現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題ー共謀罪と監視社会ー自由・人権・民主主義を守るためには

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 現在、最近成立した共謀罪(テロ等準備罪)の様々な問題性を指摘する論考が、数多く発表されています。

 入試対策上、それぞれの論考に目を通すことも重要です。

 しかし、このような場合には、個々の専門的・技術的な論点よりも、「自由・人権・民主主義の価値」、「脆さ・弱さを内在している『自由・人権・民主主義』をいかに確保するか」、という論点が出題されることが多いのです。

 そこで、入試現代文(国語)・小論文対策として、これらの論点を以下に解説していきます。

 

共謀罪の何が問題か (岩波ブックレット)

 

 

(2)共謀罪(テロ等準備罪)の問題性ー「監視社会」の可能性、萎縮効果

 

  「共謀罪(テロ等準備罪)ー賛成説・反対説のそれぞれの理由」については、前回の記事で解説しましたので、ぜひ参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

  「共謀罪(テロ等準備罪)の問題性」に関しては、以下の点が主張されています。

 実際に、どのようになっていくか、については、これからの政府の運用実態、歴史の推移を注視していく必要があるでしょう。

 

①  「監視社会」化の可能性

②  萎縮効果ー活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねない

③  萎縮効果の具体例ー政府の方針に科学的観点から反対することが抑圧される可能性がある

 

①  「監視社会」化の可能性

 

    「『監視社会』化の可能性」については、高山佳奈子氏の『共謀罪の何が問題か』が参考になります。以下に、概要を引用します。 

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(以下に引用する論考についても同じです) 

「  共謀罪法案の構成要件である「組織的犯罪集団」「計画」「準備行為」の内容も曖昧で実質的に限定がなく、捜査機関の判断でどのようにも運用される余地を残す。

 この法律の「方向性」として、一つは、犯罪の計画を立てそうであると判断した人物を監視すること、もう一つは、十分な証拠がなくても摘発してしまうことといった事態が予想される。それらの事態は、いずれ、国民の「内心の自由」への干渉にまで及んでいくだろう。

 捜査対象と権限が拡大し、盗聴、スパイ行為、司法取引による密告が横行するだろう。自白に頼る面が強くなるから、冤罪も増えていく。

 「共謀罪法案」はまさしく「平成の治安維持法」であり、それは「国民総監視」へと帰着していくだろう。」(『共謀罪の何が問題か』高山佳奈子)

 

②  萎縮効果ー活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねない

 

 この点については、以下の神里達博氏の主張が参考になります。

「  「治安」という価値の強調による副作用は、すでに多くの識者が指摘する人権侵害の問題だけではない。要するに活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねないのだ。そうなれば当然、「経済成長」や「イノベーション」などは望むべくもない。私たちは、そんな社会にしたいのか。いま一度、問い直す必要があるのではないだろうか。

(「テロの『恐怖』の拡散・予防措置 正当化されやすく」神里達博「月刊安心新聞」『朝日新聞』2017年6月16日)

 

③  萎縮効果の具体例ー政府の方針に科学的観点から反対することが抑圧される可能性がある

 

 萎縮効果の具体例を、「問う『共謀罪』 学問の世界から」(『朝日新聞』2017年6月17日)の中で、入試頻出著者の池内了氏(宇宙物理学者)が発言しています。以下に引用します。

「  憲法19条で思想、良心の自由を侵してはならないとされているが、法案が成立すれば計画に合意し、準備行為をした段階で罪になる。拡大解釈で内面に介入され、政府批判をしただけで捜査対象となるのではないかと心配だ。科学者の歴史を振り返ると思想が裁かれたことがある。原爆開発のマンハッタン計画の責任者だったロバート・オッペンハイマーだ。1950年代、アメリカでは共産主義を追放していた。彼も共産主義を信奉していたと疑われ、国会機密に接する権利を剥奪された。米国で英雄とされた科学者も国の政策が変わると、思想が摘発された。現在の日本ではオッペンハイマーのように思想が罪になることはない。ただ、『共謀罪』が成立すると、準備行為で罪になる。心の中を問われるため、反原発など社会問題について、政府の方針に科学的観点から反対することが抑圧される可能性がある。 」 (「問う『共謀罪』 学問の世界から」池内了『朝日新聞』2017年6月17日)

 

(3)対策論ー「自由・人権・民主主義をいかに確保するか」

 

 以下では、次の論点について解説していきます。

①  思考停止をしない、政治的無関心を避ける→『茶色の朝』の紹介

②  諦観しないこと、諦めないこと→多角的検討・視点の必要性→『現代政治の思想と行動』丸山真男

③  ニヒリズムからの脱却→内田樹氏の論考

④  制度の現実の働き方を絶えず監視し、批判する姿勢→「『である』ことと『する』こと」(『日本の思想』丸山真男

⑤  政治的懐疑主義の必要性→トーマス・ジェファーソン、バートランド・ラッセル

 

 上記の「共謀罪(テロ等準備罪)の問題性」が、実際に、どのように現実化していくのかについては、これからのこの法律の運用状況を注視していく必要があります。

 それとは別に、この機会に、

「自由・人権・民主主義の価値を再認識すること」、

「脆さ・弱さを内在している『自由・人権・民主主義』を、いかに確保するか、ということ」

を改めて考察することも、重要です。

 そこで、以下では、重要な論考を紹介しつつ、特に「自由・人権・民主主義を、いかに確保するか」の論点を解説していきます。

 

茶色の朝

 

 ①  思考停止をしない、政治的無関心を避ける→『茶色の朝』の紹介

 

 「政治問題についての思考停止」・「政治的無関心」が、いかに危険で重大な結果を招くか、について、最近、注目されている『茶色の朝』(フランク・パブロフ)を紹介します。

 まず、大月書店のHPからこの本を紹介します。 「仏ベストセラー・反ファシズムの寓話。世界10ヶ国以上で出版。『ごく普通の』国家が、日々の生活に知らぬ間に忍び込み、人びとの行動や考え方をだんだんと支配するようになるさまを描いたショート・ストーリー。」

 

 次に、『茶色の朝』の「あらすじ」を書きます。

【物語のあらすじ】

 ある国の物語です。友人とコーヒーを飲みながら、おしゃべりをするのを、毎日の日課としている男がいました。ある日、主人公は、その友人が飼い犬を始末した事実を知らされました。毛色が茶色ではなかったことだけが、その理由でした。その国の政府では、茶色 (→フランスの読者には、「茶色」はナチス、ファシズム、極右の人々を連想させる色だそうです)の犬・猫が、健康的で都市生活にも適合しやすいという理由で、茶色以外のペットは飼わないことを内容とする声明を発表したばかりでした。主人公は、自分の白黒の猫をすでに処分していました。さらに、友人が彼のペットを始末した事実に少し動揺します。

 それから、二人は、これまでのように日課を続けていましたが、わずかな変化が発生しました。

 茶色以外のペットを排除する政策に批判的な新聞が廃刊になり、その系列出版社の書籍が、廃刊、起訴され、図書館から強制撤去されたのです。

 主人公は驚き、「茶色新聞」のみしか読めないことにウンザリしつつも、周囲の人間達が、これまで通りの生活を淡々と続けていくのを見て、「たぶん心配性の俺がバカなのだろう」と考えたのでした。

 次第に、主人公達は、生活が茶色一色になっていくことに、さして違和感を覚えなくなりました。主人公達は茶色のペットとの暮らしを、快適と感じるようになりました。

 だが、状況は、また変化したのです。多数の人々が逮捕され始めたのです。その中には、友人達も含まれていました。

 やがて、夜明け前に、ある「茶色の朝」に、主人公の家のドアをノックする音がします。「いま行くから」と、主人公が、ドアをノックした人に声をかける場面で物語は終わります。ノックした人は、主人公を逮捕しに来た自警団の可能性が高いのです。主人公は昔、白と黒のブチの犬を飼っていたのです。(あらすじ終了)

 

 この本は、日本語の翻訳、絵、「高橋哲哉氏(哲学者・東大教授)(→入試頻出著者です)のメッセージ」により構成されています。 

  『茶色の朝』の「高橋哲哉氏のメッセージ」は、本文より字数は多いですが、内容は実に読みやすいのです。以下に、「政治的無関心の危険性」を糾弾している、高橋氏のメッセージの一部を引用します。

 

『茶色の朝』は、私達の誰もがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、実に見事に描き出している。この物語は、日本にも無縁ではない。主人公たちが『茶色』を受容していく時に持ち出す、さまざまな『言い訳』と似たような理由をつけて、その都度『流れ』を受け入れている。

  『やり過ごさないこと』、『思考停止をやめること』が必要だ。

    しかし、『では、どうすればよいのか』という問い自体にも、問題がある。他者から指示してもらおうというのは、そこに、国や『お上』の方針に従うことをよしとするのと同型のメンタリティーがあるのではないか、と感じられてならない。」 (「高橋哲哉氏のメッセージ」『茶色の朝』)

 

 主体性のない人間達、アイデンティティの確立していない人間達、問題意識のない人間達は、「自由」・「人権」・「民主主義」を確保することは、できないと、高橋氏は強調しているのでしょう。これは、極めて正当な卓見だと、私は考えます。

 「主体性」・「アイデンティティ」・「問題意識」こそが、自分自身を守るものであることを、日本国民は強く意識する必要があるでしょう。

 

 「自由・人権・民主主義の確保」という視点に役立つと思われるので、高橋哲哉氏の「メッセージ」から、「この本が出版された背景」について、一部を紹介します。 

【この本が出版された背景】

「フランスの読者にとって、茶色はナチスを連想させる色です。「茶色」は、ナチスを連想させるだけではありません。そのイメージがもとになり、今日ではもっと広く、ナチズム、ファシズム、全体主義などと親和性をもつ「極右」の人々を連想させる色になっています。 

 1990年代に入り、東西冷戦が終結すると、西ヨーロッパでもそれまでのイデオロギー対立が後退し、民族・国民的アイデンティティによりどころを求める動きが強まって、各国・各地域に極右運動が台頭しました。西ヨーロッパ全体にこうした極右運動が広がっていくのを見て、あるフランス人はこれを「茶シャツのヨーロッパ」と名付けました。 

 フランク・パヴロフが『茶色の朝』を書いたのも、フランス社会がやがて「茶色」に染まってしまうのではないかという不安と、なんとかそれに人びとの注意を促したいという危機感のなかでのことでした。 シャン=マリー・ルペンに率いられた極右政党・国民戦線は、1980年代末ごろから大統領選挙で15パーセント前後の得票率を示し、地方都市では市長の座を占めるようになっていました。そして、1998年の統一地方選挙で国民戦線が躍進し、保守派のなかにこの極右と協力関係を結ぼうとする動きが出てきたときに、パヴロフは強い抗議の意思表示として、この作品を出版したのです。しかも、多くの人びと、とくに若い世代に読んでほしいと考え、印税を放棄し、わずか1ユーロの定価で出版することにしたのです。

 その後、驚くべきことが起こります。 2002年春の大統領選挙で、ルペン候補が社会党のジョスパン候補をおさえて第2位となり、決選投票でシラク大統領と一騎打ちを闘うことになったのです。人種差別と排外主義で知られる極右候補が決選投票に残るという前代未聞 の椿事(ちんじ)に、フランス社会は大きく動揺しました。

 まさにそのときです、人びとがこのわずか11ページの小さな物語を発見したのは。自分たちが置かれた状況の意味を理解し、何をなすべきかを考えようと、多くの人が『茶色の朝』を読みました。「極右にノンを」の運動がもりあがり、結果はルペン候補の敗北。パヴロフはその間、なんとベストセラー作家の仲間入りをすることになったのです。」(「高橋哲哉氏のメッセージ」『茶色の朝』)

 

 現在の日本の政治的状況を絶望しているだけでは、いけないでしょう。ある意味で、取り返しのつかないことになった、ということを強く反省して、その上で、これからは、どうすればよいいのかを考察することが重要になってくるのです。

 政府による「共謀罪」の乱用をどう防ぐのか。

 これからは、この点を考察していくことが必要になるのです。このことについては、以下で、さらに解説していきます。

 

 ②  諦観しないこと、諦めないこと→多角的検討・視点の必要性→『現代政治の思想と行動』丸山真男

 

 次に、「情報化社会の日本人」の「思考の弱点」について、改めて検討します。「情報化社会のマイナス面」、「情報化社会の影・夜」の論点です。

 

 ここで、参考になるのは、丸山真男氏の『現代政治の思想と行動』です。(なお、以下の部分は、2008年早稲田大学法学部の問題として出題されました。) 

「現実と本来一面において与えられたものであると同時に他面で日々造られて行くものなのですが、普通「現実」というときは、もっぱら前の契機だけが前面に出て、現実のプラスティック(→当ブログによる注→「柔軟」という意味)な面は無視されます。いいかえれば、現実とは日本では端的に既成事実と等置されます。現実たれということは既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性(→「与えられたもの」という意味。入試頻出キーワード)と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。「現実だから仕方がない」というふうに、現実はいつも、「仕方がない過去」なのです。私はかつてこうした思考様式がいかに広く戦前戦後の指導者層に喰入り、それがいよいよ日本の「現実」をのっぴきならない泥沼に追い込んだかを分析したことがあります。

 日本人の「現実」観を構成する第二の特徴は現実の一次元性とでもいいましょうか。いうまでもなく社会的現実はきわめて錯雑し矛盾したさまざまな動向によって、立体的に構成されていますが、そうした現実の多元的構造はなくいわゆる「現実を直視せよ」とか「現実的地盤に立て」とかいって叱咤(しった)する場合にはたいてい簡単に無視されて、現実の一つの側面だけが強調されるのです。再び前の例に戻れば、当時、自由主義や民主主義を唱え、英米との協調を説き、反戦運動を起こす、等々の動向は一様に「非現実的」の烙印を押され、ついで反国家的と断ぜられました。いいかえればファッショ化に沿う方向だけが「現実的」と見られ、それに逆らう方向は非現実的と考えられたわけです。」(『現代政治の思想と行動』丸山真男 )

 

(内容解説)

 丸山真男氏は、「日本人の思考の弱点」を改善するために、

〈1〉諦観しない、

〈2〉多角的検討・視点の必要性、

を主張しています。

 「多角的検討・思考・視点」とは、短期的視点のほかに、「長期的視点」を意識すること、たとえば「歴史に学ぶこと」も入ります。

 「多角的視点の獲得」については、佐藤優氏の『君たちが知っておくべきことー未来のエリートとの対話』が参考になります。

 なお、佐藤優氏の『君たちが知っておくべきこと』については、このブログで、最近、「予想問題①~③ 」の記事を発表しましたので、そちらも、ご覧下さい。

 また、『現代政治の思想と行動』が、2008年早稲田大学法学部の問題として、どのような形で出題されたか、については、下の記事( 「である」ことと「する」こと②『日本の思想』丸山真男 )を参照してください。

 

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 ③  ニヒリズムからの脱却→内田樹氏の論考

 

 「ニヒリズムからの脱却」も重要です。日本の現代社会における「『ニヒリズム』の問題性」については、入試頻出著者である内田樹氏の以下の論考が参考になります。

 

「  この共謀罪法案に「いつか来た道」を懸念する声もある。でも、僕はそう簡単に再来するとは思わない。戦前の警察組織とは敗戦で断絶しているし、思想警察をつくって社会全体を監視するにはヒトもカネも足りない。反基地運動や労働運動を一網打尽にするために使おうか、という程度だろう。政府が狙うのは「隣人を密告するマインド」の養成だ。政府には網羅的に検挙する能力がない。ならば、お上に代わって我々国民が摘発しよう、となる。 
 注目すべきは、特定秘密保護法、安全保障法制を施行させ、いままさに「共謀罪」の成立を図り、そして憲法改正をめざす流れだ。立憲主義を空洞化させ、独裁化を進めているのは明らかなのに、有権者の半数ほどが現政権を支持している。 

 多くの日本国民には主権者としての意識がない。バブルが崩壊し、国連安保理の常任理事国入りに失敗した日本は、国家目標を見失った。理想を冷笑するニヒリズム(虚無主義)も広がっている。誰もが共有できる国家目標を掲げ、ニヒリズムに対抗していかなければならない。」

(「政府の狙いは隣人を密告するマインド」 内田樹 「問う『共謀罪』 学問の世界から」『朝日新聞デジタル』2017年6月11日)

 

 内田樹氏は、現代日本社会の状況を「ニヒリズム」と評価しています。

 国家的理想も、あるべき国家観も、未来への希望も、すべて喪失しまった現代の日本の国民は、未来に展望が見いだせないために、現状維持的発想に固執してしまい、極端に保守化してしまう。

 しかし、「ニヒリズム」に埋没したままでは、発展や進歩は、ありません。「ニヒリズム」は「政治的無関心」を招来し、状況は、ますます悪化するばかりです。何とか、「ニヒリズム」から脱却する方策を模索するべきでしょう。

 具体的な方策については、以下の記述で解説します。

 

 なお、「ニヒリズム」については、最近、当ブログにおいて、重田園江氏のユニークな、本質的な哲学的論考を解説した記事を発表したので、ぜひ参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 ④  制度の現実の働き方を絶えず監視し、批判する姿勢→「『である』ことと『する』こと」(『日本の思想』丸山真男 )

 

  「自由」・「人権」・「民主主義」を確保するためには、 「各制度の現実の働き方を絶えず監視し、批判する姿勢」が不可欠です。

 この点については、古典的名著であり、入試頻出出典である、丸山真男氏の『日本の思想』の中の「 Ⅳ・『である』ことと『する』こと」が、かなり参考になります。以下に引用します。

 

「  たとえば、日本国憲法の第十二条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法第九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向かって投射したものだといえるのですが、そこにさきほどの「時効」について見たものと、いちじるしく共通する精神を読みとることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。つまり、この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ空疎な説教でもありません。それこそナポレオン三世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです。

    アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することは、さらに困難である。」といっておりますが、 ここにも、基本的に同じ発想があるのです。私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば、日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありでありうるということなのです。

 その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえなんとか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持ち主などにとっては、はなはだもって荷厄介(にやっかい)な代物(しろもの)だといえましょう。

 民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化(→絶対化)を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなりうるのです。それは民主主義という名の制度自体についてなによりあてはまる。つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。」 (丸山真男『日本の思想』〈Ⅳ・「である」ことと「する」こと〉)

 

 この論考は、 

「民主主義の本質的な脆さ、弱さ」、

自由・人権・民主主義を、いかに確保するか」、

についての見事な考察です。

 ぜひ、熟読して、よく理解するようにしてください。この論考は、現代文(国語)、小論文で、入試頻出です。

 

 なお、この『日本の思想』の解説記事を以前に発表しているので、こちらも、ご覧下さい。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 次に、自由・人権・民主主義を、いかに確保するか」の具体的方策について、考えることにします。

 この論点を考察する際に、参考になるのは、以下の『新潟日報』の「社説」です。この「社説」の視点は重要です。前述した「多角的検討・視点」、「批判的姿勢」、後述する「政治的懐疑主義」を意識しつつ、これからの『共謀罪法』の運用実態を注目していくべきでしょう。

 

「  改正組織犯罪処罰法が成立した。政権と与党が強引に成立に持ち込んだ経過を見れば不安は拭えない。捜査機関の乱用を防ぐため、国民の側が運用を厳しく監視していくことが不可欠になる。

 改めて「共謀罪」がはらむ問題点を見つめ、不適切な捜査手法や国民の生活を脅かしかねない運用拡大の動きに厳しく目を凝らしていかなければならない。

 「共謀罪」を土台にしたテロ対策が本当に有効なものとして機能するのかについてもチェックしていかなければならない。 

 議論が尽くされたとはいえない中で政権と与党が強権的に成立させた法律が、本当に国民のためになるものかどうか。それが分かるのはこれからである。」 (「『共謀罪』成立 乱用防止へ国民が監視を」「社説」『新潟日報』2017年6月16日)

 

⑤  「政治的懐疑主義」の必要性→トーマス・ジェファーソン、バートランド・ラッセル

 

 要するに、各個人が持つべき政治的姿勢としては、「政治的懐疑主義」が必要不可欠です。このことは、欧米では、政治的常識と言えます。

 アメリカ独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソン(→トーマス・ジェファーソン(1743年~1826年)は、アメリカ合衆国の政治家で、第3代アメリカ合衆国大統領 )の有名な、次の言葉があります。

信頼はどこまでも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑に基づいて建設される。

 

 つまり、本来、政府は、単なる信頼の対象ではなくて、疑いつつ監視するべき対象である、と主張しているのです。だからこそ、憲法で、三権分立制度などで、時の権力の権力乱用に一定の歯止めをかける必要性が存在するのです。

 こうした立憲主義の本質から「共謀罪法」をみた場合、「政府を全面的に信頼しておけば国民は安全・安心だ」という、一面的な、安易な考え方は、賢明ではないことが分かります。

 

 同様の趣旨のことは、バートランド・ラッセル(→バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(1872年~1970年)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家。ラッセル伯爵家の貴族であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。名付け親は同じくイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。1950年にノーベル文学賞を受賞した。)も主張しています。以下に引用します。

 「英語を話す国の特質の一つは、政党への無限の興味と信念である。国民の大部分は、ある政党が権力の座につくと、苦しめられてきた害悪が改められると心から信じ、投票する。これは政権交代が起る一つの理由である。だが、改められないので、やがてすべての政党への迷信の夢がさめる。その時、彼は老人になっている。息子が親の二の舞をふむ。この事実に対し、国民の大半が政治上何か貢献できることは、政治問題に対して全くちがった見方をすることにある。政党政治とか別の政治機関とかに依らねばならないとすれば、この政党か機関と民主主義とをどう結びつけるかが、最も差し迫った問題となる。

 政治家に、高邁さ(こうまい)(→「気高く、優れている」という意味)が欲しいと主張しても無駄である。(→日本人、日本のマスコミは、いまだに、こうしたことが分かっていないようです。)高邁さを主張する政治家は多分当選を他人に奪われる。政治家への道徳的勧告は、賄賂をとるな、と露骨に言う以外には何の役にも立たない。期待できる最上の行動は、できるだけ多くの人々が政治的懐疑論者になり、魅力的に提示される政党綱領を軽信せず、厳しく検討することである。有能で公共精神に富む人も、政治で成功するには偽善者にならなければならない。 」(『ラッセル思想辞典』バートランド・ラッセル、牧野力・編 )

 

 以上の①~⑤の「対策論」は、内容的に重複している側面がありますが、内容の重大性を考慮して、別項目として解説しました。よく理解するようにしてください。

 

(4)当ブログの「自由・人権・民主主義」関連の記事の紹介

 

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 ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後の予定です。

 ご期待ください。

  

   

 

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