予想問題『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一・地域社会
(1)なぜ、この記事を書くのか?
鷲田清一氏は、ほとんどの難関大学の入試現代文(国語)・小論文で一度は出題されている、トップレベルの頻出著者です。
最近では、センター試験、東京大学、東北大学、早稲田大学、慶應大学、上智大学等で出題されています。
鷲田氏の入試頻出著書としては、
『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、
『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)、
『悲鳴をあげる身体』(PHP 新書)、
『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論』(ちくま学芸文庫)、
『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(ちくま新書)等があります。
最近、鷲田氏は『しんがりの思想 反リーダーシップ論』(角川新書・2015年発行)を発表しました。
本書は、早くも入試頻出出典になっています。具体的には、群馬大学、大阪教育大学、鹿児島大学、早稲田大学(社会科学部)、明治大学、法政大学、立命館大学等の国語現代文小論文に出題されています。そこで、今回は本書のポイントであり、かつ、最頻出の箇所について、当ブログの予想問題を発表することにしました。
今回取り上げる箇所は、鷲田氏の主張の中心であり、東日本大震災後の現代日本に対する鷲田氏の怒り、悲しみが色濃く滲み出ています。
入試国語(現代文)・小論文対策として、じっくりと取り組むことを、おすすめします。
なお、今回の記事の項目は、以下のように、なっています。
(2)予想問題『しんがりの思想』鷲田清一
(3)当ブログにおける「鷲田清一」関連記事の紹介
(4)当ブログの「東日本大震災」関連記事の紹介
(2)予想問題『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一
次の文章を読んで以下の問いに答えなさい。
(問題文本文)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
【1】政治や企業活動と地域社会の違いは、専従のリーダーがいないことである。政治のプロフェッショナル、つまりは職業政治家、ならびに専従の経営者にあたるものが存在しない。すでに述べたように、地方議会の議員がそれにあたるはずであったのだが、町内会や婦人会,商店街の振興会や社会福祉協議会などといった、選挙での集票機能をもった既存の団体とのパイプを使うばかりで、都市部であらたに動きだした NPO(→nonprofit organization の略。非営利の民間組織) やボランティアといった新しい市民のネットワークにうまく対応もしくは連携がとれていない大方の地方議員、残念ながら地域社会の十全な力になっているとはとてもいえない。地方議員のこの無力は、市民に力がついてきたからではなく、逆に、政治のプロ(であるはずのひとたち)への市民の「おまかせ」構造がますます昂じてきた結果なのである。
【2】社会がいやでも縮小してゆく時代、「廃」炉とか「ダウン」サイジングなどが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、むしろ最後尾でみなの安否を確認しつつ進む登山グループの「しんがり」のような存在、退却戦で敵のいちばん近くにいて,味方の安全を確認してから最後に引き上げるような1 「しんがり」の判断が、もっとも重要になってくる。実際、震災復興にあっても、ひたすら「防災」のためのハード面での公共事業に取り組むのではなく、地域が震災前から抱え込んでいた問題を見据えながら、そこでの日々の暮らしを〔 A 〕に再興する取り組みと結びついた経済活性化策を講じなければならないだろうし、また、もし、そうした社会全体への気遣いや目配りができていれば、建築資材と労賃の高騰を招くことで東北での復興事業を大きく遅延させることが必定な〔 B 〕の誘致など、だれも発想しなかっただろう。こういう全体の気遣いこそ、ほんとうのプロフェッショナルが備えていなければならないものなのであり、また、よきフォロワーシップの心得というべきものである。そして、こうした心得を、ここで《しんがりの思想》と呼んでみたい。
【3】リーダーが、その「しんがり」の務めに戻るべきときが、いま来ている。ダウンサイジングという、 2 「右肩上がり」の時代のリーダーたちがいちばん不得手な難問が山積しているという状況が目の前にある。
【4】「経世済民」(political economy)の「エコノミー」という語が、ギリシャ語の「オイコノミア」(家政)からきているように、国家財政というのは家計とよく似ている。そもそも、どの経費を削るか、どこを膨らまし、どこを圧縮するか、何に当座は金を向け、何を後に回すか・・・・。思案のしどころである。国家財政においても家計においても。そしてこれはもっとも頭を使うところでもある。
〔C〕
けれども、いきなり切り捨てを申し渡して、せっかくのやる気を殺ぐのは忍びない。後に回す、あるいは眼をつむって切り捨てるにも、きちんとした理由をあげて、相手を納得させねばならない。そこであげるべき理由は何か、持つべき「未来像」は何か・・・・。
【5】ここにきて、財布を握る主婦ないしは主夫は、はたと考え込む。優先順位を決めるにあたっての理屈を考えなければならなくなるのだ。我慢を求めるためには、きちんとした説得の言葉が必要だ。相手に納得させるには、しっかりした「思想」が要る。「思想」という言葉が仰々しければ、「家族生活の基本となる考え方」と言ってもいい。あるいは価値の軽重と先後、つまりは「価値の〔 D 〕」と言ってもいい。そして何かをしきりにねだっていた子どもも、こういうことも考えないといけないのだというふうに、事の複雑さを知るようになる。
【6】3 かつて、人々が極度に貧しいときには、理屈は必要なかった。まずは、いのちをつなぐこと、生き存(ながら)えること、これが原点であることが明確であった。子どもが何かねだっても、「これがあったら家族みんなが数日間、食べられますからね」と言われれば、子どもは黙るほかなかった。ある程度の融通が利くほどに豊かになると、子どもは「あの子は買ってもらったのに、それに較べうちの親は愛情が薄い」というふうに不満を溜め込むようになる。
【7】「限界」を意識するのは、この意味で大事なことである。ここを超えると危険水域に入るという臨界点を知ること。これが、いのちをつなぐために、もっとも重要なことだ。 「限界」を見させまいとすることは、子どもの心を傷つけないという思いからのことだろうが、いずれ子どもをより大きな危機にさらすことになる。しかし、「限界」はよほど眼をこらさないと見えない。眼をこらすというのは、自分がどういう状況にあるかを一歩退いて見ること、つまりは、4 惰性を脱する行為だからだ。
【8】日本人は寡栄養に強く、過栄養に弱いと、肝臓疾患の専門医から聞いたことがある。どういうことかというと、日本人の身体は体内に採り入れた少ない脂肪を数日間うまく使って飢えを凌(→しの)ぐのには向いているが、栄養過多に対して脂肪を減らす機能がないということらしい。だから、このところ、肝脂肪が原因で肝臓ガンになる人、よがじわりじわり増えているという。そういう意味でも、減らすというのはほんとうにむずかしい。ご馳走があるのに、途中でやめるというのはむずかしい。便利な物をあえて使わないというのもむずかしい。何かある事業を立ち上げるために、別の事業をやめるというのもむずかしい。〔 E 〕。言葉はやさしいが、それを実行するのはむずかしい。このことがわたしたちの社会構造についてもいえるとするなら、〔 E 〕という古人の知恵、いいかえるとダウンサイジングというメンタリティに、いまだれよりも近いところにいるのが、というか、そうならざるをえない場所へいちばん先にはじき出されたのが、いまの若い世代なのかもしれない。骨の髄まで「成長」幻想に染められているそれ以前の世代には、〔 X 〕という〔 Y 〕が〔 Z 〕には映らないからである。ダウンサイジングというメンタリティにもっとも遠い世代のリーダー像では、縮小してゆく社会には対応できないのだ。
【9】この国は、本気で「退却戦」を考えなければならない時代に入りつつある。その時、リーダーの任に堪えるのは、もはや“引っ張ってゆく”タイプのリーダーではない。それは「右肩上がり」の時代にしか通用しないリーダー像だ。これに対して、ダウンサイジングの時代に求められるのは、言ってみれば「しんがり」のマインドである。
【10】「しんがり」とは、言うまでもなく、合戦で劣勢に立たされ、退却を余儀なくされた時に、隊列の最後部を務める部隊のことである。彼等が担うのは、敵の追撃に遭って、本体を先に安全な場所まで退却させるために、限られた軍勢で敵の追撃を阻止し、味方の犠牲を最小限に食い止める、極めて危険な任務である。「しんがり」は「後駆(しりがり)」が音便化した語で、「後備(あとぞな)え」「尻払い」「殿軍(でんぐん)」とも言われる。現代では「ケツモチ」という言い回しもあるようで、いわゆるイベントサークルでトラブルに陥った時、それに片を付けてくれる人のことらしい。ヤンキー語では、暴走族が暴走行為をする時に、最後尾を受け持つメンバーのことを指す。パトカーに追跡されると、速度を落として蛇行運転し、前の集団を逃がすのが彼等の役目である。
【11】あるいは、登山のパーティーで、最後尾を務める人。経験と判断と体力に最も秀でた人が、その任に就くという。一番手が、「しんがり」を務める。二番手は、先頭に立つ。そして、最も経験と体力に劣る者が、先頭の真後ろに付き、先頭はその人に息遣いや気配を背中でうかがいながら、歩行のペースを決めるという。要は、「しんがり」だけが隊列の全体を見ることができる。パーティ全の全員の後ろ姿を見ることができる。そして、隊員がよろけたり、脚を踏み外したりした時、間髪おかず救助にあたる。
【12】じっさい、「右肩下がり」の時代、「廃炉」とかダウンサイジングが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、このように最後尾でみなの安否を確認しつつ進む登山隊の「しんがり」のような存在、仲間の安全を確認してから最後に引き上げる「しんがり」の判断が、最も重要になってくる。誰かに、あるいは特定の業界に、犠牲が集中していないか、リーダーは張り切りすぎで、皆が付いて行くのに四苦八苦しているのではないか、そろそろ、どこかから悲鳴があがらないか、このままで、果たして「もつ」か、といった〔 甲 〕のケア、各所への気遣いと、そこでの周到な判断こそ、縮小していく社会において、リーダーが備えていなければならないマインドなのである。
(鷲田清一『しんがりの思想 反リーダーシップ論』)
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(設問)
問1 傍線部1「『しんがり』の判断」とは、どのような判断か。本文中の語句を使い、40字以内で記せ(句読点も1字と数える)。
問2 空欄Aに入る最適な語句を次の中から一つ選べ。
ア 伝統的 イ 創造的
ウ 地域的 エ 日常的
オ 恒常的 カ 勃興的
キ 国際的
問3 空欄Bに入る漢字四字の語句を記せ。
問4 傍線部2「『右肩上がり』の時代のリーダーたちがいちばん不得手な難問」とあるが、そう言える理由として最適なものを次の中から一つ選べ。
アその時代のリーダー達には、しんがりの思想を持った人物が一人もいなかったから。
イ その時代のリーダー像は本来のリーダー像からかけ離れた、幻想の中の存在だったから。
ウ その時代のリーダー達は、ダウンサイジングのメンタリティを持つ必要がなかったから。
エ その時代のリーダーは、登山の場合とは違い、しんがりが一番手を務めたから。
オ その時代のリーダー達にとっては、「右肩下がり」こそ最も憂慮すべき問題だったから。
問5 空欄Cには次の文章が入る。正しい順序に並べ替えよ。
ア だから、まず無駄を省くことを考える。
イ けれども、それにも限界がある。
ウ 借金は家訓により御法度だ。
エ 一人ひとりの願いを聞き届ければ、家計は破綻する。
オ 切り捨てを決断しなければならないものがあるのは、あきらかだ。
カ パイは決まっている。
問6 空欄Dに入る語句として最適なものを次の中から一つ選べ。
ア 思考法 イ 遠近法
ウ 多様化 エ 具体化
オ 局所性 カ 拡大化
問7 傍線部3「かつて、人々が極度に貧しいときには、理屈は必要なかった」とあるが、その理由として最適なものを次の中から一つ選べ。
ア 当時、何が一番大切かを知るのは困難ではなかったから。
イ 当時、生命は有限なことということは子どもも理解したから。
ウ 当時は、目をこらしても世の中の真実を見ることができなかったから。
エ 当時、子どもは母親の言う言葉に従わなければならなかったから。
オ 当時は、限界を意識すること自体が生きることの意味だったから。
問8 傍線部4「惰性を脱する行為」とは、ここでは、どのような行為のことか。最適なものを、次の中から一つ選べ。
ア その場その場の状況を適切に把握すること
イ 力の限界を理解して最善の策を見出だすこと
ウ 物事の臨界点を知り、一歩踏み出すこと
エ いのちをつなぐために必要な物を探すこと
オ 危険水域を的確に認識して、距離を置くこと
問9 空欄E(二箇所ある)に入る最適な表現を次の中から一つ選べ。
ア ありのままに生きる
イ 自然体を知る
ウ 隠忍自重
エ 足るを知る
オ 虚飾を排する
カ 衣食足りて礼節を知る
キ 彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず
問10 空欄X~Zに入る語句の組み合わせとして最適なものを、次の中から一つ選べ。
ア X 寡栄養 Y 自然 Z 自然
イ X 過栄養 Y 自然 Z 自然
ウ X 寡栄養 Y 不自然 Z 自然
エ X 過栄養 Y 不自然 Z 不自然
オ X 寡栄養 Y 不自然 Z 不自然
問11 空欄甲に入る本文中の二字の語句を記せ。
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(解説・解答)
問1(傍線部説明問題・記述式問題・キーセンテンスを問う問題)
「『しんがり』の判断」に関しては、以下の2箇所に注目してください。
【2】段落「こういう全体の気遣いこそ、ほんとうのプロフェッショナルが備えていなければならないものなのであり、また、よきフォロワーシップの心得というべきものである。そして、こうした心得を、ここで《しんがりの思想》と呼んでみたい。 」
【12】段落「全体のケア、各所への気遣いと、そこでの周到な判断こそ、縮小していく社会において、リーダーが備えていなければならないマインドなのである。」
(解答)
縮小していく社会においてリーダーが備えるべき、全体への気遣いのある周到な判断。(39字)
問2(空欄補充問題)
空欄の直前直後を、熟読・精読することが必要です。
「実際、震災復興にあっても、ひたすら「防災」のためのハード面での公共事業に取り組むのではなく、地域が震災前から抱え込んでいた問題を見据えながら、そこでの日々の暮らしを〔 A 〕に再興する取り組みと結びついた経済活性化策を講じなければならないだろう」
また、消去法を活用してください。
(解答)イ
問3(空欄補充問題・社会常識を問う問題)
「社会常識を問う問題」は、模試では、あまり出題されません(→運営主体である予備校・添削会社の自己否定になるからです→社会常識は自主学習が可能です)。一方、大学は「社会常識」のある受験生を求めているので、「社会常識を問う問題』は、入試では頻出です。このようなこと、模試と過去問のレベルの大きな落差、があるので、私は模試を受けることを、あまりすすめていません。
模試の効用としては、「時間内に処理する訓練」くらいしか、ありません。年に2回くらい受ければ充分です。志望大学の過去問に対応することを留意するべきです。
解法としては、「建築資材と労賃の高騰を招くことで東北での復興事業を大きく遅延させることが必定な〔 B 〕の誘致」の部分を熟読・精読することが不可欠です。
(解答)東京五輪 (「五輪大会」でも可)
問4(傍線部説明問題)
【8】段落の以下の部分に注目してください。
「骨の髄まで『成長』幻想に染められているそれ以前の世代には、〔X=過栄養〕という〔Y=不自然〕が不自然〔Z=不自然〕には映らないからである。ダウンサイジングというメンタリティにもっとも遠い世代のリーダー像では、縮小してゆく社会には対応できないのだ。」
(解答)ウ
問5(文章並べ替え問題)
空欄直後の
「けれども、いきなり切り捨てを申し渡して、せっかくのやる気を殺ぐのは忍びない」より、最後がオ(「切り捨てを決断しなければならないものがあるのは、あきらかだ。」)になることが分かります。
以下の2つのセットは、すぐに分かるでしょう。
カ(「パイは決まっている。」)→エ(「一人ひとりの願いを聞き届ければ、家計は破綻する。」)、
ウ(「借金は家訓により御法度だ。」)→ア(「だから、まず無駄を省くことを考える。」)→イ(⑤「けれども、それにも限界がある。」)。
「カ→エ」のセットが「ウ→ア→イ」より前にくるので、全体的にみて、「カ→エ→ウ→ア→イ→オ」になります。
(解答)カ→エ→ウ→ア→イ→オ
↓「文章並べ替え問題の解法」を詳しく説明しました。
問6(空欄補充問題)
直前の「『思想』という言葉が仰々しければ、『家族生活の基本となる考え方』と言ってもいい。あるいは価値の軽重と先後」に注目すると、よいでしょう。
(解答)イ
問7(傍線部説明問題)
直後の「まずはいのちをつなぐこと、生き存(ながら)えること、これが原点であることが明確であった。子どもが何かねだっても、『これがあったら家族みんなが数日間、食べられますからね』と言われれば、子どもは黙るほかなかった。」に着目する必要があります。
(解答)ア
問8(傍線部説明問題)
直前の「『限界』はよほど眼をこらさないと見えない。眼をこらすというのは、自分がどういう状況にあるかを一歩退いて見ること」の部分がヒントになります。
(解答)オ
問9 (空欄補充問題・慣用表現)
解法としては、以下の部分に注目してください。
直前の「ご馳走があるのに、途中でやめるというのはむずかしい。便利な物をあえて使わないというのもむずかしい。」、
直後の「古人の知恵、いいかえるとダウンサイジング(→「ダウンサイジング(Downsizing)」とは、「サイズ(規模)を小さくする」という意味)というメンタリティ」。
なお、ウの「隠忍自重(いんにんじちょう)」とは、「怒りの気持ち等を我慢して、軽々しい言動を慎む」という意味です。
(解答)エ
問10 (空欄補充問題)
「段落毎の要約をメモする」といった時間のムダな、バカなことをしないでください。頭の中で自然に要約ができます。熟読・精読を心がけてください。
解法としては、
直前の「骨の髄まで『成長』幻想に染められているそれ以前の世代」、
直後の「ダウンサイジングというメンタリティにもっとも遠い世代のリーダー像では、縮小してゆく社会には対応できないのだ」、
がポイントになります。
(解答)エ
問11 (空欄補充問題)
空欄直前の「誰かに、あるいは特定の業界に、犠牲が集中していないか、リーダーは張り切りすぎで、皆が付いて行くのに四苦八苦しているのではないか、そろそろ、どこかから悲鳴があがらないか、このままで、果たして『もつ』か、といった」、空欄直後の「ケア」に着目してください。
解答である「全体」は、直前の段落の後半部分、
「要は、『しんがり』だけが隊列の全体を見ることができる。パーティ全員の後ろ姿を見ることができる。そして、隊員がよろけたり、脚を踏み外したりした時、間髪おかず救助にあたる。」にあります。
(解答)全体
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(出典)鷲田清一『しんがりの思想:反リーダーシップ論』「第4章しんがりという務め フォロワーシップの時代」
ーーーーーーーーー
鷲田氏は、『しんがりの思想』の中で、上記の本文の直後に「フォロワーシップの時代」という「見出し」を付けて、「しんがりの思想」について、より丁寧な説明をしているので、概要を引用します。この部分も入試頻出箇所です。
「地域社会とか市民社会と呼ばれる場は、職業政治の場ではない。誰もが余所に本務をもったままで、そうしたゆるい集団の一員として参画する。それは、日々、それぞれの持ち場で、おのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、誰もが時にリーダーに推され、時に、メンバーの一員、そうワン・オブ・ぜムになって行動する。つまり、普段はリーダーに推された人の足を引っ張ることもなく、よほどのことがない限り従順に行動するが場合によっては、すぐに主役の交代もできる、そういう可塑性(しなり)のある集団であろう。リーダーに、そしてシステムに全部を預けず、しかし全部を自分が丸ごと引き受けるのでもなく、いつも全体の気遣いをできるところで責任を担う。そんな伸縮可能な関わり方で維持されてゆく集団であろう。
実際、誰もがリーダーになりたがる社会ほど、もろいものはない。日頃は自己の本務を果たしつつ、公共的なことがらについて、ある時は「今は仕事が手を抜けないのでちょっと頼む」、ある時は「あなたも本業が忙しいでしょうからしばらくわたしが交代するよ」というように、前面に出たり、背後に退いたりしながら、しかし、いつも全体に気配りができる、そんな賢いフォロワーの存在こそが、ここでは大きな意味を持つ。公共的なことがらに関して、観客になるのではなく、みずから問題の解決のためのネットワークを編んでゆく能力、これこそが、「市民性」の成熟の前提となるということであろう。」
(3)当ブログにおける「鷲田清一」関連記事の紹介
(4)当ブログの「東日本大震災」関連記事の紹介
以下のように、「東日本大震災」関連の論考は、入試頻出です。意識して、取り組んでください。
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今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
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