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現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2015立教大国語(現代文)解説「波打ち際で生きる」松浦寿輝

予想問題 東日本大震災 松浦寿輝 入試頻出著者 人間主義 エッセイ・随筆 2015立教大学現代文解説 『波打ち際に生きる』松浦寿輝 巨大津波 立教大現代文解説 立教大現代文

 (1)  なぜ、この論考に注目したのか?

 

 私は、3・11東日本大震災以降、大学入試現代文(国語)・小論文の傾向が大きく変化した、と分析しています。

 「入試現代文の最新傾向」において、「重要な、気付きにくい2本の柱」は、「IT 社会の光と影と闇」、そして、「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」です。

 このことは、このブログの第1回記事において、強調しておきました。

 ぜひとも、下の、冒頭記事画像からリンクして、お読みください。

  

 

 従って、直接的に間接的に3・11に関連している入試問題(現代文・小論文)は、何度も読むようにしています。

 

 最近気になっていたのは、2015年に立教大学(経済・観光・コミュニティ福祉)(国語(現代文))で出題された、松浦寿輝氏の「東京大学退官記念講演『波打ち際に生きるー研究と創作のはざまで』」(『波打ち際で生きる』所収)の一節です。

 

  松浦氏の文章は、最近では、上智大学、明治大学、東京農業大学で出題されていて、入試頻出著者です。

 松浦氏は、詩集『冬の本』で高見順賞、評論『折口信夫論』で三柱島由紀夫賞、小説『花腐し』(はなくた)で芥川賞、詩集『吃水都市』で萩原朔太郎賞等を受賞した、当代一流の、小説家、詩人、評論家です。

 

 そこで、詳しく調査したところ、この文章は、東日本大震災の翌年の講演を元にしたものであることが、分かりました。

 そして、立教大学で出題されたのは、講演の一部分であり、この部分の後には、「3・11の衝撃」「人間主義の無力」についての言及があることが、分かりました。

 そこで、このブログで記事にすることにしたのです。

 

 気になった箇所というのは、以下の文章です。

 「異界としての海にはいろいろなものが潜んでいる。打ち寄せてくる波に乗って、何やら怪物的な脅威であるかもしれない他者が、いつ何どき、そこから訪れてくるかもしれない。そうした怯えとともにわたしは波打ち際に立っている」

 不気味な内容です。

 思わず、ゾクッとしてしまいます。

 3・11東日本大震災の、巨大津波を思い出させます。

 あの、うねり、渦巻く、黒ずんだ巨大な生物のような津波の、様々な異様な映像を忘れることは、できません。

 あの巨大津波は、私達の自然観、世界観、人生観、人間観等の様々な価値観を、激しく揺さぶりました。

 あの恐怖を、このような形で文章化して、後世に継承しようとした松浦氏に、敬意を表したいと思います。

 人間は、実に、忘れやすい生物です。

 特に、日本人は、その傾向が目立ちます。

 福島原発事故をきっかけとして高まった「科学への懐疑」は、今や、かなり薄まった感じさえします。

 この論考は、忘れやすい日本人に対する、一種の警鐘のようにも思えます。

 

(2)論考の概要、解説

 さて、立教大学で出題された論考の概要を以下に解説します。

 この論考は、「波打ち際の心もとなさ」という感覚を手掛かりに、これまでの研究と創作という自身の仕事の系譜を、振り返った内容になっています。 

 松浦氏は、「波打ち際」に、以下のように四つの意味付けをしています。

 

(1)海、陸の境界領域としての不確定さ、不分明さ、不安定さ。

(2)海に曝されている「緊張」と、陸に庇護されているという「安息」のアンビバレント(両極性)。

(3)未知なる他者を迎え入れる場、つまり、予感・畏怖・誘発の場。

 松浦氏は、ここで、3・11東日本大震災の巨大津波に繋がる「荒々しさ」、しばしば存在を引き裂く「セイレーン」(ギリシャ神話に登場する、女性の頭部と鳥の胴体を持つ、海の怪物)的なものを出現させる場としての意味にも言及しています。

 (4)映画館のスクリーン、イメージと音響が押し寄せる場。

 

死ぬまでに行きたい! 世界の絶景

 

 (3)斎藤隆の解釈

 以上の全体の流れの中で、「巨大津波」のイメージに関する記述、および、それに類する記述が、クラシック音楽のリフレインのように、何度も出てくるのです。

「打ち寄せてくる映像と音響の波動に身をさらし」

「『彼方』からイメージと音響の量塊がどっと押し寄せてくる」

「波打ち際が、眼前に絶えず不安定に、不分明に揺れている」

 

 私は、これらの点に注目したのです。

 読者は、まるで、散文詩のように、「津波のイメージ」に包まれていきます。

 このレクイエムのような、詩的な論考を読みながら、私は思いました。

 松浦氏は東日本大震災直後に、その頃、断続的に続いていた余震と巨大津波映像の恐怖の記憶の中で、今までの仕事の系譜を考えながら、「波打ち際の心もとなさ」という特異な、秀逸な視点を、考えついたのではないか、と。

 

 確かに、「人間」・「人生」それ自体が、「心もとなさ」に覆われているのです。

 私たちは、「平均寿命」という、マスコミと医学界のマジックに、惑わされていますが、「人生」においては、平均寿命までの確定的なスケジュールが保証されているわけでは、ありません。

 不意に終焉を迎えることも、充分にあるのです。

 その当然の「真理」を、私たちは、あの東日本大震災で、改めて知らされたのです。しかも、日本は、世界有数の地震国です。

 少なくとも、あの頃の状況を思い起こしてみると、私の推測は、大きく外れてはいないでしょう。

 

 あの時の状況に素直に対応して、自分の動揺、不安、恐怖を隠すことなく、むしろ、それらを実体化して、そこから、自分の仕事の系譜を考えるという松浦氏の姿勢は、見事としか言いようがありません。

 その純粋な自然体から生み出された詩的な表現が、私たちにあの頃を思いおこさせつつも、しみじみと感動させるのでしょう。

 密度の濃い名文です。

 従って、また、他の難関大学の現代文(国語)・小論文で出題される可能性があります。

 実際に、読みごたえのある、「人生」を考えさせる「哲学的」な名文は、様々な難関大学の現代文(国語)・小論文で何度も繰り返し出題されているのです。

 私は、そのような例を何回も見てきました。

 センター試験国語対策、難関国公立私立大学の現代文(国語)・小論文対策として、この松浦氏の「3・11東日本大震災」・「人生」・「人間」・「人間主義の無力」・「生と死」・「仕事」・「思い出」・「恐怖」・「安息」・「自然」・「海」・「芸術」・「両極性(アンビバレント)」についての、哲学的・根源的・詩的論考は、じっくり読んでおくべきです。

 

 このような事情から、今回は、松浦氏のこの論考を紹介しました。

 

 

 

 

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