現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題「シン・ゴジラ」御厨貴・「戦後」と「災後」・東日本大震災

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 最近になって、2016年度の大ヒット映画「シン・ゴジラ」に関する、哲学的・政治学的・社会学的な本質的論考が、出揃ってきました。

 入試現代文(国語)・小論文の流行・頻出論点にとどまらず、私たちの人生に大きな影響を与えた東日本大震災・福島原発事故に、「シン・ゴジラ」は関連しています。

 東日本大震災・福島原発事故は、当ブログの第1回記事「開設の言葉」に記述したように、当時ブログの中心テーマです。→下のリンク記事を参照してください。

 東日本大震災・福島原発事故に関連する論点は、今年、2017年度のセンター試験国語、東大国語に出題されているように、流行・頻出論点です。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 来年の大学入試では、

①  「シン・ゴジラ」の哲学的・政治学的・社会学的論考、

②  東日本大震災後の価値観の転換(→今回の記事では「災後」)、

は、要注意です。

 そこで、今回の記事では、大学入試現代文(国語)・小論文対策として、頻出著者である政治学者・御厨貴氏の論考、つまり、

①  「ゴジラとどう立ち向かう」(「地球を読む」・読売新聞2016・9・18)、

②  「『戦後』が終わり、『災後』が始まる」(『中央公論』2011・11月号)、

の解説をします。

 

 

別冊アステイオン 「災後」の文明

 

(2)「ゴジラとどう立ち向かうー非常時の危機対応」 御厨  貴・地球を読む・読売新聞2016・9・18

 

(御厨貴氏の論考→太字部分です)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

【1】「この国はまだまだやれる」。映画「シン・ゴジラ」の中で、ゴジラ対策の任を負った官邸の政治家・矢口蘭堂のセリフに、ホッとした。今、社会現象となった話題の映画「シン・ゴジラ」は、大人の鑑賞に堪える、いや大人向けの政治映画である。スクリーンに2時間くぎ付けとなること間違いなしだ。

【2】始まってすぐ、これは3・11東日本大震災と福島原発事故、そして日米安全保障条約が絡んだ物語だと誰しも分かる。この5年間を経験した日本人につきつけられた「非常時にどう立ち向かうか」の問いに、見る者は待ったなしの感覚を持たされる。これ、考えないようにしてきたなと。 

 
 今回のこの映画は、シン・ゴジラが東日本大震災・福島原発事故の暗喩であることを、堂々と出してきています。


 この作品は、「3・11東日本大震災とは何だったのか」を、改めて問い直したものです。この作品は、大震災当時の官邸・自治体・自衛隊の行動、米国からの働きかけ等を、かなり、なぞっているようです。その上で、この作品は、仮想的「災害」への対応のシミュレーションを示すばかりではなく、さらに、一応の解決がなされた後の不安定な状況と、将来の展望まで提示しようとしている野心作と言えるでしょう。

 

 『シン・ゴジラ』は、今までの一連のゴジラシリーズの、単なる最新作には、とどまりません。この映画には、現代日本のすべての緊急かつ重要な問題が詰め込まれています。

 この映画で、監督は、何を描こうとしているのでしょうか? 想定外の巨大災害への畏怖・対応だけではないでしょう。日本の対米従属的外交政策、細分化されている縦割り行政、日本人の事なかれ主義、強力なリーダーシップの不在など、日本の病的側面を告発しようとしている感じです。

 

 それでは、『シン・ゴジラ』はなぜ、大ヒットしたのでしょうか?

  「東日本大震災」の発生以来、自然災害や放射能被害への意識は大きく高まりました。しかも、将来的には「東南海大地震」の発生が懸念されています。

 そのような災害への不安と、災害や核の象徴とも言えるシン・ゴジラの存在が、これまでになくマッチしたのも、今回のヒットの要因になっていたかと思います。描写自体も、少し過剰なくらい災害を意識させるものになっていました。

 

【3】コトが起きても案の定、政治は何も決められない。そもそも突然、東京湾に出現した"巨大不明生物"の存在を認めるか否かで、政治はあたふたする。

【4】政治決定のトライアングルー政治家・有識者・官邸は、混乱の極みに陥る。中でも緊急時にトンチンカンな回答しか出せぬ有識者の役立たずぶりが、徹底的にカリカチュアライズ(→「戯画化。バカにする」という意味)される。多くの政治家たちは、閣議や対策本部で無意味な感慨の吐露に終始する。しかし"決定権"を握る政治家は、いやが応でも現実と対峙(たいじ)せざるをえない。

【5】そこで"不作為の均衡"を打破するのが、長谷川博己演ずる若き政務の官房副長官矢口蘭堂である。物語はそこから猛烈なスピード感をもって始まる。

【6】本来管轄が多岐にわたる複合課題は、まずは官僚体制内部の調整に手間取る。"不作為の均衡"が破られたからと言って、それはすぐには変わらない。

【7】各省庁のタテワリのかべは、ゴジラといえども破壊できぬ強さを誇るが、"外圧"への危機対応が進む中、一気に「決断力」が見えてくる。

【8】そのための人材集結がまた示唆的だ。政治家―官僚システムから疎外され除外された異端者、変わり者たちが各界から呼び出される。彼らは自分のオタク的興味でもってコトにあたる。あたかもゲームを楽しむかのように。そこに国家は意識されない。

【9】さらにここでは肩書と上下関係は無用だ。人材は育てられるものではない。その社会がどれだけ異端者を抱え込むゆとりを持っているか否か、そのノリシロの大きさこそが必要なのだと分かる。

 

 「多様性」は緊急時にこそ有用性です。均質性を過度に尊重する日本社会に対して、「多様性」の重要性を御厨氏は、明確に指摘しています。

 

【10】登場人物のセリフの言い回しは早いし、場面転換もめまぐるしい。その中でネマワシにこだわる官僚の自嘲的発言や行動様式がマメに描かれていく。このディテールの積み重ねが、デジャブのように3・11直後の日本を記憶から呼びさます。第2次世界大戦後を長く規定した「戦後」を脱して、「災後」(→2011年3月11日に発生した東日本大震災以後をさす言葉。御厨氏が、大震災後に最初に提示したキーワードです)の時代が到来したことを再確認できる。

【11】ゴジラは成長する。凶暴化するゴジラへの対応の中で、実は政治家や官療も成長する。矢口蘭堂はもとより、他の政治家たちも危機に臨んで成長する。そこに「危機の政治過程」が成立するのだ。

【12】「この国も捨てたもんじゃない」。それは絶望の中で未来を託された政治家の発言だ。「スクラップ・アンド・ビルド(→「スクラップ・アンド・ビルド」とは、「老朽化し非効率な組織・構造物等を廃棄して、新しい組織・構造物等に転換すること」という意味)でこの国はこれまでも復興してきた」の一語も泣かせる。これは、ベテランの上司たちを想定外のビーム乱射で一挙に失うという、危機に直面した若き政治家たちの成長譚(たん)に他ならない。

 

  『シン・ゴジラ』では、緊急時にさえ、縄張り争いに専念する行政官僚達のバカバカしさを丹念に描いています。現実の日本の現実のリアルな姿です。

 それが途中から、危機対応チームとして、理想的な官僚組織へと切り替わります。

 

【13】コトナカレ主義者も変わる。偶然の継承順位で首相臨時代理を命ぜられた政治家は、自他ともに無能とされた人物。その彼が何も出来ぬという自覚故に、あたかも下克上的要求に対し愚直に「決定」をくり返す様は、政策決定機構が極端なまでにそぎ落とされた場合、アイロニカル(→「皮肉的」という意味)だが意外に有効かもしれぬと感じらた。

【14】ここで首相の継承順位がはっきりと描かれたのは興味深い。偶然のなせるワザで5位まで決まっているのだが、それも皆死んだらどうするのかとの問題提的発言。これはけっこうシビアな現実的な問いかけではないか。

【15】シビアと言えば、日米安保体制もそうだ。アメリカは日本にとって本当の友人であるのかどうか。

 

 在日米軍は、無慈悲で傲慢な暴君的存在と、親切な心優しき隣人的存在という、二面性を持った存在として描かれています。

 

【16】ゴジラ攻撃でも米軍はあくまでもアメリカの安全を第一に見すえている。だから、ゴジラが世界規模の原子力拡散の脅威になった時、アメリカは「目には目を」の先制攻撃の方針を躊躇なく決める。

【17】日本はこの決定を受け入れざるをえない。究極の日米関係がここには冷徹に描かれている。

【18】他方、矢ロたちは独自の対ゴジラ作戦を進める。だがそれは成功したのか否か。結局ゴジラの再活性化を防ぎつつも、日本人はゴジラと"共存"せねばならぬ運命を背負うことになるからだ。

 

 作品の後半部では、急に「緊迫した国際政治」が展開し始めます。国連安保理による、ゴジラ核攻撃通告への対応が、問題化するのです。

 核攻撃を受け入れ、首都機能を完全に喪失する代償に復興支援を受け入れるのか、あるいは、被害を限定化する「シン・ゴジラ凍結プラン」を実施する賭けに出るのか。作品中では後者が決断されます。

 アメリカに早期の決断を催促された日本は、なんとか準備を整え、自力で「シン・ゴジラ凍結プラン (ヤシオリ作戦)」を決行します。その場面では、日米関係に関して、日本人俳優たちが「属国」「戦後は続く」という自虐的で悲しいセリフを口にしています。シン・ゴジラを倒すための首都東京への核攻撃という屈辱的提案を退け、日本が自力でシン・ゴジラを打倒する展開になっています。

 

【19】好ましからざる"共存"は、原子力発電所と、日本人との緊張関係をそれとなく示唆する。復興の長いプロセスの中で、ゴジラとどう"共存"したらよいか。政治はそれこそ今度は時間をかけてその問いに答えねばならない。

【20】ゴジラを語る会、ゴジラを語るプログ、暑い夏をさらに熱くするゴジラ語りの登場であった。しかも、3・11から5年、はしなくも春に熊本震災が、そして今夏は日本列島をたび重なる自然災害が襲った。風水害の光景が目に映じるたびに、人はすぐさまゴジラを思い起こす。「戦後か」「災後か」(→この論点については、この後に、さらに詳述します)をずっと考えてきた者にとって、ゴジラの常態化が示唆するものは大きい。

【21】そこでやはり「災後」の観念は広がっていく。

【22】実は「戦後」も近代史の中でいくたびか存在した。確かに、日清「戦後」、日露「戦後」、第1次世界大「戦後」、とそれは10年ごとに日本に訪れている。そのたびに「戦後体制」が形作られたのだ。そして最大にしておそらく最後の「戦後」が、あの戦争の終戦を機に始まった。今や71年である。

【23】この「戦後」のアナロジー(→「類推」という意味)を「災後」に適用できぬわけがない。関東大震「災後」、阪神・淡路大震「災後」、東日本大震「災後」、そして熊本震「災後」と来る。東京の場合は、関東大震「災後」から20年たって東京大空襲戦「災後」に結びつく。そう、ゴジラはかつて2度東京を襲ったのだ。自然災害そして戦時災害としてだ。

 

 ここでは、「ゴジラ=戦争=関東大震災」という関係を明示しています。「ゴジラ=災害」ですが、戦争も「災害」に分類されていることを注意してください。

 

【24】ゴジラはいつかやってくる。地震を中心とする自然災害から、今や免れることの出来ぬ日本に、もっと思いを致さねばならぬ。「防災体制」そして「災後体制」を考慮に入れて、政治は進んでいくことになろう。

【25】災害をすべて予防し克服することはありえない。だとしたら、ゴジラと"共存"する体制を政治はめざすことになる。

【26】そのためには、「あきらめず最後までこの国を見すてずにやろう」。映画が訴えた不退転のメッセージにうなずく以外になかろう。」

 

……………………………

 

(当ブログによる解説)

 この映画の最終場面では、シン・ゴジラが凍結されています。

 ヤシオリ作戦の成功により、ゴジラは確かに凍結されました。しかし、シン・ゴジラにより首都東京は壊滅しました。しかも、もし、シン・ゴジラが凍結状態から復活してしまえば、1時間以内に核攻撃が実行されるという条件は残っています。壊滅的危機の可能性は今後も継続するのです。

 この絶望的な状況の中でも、この作品では、かすかな希望の光が残されているようです。

 その光は、内閣官房長官代理(竹野内豊)の次の言葉に、感じられるのです。

「この国はスクラップ・アンド・ビルドでのし上がってきた。また立ち直れるさ」

 これは、復興途中の東北地方、さらには、日本国民全体への激励の言葉とも受け取れます。

 どんな困難に遭っても、日本は復興できる。

 人材的に、組織的に、どうしようもないのが、この国の現実です。しかし、現状の情けなさ、進歩の無さを認めつつ、少しずつ前に進むしかないのです。そこにこそ、希望の光があるのでしょう。

 とは言え、苦い諦念と希望が、ないまぜになった、複雑な味わいの映画です。 

 

 壊滅的な破滅の中でさえも、意欲を持つ限り、私たちの周りには、微かな希望の光が、さしているのかも知れません。

 だからこそ、日本人は再び立ち直ることができるとも、言えるのでしょう。

 日本は、何度も、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返しながら、これまでやってきたのです。

 

「戦後」が終わり、「災後」が始まる。

 

 

 (3)「災後」について

 

 「災後」というキーワードは、前述したように、御厨貴氏が最初に提唱しました。         「災後」の内容については、御厨氏は、以下の論考( 「『戦後』が終わり、『災後』が始まる」『中央公論』2011年11月号)で、詳細に説明しています。

 

(御厨貴氏の論考)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

「  今回の「3・11」は、これまでのさまざまな出来事にも増して、われわれ日本人に深い刻印を残すものとなるだろう。そして、長かった「戦後」の時代がようやく終わり、「災後」とも呼ぶべき時代が始まるのではないか。

 1945年の敗戦以来、現在まで続いてきた「戦後」がいつ終わるのか、これまで多くの議論があった。「ポスト戦後」は論者によって、高度成長以降、オイルショック以降、ベルリンの壁崩壊以降、バブル崩壊以降・・・・とさまざまに定義されてきた。政治についても、世界でも稀な高度成長と世界に冠たる行政官僚制に支えられ、55年体制という枠組みのなかで、政治は強いリーダーシップを取らずに済んできた。そしてこうした「戦後政治」の特徴は昭和天皇が死去しても、55年体制が崩壊しても、21世紀になってもなかなか壊れなかった。
 この理由として、太平洋戦争以降、日本には共通体験としての戦争がなかったことが挙げられる。そして「あの戦争」は、日本の内外ともに、日本を語る際の基軸となった。「戦後」は終わらず、延びていくばかり。日本で「戦後」が終わるためには、次の共通体験が必要だったのである。そこに容赦なく「3・11」がやってきた。

 「3・11」が今後、日本人の共通体験になると考えられるのは、天災と人災の複合した形だったことが大きな理由である。地震と津波そのものは天災である。けれども、福島第一原子力発電所の事故については、すでに指摘されているとおり人災の側面が大きい。天災と人災の複合により、直接の被害は大きくなかった東京をはじめとする東北以外の地域でも、電気やガソリンなど、あたかも空気と同じように享受してきたものが現実に止まったりなくなったりすることが実感されてしまった。多くの人はかなりのショックを受けたはずである。しかも、電気やガソリンをはじめ、食料や物資の供給の不安定な状態は相当程度続くのではあるまいか。

 このような状況で、「3・11」は、日本人の基本的なものの考え方や行動様式を、長期的には大きく変える契機とならざるをえない。これが、天災であり人災でもある「3・11」のあとに、「災後」というひとつの新しい時代が始まると考える所以である。

 明治維新以来、日本が走ってきた近代化路線、すなわち科学技術の発展、人口増加、高度成長路線はすでに限界を見せていたが、これまでは何度指摘されようとも新しい社会像への自己変革は到底実現できなかった。現状を維持せんとする力はそれほど強く働くものなのだ。それが今回は、外国勢力による「外圧」でも内乱や騒擾といった「内圧」によるものでもなく、いわば「自然災害圧」によって否応なく変わらざるをえなくされてしまったのである。

 

 以上は、「災後」という新時代が始まる、という主張の理由が丁寧に述べられています。なぜ、人々の価値観が劇的に転換して、時代が変わるのか、を説明しているのです。

 

(御厨貴氏の論考)

「  それでは災後社会とはどのような世界なのか。

 これまでの日本人は、時間厳守で勤勉に、外と張り合って生きてきた。国際化・情報化にともない、日本は変わらなければならない、さらに進歩しなければならないという強迫観念に常に追いつめられてきたのである。

 災後社会においてはさらに世界に伍していこうとする人が出てこよう。もっとも、本当に伍していくとすれば日本を捨てなければならない面も出てくる。他方、日本が今後GDPで世界第一位になることはないし、数値で表される指標が右肩下がりで落ちていくのは間違いない。こうした認識を前提に、外国はどうあれ、この国で腰を落ち着けて暮らせればよいのだという「スローライフ」的な生き方も、ますますはっきりと受け入れられるようになるだろう。社会のIT化がいよいよ進展する一方で、高齢者の持つ経験や知恵が評価されて、日本が高齢社会であることを素直に認められるというように、無理なく共存する社会をめざすことになろう。

(「『戦後』が終わり、『災後』が始まる」(『中央公論』2011年11月号)

 

 以上の論考では、御厨氏は、「災後社会」における価値観の転換の方向を予測しています。そして、その予測は、かなり妥当性を有していると思われます。

 人生をそれ自体、ゆっくり味わいつつ生きることこそ幸福だ、という「スローライフ」的な生き方が、人々の間に着実に浸透しています。また、日本が高齢化社会であることが素直に認められ、高齢者とのスムーズな共存を目指す社会の構築が進行しつつあります。

 このような好ましい、人間重視的な社会の動きは、東日本大震災に、確かに、より顕著になってきているのです。

 

 この点について、御厨氏は、2014年3月12日の産経新聞のインタビュー記事(「災後3年 提唱者の御厨貴氏に聞く  『変えよう』価値観生まれた」)の中で、以下のように述べています。記事の一部を引用します。

 

「  東日本大震災直後に論壇で生まれた言葉「災後」。
大災害で戦後が終わり、新時代を迎えるとの予感が込められた言葉だった。だが以来3年、政治や社会は当時思われたほど大きくは変わっていないようにも見える。この言葉の提唱者で、社会科学系研究者による論文集『「災後」の文明』(阪急コミュニケーションズ)を編者としてまとめた政治史家の御厨(みくりや)貴・放送大教授に、災後3年の心境を聞いた。

 「だらだら続いてきた戦後が、大きく変わると思った」。御厨氏は震災直後の平成23年3月下旬から、新聞などで「災後」という言葉を使用し、時代の転換点が来たと指摘してきた。「突然、大勢の人が死ぬ経験は戦後なかった。大量死が生じる社会を作らないということで戦後長らくやってきたが、自然災害という形でその状況は起きうることが明らかになった」

 では災後という厳しい時代に対応するために、戦後の何を変えなければならないのか。政治史家である御厨氏は、それを高度成長期以来の「平等主義」だと指摘する。「経済はすでに右肩上がりでなくなって久しい。復興に際し、すべて平等に元通りにできるはずもなく、政治の役割として選択的にならざるを得ない」。復興に際しては戦後的な平等主義を捨て、地方が主体となって選択と集中を進めなければならないとする立場だ。(→各地域が、国や県の監督下という立場から自由になって、細分化された地域レベルでの主体性を持って復興を進めていくべきだ、とする主張です。この主張は、これまでの、横並び的平等主義を打破しようとする大胆な提案です)

 しかし、震災後3年、平等主義に代表される政治・社会の戦後的価値観は、予想したほど変わったとはいえない。御厨氏は政府の復興構想会議にも議長代理として関わり、行政に対しさまざまな提言を行ったが、「やはり縮小モデルは嫌われる。首長からは『おれを政治的に殺す気か』『たとえウソであっても夢が必要』と言われた」と打ち明ける。「戦後は終わらず、むしろ生き返ったかもしれない」

 ただ、「これまでと同じではいられないという、災後的な価値観が生まれたのは確か」とも指摘する。「現実に変わっているところは少ないが、変えようとする気分は生じてきている」

  

 長期的に見て、「戦後」のように、「災後」という時代区分は定着するのでは、ないでしょうか。「災後」という表現になるのか、あるいは、別の表現になるのかは分かりませんが。

 このことは、今の時点で、確定的に断言することではできません。しかし、時代の潮流を見ていると、私は、そのような予測に自信を持っています。

 

 「東北の復興」については、2016年3月10日の日本経済新聞のインタビュー記事(「『戦後』から『災後』の日本を憂う 御厨東大名誉教授に聞く・再生への闘い(5)」)で、より具体的に述べていて、参考になります。以下に引用します。

「今後の自然災害時にどう対応するのか。

 もともと東北は過疎問題を抱えていた。そのまま復興しても、しょうがなく創造的復興が必要になる。東北を日本の先端に変えることで日本が変わるというのが『災後』の言葉に託した意味だ

 

 「災後」においては、東北を重視するべきです。

 そして、東北の過疎問題をも考慮した「創造的復興」を、高齢化が進行している日本全国の「災後」の災害対策事業のモデルケースにするべきだ、というのが、御厨氏の主張の根幹になっているようです。

 私は、この主張は極めて正当な見解だと思います。

 

(4)当時ブログにおける「東日本大震災」・「福島原発事故」関連の記事の紹介

  

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(5)御厨貴氏の紹介

  

御厨 貴(みくりや たかし、1951年生まれ )日本の政治史学者・政治学者。東京大学・東京都立大学名誉教授。放送大学客員教授。青山学院大学国際政治経済学研究科特任教授。専門は、近現代日本政治史、オーラル・ヒストリー。復興庁復興推進委員会委員長代理を歴任。


著書
『明治国家形成と地方経営・1881-1890年』(東京大学出版会、1980年)

『東京・首都は国家を超えるか 20世紀の日本(10)』(読売新聞社、1996年)-編集委員(全12巻)

『明治国家の完成 1890-1905 日本の近代(3)』(中央公論新社、2001年/中公文庫、2012年12月)-編集委員(全16巻)

『オーラル・ヒストリー・現代史のための口述記録』(中公新書、2002年)

『政治の終わり、政治の始まり・ポスト小泉から政権交代まで』(藤原書店、2009年)

『権力の館を歩く』(毎日新聞社、2010年7月/ちくま文庫、2013年12月)

『「質問力」の教科書』(講談社、2011年3月)

『「戦後」が終わり、「災後」が始まる』(千倉書房、2011年12月)

『政治の眼力ー永田町「快人・怪物」列伝』(文春新書、2015年6月

『戦後をつくる・追憶から希望への透視図』(吉田書店、2016年2月)

『政治家の見極め方』(NHK出版新書、2016年3月)

『戦前史のダイナミズム』(左右社・放送大学叢書、2016年9月)

『人を見抜く「質問力」ーあの政治家の心をつかんだ66の極意』(ポプラ社・ポプラ新書、2016年10月)

『明治史論集ー書くことと読むこと』(吉田書店、2017年5月)

  

ーーーーーーーー

 

 今回の記事は、これで終わります。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

  

   

 

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別冊アステイオン 「災後」の文明

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  • 作者: 御厨貴,飯尾潤,村井良太,苅部直,川出良枝,堂目卓生,梅田百合香,大竹文雄,佐藤卓己,五野井郁夫,武藤秀太郎,池内恵,柳川範之,遠藤乾,牧原出,伊藤正次,サントリー文化財団「震災後の日本に関する研究会」
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2014/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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人を見抜く「質問力」 (ポプラ新書)

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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