頻出論点・「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫・消費社会・欲望論
(1)なぜ、この記事を書くのか?
様々な、深刻な社会問題の背景には、実は、「消費社会」・「欲望論」の問題が潜んでいます。
「消費社会」・「欲望論」の論点は、このブログで以前にも記事化しました。(→下にリンク画像を貼っておきます)
しかし、分かりにくい側面がありますので、入試頻出著者である高村薫氏の論考「『私』消え、止まらぬ連鎖」(2007・早稲田大学・文化構想学部)を元にして、解説していきます。
高村薫氏の論考は、簡潔な表現で本質を鋭く突くのが特徴です。
爽やかで、切れ味の良い文章なので、難関大学の現代文(国語)・小論文で頻出です。
現代文(国語)・小論文対策として、今回の記事は、かなり役に立つと思います。
以下では、次の項目を解説していきます。
(2)「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫・(2007早稲田大学・文化構想学部)の問題・解答・解説
(3)当ブログによる発展的解説ー「消費社会のマイナス面と、その対策」・「欲望論」
(4)「モラル(倫理)」について
(5)「入試現代文(国語)・小論文における原典修正」について
(6)高村薫氏の紹介
(2)「『私』消え、止まらぬ連鎖」高村薫・2007早稲田大学・文化構想学部の問題・解答・解説
(概要です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
(【1】【2】【3】・・・・は当ブログで付加した段落番号です)
「【1】食べる。寝る。愛する。排泄(はいせつ)する。そのつど、ただこの身体から湧(わ)きだし、自らを駆り立てる生命の営みを、わざわざ欲望と名付け、「私」という主語を与えているのは人間だけである。しかも、所有や支配の欲望になると、とたんに話は複雑になる。
【2】持ち家がほしい。名声がほしい。力がほしい。そういう「私」は、はたしてどこまで「私」であるか。たとえば〔 A 〕を惜しんで株に熱中する「私」を、「私」はどこまで「私」だと知っているか。人間の欲望について考えるとき、A まずはそう問わなければならないような世界に私たちは生きている。〔 イ 〕
【3】たとえば、ある欲望をもったとき、私たちはそれをかなえようとする。その段階で、私たちはなにがしかの手段に訴えねばならず、そのために対外的な意味や目的への、欲望の読み替えが行われる。健康のため。家族のため。生活の必要のため、などなど。こうした読み替えは、すなわち欲望の外部化であり、欲望は、この高度な消費社会では「私」から離れて、つくられるものになってゆく。
【4】そこでは名声や幸福といった抽象的な欲望さえ、目と耳に訴える情報に外部化され、置換されるのが普遍的な光景である。たとえば、家がほしい「私」は、ぴかぴかの空間や家族の笑顔の映像に置換された新築マンションの広告に見入る。そこにいるのはうつくしい映像情報に見入る「私」であり、家族の笑顔を脳に定着させる「私」であって、たんに家がほしい漠とした「私」はずっと後ろに退いている。代わりに、家族の笑顔を見たい「私」が前面に現れ、それは映像のなかの新築マンションと結びついて、欲望は具体的なかたちになるわけである。〔 ロ 〕
【5】けれども、こうしてかたちになった欲望は、ほんとうに「私」の欲望か。「私」はたしかに家がほしかったのだけれども、その欲望は正しくこういうかたちをしていたのか。仮に、確かに家族の笑顔を見たいがために家がほしかったのだとしても、家という欲望と、家族の笑顔という欲望は本来別ものであり、これを一つにしたのは「私」ではない、〔 B 〕である。
【6】このように、消費者と名付けられたときから「私」は誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている。そこでは「私」は覆い隠され、ただ大量の情報に目と耳を奪われて思考を停止した、「私」ではない何者かが闊歩(かっぽ)している。〔 ハ 〕
【7】こうして、欲望から「私」が消え、おおよそ政治の権力闘争から一般の消費生活まで、欲望のための欲望と化して、現代社会はある。欲望は「私」の外部で回転し、「私」を駆り立てる。そこに明確な主体はおらず、従って欲望を止めるものはいない。〔 ニ 〕
【8】ところで〔 ① 〕の世界では、欲望のサイクルも〔 ② 〕になるはずだが、実際はあたかも〔 ③ 〕であるかのように回転し続け、そこここで、さまざまな悲喜劇を引き起こす。欲望は必ずしもかなえられないばかりか、ときには実質的な損害になって返ってくる。そのとき、これがサイクルであるがために悪者はすっきり定まらず、定まらないがために悪者探しは逆に苛烈になる。〔 ホ 〕
【9】「私」の欲望であれば、失意も損失も「私」が引き受けることで収まりがつくが、「私」の消えた現代の欲望は、始まりも終わりもない。破綻(はたん)したら破綻したで、ともかく悪者を探して社会的な辻褄(つじつま)を合わせるだけである。一方、〔 C 〕の「私」はどこまでも無垢(むく)(→「①潔白で純真なこと②金・銀などの金属が、まじりけのないこと」という意味。今回は①の意味)に留まるのだが、「私」が無垢でないことは、「私」が知っている。」
( 高村 薫 「『私』消え、止まらぬ連鎖 情報に支配され『消費者』に」 )(朝日新聞・2006年1月5日・夕刊4面・文化欄「新・欲望論2」)
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(問題)
問1 空欄 A・Bに入る最も適当な語をそれぞれ次の中から選べ。
A イ 名声 ロ 寸暇 ハ 身命 ニ 財貨 ホ 労力
B イ 欲望 ロ 消費 ハ 笑顔 ニ 幸福 ホ 広告
問2 傍線部A「そう問わなければならないような世界」を説明している最も適当なものを次の中から選べ。
イ 「私」自身の欲望が消費を形成する世界
ロ 「私」自身の欲望が所有の主体となる世界
ハ 「私」自身の欲望が行動の基準となる世界
ニ 「私」自身の欲望が自己を隠蔽(いんぺい)する世界
ホ 「私」自身の欲望が家族の幸福となる世界
問3 文章中の空欄①・②・③に入る語句の最も適当な組み合わせを次の中から選べ。
イ ① 有限 ② 有限 ③ 無限
ロ ① 有限 ② 無限 ③ 有限
ハ ① 有限 ② 無限 ③ 有限
ニ ① 無限 ② 無限 ③ 有限
ホ ① 無限 ② 有限 ③ 無限
ヘ ① 無限 ② 有限 ③ 有限
問4 次の文は、本文中に入るべきものである。空欄・イ~ホから最も適当な箇所を選べ。
個々の欲望の当否は、ほとんど損得に置き換えられ、損得もまた外部化されて新たな欲望になるだけである。
問5 文章中の〔 C 〕に入る最も適当な語句を次の中から選べ。
イ 自らを駆り立てる「私」
ロ 消費者という名の「私」
ハ 明確な主体としての「私」
ニ 損害を引き受ける「私」
ホ 悪者と断定された「私」
問6 本文の内容と合致するものを次の中から一つ選べ。
イ 「私」の欲望は映像情報によって外部化され、欲望の主体を明確で形ある具体的なものにしている。
ロ 私の欲望は常に政治権力に支配されており、欲望のあり方も国家により巧みに管理されている。
ハ 私の欲望は経済力によって左右され、損得勘定が重視されるのが現代社会の特徴となっている。
ニ 私の欲望は情報のグローバル化によって均質化し、効率性を追求する現代社会に順応している。
ホ 私の欲望は消え止まることなく連鎖を続け、いつの間にか、消費者は情報に支配されてしまう。
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(要約)
私たちは欲望をかなえようとして、対外的な意味・目的ヘの欲望の読み替えを行う。こうした欲望の外部化は、高度消費社会では、「私」から離れて、つくられるものになってゆく。欲望から「私」が消え、明確な主体を持たぬ「消費者」がいるだけになる。そこでは、欲望のサイクルは回転し続け、さまざまな悲喜劇を引き起こす。「私」の消えた現代の欲望は、破綻したら破綻したで、悪者を探して社会的な辻褄を合わせるだけである。が、「私」が無垢でないことは、「私」が知っている。
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(解答)
問1 A →ロ B →ホ
問2 ニ 問3 イ 問4 ニ 問5 ロ 問6 ホ
(解説)
問1(空欄補充問題)
→空欄補充問題は、すでに選択肢を見て、チェックしていくべきです。
A 熱中している状態についての慣用表現です。
B 「家という欲望と、家族の笑顔という欲望は本来別ものであり、これを一つにしたのは『私』ではない、〔B=広告〕である」の文脈に注目してください。
「欲望の外部化」については、【3】~【5】段落に説明があります。
「広告」・「広告化文明」は、現代文(国語)・小論文における、重要なキーワードです。
問2(傍線部説明問題)
傍線部の「そう」に注目してください。
傍線部の説明は、【5】段落~【7】段落に、あります。
問3(空欄補充問題)
直前段落・最終文の「欲望を止めるものはない」や、直後の段落の「現代の欲望は、始まりも終わりもない」から、「実際にはあたかも『無限』であるかのように回転し続け」とされている、という文脈に注意してください。
本来、 「地球環境」や「地球の資源の有限性」を考えれば、「欲望のサイクル」は「有限」になるはずですが、「無限」と思い込むことに、しているのです。
問題4(脱文挿入問題)
→「脱文挿入問題」は、本文を読む前に「脱文」を読んで、「脱文」のポイントを頭に入れ、本文を読みながら挿入箇所の候補をチェックしていく作戦が、オススメです。
「欲望の外部化」・「損得」の説明が記述されている段落に注目してください。
問5(空欄補充問題)
ハ 明確な主体「私」、
ニ 損害を引き受ける「私」、
ホ 悪者と断定された「私」、
は、いずれも、本文の記述とは、対立的な内容になっています。
問6(趣旨合致問題)
→「趣旨合致問題」こそ、本文を読む前に、設問・選択肢を見るべきです。
「テーマ」は、「私が消えた欲望の連鎖(サイクル)」です。
キー段落は、【6】段落です。
【6】段落の、「消費者と名付けられたときから「私」は誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている。そこでは「私」は覆い隠され、ただ大量の情報に目と耳を奪われて思考を停止した、「私」ではない何者が闊歩(かっぽ)している。」という記述を熟読してください。
イ 「欲望の主体を明確で形ある具体的なものにしている」の部分が誤りです。「欲望の主体」は消えています。
ロ 「欲望のあり方も国家により巧みに管理されている」の部分が誤りです。このような記述は、本文には、ありません。
ハ 「私の欲望は経済力によって左右され」の部分が誤りです。このような記述は、本文には、ありません。
ニ 「私の欲望は情報のグローバル化によって均質化し」の部分が誤りです。このような記述は、本文には、ありません。
ホ これが正解です。
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(3)当ブログによる発展的解説ー「消費社会のマイナス面と、その対策」・「欲望論」
まず、【8】段落と【9】段落の接続が少々、ギクシャクしている感じがしているのは、以下の具体例の段落がカットされているからです。
カット部分を含めて全体を読むと、論旨が、より明確になります。
以下が、カット部分(概要)です。
「たとえば去年春のJR西日本の転覆事故や、秋に明るみに出たマンションの耐震擬装問題で、声高に責任の所在が求められたのは記憶に新しい。けれども冷静に見るなら、過剰な利便性を求めた社会とJRも、より安価で広いマンションを求めた消費者と業者も、全員が欲望のサイクルを回っていたとは言えまいか。人命の損失も、数千万円という多額の損害も、現に発生した以上、責任を負うべき主体は社会的にはっきりしているが、それでは片付かない心地悪さが残るのは、誰もが欲望のサイクルの一員だったからであろう。また、そこに欲望のほんとうの始まりである「私」が隠れていたからであろう。」
上記の早稲田大学・文化構想学部の問題文本文と、カット部分からなる、高村氏の論考は、本質をズバリと突いた、切れ味の良い論考です。
今回の論考では、「高度消費社会」は、「私」が消えた「欲望のサイクル」と化していることを前提にしています。そして、損害発生の場面における苛烈な悪者探しの底に流れる、ある種の居心地の悪さを指摘しています。つまり、「欲望のサイクル」の中で生きるしかない「現代の日本人の、仕方なさ」を提示しているのです。
高村氏の論旨は、実に明快です。
「消費社会」は、本来的な、どうしようもない「マイナス面」を含んでいることが、よく分かります。
一方で、「消費社会」は、「幸福追求ヘの意志」、「情報化社会( IT化社会 )」、「資本主義」、「経済のグローバル化」に密接に関連しているので、これを単純に、全面的に否定することは困難です。
それだけに、「消費社会のマイナス面」についての「対策論」は、複雑な側面を有しているのです。
ただ、欲望のサイクルは、いつまでも続けられないと思います。
それ自体に無理があるがあるからです。
第一に、地球の資源には限りがあります。
さらに、地球環境をいかに維持していくか、という問題もあります。
また、「広告に取り込まれて、誰かがつくり出した欲望のサイクルに取り込まれている」(【6】段落)ということは、自分の主体性を放棄して、操り人形(マリオネット)(自己喪失・アイデンティティ喪失)になっている側面があるということにも、注目する必要があるでしよう。
以上の、「消費社会の問題点と、それらの対策」・「欲望論」については、当ブログで、最近、記事化したので、それらを参照してください。
以下に、リンク画像を貼っておきます。
(4)「モラル(倫理)」について
なお、ここで、「消費社会のマイナス面」・「欲望論」に関連して、「モラル」について解説します。
以下は、最近の当ブログの記事( 「予想問題『スポーツと民主主義』」『反・民主主義論』」 )の、私の解説です。
ここに、再掲します。
さらに、詳しい解説を読みたい方は、下の記事を参照してください。
「人々は、自分とは無関係な、スポーツ選手の経済的欲望・社会的欲望の暴走は、「高い精神性や公共性」、つまり、「公正性」・「上品さ」・「徳」・「冷静さ」を掲げて制御・制限できても、自分自身の「経済的欲望」・「社会的欲望」の制御・制限はできないのではないでしょうか。
「自由」、「権利」という名のもとに、人々は、自己が逸脱した行動をとっていることの「愚」に恥ずかしさを感じていない、あるいは、多少は感じていても、他者が同様な行動をとっていることから、自己の行動を容認しているのでしょう。
「資本主義の進展」・「新自由主義」・「IT革命」などにより、「宗教的精神」・「道徳的精神」が薄まってしまったことも、背景にあるのでしょう。
しかも、人々のその自己容認を承認する公教育、マスコミの報道が氾濫しているという現状があります。」
上記の解説は、「消費社会のマイナス面と、その対策」・「欲望論」を考察する際に、重要な視点になると思います。
(5)「入試現代文(国語)・小論文における原典修正」について
なお、今回の早稲田大学文化構想学部の問題のように、難関大学の入試(現代文)国語・小論文の問題文本文は、「原典の一部カット」や・「修正」をしている場合が多いのです。
そのような場合は、本文の文脈が少々、ギクシャクしていることがあります。
その時は、「本文の要約」を厳密にやるべきでは、ありません。
私は、「入試現代文(国語)・小論文の本文は、原典の修正が著しいので、本文の要約は頭の中でアバウトに考えれば良い」と、生徒に指導しています。
メモを書くことは、入試の場では、「時間のムダ」でしかないと言っています。
入試現代文(国語)・小論文の問題文本文における「原典修正の現実と、その対策」については、下の記事を参照してください。
(6)高村薫氏の紹介
髙村 薫 (たかむら・かおる)
作家。1953年(昭和28年)大阪府大阪市生まれ。国際基督教大学人文科学科卒。
著作に
デビュー作『黄金を抱いて飛べ』(新潮文庫)(第3回日本推理サスペンス大賞受賞)、
『リヴィエラを撃て(上)・(下)』(新潮文庫)(第11回日本冒険小説協会大賞・第46回日本推理作家協会賞受賞)、
『マークスの山(上)・(下)』(新潮文庫)(第109回直木賞・第12回日本冒険小説協会大賞受賞)、
『李欧』(講談社文庫)(『わが手に拳銃を』(1992年)をベースにした作品)、
『照柿(上)・(下)』(新潮文庫)、
『レディ・ジョーカー(上)・(中)・(下)』(新潮文庫)(毎日出版文化賞受賞。『98年度版このミステリーがおもしろい』ベスト1)、
『晴子情歌(上)・(下)』(新潮社)、
『空海』(新潮社)、
『土の記(上・下)』(新潮社)、
などがある。
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今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。
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