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現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

現代文(国語)・小論文予想問題解説『ビブリオバトル』(山崎正和)

【1】今回は、山崎正和氏の論考「ビブリオバトル」を題材に、予想問題記事を解説します。なぜ、この論考に注目したのか?

 

〔1〕この論考の紹介

 山崎正和氏の論考「ビブリオバトル」は、2016年9月5日読売新聞朝刊(「地球を読む」)に掲載されました。

 

[2]なぜ、この論考に注目したのか?

① 山崎正和氏は、長期的にトップレベルの入試頻出著者です。

 今回の論考も、相変わらず、斬新な視点からの本質的・哲学的で素晴らしいと思います。

 難関大学の現代文(国語)・小論文の入試問題作成者も注目すると思われます❗

 

 しかも、読売新聞の「地球を読む」シリーズからは、難関大学の現代文(国語)・小論文に、よく出題されるので、要注意なのです。

 

② 私は、「ビブリオバトル」自体の革新性に、注目しました。

 「ビブリオバトル」は、本を読まなくなった若者たちへの、若者による読書普及活動として、かなり意義のあるものです。

 

③ 「言葉と共同体結束の関係」は、入試現代文(国語)・小論文の重要論点・テーマです。

 

④ 「共同体と伝承・物語成立の関係」・「物語と共同体結束の関係」も、入試現代文(国語)・小論文の重要論点・テーマになっています。

 現代社会は、「個人主義」の過度の進展により、「『共同体解体』の対策論」が、かなり前から論点・テーマ化しています。

 一方、3・11東日本大震災の際に、「共同体」の価値の見直し・再評価がなされ、「絆」がキーワード化しました。

 東日本大震災関連の論点・テーマは、私が、このブログ開設以降、特に注目している論点・テーマです。

 

 これらのことより、「『共同体』とは本来、何だったのか」という本質論も、最近の流行論点・テーマになっているのです。

 →今回は、早稲田大学文学部に出題(その約10年前に早稲田大学政経学部に出題された論考とほぼ同一内容)された野家啓一氏の論考を参照しながら、解説していきます。

 

⑤ 「近代・現代と個性重視の関係」も、長らく、頻出論点・テーマになっています。

 特に、現代日本では、最近になって、意味不明な、判読不能のような、子供のキラキラ・ネームが氾濫するようになりました。

 まさに、異様な、歪んだ「個性崇拝」としか言いようがありません。(これも、一種の「反知性主義の蔓延」と言えます。)

 化粧品・美容・ファッション・エステ・スポーツ関係などの各業界の営業戦略、そして、それらの業界の意向を受けた広告代理店・マスコミの勝利という感じです。

 他方、入試現代文(国語)・小論文の世界では、このような「異様な個性崇拝」を疑問視・批判する方向の論考が、数多く出題されています。

 今では、トップレベルの流行頻出論点・テーマと言えるます。

 →今回は、最近の慶応大学文学部・小論文に出題された土井隆義氏(土井氏の他の論考は2016年度のセンター試験に出題されています)の論考を参照しながら、解説していきます。

 

 

⑥ 「ビブリオバトル」の第2の長所である、「個人の関心を多様化させるという機能」、つまり、「未知の本に触れる・知を磨く」というサブタイトルも、私には、魅力的に感じました。

 「多様化」は入試現代文(国語)・小論文の頻出キーワードです。

 そして、「知」は、最近の流行論点・テーマです。

 2016年度には、『反知性主義』(編・内田樹)から、東大、大阪大、静岡大等に出題されています。

 また、今年は、「知」に関する著作が、特に多くなっています。

 この点について詳しく知りたい方は、下のリンク冒頭画像から、このブログの、東大ズバリ的中記事や、室井尚氏の論考を元にした予想問題記事を、ご覧ください。

 

 

 

 

⑦ 「意外な本との出会い」、そして、「知的驚き」も、かなり重要な論点・テーマです。

 「知的驚き」は、伝統的とも言えるほどに、長年、高い出題率を誇る有名論点・テーマです。

 「知的驚き」は「哲学の始まり」であると同時に、「人生」を大きく変える「きっかけ」にもなるものです。

 これらの点についても、以下の記事で解説していきます。

 また、最近では、「紙の本」自体が、「電子書籍」との比較で注目されています。

 近いうちに消滅してしまうかもしれない「紙の本」の「価値」を、再評価してみようという風潮が、論壇には、あるのです。

 この流れは、入試現代文(国語)・小論文にも波及します。

 →以下では、「紙の本」と「電子書籍」の「違い」を熱く論じた内田樹氏の論考を、リンク画像で紹介します。

 

⑧ 山崎氏は、今回の論考で「IT社会の問題点・マイナス面」、つまり、「個人の自閉化」・「共同体の崩壊」についても論じています。

 →「IT社会の影・闇」は、東日本大震災以降、特に注目するべき論点・テーマとして、このブログ開設以来、強調してきました。このブログの第一回記事(「ブログ開設の言葉ー入試現代文の最新傾向ー重要な、気付きにくい2本の柱」)のリンク画像を下に貼っておきます。ぜひ、ご覧ください。 

 →今回は、「IT社会の影・闇」について、2016年度のセンター試験に出題された佐々木敦氏の論考を参照しながら解説します。

 

 

【2】山崎正和氏の紹介

 山崎正和氏は、1934年、京都生まれ。劇作家、評論家、演劇研究者。文化功労者。日本芸術院会員。大阪大学教授、東亜大学学長、中央教育審議会会長などを歴任。

 

 主な著書として、

『世阿弥』(新潮文庫)(第9回岸田國士戯曲賞受賞)『劇的なる日本人』(新潮社)

『混沌からの精神』(ちくま学芸文庫)

『日本文化と個人主義』(中央公論社)

『近代の擁護』(PHP研究所)

『社交する人間』(中公文庫)

『装飾とデザイン』(中公文庫)

『日本人はどこへ向かっているのか』(潮出版社)

などがあります。

  

  

 山崎正和氏の論考については、最近、「科学技術万能論・『ナノボット』で人間改造・人間とは何かー問い直す時」(2015年4月19日・読売新聞「地球を読む」)を題材とした予想問題記事を発表しました。

 こちらも、ぜひ、ご覧ください。

  

 

【3】「ビブリオバトル」の解説ー前半部分(「読書の甲子園・普及に意義」)ー関連論点の解説

 

(山崎正和氏の論考の概要)

「『ビブリオバトル(良書推薦合戦)』という活動がある。人が集まって互いに面白く読んだ本を推薦し、聞き手の興味を引いた度合いを競いあう競技である。全国規模の大会が読売新聞の主管のもとに開かれた。

 ビブリオバトルの公式ルールは4つ。

1 推薦者が自分で面白いと思った本を持ち寄ること

2 それを正確に5分で紹介すること

3 参加者全員が2、3分の討論を行うこと

4 投票によって優勝本を決めること

 

 今では、この催しが読書の『甲子園』として定着し、高校、大学の部に分かれて、それぞれ優秀な若い読書人を輩出している。

 書物の内容は哲学からSF小説まで多様だが、水準は信じ難いほど高い。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

〔1〕今回の山崎正和氏の論考のタイトル(題名)は、「ビブリオバトル」でしたが、サブタイトル(副題)は、「読書の甲子園 普及に意義」、「未知の本に触れ 知磨く」の2つです。

 上記の概要は、「読書の甲子園 普及に意義」に関します。

 

 

【4】「ビブリオバトル」の解説ー後半部分(「未知の本に触れ・知磨く」)ー関連論点の解説 

 

 今回の山崎氏の論考は、後半部分において、現代文・小論文の流行頻出論点に関連する記述が多いので、特に丁寧に解説していきます。

 

 (1)「『物語』と『共同体の結束』の関係」

 

(山崎正和氏の論考の概要)

(①・②・③・・・・は、当ブログで付記した段落番号です)

 「① ビブリオバトルは、なぜこれほど成功したのか。良い本を読むと感動を他人に語りたくなる習慣が本能のようにあったからだが、そういう本能はなぜ人間に備わっていたのだろうか。

② おそらく、根源は、共同体の中に生きる存在としての人間が、その共同体を言葉によって固めてきた、というところまで遡るだろう。

③ 言葉は情報や感想を語るとともに、物語を伝えてきた。物語は人が口頭で語り、そして語り継ぐことによって共同体を一つにまとめてきた。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

【「『物語』と『共同体の結束』」について】

〔1〕上記の山崎氏の論考は、かなり価値の高い内容になっています。

 特に重要なのは、「物語は人が口頭で語り、そして語り継ぐことによって共同体を一つにまとめてきた。」の部分です。

 

 〔2〕概要としては記述しませんでしたが、上記の論考の中で、山崎氏は 「物語」の具体例として、「噂話(うわさばなし)」・「伝承」・「昔話」・「神話」・「叙事詩」を挙げています。

 「噂話」・「伝承」・「昔話」・「神話」・「叙事詩」は、人々の退屈しのぎ・レクリエーションになり、コミュニケーションの道具になると同時に、これらは「共同体」の結束に役立ったのです。

 

 [3]ここで、「知識」として重要なのは、「叙事詩」の「意味」・「具体例」です。

 「叙事詩」とは、歴史・伝説に現れる神・英雄の事績を物語る長編の作品です。

 民族あるいは国民の共同意識(または、共同無意識)を、仮託・代弁していることが多いのです。

 具体例としては、

① トロイア戦争に題材にした、ホメロスの『イリアス』

② ホメロスの『オデュッセイア』

③ 中世ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』  

④ 『平家物語』を筆頭とする軍記物語

以上が、代表的なものですが、さらに『神曲』(ダンテ)・『失楽園』(ミルトン)を含める見解もあります。

 

 広く考えると、映画、テレビドラマ、マンガ、ゲームにおけるヒーロー・ヒロインも英雄であり、彼らを描くストーリーは「叙事詩」と言えるのです。

 

 〔4〕【「共同体と言葉の関係」について】

 なお、上記の概要②段落の「共同体と言葉の関係」、つまり、「人間がその共同体を言葉によって固めてきた」ことについては、

①言葉は、コミュニケーションの道具であること

②「地域と方言」、

 「若者と若者言葉」、

 「各業界と各業界特有の用語」、

を考えると分かりやすいと思います。

 

 

 (2)「物語は共同体の協働制作物」

 

(山崎正和氏の論考の概要)

(なお、赤字は、当ブログによる強調です。)

「④ その際に大切なのは、語り継ぐことである。物語は、人から人へ伝わる回数が多ければ多いほど、次第にその信憑性(しんぴょうせい)が高まってゆく。言い換えれば、物語は実は語り継ぎのなかで真に創作され、共同体の協働制作物になるのである。

⑤ ビブリオバトルは、まさに、この語り継ぎの作業だった。

⑥ 読んで語る人は、ただの読者ではなく、語り継ぐことで本の信憑性を高め、共同体の共同財産にするという意味で、むしろ、その本の共著者と呼んでもよいはずである。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

〔1〕【「物語は共同体の協働制作物」について】

 この論点については、2000年の早稲田大学文学部国語に出題された野家啓一氏の論考が最近の頻出出典(『物語の哲学』)なので、ここで紹介します。 

 

 (問題文本文の一部の概要)

 (以下の概要は、問題文本文の冒頭文と最終段落です。最終段落には、筆者の結論・主張が述べられています。)

「歴史叙述もまた、学問的にソフィスティケート(→「洗練されている」という意味)されているとはいえ、「過去物語」のヴァリエーションにほかならない。

 『思い出』はそのままでは『歴史』に転成することはできない。思い出が歴史に転生を遂げるためには(何よりも「物語行為」による媒介が不可欠なのである思い出の断片を織り合わせ、因果の糸を張りめぐらし、[ C ]の結構をしつらえることによって一枚の布にあえかな文様を浮かび上がらせることこそ、物語行為の役目にほかならない。物語られることによってはじめて、断片的な思い出は「構造化」され、また個人的な思い出は「共同化」される。「物語る」という言語行為を通じた思い出の構造化と共同化こそが、ほかならぬ歴史的事実の成立条件なのである。」

 

 (上記の概要に対応している設問のみを挙げます。)

問4 文中の[ C ]に入る最も適当な語句を、次の中から選べ。

イ 永劫回帰  

ロ 波瀾万丈

ハ 試行錯誤

ニ 起承転結

 

問5 傍線部(丙)の意味を具体的に述べている最も適当な箇所を、文中から10字以上、12字以内で抜き出して記せ(句読点や記号も1字と数える)。 

 

 ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

〈1〉問題の解答

問4 ニ

問5 思い出の構造化と共同化(11字)

 

〈2〉問題の解説

問4 直前の「それらの断片を織り合わせ、因果の糸を張りめぐらし」、直後の「結構(→「構造」という意味→入試頻出キーワードです)をしつらえる(→「設備する。用意する」という意味)」に注目するとよいでしょう。

 →この設問は、実質的には、「結構」・「しつらえる」の意味を聞いている問題です。この2つの語句は、入試頻出語句です。

 

問5 「思い出が歴史に転生を遂げるためには、() 何よりも『物語行為』による媒介が不可欠なのである」と、最終段落・最終文の「『物語る』という言語行為を通じた思い出の構造化と共同化こそが、ほかならぬ歴史的事実の成立条件なのである」が、同一内容であることを確認してください。

 

 〈3〉野家啓一氏の紹介

 野家啓一氏は、哲学者。東北大学名誉教授。専攻は科学哲学。

 

 主な著書として、

『言語行為の現象学』(勁草書房)

『科学の解釈学』(講談社学術文庫)

『物語の哲学』(岩波現代文庫)

『科学の哲学』(放送大学教材)

『科学哲学への招待』(ちくま学芸文庫)

『歴史を哲学するー7日間の集中講義』(岩波現代文庫

などがあります。

 

 以上のうち、『歴史を哲学する』は、これから注目するべき著作です。

 一方、『物語の哲学』は、頻出出典です。

 最近では、上記の早稲田大学(政経学部)・(文学部)のほかに、大阪市立大学・上智大学(法)・立教大学等で、出題されています。

 これからも、要注意の著作です。

 

 

〈4〉本問は「歴史叙述」に関する論考ですが、本問を読むと、「共同体と物語成立の関係」がよく分かります。

 例えば、「ギリシア悲劇」は、ギリシア地域の結束を生み、結束を強めるための手段として使われていたという側面があります。

 しかも、「ギリシア悲劇」は、過去の出来事に対する評価・見方を共有化させるという側面がありました。

 

 

(3)「近代は個性の時代」ー「個性崇拝」・「個性は生まれつき備わっているという迷信」

 

(山崎正和氏の論考の概要)

「⑦ ちなみに、近代は個性の時代であり、個性は生まれつき備わっているという迷信があって、教育現場でも『思ったことを自由に書きましょう』などと教えたことがあった。

⑧ だが、人間は教えられた言葉によって、ものを思う動物であって、本を読まず、用語法や表現法も知らない子供には、『自由に思う』ことなどできるはずがないのである。

⑨ (省略します)

⑩ 実をいえば、近代の個性的な著者も、生涯に無数の本を読み、そこで学んだ言葉によって知性と感性を磨いたのだから、創造とは語り継ぎの一種だともいえるはずである。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

〔1〕【「近代・現代と個性の関係」についてー「個性崇拝」批判】

 「現代社会と個性崇拝の関係」については、2005年に慶応大学文学部・小論文で出題された土井隆義氏(→土井氏の別の論考(『キャラ化する/される子供たち』)は、2016年度のセンター試験・国語(現代文)に出題されています。この問題の解説については、このブログで、センター試験直後に記事化しました。下にリンク画像を貼っておきます)の論考(『個性を煽られる子どもたち』)が、最近の入試現代文(国語)・小論文の頻出出典になっているので、ここで紹介します。

 

(問題文本文の一部の概要)

(以下の「本文の一部」は、本文全体の「キー」なので、熟読してください)

(なお、①・②・③・・・・は、当ブログで付記した段落番号です。)

「① 若者たちが切望する個性とは、社会のなかで創り上げていくものではなく、あらかじめ持って生まれてくるものです。人間関係のなかで切磋琢磨(せっさたくま)しながら培っていくものではなく、自分の内面へと奥ぶかく分け入っていくことで発見されるものです。

② 本来、自らの個性を見極めるためには、他者との比較が必要不可欠のはずです。他者と異なった側面を自覚できてはじめて、そこに独自性の認識も生まれうるからです。このように、本来の個性とは相対的なものであり、社会的な関数です。

③ しかし、現代の若者たちにとっての個性とは、他者との比較のなかで自らの独自性に気づき、その人間関係のなかで培っていくものではありません。あたかも自己の深淵に発見される実体であるかのように、そして大切に研磨されるべきダイヤの原石であるかのように感受され、さしたる根拠もなく誰もが信じているのです。彼らがめざしているのは、これから自己を構築していくことではなく、元来あるはずの自己を探索していくことなのです。」

 

記事の都合上、設問1は、省略します。

(ちなみに、この大問は設問は2つで、設問1は、問題文本文の傍線部の理由について、「筆者の考えを300字以上340字以内でまとめなさい」、という問題です。)

 

設問2 次に掲げるのは、この文章のすぐ後に筆者が引用している、ある少女の投書です。この投書が仮に新聞の相談コーナーに寄せられたものであって、あなたが、その回答者ならば、この相談に対してどのように回答しますか。360字以上400字以内で書きなさい

「私は、自分らしさというのが、まったくわかりません。付き合う友達によって変わってしまう自分、気分によって変わってしまう自分を考えると、いったい何が本当の私なのか、わからなくなります。自分には個性がないんじゃないかと、ずっと悩んでいます。」

 

 ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

〈1〉【「難関・国公立私立大学小論文対策のポイント」→筆者の意見に賛成の方向で書くべき】  

 京都大学・一橋大学・首都大学東京・慶応大学・早稲田大学等の難関大学の小論文の答案を書く時には、なるべく(設問で「本文に対する反対意見を書きなさい」という指定がある時は別として)、本文の筆者に「賛成の方向」で書くことが大切です。 

 これが、「合格点をとるポイント」・「合格答案を書くポイント」です。

 問題文本文は、一流の学者・評論家が長時間をかけて、じっくり考察したものです。

 それに対して、受験生が短時間で、説得力のある反対意見を書くことは、そもそも無理なのです。

 大学側も、そのような無茶なことは要求していないと思います。

 大学側が見たいことは、受験生の、問題文本文の「読解力」と「論述力」です。 

 私は、長年、毎年、かなり高い合格率で、一橋大学・首都大学東京・慶応大学・早稲田大学等の、小論文試験のある難関大学の合格者を輩出させてきたので、自信を持って、このように断言できます。

 難関国公立私立大学小論文対策として、このことは、よく意識しておいてください。

 この点については、これからも、このブログで、さらに詳しく論じていく予定です。

 

〈2〉【本問の解答・解説】

 問題文本文のキーセンテンスは、③段落第1文の「個性とは、他者との比較のなかで自らの独自性に気づき(→②段落を前提としていることに注意してください)、その人間関係のなかで培っていくもの(→①段落を前提にしています)」です。

 従って、

第一に、「個性」とは、他者との比較の中で見極めていく必要があること、

第二に、「個性」とは、人間関係・社会の中で培っていくべきこと、

を、アドバイスしたり、教えるとよいでしょう。

 

〈3〉最近の頻出著者である土井隆義氏の紹介については、下のリンク画像から、ご覧ください。

 

 

 

(4)「ビブリオバトルの、もう一つの長所」ー「未知の本に触れ・知磨く」

 

(山崎正和氏の論考の概要)

「⑪ ビブリオバトルのもう一つの長所は、これが作る共同体の中で、個人の関心を多様化させるという機能である。

⑫ メンバーは常に、自分の殻を破って未知の知的世界に触れることができる。これは、現代の電子情報が個人自身の検索した知識しか与えないのに対して、有力な救いになると思われる。

⑬ 人間は、あらかじめ存在するとも知らず、知りたいと思わなかった知識を知ることで、さらに賢くなることができる。人は新聞や雑誌で、そういう意外な知識を得ているわけだが、ビブリオバトルの交流は、同じ経験を単行本の分野にも広げるのである。」

 

ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

〔1〕【「未知の本との出会い」について】

 「未知の本との出会い」の「きっかけ」としては、

① 書店に行くこと、

② 新聞等の書評の重視、

が、一般的です。

 しかし、「ビブリオバトル」は、若者による若者への本の普及活動という点に、大きな意義があるのでしょう。 

 

〔2〕【「書店に行くことの意義」】

 この点については、内田樹氏の論考(「活字中毒患者は電子書籍で本を読むか」(『本は、これから』所収))を題材とした予想問題記事(明治大学・全学部入試で出題された部分を参考にしました)を、つい最近(2016・7・6)、このブログに発表しました。

 記事の題名は、「予想問題・『電子書籍の問題点』『紙の本の恩恵』ー内田樹氏の論考」です。

 この論点・テーマも、来年度のヤマなので、ご一読を、おすすめします。

 下に、リンク冒頭画像を貼っておきます。

 


 

 

 (5)「電子情報の検索」ー「個人を殻に閉じ込める」ー「共同体を破壊する可能性」

 

(山崎氏の論考の概要)

「⑭ 人々が活字文化を疎んじ、電子情報の検索に頼って生きることは、単に文章力や思考力を弱めるだけでなく、個人を殻に閉じ込めて共同体を破壊することにつながる。

⑮ 私はその意味で、ビブリオバトルを義務教育に取り入れることを提案したい。文化的な階層社会を生むことは、ぜひ避けたいからである。」 

 

ーーーーーー

 

(当ブログによる解説)

〔1〕上記において、山崎氏は、「電子情報の検索に頼って生きること」のマイナス面として、「文章力や思考力を弱めること」のほかに、「個人を殻に閉じ込めて共同体を破壊力すること」を挙げています。

 「『IT化社会の進展』と『共同体の崩壊』の関係」は、最近の流行論点・テーマになっているので、このブログでも、近いうちに、本格的に記事化する予定です。

 

 〔2〕「電子情報の検索に頼って生きることが文章力や思考力を弱めること」については、2015年度センター試験に出題された佐々木氏の論考(『未知との遭遇』)が、とても参考になるので、ここで紹介します。

 

 佐々木敦氏は、評論家、元早稲田大学教授。HEADZ代表。雑誌「エクス・ポ」・「ヒアホン」編集人。早稲田大学卒業。

 主な著書は、

『映画的最前線1988ー1993』(水声社)

『ニッポンの思想』(講談社現代新書)

『未知との遭遇』(筑摩書房)

『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)

『ニッポンの文学』(講談社現代新書)

などが、あります。

 

 

(問題文本文の概要) 

(なお、[8]・[9]・[10]・・・・は、センター試験国語の、 問題文本文に付記されている段落番号です。)

「[8] われわれは、ある事象の背後に「歴史」と呼ばれる時間があると考えるわけですが、ネット以後、そういった「歴史」を圧縮したり編集したりすることが、昔よりずっとやり易くなりました。時間軸を抜きにして、それを一個の「塊=マッス」として、丸ごと捉えることが可能になった。

[9] ただ、そのことによって、たとえば「体系的」という言葉の意味が、決定的に変わってしまった。しかし、「物語」としての「歴史」の記述/把握という営みは、少なからず行われてきたし、今も行われている。過去から現在を経て未来へと流 れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして「物語」を要求してくる。「物語」とは、因果性の別名です。

[10] しかしネット以後、このような一種の系譜学的な知よりも、「歴史」全体を「塊」のように捉える 、いわばホーリスティック(→問題文本文に付記されている注→「全体的、包括的」)な考え方がメインになってきたのではないかと思うのです。これはある意味では c 「歴史」の崩壊でもあります。」

 

問4 傍線部C「『歴史』の崩壊」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。(→選択肢は少々長いですが、「傷・ミス」を発見するようにしてください→「消去法」)

① インターネットによる情報収集の普及にともない、過去の出来事と現在の出来事との類似性を探し出すことが簡便にできるようになったため、両者の本質的な違いに着目することによって得られる解釈を歴史と捉える理解の仕方が成り立たなくなってしまったということ。

② インターネットによる情報収集の普及にともない、累積された過去に内在する多様性を尊重することが要求されるようになったため、多くの出来事を因果関係から説明し、それから構成された物語を歴史と捉える理解の仕方が人々に共有されなくなってしまったということ。

③ インターネットによる情報収集の普及にともない、過去の出来事を重要度の違いによって分類することができるようになったため、重要であるか否かを問題にすることなく等価なものとして拾い出された過去の出来事の集合体を歴史と捉える理解の仕方が根底から覆ってしまったということ。

④ インターネットによる情報収集の普及にともない、過去の個々の出来事を時間的な前後関係から離れて自由に結びつけられるようになったため、出来事を時間の流れに即してつなぐことで見いだされる因果関係を歴史と捉える理解の仕方が権威を失ってしまったということ。

⑤ インターンネットによる情報収集の普及にともない、累積された膨大な情報を時間の流れに即して圧縮したり編集したりすることが容易になったため、時間的な前後関係や因果関係を超えて結びつく過去と現在とのつながりを歴史と捉える理解の仕方が通用しなくなってしまったということ。

 

ーーーーーー

 

(問題の解答・解説)

 正解は④です。

 傍線部直前の「これ」は、直前の文の「『歴史』全体を『塊』のように捉える、いわばホーリスティック な考え方」を、さしています。

 本来は、「歴史」を「時間軸」に沿った(「時間」が介在した)、「因果性」のある「物語」と捉えるべきです。

 これが、「系譜学的な知」です。

 ところが、「ネット以後」、「このような系譜学的な知よりも、『歴史』全体を塊のように捉える考え方がメインになってきたのではないか」、と筆者は主張しているのです。 

 

①は、「類似性を探し出すこと」の部分が、

②は、「過去に内在する多様性を尊重することが要求」の部分が、

③は、「過去の出来事を重要度の違いによって分類」の部分が、

⑤は、「因果関係を超えて結びつく」の部分が、

それぞれ、本文に、このような記述がなく、誤りになります。 

 ④は、「傷・ミス」がなく、「傍線線部、および、その前後」を言い換えているだけでなので、これが最も適当であり、正解となります。

 このように、各選択肢の「傷・ミス」をチェックしていくと、早く解答することができます。

 すぐに、選択肢を見るべきです。

 

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(当ブログによる解説)

〔1〕【  「『因果性』の軽視」は、「『論理性』の軽視」ということ】

 「因果性」、つまり、「原因・結果の流れ」を意識しないということは、「論理」を意識しないということです。

 これは、深刻で重大な問題です。

 「歴史の崩壊」だけでは、すまない問題です。

 「共同体」・「社会」・「人類」の「崩壊」、そして、「『ホモ・サピエンス(賢い人間)としての人間存在』の崩壊」につながる危険性があります。

 

 当ブログの第2回記事に取り上げた土井隆義氏の論考(『友だち地獄ー「空気を読む」世代のサバイバル』)の中に、「現代の若者たちは、自らのふるまいや態度に対して、言葉で根拠を与えることに、さしたる意義を見出だしにくくなっている。」という記述がありました。

 要するに、「現代の若者は、言葉を尊重しない」ということです。

 

 以上の点から考えると、これからの人間は「論理性」や「言葉」を軽視し、主に、動物のように、「本能」、「感性」、「直感」、「好き嫌い」で生きるのでしょうか?

 

 これも、一種の「反知性主義の蔓延」ということになるのでしょうか。

 

〔2〕このような状況を考えると、上記の山崎氏の提案(「ビブリオバトルの義務教育への導入」)に、私は賛成します。

 この山崎氏の提案は、名案だと思います。

 ただし、生徒・学生を読書習慣から遠ざける「読書感想文」は止めて、欧米のように、ディスカッション・ゼミ形式の授業を導入するべきでしょう。

 「読書は楽しい」ということを体験させれば、それでよいのです。

 

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 今回の記事は、これで終わりです。

 

 

 



 

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