現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2017東大国語第1問(現代文・評論)的中報告・解説・科学と倫理

(1)2017東大国語第一問・的中報告→2017センター試験国語第1問(現代文・評論文)に続き、2017東大国語第1問にも当ブログの予想論点記事(「科学論」「科学と倫理」)が的中しました。2016東大現代文ズバリ的中・一橋大現代文ズバリ的中(共に全文一致)に続く喜びです。そこで、今回は、2017東大国語第1問(現代文・評論)の解説をします。

 

 当ブログでは、「東日本大震災」・「福島原発事故」・「人工知能」などを素材として、「科学の急激な発展」、「科学の暴走」、「科学コミュニケーション」、「科学と倫理」について考察した予想論点記事を発信してきました。

 詳しくは、下のリンク画像をご覧ください。

 

 そして、2017センター試験国語第1問で、「科学コミュニケーション」が出題され、2017東大国語第1問で「科学と倫理」が出題されました。

 「科学コミュニケーション」の重要な目的の1つが、「科学的倫理基準の民主的コントロール」であることを考慮すると、2つの問題は、『「科学の暴走」と「人類の危機」』という同一の問題意識が背景にあると言えるでしょう。

 2017センター試験国語第1問、2017東大国語第1問ともに、「科学の暴走」という、現代の重大な問題を真正面から取り上げた、「誠実」かつ「真摯(しんし)」な問題だと思います。

 2つの問題の作成チームに敬意を表します。

 「人工知能」・「遺伝子操作」・「分子生物学」・「原発」・「先端医療」等を考えると、今回の2問は、来年度入試においても、国語(現代文)・小論文における重要論点・テーマとなるはずです。

 従って、よく理解しておく必要があるでしよう。

 

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 芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

 

 

 

 

 

(2)2017東大国語第1問(現代文・評論)・解説ー『芸術家たちの精神史』伊藤徹

 

(問題文本文)(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です)

【1】テクノロジーには問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる。科学技術によって産み落とされた環境破壊が、それを取り戻すために、新たな技術を要請するといった事例は、およそ枚挙にいとまないし、感染防止のためのワクチンに対してウィルスが耐性を備えるようになり、新たな開発を強いられるといったことは、毎冬のように耳にする話である。東日本大震災の直後稼働を停止した浜岡原発に対して、中部電力が海抜二二メートルの防波堤を築くことによって、「安全審査」を受けようとしているというニュースに接したときも、同じ思いがリフレインするとともに、こうした展開にはたして終わりがあるのだろうかという気がした。技術開発の発展が無限に続くとは、たしかにいいきれない。次のステージになにが起こるのか、当の専門家自身が予測不可能なのだから、先のことは誰にも見えないというべきだろう。けれどもァ 科学技術の展開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引(けんいん)していく不気味なところがある。

 

 ーーーーーーーー

 

(問題)

設問(一)「科学技術の展開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引していく不気味なところがある」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

………………………………

 

(解説・解答)(傍線部説明問題)

→今回の東大の問題も、設問が誘導的で親切です。

 本文より先に、設問から読むとラクです。

  「不気味なところ」を、明確に説明するようにしてください。

 

 つまり、 「科学技術の展開」がどのような点で「不気味」と言えるのかを説明することが大切です。

 第一段落は、全体が「科学技術の展開の不気味なところ」の説明になっています

 傍線部と第1段落第1文が、ほぼ同内容です。

    「困難を人間の力で解決しようとして営まれるテクノロジーには、問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っている」の部分が、かなり「不気味な」内容です。

 従って、第1段落第1文のキーフレイズを使用して、傍線部を説明するとよいでしょう。

 

(解答)

問題解決のための科学技術が自ら新たな問題を作り出し、次なる技術を要請するという自己展開過程に、人間を巻き込むということ。(60字)

 

(補足的説明) 

   「科学技術の自己展開の不気味さ」は、「人工知能の発展」に特に顕著です。

 人工知能がどこまで発達するかは、全く未知数です。

 最近のSF映画には、人工知能をテーマにしたものが目立ちます。

 特に、『2001年宇宙の旅』『ターミネーター』『マトリックス』などは、「人工知能の自己展開の不気味さ」をテーマにしていると言えます。

   「人工知能の自己展開の不気味さ」については、下の記事を、ご覧ください。

 

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ーーーーーーーー 

 

 (問題文本文)(概要です)

【2】医療技術の発展は、人工受精技術を開発してきた。そして、多胎妊娠対策のために、現在は子宮内に戻す受精卵の数を制限するようになっている。だが、この制限によっても多胎の「リスク」は、自然妊娠の二倍と、なお完全にコントロールできたわけではないし、複数の受精卵からの選択、また選択されなかった「もの」の「処理」などの問題は、依然として残る。

【3】いずれにせよ、こうした問題に関わる是非の判断は、技術そのものによって解決できる次元には属していない。 延命に関する技術の進展は、以前なら死んでいたはずの人間の生命を救済し、多数の療養型医療施設を生み出すに到っている。

【4】しかしながら老齢の人間の生命をできるだけ長く引き伸ばすということは、可能性としては現代の医療技術から出てくるが、現実化すべきかどうかとなると、その判断は別なカテゴリーに属す。「できる」ということが、そのまま「すべき」にならないのは、核爆弾の技術をもつことが、その使用を是認することにならないのと一般である。テクネーである技術は、ドイツ語の語源が示す通り、「できること」の世界に属すものであって、「すべきこと」とは区別されねばならない。

【5】テクノロジーは、本質的に「一定の条件が与えられたときに、それに応じた結果が生じる」という知識の集合体である。すなわち、「どうすればできるのか」についての知識、ハウ・トゥーの知識だといってよい。それは、結果として出てくるものが望ましいかどうかに関する知識、それを統御する目的に関する知識ではないし、またそれとは無縁でなければならない。その限りのところでは、テクノロジーは、ニュートラルな道具だと、いえなくもない。ところが、こうして「すべきこと」から離れているところに、それがィ 単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由もある。

【6】テクノロジーは、実行の可能性を示すところまで人間を導くだけで、そこに行為者としての人間を放擲(ほうてき)するのであり、放擲された人間は、かつてはなしえなかったがゆえに、問われなかった問題に、しかも決断せざるをえない行為者として直面する。

【7】妊婦の血液検査によって胎児の染色体異常を発見する技術には、そのまま妊娠を続けるべきか、中絶すべきかという判断の是非を決めることはできないが、その技術と出会い行使した妊婦は、いずれかを選び取らざるをえない。

 

 ーーーーーーーー

  

(問題)

設問(二)「単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

 

………………………………

 

(解説・解答)(傍線部説明問題)

 

「こうして「すべきこと」から離れているところに、それが ィ 単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由もある。」

という文脈からは、傍線部の意味は把握困難ですが、直後の2つの段落に、分かりやすい説明があります。

 この設問は、傍線部直前と傍線部だけを見て悩まずに、すぐに傍線部直後を読めば、標準的なレベルの問題と言えます。

 

 (解答)

 テクノロジーは行為の是非とは無関係に、行為の実行の可能性を示すのみで、人間にその行為の是非の決断を迫るということ。(57字)

 

ーーーーーーーー

 

(問題文本文)(概要です)

【7】妊婦の血液検査によって胎児の染色体異常を発見する技術には、そのまま妊娠を続けるべきか、中絶すべきかという判断の是非を決めることはできないが、その技術と出会い行使した妊婦は、いずれかを選び取らざるをえない。

【8】療養型医療施設における胃瘻や経官栄養が前提としている生命の可能な限りの延長は、否定しがたいものだ。だが、飢えて死んでいく子供たちが世界に数えきれないほど存在している現実を前にするならば、自ら食事をとることができなくなった老人の生命を、公的資金の投入まで行なって維持していくことが、社会的正義にかなうかどうか、少なくとも私自身は躊躇(ちゅうちょ)なく判断することができない。

【9】ここで判断の是非を問題にしようというのでは、もちろんないし、選択的妊娠中絶の問題一つをとってみても、最終的な決定基準があるとは思えない。むしろ肯定・否定を問わず、いかなる論理をもってきても、それを基礎づけるものが欠けていること、そういう意味でゥ 実践的判断が虚構的なものでしかないことは明らかだと、私は考えている。 

【10】たとえば現世代の化石燃料の消費を将来への責任によって制限しようとする論理(→環境倫理)は、物語としては理解できるが、現在存在しないものに対する責任など、応答の相手がいないという点で、想像力の産物でしかないといわざるをえない。その他倫理的基準なるものを支えているとされる概念、たとえば「個人の意思」や「社会的コンセンサス」などが、その美名にもかかわらず、虚構性をもっていることは、少しく考えてみれば明らかである。主体となる「個人」など、確固としたものであるはずがなく、その判断が、時と場合によって、いかに動揺し変化するかは、誰しもが経験することであり、そもそも「個人の意思」を書面で残して「意思表明」とするということ自体、かかる「意思」なるものの可変性をまざまざと表している。

 

 ーーーーーーーー

 

(問題)

設問(三)「実践的判断が虚構的なものでしかないことは明らか」(傍線部ウ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)

 

………………………………

 

(解説・解答)(理由説明問題)

①  傍線部直前の「そういう意味で」に着目して、「むしろ肯定・否定を問わず、いかなる論理をもってきても、それを基礎づけるものが欠けていること」が、ヒントになることを読み取ってください。

②  また、直後の段落が、傍線部の具体的説明になっていることを読み取ってください。

③  この設問は、傍線部の直前・直後をまとめる問題です。

 

(解答) 

科学技術使用の是非を判断する時に適用される倫理的基準は、人間の可変的な想像力によるので、判断の基礎として確固としていないから。(63字)

 

ーーーーーーーー 

 

(問題文本文)(概要です)

「【11】だが、行為を導くものの虚構性の指摘が、それに従っている人間の愚かさの摘発に留まるならば、それはほとんど意味もないことだろう。虚構(→ここに言う「虚構」とは「人工な制度」も含まれます)とは、むしろ人間の行為、いや生全体に不可避的に関わるものである。人間は、虚構とともに生きる、あるいは虚構を紡ぎ出すことによって己れを支えているといってもよい。問題は、テクノロジーの発展において、虚構のあり方が大きく変わったところにある。テクノロジーは、それまでできなかったことを可能にすることによって、人間が従来それに即して自らを律してきた虚構、しかもその虚構性が気づかれなかった虚構、すなわち神話を無効にさせ、もしくは変質を余儀なくさせた。それは、不可能であるがゆえにまったく判断の必要がなかった事態、「自然」に任すことのできた状況を人為の範囲に落とし込み、これに呼応する新たな虚構の産出を強いるようになったのである。そういう意味でェ テクノロジーは、人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう。 」(  伊藤徹『芸術家たちの精神史』)

 

 ーーーーーーーー

 

(問題)

設問(四)「テクノロジーは、人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう」(傍線部エ)とはどういうことか、本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。

 

………………………………

 

(解説・解答)(傍線部説明問題)

 本設問は「人間の生の不安定性」という点で、前の設問(一)~(三)に関連していることに注意してください。

  傍線部直前の「そういう意味」は、直前の一文、つまり、それ(→テクノロジー)は、不可能であるがゆえにまったく判断の必要がなかった事態、「自然」に任すことのできた状況を人為の範囲に落とし込み、これに呼応する新たな虚構の産出を強いるようになったのであるを、受けています。

②  傍線部の「人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう」の説明は、最終段落第4文(「問題は、テクノロジーの発展において」以下)から始まることに注意してください。

   「従来の倫理的基準のあり方」が、「暴走するテクノロジー」によって、いったい、どのように変質しているのか、を「本文全体の論旨を踏まえた上で」説明するようにしてください。

④  上記のについては、「テクノロジーの本質的な性質」を指摘した第1段落第1文(「テクノロジーには問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる」)を、意識してください。

 

(解答)

自己展開するテクノロジーの発達により不可能な行為が可能になり、人間はその是非の決断を迫られる場面に直面して、既存の倫理の虚構性が暴露されたが、新たな問題に対処するために倫理的基準を作成し続ける必要性が生じたということ。 (116字)

 

(補足的説明)

 

 自己展開する、急速なテクノロジー(科学技術)の発展に合わせて、社会は、頻繁に新しい科学的倫理基準を作成する必要に迫られます。

 「倫理」・「科学的倫理基準」は人々の行動基準です。

 「倫理」・「科学的倫理基準」が可変的で暫定的であるということは、「テクノロジーが人間的生のあり方を、その根本のところから変えてしまう」ことに、つながるのです。

 つまり、「人間的生のあり方が可変性的に暫定的になるということ」は、「人間が将来を明確に展望できないために、不安で不安定な精神生活の中に、生きざるを得ないということ」なのです。

 「利便性と効率性を過度に求めた結果、人類滅亡の不安までも生じている」という皮肉な状況を、筆者である伊藤徹氏は指摘しているのです。

 

 

(3)伊藤徹氏の紹介

 

著者について
1957年 静岡市に生まれる。 1980年 京都大学文学部卒業。 1985年 京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。 現在 京都工芸繊維大学教授。(哲学・近代日本精神史専攻)。京都大学博士(文学)
著 書
『柳宗悦 手としての人間』(平凡社,2003年),
『作ることの哲学ー科学技術時代のポイエーシス』(世界思想社,2007年),
『作ることの日本近代・1910~40年代の精神史』〔編著〕(世界思想社,2010年)
『 芸術家たちの精神史』(ナカニシヤ出版)

 

『芸術家たちの精神史』の内容は、〈ナカニシヤ出版の「BOOK」データベース〉によると、以下のようになっています。(赤字は当ブログによる「強調」です)

「作品に映る近代日本の精神を考察。高橋由一から岡本太郎、寺山修司まで、芸術家たちが造形してきた近代日本の精神と、原発問題に象徴されるテクノロジーの暴走、一見かけ離れた両者の交叉点を哲学的に探る。」

 

 以上を読むと、今回の東大現代文の論点・テーマが「テクノロジーの暴走」であり、2017センター試験国語第1問の論点と同一であることが、分かります。

 


(4)当ブログの他の「科学の暴走」・「科学と倫理」関連記事の紹介

 

今回の東大現代文に関連している当ブログの最近の記事です。

今回の問題に対する理解を深めるためにも、ぜひ、ご覧ください。

 

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ーーーーーーーー

 

今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

 

   

 

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