現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/消費社会・真の豊かさ

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 國分功一郎氏は、最近の入試頻出著者です。國分氏の論考は、最近、慶応大学(商学部)、中央大学、同志社大学、関西大学、獨協大学などの国語(現代文)・小論文で出題されています。
 従って、国語(現代文)・小論文対策として、國分功一郎の氏の論考・著書を読むことを、おすすめします。

 

「自分らしく生きるためには、ということ」
國分功一朗氏は、『暇と退屈の倫理学』の中で、この問いが「暇と退屈への対応問題」という「案外と重要な哲学的問題」であると主張しています。そして、この重大問題に、様々な哲学者の知見を引用しながら堂々と立ち向かっています。

 この本は人生を考えるために、丁寧に分かりやすく書かれ、しかも、切れ味のよい秀逸な哲学書です。

 高校生、受験生は、最低1冊は、國分功一郎氏の著書を読んでおくべきでしょう。

 

 そこで、今回の記事でも、最近の流行出典である、國分氏の『暇と退屈の倫理学』の頻出箇所を題材にして、予想問題(予想論点)を解説することにしました。

 

 今回の記事の項目は、以下のようになっています。

(2)予想問題/『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

(3) 『暇と退屈の倫理学』の構成

(4)國分功一郎氏の紹介・著書・訳書

(5)当ブログにおける「哲学」関連記事の紹介

(6)当ブログにおける「消費社会」関連記事の紹介 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

 (2)予想問題/『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

 

(問題文本文)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

 

【1】どんなにおいしい食事でも食べられる量は限られている。腹八分目という昔からの戒めを破って食べまくったとしても、食事はどこかで終わる。いつもいつも腹八分目で質素な食事というのはさびしい。やはりたまには豪勢な食事を腹一杯、十二分に食べたいものだ。これが浪費である。浪費は生活に豊かさをもたらす。そして、浪費はどこかでストップする。

【2】それに対して消費はストップしない。たとえばグルメブームなるものがあった。雑誌やテレビで、この店がおいしい、有名人が利用しているなどと宣伝される。人々はその店に殺到する。なぜ殺到するのかというと、だれかに「あの店に行ったよ」と言うためである。

【3】当然、宣伝はそれでは終わらない。次はまた別の店が紹介される。またその店に行かなければならない。「あの店に行ったよ」と口にしてしまった者は、「えぇぇ? この店行ったことないの? 知らないの?」と言われるのを嫌がるだろう。だから、紹介される店を延々と追い続けなければならない。

【4】これが消費である。消費者が受け取っているのは、食事という物ではない。その店に付与された観念や意味である。この消費行動において、店は完全に記号になっている。だから消費は終わらない。

【5】浪費と消費の違いは明確である。消費するとき、人は実際に目の前に出てきた物を受け取っているのではない。なぜモデルチェンジすれば物が売れて、モデルチェンジしないと物が売れないのかと言えば、人がモデルそのものを見ていないからである。「チェンジした」という観念だけを消費しているからである。

【6】ボードリヤールは消費される観念の例として「個性」に注目している。今日、広告は消費者の「個性」を煽(あお)り、消費者が消費によって「個性的」になることをもとめる。消費者は「個性的」でなければならないという強迫観念を抱く。

【7】問題はそこで追求されている「個性」がいったい何なのかがだれにも分からないということである。したがって、「個性」はけっして完成しない。つまり、消費によって「個性」を追いもとめるとき、人が満足に到達することがない。その意味で消費は常に失敗するように仕向けられている。失敗するというより、成功しない。あるいは、到達点がないにもかかわらず、どこかに到達することがもとめられる。こうして選択の自由が消費者に強制される。

【8】 消費社会を相対的に位置づけるために、それとは正反対の社会を紹介しよう。ボードリヤールも言及しているが、人類学者マーシャル・サーリンズは 「原初のあふれる社会」という仮説を提示している。これは現代の狩猟採集民の研究を通じて、石器時代の経済の「豊かさ」を論証したものである。

【9】 狩猟採集民はほとんど物をもたない。道具は貸し借りする。計画的に食料を貯蔵したり生産したりもしない。なくなったら採りにいく。無計画な生活である。

【10】彼らはしばしば、物をもたないから困窮していると言われる。そして、それは彼らの「未来に対する洞察力のなさ」こそが原因であると思われている。つまり、計画的に貯蔵したり生産したりする知恵がないために十分に物をもっていないとして、「文明人」たちから憐(あわ)れみの目で眺められている。

【11】しかし、これは実情から著しくかけ離れている。彼らはすこしも困窮していない。狩猟採集民は何ももたないから貧乏なのではなくて、むしろそれ故に自由である。きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは日々の必需品に関する心配からまったく免れており、生活を享受しているのである。

【12】また、彼らが未来に対する洞察力を欠き、貯蓄等の計画を知らないのは、知恵がないからではない。彼らのような生活では、単に未来を思い煩う必要がないのだ。 

【13】狩猟採集生活においては少ない労力で多くの物が手に入る。彼らは何らの経済的計画もせず、貯蔵もせず、すべてを一度に使い切る大変な浪費家である。だが、それは浪費することが許される経済的条件のなかに生きているからだ。

【14】 したがって狩猟採集民の社会は、一般に考えられているのとは反対に物があふれる豊かな社会である。彼らが食料調達のために働くのは、だいたい一日三時間から四時間だという。サーリンズは、農耕民に囲まれていたけれども農業の採用を拒否してきた、ある狩猟採集民のことを紹介している。なぜ彼らは農業の採用を拒んできたのか? 「そうなればもっとひどく働かねばならない」からだそうである。

【15】もちろん狩猟採集民を過度に理想化してはならない。狩猟採集民もうまく食料調達ができないことはあろうし、環境の変化によって容易に困窮に陥ることはあろう(しかし、農耕民の方がその可能性が高いとも言えるのだが・・・・)

【16】重要なのは、彼らの生活の豊かさが浪費と結びついているということである。彼らは贅沢な暮らしを営んでいる。これが重要である。ボードリヤールやサーリンズも言うように、浪費できる社会こそが「豊かな社会」である。将来への気づかいの欠如と浪費性は「真の豊かさのしるし」、贅沢のしるしに他ならない。

 

〔 3 〕


【17】消費社会はしばしば物があふれる社会であると言われる。物が過剰である、と。しかし、これはまったくのまちがいである。サーリンズを援用しつつボードリヤールも言っているように、現代の消費社会を特徴づけるのは物の過剰ではなくて稀少性である。消費社会では、物がありすぎるのではなくて、物がなさすぎるのだ。

【18】なぜかと言えば、商品が消費者の必要によってではなく、生産者の事情で供給されるからである。生産者が売りたいと思う物しか、市場に出回らないのである。消費社会とは物があふれる社会ではなく、物が足りない社会だ。

【19】そして消費社会は、そのわずかな物を記号に仕立て上げ、消費者が〔 ① 〕し続けるように仕向ける。消費社会は私たちを〔 ② 〕ではなくて〔 ③ 〕へと駆り立てる。消費社会としては〔 ④ 〕されては困るのだ。なぜなら〔 ⑤ 〕は満足をもたらしてしまうからだ。消費社会は、私たちが浪費家ではなくて消費者になって、絶えざる観念の〔 ⑥ 〕のゲームを続けることをもとめるのである。消費社会とは、人々が浪費するのを妨げる社会である。

【20】消費社会において、私たちはある意味で我慢させられている。浪費して満足したくても、そのような回路を閉じられている。しかも消費と浪費の区別などなかなか思いつかない。浪費するつもりが、いつのまにか消費のサイクルのなかに閉じ込められてしまう。

【21】この観点は極めて重要である。なぜならそれは、質素さの提唱とは違う仕方での消費社会批判を可能にするからである。

【22】しばしば、消費社会に対する批判は、つつましい質素な生活の推奨を伴う。「消費社会は物を浪費する」「人々は消費社会がもたらす贅沢になれてしまっている」「人々はガマンして質素に暮らさねばならない」。日本でもかつて「清貧の思想」というのが流行(はや)ったがまさしくこれだ。

【23】そうした「思想」は 根本的な勘違いにもとづいている。消費は贅沢などもたらさない。消費する際に人は物を受け取らないのだから、消費はむしろ贅沢を遠ざけている。消費は徹底して推し進めようとする消費社会は、私たちから浪費と贅沢を奪っている。

【24】しかも単にそれらを奪っているだけではない。いくら消費を続けても満足はもたらされないが、消費には限界がないから、それは延々と繰り返される。延々と繰り返されるのに、満足がもたらされないから、消費は次第に過激に、過剰になっていく。しかも過剰になればなるほど、満足の欠如が感じられるようになる。

【25】 これこそが、20世紀に登場した消費社会を特徴づける状態に他ならない。

【26 】消費社会を批判するためのスローガンを考えるとすれば、それは 「贅沢をさせろ」になるだろう。

(國分功一郎『暇と退屈の倫理学』による)

 

ーーーーーーーー

 

(設問)

問1  傍線部1「この消費行動において、店は完全に記号になっている」における「記号」は、どのような意味か。最適なものを、次の中から一つ選べ。

ア  個人にとって大切な印ということ

イ  他と区別するための便宜的なもの

ウ  宣伝の対象としての存在

エ  物の消費量を数値化する際に使用する算式の記号

オ  物のイメージ、意味、その魅力などの情報ということ

カ  関係を簡明に表示するもの 

キ  自分の意図を表現する行為

 

問2  傍線部2「原初のあふれる社会」の内容として不適切なものを、次の中から一つ選べ。

ア  狩猟採集民は、豊かさを知る社会に生きている。

イ  狩猟採集民は、観念的な消費生活を知らない。

ウ  狩猟採集民は、観念よりも物に即した生活をしている。

エ  狩猟採集民は、物質的には困窮生活をしていた。

オ  狩猟採集民は、贅沢を奪われてはいない。

カ  狩猟採集民は、浪費を自制していない生活をしている。

 

問3  空欄〔3〕には【17】~【26】段落の内容の「小見出し」が入る。「小見出し」として最適なものを、次の中から一つ選べ。

ア  物が過剰な社会

イ  物が不足している社会

ウ  消費を促進する社会

エ  消費を妨げる社会

オ  消費社会を批判する

カ  消費とは何か?

キ  人は何を消費するのか?

 

問4  空欄①~⑥には、「浪費」か「消費」が入る。「消費」が入るものを、すべて選べ。

 

問5  傍線部4「私たちはある意味で我慢させられている」とあるが、どのような意味で「我慢させられている」のか。最適なものを、次の中から一つ選べ。

ア  浪費しようとする気持ちを抑制されて、ごくわずかな物を入手するだけで満足するようになっているから。

イ  欲望が、たえずかきたてられるため、何かを思う存分、入手して満足したという気分を味わうことができないから。

ウ  欲望が、たえずかきたてられるため、何が自分の真の欲望かが分からなくなっているから。

エ  わずかしかないものに、世の中の人々が、殺到するようになってしまったので、満足できる人など存在しえないから。

オ  欲望が、たえずかきたてられるため、わずかしかないものに、世の中の人々が、殺到するようになってしまったから。

 

問6  傍線部5「根本的な勘違い」の内容として最適なものを、次の中から一つ選べ。

ア  商品が過剰に流通し過ぎている。

イ  消費と浪費の区別は明確である。

ウ  浪費は満足をもたらさない。

エ  消費社会は物を浪費する。

オ  消費には限界があるはずである。

 

問7  傍線部6「贅沢をさせろ」の意味として最適なものを、次の中から一つ選べ。

ア  質素な生活でも贅沢を感じる社会を取り戻すためには、雑誌やテレビなどから遠ざかる必要がある。

イ  浪費のできない社会では、真に豊かな生活を送っているという満足感は味わえない。

ウ  過激化する一方の欲望を満足させることができなければ、豊かな社会とは言えない。

エ  質素な生活でも贅沢を感じる社会を取り戻すためには、物質的な欲望を抑制する必要があるだろう。

オ  いつまでも消費し続けられる社会のためには、充分すぎるほどの商品が流通していなくてはならない。

 

問8  この文章の内容と合致しないものを、次の中から一つ選べ。

ア  ふだんは質素に暮らしていても、たまに浪費することができれば、その人の生活は豊かになる。

イ  狩猟採取民が農業にたずさわることを選択しないのは、彼らが既に豊かな社会を実現しているからである。

ウ  真に豊かな暮らしを送るためには、食料に困ることのないように計画的な生活を送ることが大切である。

エ  消費社会では、人々は欲しいと思う物を入手しても満足できず、常に欲望をかきたてられている。

オ  浪費は、どこかでストップするものである。

カ  消費の対象は物ではないと言えるのである。

キ  浪費できる社会が、真に豊かな社会と評価できるのであろう。

 

ーーーーーーー

 

(設問)

問1 (傍線部説明問題)

 直前の「これが消費である。消費者が受け取っているのは、食事という物ではない。その店に付与された観念や意味である。」に注目してください。

 「記号論」における「記号」は、かなり広い意味で使われます。「一定の意味を持つもの」のすべてが記号になります。衣服、制度、観念などの、すべてです。

(解答) オ


問2 (傍線部説明問題)

  【11】段落の 「しかし、これは実情から著しくかけ離れている。彼らはすこしも困窮していない。狩猟採集民は何ももたないから貧乏なのではなくて、むしろそれ故に自由である。きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは日々の必需品に関する心配からまったく免れており、生活を享受しているのである。」から、正解は明らかです。

 

 それにしても、かつての狩猟採取民は、羨ましい境遇に生きていたようです。自然との関係で様々な困難はあったでしょう。が、現代人のような、社会的・制度的な些末な膨大な心配には無縁で、自由であったことは確かなようです。 

 つい、現代生活のバカバカしさを感じてしまいます。
 貯蓄や、計画的生活などの虚しさを感じざるを得ないのです。

 特に、以下の【13】・【14】段落は、現代の文明人のプライドを吹き飛ばす痛快な内容になっています。

 かつて、「現代の1日8時間、週40時間労働は、人類史上稀に見る奴隷制度だ」という趣旨の歴史学の論考を読みましたが、そのことを思い出しました。

  

【13】段落「狩猟採集生活においては少ない労力で多くの物が手に入る。彼らは何らの経済的計画もせず、貯蔵もせず、すべてを一度に使い切る大変な浪費家である。だが、それは浪費することが許される経済的条件のなかに生きているからだ。」

【14】段落「したがって、狩猟採集民の社会は、一般に考えられているのとは反対に物があふれる豊かな社会である。彼らが食料調達のために働くのは、だいたい一日三時間から四時間だという。サーリンズは、農耕民に囲まれていたけれども農業の採用を拒否してきた、ある狩猟採集民のことを紹介している。なぜ彼らは農業の採用を拒んできたのか? 

そうなればもっとひどく働かねばならない』からだそうである。」

 

 なお、「石器時代の豊かさ」に関する【8】~【16】段落は衝撃的な、興味深い内容で、熟読・精読しないと、正確な理解は困難です。従って、入試頻出箇所になっているのです。

  

(解答) エ

 

問3 (空欄補充問題・「小見出し」選択問題)

 ポイントになる段落は、【20】・【21】段落です。以下に再掲します。

【20】段落 「消費社会において、私たちはある意味で我慢させられている。浪費して満足したくても、そのような回路を閉じられている。しかも消費と浪費の区別などなかなか思いつかない。浪費するつもりが、いつのまにか消費のサイクルのなかに閉じ込められてしまう。」

【21】段落 「この観点は極めて重要である。なぜならそれは、質素さの提唱とは違う仕方での消費社会批判を可能にするからである。」

 

(解答) エ

 

問4 (空欄補充問題)

 このような空欄が大量にある問題の場合には、すぐに答えようとはしないで、落ち着いて、まず、ヒント・ポイントになる文章を探すことが大切です。

 

 以下に、本文の注目するべき部分を赤字化して、再掲します。

【19】段落 「そして消費社会は、そのわずかな物を記号に仕立て上げ、消費者が〔 ① 〕し続けるように仕向ける。消費社会は私たちを〔 ② 〕ではなくて〔 ③ 〕へと駆り立てる。消費社会としては〔 ④ 〕されては困るのだ。なぜなら〔 ⑤ 〕は満足をもたらしてしまうからだ。消費社会は、私たちが浪費家ではなくて消費者になって、絶えざる観念の〔 ⑥→直前を読めば、ここには「消費」が入ることが容易に分かります。正解が明白な空欄から埋めていくべきです 〕のゲームを続けることをもとめるのである。消費社会とは、人々が浪費するのを妨げる社会である。」

【20】段落 「消費社会において、私たちはある意味で我慢させられている。浪費して満足したくても、そのような回路を閉じられている。しかも消費と浪費の区別などなかなか重いつかない。浪費するつもりが、いつのまにか消費のサイクルのなかに閉じ込められてしまう。」

 

(解答) ①・③・⑥

 

問5 (傍線部説明問題)

 【19】・【20】段落におけるポイントの部分を赤字化 して、以下に呈示します。

【19】段落 「そして消費社会は、そのわずかな物を記号に仕立て上げ、消費者が〔①=消費〕し続けるように仕向ける。消費社会は私たちを〔②=浪費〕ではなくて〔③=消費〕へと駆り立てる。消費社会としては〔④=浪費〕されては困るのだ。なぜなら〔⑤=浪費〕は満足をもたらしてしまうからだ。消費社会は、私たちが浪費家ではなくて消費者になって、絶えざる観念の〔⑥=消費〕のゲームを続けることをもとめるのである。消費社会とは、人々が浪費するのを妨げる社会である。」

【20】段落 「消費社会において、4  私たちはある意味で我慢させられている。 浪費して満足したくても、そのような回路を閉じられている。しかも消費と浪費の区別などなかなか重いつかない。浪費するつもりが、いつのまにか消費のサイクルのなかに閉じ込められてしまう。 」

 

 つまり、「私たちはある意味で我慢させられている」理由としては、「消費社会そのものの構造」、言い換えれば、「企業と広告業界等の策略(企業戦略)の存在」を指摘できればよいのです。

(解答) イ

 

問6 (傍線部説明問題)

 傍線部直前の「そうした『思想』」は、

直前段落 (【22】段落)の 「しばしば、消費社会に対する批判は、つつましい質素な生活の推奨を伴う。『消費社会は物を浪費する』『人々は消費社会がもたらす贅沢になれてしまっている』人々はガマンして質素に暮らさねばならない』」

をさしています。

 

 【22】・【23】段落は、切れ味のよい内容になっています。これからも、この部分がポイントになる設問が多く出題されることが予想されます。熟読・精読するべき段落です。

(解答) エ


問7 (傍線部説明問題)

 直前の「消費社会を批判するためのスローガンを考えるとすれば」に、注目する必要があります

 「浪費」と「消費」の区別を意識してください。本文のポイントになっています。

 問4と同趣旨の問題です。

(解答) イ


問8 (趣旨合致問題) 

 趣旨合致問題は、本文よりも設問から先に見ることにより、効率的に処理することが可能になります。


 「浪費」・「消費」の区別を意識してください。本文のポイントになっています。

  問4と同趣旨の問題です。

(解答) ウ

 

ーーーーーーーー

(出典)國分功一郎『暇と退屈の倫理学』「第4章 暇と退屈の疎外論ーー贅沢とは何か?」  の一節

 

(3) 『暇と退屈の倫理学』の構成

 『暇と退屈の倫理学』の「序章」の最後に,本書の構成について,著者・國分功一郎氏が簡潔にまとめているので、それを引用します。

 「最初の第一章では,暇と退屈というこの本の主題の出発点となる考えを練り上げる。暇と退屈がいかなる問題を構成しているのかが明らかにされるだろう。

 第二章から第四章までは主に歴史的な見地から暇と退屈の問題を扱っている。
 第二章はある人類学的な仮説をもとに有史以前について論じる。問題となるのは退屈の起源である。
 第三章は歴史上の暇と退屈を,主に経済史的な観点から検討し,暇が有していた逆説的な地位に注目しながら,暇だけでなく余暇にまで考察を広める。
 第四章では消費社会の問題を取り上げ,現代の暇と退屈を論じる。

 第五章から第七章では哲学的に暇と退屈の問題を扱う。
 第五章ではハイデッガーの退屈論を紹介する。
 第六章ではハイデッガーの退屈論を批判的に考察するためのヒントを生物学のなかに探っていく。
 第七章ではそこまでに得られた知見をもとに,実際に<暇と退屈の倫理学>を構想する。」

 

(当ブログによる解説)

 第四章以下では「消費と労働」、「疎外」について考察しています。
 つまり、現代人は、ある程度の「豊かさ」と「暇」を入手したが、その「暇な時間」に何をしたいのか、よく分からない人が多い。人類は他の動物と異なり、環世界を変幻自在に飛び回ることができる自由な存在であるために、退屈を嫌う。その点に企業・広告業界等が注目し、人々が余暇に行うであろう欲望の対象を用意し、広告宣伝等により誘導する。つまり、私たちの需要・欲求は、あらかじめ企業等の供給側によって支配されているという構造があるのです。
 これに対して、國分氏は、受動的で際限のない、虚しい「消費」を批判し、「真の豊かさ」としての「浪費」の意義を強調しています。
 そして、真の豊かな「浪費」を享受するために、浪費を味わえるようにする一定の訓練と、動物的「とりさらわれ」(→「熱中。集中」という意味)の重要性を主張するのです。

 

(4)國分功一郎氏の紹介・著書・訳書 

國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。

 

【著書】

『スピノザの方法』(みすず書房)、
『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社。のち増補新版、太田出版。第2回紀伊國屋じんぶん大賞受賞作)。
『哲学の自然』(中沢新一との共著、太田出版)、
『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、
『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、
『社会の抜け道』(古市憲寿との共著、小学館)、
『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)、
『統治新論──民主主義のマネジメント』(大竹弘二との共著、太田出版)、
『近代政治哲学――自然・主権・行政』(筑摩書房・ちくま新書)、
『民主主義を直感するために』(晶文社)、
『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院。第16回小林秀雄賞受賞作)など。


【訳書】

デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店)、
コールブルック『ジル・ドゥルーズ』(青土社)、
ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)、
オンフレ『ニーチェ』(ちくま学芸文庫)など。

 

【共訳】

デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』(岩波書店)、
フーコー『フーコー・コレクション4』(ちくま学芸文庫)、
ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房)などがある。

 

 (5)当ブログにおける哲学関連記事の紹介

 

 入試国語(現代文)・小論文においては、哲学の一定レベルの理解が不可欠です。積極的に取り組むようにしてください。

 

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(6)当ブログにおける「消費社会」関連記事の紹介

 

 消費社会の論点は、入試国語(現代文)・小論文の最重要論点です。ぜひ、参照してください。

 

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ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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