予想問題「無常という事」小林秀雄・身体感覚・身体論・死生観・随筆
(1)なぜ、この記事を書くのか?
小林秀雄氏は、一時代前の思想家・文芸評論家ですが、小林氏の思想は、決して、古びていません。
それは、小林氏の論考は、「人間存在の根源」に焦点を当てているからです。
それ故に、今だに、難関大学の現代文(国語)・小論文に出題されています。
しかも、小林氏の論考は、2016センター試験にも出題され、かなり話題になりました。
小林秀雄氏は、近代日本の、文芸評論・近代批評の確立者です。
個性的な、少々切れ味の良い挑発的な文体、詩的雰囲気のある表現が、特徴です。
西洋絵画の批評や、ランボー、アラン等の翻訳にも、業績を残しました。
入試現代文(国語)・小論文の世界では、20年くらい前までは、トップレベルの頻出著者(ほぼ全ての難関大学で、最低1回は出題されていました)でした。
現在は、トップレベルではないですが、やはり、頻出著者です。
最近の入試に全く出題されていない、ということは、ありません。
最近でも、以下の大学で出題されています。
大阪大学『考えるヒント』
明治大学『文化について』
国学院大学『無常という事』
明治学院大「骨董」
なお、今回の記事の項目は以下の通りです。記事は、約1万5千字です。
(2)「無常という事」を読む際に、最初に意識するべきことについて
(3)予想問題ー「無常という事」小林秀雄の解説
(4)(追記)補充説明ー『無常という事』と「2015東大国語第1問」との共通性について
(5)小林秀雄氏の紹介
(6)当ブログにおける、「身体論」関連記事の紹介
(7)当ブログにおける、「日本の伝統的価値観」関連記事の紹介
(8)当ブログにおける、「小林秀雄氏の論考」に関連する記事の紹介
(2)「無常という事」を読む際に、最初に意識するべきことについて
① 小林秀雄氏は、ポストモダンの旗手であり、最近でも入試頻出著者です。
この名文は、近代的思考に対しての本質的・根源的な批判的考察、いわゆるポストモダン(近代原理を批判する立場)的考察がなされているので、一読する価値があります。
最近の難関大学には、近代的価値観を根本的に見直し、「人間の本質」・「人生の本質」に迫ろうとする論考、ポストモダン的論考が、かなり出題されています。
だからこそ、ポストモダンの旗手的立場にいる小林秀雄氏の論考は、最近でも、頻出なのです。
② 「無常という事」は論理の飛躍があり、分かりにくいエッセイ(随筆)です。従って、この「無常という事」を考えるについては、筆者である小林秀雄氏の思想を追跡・考察していくことにします。
本文は本文として、虚心に、素直に読むべきです。
予備知識を背景として読むべきではありません。
しかし、その著者が日々、どのような方向で、ものを考えているか?
あるいは、現代に対して、どのような問題意識を持っているのか?
ある単語・キーワードを、どのような意味で用いているのか?
を知っておくことは、有用だと思います。
従って、この「無常という事」を考えるについては、筆者である小林秀雄氏の思想を追跡・考察していくことにします。
③ 「小林秀雄氏の思索の基本姿勢」は、「自分の個人的・身体感覚的体験」を出発点にしています。このことを意識してください。
この体験を共有できるかどうか、少なくとも、この体験を共有しようとする姿勢を持てるかどうか、が小林氏の作品を理解するポイントになります。
しかも、「無常ということ」の場合は、この体験の質がきわめて宗教色・神秘性の強いものになっているのです。
そのうえ、この作品は、エッセイ(随筆)です。エッセイは、それ自体が主観性が強いのです。
従って、最低でも、「小林氏の体験を共有しようとする姿勢」が必要になるでしょう。
「小林秀雄の思索の基本姿勢は、自分の個人的・身体感覚的体験を出発点にしていること」
については、以下の内田樹氏の論考が参考になります。
(赤字は当ブログによる「強調」です)
「 鳥瞰的な、非人称的な視点ではなく、あくまで自分の『特殊な立場』に踏みとどまり、自分のまわりを見る。
『眼の前の物をはっきり見て、凡そ見のこしということをしない自分の眼力と、凡そ自由自在な考える力とを信じ』る。(「實験的精神」『小林秀雄全集第七巻』新潮社、289頁)
そこからしか学問も芸術も始まらない、と小林秀雄は言う。
そして、そういう構えを『原始的』と呼んでいる。
『何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめるというようなところがある』(282頁)パスカルを評して、小林は彼を『ものを考える原始人』だと言う。」
( 内田樹の研究室 「Just like a barbarian 」 2010年04月03日 )
強い主観性を有し、論理の飛躍の著しい、この哲学的な作品は、エッセイ(随筆)の学習には、理想的な教材と言えます。
この作品と格闘しておけば、他の哲学的論考、エッセイにも、対応する応用力が身に付くはずです。
(3)予想問題ー「無常という事」小林秀雄の解説
(小林氏の論考)
(概要です)
(【1】【2】【3】・・・・は当ブログで付加した段落番号です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
【1】「ある人いはく、比叡の御社に、偽りてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つゞみを打ちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問はれて云(いはく)、生死無常(しょうじむじょう)の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候、なう後世(ごせ)をたすけ給へと申すなり。云々(うんぬん)」
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《現代語訳》
「比叡神社で、偽って巫女のふりをした若い女房が、夜が更けて、人が寝静まった後に、ぽんぽんと鼓を打ち、心から澄んだ声で、「どうでもこうでもいいのです、ねえねえ」と謡を謡った。その意味を、あとで人に強いて問われて、このように答えた。
「生死は無常という事を思いますと、この世の事は、どうでもこうでもいいのです。後世を助けてくださいと、神様に、お願い申し上げてあげていたのです」
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(当ブログの解説)
( 問題 )なぜ、この論考は、唐突に死後(後世)の話から、始まるのか?
いささか、特異な構成だと私は思います。
このことを考えるについては、この論考が1942年、つまり第2次世界大戦中に発表されたということを考慮する必要があります。
死が日常的な問題である時代に発表されているのです。
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(小林氏の論考)
【2】これは、「一言芳談抄(いちごんほうだんしょう)」の中にある文で、読んだ時、いい文章だと心に残ったのであるが、先日、比叡山に行き、山王権現(さんのうごんげん)の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮かび、文の節々が、まるで古びた絵の細勁(さいけい)な描線を辿る様に心に染み渡った。そんな経験は、初めてなので、酷く心が動き、坂本で蕎麦を喰っている間も、あやしい思いがし続けた。あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに気に懸かる。無論、取るに足らぬ或る幻覚が起ったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利ではあるが、どうもそういう便利な考え(→近代的な知性的・理性的な思考)を信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。実は、何を書くのか判然しないままに書き始めているのである。」
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(当ブログの解説)
( 問題 ) 以下の記述は、どのようなことを意味しているのか?
「無論、取るに足らぬ或る幻覚が起ったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利ではあるが、どうもそういう便利な考え(→近代的な知性的・理性的な思考)を信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。」
小林氏は、自分の直感・現場体験を重視しようとしているのでしょう。
自分の身体で、五感で感じた出来事を噛み締め、そこから論を進めたい、と考えているのです。すべてを頭だけで観念的に考えようとする近代的・現代的な思考形式、への反発心が感じられます。
現在では、内田樹氏・養老孟司氏(→両氏とも、入試頻出著者です)などが、同様の思考態度を貫徹しています。
この問題は、論点としては、いわゆる、「身体論」と言われています。
「身体論」は、入試現代文(国語)・小論文の最頻出論点です。
だからこそ、今回の記事でこの「無常という事」を解説しているのです。
逆に言うと、「身体論」を充分に理解していないと、この「無常という事」も分からないのです。
明治時代から、「文明開化」による「西洋化・近代化」により、日本人の精神構造に、「西洋的な人間中心主義的発想」・「理性・知性重視主義」・「科学的合理主義」が流入し始めました。
そして、「身体感覚をも意識した考察」・「自然との交流」・「死後の世界との交流」(→これらこそ、日本の伝統的価値観と言えます)は、出来なくなりました。
その結果、「死」・「歴史」は、日々の生活から遠ざかったのです。
「死」が日常から遠ざかるということは、「突発的な死」 (運命の残酷性→「一寸先は闇」)や、自然な時間の流れ(人間は生物なのだから、「老」・「病」・「死」は当然のこと)(→これらこそが「無常」です)という当たり前なこと、つまり、「人生の真理」が日常から消えるということです。
だからこそ、現代の日本人の多くが、自分が平均寿命まで生きることを前提に、あるいは、平均寿命までも生きることを前提に、実に愚かなことに没入していくのでしょう。
「死」を意識して、「自分の人生の有限性」、「一寸先は闇」を痛感すれば、「今」を楽しく生きることを心がけるはずです。
本来、健康ブーム、禁欲ブーム、ダイエット、アンチ・エイジングなど、どうでもよいことなのです。
「今」を楽しまず、自分では確定的に到来すると思い込んでいる老後のために、自分の健康面の観察・点検にばかり集中し、禁欲生活に邁進することの悲しいほどのバカバカしさ。
このことは、戦後になって、著しく、病的と言えるほどに進行したのです。
現在の日本では、西洋にも見られないほどの、歪んだ形の「西洋的・近代的発想」が主流です。
それゆえに、日本の伝統的価値観に立脚して、近代原理を批判している「無常という事」は、一般的に、難解と評価されているのでしょう。
( 問題 ) 「小林氏の感性の鋭敏さ」が分かるのは、どの部分の記述か?
小林秀雄氏において、自分自身の「身体性」を通して考えること、感じること、現実の場で具体的に感じ考えることの能力が、いかに優れているか、は以下の記述より明らかです。
「 ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮かび、文の節々が、まるで古びた絵の細勁(さいけい)な描線を辿る様に心に染み渡った 」
( 問題 ) 「心に染み渡った」とは、どのような意味なのか? 同類語、同類表現を列挙せよ。
共鳴、共感、同調、などを挙げるとよいでしょう。
「腑に落ちる」、「全身で納得すること」でも、よいと思います。
(問題)なぜ、「実は、何を書くのか判然しないままに書き始めているのである」と記述されているのか?
これは、読者への明確な宣言です。
つまり、小林氏は、自分のこの論考を、計画的に論理的には書き進めないと宣言しているのです。
あたかも、詩のように、感性重視で書いていこうとしているのでしょう。
これは、現代の先進国社会、特に日本社会における異様とも言える知性支配、知性優位に向けての、小林氏特有の皮肉的表現であるように、私には思われます。
(問題) 「無常という事」における、この段落の意味は?
この段落に記述された小林氏の体験が、「この論考の重要な出発点」になっています。
「比叡山に行き、山王権現(さんのうごんげん)の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついている」
という状況における、宗教的体験、神秘的体験が、この論考の前提と言ってもよいでしょう。
確かに、小林氏自身が言うように「取るに足らぬある幻覚」(→近代的な知性的・理性的な思考)で済ますこともできましょう。
しかし、そのように即断できない気持ちが、小林氏には、あるようです。
まさに、ここが、この論考を読み解くポイントになります。
この体験に対して共有できる心を持っていること、少なくとも、共有しようとする気持ちを有することが、この作品を理解する前提になります。
ここで小林氏の体験を軽視すると、これ以後の記述を把握することが困難になります。
従って、この作品を読み解こうとするのであれば、「この体験に寄り添う気持ち」を持つようにしてください。
つまり、西洋的・近代的な合理的・科学的発想から離れるようにすることがポイントです。
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(小林氏の論考)
「【3】「一言芳談抄」は、恐らく兼好の愛読書の1つだったのであるが、この文を「徒然草」の内に置いても少しも遜色はない。今はもう同じ文を目の前にして、そんな詰まらぬ事しか考えられないのである。依然として一種の名文とは思われるが、あれほど自分を動かした美しさは何処に消えてしまったのか。消えたのではなく現に眼の前にあるのかも知れぬ。それを掴むに適したこちらの心身の或る状態だけが消え去って、取り戻す術を自分は知らないのかも知れない。こんな子供らしい疑問が、既に僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学(→「美学」とは美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域。伝統的に美学は、「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の価値を問題として取り組んできた)の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見付け出す事が出来ないからである。だが、僕は決して美学には行き着かない。」
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(当ブログの解説)
(問題)以下の文章は、何を主張しようとしているのか?
「僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう「美学の萌芽」とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見付け出す事が出来ないからである。だが、僕は決して美学には行き着かない。」
「美学の萌芽」と「美学」の対比は、注目するべき点です。
「美学」になると、学問の一分野になり論理重視になっていくので、小林氏は警戒しているのでしょう。
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(小林氏の論考)
【4】確かに空想なぞしてはいなかった。青葉が太陽に光るのやら、石垣の苔のつき具合やらを一心に見ていたのだし、鮮やかに浮び上った文章をはっきり辿った。余計な事は何一つ考えなかったのである。どの様な自然の諸条件に、僕の精神のどの様な性質が順応したのだろうか。そんな事は分からない。分からぬ許(ばか)りではなく、そういう具合な考え方が既に一片の洒落(しゃれ)に過ぎないかも知れない。僕は、ただ或る充ち足りた時間(→「人生の充実」でしょうか?)があった事を思い出しているだけだ。自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間が。無論、今はうまく思い出しているわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思い出していた(→特殊用法?)のではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。」
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(当ブログの解説)
(問題) この段落の意味は、何か? 何を主張しようとしているのか?
「自分が生きている証拠だけが充満する時間」、つまり、「人生の充実感」は、「余計な事は何一つ考えず(心を虚しくして)」 「鎌倉時代を」 「巧みに思ひ出す」ことによって、「満ち足りた時間」の中にあらわれています。
自分を近代的思考の束縛から解放させること、自分の身体感覚を解放して過去への共感能力を高めていくことが、人生の真の充足感・満足感につながるのでしょう。
精神よりも、自分の身体感覚に素直に従うこと。
そのことにより、自分の身体が解放され、ひいては、精神も充実感を味わえるのでは、ないでしょうか。
このことを、小林氏は主張したいのだと思います。
日本の伝統的文化の根底にある「豊かな感受性」が、小林秀雄氏にあったのでしょう。
「豊かな感受性」は「豊かな共感能力」と言い換えても、よいでしょう。
平安時代、鎌倉時代の日本人には、それがあったし、なま女房の話を『一言芳談抄』に収録した人、また、兼好にも、その感受性はあったのだと思います。
ーーーーーーーー
(小林氏の論考)
「【5】歴史の新しい見方とか新しい解釈とかいう思想(→近代的発想を意味しています)からはっきり逃れるのが、以前には大変難しく思えたものだ。そういう思想は、一見魅力ある様々な手管(てくだ)めいたものを備えて、僕を襲ったから。一方歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と映って来るばかりであった。新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられる様な脆弱(ぜいじゃく)なものではない、そういう事をいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた。晩年の鴎外が論証家に堕したという様な説は取るに足らぬ。あの膨大な論証を始めるに至って、彼は恐らくやっと歴史の塊に推参した(→真の歴史を見出だす入口に立った、ということ。→鴎外が晩年になって、「新しい解釈などでびくともするものではない、つまり、解釈を拒絶して動じない」真の歴史を書き記そうとした、ということ)のである。「古事記伝」を読んだ時も、同じ様なものを感じた。解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長(のりなが)の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。そんな事を或る日考えた。又、或る考えが突然浮び、たまたま傍にいた川端康成さんにこんなふうに喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。」
【6】「『生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、解った例(ため)しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処(そこ)に行くと死んでしまった人間というのは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな』」
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(当ブログの解説)
(問題) この【5】・【6】段落の意味? なぜ、「彼笑って答えなかった」のか?
いろいろなことが、考えられます。川端康成氏の反応は、とても微妙な、曖昧な態度と言えるのです。
考えられる理由としては、まず、
「その場ですぐに答えられるようなレベルの問題ではないので、笑うしか、なかったから」、ということです。
次に、「同意のサイン」と考えることも可能です。
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(小林氏の論考)(概要です)
「【7】この一種の動物という考えは、かなり僕の気に入ったが、考えの糸は切れたままでいた。歴史には死人だけしか現れて来ない。従って、のっ引きならぬ(→「どうにもならない」という意味)人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物であることから救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に留まるのは、頭を一杯にしている(→「知識、論理、知性」に拘束されている、という意味)ので、心を虚しく(「近代的な論理・知性に拘束されないで、純粋な感性で」という意味)して思い出す事が出来ないからではあるまいか。」
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(当ブログの解説)
(問題) 「歴史には死人だけしか現れて来ない。従ってのっ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。」の中の 「動じない」とは、どのような意味か?
「人生上の悩みに心を動かさない、現世的利益に右往左往しない」という意味です。
(問題)なぜ、思い出は美しいのか。
固定した、美しい過去(歴史)が、僕等に余計な思いをさせないから、です。
(問題)なぜ、「思い出が僕等を一種の動物であることから救う」のか。
僕等は生きている人間であり、「一種の動物」です。そして、「一種の動物」は、「無常」であり、不安定な存在です。
一方で、「思い出すこと」は、「生きている証拠だけが充満している時間」です。
言い換えれば、「思い出すこと」は、「無常な一種の動物である僕等」に、「満ち足りた時間」、つまり、「充足的・安定的な時間」を与え、救ってくれるのです。
(問題)この論考における「思い出す」とは、どのような意味か?
「多くの歴史家が、一種の動物に留まるのは、頭を一杯にしている」という文脈から考えると、「思い出す」とは、「直感」・「感情」・「理性」が総合的に働いた作用です。
『学生との対話』(新潮社)の中で、小林氏は、「イマジネーションは、対象と私とがある親密な関係に入り込むこと」と述べていますが、「思い出す」についても、同様に考えてよいでしょう。
【2】・【3】段落の文脈からも、このことは肯定できると思います。
ここでは、「客観性のみで対象に向き合うことの否定」と、「主観性の尊重」が強調されています。
「対象と交わること」とは、身体感覚を駆動させて、その対象と交流し、接触することなのです。
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(小林氏の論考)(概要です)
「【8】上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かって飴(あめ)の様に延びた時間という蒼(あお)ざめた思想(僕にはそれが現代における最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。成功の期はあるのだ。この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時(いつ)如何(いか)なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常ということが分かっていない。常なるもの(→伝統的価値観、死生観、死への意識)を見失ったからである。」 (『文学界』昭和17年6月号)
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(当ブログの解説)
(問題)「現代人は、鎌倉時代のなま女房ほどにも無常ということがわかっていない」とは、どういう意味か?
「なま女房」は、確固たる「死生観」(→「死」と「生」に関する価値観。「生死は無常なのでどうすることもできない」とする価値観)を保持していたが、現代の日本人は、「死」・「人生の無常」を直視していないということです。
(問題)「常なるもの」とは何か?
「日本古来の伝統的死生観」です。
前述したように、明治時代からの、「文明開化」による「西洋化・近代化」により、日本人の精神構造が、「西洋的な人間中心主義的発想」となりました。
そして、「自然との交流」・「死後の世界との交流」は、出来なくなりました。
その結果、「死」・「歴史」は、日々の生活から遠ざかったのです。
それとともに、「日本古来の伝統的死生観」も、ほとんど消滅してしまったのです。
このことは、戦後になって、著しく進行したのです。
この人間として不自然な状態から脱却するためには、日頃から、頭だけで観念的に考えないようにする、全身で納得することを心がける、腑に落ちるということを大切にする、というようにして、「自分の身体感覚」をも重視して、考察することを意識するべきです。
「自分の身体性」に意識が向けば、自分の「老」・「死」は、時間と宿命の流れに支配され、自分の意識を超越したものだという当然の事実が強く認識できるはずです。
人は「老」・「死」の絶対性から逃れることはできないのです。
このことを「無常」というのでしょう。
現代の日本人は、「自己の身体性」から目を背けたために、この「無常の感覚」、つまり、「日本の伝統的価値観」まで忘れてしまったのでしょう。
小林秀雄氏は、「死を直視することの重要性」を以下のように述べています。
「人の世の秩序を、つらつら思うなら、死によって完結する他はない生の営みの不思議を納得するでしょう。死を目標とした生しか、私たちには与えられていない。そのことが納得出来た者には、よく生きる事は、よく死ぬ事だろう。 」(小林秀雄「生と死」『小林秀雄全作品 第26集』)
「この世に生まれ、暮らし、様々な異変に会い、死滅するという人の一生を、これを生きて知る他はない当人の身になって納得してみよ。歴史の真相に推参できるだろう。兼好はこれを『実(まこと)の大事』と呼んでいる。」(小林秀雄「生と死」)
「小林秀雄についての批評」に関してはトップレベルの文芸評論家の秋山駿氏は、「小林秀雄ーその生と文学の魅力」 (『Web版 有鄰・第414号(平成14年5月10日)』有隣堂)の中で、とても参考になることを述べています。
「小林は乱暴な人だ、と言ったが、その乱暴とは、一度自分で決断したら、前途も知らず、前後も見ず、自分を信じて一直線に突き進む元気、といった意味のものだ。
その一直線に突き進む元気が、小林の文学の中央を貫く。出発点から最後まで貫く。」
そして、『考えるヒント』について、以下のように続けています。
「小林は、戦後の時代が、あまりにも日本文化の基本から外れた方へ進んでいるのを見て、時代に抗して、警告として、彼が日本と現代について考えたところを種子として、われわれへとばら撒いたのであった。一粒の麦もし死なば・・・・、それがヒントの真意であった。」
このことは、「無常という事」についても、同じように言えるのでは、ないでしょうか。
ただ、「無常という事」は戦争中の作品です。
とすると、戦争中から、戦後思想的なものはあったのでしょう。
(4)(追記)補充説明ー『無常という事』と「2015東大国語第1問」との共通性について
『無常という事』の以下の部分を読み、2015東大国語第1問(現代文)との共通性を感じましたので、ここで紹介します。
まず、以下の記述の赤字部分に注目してください。
上記の赤字部分とは異なります。
(小林氏の論考)
【2】これは、「一言芳談抄(いちごんほうだんしょう)」の中にある文で、読んだ時、いい文章だと心に残ったのであるが、
先日、比叡山に行き、山王権現(さんのうごんげん)の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮かび、文の節々が、まるで古びた絵の細勁(さいけい)な描線を辿る様に心に染み渡った。そんな経験は、初めてなので、酷く心が動き、坂本で蕎麦を喰っている間も、あやしい思いがし続けた。あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに気に懸かる。無論、取るに足らぬ或る幻覚が起ったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利ではあるが、どうもそういう便利な考え(→近代的な知性的・理性的な思考)を信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。実は、何を書くのか判然しないままに書き始めているのである。」
次に、上記の赤字部分と共通性があると思われる2015東大国語第1問(現代文)『傍らにあること』(池上哲司)の問題文本文の中で、上記の赤字部分と共通性があると思われる部分を、以下に引用します。
(問題文本文)
(概要です)
(【5】・【6】は当ブログで付記した段落番号です)
「【5】自分とは、こういうものであろうと考えている姿と、現実の自分とが一致していることはむしろ稀である。自分らしさは他人によって認められるのであるが、決定されるわけではない。自分らしさは生成の運動なのだから、固定的に捉えることはできない。それでも自分らしさが認められるというのは、自分について他人が抱いていた漠然としたイメージを、一つの具体的行為として自分が現実化するからである。しかし、ゥその認められた自分らしさは、すでに生成する自分ではなく、生成する自分の残した足跡でしかない。
【6】いわゆる他人に認められる自分らしさは、生成する自分という運動を貫く特徴ではありえない。かといって、自分で自分の自分らしさを捉えることもできない。結局、生成する自分の方向性などというものはないのだろうか。
【7】生成の方向性は生成のなかで自覚される以外にない。生成の方向性は、棒のような方向性ではなく、生成の可能性として自覚されるのである。自分なり、他人なりが抱く自分についてのイメージ、それからどれだけ自由になりうるか。どれだけこれまでの自分を否定し、逸脱できるか。この「・・・・でない」という虚への志向性が現在生成する自分の可能性であり、方向性である。そして、これはまさに自分が生成する瞬間に、生成した自分を背景に同時に自覚されるのである。
【8】このような可能性のどれかが現実のなかで実現されていくが、それもわれわれの死によって終止符を打たれる。こうして、自分の生成は終わり、後には自分の足跡だけが残される。
【9】だが、本当にそうか。なるほど、自分はもはや生成することはないし、その足跡はわれわれの生誕と死によって限られている。しかし、働きはまだ生き生きと活動している。ある人間の死によって、その足跡のもっている運動性も失われるわけではない。つまり、ェ残された足跡を辿る人間には、その足の運びの運動性が感得されるのであり、その意味で足跡は働きをもっているのである。われわれがソクラテスの問答に直面するとき、ソクラテスの力強い働きをまざまざと感じるのではないか。
【10】自分としてのソクラテスは死んでいるが、働きとしてのソクラテスは生きている。生成する自分は死んでいるが、その足跡は生きている。正確に言おう。自分の足跡は他人によって生を与えられる。われわれの働きは徹頭徹尾他人との関係において成立し、他人によって引き出される。」
二つの文章の共通性については、すぐに分かると思います。
上記の引用部分は、2015東大国語第1問における重要部分です。
設問においても繰り返し問われています。
古典的な著名な論考を熟読して理解しておくことの重要性が、実感できるはずです。
詳しくは、以下の記事を参照してください。
(5)小林秀雄氏の紹介
小林秀雄(1902~1983)
評論家。 1928年東京大学仏文科卒業。 1929年に、『改造』の懸賞文芸評論に『様々なる意匠』が2位入選。 1933年に、林房雄・川端康成らと『文学界』を創刊。「私小説論」・「ドストエフスキイの生活 」などを発表。戦後は、「モオツァルト」・「ゴッホの手紙」・「 私の人生観」・「近代絵画」・「考へるヒント」・「人間の建設」・「本居宣長」 などを発表。
51年日本芸術院賞受賞。 59年芸術院会員。 63年文化功労者。 67年文化勲章受章。日本の近代文芸批評の確立者、と評価されています。
歯切れのよい筆致と逆説的表現で、プロレタリア文学の極端な観念性、新興芸術派の空虚性、私小説の不安定性・虚弱性を鋭敏に指摘しました。その上で、日本近代文学の全面的見直しに着手しました。
小林氏の文芸批評は、従来の印象批評を越えて、作品分析を通して、作者の「自己」に迫ろうとするものです。このことにより、日本での、本格的な近代文芸批評は小林秀雄氏によって確立されたと評価されています。
思想的には、ランボーなどのフランス象徴派の詩人、ドストエフスキー・幸田露伴・志賀直哉などの著作、ベルクソンやアランの哲学に影響を受けていると言われています。
その思想は、西洋近代文化の受容を通じて自己確立を迫られる日本のインテリの苦悩を認めつつも、それを鋭く批判したものです。そして、その困難な超克の過程として、「自己の直感」・「歴史」・「自然」を直視する態度を採用していきました。これは、本居宣長・吉田兼好の著作などの、近代以前の日本文学にも造詣を持っていたことも関係していると思われます。
晩年においては、文芸評論家の枠を越え、思想家としての性格が強くなりました。
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