予想問題「広告の形而上学」岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』
(1)なぜ、この記事を書くのか?
現在は、消費動向の低迷、不景気、デフレ経済、経済のグローバル化、新自由業主義的経済など、様々な経済的論点が、現代文(国語)・小論文で問題化しています。
こういう時には、経済学の基本的な論点、特に、「消費社会」・「広告」の基礎理論などが出題されることが多いようです。
そこで、現代文(国語)・小論文対策として、入試頻出著者・岩井克人氏の、頻出出典 『ヴェニスの商人の資本論』の中の「広告の形而上学」についての解説記事を書きます。
題材としては、最近の関西学院大学現代文(国語)の過去問を使用します。
(2)「広告の形而上学」(『ヴェニスの商人の資本論』)岩井克人ー関西学院大学・国語(現代文)・過去問の解説
(岩井克人氏の論考・問題文本文)
(概要です)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
【1】マルクスはどこかで、商品世界のなかにおける貨幣 の存在は、動物世界のなかでライオンやトラやウサギやその他すベての現実の動物たちと相並んで(1) 「動物」なるものが闊歩しているように奇妙なものだと書いている。貨幣とは、それによってすベての商品の価値が表現される一般的な価値の尺度でありながら、同時にそれらの商品とともにそれ自身人々の需要の対象にもなるという(2)二重の存在なのである。
【2】「広告の時代」とまで言われている現代において、広告とは一見自明で平凡なものに見える。だが、その実、広告というものも、貨幣と同様、いわば形而上学的な奇妙さに満ち満ちた逆説的な存在なのである。
【3】英語のどの受験参考書にも例文としてのっているように、"The proof of the pudding is in the eating." すなわち、プディングであることの証明はそれを食べてみることである。だが、分業によって作る人と食べる人とが分離してしまっている資本主義社会においては、プディングは普通お金で買わなければ食べられない。(買わずに食べてしまったら、それは食い逃げか万引きである。)プディングがプディングであることの証明、いや、プディングがおいしいプディングであることの証明は、お金と交換にしか得られない。
【4】たとえば、洋菓子屋の店先でどのプディングを買おうかと考えているとき、あるいは喫茶店でプディングを注文しようかどうか考えているとき、人はプディングそのものを比較しているのではない。人が実際に比較しているのは、ウィンドーの中なかのプディングの外見であり、メニューの中のプディングの写真であり、さらには新聞、雑誌、ラジオ、テレビ等におけるプディングのコマーシャルである。これらはいずれも広い意味でプディングの[ 3 ]にほかならない。
【5】すなわち、資本主義社会においては、人は消費者として商品そのものを比較することはできない。人は広告と媒介を通じてはじめて商品を比較することができるのである。
【6】資本主義社会とは、マルクスによれば「商品の巨大なる集合」である。しかし、広告を媒介にしてしか商品を知りえない消費者にとって、それはまずなによりも「広告の巨大なる集合」として立ち現れるはずである。そして、この広告の巨大なる集合の中において、あらゆる広告は広告として同じ平面上で比較され競合する。
【7】もちろん、広告とはつねに商品についての広告であり、その特徴や他の商品との差異について広告しているように見える。だが、人がたとえばある洋菓子店のウィンドウのプディングの並べ方は他の店に比べてセンスが良いと感じるとき、あるいは、ある製菓会社のプディングのコマーシャルは別の会社のよりも迫力に乏しいと思うとき、それは広告されているプディング同士の差異を問題にしているのではない。それは、プディングとは独立に、「広告の巨大なる集合」の中における (4)広告それ自体のあいだの差異を問題にしているのである。
【8】広告と広告とのあいだの差異ーそれは、広告が本来媒介すべき商品と商品とのあいだの差異に還元しえない、いわば「過剰な」差異である。それゆえ、それは、たとえばセンスの良し悪しとか迫力の有る無しとかいうような、違うから違うとしか言いようのない差異、すなわち(5)客観的対応物を欠いた差異そのものとしての差異としてあらわれる。
【9】だが、広告が広告であることから生まれるこの過剰であるがゆえに純粋な差異こそ、まさに企業の広告活動の拠って立つ基盤なのである。
【10】言語についてソシュールは、「すべては対立として用いられた差異にすぎず、対立が価値を生み出す」と述べているが、それはそのまま広告についてもあてはまる。差異のないところに価値は存在せず、差異こそ価値を生み出す。もし広告が単に商品の媒介にすぎず、広告のあいだの差異がすべて商品のあいだの差異に還元できるなら、企業にとってわざわざ広告活動をする理由はない。企業が広告にお金を出すのは、ひとえに広告の生み出す過剰なる差異性のためなのである。すなわち、広告とは、それが商品という実体の裏付けをもつからではなく、逆にそれがそのよう(6)客観的対応物を欠いた差異そのものとしての差異を作り出してしまうからこそ、商品の価値に帰着しえないそれ自身の価値をもつのである。
【11】ところで資本主義においては、いかなる価値もお金で売り買いできる商品となるといえる。それゆえ、当然広告も商品となる。いや、実際、広告に関連する企業支出はGNPの1パーセント近くも占めている。これは、現代ではあまりにも身近な事実であり、人をことさら驚かせはしない。だが、それはその実、本来商品について語る媒介としての広告が、同時にそれ自体商品となって他の商品とともに売り買いされてしまうという、まさにライオンやトラやウサギとともに動物なるものが生息している光景とその奇妙さにおいてなんら変わるところのない形而上学的な逆説なのである。
【12】貨幣についての真の考察は、それが形而上学的な奇妙さに満ち満ちた存在であることへの驚きから始まった。広告が形而上学的な奇妙さに満ち満ちた存在であることへの驚きーそれは、広告についての真の考察の第一歩である。いや、少なくともそれは、広告という現象の浅薄さをただ糾弾したり、広告という現象の華やかさとただ戯れたりする言説に溢れている現代において、いささかなりとも差異性をもった言説を作り出すはずのものである。
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(設問)
問1 傍線部(1)「「動物」なるものが闊歩している」とあるが、筆者は動物にカギ括弧をつけることによって、どのようなことを強調しているのか。次の中から最適なものを一つ選べ。
イ 固有名詞と普通名詞とが混在していることを強調している。
ロ 非現実的な生態系に分類していることを強調している。
ハ 概念的な存在として独立していることを強調している。
ニ 種類の異なる動物が現実社会にいることを強調している。
ホ 現実の動物と観念としての動物とが名辞を共有していることを強調している。
問2 傍線部(2)「二重の存在なのである」とあるが、それを広告についてどのように説明しているか。問題文中から55字以内で抜き出して記せ(句読点も字数に含むものとする)。
問3 空欄3に入る最適な語を、次の中から一つ選べ。
イ 商品 ロ 証明 ハ 味覚
ニ 本質 ホ 広告 ヘ 虚像
問4 傍線部(4)「広告それ自体のあいだの差異」の本質を筆す者はどのように理解しているのか。次の中から最適なものを一つ選べ。
イ 商品と商品とのあいだの差異
ロ 客観的対応物を欠いた差異
ハ センスの良し悪しにかかわる差異
ニ 表面上で比較される差異
ホ 広告の宿命としての差異
問5 傍線部(5)「客観的対応物を~あらわれる」とあるが、このことによって広告は何を得るといえるのか。問題文中から25字以内で抜き出して記せ(句読点も字数に含むものとする)。
問6 傍線部(6)「客観的対応物」は、どのように言い換えられているか。次の中から最適なものを一つ選べ。
イ 価値の尺度
ロ 逆説的存在
ハ 巨大なる集合
ニ 商品という実体
ホ 華やかな現象
問7 問題文において述べられている「広告」の意味として、次の中から最適なものを一つ選べ。
イ 広告と広告との差異には、違うから違うとしか言いようのない「過剰」差異がある。
ロ 広告は商品の価値を比較することに意味があり、それ以上の付加価値はほとんどない。
ハ 広告と広告との差異は本来媒介すべき商品と商品とのあいだの差異に依拠するものであるといえる。
ニ 資本主義社会の中にあって消費者は広告という媒介だけでは商品そのものの比較が出来なくなっている。
ホ 広告とはつねに商品についての広告であるとともに商品同士の差異性だけを問題にしている。
問8 問題文の内容と合致しているものを次の中から二つ選べ。
イ 形而上学的な現代は、広告の華やかさと戯れによって窒息状態に陥っている。
ロ 資本主義社会においては、プディングは広告の媒介によって等価交換される。
ハ 商品同士の差異よりも広告同士の差異が、資本主義社会では問題にされる。
ニ 広告の巨大なる集合の中には、客観的な商品それ自体の過剰な差異がある。
ホ 差異性こそが商品の過剰なる価値を生み出し、企業の広報活動をうながす。
ヘ 商品世界における貨幣は、形而上学的な奇妙さに満ちた逆説的な存在である。
問9 問題文の表題として最適なものを次の中からを一つ選べ。
イ 広告の形而上学
ロ 広告の付加価値
ハ 広告の比較検討
ニ 広告の経営戦略
ホ 広告の商品価値
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(解説・解答)
問1 (傍線部説明問題)
「貨幣」が「商品価値の尺度となる性質」(抽象性)を持ちながら、「具体性」・「独立性」を有している「商品」と同じように、「需要の対象にもなる性質」を持っているということです。
(解答) ハ
問2 (傍線部説明問題・記述式問題)
まず、この設問を見てから本文全体を読むべきでしょう。
第一に、傍線部直前の「貨幣とは、それによってすベての商品の価値が表現される一般的な価値の尺度でありながら、同時にそれらの商品とともにそれ自身人々の需要の対象にもなる」に注目して、「二重の存在」の意味を押さえてください。
その上で、【11】段落の「資本主義においては、いかなる価値もお金で売り買いできる商品となるといえる。それゆえ、当然広告も商品となる。それは、本来商品について語る媒介としての広告が、同時にそれ自体商品となって他の商品とともに売り買いされてしまうという、形而上学的な逆説なのである。」の部分に着目してください。
(解答) 本来商品について語る媒介としての広告が、同時にそれ自体商品となって他の商品とともに売り買いされてしまう(51字)
問3 (空欄補充問題)
直前の具体例を総合的に見て、選択肢の中のどの表現がベストか、を考えてください。
すぐに、選択肢を見て、考えるべきです。
(解答) ホ
問4 (傍線部説明問題)
直後の【8】段落で、具体的で丁寧な説明をしています。【8】段落を再掲しておきます。
「広告と広告とのあいだの差異ーそれは、広告が本来媒介すべき商品と商品とのあいだの差異に還元しえない、いわば「過剰な」差異である。それゆえ、それは、たとえばセンスの良し悪しとか迫力の有る無しとかいうような、違うから違うとしか言いようのない差異、すなわち客観的対応物を欠いた差異そのものとしての差異としてあらわれる。」
(解答) ロ
問5 (傍線部説明問題・記述式問題)
設問文の「何を得る」がヒントになっています。
「広告それ自体」の価値を記述している部分を、ピックアップしてください。
【10】段落に着目してください。特に重要な部分を再掲します。
「差異のないところに価値は存在せず、差異こそ価値を生み出す。企業が広告にお金を出すのは、ひとえに広告の生み出す過剰なる差異性のためなのである。すなわち、広告とは、逆にそれがそのよう客観的対応物を欠いた差異そのものとしての差異を作り出してしまうからこそ、商品の価値に帰着しえないそれ自身の価値をもつのである。」
(解答) 商品の価値に帰着しえないそれ自身の価値をもつ(22字)
問6 (傍線部説明問題)
傍線部直前の「そのような」に注意して、直前の「広告とは、それが商品という実体の裏付けをもつからではなく」に着目するべきです。
(解答) ニ
問7 (キーワード説明問題・趣旨合致問題)
この設問も、本文を精読・熟読する前に見ておくべきです。
【8】段落に、「広告の本質」についての記述があります。
この設問に関係するのは、以下の部分です。
「広告と広告とのあいだの差異ーそれは、広告が本来媒介すべき商品と商品とのあいだの差異に還元しえない、いわば「過剰な」差異である。」
(解答) イ
問8 (趣旨合致問題)
この設問も、本文を精読・熟読する前に見ておくべきです。
ハ・へ以外の選択肢には、本文にない記述が含まれているので、誤りです。
ハ→【10】段落に着目してください。
特に重要なのは、以下の部分です。
「広告のあいだの差異がすべて商品のあいだの差異に還元できるなら、企業にとってわざわざ広告活動をする理由はない。企業が広告にお金を出すのは、ひとえに広告の生み出す過剰なる差異性のためなのである。すなわち、広告とは、それが商品という実体の裏付けをもつからではなく、逆にそれがそのよう客観的対応物を欠いた差異そのものとしての差異を作り出してしまうからこそ、商品の価値に帰着しえないそれ自身の価値をもつのである。」
へ→【1 】・【 2 】・【12】段落に注意してください。
特に、重要な部分は、以下の部分です。
「広告というものも、貨幣と同様、いわば形而上学的な奇妙さに満ち満ちた逆説的な存在なのである。」(【2】段落)、
「貨幣についての真の考察は、それが形而上学的な奇妙さに満ち満ちた存在であることへの驚きから始まった。」(【12】段落)
ここで「形而上学的」について解説します。
「形而上(けいじじょう)」とは「抽象的・精神的なもの」という意味です。
「形而上学」とは「物事の存在の根本原理を研究する学問」「思想」「哲学」と意味になります。
主に、「哲学」の意味で使われるようです。本問でも、この意味で使われています。
「形而上学」は英語で「metaphysics(メタフィジックス)」といいます。metaは「上」・「超」の意味です。
physicsは「物理学」の意味。物理学は物の特性などを探求する学問分野。
すなわち、「形而上学」は、physicsの上の視点から、物それ自体でなくて、物を相対化・抽象化して本質を見直すことを試みよう、とする学問です。
この単語は、入試頻出事項ですが、案外と盲点になっています。
次に、「逆説的」について解説します。
意味としては、次の二つがあります。
① 一見、真理に反するようにみえるが、一面の真理を示している表現。例として「急がば回れ」などがある。パラドックス。
② ある命題(→「判断内容」)から正当な推論によって導き出されているようにみえるが、結論で矛盾を含む命題。逆理。パラドックス。
本文設問では、①のニュアンスが強いとみてよいでしょう。
(解答) ハ・ヘ
問9 (表題選択問題)
この設問も、本文を精読・熟読する前に見ておくべきです。
【2】・【12】段落に注目してください。特に重要な部分は、以下の部分です。
【2】段落の「現代において、広告とは一見自明で平凡なものに見える。だが、その実、広告というものも、貨幣と同様、いわば形而上学的な奇妙さに満ち満ちた逆説的な存在なのである。」
【12】段落の「広告が形而上学的な奇妙さに満ち満ちた存在であることへの驚きーそれは、広告についての真の考察の第一歩である。それは、現代において、いささかなりとも差異性をもった言説を作り出すはずのものである。」
(解答) イ
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【要約】
広告は形而上学的な奇妙さに満ち満ちた逆説的な存在である。そのことへの驚きは、広告についての真の考察の第一歩である。この考察は、現代において、広告という現象について、いささかなりとも差異性をもった言説を作り出すはずのものである。
(3)当ブログにおける「消費社会」・「広告」関連の記事の紹介
「消費社会」・「広告」は、頻出論点です。
下の記事を、ぜひ、参照してください。
(4)岩井克人氏の紹介
岩井 克人(いわい かつひと、1947年生まれ ) 日本の経済学者(経済理論・法理論・日本経済論)。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1972年)。国際基督教大学客員教授、東京大学名誉教授、公益財団法人東京財団名誉研究員、日本学士院会員。
【著書】
『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房・1985年、ちくま学芸文庫・1992年)
『不均衡動学の理論』(岩波書店・1987年)
『貨幣論』(筑摩書房・1993年、ちくま学芸文庫・1998年)
『資本主義を語る』(講談社・1994年、ちくま学芸文庫・1997年))
『二十一世紀の資本主義論』(筑摩書房・2000年、ちくま学芸文庫・2006年)
『会社はこれからどうなるのか』(平凡社・2003年、平凡社ライブラリー・2009年)
『会社はだれのものか』(平凡社・2005年)
『IFRSに異議あり』(日本経済新聞出版社・2011年)
『経済学の宇宙』(日本経済新聞出版社・2015年)
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今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
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