24日《地球を読む》)/日本における「公共の観念」
 

(3)「山崎正和さんが語る『平成』 日本は初めて文化国家になった」(『産經新聞』2019年3月19日)について
/定常型社会と文化国家の関係

 

(4)「公共の精神」の重要性について

 

(5)「日本の戦後60年 市民宗教 繁栄の礎」 山崎正和(『読売新聞』《地球を読む》2005年7月31日)について/「常識的倫理観」・「市民宗教」

 

(6)「地方分権 文化と誇りを取り戻そう」山崎正和(『読売新聞』《地球を読む》2010年3月21日)について/「地方の振興」と「文化力」の関係

 

 

(2)予想問題/「平成と日本人」山崎正和(『読売新聞』2019年2月24日《地球を読む》)/日本における「公共の観念」


 

(「平成と日本人」は太字になっています)

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

  

(「平成と日本人」山崎正和)

 平成の30年は二つの歴史的な激動期の終焉とともに始まった。

 一つは武力とイデオロギーを懸けた東西対立の解消である。

 日本では戦後国内を左右した政治と思想の対立が一挙の基盤を失った。

 もう一つは明治に始まり敗戦復興時に加速され60年代に頂点を極めた産業の飛躍が終わろうとした時である。

 平成がこの終焉とともに始まったことは重要であって、日本人は一見、この時代を消極的に生き始めたように見えた。

 他方、平成の30年は自然災害と経済低迷によって、いわば両手打ちを食らって手荒く始まった。災害と経済には似たところがあって、どちらも人為の力で対処できない面がある。人が自分の生き方を変え、環境と運命に適合していく知恵が必要になるのである。

 その点、平成の日本人は災害について素晴らしい反応を見せた。阪神淡路、東日本、熊本などの大震災、中国地方の水害を含めて、平成の災害では全国規模の市民の自発的支援活動が一般化した。全国規模の、市民の自発的支援活動が一般化して、年齢や階層を問わぬ市民が、私費で参加し、それを組織する専門家の民間活動団体(NGO)も結成された。年齢や階層を問わぬ市民が私費で参加し、それを周旋、組織する専門家の民間活動団体(NPO)も結成された。明治以来の近代社会の中で、血縁地縁によらない相互扶助が習慣化したのは最初ではないだろうか。

 これに対して経済の方は、不況、低成長を長らく嘆かれながら、それにしてはよく安定しているというのが、庶民の実感だと言えそうである。失業者数も少なく、倒産社数も突出せず、住宅や高額商品のローン負債者の群れも目立たない。何と言っても、アメリカや中国のような所得格差の天文学的な開きは日本には認められないのである。

 明らかに経済の面でも、日本人は平成の直前頃から生き方を変え、大量生産、効率主義からの自発的な転換を図っていた。物質の消費よりは情報の享受に関心を持ち、趣味、観光、スポーツなど、文化活動により多くの時間を費やす傾向を強めてきた。

 


(当ブログによる解説)

上記の

「  明らかに経済の面でも、日本人は平成の直前頃から生き方を変え、大量生産、効率主義からの自発的な転換を図っていた。物質の消費よりは情報の享受に関心を持ち、趣味、観光、スポーツなど、文化活動により多くの時間を費やす傾向を強めてきた」

の部分については、山崎氏のインタビューがあるので、以下に引用します。

 「日本人のライフスタイルの変化」が論点になっています。


「表現する自我、さらに進んだ 『柔らかい個人主義の誕生』」(山崎正和『朝日新聞』2016年9月28日)からの引用です。


 「1970年代から80年代にかけて、産業構造が変わり、人間の生き方や考え方も変わっていく。この本でそう主張しましたが、大筋は書いた通りになり、威張るつもりはないけれど、うれしく思っています。

 本の端緒になったのは、時代の変化でした。洋服の有名ブランドや美容院が人気を集めるようになった。カラオケも流行しはじめた。自分を見せる、聞かせるという「自己表現」の欲望に人々が目覚めていったんですね。

 私はこれを「表現する自我」という概念で説明しました。それは、近代に西欧から流入してきた「自我」とは逆です。「自我」は欲望の主体であって、他人の持ち分を奪い、他人を手段として使って、自分を大きくしようとする。資本家が労働者を使って資本を増やすように。

 「表現する自我」は尊敬できる他人を必要とします。化粧し、着飾った女性は、自らの姿を同性の美女か気に入った異性に見せたいと思うもの。猫に見せても意味がない。猫には評価する能力がないから。

 それから、もう一つ、私が考えたのが「時間消費」という概念です。当時、外食産業やホテル、旅行業者が人気を集めていました。旅行は風光明媚な景勝の地に長く滞在し、外食はごちそうを味わって時間をかけて食べることを楽しむ。

 今の若い人は自動車を買わないといいます。代わりに何をやっているか。たとえば「ポケモンGO」。時間を消費しているんですね。

 かつて「消費」といわれていた多くの部分は、実は「生産」なんじゃないかと私は考えました。例えば、握り飯を食べるのは、ごはんをエネルギーに換え、再び働けるようにする。労働力の再生産なんです。

 マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で書いたようにプロテスタントたちは神のために時間を無駄にせず懸命に富を増やした。社交なんてとんでもない。クリスマスまで否定したんですね。

 だが、それから時が過ぎ、私の友人でもあるダニエル・ベルがいうように「脱産業化社会」になった。そうした経済や社会の変化とともに人間の自我も変化する、と私は考えました。

 時間消費を楽しみ、自己表現する自我の登場です。それは、かつての産業社会の硬い個人主義とは区別される「柔らかい個人主義」なんですね。他人に自らを表現し、時間を消費して社交を楽しむんですね。」

(「表現する自我、さらに進んだ 『柔らかい個人主義の誕生』」 山崎正和『朝日新聞』2016年9月28日)

 

 山崎氏は、昭和後半期(1960年代)が、「大量生産大量消費型」の高度経済成長時代とすると、70年代から80年代の日本は「多品種少量生産型」と規定できると言っています。

 つまり、「物」ではなく、「ソフト」や「サービス」に、消費するようになっていったと言っているのです。

 そして、平成時代には、この消費傾向が加速していった、と分析しているのです。


 上記の山崎氏のインタビューで述べられている『柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学』 (山崎正和)の中から、ポイントとなる重要部分を以下に引用しておきます。

 

「  皮肉なことに、日本は60年代に最大限国力を拡大し、まさにそのことゆえに、70年代にはいると国家として華麗に動く余地を失うことになった。そして、そのことの最大の意味は、国家が国民にとって面白い存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたえ、個人の人生を励ましてくれる劇的な存在ではなくなった、ということであった。」

 

「  確実なことは、人々は「誰かである人」として生きるために、広い社会のもっと多元的な場所を求め始める、ということであろう。それは、しばしば文化サーヴィスが商品として売買される場所でもあろうし、また、個人が相互にサーヴィスを提供しあう、一種のサロンやボランティア活動の集団でもあるだろう。当然ながら、多数の人間がなま身のサーヴィスを求めるとすれば、その提供者もまた多数が必要とされることになるのであって、結局、今後の社会にはさまざまなかたちの相互サーヴィス、あるいは、サーヴィスの交換のシステムが開発されねばなるまい。」

 

「  もし、このような場所が人生のなかでより重い意味を持ち、現実にひとびとがそれにより深くかかわることになるとすれば、期待されることは、一般に人間関係における表現というものの価値が見直される、ということである。すなわち、人間の自己とは与えられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在する、という考え方が社会の常識となるにほかならない。そしてまた、そういう常識に立って、多くのひとびとが表現のための訓練を身につければ、それはおそらく、従来の家庭や職場への帰属関係をも変化させることであろう。

 だが、これよりももっと大きな変化は、豊かな社会の実現が人間の基礎的な欲望を満足させるとともに、結果として、消費者自身にも自分が何かを求めながら、正確には何を欲しているかわからない、という心理状況をつくりだしたことであろう。

 ここで、われわれが予兆を見つつある変化は、ひと言でいえば、より柔らかで、小規模な単位からなる組織の台頭であり、言い換えれば、抽象的な組織のシステムよりも、個人の顔の見える人間関係が重視される社会の到来である。そして、将来、より多くの人々がこの柔らかな集団に帰属し、具体的な隣人の顔を見ながら生き始めた時、われわれは初めて、産業か時代の社会とは歴然と違う社会に住むことになろう。」

(『柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学』山崎正和)

 

 

柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

 

 

 

(「平成と日本人」山崎正和)

 平成の30年を見渡したとき、GDPを比較すると日本の国力が相対的に低下したことは疑いない。日米中の3国の動向を比較しても、そのことははっきりしている。GDP至上主義者は落胆するだろうが、その代わり、今日の日本には明治以来のいつの時代にもなかった、誇るべき国威が新しく芽生えているように思われてならない。

 ほかでもなく、日本人が、今風に言えば「生きざま」を変えて、生活の文化を磨き、他人への配慮を強め、社会関係の質を高めようとしてきたことの結実である。

 

 

(当ブログによる解説)

 上記の

「日本人が、今風に言えば「生きざま」を変えて、生活の文化を磨き、他人への配慮を強め、社会関係の質を高めようとしてきたことの結実である。」

の部分は、前述の「日本人のライフスタイルの変化」を、より具体化している記述です。

 

 なぜ、日本人は、「ライフスタイルの変化」を意識し始めたのでしょうか?

 この点について、山崎氏は、『柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学』 (中公文庫)の中で、以下のように述べています。

 

「  いわば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもない人(ノーボディー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、それがひとしなみに尊重され、しかし、ひとしなみにしか扱われない「誰でもよい人(エニボディー)」に変った、と言えるだろう。

 これに対して、今や多くの人々が自分を「誰かである人(サムボディー)」として主張し、それがまた現実に応えられる場所を備えた社会が生まれつつある、と言える。
 人々は「誰かである人」として生きるために、広い社会のもっと多元的な場所を求め始める、と言うことであろう。

(『柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学』山崎正和)

 


 
(「平成と日本人」山崎正和)

 テレビ番組の一節を紹介しておきたい。新しい平成の国威は静かに海を渡り、フランスのパリに影響を及ぼしているというのである。(平成30年9月24日NHK「とことんフランス! 深田恭子のジャポニズム2018」)

 最初は、近頃のパリジェンヌはラーメンをすすって食べるようになったという話題、魚の鮮度を保つ日本の「沖締め」の技術が広くフランスの漁師に習得され、パリの料理界において、魚の常識を一新したことを伝えられた。日本人として見ていて悪い気はしない。俄然緊張して乗り出したのは、三番目の話題であった。

 パリの街並みは壮麗だが、道路はお世辞にも清潔とは言えない。見かねた在住日本人たちが立ち上がり、自発的に清掃を始め出したというのである。パリ市民の反応は否定的で、清掃業者の職を奪うという反対の声すらあった。

 ことは他文化の批判につながりかねない心配があったわけだが、日本人の寡黙と愚直さが救いになったらしい。そろいのエプロンを用意して頑張っていたら、やがてフランス人が参加し始めた。今では彼ら自身の運動になり、清掃業者も喜んでいるという。

 この話を聞いて、私は胸に熱いものを禁じ得なかった。明治に輸入された「公共」の観念が、平成の終わりには身に付いた国民の習慣になり、今、かつての故郷に帰りつつあると実感したからである。

(「平成と日本人 激動期経て生き方に変化」山崎正和『読売新聞』《地球を読む》2019年2月24日)

 

 

(当ブログによる解説)

 上記の山崎氏の論考の最後は、

「  明治に輸入された「公共」の観念が、平成の終わりには身に付いた国民の習慣になり、今、かつての故郷に帰りつつあると実感したからである」

となっています。

 この点について、「山崎氏は近代以前の日本には『公共意識』は無かったと考えているのか」、と誤解することがあるかも知れません。 

 

 実は、山崎氏は、「近代以前の日本」と「公共意識」の関係について、以下のように考えているのです。

 

 山崎氏は、『不機嫌の時代』の中で、「日本の近代化=明治維新」における、日本人の「公共意識」の変容に注目しています。

 『不機嫌の時代』は、鷗外、漱石等の作品に共通している「ある感情」を分析することにより、「日本の近代化=明治維新」が個人の精神に、どのような影響をもたらしたかを考察した名著です。

 ここでの考察の対象は、時代を覆う「気分」であり、これを山崎氏は「不機嫌」と評価したのです。

 この時代における大きな変化は、「家」・「家業」・「家庭」に発生していたのです。

 かつて、「家」・「家業」・「家庭」は半ば公的な存在でした。

 「家」・「家業」・「家庭」は「公」の中に存在する「私」でしたが、その中に、ある種の「公」を内包していたのです。

 江戸後期の中産階級の家は、人的交流、地域社会の中核として機能していました。今で言えば、行政の小型の出張所のようなものでしょうか。

 そこでの「家」・「家業」・「家庭」は公的側面を持ち、主人と女房は「公=外部」を充分に意識して、「家業」を運営していたのです。

 しかし、明治維新以後の「近代化=西洋化」によってより、「家」・「家業」・「家庭」における公的側面は縮小され、女房の役割は限局的な人間関係に固定されてしまったのです。

 西洋の近代化は、教会の権威否定であり、各個人が神と直接的に対面することを目指しました。その過程で、個人の内部に「神」という一種の「公共」を設定したことにより、「公共」は、個人の内面にこそ存在することになるのでしょう。

 日本の近代化においては、西洋的な「神」を導入しなかったので、本来的に多元的存在の「公共」を国家的制度に限定し、様々な「公共」と関わりあいながら生きていた個人を強制的に儒教的体系に組み入れたのです。

 

 そして、日露戦争に奇跡的に勝利すると、明治政府は国民を動員させる具体的な目標を見出だせなくなってしまいます。

 その後に、曖昧な「不機嫌」が、時代の空気として、特にインテリ層に広く蔓延していくのです。

 それは、明治維新政府の強引な政策により、各個人が感じていた喪失感に起因しているのです。 

 
 以上のことを山崎正和氏は、『不機嫌の時代』の中で、冷静に分析しているのです。

 

 

不機嫌の時代 不機嫌からの精神史的考察 (講談社学術文庫)

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読売年鑑〈2019年版〉

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(3)「山崎正和さんが語る『平成』 日本は初めて文化国家になった」(『産經新聞』2019年3月19日)について
/定常型社会と文化国家の関係

 


 上記の「平成と日本人」の中で、山崎氏の思いの溢れている記述は、最終段落である以下の部分です。

「  この話を聞いて、私は胸に熱いものを禁じ得なかった。明治に輸入された「公共」の観念が、平成の終わりには身に付いた国民の習慣になり、今、かつての故郷に帰りつつあると実感したからである。

 

「  明治に輸入された「公共」の観念が、平成の終わりには身に付いた国民の習慣になった

ということは、山崎氏の価値観からすると、日本が「文化国家」になったということなのです。

 

 日本が「文化国家」になったということについては、山崎氏は、この論考以前にも、他の新聞(『産經新聞』2019年3月19日)で述べているので、以下に引用します。


「山崎正和さんが語る「平成」 日本は初めて文化国家になった」(『産經新聞』2019年3月19日)

「  日本人が非常に大きなことをしたのが、平成の時代です。たとえば、日本人がお互いを助け合った。神戸、東北、熊本で大地震が起こり、多くの水害もあった。そこで日本人は相互援助をやった。

 一般の人が、自分と関係のないところまで行って災害復旧の援助をやっている。それまでは、助け合うとしても地縁、血縁の中。それとは無関係に相互協力を始めたという意味で、日本史上の画期的な時代です。はじめて“国民”というものがうまれたのかもしれない。

 経済は確かに沈滞したけれど、その中で比較的、うまく生きている。失業者は少ないし、貧富の差もあまり開かなかった。政治的には揺れ動きましたけどね。でも日本はどの政党が天下をとっても壊れない。極端な政策や独裁政党は出ない。きわめて安定した国であることを証明したのです。

 そして、日本は初めての文化国家になっていきました。マンガの輸出に始まり、いろんな形で文化を輸出した。サッカーの試合では、日本の応援席だけ試合がすんだらきれいに掃除され、外国人がびっくり。日本人はごく普通にやっているだけですが。すると世界で一番公共心のある国民、となった。パリで在住日本人が道路を掃除しだしたら、パリの人が街を掃除するようになった。日本は文化文明を輸出できる国になりました。

 今の日本は、江戸時代に似ているでしょうね。江戸時代は西も東も、庶民自身が楽しむ文化を創った。国力が随分あったのに、あまり偉大なものを作ろうとも、外国に攻めていこうとも考えなかった。自ら好きなもの、愛するものを、楽しんでいればそれでいい。たとえばゴミが落ちていれば拾いたくなる、そういう感覚を大切にしていればいい時代です。

 日本は経済力で米国や中国と戦う国ではなくなるでしょう。環境と資源を大切にする国民です。これを大切にしてたら、そんなに経済は伸びない。俗に言う定常型社会、つまり成長がないまま、しかし安定する社会が実現できるかもしれない。国力が、力や金ではなく、品格とか文化とかに移っていくのではないか。それが私の見方です。」

(「山崎正和さんが語る『平成』 日本は初めて文化国家になった」『産經新聞』2019年3月19日)

 


(4)「公共の精神」の重要性について

 

 

 山崎正和氏は、最近の著書『社交する人間』の中で、人間が「人間らしく生きる場」としての「社交」の再評価の必要性、を強調しています。

 「社交」においてこそ、「公共の精神=規律」は不可欠と言えます。

 山崎氏は、『社交する人間』の中で、以下のように述べています。

 

「  社交とは、功利的な目的や心情にもとづく衝動から解放されて、穏やかな感情に包まれたり、集まることそれ自体が目的となって、相互に利用価値がなくなるという意味で平等になったりと、自由と調和の両立をもたらすものである。

 このような社交の起源は有史以前にさかのぼる。例えば、先史的な民族の慣習のなかには、共同感情のほかに、すでにより意識的な、いわばつくられた共感の形跡が見られる。その後、社交は「生産と分配の経済」、「贈与と交換の経済」の中でに、衰退、発展を繰り返していく。

 現代は、工業化の時代が過ぎ去り、ポスト産業化の時代へと移行しつつある。

 つまり、「生産と分配の経済」、「贈与と交換の経済」へと移行し、「人間が人間を相手に働く社会」へと変容している。

 このような時代の流れを背景に、古くて新しい人間関係が形成されてきている。

 それはすべての点で組織とは対蹠的な手段であり、明示的な規則もなく、ただ暗黙の慣習化された規制が支配する集団である。

 そこでは、個人の相互評価が集団をつくる絆となる。いいかえれば、忠誠心ではなくて名誉心によって、義務ではなくて友情によって結ばれている。つまり、社交的な人間関係が形成されてきているのである。

 一方で、現代社会は近代文明の複雑化、グローバル化によって「リスク社会」となり、その趨勢は覆すことができない。

 そのような社会において救済すべきことは、克服できないリスク社会の克服をめざすのではなく、それと並存しうる別種の社会を避難所とすべきである。

 それが、社交社会であり、具体的にはサービス交換の社会であり、あえて別の表現を加えるなら、契約社会に対立する信用社会である。

 もし、現代文明に正しく「第三の道」と呼べるものがあるとすれば、それは一方に茫漠たる地球社会、他方に国家や企業を含めた組織社会をひかえて、その両方に拮抗して、個人に心の居場所を与える、もう一つの人間関係でなければならないだろう。

(『社交する人間』山崎正和)

 

 

 

社交する人間―ホモ・ソシアビリス (中公文庫)

社交する人間―ホモ・ソシアビリス (中公文庫)

 

 

 


(当ブログによる解説)

 山崎氏の問題意識は、現代文明においては、「社交」、つまり、「信用社会」の、価値の再評価が重要ではないかということです。

 確かに、個人に心の居場所を与える、もう一つの人間関係としての「社交の場」は必要でしょう。

 現代文明が発達すればするほど、人間は労働力として、人材として、歯車として、労働生産性、専門性のみを評価されることが多くなるので、そこに圧迫感が強まるのは明白です。

 このような状況になれば、「人間として扱われる場」、人間が「人間らしく生きる場」としての「社交」の重要性が再評価されるべきなのです。 

 

 そして、そのような「社交の場」においては、「他者を思いやること」が「場」の基盤になるのでしょう。

 抽象的な他者を思いやる気持ちが、「公共の精神」であることを考えれば、「社交の場」においても、「公共の精神」が不可欠になるのです。

 歴史的に見て、「文化国家」には、様々な「社交の場」が発達していたことを考えると、「社交」の再評価を主張する山崎氏の見解は、まさに卓見と言えます。

 

 山崎正和氏の『「厭書家」の本棚』を読むと、「社交」における「規律」、つまり、「公共の精神」の重要性がよく理解できます。

 以下に、ポイントを引用します。

 

「  四〇年の交遊を振り返って思うことは、丸谷さんが生来の「社交する作家」であり、対談の精神はその文学活動の中核をなしていたのではないかということである。対談に欠かせない人をそらさぬ気遣い、「淡きこと水の如し」、また「親しんで狎(な)れず」といわれる人との距離感、その均衡をみごとに貫いたのが丸谷文学だった。

 本来、社交には、規律と遊び心という矛盾する姿勢が必要だが、丸谷さんはその二つを過不足なく備えていた。

 規律といえば、この人はかつて対談の時間に遅れるということがなかった。いつも私よりも早く会場に着いていて、私に忸怩(じくじ)たる思いをさせた。酒は好きで陽気に飲んだが、この人が泥酔する姿を見たことがない。 

(『「厭書家」の本棚』山崎正和)

 

 

「厭書家」の本棚

「厭書家」の本棚

 

 

 


(5)「日本の戦後60年 市民宗教 繁栄の礎」 山崎正和(『読売新聞』《地球を読む》2005年7月31日)について/「常識的倫理観」・「市民宗教」

 

 

 この論考では、「公共の観念」は、「常識的倫理観」、「市民宗教」と言い換えられています。

 やはり、この論考でも、山崎氏は、日本における「常識的倫理観」のレベルの高さを、かなり評価しているのです。

 日本人は経済力に目を向けるのではなく、自国の「常識的倫理観」のレベルの高さを意識して、自信を持つべきである、と主張しているのでしょう。

 

 以下に、「日本の戦後60年 市民宗教 繁栄の礎」 のポイントを引用します。

 

「  第2次大戦後、見た目の廃墟(はいきょ)のなかで、じつは日本には大きな遺産が残されていた。戦前の1930年代に、すでに政治経済の近代化と、市民社会の基礎が築かれていたからである。

 鉄道と電力の全国普及はすでに終わり、各種の重工業もほぼ整備されていた。初等教育の義務化は徹底されて、非識字率はつとにゼロに近づいていた。普通選挙も施行されて、国民は政党政治を経験していた。芽生えとはいえ、労働組合の活動もあり、知識人は社会主義やアナキズムのあらましも知っていた。

 大都市が誕生し、都市的な生活様式も大衆文化も賑(にぎ)わっていた。情報の発展はめざましく、ラジオも映画も、今日の大新聞も出揃(でそろ)っていた。郊外住宅、ターミナル百貨店、民間航空、女性事務職も誕生し、豊かな家庭では電化製品さえ知られていたのである。

 たしかに30年代の終わりから軍国主義が台頭するが、戦中でさえそれが国民の心を完全に支配したわけではなかった。宝塚歌劇も職業野球も半ばまで生き残ったし、谷崎潤一郎など耽美(たんび)主義の作家も広く読みつがれた。国家神道は鼓吹されたが、国民の心になじんでいたのは、むしろ仏教的な無常観に近いものだった。戦争前からの数年間、日本人は思想的に奇妙な二重生活を送ったというのが実情だろう。

 そして、このことが日本の敗戦後の移行を滑らかなものにし、混乱を最小限に抑えて、復興に向かわせる要因となった。にわか仕立ての軍国主義の衣を脱ぐと、国民はただちに身につい市民感覚に帰れたからである。国家神道はイスラムのような固い伝統を持たず、逆に公序良俗の意識は戦後のイラク社会とは違って根強かった。復興をめざすにつけても、日本人にはなつかしい過去があり、そこへ帰るべき具体的な目標のイメージがあった。またジャズもハリウッドも親の代から親しんでいて、アメリカ化といっても違和感はなかった。

 60年代までの日本は、したがって30年代の延長であり、拡大であった。新しく女性の解放と農村の救済を加えれば、社会運営の思想もそのままで通用した。勤勉、清潔、協調、向上心、核家族の愛といったモラルも、大宗教や大イデオロギーの指導なしに維持された。自由か平等かという大議論なしに、常識的な善意から福祉政策も整備された。この間、日本人はいわば「プロジェクトX」の時代を生きたわけだが、それを支えた精神は暗黙の世俗的な道徳、常識的な規律、「市民宗教(シビル・レリジョン)」ともいうべきものであった。

 その後日本人は国際化の波に洗われ、不況や経済摩擦の危機も経験し、冷戦と国際テロの脅威も知ることになった。日本は「大国」になって「バッシング」も受け、ふたたび侮りを蒙(こうむ)って「ナッシング」と呼ばれることもあった。だがその間、国民の国家観、世界観に大きな動揺がなく、一貫して「市民宗教」を守り抜いたことは注目してよいだろう。

 戦後60年を振り返って、日本人が思想的に成熟したことはほぼ三つあるが、そのどれもがこの「市民宗教」に根ざしていると考えられる。第一はもちろん「政教分離」だが、この近代国家の基本というべき一点で、日本は世界のどの先進国にも先駆けている。

 最近の米大統領選挙を見て日本人が驚いたのは、妊娠中絶や同性愛が宗教問題として争点となり、それが政治的な対立と直結したことだろう。またコーランの冒涜(ぼうとく)が中東の民衆をあれほど激怒させ、流血の危機を招いたのも日本人には少なくとも意外であった。逆にフランス政府が「政教分離」を叫ぶあまり、学校でイスラムのスカーフを禁止したのは、日本人の目には過度に神経質に映った。

 日本人には妊娠中絶も同性愛も個人の倫理問題であり、コーランもスカーフも宗教ではなく、その象徴の問題である。個人の倫理問題に政治が干渉すべきではなく、象徴の扱いについて政治的に対立するのは過剰反応だと、日本人は感じている。ちなみに話題の首相の「靖国参拝」にしても、争われているのは追悼すべき人間の名前であって、靖国神道の教義ではない。反対者も賛成者も、靖国に一つの霊安所として以外の関心はないのである。

 たぶん、このことと関連して、第二に日本人が達成したのはナショナリズムの克服であろう。つとに多くのサッカーの国際試合において、日本の応援団の公平さは世界的な評価を受けてきた。竹島問題で韓国の攻撃を浴びているさなかにさえ、女性の「韓流ブーム」にかげりは見られなかった。直近の中国の反日暴動にたいしても、日本の街では民衆のデモも中国人迫害も起こらなかった。

 一方、若者の国際化は進み、NGOへの関心も広く高まっているのだから、この寛容が政治的なアパシー(無関心)の産物だとは考えにくい。むしろ若者の自然な感性がもはや民族単位ではなく、近代の普遍的な価値観にそって働いていると見るのが自然だろう。そしてたぶんそのことがいま日本の若者文化を力づけ、マンガやファッションやポップ音楽を中心に、大挙して国境を越えさせていると推察できるのである。

 最後に日本の戦後を特徴づける第三の趨勢(すうせい)は、英雄崇拝とポピュリズムの道がほぼふさがれたことだろう。もともと「市民宗教」は常識の体系であるから、社会は穏健な常識人に信頼を寄せがちになる。カリスマ的な指導者は近代以前にも、大戦中にすら現れなかったが、戦後の自民党政治のなかで完全に後を断った。英雄不在がこれだけ続き、それに国民が不満を抱く様子もないことを見れば、これがこの国の永続する姿になったといえるだろう。

 大宗教も大イデオロギーもなしに、1億人以上の国民が60年の安定を保ったことは、奇跡に近い。多元化する世界の将来を考えれば、これは貴重な歴史的実験だといえるかもしれない。だが「市民宗教」の理念はまだ普遍的に理解されておらず、外国では一部の知識人の言説にとどまっていることを、日本人は知っておかねばならない。しかもこの常識的な倫理観は無自覚のままに放置すれば、ただの惰性的な慣習、安易な便宜主義、仲間うちの自己満足に堕する危険もないとはいえない。

 いま日本人に必要なことは、「市民宗教」もまた宗教であること、その暗黙の倫理のなかにじつは倫理が潜んでいること、したがって普遍化の可能性があることを、言葉にして語ることだろう。それは日本人の宗教を世界に布教するためではなく、日本人にみずからがときに世界の無理解に耐えても、粘り強く生きぬくために必要なのである。

(「日本の戦後60年 市民宗教 繁栄の礎」 山崎正和『読売新聞』《地球を読む》2005年7月31日)

 


(当ブログによる解説)

 「  日本人は経済力に目を向けるのではなく、自国の「常識的倫理観」のレベルの高さを意識して、自信を持つべきである。

 そして、日本のレベルの高い「常識的倫理観」のレベルこそが、日本人が粘り強く生きぬくために必要なのである。」

と山崎氏は強調しているのです。

 

 

 (6)「地方分権 文化と誇りを取り戻そう」山崎正和(『読売新聞』《地球を読む》2010年3月21日)について/「地方の振興」と「文化力」の関係

 


 最近では、「地方分権」、「地方の振興」が、キーワードになっています。

 「地方の振興」を考える際には、「文化力」、つまり、「文化的な活力」、「文化が生み出す価値の生産性を意識するべきではないか、というのが、以下の山崎氏の主張と言えるでしょう。

 「文化力」は「ソフトパワー」とも呼ばれています。

 「ソフトパワー」の価値、潜在的生産性については、青木保氏も『多文化世界』 の中で論じています。

 そちらも参照するとよいでしょう。


 

 

多文化世界 (岩波新書)

多文化世界 (岩波新書)

 

 

 

「  かねて地方分権の声は喧しいが、地方とは何か、地方の振興とはどういうことか、根本的な問題意識に立った議論はなされてきたのだろうか。かつて中央教育審議会の席上で、知事会の代表が権限を委譲せよと文部科学省に迫ったことがあった。すると次に口を開いた町村会の代表が、知事にたいして権限委譲を要求したのに私は思わず笑ってしまった。

 考えてみれば、地方社会は近代国家以前からあったのだし、権力の担当者と関係なく存在していた。藩主は国替えをさせられても、農民や町民は地域にとどまった。前近代の行政は明らかに今より劣っていたのに、地域社会ははるかに元気であった。地域振興を語るのなら一度、この原点から考える必要があるのではないだろうか。

 元気だった昔の村や町は、単に物を生産する場所ではなかった。鎮守の社や檀那寺があって、人が四季を祝い祭りを楽しむ場所であった。古くはそこから観世の能が生まれ、阿国の歌舞伎が育ち、伊勢の本居宣長や大坂の山片蟠桃など、学者や文人をも輩出して日本文化の基盤を養った世界であった。

 物を生産するにつけても、かつての村や町は付加価値の創出、いわば文化産業の育成に熱心であった。米や野菜のような一次産品をはじめ、繊維、紙、陶器、漆器、刃物などの工業品にも各地の名産があって、収入だけでなく地域の誇りを生み出していた。

 今日の地域を貧しくしているのは、たんに金銭的な富に欠乏だけではなく、こうしたかつての文化力が衰退したという思いと、それに伴う誇りの喪失ではないだろうか。この悲観を生んだのはもちろん近代化であり、知恵と文化の源泉が西洋に移り、輸入の窓口である東京に集まったという実感だろう。

 だが、政府にも自治体にも長らくこの事実の自覚がなく、地域振興といえば公共事業と、大企業の工場を地方へ誘致することに明け暮れていた。教育も文化も中央が地方に供給するものとなり、昨今ではとくに福祉を供給することに関心が集まっている。政府と自治体の権限争いは、要するにこの供給の権力をめぐる奪い合いなのである。

 これは少しおかしいのではないかと、私が漠然と気づいたのは30年ほど前のことであった。私も近代化は世界の趨勢であり、国家が大きな役割を演じるのは当然だと認めていた。だがその前提のもとでも、地域にまだ文化的な活力が残っていて、人がただ糊口を凌ぐだけでなく、自力で価値を生んでいることを信じたいと考えたのである。

(「地方分権 文化と誇りを取り戻そう」山崎正和(『読売新聞』《地球を読む》2010年3月21日)

 

 

 (当ブログによる解説)

 「地方の振興」を考える際には、経済的効率性、合理性のみを追求するのではなく、「地方の文化力」に注目するべきなのです。

 上記の

 「物を生産するにつけても、かつての村や町は付加価値の創出、いわば文化産業の育成に熱心であった。米や野菜のような一次産品をはじめ、繊維、紙、陶器、漆器、刃物などの工業品にも各地の名産があって、収入だけでなく地域の誇りを生み出していた。

 今日の地域を貧しくしているのは、たんに金銭的な富に欠乏だけではなく、こうしたかつての文化力が衰退したという思いと、それに伴う誇りの喪失ではないだろうか。」

の部分は、「地方の振興」を考える際には、大いに参考になると思われます。

 

 ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約3週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

  

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想問題/「思考停止 変える力を」高村薫『朝日新聞』/現代文明論

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 高村薫氏の論考は、簡潔な表現で本質を鋭く突くのが特徴です。

 爽やかで、切れ味の良い文章なので、難関大学の現代文(国語)・小論文で頻出です。

 最近、入試頻出著者・高村氏が発表された「思考停止 変える力を」(『朝日新聞』2019・4・30)は、熱意溢れる「現代文明批判」・「現代文明論」です。

 平成時代の30年間の簡潔な総括をしています。

 比較的短い論考ですが、近年の政治的、経済的、社会的な重要論点が網羅されています。

 この論考は、来年度以降の難関大学の現代文(国語)・小論文に出題される可能性が高いと思います。

 そこで、当ブログでは今回の論考を、高村氏の他の重要な論考も参照しながら、予想問題として詳細に解説することにします。 

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

 記事は約1万5千字です。

 

(2)予想問題/「思考停止 変える力を」高村薫『朝日新聞』2019・4・30/現代文明批判

(3)高村薫氏の紹介

 

 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 

(2)予想問題/「思考停止 変える力を」高村薫『朝日新聞』2019・4・30/現代文明批判

 

(「思考停止 変える力を」は太字になっています)

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

「  平成は、日本中が土地投機に踊ったバブル経済の崩壊で始まった。私たちは誰も予想しなかった不景気の不意打ちを食らって突然将来が見えなくなり、国も企業も停滞から抜け出そうと焦り、もがいた。それでも1990年代前半、日本経済はいずれまた上向くと国民の多くが信じていたし、この国にはまだ、細川連立内閣を誕生させて55年体制を終わらせるくらいのエネルギーはあったのだ。

 とはいえ、急激な景気後退は、金融機関が抱える巨額の不良債権や、大企業の不正な会計処理といった日本経済の零落を明るみに出し、90年代後半には山一証券や日本長期信用銀行などが廃業に追い込まれて、日本社会は「失われた10年」とささやかれ始めた。

 また、賃金が上がらなくなり、終身雇用が崩れ始めて非正規雇用が増加するにつれ、生活にも閉塞感が広がって、日本人は普遍的な価値観より、内向きで刹那的な生き方へと傾斜していった。死傷者6千人を数えた地下鉄サリン事件でさえ、市井と無縁のカルト教団の話として片付けてしまったことが、それを如実に物語っている。」

 

 

(当ブログによる解説)

【 「日本人」における「普遍的価値観」の軽視について 】

 「普遍的価値観」の軽視は、由々しき問題と言えます。

 最近の「日本人」における「普遍的価値観」の軽視について は、高村氏は、「精神世界、無関心な私たち」(『朝日新聞』2018年7月10日 )の中で、次のような見解を述べています。

 本質を分かりやすく説明している卓見だと思います。

 

「  たとえ凄惨な無差別テロを引き起こしたカルト教団の幹部たちであっても、いざ七名も一度に死刑が執行されてみれば、さすがに気持ちがふさぐ。

 死刑制度の是非はべつにして、かくも重大な反社会的行為が身近で行われていた数年間、日本社会はいったい何をしていたのだろうか。私たちはオウム真理教の何を恐れ、何を断罪したのだろうか。教祖らの死刑執行を受けてあらためてそんな自問に駆られる傍らには、教団の反社会性を看過し続けた私たちの無力と無関心、さらには一方的なカルト宗教批判に終始したことへの自省や後悔が含まれている。また、教祖らの逮捕から二十三年、日本社会がこの稀有(けう)な事件を十分に言葉にする努力を放棄したままこの日を迎えたことへの絶望も含まれている。

 裁判では、宗教教義と犯罪行為の関係性は慎重に排除され、一連の事件はあくまで一般の刑法犯として扱われたが、その結果、神仏や教祖への帰依が反社会的行為に結びつく過程は見えなくなり、宗教の犯罪という側面は手つかずで残された。

 しかしながら、どんなに異様でも、オウム真理教は紛れもなく宗教である。それがたまたま俗世の事情で犯罪集団と化したのか、それとも教義と信仰に導かれた宗教の犯罪だったのかは、まさにオウム事件の核心部分であったのに、司法も国民もそこを迂回してしまったのである。

 形骸化が著しい伝統仏教の現状に見られるように、日本人はいまや宗教と正対する意思も言葉も持っていない。この精神世界への無関心は、理性や理念への無関心と表裏一体であり、代わりに戦後の日本人は物質的な消費の欲望で人生を埋めつくした。地道な言葉の積み重ねを失ったそういう社会で、若者たちの求めた精神世界が既存の宗教でなかったのは、いわば当然の結果だったと言える。(中略)

 オウムをめぐる言説の多くが生煮えに終わったのは、信仰についてのそうした本質的な認識が私たちに欠けているためであり、自他の存在の途絶に等しい信心の何たるかを、仏教者すら認識していないこの社会の限界だったと言えよう。

 それでも、いつの世も人間は生きづらさを和らげる方便としての信仰を求めることを止(や)めはしない。オウム真理教が私たちに教えているのは、非社会的・非理性的存在としての人間と宗教を、社会に正しく配置することの不断の努力の必要である。」

(「精神世界、無関心な私たち」高村薫『朝日新聞』2018年7月10日 )

 

 上記の最終部分の

「  いつの世も人間は生きづらさを和らげる方便としての信仰を求めることを止(や)めはしない」

「  非社会的・非理性的存在としての人間と宗教を、社会に正しく配置することの不断の努力の必要」

は、少々難解です。


 「信仰」とは、「超越的な存在」への「畏敬」であり、「信頼」です。

 「非社会的・非理性的存在としての人間」とは、「自己の本質の一部に非社会的・非理性的の側面があること」の自覚です。

 自己を完全な非社会的・非理性的存在とは考えないことが重要なのです。

 

 また、
「  形骸化が著しい伝統仏教の現状に見られるように、日本人はいまや宗教と正対する意思も言葉も持っていない。この精神世界への無関心は、理性や理念への無関心と表裏一体であり、代わりに戦後の日本人は物質的な消費の欲望で人生を埋めつくした。

の部分は、何度も反芻して熟読するべきでしょう。

 

(「思考停止 変える力を」高村薫)

「  さらにウィンドウズ95がもたらしたネット社会の爆発的拡大と進化は、私たちが日常的に接する情報量を飛躍的に増大させ、人と人の物理的な距離を不可視化して、コミュニケーションのかたちを一変させた。

 そして、iPhoneの発売から11年、スマートフォンはいまや身体の一部になり、私たちはまさに日常と非日常の境目が溶けだした世界を生きている。大人も子どもも日夜スマホで他者とつながり、休みなく情報を求めて指を動かし続ける。そうして現れては消える世界と戯れている間、私たちはほとんど何も考えていない。スマホは、出口が見えない社会でものを考える苦しさを忘れさせる、強力な麻酔になっているのである。」

 

 

(当ブログによる解説)

 「情報化社会」が人間をいかに歪めているか、がよく分かる論考です。

 「情報化社会」のマイナスの側面が見事に指摘されています。

 

 高村氏の『作家的時評集2008ー2013』では、「情報化社会」により、「個人と世界の関係」がいかに醜悪に変質してしまったかを、以下のように的確に指摘しています。

 

「  情報化社会とは、人が個々にピンポイントで世界を切り取るようになった結果、個人にとって世界がそれぞれ縮小し続ける社会なのである。」

「  自分の意志と指先で開くウエブページ=世界という感覚においては、見えない彼方への渇望も、見えない彼方があることへの絶望も存在しない。」

(『作家的時評集2008ー2013』高村薫)

 

 上記の「思考停止 変える力を」に述べているように、「出口が見えない社会」でも、「ものを考える苦しさ」を放棄しては、いけないのでしょう。

 言葉を駆使して、「ものを考える苦しさ」の中で、解決策を模索していく努力が自分を救うのでしょう。

 この地道な努力しか、自分を幸福にする手段はないのです。

 この意味で、「言葉の軽視」は、人間を不幸にするのです。 

 

 

作家的時評集2008-2013

作家的時評集2008-2013

 

 

 

 「言葉」の重要性について、高村氏は、『作家的時評集2000ー2007 』の中で、以下のように述べています。

 

「  成熟した文明社会を築くためには、やはり言葉が重要だろうと思います。言葉の機能が失われると、社会的な広がりが実感できない。世界がどんな姿をしているか、自分は何を感じ、何を望むのか。それを捉えるのは言葉だからです。言葉で捉える過程がなければ、人間はただ刺激に反応するだけの動物的存在に成り下がってしまいます。

 だからこそ、私たちの世代は言葉を今以上に減らさない努力をしなければならない。たとえば、外交というのは戦略ですが、戦略はまさに言葉です。テレビゲームでいう戦略は反射神経の問題で、敵が現れたら倒すだけのことですが、外交はそんな条件反射の世界ではない。国民の生命と財産を守るために、世界中の国々が、頭と言葉で闘うことなのです。

 文化の面も同様で、今、日本から画期的な経済理論や社会学理論が出てこないでしょう。学力の面でも日本は確実に立ち行かなくなっているのですが、これも言葉の文化を維持して育てる土壌が失われたからだろうと思います。そして、言葉の蓄積を守る土壌がないところには、新たな蓄積も生まれませんから、知識はさらに失われるほかありません。そうなると、当然高等教育のレベルは下がるし、日本は技術立国を目指すと言っているけれど、技術者を育てる土壌もなくなる。言葉がなくなるということは、日本の根本がなくなるということとイコールなのです。

 だからこそ、私たちの世代がまだ現役の間に、何とかして言葉の復権を訴えていくしかないのだと思っています。私は物書きですから、小説を書くことしかできませんが、私にとって言葉は他者と向き合う手段です。言葉を介して自分とは何か。世界とは何かを知りたい。それが大きな共同という枠組みのなかで生きていることの実践です。だから私は書き続けているのだと思いますね。」

(「成熟した文明社会には言葉が必要」高村薫『作家的時評集2000ー2007』)

 

 上記の

「言葉で捉える過程がなければ、人間はただ刺激に反応するだけの動物的存在に成り下がってしまいます」と、

「思考停止 変える力を」の「大人も子どもも日夜スマホで他者とつながり、休みなく情報を求めて指を動かし続ける。そうして現れては消える世界と戯れている間、私たちはほとんど何も考えていない」

を対比してみると、

現代の日本人が、「ただ刺激に反応するだけの動物的存在」、つまり、「ただの非人間的存在」、「反知性主義的存在」であることが、よく理解できます。

 

 

作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

 

 

 

 高村氏は、「ネット社会」における、「言葉」・「価値観」・「原理原則」の恐るべき崩壊についても、以下のように厳しく糾弾しています。

 そして、現代日本の状況は、「文明の終わりの始まりなのかもしれません」とまで言っているのです。

 「文明の終わりの始まり」に関しては、次の、最近の高村氏の論考(「不祥事にしら切る官邸・官僚」『河北新報』2018年5月14日)も読んでおくべきでしょう。

 

「  時代がどんなに変わっても、変えてはならないものを原理原則と言います。公文書の保存はその一つ。それを改ざんしても罪を問われないとなると、歴史の検証ができなくなる。日本がいまだに昭和の戦争の検証と総括ができていなのは、政治家と官僚が公文書を廃棄したからです。戦争の総括ができないことで、戦後の日本人がどれほどの損失を被っているか。過去の検証ができないことの不幸は、若い世代も無縁ではない。国会と行政府から完全に独立した公文書管理機関が絶対に必要です。

 社会の秩序を保つ公共の精神も、政治や統治を行うための理念も、現実には日々の仕事に、欲望に追われて生きる私たち国民が広く共有するものではありません。

 だから、私たちは代表者を選んで政治を委託し、あるいは知識人の語る言葉に耳を傾け、新聞を読んで知識を得てきたのが、ネット社会が根本的に変えてしまいました。

 大衆が、それぞれにものを言い、瞬時に多数派を形成して社会を動かすようになった今、理念や原理原則は後退し、耳を傾けるべき意見、従うべき社会常識、信ずるべき価値観が消え、全てがフラット化されてしまった。

 私の世代が政治の現状を憂う一方で、若い世代はなおも肯定的な人が多い。このまとまりのなさが日本を漂流させているのです。

 合理的な若い世代は、国会で証人喚問しても無駄だから、それよりも重要法案を審議しろ、と言う。確かに証人喚問しても何も出てこない可能性は大だが、政治を私物化して公文書の改ざんまで引き起こした上に誰も責任を取らない、こんな政治家に重要法案など審議させてはならない。これが原理原則です。政治の停滞がもたらす不利益は、こんな政治を許してきた私たち有権者の自業自得なのです。

 「忖度(そんたく)」は、一般の社会生活でも日常的にありますが、一線を越えれば当然罰せられる。今回の不祥事では、官邸も官僚も一線をはるかに越えていても、のうのうとしらを切る。この事態を、私たちは心底恐れるべきです。というのも、これは真実や正義が価値を持たなくなった世界の出現を意味するからです。

 かつて「お天道(てんと)様が見ている」と言われたような絶対的な規範は、もう存在しない。いまや、うそと分かっていても、フェイクニュースであっても、「いいね」ボタンが多ければ OK という社会が出現しているのです。

 そして、その「いいね」も日々変わっていく。真実や正義や公正が意味をなさない時代になり、原理原則が崩壊した社会に私たちは生きています。文明の終わりの始まりなのかもしれません。」

(「不祥事にしら切る官邸・官僚」 高村薫『 河北新報』2018年5月14日)

 上記の

「大衆がそれぞれに、ものを言い、瞬時に多数派を形成して社会を動かすようになった今、理念や原理原則は後退し、耳を傾けるべき意見、従うべき社会常識、信ずるべき価値観が消え、全てがフラット化されてしまった。」

の部分は、

政治的理念・政治的原理原則の地位低下、

専門性の軽視、

一般的社会常識・普遍的価値観の熔解、

を意味しています。

 

 さらに言えば、極端な、個人主義的、感覚主義的政治状況を意味しているのです。

 ネット社会により、「正義」が無価値となり、「伝統的な原理原則」が崩壊してしまったと、高村氏は主張しているのです。

 これは、極めて危険な状況と評価するべきでしょう。

 

 

(「思考停止 変える力を」高村薫)

「  平成は、阪神淡路大震災や東日本大震災をはじめ未曽有の自然災害が頻発した時代だが、振り返れば、大都市神戸が震災で火の海になっても、あるいは東北沿岸で1万8千人が津波にのまれても、またあるいは福島第一原発が全電源を失って爆発しても、日本社会の思考停止は基本的に変わることがなかった。

 復興の名の下、被災地では大量のコンクリートを投じた巨大堤防の建設が進み、原発は各地で、なおも動き続け、いつの間にか持続可能な新しい生き方へ踏み出す意思も機会も見失って、私たちはいまに至っている。」

 

 
(当ブログによる解説)

上記の

「日本社会の思考停止は基本的に変わることがなかった。」

「いつの間にか持続可能な新しい生き方へ踏み出す意思も機会も見失って、私たちはいまに至っている。」

の部分は、絶望感に満ちています。

 

 意思なき日本人は、重大事件が発生しても、何も考えず、何らの行動も起こさず、見事な完璧な「受動性」の中で、水中の水草のように、ただ生きているのでしょうか。

 素質なのか、家庭教育の影響なのか、学校教育の影響なのか、とにかく日本人は、大人しすぎるのです。

 高村氏は、「この寄辺のなさから脱却するために」(『いきいき』2011年6月号)という論考の中で、東日本大震災直後の原発問題について、以下のように述べています。

 以下の論考には、高村氏の怒りが感じられます。

「  政治はどんな決断もしない。近代でいちばん難しい状況に陥っているかもしれません。

 そうであれば、私たち国民がどこかで決断しなければならない。子どもたちのために一歩踏み出す決断です。

 これは、産業革命以来、近代社会を支えてきた生活スタイルからの転換を図るというほどの大きな決断になります。

 どんなに電力が足りなくても、地震国の日本だから、原発は止めると決断する。どうやって止めるのか、後はどうするのか、そういったことを言い合う前にとにかく止める。

 そうすれば、安心が生まれます。晴れない心にひとつ安心ができます。いまの日本にいちばん足りないのは、将来に対する安心です。貧しくなる不安と命の不安だったら、命の不安のほうがずっと深刻なことはいうまでもないでしょう。

 今回の震災後に思ったのは、日本人は基本的に善意に満ちた人たちが多いということです。

 我慢と善意が寄り添って、静かに沈滞している感じです。

 善意の共同体に企業が甘えている。それが日本です。私たちは共同体のよさをそのままにして、その上にもうひとつ賢くなることだと思います。

 どこに問題があり、何がまずいのか。目の前の現実を見つめ、怒るときは怒らなければならない。」

(「この寄辺のなさから脱却するために」高村薫『いきいき』2011年6月号)

 

 「我慢」と「善意」だけでは、まともな人生を得ることはできないということを、日本人は自覚するべきです。

 民主主義社会においては、国民は、「どこに問題があり、何がまずいのか。目の前の現実を見つめ、怒るときは怒らなければならない」のは、当然のことなのです。

 この当然のことを理解しない日本人に対して、高村氏は、静かに怒っているのでしょう。

 日本社会の「思考停止」は、かなり深刻な状況になっているようです。

 

 この点に関して、『作家的覚書』の中には、次のような記述があります。

 

「  今日、国会を闊歩している政治家の多くが不真面目の極致あることは疑いようもない。

 かくも不真面目な国会審議を目の当たりにしながら、怒りの声を上げない有権者も真面目に生きていないと言うのほかないが、自衛隊員の戦死や非正規雇用者の貧困を想像するぐらいのことがなぜ出来ないのか。」

(「真面目に生きる」 高村薫『作家的覚書」)

 

「かくも不真面目な国会審議を目の当たりにしながら、怒りの声を上げない有権者も真面目に生きていないと言うのほかない」

の部分は、高村氏の怒りが頂点に達している感じです。

 現在の状況を熟知していれば、文字通りの「見ざる聞かざる言わざる」状態、素直な奴隷状態になっている、大部分の日本人に対して、同じ日本人として、何かしら言いたくなる気持ちは理解できます。

 日本沈没を傍観できるほど、冷血ではないということです。

 

 

作家的覚書 (岩波新書)

作家的覚書 (岩波新書)

 

 

 

 「日本人の幼児性」は、直ぐに、オリンピックに絡め取られる所にも現れています。

 単なる「大人の世界的運動会」に、なぜ、あれほどに興奮するのでしょうか?

 そして、興奮すると、極端に視野が狭くなってしまう「単純性」も、日本人の弱点です。

 

 高村氏は、『作家的覚書』の中で以下のように、「オリンピック」に興奮する日本人に、警告を発しています。

 「原爆の日」、「終戦記念日」、「熊本地震の被災地の状況」、「沖縄の基地問題」、「北朝鮮のミサイル発射事案」、「天皇のお気持ち表明」等、それなりに報道されるべき数々の問題・出来事が、「リオ五輪」報道より軽視されてしまった2016年夏を概観する論考です。

 

「  全国紙や公共放送が突然オリンピック一色になってしまうのが自然の成り行きであるはずもない。これは、いくらかは大衆の気分と政治の思惑を反映した結果だ。

(中略)

 普通の人間は、複数の事柄を同時に注視することはできない。数あるトピックのなかからオリンピック観戦を選んだとき、たとえば沖縄の現状や、天皇の生前退位の可能性や、日銀の金融政策の是非などへの目配りは大きく減じる以外にない。してみれば、こうしたお祭り騒ぎを作りだしているのは、私たち自身だということもできよう。扱いは小さくとも、内外の重要な出来事は日々報じられている以上、それに注意を払わないのは私たちなのだ。よりよく生きるために、時代に足をすくわれないために、私たちは相当強い意思を発動させなければならない。」

(「お祭りのあと」高村薫『作家的覚書』)

 

 
(「思考停止 変える力を」高村薫)

「  思えば、この30年間に世界経済は激変し、中国のGDP(国内総生産)は今や日本の3倍である。日本のお家芸だった製造業の多くは苦境にあり、次世代の5G技術でも米中に遠く及ばない。

 世界が猛烈なスピードで変わり続ける一方、この国は産業構造の転換に失敗し、財政と経済の方向性を見誤ったまま、なおも経済成長の夢にしがみついているのだが、老いてゆく国家とはこういうものかもしれない。自民党の一党支配に逆戻りして久しい政治がそうであるように、この国にはもはや変化するエネルギーが残っていないのだ。」

 

 

(当ブログによる解説)

 「財政と経済の方向性を見誤ったまま、なおも経済成長の夢にしがみついている」政治の現況について、高村氏は、『作家的覚書』の中で、以下のように述べているのです。

 

「  労働人口に占める非正規雇用の割合が四割を超えたとメディアが報じている。三割に達したのがほんの数年前だったから、いずれ五割になり、六割になってゆくのは時間の問題なのだろう。しかも、三割だの四割だのと大きく取り上げられても、個々の生活者にとっては所詮、抽象的な数字であるからか、社会や政治を動かすほどの国民的な関心を喚起することもなく、九月に施行された労働者派遣法の改正法を危ぶむ声も、特段大きくはなっていない。

 このように、四割を超えたと大々的に報じられる傍らで、非正規で働く人びとの不安や絶望は数値化されることなく埋もれてゆき、この国で働くことの厳しさは、国民全体の問題として顧みられないまま放置されている。

 また、こうした労働環境は、結果的にこの国の労働生産性をきわめて低いものにしているようで、昨年はOECD加盟34力国中22位、アメリカの3分の2に留まっている。

 だからといって、必ずしも競争力につながらない過剰な品質や過剰なサービスをすべて否定すべきだとは思わないが、そのことと企業自身が自らの生産性の低さに甘んじていることは別の話である。そう、日本の多くの企業経営者たちは雇用者に厳しく、自分には甘いのだ。

 ひところアベノミクスを礼賛し、株高に沸いていたのは、研究開発やマーケティングや経営資源の効率化によって順当に利益を上げるよりも、円安や賃金抑制によって手っ取り早く黒字を出して安穏としている企業経営者たちだった。

 非正規雇用のもたらす貧困が日本社会をむしばんでいる一方、たとえば京都はいま空前の高級マンション建設ラッシュで、価格帯が七億円という高額物件でも東京を中心に千件以上の問い合わせが殺到していると聞く。彼ら富裕層の懐に入っている資産のいくらかは、本来なら自社の雇用者の賃金に回されるべきものだったという意味では、非正規の人びとから搾り取ったものだということもできる。そんなことは考えたこともないのだろう富裕層たちが牽引してゆく国に、どんな未来があるか、私には想像することもできない。

 国や社会のあるべき姿について語る政治家は現れるだろうか。持続可能な新しい産業は生まれてゆくだろうか。さまざまな資源の適切な分配は行われるだろうか。人材は育ってゆくだろうか。子どもたちの教育の機会均等は保証されるだろうか。非正規雇用を増やすばかりで、人間の幸福について思いを致さない無能な政治と無能な企業が国を潰す。」

(「無能のともがら」 高村薫『作家的覚書』)

 

 最終部分の

「非正規雇用を増やすばかりで、人間の幸福について思いを致さない無能な政治と無能な企業が国を潰す」

は、心に響きます。

 まさに、現在、日本は崩壊の過程に入っていると言えましょう。

 景気は完全に悪化して、人々の気持ちも荒んでいるようです。

 このような状況下で、富裕層たちは、自分達だけが安定的に生きられると思っているのでしょうか?

 彼らの想像力のなさが、不気味とも言えるのです。

 

 「作家的覚書」の中では、高村氏は時折、ふと絶望感を吐露しています。

 怒りと絶望は併存するものです。

 以下の、この絶望感もまた、本音なのでしょう。

 

「  思えば、遠くまで来たものである。誰もがみな、政治や社会の暮らしのなかに微かな変化の兆しを感じ取る能力をもっているが、それが何であるのかようやく言葉にできた時には、経験したことのない大きな変化の波がすぐ後ろに迫ってきているものなのだろう。気がつくと、情緒と欲望の低劣な言葉が政治や社会を席巻する時代となっていた。

 失ったものはあまりに大きく、もはや取り戻すことはできないかもしれない。残された道は、すぐ後ろに迫ってきている大波に呑み込まれないよう、黙って逃げることだけである」

(「あとがき」高村薫『作家的覚書』)

 

 「失ったものはあまりに大きく、もはや取り戻すことはできないかもしれない」
の部分は、悲しみに満ちています。

 しかし、生きている限り、現状打破のために死力を尽くしたい。

 このことも、また、高村氏の本音なのです。

 

 

(「思考停止 変える力を」高村薫)

「  その一方で、深刻な少子高齢化も、企業の多くに賃上げの体力がないまま進む貧困と格差の拡大も、とうの昔に破綻(はたん)している原子力政策も、平成の30年間に私たちが見て見ぬふりをし続けた結果の危機でもある。」

 

 

(当ブログによる解説)

【現代日本の惨状】

 『作家的覚書』の中には、「この国の内外の情勢や、社会や生活のさまざまな状態が、破れかぶれで寒々しいものになっている」状況を、的確に指摘している記述が数ヵ所あります。

 世界、日本が、今どのような状況になっているのか、を把握する必要があるのです。

 『作家的覚書』の中から、2ヶ所引用してみます。

 

「  予想もしなかった自然災害や事故、事件などに接するたびに、私たちは、なすすべもなく悄然となるか、またすぐに日常に引き戻されてしまい、何が問題となっていたのか、何を考えなければならなかったのか、思いだすこともできず押し流されてゆくことの繰り返しではある。

 それでもいま、言葉にしなければならない皮膚感覚のレベルで、この国の内外の情勢や、社会や生活のさまざまな状態が、破れかぶれで寒々しいものになっているのを感じない人は、いないのではないだろうか。  

 科学技術の進歩は今もとどまるところを知らないが、日本でも海外でも人間の総合的な知力は年々細り、いま私たちの眼前に広がっているのは、熟慮を欠いた野蛮な欲望が急激に支配的になっている世界ではないか。

 たとえば、私たちはシリアの空爆をなぜ止めることはできない? 当事者たちに各々利益があっても、少し前までなら、国際社会は何としても停戦や空爆停止の合意にこぎつけていただろう。それが、もはや出来なくなった世界の出現は、結果的に難民流入による欧米社会の不安定化を招き、イスラム過激派のテロを触発することになっている。また、平和と協調のための既存の枠組みが機能しなくなった世界では、国家の利害も剥き出しになる。

 ロシアのクリミア併合や、南シナ海での中国の傍若無人を、二十年前にだれが想像しただろうか。こうした時代の潮流はこの日本の戦後の歩みをも大転換させ、憲法違反をものともせずに集団的自衛権行使に突き進む、無思慮を絵に描いたような軽薄な政治を生みだした。 

 いま世界に蔓延しているのは、論理の整合性を欠いた欲望であり、論理の破綻をものともしない暴走の連鎖である。アメリカや中国やロシアはそれぞれ自国に都合のよい理屈で弱者を蹴散らして物事を強行し、日本をはじめ世界中の国々がそれに追従する。正義や公平ではなく、当面の損得や不作為を優先して論理を無視することが広く当たり前になった世界の一角に、沖縄の米軍基地、高速増殖炉《もんじゅ》の廃炉、福島第1原発の汚染水処理、間もなく満期となる日米原子力協定と核燃料サイクル事業の行く末、はたまた天皇の生前退位のための法整備などの諸問題が連なっている。 

 そこかしこで、無理が通れば道理が引っ込み、次々に整合性を失って破綻してゆく物事は、一時的な辻褄合わせが施されても、最後は放置されるほかはない。」

(「もう後がない」高村薫 『作家的覚書』) 

「「とにかく景気対策を!」こう叫ぶ多数派は、この先起きるであろうことへの想像力を決定的に欠いてはいる。

 一方、少数派が信じる民主主義の理念や立憲主義と、幾ばくかの理性や知性は、ここへきてついに過去の遺物になり、両者の間には乗り越えられない決定的な壁が出現しているのかもしれない。

 それでも、わずかばかりの理性ゆえに、少数派は、なおもこの国の未来を案じることを止められないし、小説家は人間への眼差しを捨てることも出来ないのだが、筆者は今、自身の視線が少しずつ同時代を離れてゆきそうな予感もある。」

(「少数派の独り言」 高村薫『作家的覚書』)

 以上を読むと、高村氏が「破れかぶれで寒々しいものになっている」と表現する理由がよく分かると思います。

 

 

(「思考停止 変える力を」高村薫)

「  平成が終わって令和が始まるいま、何よりも変わる意思と力をもった新しい日本人が求められる。どんな困難が伴おうとも、役目を終えたシステムと組織をここで順次退場させなければ、この国に新しい芽は吹かない。常識を打ち破る者、理想を追い求める者、未知の領域に突き進む者の行く手を阻んではならない。」

(「思考停止 変える力を」 高村薫『朝日新聞』2019・4・30)

 

 

(当ブログによる解説)

 「思考停止 変える力を」の最終部分は、高村氏による「対策論」になっています。

 高村氏の論考は、問題点の指摘ばかりではなく、「対策論」が明示されていることが多いのです。

 上記の高村氏の「対策論」は、具体的であり、建設的なので、じっくりと熟読するべきでしょう。

 

 また、高村氏は、『作家的自覚』の中で、以下のような対策論を述べています。一見、理想論ですが、究極の対策論と言えます。

 

「  思えば、70代以上の日本人は敗戦直後の窮乏を知っているが、70年前のそれは未来に向かって開けていたのに対して、今日の貧困は先々よくなってゆく可能性のない、抜け出すのがきわめて難しい牢獄(ろうごく)である。2010年代の日本社会に広がるこの沈滞と貧困は、ゆるやかな衰退期にさしかかった社会のそれだという意味では、私たち日本人が初めて目の当たりにする未知の風景なのである。

 そして海外に眼(め)を転じれば、いつの間にか世界第2位の経済大国となっていた中国の姿も、近現代の日本人が初めて見る風景である。また、中国の大国化は相対的にアメリカを縮ませ、ロシアはウクライナのクリミア半島を一方的に編入し、「イスラム国」の台頭で中東各国は崩壊の危機にある。

 こうして私たちは20世紀の欧米の秩序が終わろうとしていることに戸惑い、為すすべもなく立ちすくんでいるのだが、勇ましい言葉を弄(ろう)して民衆を扇動する歴史修正主義者はこういう時代に登場してくることを、歴史は教えている。歴史はまた、310万人が犠牲になったかの戦争の責任を日本人は自ら追及しなかったこと、はたまた福島第1原発の事故でも結局誰も責任を取っていないことを教えている。この国では、為政者を筆頭に物事の最終的な責任を取る者はいないのである。

 だから、何者にも踊らされてはならないと思う。戦後70年の己が足下を見つめ、持続可能な社会のために産業や経済をいかにして新しい座標軸で捉え直すか、縮小する社会をいかに再構築するか、私たち一人一人が知恵を絞り、天変地異をなんとかやり過ごしながら自分の足で立つのみである。」

(「自分の足で立つほかない」 高村薫『作家的自覚』)

 

 各個人が民主主義を推進し、歴史を作っているのだ、という自覚、使命感を持つことが大切である、と高村氏は、主張しているのでしょう。

 原理原則論であり、ある意味で理想論ですが、このこと以外には、実効性のある対策はないのです。

 

 高村氏は、東日本大震災・福島原発事故の直後にも、前を実よ前を見よ、強い意志を持つべし、と呼び掛けています。

 勇気づけられる高村氏の提言の要旨を以下に引用します。

 

「  1万人を超えた死者たちが、生き残った私たちに生き方を見つめ直せ、新しい時代へ踏み出せと、呼びかけているように思う。

 十六年前の阪神大震災のときにはなかったこの重い気分は、一つには、被害が大きすぎるために一部には復興しきれない地域も出てくるのではないかという予感から来ている。

 そして、言うまでもなく、福島第一原発の事故が私たちの上に落としている影は途方もなく大きい。

 しかし、私達は、希望を捨てるべきではない。

 求めるべきは、安易な希望ではなく、新しい日本をつくるというほどの大きな意志と知恵である。」

(『作家的時評集2008ー2013』高村薫)

 


(3)高村薫氏の紹介


髙村 薫 (たかむら・かおる)

作家。1953年(昭和28年)大阪府大阪市生まれ。国際基督教大学人文科学科卒。


著作に、

デビュー作『黄金を抱いて飛べ』(新潮文庫)(第3回日本推理サスペンス大賞受賞)、

『リヴィエラを撃て(上)・(下)』(新潮文庫)(第11回日本冒険小説協会大賞・第46回日本推理作家協会賞受賞)、

『マークスの山(上)・(下)』(新潮文庫)(第109回直木賞・第12回日本冒険小説協会大賞受賞)、

『李欧』(講談社文庫)(『わが手に拳銃を』(1992年)をベースにした作品)、

『照柿(上)・(下)』(新潮文庫)、

『レディ・ジョーカー(上)・(中)・(下)』(新潮文庫)(毎日出版文化賞受賞。『98年度版このミステリーがおもしろい』ベスト1)、

『晴子情歌(上)・(下)』(新潮社)、

『空海』(新潮社)、

『土の記(上・下)』(新潮社)、

『作家的覚書』(岩波新書)、

などがある。

 

 

土の記(上)

土の記(上)

 

 

土の記(下)

土の記(下)

 

 

 

  こちらの記事も、参照してください。

 

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ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

  

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想問題/『大政翼賛会のメディアミックス』大塚英志/メディア論

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 大塚英志氏は入試頻出著者です。

 大塚氏の論考は、最近では、立命館大学、関西大学、文教大学、大阪教育大学等で出題されています。

 最近、大塚氏は、『大政翼賛会のメディアミックス 「翼賛一家」と参加するファシズム』(平凡社)を発表しました。

 この論考は、「ファシズム」(全体主義)、「シェア」、「動員」、「大きな物語」、「日本文化論」、「日本人論」、「歴史認識」、「メディア論」等の入試重要論点について、鋭い問題意識を示しています。

 このような問題意識に、難関大学の入試問題作成者(教員)は注目するのです。

 

 そこで、現代文(国語)・小論文対策として、今回の記事で、この論考、特に、本質論、大塚氏の主張が展開されている「序章」と「あとがき」の部分を、大塚氏の他の論考も紹介しながら、詳細に解説します。

 

 なお、以下の部分も要注意です。

第2章「メディアミックスする大政翼賛会」、

第3章「『町内』という世界」。

 

 ところで、今回のこの記事は、最近、当ブログで発表した記事(→『予想問題/「シェアの未来/翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志』)に関連しています。

 ぜひ、こちらも参照してください。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

 記事は、約1.5 万字です。

(2)予想問題/『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」についての解説

(3)予想問題/『大政翼賛会のメディアミックス』「あとがき」についての解説

(4)「参加型ファシズム」における「動員」について

(5)「翼賛体制」と「シェア」の関係性について

(6)対策論

 

 

大政翼賛会のメディアミックス:「翼賛一家」と参加するファシズム

大政翼賛会のメディアミックス:「翼賛一家」と参加するファシズム

 

 

 

 まず、『大政翼賛会のメディアミックス 「翼賛一家」と参加するファシズム』についての《出版社による「BOOK」紹介》を引用します。

 

【出版社による「BOOK」紹介】( 本書表紙の内側の記述でもあります )

「  戦時下、大政翼賛会が主導して「翼賛一家」というキャラクターが生みだされた。多くの新聞、雑誌にまんがが連載され、単行本もいくつか出版されるが、「翼賛一家」の展開はそれだけではない。それは、レコード化、ラジオドラマ化、小説化もされる国策メディアミックスであり、読者からの参加を募ることによって、大衆の内面を動員するツールだったのだ。

「町内」という世界観や銃後の心得を人々に教え込み、やがては植民地政策の一環として台湾へも進出する「翼賛一家」とは一体何だったのか──。
「自由な表現」が可能になった現在、私たちは無自覚に「表現させられて」はいないのか。現代への視座にも富んだ刺激的論考!



(2)予想問題/『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」についての解説


(太字は「序章」の本文です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

「翼賛一家」というまんがが、戦時下にあった。昭和十五年末から、多くの新聞、雑誌に連載され、単行本もいくつか出た。レコード化、ラジオドラマ化、小説化などもされた。これは今のことばで言えばメディアミックス作品である。

 本書はこの「翼賛一家」のメディアミックス

 (→メディアミックスとは、アニメ、音楽、ゲーム、キャラクター商品など、複数の媒体を使い、同時進行的に展開する広告・宣伝の手法です。現代日本で、私達が日常、目にしているものです。)

 について考えるものである。

「翼賛一家」が戦時下における政治的動員の手段として意図され、仕掛けられた「メディアミックス」であった点は本書で検証していくが、それまでの多メディア展開と異なる点が大きくいって三つある。


 

(当ブログによる解説)

 現代において、「漫画」は、軽いもの、ふざけているものとして、一段低く見られている側面があります。

 しかし、戦前に、漫画は、厳粛性に反するもの、ふざけているものとして、一方的に抑圧されていたのではないのです。

 むしろ、逆に、国民の内面、心を「動員」するために活用されていたのです。

 これは、驚くべきことであり、興味深いことです。

 私達は、「漫画」についての、常識的位置付けを改めた方がよいでしょう。

 「漫画」の持つ影響力、さらに言えば、「漫画表現に潜む危険性」を意識するべきなのです。

 「翼賛一家」は、長谷川町子の「サザエさん」のような、家族の日常生活を主題にした漫画です。

 

 本書で「翼賛一家」の漫画の写真を見ると、すぐに分かりますが、何人かの登場人物は、「サザエさん」に、よく似ています。

 

(→ここで「翼賛一家」の「漫画の写真」に関連して、「民俗学的手法」について解説します。

 「民俗学」とは、概説すると、「民間の生活様式や伝統文化を研究する学問」です。

 日本民俗学は、柳田国男が基礎を築き、弟子の折口信夫らが継承したと言えます。柳田民俗学は歴史学批判から出発しています。すなわち、従来の歴史学においては、文献研究を偏重しすぎ、歴史の真の実像を把握していないのではないかとの疑問から、民俗学的立場より、正しい日本の歴史を明確化するべく、柳田独自の理論を構築しているのです。

 柳田国男は「重出立証法」と呼ぶ研究手法を主張しています。

 はじめに、柳田国男は文献史料研究に片寄っている歴史学の姿勢を徹底的に批判した上で、日常的事象に注目しました。そして、それらの広域的収集、比較検討により、歴史の変遷を知ろうと試みたのです。この手法を「重出立証法」と名づけ、民俗の変遷こそが「歴史」に他ならないと述べています。そして、この手法を基礎とした学問を「民俗学」と呼んだのです。

 本書もそうですが、筑波大学で日本民俗学を研究した大塚英志氏の評論に写真が多いのは、「民俗学的手法」を意識しているからでしょう。だからこそ、大塚氏の評論は、臨場感に満ちていて、分かりやすいのです)

 「翼賛一家」の「大和一家」は11人家族です。

 

 「大和一家」の顔触れは、

主人の賛平さん(体操教師)→「サザエさん」の「波平」に似ています❗

妻のたみさん、

爺さんの武士(たけし)さん、

婆さんのふじさん、

長男の勇君(会社員)、

長女のさくらさん、

二男の次郎君(大学生)、

次女のみさお(女学生)、

三男の三郎君(小学生)→「サザエさん」の「カツオ」に似ています❗

三女の稲子さん(小学生)→「ワカメ」に似ています❗

四女の昭子ちゃん、

です。

 

 「サザエさん」と「翼賛一家」の類似は、かなり明らかでしょう。 

 ただし、大塚氏は以下のように強調しています。

 

「サザエさん」と「翼賛一家」の類似は、こういったキャラクターの類似ではなく、「一家」と「町内」という枠組みの継続にこそ見て取るべきである。

(『大政翼賛会のメディアミックス』「第2章」)

 

 

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 一つ目は、これがあらかじめ多メディア展開を想定したものである、ということ。つまり、最初から「メディアミックス」という企画であったということ。「翼賛一家」の場合、同名のまんがなり小説なり、何かまず一つのメディアで「原作」に相当する作品が大ヒットし、その人気に便乗する形で二次的にアニメーションや映画、舞台などがつくられたわけではない。最初からメディアミックスを想定したキャラクターと舞台設定が用意され、事前に受け手に対して示された。個別の作品が受け手に届けられる前に、今風に言えばキャラクター設定や舞台背景が新聞各紙などで広く公開されたのである。このようにして示されたキャラクターや設定が、複数のつくり手に共有され、いくつものまんがや舞台、レコード、人形劇、紙芝居、ラジオドラマ、浪曲などの多メディア展開がなされたのである。そこには、いわゆる「原作」に相当する作品は存在しない。それぞれのつくり手が、示された「キャラクター」と「設定」の範囲内で、自由に創作するのである。

 

 二つ目は、この多メディア展開においていわゆる「二次創作」が推奨された点である。言い方を換えると「オリジナルの作者」が固有名を持った形で存在しない、ということだ。『朝日新聞』東京版での連載はあらかじめキャラクターと舞台設定を提示した上で、読者から「投稿」を募るものだった。アニメーションの脚本はアマチュアからの公募で行われ、当選者として「現在父とともに塗装業を営みつつ文学を愛好する青年」が顔写真入りで報じられている。舞台については既存の劇団による公演とは別に、アマチュアが上演するための演劇、及び人形劇の脚本が、演出方法や人形製作のマニュアル入りでつくられた。

 

(当ブログによる解説)

 『まんがでわかるまんがの歴史』(ひらりん・大塚英志)(「第14講 戦時下、朝日新聞社は何故、二次創作を呼びかけたのか」)にも、戦時下にあった「メディアミックス」の話として、大政翼賛会主導による「大和一家」という作品が取り上げられています。

 翼賛体制のもとに作られた「新日本漫画家協会」がキャラクターの設定を作り、朝日、読売、国民、東京毎夕の各新聞でまんがが連載されました。

 さらに、他の雑誌や台湾の新聞にも時々掲載されたとのことです。

 朝日新聞は、読者から二次創作の投稿を、大々的に募っていました。 

 その他にも、何と、ラジオドラマ、小説、キャラクターグッズ、盆踊りの音頭さえもあったようです。

 

 

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 三つ目は、この二次創作を含む多メディア展開を「原作者」でなく、第三者が「版権」として統一的に管理していることである。個々のつくり手より「版権」が上位にあり、これを一つの機関が管理するという仕組みなのである。この版権元の許諾を以て、個々のつくり手は初めて「翼賛一家」のまんが制作やメディア展開が可能になる。

 

【角川メディアミックスの起源として】

 このようなあらかじめ多メディア展開を前提につくられた企画であること、二次創作の推奨、第三者による版権管理は、現在の「メディアミックス」と同じビジネススキームである。おそらく、現在の若い世代にとっては、むしろ、まんが・アニメ・ゲームはこのようにつくられることの方が普通に感じられるだろう。「二次創作」も海賊版的行為でなく、版権元の許諾の下に商業出版され、同人誌活動も推奨される。まんがなどの「原作」がヒットして「アニメ化」「映画化」されるのではなく、「キャラクターや舞台設定」(いわゆる世界観)がメディアミックスを前提に用意され、メディア、デバイスごとに作品がアウトプットされる。「翼賛一家」は正にその形である。

 

 

(当ブログによる解説)

 大塚氏は、「翼賛一家」について、本書の他の部分で以下のように述べています。

 この指摘は、現代日本社会とも、決して無縁ではないことを、強く意識するべきだと思います。

 特に、東日本大震災の直後から「絆」の過度の強調、賞揚が目立ち、国民の側からの違和感があまりなかったことは、注目するべき現象と言えるからです。

 

「翼賛一家」の舞台は町内である。一家(家庭)➡町内(隣組)➡国家が、ピラミッド型のヒエラルキーではなく入れ子構造をイメージさせるものとして家庭と隣組の関係はあった。そして、「隣組一家」は「皇国一家」の単位である。

(『大政翼賛会のメディアミックス』)

 

  

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 現在のこのような形式のメディアミックスは、一九八〇年代後半に角川書店でビジネスモデル化されたものだと言われている。そして、ぼくは、かつてこの仕組みを「つくった」当事者の一人でもあった。そのことは、ぼく自身が北米のアニメーション研究者マーク・スタインバーグの研究対象になることで、検証されている(マーク・スタインバーグ著/大塚英志監修/中川譲翻訳『なぜ日本は〈メディアミックスする国〉なのか』、平成二十七年三月七日、角川学芸出版)。

 これまでぼくは、このような仕組みは、自分たちが「新しく」つくったと思い込んでさえいた。だが、驚くべきことに、同じ形式が戦時下に存在したのである。

 しかし、「翼賛一家」が一九八〇年代から今に至る角川型メディアミックスと決定的に異なる点が一つある。それは、このメディアミックスが戦時下のプロパガンダ、すなわち、翼賛体制への総動員のツールとして用いられ、そして何より、「版権」の管理元が大政翼賛会である、ということである。

 ぼくは長い間、自分たちが「つくった」と思い込んでいたメディアミックスの手法が、戦時下のメディアミックスと同じ枠組みのものであることについては無自覚であった。しかし角川書店が読者を映画館や商品の購入へと「動員」する技術と、翼賛会が国民を戦時体制、そして戦場へと「動員」した技術は実は「同じ」なのである。

 そもそも「宣伝」ということばは戦時下において企業広告やマーケティング技術ではなく、プロパガンダを意味した。そして、戦後の「宣伝」の基礎が戦時下につくられたことについては、多くの証言や研究がある。ぼくたちが「メディアミックス」の実践に夢中であった一九八〇年代、そこに関わった人間は誰一人「翼賛一家」の存在は知らなかった。北米のゲームシステムを援用した新しいメディア展開をつくり出しているつもりだった。そのあたりのことは関係者の証言をまとめたので、興味のある方は参照されたい(安田均・水野良ほか監修/マーク・スタインバーグ編/大塚英志・谷島貫太・滝浪佑紀『『ロードス島戦記』とその時代──黎明期角川メディアミックス証言集』、平成三十年三月二十五日、角川文化振興財団)。

 


 
(当ブログによる解説) 

 本書『大政翼賛会のメディアミックス』は、80年代後半に角川メディアミックスを自分自身が「作った」と思い込んでいた大塚英志氏が、それが実は戦中に遡ることを証明した書なのです。

 40年前に、自分と同じようなアイデアが、大掛かりに実行されていた。

 その事実を知った時は、本人にとっても衝撃だったでしょう。

 「大政翼賛会」の巧妙な先進性については、現代の日本人も知っておく必要があります。

 あの当時の戦争指導者の中には、魔術的な「メディアミックス」を考案した、特殊な「異能」とも言えるような知恵者がいたということです。

 

 

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 今にして思えば、一方でそれは、未だ、姿形さえ見えなかったSNSの時代とメディアのあり方を予見していたようにも思える。現在の角川型メディアミックスは、プラットフォームが「投稿」の場を管理し、見かけ上は自由な表現が担保されている。だから、角川はプラットフォーム企業に変化もした。今や、「投稿」というメディアとの接触行為が、人々の日常に当たり前すぎるほどに組み込まれている。誰もが自由に情報や意見、自己表現を発信できる新しい時代の到来のようにも思える。

 しかし、そこで、私たちは本当に「自由に」表現しているのだろうか。プラットフォームに「投稿」することが日常化した現在において、「投稿する人」は実は無自覚に「表現させられて」はいないのか。何故なら、角川型、SNS型のプラットフォームはユーザーに「投稿させる」ことで成り立つビジネススキームだからである。私たちは、実はプラットフォーム企業を介して「投稿させられている」「表現させられている」のではないか。

 

 

(当ブログによる解説)
 上記に関連して、大塚氏は、『週刊ポスト』(2018年12月21日号)の本書の「(自著)書評」の中で、「参加型ファシズム」とweb社会の関係について、注目するべきことを述べています。

 

「翼賛一家」メディアミックスは、外地でも展開、台湾では「ニコニコ共栄圏」なるプロパガンダに合流するのも冗談でなく本当だ。作品としては何一つ見るべきものを残さなかったが、版権の統一管理は現在のメディアミックスの基本。メディアミックスの語自体、翼賛会周辺にいて後に「電通」などの中核になった人々が戦後使い出したことばなのだ。

 だが、気づいてほしいのは、あの戦争の、あの体制は「素人」が「投稿」を通じて、自ら動員される参加型ファシズムであって、何だかとてもよく似たものをぼくはwebで日々見ている気がする、ということだ。

(『週刊ポスト』2018年12月21日号【書評】『大政翼賛会のメディアミックス 「翼賛一家」と参加するファシズム』(大塚英志)《評者》大塚英志)

 

 現代文明のキーワードは、「人々の受動性」です。 

 マスメディア、高度に制度化された教育機構の中で、人々は、知らぬ間に受動性を内面化してしまうのです。

 そして、外形上は、自主的参加の環境の下で、何の反発も感じずに、大きな黒い渦に呑み込まれてしまう。

 この危険性は、現代においてこそ、より顕著になっていると言えるでしょう。

 このことを、大塚氏は懸念しているのです。

 

 

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 そういう「今」の問題を考えていく上で、手塚治虫の証言が重要である。戦後まんがの基礎を構築した手塚は、自分の作家デビューは「翼賛一家」だと述べているのである。

 何故、手塚治虫は「翼賛一家」を描いたのか。

 ぼくには、そのことが、誰もが「投稿」する時代の密やかな始まりが、戦時下に用意されていたことの証のようにも思える。しかも、それは今で言う「メディアミックス」の枠組みの中で、なされたのである。

 

 

(当ブログによる解説)

 大塚氏は、「メディアミックス」のある種の「危険性」を、本書の他の部分で以下のように述べています。

「  翼賛体制が、昭和研究会の生硬な「思想」としての「協同主義」を、最終的に「感情」という非論理的なものの動員のレベルに持っていくまでの制度設計は、参加型メディアミックスをそこに組み込むことで思いのほか、実効性のあるものになっている。

(『大政翼賛会のメディアミックス』)

 

 つまり、「参加型メディアミックス」は、「大衆の内面を、根こそぎ動員していくツール」として、意外な程に効果的だったということです。

 

 

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 戦時下、「メディアミックス」という便利な和製英語は存在しなかった。それ故、戦時下のプロパガンダを「メディアミックス」として分析する視点はこれまで、ほとんど存在しなかった。だから、まんがやアニメファンの感覚でも、学術研究でも、「メディアミックス」は何となく戦後の新しい現象のように扱われてきた。だが、「メディアミックス」として戦時下プロパガンダを捉え直すことで、初めて見えてくる光景が確実にある。その光景は不気味なほどに「現在」と重なり合ってくるようにも思える。

 本書をぼくが執筆しようと思った動機はまさにこの点にある。

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 

 

(当ブログによる解説)

 『大政翼賛会のメディアミックス』の「ポイント」のようなことを、大塚氏自身が前に引用した『週刊ポスト』(2018年12月21日号)で書いているので、以下に引用します。

 

「  日米開戦のちょうど一年前、発足直後の大政翼賛会宣伝部が自ら「版権」を握った「翼賛一家」なるまんがのキャラクターデザインと設定を朝・読・毎など全国紙各誌で一斉に公開、プロからアマチュアまで国民参加のメディアミックスを仕掛けた、って何か三谷幸喜の舞台にでもありそうな話だけど実話。

 人気まんが家から若手まで総動員で。一斉に複数の作家による新聞雑誌の同時多発連載、単行本も続々。そこに新人・長谷川町子や酒井七馬が混じる。病み上がりの古川ロッパは年末にレコーディングに翻弄、NHKはラジオドラマ、金語楼の新作落語。

 この「翼賛一家」(というより翼賛会のメディアミックス)は「素人」参加が肝。実は「素人」という語は翼賛用語。前のめりの朝日新聞は、キャラクターを使った読者の二次創作まんがを募集、その参加する「素人」の一人として、終戦の年、大学ノートに翼賛一家のキャラクターを用いた二次創作を書き残したのが16歳の手塚治虫。最後の「翼賛一家」の作者であった。

(『週刊ポスト』2018年12月21日号【書評】『大政翼賛会のメディアミックス 「翼賛一家」と参加するファシズム』(大塚英志)《評者》大塚英志)

 

 戦後に活躍する多くの文化人が、大政翼賛会のプロパガンダに協力していることは、意外です。

 本書(『大政翼賛会のメディアミックス』)によると、ある人は熱心に関わり、ある人は自己嫌悪を日記に吐露していたようです。

 本書は、「戦争と文化人との関係」に注目しています。

 そして、その点を、冷徹に告発しています。

 改めて、「文化人の戦争責任」、「文化人の政治的モラル」について考える必要があるのではないでしょうか?

 過去の問題としてだけではなく、現代の問題としても、です。

 国民全体がこのことに自覚的であるべきでしょう。

 

 戦時下、大政翼賛会主導で「翼賛一家」という漫画が生み出されました。

 レコード、小説、人形劇などへの展開も見られた。

 そして、それらは、国民動員のツールとして、効果的に機能したという歴史がある。

 日本文化史の深層に眠っていた、この意外な事実を大塚英志氏は、見事に発掘したのです。

 さらに、大塚氏は本書で、「翼賛体制」を支えた漫画を主とする「メディアミックス」が、戦後に、どのように応用され、増殖し、拡散したのかも分析しています。

 この分析の過程は、ミステリアスで、推理小説の味わいがあります。

 

 

(3)予想問題/『大政翼賛会のメディアミックス』「あとがき」についての解説

 

(太字は「あとがき」の本文です)

  

 『大政翼賛会のメディアミックス』については、「あとがき」の部分も、難関大学入試の現代文、小論文として出題される可能性が高いと思います。

 従って、大塚氏の主張が色濃く出ている部分を以下に引用しておきます。

 鮮烈な見解が簡潔に記述されているので、何回か熟読して、じっくりと理解するとよいでしょう。

 

 「「メディアミックス」という和製英語は、戦時下に達成された宣伝技術に対し戦後に名付けを行ったものだった、とさえ思えてくる。戦時下メディアの方法論は戦後、広告業界と新興産業のテレビに継承されるが、メディアミックスも例外ではないはずだ。」

(『大政翼賛会のメディアミックス』「あとがき」)

 

「  私たちが歴史を描こうとする時、そこには、しばしば、それぞれの政治的、あるいは、職業的立場などから見て、不都合な事実がある。例えば、ぼくはまんが業界の一員だが、手塚、長谷川、酒井らへの言及に躊躇しないわけではない。政治的には、ぼくは「パヨク」「極左」の類いのようだが、戦後民主主義を一貫して擁護してきた。だからといって、リベラルなメディアや文化人の戦時下の行動に「配慮・すべきだとは思わない。」

(『大政翼賛会のメディアミックス』「あとがき」)

 

「ぼくはいつも、私たちの戦後の表現は戦時下に多くの出自があると主張してきた。しかし、それを以て戦時下の一つ一つの表現を糾弾するのでも、逆に、そのような表現が生み出したから、あの戦争は正しかったと主張するものでもない。不都合な歴史を排除しない歴史を描く態度が、恐らく今の私たちに強く求められていることだと信じるからだ。」

(『大政翼賛会のメディアミックス』「あとがき」)

 

 大塚氏は、歴史を、偏見を持たず、冷静に、客観的に俯瞰すること、過去と現在の密接な関係性を一概に否定するべきではないことを、強く主張しているのです。

 当然と言えば当然のことなのですが、日本人にとっては、たとえインテリでも、このことが分からないことが多いので、大塚氏は、あえて述べているのでしょう。

 この点は、歴史認識における日本人の致命的弱点です。

 

(4)「参加型ファシズム」における「動員」について

 

 「参加型ファシズム」を考える際には、「動員」が大きな論点になります。

 この点については、最近の大塚氏のインタビュー記事(大塚英志・インタビュー「感情が政権と一体化、近代に失敗しすぎた日本」大塚英志『朝日新聞』2019年1月2日)が、かなり参考になるので、以下に引用します。

 

━━動員の問題も、80年代の『物語消費論』で大塚さんが論じたテーマですね。

 「考える問題としては持続していますが、大きく僕の立場は変わりました。あのとき、ぼくは広告代理店や出版社の周辺で、人を動員する理論について考えて実践するのが仕事だった。作品のテーマや中身、人の心を本当に打つことをしなくても、つまり、空っぽのもので、人は動員できるんだよな、と考えていた。それがメディアミックスの技術論です。しかし、当時自分で考えた新しい理論のつもりだった動員の技術が実は戦時下によく似たものとしてあったことに気がつき、「大政翼賛会のメディアミックス」という本を書きました」

「大政翼賛会は昭和15年、近衛新体制の発足に合わせて「翼賛一家」という読者参加型のメディアミックスを作り出しました。

 翼賛会がキャラクターや世界観の「版権」を持っていて、古川ロッパが音楽を作ったりね。朝日、読売、毎日に漫画が連載されたり単行本も出たりして、まんが家なら横山隆一のような売れっ子のみならず、新人の長谷川町子や無名の酒井七馬たちの名前もありました。

 しかし、朝日は「このキャラクターを使って、漫画を投稿してください」と「二次創作」の「投稿」を呼びかけた。

 「投稿」という、今、ネットで私たちが普通に使うことばは実は翼賛体制用語です。「素人」というのも翼賛体制独特の用語で、「翼賛一家」は、アマチュアに翼賛会が二次創作的な参加を求め、動員するプロパガンダの技法です。 

 ですから、漫画だけでなく「素人」が「翼賛一家」の人形劇を人形から作るためのマニュアルも販売されました。

 アマチュアだった手塚治虫は「翼賛一家」を習作として書き残しています。つまり、創作する「素人」の「投稿」参加型動員企画だったのです」

 「このように翼賛会のプロパガンダにアマチュアの創作的参加を組み込むことが、これも翼賛体制用語でいう「協同(協動)」でした。

 「欲しがりません勝つまでは」は、戦後、『暮しの手帖』を創刊する花森安治が翼賛会にいて、投稿から選んだものです。

 戦時標語は多くが「投稿」です。国民歌謡も、川柳、ポスターも投稿。

 それから、映画のシナリオの投稿がすごく多い。漫画だとか、模型とか、秘密兵器のアイデアとか、あらゆるものの「投稿」が公募されました。

 大抵、翼賛会や軍、情報局とともに各新聞社が主催、共催する「協動」です。「投稿」の専門誌やハウツー本もあった。そういう参加型のファシズムを戦時下翼賛会がつくったんですよ」

 

━━ そのほうが共感や一体感が出る。

「そうです。そのときに、理屈はいいんだ、みんなで何かをやることで感情が一つになるんだということです。「感情」という言葉も、実は近衛新体制の文献の中で、よく目にするキーワードです」

 

━━ 一見、「個」と親和性がありそうです。

「近衛新体制は個を否定しますが矛盾しません。「翼賛一家」ならキャラクター、標語ならその時々のプロパガンダのテーマがある。それをシェアする。そして、「個人」としての作家、芸術家の作ったのでなく、みんなで投稿して、みんなで作ったものだから共有できるよねって」

「重要なのは、稚拙でいいんだ、あなたの気持ちをぶつけてください、ということです。

 それを投稿していく、共有していく、気持ちが一体化していくというのは、今でも、ツイッター含めたSNSで繰り返されているでしょ? 

 この「協働」って単語は、2000年代以降は代表的クールジャパン用語です。

 二次創作「協働」なんだそうです、クールジャパン的には」

 

━━ 戦争に向かうときにも使えるわけですよね。

「かつては。ただ、武力の戦争というものは、もう出来ないでしょう。リスクに対してメリットが小さすぎる」

「中国や北朝鮮が攻めてくる的イメージがずっと繰り返されてきましたが、「攻めてくる」のは、無国籍なグローバルな経済の波です。その意味での「見えない戦争」はとっくに始まっていて、もう負けていますね。さっき言ったように「移民」法は成立、水、固有種の種子といった、いわば国家の基本をなすようものはどんどん外資に譲り渡す流れになっている。日本の中で「勝っている」人は確かにいるけれど、それはグローバルな経済の方に飛び乗った人たちで、私たちの大半はもう「負けて」いる。

 だから、ここにあるのは、もう焼け野原なのかもしれない。でも、かつての「戦後」は、この国が「近代」をやり直すチャンスだったわけで、もう一回、「近代」及び「戦後」をやってみるしかないでしょう。」

(大塚・インタビュー「感情が政権と一体化、近代に失敗しすぎた日本」大塚英志『朝日新聞』2019年1月2日)

 

 上記の最後の部分は、厭世的になっています。

 世の中の動きが見えてしまうと、こうならざるを得ないのでしょう。

 

 ところで、「参加型のファシズム」においては、「きっかけ」は受け身であっても、最終的には自主的な「動員」が不可欠なのです。

 そして、いかに自主的な「動員」を産出していくか、そこに「メディアミックス」の存在価値があるのでしょう。

 国民自らが燃え上がることが、必要不可欠だからです。


(5)「翼賛体制」と「シェア」の関係性について

 

 最近流行の「シェア」という用語は、「翼賛体制」下での「協同主義」に極めて類似しています。

 そもそも、「シェア」自体が、「メディアミックス」の重要な構成要素になっているのです。

 

 しかも、「シェア社会は弱者救済からの逃げ道」でもあるのです。

 となると、「シェア」という用語には、大いなる警戒が必要になるのです。

 最近、大塚氏は、このような視点からの主張を繰り返し述べています。

 その一例として、『週刊ポスト(2019年3月8日号)』の、
『社会運動 0円生活を楽しむ シェアする社会』(市民セクター政策機構)についての大塚氏の「書評」を以下に引用します。

 

「  シェアリング、という言葉をこの頃、よく聞く。去年、リベラルな新聞社からそのテーマで取材依頼を受けて会ってみたら、どうやらモノに憑かれた旧「おたく」の象徴としてのオマエに、物欲から解放された新思想に対して反省の弁を述べよという主旨が見え見えだった。

 嫌なこったと、戦争中、その新聞が、家事や育児や調理器具などを隣組で共有しようという大政翼賛会のプロパガンダに乗った記事を書きまくったことを、その場で新聞社のデータベースに入り込んで実物を見てもらったが、あなたはシェアを否定するのかとかえってくってかかられた。そして、記事になると、シェアビジネスの推進者と政府の民間委員っぽいことをやっている人のシェア礼賛のコメントの隣で、それを否定するぼくだけが浮いていた。

 このシェア、という問題、このところ、政府周辺のビジネスに敏感な人々と左派の間の奇妙な共有のキーワードになっている。翼賛体制の時は、それは「協同主義」と言って、元左翼で翼賛会に流れ込んだ人たちが持ち込んだ思想だった。と、そう言うと多分もっと嫌な顔をされたんだろうが、リベラルな市民運動の機関紙で「シェアする社会」の特集を見るとやはり気になる。

 隣保共助は、福祉や弱者救済からの政治の逃亡の言い訳なのになあ、今も昔も、とぼくは思う。ぼくにはシェア社会の礼賛は、要は自分らで解決しろという、一つ間違うとマイルドな自己責任論のような気がする。今、子育てや弱者救済に回すお金がないのは、オリンピックやイージス・アショアに無駄金使ってるからだろうと、正しい税の分配を主張すべきなのが左派の立ち位置ではないのか。

 シェア社会を「運動化」するなら、そういう近隣のコミュニティが、一瞬でファシズムの下部構造に変わった歴史を踏まえておかないと、とぼくは思うけど、こういうことを言うから右からも左からも嫌われるんだろうな。

(『週刊ポスト』(2019年3月8日号)【書評】『社会運動 0円生活を楽しむ シェアする社会』(市民セクター政策機構)《評者》大塚英志)

 

 上記の
「シェアリング、ということばをこの頃、よく聞く。去年、リベラルな新聞社からそのテーマで取材依頼を受けて会ってみた」

「記事になると、シェアビジネスの推進者と政府の民間委員っぽいことをやっている人のシェア礼賛のコメントの隣で、それを否定するぼくだけが浮いていた」

における「記事」は、

「シェアの未来」「翼賛に通じる『共有』賛美」(《耕論》『朝日新聞』2018年6月15日)をさしています。

 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 

 この新聞「記事」については、前述のように、最近、当ブログで解説したので、そちらも参照してください。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 以下に、上記の当ブログの最近の「記事」(→『予想問題/「シェアの未来/翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志』)の一部を引用します。

 

ーーーーーーーー

 

 (「翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志)

 いま、二次創作という形でキャラクターをシェアする文化があります。大政翼賛会は「翼賛一家」というキャラクターをシェアさせました。隣組は一つの「一家」であり、八紘一宇(はっこういちう)の象徴です。朝日新聞はその意をくみ、「翼賛一家」キャラクターを使った読者の投稿漫画、つまり二次創作を募っています。このキャラクターは、ほかの分野でもシェアされ、一般の人々がこれを用いた人形劇を作るマニュアルまで作られました。

 翼賛体制は、そうやって「愛国心のシェア」を進めたわけです。

 そもそも「シェア」と「社会」は同義のはず。近代化の過程で、自由主義経済がもたらす貧困や格差の問題を「社会問題」と呼び、それは解決の責任が社会にあるという意味でした。社会とは本来、責任をシェアする場です。そして、シェアした責任を遂行するシステムが「国」です。

 それがいまは、格差も貧困も自己責任論がまかり通っています。NPOや民間の善意に任せ、国家がシェアすることを忌避しようとする社会問題があまりに多い。だから、この種の自己責任論を有権者が不用意に語ることは、社会問題をシェアしない国家を許し、自身も社会のシェアを拒むということになりかねないと思います。

 「日本」や「愛国心」というものがシェアされて、「社会」はシェアされないなかで、しょせんは起業家向けのビジネスモデルに過ぎないシェアリングエコノミーなるものが賛美されるのは、いささかグロテスクです。

 (「シェアの未来」 「翼賛に通じる『共有』賛美」 大塚英志 《耕論》『朝日新聞』2018年6月15日)

 

 
 (当ブログによる解説)

 ここでは、国、社会、マスコミが、「社会のシェア」とは別に、「シェアリングエコノミー」を無批判に賛美していることが問題なのです。

 「社会のシェア」とは、「公共性」・「社会性」を意味します。

 「社会のシェアを拒むということ」は、結局は、「公共性」・「社会性」の存在を否定することです。

 「自己責任論」を徹底すれば、「公共性」・「社会性」の存在する意味はなくなります。

 

 大塚氏の『愚民社会』によれば、そもそも、近代以前の日本に、「公共性の伝統」はあったのです。

 以下に引用します。

 

  本当は「空気」を読むのではない形での共同体と共同体の間の利害調整とか、共同体内の合理的な利害調整が、近代以前の社会になかったのかといったら、あったはずなのです。ぼくの専門ではありませんが、民俗学では例えば水利権とかです。ムラの中でどうやって水を再配分していくのか、村落共同体の中と、更に対立する村との間でどうやって利害調整していくのかについてはかなり合理的なシステムや、協議の具体的な痕跡が残っているので、そういうノウハウはあったわけです。

 ただ、そうしたノウハウを「近代」の中で、近代的個人や新しい公共性としてつくり変えていうことしないで、村落共同体が経済共同体として崩壊していくとともに、その課題が持ち越されなかったということですね。 

(『愚民社会』大塚英志)

 

(当ブログの最近の「記事」(→『予想問題/「シェアの未来/翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志』)の引用終了

 

 

ーーーーーーーー

 

 

愚民社会

愚民社会

 

 

 

 

(6)対策論

 

 どうすべきなのか?

 今、私達に必要な心構えとは、どのようなものでしょうか。

 まず、前述の大塚氏の見解をよく咀嚼する必要があるでしょう。

 ポイントとなる部分を以下に再掲します。

 

「  戦時下、「メディアミックス」という便利な和製英語は存在しなかった。それ故、戦時下のプロパガンダを「メディアミックス」として分析する視点はこれまで、ほとんど存在しなかった。だから、まんがやアニメファンの感覚でも、学術研究でも、「メディアミックス」は何となく戦後の新しい現象のように扱われてきた。だが、「メディアミックス」として戦時下プロパガンダを捉え直すことで、初めて見えてくる光景が確実にある。その光景は不気味なほどに「現在」と重なり合ってくるようにも思える。

 本書をぼくが執筆しようと思った動機はまさにこの点にある。」

(『大政翼賛会のメディアミックス』「序章」)

 

「  不都合な歴史を排除しない歴史を描く態度が、恐らく今の私たちに強く求められていることだ。」

(『大政翼賛会のメディアミックス』「あとがき」)

 

 また、大塚氏の『物語消費論改』にも参考になる記述があります。


 大塚氏は、本書において、「復興」、「愛国」、「反原発」といった「大きな物語」に魅了されている人々の動きは、結局は「ファシズム」に回収されかねないと懸念しています。

 従って、現在必要な態度として、以下のように、「大きな物語」から「降りること」の重要さを述べています。

 

 「降りること」は世界に対するゲームに用意されたマップや攻略本を捨てることだ。しかし、それは現実と書物と双方の世界で、きっちりと「迷う」ことの選択である。

(『物語消費論改』大塚英志)

 

物語消費論改 (アスキー新書)

物語消費論改 (アスキー新書)

 

 

 

 ここで、特に、思いおこすべきは、フロムの『自由からの逃走』です。

 フロムは、「自由」が「邪悪なもの」へと反転する危険性に警鐘を鳴らしています。

 『自由からの逃走』において、封建的制度の解体の結果により自由を手にいれた人々が、逆に自由により、孤立、不安に取りつかれるという皮肉な現象に注目しました。

 そして、自由を自ら放棄し、新たな服従に向かう悲惨な結末を描写しています。

 この歪んだメカニズムが現実化は、ワイマール末期のドイツにおけるヒトラーの急速な台頭に見られるのです。

 フロムによれば、「自由」が「服従」へ反転する要因は、個人の内面の「孤独感」、「不安感」、「無力感」です。 

 これらの負の感情が、自ら、「自己の自由」を否定するのです。

 そうした感情の克服のために、フロムが主張したのが、「積極的自由」・「~への自由」であり、その具体例としての「生命の表現としての愛」です。

 「積極的自由」とは、単に拘束がない状態ではなく、自己の可能性を能動的に展開する自発的な営みです。

 こうした創造の力によって、われわれは負の感情を克服できるのです。

 

 要するに、「日本人のアイデンティティの確立」が問題になっているのでしょう。

 大塚氏は、この点について、少々過激な、皮肉的な論考(『愚民社会』)を発表しているので、以下に引用します。

 日本人に絶望しながらも、なお説得していこうとする誠実な論調を読み取ってください。

 

「  対談のゲラをチェックし終えて改めて思うのは、宮台さんは「近代」を「政策」や「制度」として可能なものにしていくべきだと考え、ぼくは、それを担保しうる個人を可能にする「カリキュラム」をただひたすら考えたい、と思っているという「違い」だ。

 教師になってしみじみ思うのは、人はやはり「教育」によっていかようにも変わることができる、ということだ。ぼくはこの国の現在に絶望しつつ、しかし、「教育」によってしか「近代」は達成されないと信じている。

 それは、特定のイデオロギーを啓蒙するのではなく、まして既にある「公」や「空気」に「群れ」として考えなしに従うことなく、「自力で思考するための方法」を身につけるためのものであるべきで、そういう当たり前の実践は教育現場に、実はいくらでもある。それについてはいつかどこかでまた話すかもしれないが、そういう場所に身を置くことが、今のぼくの仕事だ。

 

 それでもここまで書いて、大抵の人たちが最後には必ずこう聞いてくる。

 「私はどうすればいいのですか」と。

 知らねーよ。

 あなたの「私」もあなたの「ふるまい」も、それはあなたの責任であり、それを引き受けるのが嫌いなら、つまり「近代」が嫌なら頭の中を真っ白にして、魚の群れに加わりゃいいじゃないか。

 そうして、いつかどこかでその群れが誰かを殺すことに比喩として、あるいは比喩としてでなく、あなたは加担することになるのである。

(「「あとがき」にかえて━━ もう一度だけ「公民の民俗学」について」大塚英志『愚民社会』)

 

 ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

    

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想問題/「伝統的規範が支える民主主義」佐伯啓思(朝日新聞)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 佐伯啓思氏は、入試頻出著者です。

 佐伯氏の論考は、最近では、神戸大学、新潟大学、早稲田大学(政経)・(文)、立教大学、法政大学、中央大学、関西大学等で出題されています。

 

 佐伯氏は、最近、「伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む」(《異論のススメ》『朝日新聞』2018年11月2日) を発表しました。

 

 この論考は、

「民主主義」、

「デモクラシー」、

「寛容」、

「寛容のパラドックス」、

「戦う民主主義」、

「現代文明批判」、

「現代文明論」、

「近代批判」、

といった、最新の様々な頻出論点を含んでいて、注目するべき論考です。

 

 そこで、今回は、現代文(国語)・小論文対策として、この論考を詳しく発展的に解説します。

 

 なお、今回の記事においては、「理想論」を、ある程度支持、礼賛しています。

 「理想論」は、一種のメルヘンです。

 子供の妄想という側面があります。

 「理想論」は、通常は冷笑の対象でしか、ありません。

 

 しかし、特に政治論においては、場合によっては、「理想論」を掲げるしか方策はないということもあります。

 そして、その理想論が現実化することがあることは、歴史が証明しているのです。

 男女平等原則、民主主義等が、その一例です。

 従って、今回の記事においては、「理想論」を、一義的に単なる揶揄の対象として考えることはできないのです。

 

 記事は、約1万字です。

 記事の項目は以下の通りです。

 

 (2)予想問題/「伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む」(佐伯啓思《異論のススメ》『朝日新聞』2018年11月2日) 

(3)「民主主義」の、あるべき姿/対策論

(4)「寛容のパラドックス」

(5)「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」渡辺一夫/1993年慶應義塾大学文学部・小論文試験・課題文

(6)「戦う民主主義」

(7)当ブログにおける「民主主義」、「デモクラシー」、「寛容」関連記事の紹介

 

 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 

(2)予想問題/「伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む」(佐伯啓思《異論のススメ》『朝日新聞』2018年11月2日) 

 

(概要です)

(佐伯氏の論考は太字です)

(青字は当ブログによる「注」です) 


 2年前の11月に米国でトランプが大統領に選出された。連邦議会議員を選ぶ中間選挙ももうすぐ行われるが、概して大統領の所属政党は分が悪いというのが通例であり、共和党は苦戦を予想されている。

 それにしても、トランプ大統領の誕生は「大事件」であった。それは、今日の米国を知る上でも、また今日の民主政治を論じる上でもそうである。トランプによって米国が二つに分断されたという見方があるが、そうではない。すでに分断されていた結果がトランプを大統領に持ち上げたのである。また、トランプは民主主義の敵であり、民主政治を破壊するという見解があるが、これもそうではない。まさに今日の民主主義がトランプを大統領の地位に押し上げたのであった。

 最近、翻訳された『民主主義の死に方』という本がある。レビツキーとジブラットというハーバード大学の2人の政治学者の手になる書物で、彼らは、今日の米国の民主政治がまさにトランプという「独裁型」の指導者を生み出したと述べ、その背景を分析し、こういうことを書いている。

 1960年代の公民権運動以来、米国は多様な移民を受け入れてきた。非白人の人口比率は50年代には10%だったのが2014年には38%になり、44年までには人口の半分以上が非白人になるとみなされる。そしてこの移民のほとんどは民主党を支持した。一方、共和党の投票者は、90%ほどが白人である。つまり巨大な移民の流入という米国社会の大きな変化が、自らを「本来のアメリカ人」だと考える白人プロテスタント層に大きな危機感を生み出し、その結果、共和党と民主党の激しい対立が生み出された。当然ながら、「アメリカが消えてゆく」という危機感を濃厚にもつ共和党の方が、いっそう過激なアメリカ中心主義(白人中心主義)へと傾いてゆくことになった。

 しばしば、トランプ現象の背景には、グローバル競争のなかで、経済的な苦境を強いられる「ラストベルト」の白人労働者層があり、トランプの反移民政策は、彼らの歓心を買うためのポピュリズム(大衆迎合)だといわれる。間違いではないものの、問題の根ははるかに深い。共和党からすれば、民主党は「アメリカの解体」をはかっているように映るのである。今日、両者の対立は、もはやリベラルと保守といったイデオロギー的なものではなく、人種、信仰、そして生活様式という生の根本が分断された結果なのである。

 この著者たちによると、リベラルと保守という思想的な対立の時代には、共和党にもリベラルな政治家がおり、民主党にも保守的な考えがあった。その結果、両者の間にはまだしも共通の了解が成立しえたし、ともに、国の全体的な利益のために、過度な自己主張を自制し、相手をあまりに断罪しないという「自己抑制」の不文律があった。その上に、両派の「均衡」が成立していた。「礼節」や「寛容」を含む「自己抑制」という目に見えない規範だけが、アメリカン・デモクラシーを支えていた、というのである。

 

 

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道

 

 

 

(当ブログによる解説)

 「トランプ現象」は、最近の難解大学入試の現代文、小論文で流行になっています。

 よく理解するようにしてください。

 

 「憲法」こそは、独裁を防ぎ、民主主義を守るための装置のはずです。 

 しかし、「トランプ現象」をきっかけとして書かれた『民主主義の死に方』では、「憲法は常に不完全だ」と述べています。

 「しっかり整備された憲法であっても、恣意的な解釈・運用が可能なので、それだけでは民主主義は護れない」と言っています。

 たとえば、フィリピンの憲法は、「合衆国憲法の忠実なコピー」でしたが、マルコス大統領により、簡単に骨抜きにされてしまったようです。

 このことは、今までの歴史からも明らかでしょう。

 

 では、なにが民主主義を守るのか。

 それは「相互的寛容」と「組織的自制心」の2つだと、本書は主張しています。
 

 「相互的寛容」とは、対立相手を自分の存在を脅かす脅威とみなさず、正当な存在とみなすことです。
 

 もうひとつの「組織的自制心」は、たとえ合法でも、明らかに法の精神に反するような行為は行わないようにすることです。

 例として出されているのが、審判がいないストリートバスケットです。審判がいないので、反則ギリギリのプレーで相手を負かすことも可能だが、それでは誰も試合をしてくれなくなる。それゆえ、両者は一定の節度を持って試合に臨む。

 「政治の世界に言い換えれば、丁寧な言動やフェアプレーに重きを置き、汚い手段や強硬な戦術を控えなければいけないということだ」と本書では述べられています。

 

 民主主義が継続できるか否かが、こうした規範、政治家の心のあり方に任されているのです。

 つまり、逆に言えば、独裁的傾向を持つ政治家が、その意志に従って、巧妙に民主主義を崩壊させようとすれば、独裁は可能なのです。

 民主主義には、脆い側面があるからこそ、政治家、国民、マスコミは、そのことを強く意識する必要があるのでしょう。


 このことに関して、本書は世界の様々な国を比較検討することにより、事前に検知しにくい独裁者の卵を見分けるための「リトマス試験紙」となる、4つの「行動パターン」を抽出しています。

 これらの基準に1つでも該当する政治家については、注意が必要ということです。

① ゲームの民主主義的ルールを拒否(あるいは軽視)する

② 政治的な対立相手の正当性を否定する

③ 暴力を許容・促進する

④ 対立相手(メディアを含む)の市民的自由を率先して奪おうとする」

 

 また、本書は、民主主義の崩壊に向けて独裁者が遂行する3つの「プロセス」についても指摘しています。

① 審判を抱き込む

② 対戦相手を欠場させる

③ ルールを変える

 以上の視点に留意して、現代の日本の政治状況を、厳しくチェックしていくことが大切でしょう。

 


(「伝統的規範が支える民主主義」)

 しかし、さらに彼らはこう指摘する。この目に見えない規範が共有されていたのは、実は米国は白人中心の国だという人種の論理が暗黙裡に共有されていたからだ、というのである。だから、60年代以降、人種差別撤廃運動が生じ、明らかに民主主義は進展した。ところが、その民主主義の進展こそが、共有された暗黙の規範を失墜させ、アメリカ社会の分断を導き、民主政治を破壊してしまっている、という。たいへんに深刻で逆説的な結論であるが、確かに事実というほかあるまい。

 この著者たちが述べるように、民主主義なら政治はうまくゆく、という理由もなければ、米国の憲法や文化のなかに民主主義の崩壊から国民を守ってくれるものがある、などという理由もない。これはもちろん、米国だけではなく、日本も含めてどこでも同じことだ。

 

 

(当ブログによる解説) 

『民主主義の死に方』では、以下のように述べられています。

 

「「相互的寛容」はいつでも善意によって構築されるわけではない。血みどろの南北戦争後に、民主党と共和党の間での敵対心が和らいだのは、アフリカ系アメリカ人から選挙権を取り上げることに両党が合意したからだ。南部における白人至上主義を保つことができたからこそ、民主党員の恐怖心が取り除かれ、共和党と建設的な議論や協力ができるようになったのである。」

「アメリカの政治システムを支える規範は、その大部分が人種の排斥の上に成立するものだった。人種の排斥は政党の礼節と協力の規範の大きな支えとなり、それが20世紀のアメリカ政治を特徴づけることになった。」

 

 「白人至上主義」により、自分達の優位が保証され、その精神的余裕が、「礼節」と「協力」という、寛容的精神の基盤になったということでしょうか?

 「民主主義」は、制度、道具にすぎないので、それを運用する人間の「心がけ」が大切だということです。

 


(「伝統的規範が支える民主主義」)

 さらに、今日、何事においても事態を単純化しようとするメディアやSNSの影響力を前にして、民主主義は、すべてを敵か味方かに色分けし、対立者を過剰なまでに非難するという闘争的なものへと急激に変化している。対立する両派とも、わが方こそが「国民の意思を代表している」として「国民」を人質にすることによって自己正当化をはかる。言い換えれば、対立者は「国民の敵」だというのだ。

 日本では、近年になって、人口減少化のなか、事実上の移民労働者数は急激に増加しているが、それが引き起こす社会の分断は米国や欧州ほど深刻ではない。しかも、宗教的対立は存在しない。だが、米国や欧州の事例から学ぶべきことは、民主主義の進展こそが様々な問題を解決してくれるなどと期待してはならない、ということである。

 ましてや、二つの陣営の激しい対決や批判の応酬こそが民主主義だなどと考えるわけにはいかない。民主主義を支える価値は、民主主義からでてくるのではなく、むしろ、非民主的なものなのである。社会の伝統的秩序のなかにある「自己抑制」「寛容」「思慮」「エリートのもつ責任感」といった価値観は民主主義とは関係ない。それは伝統的な見えない社会規範とでもいうべきものであり、それが失われたとき、民主主義こそが独裁者を生み出すという古代からの「法則」は、今日でもまた現実のものとなりうるのである。
(「伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む」 佐伯啓思《異論のススメ》『朝日新聞』2018年11月2日)

 


(当ブログによる解説)

 佐伯氏は、『反・民主主義論』の中で、「現代では、マスコミ『民主主義』の『支え』は、既に、かなり前に外れた」という趣旨で、以下のように説明しています。

 

「 ソクラテスは、『真理』が何かはわからないが、それがある、としておかなければ人間の知的活動などありえない、という。

 知的活動はともかくも『真理』へ向かおうとするものだからです。

 そして、真理を知ろうとするその態度(→つまり、「謙虚な態度」ということです)がまた善い社会を作り、善く生きようという政治活動にも反映されるべきだとしたのでした。

 そのときに、人は『真理』や『善』の奉仕者になり、政治は幾分かは謙虚なものとなったはずでした。

 しかし、ギリシャの民主主義者たち(ソフィストたち)は、ソクラテスがいうような『真理』も『善』も放棄し、人間こそがすべての尺度であり、力こそがすべてを生み出すことができる、とみなした。

 このときに、民主主義は『知』という支えを失ったのでした。」(『反・民主主義論』)

 

 

反・民主主義論 (新潮新書)

反・民主主義論 (新潮新書)

 

 

 

 人々は、自分とは無関係な、スポーツ選手の経済的欲望・社会的欲望の暴走は、「高い精神性や公共性」、つまり、「公正性」・「上品さ」・「徳」・「冷静さ」を掲げて制御・制限できても、自分自身の「経済的欲望」・「社会的欲望」の制御・制限はできないのではないでしょうか。

 「自由」、「権利」という名のもとに、人々は、自己が逸脱した行動をとっていることの「愚」に恥ずかしさを感じていない、あるいは、多少は感じていても、他者が同様な行動をとっていることから、自己の行動を容認しているのでしょう。

 「資本主義の進展」・「新自由主義」・「IT革命」などにより、「宗教的精神」・「道徳的精神」が薄まってしまったことも、背景にあるのでしょう。

 しかも、人々のその自己容認を承認する公教育、マスコミの報道が氾濫しているという現状があります。

 

 

(3)民主主義の、あるべき姿/対策論

 

 「民主主義の、あるべき姿」として、つまり、対策論として、どのようなことが考えられるか?

 参考になるのは、『反・民主主義論』における、以下の佐伯氏の見解です。

 概要を引用します。

 

「  民主主義にせよ、議会主義にせよ、可謬性(かびゅうせい)(→「ミスをする可能性」という意味」)の前提にたっていることを忘れてはならないのです。(→この部分は「謙虚さ」の重要性の強調です) 

 民主主義、「国民の意思」、手続きを踏んだ議会の決定は、暫定的に正当だというだけなのです。議会での決定が間違っていたかもしれない、という自己省察を放棄してはならないのです。

 民主主義であれ議会主義であれ、必要なものはある種の謙虚さと自己批判能力なのです。」

(『反・民主主義論』)

 

 ここで、佐伯氏が強調するのは、「ある種の謙虚さ」と「自己批判能力」です。

 つまり、「自分たちの行動を絶対化しない謙虚さ」と「冷静さ(自己批判能力)」です。


 この点は、今回の佐伯氏の論考(「伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む」) 、『民主主義の死に方』の趣旨と一致しています。

 

 これと同様のことを、佐伯氏は、『反・民主主義論』の別の部分でも、述べています。

 以下に概要を引用します。

 

「 本来は、デモクラシーを支えるはずの、自己省察、他者への配慮、すべては暫定的な決定だという謙虚さ、声を荒げない討議。デモクラシーを支えるはずの、自己省察、他者への配慮、すべては暫定的な決定だという謙虚さ、声を荒げない討議。こうしたものを『国民主権』のデモクラシー自身が破壊してしまった。」

(『反・民主主義論』)

 


 佐伯氏は、これまで、この「民主主義の、あるべき姿」を何度も、強調しているのです。

 1997年に発行した『現代民主主義の病理』(NHKブックス)でも、以下のように主張しています。

 
「  わたしには、現代日本の『不幸』はデモクラシーが成立していないからなのではなく、むしろ、そのデモクラシーがあまりにも規律をもたず、いわば無責任な言論の横溢(おういつ)をもたらしているところにある、と思われるのだ。 

 そして、それは、現代日本に限らず、デモクラシーというものにつきものの病気なのである。自由が秩序によって牽制され、権利が義務によって牽制され、競争が平等によって牽制されるように、デモクラシーもある種の規律によって牽制されなければ、衆愚政治に堕して自壊するのである。

 そして、デモクラシーが言論による政治を柱にする限り、言論における規律をどのように確保するかこそがデモクラシー社会の課題となるであろう。」

(『現代民主主義の病理』「序 無魂無才の不幸ー日本人の『精神』はどこへ」佐伯啓思)

 

 

現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか (NHKブックス)

現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか (NHKブックス)

 

 


 以上の佐伯氏の主張は、ある意味で「理想論」ですが、追求するべき理想論でしょう。

 対策論としては、これ以外には、ないのです。

 人々は「長期的視点」を持ち、「規律」・「真理探求」・「善」・「謙虚」・「徳」、つまり、「倫理(モラル)」を、再評価するべきです。

 そのことが、ひいては、自分自身の「長期的利益」、つまりは、「確実な幸福」につながることを意識するべきです。

 言い換えれば、短期的視点、短期的利益に従って行動することは、「可謬性」が高まること、つまり、不安定な政治を招来しかねないこと、ひいては、「自分自身を不安定な場に置くこと=不幸にすること」を、理解することが重要なのだと思います。

 

 

(4)「寛容のパラドックス」

 

 

 「寛容」に関しては、「寛容のパラドックス」を理解する必要があります。

 「寛容のパラドックス」とは、カール・ポパーが1945年に発表したパラドックスです。

 ポパーは、以下のように述べています。

 

 「もし社会が無制限に寛容であるならば、その寛容は最終的には不寛容な人々によって奪われるか破壊される。寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」

 原則的に「寛容」は守るべき重要な概念だが、例外を認めなければ、寛容な社会は実現不可能である、とするのです。

 

 以下に詳説します。

 ポパーは、『開かれた社会とその敵』において、このパラドックスを以下のように定義しました。

 

「「寛容のパラドックス」についてはあまり知られていない。

 無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。

 もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。

 この定式において、私は例えば、不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、などと言うことをほのめかしているわけではない。

 我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、抑制することは確かに賢明ではないだろう。

 しかし、もし必要ならば、たとえ力によってでも、不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ。

 と言うのも、彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。

 ゆえに我々は主張しないといけない。寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を。」

 

 
 同様の見解を哲学者ジョン・ロールズも正義論』において、以下のように述べています。

 

「  公正な社会は不寛容に寛容であらねばならない。

 そうでなければ、その社会は不寛容と言うことになり、そうするとつまり、不公正な社会ということになる。

  しかし、社会は、寛容という原則よりも優先される自己保存の正当な権利を持っている。

 寛容な人々が、自身の安全と自由の制度が危機に瀕していると切実かつ合理的な理由から信じる場合に限り、不寛容な人々の自由は制限されるべきだ」

 


 以上の、ポパー、ロールズに反対する説があります。

 例えば、渡辺一夫氏は、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」の中で、以下のように主張しています。

 

「  我々と同じ意見を持っている者のための思想の自由でなしに、我々の憎む思想にも自由を与えることが大事である。」

「  寛容は寛容によってのみ護られるべきであり、決して不寛容によって護られるべきでないという気持ちを強められる。

 よしそのために個人の生命が不寛容によって奪われることがあるとしても、寛容は結局は不寛容に勝つに違いないし、我々の生命は、そのために燃焼されてもやむを得ぬし、快いとおもわねばなるまい。

 その上、寛容な人々の増加は、必ず不寛容の暴力の発作を薄め且つ柔らげるに違いない。

 不寛容によって寛容を守ろうとする態度は、むしろ相手の不寛容をさらにけわしくするだけであると、僕は考えている。その点、僕は楽観的である。

 ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える不寛容のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思われる寛容よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせてくれる場合も多いということである。

 あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように。だがしかし、僕は、人間の想像力と利害打算とを信ずる。人間が想像力を増し、更に高度な利害打算に長ずるようになれば、否応なしに、寛容のほうを選ぶようになるだろうとも思っている。

 僕は、ここでもわざと、利害打算という思わしくない言葉を用いる。」

(「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」渡辺一夫)

 

 あくまでも、理想論を貫く態度は見事だと思います。

 

 
(5)「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」渡辺一夫/1993年慶應義塾大学文学部・小論文試験・課題文

 

 上記の渡辺氏の論考は、1993年の慶應義塾大学文学部の小論文試験課題文として出題されています。

 以下に引用します。

1993年慶應義塾大学文学部・小論文・課題文

「つぎの文章は、1951年に書かれた渡辺一夫氏のエッセイである。これを読んで、以下の設問に答えなさい。

(問1) この文章の主旨を300字以内で要約しなさい。

(問2) 筆者の主張は、今日の状況においても妥当か否か、あなたの立場を明確にして、400字以内で論じなさい。」

 

「  過去の歴史を見ても、我々の周囲に展開される現実を眺めても、寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称して、不寛容になった実例をしばしば見出すことができる。しかし、それだからと言って、寛容は、自らを守るために不寛容に対して不寛容になってよいというはずはない。

 割り切れない、有限な人間として、切羽つまった場合に際し、いかなる寛容人といえども不寛容に対して不寛容にならざるを得ぬことがあるであろう。これは、認める。しかし、このような場合は、実に情ない悲しい結末であって、これを原則として是認肯定する気持は僕にないのである。

 その上、不寛容に報いるに不寛容を以てした結果、双方の人間が、逆上し、狂乱して、避けられたかもしれぬ犠牲をも避けられぬことになったり、更にまた、怨恨と猜疑とが双方の人間の心に深いひだを残して、対立の激化を長引かせたりすることになるのを、僕は、考えまいとしても考えざるを得ない。

 従って、僕の結論は、極めて簡単である。寛容は自らを守るために 不寛容に対して不寛容たるべきでない、と。繰返して言うが、この場合も、悲しい、また呪わしい人間的事実として、寛容が不寛容に対して不寛容になった例が幾多あることを、また今後もあるであろうことをも、覚悟はしている。

 しかし、それは確かにいけないことであり、我々が皆で、こうした悲しく呪わしい人間的事実の発生を阻止するように全力を尽さねばならぬし、 こうした事実を論理的にでも否定する人々の数を、一人でも増加せしめねばならぬと思う心には変わりがない。

 人間は進歩するものかどうかは、むつかしろうが、人間社会全体の存続のために、人々が様々な契約を作り出し、各自の怒意による対立抗争の解決に努力している点では、確かに進歩があると言ってもよいであろう。ヨーロッパの昔 (中世前期)においては、個人間に悶着が起った時には、大名なり王者なりの前で、 当該係争者が決闘をして、勝った者が神の意に適ったものとして、正しいと判ぜられたという。これは、弱肉強食から、人間が一歩前進して、何らかの契約を求めて、弱肉強食を浄化する意志を持っている証拠のように思われる。その後、様々な法令が作られて、個人間の争闘は、法の名によって解決され、人間は死闘の悲惨から徐々に脱却しつつあると言ってもよいであろう。 

 人間は嘘をつくし、逆上して殺人もする。しかし、嘘をついたり、殺人をしたりしてはいけないという契約は、いつの間にか、我々のものになって居り、嘘をつく人や殺人犯人は、現実にはいることを、悲しく呪わしい人間的事実として認めても、これを当然の事実として認める人はいないはずである。 寛容が不寛容に対して不寛容になってはならぬ、という原則も、その意味で、強く深く人々の心のなかに、新しい契約として獲得されねばならない。たとえ、前に述たような悲しく呪わしい人間的事実が依然として起るとしても。

 いくら、こうした原則が設けられても、不寛容が横行する以上どうにもならぬではないか、とも言われよう。しかし、右のような契約が、ほんとうに人間の倫理として、しっかりと守られてゆくに従い、不寛容も必ず薄れてゆくものであり、全く跡を絶つことは、これまた人間的事実として、ないとしても、その力は著しく衰えるだろうと僕は思っている。あたかも嘘言や殺人が、現在においては、日陰者になっているのと同じように。

 寛容と不寛容との問題は、理性とか知性とか人間性とかいうものを、お互いに想定できる人間同士の間のことであって、猛獣対人間の場合や、有毒菌対人間の場合や、 天災対人間の場合は、論外とすべきであろう。人間のなかには、猛獣的な人間もいるし、有毒菌的天災的な人物もいるにしても、普通人である限りにおいでは、当然問題の範囲内に入ってくる。ただ、このような人間は、 その発作が病理学的な場合もあり無智の結果である場合もあるから、問題の範囲内に入れるとしても、これも別に論じなければならぬことになろう。ここでは、概念的すぎるかもしれないが、普通の人間における不寛容と寛容との問題だけに焦点の位置を限らねばならない。

 秩序は守られねばならず、秩序を乱す人々に対しては、社会的な制裁を当然加えてしかるべきであろう。しかし、その制裁は、あくまでも人間的でなければならぬし、秩序の必要を納得させるような結果を持つ制裁でなければならない。

 更にまた、これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当たる人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を乱す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果たして永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を乱す人々のなかには、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。

 即ち、秩序を守ることを他人に要求する人々は、自らに とってありがたい秩序であればこそ、正に、その改善と進展とを志さねばならぬはずである。寛容が、暴力らしいものを用いるかに見えるのは、右のような条件内においてのみであろう。しかし、この暴力らしいもの、即ち、 自己修正を伴う他者への制裁は、果して暴力と言えるのであろうか?

 十字路の通行を円滑ならしめるための青信号赤信号は暴力でないし、戸籍簿も配給も暴力ではない。人間の怒意を制限して、社会全体の調和と進行とを求めるものは、契約的性格を持つが故に、暴力らしい面が仮にあるとしても、暴力とは言えない。そして、我々がこうした有用な契約に対して、暴力的なものを感ずるのは、この契約の遵守を要求する個々の人間の無反省、 傲慢或いは機械性のためである。例えば、無闇やたらに法律を盾にとって弱い者をいじめる人々、十字路で人民をどなりつける警官などは、有用なるべき契約に暴力的なものを附加する人々と言ってもよい。こうした例は無数にある。用いる人間しだいで、いかに有用なものでも、有害となり、暴力的になるように思う。このことは、あらゆる人々によって、日常茶飯のうちに考えられていなければならぬことであろう。

 寛容と不寛容とが相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものであるが、それはあたかもジャングルのなかで人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。ただ違うところは、猛獣に対して人間は説得の道が皆無であるのに反し、不寛容な人々に対しては、説得のチャンスが皆無ではないということである。そこに若干の光明もある。

 人間の歴史は、一見不寛容によって推進されているようにも思う。しかし、たとえ無力なものであり、敗れ去るにしても、犠牲をなるべく少なくしようとし、推進力の一つとしての不寛容の暴走の制動機となろうとする寛容は、過去の歴史のなかでも、決してないほうがよかったものではなかったはずである。」

(渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」)

 

 上記の「課題文」の「要約」は、以下の通りです。

 

 「過去の歴史や、我々の周囲の現実を眺めても、寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称し、不寛容になった実例がしばしばある。

 しかし、だからといって、寛容は自らを守るために不寛容に対し不寛容になってよいはずはない。不寛容に報いるに不寛容を以ってした結果双方の人間が、避けられたかもしれぬ犠牲をも避けられぬことになったり、更にまた、怨恨と猜疑とが双方の人間の心に深いひだを残し、対立の激化を長引かせたりすることになるのを、僕は、考えざるをえない。寛容は、自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきではない。

 人間は進歩するものかどうかは、むつかしい問題である。しかし、人間社会の存続のために、人々が様々な掟や契約を作り出し、各自の怒意による対立抗争の解決に努力している点では、進歩があると言ってもよい。

 寛容が不寛容に対して不寛容になってはならない、という原則も、契約として獲得される必要がある。

 秩序は守られねばならず、秩序を乱す人間に対しては、社会的な制裁を加えてしかるべきであろう。だが、その制裁はあくまでも人間的でなければならない。

 寛容と不寛容が相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対し、不寛容は何の躊躇もなしに暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器は説得と自己反省しかない。寛容は不寛容に対する時、常に無力である。

 人間の歴史は、不寛容によって推進されているようにも思う。しかし、たとえ無力なものでも、寛容は過去の歴史の中で決してないほうがよかったものではない。寛容は、不寛容の暴走の制動機になろうとしてきたのである。」

(「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」渡辺一夫)

 

 そして、渡辺氏は、このエッセイの最終部分でこう記しています。


「  初めから結論が決まっていたのである。現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々はそれを激化せしめぬように努力しなければならない。争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない。歴史の与える教訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、それを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬように務めることにより、はじめて、人間の進展も幸福も、より少ない犠牲によって勝ち取られるだろうということも考えられてよいはずである。」

(「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」渡辺一夫)

 

 「寛容」は、「多様性」、「グローバル化」の論点のキーワードです。

 「寛容をいかに考えるか」は、非常にデリケートな問題です。

 佐伯氏の「せめて議論の場合は寛容に」という、控え目な提案にさえ、反対する見解は根強いのです。

 受験生としては、自分の立場を決定する前に、「寛容」に関する議論を、しっかりと理解しておくべきでしょう。

 

 (6)「戦う民主主義」

 

 なお、「寛容」に関しては、「戦う民主主義」を理解しておくことも大切です。

 「戦う民主主義」とは、ドイツをはじめとするヨーロッパで顕著な、民主主義理念の一つです。 

 民主主義を否定する自由、民主主義を打倒する権利を認めない「民主主義」です。


 民主主義体制を維持するためには、国民に、思想の自由、表現の自由を保障することが不可欠です。

 しかし、国民が、何らかの説得・誘導により、自分の政治的自由を自ら放棄し、民主主義的手続きにより、民主主義制度廃止の手続きをした場合はどうなるのでしょうか。

 このような民主主義体制の自滅の結果として、独裁制が成立する危険性があります。

 そこで前もって、「民主主義体制を敵視する自由」を制限し、民主主義体制維持を自国民に義務付ける、という防御手段を採用しておくことが考えられます。

 このように、民主主義的手続きで民主主義体制を否定しようという勢力から、民主主義体制を守るという発想が「戦う民主主義」です。

 

 これは、「ナチズム」の教訓に沿った思想です。

 「ナチズム」が民主主義の中から発生してしまった歴史を直視し、熟考した結果の思想なのです。

 これは、寛容を重視する伝統的リベラリズムにおいて、「人はすべての場合に寛容であるべきという必要はなく、不寛容な者には不寛容であるべき」という例外的処置が肯定されていることとも対応しています。

 

 しかし、「民主主義」の具体的内容は、一義的に決められるものではありません。

 歴史的に見て、国、宗教、民族等により、多様な内容を含んでいます。

 現在でも、民主主義の具体的内容として統一的な見解が得られているわけではありません。

 

 民主主義の内容・定義のこうした多様性を無視して、特定の思想を「ナチズム」として排除することは、場合によっては、権力者によって濫用され、「表現の自由」(→自由主義の根幹であり、民主主義の前提)が侵害されるおそれがあります。

 つまり、「ナチズム的」という、極めて曖昧なレッテルを貼れば、容易に「表現の自由」を制限することが可能になります。

 

 さらに、特定の価値に優劣はなく、また、優劣をつけるべきではないという、価値相対主義的な立場からも、「戦う民主主義」の思想には、異議が唱えられています。

 これらの点から、「戦う民主主義」の思想を採用している国は多くはありません。

 

 

(7)当ブログにおける「民主主義」、「デモクラシー」、「寛容」関連記事の紹介

 

 

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ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

    

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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予想問題/『思いつきで世界は進む』橋本治 (ちくま新書)

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 2019年1月29日、作家の橋本治氏が、惜しまれつつ、死去しました。

 70歳でした。

 橋本治氏は、慈愛と反骨、スジ重視の著作者です。

 だから、読者も多かったのでしょう。

 

 橋本治氏は、入試頻出著者でもあります。

 最近では、橋本治氏の著作は、京大、愛媛大、立教大、南山大、明治学院大、二松学舎大、文教大等で出題されています。

 橋本氏の現代文明論、現代文明批判、特に、日本人論、日本社会論は、どれも切り口が巧みで、本質を深く、分かりやすく説明しています。

 だからこそ、入試頻出著者になっているのでしょう。

 

 そこで、今回は、現代文(国語)・小論文対策として、橋本氏の最後の著書『思いつきで世界は進む』を、橋本氏の他の著書も参照しつつ解説していきます。

 今回の記事は、「橋本治追悼特集」の第3回です。

 前回、前々回の記事も参考にして下さい。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 

 今回の記事の項目は以下の通りです。

 記事は約1万5千字です。

 

(2)橋本治氏の「使命感」

(3)橋本氏の「疲労」について

(4)橋本氏の嘆き、疑問、怒り

(5)AI のマイナス面・危険性

(6)「不幸な子供」としての「バカ」/自己承認欲求と平等地獄

(7)なぜ、「バカ」は「下品」なのか?/「自己主張」の意味、あり方

(8)「日本人のバカ」と「反知性主義」の関係/むしろ無思考

(9)無思考の帰結①/日本における「自己」・「個性」についての誤解

(10)無思考の帰結②/「老成」を忌避する現代日本社会の問題点

(11)対策論/「思考」/「公共」に対する「自己」の「働きかけ」

 

 

思いつきで世界は進む (ちくま新書)

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(2)橋本治氏の「使命感」

 

 橋本治氏は「啓蒙」というより、論理的な「自分の気付き」、感覚的な「自分の気付き」を他者に広めることに使命感を抱いていたようです。

 他者の人間的な存続のために。

 そして、日本、東京、故郷、自分の思い出、友、そして、自分の存続を保持するために、我が身を削り、橋本氏は奮闘したのでした。

 私は、そのような橋本治氏の姿に、津波襲来を知らせる「『稲むらの火』の物語」を感じています。

 「『稲むらの火』の物語」とは、一人の老人が地震後、津波が襲ってくると予感し、収穫後の稲むら(→当ブログによる「注」→「稲むら」{稲叢)は刈り取った稲を積み上げたもの)に火を放ち、多くの人々を救った物語です。

 1854年(安政元年)12月23日、安政の東海地震が発生し、その32時間後に襲った安政の南海地震の時の話です。

 

 橋本氏は、天性の鋭敏なセンサーを持ち、嫌なものを、はっきり嫌と言って、私達に、現代や近未来の危機を知らせてくれたのです。

 橋本氏は、自分が、不安を呼び起こすものを誰よりも、いち早く察知する「鋭敏なセンサー」を持っていることを、自覚していました。

 その才能を世のために生かすことについて、強い使命感を抱いていたのでしょう。

 この点について、橋本氏は、『たとえ世界が終わっても』の中で以下のように述べています。

 

 「 私は個人的には、「世界が終わってもかまわない」と思ってはいます。なにしろ、私の残りの人生は「どうでもいい消化試合」ですから。でも、そのまんまにしておくことはいかにも無責任です(私が誰に対して責任を感じているのかは分かりませんが)。だから私は、この本に『たとえ世界が終わっても』というタイトルをつけました。「終わっても、まだ未来はある」という意味です。

(『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』橋本治)

 

 

たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ (集英社新書)

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 また、次の発言(『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』橋本治・第一回小林秀雄賞受賞インタビュー』)にも、橋本氏の「覚悟」が感じられます。

 

「  私は賞をもらうのは「小林秀雄賞」を最後にしたいですよ。賞をもらうというのは、責任を背負うということですから。小林秀雄というのはそれを人に要求するような名前なんだと思う。私と小林秀雄がなんか関係があるとは思っていなかったけど、突然やって来られると、「小林秀雄がして来たことをある部分で受け継ぐという責任があなたにはあります」と言われたようなもんでしょう。なんか、明日の日本を創る人材をつくるために、働きなさいって言われているような気がしないでもないですね。(笑)

(『第一回小林秀雄賞受賞インタビュー 橋本治』)

 

 上記の発言は、「小林秀雄賞」の意味を理解し、「明日の人材を創るために執筆すること」を宣言しているようです。

 

 また、次の、「時代の終わり」と「人の死」の関係についての記述は、重層的な味わいがあります。

 「死」の考察と共に、橋本氏の「覚悟」が、何となく感じられるのです。

 かなり深い内容を含んでいると思います。

 私は、立ち止まりつつ、何度も精読してしまいました。

 重要な部分を抜粋して引用します。

 

「  多分、人はどこかで自分が生きている時代と一体化している。だから、昭和の終わり頃に、実に多くの著名人が死んで行ったことを思い出す。

 昭和天皇崩御の一九八九年、矢継ぎ早とでも言いたいような具合に、大物の著名人が死んで行った。一部だが、天皇崩御の一月後に手塚治虫が死に、翌月には東急の五島昇、翌月には色川武大、松下幸之助、五月には春日一幸、阿部昭、六月になって美空ひばり、二世尾上松緑、七月は辰巳柳太郎、森敦、八月に矢内原伊作、古関裕而、九月は谷川徹三、一月おいて十一月が松田優作、十二月が開高健。今となっては「誰、この人?」と言われそうな人も多いが、死んだ時は「え?! あの人も死んだの?」と言われるような大物達だった。

 昭和天皇の享年は八十七で、当時としては(そして今でも多分)高齢だった。しかしだからと言って、昭和という時代の終わりと共に世を去った人達がすべて高齢だったというわけではない。手塚治虫は六十歳、美空ひばりは五十二歳で死に、松田優作は四十歳だった。当時は「早過ぎる死」のように思われた。しかし、今になって引いて見れば、この人達は自分の仕事をやり遂げて死んだのだ。

 やり遂げて、その年齢で死んだ。時代を担い、五十代六十代で死んで行った昭和の人達を思うと、その死がなんだか潔く思える。

(「人が死ぬこと」『思いつきで世界は進む』橋本治)

 

特に、

「  昭和という時代の終わりと共に世を去った人達がすべて高齢だったというわけではない。手塚治虫は六十歳、美空ひばりは五十二歳で死に、松田優作は四十歳だった。当時は「早過ぎる死」のように思われた。しかし、今になって引いて見れば、この人達は自分の仕事をやり遂げて死んだのだ。

 やり遂げて、その年齢で死んだ。時代を担い、五十代六十代で死んで行った昭和の人達を思うと、その死がなんだか潔く思える

の部分を、橋本氏の「死」に重ね合わせて読むと、胸に迫るものがあります。

 まるで、自分の「疾走してきた人生」を語っているようにも思えるのです。  

 「自分の人生」、「自分の死」の総括のような記述にも読めるのです。
 

 

 
(3)橋本氏の「疲労」について


 
 橋本氏は、恒常的に、かなり疲れていたのでしょう。 

 今から考えてみると、痛ましい内容の文章を、さらっと書いています。

 2015年に出版された『いつまでも若いと思うなよ』には、以下のような記述があります。

 

「  他人の葬式に行って、棺の中に横たわっている仏様を見ていつも思う。「ああ、もう頑張らなくていいんだなァ」と。「死ぬとゆっくりと出来る」と私は思っているから、安らかに眠っている仏様を見ると「羨ましいな」と思う。

「  七十歳と言えば「古稀」の年で、「人生七十、古来稀れ」なんだから、人間の寿命が七十であってもいいんじゃないかという気がする。

「この人生は仕事だけということにして、死んで生まれ変わったら遊んでいるということにしよう」と思った。

(『いつまでも若いと思うなよ』橋本治)

 

 

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

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  『いつまでも若いと思うなよ』が出版された2015年には、橋本氏は60代後半でした。

 橋本氏は、この頃から、「死」を強く意識していたのでしょうか。

 この頃の橋本氏の心中を思うと、橋本氏の覚悟、悲しみ、諦念が想像され、心が熱くなります。

 それゆえに、私達は、橋本氏の思いを無断にしないために、彼の著作を何度も読み返すべきなのでしょう。 

 

 

(4)橋本氏の嘆き、疑問、怒り


 『思いつきで世界は進む』の中には、橋本治氏が、癌になった自分の現状、人生を嘆くだけではなく、「他者」、「世の中」を心配している記述があります。

 自己が危機に陥っているのに、なお、他者のことを考えようとする、橋本氏の独特の「人のよさ」が感じられ、不思議に、しみじみとした味わいになっています。

 以下に一部を引用します。

 

「  その初めに「癌です」と言われた時、「あ、そうですか」ですませてしまった私は、癌なる病を他人事と思っている。

 しかし、癌はもう他人事ではない。今年の三月、私の友人でエージェントをしていた男が癌で死んだ。その前年の三月にもまた一人。樹木希林も加藤剛も癌で死んだ。癌はいやらしいほど静かに近付いている。今や日本人の半分が癌で死ぬともいう。なぜ癌はそんなにも近づいて来るようになったのか?

 京大の本庶佑先生がノーベル医学生理学賞を受賞された。癌の治療薬オプジーボにつながる、免疫細胞の中にある癌細胞を攻撃する仕組を解明されたのだという。それはいい。それはいいが、「癌を治す」という方向にばかり進んで、「人はなぜ癌になるか」がほとんど解明されていない。

 癌は感染症じゃない(はずだ)。それなのに、癌患者がどんどん増えて行くのはなぜなんだろう? 我々の生きている空気や環境の中に発癌性物質が増えてでもいるのか? あるいは食物に。なってからでは遅い─というか早期発見もあるが、なぜなるのか分からないと防ぎようがない。

(「なぜこんなに癌になる?」『思いつきで世界は進む』橋本治)

 

「  癌は感染症じゃない(はずだ)。それなのに、癌患者がどんどん増えて行くのはなぜなんだろう? 我々の生きている空気や環境の中に発癌性物質が増えてでもいるのか? あるいは食物に

の部分は、私達に対する警告になっています。

 私達は、各人が「癌」を強く意識して、「空気」、「環境」、「食物」に、さらに警戒をするべきなのでしょう。

 

(5)AI のマイナス面・危険性

 
 橋本治氏は、一般的にはプラス面しかない現象にも、「致命的なマイナス面」を嗅ぎわける特異な能力を備えていました。

 そして、大きなマイナス面がある以上は、その現象を断固として拒絶し、糾弾する強い意志を表明するのでした。

 小気味のよい、その態度に私は、いつも感銘を受けていました。

 大人の事情、他者の思惑、目先の計算、常識を無視した潔さは爽やかで、読んでいて、心が晴れ晴れとしていくのです。

 『思いつきで世界は進む』の中の、次の一節は、その一例です。
 

 「 子供達が人間関係を持てなくなって、人間との関係そのものが分からなくなったら、とんでもないことになると思うのだが、発展したい「経済」の方はそう考えないらしい。「AIを導入すれば、煩わしい人間関係を省略した便利な生活が手に入る(だから我が社の経済活動に利用者として参加して下さい)」と言っているような気がする。「一つの便利を手に入れれば、その分人間はなんらかの能力を失う」と私は思っているから、「これは便利」のアピールに対して懐疑的だ。

「呼べば応えてなんでもやってくれるAI」に慣れてしまえば―そういう育ち方をすれば、「言ってもなにもしてくれない!」という不満を他人に対して持つ人間も出て来るだろう。そのてのわがまま人間は、AI以前にもういくらでもいるが、AIが普及するとその内に、「あのね、人間は機械じゃないからね、ただ命令しても言うことなんか聞いてくれないの」という教育をしなけりゃならなくなるのかもしれない。

「あれ? これどう動くんだろう?」と思って、オモチャや機械を分解してしまう子供は普通にいるが、「人を殺してみたい」というのも、もしかしたらその流れの中にあるのではないか? そう考えると、「他人に対する関心の妙な希薄さ」というのも分かるような気がする。

(「人間は機械じゃない、機械は人間じゃない」『思いつきで世界は進む』橋本治)

 

 AIは、現代においては、その利便性を高く評価されている科学技術です。

 ある意味で、崇拝の対象にさえ、なっているとも言えます。
 
 その一方で、橋本氏は、「殺人事件の動機」の主な背景にAIを考えているのです。

 世間の評価に惑わされず、AIの背後に潜む重大な危険性を察知する観察眼に、私は感服します。
 
 

 また、現代日本の「宅配ブーム」を徹底的に糾弾する次の論考も、痛快です。

 宅配ブームの影の、現場の労働者の過酷な実態を我事のように考えて、無神経な利用者に反省を促しているのです。 

 バカな利用者は、反省をしないでしょうが。

 一部の「心ある利用者」に向けての記述なのでしょう。

 

「  少し前、「配達先の不在に怒った宅配便の運転手が、届ける荷物を蹴飛ばしている」というニュース映像が流れた時、「よく分かる、俺だってそうなったら、怒って荷物を蹴飛ばしている」と、運転免許を持っていなくて宅配便のトラック運転手になんかなれるはずのない私は、思った。

 自分で勝手に「届けろ」と注文をしておいて、届いた時には留守にしていて、当然のように再配達が要求されて、それが一度ならず二度三度と繰り返される。同じ人間のところへ同じ荷物を持って何度も行って、そのたんびに不在だったら、「この野郎、ぶっ殺してやろうか」になっても不思議はない。私だったらぶち切れちゃう。だから私は、自分から宅配便を頼むということをしない。

 ネット通販の最大の誤解は、「電波が荷物を運んで来る」と思い込まれていることだ。

 電波は物なんか運べないの。あんたが、「ここのどら焼きおいしそうだから」という理由で遠隔地の店に「お取り寄せ」をすると、それを運ぶために、人間が実際に動くの。あんたが外でボーッとしてれば、物を運ぶ人間は何度も何度も動くの。「この服いらないから誰かに売っちゃお」っていうんで「フリマ」なるアプリを使えば、そこでまた実際に人が動くの。どれだけの数の人間が、「便利」という名の無駄な行為のために動かされるんだろうか?「お前のどら焼き」や「蟹の脚」を運ぶために、どれだけ有為の人間が宅配ドライバーとして働かされなきゃいけないのだろうか? 「人が足りなきゃドローンで運ぶ未来もある」なんて寝ぼけたことを言っているが、「空を見上げるとドローンの大群が―」という恐ろしい未来なんか見たくない。それよりも自制しろよ。

(「電波で荷物は運べない」『思いつきで世界は進む』橋本治)
 

「  自分で勝手に「届けろ」と注文をしておいて、届いた時には留守にしていて、当然のように再配達が要求されて、それが一度ならず二度三度と繰り返される。同じ人間のところへ同じ荷物を持って何度も行って、そのたんびに不在だったら、「この野郎、ぶっ殺してやろうか」になっても不思議はない。

の部分は、説得力のある一節です。

 悪いのは、バカな利用者です。

 

 また、最後の

「人が足りなきゃドローンで運ぶ未来もある」なんて寝ぼけたことを言っているが、「空を見上げるとドローンの大群が―」という恐ろしい未来なんか見たくない。

の部分は、非現実的な未来予測、あるいは、気味の悪い未来予測に対するコメントでしょうか?

 確かに、考えたくない「未来予測」です。
 

 

 (6)「不幸な子供」としての「バカ」/自己承認欲求と平等地獄


 
 「バカ」の中には、「不幸な子供」としての「バカ」が多いようです。

 いつまでも大人になりきれない、子供のままの成人達。

 中年になっても子供のままでいられるというのは、日本が平和な証拠です。

 しかし、子供のままのオジサン、オバサンというのは、痛ましい、哀れな存在です。   
 「愚か」を絵に描いたようなものです。

 本人達は、その惨めさに気付かないのでしょうか? 

 

 そして、「自己承認欲求」という、バカバカしい幼児臭の強い、自己意識にまみれた用語。

 それに、平等思想の曲解が付加されて、現代は、世界的に「自己承認欲求」というバケモノが闊歩する時代のようです。

 世界的な幼児化現象です。

 反知性主義が世界を覆っているのです。
 

 橋本氏も、このような現象に、うんざりしているようです。 

 以下に橋本氏の見解を引用します。

 

 「 この半年くらい、気がつくと「自己承認欲求」という言葉をよく聞いていた。どうでもいい写真の類をSNSに上げるのは自己承認欲求だ、とか。分かりそうなものだが、よく考えると分からない。どうしてそれが「下らない自己主張」ではなくて、「自己承認欲求」なんだ? と考えて、「自己主張ならその受け手はなくともいいが、自己承認欲求だと受け手はいるな」と気がついた。相手がいなくても勝手に出来るのが自己主張だが、自分を認めてくれる相手を必要とするのが自己承認欲求で、そう思うと「なんでそんな図々しいこと考えるんだ?」と思う。

 世の中って、そんなに人のことを認めてなんかくれないよ。「あ、俺のこと認めてくれる人なんかいないんだ」と気がついたのは、もう三十年以上前のことだけど、気がついて、「認められようとられまいと、自分なりの人生を構築してくしかないな」と思って、「人生ってそんなもんだな」と思った。取っかかりがない、風の吹く広野を一人行くとか。そう思ってしまうと、自己承認欲求というのは、不幸な子供が求めるもので、大人が求めるようなものではないと思うのだが、今や大人は、みんな「不幸な子供」なんだろうか?

 そうかもしれない。「自分はもう一人前の大人なんだ」という明確な自覚を持てなかったら、それはもう「不幸な子供」になってしまうだろう。

 自己承認欲求というのは、今や当たり前のように広がっているらしい。ということは、「自分はその存在を誰かから認められていいはずだ」という願望を持つ人が当たり前に存在しているということで、しかもその「認められていいはずだ」で提出するものが、どうってことのないものだったりする。つまるところ、誰もが皆、「私は認められてしかるべきだ」と思う根拠を勝手に持っているということで、人間の平等はそのような形で達成されちゃったらしい。

 ということになると、ここからが難問で、みんなが「私も認められたい」状況になってしまった時、誰がその承認欲求を満たしてくれるんだろうか? 芥川龍之介の昔なら、その下が地獄の底とつながっている極楽の蓮池のふちをぶらぶらとお歩きになるお釈迦様もいて、「あの者をこのままにしておくのは可哀想だから」と思し召されて蜘蛛の糸を下ろされたりもしようけれど、みんなが平等になっちゃうと、蓮池越しに下を覗き込むお釈迦様のような特別な人もいなくなってしまう。

 他人を認められるだけの特別な立場を持つ人がいなくなっているにもかかわらず、「誰かに、誰にでも、認められたい」という欲求を持ってしまったら、その時から「誰でも自由に希望を口に出来る平等」は、「自己承認欲求のさざ波が立つ平等の血の池地獄」に変わってしまうが、どうするんだろう? と考えた。

(中略)

「これからどうするんだろう?」ということもあるが、よく考えれば、自己承認欲求というのは、平和がもたらした贅沢な産物だ。

(「自己承認欲求と平等地獄」『思いつきで世界は進む』橋本治)

 

 上記の「不幸病」は、どう見ても、反知性主義の成れの果ての、低レベルな現象でしょう。

 「不幸病」、つまり、「不幸な子供」から脱却するためには、「自己の価値観」を確立する必要がある、と以下のように、橋本氏は述べています。

 

「  「幸福」とは、余分なことを考えなくてもすむ状態です。

 他人のモノサシではなく、自分のあり方を割り出して行くのが、「自分はあんまり幸福じゃない病」 を治す道だと思います。

(『かけこみ人生相談』橋本治)

 

 他者の評価、価値観に捕らわれるから、自分は「不幸」であると考えるのでしょう。

 他者を過剰に意識することが問題なのです。

 まずは、自立することです。

 自己の価値観を確立して、それを信じることが必要なのでしょう。

 この点について、橋本氏は、以下のように述べています。

 

「  幸福は待っていてもなかなか棚から落ちては来ません。たとえ落ちてきて幸福なときがあったとしても、それは「まぐれ」で、再び幸福を味わうには訓練が要ります。

 ただ、自分で幸福の欠落を知るためには、自分の好む人間関係とは独立して自由な考えを持つこと、つまり、"孤独"を知る必要が出てきます。

 "孤独"を知る作業は、自分の過去を振り返り、評価、対象化することでわかりますが、そこにも幸福でない自分を見てしまいます。ここで安直に自分を肯定してしまうと、幸福にならなくても良い、孤独のままでいいと考えてしまう場合があります。これが「自己対象化の罠」です。

 ただ「孤独」とは「要請された自立」の別名で、自立をあまり意識しないから自己対象化の罠に嵌るのです。対象化した自分とは別の自分、現在の自分がいて、その自分は対象化した自分に甘んずることなく、何をすべきか判断出来る状態のことを自立と言うのです。

(『人はなぜ「美しい」がわかるのか』橋本治)

 ところで、「自己承認欲求」という「流行病」は、日本においては学者にまで蔓延しているようです。

 この点について、橋本氏は、『蓮と刀——どうして男は“男”をこわがるのか?』の中で、興味深い指摘をしているので、以下に引用します。

 

「  ヘンなもんに手を出したらヘンな目で見られる。だから、やらない。ヘンなもんに手を出せても、それを発表すれば確実にヘンな目で見られることが分ってる。だから、やんない。ヘンな目で見られたって構わないと思って発表したとしたって、そんなヘンなこと公けにしたのはその人が最初だから、誰にもそれを認めては貰えない。そんな無駄なことやったってしようがないと思っているだろう、日本の学者は。

 日々の生活とか世間付き合いとか、日本の先生達にも、色々事情はあるのだろう。エライ先生に睨まれると、日本では、ちょっと、生きて行きにくくなるから。

 でも、俺不思議なんだ。どうして日本の先生は、“認めてもらおう”って思うんだろう? 自分が最初なのだったら、認めてもらえる訳なんかない——“分ってもらえる”ってことはあっても。

 でも、日本の先生は、やっぱりそういうことはやらない。「俺はエライんだから分れ!」と押しつけることはあっても。“討論の結果、ここはこう修正いたしました”ということもあまりない。日本の学界は、あまり新しい説が出て来ることは期待してない。自力で“真実”探して来て、自分が真理の開祖になれるかもしれない、そういう気は、日本の学者には、ない。新しいことは、みんな、クロフネに乗って海の向うから来るとでも、相変わらず思っているのか?

(『蓮と刀——どうして男は“男”をこわがるのか?』橋本治)


 日本においては、学者の世界にまで、自己承認欲求というバカな流行病が広まっているのかと思うと、溜め息が出てきます。

 日本の集団主義崇拝の、悲しき一側面なのでしょうか。

 

 

(7)なぜ、「バカ」は「下品」なのか?/「自己主張」の意味

 

 橋本氏は『知性の顚覆』の中でも、日本人の自己主張のバカバカしさを、皮肉たっぷりに述べています。

 そして、強い自己主張が、なぜ下品なのか、について丁寧に説明しています。

 この橋本氏の見解は、現代文、小論文の入試頻出論点である「現代文明批判」、「日本人論」として、秀逸な内容になっていると思います。

 以下に引用します。

 

「  誰にでも「自己主張」だっだり「自己表明」が出来る。

 誰もがみんな自己主張をしたいーー「黙っていると自分が埋もれてしまう」ーーと思っているからなんだろうが、私はやっぱり自己主張というものの本来を、「社会の秩序を乱す不良のするもの」だと思っているので、いつそんなものが当たり前に広がってしまったのだろうと考えてもいる。考え方としては、「社会の持っていた強制力が落ちたか、あるいはなくなったから、自己主張の仕放題」ということになるのだろう。

 どうして「自分の自己」を主張したがる人が、「それぞれの違い」ではなくて、「みんなとおんなじ」を強調したがるのかという不思議である。そして、もしかしたら、それは不思議ではない。どうしてかというと、不良はあまり単独で存在しないからだ。

「欲望を包む皮」は薄い方がいいということにもなるのかもしれないが、その皮が薄すぎると、中の「欲望」のあり方が透けて見えて、丸分かりになる。「下品」というのはそうなってしまった状態を言うのだが、そういうモノサシを使うと、「自己主張は下品だ」ということになる。「自己主張」というのは、よく考えてみれば、自分の「欲望」を押し出すことだから、あまりそんな風には言われないが、自己主張が強くなれば、事の必然として「下品」になってしまう。」

 「未熟」というものを野放しにしてしまえば、下品にしかならない。これは、身分制社会のあり方とは関係ない、社会的ソフィスティケイション(→(「知的に洗練された」、「優雅」、「高尚」という意味)の問題である。

(「第五章 なぜ下品になったのか」『知性の顚覆』橋本治)

 

「自己主張」というのは、よく考えてみれば、自分の「欲望」を押し出すことだから、あまりそんな風には言われないが、自己主張が強くなれば、事の必然として「下品」になってしまう

の部分は、特に鋭い指摘です。

 大人が、あまりに強い自己主張をしていると、なぜ下品になるのか、バカに見えるのか、についての疑問が、この一節により氷解するのです。

 現代は、「欲望丸出しバカの大群」が、あちらこちらに点在している時代です。

 バカを嫌う人は、その醜悪な状況を避けるためもあって、群衆自体に近付かないようですが、橋本氏も同様の感性を持っているようです。

 

 

知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造 (朝日新書)

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 この点に関連して、『思いつきで世界は進む』の中で、私が強く共感した一節を以下に引用します。

 

「  実はもう何年も前から思っていたことがある。NHKの天気予報で特徴的なのだが、「今この地では某の花が咲きました」という季節のトピック映像で、必ずと言っていいほど、カメラを持って咲く花に迫る中高年の男の姿が映る――しかもアップで。「映すんなら花映せよ」と思うが、それを邪魔するように中高年が出て来る。アマチュアカメラマンがきれいな季節の花を撮ってたっていいけど、そのことを季節のニュースに映し出す必要ってあるか? 「きれいな花より、カメラを構える中高年のオッサン」になると、それは中高年の男達に「皆さん、カメラを持って出て来て下さい」とアピールしているようにも思えてしまうが、それ必要?

 中高年のオッサンじゃなくて、オバサンならいいのか、若い女ならいいのかという、カメラを構えている側の見てくれの問題ではなくて、「写真を撮る」という行為が「被写体となるものを我が物とする」というような欲望丸出しの行為だから、やなの。「そんなもん、見せなくたっていいじゃないか」と、ニュースを流す方に対して思う。多分、それが「欲望を丸出しにする行為」だと思われていないからそういうことになるんだろう。

 食べ物屋で、女が出された食べ物にカメラのレンズを向けているのを見たら、昔は「変わったことをする女だな」くらいにしか思わなかったが、今はそれを見た瞬間、「これと同じことをしている女が怒濤のようにいるんだ」と思って怖気立つ。一つのどうということのない行動を多くの人が同時にやっているのを見て、うっかりとその人達の欲望を感じ取ってしまうと、そこに「収拾のつかなさ」が見えて落ち着かなくなるというか、不安になる。

    大量の人間が集まっていて、欲望が丸出しで、でもそれがなんの「物語」も持たずにそれっきりというのは、不気味でこわい。「人が行列している」と聞くと、もうそれだけで近寄りたくない。

(「度を過ぎた量はこわい」『思いつきで世界は進む』橋本治)

 

 私も、「カメラバカ」や「行列」を見ただけで、ぞっとします。

 特に、行列という、「むき出しの欲望」が従順に整列している状況は、どう考えても不気味です。


 最近は、マスコミが、「欲望丸出しのバカの大群」を、「優良な消費者」として、画像に積極的に取りあげることが多いようです。

 従って、たまにテレビを見る時には、常にリモコンを持ち、チャンネル切り替えの態勢を維持するようにしています。

 


 
(8)「日本人のバカ」と「反知性主義」の関係/むしろ無思考


 日本人の「バカ」の原因として、「徹底した思考を面倒臭がる国民性」が関係しているようです。

 橋本氏は『思いつきで世界は進む』の中で、以下のように、日本のマスコミの報道の仕方から、「日本人の思考を面倒臭がる国民性」を考察しようとしています。

 マスコミは、それ自体は、民間企業なので自己の存立のために、消費者の性向に寄り添う必要があるからです。

 

「  あまり言われないことだけれども、「自分の考えを言え」と言われた時に、かなりの数の日本人は「自分の考え」をまとめる以前に、「みんなどういう風に言うんだろう? どう言っとけば間違いがないんだろう?」という正解探しをして、「自分はちゃんと空気が読めている人間だ」という自己表明をしているように思う。

 日本の新聞がはっきりした物言いをしなくて、「ここら辺が公正中立の着地ポイントだろう」という判断で記事を書いていて、それが外の国での「言論の自由」とはズレているにしろ、国民に「この内閣の提出するこの法案にはこういう問題点がある」ということをきちんと説明し始めたら、読者の多くは面倒臭がるんじゃないのかと思う。今のメディアの最大の問題というか困難は、「受け手に関心を持たれないようなことをやって、逃げられたらどうしよう? 経営の危機だしな」というところにあるように思う。

 時々新聞を見て「なんでこんなどうでもいいようなページがあるんだろう?」とは思うけれども、読者に「少しは考えて下さい」と訴えるような紙面が続くと、読者はいやがるのかな、とは思う。寄附を募るような善意のニュースになら反応しても、「じゃ、自分はどうすればいいのか?」を考えさせるようなものだと、「どう考えればいいのか」ではなくて、「どうすればいいのか」という具体的行動が発見出来なくて、「めんどくさいから知らない」になってしまうのではないだろうか? 新聞に限らず、ニュースというものが「今日はこういうことがありました」で収まってしまう、予定調和的な「情報提供」になりつつあるような気はする。

(「世界で七十二番目」『思いつきで世界は進む』橋本治)

 

 事実を、ただ差し出すだけの、マスコミによる「予定調和的な『情報提供』」が、日本人を、ますます無思考状態にしていくのでしょう。

 羊的ロボットにならないためには、マスコミの情報提供に注意する必要がありそうです。

 橋本氏は、かつて、「無思考」、つまり思考が面倒な理由について、以下のように述べていました。

 説得力のある説明だと思います。

 

「   “答”というものは、いつも「これが答ですよ」という、親切な顔をしているわけではない。“答”というものは、時として、「これが答だけど、お前には分かるまい」という顔をして、そこら辺に転がっていることもある。答を答として理解するためには、ある程度の準備・成長が必要なんだということも、理解しておくように。

「  今、“ものを考える”ということがすごくややこしいのは、「既に出来上がってしまっている価値観を疑うこと」と、「では、ホントはどうなんだ?」と考えることと、この二つを一遍にやらなくてはいけないということがあり、しかもその上に、『あんまり大したものには見えないものが、実はすごく重要な意味を持っているもの』という、“草むらの伏兵”の発見問題もあるからだ。

(『貧乏は正しい!』橋本治)

 

 

貧乏は正しい! (小学館文庫)

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(9)無思考の帰結①/日本における「自己」・「個性」についての誤解

 

 「無思考」のうえに、集団中心主義、組織中心主義の中に安住している日本人は、「個」や「自己」について、かなり誤解しているようです。

 最近の学校教育、日本社会においても、「個性」についての誤解は著しいようです。

 橋本氏は、それらの誤解を以下のように批判しています。

 

「  学校教育を成り立たせる社会の方は、十分に豊かになっていた。「我々は十分”平均的に豊か”になっているから、もう我々の成員たちに個性の享受を認めてもいいだろう」ということになる。かくして、「個性の尊重」や「個性を伸ばす教育」が公然となるのだが、この「個性」が誤解に基づいていることは、もう分かるだろう。この「個性」は、「一般的なものが達成されたのだから、その先で個性は花開く」という誤解に基づいたものである。「個性」とは、「一般的なものが達成されず、その以前に破綻したところから生まれるもの」なのである。

 個性はそもそも「傷」である。しかし、日本社会が持ち上げたがる「個性」は、「傷」ではない。一般性が達成された先にある、表面上の「差異」である。だから、若い男女は「個性」を求めて、差異化競争に突進する。その結果、「雑然たる無個性の群れ」になる。無個性になっていながら、しかし「没個性」は目指さない。目指さないのは、彼や彼女の根本に「傷」がないからである。

(『いま私たちが考えるべきこと』 橋本治)

 

いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)

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(10)無思考の帰結②/「老成」を忌避する現代日本社会の問題点

 

 現代日本は「老成」を忌避し、「大人になりきれない大人」が激増しています。

『いつまでも若いと思うなよ』において、橋本氏は、「作家として自分の腕前を上げるためには、年を取らなくてはいけない」と述べています。

 一方で、公務員・サラリーマン等の一定の身分保障のある雇用労働者になると、「年を取ったらだめだ」という考え方になりやすい。組織に適応するため、「人生観・本質論と関連する、面倒臭いが、重要な事柄」を考えない体質になりやすいとしています。

 

 現代日本においては、サラリーマンが多数派になっているために、「老成」を忌避する人が増えているのでしょう。

 高齢化社会になっても、日本では、人間の生き方を考える場合にベースになるのは「若さ」です。

 

 明らかに、ヨーロッパ文化ではなく、アメリカ文化の影響もあります。

 「高齢者」、ひいては、「過去」、「昔」、「伝統」は、マイナスのニュアンスが強くなっているのです。

 これは、確実にやってくる「未来の自己」を前もって否定することに繋がるのですが、愚かな日本人達は、そのことに気付かないのでしょう。

 いつまでも子供でいられる日本社会の背景について、橋本氏は以下のように述べています。

 

「  町へ出れば、テキトーな値段でテキトーなものが食べられるということが当たり前になれば、「生きる」ということに対して備えなくなる。私はこれがとても由々しいことだと思う。

(『いつまでも若いと思うなよ』橋本治)

 

 そして、「伝統」を軽視している今の日本について、以下のように述べています。

 

「  温故知新じゃないけど、昔のものの中から何か引き出してくる能力というものを失ってしまうとなんにもなくなってしまうよ、というのが私のいまの日本に対する危機感です。

(『TALK 橋本治対談集』橋本治)

 

 

 (11)対策論/「思考」/「公共」に対する「自己」の「働きかけ」

 橋本氏は、「バカ」から脱却するための「思考の重要性」を様々な著書で、強調しています。

 この点については、橋本氏に関する前回、前々回の記事も参照してください。

 

「答え」とは、すべて「自分と他人とで作り上げるもの」だからである。だからこそ、人間の思考は「自分→他人→自分」と回る、メビウスの輪的グルグル状況を当然とするのである。

 今、私たちの考えるべきことは、「必要に応じて"私たち"を成り立たせるだけの思考力と、思考の柔軟性をつけること」、このことに尽きるだろうと、私は思う。

(『いま私たちが考えるべきこと』橋本治)


 また、橋本氏は、「公共」に対する「自己」の「働きかけ」の必要性も強調しているのです。

 理想論ですが、他に手段はありません。

 

「  世界は広くて、いろんな事件が起こっている。でも、自分が生きなければならない現実の世界は案外狭くて、その責任は自分にかかっている。それを忘れちゃいけないでしょう。 

「  そんなに現実がいやだったら、自分が“いやだ”と思わないですむような現実を作るようにすればいいのに」と、私なんかは思う。

(『ひろい世界のかたすみで』橋本治)

 

 ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

   

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想問題/『負けない力』橋本治/「負けない力」としての「知性」

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 2019年1月29日、作家の橋本治氏が、惜しまれつつ、死去しました。

 70歳でした。

 橋本治氏は、慈愛と反骨、スジ重視の著作者です。

 だから、読者も多かったのでしょう。

 

 橋本治氏は、入試頻出著者でもあります。

 最近では、橋本治氏の著作は、京大、愛媛大、立教大、南山大、明治学院大、二松学舎大、文教大等で出題されています。

 橋本氏の現代文明論、現代文明批判、特に、日本人論、日本社会論は、どれも切り口が巧みで、本質を深く、分かりやすく説明しています。

 だからこそ、入試頻出著者になっているのでしょう。

 

 そこで、今回は、現代文(国語)・小論文対策として、橋本氏の著書『負けない力』を、橋本氏の他の著書も参照しつつ解説していきます。

 今回の記事は、「橋本治」追悼特集の第2回です。

 前回の記事も参考にして下さい。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 解説は約2万字です。

 記事の項目は、以下の通りです。

 

(2)予想問題/『負けない力』橋本治/①「負けない力」としての「知性」

(3)予想問題/『負けない力』橋本治/②「わからない」ということ

(4)予想問題/『負けない力』橋本治/③「知性」とは何か? 「教養」とは違う

(5)予想問題/『負けない力』橋本治/④「知性」と「自己主張」・「個性」の関係

(6)予想問題/『負けない力』橋本治/⑤「根拠」は自分で作る

(7)予想問題/『負けない力』橋本治/⑥他人の考え方は「覚える」のではなく「学ぶ」

(8)予想問題/『負けない力』橋本治/⑦知性のある人は「私には知性がある」とは言わない

(9)予想問題/『負けない力』橋本治/⑧重要なのは、問題を「発見」すること

(10)予想問題/『負けない力』橋本治/⑨「減点法」社会の問題性

(11)予想問題/『負けない力』橋本治/⑩問題に立ち向かうためには

 

 

負けない力 (朝日文庫)

負けない力 (朝日文庫)

 

 

 

(2)予想問題/『負けない力』橋本治/①「負けない力」としての「知性」

 

 本書で問題にしている「知性」は、「勝つ力」としての「知性」ではなく、「負けない力」としての「知性」です。

 橋本氏は、「知性」に注目して、自分の頭で生きていくための方法を解説しています。

 「知性」とは、答えを自分で考え続けるという耐久力の側面があります。

 

 本書の導入部で、橋本氏は以下のように述べています。

 

「  「知性」は、「負けない力」です。マイナス状況から脱するためには、「どうすればいいかな?」と自分で考えなければなりません。それをするのが「負けない力」で、「知性」だからです。

「負けない力」というものは、それほどたいした力ではありません。それは「そう簡単に勝てたりはしない程度の力」で、もしかしたら「なんの役にも立たない力」かもしれません。

 でも、「負けない力」は、負けないので、しぶといのです。しぶとくてしつこくて、「勝ってやろう」とは思わなくても、ずーっと負けないのです。

 あなたの中に知性があるということは、問題は簡単に解決出来ないし、「負けた」と思うことはいくらでもあるだろうけれど、でも「自分」が信じられるから負けないということです。

 「自分」を捨てたら知性はありません。知性とは「自分の尊厳を知ることによって生まれる力」で、だからこそそう簡単にはなくならず、だからこそ「短期決戦」にはあまり強くないのです。

 おまけに、「負けない力」という言葉にネガティヴなニュアンスも隠されています。なぜかと言えば、「負けそうな状況」がなければ、この「負けない力」は威力の発揮しようがないからです。重要なのは、そんな面倒くさい状況に巻き込まれないことで、そう思う人が多くなってしまえば、「負けない力」なんかはなんの意味も持ちません。

 

「  知性というのは、「なんの役にも立たない」と思われているものの中から、「自分にとって必要なもの」を探し当てる能力でもあります。

(『負けない力』橋本治)

 

 橋本氏は、『負けない力』の中で、必ずしも「勝つ」必要はないこと、負けなければいいことを、以下のように力説しています。

 読む人の心を穏やかにする、貴重な見解だと思います。

 

「  動物にとって重要なのは、自分のテリトリーを守って負けないということです。人間だって「勝つ」必要はない。負けなければいいのです。

 無用な争いをして「勝つ」必要はない。自分に必要なテリトリーを守って「負けない」だけでいいのです。どんどん勝って自分のテリトリーを過剰にする必要はないのです。

 「不安」を抱えた人間という生き物は、「勝つ」という過剰がないと収まらないのでしょう。

 それでは、なぜ人間は不安になるのか?

 恐竜は二億年近い間、知能を発達させるという方向に進まずに生きた。地球に大きな隕石が衝突するまで。

 なぜ、人類はたかが二十万年の間に、せっかちに知能を発達させなければならなかったのか?

 氷河時代に、原人は、寒くて大変だから、その不安を克服するために「ものを考える」という方向に進んだんだろう。「考える」を始めてしまうと、哀れなことに「もうこれでいい」と安心することができないのでしょう。

 「食うこと」だけを考えていればよかった恐竜と、知能を発達させて行った人類の差は、「不安」の有無です。

 「不安があるからものを考えざるをえない」というのは、今にも残る人間の真理で、「不安」という正体のよく分からない漠然としたものにつきまとわれるから、人間は「負けない」の限度を超えて、「勝ってやる」という方向に進んでしまうのでしょう。

(『負けない力』橋本治)

 

 次に、橋本氏は、「思考」と「悲観」との密接な関係を以下のように述べています。

 かなり鋭い、哲学的とも言える指摘です。

 

「  「ものを考える」ということは、「不安とつきあう」ということでもあるから、悲観的な方向へ進ませるアクセルにならざるをえない。

    「考える」ということは、ある意味で「地獄の底まで降りて行く覚悟をする」ということです。

 でも、「そのまま」だったらどうにもならない。降りて行く前に「戻ってくること」を考えなければならない。

 悲観的になることに慣れて耐性を作っておかないと「考える」ということがよくできなくなる。

 しかし、人間の脳には、「必要でもないことを考えなくてもいい」というブレーキも備わっている。

 だから、「ものを考える」ということは「悲観的になりっ放しになる」ということではない。恐れず悲観的になって、最後にグイッと「楽観的」な方向に変えて思考をストップさせる「思考」なのです。

(『負けない力』橋本治)

 

 

(3)予想問題/『負けない力』橋本治/②「わからない」ということ

 

 「分からない」ということを、よく考察する必要があります。

 「分からない」と意識することが、知性の基盤という側面があるのです。

 以下に、この点についての橋本氏の考察を引用します。

 

「わからないことをわからないと言えることが、「負けない力」の大きな要素です。「わからない」ということは、「教養ある人々」にとっては、負けを意味するからです。

 負けないために、教養人の皆様は知ったかぶりをしなければなりません。教養人の皆様の知ったかぶりについては、夏目漱石の「坊ちゃん」でバカにされているくらいですから、歴史も古いわけです。

 

「  「わからない」などの小さな負けは、負けてしまえばいい。小さな負けも許容できない状態で、「勝ち続ける」ことに固執したら、大きな負けが待ってます。

 「負けない力」の第一歩は、「自分も負けることもありうる」ということを想像できるようになることです。

(『負けない力』橋本治)

 

 ここで「勝つ」とは、勉強の成績が上がり、社会的に活躍して、多額の収入を得ていく生き方を言います。

 

 「質問」をすることは、「知性」に密接に関連しています。

 質問は一般的に思われているような簡単な行為では、ありません。

 質問するために必要なことを、橋本氏は、以下のように説明しています。

 「質問」をするために必要なのは、理解力と判断力で、記憶力では、ありません。

 

「 「私の言ったことでなにか分からないことがあるか? なにか説明不足のことはあったか?」と言う方は言っているのに、「質問というのは、言われたことを理解した人間がするものだ」と思い込んでいるから手が挙がらないのです。

 「言われたことを理解した人間がなにかを言う」は、「質問をする」ではなくて、「意見を言う」です。「意見を言う」と「質問する」は違うのです。」
 「どこがどう分からないのかはよく分からないけど、なんかよく分からない」と思ったら、「自分はなにに引っかかってるのか?」を考えればよいのです。

 「なにが分からないのか」はモヤモヤとしていることなので、すぐには正体を現しません。だから、まず「なにか引っかかるものがある」と考えるのです。それを可能にするものをむずかしい言葉で言うと、「理解力」と「判断力」になります。 

(『負けない力』橋本治)

 

 「分からない」ことを認めることは、ある意味で「負け」ですが、小さい負けは気にするな、と橋本氏は言っています。

 

「“分からない”と言ったらバカだと思われるかもしれない」という危惧はあるにしろ、「とりあえず、相手に対して自分はバカだ」という負け方をしてしまった方が、トクではあろうと思います。

 少なくとも、「自分はバカかもしれないと思って腰を低くしてるのに、その相手を本気でバカにしているこの人は、たいした人じゃないな」ということだけは分かります。

 知性は「負けない力」です。「負けない力」を本気で発動させるためには、「負ける」ということを経験した方がいいのです。

 負けることをバカにする人に、ろくな知性は宿りません。

(『負けない力』橋本治)

 

 「負けることをバカにする人に、ろくな知性は宿りません」は、味わい深い一節です。

 謙虚な態度が「知性」に不可欠だ、ということを言おうとしているのでしょう。

 虚栄心は「知性」を阻害するということです。

 

 

(4)予想問題/『負けない力』橋本治/③「知性」とは何か? 「教養」とは違う

 

 橋本氏は、「知性」と「教養」の違いを強調しています。

 日本人は「知性」と「教養」を同視する傾向があるからでしょう。

 この「同視」は、致命傷になります。

 現に、日本人の根本的弱点の一つになっている感じです。

 「教養」は「知性」の基盤になるものですが、同質のものではありません。

 別のものです。

 

「  知性というのは、「頭がいい」方面のことだけではなく、人間が社会生活を営むうえで備えておかなければならない様々な要素──たとえば「モラル」とは「マナー」というようなものまで含んだ、複雑なものです。

 「知性」は「頭のよさ」や「勉強ができること」は違うのです。

 にもかかわらず、とにかく手っ取り早く勉強して成績を上げることが奨励されたのは、明治維新以来、先進国に追いつくことが至上命題だったからです。

 重要なのは、西洋からやってきた「近代的知性」でした。

 大学というものは、それを日本人が身につけるための高等教育機関で、「学歴があると就職に有利になる」などという考え方を普通の人がまだせず、普通の人にとって「知性」というものは関係のないものでした。

 しかし、実のところ、彼らが身につけていたのは「教養」と呼ばれる「知識の総体」でしかなかったのです。

  「教養」は、今では「情報」にその座を譲り渡しているが、どちらも自分の外に根拠(権威)を求める行為です。

 (『負けない力』橋本治)

 

「教養を身につけた人間」が必ずしも賢くないことは自明のことです。

 夏目漱石は、様々な著書で、そのことを明確に指摘しています。

 夏目漱石のインテリ批判は痛快で、読んでいて、ワクワクします。

 この点について、橋本氏は、以下のように述べています。

 

「  夏目漱石は「教養を身につけた人間全般がパカだ」と思っています。だから、『坊っちゃん』を書くのと並行して、登場人物のすべてが「猫」によってバカにされる『吾輩は猫である』を書いているのです。

 夏目漱石自身をモデルとする苦沙弥先生以下、『吾輩は猫である』に登場する人間達のほとんどは、「いつの間にか身につけたしょうもない教養を振り回すことになってしまった人達」です。

(『負けない力』橋本治)


 橋本氏は、さらに徹底的に、「教養主義」を揶揄の対象にしています。 

 

「 教養主義というのは、教養である知識を知っておけばなんとかなる」という考え方ですから、「さっさとこの知識を覚え込む」ということが根幹にあります。

 だから、勉強好きな秀才は、さっさと真面目に知識を詰め込みますし、勉強がそう好きではない凡人も「勉強とはそういうものだ」と思って秀才の真似をします。真似をして、どっかで疲れたりするのですが、その勉強の仕方自体が「教養主義的」なのです。

    「教養」がなくなれば、当然、「教養主義」も力を失う。しかし、真面目な日本人はやっぱり勉強する。その勉強の仕方が、明治時代以来の「教養主義的」なのです。

 

「  知識を身につける目的がなにかと言えば、それは、自分を育てることです。

 「自分には必要だ」と思える知識は、「身に沁みる」という形で体感的に判断出来るものです。

 知識を得ることが大事なのではない。

 知識が身にしみることが大事なのです。

    「身に沁みた知識」が「教養」の土台となり、その「教養」が「知性」を形成していくのです。

 日本の教育は、「それが生徒の身に沁みるかどうか」を考えない。

 「日本の学校教育の環境からでは、もともと知性の人はつくれないのです。

 (『負けない力』橋本治)

 

 そして、橋本氏は、「教養」や「大学」について、本質的な指摘をしています。

 橋本氏の見解は、日本人の常識とは違っているようです。

 だから、読んでいて楽しく、参考になるのです。

 

「  私は、「教養」というものを「料理の材料」と思って、大学というところを、「ちゃんとした料理の仕方を教えるところ」と思っていた──入ってから、「そう思わないと意味はないな」と思うようになった。

 それ以外に考えようがないのだが、どうも多くの人はそう思っていないらしい。「教養」というものを「調理された料理」と思っていて、大学というところを「料理を食べるところ」くらいにしか思っていない人が、いくらでもいる。そういう人たちが「教養という考え方自体が強迫観念だ」と思うのだとしたら、それは、よほどまずい料理ばかりを食わされた結果だろう。「料理というのは自分で作るものだ」と考える人にとって、こんな不思議な拒絶はない。

(『橋本治という行き方』橋本治)

 

 

橋本治という行き方 WHAT A WAY TO GO! (朝日文庫 は 27-1)

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 ここで「料理」は、完成品であるので、「知性」を意味しています。

 そして、大学というところを、「ちゃんとした料理の仕方を教えるところ」、つまり、「考え方を教える場所」と思っていた、というのは賢明です。

 

 

(5)予想問題/『負けない力』橋本治/④「知性」と「自己主張」・「個性」の関係

 

 「自己主張」が強いからといって、「知性」があるわけではない。

 これは当然のことです。

 しかし、この当然のことすら理解できない人々が目立つようです。

 このことに関して、橋本氏は、以下のように苦言を呈しています。

 

「  ボディコンもキャリアウーマンファッションもブランド物も、すべては「思想的なファッション」で、その背後には、それを選ぶ人達の「私は自己を主張したい」という気持があります。めんどくさい言い方をすれば、それは「私が私であることの自己証明」です。

 この自己証明は「自分の外部にあるものを選び取ることによって可能になる」というもので、最早「自分」というものは「自分の内部にあるもの」ではなくて、「自分の外部にあるものを選び取ることによって表明されるもの」です。だから、この自己証明は金がかかります。

 「自分」があって、それを「個性的に表現する」ではなくて、「“自分”があろうとなかろうと、これを着れば個性的であれるはずだ」というのは、本末が転倒した「個性」のあり方です。

(『負けない力』橋本治)


 他者の製作した物質、商品により自己の「個性」を表現する?

 考えてみれば、単に買い物をしただけです。

 言い換えれば、商品に取りつかれた、あるいは、広告に乗せられただけです。

 それが、「個性」でしょうか?

 「単純」や「軽薄」の証明に過ぎません。

 それに疑問を抱かない人々が多くいるのです。

 要するに、バカということでしょう。

 

 「個性」には、「傷」の側面があることを認識する必要があるのです。

 このことについて、多くの日本人は誤解しているようです。

 個性の本質を理解しようとはしないからでしょう。

 そもそも、知的に成熟していない大多数の日本人は、「真の個性」を知らないのでしょう。

 この点について、橋本氏は、『いま私たちが考えるべきこと』の中で、以下のように述べています。

 

「  学校教育を成り立たせる社会の方は、十分に豊かになっていた。「我々は十分“平均的に豊か”になっているから、もう我々の成員たちに個性の享受を認めてもいいだろう」ということになる。

 かくして、「個性の尊重」や「個性を伸ばす教育」が公然となるのだが、この「個性」が誤解に基づいていることは、もう分かるだろう。この「個性」は、「一般的なものが達成されたのだから、その先で個性は花開く」という誤解に基づいたものである。「個性」とは、「一般的なものが達成されず、その以前に破綻したところから生まれるもの」なのである。

 個性はそもそも「傷」である。しかし、日本社会が持ち上げたがる「個性」は、「傷」ではない。一般性が達成された先にある、表面上の「差異」である。だから、若い男女は「個性」を求めて、差異化競争に突進する。その結果、「雑然たる無個性の群れ」になる。無個性になっていながら、しかし「没個性」は目指さない。目指さないのは、彼や彼女の根本に「傷」がないからである。

(『いま私たちが考えるべきこと』 橋本治)

 

いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)

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 なお、橋本氏は、「知性」に関連して、「男の自立」について、『これも男の生きる道』、『橋本治の男になるのだ』の中で参考になる見解を披露しているので、以下に引用します。

 親と学校教育に拘束され、マスコミに踊らされた、他律的な「べき論」に沿った「生き方」からの脱却の提言です。

 

「私は私の道を行くのだから、つまらない人の言うことには惑わされず、つまらない人間に嫌われても平気でいよう」という決心をした。これが「自立」です。

 重要なことは、「信念を持って、人に嫌われることをおそれない」です。これがはやりすたりを越えた、人間にとって一番重要なことだからです。

 道は一つです。『自分がなりたい“男”とはどんなものなのか?」

 これを考えることです。それこそが「男の自立」で、「男の自立」とは、「男のあり方を見直すこと、旧来のなれあい関係から脱出すること」なのです。

 その昔に女達が「自立」への道を選んだのは、「自分の納得できるような生き方をしたい」と思ったからです。そうして「自立」への道を歩んだ彼女達は、男からも嫌われたし、女からも嫌われた。「男の自立」だっておんなじなのです。「自分が納得できるような生き方をしたい」そう思って、ただのなれあいで生きている旧来のあり方を拒絶するのです。

(『これも男の生きる道』橋本治)

 

 

これも男の生きる道 (ちくま文庫)

これも男の生きる道 (ちくま文庫)

 

 

 

「私が一貫して言っていることは、「“できない”を認めろ」です。「“できない”を認めれば、“できる”ようになる」──これだけです。「“できない”を認めて、さっさと“できる”ようになれ」ではありません。「“できない”を認めれば、いつかは“できる”ようになるんだから、落ち着きなさい」というだけです。

(『橋本治の男になるのだ 人は男に生まれるのではない』橋本治)

 

橋本治の男になるのだ―人は男に生まれるのではない (ゴマブックス)

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 日本の男性は、会社・集団等の組織、マスコミ情報、男性社会の常識・規範、つまり、「他者」に強く依存する側面がある、と橋本氏は、述べているのでしょう。

 このことは、日本男性についての特徴であり、弱点と言えると思います。

 そして、このことの、無意味性に少しは気付く必要があります。

 生活上、それらに依存することは仕方がないとしても、少なくとも、それらを崇拝の対象にすることは避けるべきでしょう。 

 精神的自立は必要です。 

 自己喪失に陥らないためにも。

 

 

(6)予想問題/『負けない力』橋本治/⑤「根拠」は自分で作る

 


 「根拠」は自分で作るべきものでしょう。

   「根拠」を他に求めようとするから、無用にアタフタするのです。

 このことと同様のことを、橋本氏は、以下のように述べています。

 

「自分を安心させてくれるもの」、その拠りどころとなるものが「権威」です。

「権威」であるような「拠りどころ」がなくなったら、「自分のことや自分達のことは、自分や自分達で考えてなんとかする」しかありません。その「どうしたらいいんだろう?」を考えるのが、「知性」なのです。

  「根拠」を求めて「他人の言葉」を探し出して来ても、「これは自分にとってどういう意味を持つものなんだろう?」と考えなければ、自分の役には立ちません。

 「根拠」というのは、自分の内部に作り上げるものです。「自分がある」というのは、自分の内部に「根拠」を持つことで、「根拠」というのは、自分の外側に当たり前の顔をして落ちているものではありません。

 私がなんの根拠もなく「知性とは負けない力である」と言ったのは、「知性ってなんだろう?」と考えて、「それを調べてみよう」とは思わなかったからです。

 どこかで誰かえらい人が「知性とはカクカクシカジカのものである」と言っていたとしても、それは「この人はそう言ってるんだな」というだけの話です。それをそのまま引用してしまうと、「だからなんなんだ?」というその先のことまで、それを言った人の言葉を引用しなければならなくなります。

 それは「知性ってなんなのか?」ということを考えることではなく、「知性に関してなにかを言っている他人の言葉を説明する」にしかなりません。

 

「  権威主義者は、「根拠を一から作り上げて行く」という行為そのものを理解しません。だから、そういう人が「一から根拠を作り上げて行く」なんてものに出合うと、「そんな話は聞いたことがない」とか「見たことがない」と言って拒絶します。

  「自分で考える」ということは、「自分で根拠から作り上げる」ということで、それがその先に於いて「他人の合意」を得るかどうかは分かりません。でも、「他人の合意」に出会えるところまで行かないと、「自分の作り上げた根拠」は、ただの「自分勝手な理屈」です。

  「自分で作り上げる根拠」には、「これは正しい」ということをなんらかの形で証明することが必要です。でも、そんな「証明」なんかは出来ません。だから「これは正しい!」なんてことを大声で言わない方がいいのです。それが「自分の作り上げた根拠」と「自分勝手な理屈」の別れ目です。

 誤解があるかもしれませんが、「根拠」というものは一番初めにあるものではありません。一つ一つ積み上げて行って、最後になってようやく「根拠」になるようなものなのです。

(『負けない力』橋本治)

 

 

(7)予想問題/『負けない力』橋本治/⑥他人の考え方は「覚える」のではなく「学ぶ」

 

 「他人の考え方」は、学ぶべき対象です。

 参考にする対象です。

 「自分の思考」の修正の「きっかけ」、「契機」にするのです。

 つまり、「自分の思考」を動揺させるための契機にするのです。

 積極的に、「自分の思考」を揺さぶるようにするとよいでしょう。

 そうすることで、「自分の思考」のコリが、ほぐれることになります。

 橋本氏も、このことを推奨しています。

 

「他人の考え方」というのは、覚えるものではなくて、学ぶものです。「そういう考え方もあるんだ」と思って参考にして、自分の硬直してしまった「それまでの考え方」を修正して、自分の「考える範囲」を広げるためにあるのが「他人の考え方を学ぶ」で、つまりは、自分を成長させることなのです。「他人の考え方を覚える」だけだと、その成長に必要な変化が起こりません。

    「他人の考え方を知る」というのは、大袈裟に言えば、それだけで「自分の考え方」を揺るがせてしまいます。それで人は、あまり「他人の考え方」を知りたいとは思いません。「うっかりそんなことをして、へんに自分の考え方が揺さぶられるのはいやだ」と思っているのが普通で、そういう人達が知りたいのは、「自分の考え方を肯定してくれる、自分と同じような他人の考え方」だけです。

 だから、私の書くこの本は、とても分かりにくいのです。どうしてかと言えば、私はこの本の中で、読者の考え方を揺さぶるようなことばかりを書こうとしているからです。

(『負けない力』橋本治)

 

 多くの日本人の場合は、自分の中に核として存在するような「自分」が、「自分の外」にあります。

 このことが、日本人が知的に成熟していないということです。

 日本の親の教育、学校の教育が、そのことの大きな原因のようです。

 この点について、橋本氏は、以下のように説明しています。

 

「  子供にとって、「ああしなさい、こうしなさい」という母親は、どうすればいいかの「正解」を握っている人で、「そうだ」と思って母親に従えば、その母親は「子供である自分の外にいて、子供である自分をコントロールする“自分”」で す。
 その子供がいろいろなことを知って母親から離れる時期になったとしても、まだ「自分の外にいる自分」は存在するのです。その代表的なものが、「みんな」です。

 

「  日本人の「考える」は「なにが正解となるのか」を考えることではなくて、「どこかにあるはずの正解はどれなのか」と探すことです。それが「見つからない」と思ったら、すぐに「わからない」で降参です。
  「答」であるような「知識」ばかりを求めて「知識の量」を誇っても、「問題を発見してそれを解く」ということの重要性に気がつかなかったら、それは、実質的に「思考の放棄」なのです。

(『負けない力』橋本治)


 橋本氏は、上記と同様の内容を「情報化社会」に関連させて、『わからないという方法』の中でも述べています。

 

「  二十世紀は理論の時代で、「自分の知らない正解がどこかにあるはず」と多くの人は思い込んだが、これは「二十世紀病」と言われてしかるべきものだろう。「どこかに“正解”はある」と思い、「これが“正解”だ」と確信したら、その学習と実践に一路邁進する。二十世紀のそのはじめには社会主義があって、これをこそ「正しい」と思った人達は、これを熱心に学習し実践しようとした。

 やがてそこにさまざまな理論が登場して、第二次世界大戦後の二、三十年間は、「一世を風靡(ふうび)したナントカ理論」の花盛りとなる。そこで激化したのは、子供の進学競争ばかりではない。大人だとてやはり、やたらの学習意欲で猪突猛進(ちょとつもうしん)をしていたのである。

 学習──つまりは、「既に明らかになっているはずの“正解”の存在を信じ、それを我が物としてマスターしていく」である。ここでは、「正解」に対する疑問はタブーだった。それが「正解」であることを信じて熱心に学習することだけが正しく、その「正解」に対する疑問が生まれたら、「新しい正解を内合している(はずの)新理論」へと走る──これが一般的なあり方だった。

「どこかに“正解”はあるはずだ」という確信は動かぬまま、理論から理論へと走って、理論を漁ることは流行となり、流行は思想となる。やがては、なにがなんだかわからない “混迷の時代”となって、そこに訪れるのが、「正解である可能性を含んでいる(はずの)情報をキャッチしなければならない」という、情報社会である。

(『わからないという方法』橋本治)

 

 また、橋本氏は、最近の「活字離れ」の根本的原因には、「正解幻想」に対する「幻滅」があるのではないか、と以下のように主張しています。

 これも卓見でしょう。

 

「  「活字離れ」とは、つまるところ、「活字の世界に早めに訪れた二十世紀の終焉」なのである。二十世紀は、「わかる」が当然の時代だった。自分はわからなくても、どこかに「正解」はあると、人は単純に信じ込んでいた。そして、なにがその「正解」を供給していたのか?つまりは、本である。二十世紀の活字文化は、「正解」と思われるものを供給し続けていた。

 しかし、「どこかに正解はあるはず」というのは、二十世紀の錯覚である。活字文化は、その「正解」の存在を信じて、大量の本を供給し続けて来たが、その供給がある程度以上のレベルに達した時、「“正解”があるというのは幻想ではないか?」という事態が訪れた。それが、「活字離れ」である。「活字離れ」とは「“正解幻想”に対する幻滅」なのだ。 

(『わからないという方法』橋本治)

 

 

「わからない」という方法 (集英社新書)

「わからない」という方法 (集英社新書)

 

 

 

 「根拠」を他に求め過ぎる、日本人の「自己喪失現象」・「自信喪失現象」を反省するべきでしょう。

 他者、マスコミ、インターネット、科学、医学の奴隷状態になっている、悲惨な自己の状況を直視する必要があるのではないでしょうか?

 人間は、ヒツジでもメダカでもないはずです。

 いや、大部分の日本人は、ある意味では、ヒツジ、メダカ以下のオドオド状況の中で生きているようにも見えます。

 

 この状況を、橋本氏は、「正解」という視点から、以下のように解説しています。

 

 「 「教養主義的な考え方は、「どこかに正解がある」ということを前提として、それを探すために「知識」をいっぱい集めます。 

 でも、その「正解」がなかったら、私は「もう教養主義的な考え方から脱するべき」と言っているのです。

 そもそも、「正解」というのは初めからどこかに存在しているものではなくて、「自分で考え出すもの」なのです。どこかにあるにしろ、自分で考えて「これか」と思えてこそ、「正解」にはなるのです。「知識」を仕入れて、それだけで「なんとかなるんじゃないか」と思っているのは、錯覚なのです。

(『負けない力』橋本治)

 

 

(8)予想問題/『負けない力』橋本治/⑦知性のある人は「私には知性がある」とは言わない

 

 橋本氏は、「知性」に過大な期待を抱かないように注意しています。

 「知性」には、「人生」というものを淡々と考えていく姿勢が必要なのでしょう。

 ここにも、橋本氏の反骨精神が現れていて、読んでいると心地よいです。

 

「  知性のある人は「私には知性がある」とは言いません。自分に知性があるのかどうかは分からないが、でも、他人に知性があるのかどうかは分かるか──それが知性の第一の機能で、もしかしたら、機能はそれだけかもしれません。

 

「 「他人の知性」が認められない人に知性はないのです。「知性」というのはまず、「自分の頭がいいかどうかは分からないが、あの人は頭がいい」というジャッジをする能力です。

   「知性は“頭がいい”とは違うもの」と言いましたが、このように違います。

 たとえば、「頭のいい人」は、平気で「自分は頭がいい」と認めてしまいます。それを人には言わないまでも、自分で自分のことを「頭がいい」と思ってしまいます。  

 「頭がいい」というのは、「学校の勉強がよく出来た」というような根拠によって簡単に思い込めるシンプルなものですが、知性はもっと複雑です。

 知性というものは、「自分には知性があるのか?」という自問に対してでさえ、きっぱりとは答えられません。「“私には知性がある”などと言ってはいけないのが知性だ」と思うしかないのです。

(『負けない力』橋本治)

 

 

(9)予想問題/『負けない力』橋本治/⑧重要なのは、問題を「発見」すること

 

 橋本氏は、問題を発見することの重要性についても、言及しています。

 日本人は、何が問題点なのか、論点は何か、という問題点摘出、論点明確化の能力が低いようです。

 日常生活でも、学校教育でも、訓練していないからでしょう。

 日本のように議論を論争として回避する社会、無計画社会、無責任社会では、「思い付き」と「その場の空気」により、物事が進行していけば良いのでしょう。

 典型的な「無思考社会」と言えるのです。

 橋本氏の見解を以下に引用します。

 

「  重要なのは「問題」を発見することで、「答」を発見することではありません。「ここに問題がある」ということが発見出来れば、遅かれ早かれ、その問題を解くということは起こります。「問題を発見する」ということが重要なのは、その発見した「問題」が、自分にとって意味のある問題だからです。

   「考える」というのは、問題を発見し、その問題を解くことですから、「答」を求めるのに性急な人は、その「問題とはなにか」を考えることがめんどくさいのです。

(『負けない力』橋本治)

 なお、「コンピュータ」と「問題発見能力」の「関係」について、興味深い見解を述べています。

 この論考を熟読すると「問題発見能力」の重要性が実感できます。

 

「 「答」を見つけ出す能力の高いコンピュータは、「問題」を発見したりはしません。

 どうしてコンピュータが自分から進んで「問題」を発見しないのかというと、それはコンピュータが生き物ではなくて、機械だからです。生き物が「問題」を発見したり気づいたりするのは、危機を察知する必要があるからで、つまりは、自己保存の本能があるためです。

 人間が「自己保存の本能とはどんなものか」とそのシステムを解明してしまったら、コンピュータだって、自分で「問題」を発見するようになるかもしれませんが、そんなことをしない方がいいでしょう。

 コンピュータにとっての最大の危機は「壊れる」ではなくて「壊される」ですから、そういう「問題」があると気づいたコンピュータは、それを回避するために、「自分を壊そうとする者を倒す機能」の獲得を目指すでしょう。つまりは「武装」で、そうなると、暴走するコンピュータを止めようとする人間は、コンピュータによって殺されてしまいます。コンピュータに「自己保存本能」なんかを与えない方がいいのです。

(『負けない力』橋本治)

 

 コンピュータの能力を過大評価する必要はありませんが、警戒はしておく必要はあるでしょう。

 油断は禁物です。

 

(10)予想問題/『負けない力』橋本治/⑨「減点法」社会の問題性

 

 日本は「減点法」が主流の社会です。

 この「減点法社会」に問題性があることを、橋本氏は、以下のように指摘しています。

 

「 「初めは「達成目標に届かなければならない」から「平均値からはずれるな! 平均値に届くのが最低線!」というような頑張り方をするようになって、「みんなと同じでなければ、やばい」という、初めから達成値が決められている減点法の支配する社会に変わってしまう。

 日本人は、実のところ「格差社会」に慣れている。社会人になる以前、多くの日本人は「偏差値によって振り分けられる」ということを経験している。

   「一億総中流」が崩れて「格差社会」がやって来て、それぞれ違う「みんな」が形成される。セレブだと思う人達だけで「みんな」を構成したり、セレブではなく普通だと思う人達だけで「みんな」を構成する。希薄な人間関係故に、たった一つの価値観に従わないと負けで、「みんな」という共同幻想から脱落したくないという恐怖感が「みんな」を強固にしていく。

 人は既に孤立していて、その孤独に直面しないために「自分の所属するみんな」という幻想を設定して、「みんなはこうしている(らしい)」という幻想のモノサシを使い、自分のあり方を「みんな」に合わせ、それで安心しているのでしょう。

 「みんな」というのは「人間の集まり」であるはずですが、それが一人一人の顔が見えない抽象的な概念のようなものになり、「そこに属している」と思う人達のあり方を守り、同時に、そこから出て行くことを妨げる「壁」のようなものになっているのです。

 「みんな」という壁の中にいる人達は、そこにいるはずの一人一人の人間の顔を見ず、鏡のように機能する壁に映る「自分のあり方」だけをみているのです。

 つまり、日本の社会があるところで、「誰でも同じような達成を実現出来る」という平均化された社会を実現して、そのままそういう思い込みを固定化してしまったのです。

 その幻の平均値の中に入れば、自分の取り分はあって、なんとかなる」という思い込みだけが残って、それぞれの人が「取れるはずの自分の取り分をとる、取れるはずだ」と思うようになってしまった。

 そういう人たちの「自分達は安定しているから、当面このままでOK」というような状態を、とても「世界は完成している」とはいえない。

 世界は完成しているのではなくて、ただ行き詰って止まっているだけです。

(『負けない力』橋本治)

 

 「世界は完成しているのではなくて、ただ行き詰って止まっているだけです」の部分は重要な指摘です。

 「世界の行き詰まり」、つまり、誰の目にも、「世界の閉塞的状況」は明らかでしょう。

 私達は、「世界は滅亡の方向に向かっているかもしれないという危機感を常に持つべきなのです。

 

(11)予想問題/『負けない力』橋本治/⑩問題に立ち向かうためには

 

 現在の世界の閉塞的状況に立ち向かうためには、どうすべきか?

 橋本氏は、この問題に真剣に誠実に対応しようとしています。

 以下に、幾つかの論考を引用します。

 

 「世界は滅亡の方向に向かっているかもしれないけれど、その前に何とかすることを考える」というのが必要で、「どうしたらいいんだ?」と考えて問題に立ち向かう必要が生まれる。

 重要なところは、そこです。性急に問題に立ち向かっていくと、問題の方から「じゃ、お前には俺が倒せるのかよ?」というような声が聞こえてくるような気がしてしまう。それで「だめだ」とあきらめてしまう。

 そうではなく、問題を「問題」として捉えて、「なんかへんなところはないかな?」と考えることです。試験問題とは違って、あなたが現実に立ち向かう問題には「模範回答」などというものはないのです。

 問題に対する解答を出す人があるとしたら、それはあなただけです。現実の問題に「答の出し方」などはありません。問題に対して格闘するのはあなた一人で、だとしたらあなたのすることは、「この問題はどうなってるんだ?」と、まず問題を検討することです。

 敵をよく知らなければ、敵を倒せません。ためつすがめつしてなんかへんだな?」と思ったら、そこが解答につながる細い通路です。

 

「  考えることの根本にあるものが「知性」である。今までの自分では駄目だ、という状況に陥って、不安を感じたとき、サッと別の考え方に乗り換えるのではなく、「自分の尊厳」を信じて、自分にできることを考える。つまり「負けない力」が知性なのだ。

  「あまりにも大きすぎる問題」と向き合うと「自分に解決する力はないな」と思ってしまうこともあるが、それは「問題」を絞りきれていないだけである。

 自分一人で考えていると、「自分対全世界」というような考え方になってしまう。しかし、すごいことに「世界」は無数の「一人の人間」によって出来上がっているのである。

 現代日本の最大の困難は、「世界」を、あるいは「自分の外部」をただの「一つの塊」だと思ってしまって、「対話が可能な人間達」が作り上げているということを忘れてしまったことによるのかもしれない。

  「自分一人」ではどうにもならなくても、「自分一人」ではなかったら、「どうにかなる」の方向へ動き出すかもしれない。

 それは一人一人の人間の集まりだ」と思ったとき、あなたの周りにあるかもしれない「壁」は、違うものへと、ほぐれ始めて行くはず。「人と話し合うことができる」というのは、知性のなせるわざで、「勉強が出来る」だけではなんともならず、「自分一人でなんとかする。勝ちたい」と思っていても、人の協力を得ることが出来なかったら、なんともならない。

 

「行き詰まった世界」をなんとかするための方向は、「世界は行き詰まっていない」と考えることによってしか生まれないでしょう。

 そのために重要なことは、「なぜ自分は“世界が行き詰まっている”と思っているのだろう?」と考えることです。人はあまり「自分の責任」を考えませんが、もしかしたら「自分がそう思うことによって事態を悪化させている」ということもあるのかもしれません。

  「自分のせいじゃないけど、でも少しは自分のせいかもしれない」と思わないと、行き詰まったままの「世界」は行き詰まったままだろうと、私は思っているのです。

(『負けない力』橋本治)

 

 「世界に対する自分の責任」という発想は、素朴ですが、本質的、根本的な視点です。

 問題は、この視点から、いかに本質に迫るか、でしょう。

 上記の橋本氏の考察は、論理的で、説得力に富んだものになっています。

 

 同様のことを、橋本氏は、他の著書(『その未来はどうなの?』)「民主主義の未来」を論じつつ述べています。

 以下に引用します。

 

「  民主主義が何も決められない状態に陥ってしまったのは、自分の利益ばかりを考える自由すぎる王様を放逐して、国民が『自由すぎる王様』になった結果です。

   「王様」になってしまった国民は、自分以外の「国民のこと」を考えなければ行けないのです。しなければいけない議論の方向を、「自分の有利になる方向」に設定しないことです。「自分の言うことは、みんなのためなることなんだろうか?」と、まず考えることです。

 自分もみんなの1人なんだから、というのは、結構新しい考え方で、これからのものだと思います。 

 (『その未来はどうなの?』橋本治)

 

 

その未来はどうなの? (集英社新書)

その未来はどうなの? (集英社新書)

 

 

 

 この対策論は、橋本氏のメインテーマの一つのようです。 

 橋本氏は様々な著書で繰り返し、角度を変えて、このような対策論を力説しているのです。

 「日本」を思う橋本氏の熱情が感じられて、胸が一杯になります。

 以下の考察では、日本国民の「民主主義的な思考能力」の未熟を憂慮しています。

 

「  国民というのは、やたらの数がいて、しかもそれぞれの立場でものを言うエゴイスト揃いで、「国民全体のため国民のいる国家全体のため」などということは考えません──申し訳ありませんが、「その能力はない」と、私は断言してしまいます。だから、官僚というものは、「国家のため」という前提に立って、国民に代わって考えるのです。

 国民に「官僚を従えるだけの思考能力」が宿らない限り、官僚は、自分たちの考えと異なるすべての考え方に対して、「そういう考え方もありますね」と慇懃に拒絶し、鼻先で笑うことも可能なのです。

 公僕達に鼻の先で笑われる程度の「ご主人さま」ではなくて、公僕達に敬意を払われるような「ご主人さま」になる──そのように、国民が成熟する以外、民主主義の生きる途はないのです。その点で、まだまだ日本の民主主義は不十分なのです。不十分というか、未熟なのです。「ご主人さま」の資格のない人間が、平気で「ご主人さま」気取りになっていた──それをそのままにして、「民主主義の未熟」は隠蔽されていたのです

(『日本の行く道』橋本治)

 

 

日本の行く道 (集英社新書 423C)

日本の行く道 (集英社新書 423C)

 

 

 

 上記で、橋本氏は、最近の日本人の「自己中心主義」、「公共性の軽視」を指摘しています。

 「国民全体のため」、「国民のいる国家全体のため」という発想が各人の身に付かない限り、「国民に官僚を従えるだけの思考能力が宿ったとは言えない」と橋本氏は主張しているのでしょう。

 

 さらに、橋本氏は、最近の日本人の「自己中心主義」、「公共性の軽視」を、以下のように指摘しています。

 

「  八〇年代までの日本は 「地動説」なのです。まず最初に「社会」があって、その上に人間が乗っかっている。個人は社会の一部で、自分は復興を成功させるために働くのだと、ごく自然に思えた。

 ところが 、八〇年代に入ると、もう豊かな社会が出来上がってしまっている。それが当然の環境で育った若い人は、自分たちが汗水垂らして社会を作ろうなんて意識はなくなる。自分の幸せのために社会があるという、自分中心の「天動説」になった。

(『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』橋本治)

 

 

たとえ世界が終わっても ──その先の日本を生きる君たちへ (集英社新書)

たとえ世界が終わっても ──その先の日本を生きる君たちへ (集英社新書)

 

 

 

 そして、橋本氏は、最近は「論理」自体に異様な変種が発生していることを指摘して、警戒を呼びかけています。

 ロボットのような、最近の一部の非人間的な冷血な「官僚」の言葉です。

 また、「きれい事の論理」にも、注意を喚起しています。

 

「  論理は一種類ではない。「心のある論理」と「心のない論理」の二種類があるのです。

 昔は「心のない論理」はなかった。つまり、人間のあり方からしか理屈は生まれなかった。それが地動説から天動説に変わって、人間と社会の関係が切れてしまって、「社会の中での人間のあり方」なんてものが、どうでもいいものになってしまった。それで、頭の中で考えられただけの「心のない論理」というものが生まれたのです。

 官僚の言葉は、ほとんどの場合「心のない論理」です。言葉は間違っていないし、論理としても実に整然としているけれども、明らかに間違ってる。中身がないから、なにを言いたいのか理解できない。

 でも、このことは本当に分かりづらい。二つの違いは何ですかと聞かれても、説明できないのです。なぜかというと、「心のある論理」で生きる人は「心のない論理」が理解できなくて、「心のない論理」で生きる人は「心のある論理」が理解できない。だから、その二つは決して交わらないのです。  

 もう一つ間違いやすいものに、「心の論理」というのもある。

 「心の論理」は、いわば「きれい事の論理」であり、同時に「欲望の論理」なのです。「心」は「自分の中にあるもの」だけど、余分な「その他」を扱えるかどうかも、「心」の問題です。

 「心のない論理」や「心の論理」で生きる人たちは、自分が絶対に正しいと思っている。でも、「心のある論理」の人は、自分の正しさを相手に認めさせたいわけでもない。

(『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』橋本治)

 橋本氏の上記の対策論は、ある意味で理想論です。 

 しかし、混迷する現在において、真の対策論は、それしかないことを私達は強く意識するべきなのです。

 橋本氏の一群の著書は、橋本の遺言です。

 私達は、その熱き言葉を反芻しかないところにいることを自覚する必要があると思います。

 

 最後に、『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』の中から、橋本氏の、本音に満ちた、私達への「呼びかけ」を引用します。

 

「  個人の欲望から離れた、「損得に左右されない」論理で、世界や歴史を見つめ直すところからスタートし直すしかない。そういう時間のかけ方が必要です。

 それをしないと、お互いに考え方が違う人間たちが、共通の土台の上で議論することは出来なくなる。そういう土台なしには「大きなもの」に変わる次の社会の方向性や、実現のための方法論も、見えてこないわけです。

 私は、「損得で物事を判断しない」ことを「正義」と呼んでいる。

「正義」という言葉をやたらと使いたがる人の正義を聞くと、私がなんだか嫌な気がするのは、そういう人たちの「正義」とは「自分の好きなあり方」を勝手に正義と呼んでいるだけだから。そうして、自分のあり方を肯定したがっているだけだから。

(『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』橋本治)

 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

    

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想問題/『知性の転覆 人がバカになってしまう構造』橋本治

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 2019年1月29日、作家の橋本治氏が、惜しまれつつ、死去しました。

 70歳でした。


 橋本治氏は、慈愛と反骨、スジ重視の著作者です。

 だから、読者も多かったのでしょう。

 橋本治氏は、入試頻出著者でもあります。

 最近では、橋本治氏の著作は、京大、愛媛大、立教大、南山大、明治学院大、二松学舎大、文教大等で出題されています。

 

 そこで、今回は、現代文(国語)・小論文対策として、橋本氏の入試頻出出典、入試予想出典の解説をしていきます。

 解説は約1.5万字です。

 記事の項目は、以下の通りです。

(2)予想問題/『浮上せよと活字は言う』橋本治

(3)予想問題/「敬語への自覚、他者への自覚」(『橋本治が大辞林を使う』)

(4)予想問題/『知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造』橋本治

(5)予想問題/『「わからない」という方法』橋本治

(6)当ブログにおける「知性」・「反知性主義」関連記事の紹介

 

 

(2)予想問題/『浮上せよと活字は言う』橋本治

 

浮上せよと活字は言う (平凡社ライブラリー)

浮上せよと活字は言う (平凡社ライブラリー)

 

 

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)


 最近、京都大学国語(現代文)では、『浮上せよと活字は言う 』の次の一節が出題されています。

 

「若者の活字離れ」とは「かつて本を読んでいた若者の活字離れ」で、「大学生の活字離れ」というものでしかない。本を読むやつはいつだって読む。本を読まない人間は、いつの時代にもいる。近代は、「本を読むべきだ。本を読むということが自身の思考力を身につけることなのだ。人は言葉で思考し、その思考を言葉によって整理する。人にとって思考と認識とは、人である限り続く義務であり権利であるはずのもので、そのことの結果によって得るものが、”自由”と呼ばれるものだ」と、知性なるものが言い続けてきた。 

 その強制力によってかろうじて若者達は本を読み続けたのだ。

 すべての文化には、それが文化であるような構造が隠されている。だから、読み取りという作業が必須になる。

 活字離れというのは、活字文化という閉鎖的なムラ社会に起こった過疎化現象だ。退廃の元凶はどこにあるのかと言われたら、私には「ムラにある」としか言えない。

(『浮上せよと活字は言う 』橋本治)

 

最後の

「  活字離れというのは、活字文化という閉鎖的なムラ社会に起こった過疎化現象だ。退廃の元凶はどこにあるのかと言われたら、私には「ムラにある」としか言えない。

 の部分は、反骨精神が横溢していて、思わずニヤリとしてしまいます。

 「活字文化ムラ」の魅力の低下でしょうか。

 「知性の強制力」の衰弱でしょうか。

 さらに、橋本氏の追及は続きます。

 

「  「若者が活字離れを起こして本を読まない」などという一行の、何というもっともらしさよ。いかにももっともらしい説明が、しかし、なんの説明にもなっていない。「若者が活字離れを起こした」と「若者が本を読まない」とは、まったく同じことだからだ。同じ言葉の繰り返しが、あたかも一方が他方の説明であるかのように響いて、そしてその先には何もない。権力となってしまった言葉とは、こんなものだ。何の意味も持たず、しかしそれは有効なものとして、存在を続ける。

 十年以上も前にその時代の若者達が何故に“活字離れ”などという事態を惹き起こしたのか? その解明は、当面どうでもいい。問題は、「若者が本を読まないのは活字離れを起こしているからだ」などと平然と言って、それで何かの説明になっているかと思う“活字”の方にある。そのように形骸化してしまった活字が見捨てられぬままになっていたら、その方がよほどおかしいというものだ。

(『浮上せよと活字は言う』橋本治)

 

 活字文化ムラの低脳化を糾弾しているのです。

 自分の側の問題点を何ら考慮することなく、若者側を批判している活字文化ムラの傲慢さを的確に突いているのです。

 「スジ重視」の橋本氏の本領が存分に発揮されている記述と言えます。

 この厳密な論理性ゆえに、橋本氏の著作は入試頻出出典になりやすいのでしょう。

 また、この論理が理解できない読者は、橋本氏の著作の価値を評価することはできないでしょう。

 


 さらに、『[増補]浮上せよと活字は言う』では、次のように明快な結論を導いているのです。

 まさに、卓見でしょう。

「  出版が“産業”として成り立つためには、「多種多様の人間が、ある時期に限って同じ一つの本を一斉に読む」という条件が必要となる。こんなことは、どう考えたって異常である。出版というものが、“産業”として成り立っていたのは、この異常な条件が生きていたというだけで、つまりは、そんなものが成り立っていた二十世紀という時代が異常だった──というだけの話である。

 従って、二十一世紀には、本は「永遠の名作」としてロングセラーとして細々と売るしかない。なぜなら、二十一世紀にはもうベストセラーは存在しないからだ。」
 本の未来は「富山の薬売り」のように、「必要なものを必要なだけ補充し続ける」という方向性にある。

(『(増補)浮上せよと活字は言う』橋本治)

 

 要するに、出版産業は、「異常な時代」が始まる前の「元のように」、細々とした状況になるということです。  

 私も、それが自然な流れであると思います。

 ベストセラーとは、極めて特殊な現象です。

 その「特殊な現象」に恒常的に、制度的に、過度に依存している出版産業が歪んでいるだけなのです。

 本来、本は、一部の人間に必要なものに過ぎないからです。

 一方で、その一部の「本好き人間」は本を生存の糧にしているのです。

 従って、出版産業が壊滅することはないでしょう。

 「良質な出版産業」が細々と命脈を保っていくだけでよいのでしょう。
 


 ところで、私は、橋本氏は歴史に残る批評家になるだろうと思っています。

 『浮上せよと活字は言う 』の次の一節は、橋本氏の訃報を聞いた後では、心に沁みます。

 橋本氏の密かな使命感が感じられるからです。

 橋本氏は、自己を愛し、他者を愛し、伝統を愛し、日本を愛する著作者でした。

 

「  人の物語は、結局その人を表す一行の墓碑銘なのかもしれない。その墓碑銘を人に刻んでもらう為に、人は自分自身の物語を刻んで行く。「これを読んでくれ」と言ったまま、道の脇で死んでいる。それでいいのではないかと、私は思う。その一行だけで、人は後世の人間に役立つ有益な何かを残すのだ。

 言葉というものは、それだけ濃厚な価値を秘めた重要なものだと思って、私は『中央公論』誌に連載されたこの訳の分からない文章に、『浮上せよと活字は言う』と題をつけた。

 様々の具体的なディティールを持って、活字という思考の根源が、再び姿を現すことを祈って──。

(『浮上せよと活字は言う 』橋本治)

 

 

(3)予想問題/「敬語への自覚、他者への自覚」(『橋本治が大辞林を使う』)

 

 

橋本治が大辞林を使う

橋本治が大辞林を使う

 

 


 橋本氏の慈愛は、次に引用する「敬語への自覚、他者への自覚」(『橋本治が大辞林を使う』)にも満ちています。

 一見、過去の遺物に見える「敬語」が、「いかに人生上の重要なスキルになるか」を、若者に丁寧に論じています。

 「不器用な、不利な人生を歩むな」と、若者に実利的に説得しています。

 私は、橋本氏の若者への慈愛に満ちた、あの視線を感じます。
  

「  これからの日本語にとって重要なのは敬語への自覚である。年寄りを尊敬しろと言っても、誰を尊敬できるかという社会的な基準はない。 

 人が生きていく限り、人と人との間の親疎の距離を測ることが必要で、他人との間の距離を再確認できるのが敬語である。

 敬語は、初対面の人間との距離を間の距離を設定する。親近感を成立させるためには相手と同じ言語を使う。相手と交わりたくなければ敬語を使う。相手の立場を尊重する敬語が、相手との接近を拒否するというパラドックスが生じる。

 言葉は自分と自分の外側との境に存在する。自分と他者を繋ぐものが言葉である。言葉がより内側に向かって使われればモノローグになる。限定された地域の内側だけで流通する言葉が方言である。したがって、方言は地域的なモノローグと言える。より外側に向かって使われた言葉が共通語である。共通語は他者との交流を目的とし、重点は外側=他者に置かれる。自分が希薄になるので、自分をより濃厚に明確に語るために方言が必要になる。

 若者言葉は、限定された範囲でしか流通しないという意味で方言の一種である。若者言葉を使う人間は仲間であるという安心感が得られる。しかし、意思疎通を図る必要のある他者は存在せず、言葉はぞんざいになるという言葉の罠がある。他者に対して説明する必要もなくなる。

 言葉の機能は説明することであるのに、他者や説明を欠く若者言葉が、他者との交流が頻繁な大都会で流通していることは不思議である。若者言葉が必要な理由は、より濃厚に明確に自分自身を語りたい欲求が強いからである。

 かつての日本では、まず自分の内側に向かう方言を使い、後に他者に向かう共通語を使った。それが逆になり、幼児期の親子の間で共通語や敬語が使われるために親子の間に距離ができる。

 子どもは成長してその距離を埋めるために方言=若者言葉を使って、自分をより濃厚に明確に語ろうとするのである。そのため、説明を必要とする他者が希薄になり日本語が劣化する。

 日本語を修復するために敬語で他者への認識への自覚が必要になる。

 (『橋本治が大辞林を使う』橋本治)

 

 橋本氏の言いたいことは、以下の通りです。

「  敬語とは、尊敬語ではなく、現代においては、他者との距離あらわすものだ。
身分の上下、社会的地位というものは、現代においては、あまり意味をなさないものだが、それでも自己と他者との距離感は必要である。それを表現するのが敬語である。」

 

 橋本氏は、若者が要領良く、社会を渡っていけるように、人間関係を円滑にするスキル、つまり、実社会における敬語の有用性を心を込めて解説しているのです。

 まるで、人間関係に不器用だった、かつての若者だった自分、橋本治に語りかけているかのようです。

 


(4)予想問題/『知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造』橋本治

 

 

知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造 (朝日新書)

知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造 (朝日新書)

 

 

 

 最近の著作にも、他者への慈愛に満ち、反骨精神の溢れる記述があります。

 その一つとして、『知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造』を取り上げます。

 以下に、注目するべき部分を引用します。

 本書のテーマである「反知性主義」とは何か、を解説している部分です。

 

「  「自分は反知性主義者か?」と自問して、「そうじゃないだろう」と思う。私は反知性主義が下品で嫌いだが、しかし私の中には「知性なんか嘘臭ェ」と思う気持ちも歴然とある。

 私の中には「勉強なんか嫌いだ」と思う子供もまだ健在だから、私は「ヤンキー」でもあるし「反知性主義者」でもある。

 堅気面している反知性主義者より、不良が入ってる分だけ「ヤンキー」のほうがましだと思うが、しかし私は「ヤンキー」だって好きじゃない。

 私にとって「ヤンキー」とは「経験値だけで物事を判断する人たち」である。この「ヤンキー」に対するものは、「経験値を用いずに、すべてを知識だけでジャッジする人」で「経験値を用いる」ということをしないのはそもそも「経験値」に値するようなものを持ち合わせていないからなのか、あるいは「自分の経験値」を知識に変換する習慣を持たないのか、どちらかだろう。

 そういう人たちを何と呼ぶのかと言えば「ヤンキー」の反対側であることによって、「大学出」とでもいうのだろう。

(『知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造』橋本治)

 

 この断定的表現は、小林秀雄氏の以下の「気合い」の影響を受けている感じで、心地良いです。

「  小林秀雄にとって重要なのは、「いかなる時いかなる場合に於いても、馬鹿は馬鹿、馬鹿げていることはただ馬鹿げている」という事実だけである。その点に関して、小林秀雄にはまったく遠慮がない。遠慮なく「馬鹿」と言うだけではなく、遠慮なく「馬鹿ではないもの」を賞揚して、その残りの「馬鹿」を黙殺する。

(『小林秀雄の恵み』橋本治)
 

「 「自分で以てものをはっきりと見て、明確な判断を下せる人間にとってスローガンは要らない」は、小林秀雄の根本を貫く考え方である。

(『小林秀雄の恵み』橋本治)

 

 

小林秀雄の恵み

小林秀雄の恵み

 

 


 要するに、橋本氏の上記の記述によれば、ほとんど全ての人はバカということになります。

 大部分の人は「反知性主義」的ということです。

 確かに、そういう側面はあるでしょう。

 問題は、その上で、各個人が、自己の「反知性主義」的状況から、いかに脱出するかを模索することでしょう。

 しかし、現在では、大部分の人は、そのことを考えもしていません。

 いわば、無思考のまま立ち枯れしているように見える状況こそが悲惨なのです。

 バカが無自覚のまま、奴隷的状況の中で自滅していくこと、それを傍観者として無視できないという一点に、橋本氏の著作は収斂しているとも言えるのでしょう。

 いわば、お節介なおばさん的な所が、橋本氏の魅力でもあるのです。

 そのことからくる、その口調の暖かさが、橋本氏の毒舌を円やかなものにしてくれるのでしょう。

 私たちは、ソフトなストレートパンチを、たいした痛みを感じずに受けとめることができるのです。

 

 次に橋本氏は、「知性的な人」と「反知性的な人」がいるわけではないと言っています。
 人間は、置かれた状況、「機嫌」しだいで、「反知性主義者」になりうる、と考えているようです。

 以下に引用します。

「  不機嫌になると、人の言うことなんか聞きたくなくなる。そういう状態を「反知性」というのだろうと思う。

 だから私は、うっかりすると「反知性」になる。正確に言えば、「知性」そのものに対して反ではなくて、「今の知性」に対して反だけれども、それは「自分には違う質の知性がある」と思い込んだ上でのことだから、そんなものが「知性」に値しなかったら、やっぱり「反知性主義」だろう。

 どうでもいい私自身のことを延々と書いていたのは、「人は扱いによって反知性になる」ということを言いたかっただけで、それは結構由々しいことなんじゃないかと思うし、私自身「反知性的」になると、「あ、やばい」と思って「前向きになって自分の考え方を検討する」に方向を変えるのだけれども、そんな面倒なことを誰もがやるとは思わない。不機嫌な人間は、「自分の考え方を検討する」なんてことはしないで、「不機嫌エネルギーで自分の正しさを押し通す」という方向に進むのだと思う。
「反知性」が問題なら、それを生んでしまう社会の側と当人のメンタリティの両方とを考えるべきだろう。

(『知性の転覆』橋本治)

 

 また、題名である「知性の顚覆」については、次のような説明があります。 

「 「知性の顚覆」というと、知性が肥大化して積載荷重の限度を超えた船のように、バランスを崩して引っくり返ったように思われてしまうが、今回の事態は知性というものを支える基盤が、骨粗鬆症になったかのように脆くなって「陥没した」と言った方がいいような気がする。

 問題にするべきことは、知性の肥大化というようなことではなくて、「知性」というものに価値を見出す人間の数が減って、それほどの重さでもない「知性」を支えることが出来なくなって陥没現象を起こした──「知性」の側がその基盤の劣化に気づけなかったことのような気がする。

 (『知性の顚覆』橋本治)

 

「知性」というものに価値を見出す人間の数が減って、それほどの重さでもない「知性」を支えることが出来なくなって陥没現象を起こした

の部分は、重要な指摘を含んでいます。

「知性」というものに価値を見出す人間の数

の減少ということは、無思考の人間が、圧倒的な多数になったということです。

 

 以上のことを述べた上で、橋本氏の考察は、「バカの実態」の分析に向かいます。

「  戦後の日本には、時々「バカでもいい」という宥しが、笑いと共にやって来る。バカを演じて笑いを取るというのは伝統的なあり方だから、ここを発展させると、素のバカでも「恥知らず!」などと言われずに、笑って許してもらえることになる。芸能的には、「愚は天寵である」という考え方も古くに存在した。しかし、現実社会にバカを撥ねつけるだけの力がなくなっていたから、「あきれる」が否定的にも肯定的にも意味を持たず、ただ「あきれて、笑って、許してしまう」になる。近年の「おばかブーム」というのは、そういうものである。崩すものも茶化すものもなくなってしまった時代に、CMがおもしろくなるはずはない。

(『知性の転覆』橋本治)

 

 そして、日本人が「バカになってしまう構造」を提示しています。

 バブル経済の崩壊後、モノを売るにはどうすればよいか。

 「バカじゃない人」より「バカな人」のほうが圧倒的に多いので、「バカな人」をターゲットに、低コストの商品を販売すればよい、というのがその解答でした。

 つまり、「あなたはバカのままでいい」という広告が氾濫することになります。

 経済が先行きの見えない閉塞的状況になった今、顧客のレベルを下げても、多数の消費者の獲得こそが必要不可欠となります。

 経済は品位を打ち捨てて、堂々とバカ礼賛化の方向に舵を切るのです。

 

「  マンガの配信サービスをする会社のCMコピーで、「難しい本読んでれば、マンガを読むよりエラいんですか?」というのがある。

 別に私は「えらい」とは思わないのだけれど、挑戦的なコピーの割に絵柄はずいぶん弛緩していて、会社の休憩室と思しいところで、女子社員と思しい人間たちがマンガを読んでいる―そこへ上司と思しき男がやってきて、本で軽く一人の頭を叩く。

 これで、よぼよぼのジーさんが「若きウェルテルの悩み」なんかをもってきたら、「えらくなんかねーよ」ははっきりするんだろうけれど、やってくるのは三十がらみの若い男で、もってくるのは文庫サイズのビジネスのノウハウ本だから、これが「難しい本」だとすると、彼女たちは「会社員失格」になってしまうようにも思うが、そんなこととは無関係に、更に先には哀しいワンシーンが待っている。

 ワンルームと思しい狭くて奥行きのないごたごたとしたものの大井部屋の中で、体よく言えば、「部屋着姿」の、「若い」という時期からは離れつつある女が一人、ベッドに寄りかかってマンガを読み、「ナハハ」という哀しくてだらしのない笑い声を口の端から漏らす。

 よくできた現代風俗の哀しい一断面ではあるけれど、一昔前ならこんなシーンはストーリーを引っくり返すオチのために使われた。つまり、この情景はそのまま肯定されるものではなくて、何らかの批評性を生み出すワンシーンとして登場した。でも今はそうではない。

 閉鎖状況でもあるようなこのシーンを、ネガティヴにとらえず、ありのまま丸ごと肯定して、「私たちはこんなあなたを否定しません。あなたのためにサービスを提供しているのです」という訴え方をしている。

 「それでいいのかよ?」と私は思うが、「こういう私のあり方をよく思わないんでしょ?」とどこかで感じている人々をそのまま非難をせずに描くことで、彼等を救ってもいる。

 「どういう救いなんだ?」と、私なんかは思うけれども。

 悪い言い方を承知で言うと、馬鹿な人間の方が、数は多い。これに対して批判めいた接し方はせずに、その在り方を全面的に肯定してしまえば、肯定された方はどうともならないが、肯定した方はそれだけ多くの顧客を獲得できる。

(『知性の転覆』橋本治)

 

 上記と同様のことを、橋本氏は、『バカになったか、日本人』の中でも述べています。

「 「おバカブーム」は多くの人に癒しと救いを与えた。そのことは実に大きな功績だが、「おバカブーム」の問題点は、その後に「バカでもいいんだ」という知能の空白状態を作り出してしまったことにある。

 (『バカになったか、日本人』橋本治)

 

 これは、企業側の巧妙で卑劣な戦略です。

 ある意味で、極めて合理的で摩擦の少ない受け入れられやすい戦略です。

 この戦略に絡めとられた各個人には、明るい未来はないでしょう。

 このような悲惨な状況の中で頼りになるのは、やはり、、各人の「知性の欠片」であり、それと連動している「直感」でしかないでしょう。

 橋本氏も以下のように言っています。

 

「  それでも、「なんか釈然としねーな」と思う人間は、自分なりの真実を探そうとする。最早「知性」というものは、そういう試行錯誤からやり直すしかないところまで来ているんじゃないか。

(『知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造』橋本治


 橋本氏の優しさは、最終的には、「バカな人」を完全には見捨てない点に見られます。
 そして、そのことが、結果的に、全体の利益や幸福に繋がると主張しているのです。
 このことは、スジとして、正論です。

 

「  知性が「自分の納得」を目指すだけでよかった時代は、もう特権化した知性を孤立させたまま収束して行く──ということは、終わって行く。このままにしておけばそうなるしかない。

 「少数の人間の頭がよければいい」という時代は、「なんで俺達を置いていくんだよ!」という人達の声によって終わり、「なんで置いていくんだよ!」という人達は、その「俺達」のレベルに合致するような人間を選ぶ。

   「それじゃ困るでしょう」というところで二〇一七年の世界があるわけだから、知性の方も尖鋭で複雑なことばかりを相手にせず、少しは「人に説明する」ということの必要に目覚めたらどうでしょう。

 私の言っていることが複雑すぎるというのは重々承知しているけれど、既に世界は、「みんなの頭がもっとよくなければ困る」というところに行っているんですから。

(『知性の転覆』橋本治)

 

 「既に世界は、「みんなの頭がもっとよくなければ困る」というところに行っている」の部分は、鋭い指摘です。

 ここに、世界を慈愛の眼で見る、橋本氏の優しさが垣間見えるようです。

 橋本氏のスケールの大きな優しさは、橋本氏の美点であると同時に、脇の甘さにもなっているのでしょう。

 それゆえ、この点が分かりにくいという、一部の人達の批判の原因になっているのです。

 

(5)予想出典/『「わからない」という方法』橋本治

 

 

「わからない」という方法 (集英社新書)

「わからない」という方法 (集英社新書)

 

 

 

  『「わからない」という方法』も、橋本氏特有の「慈愛と反骨、スジ重視」に満ちています。

 入試頻出著書・『「わからない」という方法』を熟読すると、最終的に自己の武器になるのは、「自己の知性」ということが分かります。

 最近は、「情報化社会」の時代と言われ、「情報自体」が崇拝の対象となり、「情報格差」という馬鹿げたキーワードすら発生しています。

 しかし、橋本氏は、「他者の知識、つまり、情報化社会に甘い幻想などを抱かず、まずは、自己の知性を磨くべし」と主張しているのです。

 これは、内田樹氏、佐藤優氏、鷲田清一氏等、主要な論者が等しく主張していることで、まさに正論です。

 

 以下に、少々長くなりますが、『「わからない」という方法』のポイントの部分(→この部分は入試頻出箇所でもあります)を引用します。

「  二十世紀は、「わかる」が当然の時代だった。自分はわからなくても、どこかに「正解」はある──人はそのように思っていた。既にその「正解」はどこかにあるのだから、恥ずかしいのだとしたら、その「正解」を知らないでいることが恥ずかしいのであり、「正解」が存在することを知らないでいることが恥ずかしかったのである。

 だから、人は競って大学へ行ったし、子供達を競わせて大学に行かせた。ビジネスの理論書を必死になって読み漁ったし、誰よりも早く「先端の理論」を知りたがった。それをすることと、現実に生きる自分達が知らないままでいる「正解」を手に入れることとは、イコールだと思っていたのである。

 たとえば、大学へ行くことを当たり前にして、多くの日本人は、大学がそうたいしたものではないという幻滅に訪れられた。しかし、それは果たして、「日本の大学がたいしたものではないから」なのか、あるいはまた、日本の大学に「自分達の思い込みをなんとかしてくれるだけの万能性がなかったから」なのかはわからない。

 だからこそ、「日本の大学はたいしたものではない」と思ってしまった人達の中には、「外国の大学だったらまた別かもしれない」という思い込みだって生まれる。外国の大学へ行くには金がかかる。「それだけの金がかかる以上、外国の大学にあるものは〝本物〟であるはずだ」という思い込みだって生まれる。

 外国の大学には外国の大学なりのよさとすごさはある。しかし、それと「外国の大学だからすごい」という思い込みとは、別である。それが、「自分達の知らない世界にはまだすごいものがあって、そこには〝正解〟があるはずだ」と思い込んだ結果なら、外国の大学だとて、「どうってことはない」のである。

 たとえばまた、大学を出て社会人になり、しばらくして壁にぶち当たることがある。その時に、「会社を辞めて大学に入り直そう」という決断をする人もいる。それは、あるいは必要なことかもしれない。しかし、もしかしたらそれは、錯覚かもしれない。「社会に出て未熟な自分のメッキが剥げた」という事実があるのなら、その未熟さは、自分で克服しなければならない。

 その克服手段が「大学に入って学び直せばなんとかなる」であるのは、もしかしたら、短絡かもしれない。この人が、「自分は正解から離れた。大学には正解がある。その正解に近づけば、もう一度成功を取り戻すことができる」と思い込んでいるのだとしたら、この人のあり方は、「どこかに自分の知らない正解はある」と思い込んでいる二十世紀病なのである。

 二十世紀は、イデオロギーの時代であり、進歩を前提とする理論の時代だった。「その〝正解である理論〟をマスターしてきちんと実践できたら、すべてはうまく行く」──そういう思い込みが、世界全体に広がっていた。そういう状況の中では、「自分の現実をなんとかしてくれる〝正解〟はどこかにある」という考え方もたやすく生まれるだろう。その人達は学習好きになって、次から次へと「理論」を漁る。

 一つの理論がだめになったら、もう一つ別のナントカ理論へと走る。思想さえもが流行になったら、その後では、「流行」さえもが思想である。「それを知らなかったら、時代からおいてきぼりを食らわされる」──そういう不安感の下では、流行もたやすく思想になり、であればこそ、二十世紀末には、わけのわからない 「宗教もどき」がさまざまな事件を引き起こしもした。

  「理論の合理性を求めて、どうして人は宗教という超理論へ走ってしまうのか?」 ──二十世紀末の「宗教もどき」が引き起こした惨劇に対して、多くの人達はこのように首をひねった。しかし、その求められた「理論」が、「なんでも解決してくれる万能の正解」と一つだったとしたら、この矛盾はたやすく解決されるだろう。「なんでも解決してくれる万能の正解」は幻想であり、これはそもそも宗教的なものだからだ。

 二十世紀は理論の時代で、「自分の知らない正解がどこかにあるはず」と多くの人は思い込んだが、これは「二十世紀病」と言われてしかるべきものだろう。「どこかに〝正解〟はある」と思い、「これが〝正解〟だ」と確信したら、その学習と実践に一路邁進する。二十世紀のそのはじめには社会主義があって、これをこそ「正しい」と思った人達は、これを熱心に学習し実践しようとした。

 やがてそこにさまざまな理論が登場して、第二次世界大戦後の二、三十年間は、「一世を風靡(ふうび)したナントカ理論」の花盛りとなる。そこで激化したのは、子供の進学競争ばかりではない。大人だとてやはり、やたらの学習意欲で猪突猛進をしていたのである。

 学習──つまりは、「既に明らかになっているはずの〝正解〟の存在を信じ、それを我が物としてマスターしていく」である。ここでは、「正解」に対する疑問はタブーだった。それが「正解」であることを信じて熱心に学習することだけが正しく、その「正解」に対する疑問が生まれたら、「新しい正解を内合している(はずの)新理論」へと走る──これが一般的なあり方だった。

   「どこかに〝正解〟はあるはずだ」という確信は動かぬまま、理論から理論へと走って、理論を漁ることは流行となり、流行は思想となる。やがては、なにがなんだかわからない 〝混迷の時代〟となって、そこに訪れるのが、「正解である可能性を含んでいる(はずの)情報をキャッチしなければならない」という、情報社会である。

 どこかに「正解」はあるはずなのだから、それを教えてくれる「情報」を捕まえなければならない──そのような思い込みがあって、二十世紀末の情報社会は生まれるのだが、それがどれほど役に立つものかはわからない。しかし、「〝正解〟につながる(はずの)情報を仕入れ続けなければ脱落者になってしまう」という思い込みが、一方にはある。だから、それをし続けなければならない。

 それをし続けることによって得ることができるのは、「自分もまた〝正解はどこかにある〟と信じ込んでいる二十世紀人の一人である」という一体感だけである。だからこそ、情報社会の裏側では、得体の知れない孤独感もまた、同時進行でひっそりと広がって行く。情報社会でなにを手に入れられるのかは知らないが、情報社会の一員にならなければ、情報社会から脱落した結果の孤独を味わわなければならないからである。

 そもそもが「恥の社会」である日本に、「自分の知らない〝正解〟がどこかにあるはず」という二十世紀病が重なってしまった。その結果、「わからない=恥」は、日本社会に抜きがたく確固としてしまったのである。

 

(→当ブログによる「注」→日本人の大部分が罹患している「正解病」についての考察です。「正解病」は不治の病のようなものです。情報崇拝、マスコミ崇拝、科学崇拝、健康診断崇拝、統計崇拝、学問崇拝等、広く蔓延している反知性主義的死病です)

 

 しかし、その二十世紀は終わってしまった。終わって行く二十世紀には、「もしかしたらもう〝正解〟はないのかもしれない…」という不安感が漂っていた。どこにも「画期的な新理論」はない。理論の代用物でもあった「画期的なヒット商品」もない。パソコンやインターネットが画期的であったとしても、それがどこまで必要なのかはわからない。なぜかと言えば、その〝必要〟は、「どこかに正解があるはず」という、二十世紀的な思い込みの上に存在するものだからである。

 よく考えてみればわかることだが、「なんでもかんでも一挙に解決してくれる便利な〝正解〟」などというものは、そもそも幻想の中にしか存在しないものである。「二十世紀が終わると同時に、幻滅もやって来た」と思う人は多いが、これもまた二十世紀病の一種である。二十世紀が終わると同時にやって来たのは、「幻滅」ではなく、ただの「現実」なのだ。

 人はこまめに挫折を繰り返す。一度手に入れただけの自信は、たやすく役立たずになり変わる。人はたんびたんびに「わからない」に直面して、その疑問を自分の頭で解いていくしかない──これは、人類史を貫く不変の真理なのである。自分がぶち当たった壁や疑問は、自分オリジナルの挫折であり疑問である。「万能の正解」という便利なものがなくなってしまった結果なのではない。それを「幻滅」と言うのなら、それは、「なんでも他人まかせですませておける」と思い込んでいた、不精者の幻滅なのである。

 二十世紀に定着してしまったものは「個人の自由」だが、そこから生まれるのは、「自分の挫折は自分オリジナルの挫折である」と言い切る権利である。「自分オリジナルの挫折」は、結局のところ、自分で切り開くしかないものなのである。

 

 二十世紀が終わって、人間は再び過去の次元に戻った。そこでは、困難を切り開くものは、常に「自分の力」だった。「自分の力」がふるえるようになる前に、「どうしたらいいのかわからない、なにがなんだかわからない」という混迷に呑み込まれても不思議ではない。人類は常に、そういうところからスタートしてきたのである。

 「わからない」は、あなた一人の恥ではない。恥だとしたら、「この世のどこかに〝万能の正解〟がある」とばかり信じて、簡単に挫折しうる「自分自身の特性」を認めないことが恥なのである。「特性」がいいものだとは限らない。

 「どこにも正解はない」という〝混迷〟の中で二十世紀は終わり、その〝混迷〟の中で二十一世紀がやって来た──そう思ってしまったら、もう二十一世紀は終わりだろう。「わかる」からスタートしたものが、「わからない」のゴールにたどり着いてしまった。これが間違いであるのは、既に言った通りで、であればこそ二十一世紀は、人類の前に再び訪れた、「わからない」をスタート地点とする、いとも当たり前の時代なのである。

 (『「わからない」という方法』橋本治)

 
 以下の部分は特に重要でしょう。

 「正解病」に陥らずに、「わからない」をスタート地点とすること、つまり、当たり前のことを当たり前に考えことは、案外、困難なことなのです。

「  二十世紀が終わって、人間は再び過去の次元に戻った。そこでは、困難を切り開くものは、常に「自分の力」だった。「自分の力」がふるえるようになる前に、「どうしたらいいのかわからない、なにがなんだかわからない」という混迷に呑み込まれても不思議ではない。人類は常に、そういうところからスタートしてきたのである。

  「わからない」は、あなた一人の恥ではない。恥だとしたら、「この世のどこかに〝万能の正解〟がある」とばかり信じて、簡単に挫折しうる「自分自身の特性」を認めないことが恥なのである。「特性」がいいものだとは限らない。

 「どこにも正解はない」という〝混迷〟の中で二十世紀は終わり、その〝混迷〟の中で二十一世紀がやって来た──そう思ってしまったら、もう二十一世紀は終わりだろう。「わかる」からスタートしたものが、「わからない」のゴールにたどり着いてしまった。これが間違いであるのは、既に言った通りで、であればこそ二十一世紀は、人類の前に再び訪れた、「わからない」をスタート地点とする、いとも当たり前の時代なのである。

 

 

 (6)当ブログにおける「知性」・「反知性主義」関連記事の紹介

 

 「知性」・「反知性主義」に関する論点は入試頻出です。

 新たな論考に積極的にチャレンジするようにしてください。

 

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ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

  

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/日本人論

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 入試頻出出典・『日本文化における時間と空間』は、入試頻出著者・加藤周一氏の、これまでの著作の集大成のような内容になっています。

 加藤氏は、これまでの著作で、日本人の特徴として、「集団主義」、「大勢順応主義」、「現在主義」、「感覚主義」を指摘してきています。

 『日本文化における時間と空間』においては、この日本人の特徴を、「時間」と「空間」を軸として、歴史的に体系的に考察しています。

 そこで、今回は現代文(国語)・小論文対策として、本書のポイントを解説します。

 

 記事は約1万字です。

 今回の記事の項目は以下の通りです。


(2)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/①「全体の構成」

(3)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/②「時間について」

(4)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/③「空間について」

(5)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/④「『今=ここ』の文化」

(6)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/⑤「大勢順応主義」という「日本文化」の「負の側面の改革」

(7)当ブログにおける「日本人論」関連記事の紹介

 

日本文化における時間と空間

日本文化における時間と空間

 

 

 

(2)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/①「全体の構成」

 

(青字は当ブログによる「注」です。)

(赤字は当ブログによる「強調」です。)

 

 全体は三部構成になっています。

 第一部では時間について、第二部では空間について、検討しています。

 第三部では、「時間と空間の関係」を「全体と部分の関係」の視点から考察されています。

 また、第三部では、「日本文化の問題性」と、「その対策」についても見解が示されています。

 

 加藤周一氏は、日本の土着的(→伝統的)世界観として、「現在主義」、「集団主義」、「大勢順応主義」をあげています。 

 この日本人の傾向を説明するために、加藤氏は、3つの諺を挙げています。

 

 第1は、「過去は水に流す」という諺です。これは、「現在主義」そのものです。

 現在の生活の円滑化のために、過去を気にしないことを理想化する態度を意味しています。

 

 第2は、「明日は明日の風が吹く」です。

「冬来たりなば、春遠からじ」とあるように、四季のはっきりした日本ならではの発想です。

 寒い冬の次に春は必ず来る、明日の事は余り考えない事にするという楽観論です。

 

 第3は、「福は内、鬼は外」です。

 外とは一線を配し、周辺に枠を設け、身内だけを重視し、外の事は余り関心を示さない性向を指します。

 わが国は江戸時代の260年間、世界で類例を見ない鎖国政策をとっていました。

 これは「福は内、鬼は外」との考え方と関連性があり、日本人は文化を尊ぶが、普遍的思想や論理に弱いと、加藤氏は解説しています。

 

 以下は、加藤氏の説明です。

  出来事は当事者の生活空間すなわち特定の集団の内側で起こる。日本で典型的な集団は、長い間、家族およびムラ共同体であったが、いずれの場合にも集団の境界は明瞭で、集団成員の仲間内に対する態度と外人(そとびと)に対する行動様式とは、対照的に違う。すなわち「福は内、鬼は外」である。

 鬼は外の背景は、おそらく、強い集団帰属意識である。 

 関心は集団の内部すなわち「ここ」に集中し、外部すなわち他所(よそ)に及ぶことが少ない。

 たとえば盆に典型的な祖先崇拝の理由も、おそらくは、他界における祖先の霊への関心ではなく「ここ」の出来事に係わり、毎年ここへ帰ってくる霊への関心であろう。

(『日本文化における時間と空間』)


「現在主義」は、失敗を反省しない生き方でもあります。この点について、加藤氏は以下のように指摘しています。

「  日本社会には、そのあらゆる水準に於いて、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係に於いて定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。

 日本が四季のはっきりした自然と周囲を海に囲まれた島国であることから、人々は物事を広い空間や時間概念で捉えることは苦手、不慣れだ。

 それ故、日本人は自分の身の回りに枠を設け、「今=ここに生きる」の精神、考え方で生きる事を常とする。「この身の回りに枠を設ける生き方は、国や個人の文化を創り出す土壌になる。

 一方、ヨーロッパは陸続きの大陸であり、各国はそれぞれ固有の文化、歴史があり、加えて幾度の戦争を体験していることから、経験上共通の概念を取り入れる努力をしている。例えばドイツと他国の間ではヒットラーの「ユダヤ人虐殺」に関しては互いに過ちであるとの共通の認識を持っており、ドイツ人は「過去は水に流す」式の日本人の意識とは大きな違いがある。

 ドイツ社会は「アウシュビッツ」を水に流そうとしなかったが、日本社会は「南京虐殺」を水に流そうとした。その結果、独仏の信頼関係が「回復」されたのに対し、日中国民の間では信頼関係が構築されなかったことは、いうまでもない。

(『日本文化における時間と空間』)

 


(3)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/②「時間について」

 

 加藤氏は「日本人の歴史的な時間観」を論じる前提として、ユダヤ文化、ギリシャ文化、中国、インドの時間感覚を確認しています。

 日本人の時間感覚と対比されるものとしては、ユダヤ人の時間感覚が挙げられます。

 これは、初めがあり終わりがある時間感覚です。神による宇宙の創造に始まり、最後の審判に終わる時間感覚です。

 ギリシア人ので代表的な時間感覚は「循環する時間」です。

 

 これに対して、日本の時間のとらえ方は、加藤氏によれば、三つに分類されます。

 ユダヤ人とは対照的に初めがなく、終わりがない直線の時間。

 それに季節、日本の四季から連想される循環する時間。しかし、この時間にはギリシアのような宇宙、あるいは朱子学的な形而上的色彩がない、日常的な循環する時間です。

 さらに、普遍的な時間としての、個々の人生、誕生から死までの初めがあり終わりがある時間です。

 

 この三つの時間は、加藤氏によれば、以下のように、どれも「今」に生きることの強調に向かうのです。

「  今はゴムひものように伸縮する。

 始めなければ終わりない歴史的時間は、方向性をもつ直線である。この直線上の事件には先後関係はあるが、直線全体の分節化は出来ない。円周上を循環する自然的時間の場合には、事件の先後関係ばかりでなく、分節をあきらかにすることができる

 すなわち古代文化の中心であった地域では、四季の区別が明瞭で、規則的であり、その自然の循環する変化が、農耕社会の日常的な時間意識を決定したであろう。

 日本文化の時間の表象の第二の型は、始めなく終わりなく循環する時間である。季節であり、時間の円周は四季に分節化される。九世紀以降平安朝の宮廷文化は、季節に敏感な、というよりも敏感であらざるをえなかった生産者=農民の感受性を、全く非生産的な美的領域に移して、洗練した。「枕草子」は有名な「春はあけぼの」、「夏はよる」、「秋は夕暮」、「冬はつとめて」で始まる。

 四季に集中するのは、その傾向はすでに「万葉集」にもあらわれていて、それが「古今和歌集」において徹底したのである。しかも四季の変化に対する関心は、平安朝以後さらに強まり、俳諧師たちにとってほとんど強迫観念になって、制度化された季語を生むに到った。

 四季を中心にして循環する時間の概念は、平安朝が洗練した美的領域を超えて、より抽象的で一般的な時間の意識にも影響した。

 しかし「諸行無常」の方は、歴史的時間の循環ではなくて、始めあり終わりある人生の話である。命短し。これは人間の条件であって文化によって異なるものではない。文化によって異なるのは、その事実に対する対応の仕方である。

 人生は一定方向へ進む有限の直線であるから、分節化される。故に青年といい、中年といい、老年という。一度過ぎ去った一分節はもどらない。すなわち無限の歴史的時間とは異なり、人生の経験された有限の時間は構造化される。

 かくして、日本文化のなかには、三つの異なる時間が共存していた。

 すなわち、始めなく終わりない直線=歴史的時間、
始めなく終わりない円周上の循環=日常的時間、
始めがあり終わりがある人生の普遍的時間である。

 そして、その三つの時間どれもが「今」に生きることの強調へ向かうのである。

(『日本文化における時間と空間』)


 そして、加藤氏は「日本語」「日本文学」を取りあげて、日本人の時間観を検討しています。

 「日本語」については、「時制」の問題に注目しています。

 加藤氏は、ヨーロッパ語が厳密な時制の体系を有するのに対し、日本語は過去・現在・未来を明確に区別しない、と主張しています。

 つまり、客観的時間よりも主観的時間を重視し、「過去・現在・未来を区別することより、現在の中に過去と未来を収斂させる傾向がある」ということを、以下のように指摘しているのです。


「  日本語文法が反映しているのは、世界の時間的構造、過去・現在・未来に分割された時間軸上にすべての出来事を位置づける世界秩序ではなくて、話し手の出来事に対する反応、命題の確からしさの程度ということになろう。」
(『日本文化における時間と空間』)

 

 日本語においては、過去・未来は現在に収斂しているのです。

 この点に関して加藤氏は、『源氏物語』の冒頭部分を引用しています。

「いづれの御時にか。女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより、「われは」と、思ひあがり給へる御かたがた、めざましき者におとしめそねみ給ふ。おなじ程、それより下臈の更衣たちは、まして、安からず。」

 

 上記の現在形と過去形の混用に注目して、加藤氏は、以下のように記述しています。

「  語り手の意識にとっては、過去形は対象との距離を強調する。女御・更衣が大勢居たこと(「さぶらひ給ひける」)、そのなかに身分はあまり高くないが、すぐれて時めき給う主人公が居たことは、過去の客観的状況である。

 そこで何がおこったか。「そねみ」がおこり、更衣たちの不満がおこった。それが現在で叙述されているのは、語り手にとっては強い関心の対象だからである。現在形の動詞によって、語り手の意識は対象に接近する。

 つまり、出来事の叙述には、語り手と語られる対象との「心理的距離感」が反映されるのです。


 それでは、「文学」では、時間の問題はどうなっているのでしょうか。

 加藤氏は前述のように、『源氏物語』の中では、過去の出来事を語りながら、現在の動詞を使用して、対象への接近を図る手法を指摘しました。

 加藤氏は、この手法は『平家物語』で、より効果的に使用されていると主張しています。


 次に、本書は、「俳句」における時間表現の検討に入ります。

 加藤氏は、芭蕉の句の中では、過去はなく、未来はなく、ただ現在、「今=ここ」に全世界が集約されていると述べています。

 

 文学だけでなく、さらに、文学以外の諸芸術における時間も取り上げられます。

 音楽、能、絵画で日本人の時間観は、如何に外部化しているか?

 加藤氏は、絵画においては、絵巻物を日本絵画の代表としています。

 絵巻物は全体としては長いけれども、広げられた部分しか見えないので、今への集中を特色としていると言えるのです。

 

 そして、まとめ的に、加藤氏は「行動様式」という章で、「行動と時間」の関係を考察しています。

 この中では、「幕末期の武士たちの行動」の検討が、最も注目されます。

 この時期に大勢順応主義が蔓延し、過去・未来を考慮しない行動が目立った事実を、加藤氏は、厳しく指摘しています。

 その上で、「現在も日本人がこの傾向から抜け出るのは極めて難しいだろう」と、加藤氏は判断しています。
 
 以下に一部を引用します。

「  戦後の日本の外交に関しては、もちろん、さまざまな要因を考慮しなければならない。

 2・26事件の1936年以後敗戦の45年まで陸軍は事実上外交を無視していた。45年から52年まで占領下の日本には外交権がなかった。52年から「冷戦」の終わった89年まで、日本は「米国追随」に徹底していた。

 ということは、事実上外交的な「イニシアティブ」をとる余地がほとんどなかった、ということである。日本国には半世紀以上も独自の外交政策を生み出す経験がなかった。

 そこでわずかに繰り返されたのが、情勢の変化に対するその場の反応、応急手当、その日暮らし、先のことは先のこととして現在にのみこだわることになったのだろう。
 おそらく過去を忘れ、失策を思い煩わず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統文化があった。

(『日本文化における時間と空間』)

 

 このことこそが、「今に生きる」であり、「現在主義」であり、「現世主義」です。

 


(4)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/③「空間について」

 

 日本文化の「空間認識」に関しては、加藤氏は『古事記』に顕著な、日本の島々に限られている視線を指摘しています。

 世界は日本列島に等しいのです。

 つまり、外界への関心が存在しないのです。

 限られた空間は境界内です。

 これは家であり、ムラであり、国です。

 そして、その構造は重複しているのです。

 さらに、境界内と境界外が厳密に区別されているのです。

 

 この「閉鎖的空間の特徴」を、加藤氏は3点挙げています。

 

 まず、「奥の概念」です。

 神聖なものは奥にしまわれ、私的空間は奥で展開されるのです。

 

 次は、「水平面の強調」です。

 ゴチックの高塔とは対比的です。

 

 さらに、「建て増しという発想」が挙げられます。武家屋敷の間取りを紹介しつつ、全体の設計が曖昧であり、建物を継ぎ足していく手法が日本建築の特徴だとしています。

 
 以下に、本書からポイントを引用します。

  世俗的空間のなかでオクへ向かえば、私的性質が強まる。住宅の玄関から客間へ、客間から居間・寝室・奥座敷へ。そのオクを「人に見せず、大事にする」ことはいうまでもない。

 しかし、今日でも、現在の米国の中間層の習慣に比べるば、日本の家庭には家族の生活習慣を人に見せる習慣がない。

 なぜだろうか。

 おそらく私的生活空間の秘密性は、その空間の境界の閉鎖性にほかならず、ムラ境や国境の閉鎖性を生み出したのと同じ社会心理的傾向が、それを生みだしたのにちがいない。それは家族の日常生活を外部から遮断し、内外の区別を強調しようとすることであって、家族内部で個人の私的願望や行動が尊重されることでは全くない。

  日本では宗教的建築でさえも、平屋または二階建てで、地表に沿って広がり、天へ向かって伸びていくことはない。神社には塔がない。

 一部の神々は確かに「高天原」から降ってきたとされるが、「高天原」は天上よりも山頂にあったらしい。降ってきてしかるべき仕事をしたのち天に昇ったという話も『古事記』にはない。

 しばらく地上にあってのち天へ帰ったのは、八百万の神々でなくて、かぐや姫や羽衣を取り戻した天女や民話のなかの鶴である。神社があえて天上に関わらなければならない理由は弱いだろう。

 例外は、仏教寺院の五重塔である。しかし、第一に、仏教は外来宗教であり、仏塔の「日本化」である。

 日本では層を五重または三重に限り、幅の広い廂をほとんど水平に四方に出して、垂直の線を隠した。日本化とは塔の非塔化である。

 日本では、宗教建築においてさえも天を指して上昇する傾向はなかった、あるいは極めて弱かったということ、建築空間を水平面に沿って構成する傾向こそが極めて強かった、ということを証言するのである。

「  家屋の、都会の、建て増しの思想を、もっともよく象徴しているのは、首都の地下鉄工事かもしれない。

 建て増し主義からは伝統的空間意識の二つの特徴を予想することが出来る。

 すなわち「小さな空間」の嗜好と、左右相称性(シンメトリー)の忌避である。後者は「非相称性」の好みと言い換えることが出来る。

 建て増し主義の背景には、全体から細部へではなく、細部から全体へ向かう思考の傾きがある。その傾きは、当然、細部すなわち「小さな空間」に注意を集中する心理的傾向を生み出すだろう。「小さな空間」が独立すれば、たとえば楽茶碗の「景色」が洗練され、根付け彫りにおどろくべき工夫が凝らされる。

 日本文化の中の空間の特徴は、単に「シンメトリー」の不在でなく、故意に、意識的に、ほとんど計画的に「シンメトリー」を避ける傾向である。たとえば桂離宮の建物の入り口へ導く敷石の配置は、目的合理性のある一定幅の直線の左右対称性を避けて、不規則である。

 このような二つの特徴が、いわば芸術的理想の一つの形成として完成したのは、15世紀から16世紀にかけての茶室の文化においてである。

(『日本文化における時間と空間』)

 

 加藤氏は、日本建築における「水平志向」と「非相称性」を指摘しているのです。

 「非相称性尊重」の感覚は、中国や西洋の大部分の建築と対照的な美学であると、加藤氏は主張しています。

 建築物、茶器等、茶室の独自性については、明白でしょう。

 農村の住空間は狭小でしたが、その空間を極限まで単純化したのが茶室でした。

 日本の最大の建築物が東大寺の大仏であるとすれば、最小のものが利休の茶室であるとしています。

 加藤氏は、利休の芸術観を美学革命として、高く評価しています。


 特に、「非相称性」についての以下の一節は、秀逸で、興味深い内容になっています。

「  この国にはアジア大陸の広大な砂漠や草原がない。人は谷間や海岸の狭い平地に住み、風景はどの方向を眺めるかによって異なり、日常生活の空間があらゆる方向に均質に広がっていない。自然的環境は左右相称性よりは非相称性の美学の発達を促すだろう。

 社会的環境の典型は、水田稲作のムラである。労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は、共通の地方神信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。個人の注意は部分の改善に集中する他はないだろう。

 非相称性の美学が洗錬の頂点に達するのは、茶室の内外の空間においてである。その時期はおよそ15・16世紀の内乱の時代(戦国時代)と重なっていた。

 ムラ社会全体の極度の安定が人の注意を細部に向けたとすれば、武家社会の全国的な流動性(「下剋上」と内乱)、その全体の秩序の極度の不安定も、社会的環境の全体からの脱出願望を誘うだろう。

 大きな自然の小さな部分としての庭、その中へ吸い込まれるように軽く目立たない茶亭、その内部の明かり取りの窓、窓の格子に射す陽ざしが作る虹、茶道具、殊に茶陶、その釉薬が作る景色の変化。

 そこにあるのは非相称的空間であり、その意識化としての反相称的美学である。

(『日本文化における時間と空間』)


 次に、「絵画」について、加藤氏は、画面構成の視点から、中国絵画と比較しています。

 すなわち、日本の芸術家たちが中国の伝統から受容したのは、「画面上の空白」、「空白を活性化する構図」です。宗達や琳派は、これらを元にして、独創的手法を発展させました。また、水墨画では雪舟等が天才を開花させました。

 

 さらに、加藤氏は、続けて以下のように述べています。

「  中国人の芸術家が伝統を重視して写実的に自然を描くのに対して、日本の芸術家は、筆勢という画家自身の能力を尊重する。

 視線は外よりは内に向いている。

 画題の土地を訪れたこともないし、その興味もないだろう。限られた空間のなかに閉じこもって仕事をする傾向は、21世紀の今日にも見られる。」

 

 加藤氏の次のような自問自答は、「日本人論」としては、極めて斬新です。

「  それにしても、なぜ、日本人の目は外よりも内へ向かうことが多いのか。

 なぜ、徳川時代に石門心学が流行したのか。

 なぜ、両大戦間に私小説が文壇を支配したのか。

 その理由は、おそらく当事者の居住空間が閉じていれば、表現空間も閉じるからである。

 環境を変える希望がなければ、自己を変えるほかはない。見る対象が動かなければ、見方を変える工夫が日常化するだろう。」

 以上は、日本芸術に発現した空間感覚の特色の考察でした。

 

 次に、加藤氏は「行動様式」として、「対外関係」と「伝統的むら空間」の「特徴」について検討しています。

 まず、 「日本の歴史を通じて、対外関係は外の世界に開く、次に閉じると言うことの繰り返しである。この傾向は今でも変わっていない」
としています。

 そして、日本人が日常的に暮らす空間としての「ムラ」について、以下のように述べています。

「  その特徴として、境界が明瞭であること、縦社会であること、個より集団が優勢であること、つまり、個は所属集団に順応すること、が挙げられる。

 ムラの外の外部は、近い外部、遠い外部がある。遠い外部からの訪問者はムラの人間とはほとんど交渉がなく、付き合いは対等ではない。このことは日本の対外交渉のありようを想起させる。

 外国との関係は絶えず上か下かであり、対等な関係ということがなかった。」
 
 以上の記述には、近代の、偏りに満ちた日本外交への憤懣が感じられます。
 

 

(5)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/④「『今=ここ』の文化」

 

 この項目においては、まず「時間」、「空間」についての考察内容の簡潔なまとめが提示された後、「時間」と「空間」の相互関係が「全体と部分」という視点から、以下のように整理されています。

「  全体の観念を考慮に入れず、部分を重視する日本文化の特色は、時間的には「今」、空間的には「ここ」を強調することになる。

 

 これゆえに、加藤氏は日本文化を「今=ここ文化」と位置付けます。


 閉じられた空間、ムラで代表された共同体は、保護と抑圧の両面を備えています。

 集団による抑圧が特に激烈だったのは、加藤氏によれば、徳川時代以降の400年間です。

 「伊勢参り」は、息詰まる社会からの一時的な脱出願望の現れ、と加藤氏は説明しています。

 その流行が終了してしまえば、以前の日常が始まる。抑圧が我慢の限界を越えれば、打ちこわしや一揆が発生する。

 

 「脱出願望」については、加藤氏は、かなり丁寧に論じています。

 「脱出願望」は明治以降も森鷗外、永井荷風等に見られます。

 加藤氏は時間的な脱出願望(T脱出)、空間的な脱出願望(S脱出)を区別して解説しています。

「時間的な脱出願望としては、ユートピアの夢想、これは日本では少なく、むしろ日本では時代的に過去にさかのぼって理想的な場所を求める傾向が強かった」として、加藤氏は本居宣長が古事記に没頭したことを脱出願望として把握している。

 

 T脱出の具体例としては、旅と亡命が挙げられています。

 旅に出かけたとしても、いつかは戻ってくる。

 これに対して亡命では人は帰ってこない。

 日本では、亡命者はほとんどいなかった。

 亡命は時に命をかける選択です。

 特に、ナチズムが支配したドイツ、オーストリアからは多くのユダヤ人や、反ナチスの知識人たちが亡命しました。

 加藤氏は、亡命の問題を詳述しています。

 

 芭蕉、雪舟は、旅に出たが、多くの歌人は、歌の舞台となる地域に出向きませんでした。

 加藤氏は、以下のように述べています。

「  雪舟や芭蕉が偉大なのは、彼らが日本の「自然」を発見したからである。発見するためには京都や江戸の旅の、閉じた文化圏の枠を破ってそこから脱出する必要があった。しかし、今では彼らの発見した「自然」そのものがなくなった。少なくとも、その大部分が失われた。

 

 物理的に時間から脱出することは困難だし、鎖国状態の国からの脱出も現実的には難しい。

 加藤氏は、18世紀の日本における「脱出願望」から派生した4つの思想を説明しています。

 近松の浄瑠璃に顕著な義理人情の貫徹の生き方、

 石門心学、

 荻生徂徠的な古代中国崇拝思想、

 本居宣長的な古代日本崇拝思想。

 これらは、どれも、外的環境が変わる見込みがなく、変える気持ちがないので、内部的環境を変える工夫と言えます。

 

 そして、本書の最後では、以下のように、禅の「悟り」による時空の超越について言及しているのです。

「  心の外の世界では、すべての出来事は時空間の中で起こる。しかし心の内側でおこる想念は時空間に束縛されずにおこり得るし、またおこり得たという報告は、古来無数にある。時空間を超越する条件は主として宗教的であり、その中でも人格的な絶対者・神を媒介する場合と、そうでない場合がある。

 人格的神を媒介しないで、時空間のみならずすべての二律背反(自他・生死・有不有)を超える神秘的経験の代表的な例は、禅の「悟り」であろう。

 「今=ここ」を強調する日本文化も、究極的には「今即永遠」、「ここ即世界」の普遍的な工夫を必要とした。その必要が日本文化における禅の役割の背景であるだろう。


 これを読むと、ある意味で、一種の空しさを感じてしまいます。

 「日本文化」というものは、日本人にとっては、足枷に似た重荷の側面があるのかもしれません。

 そして、現代の日本人が、いまだに「禅」に惹かれているということは、一面では、不幸なこととも言い得るのでしょう。

 

 

日本文化における時間と空間

 

 

(6)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/⑤「大勢順応主義」という「日本文化」の「負の側面の改革」


 加藤氏の著作のメインテーマは、「現在主義」、「集団主義」、「大勢順応主義」という「日本文化」の「負の側面の改革」と言えます。

 以下では、加藤氏のこれまでの著作における、「日本文化」の「負の側面の改革」というメインテーマについての主張を、概観してみます。

 

  「大勢順応主義」については、加藤氏は、以下のように述べています。

「  戦前の経験を踏まえて、戦争の決定は権力だけではできないのであり、大衆操作と大衆の側の大勢順応主義があって初めて可能になる。」

「消費社会というのは、比較的豊かな大衆が、自由の幻想をもっているということですね。主観的には自由と感じている。そして客観的には、広告会社やマス・メディアが操作している。

 孫悟空は、大変勇ましく戦います。さんざん戦うのだけれども、結局のところ、それはお釈迦様の掌の上で踊っているにすぎない。彼は自由に、それこそ縦横無尽に戦っているのだけれども、お釈迦様の掌の上のことにすぎない。消費社会のなかで、みんな自由だと思っているし、ふるまっている。 

 自由自在に活躍して、縦横無尽に外国を旅している。次から次へと、買い物をし、自動車を買い換えている。しかし、客観的に見ると、それは大広告会社などの宣伝の掌で踊っているにすぎない。いまの消費社会はそういうものでしょう。

(「加藤周一 戦後を語る」『ある晴れた日の出来事』) 

 

 さらに、加藤氏は、『戦後世代の戦争責任』において、「大勢順応主義と少数意見の関係」について、次のような重要な見解を述べています。

 

「  少数意見が生きている社会では大勢順応主義が起こりにくい。少数意見がつぶされると、大勢順応主義が加速されていきます。その動く方向を最終的に決めてしまうのが、権力による操作ということになると思います。」

「ドイツのヒットラーがいい例です。ヒットラーは大衆操作をやるのに、独創的な工夫をしました。それはアメとムチの政策です。

 いろんな福祉政策を実行し、失業問題を解決し、レクリエーションなんかも増進した。また、ニュールンベルグ大会のように花火を打ち上げたりする。みんなでたくさんの旗を振って、制服を着て行進する。一種の大衆ヒステリー状況をつくる操作をしてしまうわけです。それがアメの方です。

 しかし、もし政府に反対すれば秘密警察を使って弾圧した。これがムチの方です。

(『戦後世代の戦争責任』)

 
 そして、「一億総懺悔」という、ごまかしの議論を糾弾しています。

 さらに、権力の「操作」の嘘を見抜く力があり、見抜くために必要な知識を持っているインテリ層が、「操作」を世に知らしめるための努力を怠った責任について言及しているのです。

 

 「大勢順応主義に陥らず、戦前の状況を招来しないためにどうするべきか」について、加藤氏は、『転換期 今と昔』の中で、参考になる幾つかの提言をしています。


 第1は、「歴史を学ぶことの大切さ」です。

 この点について、加藤氏は、以下のようにも述べています。

「  どういう価値を優先するか、その根拠はなぜかということを考えるために必要なのが教養です。それがないと、目的のない能率だけの社会になってしまうでしょう。」(『教養の再生のために』)

 特に重要なのは、歴史的教養でしょう。

 過去の成功例、失敗例が充満している歴史から学ぶことが何よりも必要なのです。

 

 第2は、「自分の見解を持つことの重要性」です。

  これは、独立心を持つことでもあります。


 第3は、「立場を変えて見ることの必要性」です。

 多角的視点を持つことこそが、偏狭なナショナリズム、大勢順応主義を回避するためには必要なのです。

 しかし、日本では、「少数意見の価値」がそれほど認めらてはいません。

 

 この点について、加藤氏は以下のように、「少数意見の尊重」を強調しています。

「  ほんとうに怖い問題が出てきたときこそ、全会一致ではないことが必要なのだ、と私は考えます。

 それは人権を内面化することでもあるのです。個人の独立であり、個人の自由です。

 日本社会は、ヨーロッパなどと比べると、こうした部分が弱いのだと思います。平等主義はある程度普及しましたが、これからは、個人の独立、少数意見の尊重という考え方を徹底する必要があります。 

 日本の民主主義は平等主義的民主主義だけれど、少数意見尊重の個人主義的な自由主義ではない。それがいま、いちばん大きな問題です。」

(加藤周一『学ぶこと・思うこと』加藤周一)

 

学ぶこと思うこと (岩波ブックレット)

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 日本人が多角的視点を持っていないことによる問題を、加藤氏は、何度も論じています。

 「なぜ、『日本文化における時間と空間』を書こうと思ったのか」(『語りおくこといくつか』)の中でも、加藤氏は、以下のように述べているのです。

「  意識的に先を見るように努力することが大切である。

 日本人には、世界の中の日本という発想がない。

 アメリカは自分に都合の良い世界秩序を作ろうとする。フランスも同じ。考えられる世界秩序は、いくつかあって、その中でアメリカに一番利益になりそうな秩序を提案主張する。

 日本は「そういうことでは日本の企業が持たない」とか「それでは日本の農家が潰れる」とか直接的なことを訴える。

 「ムラ」メンタリティは、外に向かって国際的な議論をしていない。
 日本に対して損になりそうなことが通りそうになる場合、抵抗してそれで負けたら我慢する。

 我慢に我慢を重ねて、これ以上我慢できなくなれば、「ここで一か八かやってみよう」となる。

(「なぜ『日本文化における時間と空間』を書こうと思ったのか」 加藤周一 『語りおくこといくつか』)

 

 この分析は、現在の日本にも、そのまま通用する感じです。

 何かを幼児的に全面的に信用し、それに極度に依存しようとする姿勢は、日本の病的な伝統なのでしょうか。

 いつから、このような愚かな民族になってしまったのでしょうか。


 加藤氏は、この問題を徹底的に追及しています。

 インタビュー集『世紀末ニッポンのゆくえ』の中でも、次のような鋭い指摘をしています。

「  明治以来の日本は集団主義で一億一心、団結して与えられた目的を達成することはできるが、方向転換能力がないために必然的に失敗します。この100年に成功も失敗もあって、戦後もその気質が続いていると思います。

 しかし、今、それが隠されているように見えるのは、戦後がアメリカの占領下から始まったからでしょう。現在は法的に独立し、内政面では占領は終わりました。

 しかし、外交政策と軍事面ではだいたいアメリカに従っていますから、アメリカの準保護国的状況、実質的には半独立国です。」

(『世紀末ニッポンのゆくえ』)


  
 最近の日本における政治的な大勢順応主義の問題性は、加藤氏以外の、様々な学者も指摘しているのです。そ

 例えば、白井聡氏は、最近の著書『永続敗戦論』の中で、現在の大勢順応主義に対して、以下のように論じています。

「侮辱の中に生きる」ことに順応することは、「世界によって自分が変えられる」ことにほかならない。

 私はそのような「変革」を断固として拒絶する。私が本書を読む人々になにかを求めることが許されるとすれば、それは、このような「拒絶」を共にすることへの誘いを投げ掛けることであるに違いない。

 (『永続敗戦論』白井聡)

 

 

永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)

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 現在の混沌とした世界情勢の中でこそ、大勢順応主義への警戒は、必要不可欠と言えるのです。

 特に、大勢順応主義に流されやすい日本人は、このことを強く意識する必要があるのでしょう。

 

 

(7)当ブログにおける「日本人論」関連記事の紹介

 

 「日本人論」、「日本文化論」、「日本社会論」は、最重要の入試頻出論点です。

 積極的に様々な論考を読み、理解を深めるようにしてください。

 

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ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

   

 

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

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予想出典/『小林秀雄 美しい花』若松英輔

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 最近、発行された『小林秀雄 美しい花』(若松英輔)が、前回の記事で解説した『常世の花 石牟礼道子』(若松英輔)と同様に、内容的にも、レベル的にも、難関大学の現代文(国語)・小論文の題材として、ふさわしいです。 

 そこで、今回の記事で解説します。

 字数は、約1万字です。

 

 今回の記事の項目は以下の通りです。

(2)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』若松英輔/「はじめに」・「概要」

(3)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』/①「小林秀雄における『批評』」

(4)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』/②「美」について

(5)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』/③「読むこと」について

(6)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』/④「謎」について

(7)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』/⑤「コトバ」・「神秘」・「魂」についてー「まとめ」として

(8)当ブログにおける「小林秀雄」解説記事の紹介

 

 まず、出版元が公表している「Book 紹介」を引用します。

【内容説明】

小林秀雄は月の人である。中原中也、堀辰雄、ドストエフスキー、ランボー、ボードレール。

小林は彼らに太陽を見た。

歴史の中にその実像を浮かび上がらせる傑作評伝。

『ランボオ』『Xへの手紙』『ドストエフスキイの生活』から『モオツァルト』まで。

小林秀雄の著作を生き直すように読み、言葉の向こうへ広がる世界へと誘う。

 

【出版社内容情報】

美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。

色、音、光、香り、言葉、あるいは不可視な感情の痕跡――。

芸術に触れ、真につき動かされたときに遭遇する何かこそが、真の美であり、実在なのだと語った小林秀雄。

ベルクソン、ランボー、モーッアルト、ドストエフスキー、本居宣長らとの出会を通じ、小林が生涯にわたって考え続けたのが美をめぐる問題だった。

不世出の批評家が語りながら考え、書きながら生きた軌跡をその現場に降り立つように蘇らせる試みにみちた長編評論

 

 

小林秀雄 美しい花

小林秀雄 美しい花

 

 

 

(2)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』若松英輔/「はじめに」・「概要」

 

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 


 『小林秀雄 美しい花』の「序章」で若松氏は、次のように述べています。

「  小林にとって批評とは、読み、書くことによって、論じる相手の生涯を生き直してみようとすることだった。」

 この言葉は、また、若松氏の覚悟でもあります。

 若松氏は、小林秀雄と同じ道を辿ろうしているでしょう。


 小林秀雄は一連の著書で、読者に、ある意味で苛烈な要求をしています。

 直に、「見ること」、「聴くこと」、「読むこと」、「感じること」を心掛けよ。

 次に、「考えること」を、それらと同レベルに設定せよ。 


 
 これは、真に実存的に物を見て、「存在の根源」を見詰めるということでしょう。

 対象に「没入せよ」と言うのです。

 「没入」とは、批評する相手の心を通して自分を照らす、ということでもあります。

 これが、小林秀雄の「批評の構造」です。


 若松氏は、まさに、この「批評の構造」の実践として、本書『小林秀雄 美しい花』を執筆しています。

 それゆえにこそ、若松氏は、新たな小林秀雄像を実感できたのでしょう。

 このことは、以下の若松氏の言葉からも明らかです。

 

「  小林は多くの人に影響を与えた「太陽の人」として語り継がれてきました。しかし彼は、誰よりも真摯に他者からの影響をという「光」を受けた「月の人」でした。これまでの小林秀雄像を刷新できればと思います。

(『小林秀雄 美しい花』)


 若松氏は、小林秀雄に寄り添い、交感することにより、小林秀雄が捉えた「超越者」、「目に見えない叡智」、「世界の根源」を垣間見ようとしています。

 言い換えれば、異界と交感した批評家、哲学者、詩人である小林秀雄に、まさに「没入」しています。

 この「実験的精神」こそ、小林秀雄が生涯を賭けて試み、私たちに感動を与えてくれる各著作の原動力になっていることに留意するべきです。

 本書『小林秀雄 美しい花』は、死者・小林秀雄との「会話」の記録とも言えます。

 若松氏にとって、「死者」とは「今なお生きている者」です。

 この価値観は、若松氏のこれまでの著作の基盤になっています。

 彼にとっての、「哲学者」や「詩人」とは、自らが何かを創造する者ではありません。

 「何か」から伝達される「言葉」の通り道としての「人間」です。

 このことは、小林秀雄を崇拝していた池田晶子氏も指摘しています。

 若松氏も、「死者から言葉を預かった者」としての立場から本書を書いているのでしょう。

 

 若松氏は、その著書『内村鑑三 悲しみの使徒』の中で以下のように述べています。

「  死者がいる「霊性」の世界は、確かにある「実在」であり、小林秀雄もこの認識を前提としている。

 

 

内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書)

内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書)

 

 

 

 以下では、『小林秀雄 美しい花』をはじめとする若松氏の各著作の中のキーワードである、

① 「小林秀雄における『批評』」、

② 「美」、

③ 「読むこと」、

④ 「謎」、

⑤ 「コトバ」・「神秘」・「魂」、

について解説していきます。

 

 この記事を読んでいけば分かることですが、注意するべきは、これらのキーワードは、「超越者」、「目に見えない叡智」、「世界の根源」に密接に関連しているということです。

 

 

(3)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』若松英輔/①「小林秀雄における『批評』」

 

 「小林秀雄における『批評』」については、「序章 美と見神」に、簡潔な解説があります。

「  自己を、もっともよく理解しているのは自分である、と思うのは、一種の幻想に過ぎない。むしろ、人間にとって自己とは永遠の謎とほとんど同義であり、生きるとは、己れという解明不可能な存在に、可能な限り接近しようとする試みだと言ったほうが現実に近い。それが現実であるならば、自分よりも自分に近い他者という存在も空想の産物ではなくなる。論じる対象自身よりもその人の心に近づこうとすること、こうした一見不可能な試みに身を投じること、それが小林秀雄にとっての批評の基点だった。」(「序章 美と見神」『小林秀雄 美しい花』若松英輔)


 同様のことを、小林秀雄は『人間の建設』の中で述べています。

 以下に引用します。

(小林)  自己表現、本物の自己、確固たる自我の表明に拘泥するばかりで、物の本質を見る目を曇らせてしまってはいないか。

 自分の心の「ほしいままなもの」、小我への執着を捨て、自然を客体として眺めるのをやめ、自己を自然の中に置くとき、物事の本質、本然の姿は見えてくるのだ。

「(小林)  その人の身になってみるというのが、実は批評の極意です。高みにいて、なんとかかんとかいう言葉はいくらでもありますが、その人の身になってみたら、だいたい言葉がないのです。いったんそこまで行って、なんとかして言葉をみつけるというのが批評なのです。」 

 

 物事をよく「見る」ということ、「その人の身になってみること」、このことを、現代人は忘れがちです。

 素直になれ、と小林秀雄は、静かに諭しているのです。
 
 また、『小林秀雄全集第七巻』の中で、小林秀雄は、このようにも言っています。

「  僕も前に福沢諭吉の事を書いたことがあるけれども、福沢諭吉は『文明論之概略』の序文でこういう事を言っている。現代の日本文明というものは、一人にして両身あるごとき文明だ、つまり過去の文明と新しい文明を一つの身にもっておる、一生にして二生を持つが如き事をやっている、そういう経験は西洋人にはわからん、現代の日本人だけがもっている実際の経験だというのだよ。そういう経験をもったということは、われわれのチャンスであるというのだ。そういうチャンスは利用しなくちゃいかん。だから、俺はそれを利用し、文明論を書く、と言うのだ。 実証精神というのは、そういうものだと思うのだがね。

 何もある対象に向かって実証的方法を使うということが実証精神でないよ。自分が現に生きている立場、自分の特殊の立場が、学問をやる場合に先ず見えていなくちゃならぬ。俺は現にこういう特殊な立場に立っているんだということが学問の切掛けにならなければいけないのじゃないか。

 そういうふうな処が今の学者にないことが駄目なのだ。日本の今の現状というようなものをある方法で照明する。そうでないのだ。西洋人にはできないある経験を現に僕等しているわけだろう。そういう西洋人ができない経験、僕等でなければやれない経験をしているという、そういう実際の生活の切掛けから学問が起こらなければいけないのだよ。そういうものが土台になって学問が起こらなければいけない。そういうものを僕は実証的方法というのだよ。」

「  眼の前の物をはっきり見て、凡そ見のこしということをしない自分の眼力と、凡そ自由自在な考える力とを信じる。そこからしか学問も芸術も始まらない。

(「實験的精神」『小林秀雄全集第七巻』)

 
 若松氏が、「小林秀雄における『批評』」を、いかに考えているかは、小林秀雄の「様々なる意匠」の有名な一節、「批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか」の解説から明らかになります。

 この一節は、一般的には、「批評とは、ある対象物により自己の内部に湧いてきた感触を、自己の、あり得る限りの技量を尽くした言語、理論に置き換え語ること」と理解されています。

 しかし、若松氏は、以下のように、全く別の解釈をします。

「  この「己れの夢」は評者自身の夢でなく、論じられる対象物である「彼」と、論じる「私」の「主客が渾沌こんとんとするような交わり」が起きた末に語られた夢だ。

 若松氏は、小林秀雄の「その人の身になってみること」を徹底して考えていくのでしょう。

 つまり、若松氏自身もまた、小林秀雄の「身になってみる」を実践しているのです。

 自分が語っているのか、小林秀雄の言葉が乗り移ったのか分からないような、その境地まで思いを沈めているのです。

 

 例えば、小林秀雄と、中原中也の恋人の長谷川泰子をめぐる事件を論ずる際にも、この、小林秀雄に寄り添う姿勢は貫かれます。

 若松氏は、二人の青年がランボーの詩を訳した時、互いの訳文が影響し合うほど「精神的に密接な関係」だった事実を指摘しています。

 その上で、小林秀雄は単に泰子を愛したのでない、としています。

 つまり、「中原から長谷川泰子を奪うことで、中原との関係を手に入れようとしたのではないか」と推測しているのです。

 小林秀雄に寄り添えば、「小林秀雄における中原中也の価値」が、見えてくるのでしょう。

 対象者に寄り添い、感じること、その実感を大切にして考えることこそが、「小林秀雄における『批評』」の真髄なのです。

 つまり、「小林秀雄における批評」の「根拠」は、対象者に寄り添い、感じること、その実感を大切にして考えること、と言えるのです。

 

 この点について、若松英輔氏は、ツイートで次のように述べています。

  小林秀雄は、親友の河上徹太郎こそが本当の批評家で自分は詩人にすぎない、と言っていますが本当です。小林の作品は詩のように読むのがよく、事実を追い、「証拠」を見つけようとするには不向きな書き手だと思います。私は、小林が優れているから読んできたのではありません。まず、打たれたのです。

 


(4)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』若松英輔/②「美について」

 

 「美」が小林秀雄のテーマであったことを、若松氏は、以下のようにして指摘しています。

「  美は今に宿り、悠久の世界がそこにあることを教える。悠久は、彼方に存在するのではない。今に随伴する。今とは、永遠の時が世界に現象するときの謂いである。今を見つめない者がどうして永遠を知ることができようか、今を、真実の意味で育むことを知らない者が、どうして永遠を誓うことができるだろうか、と小林は問い掛けるのである。」(『小林秀雄 美しい花』)

「  ベルクソン、ランボー、モーッアルト、ドストエフスキー、本居宣長らとの出会を通じ、小林が生涯にわたって考え続けたのが美をめぐる問題だった。」
(『小林秀雄 美しい花』 )

「  音楽、絵画、彫刻、言葉によって深奥に導かれ、「何か」に遭遇すること。その「何か」を小林は「美」と呼んだ。

(『小林秀雄 美しい花』)

 

 「批評と美」に関連して、若松氏は、「批評とは論理の構築ではなく、美を垣間(かいま)見た者たちによる詩」ではないか、と述べています。

 この一節は、小林秀雄など超一流の批評家についてのみ言えることですが、反芻を必要とする、興味深い内容を含んでいるようです。

 

 この一節の真の理解のためには、以下の若松氏の指摘が参考になるでしょう。

「  言葉にならないことに胸が満たされたとき人は、言葉との関係をもっとも深める。文字があるその奥には、言葉にならない呻(うめ)きがある。そう思って誰かの文章を読んでみる。書かれていないはずのことが、まざまざと心に浮かび上がってくるのに驚くだろう。奇妙に聞こえるかもしれないが、言葉とは、永遠に言葉たり得ない何ものかの顕現なのである。」(『言葉の贈り物』若松英輔) 

「  哲学という言葉が苛烈な力を持って若い私を魅了したのは、人間が感じる世界の彼方にある、もう一つの世界をかいま見させてくれると思ったからだった。」(『言葉の贈り物』若松英輔)  

「  ソクラテスがまずとらえたのは、人間の問題ではなく、彼が「知恵」と呼ぶ神の働きがいかに世界で働いているかという理(ことわり)だった。

(『言葉の贈り物』若松英輔) 

 

 

言葉の贈り物

言葉の贈り物

 

 


上記の

「永遠に言葉たり得ない何ものか」、

「世界の彼方にある、もう一つの世界」、

「知恵」

こそが、「言葉の根源」であり、「美」でもあるでしょう。


 ここで、小林秀雄の、あの有名な一節を再考します。

「  物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」。美しい花がある、花の美しさという様なものはない。彼の花の観念の曖昧さについて頭を悩ます現代の哲学者の方が、化かされているに違いない。肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥かに神妙で深淵だから、彼はそう言っているのだ。(「当麻」小林秀雄)


 『小林秀雄 美しい花』で若松氏は、

「  小林が生涯かけて探求したものは、時には「歴史」であり、「魂」であり、「美」であり、「花」である」

と述べています。

 この記述からも明らかですが、『小林秀雄 美しい花』のタイトルの「美しい花」は、小林秀雄の「当麻」の「美しい花がある、花の美しさという様なものはない」のオマージュでしょう。

 

 上記の小林秀雄の一節は、私たち現代人への痛烈な皮肉になっています。

 肉体、実感から離れ、観念に支配・拘束された思考機械に堕落した自己の惨めさに気付け、と小林秀雄は、親身に忠告してくれているのです。

 一見、素っ気ない文章ですが、ここには、神のような鋭さと、女神のような優しさが横溢しています。

 だからこそ、一部の、いや、意外に多くの読者が、小林秀雄に耽溺していくでしょう。


 小林秀雄は、ドストエフスキーを論じて「颱風に巻き込まれた人間だけが颱風の眼を知っている事を絶叫しているだけだ」と述べています。

 このことについて、若松氏は、次のように書いています。

「  客観という、ほとんど迷信のような視座に翻弄されている者は、対象を遠く離れて見ようとする。主観から離れれば離れるほどよく見えると信じて疑わない。確かに、その眼には全体の風景はよく映るだろう。しかし、その人物には「颱風」の中心で何が起こっているかはけっして分からない。実際の台風も、離れている者に迫りくるのは暴風雨だが、その中心では、ときに穏やかな天空があり、外から見るのとはまったく異なる光景が広がっているのである。」

(『小林秀雄 美しい花』若松英輔)

 現代社会に蔓延し絶対的宗教と化している客観主義、科学万能主義への懐疑が、述べられています。

 客観主義、科学万能主義を無反省に信奉することは、ある意味で、自己の実感を否定・無視することに直結するのです。

 そのことは、「自己の素朴な判断」を冷笑の対象としてしまうこと、ひいては、自己否定に繋がるのです。

 「自己を、反生物的な、反人間的な思考機械に変容させて、合理的に人生を生きることの底知れぬニヒリズム」に、現代人は封印されているとも言ってよいでしょう。

 


(5)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』若松英輔/③「読むこと」について

 

 若松氏は、小林秀雄の導きに従い、「読むこと」を重層的に解釈しています。

 人生を賭けて、文字に、文章に、作者に向き合うことにより、「読むこと」には、無限な可能性が発生していくということです。

 『小林秀雄 美しい花』には、以下のような記述があります。

「  読むとは心の中に不可視な文字で書くことである。読むとは、魂の奥に、ふれることのできない一冊の本を書くことにほかならない。人が衝撃を受けるのは、紙の上に印刷された文字にではなく、自らの胸の内に読むことによって記された言葉だというのである。」

(『小林秀雄 美しい花』)

「  批評家が批評家を読むなかで、「読む」ということの可能性へと話は進む。読むことで、文章の合間からその人が再び立ち上がり、生きなおされる。

(『小林秀雄 美しい花』)


 さらに、『悲しみの秘儀』の中で若松氏は、「読者」、「文学」を次のように定義しています。

 斬新な、想像力を掻き立てるような記述と評価できるでしょう。

「  読者とは、書き手から押し付けられた言葉を受け止める存在ではない。書き手すら感じ得なかった真意を個々の言葉に、また物語の深層に発見していく存在である。こうした固有の役割が、読み手に託されていることを私たちは、書物を開くたびに、何度となく想い返してよい。また、文学とは、ガラスケースに飾られた書物の中にあるのではなく、個々の魂で起こる一度切りの経験の呼び名であることも想い出してよいのである。」

(「文学の経験」『悲しみの秘儀』若松英輔)

 

 次の記述は、「よむ」の深遠な実相を私たちに伝えてくれます。

「  「よむ」という営みは、文字を追うこととは限らない。こころを、あるいは空気を「よむ」ともいう。句を詠む、歌を詠むともいう。「詠む」は、「ながむ」とも読む。『新古今和歌集』の時代、「眺む」には、遠くを見ることだけでなく、異界の光景を認識することを指した。

(「低くて濃密な場所」『悲しみの秘儀』若松英輔)

 『悲しみの秘儀』のテーマは、「言葉と生命・魂との密接な関連性」です。

 この書も、読むべき良書です。

 

 

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

 

 

 

 「読むこと」に関連して、若松氏は、「言葉」を「人間」より上位に置いて、以下のような箴言を記述しています。

「  人間が言葉を使うのではなく、言葉と共に、さらにいえば人が、真の意味で言葉に用いられたとき、出来事が起こる。」

(『小林秀雄 美しい花』)

 

 確かに、「言葉」は、個々の個人よりも長く、この世に存在し、個人の意識・思考・行動を規定してきた存在です。

 私たちは、「言葉」の持つ「力」、さらに言えば、「魔力」を考える必要があるでしょう。

 このことに意識が及べば、「読むこと」を簡単に考えることはできないはずです。

 


(6)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』若松英輔/④「謎」について

 

「  人を大切に思うとは、その人の存在が「謎」として深まっていくことではないのか。この本ではそう呼びかけたかったのである。

 以上のようなことを、若松氏は述べています。

 

  「小林秀雄と謎の関係」について、若松氏は、以下のように述べています。

「 「謎」という一語こそ『無常という事』(→小林秀雄の著作)を読み解く最も重要な鍵語だ。」

「 「謎」は信じることを通じてのみ、ふれ得るもので「思想」と同義である。」

(『小林秀雄 美しい花』)

「  人生という謎は、解かれることよりも、愛されることを望んでいる。謎を謎のままに、その世界を歩くこと、それが小林にとって生きることだった。」

(『小林秀雄 美しい花』 )

 

 人生は謎に満ちています

 人生自体が謎と言えます。

 「自己」とは何か?

 「生きる」とは何か?

 「死」とは何か?

 

 私たちも、小林秀雄を師として、「謎を謎のままに、その世界を歩くこと」を心掛けるべきでしょう。

 「謎を謎のままに、その世界を歩くこと」により、「謎」は解明されていくのでしょう。

 解明されないとしても、それでよいのです。

 生きていくこと自体が、解明なのかもしれないからです。

 


(7)予想出典・予想問題/『小林秀雄 美しい花』若松英輔/⑤「コトバ」・「神秘」・「魂」についてー「まとめ」として

 

 若松氏は、池田晶子氏を、かなり評価しています。

 「崇拝」と言ってもよいかもしれません。

 

 池田晶子氏の『新・考えるヒント』(→小林秀雄の『考えるヒント』を意識して書かれています)には、以下のような記述があります。

「  小林秀雄の『考えるヒント』に倣って、考えつくところをこうして書いているわけだが、書いているうちに、彼と我とが判然としなくなってくるところが、今さなながら面白い。この経験こそ、考えるということの醍醐味、一種忘我の、と言えば誤解を招くなら、小林ふうに無私の、と言おうか、精神が自身を味わうことの喜びであろう。

 人が、その固有のダイモンに憑かれることができるのは、生活すなわち生命と引き換えに、己れの魂を明け渡した時だけだ。ソクラテスは論理の、小林もまた理知の、そしてランボーは、小林の言い方を借りるなら美神の、それを宿命と言えば、わかりがいいだろうか、言葉を命と知るがゆえにそう生きざるを得なかった者たちの生である。」

(『新・考えるヒント』池田晶子 )

 

 

新・考えるヒント

新・考えるヒント

 

 

 

 若松氏は、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』の中で、「言葉には三つの意味の次元がある」という井筒俊彦氏の見解を紹介しています。

realistc(現実的)、

narrative/legendary(物語的・神話的)、

imaginal(異界的)、

の三つの次元です。

 

 「詩」の言葉は、「異界的な領域」まで「考え」を沈潜させていきます。

 「異界的な領域」とは、意味と音が結合される以前の「コトバ」の根源が漂う世界です。

 この「世界の深層」、「人間存在の深層」に、そのような領域が広がっているという事実を、「詩」は私たちに覚醒させようとしているのです。

 そこから新しく世界を見直すことを、「詩」は、囁くように、諭すように、呼び掛けるように、私たちに問い掛けるのです。

 

 『叡知の詩学』が主張しているのは、小林秀雄と井筒俊彦という哲学者の内面に、そうした「詩」が生きていたという事実です。

 そして、二人は、ある意味で「詩人」でもあったのです。

 

 「詩人」は「神秘を語る人」です。

 「神秘」についても、若松氏は、考察を進めています。

「  神秘家とは、神秘体験に遭遇し、そこに意味を探る人間のことではない」と若松氏は井筒俊彦氏の言葉を引用し、以下のように述べています。

「  真実の啓示を受容した者は必ず、その実現を志し一介の行為者となり、万民のために奉仕する。

 神秘とは、口先で語られるものでなく、行為され、実践されなければならない。」

(『叡智の詩学』若松英輔)

 

 「真実の啓示を受容した者」とは「詩人」であり、「哲学者」です。


 『生きる哲学』の中で、若松氏は、以下のように主張しています。

 「哲学」とは、単なる静止状態の概念ではない。

 「私たちが瞬間を生きる中で、まざまざと感じること」そのものである、と。

 若松氏における哲学については、「コトバ」が重要な役割を果たしているので、ここで、「コトバ」の説明をします。

 『生きる哲学』のはじめで、若松氏は、「本書では言語の姿にとらわれない「言葉」をコトバとカタカナで書く」と定義しています。

 その上で、「私たちが文学に向き合うとき、言語はコトバへの窓になる。絵画を見るときは、色と線、あるいは構図が、コトバへの扉となるだろう。彫刻と対峙するときは形が、コトバとなって迫ってくる。楽器によって奏でられた旋律がコトバの世界へと導いてくれるだろう」と述べています。

 井筒俊彦氏が「形の定まらない意味の顕れ」を「コトバ」と呼んだことを踏まえて、若松氏もその意味で「コトバ」を使うのです。

 

 若松氏が、様々な著作で繰り返し語るのは、「コトバと魂の邂逅」についてです。

 「コトバと哲学の密接な関係」です。

 つまり、「コトバにより自己を見詰める作法」についてです。

 『生きる哲学』には、次のような記述があります。

「  コトバとの邂逅はいつも魂の出来事である。コトバは常に魂を貫いて訪れる。何者かが魂にふれたとき、人は自らにも魂と呼ぶべき何者かが在ることを知る」(『生きる哲学』)

 
 また、『小林秀雄 美しい花』には、以下のような、詩的な、哲学的な記述があります。

「  読むとは心の中に不可視な文字で書くことである。読むとは、魂の奥に、ふれることのできない一冊の本を書くことにほかならない。人が衝撃を受けるのは、紙の上に印刷された文字にではなく、自らの胸の内に読むことによって記された言葉だというのである。」(『小林秀雄 美しい花』)

 

 『小林秀雄 美しい花 』は、若松氏のこれまでの歩みの「一応のまとめ」のような内容になっています。

 この書をきっかけにして、さらに、若松氏の他の著作を「読む」と、より理解が進むと思います。


 ともあれ、『小林秀雄 美しい花 』は、「言葉を越えたコトバ」=「詩」の実相を、小林秀雄的に、実験的に、自己の実感に忠実に、探求した書と言えるでしょう。

 私たちは、より分かりやすく、より親切な「小林秀雄」に出逢えたのです。

 

 

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 (8)当ブログにおける「小林秀雄」解説記事の紹介

 

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 上記の記事の一部を引用します。


 小林秀雄氏は、一時代前の思想家・文芸評論家ですが、小林氏の思想は、決して、古びていません。

 それは、小林氏の論考は、「人間存在の根源」に焦点を当てているからです。

 それ故に、今だに、難関大学の現代文(国語)・小論文に出題されています。

 しかも、小林氏の論考は、2016センター試験にも出題され、かなり話題になりました。

(引用終了)

 

 

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  上記の記事の一部を引用します。


【1】小林秀雄氏の紹介、入試出題状況

 小林秀雄氏は、近代日本の文芸評論の確立者です。

 個性的な、少々切れ味の良い挑発的な文体、詩的雰囲気のある表現が、特徴です。

 西洋絵画の批評や、ランボー、アラン等の翻訳にも、業績を残しました。

 

 入試現代文(国語)の世界では、20年くらい前までは、トップレベルの頻出著者(ほぼ全ての難関大学で、最低1回は出題されていました。)でした。

 現在は、トップレベルではないですが、やはり、頻出著者です。

 最近の入試に全く出題されていない、ということは、ありません。

 最近でも、以下の大学で出題されています。

 大阪大学『考えるヒント』

 明治大学『文化について』

 国学院大学『無常という事』

 明治学院大「骨董」

 

【2】この問題に対する一般的評価、それらに対する私の意見

 この問題については、

「  かつての入試頻出著者ではあるが、小林秀雄氏の文章は今の受験生には難解過ぎて、少々、不適切な問題であった」

という評価が多いようです。

 本当に、そうなのでしょうか。

 

 私は、そうは思いません。

 単語のレベルは少々高いです。

 しかし、
最近、京都大学・大阪大学・東北大学・一橋大学・東京学芸大学・宮崎大学・香川大学・岡山大学・奈良女子大学・早稲田大学(政経)(教育)(国際教養)(文化構想)・上智大学・明治大学(法)・青山学院大学・中央大学(法)・法政大学・関西学院大学・南山大学・国学院大学・成城大学等の現代文で流行が続いている擬古文(明治・大正期の文章)、
慶應大学・国公立大学等の小論文、
で頻出の福沢諭吉の論考と比較して、全体的に分かりやすい名文だと感じました。

 丁寧に読んでいけば、受験生にとっても、難解ではないはずです。

 

 (丁寧に読むということは、上記の京都大学・早稲田大学・上智大学・明治大学・青山学院大学等で流行している擬古文対策のポイントでも、あります。)

 

 本文のレベルを考慮して、設問は、例年より著しく平易になっています。

 

 しかし、本番直後では、平均点が例年より低下したことが、マスコミやウェブ上で、話題になりました。

 本文の丁寧な読解を諦めた受験生が、多かったのでしょう。

 受験生の粘りや集中力のなさを、問題とするべきです。

 私は、本問を難問・悪問と評価することは、できません。

 

 また、本問の問題文本文は、論理が飛躍しているので、試験問題として不適切という批判もありました。

 笑うべき批判です。

 今回の本文は、エッセイ・随筆なので、論理飛躍がある程度あるのは当然です。

 受験生は、著者の気持ち・感性・感想に、寄り添って読解して行けばよいのです。

 

 つまり、本問に対する様々な批判は、小林秀雄氏のイメージに固執したムード的なものか、的外れなものです。

 従って、センター試験を受験するつもりの受験生としては、この問題を、スルーしないで、しっかりと学習するべきです。

 また、上記の擬古文が頻出の、京都大学・早稲田大学・上智大学・明治大学・青山学院大学等を受験する受験生は、擬古文対策として、しっかり、やっておくべきです。

 (引用終了)

 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

   

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想出典/『常世の花 石牟礼道子』若松英輔

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 最近、発行された『常世の花 石牟礼道子』(若松英輔)が、内容的にも、レベル的にも、難関大学の現代文(国語)・小論文の題材として、ふさわしいので、今回の記事で解説します。

 

 まず、この本の「Book 紹介」を以下に引用します。

 「 「どんなに語ろうとしても言葉にならないことがある」

2月になくなった稀代の思想家の語りえなかった言葉を受けとめ語り継ぐ若松英輔による追悼文集。

小さな沈黙を心に宿らせ「いのち」の連関へ思いを繋ぐ。 まだ石牟礼作品を手にしたことのない人への誘い

『常世の花 石牟礼道子』(亜紀書房) 

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

(2)予想出典・予想問題/『常世の花 石牟礼道子』若松英輔/「書くこと」・「詩」について

(3)「石牟礼道子氏の『書くスタイル』」について

(4)「死」・「死者」・「霊」・「霊性」について

(5)若松英輔氏の紹介

 

 

常世の花 石牟礼道子

常世の花 石牟礼道子

 

 

 

(2)予想出典・予想問題/『常世の花 石牟礼道子』若松英輔/「書くこと」・「詩」について

 

 本書のメインテーマは、「書くこと」と「詩」です。

 この点について、若松氏は、以下のように簡潔に述べています。

 

「  石牟礼さんは、『苦海浄土 わが水俣病』は「詩」だという

 比喩ではない。石牟礼さんにとって詩とは、言葉によって、言葉になり得ないものを表現しようとする試みであり、同時に、自らの心情を語ることがないまま逝かねばならなかった者たちの声を、どうにか受け止めようとする営みだった。

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 この解説を読み、『苦海浄土』(石牟礼道子)の以下の部分を熟読すると、若松氏の解説の適切さが分かると思います。

「  そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。

 この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。

 釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。」

(『苦海浄土』石牟礼道子)

 

「  水俣病のなんの、そげん見苦しか病気に、なんで俺がかかるか。

 彼はいつもそういっていたのだった。彼にとって水俣病などというものは、ありうべからざることであり、実際それはありうべからざることであり、見苦しいという彼の言葉は、水俣病事件への、この事件を創り出し、隠蔽し、無視し、忘れ去らせようとし、忘れつつある側が負わねばならぬ道義を、そちらの側が棄て去ってかえりみない道義を、そのことによって死につつある無名の人間が、背負って放ったひとことであった。」

(『苦海浄土』石牟礼道子)

 

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 

 

 

「  石牟礼さんは、『苦海浄土 わが水俣病』は「詩」だという

 比喩ではない。石牟礼さんにとって詩とは、言葉によって、言葉になり得ないものを表現しようとする試みであり、同時に、自らの心情を語ることがないまま逝かねばならなかった者たちの声を、どうにか受け止めようとする営みだった。」

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 石牟礼氏にとっての「詩」とは、「祈ること」でもあったのでしょう。

 「詩」と「祈ること」の類似性については、若松氏は、以下のように述べています。

「  祈ることと、願うことは違う。願うとは、自らが欲することを何者かに訴えることだが、祈るとは、むしろ、その何者かの声を聞くことのように思われる。」
(「はじめに」『悲しみの秘儀』)

 

 

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

 

 


「  石牟礼は、きよ子を知らない。きよ子の両親にしか会っていない。石牟礼にとって書くとは、きよ子のような言葉を奪われた人々の口に、あるいは手になることだった。そうして生まれたのが『苦海浄土』だった。」(「花の供養に」『悲しみの秘儀』若松英輔)


 上記の「石牟礼にとって書くとは、きよ子のような言葉を奪われた人々の口に、あるいは手になることだった」は、注目するべき一節です。

   「言葉を奪われた人々の口に、あるいは手になる」ためには、死者の臨在を実感する必要があるのです。

   「死者の臨在の実感」についても、若松氏は、『神秘の夜の旅』の中で述べています。

 若松氏の『神秘の夜の旅』に取り上げられた越知保夫、小林秀雄、井筒俊彦、リルケ、ドストエフスキー等の共通点は、可視的ではない「至高なる存在」を信じていたことです。

 しかも、彼等は、その「臨在」をリアルに感じていたのです。

 そして、「詩人たち」は、その体験を通じて、あることを語り始める口になっていくのです。

 
『神秘の夜の旅』の記述を引用します。

「  詩人は自身を語る前に、託されたことを語らなくてはならない。むしろ、何ものかに言葉を「委託」されたとき、その人は詩人になる。

 詩人の努力は、言葉を探すところにだけあるのではない。彼に「委託」する、主体からの「呼びかけ」を待つことである。

(『神秘の夜の旅』若松英輔)

 

 

神秘の夜の旅

神秘の夜の旅

 

 

 

 「詩人」においては、「書くこと」が、一般的に考えられている自己表現の次元とは違うのです。

 個人レベルを超越した、いわば、霊の「呼びかけ」に導かれて、忘我の状態で記述することなのでしょう。

 詩人はひたすら静かに、無私の状態になり、「霊」からの「呼びかけ」を待っているのです。

 

『神秘の夜の旅』の中で、若松氏の引用しているリルケの詩を紹介します。

「  風に似てふきわたりくる声を聴け、静寂からつくられる絶ゆることないあの音信を。

 あれこそ、あの若い死者たちから来るおまえの呼びかけだ。

 かつて、おまえがローマやナポリをおとずれたとき、教会堂に立ち入るごとに、かれらの運命は静かにおまえに話しかけたではないか。

 また、さきごろサンタ・マリヤ・フォルモーサ寺院でもそうであったように、死者の碑銘がおごそかにおまえに委託してきたではないか。」

(『神秘の夜の旅』若松英輔)

 

 いわば、現代においても、「詩人」は「中世」に一人生きているのです。

 「中世」は、「霊性」が生きている時代です。

 『神秘の夜の旅』の中から、その点についての越知保夫氏の記述(「小林秀雄の『近代絵画』における『自然』」)を引用します。

「  勿論現代人にとっては超自然などというものは、全く無意味な空虚な観念にすぎない。が、中世ではそうではなかった。自然は、超自然によって意味づけられていたのである。超自然界は人間の自然の能力を越えてはいる厳存する実在であり、恩寵の世界である。」

(『神秘の夜の旅』若松英輔)

 

 『常世の花 石牟礼道子』は、石牟礼道子という「詩人」の「遺言」を、「詩人」若松英輔が受け継ごうとしている書のようです。

 その決意を次の記述から感じることができるでしょう。

「  昨年の六月に会ったとき、石牟礼さんが伝えたいと言っていたのも、どんなに語ろうとしても言葉にならないことがある、ということだったような気がしている。

 会って話さねばならないことがある、人はそう強く感じても、それを語り得るとは限らない。だが、対話を求められた方は、その気持ちを受けとめることができる。語り得ないことを語り継ぐ、それが石牟礼道子の遺言だったと、私は勝手に解釈している。」

(「あとがき」『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)


 そして、若松氏は、「詩人」をこのように表現しています。

「  言語は、コトバの片鱗にすぎない。言葉を口にしないものたちもコトバを語る。コトバは、ときに野草の色として、鳥のさえずりとして、あるいは岩のかたちとして語った。

 色に魅せられた画家はそれを写し、旋律を聴いた音楽家は曲を生んだ。彫刻家とは、巌に宿った像を掘り出すものであり、詩人とは、霊感に貫かれ、コトバを宿し、それを律動とともに生み落とした者の呼称だろう。」(『常世の花 石牟礼道子』)

 

 上記の「詩人とは、霊感に貫かれ、コトバを宿し、それを律動とともに生み落とした者の呼称」に着目してください。

 

 「詩人とは、霊感に貫かれ、コトバを宿し、それを律動とともに生み落とした」については、同様のことを池田晶子氏が述べているのは、とても興味深いことです。

 そのことに触れている若松氏の記述を以下に引用します。 

「  池田晶子にとって「書く」とは、コトバの通路になることだった。自らをコトバが通りすぎる場と化す営みだった。自分が語るのではない。語るのはコトバであり、自分に託されているのはそれを聞き、書き記すことだけであると彼女は信じ、それを実践するために生きた。

(『池田晶子 不滅の哲学』若松英輔) 

 

 

池田晶子 不滅の哲学

池田晶子 不滅の哲学

 

 

 

 ここでの「コトバ」は、一般的な「言葉」では、ありません。

 若松氏にとって、特別の意味のある表現です。

 言語でありながら、不定形な姿で私たちの前に現前する「言葉」を、ここでは「コトバ」と表記しているのです。


『生きる哲学』の初めで若松氏は、コトバについて、以下のように解説しています。

「  本書では言語の姿にとらわれない「言葉」をコトバとカタカナで書く。

「  私たちが文学に向き合うとき、言語はコトバへの窓になる。絵画を見るときは、色と線、あるいは構図が、コトバへの扉となるだろう。彫刻と対峙するときは形が、コトバとなって迫ってくる。楽器によって奏でられた旋律がコトバの世界へと導いてくれるだろう。」

(『生きる哲学』)

 

 

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

 

 

 

 さらに、このようにも述べています。

「  言語的世界の彼方で開花する意味の火花をコトバと呼んできた。」

「  コトバとの邂逅はいつも魂の出来事である。コトバは常に魂を貫いて訪れる。何者かが魂にふれたとき、人は自らにも魂と呼ぶべき何者かが在ることを知る。」(『生きる哲学』)

 ここで言う「コトバ」とは、「魂に関する出来事」、つまり「魂を揺さぶる出来事」なのでしょう。

 

 哲学者の井筒俊彦氏は「形の定まらない意味の顕れ」を「コトバ」と呼んでいます。

 若松氏もそのような意味で、「コトバ」を使っているようです。
 
 『生きる哲学』の最後の部分で、井筒俊彦氏の言葉が引用されているのです。

「  コトバ以前に成立している客観的リアリティなどというものは、心の内にも外にも存在しない。書き手が書いていく。それにつれて、意味リアリティが生起し、展開していく。

 意味があって、それをコトバで表現するのではなくて、次々に書かれるコトバが意味を生み、リアリティを創っていくのだ。

 コトバが書かれる以前には、カオスがあるにすぎない。書き手がコトバに身を任せて、その赴くままに進んでいく。その軌跡がリアリティである。「世界」がそこに展開する。

(『生きる哲学』若松英輔)

 

 

(3)「石牟礼道子氏の『書くスタイル』」について


 「石牟礼道子氏の書くスタイル」については、

「  頭だけでなく、体で書く、それが石牟礼道子氏の流儀である」
と若松英輔氏は、『常世の花 石牟礼道子』で述べています。


 以下に引用します。

「  石牟礼さんの言葉は誰にも似ていない律動を有している。

 それがいわゆる学習の結果なら、あの無常をたたえた響きは生まれることはなかっただろう。

 彼女は類を見ない、優れた歴史感覚の持ち主だった。

 言葉を歴史の奥底からくみ上げる特異の才能に恵まれていた。

 その感覚は、島原の乱で亡くなったキリシタンと水俣病事件をめぐる運動に参加した人々をつなぎ、水俣病事件と足尾銅山鉱毒事件をつないだ。

 その言葉は、現代が危機に直面したとき、いっそう力強く浮かび上がった。

 東日本大震災のあと
「花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり」
という一節がある「花を奉る」と題する彼女の詩に、慰めを見出した人も少なかったのではないだろうか。

 『苦海浄土』をどのような心持ちで書いたかを尋ねたことがある。

 しばらく沈黙したあと彼女は、静かにこう語り始めた。

 これまでにないことが起こったのだから、これまでにない様式で書かねばならないと思った。

 詩のつもりで書きました。

 書くことは、独りで行う闘いです、と言った。

 そして最後に、今も闘っています、とも語った。

 あの時の佇まいを忘れることができない。

 石牟礼道子は現代日本で、語らないまま逝った者たちの嘆きを受け止めるという、最も大きな問いを生きた書き手の一人であり、真の意味における闘士だった。

 また『苦海浄土』は詩で、石牟礼道子は稀代の詩人だった。

 また、しばしば彼女と語りあったのは亡き者たちのことだった。

 石牟礼さんにとって書くことは、自らの思いを表現する以前に、語ることを奪われた者たちの言葉をわが身に宿し、世に送り出すことだった。

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 上記の「書くことは、独りで行う闘いです、と言った」の部分は、「コトバ」が、どのような状態の中から来るのかを、示唆しています。

 これについては、池田晶子氏の以下の記述が参考になります。

 

「  孤独なもの思いにおいてこそ、人は世界へと開かれることができるという逆説、孤独な思索者の内なる饗宴である。「内語」という現象にそれはきわまるだろう。

(『あたりまえなことばかり』池田晶子)

 

 このような状況の中での石牟礼氏は、「書くこと」という、「独りで行う闘い」をしていたのでしょう。

 静謐の中で、「死者の声が生者を通して語られ書かれること」、つまり、「合掌」が、なされていたのでしょう。

 

 以下の記述は、心に沁みます。

「現世にあるのは、不条理が生んだ悲しみと嘆きばかりであり、生者に許されているのが、滅びゆくのを待つことのみであるかのように思われたとしてもなお、「地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌」する、と石牟礼さんは歌うのである」

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 

(4)「死」・「死者」・「霊」・「霊性」について

 

 次に、若松氏が、「死」・「死者」・「霊」・「霊性」をどのように把握しているのか、を見ていきます。

 まず、「霊性」の定義については、若松氏は以下のように述べています。

 

『霊性』とは、万人のなかにある、自らを超える何ものかを希求する衝動やである。人間が自らの手ではどのようにも埋めることのできない欠落を充たす何ものかを乞い求める本能である。

(『常世の花 石牟礼道子』)

 

 さらに、若松氏は、石牟礼氏が述べていた「荘厳」という表現に注目しています。

 『常世の花 石牟礼道子』に何度か登場するキーワードに「死者からの働きかけ」としての「荘厳」があります。

 『常世の花 石牟礼道子』の中では、「荘厳」を「深みからの光りに照らし出される」という意味としています。

 その他に次のような記述があります。

「自分の中のいちばん深いさびしい気持を、ひそやかに荘厳してくれるような声が聞きたいと、人は悲しみの底で想っています。だからこそ、山の声、風の声を魂の奥で聴くのです。」 

 「荘厳」は、「石牟礼氏と死者との密接な関係」を明示するキーワードと言えるでしょう。

 

  「死者」については、『死者との対話』若松英輔にも、詳しい解説があります。

「  死者が見えないからといって、死者は存在しないといってはならない。私の実体験からそうだと納得できるのは魂が、からだの中にあるのではありません。魂がからだを、存在を包んでいるのです。」

 上記の「死者が見えないからといって、死者は存在しないといってはならない」という部分は、若松氏が、様々な著作で繰り返し述べていることです。

 

 特に、『死者との対話』には、かなり詳しい解説があります。

 以下に引用します。

「  死者をありありと感じる一群の人々がいて、彼らがそれを真摯に語ったとしても、それにふさわしい態度で受け入れる者が少ない、それが現代です。

 現代が死者を封じ込めてきたのは、科学がその存在を証明できないからです。しかし、よく考えてみると、科学的証明が可能か、という問い自体が間違っていることに気がつきます。

 科学はもともと「死」を境に、その線を超えた領域での出来事を自らの守備範囲としないと宣言している、ある一つの考えに過ぎません。

 科学が不完全であることは、日々、進歩していることからも明らかです。完全なものは進歩しません。

 ですから、科学が死者の存在を証明できないということは、それが存在しないこととはまったく関係がありません。

 現代人は、自分の問いそのものがまちがっているかもしれないとは考えない。自分の問い方は常に正しいと思っている。あの人は、自分の目の前からいなくなったんだから、存在しない、確かなのは、喪ったことと癒されない悲しみだけだ。

 死者なんていない、だから、こんなに悲しいんじゃないか、そう思い込む。私もそうでした。でも、本当にそうでしょうか。

 死者はいる、死者は私たちのそばにいる、ときに私たち自身よりも近くに存在している、と今は感じています。

 そして、死者の臨在をもっとも強く実感させるのは「悲しみ」です。

 

「  もし、私にイエスのような不思議な力があって、からだにふれるだけで病気が治せたとします。 

 すると、人々は私を賞賛し、奇蹟を起こしたというかもしれない。

 しかし、よく考えてみると元にもどっただけなのです。

 苦難、苦痛を経験しているわけですから、単に元にもどったというのは言いすぎですが、このとき私たちに示されているのは、病が癒えたという奇蹟と同時に、病む以前の状態もまた「奇蹟」だったということです。

 しかし、誰も毎日の生活を「奇蹟」だとは言わない。

 あまりに日常化しているからです。それを失ってはじめて、その貴重さが分かる。ですが、失うというきびしい経験を経ずとも、日常が奇蹟であることを実感することはできます。そのもっとも端的な契機が、死者と共に生きることだと思うのです。 

 むしろ、私たちが、こうして死者たちと共にあり得ることの方が、よほど奇蹟的ではないでしょうか。

 病が癒えただけでなく、死んだ者と再び生きることができるのです。

 それは万人に、無条件に開かれている真実の奇蹟です。

 

「  死者の姿が見えないということは、その実在をなんらおびやかすことではありません。

 今日は雨で空は曇っています。曇っているから太陽は見えません。

 私が今、空を見上げて、太陽が消えてしまったと騒ぎだしたら、皆さんはどうお感じになりますか。

 太陽が見えないからといって、太陽がなくなったといってはならないように、死者が見えないからといって、死者は存在しないといってはならない。

 太陽が見えなくても、光が見えているから太陽を感じることができる、と反論されるかもしれません。

 死者も同じです。私たちは死者を光として感じることができます。

 光は、いつも明るく輝いているとはかぎりません。闇もまた、光の姿の一つです。闇とは、光が失われた状態ではなくて、光が一点に凝縮している状態です。

 ですから、闇を感じるとき、私たちは同時に光の存在を感じることができます。私たちの感覚がそれを認識できなくても、魂はそれを知っています。

(『死者との対話』若松英輔)

 

 科学万能主義を信奉する現代人にとっては、上記の論考は、少々理解し難い内容かもしれません。

 しかし、全ての出来事を「科学の視点」から判断する必要はないはずです。

 特に、「直感」、「実感」については、各自の素直な感性に従えばよいのではないでしょうか。

 しかも、現代においては、科学万能主義には、数々の疑問が提示されているのです。

 以上の視点から、以下の若松氏の論考を読むと、新たな知見が得られるはずです。

 

「  鎮魂を論じることと、魂を感じることとは別です。魂の実在を信じていなくても、鎮魂を口にすることはできる、それが現代なのかも知れません。大震災のとき、文学者ならまだしも、宗教者すらそうだった、と私には思えました。

 彼らの発言は、現実から離れているだけでなく、冷淡にさえ感じられました。 

 冷淡な、と私が言ったのは、彼らが、生者を思う死者の言葉に耳を傾ける前に、彼らを別な次元に追いやることで決着をつけようとした、と見受けられたからです。」
(『死者との対話』若松英輔)

 

 確かに、「鎮魂」には、「死者を生者とは別の次元に追いやることで決着をつけよう」とする側面があります。

 「鎮魂」という言葉が持つ、ある種の「よそよそしさ」、「冷淡さ」は、否定しようがないでしょう。

 「死者と生者は別の次元の存在」という「思い込み」、「偏見」から離れて、以下の論考を熟読すると、今までとは違う感慨を得ることができるでしょう。

 「 「死」があるのではなく、死者がいるだけであるように、病気もまた存在しません。存在するのは病を背負う人間だけです。「病者」というとき、私たちは病気に目を奪われて、その人の苦しみや悲しみ、その人の本当の姿を見失ってはいないでしょうか。

 「死」と死者の関係も似ています。「死」に目を奪われていると、死者の姿が見えにくくなります。

 「亡骸」は、いわば現代が作りだした、すべての終焉である「死」の偶像です。「死」こそ、私たちから死者を隠すものなのです。死者に出会うために私たちが最初になすべきは、「死」の呪縛から離れることではないでしょうか。むしろ、避けようとしてきた悲しみこそが、生者と死者の間にある「死」の壁を溶かすのではないでしょうか。

 死者は抽象的な概念ではありません。実在です。それは、人間が安易に解釈することを拒むものです。汲めども尽きぬ、何かです。

 死者が実在であるというのは、私たちがその存在を忘れてもなお存在するものだからです。

 

「  死者は生者といつも共にある。その状態を、ここでは「協同」と呼びたいと思います。

 私が自分の魂から眼をそらすことがあっても、死者は決してそこから離れることはない、それが私の経験している死者との交わりです。死者に出会うとは、「魂にふれる」ことと同じだといってもよいと思います。

(『死者との対話』)

 

 さらに、若松氏は、死者の「魂に触れる」可能性について、白川静氏の見解を引用しつつ、次のような示唆に富んだ説明をしています。

「  魂は不死であると信じられていた時代、人は魂に触れ得ると信じていた。また人々にとって、魂を語ることは、すなわち死者に触れることだった。

 古代、歌を詠むとは、言葉によって魂を「振る」、即ち魂を動かし、触れる営みである。風が木の葉を「振る」ごとく、言葉は、魂に触れることができると信じられていた。そこに比喩を読みとってはならない。「魂振り」とは、そうした言葉の秘儀を示す表現である。

 万葉の時代、恋を歌う相聞歌は、死者への挽歌から生まれた、そう言ったのは白川静である。挽歌の底を流れるのは、言葉にならない呻きである。恋愛は、恋の一部に過ぎない。恋するとは、好意を超えて、全身を賭して相手を思う営みだった。

(『魂にふれる』若松英輔)

 

 ところで、私たちが、「死者」を思う時に、必ず付きまとう「悲しみ」とは何でしょうか?

 この点についても、若松氏は、考察しています。

 以下に引用します。

「  悲しいと感じるそのとき、君は近くに、亡き愛する人を感じたことはないだろうか。ぼくらが悲しいのは、その人がいなくなったことよりも、むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか。

 もちろん、姿は見えず、声は聞こえない。手を伸ばしても触れることはできない。ぼくらは、その存在を感じるのに、触れることもできず、その声を聞くこともできない、そのことが悲しいのではないだろうか。でも、ぼくらは、ただ悲しいだけじゃないことも知っている。心の内に言葉が湧きあがり、知らず知らず、声にならない会話を交わし、その人を、触れられるほど、すぐそこに感じたことはないだろうか。

 ぼくは、ある。

 人は死なない、むしろ死ぬことができない、そう言ったら、君は驚くだろうか。この世界には、死を経験した人間は1人もいない。死が消滅であるなら、ぼくらが経験しているのは、まったく違うことではないだろうか。ぼくらは、亡くなった人を永遠に失ったから悲しいのではなくて、その人々が永遠の世界から、ぼくらが暮らす、この世界に近づいてくるから、悲しいと感じられるのではないだろうか。」

(『死者との対話』)

 

 『死者との対話』は、抽象的な「死」よりも、具体的な「死者」に重点を置いて、論を進めているようです。

 「死者」と言う時、私たちは「身近な死者」をイメージするために、より一層、若松氏の見解を傾聴することになるのです。

 

   「死者」とは、そもそも何なのか。

 若松氏は、『魂にふれる』の中でも、このことを、どこまでも考え抜こうとしています。

 「死者」について考えることは、「生者」について考えることでもあり、「自己」について考えることであることを、強く意識しているのでしょう。

「  死の経験者は皆無でも、死者は、万人の内に共に生きている。死者の姿は見えない。見えないものに出会うことを望むなら、見えないものを大切にしなくてはならない。

 それは、死者と君の関係においてだけでなく、君と君の愛する人のためにも、とても大切なことなんだ。目に見えず、耳に聞こえず、手に触れることのできないもの、さらに語り得ないものであっても、存在していて、それが人と人を結びつけていることを、いつも覚えていてほしい。

 見えないことと存在しないことは、まったく違う。空が曇っていて、太陽がよく見えないからといって、ぼくらは、太陽が消えたとは言わない。よく見えないだけで、太陽は雲の向こうで、いつもと変わらず輝いている。死者も同じだ。ぼくらがその姿を見失うことがあっても、彼らは、ぼくらに向かって光を放ち続けている。」
(『魂にふれる』)

 

「  死者と共にあるということは、思い出を忘れないように毎日を過ごすことではなく、むしろ、その人物と共に今を生きるということではないだろうか。

 新しい歴史を積み重ねることではないだろうか。「死者」は肉眼で「見る」ことができない。だが、「見えない」ことが、実在をいっそう強く私たちに感じさせる。死者の経験とは、「見る」経験ではない。むしろ、「見られる」経験である。死者は、「呼びかける」対象である以上に、「呼びかけ」を行なう主体なのである。

 (『魂にふれる』若松英輔)


「  死者は、ずっとあなたを思っている。あなたが良き人間だからではなく、ただ、あなたを思っている。私たちが彼らを忘れていたとしても、彼らは私たちを忘れない。死者は随伴者である。彼らは、私たちと共に苦しみ、嘆き、悲しみ、喜ぶ。生者を守護することは、死者の神聖なるつとめである。死者は感謝を求めない。ただ生き抜くことを望むだけだ。死者は、生者が死者のために生きることを望むのではなく、死者の力を用いてくれることを願っている。死者を探してはならない。私たちが探すのは、自分が見たいと思う方角に過ぎない。おそらく、そこに死者はいない。ただ、語ることを止め、静かに佇んでみる。すると、あなたを思う不可視な「隣人」の存在に気がつくだろう。

 死者を感じたいと願うなら、独りになることを避けてはならない。それは、私たちに訪れた沈黙という恩寵である。死者はいたずらに孤独を癒すことはしない。孤独を通じてのみ知り得る人生の実相があることを、彼らは知っている。死者は、むしろ、その耐えがたい孤独を共に耐え抜こうとする。誰も自分の悲しみを理解しない。そう思ったとき、あなたの傍らにいて、共に悲しみ、涙するのは死者である。私たちは信頼し得る生者を信用するように、死者の働きを信じてよい。死者にとって、生者の信頼は無上の供物となり、死者からの信頼は、生者には慰めと感じられる。

 (『死者との対話』若松英輔)

 

 以上を熟読すると、今までの常識的な「死者に対する認識」に、変化が生ずるでしょう。

 私たちは、「呼びかけを行なう主体」、「随伴者」、「不可視な隣人」、「私たちの傍らにいて、共に悲しみ、涙する」存在である「死者」を、決して軽んじてはならないのです。


 中島岳志氏は、死者について、以下のように述べています。

「私たちの世界は、生者だけで成り立っているのではない。死者を含むメンバーで構成されている。私たちの日常は、死者たちが紡ぎあげてきた経験知や暗黙知によって支えられている。」

(若松英輔『常世の花 石牟礼道子』についての中島岳志氏の書評『毎日新聞』2018年8月12日)

 

(5)若松英輔氏の紹介

 

若松英輔(わかまつ えいすけ)批評家・随筆家。1968年生まれ、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。

2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。

2016 年「叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦」にて第2回西脇順三郎学術賞を受賞。

NHK「100分de名著」内村鑑三、石牟礼道子の回にゲスト講師として出演。

 

【著書】

『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)、

『池田晶子 不滅の哲学』(トランスビュー)、

『岡倉天心「茶の本」を読む』(岩波書店)、

『君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた』(河出書房新社)、 

『吉満義彦 詩と天使の形而上学』(岩波書店 2014)、

『生きる哲学』(文藝春秋社)、

『悲しみの秘義』(ナナロク社)、

『イエス伝』(中央公論新社)、

『生きていくうえで、かけがえのないこと』(亜紀書)、

『緋の舟』(志村ふくみとの共著)(求龍堂)等

 

 ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の死者は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

   

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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論点/「『新潮45』問題と休刊 せめて議論の場は寛容に」佐伯啓思

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 入試頻出著者・佐伯啓思氏は、最近、着目するべき論考(「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」 佐伯啓思《異論のススメ》『朝日新聞』2018年10月5日)を発表しました。


 この論考は、

「日本人と情緒性の関係」、

「過剰反応社会」、

「正義論」、

「正義に潜む独善性」、

「ポリティカル・コレクトネス」、

「寛容」、

「寛容のパラドックス」、

「戦う民主主義」、

といった、最新の様々な論点を含んでいて、注目するべき論考です。

 

 そこで、今回は、現代文(国語)・小論文対策として、この論考を詳しく発展的に解説します。

 記事は、約1万字です。

 

 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 


(2)予想問題解説/「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」 佐伯啓思《異論のススメ》『朝日新聞』2018年10月5日

 

(概要です)

(太字が本文です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 


 新潮社の月刊誌「新潮45」8月号に掲載された杉田水脈氏の、LGBTへの行政支援に異議を唱える原稿が差別的だとの批判を受け、国会でも取り上げられた。これに対し、「新潮45」は10月号で、杉田擁護の原稿を数本掲載したが、一部に不適切な表現があるとされ、ツイッター等で同誌への激しい非難が生じた。そして新潮社は突然、同誌を休刊とした。事実上の廃刊である。

 本紙も、9月26日朝刊で、1面と社会面の両面を使って「新潮45」の休刊を報じている。この雑誌の休刊がそれほどの重大ニュースなのかと思うが、発端となった杉田氏の文章が「日本を不幸にする『朝日新聞』」と題する特集のひとつであった。何やら「朝日」対「新潮45」という構図である。

 私はこの数年、「新潮45」に連載していたので、少し書きにくいのだが、個人的な立場を離れて若干の感想を記しておきたい。

 まず、この数年、いわゆる論壇がいささか異常な状態になっているように思う。論壇のすべてとはいわないが、その目立つ部分が、論点を単純化し、多くの場合、左右の批判の応酬、それも、たぶんに情緒的な攻撃にも似た状態になり、そこにSNSが加わって、ともかくも世論に働きかけるという状態になっている。そうしないと目立たないのであり、目立たなければ話題にならず、もっと端的にいえば「売れない」のだ。

 

 

(当ブログによる解説)

【日本人と情緒性の関係】

 上記に関連して、「日本人と情緒性の関係」を考察していきます。

 「日本人と情緒性の関係」については、内田樹氏の『日本辺境論』が、かなり参考になります。

 内田樹氏は、本書で以下のように述べています。

「  日本社会の基本精神は、「理性から出発し、互いに独立した平等な個人」のそれではなく、「全体の中に和を以て存在し、一体を保つ、全体のために個人の独立・自由を没却するところの和」であり、それは「渾然たる一如一体の和」だ。

 言いかえれば、「和の精神」ないし原理で成り立っている社会集団の構成員たる個人は、相互のあいだに区別が明らかでなく、ぼんやり漠然と一体をなして溶け合っている。

 まさに、これは、私がこれまで説明してきた社会関係の不確実性・非固定性の意識にほかならないのであって、わが国伝統の社会意識、ないし法意識の正確な理解であり、表現である、と言うことができる。

という川島武宣氏の見解を紹介し、内田氏は次のように言っています。

 

「  主義主張、利害の異なる他者と遭遇したとき日本人はとりあえず、「渾然たる一如一体」の、アオモルファス(→当ブログによる「注」→結晶構造を持たない状態の物質)な、どろどろしたアマルガム(→合金)をつくろうとします。そこに圭角(けいかく)(→行動・言語に角があって円満でないこと)のあるもの、尖ったものを収めてしまおうとする。

 この傾向は個人間の利害の対立を調停するときに顕著に現われます。

 戦後制定された調停制度を普及させるために、委員たちに配布された「調停かるた」というものがあったそうです。「かるた」に曰く。「論より義理と人情の話し合い」、「権利義務などと四角にもの言わず」、「なまなかの法律論はぬきにして」、 「白黒を決めぬ ところに味がある」。

 一読してびっくりしたのは、これが日々学内外のさまざまなトラ ブルに遭遇して、その調停にかかわるときに、私の口を衝(つ)いて出る言葉そのままだからです。川島はこのようなマインドは、 「和を以て貴しとなす」と日本最初の憲法に掲げられてから変っていないと書いています。たしかに変っていない。それは確信を込めて申し上げられます。

 

 なぜ、このような特異な国民性になったのでしょうか? 

 内田氏は、その理由は日本語の世界で唯一と言ってよい日本語の「言語構造」にある、と説明しています

 日本語は、「表意文字=漢字」と「表音文字=かな」から成り立っています。

 そして、その二つの文字は、脳の二つの異なる部位でコントロールされていのです。

 一つの部位は「合理性」を、もう一つの部位は「情緒性」を担当しています。

 思考は、言語で行うので、言語自体に情緒性があれば、思考にも情緒性が付加されるのは当然のことなのです。

 つまり、思考が、純粋に合理的ではなくなるのです。

 


【過剰反応社会】

 現代の日本社会で起きている「過剰反応現象」の原因を、榎本博明氏は、『「過剰反応」社会の悪夢』の中で、以下のように述べています。

「日本社会が過剰反応を生み出しており、多くの人々に感情的な反応を取らせる構造になっている。」

「  例えば、世の中の出来事を伝えるニュース番組では、今や必ずといっていいほど「コメンテーター」や「司会者」が登場し、自分の判断や感情を付け加えた上でニュースを伝えます。これにより、私たちはニュースを受け取ると同時に、コメンテーターたちの「感情」をも受け取ることになるのです。

 こうなってしまうと、私たちはニュースの内容を自分なりに理解しようと試みる時間も与えられないまま、「かわいそう」、「許せない」といった感情に支配されることになります。

 このように、感情優先の報道が多くなってしまったことにより、多くの人が感情的な反応をするようになってしまい、冷静さを失った過剰反応も増えてしまった

 

 また、榎本氏は、次のようなことも述べています。

「偽物のプライドを持つ人は、自己誇大感と自信のなさの間を揺れ動くため心の余裕がなく、過剰に攻撃的な反応を示す。背景には対人不安心理が絡むこともあり、脆くてすぐに崩れ落ちそうなプライドを必死に支えようとする悪あがきなのである。」
(『「過剰反応』社会の悪夢』榎本博明)

 

 「過剰反応を回避する」ために、榎本氏は、以下のことに注意するとよいと述べています。

 つまり、

「物事を多面的にみることができること」、

「相手の身になって考えること」

が大切であるとしています。

 要するに、客観的に、冷静になるべし、ということでしょう。

 

 

「過剰反応」社会の悪夢 (角川新書)

「過剰反応」社会の悪夢 (角川新書)

 

 

 

 
(「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」)

 評論家であれ著述家であれ、表現者とは、常に自らの表現の内容と形式について細心の注意を払うべきものであり、普通はそうするものだ。とりわけ、誰かを傷つける可能性のある文章を書く場合には、必要以上に神経を使うのが当然である。表現の自由をたてに何を書いてもよいというものではない。

 その意味で、杉田氏の原稿に配慮が欠け、杉田擁護の論考の一部に問題があったのは事実だと思う。だがその後の、「新潮45」バッシングもまた異常であって、杉田氏を擁護する者は、それだけで差別主義者であるかのようにみなされるとすれば、これもまた問題であろう。

 杉田氏の論考が評論としての周到さを欠いたものだったと私も思うが、ここには少なくとも、三つの重要な論点が含まれていた。ひとつは、問題となった「生産性」である。日本では、構造改革以降、この20年以上、あらゆる物事を生産性や成果主義のタームで論じてきたのである。私はこのこと自体が問題だと思うから杉田氏の論旨には賛同しないが、しかし、政策判断の基準として生産性が適切なのか、どこまでこの概念を拡張できるのか、という論点はある。

 第二に、そもそも結婚や家族とは何か、ということがある。法的な問題以前に、はたして結婚制度は必要なのか、結婚によって家族(家)を作る意味はどこにあるのか。こうした論点である。そして第三に、LGBTは「個人の嗜好(しこう)」の問題なのか、それとも「社会的な制度や価値」の問題なのか、またそれをつなぐ論理はどうなるのか、ということだ。しかし、杉田氏への賛同も批判も、この種の基本的な問題へ向き合うことはなく、差別か否かが独り歩きした。これでは、不毛な批判の応酬になるほかない。

 また、「新潮45」休刊の背景には、SNSにおける激しい批判と、文芸関係者による新潮社への抗議があったようだ。もともと作家や文芸評論家を主力執筆者にもっていた同社が、この圧力に屈したということになる。だがこれも両者ともに過剰反応ではなかろうか。人間は、100%の善人でもなければ100%の悪人でもない。裏も表もある。簡単に白黒つけられるものではない。白と黒の間には無数の灰色があり、その濃淡を仕分け、それを描くのが表現者の仕事である。そして、新潮社の雑誌の特質は、きれいごとではない、この人間の複雑な様相をいささかシニカルに描きだすところにあった。それがすべて崩れてしまった。

 す私は、人間社会の深いところに「正義」の観念(→当ブログによる「注」→正義に関する論点は、受験上、かなり重要です→「正義論」→後述します)はあると思うが、それを振りかざすことは嫌悪する。それはたちまち不寛容になり、それでは議論も何も成り立たなくなる。だから、人間の行為や人物を白黒に分けて、「白」でないものはすべて「黒」と断定して糾弾する、などということもやりたくはない。それゆえ、近年の風潮であるいわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス)も、基本的には疑いの目をもってみたくなる。自分たちの主張を「正義」として、反対の立場を封印することは「コレクトネス」でも何でもない。

 


(当ブログによる解説)

【正義の味方】

 上記の
「私は、人間社会の深いところに「正義」の観念はあると思うが、それを振りかざすことは嫌悪する」

の部分に関しては、最近、「正義の味方」というキーワードが、最近、問題になっています。

 「正義の味方」とは、一般的にはプラスイメージの存在です。

 しかし、その「正義の味方」から実力を行使された側からは、「自分とは違う価値観から考えた正義を実現する者」にすぎないわけです。

 「何が正義か」は、それぞれの価値観によるのです。

 すべての正義が普遍的なわけではありません。

 「絶対的な正義」はないのです。

 けれども、「独善的な正義」が、現代社会には氾濫しています。

 
 そのためでしょうか、近年の様々な分野の作品では、「正義の味方」という言葉は、少々、胡散臭い、怪しいイメージの存在として使用されているようです。

 「正義の味方的な、おバカキャラ」、「正義漢的なトラブルメーカー」等が、それです。

 さらに、「正義」を振りかざし、独善的な振る舞いをする人への皮肉として、「正義の味方」と呼ばれることさえあるようです。

 つまり、本来の言葉の意味から、全く正反対の意味として使用されている場合もあるのです。

 

 

【正義に潜む独善性】

 「正義に潜む独善性」については、先崎彰容氏の論考(「独善的な政治思想の暴走を思いとどまり、安易な正義感に浸った自分を戒め・・・・熱い矜持をもった若者たちへ」 先崎彰容『正論』2017年6月2日)が、かなり参考になります。

 以下に概要を引用します。

「  5月連休明けの大学は、学生相談の季節である。新しい学年が始まり、次の進路への階段を一歩あがる。なんといっても大学は自由だ。時間はいくらでもあり、何より通学範囲や上京によって、格段に世界が広がるのだ。黙っていても刺激は外からやってくる。今までの「自分」が揺さぶられ、目の前には可能性という名の広野が茫漠とどこまでも続いている。

≪右に進むのか左に進むのか≫

 人は自分なりの「ものさし」を持たないと、最初の一歩を踏みだすことができない。右に進むのか、左に進むのかを判断する基準がなければ、私たちは広野に佇(たたず)んだまま餓死することもある。多感な学生時代の、将来に対する不安と飢餓感は、大げさではなく、孤独感を抱えたまま広野を歩む作業なのである。

 だから今年もまた、1人の学生が私の研究室の扉をノックしたときも、別段、驚きはなかった。

 若々しい紅潮した顔つきの学生は、幼い頃から父母にいわれ安定した公務員職を今でも目指していること、しかし高校生時代から急速に「人権」や「憲法」といった問題について自分なりに考え、うなされるように思考を深めてもいること、それが恐らく大学でいう「政治学」「政治思想史」という学問分野に当たること、さらには大学院進学に伴う将来不安について、一息に語りつくした。その顔つきと、緊張感に満ちた態度は、まさに20年前の自分自身と同じだった。


 今、私は「教員」という立場であることによって、自分の半分程度の年齢の学生から助言を請われている。それはようやく発見した遠くに見える灯のような存在として彼の前にあるのだろう。だから私は、実は自分がつい先ほどまで原稿を書いていて、その締め切りに追われて動揺している人間であり、数百枚の大作であるがゆえに日々作品への自信と不安の間を揺れ動いている人間であること、つまり到底成熟した人間ではあり得ないことを隠さねばならない。

 引き出しにそっとしまい込むように、自分の半身を隠し「教員」という役割を果たさねばならない。そしてできうれば、この20歳の学生の期待に応えられるような灯として、一歩を踏みだすための「ものさし」を提供したい。

≪過激になりすぎていないか≫

 不惑を越えた自分が、そういう人間になれるかどうかは今もって分からない。ただ、ぼんやりと熱を帯びた頭で聞いていた学生のある言葉が耳に触れたとき、私のなかである感動が襲っていた。

 「人権」や「憲法」という言葉に触発され、高校時代から自分なりの考えを練り続けてきた若者は、自分自身の思考が深まりすぎて「勝手な独善に陥っているのではないか。過激になりすぎているのではないか」と思い、私の読書経験と学生時代の生活、また勉強のための参考文献を聞きたいと言ってきたのである。

 彼は今、自分が独善に陥っているのではと逡巡し、立ち止まっている。茫漠とした先には「政治」という言葉だけが見えかけている。だがそこまで、どう到達したらよいのかが分からない。若いとはいえ、自分なりの方法はある。でもその歩みはやみくもではないのか。どんどん思い込みの道に迷い込んでいる。歩むべき方向を指し示し、同じ悩みをかつて抱き、そして現在、目的地に向かってのっしのっしと歩いているように見える教員、つまりは私のもとに彼は辿りついたのである。

≪政治は英雄的行為ではない≫

 私は何も、自分を信頼してくれたことに感動したのではない。多感でうなされるような情熱をもつ学生が、自分の突進する政治思想を懐疑し、他者の意見を聞くことで冷静に相対化しようと思ったこと、この姿勢に感動したのだ。

 なぜなら私にとって「政治」とは、誰か悪人を仕立てあげ、批判罵倒し「殺せ、引きずり降ろせ」と騒ぐことではないから。あるいは政治とは、生きる力を減退させることではなく、むしろ人びとの生活の営みを維持する生命をたたえた行為だと思うから。つまり政治は善人と悪人に腑分けし、自分を善人であると叫ぶ卑猥な快楽を意味しない。複雑な人間関係を調停し、終わりのない生活を支え続け、英雄的な行為とはまるで無縁なのが政治なのだと思う。

 こういう確信を抱いてきた私にとって、学生が自らの独善的な政治思想の暴走に思いとどまり、安易な正義感に浸った自分を戒めるために、研究室のドアの前に立ったことは、評価すべきだと思われた。真摯な態度は、過剰に陥りがちな青春時代とはまた違う、若さだけがもつ熱い矜持があった。それが資料に埋もれた私の頭を次第に冷やし、心地よい風が吹き抜けていったのである。

(「独善的な政治思想の暴走を思いとどまり、安易な正義感に浸った自分を戒め・・・・熱い矜持をもった若者たちへ」 先崎彰容『正論』2017年6月2日)

 

 

 

上記の

「  若者は、自分自身の思考が深まりすぎて「勝手な独善に陥っているのではないか。過激になりすぎているのではないか」と思い

「  彼は今、自分が独善に陥っているのではと逡巡(しゅんじゅん)し、立ち止まっている」

「  多感でうなされるような情熱をもつ学生が、自分の突進する政治思想を懐疑し、他者の意見を聞くことで冷静に相対化しようと思ったこと」

「  学生が自らの独善的な政治思想の暴走に思いとどまり、安易な正義感に浸った自分を戒めるため」 

は、「キーセンテンス」になっています。


 特に、「逡巡」、「懐疑」、「冷静に相対化」は、「正義に潜む独善性」について鈍感な、現代の日本人が何度も反芻するべきキーワードでしょう。

 

 

違和感の正体 (新潮新書)

違和感の正体 (新潮新書)

 

 

 

【ポリティカル・コレクトネス】

 次に、最新のキーワードとして、「ポリティカル・コレクトネス」を理解することも重要です。

 「ポリティカル・コレクトネス」とは、「政治的に正しい表現」とも呼ばれています。

 公正・公平・中立的で、差別・偏見が含まれていない表現を指しています。

 1980年代に多民族国家アメリカ合衆国で提唱された、「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的観点から正しい用語を使う」という意味で使用される表現です。

 また、伝統的主流派に反対して、「少数派の権利保護」、「社会的公正の実現」を主張する立場を指す場合もあります。

 

 「ポリティカル・コレクトネス」は差別是正活動の一環として、英語以外の言語にも波及した結果、一部表現の言い換えにつながりました。

 「ポリティカル・コレクトネス」の圧力は、日本における差別用語の「言い換え」圧力と類似しています。

 「ポリティカル・コレクトネス」は、「表現の自由」を阻害するものになりかねないのです。
 そのため、「ポリティカル・コレクトネス」の圧力を行き過ぎと考える人々からは、「言葉狩り」と評価されることもあるようです。

 

 以下の内田樹氏の見解(「『政治的に正しいこと』は正しいのか?」内田樹『内田樹の研究室』2008年3月16日)は、その一例です。 

「  バリ島海水浴でばりばりに日焼けした上にスキー焼けしたので、季節感のない色黒男になってしまった。

 むかしはこういうのを「くろんぼ大会」と称したのであるが若い人はご存じないであろう。

 1960年代までは夏休み明けに一番黒く日焼けした子どもを学校で表彰していた。

 たいへんよい企図のものであったと思うのだが、「くろんぼ」がご案内のとおりポリティカリーにコレクトではないということで使用禁止用語となり、ついでに「よく遊んだこと」を肌の黒さを基準に考量し、これを讃えるという風儀もまた失われたのである。

 ポリティカル・コレクトネスによる用語制限によって私たちが得たものと失ったものはどちらが多いのか、ときどき疑問になる。

 自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣を定着させたという功績はむろん高く評価されねばならぬ。

 だが、PC の難点は「自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣に伏流するイデオロギー性」の検出には、ほとんど知的リソースを備給しないという点にある。

 わかりにくくてすまない。

 要するに、PC 的なことを大声で言うやつは総じて頭が悪いということである。

 頭が悪いことと邪悪なことではどちらがより有害であるかについては意見の分かれるところであるが、アナトール・フランスはこの論件についてたいへん適切な言葉を残している。

「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなることがあるが、愚鈍な人間はつねに愚鈍なままである。」

 そういえば先日「丸坊主」と書いたら、「PC 的に不適切用語です」という校閲からのチェックが入った。

 ちょうど山本浩二くんといっしょにお茶を飲んでいるところだったので、いったいどこが不適切であるのかについてしばらく意見交換した。

 「丸」は PC 的に問題ではないであろうから、不適切なのは「坊主」の方なのであろう。

 しかし、寡聞にしていつから「坊主」が活字にしてはならぬ語に登録されたのか私は知らない(その経緯を知っている人がいたらご教示ください)。

 たしかに「坊主」には貶下的なニュアンスがあるのは事実である。

 「三日坊主」とか「腕白坊主」とか「生臭坊主」とか。

 そもそも、年少のものを呼称するに僧侶の称を流用するという習慣自体が「僧侶一般」に対する世俗の人間たちの ambivalent な感情抜きには説明できない。

 だが、僧侶を両義的にみつめるまなざしはすでに平安時代から存在したのである

 つまり、「坊主」というのは「その本義とは違う不適切な含意をともなう語」として古来使われてきた語なのである。

 その語義を昨日今日ぽっと出てきた「良識」で使用禁止にしてよろしいのか。

 それが「正しい」ということになれば、およそ敬意と嫌悪の両義を含むすべての語は使用を禁じられねばならないことになる。

 私は一昨日所用のために警察署に行ったが、その窓口で警察官は私を「ご主人さん」と呼んだ。

 「ここにハンコ捺して、証紙貼って持ってきて」

 「ご」も「主人」も「さん」もどこにも貶下的な語義はないが、その語はあきらかに「市民を敵視する」トーンで使われていた。

「あのですね、こっちは『ご』に『主人』に『さん』と三段構えで敬語使ってるわけですよ。市民に対する公僕の『お仕えする』という姿勢をアピールするために。これなら文句のつけようないでしょう? え? まだ足りないの?『お市民さま』の方がいい?」

 こういうのはよろしくないと私は思う。

 おそらく、警察庁内部の知恵者が「年齢にかかわらず男性は『ご主人さん』、既婚未婚の別なく女性は『奥さん』と統一的に呼称しておけば、まず PC 的批判は受けずに済むでしょう」というようなことを提言して、そういうことが内規化されたのであろう。

 しかし、私は「ご主人さん」と呼ばれて、飲み屋で「社長」とか「大将」とか呼ばれたような嫌な気分になった。

「社長」も「大将」も、「ご主人さん」も社会的地位についての指示記号である。

 そして、私は使用人を持たない未婚の男子であるから、誰からも「ご主人さん」と呼ばれる立場にない。

 誰からも「ご主人さん」と呼ばれる立場にない人間に対して平然とそのような呼称を用いるのは、あきらかに非礼である。

 「ご主人さん」が貶下的含意をもつのは、そのような指示記号が明らかに事実を指示していない場合に、あえてその呼称を用いることで、「要するに、お前が社会的に何ものであるかなんてことに、オレはぜんぜん興味ないわけよ」というメッセージを発信しているからである。

 あらゆる名詞は「その名詞を用いても、指示対象についての情報が少しも増えない」場合には貶下的含意を持つことができる。

 悪意は語義のレベルにあるのではなく、文脈にある。

 ポリティカリーにコレクトな「言葉の検閲者」たちを私が嫌うのは、彼らの言語の機能と本質についての理解(→言語論の論点として重要です)があまりに浅いからである。

 使える言葉をいくら規制しても、使う人間に悪意がある限り、言葉は語義を離れて攻撃的に機能することができる。

 現に、私は「ポリティカリーにコレクトな人々」という語をもっぱら「頭の悪い人」という意味で用いている。

 おそらく、この用例もやがて日本語の語彙に登録されて、「ポリティカリーにコレクトな」という形容詞そのものが「不適切語」として校閲にチェックされる日が来るであろう。(→かなり強烈な皮肉です)

(「『政治的に正しいこと』は正しいのか?」内田樹『内田樹の研究室』2008年3月16日)

 

 
(「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」)

 そして、リベラル派が唱えるPCに対するいらだちが、いわゆる保守派には根強くあった。しかしまた、その自称保守派も、このところ急激に不寛容になりつつある。論の結論だけで、敵か味方かに単純化されてしまう。SNSがそれを増長する。

 本当に大事なのは、議論の結論というより、その論じ方であろう。

 もともと、リベラルも保守も、その基底には「寛容」があったはずだ。異なった立場を認め、多様性を容認することは、どちらにも共通する原則である。この原則だけが、健全な論争を可能にしたのだ。だが今日、社会から「寛容さ」が急激に失われている。それは論壇だけのことではないのだが、せめて紙媒体の論議の場だけでも「寛容さ」を保つ矜持がなければ、わが国の知的文化は本当に崩壊するだろう。

(「『新潮45』問題と休刊 せめて議論の場は寛容に」佐伯啓思)

 


(当ブログによる解説)

【「寛容」に関して】

 「寛容」に関しては、「寛容のパラドックス」を理解する必要があります。

 「寛容のパラドックス」とは、カール・ポパーが1945年に発表したパラドックスです。

 ポパーは、以下のように述べています。

 「もし社会が無制限に寛容であるならば、その寛容は最終的には不寛容な人々によって奪われるか破壊される。寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」

 原則的に「寛容」は守るべき重要な概念だが、例外を認めなければ、寛容な社会は実現不可能である、とするのです。

 

 以下に詳説します。

 ポパーは、『開かれた社会とその敵』において、このパラドックスを以下のように定義しました。

「寛容のパラドックス」についてはあまり知られていない。

 無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。

 もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。

 この定式において、私は例えば、不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、などと言うことをほのめかしているわけではない。

 我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、抑制することは確かに賢明ではないだろう。

 しかし、もし必要ならば、たとえ力によってでも、不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ。

 と言うのも、彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。

 ゆえに我々は主張しないといけない。寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を。

 
 同様の見解を哲学者ジョン・ロールズも『正義論』において、以下のように述べています。

「  公正な社会は不寛容に寛容であらねばならない。

 そうでなければ、その社会は不寛容と言うことになり、そうするとつまり、不公正な社会ということになる。

  しかし、社会は、寛容という原則よりも優先される自己保存の正当な権利を持っている。

 寛容な人々が、自身の安全と自由の制度が危機に瀕していると切実かつ合理的な理由から信じる場合に限り、不寛容な人々の自由は制限されるべきだ」


 以上の、ポパー、ロールズに反対する説があります。

 渡辺一夫氏は、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」の中で、以下のように主張しています。

「  我々と同じ意見を持っている者のための思想の自由でなしに、我々の憎む思想にも自由を与えることが大事である。」

「  寛容は寛容によってのみ護られるべきであり、決して不寛容によって護られるべきでないという気持ちを強められる。

 よしそのために個人の生命が不寛容によって奪われることがあるとしても、寛容は結局は不寛容に勝つに違いないし、我々の生命は、そのために燃焼されてもやむを得ぬし、快いとおもわねばなるまい。

 その上、寛容な人々の増加は、必ず不寛容の暴力の発作を薄め且つ柔らげるに違いない。

 不寛容によって寛容を守ろうとする態度は、むしろ相手の不寛容をさらにけわしくするだけであると、僕は考えている。その点、僕は楽観的である。

 ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える不寛容のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思われる寛容よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせてくれる場合も多いということである。

 あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように。だがしかし、僕は、人間の想像力と利害打算とを信ずる。人間が想像力を増し、更に高度な利害打算に長ずるようになれば、否応なしに、寛容のほうを選ぶようになるだろうとも思っている。

 僕は、ここでもわざと、利害打算という思わしくない言葉を用いる。

(「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」渡辺一夫)

 

 この論考は、1993年の慶應義塾大学文学部の小論文試験課題文として出題されています。

 

 「寛容」は「多様性」の論点のキーワードです。

 「寛容をいかに考えるか」は、非常にデリケートな問題です。

 佐伯氏の「せめて議論の場合は寛容に」という、控え目な提案にさえ、反対する見解は根強いのです。

 受験生としては、自分の立場を決定する前に、「寛容」に関する議論を、しっかりと理解しておくべきでしょう。

 


 【戦う民主主義】

 「寛容」に関しては、「戦う民主主義」を理解しておくことも大切です。

 「戦う民主主義」とは、ドイツをはじめとするヨーロッパで顕著な、民主主義理念の一つです。 

 民主主義を否定する自由、民主主義を打倒する権利を認めない「民主主義」です。


 民主主義体制を維持するためには、国民に、思想の自由、表現の自由を保障することが不可欠です。

 しかし、国民が、何らかの説得・誘導により、自分の政治的自由を自ら放棄し、民主主義的手続きにより、民主主義制度廃止の手続きをした場合はどうなるのでしょうか。

 このような民主主義体制の自滅の結果として、独裁制が成立する危険性があります。

 そこで前もって、「民主主義体制を敵視する自由」を制限し、民主主義体制維持を自国民に義務付ける、という防御手段を採用しておくことが考えられます。

 このように、民主主義的手続きで民主主義体制を否定しようという勢力から、民主主義体制を守るという発想が「戦う民主主義」です。

 

 これは、「ナチズム」の教訓に沿った思想です。

 「ナチズム」が民主主義の中から発生してしまった歴史を直視し、熟考した結果の思想なのです。

 これは、寛容を重視する伝統的リベラリズムにおいて、「人はすべての場合に寛容であるべきという必要はなく、不寛容な者には不寛容であるべき」という例外的処置が肯定されていることとも対応しています。

 

 しかし、「民主主義」の具体的内容は、一義的に決められるものではありません。

 歴史的に見て、国、宗教、民族等により、多様な内容を含んでいます。

 現在でも、民主主義の具体的内容として統一的な見解が得られているわけではありません。

 

 民主主義の内容・定義のこうした多様性を無視して、特定の思想を「ナチズム」として排除することは、場合によっては、権力者によって濫用され、「表現の自由」(→自由主義の根幹であり、民主主義の前提)が侵害されるおそれがあります。

 つまり、「ナチズム的」という、極めて曖昧なレッテルを貼れば、容易に「表現の自由」を制限することが可能になります。

 さらに、特定の価値に優劣はなく、また、優劣をつけるべきではないという、価値相対主義的な立場からも、「戦う民主主義」の思想には異議が唱えられています。

 これらの点から、「戦う民主主義」の思想を採用している国は多くはありません。


 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

   

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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予想問題/「死を考えること 人に優しい社会への一歩」佐伯啓思

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 佐伯啓思氏は、入試頻出著者です。

 佐伯氏の論考は、最近では、神戸大学、新潟大学、早稲田大学(政経)・(文)、立教大学、法政大学、中央大学、関西大学等で出題されています。

 

 佐伯氏は、最近、「現代文明批判」(現代文明論)」、「近代批判」、「死生観」、「日本人論」、「グローバル化」に関する「死を考えること 人に優しい社会への一歩」(《異論のススメ》『朝日新聞』2018年8月3日)を発表しました。

 この論考は2018年7月に出版した『死と生』に関連しています。

 

 「現代文明批判(現代文明論)」、「近代批判」、「死生観」、「日本人論」、「グローバル化」は入試頻出論点です。

 そこで、現代文(国語)・小論文対策として、この論考を『死と生』や、佐伯氏の他の著作等を参照して解説します。

 

 記事は約1万字です。

 

 

死と生 (新潮新書)

死と生 (新潮新書)

 

 

 

(2)予想問題/「死を考えること 人に優しい社会への一歩」佐伯啓思〈異論のススメ〉『朝日新聞』2018年8月3日

 

 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 

(問題文本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

 この7月に私は『死と生』(新潮新書)という本を出版した。評論のようなエッセーのような内容であるが、ここで私なりの「死生観」を論じてみたかった。人口の減少と医療の進歩のおかげで、日本では高齢化がますます進展し、独居老人世帯も2025年には700万世帯になるとみられる。

 こういう現状のなかで、いやおうもなく、どこでどのように死ぬかという「死に方」にわれわれは直面せざるをえず、さらには「死とは何か」などということを考えざるをえなくなってきた。「死を考える」といえば、いかにも陰気で憂鬱でうんざりという感じであるが、別にそういうわけでもない。これほど人間の根源的な事実はなく、誰にもまったく平等にやってくる。そもそも死を厭(いと)い、面倒なものには蓋をしてきた今日の社会の風潮のほうが奇妙なのではなかろうか。

 人々の活動の自由をできる限り拡大し、富を無限に増大させるという、自由と成長を目指した近代社会は、確かに、死を表立って扱わない。死を論じるよりも成長戦略を論じるほうがはるかに意義深く見える。しかし、そうだろうか。かつてないほどの自由が実現され、経済がこれほどまでの物的な富を生み出し、しかも、誰もが大災害でいきなり死に直面させられる今日の社会では、成長戦略よりも「死の考察」のほうが、実は必要なのではなかろうか。

 

 

(当ブログによる解説)

 私たちは、高度情報社会、新自由主義社会の中で、雑事に追われ、「生と死の問題」に関心を持てなくなっているようです。

 およそ、「死」という哲学的問題に心を向ける精神的余裕がないのです。

 このことは、戦後の日本社会、近代の合理主義に問題があるようです。

 

 この問題に関して、佐伯氏は、『反・幸福論』の中で以下のように述べています。

「  考えてみれば、日本の伝統的な価値観は、決して個人の自由礼讃や富の称賛をしてきたわけではありません。それどころか、『個人の自由』や『経済的な富』に対しては随分と警戒的だったのです。その意味では、日本の価値観の根本には、近代主義とはどうしてもなじまないところがあります。戦後日本の価値とは対立しあう面があるのです。

 それに代わってわれわれがもともともっていたものは、独特の人生観であり、死生観であり、自然観だったのです。国民の価値とは、本来、人生観、死生観、自然観、それに歴史観によって組み立てられます。ところが、この人生観や死生観、自然観が戦後日本ではすっかり忘れさられてしまいました。

 自由や富はいくら積み上げても人生観や死生観の代わりにはならないのです。もっといえば、人生観や死生観や自然観を見失ったために、どれだけ自由を求めても、経済を成長させても、幸せ感がなかなか得られないのではないでしょうか。 

「  終末の迎え方、「死に方」は、知恵や努力やカネやコネで人為的に操作できるが、「死」そのものは、まったく人間を超えたものなのです。人は、「死」を前にして、まったく無力であり、ただ頭を垂れるほかない。ここでは、全ての人間の営みも文明も一気にすべての意味を失ってしまう。どれほど、人間が壮大な建造物を建て、富を築き上げても、「死」を目の前にしたら何の意味もない。

 近代人が理想とする「自由」も「幸福追求」もすべてが死を目の当たりにすると、色あせてしまう。あらゆる存在を無意味化してしまうという点で、「死」は「絶対的無意味」というしかありません。

(『反・幸福論』佐伯啓思)

 

 

反・幸福論 (新潮新書)

反・幸福論 (新潮新書)

 

 

 

(「死を考えること 人に優しい社会への一歩」佐伯啓思)

 もっとも、いくら考えたとしても、「死とは何か」など答えのでるものではない。だから考えても意味がない、という側にも言い分はありそうにもみえる。しかし、私はそうは思わない。われわれが自分たちの生の意義を問おうとし、この現実社会の意味を問おうとすれば、いったんは、この現実の生から離れ、それから抜け出さねばならず、死を前提にして生を見直さねばならない。だから、死を考えることはまた、生を考えることでもあり、家族や社会のありかたを考えることでもある。つまり、自分なりの「死生観」を論じることである。

 

 

(当ブログによる解説)

 「死生観」は、「家族観」、「社会観」、「人生観」等に密接に関連しているのです。

 さらに言えば、「死生観」は、様々な「価値観」の根本です。

 「死生観の確立」こそが、人生の最大目標とも言いえるのでしょう。

 

 『死と生』(佐伯啓思)には、次のような記述があります。

 赤字部分に注目して、熟読してください。

「  死を論じるということは、実は生を論じることにもなるのです。

 人間は死すべき存在である、という命題はまた、人間は死を意識しつつ死へ向かって生きる、ということも意味し、これはまさに生き方を論じることでもあるのです。

 「死」と「生」は対の問題です。にもかかわらず、往々にして、「死」はただ「生」の切断であり、「生」を終わらせるものだ、と考えられがちです。

 そうではなく、「死」、正確には「死への意識」が「生」を支え充実させることもあるのです

「生も死も無意味だ」から出発して、その「無意味さ」こそが、自我への執着を否定したうえで、現実世界をそのまま自然に受け止めることを可能にするのです。

 われわれは、草木のように土から生まれ、また土に戻ってゆき、そしてまた別の命が芽を出す。すべての存在がこうした植物的な循環のなかにあることをそのまま受け止めるほかありません。とすれば、われわれは特に霊魂はあるのかないのか、あるいは来世はあるのかどうか、などということに悩まされる必要はない。

 確かに、生も死もどちらでもよい、などと達観することはできません。しかし、この達観に接近しようとしたのが日本的な死生観のひとつの大きな特徴だったのであり、それは現代のわれわれにも決して無縁ではないでしょう

 人間は死すべき存在である、という命題はまた、人間は死を意識しつつ死へ向かって生きる、ということを意味し、これはまさに生き方を論じることでもあるのです。

(『死と生』佐伯啓思)

 

【「死生学」について】

 「死生観」に関連して、「死生学」の解説をします。

 「死生学」(しせいがく)( 英 : thanatology)は、ギリシャ語の「タナトス」と、「学」ないしは「科学」を結びつけた学術用語です。

 「死についての科学」と定義することができます。

 死と死生観についての学問的研究のことです。

 「死生学」が対象とするのは、「人間の死」です。

 「死生学」の創始者の一人、アリエスによると、「人間は死者を埋葬する唯一の動物」です。

 埋葬儀礼は、ネアンデルタール人から始まり、歴史の流れの中で、人類は「死に対する態度=死生観」を構築してきました。

 「死生学」は、このような「死生観」を、哲学・医学・心理学・民俗学・文化人類学・宗教などの研究を通して分析、解明しようとしています。

 そして、その視点から、「死への準備教育」を模索している学際的学問です。

 「死生学」は、「尊厳死問題」、「医療告知」などを背景として、1970年代に一応の確立を遂げた新たな学問分野です。

 

 「死生学」は、死をタブー視し、死を非日常的なものとして、これを遠ざける現代社会に疑問を提示する、新たな学問領域です。

 つまり、「死に対して取るべき心構え」という観点から、「生の価値」を再認識しようという試みです。

 死を自分の将来の必然として見詰めることで、「自己の生」において真に大切なものを考察する営みを提唱するのです。

 

 また、「死生観」に関しては、「メメント・モリ」について理解しておくことも大切です。

 「メメント・モリ」は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句です。

 「死を想え」と訳されることもあります。

 

 「メメント・モリ」に関しては、京都学派の哲学者として著名な田辺元氏が、「死の哲学(死の弁証法)」と称される哲学を構築しました。

 その哲学の概要を提示した論文は「メメント モリ」です。

 田辺氏は、この論文の中で、現代を「死の時代」と規定しました。

 近代人が「生」の快楽や喜びを無反省に追求した結果、「生」を豊かにするための科学技術が、「生」を脅かすという矛盾的状況を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだ、というのです。

 田辺氏は、この悲惨な現状を打開するために、「メメント・モリ」の警句に立ち戻るべき」と主張しています。

 

 「メメント・モリ」については、古代ローマの哲学者、セネカの言葉も知っておくべきでしょう。

 以下に引用します。

「何かに忙殺されている人間は、忙殺されているうちに、稚拙な精神をもったまま、何の準備もなく、いきなり老年に襲われる。そこで、あわてて、この老人は、わずか数年の余命を乞い求め、空しい若作りで老いをごまかそうとする。しかし、それでも病気や衰弱がやってきて、死を思い知らされる。その時になり、怯えながら末期を迎え、自分の人生は愚かだったと後悔するのだ」

 

 上記は、「ゆるキャラ」やテーマパークに歓喜し、単なる運動会であるオリンピックを崇め、医者や栄養士の根拠不明な託宣の操り人形に成り下がった、現代の幼児的な日本人そのもの、の描写の感じがします。

 

 

 

(「死を考えること 人に優しい社会への一歩」佐伯啓思)

 「死生観」は、ひろい意味での宗教意識と深くつながっている。なぜなら、多くの宗教意識は、この現実を超越した聖なるものを想定し、その聖なるものによって人々を結びつけ、また、この聖性によって、人々の現実の生に意味を与えるものだからである。

 そして、たいていの社会には、漠然としていても、何らかの宗教意識がある。イスラムはかなり明白であるが、アメリカはプロテスタント中心のいわば宗教大国であり、西欧では、かなり薄められたとはいえ、西欧文化のいわば母型としてキリスト教があるし、そもそも無宗教とは、多くの場合、意思的な無神論を意味する。それらが、ゆるやかに西欧人の死生観を形づくっている。

 では、今日の日本における宗教意識とは何なのだろうか。『NHK放送文化研究所』の調査(2008年)によると、「死後の世界を信じる」という人の割合は44%もあり、特に若者層では多い。しかも確実にこの割合は増えている。「祖先の霊的な力を信じる」人は47%ほどもいる。だがそれでは、このうちのどれくらいの人が、神道であれ、仏教であれ、その教義や教説を知っているのだろうか。 おそらくは、その内容はさして知らないが、何となく宗教への関心がある、ということであろう。

 明治の近代日本では、神道の国家化と反比例して仏教は排斥された。そして、戦後になると、すべて宗教の立場は著しく低落した。宗教は、近代社会の合理主義や科学主義、自由主義や民主主義とは正面から対立するとみなされた。そして、近代以前に人々が自然にもっていた死生観も失われていった。

 先日、オウム真理教の元幹部たちが死刑に処せられたが、もしも、われわれが、多少なりとも仏教の教説を知っておれば、この団体が若い人たちにこれほど大きな影響力をもつことはなかったのではないかと思う。また、前近代にあったような、神道的、あるいは仏教的な死生観がある程度共有されておれば、そもそもこのような団体が生まれたかも疑問に思う。もっとも過激な行動に駆り立てられた元幹部に高学歴のいわば合理的な科学に浸された人たちが多いというのは確かに考えさせられることなのである。戦後の宗教意識の排除が、逆に、秘教的なカルトへと安易に寄りかかる道を開いたとも思われる。

 仏教の教えの根底には、現世の欲望や我執を否定し、無我や無私へ向かい解脱を願うという志向がある。さとりを開くことによって生への執着や死の恐怖を克服しようとするところがある。これは、西洋のような絶対神をもってきて、神との契約の絶対性や神の教えの道徳的絶対性を説くやり方とはかなり異なっている。西洋では人は神に従属している。しかし、日本の宗教意識においては絶対的な神は存在しない。むしろ、清明心であれ、静寂であれ、無常観であれ、「無」へ向かう性向が見られることは間違いないであろう。

 


(当ブログによる解説)

 西洋と日本の「宗教意識」や「宗教観」の違いを知ることは、グローバル化における他者理解、自己理解のために、不可欠です。

 また、これらの違いを意識していないと、グローバル化、欧米化により、目に見えない悪影響を受けることになります。

 この点に関して、佐伯氏は、『学問の力』で以下のように述べています。

「   知識には、われわれが意識していないものがあって、人間は、無意織のなかでこそ、 寝たり歩いたりボーッとしたりしているなかでこそ、 考えているし、また感じているのです。 そこに感受性がでてきます。 物事を、特にそれと意識したり、 分析したりするのではなく、それ以前に、 ある種の感勧をもち、 ある印象をもち、 こころを動かされることです。 そして、感受性というのは文化のなかからしかでてこない。 また、文化というものは歴史観や宗教観のなかからしかでてきません。

 日本人の学術的な能力というものも、日本の文化と切り離せない。ということは、日本の歴史観や宗教観と切り離せないということです。 この歴史観や宗教観も、そうと意識してもち歩いているものではありません。 ほとんど無意識のうちにわれわれに刷り込まれているものであり、われわれの感受性の基盤となっているものです。

 もし、それを失ってしまったら、操り人形みたいな、腹話術のようなものになってしまう。(→現代の日本人のほとんどが、まさにグローバル化の「操り人形」になっているようです)機械的に外国人の言葉をただ日本語に翻訳しているようなものです。戦後、日本人の言語感覚は大変ひどくなってしまって、自分の実感というものが言葉で表せない。 そのことと、 感受性の問題は決して無関係ではないのです。

 面白いことに、 日本語には「こころが通じる」という言い方がありますが、 たぶん英語にはありません。 そもそも「こころ」という言葉が英語には翻訳しにくい。

 スピリットもマインドも少し違うし、 ソウルは近いのかもしれないけれど、 やはり違います。 強いていえば、 アダム・スミスがいうようなシンパシーに近いのかもしれません。

(『学問の力』佐伯啓思)

 

 上記に関連して佐伯氏は、『自由と民主主義はもうやめる』中で、現代のわが国における共通的な価値について考察し、戦後に喪失してしまった「日本的精神」を復活すことを主張しています。

 つまり、「日本的精神」を取り戻すことによってのみ、現代文明を覆うニヒリズムを克服することが可能になると述べています。

 この対策論については、以下で詳説します。

  

 

学問の力 (ちくま文庫)

学問の力 (ちくま文庫)

 

 

 

(「死を考えること 人に優しい社会への一歩」佐伯啓思)

 私には、もしもこのような宗教意識が今日のわれわれにある程度共有されておれば、これほど騒々しく他人の非を責めたて、SNSで人を誹謗し、競争と成長で利益をえることばかりに関心を向ける社会にはならなかったのではないかと思われる。今年から学校では道徳が教科化されたのなら、ぜひとも、日本人の宗教意識や世界の宗教の簡単な解説ぐらいはすべきではなかろうか。

(「死を考えること 人に優しい社会への一歩」佐伯啓思〈異論のススメ〉『朝日新聞』2018年8月3日)

 

 

(当ブログによる解説)

 佐伯氏の言うように、 「他者尊重」のために、学校の道徳の授業で「日本人の宗教意識」や「世界の宗教」を教えていくことは必要です。

 その際には、西田幾多郎の「無私の思想」の概要も教授するとよいでしょう。

 

 佐伯氏は、『西田幾多郎 無私の思想と日本人』の中で、西田幾多郎の「無私の思想」を、以下のように分かりやすく解説しています。 

「  日本の思惟には、ゆく川のごとく、次々と時が去り、また来るという趣があると言えよう。「今」が生起する次の瞬間には無へと消えていく。形を持たない無が、今の瞬間に形あるものを現出させる。それを感じ取ることは、「もののあわれ」を感じることである。これを感じるゆえに、人との出会いを大切に思うのである。

「  この世は本質的に矛盾をはらんでいる。この矛盾こそが、人生の実相というべきものではないか。根源的矛盾にあえて目をつむり、「存在するものの論理」をまっすぐに展開したのが、通常のわれわれの思考である。

 無へ向かう志向とは、すべてを「無」のなかに投げ込み、しかし、その生を受け入れようとする態度である。

 日本人の「無」は、必ずしも「有」の否定ではない。日本的な精神の「無常」という観念により、一方で諦念があり、他方で覚悟が出てくる。一方で「はかなさ」があるとともに、「美」を求めようとする。人とのつながりに恬淡とするとともに、定めや縁を感じ取る。

「  日本の精神では、私自身を含め、いかなる「物体」「モノ」もいずれは消えてなくなると考える。これは決定的な宿命、さだめである。その論理でいけば「モノがある」とは、「・・・・に於いてある」ということであり、究極的には「無の場所」に於いてあるということになる。モノの本質は、いずれそこへと帰っていく「無」の世界にこそある。「私自身」も、いずれ確実に「無」へと帰する。つまり、現在の「生」は「死」によって支えられているといえる。このことから、いったん私を滅して「無」へと送り込むことで、そこから改めて私の本当の姿が見えてくる。つまり、自己とは「絶対無の場所」に自己を映すものだというわけである。

 すべての物的存在は、その背後に「無」を漂わせる。

 存在を存在たらしめているのは、西洋思想が考えるように、なにか絶対者のような究極的存在ではない。最終的にすべてを包摂する「絶対無の場所」というものを考えれば、すべての存在は「無」から生まれ、「無」に帰していく。「無」から出てきて、「無」に帰っていくだけである。

 それだからこそ、私たちは、ある場所であるモノとほとんど偶然の出会いを経験できるという意味で「一期一会」や「縁」という言葉を使う。(→だからこそ、他者を尊重するのです。エチケット、節度が重要になるのです)そして、そこには「悲哀」も伴う。

(『西田幾多郎 無私の思想と日本人』佐伯啓思)

 

 

西田幾多郎 無私の思想と日本人 (新潮新書)

西田幾多郎 無私の思想と日本人 (新潮新書)

 

 

 

 上記は、「日本人の伝統的な感受性」の解説です。

 日本の「無私の思想」が、いかに「一期一会の精神」と密接に関連しているか、を説明しています。

 ところが、現代の日本人は、精神的余裕をなくし、上記の、かつてのような、素晴らしい繊細な感受性を喪失しているようです。

 この悲しむべき状況について、佐伯氏は、以下のように解説しています。


「精神の余裕失った日本」佐伯啓思「日の蔭りの中で」『産経新聞』2015年12月28日

「  グローバルな大競争の時代になり、どの国もゆったりと成長できる世の中ではなくなった。競争は、国の単位においても、企業や組織の単位においても、あるいは個人を単位としても、勝者と敗者を作り出してゆく。構造改革で、勝てるところにカネをまわせ、勝てないところは切り捨てよといった政策を続けた結果も手伝い、この十数年のうちに、われわれは、すっかり余裕を失ってしまった

 余裕を失ったのは、十分な経済成長を生み出すことができなくなった富の世界だけではなく、われわれの精神の方も同じである。

 いや、停滞の20年などといっても、日本は依然、経済大国である。富は十分にある。しかしこの豊かさのなかで、われわれは、精神的な安寧や余裕を失っている自分を支えるために、少しでも自分に敵対する(と思われる)ものを攻撃し、自分を傷つける(と感じられる)ものを罵倒し、自己の存在を示すために大声で自己主張をする、という風潮へとなだれ込んでしまった。

 こうしたことは、もともと、われわれ日本人がもっとも忌み嫌ってきたことではなかったろうか。大声で言挙げしない。強引な自己主張は控える。相手の気持ちを忖度(そんたく)する。ことにあたって冷静でいる。友を裏切らず、他人を誹謗しない。仁や義を重んじる。こういったことがらは日本人の精神文化の核にあったはずだ。

 それが、このグローバルな大競争の時代に失われつつある。古都奈良にも海外からの観光客がかつてなくやってきている。中宮寺にもやってきているのであろう。しかし、この観音の微笑(アルカイック・スマイル)は観光のためにあるのではない。われわれ自身の精神を映すものなのである。 

(「精神の余裕失った日本」佐伯啓思「日の蔭りの中で」『産経新聞』2015年12月28日)

 

 上記の由々しき問題の対策論として、佐伯氏は、以下のような秀逸な主張(『自由と民主主義をもうやめる』)を展開しています。

 佐伯氏は、日本人のとるべき方策として「無常観を理解し、現代文明社会に蔓延しているニヒリズムから脱する」ことを提案しているのです

「  自由を極端に主張しない。自然権としての平等や人権ということも声高には主張しない。欲望の気ままな解放も主張しないし、競争というものも節度を持った枠内でしか認めない。これが本来の日本的精神です。調和を求め、節度を求め、自己を抑制する事を知り、他人に配慮する。これを、今の世の中で実践するのは非常に難しいことです。しかし、これら日本的な精神に基づいた価値観を打ち出していく以外に、われわれの取るべき道はありません

(『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思) 

 

「これほど騒々しく他人の非を責めたて、SNSで人を誹謗し、競争と成長で利益をえることばかりに関心を向ける社会」(「死を考えること 人に優しい社会への一歩」)

から脱却するためには、つまり、他者尊重のためには、「脱成長主義」を考慮することも必要でしょう。

 「脱成長主義」については、佐伯氏の次の論考(「『人生フルーツ』と経済成長 脱成長主義を生きるには」佐伯啓思《異論のススメ》『朝日新聞』2017年6月2日)かなり参考になります。

 

「  先日、『人生フルーツ』(東海テレビ・東風)というドキュメンタリー映画をみた。東京では盛況と聞いていたが、遅れて上映された京都のミニシアターも満員であった。『日本住宅公団』で戦後日本の団地開発を手掛けた建築家・津端修一さんと、その妻・英子さんの日常生活の記録である。1960年代の高度成長時代に、津端さんは次々と日本のニュータウンを手掛けた。その1つが愛知県の『高蔵寺ニュータウン』であるが、自然との共生を目指した彼の計画は受け入れられなかった。そこで彼は、このニュータウンの一角に土地を購入し、小さな雑木林を作り、畑と果樹園を作り、毎日の食事は基本的に自給自足するという生活を送ってきた。畑では70種類の野菜、果樹園では50種類の果物を育てているという。映画は、90歳になった修一さんと3歳年下の英子さんの日常を淡々と描いているのだが、しみじみとした感慨を与えてくれる。

 大抵の建築家は、ニュータウンや団地の設計を手掛けても、そこには住まない。大都市からやって来て仕事を済ませると、それで終わりである。津端さんは、思い通りにならなかった愛知のニュータウンに住み、小さいながらもその土地に根を張り、そこで自然の息吹を聞こうとする。風が通り、鳥がやって来る。四季が巡る。時には台風が襲いかかる。その全てが循環しながら、土地を育み草花や野菜を育て、この老夫婦の生活を支えている。いや、この夫婦の生活そのものも、この生命の循環の中にあるように見える。

 かつては、日本の彼方此方にこういう場所がごく自然に存在していた。1960年代でも未だ、都市の郊外や地方を行けば、人々は自然の循環の中で野菜を作り、半ば自給しながら生活していた。その後、1960年代から1970年代にかけての高度成長は終息し、1980年代のバブル経済も崩壊した。にも拘わらず、四季の移ろいや自然の息吹と共に生きることは、今日、大変に難しくなっている。この映画を見ていると、自給的生活はかなり忙しいことがよくわかる。労力がいるのである。自給といっても、コメや肉まで手に入る訳ではない。90歳の津端さんは、自転車に乗って買いだしに出る。畑や家の手入れも大変だ。毎日同じことを繰り返すにも労力がいる。「できることは自分たちでやる」という独力自立の生活は、映画館でこれを見ている我々に与える清々しさからは想像できないエネルギーを必要とするのであろう。1990年代になって、日本は殆どゼロ成長に近い状態になっている。にも拘わらず、我々は相変わらずより便利な生活を求め、より多くの富を求め、休日ともなればより遠くまで遊びに行かなければ満足できない。政府も、AIやロボットによって、人間の労力をコンピューターや機械に置き換えようとする。住宅もIT等と結び付けられて、生活環境そのものが自動化されつつある。外国からは観光客を呼び込み、国内では消費需要の拡張に腐心している。それもこれも経済成長の為であり、それはグローバル競争に勝つためだというのだ。

 日本がグローバルな競争に曝されていることは私も理解しているつもりではあるが、その為に自然や四季の移ろいを肌で感じ、地域に根を下ろし、便利な機械や便利なシステムにできるだけ依存しない自立的生活が困難になっていくのは、我々の生活や経済のあり方としても本末転倒であろう

 この5月末に、私は『経済成長主義への訣別』(新潮選書)という本を出版した。私は、必ずしも経済成長を否定する「反成長論者」ではない。また、所謂「環境主義者」という訳でもない。

 しかし、これだけモノも資本も有り余っている今日の日本において、「グローバル競争に勝つ為にどうしても経済成長を」という「成長第一主義」の価値観には、容易には与することはできない。現実に経済成長が可能かどうかというより、問題は価値観なのである。

 経済成長によって、「より便利に、より豊かに」の追求を第一義にしてきた戦後日本の価値観を疑いたいのである。それよりもまず、我々はどういう生を送り死を迎えるか、それを少し自問してみたいのである。

 実は、東海テレビが人生フルーツを製作中に、急に津端さんが亡くなる。その直前まで、元気にいつもと同じ生活をしており、実に静かで自然な死であったようだ。こういう死を迎えることは、今日、中々難しい。我々はグルメ情報を片手に、美味いものの食べ歩きに精を出し、旅情報を基に秘境まででかけ、株式市場の動向に一喜一憂し、医療情報や健康食品に、やたら関心を持ち、そしてその挙げ句に、病院のベッドに縛り付けられて最後を迎えることになる。こうした今日の我々の標準的な生と死は、本当に幸せなものなのだろうか?(→当ブログによる「注」→私たちは、「死と生」を真剣に考えるべきではないか、と佐伯氏は問いかけているのです)

 確かに、「より多くの快楽を得たい」「より便利に生活したい」というのは、現代人の本性のようになっている。経済成長も、我々の生活に組み込まれている。しかし、この映画はまた、その気になれば、このグローバル競争の時代に、都市のニュータウンの真ん中で、細やかながらもこのような生が可能なことをも示している。

 経済成長を否定する必要はないが、その傍らで、脱成長主義の生を部分的であれ、採り入れることはできる筈であろう。

(「『人生フルーツ』と経済成長 脱成長主義を生きるには」佐伯啓思《異論のススメ》『朝日新聞』2017年6月2日)

 

 

 (3)当ブログにおける「佐伯啓思」関連記事の紹介

 

 佐伯啓思氏は、入試頻出著者です。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

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ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

   

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2

 

予想問題/「シェアの未来/翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 大塚英志氏は入試頻出著者です。

 大塚氏の論考は、最近では、立命館大学、関西大学、文教大学、大阪教育大学等で出題されています。

 最近、大塚氏は、「シェアの未来」「翼賛に通じる『共有』賛美」(〈耕論〉『朝日新聞』2018年6月15日)を発表しました。

 この論考は、短いながらも、現代文明批判として、鋭い問題意識を含んでいます。

 このような問題意識に、難関大学の入試問題作成者は注目するのです。

 そこで、現代文(国語)・小論文対策として、今回の記事で、この論考を、大塚氏の他の論考も紹介しながら、詳細に解説します。

 

 

朝日新聞デジタル

朝日新聞デジタル

 

 

 

(2)予想問題/「シェアの未来」「翼賛に通じる『共有』賛美」 (大塚英志〈耕論〉『朝日新聞』2018・6・15)

 

 

大政翼賛会のメディアミックス: 「翼賛一家」と参加するファシズム

大政翼賛会のメディアミックス: 「翼賛一家」と参加するファシズム

 

 

 

(本文は太字になっています)

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

 

(「翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志)

 「シェアによって様々な問題が解決し、新しい時代がくるという見方に、そもそも違和感があります。シェアハウスは昔は「下宿」、民泊は「民宿」。海賊版だって、ウェブ上では「シェア」を自称していますよ。

 

(当ブログによる解説)

 「シェアリング・エコノミー」とは、物・サービス・場所などを、多くの人と共有・交換して利用する社会的な仕組み。

 自動車を個人や会社で共有するカーシェアリングをはじめ、ソーシャルメディアを活用して、個人間の貸し借りを仲介するさまざまなシェアリングサービスが登場しています。

 シェアエコノミー。シェアエコ。共有型経済。

 「共有経済」は、共有の社会関係によって統御される経済を指します。

 

  

(「翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志)

 所有への執着が減ったという議論も表層的でしょう。1980年代、ブランドものを身にまとい、人にどう見られるかを目的とする「消費による自己実現」が指摘されました。いまは見せるツールがウェブになっただけで、「インスタ映え」のために消費して、誰かの「いいね」で自己が確立できた気分になる、という構造は同じです。

 

(当ブログによる解説)

 人々の関心は、自己を取り巻く目に見える絆、自己承認欲求の充足、に集中しているようです。 

 そこには、「社会」や「政治」の入り込む隙間はないようです。

 

 この点について、大塚英志氏は、以下のような秀逸な指摘をしています。

「  想像力はもはや現実の「歴史」へと向かない。人々は「絆」と称し、ミニマムな世界の維持に必死である。(『月刊未来まんが研究所』vol.2)

  

 

(「翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志)

 むしろ、シェアという語の背後にある「共有」を賛美する空気の意味が、僕は気になります。

 1940年に近衛文麿を中心に戦時体制の確立を目指した、新体制運動下の大衆文化を研究しています。近衛新体制は「協同主義」と言って、隣組内で炊事など家事労働を「協同」で行わせたり、不用品の交換会を推進したり。それを賛美する記事が当時の新聞にいくらでも出ています。翼賛体制は、実はシェアリングエコノミーですよ。

 

 (当ブログによる解説)

 上記の「戦時体制の確立」→「協同主義」→「翼賛体制」の流れに注目してください。

 これは、「国民の一体化」、つまり、「全体主義」の確立を目指す露骨な政策です。

 

 「翼賛」は、元来は、「力を添えて助けること。補佐すること」という言葉です。

 しかし、戦前の「大政翼賛会」により、「世間的圧力による日本的ファシズム」、「反対意見を許さない総与党的風潮」をイメージする言葉となったのです。

 

 「翼賛体制」とは、大政翼賛会を中心とする第2次世界大戦中の政治体制です。

 日中戦争の長期戦化にともない、「国防国家体制」と呼ばれた国家総力戦体制の樹立が必要となりました。

 そのためには、政府と軍部をの矛盾をはじめとする支配層内部の対立解消と、国民の自発的な戦争協力を永続化させる組織の構築が、緊急の課題となりました。

 このため、近衛文麿首相を中心とする新体制運動が展開され、1940年10月12日大政翼賛会が結成されました。


 「世間的圧力による日本的ファシズム」は、現在でも、「日大タックル問題」と「モリ・カケ問題」の背景にあると言えるでしょう。

 「翼賛体制」は、大塚氏の主張するように、決して、単なる過去の出来事ではないのです。

 

 

(「翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志)

 いま、二次創作という形でキャラクターをシェアする文化があります。大政翼賛会は「翼賛一家」というキャラクターをシェアさせました。隣組は一つの「一家」であり、八紘一宇(はっこういちう)の象徴です。朝日新聞はその意をくみ、「翼賛一家」キャラクターを使った読者の投稿漫画、つまり二次創作を募っています。このキャラクターは、ほかの分野でもシェアされ、一般の人々がこれを用いた人形劇を作るマニュアルまで作られました。

 

 (当ブログによる解説)

 「二次創作」とは、何らかの下地となる作品、表現があり、それらを元にしている創作物および創作行為を指します。 

 パロディ、オマージュと似た言葉だが、二次創作と一言で言っても、ショートショート風のものもあれば、大長編やミステリー、コメディから妄想ラブストーリーまで多種多様です。

 

 

 (「翼賛に通じる『共有』賛美」大塚英志)

 翼賛体制は、そうやって「愛国心のシェア」を進めたわけです。

 そもそも「シェア」と「社会」は同義のはず。近代化の過程で、自由主義経済がもたらす貧困や格差の問題を「社会問題」と呼び、それは解決の責任が社会にあるという意味でした。社会とは本来、責任をシェアする場です。そして、シェアした責任を遂行するシステムが「国」です。

 それがいまは、格差も貧困も自己責任論がまかり通っています。NPOや民間の善意に任せ、国家がシェアすることを忌避しようとする社会問題があまりに多い。だから、この種の自己責任論を有権者が不用意に語ることは、社会問題をシェアしない国家を許し、自身も社会のシェアを拒むということになりかねないと思います。

 

 (当ブログによる解説)

 上記の

「いまは、自己責任論がまかり通っています。この種の自己責任論を有権者が不用意に語ることは、社会問題をシェアしない国家を許し、自身も社会のシェアを拒むということになりかねない」

の部分は、重要な問題を含んでいます。

 

 「社会のシェアを拒む」ということは、「公共性」・「社会性」を拒否するということです。

 「自己責任論」を徹底すれば、「公共性」・「社会性」の存在する意味はなくなります。

 

 「漫画というメディア」においても、「社会性の欠如」は、顕著なようです。

 大塚氏は、以下のように指摘しています。

漫画というメディアには他者性(→当ブログによる「注」→客観的視点→社会性・公共性)がないんです。これは僕が前々から言ってきたことで、「私」みたいなものを全肯定してくれるような言説を少年少女漫画は積み重ね、その他者性がないがゆえに戦後史の中で肥大することができた。(『少女たちの「かわいい」天皇』)

 

 現代社会における「他者性」・「社会性」の排除の、ある意味での正当性(→誤解に基づく正当性)や、「心地良さ」を少年・少女も敏感に察知し、その状況を積極的に受け入れたということでしょう。

 
 「社会のシェアを拒む」ということは、「公共性」・「社会性」を拒否するということです。

 「公共性の軽視」、「自己責任論」の蔓延している一例として、大塚氏は、『愚民社会』の中で以下のような事例を挙げています。

(大塚) 今、震災で地域の存続が問題になっていますが、ムラ的な共同体は近代の明治期あたりで解体し始めて、昭和初頭の世界恐慌のときにほぼ崩壊しているわけです。地域の「互助システム」を使って共同体単位で日本を復興しょうとするのは世界恐慌時の政策です。農山漁村の経済更生運動、とかいうやつです。でも、失敗した。とうに旧来のムラのシステムは崩壊していたからです。結局、何をやったかといえば郷土史や民話集をつくって「郷土愛」みたいなものを「あること」にして、ファシズムの下支えとしての郷土をつくった。だから厳しい言い方をすれば、被災地の復興が進まないという責任の一つには「あなたたち、復興し得るような社会システムやモチベーションを本当は持っていないんでしょう? ということでしょう。

「(大塚) 本当になんとかしたいのだったら、東北だけはリアルなカタストロフィが今回あったわけで、それは、彼らだけは「近代」をやり直すチャン(→「復興し得るような社会システム」を構築すること)があるということです。たぶん、やらないで、中央の政治家に助成の陳情して、おしまいだと思いますが。

(『愚民社会』大塚英志 宮台真司 )

 

 

愚民社会

愚民社会

 

 

 

 「自己責任論」に、「現代のweb社会の問題性」が加わることにより、「公共性の成立」はますます困難になっているようです。

  この辺の事情について、大塚氏は、『感情化する社会』の中で以下のように解説しています。

 参考になる分析です。

「感情化」とは、著者によれば、わたしたちの自己表出が「感情」という形でのみなされ、理性や合理でなく、感情の交換のみが社会を動かすようになることであり、そこで人々は「感情」以外のコミュニケーションを忌避する

 フェイスブックの「いいね!」が象徴するように、WebではSNSにおけるコミュニケーションが端的にそれを示している。そこでの議論の多くは、相手の非難に対し論理的に反論しようと努めても、いつのまにか「感情的」な表現に陥ることが避けられない。「いいね!」とは、私はそのように「感情的」になっていませんよ、という「感情」表現としてある。

 2016年8月8日、現行天皇は生前退位について「お気持ち」を表明した。それに対し、一方で、政権側は困惑し、他方で、国民の多数が「共感」を示した。著者は、この状況を、天皇は権力に「お気持ち」を忖度させず、国民が直接「お気持ち」を忖度する関係を作ってしまったと指摘する。

 リベラル側の視点に立てば、それは一見いいことのようだが、もちろん著者はそう軽薄ではない。

「   アダム・スミスは『道徳感情論』の中で以下のように主張している。感情同士を直接「共感」させるのではなく、そのあいだに中立的な観察者を設けることではじめて適切な判断ができるようになる、そのことをスミスは「道徳」といった。天皇と国民の直接的な「共感」には、この中立的な観察者が欠けている。

 「共感」に対して批評的であること、言葉を換えれば、他者をどう理解していくかという手続きを放棄した場合、そこは「感情」だけが共振してしまう「セカイ」であり、それは「社会」とはいえない、と。

 「人々が共感し合って何が悪い?」と問う者がいるとすれば、その人は「共感」できない感情は不快である、という真実から目をそらしている。なぜなら、不快なことの多くは「感情」の外にある「現実」だからだ。だから歴史的現実をいまも過度に生きる沖縄は「不快」さの対象となる。そして、相手が自分に「感情労働」を提供しないことが、「悪」と見なされ、「反日」と見なされて、「正義」の敵とさえ見なされる。

まずは「感情」の外に立つこと、すなわち、「批評」を取り戻すこと。

「沖縄」について「コメント」される言葉は、これを措いてあるはずがない。

(『感情化する社会』大塚英志)

 

 

感情化する社会

感情化する社会

 

 

 

(「翼賛に通じる『共有』賛美」 大塚英志)

 「日本」や「愛国心」というものがシェアされて、「社会」はシェアされないなかで、しょせんは起業家向けのビジネスモデルに過ぎないシェアリングエコノミーなるものが賛美されるのは、いささかグロテスクです。

 (「翼賛に通じる『共有』賛美」 大塚英志)

 

 (当ブログによる解説)

 ここでは、国、社会、マスコミが、「社会のシェア」とは別に、「シェアリングエコノミー」を無批判に賛美していることが問題なのです。

 

 大塚氏の『愚民社会』によれば、そもそも、近代以前の日本に、「公共性の伝統」はあったのです。

 以下に引用します。

「  本当は「空気」を読むのではない形での共同体と共同体の間の利害調整とか、共同体内の合理的な利害調整が、近代以前の社会になかったのかといったら、あったはずなんです。ぼくの専門ではありませんが、民俗学では例えば水利権とかですね。ムラの中でどうやって水を再配分していくのか、村落共同体の中と、更に対立する村との間でどうやって利害調整していくのかについてはかなり合理的なシステムや、協議の具体的な痕跡が残っているので、そういうノウハウはあったわけです。

 ただ、そうしたノウハウを「近代」の中で、近代的個人や新しい公共性としてつくり変えていうことしないで、村落共同体が経済共同体として崩壊していくとともに、その課題が持ち越されなかったということですね。 

 

 確かに、近代における「公共性」構築の困難性は、否定できない側面があります。

 大塚氏は、『人身御供論』の中で、この困難性を以下のように説明しています。

「 通過儀礼とは加入礼とも表現されるように、ある「社会」に加入するための儀式である。ところが近代「社会」がかかえる本質的な困難さは加入すべき「社会」の具体像が曖昧だという点にある。

「  そもそも通過儀礼が成立するための諸条件を「近代世界」は失なっているのであり、そこで近代以前の社会が持つ通過儀礼の形式のみを社会制度として復活させたところで、もやは人は「成熟」に至れないのだ。

「  成熟の社会的手続きとしての通過儀礼とそれを可能とした諸条件が解体してしまった結果、「成熟」という主題はムラという具体の場から乖離し、国家と個人という二つの未知の領域において問題とされるようになった。

(『人身御供論』大塚英志)

 

 それでは、「公共性の構築」のために、私たちは、どのように考えていけば良いのでしょうか?

 その方向性を、大塚英志氏は、『戦後民主主義のリハビリテーション 論壇でぼくは何を語ったか』の中で、次のように提案しています。

「  戦後の日本社会が達成し得たことと達成し得なかったこととを冷静に分析し、次の世代に財産として残すべきことと、反省をもって語り伝えるべきことを、ともに歴史化していく作業がそろそろ始められていいのではないか 。

「侵略史観」と「聖戦史観」の互いに自動化した言説に引き裂かれたままの戦前の歴史以上に、戦後史は歴史化されていないのである。主体のアイデンティティの拠り所を、ぼくは「民族」というファンタジーよりは「日本国憲法」という、ぼくたちの五十年の具体的な歴史を支えてきた相応に歴史化されたファンタジーに見い出すことのほうが、まだしも妥当だと考える。日本人は戦後史にこそ誇りをもつべきだと考えるぼくは、やはりそう語らざるをえないのである (大塚英志「福田和也と『保守』の葬送」大塚英志『戦後民主主義のリハビリテーション』)

 

 『戦後民主主義のリハビリテーション』 (角川文庫)は、「戦後民主主義」を考える上で、かなり参考になる著書です。

 本書の内容は以下のようになっています。

「  オウムの時代からネットバブル崩壊、そして自衛隊イラク派遣まで「論壇」を舞台に書かれた言葉の数々。この十年、社会は急速に階級化し、「自己責任」が是とされてきた。多くの言論人とメディアが右傾化と保身に転向し、公共性が社会から失われつつある現在、著者はあえて「戦後民主主義」こそが理念としてなお有効性を持つと主張する。個人が暗黙に「空気」を読むことを要求され、語るべき言葉が沈黙する時、それはファシズムの到来ではないのか? 一貫して同じ場所から語り続けるサヨクの矜持。」 (「Book」データベース)

 

 

戦後民主主義のリハビリテーション―論壇でぼくは何を語ったか (文芸シリーズ)

戦後民主主義のリハビリテーション―論壇でぼくは何を語ったか (文芸シリーズ)

 

 

 

 「公共性の構築」における年長者の役割を考慮することも、重要でしょう。

 この点については、『少女民俗学』 の文庫版での、大塚氏の解説が参考になります。

「  相応に齢をとった旧〈おたく〉としては,価値の崩壊を指摘するよりは、古い世代に常に課せられた責務として,目の前の彼ら彼女たちに、おずおずとぼくたちも本当は持ったことがない〈倫理〉を真摯に説くことも、また必要なのかもしれない。「鏡像」の向こう側にいる他者である彼らに向かって。みんな、おやじになったのだから。

(『少女民俗学 』大塚英志 ) 

 

 また、新たな「公共性の構築」に関しては、インターネット社会における「言葉」の問題を、強く意識する必要があります。

 大塚氏の以下の見解(「インフラとしての近代はネットが可能にした」〈インターネットは「愚民化」に影響するか〉 大塚英志×宮台真司 対談全文(後)『NEWS ポストセブン』2012・2・5)は、示唆に富んでいて、大いに参考になります。 

(司会者) 次の質問を紹介致します。福岡県20代の女性からです。「ネットは、呪いの言葉で溢れているという評論もあったように、2ちゃんねるやmixiを始め、ネットが愚民化を助長しているように思います。その一方で、民意を組み上げる『一般意志2.0』だという評価もあったようですが、インターネットは反愚民化に役立つと思いますか?お二人のネットの可能性についての意見が知りたいです」

(大塚) 近代的な個人の前提は、自分の言葉を持っていて、それを発信して、なおかつ議論ができるパブリックな場が保証されているってことだったわけですね。だけれども実際にはメディアにモノを書ける人間はついこの間まで限定されていたわけです、だから、そういう意味で近代的な個人を作る前提みたいな事は理念としてはあったんだけど、ツールとしてのインフラは整ってこなかったわけです。でも今は本当に何かを言おうと思えば、各自が自分で言葉を発信できるし、それこそニコニコチャンネルで勝手に何かを言うことも可能だし・・・・。というふうに言葉を発信するツールも、議論をしていくツールも出来上がって、いわば"インフラとしての近代"はネットが可能にしたんだと思います。

 ただ、もう一つそこで重要になってくるのは、それが柳田國男の問題なんだけど、「言葉をどういうふうに作っていくのか」。その言葉は観察し記録する言葉であって、それから議論しコミュニケーションし、最終的にそこにある合意という公共性を作っていく言葉。そういったものを作っていくための、いわば言葉の技術や言語的なスキルの問題。そちらの方がインターネットはまだ提供できてないんだろうなという気がして。

 ネットに出来上がっている世論みたいなことを、いわば一つの空気として、それが「民意なんだ」と。それは多分違う形の何かなんでしょうね。民主主義ではなくてね。それを新しい民主主義と呼んで、その空気にしたがって生きていくだったならば、魚の群れとしてこの国が生きていくっていう選択で、それはまたやっていったら、中国とは違う何かなるのかもしれないけど。僕はそういうのは嫌だなと思いますけどね。

(「インフラとしての近代はネットが可能にした」 大塚英志×宮台真司 対談全文(後)『NEWS ポストセブン』2012・2・5)

 

 「真に民主的な公共性」を作り上げていくためには、「公共性構築の言葉」は慎重に吟味し、検証していくべきなのです。

 

 また、「伝統と公共性の関係」にも配慮する必要がある、と大塚英志氏は、『「伝統」とは何か』の中で次のように主張しています。

 そして、「公共性の構築」について、新たな方向性を提案しています。

「伝統」も、「歴史」と同様に「つくられた」ものである。特に今日、 ぼくたちが「伝統」と信じる習慣や思考の多くは、明治以降の近代に新たに出来上がったものだ。

 近代国家というのはそこに生きる人が、 たとえば「自分は日本人だ」という「われわれ意識」がないと成り立たない。その時、「日本」という「われわれ」の帰属先が、昔からずっとあるように根拠付けるために「伝統」が「発見」されてしまうのだ。 このような、「伝統」とは近代の中で作られたものだ、という論議は 実は全く珍しいものではない。社会学や歴史学や、いわゆる現代思想系の研究者には自明の論議であるはずだ。だから本書の立場は、その種の論議に接している人々には何をいまさら、と聞こえるかもしれない。しかし、一つの理論として「伝統」は作られたものだ、と語ることは容易だが、そのことをぼくたちが具体的に実感することは、「つくる会」の教科書をめぐる騒動一つとってもけっこう困難だ。 だから本書では、「日本」の近代において、「伝統」がいかに「作られて」いったかについて、なるべく具体的で、かつ、好奇心を持って 読んでもらえそうな事例を示し、その過程を語ることにした。

 それは結果として、「伝統」がいかに政治的に作られ、しかも、そのことは時間が経つといかに見えにくくなるかということや、「伝統」 を作ろうとするあまりに陥る袋小路の奇妙さを実感していただくことになる、とぼくは考えるからだ。

 「個」を確立させ、それぞれが自分の「心意」をことばとして表出する技術を持ち、それぞれの差異を踏まえて公共性を立ち上げようとするかつての「公民の民俗学」と、一方では「国家」の、他方では「母」 の代償としての「世間」の中で、すでにある秩序に合わせることで 「正しい選挙民たれ」と説く「世間の民俗学」の差はあまりに大きい。  

 だからこそ、ぼくは「公民の民俗学」の可能性を改めて主張する。 「群れを慕う」感情の断念から出発し、名付けられていない、定かさえないが、しかし、それぞれの「私」を出発点とし、互いの差異を自らのことばで語り合い、それらの交渉の果てに「公共性」があるのだと考えた、昭和初頭に束の間出現した「公民の民俗学」こそが、ぼくたちが「日本」や「ナショナリズム」という、近代の中で作られた 「伝統」に身を委ねず、それぞれが違う「私」たちと、しかし共に生きいるためにどうにかこうにか共存できる価値を「創る」ための唯一の手段であると考える。

  「創る」のは「伝統」ではなく、「個」から出発する「公共性」である。 その時、ぼくたちには「伝統」も「ナショナリズム」も不要となるはずである。

(大塚英志『「伝統」とは何か』)

 

 大塚氏は、過去の翼賛体制の復活を、かなり警戒しています。

 「新たな公共性構築」のためには、「新たな政策」については、「翼賛体制の復活」を避けつつ、多角的な、慎重な考察をしていく必要があるのです。

 現代への冷徹な観察と批判的考察をしていけば、大塚氏のような、「新たな政策」に対して過敏な警戒的姿勢は当然の態度と言えるのです。

 

  現在の状況をみて、大塚氏は、『ジセダイ』『平成30年論』の中で、以下のように「嫌な予感」を表明しています。

 入試頻出著者である鷲田清一氏、内田樹氏、等も、様々な著作で、以下と同様の見解を表明しているのです。

「去年あたりから『一九八四年』が売れている、という話を出版関係者からちらりと聞くようになった。今更、村上春樹の『1Q84』との混同でもないだろうし、アメドラではディックの『高い城の男』がアマゾンで映像化されたり、ここ数年、ディストピア(→反理想世界。暗黒的世界。このような世界を表現した作品)という語そのものがなじみ深い語になったように、ディストピアそのものの流行は確かにある。

 だが、それは流行というよりは、北米でも日本でもEUでも私たちの現実が『一九八四年』に近づいてしまっているからではないかと、これも月並みなことを敢えて書く。

 ぼくはこの問題に限らず、このような「月並み」な批評や議論に立ち戻るべきではないか、と考える。それ故、ここから先は『一九八四年』論と現代社会という月並みなことを今更、書くことにする

 『一九八四年』について最低限確認しておけば、1948年に執筆され、既に原著はパブリックドメインとなった古典的ディストピア小説である。

 そして今回、問題としたいのは、その1948年の創造力の中に21世紀に入って十数年も過ぎ、ポストモダンということばさえ死語となった現在が、未だにある、ということについてだ。それはつまり私たちが社会なり現実を設計するための創造力が未だ1948年、70年前かそれ以前の水準にある、ということを意味する。

 それは、当然だが、「探偵妄想」という近代初頭の病に未だ囚われていることの「古さ」とやはり重なり合う。

 それではキンドルで『一九八四年』を買って、読み進めてみよう。一応、全体のプロットは読んではいなくても何となく知っている、という前提で話を進める。

 小説の冒頭、主人公のウィンストンは「探偵妄想」に似た視線を女から感じる。

 しかし、とくにこの娘はたいていの女性よりずっと危険だ、と以前、廊下ですれ違った時、彼女は横目でこちらの内奥まで貫き通すような一瞥をくれ、心がしばし、不吉な恐怖感で溢れた。〈思考警察〉の手先かもしれないという考えさえ脳裏をよぎった。そんなことはまずありそうもなかったが 安感はついぞ消えることがなく、彼女が近くに来ると、不安に恐怖と敵意までもが入り混じるのだ。

(ジョージ・オーウェル著・高橋和久訳『一九八四年』2009年、早川書房)

 興味深いのはこの「他者への脅え」が「女性」への脅え、そしてそれを通り越して女性への「敵意」としてさえウィンストンの中にあることだ。

 こういった「探偵妄想」が決してウィンストンの妄想ではないのは、この世界では人々は居室一つ一つに設置された「テレスクリーン」で監視されているからである。このテレスクリーンは同時に端末でもあり、あらゆる情報はそこからもたらされる。

 このテレスクリーンをスマホなり、対話型スピーカー端末なりと比べること自体、自分の想像力の陳腐さの証しとなるが、しかし、アマゾンの書評の一つには、ネットのある時代に作中の事柄は古くさすぎてつまらない、というニュアンスのものがあったので、一応「テレスクリーン」という比喩で「現在」を読み解くというわかり易い説明を一度だけしておく。

 そもそも、「テレスクリーン」が予見したものはデバイスということばがなかった時点で、デバイスによって私たちの日常全てが監視可能になる、という未来である。

 私たちはスマホの画面で留守中のペットや子供、遠方に住む年老いた親を「監視」できるのであり、「テレスクリーン」の日常化に気づいていないだけの話だ。それだけでなく、私たちの現在はスマホというモニター付きのデバイスをわざわざ持ち歩き、写真で自らを頻繁に撮影し、位置情報や検索・購入履歴も、その日の心拍数や歩いた歩数、その軌跡までiPhoneは勝手に記録し、そしてビッグデータとして吸い上げていく。スマホは携帯型テレスクリーンである。つまり、テレスクリーンのコンセプトが今や私たちの日常に違和なく組み込まれているのだ。テレスクリーンではライザップのインストラクターのように、毎朝の体操をサボタージュすると叱責が飛ぶが、ランニングなりその日の歩数について誉めてくれたり叱ってさえくれるアプリも確かあるはずだ。

 一方で何か犯罪が起きれば、まるでアメドラのように被疑者なり被害者なりの足取りが監視カメラの映像として次々と報道される。「監視社会」という言い方がもはや左翼の戯言にしか聞こえない程度には、私たちは監視されることになれている。

 このように「テレスクリーン」一例だけでも私たちの社会は『一九八四年』が描いた想像力のなかにいる。それは、私たちの現在が意に反して「監視社会」になったのではなく、望んでそうなったと理解すべきだ。

 何故なら私たちの多くはこの「監視社会」をディストピアと思っていないからだ。その証拠に、『一九八四年』ではディストピアとして描かれた「監視社会」を生きながら、それを不快と難じない、あるいは快適さえと感じるメンタリティがいつの頃からか成立しているではないか。

 いや、おまえは今しがた、私たちは近代の病としての監視妄想に苛まれていると言ったばかりではないか、と反論があるだろう。だが、スマホという「テレスクリーン」は同時に私たちの自我をテクノロジーで肥大させてくれる装置である。TwitterでもインスタでもLINEでもいいが、それは、物理的な距離を超えて私たちの内面を快適に拡張している。だからこそ、「工作員妄想」もまた肥大する。

 私たちは一方では、web のテクノロジーに快適に監視され、しかし、「工作員」に疑心暗鬼になっている。「工作員妄想」に苛まれながら国家の監視に安堵している。そういう矛盾を矛盾ともはや思えなくなっている。

 そう考えると『一九八四年』をディストピア小説として読むことが可能なのか、いささか不安になる。

 ぼくが「月並みな批評」がもう一度、必要だと考えるのはそれ故だ。

 (『ジセダイ』『平成30年論』大塚英志 「第2回:まるで『一九八四年』のようだと月並に思い、そして、吐き気さえしてきた2月」2018年03月16日 更新)

 

 上記の最終部分の状況は、自由を重視する立場からすれば、自発的奴隷状況、「自由からの逃走」とも評価し得るものでしょう。

 由々しき状況です。

 大塚氏の不安は、決して「杞憂」とは言えないのです。

 現代こそ、冷徹な観察と、批判的考察は、不可欠な時代と言えるのではないでしょうか。 

 

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

(3)大塚英志氏の紹介

 

大塚 英志(おおつか えいじ、1958年8月28日)は、批評家、民俗学者、小説家、漫画原作者、編集者。

国際日本文化研究センター研究部教授であり、東京藝術大学大学院映像研究科兼任講師も務める。

2006年から2014年まで神戸芸術工科大学教授及び特別教授、2014年から2016年までは東京大学大学院情報学環特任教授も務めた。

【主な受賞歴】サントリー学芸賞社会・風俗部門(『戦後まんがの表現空間 記号的身体の呪縛』)、角川財団学芸賞(『「捨て子」たちの民俗学―小泉八雲と柳田国男』)

 

【単著】

『システムと儀式』(本の雑誌社:1988年、ちくま文庫:1992年)

『物語消費論 「ビックリマン」の神話学』(新曜社:1989年、角川文庫『定本 物語消費論』:2001年)

『子供流離譚 さよなら〈コドモ〉たち』(新曜社:1990年)

『物語治療論 少女はなぜ「カツ丼」を抱いて走るのか』(講談社:1991年)

『戦後民主主義の黄昏 わたしたちが失おうとしているもの』(PHP研究所:1994年)

『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』(文藝春秋:1996年、角川文庫:2001年)

『戦後民主主義のリハビリテーション 論壇でぼくは何を語ったか』(角川書店:2001年、角川文庫:2005年『GQ』1999年9月号~2001年3月号、『Voice』2000年3月号~2001年4月号連載の時評と『諸君!』『論座』『中央公論』等の論壇誌に掲載した評論をまとめたもの)

『「おたく」の精神史 1980年代論』(講談社現代新書:2004年、朝日文庫:2007年、星海社新書:2016年『諸君!』1999年10月号~2000年10月号連載)

『サブカルチャー文学論』(朝日新聞社:2004年、朝日文庫:2007年、『文學界』1998年4月号~2000年8月号連載)

『物語消滅論 キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」』(角川Oneテーマ21:2004年)

『「伝統」とは何か』(ちくま新書:2004年)

『憲法力 いかに政治のことばを取り戻すか』(角川Oneテーマ21:2005年)

『更新期の文学』(春秋社:2005年、『早稲田文学』2004年5月号~2005年5月号連載)

『村上春樹論 サブカルチャーと倫理』(若草書房:2006年)

『怪談前後 柳田民俗学と自然主義』(角川選書:2007年、『群像』2002年8月号~2004年2月号連載)

『公民の民俗学』(作品社:2007年、『「伝統」とは何か』に補論を加えて改題したもの)

『偽史としての民俗学 柳田國男と異端の思想』(角川書店:2007年、『怪』連載)

『護憲派の語る「改憲」論 日本国憲法の「正しい」変え方』(角川oneテーマ21:2007年)

『物語論で読む村上春樹と宮崎駿 構造しかない日本』(角川oneテーマ21:2009年)

『大学論 いかに教え、いかに学ぶか』(講談社現代新書:2010年)

『物語消費論改』(アスキー新書:2012年)

『社会を作れなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門』(角川EPUB選書:2014年)

『メディアミックス化する日本』(イースト新書:2014年)

『感情化する社会』(太田出版:2016年)

『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』(星海社新書:2017年)

 

【共著】

(大澤信亮)『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(角川oneテーマ:2005年)

(川口創)『「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』(角川グループパブリッシング:2009年)

(世界まんが塾)『世界まんが塾』(角川書店:2017.3)(ひらりん)『まんがでわかるまんがの歴史』(KADOKAWA:2017年)

 

【対談集】

『最後の対話 ナショナリズムと戦後民主主義』(福田和也との対談、PHP研究所:2001年)

『天皇と日本のナショナリズム』(宮台真司・神保哲生の鼎談相手の一人、春秋社:2006年)

『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』(東浩紀との対談、講談社現代新書:2008年)

『愚民社会』(宮台真司との対談、太田出版:2011年)

 

【編著】

『「私」であるための憲法前文』(角川書店、2003年)

『読む。書く。護る。 「憲法前文」のつくり方』(角川書店、2004年)

『柳田国男 山人論集成』(角川ソフィア文庫、2013年)

『神隠し・隠れ里 柳田国男傑作選』(角川ソフィア文庫、2014年)

『動員のメディアミックス 〈創作する大衆〉の戦時下・戦後―』(思文閣出版、2017年)

『東大・角川レクチャーシリーズ 00 『ロードス島戦記』とその時代 黎明期角川メディアミックス証言集』(KADOKAWA、2018年)

 

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

  

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

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予想問題「脳の中の古い水路」福岡伸一『世界は分けてもわからない』

(1)はじめに/なぜ、この記事を書くのか?

 

 「私たち」とは何か?

 人間とは何か?

 世界とは何か?

 「見る」とは、どういうことか?

 世界認識とは何か?

 「人間と世界の関係」を、どのように考えるべきか?

 科学とは何か?

 分析とは何か?

 「部分と全体の関係」を、どのように考えるべきか?

 

 これらの哲学的科学論、人間論は、現代文(国語)・小論文における入試頻出事項、入試頻出論点です。

 これらの論点についての秀逸な論考としては、『世界は分けてもわからない』(福岡伸一)が挙げられます。

 この論考は、最近の入試頻出著書です。

 そこで、今回は、この著書の中の「脳の中の古い水路」を題材とした予想問題の解説をします。

 

 なお、今回の記事の項目は以下の通りです。

 記事は約1万字です。 

(2)予想問題/「脳の中の古い水路」福岡伸一『世界は分けてもわからない』/2012明治大学過去問

(3)補足説明①/『世界は分けてもわからない』について

(4)補充説明②/『動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない』(日高敏隆)について

(5)福岡伸一氏の紹介

 

 

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

 

 

 

(2)予想問題/「脳の中の古い水路」福岡伸一『世界は分けてもわからない』/2012明治大学過去問

 

 

(問題文本文)

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 


【1】空耳、というものがある。実際には音がしていないのに、音が聞こえたり、呼ばれてもいないのに名を呼ばれたような気がすることである。あるいは最近では、外国語の歌詞が変な日本語に聞こえたりすることも若い人たちのあいだでは空耳というそうで、それを集めた番組やサイトもあるという

【2】実は、それと同じようなことは目で見ていることに対しても起こりうる。それを仮にここでは「空目(そらめ)」という風に呼んでみたい。百聞は一見にしかず、あるいは、自分の目で実際確かめなさい、とはよくいわれることだが、これまでたどってきたとおり、実は、私たちがこの目で見ていると思っていること自体、私たちの内部で、あらかじめ水路づけされたものの上に成り立っている。ただし、私がここでいう空目とは、全く存在しないものが見える、いわゆる幻視のことではない。本当は全く偶然の結果なのに、そこに特別のパターンが見えてしまうとき、それを空目と呼びたいのである。

【3】私は、小さい頃から、自動車や列車の前面が、人の顔に見えてしかたがなかった。外車や改造車は、いかにもそれに乗っている人間に似て、居丈高な顔や怖そうな顔に。古い車は、まぬけなカエルに。世界は不思議な顔に満ちている。いつしか、私は、空目の画像をコレクションするようになった。

【4】尊敬してやまない昆虫写真家の 海野和男さん。彼の撮影したカメムシ。二人の、あまり強そうではないお相撲さんが仲よく並んでいる。ちょっと前には、アメリカですごいトーストが見つかった。トースト、つまりただの焼いたパンである。これが、オークションに出品されて2万8千ドルもの高値がつけられたという。なぜ? それはトーストの中央に、奇跡のマリア像が浮かび上がっているからである。すごい。なにがすごいかといえば、そういわれてみると、確かにそう見えるところが。今頃、パンはカビだらけになってしまっていないだろうか。

【5】マリアだけではない。恩寵は私たちのすぐそばにある。 1 ただそれがあまりに身近すぎるところに起こるというのもどうだろうか。マーマイト(というケチャップみたいな調味料)のフタの裏にもキリストは立ち現れるのだ。

【6】1996年に打ち上げられたNASAの探査衛星マーズ・グローバル・サーベイヤーが火星に最接近し、その表面に鮮明な映像を捉えた。そこには複雑で、奇妙な起伏が広がっていた。それをじっと眺めていると、そこには実にたくさん人工的な意匠が隠されていることに気づく。ゴリラに似た横顔、ぬりかべ、マスクをかぶった怪人、はたまたなどが見えると話題にもなりました。たまたまオバQまで。実にさまざまな顔が潜んでいる・・・・。

【7】私たちは、本来、ランダムなはずのものの中に〔 X 〕を見出す。いや、見出さずにはいられない。顔は、火星の、あるいは岩壁の表面にあるのではない。私たちの意識の内部にある。

【8】コンピュータ・グラフィック技術によって、非常に滑らかに変化する表面を描いたとする。例えば、超未来的な宇宙船。恒星からの強い光を浴びて船首はまぶしく輝き、他方、船尾は暗い宇宙に溶け込んでいる。そんな画像である。コンピュターは計算によって、暗黒と輝きとのあいだに、濃淡の階調がほんのわずかずつ、精密に減少するような完全に数学的なグラデーションを作り出す。

【9】むろん、人間の眼は、ある段とその前後の段との階調の差は、あまりにも微妙すぎて気づくことができない。つまり、どこを見てもトーンジャンプを検出することはできない。だから、このようにして描出された宇宙船は、あたかも天使の布で磨きぬかれた大理石のように、かぎりなく滑らかで美しい表面を体現するはずである。理論的には。

【10】ところが事実は全く異なる。このようにして正確に計算されて作り出された宇宙船は、しばしばギザギザや縞模様が浮かび上がった、極めて汚い表面をもってしまうのだ。

【11】私は、このようなことをセガの技術者、平山尚氏が書いている一文を興味深く読んだ。一体、何が起こっているのだろうか。ギザギザや縞模様は、数学的な処理の問題に起因しているのではない。また、コンピュータの液晶はや画像表示の仕組みに問題があるからでもない。私たちの認識のあり方に由来するのだ。その証拠に、しばしばギザギザや縞模様は、ゆらぎ、あちこちに移動し、見るたびに変幻自在に動く。

【12】おそらくそれは、私たちの内部にある眼が、あまりにも滑らかすぎる光景にいらだち、右往左往しているのである。そのあげくに無理矢理、境界線を、トーンジャンプを作り出し、そこに何らかの〔 Y 〕を見出すべく必死にもがいているのである。私たちの脳に貼りついた水路づけは、ここまで頑迷なものなのである。

【13】網膜上にはたくさんの視細胞が稠密(ちゅうみつ)に並んでいる。それはちょうどデジタル・カメラの画素のようなもので、おのおのレンズを通してやってくる光の強度を認識する。視細胞は認識した光の強度を神経繊維を通じて脳に伝える。一方、視細胞は互いに隣どうしの細胞と連携をとって、情報を交換している。ある視細胞にことさら強い光が入ってきたとする。この細胞はそれを信号に変えて、強い光が入ってきたことを脳に伝達する。そのとき同時に、隣の視細胞に対して、抑制的な情報を送る。「この光は俺が受け取ったから、おまえたちはそんなにさわがなくていいよ」と。ちょうど外野フライを捕球する野手が他の人間の動きを抑制するように。

【14】すると、どのようなことが起こるだろうか。周りが静まることによって、強い光を受け取った視細胞からの信号がことさら強調されることになる。つまり、2 コントラストがより明確化され、そこに境界線が作り出される。細胞と細胞のあいだのこのようなやりとり、つまり強い信号をより際立たせるための仕組みは、側方抑制と名づけられている。

【15】全く同じように説明できるわけではないが、滑らかすぎる変化に、人工的なギザギザや縞模様が出現してしまう空目も、このような細胞間の側方抑制的な仕組みが作用していると考えることができる。輪郭のないところに輪郭を求めるあまり、視細胞は、変化する階調のあらゆる場所で、側方抑制をかけてははずし、かけてははずすことを繰り返して、縞模様を 3 消長させているのだ。

【16】かつて私は、私の本の若い読者からこんな質問を受けたことがある。
なぜ、勉強をしなければならないのですか、と。そのとき、私は、十分答えることができなかった。もちろん今でも十分に答えることはできない。しかし、少なくとも次のようにいうことはできるだろう。

【17】連続して変化する色のグラデーションを見ると、私たちはその中に不連続な、存在しないはずの境界を見てしまう。逆に不連続な点と線があると、私たちはそれをつないで連続した図像を作ってしまう。つまり、私たちは、本当は無関係なことがらに、因果関係を付与しがちなのだ。なぜだろう。連続を分節し、ことさら境界を強調し、不足補って見ることが、生き残る上で有利に働くと感じられたから。もともとランダムに推移する自然現象を無理にでも関連づけることが安心につながったから。世界を図式化し単純化することが、わかることだと思えたから。

【18】かつて私たちが身につけた知覚と認識の 4 水路はしっかりと私たちの内部に残っている。しかし、このような水路は、ほんとうに生存上有利で、ほんとうに安心を与え、世界に対する、ほんとうの理解をもたらしたのだろうか。ヒトの眼が切り取った「部分」は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。

【19】私たちは見ようと思うものしか見ることができない。そして、見たと思っていることも、ある意味ですべてが空目なのである。

【20】世界は分けないことにはわからない。しかし、分けてもほんとうにわかったことにはならない。つまり、私たちは世界の全体を一挙に見ることはできない。しかし大切なのはそのことに自省的であるということである。

【21】滑らかに見えるものは、実は毛羽立っている。毛羽立って見えるものは、実は限りなく滑らかなのだ。 

【22】【ラスト段落】5 そのリアルのありようを知るために、私たちは勉強しなければならない。

(福岡伸一『世界は分けてもわからない』)

 


ーーーーーーーー

 

(設問)

問1 傍線部 1 「ただそれがあまりに身近すぎるところに起こるというのもどうだろうか」という表現には、筆者のどのような気持ちが表されているか。最適なものを、次の中から選べ。

A 高貴な方々の姿形が、安っぽいものに出現することに対する罪悪感。

B 神聖なものが、卑俗なものの中に出現することに対する戸惑い。

C 聖なる人々が、日常品の中に出現することによって、汚れてしまうという不安。

D 尊い聖人の姿形が、本当に現実の世界に出現するのだろうかという猜疑心。


問2 空欄X・Yに共通して当てはまる言葉として最適なものを次の中から選べ。

A 映像   B 認識   C リアル   D パターン


問3 傍線部 2 「コントラスト」とはどういうことか。最適なものを次の中から選べ。

A 対照   B 対象   C 対称   D 対症


問4 傍線部 3 「消長」の使い方として、最適なものを次の中から選べ。

A ランプが消長するのは、注意の合図である。

B 文明の消長は、歴史の中で証明されている。

C 彼の姿が消長してから、もう10年近くなる。

D 火事がようやく消長したので、ひと安心だ。

 

問5 傍線部 4 「水路」という比喩の意味として、最適なものを次の中から選べ。

A 連続   B 存在   C 推移   D 関係

 

問6 傍線部 5 「そのリアルのありようを知るために、私たちは勉強しなければならない」とは、どういうことか。

A 無関係なことに因果関係を見出そうとするヒトの習性を、学ぶことによって追求し、「空目」と呼ばれる現象について、いつかその成り立ちを解明しようとすること。

B ヒトの認識の多くは妄想でしかなく、ほとんどが「空目」であることをよく理解し、その欠点を補うためには常に勉強し、努力をしなければならないということ。

C ヒトが見ることのできる世界の姿は、常に一部分でしかないことを自覚し、そうであるがゆえに、理性的で冷静な思考と判断を心掛けなければならないということ。

D 滑らかに見えるものと毛羽立って見えるものが、実は同一のものであることを判断できるようにするためには、常に新しい知識を吸収する必要があるということ。

 


ーーーーーーーー

 

(解説・解答)

問1(傍線部説明問題)

 傍線部直前の「恩寵」(→①神や主君から受ける恵み・慈しみ。②キリスト教で、人類に対する「神の愛」・「神の恵み」。恩恵)とは、【4】段落の「奇跡のマリア像」、【5】段落の「マリア」、「キリスト」をさしています。

 

 このことを読み取った上に、以下の段落に注目してください。

【4】「尊敬してやまない昆虫写真家の 海野和男さん。彼の撮影したカメムシ。二人の、あまり強そうではないお相撲さんが仲よく並んでいる。ちょっと前には、アメリカですごいトーストが見つかった。トースト、つまり、ただの焼いたパンである。これが、オークションに出品されて2万8千ドルもの高値がつけられたという。なぜ? それはトーストの中央に、奇跡のマリア像が浮かび上がっているからである。すごい。なにがすごいかといえば、そういわれてみると、確かにそう見えるところが。今頃、パンはカビだらけになってしまっていないだろうか。」

【5】「マリアだけではない。恩寵は私たちのすぐそばにある。 1 ただそれがあまりに身近すぎるところに起こるというのもどうだろうか。マーマイト(というケチャップみたいな調味料)のフタの裏にもキリストは立ち現れるのだ。」

の文脈に注目すると、「恩寵があまりに安直に出現すること」に対する筆者の「戸惑い」(B)が感じられます。

 

(解答)B

 

問2(空欄補充問題)(キーワードを問う問題)

 空欄X・Yの直前・直後を精読することが必要です。

 その上で、特に注目するべき段落は【2】・【12】・【17】段落です。

【2】「実は、それと同じようなことは目で見ていることに対しても起こりうる。それを仮にここでは「空目(そらめ)」という風に呼んでみたい。百聞は一見にしかず、あるいは、自分の目で実際確かめなさい、とはよくいわれることだが、これまでたどってきたとおり、実は、私たちがこの目で見ていると思っていること自体、私たちの内部で、あらかじめ水路づけされたものの上に成り立っている。ただし、私がここでいう空目とは、全く存在しないものが見える、いわゆる幻視のことではない。本当は全く偶然の結果なのに、そこに特別のパターンが見えてしまうとき、それを空目と呼びたいのである。

【12】「おそらくそれは、私たちの内部にある眼が、あまりにも滑らかすぎる光景にいらだち、右往左往しているのである。そのあげくに無理矢理、境界線を、トーンジャンプを作り出し、そこに何らかの〔 Y 〕を見出すべく必死にもがいているのである。私たちの脳に貼りついた水路づけは、ここまで頑迷なものなのである。」

【17】「連続して変化する色のグラデーションを見ると、私たちはその中に不連続な、存在しないはずの境界を見てしまう。逆に不連続な点と線があると、私たちはそれをつないで連続した図像を作ってしまう。つまり、私たちは、本当は無関係なことがらに、因果関係を付与しがちなのだ。なぜだろう。連続を分節し、ことさら境界を強調し、不足補って見ることが、生き残る上で有利に働くと感じられたから。もともとランダムに推移する自然現象を無理にでも関連づけることが安心につながったから。世界を図式化し単純化することが、わかることだと思えたから。 」

 

(解答)D


 なお、「空目」は古文の世界でも使用されています。
 意味としては、以下のようになっています。

① 見まちがえ。

② 見そこない。

③ ありもしないことを見たように思うこと。

 

 『源氏物語』の中でも、以下のように空目は使われています。

「光ありと見し夕顔の上露(うはつゆ)にたそかれ時の空目(そらめ)なりけり」(『源氏物語』「夕顔」)

(光り輝いていると見た夕顔(の花)の上の露のようなお顔は、夕暮れ方の見間違えでございました)

 

問3(傍線部説明問題)(単語力・語彙力を問う問題)

 「コントラスト」の辞書的意味は、
 「①対照。対比。②写真・テレビ画像などで、明るい部分と暗い部分との明暗の差。明暗比」です。

 

 この辞書的意味をもとにして、以下の文脈を精読すると、Aの「対照」が正解になります。

【13】網膜上にはたくさんの視細胞が稠密(ちゅうみつ)に並んでいる。それはちょうどデジタル・カメラの画素のようなもので、おのおのレンズを通してやってくる光の強度を認識する。視細胞は認識した光の強度を神経繊維を通じて脳に伝える。一方、視細胞は互いに隣どうしの細胞と連携をとって、情報を交換している。ある視細胞にことさら強い光が入ってきたとする。この細胞はそれを信号に変えて、強い光が入ってきたことを脳に伝達する。そのとき同時に、隣の視細胞に対して、抑制的な情報を送る。「この光は俺が受け取ったから、おまえたちはそんなにさわがなくていいよ」と。ちょうど外野フライを捕球する野手が他の人間の動きを抑制するように。

【14】「すると、どのようなことが起こるだろうか。周りが静まることによって、強い光を受け取った視細胞からの信号がことさら強調されることになる。つまり、2 コントラストより明確化され、そこに境界線が作り出される。」

 

(解答)A

 

問4(傍線部説明問題)(単語力・語彙力を問う問題)

 消長の意味は「勢いが衰えたり盛んになったりすること。盛衰」です。

 「消長」は入試頻出語句です。

 

(解答)A

 

問5(傍線部説明問題)(キーワードを問う問題)

 以下の二つの段落を熟読すると、Dの「関係」が正解だと分かります。

傍線部直前の

【17】「連続して変化する色のグラデーションを見ると、私たちはその中に不連続な、存在しないはずの境界を見てしまう。逆に不連続な点と線があると、私たちはそれをつないで連続した図像を作ってしまう。つまり、私たちは、本当は無関係なことがらに、因果関係を付与しがちなのだ。なぜだろう。連続を分節し、ことさら境界を強調し、不足補って見ることが、生き残る上で有利に働くと感じられたから。もともとランダムに推移する自然現象を無理にでも関連づけることが安心につながったから。世界を図式化し単純化することが、わかることだと思えたから。」、

傍線部を含む

【18】かつて私たちが身につけた知覚と認識の 4 水路はしっかりと私たちの内部に残っている。しかし、このような水路は、ほんとうに生存上有利で、ほんとうに安心を与え、世界に対する、ほんとうの理解をもたらしたのだろうか。ヒトの眼が切り取った「部分」は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。

 

(解答)B


 【17】段落に関して、『世界は分けてもわからない』の中に興味深い記述があるので、以下に引用します。

「私たちヒトの祖先がこの地球上に出現たのは今から七百万年も前のことである。700万年の時間のほとんどを、ヒトは常に、怯え、警戒しながら暮らしてきたはずだ。いつ、どんな危険に直面するかわからない。いかなる未知と遭遇するか予想できない。

 だから、私たちは、遠い草原のかなたに、あるいは森の暗がりの中に、いち早く、生物の有無を見出し、かつその敵味方を判別することが求められた。」

 見た途端にある形が浮かぶのは、周囲の世界を秩序立てようと勝手に、ある輪郭を作り、線引きをしてしまう、人間の習性が原因のようです。

 人間の祖先が、外敵をいち早く察知しようとした、生存戦略上の防御反応の名残なのでしょう。

 

問6(傍線部説明問題)

 以下の段落を熟読すれば、C(→「ヒトが見ることのできる世界の姿は、常に一部分でしかないことを自覚し、そうであるがゆえに、理性的で冷静な思考と判断を心掛けなければならないということ」)が正解ということが分かります。

【19】「私たちは見ようと思うものしか見ることができない。(→「ヒトが見ることのできる世界の姿は、常に一部分でしかないこと」→C)そして、見たと思っていることも、ある意味ですべてが空目なのである。」

【20】「世界は分けないことにはわからない。しかし、分けてもほんとうにわかったことにはならない。つまり、私たちは世界の全体を一挙に見ることはできない。しかし大切なのはそのことに自省的であるということである。」

【21】「滑らかに見えるものは、実は毛羽立っている。毛羽立って見えるものは、実は限りなく滑らかなのだ。」

【22】【ラスト段落】「 5 そのリアルのありようを知るために、私たちは勉強しなければならない。

 

 A・B・Dについては、このような記述は本文にはないので、誤りです。 

 

(解答)C

 

 本文の趣旨、この設問から思い出されるのは、カエサルの以下の言葉です。

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない(カエサル)」

 有名なこの言葉は、『ローマ人の物語』(塩野七生)の中で、以下のように紹介されています。

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」

 

 

 

(3)補足説明①/『世界は分けてもわからない』について

 

 『世界は分けてもわからない』の「エピローグ」で、福岡伸一氏は、以下の文章で締めくくっています。

「この世界のあらゆる要素は、互いに関連し、すべてが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界には部分が無い。部分と呼び、部分として切りだせるものもない。そこには輪郭線もボーダーも存在しない。

 そして、この世界のあらゆる因子は、互いに他を律し、あるいは相補している。物質・エネルギー・情報をやりとりしている。そのやりとりには、ある瞬間だけを捉えてみると、供し手と受け手があるように見える。しかしその微分を解き、次の瞬間を見ると、原因と結果は逆転している。あるいは、また別の平衡を求めて動いている。つまり、この世界には、本当の意味での因果関係と呼ぶべきものもまた存在しない。

 世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。

 分けてもわからないと知りつつ、今日もなお私は世界を分けようとしている。それは世界を認識することの契機がその往還にしかないからである」

 

 上記を読むと、何とか「世界の真理」に接近しようとする、福岡氏の一途な気持ちが、よく分かります。

 

 また、『世界は分けてもわからない』という題名の由来は、次のように説明されています。

 「生命現象において部分と呼ぶべきものはない。このことは古くから別の表現でずっと言われ続けてきたことでもある。

 たとえば次のように。

 全体は部分の総和以上の何ものかである。

 たしかに生命現象において、全体は、部分の総和以上の何ものかである。この魅力的なテーゼを、あまりに素朴に受け止めると、私たちは、すぐにでもあやういオカルティズムに接近してしまう。ミクロなパーツにはなくても、それが集合体になるとそこに加わる、プラスαとは一体何なのか。

 それは実にシンプルなことである。生命現象を、分けて、分けて、分けて、ミクロなパーツを切り抜いてくるとき、私たちが切断しているものがプラスαの正体である。それは流れである。エネルギーと情報の流れ。生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報の効果にこそある。」


 上記の

「生命現象を、分けて、分けて、分けて、ミクロなパーツを切り抜いてくるとき、私たちが切断しているものがプラスαの正体である。それは流れである。エネルギーと情報の流れ。生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報の効果にこそある。

の部分は、何度も読み直すべきでしょう。

 


 (4)補充説明②/『動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない』(日高敏隆)について

 

動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)

動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)

 

 

 

 『世界は分けてもわからない』を読み、すぐに思い出されるのは、『動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない』(日高敏隆)(筑摩書房)です。

 日高敏隆氏は、入試頻出著者であり、『動物と人間の世界認識』は入試頻出著書です。


 この本の要旨は、「物質として存在する客観的な世界があっても、動物と人間では見えているものが違う」ということです。

 

 動物が何を見て、それぞれ、いかなる「環世界」を持っているか、を探るために行われたネコ、イヌ、ハエ、チョウなどの生態観察・研究が、分かりやすく紹介されていて、興味深い内容になっています。
 
 『世界は分けてもわからない』に関連している記述は、以下の通りです。

「それぞれの動物は、それぞれの環世界を持っていて、それは我々が見ている客観的な世界とは違ってそのごく一部分を切り取って見ている」

「それぞれの動物は、音、匂い、光、色などへの自分の知覚の枠内で、周りの環境の中から自分に意味のあるものを認識し、それらの組み合わせによって自分の世界を構築している」

「彼らは環世界を構築して、その中で生きているのであって、自分たちの周りに如何にさまざまなものが実在していようとも、自分たちの環世界にないものは、彼らにとって存在しないに等しい

「人間以外の動物たちも身の回りの環境をすべて本能によって即物的に捉えているわけではなく、むしろ本能があるゆえに、それによって環境のなかの幾つかを抽出し、それに意味を与えて自らの世界認識を持ち、その世界の中でのみ行動している。それら世界は決して客観的な存在ではなく、あくまで個々の動物主体により抽出、抽象された主観的なものである。」

「それぞれの動物が見ている世界は、みな客観的な認識ではなくて、イリュージョン(→「錯覚」)による認識ということなる」


 つまり、「あらゆる生物は人間を含め、それぞれ『色眼鏡』なしには、ものを見ることはできない。人間が客観的に、つまりは、科学的に事象を見ることができると思うのは誤りであり、思い上がり」だということです。


 そして、日高敏隆氏は、人間の「イリュージョン」の特質に注目します。

 見えているものがイリュージョンである動物たちの中で、人間は「概念によるイリュージョン」を持っています。

 人間は知覚の枠を越えて理論的にイリュージョンを構築できるのです。

 それが、「概念によるイリュージョン」です。

 「概念によるイリュージョン」により、見えないものを見えるものに転化(→「空目」、「奇跡のマリア像」、「マーマイトのフタの裏のキリスト」など)することがあるのです。

 

 ある意味で、私たちは、視覚の世界では、「概念によるイリュージョン(錯覚)」に拘束・支配されている、と評価できるのでしょう。



(5)福岡伸一氏の紹介

 

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福岡伸一(ふくおか  しんいち)

1959年東京生まれ。京都大学卒。

米国ハーバード大学研究員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学理工学部 化学・生命科学科教授。分子生物学専攻。専門分野で論文を発表するかたわら、一般向け著作・翻訳も手がける。

 

2007年に発表した『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)は、サントリー学芸賞、および中央公論新書大賞を受賞し、ベストセラーとなる。

他に『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス・講談社出版文化賞)

 

『ロハスの思考』(ソトコト新書・木楽舎)、

『生命と食』(岩波ブックレット)、

『できそこないの男たち』(光文社新書)、

『動的平衡』(木楽舎)、

『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)、

『ルリボシカミキリの青』(文春文庫・文藝春秋)、

『生命科学の静かなる革命』(インターナショナル新書・集英社インターナショナル)

など、著書多数。

 

 最新刊は『ツチハンミョウのギャンブル』(文藝春秋)。

 『動的平衡』は現在3巻まで刊行されている。

 また、対談集『動的平衡ダイアローグ』が出版されている(いずれも木楽舎刊)。

 

 

ツチハンミョウのギャンブル

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動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

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動的平衡2 生命は自由になれるのか

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動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ

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 美術ではヨハネス・フェルメールの熱心なファン。

 現存画は必ず所蔵されている場で鑑賞することをポリシーとしていて、著書の発表や絵画展の企画にも携わっている。

  

 

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)

 

 

 

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 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

    

 

 

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