『生物と無生物のあいだ』福岡伸一・頻出出典・科学論・生命とは何か?
「科学論」・「科学批判」は、東日本大震災以降、増加し、現在に続いています。
今回の記事は以下の構成になっています。
(1)なぜ、この記事を書くのか?
(2)『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)ー2008早稲田大学・国際教養学部の問題・解答・解説
(3)「動的平衡」の概略的解説
(4)「生命とは何か?」ー「エントロピー増大の法則」と「動的平衡」の関係
(5)福岡伸一氏の紹介
(1)なぜ、この記事を書くのか?
「科学論・科学批判」は、東日本大震災以後、激増し、現在に続いています。
その背景は、以下の通りです。
難関大学・センター試験の入試現代文(国語)・小論文に出題される「科学批判」・「科学論」の論点・テーマは、3・11東日本大震災・福島原発事故以降、より先鋭化し、明らかに出題率も増加しています。
3・11以前も、環境汚染・地球温暖化・チェルノブイリ原発事故等により、「科学批判」・「科学論」の論点・テーマは、一定の多くの出題がみられました。
しかし、3・11以降は、「近代科学」に対する批判は明白に先鋭化し、「科学批判」・「科学論」の論点・テーマは出題率が増加しています。
これは、考えてみれば、当然のことです。
福島原発事故の際の、原子力村の学者達、地震学者達の無責任な「想定外」の連呼。
崩壊した「安全神話」。
今だに完全には収束していない福島原発の処理。
これらをみれば、「科学」に対する厳しい批判的論考は、増えこそすれ、減ることはないでしょう。
しかも、現代文明においては、地球温暖化・核廃棄物等の問題を見ても分かるように、我々人類の生存・存立に多大な影響を及ぼすような理科系の論点・テーマが発生しています。
現代文明は、「文明と科学」が密接な関係にあるのです。
「文明と科学」の問題は、文科系、理科系の壁を越えて、今や、人類全体にとって、緊急な重大な問題になっているのです。
大学における現代文(国語)・国語入試問題作成者の「問題意識」も同じでしょう。
たとえ、問題作成者の「問題意識」がそうでないとしても、入試現代文(国語)・小論文の世界は、「出典」の関係で論壇・言論界・出版界の影響を受けるのです。
以上の理由により、最近の入試現代文(国語)・小論文においても、「科学論・科学批判」は、最も注目するべき論点・テーマです
従って、現代文(国語)・小論文対策として、今回は、入試頻出出典として、『生物と無生物のあいだ』を、早稲田大学国際教養学部の過去問を元に解説します。
(2)『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)ー2008早稲田大学・国際教養学部の問題・解答・解説
(本文)(概要です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
(【1】【2】【3】・・・・は、当ブログで付加しすた段落番号です)
「【1】生命とは何か? それは自己複製を行うシステムである。20世紀の生命科学が到達したひとつの答えがこれだった。1953年、科学専門誌『ネイチヤー』にわずか千語(1ページあまり)の論文が掲載された。そこには、DNAが、互いに逆方向に結びついた2本のリボンからなっているとのモデルが提出されていた。生命の神秘は二重ラセンをとっている。多くの人々が、この天啓を目の当たりにしたと同時にその正当性を信じた理由は、構造のゆるぎない美しさにあった。〔 A 〕さらに重要なことは、構造がその機能をも明示していたことだった。論文の若き共同執筆者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは最後にさりげなく述べていた。この対(つい)構造が〔 1 〕ことに私たちは気がついていないわけではない、と。
【2】DNAの二重ラセンは、互いに他を写した対構造をしている。そして二重ラセンが解けるとちょうどポジとネガの関係となる。ボジを元に新しいネガが作られ、元のネガから新しいポジが作られると、そこには二組の新しいDNA二重ラセンが誕生する。ポジあるいはネガとしてラセン状のフィルムに書き込まれている暗号、これがとりもなおさず遺伝子情報である。これが生命の "自己複製" システムであり、新たな生命が誕生するとき、あるいは細胞が分裂するとき、情報が伝達される仕組みの根幹をなしている。
【3】分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、〔 B 〕分子機械に過ぎないといえる。デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿である。生命体が分子機械〔 C 〕、それを巧みに操作することによって生命体を作り変え、"改良" することも可能だろう。たとえ、すぐにそこまでの応用に到達できなくとも、たとえば分子機械の部品をひとつだけ働かないようにして、そのとき生命体にどのような異常が起きるかを観察すれば、部品の役割をいい当てることができるだろう。つまり、生命の仕組みを分子のレベルで解析することができるはずである。このような考え方に立って、遺伝子改変動物が作成されることになった。"ノックアウト" マウスである。」
……………………………
(問題)
問1空欄A~Cに入る最も適当な語を、それぞれ次のア~オの中から選べ。
A ア もちろん イ もっとも
ウ とりわけ エ なかでも
オ しかし
B ア あるいは イ すなわち
ウ もしくは エ いわゆる
オ いわんや
C ア を使えるならば
イ のはずならば
ウ でないならば
エ に似ているならば
オ であるならば
問2 空欄1に入る最も適当なものを次の中から選べ。
ア 直ちに自己複製機構を示唆する
イ いずれ生命の神秘を明らかにする
ウ DNA二重ラセンの根本機能を担う
エ 生命の設計図としての機能を持つ
……………………………
(解説・解答)
→今回のように、空欄補充問題が多い時は、本文の要約はアバウトで良いのです。厳密にやる事は無理ですし、時間のムダです。
また、すぐに、選択肢を見て、正解を検討するようにしてください。記述式のように解く、つまり、「自分で解答を書いてから選択肢を見る」という方法もあるようですが、無限の可能性にチャレンジすることになります。
問1 (空欄補充問題)
Cは、直後の二つの文の「文末」に注目してください。
(解答) A→オ B→イ C→オ
問2(空欄補充問題)
まず、空欄の直前の二つの文、つまり、「さらに重要なことは、構造がその機能をも明示していたことだった。論文の若き共同執筆者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは最後にさりげなく述べていた」に注目するとよいでしょう。
次に、第【2】段落の最終文の生命の「 "自己複製" システム」に着目してください。
アが正解になります。
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(本文)(概要です)
【4】私は膵臓(すいぞう)のある部品に興味を持っていた。膵臓は消化酵素を作ったり、インシュリンを分泌して血糖値をコントロールしたりする重要な臓器である。この部品はおそらくその存在場所や存在量から考えて、重要な細胞プロセスに関わっているに違いない。そこで、私は遺伝子操作技術を駆使して、この部品の情報だけをDNAから切り取って、この部品が欠損したマウスを作った。ひとつの部品情報が叩き壊されている(ノックアウト)マウスである。このマウスを育ててどのような変化が起こっているのかを調べれば、部品の役割が判明する。マウスは消化酵素がうまく作れなくなって、栄養失調になるかもしれない。あるいはインシュリン分泌に異常が起こつて糖尿病を発症するかもしれない。
【5】長い時間とたくさんの研究資金を投入して、私たちはこのようなマウスの受精卵を作り出した。それを仮母の子宮に入れて子供が誕生するのを待った。母マウスは無事に出産した。赤ちやんマウスはこのあと一体どのような変化を来たすであろうか、A 私たちは固唾(かたず)を呑んで観察を続けた。子マウスはすくすくと成長した。そしておとなのマウスになった。なにごとも起こらなかった。栄養失調にも糖尿病にもなっていない。血液が調べられ、顕徴鏡写真がとられ、ありとあらゆる精密検査が行われた。どこにもとりたてて異常も変化もない。私たちは困惑した。一体これはどういうことなのか。
【6】実は、私たちと同じような期待をこめて全世界で、さまざまな部品のノックアウトマウス作成が試みられ、そして私たちと同じような困惑あるいは落胆に見舞われるケースは少なくない。予測と違って特別な異常が起きなければ研究発表もできないし、論文も書けないので正確な研究実例は顕在化しにくい。が、その数はかなり多いのではないだろうか。
【7】私も最初は落胆した。もちろん〔 2 〕、実は、ここに生命の本質があるのではないか、そのようにも考えてみられるようになってきたのである。
【8】遺伝子ノックアウト技術によって、パーツを一種類、ピースをひとつ、完全に取り除いても、何らかの方法でその欠落が埋められ、バックアップが働き、全体が組みあがってみると何ら機能不全がない。生命というあり方には、パーツが張り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。ここには何か別のダイナミズムが存在している。私たちがこの世界を見て、そこに生物と無生物とを識別できるのは、そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか。では、その " 動的なもの ″ とは一体なんだろうか。
【9】私は一人のユダヤ人科学者を思い出す。彼は、DNA構造の発見を知ることなく、自ら命を絶ってこの世を去った。その名をルドルフ・シェーンハイマーという。彼は、生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、〔 3 〕身体から抜け出て行くことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。」 (『生物と無生物のあいだ』福岡伸一)
……………………………
(問題)
問3 傍線部A「私たちは固唾を呑んで観察を続けた」に込められた気持ちとして、最も適当なものを次の中から選べ。
ア 生命の神秘が解明されるのではないかと、わくわくしながら見守っている。
イ 長い時間と多額の研究資金を投入したのに、実験が失敗したらどうしようとびくびくしている。
ウ 赤ちゃんマウスがおとなになるまで育って、実験が成功するように祈っている。
エ いつどんな異常が現れるか、期待と緊張でどきどきしている。
問4 空欄2に入る最も適当なものを次の中から選べ。
ア 今でも心底落胆している。しかし落胆ばかりでは研究は進まないので
イ 今ではもう落胆していない。想像をたくましくすれば
ウ 今でも半ば落胆している。しかしもう半分の気持ちでは
エ 今ではまったく落胆していない。なぜならば
問5 空欄3に入る最も適当なものを次の中から選べ。
ア 次の瞬間には
イ 私たちが死ねばすぐさま
ウ 次の世代には
エ そのままの形で
問6 「生命とは何か」について著者が最も重視する論旨として適当なものを次の中から選べ。
ア 生命は実験的に異常を生じさせても、それを修正するシステムである。
イ 生命は個々のパーツに還元できない動的なシステムである。
ウ 生命は自己複製を行うシステムである。
エ 生命は無生物には見られない特別な要素を有する動的平衡システムである。
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(要約・解説・解答)
(要約)
生命の仕組みを分子レベルで解析できるという分子生物学照り返しな生命観に立ち、遺伝子改変動物を作成して、観察を続けた。しかし、ついに、異常も変化も見られなかった。生命とは静的なパーツから成り行つ分子機械ではなく、「動的平衡状態」にあるものであり、パーツ自体のダイナミックの流れの中に成り立っている。
(解説・解答)
問3(傍線部説明問題)
【3】~【5】段落に注目して、「遺伝子改変動物作成の意図」を考えてください。
正解はエです。
問4(空欄補充問題)
「私も最初は落胆した。もちろん〔 2 〕(今でも半ば落胆している。しかしもう半分の気持ちでは) 、実は、ここに生命の本質があるのではないか、そのようにも考えてみられるようになってきたのである。」という、空欄を含む一文のニュアンスに注意してください。
その上で、最後の三つの段落から、「落胆しつつも発想を変えようとしている著者の心理」を押さえるとよいでしょう。
正解はウです。
問5(空欄補充問題)
空欄直前の「瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり」、空欄直後の「身体から抜け出ていく」、同段落最終文の「パーツ自体のダイナミックな流れ」に着目してください。
正解はアです。
問6(趣旨合致問題)
→本文を読む前に、この設問を見るべきです。出題者は、「生命とは何か」が本文のテーマであると、ヒントを明示しています。
分子生物学的生命観に疑問を抱きはじめる最後の三つの段落に注目するとよいです。
特に重要なのは最終の【9】段落の次の二つの文です。
「生命が「動的な平衡状態」にあること」
「私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。」
最強のキーワード(「動的な平衡状態」)の入っている選択肢を選ぶようにしてください。
正解はエです。
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(3)「動的平衡」の概略的解説
福岡氏は、この実験の結論として、次のような感動的なことを述べています。
「私たちは遺伝子を失ったマウスに何事も起きなかったことに落胆するのではなく、何事も起きなかったことに驚愕すべきなのである。動的な平衡力がもつ、柔らかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ感嘆すべきなのだ。」
ここには、「生命の神秘と素晴らしさ」が、あります。
そして、それを素直に評価する福岡氏の、柔軟な感性に、私は感心しました。
『生物と無生物のあいだ』は、「『科学者と詩人』の心」を持つ著者によって、丁寧な記述がなされた名著だと思います。
ここで言う「動的平衡」とは、概略的に言うと、以下のような内容になります。
生物も分子レベルでのパーツから成る集合体です。
従って、分子レベルでみれば、「絶えず分子の入れ替わり(食べたものが吸収されて生物の構成物となり、不要なものは排泄等により生物の体外へ排出されていく)が起きている」という意味で、「動的」であり、
同時に、「『動的』でありつつ、常に一つの個体としての生物を形作っている中で、その個体の生存のために内部の組織が協働して、秩序が保持されている状態」という意味で、「平衡」と言えるのです。
(4)「生命とは何か?」ー「エントロピー増大の法則」と「動的平衡」の関係
あらゆる物質は、エントロピーを増大させています。
「エントロピーとは「乱雑さ(ランダム)」を表す尺度である。すべての物理学的プロセスは、物質の拡散が均一なランダム状態に達するように、エントロピー最大の方向へ動き、そこに達して終わる。これをエントロピー増大の法則と呼ぶ。」(『生物と無生物のあいだ』福岡伸一)
秩序は無秩序の方へ、形あるものは崩れる方へ動く。
全ての構造物は風化し、全ての熱あるものは冷める。
エントロピー増大の法則です。
エントロピー増大の法則は容赦なく、生体を構成する成分にも降りかかります。
高分子は酸化され分断されます。
タンパク質は損傷を受け変性します。
生命にとって、エントロピー最大の状態とは「死」です。
この点について、『生物と無生物のあいだ』の続刊の『動的平衡』において、福岡氏は「生と死」について、さらに分かりやすく、以下のように述べています。
「長い間、エントロピー増大の法則と追いかけっこしているうちに、少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピーの増大に追いつかれてしまう。つまり、秩序が保てない時が必ず来る。それが個体の死である。
したがって「生きている」とは「動的な平衡」によって、「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけているということである。」(『動的平衡』)
では、生命は「自らの死」をどのように引き延ばしていくのか。
もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになります。
この点について、福岡氏は、以下のように述べています。
「エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。」(『生物と無生物のあいだ』)
つまり、生命体は、自らの物質的条件により、エントロピー最大化に対抗しようとしているのです。
では、どのように「自らの生命の秩序」を生み出していくのでしょうか。
言い換えると、かみ砕いていうと、「食べる」というのはどういう行為なのでしょうか。
福岡氏は、以下のように記述しています。
「生物は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、炭水化物にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれる情報をむざむざ捨ててから吸収しているのである。なぜなら、その秩序とは、他の生物の情報であったものであり、自分自身にとってはノイズになりうるものだからである。」
「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支があわなくなる。」(『生物と無生物のあいだ』)
つまり、体内の分子は、絶えず破壊され、また新たに作られているのです。
エントロピーの最大化に対抗するためには、生命は、自らを破壊し、かつ再生するという形で、自らを維持しているのです。
以上のことを、まとめて言うと、以下のようになります。
「エントロピー増大の法則は、容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行なうことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。つまり、エントロピーの増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろ、その仕組み自体を流れるの中に置くことなのである。つまり、流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。」(『生物と無生物のあいだ』)
「生命」が「自らの生命」を維持するために、恒常的に、自分の組織を自ら進んで破壊・排出しているということです。
私は、その点に「生命の神秘」と「生命の英知」を感じます。
『動的平衡』では、このことについて、さらに、分かりやすく、ある意味で、衝撃的な説明をしています。
「生命とは、絶対的な決まった形のあるものではなく、瞬間瞬間の化学変化の連鎖によって維持されている。」
「生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。体のあらゆる組織や細胞の中身は、こうして常に作り替えられ、更新され続けているのである。
だから、私たちの身体は分子的な実態としては、数か月前の自分とはまったく別物になっている。分子は、環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれてゆく。
分子は常に私たちの身体の中を通り抜けている。
いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。
なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。
その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。
その流れ自体が、「生きている」ということなのである。
シェーンハイマーは、この生命の特異的なありようをダイナミック・ステイト(動的な状態)と呼んだ。
私はこの概念をさらに拡張し、生命の均衡の重要性をより強調するため「動的平衡動」と訳したい。
ここで、私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。
「生命とは動的平衡にあるシステムである」という回答である。」
(『動的平衡』)
以上の記述の中で、
「私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。
その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。
その流れ自体が、「生きている」ということなのである。」
の部分が特に衝撃的ですが、何となく分かる気もします。
この部分は、「生命の儚さ」の分子科学的な説明なのです。
「若さ」も、ほんの一瞬です。
「かろうじて一定の状態を保っている」ことの、奇跡的な状況を、「生命のいとおしさ」と、私たちは評価しているのでしょう。
「生きていること」の、「危うさ」と「奇跡性」を感じないわけには、いきません。
(4)福岡伸一氏の紹介
福岡伸一(ふくおか しんいち)
1959年東京生まれ。京都大学卒。
米国ハーバード大学研究員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学理工学部 化学・生命科学科教授。分子生物学専攻。専門分野で論文を発表するかたわら、一般向け著作・翻訳も手がける。
2007年に発表した『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)は、サントリー学芸賞、および中央公論新書大賞を受賞し、ベストセラーとなる。
他に『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス・講談社出版文化賞)
『ロハスの思考』(ソトコト新書・木楽舎)、
『生命と食』(岩波ブックレット)、
『できそこないの男たち』(光文社新書)、
『動的平衡』(木楽舎)、
『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)
『ルリボシカミキリの青』(文春文庫・文藝春秋)
『生命科学の静かなる革命』(インターナショナル新書・集英社インターナショナル)
など、著書多数。
美術ではヨハネス・フェルメールの熱心なファン。
現存画は必ず所蔵されている場で鑑賞することをポリシーとしていて、著書の発表や絵画展の企画にも携わっている。
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以上で、今回の記事は終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。
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