現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2014センター国語第1問(現代文)『漢文脈と近代日本』解説

(1)はじめに

 本問は、漢文脈が江戸時代の武士階級にいかなる影響を与えたか、を論じた内容になっています。

 「言語と人格形成の関係」は重要論点です。

 最近では、「能動態・受動態の二分法」と「意志」・「自己意識」の関係にメスを入れ、「中動態」の存在意義に光を当てた『中動態の世界』(國分功一郎)が評判になったことで、本書を中心として、「言語と人格形成の関係」の論点は、頻出論点になりそうです。

 この論点を理解する「きっかけ」として、今回の問題は役立つでしょう。

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

 設問は、センター試験としては、標準的なレベルです。熟読を基本にして、消去法を併用すると満点も充分に可能でしょう。

 国語第1問(現代文)については、約25分しか使えないので、効率的に処理することを心がけてください。

 

 センター現代文を効率的に処理するポイント・コツについては、最近、当ブログで記事を発表したので、ぜひ参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

  

gensairyu.hatenablog.com

 

 今回の記事の項目は、以下の通りです。記事は約1万字です。

(2)2014センター試験国語第一問『漢文脈と近代日本』齋藤希史/解説

(3)本文解説→「言語帝国主義」について

(4)齋藤希史氏の紹介

 

漢文脈と近代日本 (角川ソフィア文庫)

 

(2)2014センター試験国語第一問(現代文・評論文)『漢文脈と近代日本』齋藤希史/解説

問 以下は18世紀末から19世紀にかけて、幕府の教学制度が整備され、さらにこれをモデルとした学問奨励策が各藩に普及していくに伴って、漢文を読み書きする行為が士族階級を主な担い手として日本全国に広まったことを述べた後に続く文章である。これを読んで、後の問いに答えよ。

 

(問題文本文)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は問題本文に付記されている段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

【1】漢文学習の入り口は素読です。初学者はまず『論語』や『孝経』などを訓点に従ってただ棒読みする素読を叩きこまれました。漢籍を訓読するというのは一種の翻訳、つまり、解釈することですから、解釈の標準が定まっていないと、訓読もまちまちになってしまいます。そうすると、読み方、つまり素読を統一することはできなくなります。「素読吟味」という試験は素読の正確さを問うものでした。素読、すなわち訓読はおおまかにせよ統一されていることが前提となりましたし、さらにその前提として、解釈の統一が必要でした。つまり、解釈の統一は、カリキュラムとしての素読の普及と一体のものであったと言えるのです。やや極端な言い方ですが、異学の禁があればこそ、素読の声は全国津々浦々に響くことになったのです。

【2】このように歴史の流れを理解すれば、十九世紀以降の日本において、漢文が公的に認知された素養であったということも、納得しやすいのではないでしょうか。

【3】さて、こうした歴史的な環境の中で、漢文は広く学ばれるようになったのですが、多くの人々は儒者になるために経書を学んだのではありませんし、漢詩人になるために漢籍をひもといたのではありませんでした。そうした専門家になるためではなく、いわば基礎学問としての漢学を修めたのです。もちろん、体制を支える教学として、身分秩序を重んじる朱子学が用いられたという側面を無視することはできません。しかし、現実に即して見れば、漢学は知的世界への入り口として機能しました。訓読を叩きこまれ、大量の漢籍に親しむことで、彼らは自身の知的世界を形成していったのです。

【4】となると、その過程で、ある特定の思考や感覚の型が形成されていったことにも、注意を向ける必要があります。といっても、忠や孝に代表される儒教道徳が漢文学習によって身についたと言いたいのではありません。そうした側面がないとは言えないのですが、通俗的な道徳を説く書物なら、漢籍を持たずとも、巷に溢れていました。何も漢文を学ばなければ身につかないものでもなかったのです。

【5】 A もう少し広く考えてみましょう。

【6】そもそも中国古典文は、特定の地域の特定の階層の人々によって担われた書きことばとして始まりました。逆に言えば、その書きことばによって構成される世界に参入することが、すなわちその階層に属することになるわけです。どんなことばについてもそうですが、B  人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します。前漢から魏晋にかけて、その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき、高度なリテラシー(読み書き能力)によって社会に地位を占める階層がその世界を支えました。それが、士人もしくは士大夫と呼ばれる人々です。

【7】『論語』一つを取ってみても、そこで語られるのは人としての生き方であるように見えて、士としての生き方です。「学んで時に習う・・・」と始められるように、それは「学ぶ」階層のために書かれています。儒家ばかりではありません。無為自然を説く道家にしても、知の世界の住人であればこそ、無為自然を説くのです。乱暴な言い方ですが、農民や商人に向かって隠逸を説くのではないのです。

【8】思想でなく文学にしても、同じことが言えます。たしかに、中国最古の詩集である『詩経』には民歌に類するものが含まれていますが、その注釈や編纂が士人の手になるものである以上、統治のために民情を知るという視線はすでに定まっています。まして、魏晋以降、士人が自らの志や情を託しうるものとして詩を捉え、ついには詩作が彼らの生を構成するほとんど不可欠の要素になったことを見れば、唐代以降の科挙による詩作の制度を待たずとも、古典詩はすでに士人のものだったことは、あきらかです。

【9】こういう観点からすれば、古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫を制度的に再生産するシステムであったのみならず、士大夫の思考や感覚の型―とりあえずこれをエトスと呼ぶことにします―の継承をも保証するシステムだったことになります。

【10】日本の近世社会における漢文の普及もまた、士人的エトスもしくは士人意識―その中身については後で述べます―への志向を用意しました。漢文をうまく読み、うまく書くには、字面だけを追って真似ても限界があります。その士人としての意識に同化してこそ、まるで唐代の名文家韓愈が乗り移ったかのような文章が書けるというわけです。あるいは、彼らの詩文を真似て書いているうちに、心の構えがそうなってしまうと言ってもよいでしょう。文体はたんに文体に止まるものではないのです。

 

ーーーーーーーー

 

(設問・解説・解答)

問1は省略

問2 傍線部A 「もう少し広く考えてみましょう。」とあるが、それはなぜか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 中国に目を転じて時代をさかのぼり、中国古典文に見られる思想と文学の共通点を考慮に入れることで、近世後期の日本において漢籍が知的世界の基礎になった根拠が把握できるから。

② 中国に目を転じて時代をさかのぼり、科挙を例に学問の制度化の歴史的起源に関する議論を展開することで、近世後期の日本において漢学が素養として公的に認知された理由が把握できるから。

③ 中国に目を転じて時代をさかのぼり、儒家だけでなく道家の思想も士大夫階級に受け入れられた状況を踏まえることで、近世後期の日本において漢文学習により知的世界が多様化した前提が把握できるから。

④ 中国に目を転じて時代をさかのぼり、中国古典文と士大夫階級の意識との関係を考察することで、近世後期の日本において漢文学習を通して思考や感覚の型が形成された過程が把握できるから。

⑤ 中国に目を転じて時代をさかのぼり、中国古典文に示された民情への視線を分析することで、近世後期の日本において漢学の専門家以外にも漢文学習が広まった背景が把握できるから。

 

……………………………

 

【問2解説・解答】(傍線部説明問題)


【2】段落「十九世紀以降の日本において、漢文が公的に認知された素養であった」、

【3】段落「現実に即して見れば、漢学は知的世界への入り口として機能しました。訓読を叩きこまれ、大量の漢籍に親しむことで、彼らは自身の知的世界を形成していったのです」、

【4】段落「その過程で、ある特定の思考や感覚の型が形成されていったことにも、注意を向ける必要があります」、

【5】段落「A もう少し広く考えてみましょう」、

【6】段落「そもそも中国古典文は、特定の地域の特定の階層の人々によって担われた書きことばとして始まりました」、

【8】段落「古典詩はすでに士人のものだったことは、あきらかです」、

【9】段落「こういう観点からすれば、古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫の思考や感覚の型の継承をも保証するシステムだった」、

【10】段落「日本の近世社会における漢文の普及もまた、士人的エトスもしくは士人意識への志向を用意しました」、

より④(→④中国に目を転じて時代をさかのぼり、/中国古典文と士大夫階級の意識との関係を考察することで、/近世後期の日本において漢文学習を通して思考や感覚の型が形成された過程が把握できるから。)が適切です。


①  「思想と文学の共通点の部分」が、

②  「科挙を例に学問の制度化の歴史的起源に関する議論を展開」が、

③  「道家の思想も士大夫階級に受け入れられた状況を踏まえることで、近世後期の日本において漢文学習により知的世界が多様化した前提」が、

⑤  「中国古典文に示された民情への視線を分析」が、

それぞれ無関係です。

→このように、センター現代文においては、消去法を活用すると、誤りの選択肢を簡単にチェックすることができます。

 
(解答)④

 

ーーーーーーーー

 

(設問)

問3 傍線部B 「人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します」とあるが、中国では具体的にどのような展開があったのか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 無為自然を説く道家のことばに導かれ、上昇志向を捨てた人々がいる一方で、身分秩序を説く中国古典文が社会規範として広く支持されるにつれて、リテラシーの程度によって階層を明確に区分する社会体制が浸透していった。

② 中国古典文の素養が士大夫にとって不可欠になると、リテラシーの獲得に対する人々の意欲が高まるとともに、中国古典文が書きことばの規範となり、やがてその規範に基づく科挙制度を通して統治システムが行き渡っていった。

③ 高度な教養を持つ士大夫がそのリテラシーによって中国古典文の世界を支えるようになると、その世界で重視された儒家の教えが社会規範として流布し、結果的に伝統的な身分秩序を固定化する体制が各地に形成されていった。

④ 中国古典文のリテラシーを獲得した人々が自由に自らの志や情を詩にするようになると、支配階層であるが編む経書の中にも民情を取り入れたものが出現し、科挙制度のもとで確立した身分秩序が流動化していった。

⑤ 中国古典文のリテラシーを重視する科挙が導入され、古典詩文への関心が共有されるようになると、士大夫が堅持してきた書きことばの規範が大衆化し、人々を統治するシステム全体の変容につながっていった。

 

……………………………

 

【問3解説・解答】(傍線部説明問題)

 まず、【6】段落「その書きことば(→「中国古典文」)によって構成される世界に参入することが、すなわちその階層に属することになるわけです。B 人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します。その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき、高度なリテラシー(読み書き能力)によって社会に地位を占める階層がその世界を支えました。それが、士人もしくは士大夫と呼ばれる人々です」の部分が、

「中国古典文の素養が士大夫にとって不可欠になると、リテラシーの獲得に対する人々の意欲が高まる」に対応しています。

 次に、【6】段落「その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき」の部分が、

②「中国古典文が書きことばの規範となり」に対応しています。→「その世界は拡大します」に対応しています。

 さらに、【9】段落「こういう観点からすれば、古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫を制度的に再生産するシステムであったのみならず、士大夫の思考や感覚の型の継承をも保証するシステムだったことになります」の部分が、

②「やがてその規範に基づく科挙制度を通して統治システムが行き渡っていった」に対応しています。

以上より、②が正解になります。

 

①  「無為自然を説く道家のことばに導かれ、上昇志向を捨てた人々がいる」が【7】段落に反します。

③  「伝統的な身分秩序を固定化する体制が各地に形成されていった」が無関係です。

④  「支配階層であるが編む経書の中にも民情を取り入れたものが出現」は、文学的側面に限定されているので、不適切です。

⑤  「士大夫が堅持してきた書きことばの規範が大衆化し」の部分は、本文に、このような記述がなく不適切です。


(解答)②


ーーーーーーーー

 

(問題文本文)

【11】そういうふうにして、古典文の世界に自らを馴染ませていくこと自体は、中国でも日本でもそれほどの違いがあるわけではありません。ただ、誰がどのようにして、というところには注意が必要です。もう一度、近世日本に戻って考えてみましょう。
【12】繰り返しになりますが、日本における近世後期の漢文学習の担い手は士族階級でした。となると、中国の士大夫と日本の武士が漢文を介してどのように繋(つな)がるのか、見ておく必要があります。

【13】軍功を競う中世までの武士とは異なり、近世幕藩体制における士族はすでに統治を維持するための吏僚であって、中国の士大夫と類似したポジションにありました。その意味では、士人意識には同化しやすいところがあります。一方、中国の士大夫があくまで文によって立つことでアイデンティティを確保していたのに対し、武士は武から外れることは許されません。抜かなくても刀は要るのが太平の武士です。文と武、それは越えがたい対立のように見えます。

【14】しかしそれも、武を文に対立するものとしてではなく、武を忠の現れと見なしていくことで、平時の自己確認も容易になります。C 刀は、武勇ではなく忠義の象徴となるのです。これは、武への価値づけの転換であると同時に、そうした武に支えられてこその文であるという意識が生まれる契機にもなります。

【15】やや誇張して言えば、近世後期の武士にとっての文武両道なるものは、行政能力が文 、忠義の心が武ということなのです。武芸の鍛錬も、総じて精神修養に眼目があります。水戸市藩の藩校弘道館を始まるめ、全国各地の藩校が
文武両道を標榜ひょうぼうしたことは、こうした脈絡の中で捉えてこそ意味があるでしょう。たとえば、幕末の儒者、佐藤一斎の『言志晩録』にはこんな一節があります。

(問題文本文では、漢文、書き下し文が提示されていますが、当ブログでは「意訳」だけにします)

 剣術は臆病な心を抱く者は負け、勇気に頼る者は敗れる。必ずや勇気と臆病な心を消し、勝負を一動に忘れ、かくの如き者は勝つ。心学もまたこれに外ならず。

【16】 臆病も勇猛も勝負も超越してこそ、勝つことができる。武芸がすでに技術ではなく、精神が左右するものになっています。だからこそ、精神修養の学である「心学」が、武芸の鍛錬になぞらえられているのです。注意したいのは、武芸を心学に喩(たと)えているのではないことです。その逆です。心学を武芸の鍛錬によって喩えるほどに、武芸は精神の領域に属する行為となっていたというわけです。

【17】そして寛政以降の教化政策によって、学問は士族が身を立てるために必須の要件となりました。政治との通路は武芸ではなく学問によって開かれたのです。もちろん「学問吟味」という名で始まった試験は、中国の科挙制度のような大規模かつ組織的な登用試験とは明らかに異なっていますし、正直に言えば、ままごとのようなものかもしれません。けれども、「学問吟味」や「素読吟味」では褒美が下され、それは幕吏として任用されるさいの履歴に記すことができました。武勲ならぬ文勲です。そう考えれば、むしろあからさま官吏登用試験でないほうが、武士たちの感覚にはよく適合したとも言えるのです。

【18】もう一つ、教化のための儒学はまず修身に始まるわけですが、それが 治国・平天下に連なっていることも、確認しておきましょう。つまり、統治への意識ということです。士大夫の自己認識の重要な側面がここにあることは、言うまでもありません。武将とその家来たちもまた、その意識を分かちもつことで、士となったのです。経世の志と言い換えることもできるでしょう。「修身・斉家・治国・平天下」とは、四書の一つ『大学』の八条目のうち、後半の四つです。『大学』は朱子学のテキストとして重んじられ、倫理の基本でもありました。

【19】(中略)近世の思想史をていねいに見ようとすれば、右の捉え方は、ややおおづかみに過ぎるかもしれません。

【20】しかし当の学生たちにとってみれば、漢文で読み書きするという世界がまず目の前にあり、そこには日常の言語とは異なる文脈があることこそが重要なのです。そしてそれは、道理と天下を語ることばとしてあったのです。D 漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあったのです。

(齋藤希史『漢文脈と近代日本』による)


ーーーーーーーー

 


(設問・解説・解答) 

問4 傍線部C 「刀は、武勇ではなく忠義の象徴となる」とあるが、それによって近世後期の武士はどういうことが可能になったのか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 近世後期の武士は、刀が持つ武芸の力を忠義の精神の現れと価値づけることで、理想とする中国の士大夫階級の単なる模倣ではない、日本独自の文と武に関する理念を打ち出すことができるようになった。

② 近世後期の武士は、単なる武芸の道具であった刀を、漢文学習によって得られた吏僚としての資格と、武士に必須な忠義心とを象徴するものと見なすことで、学問への励みにすることができるようになった。

③ 近世後期の武士は、刀を持つことが本来意味していた忠義の精神の中に、武芸を支える胆力と、漢文学習によって獲得した知力とを加えることで、吏僚としての武士の新たな価値を発見できるようになった。

④ 近世後期の武士は、武芸の典型としての刀を忠義の精神の現れと見なし、その精神を吏僚として要求される行政能力の土台と位置づけることで、学問につとめる自らの生き方を正当化できるようになった。

⑤ 近世後期の武士は、常に刀を携えることで、統治のためには忠義て結ばれた関係が最も重要であることを自覚し、出世のための学問を重んじる風潮に流されず、精神の修養に専念できるようになった。

……………………………


【問4解説・解答】(傍線部説明問題)

 まず、【14】段落「武を文に対立するものとしてではなく、武を忠の現れと見なしていくこと」は、

④「近世後期の武士は、武芸の典型としての刀を忠義の精神の現れと見なし」に対応しています。

 次に、【15】段落「近世後期の武士にとっての文武両道なるものは、行政能力が文 、忠義の心が武ということなのです。」は、

④「その精神を吏僚として要求される行政能力の土台と位置づけることで」に対応しています。

 さらに、【14】段落「平時の自己確認も容易になります」は、

④「学問につとめる自らの生き方を正当化できるようになった」に対応しています。

以上より、④が正解になります。

 

①  「理想とする中国の士大夫階級の単なる模倣ではない、日本独自の文と武に関する理念を打ち出すことができるようになった」は、

②  「刀を、漢文学習によって得られた吏僚としての資格と、武士に必須な忠義心とを象徴するものと見なす」は、

③  「刀を持つことが本来意味していた忠義の精神」は、本文に、このような記述は、ありません。

⑤  「近世後期の武士は、出世のための学問を重んじる風潮に流されず」は、【17】段落の「学問は士族が身を立てるために必須の要件となりました」に反します。


(解答)④


ーーーーーーーー

 

問5 傍線部D「漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあった」とあるが、それはどういうことか。本文全体の内容に照らして最適なものを次の中から一つ選べ。

① 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、幕府の教化政策を推進する者に求められる技能を会得するとともに、中国の科挙制度が形成した士人意識と同様のエリートとしての内面性を備えるようになったということ。
②武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、行政能力としての文と忠義の心としての武とを個々の内面において調和させるとともに、幕吏として登用されために不可欠な資格を獲得するようになったということ。

③ 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、身を立てるのに必要な知識を獲得するとともに、士人としての思考や心の構えをおのずから身に付け、幕藩体制下の統治者としてのあり方を体得するようになったということ。 

④ 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、幕府の教化政策の根幹に据えられている修身を実践するとともに、士人としての生き方を超えた、人としての生き方にかなう経世の志を明確に自覚するようになったということ。 

⑤ 武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、中国の士人が継承してきた伝統的な思考法に感化されるとともに、それに基づき国家を統治するという役割を天命として引き受ける気になったということ。


……………………………


【問5解説・解答】(傍線部説明問題)

 まず、【17】段落「学問は士族が身を立てるために必須の要件となりました。政治との通路は学問によって開かれた」が、
③「武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して、身を立てるのに必要な知識を獲得する」に対応しています。

 次に、【18】段落「教化のための儒学はまず修身に始まるわけですが、それが 治国・平天下に連なっていることも、確認しておきましょう。つまり、統治への意識ということです」が、

③「士人としての思考や心の構えをおのずから身に付け、幕藩体制下の統治者としてのあり方を体得するようになった」に対応しています。

以上より、③が正解になります。

 

①  「幕府の教化政策を推進する者に求められる技能」は、

②  「行政能力としての文と忠義の心としての武とを個々の内面において調和させる」は、

④  「士人としての生き方を超えた」は、

⑤  「国家を統治するという役割を天命として引き受ける気になった」は、

それぞれ、本文に、このような記述はありません。

→このように、センター現代文においては、消去法を活用すると、誤りの選択肢を簡単にチェックすることができます。


(解答)③


ーーーーーーーー

 

問6 この文章の表現と構成について、次の問いに答えよ。

(i)この文章の表現に関する説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① ある程度の長さの段落と段落の間に、第2、第5、第9段落のように、読み手に問いかけるような、一文のみから成る短い段落をはさむことにより、論理の展開に緩急のリズムが付き、読み進めやすくなっている。

② 「やや極端な言い方ですが」(第1段落)、「逆に言えば」(第6段落)、「正直に言えば」(第17段落)などの表現により、それぞれの前の部分と、それに続く部分との関係があらかじめ示され、内容が読み取りやすくなっている。

③   第1、第3、第4、第7段落などにおいて、その最後の部分が「~のです」という文末表現で終わることにより、それぞれそこまでの内容についての確認・念押しが行われ、次の話題に移ることが明らかになっている。

④ 「です・ます」という優しい調子の書き方の中に、「漢籍を待たずとも」(第4段落)や「文武両道なるものは」(第15段落)などの学術的な言い回しも交えることにより、内容に見合う観念的なスタイルが確保されている。

 

(ⅱ)この文章の構成に関する説明として最適なものを次の中から一つ選べ。

① 第1段落~第4段落に示された全体の骨子について、第5段落~第10段落と、第11段落~第20段落との二つの部分が、それぞれの観点から具体的に説明するという構成になっている。

② 第1段落~第2段落が前置き部分に相当し、第3段落~第16段落が中心部分となり、それに対して、第17段落~第20段落が補足部分という構成になっている。

③ 第1段落~第10段落と、第11段落~第20段落という、大きく二つの部分に分けられ、同一の話題に対して、前半が概略的な説明部分、後半が詳細な説明部分という構成になっている。

④ 第1段落~第2段落、第3段落~第11段落、第12段落~第19段落、そして第20段落という四つの部分が、起承転結という関係で結び付く構成になっている。

 

……………………………

 

【問6解説・解答】(「文章の表現と構成」を問う問題→センター試験特有の問題)

→この種の設問は、本文を熟読する前にチェックしておくと、問題を効率的に処理することができます。


(i)

① 「第9段落」の一文は読み手に「問いかけて」いるとは言えないので、不適切です。

② 問題は、ありません。

③ 「第1段落」の場合は「次の話題に移ることが明らかになっている」とは、なっていません。

④ 「内容に見合う観念的なスタイルが確保されている」の部分が不適切です。

 

(解答)②

 
(ⅱ)

① 適切です。

② 最終段落が「論の中心」ですから、②は不適切です。

③ 第1段落~第10段落と、第11段落~第20段落を一つのまとまりとする点が不適切です。

④ 第17段落~第20段落が、「結」になっているので、不適切です。


(解答)①


ーーーーーーーー

 

(3)本文解説→「言語帝国主義」について

 問題文本文の「キーセンテンス」は以下の部分です。本問は、キーセンテンスを中心に作成されています。

 

【6】段落「どんなことばについてもそうですが、B 人がことばを得、ことばが人を得て、その世界は拡大します

【9】段落「古典詩文の能力を問う科挙は、士大夫の思考や感覚の型の継承をも保証するシステムだったことになります」

【10】段落「彼らの詩文を真似て書いているうちに、心の構えがそうなってしまうと言ってもよいでしょう。文体はたんに文体に止まるものではないのです」

【20】段落「当の学生たちにとってみれば、漢文で読み書きするという世界がまず目の前にあり、そこには日常の言語とは異なる文脈があることこそが重要なのです。そしてそれは、道理(→「倫理」)と天下を語る言葉としてあったのです。D 漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあった 

 

 以上を見て分かるように、キーセンテンスの2ヶ所が傍線部説明問題になっています。さすがに、センター現代文の問題作成者のレベルは高いです。

 

 ところで、これらを読むと、私は、「言語と人格形成の関係」の論点とともに、「言語帝国主義」の論点を連想してしまいます。まさに、今回の本文の内容は、江戸幕府による受け身的な「漢文脈・帝国主義」そのものだからです。


 「言語帝国主義」については、最近、当ブログで解説記事(「現代文・小論文・予想問題解説『さらば、資本主義』(佐伯啓思)①」)を発表したので、ポイント部分を再掲します。

 

gensairyu.hatenablog

……………………………

 

(再掲開始)

(2)「帝国主義」とは、一つの国家が自国の民族主義・文化・宗教・経済体系等を拡大する目的で、あるいは、領土・天然資源等を獲得する目的で、軍事力を背景として他国家を侵略しようとする思想・政策です。

 「植民地主義」とは国家主権を国外に拡大する思想・政策です。

 「帝国主義」と「植民地主義」とは、当然、表裏の関係にあります。

 「帝国主義」は、第二次世界大戦後に事実上、終焉し、「脱植民地化」が進行しました。

 

(3)しかし、現在では「文化帝国主義」、「経済的帝国主義(自由貿易帝国主義)」、「政治的帝国主義(過度の政治的影響力の行使)」が進展しています。

 「文化帝国主義」とは自国の文化・言語を他国に植え付け、他文化・他言語との差別化を促進する政策・行為です。

 「英語帝国主義」は、「文化帝国主義」の一部です。 

 「文化帝国主義」は、それを推進する側が有用性・一般性・普遍性を強調する形態をとることが多いのです。

 

(4)最近における「小学校英語教育の強化政策」の論点は、この「文化帝国主義」の一部である「英語帝国主義」の、「自発的・受身的な受容」の視点から考察すると、かなり問題性があると思います。

 ある意味で、「自主的・受身的植民地化政策」と評価しうる政策です。

 この点については、鈴木孝夫氏(言語学者)の秀逸な論考(『日本の感性が世界を変える・言語生態学的文明論』新潮選書)を題材にした予想問題記事を制作することを、現在、検討中です。

 鈴木氏は、難関大学の入試現代文(国語)・小論文の頻出著者です。

 

(5)また、「小学校英語教育」については、この記事を書いている時に、施光恒(せ・てるひさ)氏の注目すべきインタビュー記事がありましたので、ここで、報告します。

 そのインタビュー記事は、2016年9月8日の朝日新聞に掲載されました(オピニオン&フォーラム「異議あり」)。

 施氏の紹介は、「教育改革にダメを出す政治学者 施光恒さん」となっています。

 「大見出し」は「英語強化は民主主義の危機 分断も招く」、小見出しは「苦手な人は人生の選択肢が保障されず、社会の意思疎通も不十分に」です。

 今現在、政府は「英語強化の改革」を進めています。

 「小学校で英語を教科に格上げし、大学では授業を英語でするよう求める」改革です。

 この「改革」に対して、施氏は、「これでは日本はだめになる」と批判しています。

 施氏は、九州大学准教授で、専攻は政治理論、政治哲学です。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『TPP 黒い条約』(共著・集英社新書)、『英語化は愚民化』(集英社新書)等があります。


 インタビューを読むと、「英語教育の強化」の論点・テーマを「民主主義」や「日本社会のコミュニケーションの分断」の視点から批判していて、とても興味深い内容になっています。

(再掲終了)

 

……………………………

 

  『英語化は愚民化』は、最近、出版されたものです。
 以下に 施光恒氏の『英語化は愚民化』について、「Book紹介」のポイントを引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

英語化を進めた大学に巨額の補助金を与えるスーパーグローバル大学創成支援から、果ては英語公用語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。
英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、英語化を推進すれば、日本経済は急速に力をなくすだろう。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展していくという現代政治学最前線の分析から逆行することになるからだ。
国際政治の力学から見ても、英語による文化支配のさらなる強化は、世界の不平等を拡大するだけだ。
TPPで決定的となった日本社会の英語化。その罠を暴き、公正な世界秩序づくりへの処方箋を描く、衝撃作!

 (「Book紹介」)

(引用終了)


……………………………


 今回のセンター試験の問題は、現在、日本で進行中の、グローバル化、国際化、つまり、「英語による言語帝国主義」を意識した出題だと思われます。

 その問題意識を考慮に入れて、本文を読むと、より一層、理解が深まるでしょう。

 

(4)齋藤希史氏の紹介

齋藤 希史(さいとう まれし、1963年生まれ)は、日本の漢文学者、東京大学教授。専門は中国古典文学、清末-明治期の言語・文学・出版。

 

【著書編集】

『漢文脈の近代 清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会・2005)

『漢文脈と近代日本』(日本放送出版協会・NHKブックス・2007/角川ソフィア文庫・2014)

『漢文スタイル』(羽鳥書店・2010)

『漢詩の扉』(角川選書・2013)

『漢字世界の地平 私たちにとって文字とは何か』(新潮選書・2014)

『詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力』(平凡社・2016)

 

ーーーーーーーーー 

 

 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

 

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.com

 

gensairyu.hatenablog.co

 

漢文脈と近代日本 (角川ソフィア文庫)

漢文脈と近代日本 (角川ソフィア文庫)

 

 

漢字世界の地平: 私たちにとって文字とは何か (新潮選書)

漢字世界の地平: 私たちにとって文字とは何か (新潮選書)

 

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

 

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

 

 

 私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。

https://twitter.com/gensairyu 

https://twitter.com/gensairyu2