現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)解説・IT化社会

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 2015年度センター試験国語(現代文・評論文)に出題された佐々木氏の論考(『未知との遭遇』)は、「IT化社会の問題点」、つまり、「歴史の崩壊」・「歴史意識の衰退」・「系譜学的(体系的)知の衰退」を鋭く指摘しています。この論点、言い換えれば、「反知性主義化」は、「IT化社会のマイナス面」・「IT化社会の影・闇」として、最近、問題化しています。佐々木氏の論考は、とても参考になるので、ここで紹介します。

 

 また、センター試験国語(現代文・評論文)対策として、役に立つように、丁寧な解説をしていきます。

 

 今回の記事は、以下の項目について書いていきます。記事は、約1万字です。

(2)2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)・『未知との遭遇』佐々木敦・の解説

(3)問題文本文の構成

(4)当ブログにおける「IT化社会」関連記事の紹介

(5)当ブログにおける「反知性主義」関連の記事の紹介

(6)当ブログにおける「センター試験国語(現代文・評論文)」関連の記事の紹介

(7)佐々木敦氏の紹介 

 

未知との遭遇【完全版】 (星海社新書)

 

 (2)2015センター試験国語第1問(現代文・評論文)・『未知との遭遇』佐々木敦・の解説

 

(問題文本文)(佐々木敦氏の論考)

(概要です)

(【1】・【2】・【3】・・・・は、本文に付記されている段落番号です)

 

【1】ネット上で教えを垂れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。僕も啓蒙は必要だと思うのですが、どうも良くないと思うのは、ともするとネット上では、啓蒙のベクトルが、どんどん落ちていくことです。たとえば掲示板やブログに「○○について教えてください」などという書き込みをしている「教えて君」みたいな人がよくいますが、そこには必ず「教えてあげる君」が現れる。自分で調べてもすぐわかりそうなのに、どういうわけか他人に質問し、そして誰かが答える。そして両者が一緒になって、川が下流に流れ落ちるように、よりものを知らない人へ知らない人へと向かってしまうという現象があり、これはナンセンスではないかと思います。ツイッタ―でも、ちょっとしたつぶやきに対して「これこれはご存知ですか?」というリプライを飛ばしてくる人がいますが、つぶやいた人は「教えてあげる君」に教えられるまでもなく、それは知っていて、その上でつぶやいていたのかもしれない。だから僕は A  「教えて君」よりも「教えてあげる」の方が、場合によっては問題だと思います。自分より知識や情報を持っていない方に向かうよりも,自分が知らないことを新たに知ることができる方向に向かっていったほうがいいに決まっている。啓蒙するよりも啓蒙される側に回ったほうが,自分にとっては利があると思うのです。

  

ーーーーーーーー

 

(設問・解答・解説)

問2(傍線部説明問題・理由説明問題)

傍線部A「『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だと思います」とあるが、それはなぜか。 

①「教えてあげる君」は「教えて君」に対して無責任な回答をすることによって、質問をただ繰り返すばかりの「教えて君」の態度の安直さを許容してしまっているため、「教えて君」の知的レベルを著しく低下させる弊害をもたらすことにもなるから。

②「教えてあげる君」は「教えて君」に知識を押しつけるばかりで、その時点での相手の知的レベルに応じた回答をしているわけではないため、「教えて君」をいたずらに困惑させてしまい、自らの教える行為を無意味なものにしてしまうことにもなるから。

③「教えてあげる君」は自身の知識を増やそうとすることがなく、「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともないため、「教えて君」もまた「教えてあげる君」と同様の状況に陥り、社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなるから。

④「教えてあげる君」は社会全体の知的レベルを向上さえなければならないという義務感にとらわれており、「教えて君」の向上心に直接働きかけようとして教えているわけではないため、自分自身の知的レベルが向上していかないことにもなるから。

⑤「教えてあげる君」は「教えて君」を導くことで得られる自己満足を目的として教えているに過ぎず、「教えて君」の知的レベルを向上させることには関心がないため、「教えて君」と「教えてあげる君」との応答がむだに続いてしまうことにもなるから。

 

 …………………………

 

(解説)

 理由説明問題なので、傍線部前後から理由説明の箇所を探します。傍線部直前の「だから」に注目して、「だから」の前を精読します。

 直前の「自分で調べてもすぐにわかりそうなのに、どういうわけか他人に質問し、そして誰かが答える。そして両者が一緒になって、川が下流に流れ落ちるように、よりものを知らない人へ知らない人へと向かってしまうという現象があり、これはナンセンスではないかと思います。」の部分が理由の説明になります。

 この部分を言い換えている③が正解になります。

 

(正解)  ③

 

ーーーーーーーー

 

(問題文本文)(概要です) 

【2】ではどうして自分が考えたことをすでに考えた誰かが必ずといっていいほど存在するのか。それは要するに、過去があるから、大袈裟に言えば、人類がそれなりに長い歴史を持っているから、です。もちろん今だって新しい発想や知見が生まれているわけですが、いろいろな分野において、過去のストックが、ある程度まで溜(た)まってしまった。だから何らかの事柄にかんして考えてみようとすると、大概は過去のどこかに参照点がある。しかしわれわれは過去のすべてを知っているわけではない。だからオリジナルだと思ってリヴァイバルをしてしまうことがある。それゆえ生じてくる問題にいかに対すればいいのか。

【3】単純な答えですが、順番はともかくとして、自力で考えてみること、過去を参照することを、ワンセットでやるのがいいのだと思います。知っていることと、わかっていることは別物なのだから、独力で理解できた方が、他者の言説を丸呑(まるの)みするよりもましに決まっています。しかしその一方で、人類はそれなりに長い歴史を持っているので、過去には思考のための潤沢な資産がある。それを使わない手はない。だから自分が考えつつあることと、他人が考えたことを、どこかのタイミングで付き合わせてみればいい。そうすることによって、現在よりも先に進むことができる。

【4】「君の考えたことはとっくに誰かが考えた問題」と、ちょっと似ていますが、盗作、パクリをめぐる問題というものがあります。これは多くのひとが気付いていると思うのですが、ある時期以後、たとえば音楽においても、メロディラインが非常に似通った曲が頻出し、しかもそれがヒットしてしまったりするという現象が起こってきました。僕は意図的な盗作よりも、むしろ盗作するつもりのなど全然なくて、つまりオリジナルを知らないのにもかかわらず、なぜかよく似てしまう、そのことの方がむしろ問題だと思います。

【5】人類がそれなりに長い歴史を持っているということは、当然ながら人類は、これまでに沢山の曲を作ってきたわけです。メロディも沢山書いてきた。だから誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易(やす)くなっていることであって、ある意味で不可避だと言ってもいい。新しいメロディが、なかなか出てこないということは、それだけ過去に素晴らしいメロディが数多く紡ぎ出されたということです。それは別に悪いことではない。もちろん B  メロディを書こうとする音楽家にとっては、これはなかなか厳しい問題かもしれません。でも、「君の考えたことはとっくに誰かが考えた問題」と同じように、自分で考えたということは自分にとっては意味のあることだけれど、それでも何かに似てしまうということはあり得る、と端的な事実を認めるしかない。自分の口ずさんだメロディが、見知らぬ過去の誰かによって奏でられていたとしても、めげる必要はない。でも、それを認めることは必要です。知らなかったんだから何が悪い、誰が何と言おうとこれは自分のものだ、ということではない。知らないより知っていた方がいい、でも知らなかったこと自体は罪ではない、ということです。

 

ーーーーーーーー

 

問3(傍線部説明問題・理由説明問題)

傍線部 B「メロディを書こうとする音楽家にとっては、これはなかなか厳しい問題かもしれません」とあるが、それはなぜか。その説明としてその説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

 

正解は②です。

②  音楽家は、新しい曲を作ることを期待されているが、多くの曲が作られてきたことで、自分が考え出したメロディに前例がある可能性が高くなるため、オリジナルな曲を作ることが困難になってきているから。

 

(解説)

 傍線部の「これ」という指示語の内容を明確化する必要があります。「これ」は、「これはなかなか厳しい問題」に着目すると、直前部分の「新しいメロディーが、なかなか出てこないということ」を、さしています。

 オリジナルな「新しいメロディー」が作り出せないことが問題なのです。

 

 ーーーーーーーー

 

 (問題文本文)(概要です)

【6】「意識せずして過去の何かに似てしまっているものに、誰かが気付いて「これって○○だよね」という指摘をする。それを自分自身の独創だと思っていた者は、驚き、戸惑う。しかし、その一方では、意識的な盗作をわからない人たちもいるわけです。明らか意識的にパクっているのだけれども、受け取る側のリテラシー(→本文の(注)→「リテラシー」→「読み書き能力。転じて、ある分野に関する知識を活用する基礎的な能力」)の低さゆえに、オリジナルとして流通してしまう、ということもしばしば起こっている。それが盗作側の利益になっていたりするならば、やはり一定のリテラシーが担保されなければならないとも思います。けれども、無意識的に何かに似てしまうというのは、これはもうしょうがないことだと思います。人類はそれなりに長い歴史を持っているのだから。 

【7】以上のような問題はいずれも、累積された過去と呼ばれる時間の中で、さまざまなことが行なわれてきてしまった、すなわち「多様性」が、ある閾値(いきち)(→本文の「注」→「限界値」)を越えてしまったということから生じています。人類がそれなりに長い歴史を持っているがゆえに、それだけ多くのコト/モノが積み重なったということに過ぎない。しかし、われわれが「多様性」を、何らかの意味でネガティブに受け取ってしまうのは、時間の流れとは別に、それがひと塊のマッス(量)として、いきなり自分の前に現れたかのように思えるからではないでしょうか。それはナンセンスなことだと思うのです。

【8】われわれは、ある事象の背後に「歴史」と呼ばれる時間があると考えるわけですが、ネット以後、そういった「歴史」を圧縮したり編集したりすることが、昔よりずっとやり易くなりました。時間軸を抜きにして、それを一個の「塊=マッス」として、丸ごと捉えることが可能になった。そういう作業において、ネットは極めて有効なツールだと思います。

【9】ただ、そのことによって、たとえば「体系的」という言葉の意味が、決定的に変わってしまった。しかし、「物語」としての「歴史」の記述/把握という営みは、少なからず行われてきたし、今も行われている。過去から現在を経て未来へと流 れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして「物語」を要求してくる。「物語」とは、因果性の別名です。だからひとは「歴史」を書くつもりで、ついつい「物語」を書いてしまう。

【10】 しかしネット以後、このような一種の系譜学的な知よりも、「歴史」全体を「塊」のように捉える 、いわばホーリスティック(→本文の「注」→「全体的、包括的」)な考え方がメインになってきたのではないかと思うのです。これはある意味では C   「歴史」の崩壊でもあります。まず「現在」という「扉」があって、そこを開けると「塊」としての「歴史」がある。その「歴史」を大摑(おおづか)みに摑んでしまって、それから隙間を少しずつモザイク状に埋めていくことが、「歴史」の把握の仕方としては、今やリアルなのではないかと思うのです。

【11】先ほど「リテラシー」という言葉を出しましたが、リテラシーが機能していないと、何をわかってもらおうとしても空回りしてしまうことがあるので、最低限のリテラシーを形成するための啓蒙の必要性が、とりわけゼロ年代(→本文の「注」→「西暦2000年以降の最初の10年間」)になってからよく語られるようになってきました。たとえば芸術にかんしても、ある作家や作品に対する価値判断に一定の正当性を持たせるためには、どうしても啓蒙という作業が必要になってくるという意見があります。時間軸に拘束されない、崩壊した「歴史」の捉え方が、90年代以後、少しずつメインになってきて、僕はそれは基本的に良いことだと思っていたのですが、ゼロ年になってくると、その弊害も起こってきた。そのひとつの例が「意図的なパクり」だったりします。だから、ここまでくると、啓蒙も必要なのかもしれないという気持ちが、僕にも多少は芽生えてきました。けれども、やはり僕自身は、できれば啓蒙は他の人に任せておきたいのです。啓蒙を得意とする、啓蒙という行為に何らかの責任の意識を持っている人たちがなさってくれればよくて、僕はそれとは異なる次元にある、未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激することの方をやはりしたい。けれどもそれも今や受け手のリテラシーをある程度推し量りながらする必要がある。そこが難しい所であるわけですが。」

 

ーーーーーーーー

 

問4(傍線部説明問題) 傍線部C「『歴史』の崩壊」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

① インターネットによる情報収集の普及にともない、過去の出来事と現在の出来事との類似性を探し出すことが簡便にできるようになったため、両者の本質的な違いに着目することによって得られる解釈を歴史と捉える理解の仕方が成り立たなくなってしまったということ。

② インターネットによる情報収集の普及にともない、累積された過去に内在する多様性を尊重することが要求されるようになったため、多くの出来事を因果関係から説明し、それから構成された物語を歴史と捉える理解の仕方が人々に共有されなくなってしまったということ。

③ インターネットによる情報収集の普及にともない、過去の出来事を重要度の違いによって分類することができるようになったため、重要であるか否かを問題にすることなく等価なものとして拾い出された過去の出来事の集合体を歴史と捉える理解の仕方が根底から覆ってしまったということ。

④ インターネットによる情報収集の普及にともない、過去の個々の出来事を時間的な前後関係から離れて自由に結びつけられるようになったため、出来事を時間の流れに即してつなぐことで見いだされる因果関係を歴史と捉える理解の仕方が権威を失ってしまったということ。

⑤ インターンネットによる情報収集の普及にともない、累積された膨大な情報を時間の流れに即して圧縮したり編集したりすることが容易になったため、時間的な前後関係や因果関係を超えて結びつく過去と現在とのつながりを歴史と捉える理解の仕方が通用しなくなってしまったということ。

 

……………………………

 

解答・解説・問4

(問題の解答・解説)

 →選択肢は少々長いですが、「傷・ミス」を発見するようにしてください→「消去法」

 

 正解は④です。

 傍線部直前の「これ」は、直前の文の「『歴史』全体を『塊』のように捉える、いわばホーリスティック(「全体的、包括的」)な考え方」を、さしています。

 本来は、「歴史」を「時間軸」に沿った(「時間」が介在した)、「因果性」のある「物語」と捉えるべきです。

 これが、「系譜学的な知」です。

 ところが、「ネット以後」、「このような系譜学的な知よりも、『歴史』全体を塊のように捉える考え方がメインになってきたのではないか」、と筆者は主張しているのです。 

 

①は、「類似性を探し出すこと」の部分が、

②は、「過去に内在する多様性を尊重することが要求」の部分が、

③は、「過去の出来事を重要度の違いによって分類」の部分が、

⑤は、「因果関係を超えて結びつく」の部分が、

それぞれ、本文に、このような記述がなく、誤りになります。 

 ④は、「傷・ミス」がなく、「傍線線部、および、その前後」を言い換えているだけでなので、これが最も適当であり、正解となります。

 このように、各選択肢の「傷・ミス」をチェックしていくと、早く解答することができます。→「消去法」

 すぐに、選択肢を見るべきです。

 

(当ブログによる補充的解説)

〔1〕【  「『因果性』の軽視」は、「『論理性』の軽視」ということ】

 「因果性」、つまり、「原因・結果の流れ」を意識しないということは、「論理」を意識しないということです。

 これは、深刻で重大な問題です。

 「歴史の崩壊」だけでは、すまない問題です。

 「共同体」・「社会」・「人類」の「崩壊」、そして、「『ホモ・サピエンス(賢い人間)としての人間存在』の崩壊」につながる危険性があります。

 当ブログの第2回記事に取り上げた土井隆義氏の論考(『友だち地獄ー「空気を読む」世代のサバイバル』)の中に、「現代の若者たちは、自らのふるまいや態度に対して、言葉で根拠を与えることに、さしたる意義を見出だしにくくなっている。」という記述がありました。

 要するに、「現代の若者は、言葉を尊重しない」ということです。

 以上の点から考えると、これからの人間は「論理性」や「言葉」を軽視し、主に、動物のように、「本能」、「感性」、「直感」、「好き嫌い」で生きるのでしょうか?

 これも、一種の「反知性主義の蔓延」ということになるのでしょうか。

 

ーーーーーーーー 

 

問5 (キーワード説明問題) この文章全体を踏まえ、「啓蒙」という行為に対する筆者の考えをまとめたものとして最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

 

 正解は②です。②は、以下のような記述になっています。

 

②膨大な情報に取り囲まれ、物事の判断基準が見失われた現代では、正当な価値判断を行うためのリテラシーを形成する啓蒙という行為の必要性は高まり続けている、と筆者は思っている。しかし、みずからその作業を率先して担うよりは、好奇心を呼び起こすことで人が自力で新たな表現を生み出すよう促す側に身を置き続けたいと考えている。

 

 (解説)

【11】段落後半部の「啓蒙は必要」だが「啓蒙は他の人に任せておきたい」、「僕はそれとは異なる次元にある、未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激することの方をやはりしたい。」という記述がポイントになります。

①は、「単に他者を啓蒙するだけにとどまらず」の部分が、啓蒙はしないので、誤りです。

②は、上記の【11】の後半部分のポイント部分に合致しているので正しく、正解になります。

③は、「あえて地者を啓蒙する場にとどまり続けたい」の部分が、誤りです。

④は、「啓蒙という行為に積極的に関わる」の部分が、誤りです。

⑤は、「あえて啓蒙の意義を否定し」の部分が、誤りです。

 

以上からすると、問5は、標準レベルの問題です。

 

 ーーーーーーーー

 

問6 (文章表現説明問題)  この文章の表現に関する説明として適当でないものを、次の①~⑧のうちから二つ選べ。 

①  第1段落に出てくる「教えて君」「教えてあげる君」のような「君」付けの呼称は、それらの人たちに対する親しみではなく、軽いからかいの気持ちを示している。

②  第3段落の前半にある丁寧の助動詞「ます」がその段落の後半に出てこなくなるのは、読み手に対する直接的な気配りよりも内容そのものの説明に重点が移っているからである。 

③  第4段落の末尾の文中にある「そのこと」という指示表現は、それを用いず「なぜかよく似てしまうことの方が~」と続けた場合に比べて、次の段落への接続を滑らかにする働きをしている。 

④  第5段落の後半になって「~ない」という打消し表現が目立つようになるのは、同じ話題に関する議論を深めるために、肯定の立場から否定的な立場に転じて論じているからである。

⑤  第7段落の第4文で「しかしだからといって、~ありません。」は、第3文と同じく「しかし」という接続詞で始まっているが、どちらの「しかし」も第2文に対して逆接関係にあることを示している。

⑥  第8段落の第1文になって初めて「歴史」という語をカギカッコ付きで表示するようになったのは、従来の捉え方による歴史であることを際立たせるためである。

⑦  第10段落の第2文「これはある意味では~あります。」の「ある意味では」という表現は、一文全体を婉曲(えんきょく)な言い回しにするという働きをしている。

⑧  第11段落の第7文「啓蒙を得意とする、~したい。」の中の「なさって」という尊敬表現によって示される敬意には、その人たちに対して距離を置こうとする働きが含まれている。

 

 ……………………………

 

 (解説・解答)

この設問は、本文を読む前に見ておくと、効率的に問題を処理することができます。

 
①  筆者はネット上の「啓蒙」教え合いを問題視しています。「軽いからかい」という解釈は問題ないでしょう。 

②  第3段落後半から、筆者は自説を詳説しています。この②は正しいです。

③ 「そのことの方が」という表現は、直前を強調するためです。次の段落との接続を意識したものでは、ありません。この③は、適当では、ありません。

④  確かに、「~ない」という表現は多いですが、肯定の立場から否定の立場に転じてはいないので、この④は適当では、ありません。

⑤  この選択肢は正しいです。

⑥  カギカッコ付きの「歴史」は、「物語」、「因果性の別名」であり、それがネット社会の中で「崩壊」しているというのが筆者の主張です。従って、カギカッコ付きの「歴史」は「従来の捉え方による歴史」と言えます。正しいです。

⑦  この選択肢は問題ありません。

⑧  筆者の立場からすると、「啓蒙を得意とする」人たちは筆者とは「異なる次元」にいる人たちなので、「距離を置こう」としているという解釈は適切と言えます。

 

(解答)  ③・④ 

 

 (3)問題文本文の構成

 

【1】段落→筆者は、自分の知識より低いレベルに合わせてしまう「教えてあげる君」が、「教えて君」問題だと説明しています。

 

【2】段落~第【6】段落→盗作(パクリ)についてです。 筆者は、盗作が起こるのは、歴史の中に、潤沢な資産、溢れるばかりのストック、があるのが原因だと言っています。盗作の中には、偶然的なものと、意図的したものがあります。

  

【7】段落~【10】段落→盗作問題の解決方法について、筆者は、創作をしたら、過去に遡って同じような物がないかの検証をすることを提案しています。

 

【11】段落→最低限のリテラシーが機能しなくなったので、啓蒙の必要性が問題になっている。ネットの発達によって人々の「知」の在り方は変質し、系譜学的な知よりも、包括的なとらえ方がメインになった。それは良いことではあるのだが、既存の知識の積み重ねがないので、「意図的なパクリ」に気付かないなどの弊害も生じる。今は、筆者も啓蒙の必要を感じる。しかしながら、筆者は、啓蒙とは異なる次元にある、僕未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激することを、やはりしたいと考えている。

 

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(7)佐々木敦氏の紹介 

佐々木敦(ささき・あつし1964年生まれ。愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学卒業。批評家音楽レーベルHEADZ主宰。雑誌『エクス・ポ』編集発行人。

 

【著書】

『映画的最前線  1988-1993』(水声社・1993)

『カルト・ムービーズ  こだわりの映画読本』(キーワード事典編集部共編・洋泉社・1993)

『ゴダール・レッスン あるいは最後から2番目の映画』(フィルムアート社・1994)

『テクノイズ・マテリアリズム』(青土社 2001)

『「批評」とは何か?  批評家養成ギブス』(メディア総合研究所・2008・ブレインズ叢書)

『ニッポンの思想』(講談社現代新書・2009)

『文学拡張マニュアル  ゼロ年代を超えるためのブックガイド』(青土社・2009)

『未知との遭遇   無限のセカイと有限のワタシ』(筑摩書房・2011)

『批評時空間』(新潮社・2012)

『あなたは今、この文章を読んでいる。 パラフィクションの誕生』(慶應義塾大学出版会・2014)

『ニッポンの音楽』(講談社現代新書・2014)

『ゴダール原論   映画・世界・ソニマージュ』(新潮社・2016)

『ニッポンの文学』(講談社現代新書・2016)

  

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今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後の予定です。

ご期待ください。

 

    

  

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ニッポンの音楽 (講談社現代新書)

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ニッポンの思想 (講談社現代新書)

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