現代文最新傾向LABO 斎藤隆

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2018東大国語第1問(現代文)解説/著者・論点的中報告

(1)はじめに/2018東大国語第1問(現代文・評論)解説/著者・論点的中報告

 

 2018東大国語第1問(現代文・評論)に、入試頻出著者・野家啓一氏の『歴史を哲学する』が出題されました。

 

 野家氏の論考は、最近では、早稲田大学(政経学部)・(文学部)のほかに、大阪市立大学・上智大学(法)・立教大学等で、出題されています。

 

 本書『歴史を哲学する』は、野家氏の『物語の哲学』の発展型の論考です。

 『物語の哲学』のポイントについては、「予想問題『ビブリオバトル』(山崎正和)」の中で解説しました。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

本問2018東大国語第1問(現代文)を解く上で、かなり参考になると思われるので、以下に引用します。

ーーーーーーーー

 

(引用開始)

(当ブログによる解説)

〔1〕【「物語は共同体の協働制作物」について】

 この論点については、2000年の早稲田大学文学部国語に出題された野家啓一氏の論考が最近の頻出出典(『物語の哲学』)なので、ここで紹介します。 

 

 (問題文本文の一部の概要)

 (以下の概要は、問題文本文の冒頭文と最終段落です。最終段落には、筆者の結論・主張が述べられています。)

「歴史叙述もまた、学問的にソフィスティケート(→「洗練されている」という意味)されているとはいえ、「過去物語」のヴァリエーションにほかならない。

 『思い出』はそのままでは『歴史』に転成することはできない。思い出が歴史に転生を遂げるためには (丙) 何よりも「物語行為」による媒介 が不可欠なのである。思い出の断片を織り合わせ、因果の糸を張りめぐらし、〔 C 〕の結構をしつらえることによって一枚の布にあえかな文様を浮かび上がらせることこそ、物語行為の役目にほかならない。物語られることによってはじめて、断片的な思い出は「構造化」され、また個人的な思い出は「共同化」される。「物語る」という言語行為を通じた思い出の構造化と共同化こそが、ほかならぬ歴史的事実の成立条件なのである。」

 (上記の概要に対応している設問のみを挙げます。)

 

問4 文中の〔 C 〕に入る最も適当な語句を、次の中から選べ。

イ 永劫回帰  

ロ 波瀾万丈

ハ 試行錯誤

ニ 起承転結

 

問5 傍線部(丙)の意味を具体的に述べている最も適当な箇所を、文中から10字以上、12字以内で抜き出して記せ(句読点や記号も1字と数える)。 

 

 ーーーーーー

 

(解答・解説)

【解答】 

問4 ニ

問5 思い出の構造化と共同化(11字)

 

【解説】

問4 直前の「それらの断片を織り合わせ、因果の糸を張りめぐらし」、直後の「結構(→「構造」という意味→入試頻出キーワードです)をしつらえる」(→「設備する。用意する」という意味)に注目するとよいでしょう。

 →この設問は、実質的には、「結構」・「しつらえる」の意味を聞いている問題です。この2つの語句は、入試頻出語句です。

 

問5 「思い出が歴史に転生を遂げるためには、(丙) 何よりも『物語行為』による媒介  が不可欠なのである」と、最終段落・最終文の「『物語る』という言語行為を通じた〈思い出の構造化と共同化〉こそが、ほかならぬ歴史的事実の成立条件なのである」が、同一内容であることを確認してください。 

(引用終了)

 

ーーーーーーーー

 

 (今回の記事の記述)

  「思い出」が「歴史」に転生を遂げるためには、「『物語行為』による媒介」が不可欠、

の部分は、今回の東大現代文の読解に役立ちます。

 「思い出の構造化=起承転結の結構」が必要、つまり、「歴史的事実の成立条件」が「起承転結の構造化」ということは、「そこに、リアリティーを設定する必要がある」ということでしょう。

 

 「説得性」、「客観性」がなければ、人々は支持をしないのです。

 民衆の支持のない歴史的事実は、世の中に残ることはないのです。

 

 この点は、野家氏の主張の最大のポイントなので、よく理解しておいてください。

 

 今回の2018東大現代文の内容は少々難解です。

 しかし、上記の「歴史的事実の成立条件」を意識して読めば、分かりやすくなると思います。

 

今回の記事の項目は以下の通りです。

 

(2)2018東大国語第1問(現代文・評論)本文・解説・解答/『歴史を哲学する』野家啓一

(3)野家啓一氏の紹介

(4)当ブログにおける「東大現代文」関連記事の紹介

 

 

(2)2018東大国語第1問(現代文・評論)本文・解説・解答/『歴史を哲学する』野家啓一

 

歴史を哲学する――七日間の集中講義 (岩波現代文庫)


(問題文本文)

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 


【1】余りに単純で身も蓋もない話ですが、過去は知覚的に見ることも、聞くことも、触ることもできず、ただ想起することができるだけです。その体験的過去における「想起」に当たるものが、歴史的過去においては「物語り行為」であるのが僕の主張にほかなりません。つまり、過去は知覚できないがゆえに、その「実在」を確証するためには、想起や物語り行為をもとにした「探究」の手続き、すなわち発掘や史料批判といった作業が不可欠なのです。

【2】そこで、過去と同様に知覚できないにも拘(かかわ)らず、われわれがその「実在」を信じて疑わないものを取り上げましょう。それはミクロ物理学の対象、すなわち素粒子です。電子や陽子や中性子を見たり、触ったりすることは、どんな優秀な物理学者にもできません。素粒子には質量やエネルギーやスピンはありますが、色も形も味も匂いもないからです。われわれが見ることができるのは、霧箱や泡箱によって捉えられた素粒子の飛跡にすぎません。それらは荷電粒子が通過してできた水滴や泡、すなわちミクロな粒子の運動のマクロな「痕跡」です。  その痕跡が素粒子の「実在」を示す証拠であることを保証しているのは、量子力学を基盤とする現代の物理学理論にほかなりません。その意味では、素粒子の「実在」の意味は直接的な観察によってではなく、間接的証拠を支えている物理学理論によって与えられていると言うことができます。逆に、物理学理論の支えと実験的証拠の裏づけなしに物理学者が「雷子」なる新粒子の存在を主張したとしても、それが実在するとは誰も考えませんし、だいいち根拠が明示されなければ検証や反証のしようがありません。ですから、素粒子が「実在」することは背景となる物理学理論のネットワークと不即不離なのであり、それらから独立に存在主張を行うことは意味をなしません。

【3】科学哲学では、このように直接的に観察できない対象のことを「理論的存在」ないしは「理論的構成体」と呼んでいます。むろん理論的存在と言っても イ「理論的虚構」という意味はまったく含まれていないことに注意してください。それは知覚的に観察できないというだけで、れっきとした「存在」であり、少なくとも現在のところ素粒子のような理論的存在の実在性を疑う人はおりません。しかし、その「実在」を確かめるためには、サイクロトロンを始めとする巨大な実験装置と一連の理論的手続きが要求されます。ですから、見聞臭触によって知覚的な観察可能なものだけが「実在」するという狭隘(きょうあい)な実証主義は捨て去らねばなりませんが、他方でその「実在」の意味は理論的「探究」の手続きと表裏一体のものであることにも留意せねばなりません。

【4】以上の話から、物理学に見られるような理論的「探究」の手続きが、「物理的事実」のみならず、「歴史的事実」を確定するためにも不可欠であることにお気づきになったと思います。そもそも「歴史(histoy)」の原義が「探究」であったことを思い出してください。歴史的事実は過去のものであり、もはや知覚的に見たり聞いたりすることはできませんので、その「実在」を主張するためには、直接間接の証拠が必要とされます。また、歴史学においては史料批判や年代測定など一連の理論的手続きが要求されることもご存じのとおりです。その意味で、歴史的事実を一連の「理論的存在」として特徴づけることは、抵抗感はあるでしょうが、それほど乱暴な議論ではありません。

【5】実際ポパーは、『歴史主義の貧困』の中で「社会科学の大部分の対象は、すべてではないにせよ、抽象的対象であり、それらは理論的構成体なのである(ある人々には奇妙に聞こえようが、「戦争」や「軍隊」ですら抽象的概念である。具体的なものは、殺される多くの人々であり、あるいは制服を着た男女等々である)」と述べています。同じことは、当然ながら歴史学にも当てはまります。歴史記述の対象は「もの」ではなく「こと」、すなわち個々の「事物」ではなく、関係の糸で結ばれた「事件」や「出来事」だからです。「戦争」や「軍隊」と同様に、ウ 「フランス革命」や「明治維新」が抽象的概念であり、それらが「知覚」ではなく、「思考」の対象であることは、さほど抵抗なく納得していただけるのではないかと思います。

【6】「理論的存在」と言っても、ミクロ物理学と歴史学とでは分野が少々かけ離れすぎておりますので、もっと身近なところ、歴史学の隣接分野である地理学から例をとりましょう。われわれは富士山や地中海をもちろん目で見ることができますが、同じ地球上に存在するものでも、「赤道」や「日付変更線」を見ることはできません。確かに地図の上には赤い線が引いてありますが、太平洋を航行する船の上からも赤道を知覚的に捉えることは不可能です。しかし、船や飛行機で赤道や日付変更線を「通過」することは可能ですから、その意味ではそれらは確かに地球上に「実在」しています。その「通過」を、われわれは目ではなく六分儀などの「計器」によって確認します。計器による計測を支えているのは、地理学や天文学の「理論」にほかなりません。ですから赤道や日付変更線は、直接に知覚することはできませんが、地理学の理論によってその「実在」を保証された「理論的存在」と言うことができます。この「理論」を「物語り」と呼び換えるならば、われわれは歴史的出来事の存在論へと一歩足を踏み入れることになります。

【7】具体的な例を挙げましょう。仙台から平泉へ向かう国道4号線の近くに「衣川の古戦場」があります。ご承知のように、前9年の役や後3年の役の戦場となった場所です。現在目に見えるのは草や樹木の生い茂った何もないただの野原にすぎません。しかし、この場所で行われた安倍貞任と源義家との戦いがかつて「実在」したことをわれわれは疑いません。その確信は、『陸奥話記』や『古今著聞集』などの文書史料の記述や『前9年合戦絵巻』などの絵画資料、あるいは武具や人骨の発掘物に関する調査など、すなわち「物語り」のネットワークによって支えられています。このネットワークから独立に「前9年の役」を同定することはできません。それは物語りを超越した理想的年代記作者、すなわち「神の視点」を要請することにほかならないからです。だいいち「前9年の役」という呼称そのものが、すでに一定の「物語り」のコンテクストを前提としています。つまり「前9年の役」という歴史的出来事はいわば「物語り負荷的」な存在なのであり、その存在性格は認識論的に見れば、素粒子や赤道などの「理論的存在」と異なるところはありません。言い換えれば、エ  歴史的出来事の存在は「理論内在的」あるいは「物語り内在的」なのであり、フィクションといった誤解をあらかじめ防止しておくならば、それを「物語り的存在」と呼ぶこともできます。

 

ーーーーーーーー

 

(設問)

設問(一)「その痕跡が素粒子の『実在』を示す証拠であることを保証しているのは、量子力学を基盤とする現代の物理学理論にほかなりません」(傍線部ア)とは、どういうことか、説明せよ。(60字程度)


設問(二)「『理論的虚構』という意味はまったく含まれていない」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)


設問(三)「『フランス革命』や『明治維新』が抽象的概念であり、それらが『知覚』ではなく、『思考』の対象であること」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

 

 問(四)「歴史的出来事の存在は『理論内在的』あるいは『物語り内在的』なのであり、フィクションといった誤解をあらかじめ防止しておくならば、それを『物語り的存在』と呼ぶこともできます」(傍線部エ)とあるが、「歴史的出来事の存在」はなぜ「物語り的存在」といえるのか、本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。


ーーーーーーーー

 

(解説・解答)


設問(一)「その痕跡が素粒子の『実在』を示す証拠であることを保証しているのは、量子力学を基盤とする現代の物理学理論にほかなりません」(傍線部ア)とは、どういうことか、説明せよ。(60字程度)

 

 傍線部アが、【1】段落の「筆者の主張」(→「過去は知覚できないがゆえに、その「実在」を確証するためには、想起や物語り行為をもとにした「探究」の手続き、すなわち発掘や史料批判といった作業が不可欠なのです」)を「素粒子の実在」に適用している場面であることを確認してください。

 

 次に傍線部直後と、同一段落最終文で、傍線部を解説していることを読み取ってください。

傍線部直後→「その意味では、素粒子の『実在』の意味は直接的な観察によってではなく、間接的証拠を支えている物理学理論によって与えられていると言うことができます。」

同一段落最終文→「素粒子が『実在』することは背景となる物理学理論のネットワークと不即不離です。」

 

 以上をまとめて、知覚不可能な「理論的存在」の「実在性」を説明するとよいでしょう。

 

(解答)

知覚できない素粒子の実在を、知覚可能な実験的証拠により確信できるのは、現代物理学理論の支えがあるからということ。

 

 現代物理学理論の「仮説的性格」をなんとか擁護しようとする野家氏の懸命さ、熱意を読み取っていくことが必要です。

 受験生としては、自己の主観、価値観を置いておいて、出題者、筆者に寄りそうとする能力、理解力、読解能力が問われているわけです。

 

…………………………

 

設問(二)「『理論的虚構』という意味はまったく含まれていない」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

 

 「理論的存在=虚構(→「フィクション」)」は誤解、を説明するとよいでしょう。

 【3】段落の整理を意識してください。

 特に、傍線部直後の
「それは知覚的に観察できないというだけで、れっきとした『存在』であり、少なくとも現在のところ素粒子のような理論的存在の実在性を疑う人はおりません。」

「その「実在」を確かめるためには、サイクロトロンを始めとする巨大な実験装置と一連の理論的手続きが要求されます。」に注目してください。

 

(解答) 

理論的存在は直接知覚できないが、その実在性は実験的証拠と理論的探究により証明可能なので、単なる理論的仮説ではないということ。

 

…………………………


設問(三)「『フランス革命』や『明治維新』が抽象的概念であり、それらが『知覚』ではなく、『思考』の対象であること」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

 

 歴史的事実の「抽象的概念性」を説明することになります。【4】・【5】段落の関係性を把握した上で傍線部の説明をしてください。

 

 具体的には、傍線部直前からの文脈の流れを、赤字に注目して、把握してください。

歴史記述の対象は「もの」ではなく「こと」、すなわち個々の「事物」ではなく、関係の糸で結ばれた「事件」や「出来事」だからです。「戦争」や「軍隊」と同様に、ウ『フランス革命』や『明治維新』が抽象的概念であり、それらが『知覚』ではなく、『思考』の対象であることは、さほど抵抗なく納得していただけるのではないかと思います。」

 

(解答)

歴史的事実は、具体的事物を特定の視点から相互に関連づけていく探究という思考を通して認識可能になるということ。

 

 …………………………

 

設問(四)「歴史的出来事の存在は『理論内在的』あるいは『物語り内在的』なのであり、フィクションといった誤解をあらかじめ防止しておくならば、それを『物語り的存在』と呼ぶこともできます」(傍線部エ)とあるが、「歴史的出来事の存在」はなぜ「物語り的存在」といえるのか、本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。

 

 傍線部直前の「言い換えれば」に着目して、直前部分(→「だいいち「前9年の役」という呼称そのものが、すでに一定の「物語り」のコンテクストを前提としています。つまり「前9年の役」という歴史的出来事はいわば「物語り負荷的」な存在なのであり、その存在性格は認識論的に見れば、素粒子や赤道などの「理論的存在」と異なるところはありません。」)

を熟読してください。

 

 その上で、【1】・【4】・【7】段落で繰り返される筆者の主張をまとめるとよいでしょう。

 

【1】段落「つまり、過去は知覚できないがゆえに、その「実在」を確証するためには、想起や物語り行為をもとにした「探究」の手続き、すなわち発掘や史料批判といった作業が不可欠なのです。」

【4】段落「歴史的事実は過去のものであり、もはや知覚的に見たり聞いたりすることはできませんので、その「実在」を主張するためには、直接間接の証拠が必要とされます。また、歴史学においては史料批判や年代測定など一連の理論的手続きが要求されることもご存じのとおりです。その意味で、歴史的事実を一連の「理論的存在」として特徴づけることは、抵抗感はあるでしょうが、それほど乱暴な議論ではありません。」

【7】段落「だいいち「前9年の役」という呼称そのものが、すでに一定の「物語り」のコンテクストを前提としています。つまり「前9年の役」という歴史的出来事はいわば「物語り負荷的」な存在なのであり、その存在性格は認識論的に見れば、素粒子や赤道などの「理論的存在」と異なるところはありません。」

 

(解答)

歴史的出来事の存在は、物理学における理論的存在と同様、直接に知覚できないが、歴史上の出来事を客観的史料に基づき把握し、それらを「物語り」という意味的文脈により関係づける理論的探究を通して、初めてその実在を明確化できる認識対象だから。(117字)

 

 →今回の問題は、要するに、「客観性」・「論理性」・「説得性」を問う問題です。

 難解な記述に目を奪われず、「要するに何を言いたいのか?」を考えるようにする態度が必要不可欠です。

 単純化して思考することを、心がけるようにしてください。

 思考とは、単純化であり、要約化です。

 

 このことを理解していない現代文指導者、小論文指導者が、現在の多数派であるように思われます。

 受験生としては、「自分で考えていくこと」を意識することが賢明でしょう。

 当ブログは、自ら思考する意欲のある受験生を応援していきます。

 

(3)野家啓一氏の紹介

 

野家 啓一(のえ けいいち、1949年2月21日)は、日本の哲学者。東北大学名誉教授。専攻は、科学哲学。宮城県仙台市出身。


【著書】

『言語行為の現象学』(勁草書房、1993年)

『無根拠からの出発』(勁草書房、1993年)

『科学の解釈学』(新曜社、1993年/ちくま学芸文庫(増補)、2007年/講談社学術文庫(改訂)、2013年)

『物語の哲学ー柳田國男と歴史の発見』(岩波書店、1996年/岩波現代文庫、2005年)

『クーン パラダイム』(講談社、1998年)

『パラダイムとは何か、クーンの科学史革命』(講談社学術文庫、2008年)

『科学の哲学』(放送大学教育振興会、2004年)

『科学哲学への招待』(ちくま学芸文庫、2015年)

『歴史を哲学する』(岩波書店、2007年/岩波現代文庫、2016年)

 

物語の哲学 (岩波現代文庫)

 

 

 (4)当ブログにおける「東大現代文」関連記事の紹介

 

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 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

    

 

 

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歴史を哲学する――七日間の集中講義 (岩波現代文庫)

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生命と死のあいだ―臨床哲学の諸相

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科学の解釈学 (講談社学術文庫)

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増補 科学の解釈学 (ちくま学芸文庫)

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

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