2017大阪大国語(現代文・評論)解説・論点的中報告⑤・文系の知
(1)2017でも、センター現代文、東大現代文、早大政経・法・現代文、学習院大現代文、慶大経済・小論文に続き、大阪大現代文にも、当ブログの予想論点記事が的中しました。
2017でも、
①センター国語第1問(現代文・評論文)、
②東大国語第1問(現代文・評論文)、
③早大政経現代文・早大法現代文・学習院大現代文、
④慶大経済小論文、
に続き、
大阪大国語(現代文・評論文)(『「文系学部廃止」の衝撃』吉見俊哉)にも、当ブログの予想論点記事が的中しました。
つまり、2017大阪大国語(現代文・評論文)に、当ブログの予想論点記事
(「予想問題・『文系学部解体』室井尚・『日本の反知性主義』(1)」、
「予想問題・『文系学部解体』室井尚・『日本の反知性主義』(2)」)
が、的中しました。
2016東大現代文ズバリ的中(全文一致)・2016一橋大現代文ズバリ的中(全文一致)に続く喜びです。
そこで、今回は、2017大阪大学国語(現代文・評論文)の問題解説をします。
なお、これまでに発表した、
「2017の論点的中報告・問題解説記事①~④」、
「2016東大現代文ズバリ的中報告・問題解説記事」、
「2016一橋大現代文ズバリ的中報告・問題解説記事」、
については、下にリンク画像を貼っておきます。
「予想論点的中報告記事②」として扱います↓
「予想論点的中報告記事①」として扱います↓
今年度の大阪大学の現代文問題(『「文系学部廃止」の衝撃』吉見俊哉)では、以下のような内容の論考が出題されました。
「文系の知は役に立たないから要らない」という議論ばかりではなく、「文系の知は役に立たないけれども価値がある」という議論には、賛成できない。
むしろ、「文系の知」は必ず役に立つ。「役に立つ」とは、今後五年の経済成長に貢献するといった「手段的な有用性」に限定されない。
そうした「効用」の論理は、特定の価値世界のなかの出来事にすぎない。
歴史のなかでは「価値の軸」は必ず変化する。高度成長期と現在を比較すれば明らかなように、これまでも数十年単位で「価値の軸」は変化してきた。
そして、この「価値の軸」が大きく変化するとき、過去の「手段的な有用性」は、一挙に役に立たなくなる。
短期的な答えを出す「理系的な知」より、目的や価値の新たな軸を発見・創造する「文系的な知」こそが、長期的に見て、役に立つのだ。
今回の問題(『「文系学部廃止」の衝撃』)は、
「グローバル経済・新自由主義に関連した、日本社会の短期的利益の極端な追求」、
「『理系の知』の重視」、
「最近の文系学部軽視の風潮」、
「読書離れ」、
「反知性主義→日本社会の幼児化・テーマパーク化・劇場化、日本人のマリオネット化(操り人形化→羊化→政治的無関心・健康ヒステリー・グローバル化崇拝現象など)」、
「ポピュリズム」、
に関連しています。
つまり、これらの現象に対して、
「日本(組織)の存続」・「日本(組織)の持続的発展」には、「『文系の知』の再評価・重視」、つまり、「教養・哲学の再評価・重視」が不可欠という原理・原則論を呈示して、根本的な「現代文明批判」をしているのではないのでしょうか?
市民が教育によって「文系の知」・「幅広い教養」・「哲学的な知」、すなわち、「確固たるアイデンティティ」・「確固たる自己」・「批判的思考」を持つことは、「日本(組織)の存続」・「日本(組織)の持続的発展」のために不可欠なのです。
このように考えると、今回の大阪大学国語(現代文・評論文)の問題は、かなりの良問と言えます。来年度の国語(現代文・評論文)・小論文対策のために、この問題は、よく理解しておくべきだと思われます。
今回の大阪大学の現代文問題は、当ブログの、
「予想問題・『文系学部解体』室井尚・『日本の反知性主義』(1)」、
「予想問題・『文系学部解体』室井尚・『日本の反知性主義』(2)」
を読んでおけば、かなり、分かりやすかったと思われます。→リンク画像は下に貼っておきます。
これら二つの記事のポイントを、以下に、再掲します。
まず、「予想問題・『文系学部解体』室井尚・『日本の反知性主義』(1)」の記事から、「文系の知」の「価値」を記述した箇所を再掲します。
ーーーーーーーー(再掲、スタート)
【2】「文系学部解体」の進行
実は、この問題は1990年代以後の「大学改革」の結果である、と室井氏は、主張しています。
この経過について、本書の「巻末資料」の「著者blog 」を引用します。
「大学審議会が91年に出した『大学設置基準の大綱化』は、各大学独自の教育・カリキュラム改革を推進させ、その結果、約5年で」教養部・一般教育部は、ほとんどの大学から姿を消した。新自由主義経済学の影響の強いこの改革は、要するに、大学教育に競争原理を持ち込むことにより、お互いに切磋琢磨することによって、教育の質や効率を高めるという効果を狙っていた。さらに、文部科学省は、2004年に国立大学法人化を実施し、国立大学は、企業の形態を取ることになった。」
しかし、短期的な数値目標の設定や、競争原理の導入は、大学教育の質の向上に結びつかなかったと、室井氏は述べています。
この改革の背景にあるのは、大学に「民間企業の論理」を導入する考え方であると、室井氏は、結論付けています。
即戦力となる人材育成の要求等の、「短期的視点」でしか思考しない論理が持ち込まれ、その結果として、「文系の知」が軽視されたということなのです。
【3】斎藤隆による補足説明
大学とは、本来、「教養」を身につけ、「多様性」を受けとめる場です。
その大学が、いわゆる構造改革以降、新自由主義的な効率化、合理化、競争原理の波にさらされ、目に見える具体的成果を要求されています。
「教育上の成果」とは、何でしょうか。
短期的に、成果が顕在化するものなのでしょうか。
室井氏の言うように、「アカデミー」とは、「無用の知」という余裕を備えた「知性の学び」です。
そこから、「豊かな可能性を秘めた創造的な知性」が、醸成されていくのです。
従って、大学教育の教育上の成果は、「長期的な視点」で考えるべきです。
「文系学部解体・軽視」は、大学だけではなく、現代の社会や経済と密接に関連した問題だと思います。
あらゆる事項を、お金、つまり、「経済的効果」に換算することでしか評価できない、現代日本社会の貧しい思考力を、本書を読みながら、悲しみの中で、改めて知ってしまいました。
そのような悪化した状況下でも、決して挫けないで、大学教育に対して希望を捨てない室井氏の姿勢に、私は救いを感じました。
この問題は、国立大学だけに限定されたことでは、ありません。
国家から補助金を支給されている私立大学においても、同じような問題が発生しているはずです。
これらの問題が、大学入試の国語(現代文)・小論文問題に、どのような影響があるのか、大いに興味があります。
実際に、2016年度には、前述のように、国立大学のトップレベル4校(東大・大阪大・広島大・静岡大)に、『日本の反知性主義』から「知性」に関する論点・テーマが出題されました。
来年度も、難関大学の国語(現代文)・小論文入試で、類似の現象が見られる可能性が大です。
ーーーーーーーー(再掲、終了)
上記の最終段落の予想は、2017年の今年、慶大経済学部小論文、慶大商学部小論文、大阪大学現代文などで、的中しました。
次に、「予想問題・『文系学部解体』室井尚・『日本の反知性主義』(2)」の中の、「長期的視点から見た『文系的知』の重要な価値」について記述した箇所を再掲します。
ーーーーーーーー(再掲、スタート)
このように考えると、吉岡氏、内田氏、室井氏が、「隙間」・「ノイズ」という、一見、「無価値なもの」の「見直し・再評価」から、「大学の存在価値」を再考する姿勢が、とても興味深いのです。
「文系的知」も、一見、つまり、「短期的視点」から見ると、いかにも価値の低いものです。
しかし、「隙間」や「ノイズ」と同じように、本質的・根源的・哲学的に、長期的視点で考察してみると、「文系的知」には、奥深く、重要な価値があるのではないでしょうか。
ーーーーーーーー(再掲、終了)
これら二つの記事を読んでおけば、今年の大阪大学現代文の問題は、かなり分かりやすかったと思われます。
今回の問題は、頻出著者である吉見俊哉氏の著作からの出題であり、しかも、「知性」という流行論点を含んでいるので、来年度の国語(現代文・評論文)・小論文にも出題される可能性が大です。
従って、国語(現代文・評論文)・小論文対策として、解説していきます。
なお、今回の問題は、英語の長文読解問題としても有用です。
ぜひとも、気合いを入れて、お読みください。
(2)2017大阪大学現代文解説ー『「文系学部廃止」の衝撃』吉見俊哉
(問題文本文)(概要です)
(赤字は、当ブログによる強調です)
(青字は、当ブログによる注です)
「【1】 大学の知が「役に立つ」のは、必ずしも国家や産業に対してだけとは限りません。神に対して役に立つこと、人に対して役に立つこと、そして地球社会の未来に対して役に立つこと・・・・。大学の知が向けられるべき宛先にはいくつものレベルの違いがあり、その時々の政権や国家権力、近代的市民社会といった臨界を超えています。
【2】そしてこの多層性は、時間的なスパンの違いも含んでいます。文系の知にとって、三年、五年ですぐに役に立つことは難しいかもしれません。しかし、三〇年、五〇年の中長期的スパンでならば、工学系よりも人文社会系の知のほうが役に立つ可能性が大です。ですから、「人文社会系の知は役に立たないけれども大切」という議論ではなく、「人文社会系は長期的にとても役に立つから価値がある」という議論が必要なのです。
【3】そのためには、「役に立つ」とはどういうことかを深く考えなければなりません。概していえば、「役に立つ」ことには (1) 二つの次元があります。一つ目は、目的がすでに設定されていて、その目的を実現するために最も優れた方法を見つけていく目的遂行型です。これは、どちらかというと理系的な知で、文系は苦手です。たとえば、東京と大阪を行き来するために、どのような技術をくみあわせれば最も速く行けるのかを考え、開発されたのが新幹線でした。また最近では、情報工学で、より効率的なビッグデータの処理や言語検索のシステムが開発されています。いずれも目的は所与で、その目的の達成に「役に立つ」成果を挙げます。文系の知にこうした目に見える成果の達成は難しいでしょう。
【4】しかし、「役に立つ」ことには、実はもう一つの次元があります。たとえば本人はどうしていいかわからないでいるのだけれども、友人や教師の言ってくれた一言によってインスピレーションが生まれ、厄介だと思っていた問題が一挙に解決に向かうようなときがあります。この場合、何が目的か最初はわかっていないのですが、その友人や教師の一言が、向かうべき方向、いわば目的や価値の軸を発見させてくれるのです。このようにして、「役に立つ」ための価値や目的自体を創造することを価値創造型と呼んでおきたいと思います。これは、役に立つと社会が考える価値軸そのものを再考したり、新たに創造したりする実践です。文系が「役に立つ」のは、多くの場合、この後者の意味においてです。」
ーーーーーーーー
(問題)
(問2)傍線部(1)「二つの次元」について、それぞれを端的に示す言葉を本文中から抜き出しながら、両者の違いを八〇字以内で説明しなさい。
………………………………
(解説・解答)
(問2)(内容説明問題)
【3】・【4】段落をまとめるとよいでしょう。「目的遂行型」「価値創造型」というキーワードを使ってまとめてください。
(解答)
一つは目的遂行型で、所与の目的達成に役立ち、短期に成果を出す理系的知である。他方、価値創造型は価値や目的自体を創造・再考する、長期的に有効な文系的知である。(78字)
ーーーーーーーー
(問題文本文)(概要です)
(赤字は、当ブログによる強調です)
(青字は、当ブログによる注です)
「【5】古典的な議論では、ドイツの社会学者マックス・ウエーバーによる「目的合理的行為」と「価値合理的行為」という区分があります。そこでは、合理性には「目的合理性」と「価値合理性」の二つがある、と言われました。「目的合理性」とは、ある目的に対して最も合理的な手段連鎖が組み立てられていくことであるのに対し、「価値合理性」は、何らかの目的に対してというよりも、それ自体で価値を持つような活動です。
【6】ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じたことは、プロテスタンティズムの倫理は価値合理的行為であったのだが、その行為の連鎖が結果的にきわめて目的合理的なシステムである資本主義を生み出し、やがてその価値合理性が失われた後も自己転回を続けたという洞察です。そこで強調されたのは、目的合理性が自己完結したシステムは、いつか価値の内実を失って化石化していくのだが、目的合理的な行為自体がその状態を内側から変えていくことはできない、という暗澹たる予言でした。
【7】このウェーバーの今なお見事な古典的洞察に示されるように、目的遂行型の有用性、「役に立つこと」は、与えられた目的や価値がすでに確立されていて、その達成手段を考えるには有効ですが、そのシステムを内側から変えていくことができません。したがって目的や価値軸そのものが変化したとき、一挙に役に立たなくなります。
【8】つまり、目的遂行型ないしは手段的有用性としての「役に立つ」は、与えられた目的に対してしか役に立つことができません。もし目的や価値の軸そのものが変わってしまったならば、「役に立つ」と思って出した解も、もはや価値がないということになります。そして実際、こうしたことは、長い時間のなかでは必ず起こることなのです。
【9】価値の軸は、決して不変ではありません。数十年単位で歴史を見れば、当然、価値の尺度が変化してきたことが分かります。たとえば、一九六〇年代と現在では、価値軸がすっかり違います。一九六四年の東京オリンピックが催されたころは、より速く、より高く、より強くといった右肩上がりの価値軸が当たり前でしたから、その軸にあった「役に立つ」ことが求められていました。新幹線も首都高速道路も、そのような価値の軸からすれば追い求めるべき「未来」でした。ところが、二〇〇〇年代以降、私たちは、もう少し違う価値観を持ち始めています。末長く使えるとか、リサイクルできるとか、ゆっくり、愉快に、時間をかけて役に立つことが見直されているのです。価値の軸が変わってきたのです。
(中略)
【10】すべてがそうというわけではありませんが、概して理系の学問は、与えられた目的に対して最も「役に立つ」ものを作る、目的遂行型の知であることが多いと思います。そして、そのような手段的有用性においては、文系よりも理系が優れていることが多いのも事実です。しかし、もう一つの価値創造的に「役に立つ」という点ではどうでしょうか。
【11】目的遂行型の知は、短期的に答えを出すことを求められます。しかし、価値創造的に「役に立つ」ためには長期的に変化する多元的な価値の尺度を視野に入れる力が必要なのです。ここにおいて文系の知は、短くても二〇年、三〇年、五〇年、場合によっては一〇〇年、一〇〇〇年という、総体的に長いスパンのなかで対象を見極めようとしてきました。これこそが、文系の知の最大の特徴だと言えますが、だからこそ、文系の学問には長い時間のなかで価値創造的に「役に立つ」ものを生み出す可能性があるのです。
【12】また、多元的な価値の尺度があるなかで、その時その時で最適の価値軸に転換していくためには、それぞれの価値軸に対して距離を保ち、批判していくことが必要です。そうでなければ (2) 一つの価値軸にのめり込み、それが新たなものに変わったときにまったく対応できないということになるでしょう。たとえば過去の日本が経験したように、「鬼畜米英」となれば一斉に「鬼畜米英」に、「高度成長」と言えば皆が「高度成長」に向かって走っていくというようなことでは、絶対に新しい価値は生まれません。それどころか、そうやって皆が追求していた目標が時代に合わなくなった際、新たな価値を発見することもできず、どこに向かって舵を切ったらいいか、再び皆でわからなくなってしまうのです。
【13】価値の尺度が劇的に変化する現代、前提としていたはずの目的が、一瞬でひっくり返ってしまうことは珍しくありません。そうしたたなかで、いかに新たな価値の軸をつくり出していくことができるか。あるいは新しい価値が生まれてきたとき、どう評価していくのか。それを考えるには、目的遂行型な知だけでは駄目です。価値の軸を多元的に捉える視座を持った知でないといけない。そしてこれが、主として文系の知なのだと思います。
【14】なぜならば、新しい価値の軸を生んでいくためには、現存の価値の軸、つまり皆が自明だと思っているものを疑い、反省し、批判を行い、違う価値の軸の可能性を見つける必要があるからです。経済成長や新成長経済といった自明化している目的と価値を疑い、そういった自明性から飛び出す視点がなければ、新しい創造性は出てきません。ここには文系的の知が絶対に必要ですから、理系的な知は役に立ち、文系的なそれは (3)役に立たないけれども価値があるという議論は間違っていると、私は思います。主に理系な知は短く役に立つことが多く、文系的な知はむしろ長く役に立つことが多いのです。」
(吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』より。出題の都合により一部改変した箇所がある。)
ーーーーーーーー
(問題)
(問3)傍線部(2)「一つの価値軸にのめり込み、それが新たなものに変わったときにまったく対応できない」と筆者が述べている理由を、八〇字以内で説明しなさい。
(問4)傍線部(3)「役に立たないけれども価値がある」という議論と、筆者の立場との相違点について、理系の知に対する文系の知の違いに言及しながら二〇〇字以内で説明しなさい。
………………………………
(解説・解答)
(問3)(理由説明問題)
文脈から判断すると、【12】・【13】段落の内容をまとめるとよいでしょう。
「のめり込み」という、少々、極端な表現に注目して答案をまとめてください。
「価値の一元化・固定化のみの状況に安住する(熱中する)と、多元的な価値軸に対して距離を保つこと、批判することができず、新たな価値軸を作り出すことも、評価すること(→相対主義的態度)も、困難になるから」という指摘が、必要不可欠になります。
(解答)
目的遂行型の知は価値や目的が固定している時には、かなり有効だが、その価値のみを追求していると、長期的には変化する多元的な価値を評価・創造することはできないから。(80字)
(問4)(内容説明問題)
問2・3の解答内容を踏まえつつ、全文要約的に、まとめることを求めらています。
「文系の知」と「理系の知」との役立ち方の次元が相反することを簡潔にまとめると、よいでしょう。
「役に立つ」には、「目的遂行型」(理系の知)と「価値創造型」(文系の知)の二つの次元があること。
「理系の知」は短期的には役立つが、「文系の知」は短期的には役立たないこと。
しかし、文系の知は「変化する多元的な価値の尺度」を視野に入れ、現存の価値が変化したとき、新たな価値軸を創造し、新しい価値軸を評価することができる点で、長期的に役立つ知であること。
つまり、「文系の知」は、価値軸の変化を予見したり、先導したりする価値創造的な次元を含む。その点で、「短く役立つ知」である「理系の知」とは次元が異なること。
以上の点に留意して、答案を作成してください。
(解答)
理系の知は目的遂行的で所与の目的達成に有効なのに対し、文系の知は価値創造的でその有効性は長期的に見ないと明確ではない。一般的には理系の知の方が評価が高く、文系の知は「役に立たないが大切だ」程度に扱われている。しかし、価値の尺度が変化する中では理系の知は対応できない。従って、価値軸を多元的に捉える視座を持ち、その時代の価値を相対化し、新たな価値を創造していく文系の知が必要だと筆者は主張する。(196字)
(3)本書の内容紹介、著者紹介
吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専攻としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの中心的な役割を果たす。
主な著書に、
『都市のドラマトゥルギー』(弘文堂、1987年 河出文庫 2008年)、
『メディア時代の文化社会学』(新曜社、1994年)、
『「声」の資本主義』(講談社学術選書、1995年)、
『リアリティ・トランジット』(紀伊国屋書店、1996年)、
『メディアとしての電話』(弘文堂、共著、 1992年)、
『都市の空間 都市の身体』(勁草書房、編著、1996年)、
『デザイン・テクノロジー・市場』(情報社会の文化3、東京大学出版会、共編著、1998年)、
『カルチュラル・スタディーズとの対話』(新曜社、共編著、1999年)、
『ニュースの誕生』(東京大学出版会、共編著、1999年)、
『カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店、2000年)、
『メディア・スタディーズ』(せりか書房、編著、2000年)、
『内破する知』(東京大学出版会、共著、2000年)、
『カルチュラル・ターン、文化の政治学へ』(人文書院、2003 年)、
『ポスト戦後社会』(岩波新書、2008年)、
『天皇とアメリカ』(共著、集英社新書、2010 年)、
『大学とは何か』(岩波新書 2011年)
等多数。
ーーーーーーーー
今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。
https://twitter.com/gensairyu2