情報化社会・IT化社会/2018予想論点/体系的整理②
(1)はじめにー「2018直前特集/現代文・小論文予想論点/論点整理②/情報化社会・IT化社会・Web社会・インターネット社会」
(今回の記事の記述は太字にしました)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
当ブログは以下の基本的方針で作成しています。
以下に、当ブログの第1回記事の「開設の言葉」を引用します。
……………………………
(引用開始)
今現在の入試現代文・小論文の最新傾向として、注目するべきポイントとしては、2つの大きな柱があります。
【1】1つの柱は、「IT社会の光と影と闇」です。
この論点・テーマは、3・11東日本大震災の前から登場していたので、割と有名ですが、最近のスマホの爆発的な流行により、新たな論点・テーマが発生しています。
【2】 もう1つの柱は、「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」です。
「各方面」は、実に多方面にわたっています。
2016年の、センター試験や難関大学の現代文(国語)・小論文入試問題を、検討している現在も、この考えは変わってはいません。
(引用終了)
……………………………
(今回の記事の記述)
2017年度の入試国語(現代文)・小論文に出題された問題を概観しても、上記の傾向に変化はないようです。
私は、以上の「IT社会の光と影と闇」・「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」の2つの視点(入試頻出論点・流行論点)を重視して、最近の論考を読んでいます。そして、特に注目するべきものを、「予想出典」・「予想問題」として、週に1回のペースで当ブログで記事を発表しています。
2017年度も、その方針で、約50の記事を発表しました。
東日本大震災以後は、「IT社会の影と闇」に関連した良質な論考が多く発表されたこともあったので、今年の記事には、この論点について記事の割合が増加しました。
そこで、今回の記事では、難関大学国語(現代文)・小論文対策として、「IT社会の影と闇」に関連した良質な論考を題材にした「予想出典記事」・「予想問題記事」を紹介していきます。一部、2016年度に発表した記事も含みます。
今回の記事の項目は以下のようになっています。
(2)「消費社会」の牽引役としての「情報化社会」
(3)コミュニケーション能力の低下
(4)「電子情報・検索」の問題点ー「個人を殻に閉じ込める」・「反知性主義」ー「共同体を破壊する可能性」
(5)「フェイクニュース」・「ポスト真実」
(6)電子書籍
(7)「監視社会」/「自由」・「民主主義」に対する脅威
(8)人工知能
なお、「東日本大震災・関連記事」の「体系的・論点整理」については、以下の記事を、ご覧ください。
(2)「消費社会」の牽引役としての「情報化社会」
「(高度)情報化社会」と「(高度)消費社会」は車の両輪ですが、情報化社会は消費社会を促進している牽引役とも言うべき存在です。
このことを、入試頻出著者・國分功一郎氏は、2018年1月1日の朝日新聞で次のように明快に述べています。以下に概要を引用します。
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(引用開始)
「(國分功一郎氏は)いまや平成の日常となった、満員電車の風景を例に語り始めた。多くの人がぼうっとスマホを見ている。消費社会は私たちを終わることのない消費のゲームに投げ込み、もはや依存症に近い。平成にもたらされたのは、依存を利用して人々にお金を使わせる仕組みではないでしょうか」
暇は「自分で自分のすることを決められる自由」、
退屈は「満たされない状態」。
國分はそう整理し、「暇だからといって退屈するわけではない」と言う。
平成になってIT化が進んでも、人々は楽になるどころか逆に長時間、仕事に拘束される。仕事以外も誰かとつながり続けている。
自分が本当にしたいことは何なのか。心身が疲れてそれを考えられない。「楽しむには、自分と向き合う時間や訓練が必要なのです。人は楽しみ方を知らないと、暇、自由の中で退屈する。退屈がつらいから、スマホに貴重な時間を奪われる」
國分はユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを思い出したと言う。
「アーレントは『孤独と寂しさは違う』と言っています。孤独とは、私が自分自身と一緒にいること。自分と一緒にいられない人が寂しさを感じ、一緒にいてくれる他者を求める。だから、自己と対話できない。孤独にならなければ、人はものを考えられない。孤独こそ、現代社会で失われているものです」
(『朝日新聞』2018・1・1/平成とは/第一部 時代の転換/3幸福論/「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」)
(引用終了)
國分氏は、頻出著書・『暇と退屈の倫理学』のポイントのような、分かりやすいコメントを発言していて、かなりタメになります。
①予想問題「好きなこととは何か?」『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/2013同志社大過去問+予想問題
「好きなこととは何か?」は「情報化社会と消費社会の関係」を明快に解説しています。
上の記事のポイント部分を引用します。
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(引用開始)
(問題文本文)(概要です)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
【27】最近他界した経済学者ジョン・ガルブレイス[1908~2006]は、20世紀半ば、1958年に著した『豊かな社会』でこんなことを述べている。
【28】現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられて初めて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものが何であるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、19世紀の初めなら思いもよらぬことであったに違いない。
【46】アドルノとホルクハイマーが言っているのは、カントが当然と思っていたこのことが、いまや当然ではなくなったということだ。人間に期待されていた主体性は、人間によってではなく、産業によってあらかじめ準備されるようになった。産業は主体が何をどう受け取るのかを先取りし、受け取られ方の決められたものを主体に差し出している。
【47】「これが楽しいってことなのですよ」というイメージとともに、「楽しいもの」を提供する。たとえばテレビで、或る娯楽を「楽しむ」タレントの映像を流し、その次の日には、視聴者に金銭と時間を使ってもらって、その娯楽を「楽しんで」もらう。わたしたちはそうして自分の「好きなこと」を獲得し、お金と時間を使い、それを提供している産業が利益を得る。
【48】「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願いがあったかどうかも疑わしい。願いをかなえられる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好きなこと」を与えてもらっているのだから。
【49】ならば、どうしたらいいのだろうか?
【51】資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない。
【52】そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。(國分功一郎「『好きなこと』とは何か?」)
(引用終了)
②予想問題『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/消費社会・真の豊かさ
上の記事のポイント部分を引用します。
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(引用開始)
(問題文本文)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
【1】どんなにおいしい食事でも食べられる量は限られている。腹八分目という昔からの戒めを破って食べまくったとしても、食事はどこかで終わる。いつもいつも腹八分目で質素な食事というのはさびしい。やはりたまには豪勢な食事を腹一杯、十二分に食べたいものだ。これが浪費である。浪費は生活に豊かさをもたらす。そして、浪費はどこかでストップする。
【2】それに対して消費はストップしない。たとえばグルメブームなるものがあった。雑誌やテレビで、この店がおいしい、有名人が利用しているなどと宣伝される。人々はその店に殺到する。なぜ殺到するのかというと、だれかに「あの店に行ったよ」と言うためである。
【3】当然、宣伝はそれでは終わらない。次はまた別の店が紹介される。またその店に行かなければならない。「あの店に行ったよ」と口にしてしまった者は、「えぇぇ? この店行ったことないの? 知らないの?」と言われるのを嫌がるだろう。だから、紹介される店を延々と追い続けなければならない。
【4】これが消費である。消費者が受け取っているのは、食事という物ではない。その店に付与された観念や意味である。この消費行動において、店は完全に記号になっている。だから消費は終わらない。
【5】浪費と消費の違いは明確である。消費するとき、人は実際に目の前に出てきた物を受け取っているのではない。なぜモデルチェンジすれば物が売れて、モデルチェンジしないと物が売れないのかと言えば、人がモデルそのものを見ていないからである。「チェンジした」という観念だけを消費しているからである。
(出典・國分功一郎『暇と退屈の倫理学』「第4章 暇と退屈の疎外論ーー贅沢とは何か?」 の一節)
(引用終了)
③「消費社会と情報化社会」に関する、他の記事の紹介
(3)コミュニケーション能力の低下
①予想問題「極大化した不安 共に過ごす時間を」山際寿一・現代文明論
上の記事の冒頭部分を引用します。
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(引用開始)
①「『極大化した不安 共に過ごす時間を』・山極寿一・耕論・〈私たちはどこにいるのか〉2017・1・1朝日新聞」の解説
(概要です)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
【4】安心をつくり出すのは、相手と対面し、見つめ合いながら、状況を判断する「共感力」です。類人猿の対面コミュニケーションを継承したもので、協力したり、争ったり、慮(おもんぱか)ったりしながら、互いの思いをくみ取って信頼関係を築き、安心を得る。
【6】現代はどうでしょう。集団とのつながりを断ち、集団に属することで生じるしがらみや息苦しさを軽減する。次々にマンションが建ち、個人は快適で安全な環境を得ましたが、地域社会の人のつながりはどんどん薄れた。
【7】直近では、人々はソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティーを生み出しました。現実世界であまりにもコミュニティーと切り離された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかも知れません。でも、その集団は、150人の信頼空間より大方は小さく、いつ雲散霧消するかわからない。若者はますます、不安になっています。
(引用終了)
②2016年センター国語第1問解説『キャラ化する/される子どもたち』
上の記事のポイント部分を引用します。
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(引用開始)
(1)土井隆義氏の著書の出題状況(第1回の記事がテーマ・論点的中)
2016年センター試験国語第1問(現代文・評論文)に、最近の流行論点・テーマである「自己」「アイデンティティー」(「若者論」・「日本人論」・「日本文化論」・「現代文明論」・「現代文明批判」・「コミュニケーション論」)が、出題されました。
また、この問題は、「IT化社会」のテーマ・論点です。
このブログの第1回記事(「開設の言葉ー入試現代文の最新傾向ー重要な、気付きにくい2本の柱」)において記述した、「入試現代文の最新傾向」、つまり、「IT化社会の光と影と闇」が、出題されました。
テーマ・論点が的中しました。
(2)土井隆義氏の著書の、キーワード
土井氏は、上記の一連の著書において、
「人生は素質により、全て決定されると信じ込む若者」(一種の、新しい宿命主義)
「優しい関係」(摩擦・衝突を神経質に回避する傾向)
「子どもたちの過剰な承認願望」
「排除される不安を回避するためのスマホ依存」
「友だち関係を維持するためのイジメ」
という視点から、「現代の子どもたちの世界」を、鋭く、説得力豊かに分析しています。
(引用終了)
(4)「電子情報・検索」の問題点ー「個人を殻に閉じ込める」・「反知性主義」ー「共同体を破壊する可能性」
① 現代文(国語)・小論文問題解説『ビブリオバトル』(山崎正和)
上の記事のポイント部分を引用します。
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(引用開始)
(山崎氏の論考の概要)
「⑭ 人々が活字文化を疎んじ、電子情報の検索に頼って生きることは、単に文章力や思考力を弱めるだけでなく、個人を殻に閉じ込めて共同体を破壊することにつながる。
⑮ 私はその意味で、ビブリオバトルを義務教育に取り入れることを提案したい。文化的な階層社会を生むことは、ぜひ避けたいからである。」
(引用終了)
……………………………
「電子情報の検索に頼って生きることが文章力や思考力を弱めること」(→反知性主義化)については、2015年度センター試験に出題された佐々木氏の論考(『未知との遭遇』)が、とても参考になるので、ここで紹介します。
② 2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)『未知との遭遇』解説・IT化社会
上の記事の冒頭部分、ポイント部分を引用します。
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(引用開始)
(1)なぜ、この記事を書くのか?
2015年度センター試験国語(現代文・評論文)に出題された佐々木氏の論考(『未知との遭遇』)は、「IT化社会の問題点」、つまり、「歴史の崩壊」・「歴史意識の衰退」・「系譜学的(体系的)知の衰退」を鋭く指摘しています。この論点、言い換えれば、「反知性主義化」は、「IT化社会のマイナス面」・「IT化社会の影・闇」として、最近、問題化しています。佐々木氏の論考は、とても参考になるので、ここで紹介します。
(2)2015センター試験の解説
(問題文本文の概要)
(なお、[8]・[9]・[10]・・・・は、センター試験国語の問題文本文に付記されている段落番号です)
「[8] われわれは、ある事象の背後に「歴史」と呼ばれる時間があると考えるわけですが、ネット以後、そういった「歴史」を圧縮したり編集したりすることが、昔よりずっとやり易くなりました。時間軸を抜きにして、それを一個の「塊=マッス」として、丸ごと捉えることが可能になった。
[9] ただ、そのことによって、たとえば「体系的」という言葉の意味が、決定的に変わってしまった。しかし、「物語」としての「歴史」の記述/把握という営みは、少なからず行われてきたし、今も行われている。過去から現在を経て未来へと流 れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして「物語」を要求してくる。「物語」とは、因果性の別名です。
[10] しかしネット以後、このような一種の系譜学的な知よりも、「歴史」全体を「塊」のように捉える 、いわばホーリスティック(→問題文本文に付記されている注→「全体的、包括的」)な考え方がメインになってきたのではないかと思うのです。これはある意味では「歴史」の崩壊でもあります。」
(引用終了)
……………………………
③『考えないヒト』正高信男・IT化社会・コミュニケーション能力低下
上の記事の冒頭部分を引用します。
……………………………
(引用開始)
(1)なぜ、この記事を書くのか?
携帯電話、スマホなどへの過度の依存により、言語運用能力・思考力の衰退、反知性主義などの退化的現象が現代日本に顕著になっている、という意見が強まっています。
そこで、「携帯電話」と「人間のサル化(退化)」の関係を鋭く指摘している、入試頻出著者・正高信男氏の論考が、再び流行・頻出出典となる可能性が高まっているので、今回は、この記事を書くことにしました。
(引用終了)
(5)「フェイクニュース」・「ポスト真実」
①予想問題「広がる『ポスト真実』」神里達博〈月刊安心新聞〉朝日新聞
上の記事の冒頭部分を引用します。
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(引用開始)
(1)なぜ、この記事を書くのか?
最近、世界的に、政治の局面で「ポスト真実」ということが、重大なキーワードになっています。そこで、今回は、この最新キーワードについての解説記事を、
「広がる『ポスト真実』事実の軽視 まるで中世」(2017年2月17日朝日新聞「月刊安心新聞」千葉大教授・神里達博)、
をベースにして、書くことにしました。
今回の記事は、以下の項目を解説します。
〇 「ポスト真実」の定義・内容
〇 「ポスト真実」の訳語、意味を考える
〇 「フェイクニュース」の意味・内容
〇 「代替的事実(オルタナティブファクト)」の意味・内容
〇 「バズワード」の意味・内容
〇 「ポケモンGO現象=現実軽視の風潮=感想社会・感情社会」について
〇 「ボスト真実」の問題点
〇 「ポスト真実」に対する対策論
(3)当ブログにおける「トランプ現象」に関する記事の紹介
● 「ポスト真実」の定義・内容
オックスフォード出版局が、2016年に最も注目された言葉として挙げたのが「Post・truth (ポストトゥルース)(ポスト真実)」でした。
これは客観的な事実よりも、人々の感情や主観の方が、世論の形成に大きな役割を果たす政治状況のことを意味しています。
反事実的内容のツイートを連発したトランプ候補の予想外の当選、英国の欧州連合(EU) 離脱決定の基盤には、このような政治状況も考えられるというのです。
この「ポスト真実」は、Web社会の拡大化により、注目されるようになった最新・重要論点です。
● 「フェイクニュース」の意味・内容
「フェイクニュース」の現状については、「選挙とフェイクニュース ~揺れるヨーロッパ~アメリカ大統領戦の際に大きな注目を集めた『フェイクニュース』」 (2017年4月26日・NHKクローズアップ現代)のWeb上の説明が、明解な解説をしています。以下に引用します。
「『フェイクニュース』(→「フェイクニュース(Fake News)」とは、虚偽の情報でつくられたニュースを意味しています。具体的には、主にネット上で発信・拡散されるウソの記事を指します)が、いま、ヨーロッパを席巻している。今月23日に第1回投票が行われたフランス大統領選挙では、有力候補のマクロン氏など複数の候補を中傷するフェイクニュースが次々と拡散し、陣営は対応を迫られた。 」
……………
(当ブログによる解説)
日本とは違って、欧米では、「フェイクニュース」が、政治的に、かなり問題になっているようです。この問題は、民主主義の根幹に関連する重大な問題と言えます。日本でも、いずれ問題化することでしょう。
(引用終了)
②「メディアリテラシー」内田樹
以上の「フェイクニュース」に対応するためには、「メディアリテラシー」が必要になりますが、この点について、内田樹氏は、以下のように述べています。
……………………………
(概要です)
アメリカ大統領選挙ではネット上に大量の偽情報が飛び交った。
これについて「ネット情報の信頼性を損なった」という批判をしても始まらないと私は思う。ネット情報は所詮は「その程度のもの」である。
いま肝に銘ずべきことは、「私たちひとりひとりがメディアリテラシーを高めてゆかないと、この世界はいずれ致命的な仕方で損なわれるリスクがある」ということである。そのことをもっと恐れたほうがいい。
メディアリテラシーというのは流れてくる情報のいちいちについてその真偽を判定できるほど豊かな知識を備えていることではない。(→「メディアリテラシー」→一般的には「情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」・「情報を批判的に読み取る能力」という意味)
そんなことは不可能である。自分の専門以外のほとんどすべてのことについて、私たちはその真偽を判定できるほどの知識を持っていない。だから、私たちに求められているのは「自分の知らないことについてその真偽を判定できる能力」なのである。そんなことできるはずがないと思う人がいるかもしれない。
けれども、私たちはふだん無意識的にその能力を行使している。知らないことについて知性は真偽を判定できない。けれども、私たちの身体はそれが「深く骨身にしみてくることば」であるか「表層を滑ってゆくことば」であるかを自然に聞きわけている。
(内田樹・『AERA』2017年1月16日号)
(6)電子書籍
上の記事のポイントを引用します。
……………………………
(引用開始)
(3)予想問題・内田樹氏の論考「活字中毒患者は電子書籍で本を読むのか?」-明治大学(全学部統一入試問題の一部抜粋)
問題 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
【2】 紙の本はなくならない。というか、紙の本という確固とした基盤ぬきには、そもそも電子書籍というものは存立することができないというのが私の結論である。理由を以下に述べる。
【3】電子書籍の第一の難点は「どこを読んでいるかわからない」ことである。
【4】電子書籍は、紙の本を読んでいる状態を疑似的には経験できる。だが、残り何頁であるかがわからない。
【5】自分が全体のどの部分を読んでいるかを鳥瞰的に絶えず点検することは読書する場合に必須の作業である。というのは、それによって、その文章の解釈可能性に大きな差異が生じるからである。
【12】第二の難点は、電子書籍では「宿命的な出会い」が起こらないということである
【13】その本の予備知識がないにもかかわらず、その本の死活的重要性が先駆的にわかるということはなぜ起きるのであろう。説明は二つある。
(引用終了)
(7)「監視社会」/「自由」・「民主主義」に対する脅威
①「予想問題・「である」ことと「する」こと②・『日本の思想』丸山真男②」
上の記事のポイント部分を引用します。
……………………………
(引用開始)
「監視社会」も、「自由」との関係で、最近の流行論点・テーマになっています。
「監視社会」に関する論考として、最新で、鋭い考察のなされている、頻出著者の古東哲明氏の論考(概要)を、以下に紹介します。
「電子光学技術(人工衛星・情報収集技術網)による「パナプティコン(一望監視システム)」(→当ブログによる注→中央の監視塔からは牢獄を監視できるが、牢獄からは監視塔の様子が分からないような一望監視システムのために、囚人は常に直接的に監視されている気分になり、遂には、その気分が日常化してしまうという趣旨)追い打ちをかける。世界規模での「警察化(監視化)」が進行する。世界全体が「一大監房」と化する。自由を奪われ「拘禁」されているという閉塞感情が瀰漫(びまん)(→当ブログによる注→「はびこる。広がる」という意味)する。〈今ここ〉で生きているこのリアルな空間や光景を喪失することを通じ、抑圧的で不自由な生存を獲得する。」(古東哲明『瞬間を生きる哲学』)
(引用終了)
上の記事に関連する下の記事も、ぜひ参照してください。
②予想問題ー共謀罪と監視社会ー自由・人権・民主主義を守るためには
上の記事の冒頭部分を以下に引用します。
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(引用開始)
(1)なぜ、この記事を書くのか?
現在、最近成立した共謀罪(テロ等準備罪)の様々な問題性を指摘する論考が、数多く発表されています。
入試対策上、それぞれの論考に目を通すことも重要です。
しかし、このような場合には、個々の専門的・技術的な論点よりも、「自由・人権・民主主義の価値」、「脆さ・弱さを内在している『自由・人権・民主主義』をいかに確保するか」、という論点が出題されることが多いのです。
そこで、入試現代文(国語)・小論文対策として、これらの論点を以下に解説していきます。
(2)共謀罪(テロ等準備罪)の問題性ー「監視社会」の可能性、萎縮効果
「共謀罪(テロ等準備罪)ー賛成説・反対説のそれぞれの理由」については、前回の記事で解説しましたので、ぜひ参照してください。
「共謀罪(テロ等準備罪)の問題性」に関しては、以下の点が主張されています。
実際に、どのようになっていくか、については、これからの政府の運用実態、歴史の推移を注視していく必要があるでしょう。
① 「監視社会」化の可能性
② 萎縮効果ー活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねない
③ 萎縮効果の具体例ー政府の方針に科学的観点から反対することが抑圧される可能性がある
(引用終了)
(8)人工知能
①「人工知能②ー身体性・自我・倫理問題ー現代文・小論文予想論点」
「人工知能の進化」に関しては、「無制限とする説」と、「限界があるとする説」に分かれているようです。
国語(現代文)・小論文対策としては、それぞれの説について知っておくことが必要です。
まず、下の記事を紹介します。
上の記事の重要部分である「シンギュラリティ」について、引用します。
ーーーーーーーー
(引用開始)
シンギュラリティ(技術的特異点)
(→「シンギュラリティ(Singularity)」とは、「人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事。人類が人工知能と融合し、人類の進化が特異点(成長曲線が無限大になる点)に到達すること」という意味)
という言葉をキーワードにして、「2045年までにAIが人類を超える」とする見解が、最近の様々な月刊誌の「人工知能特集」・新刊本で目立ちます。
軍事技術への転用、人工知能の暴走への不安もあります。
(引用終了)
………………………………
以上に対して、人工知能の進化には限界があるとする意見もあります。以下に紹介します。
②新井紀子氏の見解
……………………………
(引用開始)
「AIと生きる」 新井紀子氏
(『朝日新聞』2016・11・9(耕論)「AIと生きる」新井紀子)
「AIの実力とはどれほどなのか、そして私たちはどう備えたら良いのか」
「推論力磨いて使いこなせ」
新井紀子氏(国立情報学研究所教授。1962年生まれ。専門は遠隔教育(システム開発、教育)、数理論理学。著書に『コンピュータが仕事を奪う』『AIvs教科書が読めない子どもたち 』『ほんとうにいいの? デジタル教科書』など)
AIプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」の「東ロボくん」は、高校3年生の上位2割程度の実力です。でも、東大合格は無理。今後も不可能でしょう。5年育て、AIにできることと、できないことがあるのがわかりました。
東ロボくんは膨大に覚え、傾向を捉えるのは得意です。教科書などで「織田信長」と「楽市楽座」はいつも一緒に出てくることがわかり、選択肢の問題なら正答できる。
しかし、「市の日はどんな天気だと人々は喜んだでしょう」と聞かれたら答えられない。教科書やウィキペディアには書いてないからです。
東ロボくんに限らず、どのAIも、基本的に言葉のパターンを見て、統計的に妥当そうな答えを返しているにすぎません。言葉の意味を理解しているわけではないのです。
にもかかわらず、東ロボくんの相対的な成績が良いのはなぜなのか。疑問に思った私たちは、中高校生が教科書をどう読み、どこまで理解できているのかを調査しました。すると、中学生の約2割は教科書の文章の主語と目的語が何かという基礎的読解ができておらず、約5割は内容を読み取れていませんでした。子どもたちもAIのように、意味を理解せず、キーワードを上手に覚えているだけなのかもしれません
効率良い暗記より、意味を深く理解でき、推論できる教育こそが、AI時代の学校や家庭で必要です。自らの実体験に基づいて想像力を働かせ、未知の世界をより深くイメージできる力です。
たとえば、何時間もアリの巣を観察する。子どもたちは、アリの様子を眺めるうち、自らの集団生活の経験も踏まえ、「役割分担」というのはこういうことなんだ、とストンと胸に落ちる。現実世界と「役割分担」という言葉がつながるのです。この実体験に基づいた論理的な推論力がないと、AIを超えることはできません。
③岡田暁生氏の見解
岡田暁生氏(音楽学者。京都大学教授。著書に『クラシック音楽とは何か』『メロドラマ・オペラのヒロインたち』など)も同様に、「人工知能の限界」を以下のように述べています。
……………………………
(『毎日新聞』2017・1・16日夕刊)
「AIはモーツァルトになれますか」ーー岡田氏は最近、よく、このような質問をされるという。
「モーツァルト風の曲が作れるか」という意味なら「イエス」、「モーツァルト並みの曲が書けるか」なら「ノー」と答えるそうです。
どんな大作曲家の曲にも、独特のパターンがあるから、AIは、パターンなどデータの集積と組み合わせによって「モーツァルトらしい曲」に仕上げることはできる。
しかし、パターンそのものを生み出し、人々の心を打つ名曲を作ることは、偉大な作曲家、つまり人間にしかできない、と岡田さんは強調しています。(『毎日新聞』2017・1・16・夕刊)
また、岡田氏は、「人工知能はモーツァルトを超えられるか?」(『世界思想』 44号 2017春 ― 特集・人工知能)においても、人工知能には限界があると述べています。
「見出し」は、以下のようになっています。
「人工知能が作る音楽は従来の作曲の延長」
「『芸術』への位置は遠い」
「人間の感性が人工知能並みに低下する恐怖」
そして、論考の最終部分で以下のように述べています。
「モーツァルトの交響曲に拍手喝采を送った二百数十年前の聴衆のような闊達なコミュニケーションは、今日の人間にはもはや不可能になっているのではないかとすら思う。」
「人工知能が人間並みの能力を持つことよりも、人間の知能が人工知能並みに低下してしまうことの方が、私にはよほど怖い。ただしその兆しはもう既に現れ始めているような気がする。」
④「人工知能」に関する、他の記事の紹介
以下の記事は、いずれも、「人工知能」と「人間の本質」の「関係」を考察しています。
ぜひ、参考にしてください。
ーーーーーーーー
今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
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- 作者: 斎藤隆
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