現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

現代文・小論文・予想問題解説『さらば、資本主義』(佐伯啓思)①

(1)現代文(国語)・小論文・予想出典(問題)ー『さらば、資本主義』(佐伯啓思)(新潮新書)ーなぜ、この本に注目したのか?

 【1】本書の紹介

  本書は2015年10月20日に発行されました。

 本書は、月刊「新潮45」連載の「反・幸福論」(2014年9月号~2015年6月号)に加筆を施し、改編したものです。

 「加筆を施されている」ので、佐伯氏の最新の考察を読むことができます。 

 全体の構成は以下のようになっています。

 

第1章 今こそ、脱原発の意味を問う

第2章 朝日新聞のなかの “ 戦後日本“

第3章 失われた故郷をもとめて

第4章 ニヒリズムへ落ち込む世界

第5章 「グローバル競争と成長追求」という虚実

第6章 福沢諭吉から考える「独立と文明」の思想

第7章 トマ・ピケティ『21世紀の資本』を読む

第8章 アメリカ経済学の傲慢

第9章 資本主義の行き着く先

第10章 「がまん」できない社会が人間を破壊する

 

【2】本書に注目した理由

 以下に、本書に注目した理由を列挙します。

① 佐伯啓思氏は、入試現代文(国語)・小論文における入試頻出著者です。そして、本書は佐伯氏の最新の著作です。  

 佐伯氏の論考は、最近では、神戸大学、新潟大学、早稲田大学(政経)・(文)、立教大学、法政大学、中央大学、関西大学等で出題されています。

 ② 「脱原発問題」の論点・テーマは、3・11東日本大震災後の、現代文(国語)・小論文において流行論点・テーマになっています。→第1章参照

③ このところ問題になっている「集団的自衛権」に関連して、「憲法改正問題」・「憲法9条改正問題」が論点化、テーマ化しています。

 さらに、「国民と国家の関係」・「愛国心」が、最近では、流行の論点・テーマになりつつあります。→第2章参照

④ 「資本主義の限界・病理」の問題は、最近流行の頻出論点・テーマです。

 「資本主義の限界・病理」は、「不景気問題」・「格差問題」・「非正規雇用問題」・「少子化社会の問題」として論点化、テーマ化しています。→第3・5・7・8・9・10章参照

⑤ 「グローバル化(国際化)」は最近では、トップレベルの頻出論点・テーマです。

 個別的には、「新自由主義」・「TPP問題」・「新帝国主義」・「文化帝国主義」・「政治的帝国主義」・「経済的帝国主義」・「小学校英語教育」の論点・テーマとして、現代文(国語)・小論文で出題されています。→第4・5・6・7・9・10章参照

 

 以上の理由により、私は、本書は難関大学の現代文(国語)・小論文対策用の予想問題作成にかなり有用ではないかと、考えたのです。

 

 

 

 (2)佐伯啓思氏の紹介

 

 1949(昭和24)年、奈良県生まれ。社会思想家。京都大学名誉教授。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞。

 

著書は、

『隠された思考』(筑摩学芸文庫)(サントリー学芸賞)

『時間の身振り学』(筑摩書房)→神戸大学、早稲田大学(政経)で出題

『「アメリカニズム」の終焉』(中公文庫)(東畑記念賞)

『現代日本のリベラリズム』(講談社)(読売論壇賞)

『現代社会論』(講談社学術文庫)

『自由とは何か』(講談社現代新書)→立教大学、法政大学で出題

『反・幸福論』(新潮新書)→小樽商科大学で出題

『倫理としてのナショナリズム』(中公文庫)→関西大学で出題

『日本の宿命』(新潮新書)

『正義の偽装』(新潮新書)

『西田幾多郎・無私の思想と日本人』(新潮新書)

など多数。

 

(3)現代文・小論文・オリジナリル予想問題・解説

ー第6章「福沢諭吉から考える『独立と文明』の思想」を題材として作成

 

 今回は、本書の中から第6章「福沢諭吉から考える『独立と文明』の思想」についての、当ブログ作成のオリジナル予想問題を解説します。

 

【なぜ、第6章に注目したのか?】

① 第一の理由は、福沢諭吉の論考、特に、『文明論之概略』は、最近では、慶応大学・小論文(総合政策)(商学部)、早稲田大学・現代文(文化構想)などで出題されています。

 このように、『文明論之概略』は、難関大学の入試現代文(国語)・小論文で頻出だからです。

 

② 第二の理由は前述しましたが、重要なことなので、再び、ここで述べます。

 ここのところ、一般社会で論点化している「集団的自衛権」・「憲法改正問題」を契機として、最近では、難関大学の入試現代文(国語)・小論文でも、「国家論」・「国家と国民の関係論」・「民主主義論」・「愛国心」が、流行になりつつあるからです。

 

 従って、現代文(国語)・小論文対策として、今回のこの記事を、しっかり理解しておいて下さい。

 

(4)第6章の解説(概要の解説)

 

 以下に、第6章の「見出し」毎に、「佐伯氏の論考の概要」を示しつつ、「当ブログの解説」を記述していきます。

 なお、①・②・③・・・・は、「当ブログで付記した段落番号」です。

 また、青字は「当ブログによるフリガナ・注」です。

 赤字は「当ブログによる強調」です。

 

【1】「明治日本で最高の書物」

 (佐伯氏の論考の概要)

 「『文明論之概略』は、明治日本が生み出した最高の書物の一つでしょう。今日読んでも実に教えられることが多いからです。」

 

 ーーーーーー

 

 (当ブログによる解説)

 (1)『文明論之概略』は、1875年(明治8年)に刊行。西洋文明と日本を比較した文明論です。

 田口卯吉の『日本開化小史』とともに、文明開化期の在野史学における代表的論考と評価されています。 

 福沢諭吉の著作としては、『文明論之概略』は、『西洋事情』、『学問のすすめ』とともに当時のベストセラーになりました。

 ベストセラーになったということは、その当時も、急速にグローバル化が進展し、そのことについて問題意識を抱いていた人々が多かったということです。

 その当時も、一定数のインテリが、いたことが窺われます。

 

【2】「目的は独立維持」

(佐伯氏の論考の概要)

「① 近代の入り口にあって、福沢が、西洋をモデルとして日本を文明化すべしと説いたことは誰もが知っている。そして、西洋科学、議会主義、民主主義(民権)、市場経済などを日本に導入すべしと唱えた人物なり、という安直なレッテルを貼り付けられています。

② しかし、福沢は、決して単純な文明主義者でも、西洋主義者でも、進歩主義者でもありません。

③ では、この書物の何が今日のわれわれをも、ひきつけるのか。今日、われわれは、この書物から何を得ることができるのか。『文明論之概略』を材料にして、今日われわれが直面している問題の所在を論じてみたいのです。

④ そのために、この書物の結論であり、その主張のエッセンスがつまっている最終章(第10章)「自国の独立を論ず」をざっとみてみましょう。

⑤ この章の結論は、日本にとって緊急かつ枢要なことは「国の独立」の一点にある、ということです。福沢は、この書物で「文明とは何か」を論じた後に、最後に、文明化とは、端的にいえば独立を確保するための手段だという。『文明之概略』は、西洋列強が力によって世界を支配しようとしている、まさにその中で、日本の独立を確保すべく書かれた書物でした。 

⑥ ここには、かなり大事な問題があるのです。」

 

 ーーーーーー

 

 (当ブログの解説)

(1)⑤段落の「西洋列強が力によって世界を支配しようとしている、まさにその中」は、明治維新期の世界情勢の説明です。

 つまり、「帝国主義」、「植民地主義」の説明です。

 しかし、この説明部分は、「単なる過去」の解説ではありません。

 「現在」にも通ずる問題なのです。

 それが、佐伯啓思氏の問題意識です。

 そして、この佐伯氏の問題意識は、最近の入試現代文(国語)・小論文における、頻出論点・テーマでもあります。

 従って、この点を、以下に詳説します。

 

(2)「帝国主義」とは、一つの国家が自国の民族主義・文化・宗教・経済体系等を拡大する目的で、あるいは、領土・天然資源等を獲得する目的で、軍事力を背景として他国家を侵略しようとする思想・政策です。

 「植民地主義」とは国家主権を国外に拡大する思想・政策です。

 「帝国主義」と「植民地主義」とは、当然、表裏の関係にあります。

 「帝国主義」は、第二次世界大戦後に事実上、終焉し、「脱植民地化」が進行しました。

 

(3)しかし、現在では「文化帝国主義」、「経済的帝国主義(自由貿易帝国主義)」、「政治的帝国主義(過度の政治的影響力の行使)」が進展しています。

 「文化帝国主義」とは自国の文化・言語を他国に植え付け、他文化・他言語との差別化を促進する政策・行為です。

 「英語帝国主義」は、「文化帝国主義)の一部です。 

 「文化帝国主義」は、それを推進する側が有用性・一般性・普遍性を強調する形態をとることが多いのです。

 

(4)最近における「小学校英語教育の強化政策」の論点は、この「文化帝国主義」の一部である「英語帝国主義」の、「自発的・受身的な受容」の視点から考察すると、かなり問題性があると思います。

 ある意味で、「自主的・受身的植民地化政策」と評価しうる政策です。

 この点については、鈴木孝夫氏(言語学者)の秀逸な論考(『日本の感性が世界を変える・言語生態学的文明論』(新潮選書))を題材にした予想問題記事を制作することを、現在、検討中です。(鈴木氏は、難関大学の入試現代文(国語)・小論文の頻出著者です。)

 

(5)また、「小学校英語教育」については、この記事を書いている時に、施光恒(せ・てるひさ)氏の注目すべきインタビュー記事がありましたので、ここで、報告します。

 そのインタビュー記事は、2016年9月8日の朝日新聞に掲載されました(オピニオン&フォーラム「異議あり」)。

 施氏の紹介は、「教育改革にダメを出す政治学者 施光恒さん」となっています。

 「大見出し」は「英語強化は民主主義の危機 分断も招く」、小見出しは「苦手な人は人生の選択肢が保障されず、社会の意思疎通も不十分に」です。

 今現在、政府は「英語強化の改革」を進めています。

 「小学校で英語を教科に格上げし、大学では授業を英語でするよう求める」改革です。

 この「改革」に対して、施氏は、「これでは日本はだめになる」と批判しています。

 施氏は、九州大学准教授で、専攻は政治理論、政治哲学です。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『TPP 黒い条約』(共著)(集英社新書)、『英語化は愚民化』(集英社新書)等があります。

 『英語化は愚民化』は、最近、出版されたものです。

 インタビューを読むと、「英語教育の強化」の論点・テーマを「民主主義」や「日本社会のコミュニケーションの分断」の視点から批判していて、とても興味深い内容になっています。

 いかにも、難関大学の入試問題作成者が好みそうな内容です。

 私も『英語化は愚民化』を熟読して、記事化を検討してみたいと思います。

 

(6)今や、欧米諸国は自国のグローバル企業群と連携して文化・経済・政治的等の各分野毎に、巧妙な仕掛けで「帝国主義的な拡大政策」を実施しています。

 現代世界は、一見、明治維新前後の時代とは大きく異なっているようですが、実質的には同じと考えるべきです。

 「国家」や「国民」の「アイデンティティ」・「自律性」・「存立」の危機が現実化している時代なのです。

 以上のように考えると、福沢諭吉の『文明論之概略』は現在においても、かなり参考になると思います。

 

 ーーーーーー

 

 (佐伯氏の論考の概要)

「⑦ 明治とは、200年余りにわたる鎖国を解き、一気に、いわばグローバルな世界へと乗り出した時代でした。この時代の日本に対して、福沢は実は、大変な危機感を持っていたのです。それが、この書物を書いた理由でもありました。それを概略、次のように述べています。

⑧ 世の識者は、日本が西洋に対して遅れをとった理由を旧来の封建的で古風な習慣に求め、維新という大改革によって古習を一掃のしようとした。

⑨ 確かに、改革は進み、旧態の風習はほぼ破棄された。そこで、どうなったか。人々はいう。学問も仕官もただただカネのため、銭の向かうところ天下に敵なし。

⑩ 確かに、これは人々にとって実に気楽な時代である。しかし、ここにこそ、この時代の危機がある、と福沢はいうのです。

⑪ たとえば、政府は学問を広めようと学芸を支援し、学者は学校で人々を教え、翻訳家は原書を訳して世に広めている。この意味では確かに文明は広まっているが、人々の品行は一向に向上せず、また、そもそも学芸に身を委ねるものも、その学芸に本心から命も(なげう)つような覚悟など持ってはいない。これでは、ただの安楽世界で楽に生きようとしているだけだ。

⑫ これが福沢の時代認識だったのです。これでは、まったくこの時代の深刻さがわかっていない。文明開化などといって浮かれている場合ではない、というのです。」

 

 ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

(1)福沢諭吉の時代認識・危機感は、「安楽世界」という表現に集約されています。

 まさに、「反知性主義」の蔓延です。

 「文明開化に浮かれる民衆」は、「愚民化した民衆」そのものと言ってよいでしょう。

 ただ、「民衆」というのは、そういう傾向の強いものです。

 

(2)問題は、「学芸に身を委ねるもの」の怠慢です(⑪段落)。

 つまり、学者・翻訳家が、「その学芸に命も(なげう)つような覚悟などもってはいない」ことが問題なのです。

 啓蒙する立場の人間達が、このような状況では、民衆を真に教化することは、できません。 

 学者や翻訳家達に、使命感がないこと、つまり、時代認識が甘いことが、原因でしょうか。

 

 

【3】「ナショナリティの正体」 

(佐伯氏の論考の概要)

「① どこに問題があったのでしょうか。そもそも、どうして文明化が重要かというと、それは国の独立を保つためではなかったのか。西洋文明を取り入れること自体が目的ではない。福沢は、こう言うのです。

② 考えてみれば、国の独立が課題となるのは、まさにグローバリズムの時代になったからではないのでしょうか。鎖国政策のままでは、西洋列強に侵略されることは時間の問題だったのです。

③ では、このグローバルな世界の中で独立を保つとは、どういうことなのか。これは、そんなに分かりやすい課題ではありません。

④ そこで、福沢は次のようなことを述べる。

⑤ 独立を保つということは、このグローバル世界において「」をもつ、ということである。「」とは、軍事力や経済力もありますが、何より「国体(→当ブログによる注→①国家の状態。国柄。②国のあり方。国家の根本体制。③主権の所在により区別される国家形態)」、つまり「ナショナリティ(→当ブログによる注→①国民性。民族性。②国情。国風。)」の堅固さのことなのです。ここで「国体」あるいは「ナショナリティ」とは、禍福をともにして寄り集まった人々であり、他国のことより自国のことにいっそう関心を注ぎ、自国民のために力を尽くす独立した人たちだ、というのです(第2章)。必要なのは「報国心(→当ブログによる注→「愛国心」という意味)」です。「報国心」は国に対する公の意識ですが、それはまた、自国中心主義で、「偏頗心(へんぱしん)(→当ブログによる注→一方に偏った不公平な心)」です。「立国」とは確かにある意味では国家的エゴイズムなのです。しかし、それでよい。」

 

ーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

(1)開明的な民主主義者として著名な福沢諭吉が、「力」・「国体」・「ナショナリティ」・「偏頗心」を強調していることに、違和感を感じる人もいるかもしれません。

 しかし、この時代の世界情勢を意識してください。

 当時、東南アジアの国々は欧米諸国に植民地化されていました。

 その状況を直視した福沢諭吉は、「日本の独立」こそが緊急の課題と考えたのでしょう。

 

(2)⑤段落における、「『報国心(愛国心)』は自国中心主義で『偏頗心』です。『立国』とは確かにある意味で国家的エゴイズムなのです。しかし、それでよい」の部分は、現在の日本人には、理解しにくいかもしれませんが、世界的常識です。

 日本人が、この辺の問題を誤解しているようです。

 本来、「国際協調主義」は、各国の「愛国心」・「自国中心主義」・「国家的エゴイズム」を前提にしています。

 だからこそ、「協調」が問題となるのです。

 世界各国は、日本のように、「自己(自国)」を犠牲とする「集団(世界)中心主義」は採用していません。

 

 ーーーーーーー

 

(佐伯氏の論考の概要)

「⑥ では、どうして西洋諸国は強固な国を作ったのか。それは、西洋では「人間交際」がきわめて活発に行われ、「人民は智力活発」であるがゆえに、科学が発達し、産業を進展させ、強力な軍事力をもつにいたったからだ。この場合、もっとも根底にあるものは、精神の活発な働きなのです。そして、この精神を活発に働かせるような「人民の気風」こそが福沢のいう「文明」にほかならないのです。

⑦ それゆえ、文明とは、社会制度や衣食住の習慣などの外的なものではなく、何よりも精神の働きだった。そして、この精神の働きを活性化させるものは、その国の民衆がもっている「智恵」と「徳義」なのです。しかも、それは全国人民に広がった智徳にほかなりません。「智徳」を向上させることこそが文明の基礎になるわけで、いってみれば、「民度(→当ブログによる注→市民の政治的・社会的・文化的意識のレベル。市民社会としての成熟度のこと。民主主義下における、国民の主権者としての政治的自覚のレベルを意味する場合もある)」あるいは「国民のレベル」を高める以外にない、ということなのです。

⑧ 西洋には、精神の働きを活発にするような「人民の気風」がありました。それがゆえに西洋は文明国になった。

⑨ かくて、西洋の侵攻から国を守り、独立を保つには、西洋並みの「文明化」を図るほかないのです。人民の気風を高め、智徳を向上させるほかないのです。

⑩ しかし、日本のように、西洋諸国以上に長い歴史伝統をもつ国に、そんなことが可能なのでしょうか。西洋的な学術や技術を学べば、自動的に人民の気風が高まり、智徳が向上するのでしょうか。そんな簡単な話ではないでしょう。

⑪ そこに、この時代に対する福沢の大きな危惧があったのです。外国のことなどよく知らない大衆は、利得と安楽をもっぱらにするでしょう。「報国心」などといっても容易ではありません。」

 

ーーーーーー

 

(当方ブログの解説)

(1)この部分では、⑥段落の、「人間交際」→「人民は智力活発」→「精神の活発な働き」→「人民の気風」→「文明」という、キーワードの流れを把握してください。

 

(2)⑦段落における「智徳」は、福沢諭吉のキーワードです。

 注意してください。

 

(3)⑦段落の「民度」は、難関大学の入試現代文(国語)・小論文のキーワードです。

 しっかり理解しておいて下さい。

 

ーーーーーー

 

(佐伯氏の論考の概要)

「⑫ 問題は、識者、つまり、学者やジャーナリストといった知識人なのです。しかし、大半の知識人は、ヨーロッパ模倣の欧化主義者か、もしくは硬直した国体論をもちだす「皇学(→当ブログによる注→江戸中期に興った、文献学的手法による古事記・日本書紀・万葉集等の古典研究の学問。儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を探究することが目的であった。主な学者として、契沖(けいちゅう)、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)がいる。国学。古学)者流」か、あるいはキリスト教など持ち出して、地球上の人民は等しく平等にして皆兄弟だ、などと理想を唱える。

⑬ それらは、すべて間違っています。現実をみれば、ただ文明程度の高い国が低い国を支配しようとしている。いかなる国も富と力を蓄えようとしている。「戦争」と「貿易」こそが今日の世界の現実だ、というのです。」

 

 ーーーーーー

 

 (当ブログによる解説)

(1)この部分では、福沢諭吉の「識者」・「知識人」批判を取り上げています。

 福沢諭吉は、「彼らは世界の『現実』を見ていない」と主張しています。

 そして、「『戦争』と『貿易』こそが今日の世界の現実だ」』と断言しています。

 この福沢諭吉の「断言」に対して、現代の日本人は反発を感じるかもしれません。

 しかし、現代の世界には、確かに、このような冷徹な一面があるのです。

 現在の、混乱している世界情勢を直視してください。

 

 (2)「皇学」「国学」「古学」の知識は、入試現代文(国語)・小論文でも、読解問題の前提知識として必要な場合があります。

 もちろん、現代文・古文(国語)の設問として問われることも頻出です。

 注意しておいて下さい。

 

 

【4】「貿易も戦争も国力の発動である」

 (佐伯氏の論考の概要)

「① こうなると、福沢の論は、まさしく140年たったこの21世紀のグローバリズムの時代とそれほど変わらないのではないでしょうか。19世紀後半は、植民地主義、帝国主義の時代と呼ばれました。福沢は、その時代の様相を的確に捉えていた。文明化は、必ずしも世界を平和にするわけでも、人間の品性を高め、性格を穏やかにするわけでもありません。人間交際は、一方で、精神の働きを活性化するけれども、それは利をめぐる競争や争いをも、もたらすのです。だから、グローバリズムとは、世界的規模での競争や戦争の時代を生み出してしまうのです。

③ 自由主義的なグローバルな市場競争が、戦争をもたらすことも十分にあるのです。

④ それは、貿易も、結局、力の発動にほかならないからです。ともに、国益をめぐる争いなのです。それがグローバル経済の現実なのです。

⑤ 国とは、あくまで偏頗心(へんぱしん)(→当ブログによる注→一方に偏った、不公平な心)、つまり、「私情」によって支えられており、「市場」ができれば偏頗心報国心もなくなるというものではない。「貿易」も国力の発動であり、また、国力の原因だ、というのです。

⑥ ここでいっているのは経済についての態度、経済観の問題なのです。自由貿易や自由競争が「天下の公道(→当ブログによる注→「公道」は「正しい道理」という意味)」である、などという「結構人(けっこうじん)(→当ブログによる注→①好人物。お人よし。②馬鹿正直な人物)の議論」を鵜呑みにしてはならない、と戒めているのです。

⑦ そんな、のんきなことをいっている場合ではない。西洋諸国は、いかにも「天下の公道」に則ったかのようなことをいっているが、実際には自らの利を求めているだけだ。偏頗心、つまり「私情」によって動いている、という。 」

 

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(当ブログの解説)

(1)ここでは、福沢諭吉の「自由貿易」・「自由競争」批判を取り上げています。

 「自由競争」・「自由貿易」とは、大国が「私情」、つまり、「自国の利益」のために推進する政策だ、と主張しているのです。

 言い換えれば、現代でいえば、大国のグローバル企業の行動の自由を保証する政策です。

 「弱肉強食」状態の野放し容認政策と、言えます。

 

ーーーーーー

 

(佐伯氏の論考の概要)

「⑧ もしも、独立を忘れて文明だけを強調するとどういうことになるのか。福沢は次のようなことをいいます。なかなか面白いので、彼の書いていることを追っておきましょう。

⑨ わが国では、今日、港の様相は、ほとんど西洋と変わらなくなった。外国人は日本を賛美している。それを見て、人は日本の文明は日進月歩(→当方ブログによる注目→「絶え間なく進歩する」という意味)だと得意になっている。しかし、これは全くの誤解だ。外国人は、別に日本を賛美しているのではなく、日本の茶や絹糸に関心をもっているだけだ。港の船は外国船にすぎないし、陸の商館は外国人の住居にすぎない。そんなことは日本の独立文明とは何の関係もないことだ。

⑩ 外国からモノを買い入れて、それを国内に陳列して文明の観を装っている者もいる。これでは、日本は文明の寄留地に過ぎないではないか。このような商売の景気や、文明の外観は、結局、国を貧しくして、長い年月の後に必ず自国の独立を害するであろう。

⑪ こういうのです。まさに今日と、さして変わらない状況ではないでしょうか。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログの解説)

(1)福沢諭吉は、明治期における「反知性主義」的現象を批判しています。

 文明の外観のみの重視。 

 国家の独立の軽視、あるいは、独立精神についての無自覚。

 これらを、福沢諭吉は、危機感とともに、鋭く批判しているのです。 

 

ーーーーーー

 

 (佐伯氏の論考の概要)

「⑫ ためしに今日われわれの見ている状況を、これに倣(なら)って述べてみましょう。 

⑬ わが国では、現在、空港には外国資本のホテルや商店ができている。外国人は日本人の礼儀正しさや法の秩序を誉めそやす。これをみて、わが日本人は、日本は一級の文明国になったと喜んでいる。時には、外国人の間で「おもてなし」や「かわいい」ブームが起きている、などと誇らしげだ。だが、バカをいうな。外国人は、ただ治安が良いから日本へ観光やビジネスに来ているだけだし、日本の電気製品やヘルシーな日本食に関心があるだけだ。また、外国資本が日本に入ってきて、いくらビジネスをしようが、利益はもっていかれるだけで、「独立日本」とは何の関係もない。

⑭ さらに、自由貿易だとかTPPだとかいって、安い外国産の食品や衣類などをショッピングセンターではずらっと並べ、日本の消費者のためだなどといっている。実際には、このおかげで日本国内では職がなくなり、利益をあげているのは外国なのだ。確かに、日本は多少は景気がよくなり、文明の外観を呈しているものの、これでは本当の文明の生まれる国ではないだろう。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログの解説)

(1)⑬段落の「時には、外国人の間で『おもてなし』や『かわいい』ブームが起きている、などと誇らしげだ。だが、バカをいうな。」の部分は、佐伯氏の気持ちが素直に出ていて、興味深いです。

 確かに、テレビや新聞などのマスコミなどをみると、外国人にほめられて、バカのように有頂天になっています。

 もう少し冷静に対応するべきです。

 日本に対する全面的な称賛ではないのですから。

 佐伯氏の論考を読んで、改めて考えてみると、現代の日本の状況も、文明開化の時期と同じことに、驚愕というか、ガックリします。

 全然、進歩していません。

 

 前述した「文化帝国主義」・「経済的帝国主義」等に、すっかり呑み込まれている感じです。

 しかし、難関大学の現代文(国語)・小論文においては、かなり前から、このようなグローバル化を鋭く批判する論考は、頻出です。 

 だからこそ、このブログでも、この記事を発表するのです。

 現在の日本の、お先真っ暗な状況の原因の一つは「自由主義経済」の進展です。 

 競争激化が招く「コストカット」、つまり「正社員数カット」・「非正規雇用の拡大」、そして、「若者の低収入化」の背景に、「グローバル経済化の進展」・「自由主義経済の進展」があります。

 

(2)経済は、確かに、重要な問題です。

 しかし、「国家の独立」、つまり、「国家のアイデンティティ」・「国家の自律性」・「国家の主体性」を重視・確立しないと、長期的にみて、国家は没落してしまいます。

 「本当の文明」を保持していない国家は、必ず没落することは歴史が証明しています。

 この点で、福沢諭吉の危機感は、決して杞憂(きゆう)ではないのです。

 

 

【5】「『かざりじゃないのよ、文明は』」

(佐伯氏の論考の概要)

「① 福沢は、文明化することそのものよりも、独立の方を重視したのです。今日でいえば、グローバル化するよりも、独立の方が大事だ、ということです。ここで「独立」とは、国民の間に広がる独立の「気風」なのです。見せかけの繁栄や虚飾の富に騙されるな、といっているのです。

(②~⑥は省略しました)

⑦ これでは、ほとんど「外面的な文明化」に走っただけで、内実はついてきていません。これは福沢がもっとも恐れたことなのです。

⑧ 福沢の「文明」の定義は、人間精神の活発化であり、それは「智徳」に支えられたものでした。それが、ただ西洋模倣、アメリカ的なものの模倣と受容、グローバリズムや近代主義の制度的な受容が、逆に精神をきわめて一方向へ偏ったものにしてしまったのです。

⑪ 独立こそが目的で、文明はその手段である、という『文明論之概略』のもっとも重要な主題が再び、たち現れてくるのです。「独立」とは、それ自体が何よりはまず「精神の働き」でした。今日、あらゆる国が経済的相互連関に組み込まれ、安全保障も一国で孤立してはできません。

 ⑫ しかし、そうであればこそ、グローバル化を前提に、自国をどのようにするのか、それを自らの意志で決めるという態度が必要になります。今日、「独立」とは何より「独立しようとする意志」であり、それは矜持(きょうじ)(→当ブログによる注→「自負。プライド」という意味。入試における最頻出語句です)であり、ディグニティ(→当ブログによる注→「威厳。高潔さ。品位」という意味)というものでしょう。

⑬ それは、一人ひとりの「(→当ブログによる注→①品性。社会的価値を有する性質。善・正義を重視する人格的態度。②広く他に影響を与える望ましき態度)」であり、その「」によってたつところに「一身独立」が生まれるのです。そして、「一身独立」の気風が国民に広がったとき初めて「一国独立」が達成されるのです。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

(1)⑫段落の「グローバル化を前提にして、そのなかで、自国をどのようにするのか、それを自らの意志で決める、という態度がなければなりません」の部分は、第6章全体のキーセンテンスです

 最重要な一節です。

 このキーセンテンスの言い換えが、「独立しようとする意志」・「矜持」・「ディグニティ」・「 」になっていることを確認してください。

 

  佐伯氏は、「独立の『気風』」・「独立精神」・「精神の独立」・「プライド」を持て、ということを主張しています。

 「欧米文明の猿真似」の悲惨さを直視せよ、と警告しているのです。

 欧米文明への盲目的な追従は、「プライド」の不存在の証明でしか、ないのです。

 

 「一身独立」とは、「個人」の「アイデンティティ」・「主体性」・「自律性」の「確立」を意味しています。

 「一国独立」とは、「国家」の「アイデンティティ」・「主体性」・「自律性」の「確立」を意味しています。

 それゆえ、「一身独立」が、「一国独立」の前提になるのです。

 

 

 しかし、国民が「真の自由」を保持し続けることは、容易ではないのです。 

 このことも、歴史が証明しています。

 このことを知るために、本来、我々は「世界史」・「日本史」を学ぶのです。

 

 ①段落にあるように、「見せかけの繁栄や虚飾の富」に騙されているうちに、知らぬ間に、「自由」は奪われてしまいます。

 「ナチス・ドイツの全体主義」・「アメリカの禁酒法」などをみれば分かるように、「国民の自由」は、たやすく奪われてしまう側面があるのです。

 

(2)「日本国家のアイデンティティ」・「日本国民のアイデンティティ」を考察することについては、「日本古来の伝統や精神」が基盤となります。

 「日本古来の伝統や精神」に関しては、最近、興味深い論考があったので、ここで、紹介しておきます。

 それは、2016年9月11日の産経新聞(「一服どうぞ」)に掲載された、千玄室(せんげんしつ)(裏千家前家元)氏の「今、憲法見直しの時期」という題名の論考です。

 以下に、千玄室氏の論考の一部の概要を引用します。

「第二次世界大戦で敗れた日本にアメリカ主導の憲法が制定されて70年、あちらこちらで憲法改正の声が挙がっている。改憲は改悪という人々がいるが、真の理念を正すべきであろう。

 アメリカは日本を統治して日本古来の伝統や精神を骨抜きにしようと、教育や家族関係全てを封建的とした。そして、民主主義を徹底させ、それが実行できる国に造り直すための憲法も指導し作り上げた。

 永い歴史と伝統や伝承は、そうたやすくひっくり返されるものではない。アメリカのように建国の浅い国とは根本的に異なるのである。

 戦後すぐに、アメリカの日本統治政策を批判した、ヘレン・ミアーズ氏の『アメリカの鏡・日本』という著作がある。アメリカの指導者の日本観が間違っていることを指摘し、負けた日本の事どもをアメリカは学ぶべきだという。直ちに出版差し止めとなったが、最近また出版され、アメリカの学者・政治家がそれを取り上げている。

 ミアーズ氏は、戦後の日本政策改革委員の1人として占領政策に関わった方であるが、アメリカのGHQや科学者・経営者を痛烈に批判し、日本をアメリカの犠牲にしてはならないと述べる、追放までされた。今日の日本人は、伝えられた伝統や文化を、単に古今の夢などとは思っていないのである。」

 

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(当ブログによる解説)

 これは、一つの見識です。

 千氏は、「日本古来の伝統・伝承・精神」を重視しています。

 このような、「日本古来の伝統」を再評価していこうという方向の見解は、難関大学の現代文(国語)・小論文に頻出です。

 さらに言えば、難関大学の現代文(国語)・小論文の本流とも、評価できます。

 受験生としては、自分の主観的・政治的立場とは別に、この見解について、その論理構成・キーワードを充分に理解するようにしてください。

 

(3) 福沢諭吉の主張した「独立精神」の重視は、慶応大学の「教育理念」に引き継がれています。 

 以下に引用します。(なお、赤字は当ブログによる強調です。)

「幕末の大阪、蘭学の緒方洪庵の適塾に学んだ福沢諭吉は、故郷である中津藩の命を受け、江戸に下り、1858年(安政5年)、蘭学塾を創始。敢為な精神をもって欧米諸国を見聞した福澤は、帰国後、古いしきたりや慣習にとらわれない教育を実践しました。「独立」や「実学」など、現在も義塾が大切にしている理念は、このときすでに福澤教育の基礎となっています。」 (慶応大学のホームページより引用)

 

 ちなみに、早稲田大学の「建学の理念」においても「自主独立の精神」を重視しています。

 以下に引用します。(なお、赤字は当ブログによる強調です。)

「本学は「学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す」という建学の教旨に基づく「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」という三大教旨を建学の理念とし、その実現を今日まで図ってきた。「学問の独立」は、「在野精神」「反骨の精神」と結び合う。本学は、自主独立の精神を持つ近代的国民の養成を理想として、権力や時勢に左右されない、科学的な教育・研究を行ってきた。」(早稲田大学のホームページより引用)

 

 これらを読むと、福沢諭吉、大隈重信らの在野の指導者達が、教育の目的として、「独立精神」の養成を重視していたことが分かります。

 このことは、当時の在野の指導者達の共通認識だったのです。

 翻って、現在の在野の理論的指導者達は、このような認識を持っているのでしょうか?

 私のみるところ、それほど多くないように思われます。

 残念なことです 。

 

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 以上で、今回の記事は終わりです。

 本書については、今回以外の章からも出題される可能性が、かなりあります。

 従って、私は、さらにオリジナル予想問題解説を書く予定です。

 難関大学の入試直前期に発表する予定です。

 

 

 



 

 

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