現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題/「持たないという豊かさ」原研哉『日本のデザイン』

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 「現代文明批判」・「現代文明論」は、入試現代文(国語)・小論文における最頻出の論点です。

 その中でも、「経済自由主義(新自由主義・グローバリズム)の進展」、それに伴う、「日本人論」、「日本文化論」、「伝統文化の見直し・再評価」、「ゆとり」・「真の豊かさ」・「精神的な豊かさ」の「見直し・再評価」が、特に流行論点、頻出論点になっています。

 そこで、今回は、これらの論点を幅広く含む「持たないという豊かさ」(原研哉『日本のデザイン 美意識がつくる未来』)についての予想問題の解説をします。

 なお、原研哉氏は、入試頻出著者です。

 

 今回の記事の項目は以下の通りです。

 記事は、約1万字です。

 

(2)予想問題/原研哉「持たないという豊かさ」原研哉『日本のデザイン 美意識がつくる未来』/2013高知大学国語(現代文)過去問

(3)「高度消費社会」についての参考文献/「好きなこととは何か?」(『暇と退屈の倫理学』國分功一郎)

(4)原研哉氏の紹介

(5)当ブログにおける「日本文化論」・「日本人論」・「伝統文化の見直し・再評価」関連記事の紹介

 

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

 

 

(2)予想問題/原研哉「持たないという豊かさ」原研哉『日本のデザイン 美意識がつくる未来』/2013高知大学国語(現代文)過去問

 

(問題文本文)

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 


【1】住空間をきれいにするには、できるだけ空間から物をなくすことが肝要ではないだろうか。ものを所有することが豊かであると、僕らはいつの間にか考えるようになった。

【2】高度成長の頃の三種の神器は、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、その次は自動車とルームクーラーとカラーテレビ。戦後の飢餓状態を経た日本人は、いつしか、ものを率先して所有することで豊かさや充足感を噛み締めるようになっていたのかもしれない。しかし、考えてみると、快適さとは、溢れかえるほどのものに囲まれていることではない。むしろ、ものを最小限に始末した方が快適なのである。① 何もないという簡潔さこそ、高い精神性や豊かなイマジネーションを育む温床であると、日本人はその歴史を通して、達観したはずである。 

【3】慈照寺の同仁斎にしても、桂の離宮にしても、空っぽだから清々しいのであって、ごちゃごちゃと雑貨やら用度品やらで溢れているとしたなら、目も当てられない。洗練を経た居住空間は、簡素にしつらえられ、実際にこの空間に居る時も、ものを少なくすっきりと用いていたはずである。用のないものは、どんなに立派でも蔵や納戸に収納し、実際に使うときだけ取り出してくる。それが、日本的な暮らしの作法であったはずだ。

【4】しかしながら、今の日本の人々の住宅は、仮に天井をはがして俯瞰(ふかん)するならば、どこの世帯もおおむね夥しいもので溢れかえっているのではないかと想像される。率先して所有へと突き進んだ結果である。かつて腹ぺこに泣かされた欲深ウサギは両方の手にビスケットを持っていないと不安なのである。しかし冷静に判断するなら、両方の手に何も持っていない方が、生きていく上では便利である。両手が自由なら、それを振って挨拶もできるし、時には花を活けることもできよう。両の手がビスケットでいつも塞(ふさ)がれていては、そういうわけにもいかない。

【5】ピーター・メンツェルという写真家の作品に『地球家族』と題された写真集がある。これは多様な文化圏の家族を撮影したものだ。それぞれの家族は、全ての家財道具を家の前に並べ、家を背景にして写真に収まっている。どのくらいの国や文化、家族の写真が収められていたかは正確に記憶していないけれども、鮮明に覚えているのは、日本人の家財道具が、群を抜いて多かったことである。日本人は、いったいいつの間にこんなにたくさんの道具に囲まれて暮らしはじめたかと、唖然とした気持ちでそれを眺めた。無駄と言い切ることはできないまでも、なくてもよいものたちを、よくぞここまで細かく取り揃えものだとあきれる。 別の言い方をするならば、② ものの生産と消費の不毛な結末を静かに指摘しているようなその写真は、僕らがどこかで道を間違えてしまったことを暗示しているようであった。

【6】ものにはそのひとつひとつに生産の過程があり、マーケティングのプロセスがある。石油や鉄鉱石のような資源の採掘に始まる遠大なものづくりの端緒に遡って、ものは計画され、修正され、実施されて世にかたちをなしてくる。さらに広告やプロモーションが流通の後押しを受けて、それらは人々の暮らしのそれぞれの場所にたどり着く。そこにどれほどのエネルギーが消費されることだろう。その大半が、なくてもいいような、雑駁とした物品であるとしたらどうだろうか。資源も、創造も、輸送も、電波も、チラシも、コマーシャルも、それらの大半が、③ 暮らしに濁りを与えるだけの結果しかもたらしていないとするならば、これほど虚しいことはない。

【7】僕らはいつしか、もので溢れかえる日本というものを度を越えて許容してしまったのかもしれない。世界第2位であったGDPを、目に見えない誇りとして頭の中に装着してしまった結果か、あるいは、戦後の物資の乏しい時代に経験したものへの渇望がどこかで幸福を測る感覚の目盛りも狂わせてしまったのかもしれない。秋葉原にしてもブランドショップにしても、過剰なる製品供給の情景は、ものへの切実な渇望をひとたび経験した目で見るならば、確かに頼もしい勢いに見えるだろう。だから、いつの間にか日本人はものを過剰に買い込み、その異常なる量に鈍感になってしまった。

【8】しかし、そろそろ僕らはものを捨てなくてはいけない。捨てることのみを「もったいない」と考えてはいけない。捨てられるものの風情に感情移入して「もったいない」と感じる心持ちにはもちろん共感できる。しかし膨大な無駄を排出した結果の、廃棄の局面でのみ機能させるのだとしたら、その「もったいない」はやや鈍感に過ぎるかもしれない。廃棄するときでは遅いのだ。もしそういう心情を働かせるなら、まずは何かを大量に生産するときに感じた方がいいし、さもなければそれを購入するときに考えた方がいい。④ もったいないのは、捨てることではなく、廃棄を運命づけられた不毛なる生産が意図され、次々と実行に移されることではないか。

【9】だから大量生産という状況について少し批評的になった方がいい。むやみに生産量を誇ってはならないのだ。大量生産・大量消費を加速させてきたのは、企業のエゴイステックな成長意欲だけではない。所有の果てを想像できない消費者のイマジネーションの脆弱さもそれに加担している。ものは売れてもいいが、それは世界を心地よくしていくことが前提であり、人はそのためにものを欲するのが自然である。さして必要でもないものを溜め込むことは決して快適ではないし心地よくもない。

【10】良質な旅館に泊まると、感受性の感度が数ランクあがったように感じる。それは空間への気配りが行きとどいているために安心して身も心も開放できるからである。しつらいや調度の基本はものを少なく配することである。何もない簡素な空間にあってこそ畳の目の織りなす面の美しさに目が向き、壁の漆喰(しっくい)の風情にそそられる。床(とこ)に活けられた花や花器に目が向き、料理が盛りつけられた器の美しさを堪能できる。そして庭に満ちている自然に素直に意識が開いていくのである。ホテルにしても同様。簡潔に極まった環境であるからこそ一枚のタオルの素材に気を通わせることができ、バスローブの柔らかさを楽しむ肌の繊細さが呼び起こされてくるのである。

【11】これは一般の住まいにも当てはまる。現在の住まいにあるものを最小限に絞って、不要なものを処分しきれば、住空間は確実に快適になる。試しに夥しい物品のほとんどを取り除いてみればいい。おそらくは予想外に美しい空間が出現するはずだ。

【12】無駄なものを捨てて暮らしを簡潔にするということは、家具や調度、生活用具を味わうための背景をつくるということである。芸術作品でなくとも、あらゆる道具には相応の美しさがある。何の変哲もないグラスでも、しかるべき氷を入れてウイスキーを注げば、めくるめく琥珀色がそこに現れる。霜の付いたグラスを優雅な紙敷の上にぴしりと置ける片付いたテーブルがひとつあれば、グラスは途端に魅力を増す。逆に、漆器が艶やかな漆黒をたたえて、⑤ 陰影を礼賛する準備ができていたとしても、リモコンが散乱していたり、ものが溢れかえっているダイニングではその風情を味わうことは難しい。

【13】白木のカウンターに敷かれた一枚の白い紙や、漆の盆の上にことりと置かれた青磁の小鉢、あるいは塗り椀の蓋を開けた瞬間に香りたつ出し汁のにおいに、ああこの国に生まれてよかったと思う刹那(せつな)がある。そんな高踏な緊張など日々の暮らしに持ち込みたくはないと言われるかもしれない。⑥ 緊張ではなくゆるみや開放感こそ、心地よさに繋がるのだという考え方も当然あるだろう。家は休息の場でもあるのだ。しかし、だらしなさへの無制限の許容がリラクゼーションにつながるという考えは、ある種の堕落をはらんではいまいか。ものを用いる時に、そこに潜在する美を発揮させられる空間や背景がわずかにあるだけで、暮らしの喜びは必ず生まれてくる。そこに人は充足を実感してきたはずである。

【14】伝統的な工芸品を活性化するために、様々な試みが講じられている。たとえば、現在の生活様式にあったデザインの導入であるとか、新しい用い方の提案であるとかである。自分もそんな活動に加わったこともある。そういう時に痛切に思うのは、漆器にしても陶磁器にしても、⑦ 問題の本質はいかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらの魅力を味わう暮らしをいかに再興できるかである。漆器が売れないのは漆器の人気が失われたためではない。今日でも素晴らしい漆器を見れば人々は感動する。しかし、それを味わい楽しむ暮らしの余白がどんどん失われているのである。

【15】伝統工芸品に限らず、現代のプロダクツも同様である。豪華さや所有の多寡ではなく、利用の深度が大事なのだ。よりよく使い込む場所がないと、ものは成就しないし、ものに託された暮らしの豊かさも成就しない。だから僕たちは今、未来に向けて住まいのかたちを変えていかなくてはならない。育つものはかたちを変える。「家」も同様である。

【16】ものを捨てるのはその一歩である。「もったいない」をより前向きに発展させる意味で「捨てる」のである。どうでもいい家財道具を世界一たくさん所有している国の人から脱皮して、簡潔さを背景にものの素敵さを日常空間の中で開花させることのできる繊細な感受性をたずさえた国の人に立ち返らなくてはいけない。

【17】持つよりもなくすこと。そこに住まいのかたちを作り直していくヒントがある。何もないテーブルの上に箸置きを配する。そこに箸がぴしりと決まったら、暮らしはすでに豊かなのである。
 (原研哉「持たないという豊かさ」『日本のデザイン 美意識がつくる未来』)

 


ーーーーーーーー

 

(設問)

問1 傍線部①「何もないという簡潔さこそ、高い精神性や豊かなイマジネーションを育む温床である」とあるが、その具体例が述べられている一文を50字(句読点を含む)以内で抜き出せ。

 
……………………………

 

問1(解説・解答)

 傍線部の「何もないという簡潔さ」、「高い精神性や豊かなイマジネーション」、「育む温床」に注目して本文を精読してください。

 傍線部を含む一文、「何もないという簡潔さこそ、高い精神性や豊かなイマジネーションを育む温床であると、日本人はその歴史を通して、達観したはずである」に留意することも必要です。

  
 傍線部と同内容のことを、さらに具体的に論じている【10】段落

「良質な旅館に泊まると、感受性の感度が数ランクあがったように感じる。それは空間への気配りが行きとどいているために安心して身も心も開放できるからである。しつらいや調度の基本はものを少なく配することである。何もない簡素な空間にあってこそ畳の目の織りなす面の美しさに目が向き、壁の漆喰(しっくい)の風情にそそられる。

に着目してください。

 

(解答)何もない簡素な空間にあってこそ、畳の目の織りなす面の美しさに目が向き、壁の漆喰の風情にそそられる。(49字)

 

ーーーーーーーー 

 

問2 傍線部②「ものの生産と消費の不毛な結末を静かに指摘しているようなその写真は、僕らがどこかで道を間違えてしまったことを暗示しているようであった」について、次の問いに答えよ。

(1)ものの生産と消費の不毛な結末」とは、具体的にどのようなことを指すのか、文章中の語句を用いて説明せよ

(2)「僕らがどこかで道を間違えてしまったことを暗示している」とあるが、筆者はどのように「道を間違えてしまった」と考えているか、わかりやすく説明せよ。


……………………………

 

問2(解説・解答)

(1)傍線部直前、および、傍線部を含む段落をより具体的に再説している直後の段落を、まとめるとよいでしょう。


(2)傍線部が【1】~【5】段落のまとめになっていることを読み取る必要があります。
 どのように「道を間違えてしまった」については、【1】・【2】段落をまとめるとよいです。

 
(解答)

(1)日本人の家財道具が、他の文化圏に比べ群を抜いて多く、なくてもよいものたちを、細かく取り揃えていること。


(2)快適さとは、溢れかえるほどのものに囲まれていることではない。むしろ、ものを最小限に始末した方が快適なのである。しかし、ものを所有することが豊かであると、僕らはいつの間にか考えるようになった。


ーーーーーーーー

 

問3 傍線部③「暮らしに濁りを与える」、傍線部⑤「陰影を礼賛する準備」について、③は「濁り」、⑤は「陰影」の内容を具体的に示し、それぞれの傍線部の意味をわかりやすく説明せよ。

 

……………………………

 

問3 (解説・解答)

③ 「濁り」とは、筆者の主張する「高い精神性や豊かなイマジネーションを育む生活」、を阻害する「マイナス的側面」です。

 

⑤ 「陰影を礼賛」とは、日本の伝統を礼賛した『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)を意識していることは明らかです。

 従って、ここで言う「陰影」とは、 「物事などに含みや趣があること。微妙なニュアンス」という意味です。

 その上で、直前の「漆器が艶やかな漆黒をたたえて」に注目してください。


(解答)

③ 日本人は、高い精神性や豊かなイマジネーションを育む生活になくてもいいような、雑駁とした物品を多く持っているということ。

⑤ 「漆器が艶やかな漆黒」を味わう心の用意をすること。

 

ーーーーーーーー


問4 傍線部④「もったいないのは、捨てることではなく、廃棄を運命づけられた不毛なる生産が意図され、次々と実行に移されることではないか」とあるが、どのような意味か、わかりやすく説明せよ。

 

……………………………

 

問4(解説・解答)

 「もったいないのは、不毛なる生産が意図され、次々と実行に移されることではないか」の部分を、本文中の表現を使用して、わかりやすく説明するようにしてください。

 

 直前の 

「  膨大な無駄を排出した結果の、廃棄の局面でのみ機能させるのだとしたら、その「もったいない」はやや鈍感に過ぎるかもしれない。廃棄するときでは遅いのだ。もしそういう心情を働かせるなら、まずは何かを大量に生産するときに感じた方がいいし、さもなければそれを購入するときに考えた方がいい。

をまとめるとよいでしょう。


(解答)
もったいないという気持ちは、なくてもいいような、雑駁とした物品を捨てる時ではなく、大量に生産するときに感じた方がいいという意味。


 
ーーーーーーーー

 

問5 傍線部⑥「緊張ではなくゆるみや開放感こそ、心地よさに繋がるのだという考え方」と対照的な考え方はどのような考え方か、わかりやすく説明せよ。

 

 ……………………………

 

問5(解説・解答)

 「緊張ではなくゆるみや開放感こそ、心地よさに繋がるのだという考え方」については、
【2】段落「高度成長の頃の三種の神器は、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、その次は自動車とルームクーラーとカラーテレビ。戦後の飢餓状態を経た日本人は、いつしか、ものを率先して所有することで豊かさや充足感を噛み締めるようになっていたのかもしれない」に述べられています。

 

 一方で、筆者は、傍線部⑥「緊張ではなくゆるみや開放感こそ、心地よさに繋がるのだという考え方」について、その直後の「しかし」以下で、「だらしなさへの無制限の許容がリラクゼーションにつながるという考えは、ある種の堕落をはらんではいまいか」と批判しています。

 そして、その直後で、「ものを用いる時に、そこに潜在する美を発揮させられる空間や背景がわずかにあるだけで、暮らしの喜びは必ず生まれてくる。そこに人は充足を実感してきたはずである」と自説を主張しています。

 この「論」の流れを意識する必要があります。

 

(解答)ものを用いる時に、そこに潜在する美を発揮させられる空間や背景がわずかにあるだけで、暮らしの喜びは必ず生まれてくる。そこに人は充足を実感してきたはずである。

 

ーーーーーーーー


問6 傍線部⑦「問題の本質はいかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらの魅力を味わう暮らしをいかに再興できるかである」とは、筆者のどのような考えのあらわれであるか、文章全体をふまえて説明せよ。

 

……………………………

 

問6(解説・解答)

 「問題の本質は、それら(→「もの」)の魅力を味わう暮らしをいかに再興できるかである」

という主張を、筆者は他の部分で、いかに、分かりやすく、具体的に言い換えているかを読み取る必要があります。

 

 筆者の主張が明確な以下の段落をまとめるとよいと思います。

【14】段落「伝統的な工芸品を活性化するために、様々な試みが講じられている。自分もそんな活動に加わったこともある。そういう時に痛切に思うのは、漆器にしても陶磁器にしても、⑦ 問題の本質はいかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらの魅力を味わう暮らしをいかに再興できるかである。漆器が売れないのは漆器の人気が失われたためではない。今日でも素晴らしい漆器を見れば人々は感動する。しかし、それ(→「伝統的な工芸品」)を味わい楽しむ暮らしの余白がどんどん失われているのである。

【15】段落「伝統工芸品に限らず、現代のプロダクツも同様である。豪華さや所有の多寡ではなく、利用の深度が大事なのだ。よりよく使い込む場所がないと、ものは成就しない←し、ものに託された暮らしの豊かさも成就しない。だから僕たちは今、未来に向けて住まいのかたちを変えていかなくてはならない。

【16】段落「ものを捨てるのはその一歩である。『もったいない」』をより前向きに発展させる意味で『捨てる』のである。どうでもいい家財道具を世界一たくさん所有している国の人から脱皮して、簡潔さを背景にものの素敵さを日常空間の中で開花させることのできる繊細な感受性をたずさえた国の人に立ち返らなくてはいけない。

【17】段落「持つよりもなくすこと。そこに住まいのかたちを作り直していくヒントがある。」

 

 五感に余白を作るということでしょう。

 言い換えれば、「ものの美」を感じる「精神的ゆとり」を意識的に作るということです。

 現代の日本人は、「精神的ゆとり」が、なさ過ぎるのです。

 IT 化による労働密度の強化、不景気や人手不足等を理由とする労働時間の増大が背景にあります。



(解答)

伝統的工芸品、プロダクツ(→「製品」「生産物」という意味)を活性化するために必要なことは、それらの魅力を味わう暮らしの余白をいかに再興できるかである。よりよく使い込む場所がないと、ものは成就しないし、暮らしの豊かさも成就しない。だから、僕たちは今、未来に向けて住まいのかたちを簡素化する必要がある。簡潔さを背景に、ものの素敵さを味わう繊細な感受性を取り戻すべきである

 

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(3)「高度消費社会」についての参考文献/「好きなこととは何か?」(『暇と退屈の倫理学』國分功一郎)

 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

 

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  上記の「持たないという豊かさ」は、入試頻出論点である「高度消費社会」に関連しています。

 そこで、高度消費社会に関する必読論考、入試頻出論考である「好きなこととは何か?」(『暇と退屈の倫理学』國分功一郎)の重要部分を以下に引用します。

 ぜひ、熟読してください。

 

「  最近他界した経済学者ジョン・ガルブレイス[1908~2006]は、20世紀半ば、1958年に著した『豊かな社会』でこんなことを述べている。

 現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられて初めて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものが何であるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、19世紀の初めなら思いもよらぬことであったに違いない。

 経済は消費者の需要によって動いているし動くべきであるとする「消費者主権」という考えが長く経済学を支配していたがために、自分の考えは経済学者たちから強い抵抗にあったとガルブレイスは述べている。つまり、消費者が何かを必要としているという事実(需要)が最初にあり、それを生産者が感知してモノを生産する(供給)、これこそが経済の基礎であると考えられていたというわけだ。

 ガルブレイスによれば、そんなものは経済学者の思い込みに過ぎない。だからこう指摘したのである。高度消費社会ーー彼の言う「豊かな社会」ーーにおいては、供給が需要に先行している。いや、それどころか、供給側が需要を操作している。つまり、生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせるようしている、と。

 今となってはガルブレイスの主張は誰の目にも明らかである。消費者の中で欲望が自由に決定されるなどとは誰も信じてはいない。欲望は生産に依存する。生産は生産によって満たされるべき欲望をつくり出す。

 ならば、「好きなこと」が、消費者の中で自由に決定された欲望に基づいているなどとは到底言えない。私の「好きなこと」は、生産者が生産者の都合のよいように、広告やその他手段によって創り出されているかもしれない。もしそうでなかったら、どうして日曜日にやることを土曜日にテレビで教えてもらったりするだろうか? どうして趣味をカタログから選び出したりするだろうか?

 こう言ってもいいだろう。「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得した人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願いつつもかなわなかったことではない。

 問題はこうなる。そもそもわたしたちは、余裕を得た暁にかなえたい何かなど持っていたのか?

 すこし視野を広げてみよう。

 20世紀の資本主義の特徴の一つは、文化産業と呼ばれる領域の巨大化にある。20世紀の資本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。

 もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。芸術家だって霞を食って生きているわけではないのだから、貴族から依頼を受けて肖像画を描いたり、曲を作ったりしていた。芸術が経済から特別に独立していたということはない。

 けれども20世紀には、広く文化という領域が大衆に向かって開かれるとともに、大衆向けの作品を操作的に作りだして大量に消費させ利益を得るという手法が確立された。そうした手法に基づいて利益を挙げる産業を文化産業と呼ぶ。

 文化産業については膨大(ぼうだい)な研究があるが、その中でも最も有名なものの一つが、マックス・ホルクハイマー[1895~1973]とテオドール・アドルノ[1903~1969]が1947年に書いた『啓蒙の弁証法』である。

 アドルノとホルクハイマーはこんなことを述べている。文化産業が支配的な現代においては、消費者の感性そのものがあらかじめ製作プロダクションのうちに先取りされている。

 どういうことだろうか? 彼らは哲学者なので、哲学的な概念を用いてこのことを説明している。すこし噛み砕いて説明してみよう。

 彼らが利用するのは、18世紀ドイツの哲学者カント[1724~1804]の哲学だ。カントは人間が行う認識という仕組みがどうして可能であるのかを考えた。どうやって人間は世界を認識しているのか? 人間はあらかじめいくつかの概念をもっている、というのがカントの考えだった。人間は世界をそのまま受け取っているのではなくて、あらかじめもっていた何らかの型(概念)にあてはめて理解しているというわけだ。

 たとえば、たき火に近づけば熱いと感じる。このときひとは、「炎は熱いから、それに近づくと熱いのだ」という認識を得るだろう。この「から」にあたるのが、人間があらかじめもっている型(概念)だ。この場合には、原因と結果を結びつける因果関係という概念である。因果関係という型があらかじめ頭の中にあるからこそ、ひとは「炎は熱いから、それに近づくと熱いのだ」という認識を得られる。

 もしもこの概念がなければ、たき火が燃えているという知覚と、熱いという感覚とを結びつけることができない。単に、「ああ、たき火が燃えているなぁ」という知覚と、「ああ、なんか顔が熱いなぁ」という感覚があるだけだ。

 人間は世界を受け取るだけでない。それらを自分なりの型にそって主体的にまとめ上げる。18世紀の哲学者カントはそのように考えた。そして、人間にはそのような主体性が当然期待できるのだと、カントはそう考えていた。

 アドルノとホルクハイマーが言っているのは、カントが当然と思っていたこのことが、いまや当然ではなくなったということだ。人間に期待されていた主体性は、人間によってではなく、産業によってあらかじめ準備されるようになった。産業は主体が何をどう受け取るのかを先取りし、受け取られ方の決められたものを主体に差し出している。

 もちろん熱いモノを熱いと感じさせないことはできない。白いモノを黒に見せることもできない。当然だ。だが、それが熱いとか白いとかではなくて、「楽しい」だったらどうだろう? 「これが楽しいってことなのですよ」というイメージとともに、「楽しいもの」を提供する。たとえばテレビで、或る娯楽を「楽しむ」タレントの映像を流し、その次の日には、視聴者に金銭と時間を使ってもらって、その娯楽を「楽しんで」もらう。わたしたちはそうして自分の「好きなこと」を獲得し、お金と時間を使い、それを提供している産業が利益を得る。

 「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願いがあったかどうかも疑わしい。願いをかなえられる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好きなこと」を与えてもらっているのだから。

 ならば、どうしたらいいのだろうか?

 いまアドルノとホルクハイマーを通じて説明した問題というのは決して目新しいものではない。それどころか、大衆社会を分析した社会学の本には必ず書かれているであろう月並みなテーマだ。だが本書は、この月並みなテーマを取り上げたいのである。

 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない。 

 そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。

(「『好きなこと』とは何か?」国分功一郎『暇と退屈の倫理学』)

 

 

(4)原研哉氏の紹介

 

デザイナー。1958年生まれ。

「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインを重視して活動中。

 2000年に「RE-DESIGN─日常の21世紀」という展覧会を制作し、何気ない日常の文脈の中にこそ驚くべきデザインの資源があることを提示した。

 2002年に無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなり、アートディレクションを開始する。長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、 2005年愛知万博の公式ポスターを制作するなど日本の文化に深く根ざした仕事も多い。

 2007年、2009年にはパリ・ミラノ・東京で「TOKYO FIBER─SENSEWARE展」を、2008年から2009年にかけては「JAPAN CAR展」をパリとロンドンの科学博物館で開催するなど、産業の潜在力を展覧会を通して可視化し、広く世界に広げていく仕事に注力している。

 2011年には北京を皮切りに「DESIGNING DESIN 原研哉2011中国展」を巡回するなど、活動の幅をアジアへと拡大。

 著書「デザインのデザイン」や「白」はアジア各国語版をはじめ多言語に翻訳されている。

 

 日本デザインセンター代表取締役。武蔵野美術大学教授。日本デザインコミッティー理事長。日本グラフィックデザイナー協会副会長。原デザイン研究所。 

 


【著作】

『ポスターを盗んでください』(新潮社、1995)

『マカロニの穴のなぞ』(朝日新聞社、2001/のちに文庫) 『デザインのめざめ』(河出書房新社、2014)

『原研哉』(ギンザ・グラフィック・ギャラリー〈ggg Books〉2002)

『デザインのデザイン』(岩波書店、2003)

『FILING─混沌のマネージメント』(宣伝会議、2005)

『TOKYO FIBER'07 SENSEWARE』(朝日新聞社、2007)

『デザインのデザイン Special Edition』(岩波書店、2007)

『白』(中央公論新社、2008)

『ポスターを盗んでください+3』(平凡社、2009)

『日本のデザイン - 美意識がつくる未来』(岩波書店〈岩波新書〉2011)

『デザインのめざめ』 (河出書房新社〈河出文庫〉2014)

『HOUSE VISION 2 CO-DIVIDUAL 分かれてつながる/離れてあつまる』 (美術出版社、2016)

『Ex-formation』(平凡社、2017)

『百合』 (中央公論新社、2018)

『白・百合(2冊セット)』(中央公論新社 、2018)

 

 

白

 

 

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(4)当ブログにおける「日本文化論」・「日本人論」・「伝統文化の見直し・再評価」関連記事の紹介

 

 

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 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 ご期待ください。

  

   

 

 

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頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

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5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)

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