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現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2017早大(文化)「見ることとうつすこと」鈴木理策・予想出典

(1)なぜ、この記事を書くのか?

 

 今年の早稲田大学文化構想学部の国語の問題を読んだところ、鈴木理策氏の「見ることとうつすこと」という名文に邂逅したので、すぐに記事化することにしました。

 近いうちに、鈴木理策氏の論考・対談などが難関大学の現代文(国語)・小論文に出題される可能性があるからです。

 この名文は、「経験」・「風景との交流」・「表現」・「芸術」・「写真」の問題について、本質的・根源的な考察がなされているので、一読する価値があります。

 最近の難関大学には、「近代的な常識」・「近代的価値観」を根本的に見直し、「人間の本質」、「人生の本質」に迫ろうとする論考が、よく出題されています。

 この論考も、その傾向に沿っているのです。

 この論考自体が、入試に出題されないとしても、このような本質的・根源的な論考を熟読することは、難関大学の現代文を解く上で、かなり参考になると思います。

 

 

鈴木理策 熊野、雪、桜

 

 

 

 

 

 

(2)「見ることとうつすこと」鈴木理策(2017早稲田大学文化構想学部)の解説

 

(鈴木氏の論考)(概要です)

(【1】【2】【3】・・・・は、当ブログで付記した段落番号です)

(青字は、当ブログによる「注」です)

(赤字は、当ブログによる「強調」です)

(紫色の字は、早稲田大学・文化構想学部の入試で、傍線部説明問題・空欄補充問題として問われた部分です)

 

【1】松本清張原作の『天才画の女』というドラマがあります。一九八〇年の作品です。放送当時、私は高校生でした。画家憧れ、上京することを夢見ていた私にとって、東京の画壇を舞台とするこのミステリーはどの部分をとっても興味深く、すっかり夢中になりました。ですから少し前にケーブルテレビでこのドラマが再び放送されると知った時は心躍り、ぬかりなく全話を録画して、以来繰り返し、繰り返し見ています。歳を重ね、写真家となった今、昔とは違う感じ方をしても良いはずですが、何度見ても十六歳の頃の心境に引き戻されます。記憶とは本当に不思議なものです。

【2】物語の主人公は会津から上京した若い画家の卵です。彼女の実家には終戦後まもなく放浪画家が逗留した際に描いた天井画が残されていて、ドラマ版の主人公はその天井画を写真に撮り、プロジェクターで画布に投影して、こつこつと模写していました。それは彼女なりの絵の勉強法であり、あくまで「模写」だったのですが、同じマンションで起った殺人事件をきっかけに、彼女の絵が「作品」として銀座の有名画廊に運ばれさらに目利きという知られる美術愛好家の銀行家の目に留まってしまいます。模写であると言い出せないまま画家として脚光を浴びることになった主人公の戸惑いと高揚、彼女に商機を見出して売りだしに躍起となる画廊主の欲望、彗星のごとく現れた新人を訝(いぶか)しみ、盗作を疑って真相を探り始めるライバル画廊の炯眼(けいがん)(→「鑑識眼」という意味)。さまざまな思惑と感情が絡み合う中、物語はスリリングに展開していきます。初めて見た時から三十年以上もの時間が経っているのに、見る度に必ず少し緊張してしまうのは、表現とはいかに成立し得るのか、という根源的な問いをこのドラマは含んでいるからではないかと思います。

【3】十九世紀に写真術が発明された時、一番に影響を受けたのは画家たちだったと言われています。対象を正確に写し描くという職能は、写真の再現性の前では意味を持たなくなったためです。写真に写されたものは非常に多くの情報を含んでいたので、肉眼で見ることの信頼性は揺らぎ始めました。「機械の眼」を通すと、見て知っていると思っている以上のものが見えるという事実に直面した画家の中には、写真を見て絵を描き始める者もありました。しかし彼らはそのことを進んで公言することはなかったようです。写真を手本にして描くことに後ろめたさを感じていたのでしょうか? だとすれば、その感情は何処からくるものなのでしょうか? 

【4】写真を見て描くということは、描く対象を直接見ていないこと、さらに描いている光景とつながった空間(その場)に画家がいないことを意味します。これが後ろめたさの原因だとすれば、画家が対象と直に交わっているかどうかが絵画にとっては重要ということになります。外の世界と画家の身体が直接触れた結果としての絵画は、画家の目に映る「今」が絵具を介して表出され、揺らぎを帯びたみずみずしい感動を伝えるが、写真を見て描いた絵画は、より仔細に対象を観察できるはメリットがあるにせよ、間接的な経験であるため、絵画に寄せられる期待に応えていない、ということだったのかもしれません。(→「模写」の問題が発生していると思います)

【5】写真はすでに誰かによって見られた結果である、ということも写真を基に描いた画家たちにとって都合の悪い事実だったのだと思います。世界をどの様に見ているか作家性と結び付けて評価される場合が多く、他人が撮った写真をお手本にして描いたとなれば、そのオリジナリティはどこにあるかが曖昧になってしまいます。(→「オリジナリティ」がないのであれば、まさに、「模写」「コピー」の問題になるはずです)ただし二十世紀以降、絵画についての考え方は変化・多様化し、写真の機械的な視線や無名性をあえて取り入れた絵画も登場し始めます。時代の変遷の中で、絵画と写真は敵対するものでは無くなっていきました。

【6】表現をめぐる価値観は時代と共に変化していますが、写真表現に関してはかなり長い間、根強い考え方が引き継がれいるように思います。それはフレーミングやシャッターチャンスに撮影者の狙いを盛り込むことで個性を表すのが良い、という考え方です。この考えは写真を見る側に、撮影者が何を表現しようとしているか、その意図を正しく理解することが大切だ、というような見方を要求します。(→写真は撮影者の個性を表現するものである、という根強い常識のことを、説明しているのです。「写真を見る作法」についての固定観念は、今や、かなり強固なものになっています。「写真を鑑賞する様々な可能性」を封じ、一つの方法のみしかないと、写真家も、見る側も思い込んでいるのです。「写真家の個性」についての、「偏見」が崇拝の対象になったということです)

【7】この時、撮影者と写真を見る人の間では、写真を通して言葉による確認作業(→「固定観念」・「暗黙の了解」のキャッチボールです)が行われている訳です。このことは写真表現を画一化させる原因になっているになっていると思います。過去に撮られた写真のイメージを思い出して安定した構図(→「構図」を考えること自体が「近代的人間の悲しみ」と言えます。「自然」・「風景」そのものには、「構図」は、ないのですから)に整え直したり(→この点は、ほとんど、「模写」・「コピー」と変わらないとも評価できます。つまり、記憶に残っているシーンを「模写」しているだけなのです)、画面の中に見どころを用意するためにシャッターチャンスを待ったりすること(→写真家の功名心による「風景の一部の切り取り」と評価できます。しかも、「模写的」な「切り取り」です)は、写真家が直接世界と出会う機会を遠ざけるものです。(→「無の心を持って、風景と直接的に対面・交流すること」は、全くできていない、ということです)  写真は二度と出会うことの無い光景(→確かに、人と光景・風景は、一期一会の関係です)と出会う豊かさに満ちた表現であり、大きな可能性に満ちています。

【8】私は撮影では出来るだけ何もしないことを目指します。わざわざ大型カメラを担いで出かけていくのですから、何もしない、というのは矛盾しているようですが、画面に作為を込めないこと、私自身の存在を消していくことを目指しているのです(→「写真家としての主体性の放棄」、を意図している感じです。「写真家と風景の関係」から、「近代的な『主体』・『客体』」という枠組みを消去しようという、大胆な実験の感じがします。「写真家の主体性」を明確化することは、「お決まりの作法」に染まることだ、と意識しているのです)カメラを構えて歩いて行き、気になる光景に出会ったら三脚を立て、大体の位置で構図を決めて、その後は変更しません。ピントは、その場所で最初に目がいった部分に合わせます。シャッターも狙わずに押す工夫をしています。(→道を歩いていて、気になった風景のある場所に立ち止まり、風景をじっくり見つめる直前の瞬間を、風景を「構図」・「シャッターチャンス」を意識して見つめる直前の瞬間を、フィルムに保存する感じです)そんな風に撮影した写真は、いわゆる写真的な見どころを含みませんが、外の世界をありのまま(→写真家の「近代的な解釈」による変形・強調が介入していない、ということです)表しています。(→写真を見る人は、初めて風景と対面した時の、ぼんやりとした当惑の場に、直面することになります)私が写真でしたいと思っていることは少し変わっているかもしれません。

【9】今年の春、香川県丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の企画で個展を開催しました。展覧会は七月から東京オペラシティアートギャラリーに巡回しています。写真を見せるというより風景を見る(→「対象と直に交わっている場」・「外の世界と入場者の身体が直接触れる場」、つまり、「風景と初めて出会う場」・「風景に目の焦点が合って、風景を『構図』・『シャッターチャンス』の枠組みの中で再構成する以前の場」という意味、だと思います)になれば良いと考え、自身で展示構成を行いました。会場に並ぶ写真を見ると、その都度新しい発見があります。写真家は自分の写した全てを確認済みと思われるでしょうが、ものを見ることは常に新しい経験(→外の世界とその人の身体が直接触れた時に、その人の目に映る「今」は、「過去」と常に違うからです)です。東京展では会場内での撮影を可としました。私の見た風景が来場者のカメラに新たな風景として写されることに興味があったからです。写真を撮った写真は「模写」と呼ばれるのかどうかも気になるところです。」(「見ることとうつすこと」鈴木理策)

 

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(解説)

 この論考は、「表現」・「模写」をキーワードにして、「『風景・写真家・写真を見る人』の関係」、「風景を見ること(風景を見るという経験)」、「写真を撮ること」、「写真を見ること」を論じています。

 

 最後の段落の「写真を撮った写真は「模写」と呼ばれるのかどうかも気になるところです。」は、読み手の方でも、気になる一文です。

 私が考える、この一文の解釈は、以下の通りです。

 「模写か否か」は、「対象と直に交わっているかどうか」、「外の世界と画家の身体が直接触れているか否か」、さらに、そこに「揺らぎを帯びたみずみずしい感動」が発生しているか否か、によって、判定されるべきことだ、と思います。

 

 

(3)鈴木理策氏の紹介

 

鈴木理策(すずき  りさく)

1963 和歌山県新宮市生まれ

1987 東京綜合写真専門学校研究科修了

1990 初の個展「TRUE FICTION」(吉祥寺パルコギャラリー、東京)開催

1998 初の写真集『KUMANO』を上梓

2000 第25回木村伊兵衛写真賞を受賞

2006 第22回東川賞国内作家賞、平成18年度和歌山県文化奨励賞受賞

2008 日本写真協会年度賞受賞

2006− 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科准教授

【主な個展】

2004 「唯一の時間」西村記念館、和歌山
2005 「海と山のあいだ」ギャラリー小柳、東京
2006 「Sakura」Yoshii Gallery、ニューヨーク、アメリカ
2007 「熊野 雪 桜」東京都写真美術館、東京
2009 「White」ギャラリー小柳、東京
2011 「Yuki-Sakura」Christophe Guye Galerie、チューリッヒ、スイス
2013 「アトリエのセザンヌ」ギャラリー小柳、東京

【主なグループ展】
2000
「現代写真の母型1999」川崎市市民ミュージアム、神奈川
「the 1st Korea Japan Photo-Biennale」ソウル、韓国
2002
「風景論」東京都写真美術館、東京
「サイト―場所と光景」東京国立近代美術館、東京
2003
「The History of Japanese Photography 1854-2000」ヒューストン美術館、アメリカ
「KEEP IN TOUCH: Positions in Japanese Photography」Camera Austria、オーストリア
2008
「建築の記憶―写真と建築の近現代」東京都庭園美術館、東京
「Heavy Light, Recent Photography and Video from Japan」 ICP、ニューヨーク、アメリカ
2010
「Summer Loves」Huis Marseille Museum for Photography、アムステルダム、オランダ
2013
「マンハッタンの太陽」栃木県立美術館、栃木
2014
「写真分離派展 日本」京都造形芸術大学ギャルリ・オーブ、京都

【主な写真集】
『KUMANO』(1998光琳社出版)、『PILES OF TIME』(1999光琳社出版)、『Saskia』(2000リトルモア)、『Fire: February 6』(2002 Nazraeli Press)、『Mont Sainte Victoire』(2004 Nazraeli Press)、『熊野 雪 桜』(2007淡交社)、『Yuki Sakura』(2008 Nazraeli Press)、『雪華図』(2012 SUPER DELUXE)、『White』(2012 edition nord)、『Atelier of Cézanne』(2013 Nazraeli Press) など

 

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 今回の記事は、これで終わりです。

 今回の記事は、「速報」ということでしたので、考察する時間が充分とは言えませんでした。

 近いうちに、「再考」という形で、今回の鈴木氏の論考を、じっくり検討した結果を発表できたら、よいと思っています。

 

 次回の記事は、約1週間後の予定です。

 

  

 

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鈴木理策 熊野、雪、桜

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祝/言

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 この雑誌には、鈴木理策氏の写真、対談などが、よく掲載されています。

芸術新潮 2017年 02 月号 [雑誌]

芸術新潮 2017年 02 月号 [雑誌]

 

 

 

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