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現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

『考える身体』身体論・解説・論点的中報告⑥・2017神戸大現代文

(1)2017では、センター現代文、東大、早大政経・法、学習院大、慶大経済(小論文)、大阪大に続き、神戸大現代文にも、当ブログの予想論点記事が的中しました。

 

 2017でも、

①センター国語第1問(現代文・評論文)、

②東大国語第1問(現代文・評論文)、

③早大政経現代文・早大法現代文・学習院大現代文、

④慶大経済小論文、

⑤大阪大現代文

に続き、
神戸大国語(現代文・評論文)(『考える身体』三浦雅士)にも、当ブログの予想論点記事(心身二元論身体論)が的中しました。

 

 つまり、2017神戸大現代文に、当ブログの予想論点記事

「2012東大国語第1問(現代文)解説『意識は実在しない』河野哲也」、

「2017早大(文化)「見ることとうつすこと」鈴木理策・予想出典」、  

「2016年東大国語ズバリ的中報告・内田樹・『日本の反知性主義』」、

が、的中しました。


 2016東大現代文ズバリ的中(全文一致)・2016一橋大現代文ズバリ的中(全文一致)に続く喜びです。

 そこで、今回は、2017神戸大現代文の問題解説をします。


 なお、これまでに発表した、

「2017の論点的中報告・問題解説記事①~⑤」、

「2016東大現代文ズバリ的中報告・問題解説記事」、

「2016一橋大現代文ズバリ的中報告・問題解説記事」、

については、「2017の論点的中報告・問題解説記事⑤」にリンク画像を貼っておきましたので、そちらを、ご覧ください。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

 今年度の神戸大の現代文問題(『考える身体』三浦雅士)では、以下のような文章が出題されました。冒頭部分を引用します。

 

(問題文本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

「  舞踊ほど根源的な芸術はない。ここ二十年来、バレエや日本舞踊を熱心に見続けてきて、繰り返しそう思った。

 感動とは身体的なものだ。人によっては、理論的な何かがまずあって、その理論に近いものに出会って感動するということがあるのかもしれない。だが、それはたぶん偽物である。ほんものの感動はそんな余裕を与えない。それは嵐のように、突風のように襲ってくるのである。鼓動が高まり背筋が青ざめる。文字通り、打ちのめされるのである。

 感動は相対的なものではない。絶対的なものだ。嵐が過ぎ去って、これはいったい何だったのかと、人は考える。感動する身体とはいったい何か。そしてまた、感動される身体とはいったい何か、と。だが、考えているそのそばから、さらにまた新しい感動が襲ってくる。身体が震えるのである。こうして、なかば陶酔し、なかば覚醒しているという不思議な状態に置かれる。これこそ舞踊の醍醐味なのだ。

 この舞踊の醍醐味のなかで、感動とは身体の問題であると考えるようになった。

 (『考える身体』三浦雅士 )

 

 今回の問題(『考える身体』)は、

「極端な科学重視主義」→「『理系の知』の重視」、
「極端な客観重視主義」、
「理性・知性重視主義」、
「精神性重視主義」、
「合理主義」、
「観念的発想」、
つまり、「近代思想・現代思想そのもの」、

「最近の文系学部軽視の風潮」、

「現代日本社会における、共同性軽視の風潮」
に関連しています。


 つまり、これらの現象に対して、「人間的な生の充実」・「真の共同性の復活」には、「『身体性』の再評価・重視」が不可欠という原理・原則論を呈示して、「根本的な現代文明批判」をしているのではないのでしょうか?

 まさに、ポストモダン(脱近代)的な発想です。

 

 各人が「自己の身体性」を再評価・重視することは、「人間的な生の充実」・「真の共同性の復活」のためには、不可欠なのです。

 このように考えると、今回の神戸大現代文の問題は、かなりの良問と言えます。来年度の国語(現代文・評論文)・小論文対策のために、この問題は、よく理解しておくべきだと思われます。

 

 今回の神戸大の現代文問題は、当ブログの、

「2012東大国語第1問(現代文)解説『意識は実在しない』河野哲也」、

「2017早大(文化)「見ることとうつすこと」鈴木理策・予想出典」、  

「2016年東大国語ズバリ的中報告・内田樹・『日本の反知性主義』」、

を読んでおけば、かなり、分かりやすかったと思われます。

 これら三つの記事のポイントを、以下に、再掲します。

 

 まず、「2012東大国語第1問(現代文)解説『意識は実在しない』河野哲也」の記事から、「身体論」の前提となっているデカルトの「物心二元論(心身二元論)」を記述した箇所を再掲します。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

ーーーーーーーー(再掲、スタート)

 

 入試現代文(国語)・小論文における「科学批判」(近代科学論・現代科学論)の中で多いのは、「科学」の根本原理である「物心二元論(心身二元論)」を批判し、この根本原理そのものを見直そうとする論考(→「身体論」)です。

 今回、検討する問題も、同じ方向の論考です。

 そこで、まず、デカルトの「物心二元論(心身二元論)」の定義・内容について説明します。

【物心二元論(心身二元論)】

 デカルト(近代哲学の父)は、世界のあらゆるものは二種類に分類できると考えました。
 「考えるもの」と「広がりのあるもの」です。
 「考えるもの」、つまり、「魂」が、「広がりのある事物」とは全然違う性質のものだ、という主張は、その後の「精神と身体の二元論」(「心身二元論」)の基礎となりました。

【一元論と二元論】

 「一元論」とは、世界の全てを、ある一つの原理で説明できるという思想であり、「二元論」とは、世界の全ては二つの原理で説明する必要があるという思想です。

 世界を一つの原理のみで説明することは、少々無理があります。

 そこで出てきたのが、「生滅変化する現象の世界」と「変化しない理念の世界(イデア)」を対立(「二元論」)させるプラトンの哲学です。

 この二元論は、「心身二元論」の基礎になっています
 
【デカルトの心身二元論】

 デカルトの「心身二元論」とは、「精神(心)」と「身体(身)」を明確に区別した「二元論」です。
 つまり、精神(心)と身体(物質)という根本原理によって世界を説明する考え方です。

 ……………………

 今回の問題を解いていく際には、以上の「デカルトの心身二元論」 を予備知識として、しっかり理解しておく必要があります。

 そうでないと、本問は、かなりの難問になってしまいます。

 

ーーーーーーーー(再掲、終了)

 

 「身体論」は、デカルトの「物心二元論(心身二元論)」を根本的に見直そうとする思想です。

 

 次に、「2017早大(文化)「見ることとうつすこと」鈴木理策・予想出典」の中の、鈴木氏が、「『見ること』における『身体性』の見直し」を主張している箇所を再掲します。

 

gensairyu.hatenablog.com

 

ーーーーーーーー(再掲、スタート)

 

(鈴木氏の論考)(概要です)

(【1】【2】【3】・・・・は、当ブログで付記した段落番号です)

(青字は、当ブログによる「注」です)

(赤字は、当ブログによる「強調」です)

(紫色の字は、早稲田大学・文化構想学部の入試で、傍線部説明問題・空欄補充問題として問われた部分です)

【8】私は撮影では出来るだけ何もしないことを目指します。わざわざ大型カメラを担いで出かけていくのですから、何もしない、というのは矛盾しているようですが、画面に作為を込めないこと、私自身の存在を消していくことを目指しているのです(→「写真家としての主体性の放棄」、を意図している感じです。「写真家と風景の関係」から、「近代的な『主体』・『客体』」という枠組みを消去しようという、大胆な実験の感じがします。「写真家の主体性」を明確化することは、「お決まりの作法」に染まることだ、と意識しているのです)カメラを構えて歩いて行き、気になる光景に出会ったら三脚を立て、大体の位置で構図を決めて、その後は変更しません。ピントは、その場所で最初に目がいった部分に合わせます。シャッターも狙わずに押す工夫をしています。(→道を歩いていて、気になった風景のある場所に立ち止まり、風景をじっくり見つめる直前の瞬間を、風景を「構図」・「シャッターチャンス」を意識して見つめる直前の瞬間を、フィルムに保存する感じです)そんな風に撮影した写真は、いわゆる写真的な見どころを含みませんが、外の世界をありのまま(→写真家の「近代的な解釈」による変形・強調が介入していない、ということです)表しています。(→写真を見る人は、初めて風景と対面した時の、ぼんやりとした当惑の場に、直面することになります)私が写真でしたいと思っていることは少し変わっているかもしれません。

【9】今年の春、香川県丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の企画で個展を開催しました。展覧会は七月から東京オペラシティアートギャラリーに巡回しています。写真を見せるというより風景を見る(→「対象と直に交わっている場」・「外の世界と入場者の身体が直接触れる場」、つまり、「風景と初めて出会う場」・「風景に目の焦点が合って、風景を『構図』・『シャッターチャンス』の枠組みの中で再構成する以前の場」という意味、だと思います)になれば良いと考え、自身で展示構成を行いました。会場に並ぶ写真を見ると、その都度新しい発見があります。写真家は自分の写した全てを確認済みと思われるでしょうが、ものを見ることは常に新しい経験(→外の世界とその人の身体が直接触れた時に、その人の目に映る「今」は、「過去」と常に違うからです)です。」  (「見ることとうつすこと」鈴木理策)

 

ーーーーーーーー(再掲、終了)

 

 さらに、「2016年東大国語ズバリ的中報告・内田樹氏・『日本の反知性主義』」の中の、身体性重視の記述を再掲します。

gensairyu.hatenablog.com

 

ーーーーーーーー(再掲、スタート) 

 

(内田氏の論考)(概要です)

(青字は、当ブログによる「注」です)

(赤字は、当ブログによる「強調」です)

バルトによれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。実感として、よくわかる。「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認める人は「自説に固執する」ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片付いたか」どうかを自分の内側をみつめて判断する。ァそのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人」だとみなすことにしている。その人においては知性が活発に機能しているように私には思われる。そのような人たちは単に新たな知識や情熱を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えているからである。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。個人的な定義だが、しばらくこの仮説に基づいて話を進めたい。」  (『日本の反知性主義』内田樹 )

…………………………………………

問(1)「そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人」(傍線部ア)とはどういう人のことか、説明せよ。

…………………………………………

〔解答・解説〕

 傍線部の「そのような身体反応」に注目する必要があります。

 「そのような身体反応」とは、直前の「得心」(納得)、「腑に落ちた」「気持ちが片づいた」を指しています。

 つまり、傍線部アは、「頭脳のみで観念的に考えるのではなく、全身的納得を意識して理非の判定をするということ 」、を意味しています。

 従って、解答は、「納得や了解等の全身的な感覚を意識して物事の正否を判定する人」となります。」

 

ーーーーーーーー(再掲、終了)

 

 今回は、『考える身体』の入試頻出箇所を、最近の立教大学の過去問を使用して、予想問題として解説します。

 (なお、漢字の書き取り問題、読み問題は省略します)

 

 考える身体

 

 

 

 

 

(2)予想問題解説・『考える身体』三浦雅士ー立教大学国語(現代文)出題

 

(問題文本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

【1】人は意識において考えるよりも先に、まず身体において考えているというべきだろう。ある① 身体所作の体系を採用したその段階において、人の身体は、意識よりも先にすでに考えはじめているのだ。少なくともある種の考え方、思考の流儀を採用しているのである。そういえば、十九世紀の小説の名手たちは、登場人物を描くにあたって、何よりも、その顔かたちと身ごなしを克明に描きだしていた。思想はまずその身体に現れると直観していたに違いない。

【2】ここには、おもしろい問題が山積している。

【3】身体の問題というと、人はまず自分の身体を眺める。手を見、腕を見、さらには我が身を鏡に映しだしてみる。つまり、身体というと、人はまず個人の身体を思い浮かべるのだ。そしてたいていは、どこかしら恥ずかしくなって、肩をすくめる。身体は個人に属すのであって、集団に属すわけではないというわけだ。だが、ほんとうはそうではない。仕草や表情にしてもそうだが、共同体の基盤は身体にあると言っていいほどなのである。

 

ーーーーーーーー

 

(問題)

問1  傍線部①の「身体所作」とほぼ同じ内容を表す言葉を本文中から二つ抜き出し、それぞれ四字以内で記せ。

 

………………………………

 

(解説・解答)

問1(単語力を問う問題・記述問題)

 このような「単語力を問う問題」は、入試では頻出です。模擬試験と大きく違う点です。 

 しかも、今回は記述式問題なので、配点は高いと思われます。

 さらに、今回の問題は、入試頻出です。ミスした人は、よく復習しておいてください。

(解答)  身ごなし・仕草

 

ーーーーーーーー

  

(問題文本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

【4】日常生活の随所にその証拠がころがっている。たとえば、人はなぜスポーツを観戦するのか。勝敗の行方を見極めたいと思うからか。そうではない。人の身体の動きに同調してみたいのである。相撲で、ひとりの力士が土俵を割りそうになりながら残すとき、見るものも同じように反り身になって相手の回しを握り締めているのである。だからこそ、手に汗握るのだ。つまり、スポーツを見るものは、そのスポーツをいっしょに戦っているのである。野球にしてもそうだ。投球が決まった一瞬、まるで指揮者に操られたように、会場の全体がどよめく。投手や打者の呼吸に、全観衆の呼吸が同調しているからである。それが人間の身体なのだ。

【5】想像力といえば、意識の問題と考えられがちだが、そうではない。それはまず身体の問題なのだ。身体がまず他人の身体になりきるのである。その運動、その緊張、その痛みを分け持ってしまう。想像力の基盤は身体にあるとさえ言いたいほどである。

【6】模倣もまた身体の想像力のひとつと考えるといい。人は、歩き方、走り方、泳ぎ方を習うが、教科書によってではない。身体を介して習うのである。実際、子供は、教えるよりも先にまねている。身体の想像力は、意識の想像力を上回る。稽古事の経験者ならばだれでも思いあたるだろうが、言葉による注意は、身体の想像力のきっかけにすぎない。

【7】舞踊に関心を持つようになってはじめて、以上の事実に気づいた。人はなぜダンスを見るのか。何よりもまず身体そのものが、他人の身体と同調したいからなのだ。舞台を見るとき、人は、ダンサーとともに踊っているのである。回転し、跳躍しているのである。だからこそ、見終えた後に、快い疲労を覚えるのだ。また、だからこそ、より美しく舞うもの、より華やかに踊るものにひかれるのである。スポーツにしても同じだ。人は、より強い、より速い、より美しいフォームにひかれる。身体の想像力の限界を試そうとでもするように、人は舞台を見る。試合を見る。見ているのは目ではない。身体なのだ。

【8】そういえば、昔はよく、尊敬する人物の肖像や彫像を机上に飾ったものだ。なぜか。見ることが、全身的な行為であると信じられていたからである。〔   A   〕の想像力以上に、〔   B   〕の想像力が重要であることが、直観的に把握されていたからだ。人物だけではない。たとえば雄大な光景は人を雄大にする。人は全身で見るのであり、見た瞬間、何よりもまず身体がその光景に同調しようとするのだ。

 

ーーーーーーーー

 

(問題)

問2  空欄A・Bには、それぞれどんな言葉を補ったらよいか。本文中から最も適当な言葉を抜き出して記せ。

 

………………………………

 

(解説・解答)

問2  (空欄補充問題・記述問題)

  【8】段落の内容をよく把握することが必要になります。

 また、空欄A・Bを含む一文が、直前の一文の理由になっていることを確認してください。

 (解答)  A 意識  B 身体

 

ーーーーーーーー

 

(問題文本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

【9】このように考えると、なぜ舞踊と遊戯が神事として誕生したかが分かってくる。舞踊と遊戯、すなわちダンスとスポーツは、おそらくその起源をひとつにしている。いずれも、身体を介して、人間が集団を成していること、共同体を形づくっていることを確認する行為にほかならなかったのである。神前で舞うとき、共同体の成員もまたともに舞うのだ。相撲にしてもそうだ。観客もまた力を尽くして戦うのである。たとえば綱引きのような遊戯は、身体のこのような共同性をそのまま象徴していると言っていい。しかも舞踊や遊戯は、身体を介して、人と人の共同性のみならず、人と自然の共同性をも教えたはずである。身体の想像力は、人と動物、人と自然の境界をも、やすやすと越えたはずだからだ。

【10】近代になって、意識と身体は画然と分けられた。同時に、五感とその領域も鋭く分割された。〔   C   〕の領域には美術が、[   D   ]の領域には音楽が配分された。そのいずれにもかかわる舞踊や演劇は、いささか曖昧な芸術としてさげすまれた。身体の領域はただ健康の問題、医学の問題へと差し回されたのである。そして、ひたすら健康の技術にかかわるものとして、保健体育の思想が登場したのだった。

【11】だが、いまや近代の全体が問い直されているのである。美術も音楽も、いや文学さえもが、じつは全身的な感受の対象であることが明らかになりつつある。たとえば文体は、呼吸を通して全身にかかわるのである。芸術の鑑賞は、いまや身体の想像力を抜きに語ることはできない。いわんや舞台芸術の鑑賞、スポーツの観戦にいたっては、まさに身体の問題にほかならないのである。

【12】おそらく、新しい観客論がいま要請されているのである。そう、たとえばオリンピックを、そのような観客論の立場から考察し直すような視点が要請されているのだ。」( 三浦雅士「考える身体」 )

 

ーーーーーーーー

 

(問題)

問3  空欄C・Dには、それぞれどんな言葉を補ったらよいか。自分で考えて記せ。

 

問4  筆者の考えによれば、スポーツを観戦することと雄大な光景を眺めることの間には共通点がある。その共通点とは何かを、本文に即して句読点とも二十字以内で記せ。

 

問5  傍線部②について。「新しい観客論がいま要請されている」のはなぜか。その理由を、本文に即して句読点とも六十字以内で説明せよ。

 

………………………………

 

(解答・解説)(解答)

 

問3(空欄補充問題・記述問題)

 常識・単語力のレベルの問題です。

 確実に解答できるようにしてください。

 (解答)C視覚D聴覚

 

問4(説明問題・記述問題)

 「同調」がキーワードになっていることを、読み取ってください。

 第【8】段落に注目するとよいでしょう。

 設問文の本文に即して」に注意してください。

 「本文中のキーワード」を使用することを要求されているのです。

 (解答)何よりもまず見る側の身体が同調する点。(19字)

 

5(理由説明問題・記述問題)→「心身二元論」の見直し

 最終の二つの段落に着目する必要があります。

 ポイントは「近代」、つまり、「近代原理」・「心身二元論」の見直しです。

 

  設問文の本文に即して」に注意してください。

 「本文中のキーワード」を使用することを要求されているのです。

 (解答)  意識と身体を画然と分けた「近代」が問い直されている今、スポーツの鑑賞も身体の想像力の問題として見直されるべきだから。(60字)

 

ーーーーーーーー

 

 【要約】

人は意識において考えるより先に、まず身体において考えている。共同体の基盤は身体にある。人がスポーツを見るとき、そのスポーツを一緒に戦っている。想像力は、まず身体の問題である。舞踊や遊戯は、身体を介して、人と人の共同性のみならず、人と自然の共同性をも教えたはずである。あらゆる意味で分断の時代であった近代が問い直される中、新しい観客論も要請されている。

 

 

 

 (3)本書・著者の紹介

 

【本書の内容】

身体の思想ではない。いまや、思想の身体こそ語られるべきではないか――。人類の起源から現代にいたる歴史的文脈のなかに「身体」を位置づけ、身体と精神、言葉、思考、芸術、舞踊との関係を縦横に描き出す。(「ブック紹介」より引用)

 

【著者紹介】

三浦 雅士(みうら まさし)
1946年生まれ。編集者、文芸評論家、舞踊研究者。日本芸術院会員。弘前高校卒業。『ユリイカ』『現代思想』編集長を経て、批評活動を展開する。1991年『ダンスマガジン』編集長、94年『大航海』編集長。文芸評論家、新書館編集主幹。

 

【著書】
『私という現象 同時代を読む』(冬樹社 1981年/講談社学術文庫 1996年)
『メランコリーの水脈』(サントリー学芸賞・福武書店 1984年/福武文庫 1989年/講談社文芸文庫 2003年)
『寺山修司 鏡のなかの言葉』(新書館 1987年)
『身体の零度 何が近代を成立させたか』(読売文学賞・講談社選書メチエ 1994年)
『バレエの現代』(文藝春秋 1995年)
『考える身体』(NTT出版 1999年)
『バレエ入門』(新書館 2000年)
『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』(新書館 2003年)
『青春の終焉』(伊藤整文学賞・講談社 2001年/講談社学術文庫 2012年)
『漱石―母に愛されなかった子』(岩波新書 2008年)
『人生という作品』(NTT出版 2010年)
『ポストモダンを超えて: 21世紀の芸術と社会を考える 』(平凡社 2016年)

 

ーーーーーーーー 

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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