現代文(国語)解法・対策ー「文章並べ替え問題」のコツ・ポイント
(1)現代文(国語)で頻出の「文章並べ替え問題」をマスターしよう。
最近は、早稲田大学、マーチレベル大学、関関同立などの難関大学で、「文章並べ替え問題」が流行になっています。
今まで出題歴のない大学や学部で、突然、出題されることも、よくあります。
従って、しっかりと対策をしておくべきです。
この問題が出来ないと、全体の文脈の把握が困難になります。配点以上のダメージを受けることになります、
しかも、本番では、本文全体のキーの部分が、文章並べ替え問題として使われることが多いので、「文章並べ替え問題」を得意分野にしておくべきです。
「文章並べ替え問題」が不得意な受験生は、「文章並べ替え問題」のみを、集中的にやるようにしてください。
短期間に「文章並べ替え問題」を集中的にやることで、解法のポイント・コツを会得することが、可能になるのです。
しかも、その際には、志望校レベルの過去問のみを、やるようにした方が賢明です。
良質な問題を演習しなければ、実力はつきません。
「文章並べ替え問題」は、論理力や推理力のアップに有用です。
しかも、先程述べましたように、志望大学で今まで「文章並べ替え問題」が出題されていないとしても、いつ出題されるか分からないので、油断なく準備しておくべきでしょう。
【「文章並べ替え問題」の解法・ポイント】
① 第一に、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)の全体、空欄の直前・直後の文脈にざっと目を通して、大まかな内容(文脈)を把握する。
② その後は、まずは、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)に集中する。
初めに、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)の各文の中心テーマを把握。その際に、各文の接続語、指示語、文末等をチェックする。
③ その上で、文章のペアを作っていく。 その際には、わかるものからペアを作っていく。
つまり、どれが「全体の最初の文章」として適切か、については、あまり気にしないようにする。
→全部の順序を一度に確定しようとはしないことです。せっかちは禁物です。イライラしないように! 冷静第一です。地道第一です。
最初は、「ペアを作ること」に専念するべきです。
④ ペアを2~3組程度作った後で、「どのペアが最初に来るか、最後に来るか」、を考える。
その際には、「空欄(並べ替え問題の空欄)の直前・直後」と「並べ替えた文」との接続関係を精密にチェックする。
以上を前提にして、早稲田大学教育学部・政経学部の過去問の演習にチャレンジしてしてください。
演習問題の直後に、解説・解答記事があります。
(2)2010年度・早稲田大学教育学部・「旅のいろいろ」谷崎潤一郎
(↑「旅のいろいろ」が収録されています)
(問題文本文)
(青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です)
「当節の宣伝は騒々しいお客を一(ひ)と纏(まと)めにして一つの地方へ掃き寄せてくれる働きがある。せんだっても和気律次郎君の話に、近来紀州の白浜が大々的の宣伝をやり出した結果、別府がすっかりさびれてしまって弱っているということであったが、もともとわれわれは、新し物好きの、一時のお調子に乗り易い国民であるから、或る一箇所が鉦(かね)や太鼓でジャンジャン囃(はや)し立てると、どッとその方へ寄り集まつて、余所(よそ)の土地は皆お留守になってしまう。そこで、そのコツを呑(の)み込んで、宣伝の裏を掻(か)くようにする、一方へ人が集まった隙(ひま)にその反対の方面へ行く、という風に心がけると、面白い旅をすることがある。何処(どこ)そことはっきり指摘するのは趣意(→「考え。目的」という意味。「意味問題」が入試頻出)に反するからいわないが、大体において、瀬戸内海の沿岸や島々などは、そういう意味で閑却(かんきゃく)(→「無視する。捨て置く」という意味。「意味問題」が頻出)されている地方ではないか。冬あの辺へ行ってみると、実にぽかぽかして暖かい。
[ D ]
そうしてそういう心がけになれば汽車や電車の御厄介(ごやっかい)(→「読み」が頻出)にならずとも、たとえば私が住んでいるこの精道村の裏山あたりの誰も気が付かない谷あいや台地などに、却(かえ)って恰好(かっこう)(→「読み」が頻出)な花と場所とを見出だすことがあるからである。
なおまた、これだけは大阪地方の読者諸君にそっとお知らせしたいのであるが、私は実は、桃の花の咲く時分、関西線の汽車に乗って春の大和路を眺めることを楽しみの一つに数えているのである。」(谷崎潤一郎「旅のいろいろ」)
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問題 空欄Dには、次のア~オの五つの文章が入る。正しい順序に並び替えよ。
ア 如才(じょさい)のない(→「如才のない」とは「気がきいて、手抜かりがない」という意味。「意味問題」が入試頻出です)鉄道省では、毎年山々の雪が融(と)けてスキーが駄目になった時分からぽつぽつ花の宣伝を始め、四月中は花見列車を出すのは勿論(もちろん)(→「読み」が入試頻出)、次の日曜には何処(どこ)が見頃とか何処が七分咲きとか一々掲示をしてくれるので、静かな花見をしたい者は、そういう場所を避けて廻ればよいことになる。
イ 阪神地方も暖かいけれども、あの辺はまたひとしお暖かく、一月の末には早(は)やちらほらと梅が咲き初めるし、蓬(よもぎ)を摘んで草餅を作ったりなどしている。
ウ 私は花見が大好きで春はどうしても絢爛(けんらん)(→「読み」・「意味問題」が入試頻出)たる花盛りの景色を見ないと、春の気分を堪能(たんのう)(→「読み」・「意味問題」が入試頻出)しないのであるが、これにもやはり今のコツで行く。
エ そのくせ、避寒の客たちは白浜や別府や熱海などへ集まってしまっているから、何処の宿屋もひっそり閑(かん)として、まことに悠々たるものである。
オ それというのが、何も花を見るのには名所の花に限ったことはないのであって、見事に咲いたただ一本の桜があれば、その木陰に幔幕(まんまく)を張り、重詰めを開いて、心のどかに楽しむことが出来るからである。
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(解説・解答)
上記の、
① 第一に、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)の全体、空欄の直前・直後の文脈にざっと目を通して、大まかな内容(文脈)を把握する。
② その後は、まずは、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)に集中する。
初めに、「並べ替えるべき文章」(選択肢の文章)の各文の中心テーマを把握。その際に、各文の接続語、指示語、文末等をチェックする。
③ その上で、文章のペアを作っていく。 その際には、わかるものからペアを作っていく。
つまり、どれが「全体の最初の文章」として適切か、については、あまり気にしないようにする。
の手順に注意してください。
(1)まず、各選択肢を検討します。
イ・エは「暖かい」・「避寒」でペアになり、ア・ウ・オに共通するテーマは「花見」なので、グルーピング(分類分け)が可能になります。
まず、イ・エから検討します。
エの「そのくせ」がヒントになります。
イの「あの辺はまたひとしお暖かく、一月の末には早(は)やちらほらと梅が咲き初めるし、蓬(よもぎ)を摘んで草餅を作ったりなどしている」を受けて、「そのくせ」(それなのに)「避寒の客たちは白浜や別府や熱海などへ集まってしまっている」(エ)のである、と理解することが可能です。
「イ→エ」のペアが確定します。
次にア・ウ・オを検討します。
オの「それというのが、心のどかに楽しむことが出来るからである」は、直前の一文のを理由になるので、オの「何も花を見るのには名所の花に限ったことはない」に対応する一文を探せばよいことになります。
そうなると、「何も花を見るのには名所の花に限ったことはない」は、アの「鉄道省では、・・・・次の日曜には何処(どこ)が見頃とか何処が七分咲きとか一々掲示をしてくれるので、静かな花見をしたい者は、そういう場所を避けて廻ればよい」に対応します。
従って、「ア→オ」が成立します。
ウの「私は花見が大好きで」・「これにもやはり今のコツで行く」は、「花見の基本的な方針」の表明なので、「ア→オ」の前にくることが分かります。
よって、「ウ→ア→オ」のセットが確定します。
(2)次に、「これまでに作ったペア、セット」と、「空欄の直前・直後の文脈」との接続関係の確認をします。
空欄直前は「大体において、瀬戸内海の沿岸や島々などは、そういう意味で閑却されている地方ではないか。冬あの辺へ行ってみると、実にぽかぽかして暖かい。」であり、
空欄直後は、「そうしてそういう心がけになれば汽車や電車の御厄介にならずとも、たとえば私が住んでいるこの精道村の裏山あたりの誰も気が付かない谷あいや台地などに、却って恰好(かっこう)な花と場所とを見出だすことがあるからである。」
となっているので、「イ→エ」→「ウ→ア→オ」が確定します。
(解答) イ→エ→ウ→ア→オ
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(谷崎潤一郎の紹介)
谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう・1886年~1965年)日本の小説家。
初期は「耽美主義」と評価された。国内外で、近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。過去においては、ノーベル文学賞の候補になったことがあった。
代表作として、
『刺青』(→入試頻出です)『痴人の愛』『卍(まんじ)』『蓼喰う虫』『春琴抄』『陰翳礼讚』(→入試頻出です)『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』『瘋癲老人日記』などがある。
→なお、2010年度早稲田大学・教育学部では、問19として、「谷崎潤一郎の作品名(小説)を一つあげて、記せ」という問題が出題されました。谷崎潤一郎は文学史問題として頻出ですが、このような出題は珍しいです。
(3)2009年度・早稲田大学教育学部・「高坐の牡丹燈籠」岡本綺堂
(問題文本文)(青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です)
「私は「牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」の速記本を近所の人から借りて読んだ。その当時、わたしは十三、四歳であったが、一編の眼目とする牡丹燈籠の怪談の件(くだり)を読んでも、さのみに怖いとも感じなかった。どうしてこの話がそんなに有名であるのかと、いささか不思議にも思う位であった。それから半年ほどの後、円朝が近所(麹町区山元町)の万長亭という寄席へ出て、かの「牡丹燈籠」を口演するというので、私はその怪談の夜を選んで聴きに行った。作り事のようかであるが、恰(あたか)もその夜は初秋の雨が昼間から降りつづいて、怪談を聴くには全くお誂(あつら)え向きの宵であった。
「お前、怪談を聴きに行くのかえ」と、母は嚇(おど)すように云った。
「なに、牡丹燈籠なんか怖くありませんよ」
速記の活版本で高(たか)をくくっていた。(→「高をくくる」とは「軽くみる」という意味。今回の入試では「高」の部分が空欄になっていて、「ひらがな二字で記せ」という問題として出題されています)私は、平気で威張って出て行った。ところが、いけない。円朝がいよいよ高坐にあらわれて、燭台(しょくだい)の前でその怪談を話し始めると、私はだんだんに一種の妖気(ようき)を感じて来た。満場の聴衆はみな息を嚥(の)んで聴きすましている。伴蔵とその女房の対話が進行するにしたがって、私の頸(くび)のあたりは何だか冷たくなって来た。周囲に大勢の聴衆がぎっしりと詰めかけているにも拘(かかわ)らず、私はこの話の舞台となっている根津のあたりの暗い小さい古家のなかに坐って、自分ひとりで怪談を聴かされているように思われて、ときどきに左右を見返った。今日(こんにち)と違って、その頃の寄席はランプの灯が暗い。高坐の蝋燭(ろうそく)の火も薄暗い。外には雨の音がきこえる。それらのことも怪談気分を作るべく恰好(かっこう)(→「読み」が頻出)の条件になっていたに相違ないが、いずれにしても私がこの怪談におびやかされたのは事実で、席の刎(は)ねたのは十時頃、雨はまだ降りしきっている。私は暗い夜道を逃げるように帰った。
この時に、私は円朝の話術の妙と云うことをつくづく覚(さと)った。速記本で読まされては、それほどに凄(すご)くも怖(おそ)ろしくも感じられない怪談が、高坐に持ち出されて円朝の口にのぼると、人を悸(おび)えさせるような凄味(すごみ)を帯びて来るのは、実に偉いものだと感服した。時は欧化主義の全盛時代で、いわゆる文明開化の風が盛んに吹き捲(まく)っている。学校にかよう生徒などは、もちろん怪談のたぐいを信じないように教育されている。その時代にこの怪談を売り物にして、東京じゅうの人気を殆(ほとん)ど独占していたのは、怖い物見たさ聴きたさが人間の本能であるとは云え、確かに円朝の技倆(ぎりょう)(→「読み」が入試頻出)に因(よ)るものであると、今でも私は信じている。
[ D ]
「牡丹燈籠」の原本が「剪燈(せんとう)新話」の牡丹燈記であるとは誰も知っているが、全体から観(み)れば、牡丹燈籠の怪談はその一部分に過ぎないのであって、飯島の家来孝助の復讐(ふくしゅう)と、萩原の下人(げにん)伴蔵の悪事とを組み合わせた物のようにも思われる。飯島家の一条は、江戸の旗本戸田平左衛門の屋敷に起こった事実をそのまま取り入れたもので、それに牡丹燈籠の怪談を結び付けたのである。伴蔵の一条だけが円朝の創意であるらしく思われるが、これにも何か粉本(ふんぽん)(→「種本」という意味。今回の入試では、「意味」を選択問題として出題。文脈から解答が可能です)があるかも知れない。ともかくも、こうした種々の材料を巧みに組み合わせて、毎晩の聴衆を倦(う)ませないように、一晩ごとに必ず一つの山を作って行くのであるから、一面に於(お)いて彼は立派な創作家であったとも云い得る。」
(岡本綺堂「高坐の牡丹燈籠」『岡本綺堂随筆集』)
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問題 空欄Dには、次のア~オの五つの文章が入る。正しい順序に並び替えよ。
ア これは円朝自身が初めてこの話を作った時に、心おぼえの為にその筋書を自筆で記しるして置いたのであるという。
イ 実に立派な紀行文である。
ウ 春陽堂発行の円朝全集のうちに「怪談牡丹燈籠覚書」というものがある。
エ 円朝は塩原多助を作るときにも、その事蹟を調査するために、上州沼田その他に旅行して、「上野(こうずけ)下野(しもつけ)道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある。
オ 自分の心覚えであるから簡単な筋書に過ぎないが、それを見ても円朝が相当の文才を所有していたことが窺(うかが)(→「読み」・「意味問題」が入試頻出)い知られる。
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(解説・解答)
(1)まず、各選択肢を検討します。
ウの「春陽堂発行の円朝全集のうちに「怪談牡丹燈籠覚書」というものがある。」は、具体例の提示であるから、これが最初になります。
アの「これ」が、ウの「怪談牡丹燈籠覚書」をさすので、「ウ→ア」の接続関係が確定します。
アの「心おぼえの為」と、オの「自分の心覚えである」・「それを見て」に着目すると、「ア→オ」の接続関係が理解できます。
エは、「円朝は塩原多助を作るときにも」に着目すれば、「円朝が相当の文才を所有していたことが窺(うかが)い知られる」と「円朝の表現力」をかなり評価しているオの、付加的内容であることがわかります。
「オ→エ」が確定します。
イの「実に立派な紀行文である」は、「まとめ」の内容になっていますので、「エ→イ」が確定します。
以上より、「ウ→ア→オ→エ→イ」のセットが、一応確定します。
(2)「このセット」と、「空欄の直前・直後の文脈」との接続関係の確認をしてください。
今回は、特に直後の文脈との接続関係が問題になります。
オ 自分の心覚えであるから簡単な筋書に過ぎないが、それを見ても円朝が相当の文才を所有していたことが窺(うかが)い知られる。
↓
エ 円朝は塩原多助を作るときにも、その事蹟を調査するために、上州沼田その他に旅行して、「上野(こうずけ)下野(しもつけ)道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある。
↓
イ 実に立派な紀行文である。
↓
(空欄の直後)「ともかくも、こうした種々の材料を巧みに組み合わせて、毎晩の聴衆を倦(う)ませないように、一晩ごとに必ず一つの山を作って行くのであるから、一面に於(お)いて彼は立派な創作家であったとも云い得る。」
の文脈の流れは、スムーズです。
従って、このセットが正解になります。
(解答) ウ→ア→オ→エ→イ
(4)2008年度・早稲田大学政経学部・『春の修善寺』岡本綺堂
(問題文本文)(青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です)
「 避寒の客が相当にあるとはいっても、正月ももう末に近いこの頃は修善寺の町も静で、宿の二階に坐っていると、きこえるものは桂川の水の音と修禅寺の鐘の声ばかりである。修禅寺の鐘は一日に四、五回撞(つ)く。時刻をしらせるのではない、寺の勤行(ごんぎょう)の知(しら)せらしい。ほかの時はわたしも一々記憶していないが、夕方の五時だけは確かにおぼえている。それは修禅寺で五時の鐘をつき出すのを合図のように、町の電灯が一度に明るくなるからである。
春の日もこの頃はまだ短い。四時をすこし過ぎると、山につつまれた町の上にはもう夕闇が降りて来て、桂川の水にも鼠色の靄(もや)がながれて薄暗くなる。河原に遊んでいる家鴨(あひる)の群の白い羽もおぼろになる。川沿いの旅館の二階の欄干にほしてある紅あかい夜具がだんだんに取込まれる。この時に、修禅寺の鐘の声が水にひびいて高くきこえると、旅館にも郵便局にも銀行にも商店にも、一度に電灯の花が明るく咲いて、町は俄(にわか)に夜のけしきを作って来る。旅館は一(ひ)としきり忙しくなる。大仁(おおひと)から客を運び込んでくる自働車や馬車や人力車の音がつづいて聞える。それが済むとまたひっそりと鎮(しず)まって、夜の町は水の音に占領されてしまう。二階の障子をあけて見渡すと、近い山々はみな一面の黒いかげになって、町の上には家々の湯の烟(けむり)が白く迷っているばかりである。
[ 7 ]温泉場に来ているからといって、みんなのんきな保養客ばかりではない。この古い火鉢の灰にも色々の苦しい悲しい人間の魂が籠っているのかと思うと、わたしはその灰をじっと見つめているのに堪えられないように思うこともある。
修禅寺の夜の鐘は春の夜の寒さを呼び出すばかりでなく、火鉢の灰の底から何物かを呼び出すかも知れない。宵(よい)っ張(ぱ)りの私もここへ来てからは、九時の鐘を聴かないうちに寝ることにした。」(岡本綺堂『春の修善寺』)
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問 空欄7は、次の5つの文からなっている。その順序を正しく並べ替えよ。
イ しかし湯治客のうちにも、町の人のうちにも、色々の思いをかかえてこの鐘の声を聴いているのもあろう。
ロ わたしが今無心に掻(か)きまわしている古い灰の上にも、遣瀬(やるせ)ない(→「せつない。悲しい」という意味」)女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない。
ハ それに注意するのはおそらく一山の僧たちだけで、町の人々の上にはなんの交渉もないらしい。
ニ 修禅寺では夜の九時頃にも鐘を撞く。
ホ 現にわたしが今泊っているこの室だけでも、新築以来、何百人あるいは何千人の客がとまって、わたしが今坐っているこの火鉢のまえで、色々の人が色々の思いでこの鐘を聴いたであろう。
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(解説・解答)
(1)まず、各選択肢を検討します。
各選択肢の指示語や接続語、並列の助詞などに注目してください。
イの「しかし」・「この鐘」・「色々の思い」、ロの「古い灰の上にも」の「も」、ハの「それ」、ホの「現にわたしが」・「色々の思い」・「この鐘」、がポイントになります。
ハの「それ」は、ニの「修禅寺では夜の九時頃にも鐘を撞く」ことを、さしています。 「ニ→ハ」が確定します。
イの「しかし」に着目して、ハの「町の人々の上にはなんの交渉もないらしい」と、イの「町の人のうちにも、色々の思いをかかえてこの鐘の声を聴いているのもあろう」の接続関係に注目します。「ハ→イ」が確定します。
ホの「現にわたしが」・「色々の思い」・「この鐘」に着目して、「イ→ホ」の接続関係を確認します。
ホの「この火鉢のまえで、色々の人が色々の思いでこの鐘を聴いたであろう」、ロの「古い灰の上にも、遣瀬(やるせ)ない女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない」に注目して、 「ホ→ロ」を確定させます。
以上より、「ニ→ハ→イ→ホ→ロ」が一応、決まります。
(2)「一応確定したセット」と、「空欄の直前・直後の文脈」との接続関係の確認
「ニ→ハ→イ→ホ→ロ」が一応、決まりますが、「空欄の直前・直後との接続関係」を確認することを忘れないようにしてください。
今回の問題でも、接続関係を確認してみます。
ホ 現にわたしが今泊っているこの室だけでも、新築以来、何百人あるいは何千人の客がとまって、わたしが今坐っているこの火鉢のまえで、色々の人が色々の思いでこの鐘を聴いたであろう。
↓
ロ わたしが今無心に掻(か)きまわしている古い灰の上にも、遣瀬(やるせ)ない女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない。
↓
(空欄の直後)「温泉場に来ているからといって、みんなのんきな保養客ばかりではない。この古い火鉢の灰にも色々の苦しい悲しい人間の魂が籠っているのかと思うと、わたしはその灰をじっと見つめているのに堪えられないように思うこともある。」
以上を検討すると、文脈の流れは、スムーズです。
従って、「ニ→ハ→イ→ホ→ロ」が正解になります。
(解答) ニ→ハ→イ→ホ→ロ
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(岡本綺堂の紹介)
岡本綺堂(おかもと きどう・1872年~1939年) は、小説家、劇作家。本名は岡本 敬二(おかもと けいじ)。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。
代表作として、
『半七捕物帳』
『番町皿屋敷』
『修禅寺物語』(→文学史問題として頻出です)
などがある。
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今回の記事は、終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
この私の参考書にも、早稲田大学政経学部等の出題の「並べ替え問題」が入っています。
私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。
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