2016年東大国語ズバリ的中報告・内田樹氏・『日本の反知性主義』
(1)2016年東大国語ズバリ的中報告
ズバリ的中の報告をします。
『反知性主義』掲載の内田樹氏の論考「反知性主義者たちの肖像」については、このブログの予想問題記事として2016年2月10日に発表しました。(←この記事の下の、予想問題記事(2016・2・10)の画像から、リンクできます。)
その記事では、内田氏が、「知性」の条件として、2つの条件を挙げていることを丁寧に説明しました。
1つは「集団性」(協働性)(共同性)であり、もう1つは「時間性」です。
今回の東大の問題は、前者の「集団性」(協働性)(共同性)を中心に聞いてきました。
私のブログ記事を読んだ受験生は、8割は出来たことでしょう。
この「共同性」の条件は、「知性」の条件としては、一般的、常識的には特異な条件です。
しかし、内田氏の主張の文脈を丁寧に読解していけば、それほど、難解ではありません。
この論考(論点・テーマ)は、受験生の読解力を判定するのに適切なので、再び他の難関大学の現代文(国語)・小論文で出題される可能性があります。
難関大学の現代文(国語)・小論文対策としても、この記事を読んでください。
(2)東大の問題、解答、解説ー来年度以降の東大現代文対策を意識した解説です
この記事を読むことで、東大現代文の独特な設問、の作り方、問題作成者の出題意図・問題意識が分かり、来年度以降の東大現代文(国語・評論文)の対策にも役に立ちます。
東大現代文対策としても、この記事を熟読してください。
内田樹氏は著作権フリー宣言をしているので、全文引用します。
実際は縦書きです。本番で右側に点のついている字は、太字にしています。
カタカナは、漢字書き取り問題です。
【1】【2】【3】・・・は、当ブログで記述した問題文本文の段落番号です。
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「第一問 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。
【1】 ホ-フスタッタ-はこう書いている。
反知性主義は、思想に対して無条件の敬意をいだく人びとによって創作されたものではない。まったく逆である。教育ある者にとって、もっとも有効な敵は中途半端な教育を受けた者であるのと同様に、指折りの反知性主義者は通常、思想に深くかかわっている人びとであり、それもしばしば、チンプ(陳腐)な思想や認知されない思想にとり憑かれている。反知性主義に陥る危険のない知識人はほとんどいない。一方、ひたむきな知的情熱に欠ける反知識人もほとんどいない。
(リチャード・ホ-フスタッタ-『アメリカの反知性主義』田村哲夫訳、強調は引用者)
【2】 この指摘は私たちが日本における反知性主義について考察する場合でも、つねに念頭に置いておかなければならないものである。反知性主義を駆動しているのは、単なるタイダ(怠惰)や無知ではなく、ほとんどの場合「ひたむきな知的情熱」だからである。
【3】 この言葉はロラン・バルトが「無知」について述べた卓見を思い出させる。バルトによれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。実感として、よくわかる。「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認める人は「自説に固執する」ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片付いたか」どうかを自分の内側をみつめて判断する。ァそのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人」だとみなすことにしている。その人においては知性が活発に機能しているように私には思われる。そのような人たちは単に新たな知識や情熱を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えているからである。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。個人的な定義だが、しばらくこの仮説に基づいて話を進めたい。
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問(1)「そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人」(傍線部ア)とはどういう人のことか、説明せよ。
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〔解答・解説〕
傍線部の「そのような身体反応」に注目する必要があります。
「そのような身体反応」とは、直前の「得心」(納得)、「腑に落ちた」「気持ちが片づいた」を指しています。
つまり、傍線部アは、頭脳のみで観念的に考えるのではなく、全身的納得を意識して理非の判定をするということ 、を意味しています。
従って、解答は、「納得や了解等の全身的な感覚を意識して物事の正否を判定する人」となります。
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【4】 「反知性主義」という言葉からはその逆のものを想像すればよい。反知性主義者たちはしばしば恐ろしいほどにもの知りである。一つのトピックについて、手持ちの合切袋から、自説を基礎づけるデ-タやエビデンスや統計数値をいくらでも取り出すことができる。けれども、それをいくら聴かされても、私たちの気持ちはあまり晴れることがないし、解放感を覚えることもない。というのは、ィこの人はあらゆることについて正解をすでに知っているからである。正解をすでに知っている以上、彼らはことの理非の判断を私に委ねる気がない。「あなたが同意しようとしまいと、私の語ることの真理性はいささかも揺るがない」というのが反知性主義者の基本的なマナ-である。「あなたの同意が得られないようであれば、もう一度勉強して出直してきます」というようなことは残念ながら反知性主義者は決して言ってくれない。彼らは「理非の判断はすでに済んでいる。あなたに代わって私がもう判断を済ませた。だから、あなたが何を考えようと、それによって私の主張することの真理性には何の影響も及ぼさない」と私たちに告げる。そして、そのような言葉は確実に「呪い」として機能し始める。というのは、そういうことを耳元でうるさく言われているうちに、こちらの生きる力がしだいに衰弱してくるからである。「あなたが何をどう判断しようと、それは理非の判定に関与しない」ということは、「ゥあなたには生きている理由がない」と言われているに等しいからである。
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問(2)「この人はあらゆることについて正解をすでに知っている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
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〔解答・解説〕
「この人」に注目する必要があります。
「この人」とは、直前の「反知性主義者」、「しばしば恐ろしいほどに物知りである」人、を指しています。
「反知性主義者」の説明は、傍線部イの直後に記述されています。
「反知性主義者」について、私の予想問題記事では、「他者の意見を聞こうとしない独善、独りよがり」と説明しました。
以上より、解答は「反知性主義者は、他者の見解により自分の判断に修正を加える気持ちを持たず、自分の判断こそ正しいと思い込むこと」となります。
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問(3)「『あなたには生きている理由がない』と言われているに等しい」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。
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〔解答・解説〕
この問題が、この大問の中で最もレベルが高いと言えるでしょう。
(東大現代文対策としては、このような、ハイレベルな問題を、じっくりと考える気力・粘りを意識して養成していくことが必要です。)
傍線部の「生きている理由」とは、何を意味しているのか、を考える必要があります。
しかし、本問が「知性的に生きること」をテ-マにしていることを考えれば、それほど難解ではないでしょう。
【5】~【11】を精読して、著者がこのテ-マを、どのように考えているかを把握する必要があります。
(東大現代文対策としては、重要部分の精読が不可欠です。)
なお、傍線部分の発言をしているのは、「反知性主義者」であることに、注意する必要があります。
「反知性主義者」は、「知性」の条件として「共同性」を考えていないので、他者は「自己の知性的生活」においては「死者」と同視できるのです。
従って、解答は「他者の見解を一切無視することは、知性的生活は周囲との関係性の中で成立すると考えている、他者の人間の生のあり方を否定するということ」となります。
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【5】 私は私をそのような気分にさせる人間のことを「反知性的」と見なすことにしている。その人自身は自分のことを「知性的」であると思っているかも知れない。たぶん、思っているだろう。知識も豊かだし、自信たっぷりに語るし、反論されても少しも動じない。でも、私は彼を「知性的」とは呼ばない。それは知性を属人的な資質や能力だと思っているからである。だが、私はそれとは違う考え方をする。
【6】 知性というのは個人においてではなく、集団として発動するものだと思っている。知性は「集合的叡智」として働くのでなければ何の意味もない。単独で存立し得るようなものを私は知性と呼ばない。
【7】 わかりにくい話になるので、すこしていねいに説明したい。
【8】 私は、知性というのは個人に属するものというより、集団的な現象 だと考えている。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行う。ェその力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体を「知性」と呼びたいと私は思うのである。
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問(4)「その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。
「その力動的プロセス全体」に注意して、直前の部分に着目する必要があります
【9】【10】にも注意してください。
この部分は、予想問題記事で説明しています。
従って、解答は「彼の属する集団全体の知的パフォーマンスの向上や高まりを促進する力」となります。
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【9】 ある人の話を聴いているうちに、ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったりしたら、それは知性が活性化したことの具体的な徴候である。私はそう考えている。「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。
【10】 知性は個人の属性ではなく、集団的にしか発動しない。だから、ある個人が知性的であるかどうかは、その人の個人が私的に所有する知識量や知能指数や演算能力によっては考量できない。そうではなくて、その人がいることによって、その人の発言やふるまいによって、彼の属する集団全体の知的パフォーマンスが、彼がいない場合よりも高まった場合に、事後的にその人は「知性的」な人物だったと判定される。
【11】 個人的な知的能力はずいぶん高いようだが、その人がいるせいで周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしなくなるということは現実にしばしば起こる。きわめてヒンパン(頻繁)に起こっている。その人が活発にご本人の「知力」を発動しているせいで、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまうという場合、私はそういう人を「反知性的」とみなすことにしている。これまでのところ、ォこの基準を適用して人物鑑定を過ったことはない。
(内田樹「日本の反知性主義たちの肖像」)
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問(5)「この基準を適用して人物鑑定を過ったことはない」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえた上で100字以上120字以内で説明せよ(句読点も1字と数える)
まず、「この基準」に注意することが必要になります。
次に、著者が「反知性的人物」を、どのように考えているかを、本文全体を精読して把握します。
著者は、「知性」の条件として「共同性」を不可欠なものとしています。
従って、著者は、知性をそのようなものと考えない人を「反知性的」な人物と判定しているが、この判定が失敗したことはない、と言っているのです。
以上を中心に制限字数に、まとめるとよいでしょう。
この点も、私のブログの予想問題記事で説明しておきました。
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問(6)傍線a、b、cのカタカナに相当する漢字を楷書で書け。
〔解答〕a→陳腐 b→怠惰 c→頻繁
(3)追記
この問題は、来年度以降、また、他の難関大学の現代文(国語)・小論文で出題される可能性が大です。
よくあることです。
私の予想問題記事とともに、この記事を、よく読んでおいてください。
ユニ-クな論考なので、一度読んだだけでは分かりにくいかもしれませんが、そういう時は、時間をおいて、また読むようにするとよいと思います。
難問については、消費時間を気にしないで、じっくり考えることが必要です。
そのことが、論理力をアップさせるのです。
論理力向上には、良質な難問が不可欠です。
そして、論理力向上は、他の科目(英語・社会・数学)の実力アップにも、必ず役立ちます。
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なお、今回のように、本番で、予習した問題がズバリ的中が発生した時には、特に注意すべき事が、あります。
それについては、下の記事の「(3)本番でズバリ的中が発生した時の注意点」を、お読みください。
【私のプロフィール】
このブログ内の、私のプロフィール面については、下記のURLを、クリックしてください。
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(『日本の反知性主義』は、来年度も頻出出典図書になる可能性が大です。下にAmazon のリンクがありますので、ぜひ、詳細を御覧になってみてください。)
私は、ツイッタ-もやっています。こちらの方も、よろしくお願いします。
https://twitter.com/gensairyu2