現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題/「猫は後悔するか」野矢茂樹『語りえぬものを語る』/哲学

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 「哲学」、「言語論」は、入試頻出論点です。

 今回は、入試頻出著者・野矢茂樹氏の入試頻出出典『語りえぬものを語る』の中の「猫は後悔するか」を解説します。

 

 今回の記事の項目は以下の通りです。

 記事は1万字です。

 

 (2)予想問題/「猫は後悔するか」野矢茂樹『語りえぬものを語る』/哲学/福島大過去問

(3)野矢茂樹氏の紹介

(4)当ブログにおける「哲学」関連記事の紹介

 

 

語りえぬものを語る

語りえぬものを語る

 

 


(2)予想問題/「猫は後悔するか」野矢茂樹『語りえぬものを語る』/哲学/福島大過去問


(問題文本文)

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 


【1】人間はあれこれと後悔する。こんな連載、引き受けなければよかった、等々。では猫はどうか。いや、別に猫にかぎらない。人間以外の動物は、後悔をするのだろうか。

【2】猫が鳥に襲いかかる。逃げられる。でも、惜しかった。そのときその猫は、「もう少し忍び足で近づいてから飛びかかればよかったにゃ」などという日本語に翻訳できるような仕方で後悔するのだろうか」私の考えでは、しない。いや、できない。猫は、そして人間以外の動物は、後悔というものを為(な)しえない。なぜか。

【3】後悔するということは、事実に反する思いを含んでいる。「ああすればよかった」というのは、そうしなかったという事実に反する思いであり、「あんなことしなければよかった」というのは、そんなことをしてしまったという事実に反する思いである。ならば、事実に反する思いをもつというのは、どのようにして可能になるのだろうか。

【4】ひとつ用語を導入しておきたい。そこで『論理哲学論考』においてウィトゲンシュタインは、可能な事実の総体を A「論理空間」と呼ぶ。そこには、現実に起こった事実と現実には起こらなかったけれど起こりえたという事実が含まれている。ここで「起こりえた」というのは目いっぱい広くとっていただきたい。私は現実には大学の教員をしているが、もしかしたら大リーガーであったかもしれない。もちろん、それがふつうの意味では「ありえない」ことなのは私が一番よく知っている。だが、能力的に不可能であっても、思考不可能ではない。「もし私が大リーガーであったなら」と反事実的な想像をすることは別に矛盾ではない。私が大リーガーでホームランをばかすか打つ。どこに矛盾があろうか。

【5】ここで捉えられる「可能性」は、われわれが捉えうる最も広い意味での可能性、つまり論理的可能性にほかならない。それは論理的に矛盾しないかぎりは可能であると言われる。そんな可能性の総体、それが論理空間である。現実の世界というのは論理空間の中のごく一部分にすぎない。実際に起こっていることを取り巻いて、現実化しなかった可能性が広大に開けているだが他方、われわれはただこの現実の世界を生きるしかない。ここに問題の根っこがある。

【6】われわれが出会うのはすべて現実の世界である。 B 可能性の世界などというものがどこかにあるわけではない。へたをすると「思考の世界」などというものを想定し、しかもそれを「心の中」に位置づけたりしたくなるかもしれない。だが、見まわしてほしい。部屋の中、あるいは窓の外。見えるのは現実に起こっているさまざまな事実である。「心の中」(実にいいかげんな言葉だと思うが、いまはそれには目をつぶって)を探ってみてもよい。軽く頭痛がする。それも現実に起こっている事実である。あれやこれや考えている。非現実的なことを考えているかもしれないが、そう考えていること、それは現実の事実である。文字を書きつける。声に出さずに語る。イメージを思い描く。あるいは脳がある状態になる。すべて、現実に起こっている事実にほかならない。

【7】私に与えられているものは現実の事実だけである。しかし私は現実を取り巻く可能性の総体たる論理空間を了解している。だとすれば、この現実を元手に、論理空間の了解が形成されるのでなければならない。それはどのようにしてか。

【8】なによりもまず、世界が分節化されていなければならない。例えば白い犬が走っているという事実を、〈白い〉という性質と〈一匹のあの犬〉という対象と〈走っている〉という動作という要素から構成されるものとして捉えている。こうした構成要素を取り出すことを「分節化」と言う。

【9】われわれはすでに分節化された世界に生きている。分節化されていない世界とは、いわば徹底的な抽象画の世界にも喩(たと)えられるだろう。そこでは、 C あらゆる対象の輪郭が失われ、それら対象がもっていた意味も消え去る。他方、われわれが生きている世界はそうではない。そんな世界。われわれは、〈あの犬は白い〉という事実から、〈あの犬〉という対象(あの犬)と性質(白い)を分節化し、あるいはまた〈机の上にパソコンがある〉という事実から、対象(その机、そのパソコン)と関係(・・・・の上に・・・・がある)を、事実を構成する要素として分節化している。性質と関係をあわせて「概念」と呼ぶことにしよう。われわれは世界をさまざまな対象とさまざまな概念に分節化して捉えている。

【10】かりに世界が分節化されていなかったなら、反事実的な思いも不可能となるだろう。犬が走っているという事実を前にして、その犬が逆立ちするという反事実的なことを考える。そのような思いが可能になるのも、〈その犬〉という対象と〈走る〉という概念が別々の要素として捉えられているからである。その犬はなるほどいまは走っている。しかし、走っている状態しかありえないのではなく、歩いていたり寝ていたり、あるいは逆立ちすることも、考えることができる。それは、〈その犬〉という対象を〈走る〉という概念以外の要素(〈歩く〉〈寝る〉〈逆立ちする〉等々)と組み合わせることが可能だということにほかならない。そのためには、〈その犬〉という対象と〈走る〉という概念は別々の構成要素として区別されていなければならない。つまり、論理空間を開くには、世界が対象と概念に分節化されていなければならないのである。

【11】ただし、ここでもう少しことがらを正確に捉えておきたい。いま述べたように、論理空間を開くには世界が分節化されていなければならないが、逆に、 D 世界が分節化されているためには論理空間が成立していなければならないのである。

【12】机の上のパソコンを考えてみよう。なるほどいまは机の上にあるが、可能性としてはそのパソコンはさまざまな場所にありうる。例えば床の上に置く。あるいは部屋の外に持ち出す。そこで、われわれが可能性を理解していないとしてみよう。そのとき、そのパソコンはその机の上にしかありえないものとなってしまうだろう。そのパソコンとその机が分離されることを、われわれは想像することさえできない。そうなってしまったら、それはつまり、そのパソコンと机は分離不可能(しかも論理的に分離不可能)ということであり、それはもはやさらなる要素に分解不可能な一つの対象ということになる。

【13】机の色についても同じように議論される。いまはその机は茶色だが、もしその机が茶色以外の色である可能性をわれわれが理解していないのだとすれば、その机は茶色でしかありえないことになる。そのとき、その机と茶色という色は論理的に分離不可能となり、それらを別々の要素として分節化して考えることは不可能である。

【14】さらにこの議論は、パソコンと机に対してだけではなく、机と床に対しても成り立つ。いまは机は床の上にあるが、われわれはそれが他の場所、例えば外の路上にあるといった反事実的な可能性も了解している。そこで、もしそのような反事実的はな了解がないのであれば、その机とその床は論理的に分離不可能となり、分節化されていないことになる。かくして、パソコンと机が癒着し、机と床が癒着し、床は建物と癒着し、建物は地面と癒着して、ついには宇宙全体が論理的に分離不可能となってしまうだろう。

【15】世界から対象と概念を分節化して捉えるためには、その対象と概念が他のさまざまな対象や概念と組み合わされる可能性が理解されていなければならないのである。したがって、世界が分節化されているためには論理空間が成立していなければならない。このことと、先に示した「論理空間が成立するためには世界が分節化されていなければならない」を併(あわ)せるならば、つまり、論理空間の成立と分節化された世界の成立は、どちらが先というものではなく、厳密に同時なのである。

【16】さらに、論理空間の成立のためには、それゆえまた分節化された世界の成立のためには、われわれは分節化された言語をもっていなければならない。

【17】言語にはさまざまな働きがあるが、その中の重要なものは、ものごとを表現するという働きである。例えば、「白い犬が走っている」という言葉は〈白い犬が走っている〉という事実を表現する。しかるべき場面で「あの犬」と言えば、それはある一匹の犬を表現する。あるいは「白い」という語はある範囲の色を表現している。逆に、ものごとを表現する働きをもったものはすべて「言語」と呼ぶことにしよう。われわれはふつう「言語」というと音声言語と文字言語だけを考えがちだが、言語の働きを持ったものはさらにさまざまにある。例えば種々の図案で表された標識なども言語であり、鉄道路線図も言語であり、設計図のような図面も、それが実際に作られるべきものを表現しているという意味では言語である。あるいはまた、飲食店に置かれてある食品サンプルも、実物の代用品という意味で言語と言えるだろう。

【18】もし、われわれの世界から、これら言語と称すべきものたちのいっさいがなくなったとしたら、どうだろう。私の考えでは、そのとき世界もまた未分節の状態になるしかない。そのことを示すために、「世界は分節化されているが、分節化された言語はもっていない」と仮定してみよう。( E 背理法の仮定)

【19】先ほど論じたように〈机の上にパソコンがある〉という事実が〈その机〉〈そのパソコン〉〈・・・・の上に・・・・がある〉という構成要素に分節化されているためには、それらの要素が〈机の上にパソコンがある〉と組み合わせ以外の組み合わせ、例えば〈パソコンの上に机がある〉といった組み合わせを作りうるのでなければならない。さもなければ、〈机の上にパソコンがある〉という事実はそれ以上分節化されないひとかたまりとなってしまうだろう。だが、いま、いっさいの言語がないと仮定している。〈その机〉や〈そのパソコン〉という対象、および〈・・・・の上に・・・・がある〉という概念を表現してくれる言葉がない。だとすれば、その対象や概念そのものを組み替えてみるしかない。つまり、実際にパソコンの上に机を置いてみるしかない。そんなことをしたらパソコンが壊れるだろうということは措(お)いておくとしても、根本的なことは、それはもはや現実のことであり、たんなる可能性ではないということである。

【20】やはり、どうしたって言語がなければならない。言語がなければいっさいは現物となる。そのとき、現物に対してさまざまな組み合わせを試してみたとしても、それらはすべて現実の事実になるしかない。それゆえ、反事実的な可能性を開くにはどうしても現物の代理物たる言語が必要なのである。われわれはそうした言葉をさまざまに組み合わせる。それがさまざまな可能性を表現する。最初に述べたが、可能性の世界なるものがどこかはどこか(心の中であれイデア的な世界にであれ)にあるわけではないということだ。言語もまた、現実の一部にほかならない。食品サンプルは心的な何ものかでもイデア的な何ものかでもなく塩化ビニールで作られており、音声言語は空気振動であり、文字言語は現実に書きだされたインクの染み等である。それゆえ、言葉を用いているときにも、われわれはけっしてこの現実世界の外に出て行っているわけではない。われわれは現実に生きるしかない。この現実の中で、空気振動やインクの染みや塩化ビニールの塊を適当に操りながら、さまざまな可能性を表現するのである。「白い犬が逆立ちして走り去る」という模様を紙上に描けば、それは白い犬が逆立ちして走り去っていく可能性を表現している。可能性とは、このように、言語が表現するものとしてのみ、成り立ちうる。それ以外に可能性の生存場所はない。

【21】可能性を開く言語は分節化されていなければならない。さもなければ、言語においてさまざまな組み合わせを試すことができないからである。「机の上にパソコンがある」という言語表現があり、それが「机」「パソコン」「・・・・の上に・・・・がある」という語句に分節化されているからこそ、インクの染みにおいて「パソコンの上に机がある」という組み合わせを試すことができる。そしてそれが〈パソコンの上に机がある〉という非現実の可能的な事実を表現する。われわれはこうして、そしてこのようにしてのみ、可能性を了解するのである。

【22】論理空間・分節化された世界・分節化された言語、これらはすべて厳密に同時に成立する。それゆえ、言語をもっていない動物は可能性の了解をもたず、分節化された世界にも生きていないことになる。


(野矢茂樹『語りえぬものを語る』)

 

ーーーーーーーー


(設問)


問1 Aについて、本文における「論理空間」についての説明として適切なものは以下のうちどれか。あてはまるものをすべて選べ。

 

①論理空間とは、現実化しなかった論理的可能性の総体のことである。

②われわれは現実の事実のみに基づいて論理空間の成立を了解している。

③論理空間には実際には起こらなかった非現実の可能的事実が含まれている。

④論理空間を了解するには、現実の事実を分節化できなければならない。

⑤人間が論理空間を了解できるのは人間が言語を持っているためである。

 

問2 Bについて、このように筆者が述べるのはなぜか。本文に即して50字以内で説明せよ。

 

問3 Cについて、ほぼ同様の内容を表現した部分を、C以降の本文から20字程度で抜き出せ。

 

問4 Dについて、このように筆者が考えるのはなぜか。本文に即して説明せよ。

 

問5 Eについて、筆者は「言語が存在しないと世界もまた未分節の状態になるしかない」ことを、背理法を用いてどのように示しているか、説明せよ。なお「背理法」とはある命題が真であることを証明するために、あえてその命題を偽と仮定して推論を進め、矛盾が導かれることを示す証明の方法である。

 

問6 本文において、筆者は「人間以外の動物は、後悔というものを為しえない」理由をどのように説明しているのか。筆者の論証過程に即して説明せよ。

 


ーーーーーーーー

 

(解説・解答)
問1

① 【4】段落 ひとつ用語を導入しておきたい。『論理哲学論考』においてウィトゲンシュタインは、可能な事実の総体をA「論理空間」と呼ぶ。そこには、現実に起こった事実と現実には起こらなかったけれど起こりえたという事実が含まれている

に反します。

 

② 【4】段落に反しています。

 

③ 【4】段落に合致しています。

 

④ 以下の段落に合致しています。

【7】段落 「私に与えられているものは現実の事実だけである。しかし私は現実を取り巻く可能性の総体たる論理空間を了解している。だとすれば、この現実を元手に、論理空間の了解が形成されるのでなければならない。それはどのようにしてか。

【8】段落 なによりもまず、世界が分節化されていなければならない。例えば白い犬が走っているという事実を、〈白い〉という性質と〈一匹のあの犬〉という対象と〈走っている〉という動作という要素から構成されるものとして捉えている。こうした構成要素を取り出すことを「分節化」と言う。

【9】段落 「われわれはすでに分節化された世界に生きている。分節化されていない世界とは、いわば徹底的な抽象画の世界にも喩(たと)えられるだろう。そこでは、C あらゆる対象の輪郭が失われ、それら対象がもっていた意味も消え去る。

【10】段落 「かりに世界が分節化されていなかったなら、反事実的な思いも不可能となるだろう。・・・・つまり、論理空間を開くには、世界が対象と概念に分節化されていなければならないのである。


⑤ 以下の段落に合致しています。

【16】段落 「論理空間の成立のためには、それゆえまた分節化された世界の成立のためには、われわれは分節化された言語をもっていなければならない 。」

【20】段落 「やはり、どうしたって言語がなければならない。言語がなければいっさいは現物となる。そのとき、現物に対してさまざまな組み合わせを試してみたとしても、それらはすべて現実の事実になるしかない。それゆえ、反事実的な可能性を開くにはどうしても現物の代理物たる言語が必要なのである。」

 

(解答)③・④・⑤

 

問2

 傍線部Bを含む段落を精読する必要があります。

 特に、赤字部分が重要です。

【6】段落 われわれが出会うのはすべて現実の世界である。B 可能性の世界などというものがどこかにあるわけではない。へたをすると「思考の世界」などというものを想定し、しかもそれを「心の中」に位置づけたりしたくなるかもしれない。だが、見まわしてほしい。部屋の中、あるいは窓の外。見えるのは現実に起こっているさまざまな事実である。「心の中」(実にいいかげんな言葉だと思うが、いまはそれには目をつぶって)を探ってみてもよい。軽く頭痛がする。それも現実に起こっている事実である。あれやこれや考えている。非現実的なことを考えているかもしれないが、そう考えていること、それは現実の事実である。文字を書きつける。声に出さずに語る。イメージを思い描く。あるいは脳がある状態になる。すべて、現実に起こっている事実にほかならない。

 

(解答)われわれが出会うのは全て現実の世界で、非現実的なことを考えても、それ自体が現実の世界であるから。(48字)

 

問3

 【9】段落と、【11】~【14】段落を対比するとよいでしょう。


【9】「われわれはすでに分節化された世界に生きている。分節化されていない世界とは、いわば徹底的な抽象画の世界にも喩(たと)えられるだろう。 そこでは、C あらゆる対象の輪郭が失われ、それら対象がもっていた意味も消え去る。」

 

↓対比してください。

 

【11】 「ただし、ここでもう少しことがらを正確に捉えておきたい。いま述べたように、論理空間を開くには世界が分節化されていなければならないが、逆に、世界が分節化されているためには論理空間が成立していなければならないのである。

【12】「机の上のパソコンを考えてみよう。なるほどいまは机の上にあるが、可能性としてはそのパソコンはさまざまな場所にありうる。例えば床の上に置く。あるいは部屋の外に持ち出す。そこで、われわれが可能性を理解していないとしてみよう。そのとき、そのパソコンはその机の上にしかありえないものとなってしまうだろう。そのパソコンとその机が分離されることを、われわれは想像することさえできない。そうなってしまったら、それはつまり、そのパソコンと机は分離不可能(しかも論理的に分離不可能)ということであり、それはもはやさらなる要素に分解不可能な一つの対象ということになる。」

【13】「机の色についても同じように議論される。いまはその机は茶色だが、もしその机が茶色以外の色である可能性をわれわれが理解していないのだとすれば、その机は茶色でしかありえないことになる。そのとき、その机と茶色という色は論理的に分離不可能となり、それらを別々の要素として分節化して考えることは不可能である。」

【14】「さらにこの議論は、パソコンと机に対してだけではなく、机と床に対しても成り立つ。いまは机は床の上にあるが、われわれはそれが他の場所、例えば外の路上にあるといった反事実的な可能性も了解している。そこで、もしそのような反事実的はな了解がないのであれば、その机とその床は論理的に分離不可能となり、分節化されていないことになる。かくして、パソコンと机が癒着し、机と床が癒着し、床は建物と癒着し、建物は地面と癒着して、ついには宇宙全体が論理的に分離不可能となってしまうだろう。」


(解答)宇宙全体が論理的に分離不可能となってしまう(21字)


問4

 【11】・【15】段落を精読してください。

【11】「ただし、ここでもう少しことがらを正確に捉えておきたい。いま述べたように、論理空間を開くには世界が分節化されていなければならないが、逆に、D 世界が分節化されているためには論理空間が成立していなければならないのである。

【15】「世界から対象と概念を分節化して捉えるためには、その対象と概念が他のさまざまな対象や概念と組み合わされる可能性が理解されていなければならないのである。したがって、世界が分節化されているためには論理空間が成立していなければならない。

 

(解答)
世界から対象と概念を分節化して捉えるためには、その対象と概念が他のさまざまな対象や概念と組み合わされる可能性が理解されていなければならから。
 

問5

 「背理法」とは、ある命題 Pを証明したいときに、P が偽であると仮定して、そこから矛盾を導くことにより、P が偽であるという仮定が誤り、つまり P は真であると結論付けることです。

 

 本設問を考えるについては、傍線部を含む段落と、直後の二つの段落を精読する必要があります。

【18】「もし、われわれの世界から、これら言語と称すべきものたちのいっさいがなくなったとしたら、どうだろう。私の考えでは、そのとき世界もまた未分節の状態になるしかない。そのことを示すために、「世界は分節化されているが、分節化された言語はもっていない」と仮定してみよう。E 背理法の仮定 )」

【19】「先ほど論じたように〈机の上にパソコンがある〉という事実が〈その机〉〈そのパソコン〉〈・・・・の上に・・・・がある〉という構成要素に分節化されているためには、それらの要素が〈机の上にパソコンがある〉と組み合わせ以外の組み合わせ、例えば〈パソコンの上に机がある〉といった組み合わせを作りうるのでなければならない。さもなければ、〈机の上にパソコンがある〉という事実はそれ以上分節化されないひとかたまりとなってしまうだろう。だが、いま、いっさいの言語がないと仮定している。〈その机〉や〈そのパソコン〉という対象、および〈・・・・の上に・・・・がある〉という概念を表現してくれる言葉がない。だとすれば、その対象や概念そのものを組み替えてみるしかない。つまり、実際にパソコンの上に机を置いてみるしかない。そんなことをしたらパソコンが壊れるだろうということは措(お)いておくとしても、根本的なことは、それはもはや現実のことであり、たんなる可能性ではないということである。

【20】「やはり、どうしたって言語がなければならない。言語がなければいっさいは現物となる。そのとき、現物に対してさまざまな組み合わせを試してみたとしても、それらはすべて現実の事実になるしかない。それゆえ、反事実的な可能性を開くにはどうしても現物の代理物たる言語が必要なのである。

 

 つまり、反事実的な可能性は成立不可能になるのです。

 それゆえ、反事実的な可能性を開くにはどうしても現物の代理物たる言語が必要なのです。

 

(解答)分節化された世界の成立には、対象や概念の非現実的なものを含めた組み合わせの可能性の総体を理解する必要があるが、言語がない場合、対象や概念の現物そのものを実際に組み替えるしかなくなり、非現実的な可能性は成り立たなくなる。

 

問6

 この設問は、要約問題です。

 本文のキーワードを使用するにしてください。

 

 以下の【3】段落と【22】段落(最終段落)を「核」として、全体をまとめるとよいでしょう。

【3】「後悔するということは、事実に反する思いを含んでいる。「ああすればよかった」というのは、そうしなかったという事実に反する思いであり、「あんなことしなければよかった」というのは、そんなことをしてしまったという事実に反する思いである。ならば、事実に反する思いをもつというのは、どのようにして可能になるのだろうか。」

【22】(最終段落)「論理空間・分節化された世界・分節化された言語、これらはすべて厳密に同時に成立する。それゆえ、言語をもっていない動物は可能性の了解をもたず、分節化された世界にも生きていないことになる。」

 

(解答) 後悔は、「ああすればよかった」という事実に反する思いを含む。後悔をするためには、別の論理的な可能性がそこになければならず、そのような論理的可能性の総体は「論理空間」と呼ばれる。「論理空間」が形成されるためには世界が分節化されていなければならず、分節化された世界を可能とするためには言語が必要である。動物は人間と違って言語を持たないため、猫は後悔できない。

 

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(3)野矢茂樹氏の紹介

 

野矢 茂樹(のや しげき、1954年9月15日)哲学者。立正大学文学部哲学科教授。東京大学名誉教授。東京都出身。

専攻は(分析哲学、言語哲学、他者論、行為論、ウィトゲンシュタイン研究)。大森荘蔵に師事。

ウィトゲンシュタインを中心に、クワイン、デイヴィッドソンなどもしばしば参照の対象とする。

平易な解説による哲学入門書や論理学入門書の執筆も多い。

2017年、『心という難問 空間・身体・意味』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。


【単著】

『論理学』東京大学出版会、1994年

『心と他者』勁草書房、1995年

『哲学の謎』講談社、1996年

『論理トレーニング』産業図書、1997年/新版、2006年『無限論の教室』、講談社、1998年

『哲学・航海日誌』、春秋社、1999

『はじめて考えるときのように』PHPエディターズ・グループ、2001年

『論理トレーニング 101題』産業図書、2001年

『論理哲学論考を読む』哲学書房、2002年/ちくま学芸文庫、2006年

『同一性・変化・時間』哲学書房、2002年

『ここにないもの』大和書房、2004年

『他者の声 実在の声』産業図書、2005年

『入門! 論理学』中公新書、2006年

『大森荘蔵』講談社、2007年

『語りえぬものを語る』講談社、2011年

『心という難問 空間・身体・意味』 講談社、2016年

『大人のための国語ゼミ』 山川出版社、2017年

 

 

大人のための国語ゼミ

大人のための国語ゼミ

 

 

心という難問 空間・身体・意味

心という難問 空間・身体・意味

 

 

 

【共著編集】

『「語りえぬもの」からの問いかけ 東大駒場「哲学・宗教・芸術」連続講義』 講談社、2002年

『はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内』 PHPエディターズグループ/PHP文庫で再刊、2004年

『ここにないもの-新哲学対話』 大和書房、2004年/中公文庫で再刊、2013年

『哲学ということ』第7巻、春秋社〈爆笑問題のニッポンの教養〉、2007年

『言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学』 中央公論新社、2013年

 

【訳書編集】 

F. ホイル・Ch. ウィクラマシンゲ 『宇宙からの生命』 青土社、1985年

S. B. コップ 『ブッダに会ったらブッダを殺せ』 青土社、1987年

ウィトゲンシュタイン 『ウィトゲンシュタインの講義-ケンブリッジ1932‐1935年』第2巻、勁草書房〈双書プロブレーマタ〉、1991年

ウィトゲンシュタイン(アリス・アンブローズ編) 『ウィトゲンシュタインの講義』 講談社学術文庫、2013年

ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』 岩波書店〈岩波文庫〉、2003年

 

【共訳書編集】

C. マッギン 『ウィトゲンシュタインの言語論 クリプキに抗して』 植木哲也・塚原典央訳、勁草書房、1990年

A. ウエストン 『ここからはじまる倫理』 高村夏輝・法野谷俊哉訳、春秋社、2004年

R. フォグリン 『理性はどうしたって綱渡りです』 塩谷賢・村上祐子訳、春秋社、2005年

 

 

(4)当ブログにおける「哲学」関連記事の紹介

 

 

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 今回の記事は、これで終わりです。

 次回の記事は、約1週間後です。 

 ご期待ください。

 

 

   

 

 

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