現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題「人工知能の開発・その先の不老不死人間の問題点」山崎正和

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 今回の記事は、トップレベルの入試頻出著者である山崎正和氏の論考、「人工知能の開発ー『薔薇色』実は深刻な問題 不死が生む  傲慢な世界」(〈地球を読む〉2017・2・26『読売新聞』)の解説です。

 

 今回の山崎正和氏の論考は、「人工知能の近未来の問題」を哲学的・根源的にかなり深く掘り下げて検討しています。
 人間以上の判断力と創造力を持った人工知能、それを利用した、もはや人間とは言えないような不老不死の「非生物的人間」が開発されたら、どのような問題が発生するか、についての哲学的・皮肉的な思考実験と言えるでしょう。

 相変わらず、切れ味抜群です。山崎氏は健在です。

 今回の論考は、山崎氏独自の皮肉、逆説のレトリックが駆使され、読み応えがあります。

 広く深く、視点が転換する演劇的な構成が、実に絶妙です。

 この練りに練った至高の論考は、近いうちに、難関大学の現代文(国語)・小論文に出題される可能性が極めて高いと思われます。

 予想出典、予想問題、予想論点として、注目するべきです。

 しかも、「人工知能」は最近の流行論点・頻出論点です。

 最近でも、2016東大現代文・一橋大現代文で本文ズバリ的中、2017センター試験国語・東大現代文などで論点的中させた私のセンサーが強く反応しています。(→的中報告記事のリンク画像を、下に貼っておきます。)
 そこで、現代文(国語)・小論文対策として、今回の記事を書くことにしました。

 

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 今回の論考は、まず、「最新の人工知能はただのコンピュータとは違い、自発的な判断力や感情まで備え、人間と同等か、それ以上の精神活動を行う能力を秘めている」(【2】段落)ことを前提にしています。

 そして、さらに人工知能が進化して、自発的な判断力や感情まで備え、人間と同等か、それ以上の精神活動を行う能力を獲得したら、どのような問題が発生するか、

 さらに、人工知能を利用して、人間の不老不死が実現したら、どのような問題が発生するかを哲学的・皮肉的に考察した思考実験です。

 しかし、最終段落の「  言うまでもなく、人工知能の技術は有用、不可欠である。だがそれを研究し論ずる人はもっと足を地につけたほうがよい。早い話が完全自動運転の車の開発に各社が狂奔しているなかで、老人運転車がアクセルとブレーキを踏み誤るといった、現存の技術で対応できる事故を防ぐ車がまだ普及していないのである」という記述を読むと、山崎氏は、人工知能が最終的に「自発的な判断力や感情まで備え、人間と同等か、それ以上の精神活動を行う能力」を獲得する可能性は極めて低いと考えているようです。

 

 「『 創造的 』な仕事を含むすべての仕事をロボットが行い、全人類が余暇を楽しむ夢のような社会」(【7】段落)、

 「人工知能を利用して個人として永遠に生きる、不老不死の『非生物的人間』の創造」(【12】段落)の実現可能性は、極めて低いということになります。

 

 

舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

 

(2)「人工知能の開発ー『薔薇色』実は深刻な問題 不死が生む  傲慢な世界」(山崎正和〈地球を読む〉2017・2・26『読売新聞』)の解説

 

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)


【1】このところマスコミを騒がせている最大の話題の一つは「人工知能」だろう。人工知能(AI)と、それをロボットに載せるテクノロジーの知能化、あらゆる物をインターネットで結ぶ(IoT)は蒸気機関の発明、電力エネルギーの導入、コンピューターの応用についで、「第4次産業革命」を起こすだろうといわれる。

(→近未来の、日本の急激な人口減少社会、少子化社会を意識しています)

 

【2】最新の人工知能はただのコンピュータとは違い、自発的な判断力や感情まで備え、人間と同等か、それ以上の精神活動を行う能力を秘めている。工場労働をはじめとして、介護や医療の分野人間の代りができるから、これで労働力不足の心配はなくなるという声がある。ある推計によれば、肉体労働、事務労働の8割が人工知能に委ねられると予想されるという。


【3】これを聞いて朗報と受け取る人が多い。未来学者は勿論、TVタレントでさえ「薔薇色」の時代が来たと囃(はや)し立てるありさまである。だが、すでに思慮深い少数派が指摘しているように、この薔薇色の背後には失業と転職という深刻な問題が潜んでいる。

(→「仕事から解放されるということ」は、「収入ゼロ」になるということです。このことの重大性を社会は、もっと意識するべきです)

 

【4】楽観論者は事態を軽く見て、事務や肉体労働の従事者は「創造的」な仕事に転職すればよいという。だが本人がその気になっても中年の事務職員がデザイナーや科学研究者へ転職することが可能だろうか。恐ろしい時間と努力が必要だが、その間の生活費と研修費用を誰が負担するのか。しかも、楽観論者は職業観に偏見があって、事務職員が仕事を愛し、それまで生きがいを覚えて働いてきた事実を忘れている。

(→つまり、生きがいを喪失する人々が大量に発生するということが、どういう事態に繋がるか、という想像力が欠けているのです。費用の問題も重大ですが、精神を病む人間の大量発生が予想されます。軽視できないことです。早めの対策が必要になるでしょう。)

  

【5】また考えれば脅威はさらに重大であって、人工知能が究極まで進化すれば、人類の100%が失業する可能性もないとはいえない。「創造的」な仕事もロボットがすることになれば、人類は完全に自由になるが、しかし完全に無収入にもなる。そうなれば消費は皆無になるから、ロボットの従事する生産も無意味になってしまう。どうしても無人企業が生み出す収益を適切に分配し、余暇を楽しむ全人類を生活させる一種の共産主義(→完全なる「ユートピア社会」と言えるでしょう。市民が労働から解放された、古代ギリシアのポリス社会を連想してしまいます。)が必要となる。

 

【6】ところが従来の共産主義が夢に過ぎず、その過程の社会主義的分配が強権と官僚主義を招くことを、人類はすでに学んでしまった。この弊を避ける知恵を現在の人類は持たないから、ここでも新しい深遠な英知を将来の人工知能に期待するほかはあるまい

 (→この部分では、山崎氏は人工知能に対して、かなりの敬意を表しています。しかし、この敬意が本心なのか、強烈な皮肉なのか、は問題になるところです)

 

【7】創造的 」な仕事を含むすべての仕事をロボットが行い、全人類が余暇を楽しむ夢のような社会は、果たして実現可能だろうか。その場合、ロボットが生み出した収益の配分も人工知能に頼ることになる。要するに平等や公正といった価値観も人工知能に育ててもらうわけだ。

 (→この部分でも直前の【6】段落と同様に、、山崎氏は人工知能に対して、かなりの敬意を表しています。しかし、この敬意が本心からのものなのか、はかなり疑問です。直後の【8】段落から、このことは明らかでしょう。詳しい説明は、【8】段落でします。)

  

 【8】いくら人工知能に自由に考えてもらうといっても、その思考の出発点となる資料は現代の人類が入れるほかなく、入れる内容は現代の価値観しかないという現実がある。人工とはいえ、知能は知能だから無から考えから始めるわけにはいかず、必ず思想史上の過去に縛られ、助けも受ける。(→人工知能の限界です。機械に、「機械自体の限界」があるのは、考えてみれば、当然のことです。そして、この限界は、「致命的限界」とも言えそうです。すなわち、人工知能は、あくまで「知能だから無から考えから始めるわけにはいかず、必ず思想史上の過去に縛られ」るのです。そうであれば、「従来の共産主義の弊を避ける知恵を持たない」(【6】段落)現在の人類の価値観を、思考の出発点とする人工知能に、「新しい深遠な英知」(【6】段落)の創造を期待するのは無理なことでしょう。従って、【6】・【7】段落における、「人工知能への敬意」は「皮肉的表現」ということになります。)

が、そうなると問題は一段と次元を異にする困難を露呈するだろう。

 

【9】その縛りが21世紀前半の価値観であり、現時点までの思想の伝統であるとすれば、これは現代が未来を制約し、歴史を凍結することを意味する。

 
【10】もちろん生きた人間も歴史の制約を受ける存在であり、どんな個人も幼少期に植えつけられた価値観を信じ、若干の修整を加えながらも終生、それを引きずって生きてゆく。しかし反面、人間には死という冷厳な宿命があって、この断絶のおかげで人類全体は歴史の変化に順応することができる。特定の時代の価値観がいかに頑固であっても、それを信奉する世代が死ねば、のちの歴史は格別の争いを起こすことなく自然に変わっていける。

 

【11】もはや念を押すまでもないが、人工知能にはこの死という断絶がなく、一時代の価値観を根底に抱いたまま永遠に生きるということが問題なのである。

(→人工知能が不死だとすると、知的部分を人工知能にかなり依存している人類全体が、「歴史の変化」に対応できなくなるということになります。)

ちなみに人工知能の讃美者には不老不死を憧れる人が多く、むしろ逆に不老不死を実現するために人工知能を求める論者が目立つ。 

(→「人工知能開発の最終目的」の一つが「不老不死の実現」とは、興味深い指摘だと思います。「不老不死の実現」を真剣に考えている科学者が、実際に数多く存在していることが、驚きです。)

 

【12】前に本欄でも紹介したレイ・カーツワイルが典型的だが、彼の『不連続点は近い』(邦訳『ポスト・ヒューマン誕生』)もこの夢を論じて、そのために「非生物的人間」の創造を主張していた。方法は二つある。いずれにせよ、造られた非生物的人間は個人として永遠に生きるわけで、世代交代もなくなり歴史は凍結状態に入ることになる。

 (→【14】・【15】段落からすると、「非生物的人間」の「不老不死」ということ自体が、「価値の文明史の発展」を阻害するのです。「非生物的人間」は惰性的な因習の中で、ただ生存を継続させているだけなのです。退屈の極致の中で生きるだけです。つまり、「不老不死」を熱望することは、ある意味で、人間自体の「利益・幸福」には、必ずしも繋がらないということになるのです。)

 

【13】語るに落ちる笑い話だが、カーツワイルは迂闊(うかつ)にも自分の非生物的分身を造るにあたって、消化器官は要らないが皮膚は残したいと洩(も)らしている。 後者は性の快楽に必要だからというのだが、わかるのは彼が食欲より性欲に価値を感じているという事実だろう。ここでは未来の価値観が現代の制約を受けるどころか、危うく一人の男の私的な価値観によって決定されようとしているといえる。 

(→ここでも、痛烈な皮肉的表現が躍動しています❗ 揶揄(やゆ)的表現とも言えそうです。ただ、科学の進歩の方向は、一人の、あるいは、少人数の科学者の私的価値観により決定されるということは、確かに、あるでしょう。これは、考えてみれば、非常に怖いことです。特に、現代のように、「科学の社会に対する影響」が絶大なことを考慮すると、このことは重大な問題を含んでいると言えるのです。『「科学の進歩」と民主的コントロール』の論点は、現在では、人類の存続に関係するほどの重大性を有しているのです。人工知能の開発についても、民主的コントロールが必要なことは、勿論です。この『「科学の進歩」と民主的コントロール』の論点は、2017年度のセンター試験、東大現代文(国語)に、出題されています。上のリンク画像を、ぜひ、ご覧ください。山崎氏は、直接的には、この論点には言及していませんが、間接的に、皮肉的に、言及していると見てよいと思います。)

 

【14】振り返って人類の歴史を見れば、そもそも価値の文明史はその内部に個人の死と世代交代を含み、伝承の流れに随時の断絶があればこそ発展してきた。断絶なくただ続くのは惰性的な因習であって、

(→「不老不死の非生物的人間達」の作る「歴史」は、単なる「惰性」であり、もはや、真の文化伝統は発生しなくなると、言っているのです。逆に言えば、「不老不死の非生物的人間達」が、世界を支配した時から、これまでの人間の歴史の発展は、停止してしまうのでしょう。)

真の文化伝統は過去と現在の緊張した対決を内に孕(はら)む。

 

【15】文化伝統には古典と呼ばれる今はなき価値があり、時間を隔てた継承者がそれを懸命に習得することで蘇(よみがえ)る。この死と蘇生のリズムが文明史を造り、その根底には生物的人間の生のリズムがあった。(→ここは重要なポイントです。「生物的人間の生と死」、「世代交代」が文明の発展の根底にある、ということです。)

それを失った非生物的な文明はどんな姿を見せるのだろうか。

 

【16】たぶん死の恐怖のない個人は傲慢になり、知的能力を無限に拡張しながら、他の非生物的個人と競争を重ね、しばしば抗争を繰り返すだろう。その人数も無限に増えるはずだから、資源と環境の制約が解決されても、その居場所は宇宙まで溢れるだろう。

(→実に壮大なスケールな話です。この文の映像的効果は見事です。)

 

【17】だが忘れてはならないのは、数千億光年のこの宇宙にも法則があり、それは無数の星を生んでは滅ぼす生命的リズムだということである。

(→「非生物的人間」の完全な、つまり、「無限の不老不死」は、あり得ないということを言っているのでしょう。)


【18】言うまでもなく、人工知能の技術は有用、不可欠である。だが、それを研究し、それについて論ずる人はもっと足を地につけたほうがよい。早い話が完全自動運転の車の開発に各社が狂奔しているなかで、老人運転車がアクセルとブレーキを踏み誤るといった、現存の技術で対応できる事故を防ぐ車がまだ普及していないのである。

(→大どんでん返しです。見事なものです。さすがに、現代の一流の脚本家でもある山崎氏の皮肉は、このうえもなく強烈です。つまり、こういうことです。直前まで、「人工知能を利用した不老不死の非生物的人間が宇宙にまで進出する可能性」を示唆していたのに、つまり、「スケールの巨大な夢物語・ユートピアが実現する可能性」を示唆していたのに、ここでは、低レベルな話題に急転直下です。しかも、目も眩むような夢物語を語る人工知能の専門家が、案外簡単ではないかと思われる「ブレーキとアクセルの踏み違い問題」を、今もって解決できないとは、悲しくなるような話です。これほどの基本的レベルをクリアできないようでは、ユトピア社会の実現、夢物語の実現は無理ではないか、と言いたいのではないでしょうか。つい、「人工知能の専門家達はホラ吹き集団なのか」と思ってしまいます。実際のところ、私は、人工知能の専門家達を「ホラ吹き集団」とは思っていません。しかし、この山崎氏の秀逸な論考を読むと、人工知能の専門家達が語る夢物語への道のりは、それほど平坦でも、単純でも、ないのではないか、と思うのです。)

 

 

 

(3)山崎正和氏の紹介

  

【1】山崎正和氏の紹介

 山崎正和氏は、1934年、京都生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。劇作家、評論家、演劇研究者。評論は、文明批評、文芸批評、芸術論、演劇論と、実に多彩である。文化功労者。日本芸術院会員。大阪大学教授、東亜大学学長、中央教育審議会会長などを歴任。

 

【2】山崎正和氏の著書 

 主な著書として、

『世阿弥』(新潮文庫)(第9回岸田國士戯曲賞受賞)、

『劇的なる日本人』(新潮社)、

『混沌からの精神』(ちくま学芸文庫)、

『日本文化と個人主義』(中央公論社)、

『近代の擁護』(PHP研究所)、

『社交する人間』(中公文庫)、

『装飾とデザイン』(中公文庫)、

『日本人はどこへ向かっているのか』(潮出版社)、

『山崎正和全戯曲』(河出書房新社)、

『舞台をまわす、舞台がまわる-山崎正和オーラルヒストリー』(中央公論新社)

などがあります。

 

 以上のうちで、

『劇的なる日本人』(新潮社)、

『混沌からの精神』(ちくま学芸文庫)、

『日本文化と個人主義』(中央公論社)、

『近代の擁護』(PHP研究所)、

『社交する人間』(中公文庫)、

『装飾とデザイン』(中公文庫)、

『日本人はどこへ向かっているのか』(潮出版社)

は、いずれも、難関国公立・私立大学の現代文(国語)・小論文の入試頻出出典です。

 

 

 (4)当ブログにおける「山崎正和氏の論考」関連記事の紹介

 

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(5)当ブログにおける「人工知能関連」の記事の紹介

 

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ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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