2010センター国語現代文解説/岩井克人「資本主義と『人間』」
(1)はじめに
センター試験国語(現代文・評論文・小説)は、「問題文本文の全体構造」を問う問題が頻出です。定番と言えます。
2010年度第1問は、全体構造を問う問題として、かなりの良問です。
その上、著者は国語(現代文・評論)・小論文の入試頻出著者・岩井克人氏なので、小論文にも役立ちます。
そこで、センター試験国語(現代文・評論)・小論文対策として、今回の記事では2010センター試験第1問を丁寧に解説していきます。
なお、今回の記事の項目は以下の通りです。
(2)2010センター試験第1問/岩井克人「資本主義と『人間』」(『21世紀の資本主義論』 )/ 問題・解説・解答
(3)要約
(4)岩井克人氏の紹介
(5)当ブログの「センター試験・関連記事」の紹介
(6)当ブログの「岩井克人氏・関連記事」の紹介
(7)当ブログの「資本主義・関連記事」の紹介
(2)2010センター試験第1問/岩井克人「資本主義と『人間』」(『21世紀の資本主義論』 )/ 問題・解説・解答
(問題文本文)(概要です)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
【1】フロイトによれば、人間の自己愛は過去に3度ほど大きな痛手をこうむったことがあるという。1度目は、コペルニクスの地動説によって地球が天体宇宙の中心から追放されたときに、2度目は、ダーウィンの進化論によって人類が動物世界の中心から追放されたときに、そして3度目は、フロイト自身の無意識の発見によって自己意識が人間の心的世界の中心から追放されたときに。
【2】しかしながら実は、人間の自己愛には、すくなくとももうひとつ、フロイトが語らなかった傷が秘められている。だが、それがどのような傷であるかを語るためには、ここでいささか回り道をして、まずは「ヴェニスの商人」について語らなければならない。
【3】ヴェニスの商人━━のそれは、人類の歴史の中で「ノアの洪水以前」から存在していた商業資本主義の体現者のことである。海をはるかへだてた中国やインドやペルシャまで航海をして絹やコショウや絨毯(じゅうたん)を安く買い、ヨーロッパに持ちかえって高く売りさばく。遠隔地とヨーロッパとのあいだに存在する価格の差異が、莫大(ばくだい)な利潤としてかれの手元に残ることになる。すなわち、ヴェニスの商人が体現している商業資本主義とは、地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法である。そこでは、利潤は差異から生まれている。
【4】だが、A経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した。
【5】年々の労働こそ、いずれの国においても、年々の生活のために消費されるあらゆる必需品と有用な物資を本源的に供給する基金であり、この必需品と有用な物資は、つねに国民の労働の直接の生産物であるか、またはそれと交換に他の国から輸入したものである。
【6】『国富論』の冒頭にあるこのアダム・スミスの言葉は、一国の富の増大のためには外国貿易からの利潤を貨幣のかたちで蓄積しなければならないとする、重商主義者に対する挑戦状にほかならない。スミスは、一国の富の真の創造者を、遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動にではなく、勃興(ぼっこう)しつつある産業資本主義のもとで汗水たらして労働する人間に見いだしたのである。それは、経済学における「人間主義宣言」であり、これ以後、経済学は「人間」を中心として展開されることになった。
【7】たとえば、リカードやマルクスは、スミスのこの人間主義宣言を、あらゆる商品の交換価値はその生産に必要な労働量によって規定されるという労働価値説として定式化した。
【8】実際、リカードやマルクスの眼前で進行しつつあった産業革命は、工場制度による大量生産を可能にし、1人の労働者が生産しうる商品の価値(労働生産性)はその労働者がみずからの生活を維持していくのに必要な消費財の価値(実質賃金率)を大きく上回るようになったのである。労働者が生産するこの剰余価値――それが、かれらが見いだした産業資本主義における利潤の源泉なのであった。もちろん、この利潤は産業資本家によって搾取されてしまうものではあるが、リカードやマルクスはその源泉をあくまでも労働する主体としての人間にもとめていたのである。
【9】だが、産業革命から250年を経た今日、ポスト産業資本主義の名のもとに、旧来の産業資本主義の急速な変貌(へんぼう)が伝えられている。ポスト産業資本主義――それは、加工食品や繊維製品や機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、B技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態であるという。そして、このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒(けんそう)のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである。
【10】なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである。事実、すべての人間が共有している情報とは、その獲得のためにどれだけ労力がかかったとしても、商品としては無価値である。逆に、ある情報が商品として高価に売れるのは、それを利用するひとが他のひととは異なったことが出来るようになるからであり、それはその情報の開発のためにどれほど多くの労働が投入されたかには無関係なのである。
【11】まさに、ここでも差異が価格を作り出し、したがって、差異が利潤を生み出す。それは、あのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にほかならない。すなわち、このポスト産業資本主義のなかでも、労働する主体としての人間は、商品の価値の創造者としても、一国の富の創造者としても、もはやその場所をもっていないのである。
【12】いや、さらに言うならば、伝統的な経済学の独壇場であるべきあの産業資本主義社会のなかにおいても、われわれは、抹殺されていたはずのヴェニスの商人の巨大な亡霊を発見しうるのである。
【13】産業資本主義ーーそれも、実は、ひとつの遠隔地貿易によって成立している経済機構であったのである。ただし、産業資本主義にとっての遠隔地とは、海のかなたの異国ではなく、一国の内側にある農村のことなのである。
【14】産業資本主義の時代、国内の農村にはいまだに共同体的な相互扶助の原理によって維持されている多数の人口が滞留していた。そして、この農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。たとえ工場労働者の不足によってその実質賃金率が上昇しはじめても、農村からただちに人口が都市に流れだし、そこでの賃金率を引き下げてしまうのである。
【15】それゆえ、都市の産業資本家は、都市にいながらにして、あたかも遠隔地交易に従事している商業資本家のように、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。もちろん、そのあいだの差異が、利潤として彼らの手元に残ることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にもとづくものなのである。
【16】この産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異は、歴史的に長らく安定していた。農村が膨大な過剰人口を抱えていたからである。そして、この差異の歴史的な安定性が、その背後に「人間」という主体の存在を措定 (→「想定」という意味)してしまう、C伝統的な経済学の「錯覚」を許してしまったのである。
【17】かつてマルクスは、人間と人間との社会的な関係によってつくりだされる商品の価値が、商品そのものの価値として実体化されてしまう認識論的錯覚を、商品の物神化と名付けた。その意味で、差異性という抽象的な関係の背後にリカードやマルクス自身が措定してきた主体としての「人間」とは、まさに物神化、いや人神化の産物にほかならないのである。
【18】差異は差異にすぎない。産業革命から250年、多くの先進資本主義国において、無尽蔵に見えた農村における過剰人口もとうとう枯渇してしまった。実質賃金率が上昇しはじめ、もはや労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異を媒介する産業資本主義の原理によっては、利潤を生みだすことが困難になってきたのである。あたえられた差異を媒介するのではなく、みずから媒介すべき差異を意識的に創(つく)りだしていかなければ、利潤が生み出せなくなってきたのである。その結果が、差異そのものである情報を商品化していく、現在進行中のポスト産業資本主義という喧噪(けんそう)に満ちた事態にほかならない。
【19】差異を媒介して利潤を生み出していたヴェニスの商人(X) ━━あのヴェニスの商人の資本主義こそ、まさに普遍的な資本主義であったのである。そして、D「人間」は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった。
(岩井克人「資本主義と『人間』」による)
ーーーーーーー
(設問)
問1(漢字問題は省略します)
問2 傍線部A「経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。
① 経済学という学問は、差異を用いて莫大な利潤を得る仕組みを暴き、そうした利潤追求の不当性を糾弾することから始まったということ。
② 経済学という学問は、差異を用いて利潤を生み出す産業資本主義の方法を排除し、重商主義に挑戦することから始まったということ。
③ 経済学という学問は、差異が利潤をもたらすという認識を退け、人間の労働を富の創出の中心に位置づけることから始まったということ。
④ 経済学という学問は、労働する個人が富を得ることを否定し、国家の富を増大させる行為を推進することから始まったということ。
⑤ 経済学という学問は、地域間の価格差を利用して利潤を得る行為を批判し、労働者の人権を擁護することから始まったということ。
問3 傍線部B「技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態」とあるが、この場合、「情報そのもの」が「商品化」されるとはどういうことか。その具体的な説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。
① 多くの労力を必要とする工業生産物よりも、開発に多くの労力を前提としない特許や発明といった技術の方が、商品としての価値をもつようになること。
② 刻一刻と変動する株価などの情報を、誰もが同時に入手できるようになったことで、通信技術や通信機器が商品としての価値をもつようになること。
③ 広告媒体の多様化によって、工業生産物それ自体の創造性や卓越性を広告が正確にうつし出せるようになり、商品としての価値をもつようになること。
④ 個人向けに開発された教材や教育プログラムが、情報通信網の発達により一般向けとして広く普及したために、商品としての価値をもつようになること。
⑤ 多チャンネル化した有料テレビ放送が提供する多種多様な娯楽のように、各人の好みに応じて視聴される番組が、商品としての価値をもつようになること。
問4 傍線部C「伝統的な経済学の『錯覚』」とあるが、それはどういうことか。その説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。
① 産業資本主義の時代に、農村から都市に流入した労働者が商品そのものの価値を決定づけたために、伝統的な経済学は、価値を定める主体を富の創造者として実体化してしまったということ。
② 産業資本主義の時代に、都市の資本家が農村から雇用される工場労働者を管理していたために、伝統的な経済学は、労働力を管理する主体を富の創造者と仮定してしまったということ。
③ 産業資本主義の時代に、大量生産を可能にする工場制度が労働者の生産性を上昇させたために、伝統的な経済学は、大きな剰余価値を生み出す主体を富の創造者と認定してしまったということ。
④ 産業資本主義の時代に、都市の資本家が利潤を創出する価値体系の差異を積極的に媒介していたために、伝統的な経済学は、その差異を媒介する主体を利潤の源泉と見なしてしまったということ。
⑤ 産業資本主義の時代に、農村の過剰な人口が労働者の生産性と実質賃金率の差異を安定的に支えていたために、伝統的な経済学は、労働する主体を利潤の源泉と認識してしまったということ。
問5 傍線部D「『人間』は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった」とあるが、それはどういうことか。本文全体の内容に照らして最適なものを、次の中から一つ選べ。
① 商業資本主義の時代においては、商業資本主義の体現者としての「ヴェニスの商人」が、遠隔地相互の価格の差異を独占的に媒介することで利潤を生み出していたので、利潤創出に参加できなかった「人間」の自己愛には深い傷が刻印されることになった。
② アダム・スミスは『国富論』において、真の富の創造者を勤勉に労働する人間に見いだし、旧来からの交易システムを成立させていた「ヴェニスの商人」を市場から退場させることで、資本主義が傷つけた「人間」の自己愛を回復させようと試みた。
③ 産業資本主義の時代においては、労働する「人間」中心の経済が達成されたように見えたが、そこにも差異を媒介する働きをもった、利潤創出機構としての「ヴェニスの商人」は内在し続けたため、「人間」が主体として資本主義にかかわることはなかった。
④ マルクスはその経済学において、人間相互の関係によってつくりだされた価値が商品そのものの価値として実体化されることを物神化と名付けたが、主体としての「人間」もまた認識論的錯覚のなかで物神化され、資本主義社会における商品となってしまった。
⑤ ポスト産業資本主義の時代においては、希少化した「人間」がもはや利潤の源泉と見なされることはなく、価値や富の中心が情報に移行してしまったために、アダム・スミスの意図した「人間主義宣言」は完全に失効したことが明らかとなった。
問6 この文章の表現について、次の(ⅰ)・(ⅱ)の各問いに答えよ。
(i)最終段落の(X)のダッシュ記号「━━」のここでの効果を説明するものとして適当でないものを、次の中から一つ選べ。
① 直前の内容とひと続きであることを示し、語句のくり返しを円滑に導く効果がある。
② 表現の間(ま)を作って注意を喚起し、筆者の主張を強調する効果がある。
③ 直前の語句に注目させ、抽象的な概念についての確認を促す効果がある。
④ 直前の語句で立ち止まらせ、断定的な結論の提示を避ける効果がある。
( ⅱ )この文章の構成の説明として最適なものを、次の中から一つ選べ。
① 人間の主体性についての問題を提起することから始まり、経済学の視点から資本主義の歴史を起源にさかのぼって述べ、商業資本主義と産業資本主義を対比し相違点を明確にした後、今後の展開を予測している。
② 差異が利潤を生み出すことを本義とする資本主義において、人間が主体的立場になかったことを検証した後、その理由を歴史的背景から分析し、最後に人間の自己愛に関する結論を提示している。
③ 人間の自己愛に隠された傷があることを指摘した後で、差異が利潤を生み出すという基本的な資本主義の原理をふまえてその事例の特徴を検証し、最後に冒頭で提起した問題についての見解を述べている。
④ 差異が利潤を生み出すという結論から資本主義の構造と人間の関係を検証し、人間の労働を価値の源泉とする経済学の理論にもとづいて、具体的な事例をあげて産業資本主義の問題を演繹(えんえき)的に論じている。
ーーーーーーー
(解説・解答)
問2(傍線部説明問題)
傍線部の「ヴェニスの商人」とは「商業資本主義の体現者」(【3】段落)です。
そして、「商業資本主義」とは、「地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法」(【3】段落)です。
従って、「ヴェニスの商人を抹殺する」とは、「一国の富の真の創造者を、遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動にではなく、勃興しつつある産業資本主義のもとで汗水たらして労働する人間に見いだ」(【6】段落)すことです。
① 経済学の「利潤追求の不当性を糾弾」の部分が不適切です。本文に、このような記述はありません。
② 本文に、このような記述はありません。
③ 適切です。
④ 本文に、このような記述はありません。
⑤ 本文に、このような記述はありません。
(解答)③
問3(傍線部説明問題)
→この設問こそ、問題文本文の熟読・精読が不可欠です。
「問題文本文の熟読・精読」さえすれば、何でもない問題です。要約のメモはやめて、大切な部分に線を引くだけで十分です。
傍線部直後の「このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである」、
次の【10】段落の「なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである」、
「ある情報が商品として高価に売れるのは、それを利用するひとが他のひととは異なったことが出来るようになるから」、
に注目してください。
ここで、【3】段落に着目すると、「ヴェニスの商人」とは「商業資本主義の体現者」(【3】段落)であり、「商業資本主義」とは、「地理的に離れたふたつの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法」です。「そこでは、利潤は差異から生まれている」のです。
従って、「差異そのものが生み出す価値」、「差異が生み出す価値」がキーワードになります。
つまり、「『情報そのもの』が『商品化』される」とは「『情報そのものの差異』が価値を生み出す」ということになります。
①~④ 「差異が生み出す価値」に関連した記述になっていないので、不適切です。
⑤ チャンネルの差異により、視聴者が番組を選択するという内容です。「チャンネル間の差異」が価値を決定することになるので、適切です。
(解答)⑤
問4(傍線部説明問題)
「この差異の歴史的な安定性(→「産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異」が、「歴史的に長らく安定していた」こと)が、その背後に「人間」という主体の存在を措定(「想定」)してしまう、C伝統的な経済学の『錯覚』を許してしまったのである」
という文章の構造に着目する必要があります。
上記の「この」に注目して、直前の部分を熟読する必要があるということです。【14】~【16】段落のポイントを列記すると、以下のようになります。
【14】段落「農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。」
【15】段落「都市の産業資本家は、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」
↓
【16】段落「この差異の歴史的な安定性 (→「産業資本主義の利潤創出機構を支えてきた労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異」が、「歴史的に長らく安定していた」こと)が、その背後に「人間」という主体の存在を措定(「想定」)してしまう、C 伝統的な経済学の『錯覚』を許してしまったのである。」
以上の構造を、丁寧に把握してください。⑤が正解になります。
①~④ 無関係です。本文に、このような記述はありません。
(解答)⑤
問5(傍線部説明問題)
傍線部の「この資本主義の歴史のなかで」に注目してください。
「商業資本主義」・「産業資本主義」・「ポスト産業資本主義」の三つの「主義」の内容を、チェックする必要があります。
三つの「主義」は、「差異によって利益を生み出す」点では共通しています。
具体的には、以下の各段落をチェックするとよいでしょう。
「商業資本主義」→【6】段落「遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動」
「産業資本主義」→【14】・【15】段落
【14】段落「産業資本主義の時代、国内の農村にはいまだに共同体的な相互扶助の原理によって維持されている多数の人口が滞留していた。そして、この農村における過剰人口の存在が、工場労働者の生産性の飛躍的な上昇にもかかわらず、彼らが受け取る実質賃金率の水準を低く抑えることになったのである。」
【15】段落「都市の産業資本家は、あたかも遠隔地交易に従事している商業資本家のように、労働生産性と実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できることになる。もちろん、そのあいだの差異が、利潤として彼らの手元に残ることになる。これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主義(→「商業資本主義」)とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」
「ポスト産業資本主義」→【9】・【10】段落
【9】段落「ポスト産業資本主義――それは、加工食品や繊維製品や機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、B技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態であるという。そして、このポスト産業資本主義といわれる事態の喧騒(けんそう)のなかに、われわれは、ふたたびヴェニスの商人の影を見いだすのである。」
【10】段落「なぜならば、商品としての情報の価値とは、まさに差異そのものが生み出す価値のことだからである。」
③は、「産業資本主義の時代においては、労働する『人間』中心の経済が達成されたように見えたが、そこにも差異を媒介する働きをもった、利潤創出機構としての『ヴェニスの商人』は内在し続けた」の部分が、以上の本文の説明の通りです。
つまり、「『ヴェニスの商人』は内在し続けていた」と、3つの「主義」を普遍的に把握しているので正解です。
① 「利潤創出に参加できなかった『人間』の自己愛には深い傷が刻印されることになった」の部分は、本文にこのような記述がないので、誤りです。
② 無関係です。本文に、このような記述はありません。
④ 「主体としての『人間』もまた」「資本主義社会における商品となってしまった」の部分が明らかに誤りです。
⑤ 「アダム・スミスの意図した「人間主義宣言」は完全に失効したことが明らかとなった」の部分が明らかに誤りです。
(解答)③
問6 (表現を問う問題)
→この設問こそ、特に本文を読む前に読み、ポイントをチェックするべきです。(1)は単純な問題なので、本文を見るまでもなく、すぐに解答してよいでしょう。その後で、本文を読みながら、確認的にチェックするとよいと思います。
(1)(「ダッシュ記号」の効果を聞く問題)
ダッシュ記号の効果としては、「強調」の機能があります。
④ 「断定的な結論の提示を避ける効果」のような婉曲表現ではありません。従って、正解は④です。
(解答)④
(2)(文章構成を聞く問題)
→この設問は問題3・4・5と同様に、「本文の全体構造」を問う問題です。「本文の全体構造」を把握していれば、容易に解答できます。
逆に言うと、問3・4・5と本設問の内、一つでもミスした一人は、「本文の全体構造」を完全に理解していることには、なりません。よく復習しておいてください。
③が、本文の構成に合致しています。
① 「商業資本主義と産業資本主義を対比」の部分が誤りです。
【15】段落の「これが産業資本主義の利潤創出の秘密であり、それはいかに異質に見えようとも、利潤は差異から生まれてくるというあのヴェニスの商人の資本主(→「商業資本主義」)とまったく同じ原理にもとづくものなのである。」に反します。
また、「今後の展開を予測している」も誤りです。このような記述は本文には、ありません。
② 「最後に人間の自己愛に関する結論を提示している」の部分が誤りです。このような記述は本文には、ありません。
④ 「人間の労働を価値の源泉とする経済学の理論にもとづいて」の部分が誤りです。また、「具体的な事例をあげて産業資本主義の問題を演繹(えんえき)的に論じている」の部分も誤りです。
(解答)③
ーーーーーーーー
(出典)岩井克人「資本主義と『人間』」『21世紀の資本主義論』 (ちくま学芸文庫)
(3)要約
フロイトによれば、人間の自己愛は過去に三度ほど大きな痛手をこうむったことがあるという。しかし、資本主義の歴史を振り返ると、もう一つの傷がある。「ヴェニスの商人」が体現者である商業資本主義は、差異が利潤を生み出した。現在、急速に進行しているポスト産業資本主義においても、差異そのものである情報を商品化して利潤を生み出している点で、同様の構造がある。いや、さらに言うならば、産業資本主義においても、結局は労働生産性と実質賃金率との差異を媒介にして利潤を生み出していた点で、ヴェニスの商人の巨大な亡霊を発見しうるのである。差異を媒介して利潤を生み出していた、あのヴェニスの商人の資本主義こそ、まさに普遍的な資本主義であったのである。そして、「人間」は、この資本主義の歴史のなかで、一度としてその中心にあったことはなかった。
(4)岩井克人氏の紹介
岩井 克人(いわい かつひと、1947年生まれ ) 日本の経済学者(経済理論・法理論・日本経済論)。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1972年)。米イェール大学助教授、東大助教授、米ペンシルベニア大学客員教授、米プリンストン大学客員准教授、東大教授などを経る。国際基督教大学客員教授、東京大学名誉教授、公益財団法人東京財団名誉研究員、日本学士院会員。
【著書】
『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房・1985年、ちくま学芸文庫・1992年)
『不均衡動学の理論』(岩波書店・1987年)
『貨幣論』(筑摩書房・1993年、ちくま学芸文庫・1998年)
『資本主義を語る』(講談社・1994年、ちくま学芸文庫・1997年)
『二十一世紀の資本主義論』(筑摩書房・2000年、ちくま学芸文庫・2006年)
『会社はこれからどうなるのか』(平凡社・2003年、平凡社ライブラリー・2009年)
『会社はだれのものか』(平凡社・2005年)
『IFRSに異議あり』(日本経済新聞出版社・2011年)
『経済学の宇宙』(日本経済新聞出版社・2015年)
『不均衡動学の理論』(モダン・エコノミックス20/ 岩波オンデマンドブックス)
(5)当ブログの「センター試験・関連記事」の紹介
(6)当ブログの「岩井克人氏・関連記事」の紹介
なお、当ブログでは、頻出著者・岩井克人氏の論考について、最近、予想問題記事を発表しました。ぜひ、ご覧ください。
(7)当ブログの「資本主義・関連記事」の紹介
ーーーーーーーー
今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)
- 作者: 斎藤隆
- 出版社/メーカー: 開拓社
- 発売日: 1997/10/01
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。
https://twitter.com/gensairyu2