現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題「極大化した不安 共に過ごす時間を」山際寿一・現代文明論

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 以下に紹介する山際寿一氏の論考(「極大化した不安 共に過ごす時間を」・耕論・〈私たちはどこにいるのか〉2017・1・1朝日新聞」)の一節、

「土地とも人とも切り離され、社会の中で個人が孤立している時代です。人類はどうやって安心を得たのか、生身の体に戻って確かめるために、霊長類学(→当ブログによる注→「文化人類学の一分野」)が必要とされているのでしょう」

は、私の心に響きました。

 最近では、文化人類学者、霊長類学者の、著作がかなり人気になっているようです。

 そして、長い間、文化人類学者、霊長類学者の論考は、入試頻出です。具体的には、青木 保、梅棹 忠夫、川田 順造、多田 道太郎、中根 千枝、波平 恵美子、正高 信男、山口 昌男、吉田 憲司、山際 寿一などの各氏の論考が、難関大学の入試現代文(国語)・小論文に頻出です。

 「人間とは何か」を考える際には、文化人類学の視点は重要であり、不可欠とさえ言えます。

 文化人類学者・霊長類学者のこれらの論考を熟読・精読することは、入試に役立つ上に、自分の人生の糧になります。

 最近、入試頻出著者である山際寿一氏の、上記の素晴らしい論考が発表されたので、今回は、この論考を、山際氏の他の著作等を引用しながら解説することにしました。

 

「サル化」する人間社会 (知のトレッキング叢書)

 

 

(2)「『極大化した不安 共に過ごす時間を』・山極寿一・耕論・〈私たちはどこにいるのか〉2017・1・1朝日新聞」の解説

 

(太字が山極寿一氏の論考です)

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(青字は当ブログによる「注」です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

【1】安心が消え、不安が極大化した時代。私はいまを、そうとらえています。

【2】人類の進化の歴史を振り返ってみましょう。アフリカでチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたのは700万年前。大型肉食獣に襲われる恐れのない樹上空間があり、実り豊かな熱帯雨林の中でした。450万年前頃からサバンナ(→「サバンナ」とは明瞭な雨季・乾季をもつ、熱帯・亜熱帯地方にみられる低木が点在する草原。雨季にはイネ科の高い草が茂る)へ進出した。霊長類ヒト科の中でヒトだけが世界中に散らばるきっかけです。サバンナは逃げ場がなく、さぞ不安だったでしょう。

【3】狩猟具を持ったのは50万年前、大きな獲物を協力して狩るようになったのは20万年前です。人類の歴史のほとんどは、肉食獣から逃げ隠れし、集団で安全を守り合う時間でした。安全イコール安心です。だから人間の体の奥底には、互いに協力しないと安心は得られないことが刻み込まれ、社会性の根深い基礎になっています。安心は決して一人では得られません。」

 

ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 「人類の歴史のほとんどは、肉食獣から逃げ隠れし、集団で安全を守り合う時間でした。

 の一文は、この論考の、最初のポイントになっています。

 この文については、『ヒトは食べられて進化した』 (ドナ・ハート著、ロバート・W・サスマン著、伊藤伸子訳・化学同人)が参考になります。

 本書には、

 「熱帯雨森を出て、サバンナ(草原)で生きる暮らすようになった初期人類は肉食獣に襲われ餌食にされた。肉体的に非力なヒトは、何とか生きのびるために知能と言語を発達させるしかなかった」

という記述があります。

 かなり、衝撃的な内容ですが、弱肉強食という自然界の掟の中で生きることの厳しさが、よく分かります。

 

 次に、「人間の体の奥底には、互いに協力しないと安心は得られないことが刻み込まれ、社会性の根深い基礎になっています。安心は決して一人では得られません。 」

については、山際氏の『人類進化論』に、より詳しい説明があります。

 以下に引用します。

「世界中の狩猟採取民を調査した人類学の結果から、狩猟採取民の社会は極めて平等であり、群れの内のメンバーは相互に助け合い、自己を犠牲にしても他のメンバーを仲間として助ける行動規範・社会規範が強いことが確認されている。そうでなければ生き残れなかったのが、狩猟採取生産段階の現実だった。助け合いルールが生活にインプットされていた。」 (『人類進化論』)

 

(当ブログによる解説)

 このことは、私たち人類の遠い祖先の話です。私たちの人類は、自己の生存のために、「助け合いルール」を不可欠のものとしていたのです。この点からみると、自己、アイデンティティ、自己主張、自己実現、個性尊重などは、副次的なものであることは、明白でしょう。生存が確保されて、初めて、これらの副次的なものは問題になるからです。このことを、現代の日本社会は誤解しているようです。反知性主義の蔓延、幼児化現象の蔓延と言えるでしょう。

 

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(山極寿一氏の論考)

【4】安心をつくり出すのは、相手と対面し、見つめ合いながら、状況を判断する「共感力」です。類人猿の対面コミュニケーションを継承したもので、協力したり、争ったり、慮(おもんぱか)ったりしながら、互いの思いをくみ取って信頼関係を築き、安心を得る。

【5】脳の大きさは、組織する集団の人数に比例します。構成人数が多いほど高まる社会的複雑性に、脳が対応しました。現代人と同じ脳の大きさになったのは60万年前で、集団は150人程度に増えていました。言葉を得たのは7万年前ですから、言葉なしに構築した信頼空間です。日頃言葉を駆使し、人間関係を左右していると思うのは、大きな間違いです。

 

 ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 「言葉を得たのは7万年前ですから、言葉なしに構築した信頼空間です。日頃言葉を駆使し、人間関係を左右していると思うのは、大きな間違いです。 」

については、山際氏は、『季刊・考える人』 (2015年冬号・新潮社)の中で以下のように、さらに詳しく述べています。

「  家族やコミュニィを支えてきたのは、言葉ではなかった。言葉以前のコミュニケーションによる付き合い方だったと思います。そして、それは、今でも、同じなのです。人間関係については、だんだんと視覚を使うコミュニケーションが減って、逆に、遠距離間のコミュニケーション、相手の顔が見えないコミュニケーションがふえてきた。もう一つ言えば、視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚の五感のうち、触覚を使ったコミュニケーションは、人間のコミュニケーションのなかで非常に重要だった。だが、そういう接触を頻繁に使ったコミュニケーションも薄れてきました。もともと、人間は会うことでお互いの信頼関係を高め、維持してきたわけですが、今はそのことそのものが省略されるようになっている。食事もそう。昔は長い時間をかけて食事の準備をし、そして長い時間をかけて、みんなで楽しく語らいながら食べるものでした。家族の団欒というのは、必ず食事の席にあったのです。」(『季刊・考える人』)

 

 そして、「家族の崩壊」について、山際氏は、『家族進化論』の中で、

「霊長類の集団でのコミュニケーションの基本は、歌と身振りであり、人間でもそれは言葉以上に信頼や安心をもたらす効果を持つ。今、家族の崩壊が見られるのは、この対面でしか成立しないコミュニケーションが希薄になっているからだ」(『家族進化論』)

と主張しています。

 

 私(斎藤隆)は、卓見だと思います。

 IT化が進行している現代社会においてこそ、「対面でしか成立しないコミニュケーション」の再評価・見直しをしていくべきでしょう。

    

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(山極寿一氏の論考)

【6】現代はどうでしょう。集団とのつながりを断ち、集団に属することで生じるしがらみや息苦しさを軽減する。次々にマンションが建ち、個人は快適で安全な環境を得ましたが、地域社会の人のつながりはどんどん薄れた。

 

 ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 上記の論考に関連して、山際氏は、『「サル化」する人間社会』の中で、以下のように、人間社会における「極端な個人主義化」を、「人間のサル化」と同視しています。

 「ゴリラの社会には上下関係や「負け」がない。喧嘩をしても敗者を作らない。誰も負けない状態で問題を解決する。誰も勝たない、誰も負けない、ということは、優劣をつけず、全員が対等であるというルールがあるからです 

 一方、サルは個人の利益優先の序列社会で、平等とは無縁です。自分より強いサルの前では、決して食べ物に手を出さない。食べているところを見られると、優位なサルに食べ物を取られてしまう。食べる時は分散し、互いに目が合わないようにします。サル社会では、相手の目を見ることは威嚇をあらわすことになります。従って、サル社会は食べ物を分かち合うことは出来ない。サルは群れてはいるが、所属する集団に愛着を持たないのです。

 人間が勝負にこだわり、個人の利益ばかりを追求し、家族や共同体に愛着を持たないようになれば、それはゴリラ社会よりもサル社会に近くなったことになります。スマホ・テレビで気分転換をして、一人暮らしが良いとなると、家族や共同体への愛着は消えて行くでしょう。」(『「サル化」する人間社会』)

 

(当ブログによる解説)

 この、「ゴリラ的社会→サル的社会」の変化という視点は、説得力があります。

 確かに、現代社会は、ある意味で非人間的な、「個人の利益優先の序列社会」になりつつあるようです。

 「グローバル化」は、まさに、そういう方向への変化です。

 「個人の利益優先の序列社会」は、特に、東京、大阪のような大都会で、顕著に見られる現象です。

 

 ちなみに、本書の主張は、『「サル化」する人間社会』 というタイトルに明示されています。著者によれば、家族が解体が進行し、個人主義的傾向が強くなっている現代文明において、ヒトの社会は「サル化」の傾向が顕著です。そして、このような現代社会においては、優劣を基準とした序列社会化が進み、平等の価値、信頼関係の価値が低下する可能性が高いと予測しているのです。このような人類の危機的未来に対して、著者は本書を通し、疑念を提示しているのです。

 

 ーーーーーーーー

 

(山極寿一氏の論考)

【7】直近では、人々はソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティーを生み出しました。現実世界であまりにもコミュニティーと切り離された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかも知れません。でも、その集団は、150人の信頼空間より大方は小さく、いつ雲散霧消するかわからない。若者はますます、不安になっています。

 

 ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

    上記の論考に関連して、山際氏は、『「サル化」する人間社会』の中で、「IT化社会の問題点」を鋭く指摘しています。

 以下に引用します。

「  IT化によって、対面的なコミュニケーションが失われかけていることは、人間社会に大きな影響を与えます。人間の脳が許容できる集団の最大の人数は150人程度であり、これをマジックナンバーと言います。この程度の人数なら、人間はそれぞれの顔と性格を覚えていられます。 しかし、フェイスブックでは友達の数が400人、500人という人も珍しくはありません。若い世代ほど友達の数は増え、1000人、2000人とつながっている人もいます。果たして、それを人間は受け止めることができるのだろうか?  私には疑問です。」(『「サル化」する人間社会』)

 

 上記においては、山際氏は、現代の情報化社会、IT化社会の中では、真の「信頼関係」の構築は無理ではないのか、と主張しているのです。

  

 「信頼関係を作るには、視覚や接触によるコミニュケーションに勝るものはない」

 ことについては、山際氏は『「サル化」する人間社会』の中で、以下のような主旨の内容を述べています。

「人間は、生身の体をなかなか乗り越えられないものです。生物学的な体と生物学的な心が常に基盤にあり、昔からその部分はあまり変化していま せん。現在はインターネットが隆盛し、生身ではないコミュニケーション に傾いていますが、どこかで自然回帰的な動きが生じてくるだろうと思います。

 SNSを通して、ボランティアや会食の場がセッティングされたり、あるいはセミナーのような行事が開かれたりしているのは、直接顔を合わせることの重要度を感じている人が増えていることの表れではないでしょうか。」(『「サル化」する人間社会』)

 

(当ブログによる解説)

 上記の「直接顔を合わせることの重要度」については、確かに、最近は再評価されているようです。例えば、マドンナなどの欧米の歌手達が、最近は、ライブのコンサートに力を入れ始めているようです。

 

  ーーーーーーーー

 

(山極寿一氏の論考) 

【8】クリスマスを一人で過ごす若者の中に「一生懸命働いた自分へのご褒美 」に、自分に高級レストランを予約する人もいると聞いて考え込んでしまいます。人間は他人から規定される存在です。褒められることで安心するのであって、自分で自分を褒めるという精神構造をずっと持たなかった。それがいま、少なからぬ人々の共感を呼んでいる。やはり人間関係が基礎部分から崩れていると感じます。

 

  ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

  「自分へのご褒美」は、「承認欲求」の論点に関連しています。

  「承認欲求」、つまり「他者による『自己のアイデンティティの承認』」については、当ブログで最近、解説しました(→「予想問題ー労働観・自己・『人はなぜ働かなくてはなりないのか』小浜逸郎 」)

 その記事のポイントを再掲します。

 

 ………………………………

 

 「人間が自分のアイデンティティを承認されるためには、労働が必須条件、言い換えれば、必要条件だ」と言うことです。

 「労働」は、賃金を得るためだけのものではないのです。

 自分の、人間としての「アイデンティティ」を他者に承認してもらうために、あるのです。

 逆に言えば、自分の「アイデンティティ」を、他者に承認され、尊重されるためには、自分の労働を丁寧に遂行する必要がある、ということになります。

(再掲終了)

 

 ………………………………

 

 (当ブログによる解説)

 また、鷲田清一も、『「聴く」ことの力』の中で、「他者による自己承認の価値」を力説しています。

 この点については、最近の当ブログの記事(→「予想問題『じぶん  この不思議な存在』鷲田清一・ 他者の他者としての自分」) で発表したので、以下に再掲します。

  

………………………………

 

「  だれかに触れられているということ、だれかに見つめられていること、だれかからことばを向けられているということ、これらのまぎれもなく現実的なものの体験のなかで、その他者のはたらきかえの対象として自己を感受するなかではじめて、いいかえると『他者の他者』としてじぶんを体験するなかではじめて、その存在をあたえられるような次元というものが、<わたし>にはある。<わたし>の固有性は、ここではみずからあたえうるものではなく、他者によって見出されるものとしてある。」 

「  『わたし』、という(一般的な、社会的な)言葉を使うときわたしという存在はすでに集団の中に消えていく。『わたし』が『わたし』を見つけられるのは、『他者から他者として見られたときだけ』である。」(『「聴く」ことの力』)

(再掲終了)

 

 ………………………………

 

(当ブログによる解説)

 要するに、「他者の他者として自己」と「他者」の「関係」は、「自他の補完性」、あるいは、「自己と他者の関係性」とみることができます。

 

 「自分へのご褒美」が、いかに奇妙で歪んでいるものか、は以上の論考を熟読すれば、よく分かると思います。

 「人間は他人から規定される存在です。褒められることで安心するのであって、自分で自分を褒めるという構造をずっと持たなかった。

と、山際氏が述べるのは、当然のことなのです。

 

 なお、小浜逸郎氏も鷲田清一氏も、トップレベルの入試頻出著者です。上記の論考も、よく理解しておいてください。下に、リンク画像を貼っておきます。

 

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  ーーーーーーーー

 

(山極寿一氏の論考)

【9】土地とも人とも切り離され、社会の中で個人が孤立している時代です。人類はどうやって安心を得たのか、生身の体に戻って確かめるために、霊長類学が必要とされているのでしょう。

【10】大気汚染や原発事故など、安全と安心を与えてくれると期待された科学技術への信頼は低下しました。一方で遺伝子を組み換えて食料の生産性を上げ、AI(人工知能)は人間の思考力を早晩上回るという。自ら開発したものを制御できるのか、「人間はこのままでいられるか」という、壮大な不安のただ中にいる。しかも、その不安を解消する手段を持ちません。

【11】ビジネスも、不安をあおり立てることで成り立っています。保険や防犯システムに限りません。「ファッションが流行遅れかも」といった、他人から下に見られるかもしれない、社会の負け組になるかもしれないといった不安を、企業はあの手この手で刺激し、解消策を商売のタネにする。

【12】種々の不安は大きくなり続け、とどまることがない。「不安の極大化」とは、そういう意味です。

 

 ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 「種々の不安」については、上記の山際氏の指摘したもの以外に、さらに多くものが挙げられるでしょう。

 具体的には、地球環境問題、大地震、自然の脅威、デフレ経済の悪化、現代資本経済の崩壊、国家財政の破綻の不安、高齢化社会、国防問題、福島原発事故などです。

 もっとも、いつの時代にも、不安はあったはずです。情報化社会により、マイナス情報が氾濫しているために、「不安が極大化」している側面もあるのでしょう。

 それにしても、確かに、各個人にとって、現代は、かつてないほどの「不安の極大化」している時代と言えるのです。

 

 なお、「霊長類学の定義」について、ここで解説します。

 霊長類学は、ヒト以外の霊長類を対象とした学際分野のことです。ヒトは、霊長類の一種です。したがって、種々の霊長類を調べることは「人間とは何か」という問いに迫ることでもあります。霊長類学の研究は、動物行動学、生態学、遺伝学、心理学、文化研究、社会学などと方法論を一致しています。しかし、研究手法について特に決まったやり方があるわけではないようです。霊長類学の研究は薬理的、外科的実験を伴う解剖学的研究、野生状態での行動や生態に及びます。霊長類学は、人類の進化の理解に多大な貢献をもたらしています。日本では、モンキーセンター (愛知県犬山) や,京都大学付属・霊長類研究所が創設されるにつれて,霊長類学は、最近急速に発展しています。

 

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(山極寿一氏の論考)

【13】人々が信頼をつむぎ、安心を得るために必要なのはただ一つ。ともに時間を過ごすことです。その時間は「目的的」(→目的的とは「目的のために、目的に沿った」という意味)であってはなりません。

【14】目的的とは「価値を得られるように過ごす」こと。いまは短時間でより多く価値を増やすことが求められますが、安心を得るのに必要なのは、見返りを求めず、ただともに過ごすこと。互いに相手に時間を捧げる。赤ちゃんに対するお母さんの時間がよい例です。

【15】昨今は同窓会ブームだそうですが、長い時間をともにした同級生となら、顔を合わせるだけで信頼関係を取り戻せる。心の底に安心できない自分がいる裏返しです。

【16】類人猿にはない、人類の進化の謎の一つに「プラトニックラブ」があります。子を残せないから生物学的にはムダなのに、熱い情熱と長い時間を注ぐのは、思い合うことが信頼や安心をもたらしてくれるから。人間は、一人ではどうにも生きられない存在なのです。

 

  ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説) 

 「人間は一人では生きられない存在」

に関連して、山際氏は、2014年9月28日の『東京新聞』で以下のように述べています。

 味わい深い文章です。ぜひ、じっくり読んでみてください。

「人間がサルと違うのは、社会や集団のために何かしたいと思えること。そこに自分が加わっている幸福感が、いろんな行動に駆り立ててきたんです。サルは自分の利益を最大化するために集団をつくります。今は人間も自分の利益を増やしてくれる仲間を選び、それができなくなったら仲間はいらない、となっています。人間とゴリラは五感がほとんど変わりません。そういう五感を中心につくられる社会には、それほど大きな差はないと思います。ゴリラの群れは十頭前後で、これを共鳴集団というんですが、人間でも家族やスポーツチームがこれにあたります。仲間の癖、性格を心得ているから、試合に出れば、声はかけるけれど言葉は交わさない。何を求めているか、目配せでわかる。われわれは家族や、家族のように親しく接している人との共鳴集団があることで安らぎや幸福感を得ていると思います。

 

   ーーーーーーー

 

(山極寿一氏の論考)

【17】グローバル化で社会が均一化すると、逆に人々の価値観は多様化する方向へ向かいます。個人が複数の価値観を備え、自分が属する複数の集団でそれぞれのアイデンティティーを持つようになります。そうした時代には、五感をフル出動させた人間関係のつくり方がさらに重要になるでしょう。

 

   ーーーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

 「グローバル人材育成」について、山極氏は、『京大式 おもろい勉強法』(朝日新書)の中で、以下のように述べています。

 グローバル化、高度消費社会、IT 化社会、マスメディアなどに翻弄されている、私たち社会人にも参考になる見解だと思います。

「モノにしても、人にしても、交流は多岐にわたっている。昔に比べたら、考えられないほどの勢いで、多様な物が私たちの目の前を通り過ぎています。つまり、多様なものを認めつつ、自分というものをきちんと持っていないといけない時代をすでに迎えていると言えます。私は、それこそが重要なグローバル人材の素養だと思います。多様なものの存在を認めつつ、それを自分にうまく合わせつつ、なおかつ自分を失わずにいることができる人間。こういう素地は対話力のなかから鍛えられます。いろいろな人と会い、同調しながらも、自分が信じている、あるいは自分の身にまとっている教養をきちんと表現できる。そのためには、自らのアイデンティティをしっかり持つこと(→自己確立、アイデンティティ確立)です。

「グローバル人材とは、みんなにおもろいやんと言わせる人です。柔軟に他者を受け入れつつ、自己を鍛えて表現する。まわりを『おもろい』と思わせ、人を動かす対人力を身につけることが必要ではないか。」(『京大式おもろい勉強法』)

 

京大式 おもろい勉強法 (朝日新書)

京大式 おもろい勉強法 (朝日新書)

 

 

 

 以下は、当ブログにおける「文化人類学」・「霊長類学」関連記事、「IT化社会のマイナス面」・「IT化社会の影・闇」関連記事の紹介(リンク画像)です。

 「文化人類学」・「霊長類学」、「IT化社会のマイナス面」・「IT化社会の影・闇」は、いずれも、最近の流行・頻出論点です。

 

(3)当ブログにおける「文化人類学」・「霊長類学」関連記事の紹介

 

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(4)当ブログにおける「IT化社会のマイナス面」・「IT化社会の影・闇」関連記事の紹介

  

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(5) 山際寿一氏の紹介

 

山極寿一(ヤマギワ  ジュイチ) 1952年、東京都生まれ。霊長類学・人類学者。京都大学総長。京都大学理学部卒、京大大学院博士課程単位取得退学、理学博士。人類進化を研究テーマに、ゴリラを主たる研究対象にして人類の起源をさぐる。ルワンダ・カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンターのリサーチフェロー、京大霊長類研究所助手、京大大学院理学研究科助教授をへて同教授。2014年10月から総長。

日本アフリカ学会理事、中央環境審議会委員、日本学術会議会員、国立大学協会副会長。

 

【著書】

『森の巨人』(歩書房・1983年)

『ゴリラ   森に輝く白銀の背』(平凡社・1984年)

『ゴリラとヒトの間』(講談社現代新書・1993年)

『ゴリラの森に暮らす  アフリカの豊かな自然と知恵』(NTT出版・1996年)

『父という余分なもの  サルに探る文明の起源』(新書館・1997年・のち新潮文庫)

『ゴリラ雑学ノート 「森の巨人」の知られざる素顔』(ダイヤモンド社・1998年)

『ゴリラ』(東京大学出版会・2005年)

『暴力はどこからきたか   人間性の起源を探る』(日本放送出版協会・NHKブックス・2007年)

『家族進化論』(東京大学出版会・2012年)

『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル・知のトレッキング叢書・2014年)

『ゴリラが胸をたたくわけ』(福音館書店・たくさんのふしぎ傑作集・2015年)

『京大式おもろい勉強法』(朝日新書・2015年)

『現代思想 2017年3月臨時増刊号  総特集◎人類学の時代  ムック』(共著・青土社・2017年)

『現代思想 2017年6月号 特集=変貌する人類史  ムック』 (共著・青土社・2017年)

『都市と野生の思考 』(共著・集英社インターナショナル インターナショナル新書・2017年)

 

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今回の記事は、これで終わります。

次回の記事は、約1週間後の予定です。

ご期待ください。

  

   

 

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「サル化」する人間社会 (知のトレッキング叢書)

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人類進化論 霊長類学からの展開

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朝日新聞デジタル

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