2013東大国語第1問(現代文・評論文)解説ー翻訳・異文化理解
(1)なぜ、この記事を書くのか?
グローバル化、国際化の進展する現在において、政治・経済・社会などの様々な局面でグローバル化のマイナス面が鮮明になってきています。このような時こそ、「異文化理解」の重要性がますます高まってくるのです。
入試国語(現代文)・小論文においても、「異文化理解」の論点は流行・頻出論点になっています。分かりにくい点の多い「異文化理解」の論点については、予備知識・教養のある方が明らかに有利です。
そこで、今回は、入試国語(現代文)・小論文対策として、「翻訳と異文化理解の関係」について考察している湯浅博雄氏の論考(2013年・東大現代文過去問)を解説します。
なお、今回の記事の項目は、以下のようになっています。
(2)東大現代文の解法→全問・記述式問題の特殊性を意識しよう→時間の使い方に気を付けよう
(3)2013年東大国語第1問(現代文・評論文)「ランボーの詩の翻訳について」湯浅博雄→本文・設問・解説・解答
(4)当ブログにおける「異文化理解」関連記事の紹介
(5)当ブログにおける「東大現代文(評論文)解説」関連記事の紹介
(6)当ブログにおける「センター試験国語(現代文)」関連記事の紹
(7)湯浅博雄氏の紹介
(2)東大現代文の解法→全問・記述式問題の特殊性を意識しよう→時間の使い方に気を付けよう
東大現代文は素直な標準レベルの問題が多いので、論理的に精読・熟読していく姿勢が大切です。ある程度の理解が進むまでは、要約を考えないようにするべきです。
問題は、いかに時間内に答案を書き上げるか、です。この答案作成の訓練は、何回か、しておくべきです。
その際には、過去問題を使用することを、おすすめします。模擬問題は、本文のレベルも、設問のレベルも、本番の問題とズレがあるので、使用しない方が賢明です。作成者のレベル、作成時間などに、落差がありすぎるのです。
東大の合格点は、5~6割なので、記述問題においては、満点を狙う必要は、ありません。特に、大問1においては、最後の記述問題が最も配点が高いので、ここでじっくり考えられる時間を確保することが大切です。そのためには、最初の方の設問に時間をかけすぎないようにしてください。最初の方の設問については、7~8割の点が取れそうと思ったら、それで満足して、次の設問に取りかかるべきでしょう。
「腹八分の精神」が、全体の得点をアップさせるポイントです。完全主義は、入試においては、有害無益です。
(3)2013年東大国語第1問(現代文・評論文)「ランボーの詩の翻訳について」湯浅博雄→本文・設問・解説・解答
(【1】・【2】・【3】・・・・は、当ブログで付記した段落番号です)
【1】詩人━ 作家が言おうとすること、いやむしろ正確に言えば、その書かれた文学作品が言おう、言い表そうと志向することは、それを告げる言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえない。人々はよく、ある詩人ー作家の作品は「しかじかの主張をしている」、「こういうメッセージを伝えている」、「彼の意見、考え、感情、思想はこうである」、と言うことがある。筆者も、ときに(長くならないよう、短縮し、簡潔に省略するためにせよ)それに近い言い方をしてしまう場合がある。しかし、実のところ、ある詩人ー作家の書いた文学作品が告げようとしているなにか、とりあえず内容・概念的なものとみなされるなにか、言いかえると、その思想、考え、意見、感情などと思われているなにかは、それだけで切り離され、独立して自存していることはないのである。〈意味され、志向されている内容〉は、それを〈意味する仕方、志向する仕方〉の側面、表現形態の面、意味するかたちの側面と一体化して作用することによってしか存在しないし、コミュニケートされない。だから、〈意味されている内容・概念・イデー〉のみを抜き出して「これこそ詩人ー作家の思想であり、告げられたメッセージである」ということはできないのだ。
【2】それゆえまた、詩人ー 作家のテクストを翻訳する者は、次のような姿勢を避けるべきだろう。つまり翻訳者が、むろん原文テクストの読解のために、いったんそのテクストの語り方の側面、意味するかたちの側面を経由して読み取れるのは当然なのであるが、しかしフォルム的側面はすぐに読み終えられ、通過されて、もうこの〈意味するかたちの側面〉を気づかうことをやめるという姿勢はとるべきではない。ア もっぱら自分が抜き出し、読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうという態度をとってはならない。そうやって自分が読み取った意味内容、つまり〈私〉へと伝達され、〈私〉によって了解された概念的中身・内容が、それだけで独立して、まさにこのテクストの〈言おう、語ろう〉としていることをなす(このテクストの志向であり、意味である)とみなしてはならないのである。
【3】翻訳者は、このようにして自分が読み取り、了解した概念的中身・内容が、それだけで独立して(もうそのフォルム的側面とは無関係に)、このテクストの告げる意味であり、志向であるとみなしてはならず、また、そういう意味や志向を自分の母語によって読みやすく言い換えればよいと考えてはならないだろう。
【4】自分が抜き出し、読み取った中身・内容を、自らの母語によって適切に言い換えれば首尾よく翻訳できると考え、そう実践することは、しばしば読みやすく、理解しやすい翻訳作品を生み出すかもしれない。ただし、そこには、大きな危うさも内包されているのだ。原文のテクストがその独特な語り口、言い方、表現の仕方によって、きわめて微妙なやり方で告げようとしているなにかを十分に気づかうことから眼をそらせてしまうおそれがあるだろう。
【5】少し極端に言えば、たとえばある翻訳者が「これがランボーの詩の日本語訳である」として読者に提示する詩が、ランボーのテクストの翻訳作品であるというよりも、ィ はるかに翻訳者による日本語作品であるということもありえるのだ。
【6】それを避けるためには、やはり翻訳者はできる限り原文テクストを逐語的にたどること、〈字句どおりに〉翻訳する可能性を追求するべきだろう。原文の〈意味する仕方・様式・かたち〉の側面、表現形態の面、つまり志向する仕方の面に注意を凝らし、それにあたうかぎり忠実であろうとするのである。
【7】その点を踏まえて、もう一度考えてみよう。ランボーが《Tu voles selon……》(……のままに飛んでいく)と書いたことのうちには、つまりこういう語順、構文、語法として〈意味する作用や働き〉を行なおうとし、なにかを言い表そうと志向したこと、それをコミュニケートしようとしたことのうちには、なにかしら特有な、独特のもの、密かなものが含まれている。翻訳者は、この特有な独特さ、なにか密かなものを絶えず気づかうべきであろう。なぜならそこにはランボーという書き手の(というよりも、そうやって書かれた、このテクストの)独特さ、特異な単独性が込められているからだ。すなわち、通常ひとが〈個性〉と呼ぶもの、芸術家や文学者の〈天分〉とみなすものが宿っているからである。
【8】こうして翻訳者は、相容れない、両立不可能な、とも思える、二つの要請に同時に応えなければならないだろう。その一つは、原文が意味しようとするもの、言おうとし、志向し、コミュニケートしようとするものをよく読み取り、それをできるだけこなれた、達意の日本語にするという課題・任務であり、もう一つは、そのためにも、原文の〈かたち〉の面、すなわち言葉づかい(その語法、シンタックス、用語法、比喩法など)をあたう限り尊重するという課題・任務である。そういう課題・任務に応えるために、翻訳者は、見たとおり、原文=原語と母語との関わり方を徹底的に考えていく。翻訳者は、原文の〈意味する仕方・様式・かたち〉の側面、表現形態の面、つまり志向する仕方の面を注意深く読み解き、それを自国語の分脈のなかに取り込もうとする。しかし、フランス語における志向する仕方は、日本語における志向する仕方と一致することはほとんどなく、むしろしばしば食い違い、齟齬をきたし、摩擦を起こす。それゆえ翻訳者は諸々の食い違う志向する仕方を必死になって和合させ、調和させようと努めるのだ。あるやり方で自国語(自らの母語)の枠組みや規範を破り、変えるところまで進みながら、ハーモニーを生み出そうとするのである。
【9】こうして翻訳者は、絶えずゥ原語と母語とを対話させることになる。この対話は、おそらく無限に続く対話、終わりなき対話であろう。というのも諸々の食い違う志向の仕方が和合し、調和するということは、来るべきものとして約束されることはあっても、けっして到達されることや実現されることはないからだ。こうした無限の対話のうちに、まさしく翻訳の喜びと苦悩が表裏一体となって存しているだろう。
【10】もしかしたら、ェ 翻訳という対話は、ある新しい言葉づかい、新しい文体や書き方へと開かれているかもしれない。だからある意味で原文=原作に新たな生命を吹き込み、成長を促し、生き延びさせるかもしれない。翻訳という試み、原文と(翻訳者の)母語との果てしのない対話は、ことによると新しい言葉の在りようへとつながっているかもしれない。そう約束されているかもしれない。こういう約束の地平こそ、ベンヤミンが示唆した翻訳者の使命を継承するものであろう。
【11】そしてこのことは、もっと大きなパースペクティブにおいて見ると、諸々の言葉の複合性を引き受けるということ、他者(他なる言語・文化、異なる宗教・社会・慣習・習俗など)を受け止め、よく理解し、相互に認め合っていかなければならないということ、そのためには必然的になんらかの「翻訳」の必然性を受け入れ、その可能性を探り、拡げ、掘り下げていくべきであるということに結ばれているだろう。翻訳は諸々の言語・文化・宗教・慣習の複数性、その違いや差異に細心の注意を払いながら、自らの母語(いわゆる自国の文化・慣習)と他なる言語(異邦の文化・慣習)とを関係させること、対話させ、競い合わせることである。そうだとすれば、ォ 翻訳という営為は、諸々の言語・文化の差異のあいだを媒介し、可能なかぎり横断していく営みであると言えるのではないだろうか。
(湯浅博雄「ランボーの詩の翻訳について」)
【注】
○フォルムーー forme(フランス語)、form(英語)に同じ。
○ランボー ーーArthur Rimbaud(1854~1891)フランスの詩人
○シンタックスーー syntax 構文
○ベンヤミンーーWalter Benjamin(1892~1940)ドイツの批評家
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(設問)(漢字問題は省略します)
(一)「もっぱら自分が抜き出し、読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうという態度を取ってはならない」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。(60字程度)
(二)「はるかに翻訳者による日本語作品である」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
(三)「原語と母語とを対話させる」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
(四)「翻訳という対話は、ある新しい言葉づかい、新しい文体や書き方へと開かれている」(傍線部エ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)
(五)「翻訳という営為は、諸々の言語・文化の差異のあいだを媒介し、可能なかぎり横断していく営みである」(傍線部オ)とあるが、なぜそういえるのか、本文全体の趣旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。
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【解説・解答】
(一)(理由説明問題)
まず、傍線部アでは、「『意味内容・概念の側面』に、もっぱら注意を集中してはならない」と述べているから、「意味内容」と反対のものを考えます。
それでは、「意味内容・概念の側面」の反対の言葉は何でしょうか? 傍線部の直前の文で、「〈意味するかたちの側面〉を気づかうことをやめるという姿勢は取るべきではない」と述べているので、「かたち」です。
次に、傍線部を含む【2】段落の最初に「それゆえ」とあることに注目して、直前の段落にも着目するべきです。
「かたち」とは、【1】段落第5文では「表現形態」と表現されています。
また、【1】段落第1文に「詩人―作家が言おうとすること、その書かれた文学作品が言おう、言い表そうと志向することは、それを告げる言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえない」と述べられていることにも、注意してください。
(解答)
文学作品では内容と表現形態は一体化しており、内容だけに注目していては、作品の一面を見ているにすぎないから。
(二)(傍線部説明問題)
傍線部イでは、「翻訳された文学作品は、翻訳作品であるというよりも、ィ はるかに翻訳者による日本語作品であるということもありえる」と述べている。
この傍線部を含む一文は「少し極端に言えば」で始まるので、直前の【3】段落・最終文の言い換えです。そこに注目すると、「内容のみの伝達に集中し、表現形態を軽視した翻訳は、原文の独特な語り口、言い方、表現の仕方によって告げようとしているなにかから眼をそらせる」とあります。
その「なにか」とは、何でしょうか?
【4】段落と同一意味内容の【7】段落より「テクストの独特さ、特異な単独性」、「通常ひとが〈個性〉と呼ぶもの」であることが分かります。
つまり、内容伝達にのみに集中する翻訳は、表現形態の中に含まれている「テクストの独特さ、特異な単独性」、「通常ひとが〈個性〉と呼ぶもの」を伝えきれず、自らの創作のようなものになるのです。
(解答)
翻訳者が、原文の表現形態に含まれる特異な単独性を無視し、読み取った内容のみを日本語に言い換えた、原作とは別の作品ということ。
→内容的には、設問(一)と同じです。同一内容のことを、別の視点から聞いています。本文における重要なポイントだからです
(三)(傍線部説明問題)
傍線部ウ「絶えず原語と母語とを対話させる」の直前の「こうして」に注目する必要があります。傍線部ウは、直前段落の内容を受けています。
直前の【8】段落は、「原文の言語を翻訳しようとすると、二つの言語の志向する仕方の違いから翻訳が一致することはほとんどない。従って、翻訳者は二つの言語を和合・調和させようと努力する」という内容になっています。
もちろん、この「原語と母語との対話」は、傍線部の直後にも記述されているように、「無限の対話」になる可能性があります。しかし、そこに翻訳の喜びと苦悩の両方があるのでしょう。
(解答)
原語の表現形態を尊重しつつ母語に翻訳する過程で、原語と母語との表現形態の齟齬の調和を目指して、規範を変容させてでも適切な翻訳を模索するということ。
(四)(理由説明問題)
傍線部エでは、「翻訳により、新しい言葉づかいや新しい文体が生まれるかもしれない」と述べています。
これは、直前の【9】段落・最終文で、「原語と母語の無限の対話のうちに、まさしく翻訳の喜びと苦悩が表裏一体となって存在している」と述べている点に関連しています。
さらに、傍線部エは、【8】段落・最終文にも関連しています。再掲します。
「翻訳者は諸々の食い違う志向する仕方を必死になって和合させ、調和させようと努めるのだ。あるやり方で自国語(自らの母語)の枠組みや規範を破り、変えるところまで進みながら、ハーモニーを生み出そうとするのである。」
これは、両言語の文法・語法の違いから、原語の表現形態をそのまま母語に移すことができないからです。
しかし、その翻訳者の苦しみは報われないものではなく、傍線部エの後の文で述べられているように、「翻訳という試みは、新しい言葉の在りようへとつながっているかもしれない」のです。
(解答)
原語の表現形態をそのままでは母語に移せないため、翻訳者は、母語の既存の枠組みや規範を破り、変化させる可能性があるから。
(五)(理由説明問題)
傍線部の直前の「そうだとすれば」に注目する必要があります。
傍線部の直接の理由は直前の一文に述べられています。
直前の一文は、以下のようになっています。「翻訳は/①諸々の言語・文化・宗教・慣習の複数性、その違いや差異に細心の注意を払いながら、/②自らの母語(いわゆる自国の文化・慣習)と他なる言語(異邦の文化・慣習)とを関係させること、対話させ、競い合わせることである。」
この一文は、①②に注目すると、設問(一)~(四)の内容を含んでいることが分かります。
従って、①・②に注意しながら、設問(一)~(四)の解答をまとめつつ、「翻訳」と「異文化理解」の「関係」を考えるようにするとよいでしょう。
要するに、この設問は、設問(一)~(四)の解答を意識しつつ、最終段落である【11】段落を説明する問題と言えます。
本文全体を要約する問題では、ありません。
なお、傍線部を含む【11】段落では、翻訳は、単なる言語の置き換えではなく、他文化を理解するということであると述べられていることに注意してください。
(解答)
文学作品の翻訳は内容と表現形態が一体化しているので、他者の言語の表現形態と自己の母語の調和のため、母語の枠組みの解体・変化まで考えて新たな表現を模索するが、これは諸々の言語・文化の複数性を引き受けて相互の文化理解を試みる態度に通じるから。(120字)
(4)当ブログにおける「異文化理解」関連記事の紹介
(5)当ブログにおける「東大現代文(評論文)解説」関連記事の紹介
(6)当ブログにおける「センター試験国語(現代文)」関連記事の紹介
(7)湯浅博雄氏の紹介
湯浅 博雄(ゆあさ ひろお)
1947年香川県生まれ。日本のフランス文学者。東京大学大学院人文科学研究科仏文学専攻博士課程単位取得。パリ第3大学大学院に留学。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授を経て、同名誉教授。獨協大学特任教授(外国語学部フランス語学科)。
フランス思想・文学、言語態研究。
主としてランボー及びバタイユを研究、翻訳するほか、詩や現代思想も翻訳している。
【著書】
『未知なるもの=他なるもの』(哲学書房)、
『他者と共同体』(未來社)、
『反復論序説』(未來社)、
『ランボー論』(思潮社)、
『聖なるものと〈永遠回帰〉』(ちくま学芸文庫)、
『バタイユ』(講談社学術文庫)、
『応答する呼びかけ』(未來社)、
『翻訳のポイエーシス 他者の詩学』(未來社) ほか。
【翻訳編集】
『アルチュール・ランボー 生涯と作品』( M.A.リュフ 村山千恵共訳・人文書院 1980)
『ニーチェ』 (ジル・ドゥルーズ 朝日出版社 1985/ ちくま学芸文庫 1998)
『宗教の理論』 (ジョルジュ・バタイユ 人文書院 1985/ ちくま学芸文庫 2002)
『アルチュール・ランボー』 (ピエール・プチフィス 中安ちか子共訳・筑摩書房 1986)
『エロティシズムの歴史』(バタイユ 中地義和共訳・哲学書房 1987、新版2001/ ちくま学芸文庫 2011.4)
「至高性 呪われた部分 - 普遍経済論の試み 第3巻」( バタイユ 人文書院 1990)
『パッション』 (ジャック・デリダ 未來社 2001)
『エコノミメーシス』 (ジャック・デリダ 小森謙一郎共訳・未來社 2006)
『ランボー全集』 (平井啓之、中地義和、川那部保明共訳・ 青土社 2006)
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今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
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