現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2008センター国語第1問(現代文・評論)解説/奥・日本文化論

(1)はじめに

 

 2008センター試験国語第1問は、内容的に、やや難解だったという意見があります。

 「奥」という語の多義性、日本人独自の空間感覚が、近代化・欧米化した現代日本人には、分かりにくい部分があったかもしれません。
 対策としては、自分の価値観に固執しないで、「筆者の論の流れ」に素直に乗っていくことです。これが、熟読、理解のポイントなのです。

 

 世の中には、「主体的読解」という奇妙な、受け狙いのスローガンが蔓延しています。が、理解は自分の脳でするのですから、この点では、当然のことを言っているだけです。
 問題は、このスローガンにより、自分の価値観を前面に出して読解してしまうことです。これは、避けるべきでしょう。有害無益でしか、ありません。

 

 また、今回の問題は、引用文が、本文理解のポイントになっています。そのことも、分かりにくさの原因になっているのでしょう。
 引用文を軽視しないようにしてください。

 

 そして、問題文本文を読む前に、設問をざっと見ることが大切です。その上で、「設問の指定」に素直に従って丁寧に熟読していけば、本問は、満点を取ることが充分に可能です。

 

 なお、今回の記事の項目は以下の通りです。

(2)2008センター試験国語第1問・「住居空間の心身論 『奥』の日本文化」狩野敏次/解説/奥の思想・日本文化論

(3)補充説明ー「奥」の「多義的な意味」について

(4)狩野敏次氏の紹介

(5)当ブログにおける「センター試験国語」関連記事の紹介

(6)当ブログにおける「日本文化論」関連記事の紹介

 

 

闇のコスモロジー―魂と肉体と死生観 (生活文化史選書)

 

(2)2008センター試験国語第1問・「住居空間の心身論 『奥』の日本文化」狩野敏次/解説/奥の思想・日本文化論

 

(問題文本文)(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

【1】私達は昼と夜を全く別の空間として体験する。特に夜の闇の中にいると、空間の中に闇が溶けているのではなく、逆に闇そのものが空間を形成しているのではないかと思えてくる。闇と空間は一体となって私達に働きかける。(注1)ミンコフスキーは、夜の闇を昼の「明るい空間」に対立させた上で、その積極的な価値に注目する。

【2】・・・・夜は死せる何ものかでもない。ただそれはそれそれに固有の生命をもっている。夜に於(おい)ても、私は梟(ふくろう)の鳴き声や仲間の呼び声を聞いたり、遥か遠くに微(かす)かな光が尾をひくのを認めたりすることがある。しかし、これら全ての印象は、明るい空間が形成するのとは全然異なった基盤の上に、繰り広げられるであろう。この基盤は、生ける自我と一種特別な関係にあり、明るい空間の場合とは全く異なった仕方で、自我に与えられるであろう。

【3】明るい空間の中では、私達は視覚によってものを捉えることができる。私達とものの間、私達と空間の間を距離が隔てている。距離は物差(ものさし)で測定できる量的なもので、この距離を媒介にして、私達は空間と間接的な関係を結ぶ。私達と空間の間を「距離」が隔てているため、空間が私達に直接触れることはない。

【4】一方、A闇は「明るい空間」とは全く別の方法で私達に働きかける。明るい空間の中では視覚が優先し、その結果、他の身体感覚が抑制される。ところが闇の中では、視覚にかわって、明るい空間の中で抑制されていた身体感覚がよびさまされ、その身体感覚による空間把握が活発化する。私達の身体は空間に直接触れ合い、空間が私達の身体に浸透するように感じられる。空間と私達はひとつに溶けあう。それは「物質的」で、「手触り」のあるものだ。明るい空間はよそよそしいが、暗い空間はなれなれしい。恋人達の愛の囁きは、明るい空間よりも暗い空間の中でこそふさわしい。

【5】闇の中では、私達と空間はある共通の雰囲気に参与している。私達を支配するのは、ミンコフスキーが指摘するように、あらゆる方向から私達を包みこむ「深さ」の次元である。それは気配に満ち、神秘性を帯びている。


ーーーーーーーー
 
(設問)

問1(省略)

 

問2 傍線部A「闇は『明るい空間』とはまったく別の方法で私たちにはたらきかける」とあるが、そのはたらきかけは私たちにどのような状況をもたらすか。その説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

① 視覚的な距離によってへだてられていた私たちの身体と空間が親密な関係になり、ある共通の雰囲気にともに参与される。

② 物差で測定できる量的な距離で空間を視覚化する能力が奪われ、私たちの身体全体に浸透する共感覚的な体験も抑制させられる。

③ 距離を媒介として結ばれていた私たちの身体と空間との関係が変容し、もっぱら視覚的な効果によって私たちを包み込む深さを認識させられる。

④ 視覚ではなく身体感覚で距離がとらえられ、その結果として、空間と間接的な関係を結ぶ私たちの感覚が活性化させられる。

⑤ 視覚の持つ距離の感覚がいっそう鋭敏になり、私たちの身体と空間とが直接触れ合い、ひとつに溶け合うように感じさせられる。


……………………………

 

(解説・解答)

問2(傍線部説明問題)

 傍線部直後に、傍線部の説明があります。

「明るい空間」=視覚が優先し、その結果、他の身体感覚が抑制される、

「闇のなか」=視覚以外の身体感覚がよびさまされ、その身体感覚による空間把握が活発化する、

という対比が明確です。

 

 「その(闇の)はたらきかけは私たちにどのような状況をもたらすか」については、【4】・【5】段落に記述されています。

【4】段落「闇の中では、視覚にかわって、明るい空間の中で抑制されていた身体感覚がよびさまされ、その身体感覚による空間把握が活発化する。私達の身体は空間に直接触れ合い、空間が私達の身体に浸透するように感じられる。空間と私達はひとつに溶けあう。明るい空間はよそよそしいが、暗い空間はなれなれしい。」、

【5】段落「闇の中では、私達と空間はある共通の雰囲気に参与している。

より、①(→「視覚的な距離によってへだてられていた私たちの身体と空間が親密な関係になり、ある共通の雰囲気にともに参与される」)が正解になります。


 この設問は、入試頻出論点である「身体論」の典型的な問題です。

 よく理解するように、してください。

 下の記事も参照してください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

② 「物差で測定できる量的な距離で空間を視覚化する能力が奪われ」が、誤りです。

③ 前半はよいが、後半が誤りです。「視覚的な効果」は「明るい空間」の話です。

④ 「その結果として、空間と間接的な関係を結ぶ私たちの感覚が活性化させられる」が誤りです。

【4】段落の「私達の身体は空間に直接触れ合い、空間が私達の身体に浸透するように感じられる。空間と私達はひとつに溶けあう。」に反しています。

⑤ 「視覚の持つ距離の感覚がいっそう鋭敏になり」が誤りです。

 

(解答) ①

 

 ーーーーーーーー

 

(問題文本文)(概要です)

 

【6】「深さ」は私達の前にあるのではない。私達の周りにあって、私達を包みこむ、しかも私達の五感全体を貫き、身体全体に浸透する共感覚的な体験である。

【7】近代の空間が失ってきたのは、実は深さの次元である。近代建築がめざしてきたのは明るい空間の実現であった。(注2)ピロティ、連続窓、ガラスの壁、陸屋根は、近代建築が明るい空間を実現するために開発した装置である。人工照明の発達がそれに拍車をかける。明るい空間が実現するにつれ、B視覚を中心にした身体感覚の制度化が進んだ。視覚はものと空間を対象化する。空間は測定可能な量に還元され、空間を支配するのは距離であり、広がりであると考えられるようになった。それと同時に、互いに異なる意味や価値を帯びた「場所性」が空間から排除され、空間のあらゆる場所は人工的に均質化されることになった。こうして、場所における違いを持たない(注3)ユークリッド的な均質空間ができあがる。

【8】深さは、空間的には水平方向における深さを表している。幅に対する奥行(おくゆき)である。しかし、均質化された近代の空間にはこの奥行が存在しない。なぜなら、均質空間はどの場所も無性格で取り換え可能だから、奥行は横から見られた幅であり、奥行と幅は相対化距離に還元されてしまうからだ。均質空間では、幅も奥行も「距離」という次元に置き換えられる。従って、そこにあるのは空間の広がりだけであり、深さがない。

【9】ミンコフスキーが深さについて語っているのは、専ら空間的な意味においてである。一般に西洋では、深さは水平方向における深さであり、純粋に空間的な意味しかもっていないようである。それに対して、わが国では深さは水平方向における深さであると同時に、時間的な長さをも意味する。深さは空間的であるとともに時間的な意味をもつ。それを端的に表した言葉が「奥」である。奥は日常的にもよく使われる言葉だ。


ーーーーーーーー
 
(設問)

問3 傍線部B「視覚を中心にした身体感覚の制度化がすすんだ」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

① 身体とは一線を画していた視覚が、身体感覚の中に吸収されるようになってきた、ということ。

② 身体感覚相互の優劣関係が、視覚を軸にするかたちで統御されてきた、ということ。

③ 視覚以外の身体感覚が、人為的な力によって退化を余儀なくされてきた、ということ。

④ 五感をつらぬく共感覚を、視覚だけが独占するようになってきた、ということ。

⑤ 視覚の特権性や優位性を人びとが自発的に享受するようになってきた、ということ。


……………………………

 

(解説・解答)

問3(傍線部説明問題)

 傍線部B「視覚を中心にした身体感覚の制度化がすすんだ」の言い換えとしての、

【7】段落「明るい空間が実現するにつれ、B視覚を中心にした身体感覚の制度化が進んだ。(→「視覚中心主義」と言われることも、あります)視覚はものと空間を対象化する。空間は測定可能な量に還元され、空間を支配するのは距離であり、広がりであると考えられるようになった。それと同時に、互いに異なる意味や価値を帯びた「場所性」が空間から排除され、空間のあらゆる場所は人工的に均質化されることになった。こうして、場所における違いを持たない(注3)ユークリッド的な均質空間ができあがる。」、

【9】段落「一般に西洋では、深さは水平方向における深さであり、純粋に空間的な意味しかもっていないようである。」より、

(→「身体感覚相互の優劣関係が、視覚を軸にするかたちで統御されてきた、ということ」)が正解になります。


 ところで、ここに言う「制度」とは、「広義の意味の制度」です。

 「制度」は、国家・団体等などを統治・運営するために定められた「決まり」だけではなく、「個人の思考から独立している、規範的妥当性・社会的実在として発生したもの」という意味でも、使用されています。

 

 なお、【7】段落は、「近代批判」の視点が含まれていることにも着目してください。


① 「身体とは一線を画していた視覚」の部分が、意味不明で、誤りです。

③ このような記述は本文になく、誤りです。

④ 「視覚だけが独占する」という記述は本文になく、誤りです。

⑤ 「人びとが自発的に享受するようになってきた」という記述は本文になく、誤りです。

 

(解答) ②

 

ーーーーーーーー
 

(問題文本文)(概要です)

 

【10】たとえば、来客を家の中に案内する際、よく「奥へどうぞ」などという。具体的に座敷とか応接間といわずに「奥」という。この場合の「奥」とは一体何を指しているのだろうか。それが具体的な部屋を指しているのでないことは明らかである。「座敷へどうぞ」「応接間へどうぞ」といわれれば、部屋のイメージを頭に思い描くこともできる。だが奥といわれると、少しおおげさにいえば、一体どこへつれて行かれるのだろうという一抹の不安が心をよぎる。奥は漠然として、つかみどころがない。奥は具体的な対象物を指す言葉ではなく、漠然とある何ものかを暗示する言葉である。このあたりに、日本語に固有な奥という言葉の深い意味が隠されているように思われる。試みに(注4)辞書を引いてみると、奥には次のような意味がある。

【11】「外(と)」「端(はし)」「口(くち)」の対。オキ(沖)と同根。空間的には、入口から深く入った所で、人に見せず大事にする所をいうのが原義。そこに届くには多くの時間が経過するので、時間の意に転ずると、晩(おそ)いこと。また、最後・行く先・将来の意。入口から深く入った所。最も深くて人のゆかない、神秘的な所。末尾。〈「道の奥」の意で〉奥州。みちのく。奥まった部屋。心の底。芸の秘奥。貴人の妻の居室。貴人の妻。奥方。夫人。晩(おそ)いこと。また、最後。将来。行く先。

【12】要するに、奥は空間的にも時間的にも到達しがたい最終的な場所、時間を指している。それだけではない。奥義、奥伝という言葉があるように、奥には空間的、時間的な意味の他に、深遠ではかり難いという心理的な意味もある。C 奥は空間的、時間的、心理的な様々な意味を含みながら広く日本の文化を支えている。

【13】奥を具体的に体験できる場所に日本の古い神社がある。神社の境内は鎮守の森とよばれる深い森に包まれ、その森を分け入るように長い参道が続いている。参道は社殿に向かってまっすぐにのびているのではない。右に左に折れ曲がり、つま先あがりの坂道になったり険しい石段になったり、実に変化に富んでいる。参道の両脇には鳥居や献燈(けんとう)がいくつも並び、うっそうとした木立や苔(こけ)むした庭石などとともに巧みに配されている。そして(注5)手水舎(てみずや)、回廊、拝殿、玉垣、正殿へと続くが、神社の中心である正殿には仏教寺院のように偶像が安置されているわけではない。せいぜい神の(注6)依代(よりしろ)としての鏡があるくらいだ。仏教寺院の中心は仏像とそれが安置してある本堂だが、神社にはそれに相当するものがない。(注7)上田篤(あつし)氏が指摘するように、神社の中心はむしろ参道である。見通しのきかない曲がりくねった参道を一歩一歩踏みしめながら歩いて行くと、私達の精神は次第に高揚し、聖なるものに近づいて行くような感じを抱く。その時、私達は奥を感じる。奥は最終的な建物ではなく、そこへ至るまでのプロセスを造形化したものだといえる。

 

ーーーーーーーー
 
(設問)

問4 傍線部C「奥は空間的、時間的、心理的なさまざまな意味を含みながらひろく日本の文化を支えている」とあるが、その「奥」の例として、筆者は神社の参道を挙げている。神社の参道における体験のどのような点に筆者は注目しているか。その説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

① 神社の参道では、人は神の依代である鏡を安置してある正殿にたどりつき、そこにいたるまでの神社独特の距離の長さを実感できる点。

② 神社の参道では、人は信仰の対象である鎮守の森に分け入っていき、信仰を求める心が優しく包み込まれていることに気づかされる点。

③ 神社の参道では、人は見通しのきかない曲がりくねった道を正殿に向かって時間をかけて進み、聖なるものに近づく高揚感を味わうことができる点。

④ 神社の参道では、人は献燈や庭石を配した木立の中に続く石段をのぼり、自然と人間の精神とが調和した環境に身を置く充実感をいだくことができる点。

⑤ 神社の参道では、人は最終的な建物である正殿をめざしてひたすら歩き、正殿の中の鏡に向き合うことでそれまでのプロセスを再認識することができる点。


……………………………

 

(解説・解答)
問4(傍線部説明問題)

【13】段落「神社の中心はむしろ参道である。見通しのきかない曲がりくねった参道を一歩一歩踏みしめながら歩いて行くと、私達の精神は次第に高揚し、聖なるものに近づいて行くような感じを抱く 。その時、私達は奥を感じる。は最終的な建物ではなく、そこへ至るまでのプロセスを造形化したものだといえる。」より、

(→「神社の参道では、人は見通しのきかない曲がりくねった道を正殿に向かって時間をかけて進み、聖なるものに近づく高揚感を味わうことができる点」)が正解です。

 

① 「そこにいたるまでの神社独特の距離の長さを実感できる点」は、ポイントでは、ありません。

② 「信仰を求める心が優しく包み込まれていることに気づかされる点」が、本文と一致していません。

④ 「自然と人間の精神とが調和した環境に身を置く充実感をいだくことができる点」が、本文と一致していません。

⑤ 「正殿の中の鏡に向き合うことでそれまでのプロセスを再認識することができる点」は、本文にこのような記述はありません。

 

 本問では、前半で「明るい空間」と「闇」との対比が論点であり、後半では、「闇」に関連する「奥」が論点になっています。

 ここで注目するべきは、「距離」・「奥」の意味内容です。

 前半の「距離」とは、「空間的」なものです。

 他方、後半の「奥」は、「空間的な距離」とは区別された、「心理的な距離感覚」・「時間感覚」をも意味しています。


(解答) ③


ーーーーーーーー
 

(問題文本文)(概要です)


【14】奥について最初のまとまった論稿を発表したのは(注8)槇(まき)文彦氏である。槇氏は奥の特性を次のように説明する。

【15】奥性は最後に到達した極点として、そのものにクライマックスはない場合が多い。そこへ辿りつくプロセスにドラマと儀式性を求める。つまり高さではなく水平的な深さの演出だからである。多くの寺社に至る道が曲折し、僅(わず)かな高低差とか、樹木の存在が、見え隠れの論理に従って利用される。それは時間という(注9)次数を含めた空間体験の構築である。

【16】奥は時間的な要素を含む概念である。その点、「間」との類似性が考えられて興味深い。奥は純粋に空間的な意味での奥行ではなく、目的へ向かうプロセスの演出によって私達の心の中に生じる心理的な距離感覚であり、時間感覚である。人間の身体感覚に深く関わる概念だといえる。また槇氏は、奥は「見る人、作る人の心の中での原点」であり、「見えざる中心」だという。先程の「奥へどうぞ」という言葉には、案内する側とされる側の両者の心の中の原点にむかって行くというニュアンスがある。

D案内された瞬間から、既に奥の空間体験が始まっているのである。奥は最終的に到達すべき建物や部屋が目的ではなく、そこへ至るプロセスに儀式と演出を求めるからだ。

(狩野敏次「住居空間の心身論──『奥』の日本文化」による。ただし、本文の一部を改変した)


(注1)ミンコフスキー──フランスで活躍した精神科医・哲学者(1885~1972)。引用は『生きられる時間』による。

(注2)ピロティ、連続窓、ガラスの壁、陸屋根──ピロティは、二階以上を部屋とし、一階を柱だけにした建物の一階部分。連続窓・ガラスの壁は、広範な視野を可能にした近代建築技法。陸屋根は、勾配(こうばい)が少なく、ほとんど水平な屋根。

(注3)ユークリッド──紀元前300年頃のギリシアの数学者。それまでの幾何学を集大成した。

(注4)辞書──ここでは『岩波古語辞典』を指す。

(注5)手水舎、回廊、拝殿、玉垣、正殿──手水舎は、神社で参拝者が手を洗い、口をすすぐための水盤を置く建物。ちょうずや、とも読む。回廊、拝殿、玉垣、正殿は、いずれも神社を構成する施設。

(注6)依代──神を祭る際、神霊の代わりとして据えたもの。

(注7)上田篤──建築家・建築学者。指摘は『鎮守の森』による。

(注8)槇文彦──建築家・建築学者。引用は『見えがくれする都市』による。

(注9)次数──文字因数の数(Χ2乗なら2、Χ3乗なら3)を指す数学用語。ここでは複雑さの度合いを示す。

 

 ーーーーーーーー
 
(設問)

問5 傍線部D「案内された瞬間から、すでに奥の空間体験がはじまっている」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを次の(1)~(5)のうちから一つ選べ。

① 「奥へどうぞ」と言われたときから、空間的にも時間的にも到達しがたい「奥」を、到達点そのものではなく、そこに至る過程において心理的な距離や時間として感じること。

② 「奥へどうぞ」と言われたときから、空間的な意味をもつ「奥」を、そこにいたる測定可能な距離としてだけでなく、明確に限定された時間としても感じること。

③ 「奥へどうぞ」と言われたときから、深遠ではかりがたい「奥」を、数量に還元できる対象とすることで、無性格で取替え可能な距離や時間として感じること。

④ 「奥へどうぞ」と言われたときから、不安にさせられる「奥」を、案内する側とされる側が同じ対象物をめざして一体感をもつことで、親密な距離や時間として感じること。

⑤ 「奥へどうぞ」と言われたときから、闇に包まれて気配にみちている「奥」を、神秘的な儀式が行なわれている空間とすることで、人知を超えた心理的な距離や時間として感じること。

 

……………………………

 

(解説・解答)

問5(傍線部説明問題)

  【16】【最終段落】を熟読してください。

「  奥は時間的な要素を含む概念である。奥は純粋に空間的な意味での奥行ではなく、目的へ向かうプロセスの演出によって私達の心の中に生じる心理的な距離感覚であり、時間感覚である。人間の身体感覚に深く関わる概念だといえる。先程の「奥へどうぞ」という言葉には、案内する側とされる側の両者の心の中の原点にむかって行くというニュアンスがある。D 案内された瞬間から、既に奥の空間体験が始まっているのである。は最終的に到達すべき建物や部屋が目的ではなく、そこへ至るプロセスに儀式と演出を求めるからだ。」


 傍線部D 「案内された瞬間から、すでに奥の空間体験がはじまっている」は、直前の「『奥へどうぞ』という言葉には、案内する側とされる側の両者の心の中の原点にむかって行くというニュアンスがある」の言い換えです。

 

 同様の内容は、【16】【最終段落】の前半部分

「奥は時間的な要素を含む概念である」

「奥は、目的へ向かうプロセスの演出によって私達の心の中に生じる心理的な距離感覚であり、時間感覚」

でも、述べられています。

 このことを説明している①(→「奥へどうぞ」と言われたときから、空間的にも時間的にも到達しがたい「奥」を、到達点そのものではなく、そこに至る過程において心理的な距離や時間として感じること。)が正解です。


② 「そこにいたる測定可能な距離としてだけでなく、明確に限定された時間としても感じること」が、本文にこのような記述がなく、誤りです。

③ 「『奥』を、数量に還元できる対象とすること」が、本文にこのような記述がなく、誤りです。

④ 「案内する側とされる側が同じ対象物をめざして一体感をもつこと」が、本文にこのような記述がなく、誤りです。

⑤ 「『奥』を、神秘的な儀式が行なわれている空間とすること」が、本文にこのような記述がなく、誤りです。

 

(解答) ①


ーーーーーーーー
 
(設問)

問6 この文章では論を進めるうえで、具体的な事例を挙げたり、他の文献を取り上げたりしている。筆者がそのような論の進め方をする意図の説明として最も適当なものを、次のA群・B群の中から一つ選べ。

 

A群

① ピロティ、連続窓等の例は、空間を量的に把握することによって奥行きという存在を消してきた近代建築の価値観の妥当性を確認するために用いられている。

② ピロティ、連続窓等の例は、人工照明の発達によってひろがりのある空間の実現を目指すようになってきた近代建築の技術的進歩を評価するために用いられている。

③ ピロティ、連続窓等の例は、近代建築が闇の追放によってもたらした空間の均質化が内包する問題点を引き出すために用いられている。

④ ピロティ、連続窓等の例は、近代建築が明るい空間をめざすことによって深さという次元を失ってしまった誤りの重大さを証明するために用いられた。

 

B群

① ミンコフスキーの文章を取り上げたのは、近代における西洋と伝統的な日本とのあいだの、空間のとらえ方の違いを明確にするためである。

② 奥の意味についての辞書の説明を取り上げたのは、日本語に固有な奥の意味が、辞書などでは表しきれないことを証明するためである。

③ 上田篤の指摘を取り上げたのは、神社の参道に関する考えには、共感しつつ、奥については対立する見解をもつことを強調するためである。

④ 槇文彦の文章を取り上げたのは、奥についての先駆的な論として紹介し解説を加えることによって、自説の説得力を増すためである。


……………………………

 

(解説・解答)
問6(全体の構成を問う問題)

【A群】

 ピロティ等の例を含む【7】段落の冒頭は、「近代の空間が失ってきたのは、実は深さの次元である」で、最終部分は「それと同時に、互いに異なる意味や価値を帯びた『場所性』が空間から排除され、空間のあらゆる場所は人工的に均質化されることになった。こうして、場所における違いをもたないユークリッド的な均質空間ができあがる」です。

 これを読むと、正解は③(→「ピロティ、連続窓等の例は、近代建築が闇の追放によってもたらした空間の均質化が内包する問題点を引き出すために用いられている」)であることがわかります。

① 「近代建築の価値観の妥当性を確認するために用いられている」が誤りです。

② 「近代建築の技術的進歩を評価するために用いられている」が誤りです。

④ 「近代建築が深さという次元を失ってしまった誤りの重大さを証明するために用いられている」が言いすぎで、誤りです。

 

(解答) ③


【B群】 

「槇(まき)文彦の論考」を根拠にしての傍線部Dの結論、という論の流れから、④が正解と分かります。

① 全くの誤りです。ミンコフスキーの文章(【2】段落)は「闇」の「積極的な価値」についてです。「西洋と日本の比較」とは無関係です。

② 「辞書の説明」により「奥」の思想は分かりやすくなっています。

③ 「奥については対立する見解をもつこと」が誤りです。「対立」はありません。


(解答) ④

 

ーーーーーーーー
 


【出典】

狩野敏次「住居空間の心身論ー『奥』の日本文化」〈空間の深さと共感覚〉〈奥の意味〉(『日本学』20号所載)の一節。

 

【要約】

闇の中では視覚以外の身体感覚がよびさまされ、その身体感覚による空間把握が活発化する。空間が私たちの身体に浸透するように感じられる。一方、近代の明るい空間は場所を人工的に均質化し、深さの次元を失っている。それに対して、わが国では深さは水平方向における深さであると同時に、時間的な長さをも意味する。それを端的に表す言葉が「奥」である。「奥」は、心理的な距離感覚であり、時間感覚である。この点で、「奥」は日本文化を支えている。

 


(3)補充説明ー「奥」の「多義的な意味」について

 

 「奥」のような「多義語」は、入試頻出論点です。

 「奥」の「多義的な意味」について、國學院デジタル・ミュージアムに分かりやすい説明があったので、以下に、その一部を引用します。

 

……………………………

 

(引用開始)

「奥」の意味

①奥まった所・果て、

②心の奥、

③将来・行く末。

 空間的には①・②の意味で、時間的には③の意味で用いられる。

 ③の例は万葉集の恋歌に多く見られ、恋情にかかわって、将来についての予測を内容とする例に「奥もかなしも」(14-3403)、「奥もいかにあらめ」(4-659)があり、同様に不安を内容とする例に「奥をなかねそ」(14-3410)、「奥をかぬかぬ」(14-3487)がある。

 「奥まく」(11-2439)、「奥まふ」(6-1024、1025、11-2728)も将来を期待する意とされるが、これらは心の奥に秘めての意とも解され、その場合は②の例となる。

 時間に関しては、遅咲きの植物種をさす「奥手(おくて)」(8-1548)の語も見られる。

(引用終了)

 

 ……………………………

 

 以上を、問題文本文の【11】段落と合わせて読むと、「奥」の多義性、「奥の思想」について、より理解が進むでしょう。

 特に、「奥の意味」の「②心の奥、③将来・行く末」に注目してください。

 

 

(4)狩野敏次氏の紹介

 

狩野敏次(かのう としつぐ)

1947年、東京に生まれる。芝浦工業大学工学部建築工学科卒業、法政大学大学院工学研究科修了。以後、栗田勇氏に師事。専攻は文化史、建築史。
特に具体的なモノ・場所・空間が喚起するイメージを手がかりに、日本人の他界観を考察している。
日本生活文化史学会、日本民俗建築学会会員、日本文藝家協会会員。

 

 

【著書】

『魂   その原形をめぐって』(雄山閣・生活文化史選書・2017)

『木と水のいきものがたり 語り継がれる生命の神秘』(雄山閣・生活文化史選書・2014)

『闇のコスモロジー 魂と肉体と死生観』(雄山閣・生活文化史選書・2011)

『昔話にみる山の霊力 なぜお爺さんは山へ柴刈りに行くのか 』(雄山閣・2007)

『かまど /ものと人間の文化史』 (法政大学出版局・2004)

 

魂 その原形をめぐって (生活文化史選書)

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木と水のいきものがたり―語り継がれる生命の神秘 (生活文化史選書)

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(5)当ブログにおける「センター試験国語」関連記事の紹介

 

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(6)当ブログにおける「日本文化論」関連記事の紹介

 

 日本文化論は、入試頻出論点です。

 

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今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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