現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想出典/『常世の花 石牟礼道子』若松英輔

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 最近、発行された『常世の花 石牟礼道子』(若松英輔)が、内容的にも、レベル的にも、難関大学の現代文(国語)・小論文の題材として、ふさわしいので、今回の記事で解説します。

 

 まず、この本の「Book 紹介」を以下に引用します。

 「 「どんなに語ろうとしても言葉にならないことがある」

2月になくなった稀代の思想家の語りえなかった言葉を受けとめ語り継ぐ若松英輔による追悼文集。

小さな沈黙を心に宿らせ「いのち」の連関へ思いを繋ぐ。 まだ石牟礼作品を手にしたことのない人への誘い

『常世の花 石牟礼道子』(亜紀書房) 

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。

(2)予想出典・予想問題/『常世の花 石牟礼道子』若松英輔/「書くこと」・「詩」について

(3)「石牟礼道子氏の『書くスタイル』」について

(4)「死」・「死者」・「霊」・「霊性」について

(5)若松英輔氏の紹介

 

 

常世の花 石牟礼道子

常世の花 石牟礼道子

 

 

 

(2)予想出典・予想問題/『常世の花 石牟礼道子』若松英輔/「書くこと」・「詩」について

 

 本書のメインテーマは、「書くこと」と「詩」です。

 この点について、若松氏は、以下のように簡潔に述べています。

 

「  石牟礼さんは、『苦海浄土 わが水俣病』は「詩」だという

 比喩ではない。石牟礼さんにとって詩とは、言葉によって、言葉になり得ないものを表現しようとする試みであり、同時に、自らの心情を語ることがないまま逝かねばならなかった者たちの声を、どうにか受け止めようとする営みだった。

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 この解説を読み、『苦海浄土』(石牟礼道子)の以下の部分を熟読すると、若松氏の解説の適切さが分かると思います。

「  そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。

 この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。

 釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。」

(『苦海浄土』石牟礼道子)

 

「  水俣病のなんの、そげん見苦しか病気に、なんで俺がかかるか。

 彼はいつもそういっていたのだった。彼にとって水俣病などというものは、ありうべからざることであり、実際それはありうべからざることであり、見苦しいという彼の言葉は、水俣病事件への、この事件を創り出し、隠蔽し、無視し、忘れ去らせようとし、忘れつつある側が負わねばならぬ道義を、そちらの側が棄て去ってかえりみない道義を、そのことによって死につつある無名の人間が、背負って放ったひとことであった。」

(『苦海浄土』石牟礼道子)

 

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 

 

 

「  石牟礼さんは、『苦海浄土 わが水俣病』は「詩」だという

 比喩ではない。石牟礼さんにとって詩とは、言葉によって、言葉になり得ないものを表現しようとする試みであり、同時に、自らの心情を語ることがないまま逝かねばならなかった者たちの声を、どうにか受け止めようとする営みだった。」

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 石牟礼氏にとっての「詩」とは、「祈ること」でもあったのでしょう。

 「詩」と「祈ること」の類似性については、若松氏は、以下のように述べています。

「  祈ることと、願うことは違う。願うとは、自らが欲することを何者かに訴えることだが、祈るとは、むしろ、その何者かの声を聞くことのように思われる。」
(「はじめに」『悲しみの秘儀』)

 

 

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

 

 


「  石牟礼は、きよ子を知らない。きよ子の両親にしか会っていない。石牟礼にとって書くとは、きよ子のような言葉を奪われた人々の口に、あるいは手になることだった。そうして生まれたのが『苦海浄土』だった。」(「花の供養に」『悲しみの秘儀』若松英輔)


 上記の「石牟礼にとって書くとは、きよ子のような言葉を奪われた人々の口に、あるいは手になることだった」は、注目するべき一節です。

   「言葉を奪われた人々の口に、あるいは手になる」ためには、死者の臨在を実感する必要があるのです。

   「死者の臨在の実感」についても、若松氏は、『神秘の夜の旅』の中で述べています。

 若松氏の『神秘の夜の旅』に取り上げられた越知保夫、小林秀雄、井筒俊彦、リルケ、ドストエフスキー等の共通点は、可視的ではない「至高なる存在」を信じていたことです。

 しかも、彼等は、その「臨在」をリアルに感じていたのです。

 そして、「詩人たち」は、その体験を通じて、あることを語り始める口になっていくのです。

 
『神秘の夜の旅』の記述を引用します。

「  詩人は自身を語る前に、託されたことを語らなくてはならない。むしろ、何ものかに言葉を「委託」されたとき、その人は詩人になる。

 詩人の努力は、言葉を探すところにだけあるのではない。彼に「委託」する、主体からの「呼びかけ」を待つことである。

(『神秘の夜の旅』若松英輔)

 

 

神秘の夜の旅

神秘の夜の旅

 

 

 

 「詩人」においては、「書くこと」が、一般的に考えられている自己表現の次元とは違うのです。

 個人レベルを超越した、いわば、霊の「呼びかけ」に導かれて、忘我の状態で記述することなのでしょう。

 詩人はひたすら静かに、無私の状態になり、「霊」からの「呼びかけ」を待っているのです。

 

『神秘の夜の旅』の中で、若松氏の引用しているリルケの詩を紹介します。

「  風に似てふきわたりくる声を聴け、静寂からつくられる絶ゆることないあの音信を。

 あれこそ、あの若い死者たちから来るおまえの呼びかけだ。

 かつて、おまえがローマやナポリをおとずれたとき、教会堂に立ち入るごとに、かれらの運命は静かにおまえに話しかけたではないか。

 また、さきごろサンタ・マリヤ・フォルモーサ寺院でもそうであったように、死者の碑銘がおごそかにおまえに委託してきたではないか。」

(『神秘の夜の旅』若松英輔)

 

 いわば、現代においても、「詩人」は「中世」に一人生きているのです。

 「中世」は、「霊性」が生きている時代です。

 『神秘の夜の旅』の中から、その点についての越知保夫氏の記述(「小林秀雄の『近代絵画』における『自然』」)を引用します。

「  勿論現代人にとっては超自然などというものは、全く無意味な空虚な観念にすぎない。が、中世ではそうではなかった。自然は、超自然によって意味づけられていたのである。超自然界は人間の自然の能力を越えてはいる厳存する実在であり、恩寵の世界である。」

(『神秘の夜の旅』若松英輔)

 

 『常世の花 石牟礼道子』は、石牟礼道子という「詩人」の「遺言」を、「詩人」若松英輔が受け継ごうとしている書のようです。

 その決意を次の記述から感じることができるでしょう。

「  昨年の六月に会ったとき、石牟礼さんが伝えたいと言っていたのも、どんなに語ろうとしても言葉にならないことがある、ということだったような気がしている。

 会って話さねばならないことがある、人はそう強く感じても、それを語り得るとは限らない。だが、対話を求められた方は、その気持ちを受けとめることができる。語り得ないことを語り継ぐ、それが石牟礼道子の遺言だったと、私は勝手に解釈している。」

(「あとがき」『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)


 そして、若松氏は、「詩人」をこのように表現しています。

「  言語は、コトバの片鱗にすぎない。言葉を口にしないものたちもコトバを語る。コトバは、ときに野草の色として、鳥のさえずりとして、あるいは岩のかたちとして語った。

 色に魅せられた画家はそれを写し、旋律を聴いた音楽家は曲を生んだ。彫刻家とは、巌に宿った像を掘り出すものであり、詩人とは、霊感に貫かれ、コトバを宿し、それを律動とともに生み落とした者の呼称だろう。」(『常世の花 石牟礼道子』)

 

 上記の「詩人とは、霊感に貫かれ、コトバを宿し、それを律動とともに生み落とした者の呼称」に着目してください。

 

 「詩人とは、霊感に貫かれ、コトバを宿し、それを律動とともに生み落とした」については、同様のことを池田晶子氏が述べているのは、とても興味深いことです。

 そのことに触れている若松氏の記述を以下に引用します。 

「  池田晶子にとって「書く」とは、コトバの通路になることだった。自らをコトバが通りすぎる場と化す営みだった。自分が語るのではない。語るのはコトバであり、自分に託されているのはそれを聞き、書き記すことだけであると彼女は信じ、それを実践するために生きた。

(『池田晶子 不滅の哲学』若松英輔) 

 

 

池田晶子 不滅の哲学

池田晶子 不滅の哲学

 

 

 

 ここでの「コトバ」は、一般的な「言葉」では、ありません。

 若松氏にとって、特別の意味のある表現です。

 言語でありながら、不定形な姿で私たちの前に現前する「言葉」を、ここでは「コトバ」と表記しているのです。


『生きる哲学』の初めで若松氏は、コトバについて、以下のように解説しています。

「  本書では言語の姿にとらわれない「言葉」をコトバとカタカナで書く。

「  私たちが文学に向き合うとき、言語はコトバへの窓になる。絵画を見るときは、色と線、あるいは構図が、コトバへの扉となるだろう。彫刻と対峙するときは形が、コトバとなって迫ってくる。楽器によって奏でられた旋律がコトバの世界へと導いてくれるだろう。」

(『生きる哲学』)

 

 

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

 

 

 

 さらに、このようにも述べています。

「  言語的世界の彼方で開花する意味の火花をコトバと呼んできた。」

「  コトバとの邂逅はいつも魂の出来事である。コトバは常に魂を貫いて訪れる。何者かが魂にふれたとき、人は自らにも魂と呼ぶべき何者かが在ることを知る。」(『生きる哲学』)

 ここで言う「コトバ」とは、「魂に関する出来事」、つまり「魂を揺さぶる出来事」なのでしょう。

 

 哲学者の井筒俊彦氏は「形の定まらない意味の顕れ」を「コトバ」と呼んでいます。

 若松氏もそのような意味で、「コトバ」を使っているようです。
 
 『生きる哲学』の最後の部分で、井筒俊彦氏の言葉が引用されているのです。

「  コトバ以前に成立している客観的リアリティなどというものは、心の内にも外にも存在しない。書き手が書いていく。それにつれて、意味リアリティが生起し、展開していく。

 意味があって、それをコトバで表現するのではなくて、次々に書かれるコトバが意味を生み、リアリティを創っていくのだ。

 コトバが書かれる以前には、カオスがあるにすぎない。書き手がコトバに身を任せて、その赴くままに進んでいく。その軌跡がリアリティである。「世界」がそこに展開する。

(『生きる哲学』若松英輔)

 

 

(3)「石牟礼道子氏の『書くスタイル』」について


 「石牟礼道子氏の書くスタイル」については、

「  頭だけでなく、体で書く、それが石牟礼道子氏の流儀である」
と若松英輔氏は、『常世の花 石牟礼道子』で述べています。


 以下に引用します。

「  石牟礼さんの言葉は誰にも似ていない律動を有している。

 それがいわゆる学習の結果なら、あの無常をたたえた響きは生まれることはなかっただろう。

 彼女は類を見ない、優れた歴史感覚の持ち主だった。

 言葉を歴史の奥底からくみ上げる特異の才能に恵まれていた。

 その感覚は、島原の乱で亡くなったキリシタンと水俣病事件をめぐる運動に参加した人々をつなぎ、水俣病事件と足尾銅山鉱毒事件をつないだ。

 その言葉は、現代が危機に直面したとき、いっそう力強く浮かび上がった。

 東日本大震災のあと
「花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり」
という一節がある「花を奉る」と題する彼女の詩に、慰めを見出した人も少なかったのではないだろうか。

 『苦海浄土』をどのような心持ちで書いたかを尋ねたことがある。

 しばらく沈黙したあと彼女は、静かにこう語り始めた。

 これまでにないことが起こったのだから、これまでにない様式で書かねばならないと思った。

 詩のつもりで書きました。

 書くことは、独りで行う闘いです、と言った。

 そして最後に、今も闘っています、とも語った。

 あの時の佇まいを忘れることができない。

 石牟礼道子は現代日本で、語らないまま逝った者たちの嘆きを受け止めるという、最も大きな問いを生きた書き手の一人であり、真の意味における闘士だった。

 また『苦海浄土』は詩で、石牟礼道子は稀代の詩人だった。

 また、しばしば彼女と語りあったのは亡き者たちのことだった。

 石牟礼さんにとって書くことは、自らの思いを表現する以前に、語ることを奪われた者たちの言葉をわが身に宿し、世に送り出すことだった。

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 上記の「書くことは、独りで行う闘いです、と言った」の部分は、「コトバ」が、どのような状態の中から来るのかを、示唆しています。

 これについては、池田晶子氏の以下の記述が参考になります。

 

「  孤独なもの思いにおいてこそ、人は世界へと開かれることができるという逆説、孤独な思索者の内なる饗宴である。「内語」という現象にそれはきわまるだろう。

(『あたりまえなことばかり』池田晶子)

 

 このような状況の中での石牟礼氏は、「書くこと」という、「独りで行う闘い」をしていたのでしょう。

 静謐の中で、「死者の声が生者を通して語られ書かれること」、つまり、「合掌」が、なされていたのでしょう。

 

 以下の記述は、心に沁みます。

「現世にあるのは、不条理が生んだ悲しみと嘆きばかりであり、生者に許されているのが、滅びゆくのを待つことのみであるかのように思われたとしてもなお、「地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌」する、と石牟礼さんは歌うのである」

(『常世の花 石牟礼道子』若松英輔)

 

 

(4)「死」・「死者」・「霊」・「霊性」について

 

 次に、若松氏が、「死」・「死者」・「霊」・「霊性」をどのように把握しているのか、を見ていきます。

 まず、「霊性」の定義については、若松氏は以下のように述べています。

 

『霊性』とは、万人のなかにある、自らを超える何ものかを希求する衝動やである。人間が自らの手ではどのようにも埋めることのできない欠落を充たす何ものかを乞い求める本能である。

(『常世の花 石牟礼道子』)

 

 さらに、若松氏は、石牟礼氏が述べていた「荘厳」という表現に注目しています。

 『常世の花 石牟礼道子』に何度か登場するキーワードに「死者からの働きかけ」としての「荘厳」があります。

 『常世の花 石牟礼道子』の中では、「荘厳」を「深みからの光りに照らし出される」という意味としています。

 その他に次のような記述があります。

「自分の中のいちばん深いさびしい気持を、ひそやかに荘厳してくれるような声が聞きたいと、人は悲しみの底で想っています。だからこそ、山の声、風の声を魂の奥で聴くのです。」 

 「荘厳」は、「石牟礼氏と死者との密接な関係」を明示するキーワードと言えるでしょう。

 

  「死者」については、『死者との対話』若松英輔にも、詳しい解説があります。

「  死者が見えないからといって、死者は存在しないといってはならない。私の実体験からそうだと納得できるのは魂が、からだの中にあるのではありません。魂がからだを、存在を包んでいるのです。」

 上記の「死者が見えないからといって、死者は存在しないといってはならない」という部分は、若松氏が、様々な著作で繰り返し述べていることです。

 

 特に、『死者との対話』には、かなり詳しい解説があります。

 以下に引用します。

「  死者をありありと感じる一群の人々がいて、彼らがそれを真摯に語ったとしても、それにふさわしい態度で受け入れる者が少ない、それが現代です。

 現代が死者を封じ込めてきたのは、科学がその存在を証明できないからです。しかし、よく考えてみると、科学的証明が可能か、という問い自体が間違っていることに気がつきます。

 科学はもともと「死」を境に、その線を超えた領域での出来事を自らの守備範囲としないと宣言している、ある一つの考えに過ぎません。

 科学が不完全であることは、日々、進歩していることからも明らかです。完全なものは進歩しません。

 ですから、科学が死者の存在を証明できないということは、それが存在しないこととはまったく関係がありません。

 現代人は、自分の問いそのものがまちがっているかもしれないとは考えない。自分の問い方は常に正しいと思っている。あの人は、自分の目の前からいなくなったんだから、存在しない、確かなのは、喪ったことと癒されない悲しみだけだ。

 死者なんていない、だから、こんなに悲しいんじゃないか、そう思い込む。私もそうでした。でも、本当にそうでしょうか。

 死者はいる、死者は私たちのそばにいる、ときに私たち自身よりも近くに存在している、と今は感じています。

 そして、死者の臨在をもっとも強く実感させるのは「悲しみ」です。

 

「  もし、私にイエスのような不思議な力があって、からだにふれるだけで病気が治せたとします。 

 すると、人々は私を賞賛し、奇蹟を起こしたというかもしれない。

 しかし、よく考えてみると元にもどっただけなのです。

 苦難、苦痛を経験しているわけですから、単に元にもどったというのは言いすぎですが、このとき私たちに示されているのは、病が癒えたという奇蹟と同時に、病む以前の状態もまた「奇蹟」だったということです。

 しかし、誰も毎日の生活を「奇蹟」だとは言わない。

 あまりに日常化しているからです。それを失ってはじめて、その貴重さが分かる。ですが、失うというきびしい経験を経ずとも、日常が奇蹟であることを実感することはできます。そのもっとも端的な契機が、死者と共に生きることだと思うのです。 

 むしろ、私たちが、こうして死者たちと共にあり得ることの方が、よほど奇蹟的ではないでしょうか。

 病が癒えただけでなく、死んだ者と再び生きることができるのです。

 それは万人に、無条件に開かれている真実の奇蹟です。

 

「  死者の姿が見えないということは、その実在をなんらおびやかすことではありません。

 今日は雨で空は曇っています。曇っているから太陽は見えません。

 私が今、空を見上げて、太陽が消えてしまったと騒ぎだしたら、皆さんはどうお感じになりますか。

 太陽が見えないからといって、太陽がなくなったといってはならないように、死者が見えないからといって、死者は存在しないといってはならない。

 太陽が見えなくても、光が見えているから太陽を感じることができる、と反論されるかもしれません。

 死者も同じです。私たちは死者を光として感じることができます。

 光は、いつも明るく輝いているとはかぎりません。闇もまた、光の姿の一つです。闇とは、光が失われた状態ではなくて、光が一点に凝縮している状態です。

 ですから、闇を感じるとき、私たちは同時に光の存在を感じることができます。私たちの感覚がそれを認識できなくても、魂はそれを知っています。

(『死者との対話』若松英輔)

 

 科学万能主義を信奉する現代人にとっては、上記の論考は、少々理解し難い内容かもしれません。

 しかし、全ての出来事を「科学の視点」から判断する必要はないはずです。

 特に、「直感」、「実感」については、各自の素直な感性に従えばよいのではないでしょうか。

 しかも、現代においては、科学万能主義には、数々の疑問が提示されているのです。

 以上の視点から、以下の若松氏の論考を読むと、新たな知見が得られるはずです。

 

「  鎮魂を論じることと、魂を感じることとは別です。魂の実在を信じていなくても、鎮魂を口にすることはできる、それが現代なのかも知れません。大震災のとき、文学者ならまだしも、宗教者すらそうだった、と私には思えました。

 彼らの発言は、現実から離れているだけでなく、冷淡にさえ感じられました。 

 冷淡な、と私が言ったのは、彼らが、生者を思う死者の言葉に耳を傾ける前に、彼らを別な次元に追いやることで決着をつけようとした、と見受けられたからです。」
(『死者との対話』若松英輔)

 

 確かに、「鎮魂」には、「死者を生者とは別の次元に追いやることで決着をつけよう」とする側面があります。

 「鎮魂」という言葉が持つ、ある種の「よそよそしさ」、「冷淡さ」は、否定しようがないでしょう。

 「死者と生者は別の次元の存在」という「思い込み」、「偏見」から離れて、以下の論考を熟読すると、今までとは違う感慨を得ることができるでしょう。

 「 「死」があるのではなく、死者がいるだけであるように、病気もまた存在しません。存在するのは病を背負う人間だけです。「病者」というとき、私たちは病気に目を奪われて、その人の苦しみや悲しみ、その人の本当の姿を見失ってはいないでしょうか。

 「死」と死者の関係も似ています。「死」に目を奪われていると、死者の姿が見えにくくなります。

 「亡骸」は、いわば現代が作りだした、すべての終焉である「死」の偶像です。「死」こそ、私たちから死者を隠すものなのです。死者に出会うために私たちが最初になすべきは、「死」の呪縛から離れることではないでしょうか。むしろ、避けようとしてきた悲しみこそが、生者と死者の間にある「死」の壁を溶かすのではないでしょうか。

 死者は抽象的な概念ではありません。実在です。それは、人間が安易に解釈することを拒むものです。汲めども尽きぬ、何かです。

 死者が実在であるというのは、私たちがその存在を忘れてもなお存在するものだからです。

 

「  死者は生者といつも共にある。その状態を、ここでは「協同」と呼びたいと思います。

 私が自分の魂から眼をそらすことがあっても、死者は決してそこから離れることはない、それが私の経験している死者との交わりです。死者に出会うとは、「魂にふれる」ことと同じだといってもよいと思います。

(『死者との対話』)

 

 さらに、若松氏は、死者の「魂に触れる」可能性について、白川静氏の見解を引用しつつ、次のような示唆に富んだ説明をしています。

「  魂は不死であると信じられていた時代、人は魂に触れ得ると信じていた。また人々にとって、魂を語ることは、すなわち死者に触れることだった。

 古代、歌を詠むとは、言葉によって魂を「振る」、即ち魂を動かし、触れる営みである。風が木の葉を「振る」ごとく、言葉は、魂に触れることができると信じられていた。そこに比喩を読みとってはならない。「魂振り」とは、そうした言葉の秘儀を示す表現である。

 万葉の時代、恋を歌う相聞歌は、死者への挽歌から生まれた、そう言ったのは白川静である。挽歌の底を流れるのは、言葉にならない呻きである。恋愛は、恋の一部に過ぎない。恋するとは、好意を超えて、全身を賭して相手を思う営みだった。

(『魂にふれる』若松英輔)

 

 ところで、私たちが、「死者」を思う時に、必ず付きまとう「悲しみ」とは何でしょうか?

 この点についても、若松氏は、考察しています。

 以下に引用します。

「  悲しいと感じるそのとき、君は近くに、亡き愛する人を感じたことはないだろうか。ぼくらが悲しいのは、その人がいなくなったことよりも、むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか。

 もちろん、姿は見えず、声は聞こえない。手を伸ばしても触れることはできない。ぼくらは、その存在を感じるのに、触れることもできず、その声を聞くこともできない、そのことが悲しいのではないだろうか。でも、ぼくらは、ただ悲しいだけじゃないことも知っている。心の内に言葉が湧きあがり、知らず知らず、声にならない会話を交わし、その人を、触れられるほど、すぐそこに感じたことはないだろうか。

 ぼくは、ある。

 人は死なない、むしろ死ぬことができない、そう言ったら、君は驚くだろうか。この世界には、死を経験した人間は1人もいない。死が消滅であるなら、ぼくらが経験しているのは、まったく違うことではないだろうか。ぼくらは、亡くなった人を永遠に失ったから悲しいのではなくて、その人々が永遠の世界から、ぼくらが暮らす、この世界に近づいてくるから、悲しいと感じられるのではないだろうか。」

(『死者との対話』)

 

 『死者との対話』は、抽象的な「死」よりも、具体的な「死者」に重点を置いて、論を進めているようです。

 「死者」と言う時、私たちは「身近な死者」をイメージするために、より一層、若松氏の見解を傾聴することになるのです。

 

   「死者」とは、そもそも何なのか。

 若松氏は、『魂にふれる』の中でも、このことを、どこまでも考え抜こうとしています。

 「死者」について考えることは、「生者」について考えることでもあり、「自己」について考えることであることを、強く意識しているのでしょう。

「  死の経験者は皆無でも、死者は、万人の内に共に生きている。死者の姿は見えない。見えないものに出会うことを望むなら、見えないものを大切にしなくてはならない。

 それは、死者と君の関係においてだけでなく、君と君の愛する人のためにも、とても大切なことなんだ。目に見えず、耳に聞こえず、手に触れることのできないもの、さらに語り得ないものであっても、存在していて、それが人と人を結びつけていることを、いつも覚えていてほしい。

 見えないことと存在しないことは、まったく違う。空が曇っていて、太陽がよく見えないからといって、ぼくらは、太陽が消えたとは言わない。よく見えないだけで、太陽は雲の向こうで、いつもと変わらず輝いている。死者も同じだ。ぼくらがその姿を見失うことがあっても、彼らは、ぼくらに向かって光を放ち続けている。」
(『魂にふれる』)

 

「  死者と共にあるということは、思い出を忘れないように毎日を過ごすことではなく、むしろ、その人物と共に今を生きるということではないだろうか。

 新しい歴史を積み重ねることではないだろうか。「死者」は肉眼で「見る」ことができない。だが、「見えない」ことが、実在をいっそう強く私たちに感じさせる。死者の経験とは、「見る」経験ではない。むしろ、「見られる」経験である。死者は、「呼びかける」対象である以上に、「呼びかけ」を行なう主体なのである。

 (『魂にふれる』若松英輔)


「  死者は、ずっとあなたを思っている。あなたが良き人間だからではなく、ただ、あなたを思っている。私たちが彼らを忘れていたとしても、彼らは私たちを忘れない。死者は随伴者である。彼らは、私たちと共に苦しみ、嘆き、悲しみ、喜ぶ。生者を守護することは、死者の神聖なるつとめである。死者は感謝を求めない。ただ生き抜くことを望むだけだ。死者は、生者が死者のために生きることを望むのではなく、死者の力を用いてくれることを願っている。死者を探してはならない。私たちが探すのは、自分が見たいと思う方角に過ぎない。おそらく、そこに死者はいない。ただ、語ることを止め、静かに佇んでみる。すると、あなたを思う不可視な「隣人」の存在に気がつくだろう。

 死者を感じたいと願うなら、独りになることを避けてはならない。それは、私たちに訪れた沈黙という恩寵である。死者はいたずらに孤独を癒すことはしない。孤独を通じてのみ知り得る人生の実相があることを、彼らは知っている。死者は、むしろ、その耐えがたい孤独を共に耐え抜こうとする。誰も自分の悲しみを理解しない。そう思ったとき、あなたの傍らにいて、共に悲しみ、涙するのは死者である。私たちは信頼し得る生者を信用するように、死者の働きを信じてよい。死者にとって、生者の信頼は無上の供物となり、死者からの信頼は、生者には慰めと感じられる。

 (『死者との対話』若松英輔)

 

 以上を熟読すると、今までの常識的な「死者に対する認識」に、変化が生ずるでしょう。

 私たちは、「呼びかけを行なう主体」、「随伴者」、「不可視な隣人」、「私たちの傍らにいて、共に悲しみ、涙する」存在である「死者」を、決して軽んじてはならないのです。


 中島岳志氏は、死者について、以下のように述べています。

「私たちの世界は、生者だけで成り立っているのではない。死者を含むメンバーで構成されている。私たちの日常は、死者たちが紡ぎあげてきた経験知や暗黙知によって支えられている。」

(若松英輔『常世の花 石牟礼道子』についての中島岳志氏の書評『毎日新聞』2018年8月12日)

 

(5)若松英輔氏の紹介

 

若松英輔(わかまつ えいすけ)批評家・随筆家。1968年生まれ、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。

2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。

2016 年「叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦」にて第2回西脇順三郎学術賞を受賞。

NHK「100分de名著」内村鑑三、石牟礼道子の回にゲスト講師として出演。

 

【著書】

『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)、

『池田晶子 不滅の哲学』(トランスビュー)、

『岡倉天心「茶の本」を読む』(岩波書店)、

『君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた』(河出書房新社)、 

『吉満義彦 詩と天使の形而上学』(岩波書店 2014)、

『生きる哲学』(文藝春秋社)、

『悲しみの秘義』(ナナロク社)、

『イエス伝』(中央公論新社)、

『生きていくうえで、かけがえのないこと』(亜紀書)、

『緋の舟』(志村ふくみとの共著)(求龍堂)等

 

 ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の死者は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

   

 

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