現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2009早大政経学部現代文解説「『安楽』への全体主義」藤田省三

 (1)現代文(国語)・小論文予想問題・「『安楽』への全体主義」(『全体主義の時代経験』藤田省三)ーなぜ、この論考に注目したのか?

 

 世界中で「異常気象」が続き、今や恒常化しつつあります。

 地球環境問題は、ますます、重大化しています。

 地球環境に重大な影響を与えている、現代文明のあり方の見直しが、必要な時期です。

 見直しをしないで、現代文明がこのまま進行していけば、人類は、いずれ滅亡するでしょう。

 このまま、「行ける所まで行く」という選択肢もありますが、賢明ではないでしょう。

 

 20世紀において、人類は、大量生産・大量消費・大量廃棄の、飽くなき「使い捨て文明」・「高度な消費社会(「消費社会」とは、欲求・新製品・消費(廃棄)が無限循環するようになった社会)」と、進化した科学技術の恩恵を受けて、とても快適な生活をおくる事ができました。

 しかし、様々な資源の枯渇と、異常気象(地球温暖化現象)によって、人類滅亡の可能性まで発生しています。
 その意味で、これからの21世紀は、ある意味で異常な「使い捨て社会」から、「持続可能」を意識した「資源循環型社会」の構築、「環境重視社会」への転換が求められています。

 

 このような見地から、前回は、環境問題についての入試頻出出典である『いちばん大事なこと』(養老孟司)の解説をしました。

 

 しかも、藤田氏の論考にあるように、「消費社会」は、各人の「人生」から充実感・達成感を掠(かす)め取ってしまうという側面もあります。

 そこで、今回は、「人生」の視点から「使い捨て社会」・「消費社会」を鋭く批判した、入試頻出出典「安楽への全体主義」(『全体主義の時代経験』藤田省三)を、2009早稲田大学政経学部・過去問を通して解説します。

 

 

gensairyu.hatenablog.com

 

【1】藤田省三氏の紹介

 藤田省三(ふじた・しょうぞう)1927年生まれ。東京大学法学部卒業。法政大学名誉教授。思想史。2003年5月没。

 藤田省三氏は、難関国公立私立大の現代文国語小論文における頻出著者です。

 以下の著書紹介で、出題校を列挙します。

 

【2】藤田省三氏の著書

『天皇制国家の支配原理』(みすず書房)

『維新の精神』(みすず書房)

『現代史断章』(みすず書房)

『原初的条件』(未来社)

『転向の思想史的研究――その一側面』(みすず書房)

『精神史的考察――いくつかの断面に即して』(平凡社ライブラリー)(みすず書房)→1984共通一次試験(センター試験の前身)、2004青山学院大学、2009中央大学、2011一橋大学、2012早稲田大学(商)、

『全体主義の時代経験』(みすず書房)→2005上智大学(経済)、2006法政大学、2009早稲田大学(政経)、2011神戸大学、2016東北大学、

『戦後精神の経験』(みすず書房)→2008九州大学、

『藤田省三セレクション』(平凡ライブラリー)→2012早稲田大学(商)、2013早稲田大学(文)、

『藤田省三著作集』(全10巻、みすず書房1997-98)ほか。


 著名出典の「『安楽』への全体主義」(『全体主義の時代経験』藤田省三)は、同一部分(「安楽への全体主義」)が頻出です。早稲田大学だけでも、文学部の「小論文」(最近まで、「小論文」がありましたが、「社会」に変更になりました)で2回、政経学部で1回出題されました。

 

 全体主義の時代経験 新装版

 

 

 

 

 

 

 (2)現代文(国語)・小論文予想問題・「『安楽』への全体主義」(『全体主義の時代経験』藤田省三)ー2009年・早稲田大学政経学部の問題を通して解説します

 

(藤田省三氏の論考)(概要です)

(  「・」の付加された活字は太字にしました。)

(赤字は当ブログによる強調です。青字は当ブログによる注です。紫色の字は、設問に関する語句です)

 

【1】今日の社会は、不快の源そのものを追放しようとする結果、不快のない状態としての「安楽」すなわちどこまでも括弧(かっこ)つきの唯々一面的な「安楽」を優先的価値として追求することとなった。それは、不快の対極として生体内で不快と共存している快楽や安らぎとは全く異なった不快の欠如態なのである。そして、人生の中にある色々な価値が、そういう欠如態としての「安楽」に対してどれだけ貢献できる ものであるかということだけで取捨選択されることになった。「安楽」が第一義的な追求目標となったということはそういうことであり、「安楽への隷属状態」が現れて来たというのも又そのことを指している。

 

 ーーーーーーーー

 

(当ブログによる発展的解説)

 この論考は、1985年、つまり、「物質的豊かさ」の高まった高度経済成長期に発表されました。

 この時期に、藤田省三氏は、既に「消費社会(使い捨て社会)」の根本的・致命的欠陥を見抜いていたのです。

 

 この時期の異様な社会現象(「安楽への隷属状態」)を、鷲田清一氏も、以下のように論じています。

 今回の藤田氏の論考は、「安楽への隷属状態=消費社会」が中心ですが、鷲田清一氏は、その中でも、特に、「清潔症候群(清潔シンドローム)」について論じています。

「そういえば、1980年代というのは清潔への強迫観念が異様なまでにエスカレートした時代だった。80年代、毎朝洗髪する女子高校生が急増したといわれるが、この朝シャン・ブームとともに、デオドラント製品などいわゆるエチケット商品も急速に売り上げを伸ばした。オーラルケア商品、スクラブ洗顔剤などが続々開発され、シャンプー、リンス、トリートメントはここ数年で二千億円を超える市場へと急成長したという。清潔症候群と呼ばれる現象だ。 

 「大人」の世界も同じ。禁煙をはじめとして、環境の浄化や身体からの毒性排除など、〈清浄〉へのヒステリックとも言える志向(→この「ヒステリック」が「全体主義的な風潮」を発生させるのです)が、近年とみに強くなっている。これに加えて、純愛ブーム、ピュアな行動、クリーンな政治・・・・、そんな観念が多くの人たちの意識を占領しつつあるように見える。禁煙に禁酒、禁カフェインに禁防腐剤(→「禁〇〇」の氾濫こそ「全体主義」の象徴です。現在は、「全体主義」的発想が蔓延している時代なのです)、低カロリーに低脂肪、そしてジョギングに徒歩通勤、夜遊びは慎み、週末は家族とカウチポテト・・・・といったライフ・スタイル、言ってみれば「自己抑制の美学」から、もっと直接的な感覚次元での「清潔願望」まで、〈清浄〉への志向が、世代を問わず、異様なくらいエスカレート(→ある意味で、「全体主義的な傾向」といえます)してきている。そして、いわゆる3Kに対して、さらさら、すべすべ、すっきりなどという、3Sなる強迫言語がまかり通るほどだ。 
 ここで〈ピュア〉や〈クリーン〉とは、汚染度ゼロということ、つまりは、混じり気のないこと、異質なものが混入していないことを意味する。」(鷲田清一『じぶん・・・・この不思議な存在』P53以下)

 

 以上のように、鷲田清一氏も、藤田省三氏と同様に、1980年代に始まったヒステリックな、「全体主義的な状況」を冷静に分析しています。

 そして、この異様な、清潔症候群(清潔シンドローム)を含んだ、「安楽への隷属状態」という「全体主義的な状況」が、今現在にまで継続し、かつ、より悪化していることが問題なのです。

 

 

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

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  (藤田省三氏の論考)(概要です)

【2】〔 1 〕安楽であること自体は悪いことではない。それが何らかの忍耐を内に秘めた安らぎである場合には、それは最も望ましい生活態度の一つでさえある。価値としての自由の持つ第一特性である。他人(ひと)を自由にし他人に自発性の発現を容易にするからである。しかし、或る自然な反応の欠如態としての「安楽」が他の全ての価値を支配する唯一の中心価値となって来ると事情は一変する。それが日常生活の中で四六時中忘れることの出来ない目漂となって来ると、心の自足的安らぎは消滅して「安楽」への狂おしい追求と「安楽」喪失への焦立(いらだ)った不安が却って心中を満たすこととなる。

【3】こうして能動的な「安楽への隷属」は「焦立つ不安」を分かち難く内に含み持って、今日の特徴的な精神状態を形づくることとなった。「安らぎを失った安楽」という前古 A 未曾有の逆説が此処に出現する。それは、「ニヒリズム」の一つではあっても、深い淵のような容量を以て耐え且つ受納していく平静な虚無精神とは反対に、他の諸価値を尽(ことごと)く手下として支配しながら(→この部分に全体主義的な雰囲気があります)ある種の自然反応の無い状態を追い求めてやまないという点で、全く新しい新種の「能動的ニヒリズム」と呼ばれるべきであるかもしれない。」

 

 ーーーーーーーー

 

問1 傍線部A「未曾有」の読みを平仮名で記せ。

 

……………………………

 

【解答】 

 みぞう

 ……………………………

 

(当ブログによる発展的解説) 

 第【3】段落は、「生活の場面」における「全体主義」に関する記述です。

 「全体主義」については、当ブログで最近、記事を発表したので、こちらも、ご覧ください。

 

gensairyu.hatenablog.com

  

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ーーーーーーーー

 

(当ブログによる発展的解説)

 今回の論考は、「生活の場面における全体主義」について考察しています。

 「『安楽』への全体主義」です。

   「生活場面の全体主義」とは,あらゆるものが「画一化」され,その上、不快なものを、それを回避する工夫なしに、根こそぎ殲滅(せんめつ)しようとするものです。

 つまり、「日常生活の『安楽』」が、あらゆるものの中で最高価値化して、すべてを判断する基準となり、不快なものを完全排除する基準となるのです。

 

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 (藤田省三氏の論考)(概要です)

【4】安らぎを失って動き廻る「安楽の隸属する」という尋常事でない精神状態が私たちの中に定住した時、それがタダ事ではないだけに、その定住も又タダでは済まない筈である。誘致料はどれ程であるか。私たちが精神の面で払っている損失(コスト)は一体何なのであろうか。先駆的な動物行動学者の注意深い人間観察が教えてくれているところによると、そのコストは「喜び」という感情の消滅であった。

【5】必要物の獲得とか課題や目標の達成とかのためには、もともと避けることの出来ない道筋があって、その道筋を歩む過程は、多少なりとも不快な事や苦しい事や痛い事などの試練を含んでいるものである。そして、それら一定の不快・苦痛の試練を潜り抜けた時、すなわちその試練に耐え克服して道筋を歩み切った時、その時に獲得された物は、単なる物それ自体だけではなくて、成就の「喜び」を伴った物なのである。そうして物はその時十分な意味で私たちに関係する物として自覚される。すなわち、〔 B 〕的な交渉の相手として経験を生む物となる。「大物主の神」(おおものぬしのかみ)(→「偉大なモノの神」という意味。「モノ」とは「人が畏怖の念を感じる、魔性を持つ存在。精霊」という意味。「物」は「物の怪(け)」《→もちろん、宮崎駿作品の『もののけ姫』は、この言葉に由来しています》の「モノ」です。「モノ」は「神」という側面を有していました。「大物主の神」は精霊の上に君臨する神なのです)とも呼ばれ、「物語り」(→「(物)もの」は「鬼」や「霊」など「不思議な霊力を持つもの」をいう言葉であったので、もともとは、「現実から離れた世界を語る」という意味で「物語」の語が発生したとも考えられるのです)とも称されて来た、そういう「物」は、明らかに唯の単一な物品それ自体ではなくて、様々な相貌と幾つもの質を持って私たちの精神に動きを与える物(→「アニミズム的な発想」といえます)なのであった。そして成就の「喜び」はそうした精神の動きの一つの極致であった。

【6】それに対して、ただ一つの効用のためだけに使われる場合の物は、平べったい単一の相貌とたった一つの性質だけを私たちに示すに過ぎない。それは一切の包合性を欠いている。「〔 C 〕」の極限の形が恐らくそこにあり、私たちはそれに対しては使いそして捨てる他(ほか)ない。(→「使い捨て社会」「消費社会」) それと〔 B 〕的な交渉をする余地はもはやない。完成された製品によって営まれる生活圏が経験を生まないのはその事に由来する。」

 

 ーーーーーーーー

 

問2 空欄B(2箇所ある)に入る語として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

イ 自発 ロ 逆説 ハ 相互 ニ 一方 ホ 自足 

 

問3 空欄Cに入る語として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

イ 価値判断 ロ 優先価値 ハ 交換価値 ニ 使用価値 ホ 価値体系

 

…………………… 

 

【解説・解答】 

(解説)

問2 一番目のの直前の「私たちに関係する物」、および、二番目のの直前の「それと」、直後の「的な交渉をする余地はもはやない」に、注目するとよいでしょう。

 

問3 直前の「一つの効用のためだけに使われる」、および、直後の「それに対しては使い」に着目するとよいでしょう。

 

(解答)

問2 ハ

問3 ニ 

 

ーーーーーーーー

 

(当ブログによる発展的解説)

 

 藤田省三氏は、上記の段落で、「物」との

「アニミズム的な交流」、つまり、「霊的な交流」まで意識しているようです。→「もったいない精神」、「物を大切する」よりも、さらに上のレベルです。

 それと、「使い捨て社会」「消費社会」とでは、大きな落差があります。

 

 「アニミズム」とは、動物・植物・岩石・川・星など、この世の全ての物にはラテン語でいう「アニマ」、つまり、「たましい」があると考える発想です。

 その「アニマ」を、人を障害したり救助したりすることができる強力なものと考えています。

 従って、「アニマ」を持つもの、つまり、この世の全てのもの、崇拝や恐れの対象になるのです。

 「アニミズム」という宗教は一種原始的宗教です。

 

 ちなみに、スイスの心理学者であるピアジェによると、「アニミズム」は、幼児期の心理的特徴であるとされています。

 

 日本の「妖怪」という概念も「アニミズム」に属するといえます。

 『もののけ姫』の世界のように、身近に自然が横溢していた時代には、人々は自然の中に「生命の脈動」を敏感に感じる取るとることができました。

 さらには、岩石や川、夜空の星にまで、「命の脈動」を見いだしたに違いないのです。

 

 『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『となりのトトロ』などの宮崎駿作品の根元的意味を考察する論考は、最近の入試現代文(国語)・小論文によく出題されています。

 それらの論考は、いずれも、直接的・間接的な、痛烈な「現代文明批判」の内容になっています。

 

 なお、「消費社会」については、最近、当ブログで記事を発表したので、こちらをご覧ください。

 

gensairyu.hatenablog.com

  

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 「消費社会」について、さらに説明します。

 経済成長を遂げた「高度消費社会」では、人々は不快を自ら考えて回避するのではなく、不快を呼び起こす根元それ自体を、廃棄、そして、製品購買という形で排除しようと行動します。 

 不満足な物を、なんとか活かそうと考える姿勢は、このようにして失われるのです。

 「消費社会」が本格化する以前には、自ら考える余地が存在していました。

 が、現在の「高度消費社会」には、個人の意識上も、社会制度上も、そうした「余地」・「発想」、つまり、「人生」上の「工夫」・「遊び」・「悩み」・「経験」が存在しないのです。

 言い換えれば、こうして、人々の人生は、ある意味で、「様々な買い物をするだけの、平板な、味気ない人生」になったのです。

 「人生上の工夫」は、「買い物をする際の工夫」に変換しましたが、「味気ないこと」に、変わりはありません。

 

 ーーーーーーーー

 

(藤田省三氏の論考)(概要です)

【7】そうして、そういう単一の効用をもたらす「物」を手に入れた時、その事が私たちにもたらす感情は、或る種の「享受」の楽しみである。むろん享受の楽しみ自体は決して悪いことではない。それが、目まぐるしい使い捨ての高速回転などとは無関係な落ち着いた平静を伴っている限り、それは大切な生活態度の一つなのである。そこには物事に対するゆったりとした味わいの態度が、つまり一つの経験的態度が生まれる。当然、時間の過剰な短縮も過剰な濫費も又そこにない。だから次の仕事への用意が次第にその中で蓄積される。そのようにして享受の楽しみは、次に予想される苦労を含んだ道筋を、自ら進んで歩もうとする態度と接続される。それが、enーjoy と呼ばれて広い意味での悦びの一つとされているのも、こうして見るとき当然のこととして納得される。そうしてその継続線上の一方の極に克服の「喜び」が存在する。

【8】〔 2 〕、次々と使い捨てていく単一効用を「享受」する楽しみは、そういう自然な接続の内にあるものではない。事の性質から見て当然のことであるが、それはただ一回的な「享受」に過ぎない。次の瞬間にはまた別の一回的な「享受」がやって来るだけである。時間は分断されて何の継続も何の結実ももたらさない。かくて苦しみとも喜びとも結合しない享受の楽しみは、空しい同一感情の分断された反復(→当ブログによる注→「消費社会」そのものです)にしか過ぎない。その分断された反復が、激しく繰り返されればされる程、空しさも又激しい空しさとなってますます平静な落ち着きから遠ざかっていく。此処にも又「能動的ニヒリズム」が顔をのぞかせているようである。

【9】〔 3 〕、抑制なく邁進(ばくしん)する産業技術の社会は、即座の効用を誇る完成製品を提供し、その速効製品を新しく次々と開発し、その新品を即刻使用させることに全力を尽くして止まない→(→「消費社会」が高度化した「高度消費社会」の段階になったことを意味しています)。そして私たちの圧倒的大多数が、この回転の体系に関係する何処(どこ)かに位置することを以て生存の手段としている。という社会的関連が在るのだから、分断された一回的享受の反復がいよいよめまぐるしく繰り返されていく傾向は、何らかの意識的努力がない限り停(と)どまる処を知らない筈である。」

 

 ーーーーーーーー

 

問4 空欄1(第【3】段落)・2・3に入る語を次の中から一つ選べ。ただし、同じ語を二度用いては、ならない。

イ だから ロ しかも ハ しかし ニ むろん

 

……………………………

 

 【解説・解答】 

【空欄補充問題対策ー接続語を入れる問題】

 「空欄補充問題」の中でも、「複数の空欄に接続語を入れる問題」は、かなり微妙な側面があります。

 明確な根拠がない限り、順序通りに、最初の空欄から解答を確定していかない方がよいです。

 まず、明確な根拠のある空欄から解答を確定していくようにしてください。

 「最終的に、すべての空欄を埋めればよいのだ」と余裕を持って、問題に対応することが大切です。

 

(解説)

1 空欄を含む文と、直後の「しかし」以下の文とは、「譲歩表現(譲歩構文)」の構造になっています。

 

【「譲歩表現(譲歩構文)」の重要性・マスターするポイント】

 「譲歩表現(譲歩構文)」については、現代文の参考書よりも、「英文法」、あるいは、「英語長文読解」の、(厚い)参考書に詳しく解説してあるので、それらを参照する方が賢明です。

 現代文(国語)・小論文の読解においては、この「譲歩表現(譲歩構文)」を、いかにマスターするかが、大ポイントになります。

 「譲歩表現(譲歩構文)」のパターンは、かなり多いのです。

 つまり、「なるほど・・・・しかし」と同内容の「譲歩表現」と同様のパターンは、日本語の接続語が多彩である上に、著者がアバウトに使用することもあるので、かなり多いのです。

 現代文の参考書などでは、過失か故意か不明ですが、「『譲歩表現(譲歩構文)』のパターンは、20、または、30」と書いてあるようですが、それは、少なすぎます。

 それを見て、油断しない方がよいと思います。

 かなり多いので、完全マスターは困難ですが、なるべく多く覚えるようにしてください。

 その姿勢を持てば、入試には対応できます。

 

2 〔2〕の直前と直後が「対比関係」にあることを、読み取る必要があります。〔3以下は、現代社会のマイナス面の添加的な説明になっています。

 

(解答)

1=ニ 2=ハ 3=ロ

 

ーーーーーーーー

 

 (藤田省三氏の論考)(概要です)

【10】そうである以上、一定の苦痛や不快の試練に耐えてそれを克服した処に生まれる典型的な「喜び」は、すなわち歓喜の感情は、その存在の余地も大きく奪われているのである。

 【11】全ての不快の素を無差別に一掃して了(しま)おうとする現代社会は、このようにして、『安楽への隷属』を生み、安楽喪失への不安を生み、分断された刹那的享受の無限連鎖を生み、そしてその結果、『喜び』の感情の典型的な部分を喪(うしな)わせた。そしてその『喜び』が物事成就に至る紆余(うよ)曲折の克服から生まれる感情である限り、それの消滅は単にそれだけに停どまるものではない。克服の過程が否応なく含む一定の『忍耐』、様々な『工夫』、そして曲折を越えていく『持続』などのいくつも徳が同時にまとめて喪われているのである。克服の『喜び』が精神生活の中の大切な極として重要視されなければならないのも、それがこうした諸徳性を含み込んだ総合的感情だからこそなのである。だからその『喜び』が消滅することは複合的統合態としての精神の、つまり精神構造の、解体と雲散を指し示している。

【12】試練の土台の上に、一歩一歩あゆみ昇る自己克服の段階が積み重なって、その頂きの上に歓喜がある、という精神の構造的性格が無くなって、不快の素の一切をますます一掃しようとする『安楽の隷属』精神が生活を貫く時、人生の歩みは果たしてどうなるか。生きる時間の経過は、立体的な構造の形成・再形成でありえなくなる時、平べったい舗道の上を無抵抗に運ばれていく滑車の自働過程となる他ないであろう。人生の全過程が自動車となるわけだ。ここには、自分の知覚で感じ取られる起伏がない。人生の歩みは、山や谷を失った平板な時間の経過となる。そうして山や谷を失った時、その人生にはリズムが無くなるのだ。」(藤田省三の文章による)

 

ーーーーーーーー 

 

問5 問題文の趣旨と合致するものを、次のイ~ヘの中から3つ選べ。

イ 価値の多様化と「安楽」の第一義的な追求とは、矛盾して相いれないものである。

ロ 不快の根を絶ち「安楽」を追求するのは人間にとって自然であり、必ずしも否定されることではない。

ハ 「安楽」喪失への極度の不安に襲われると、人間はその場かぎりの楽しみを次々と空しく求めることになる。

ニ 物を自分の「安楽」のためにだけ使い捨てると人生にリズムが生まれず、人間的な経験を見失うことになる。

ホ 生体内で快と自然に共存している不快をできる限り除去することが、人間社会の基本的なあり方である。

ヘ 「ニヒリズム」も能動的になると積極的な意味を持ち、人間的な価値を生み出す源泉となりうる。

 

問6 傍線部X「欠如態としての『安楽』」と、波線部Y「成就の『喜び』」とのちがいを、文中で述べられている「経験」(波線を付した(→当ブログでは紫色にしました)三箇所にある→【5】・【6】・【7】段落にあります)との関わりにおいて、30字数以上40字数以内で記せ。ただし、Xを「前者」、Yを「後者」と表記し、句読点等も字数に数えるものとする。

 

……………………………

 

 【解説・解答】 

(解説)

問5

イ 【1】段落に合致しています。

ハ 【2】【7】段落に合致しています。

ニ 【5】【11】段落に合致しています。

 

ロ・は、「不快の一掃」をプラス評価しているので、不適切です。

ヘ 「能動的ニヒリズム」をプラス評価しているので、不適切です。

 

問6

 両者を、「不快の一掃  or  不快の試練」・「経験の喪失  or  経験の蓄積」という対比的な視点で、記述するべきです。

 字数が少ないので、キーワードを確実に入れるようにしてください。

 

(解答)

問5 イ・ハ・ニ

問6 前者は不快を一掃し生の経験を無化するが、後者は不快の試練を経て経験を蓄積する。(句読点とも39字)

 

ーーーーーーーー

 

(出典)藤田省三   「『安楽』への全体主義」(『全体主義の時代経験』)

(要約)

 今日の社会は、不快の源を一掃して、一面的な「安楽」を追求する能動的ニヒリズムの状態に陥っている。その結果、人生の多様な素晴らしい緒価値を「安楽」に隷属させ、事物との相互的な交渉に基づく「経験」が失われてしまった。人生の歩みは、平板な時間の経過となり、人生にはリズムが無くなることになった。

 

ーーーーーーーー

 

 (3)当ブログによる発展的解説

 

【1】藤田氏の論考を読んでの、素直な感想

 前にも述べましたが、藤田氏の論考にあるように、「消費社会」は、各人の「人生」から「充実感・達成感」を、根こそぎ掠(かす)め取ってしまうという側面があります。

 いわば、「消費社会」は、人々の「人生」を平板化・無味乾燥化してしまうのです。

 

 その上、「消費社会」の蔓延により、地球環境は、かなり悪化してしまい、「人類存続の危機」のレベルにまで達しています。

 

 しかし、現代の状況をクールに観察すれば、悲観するしかない感じもします。

 文明国の人々が手にした「快適=消費文明」を簡単に手離すか、と思うのです。

 あとは、人類が滅亡していく過程を見ているだけしか、出来ないのではないか、という諦めの思いもあります。

 

 とは言え、世の中を良くして行こうとする動きもあります。

 「希望の芽」は、確かにあるのです。

 だとしたら、人類は、ここで、賢明なる転換をするべきではないでしょうか。

 

 【2】各個人による個別的対策について

 各個人の個別的対策としては、日本的な「もったいない」思想、日本にまだ残っている「伝統的アニミズム思想」の再評価・見直しが必要でしょう。

 つまり、消費者の側の人々は、「欲望」を即時に商品化した新製品に振り回されない価値観を持つことも、大切でしょう。

 

【3】社会的・制度的な対策について

 この記事の冒頭で述べたことを、再掲します。

 

 20世紀は、大量生産・大量消費・大量廃棄の「使い捨て文明」のもと、人類は科学技術の恩恵を受けて、快適な生活をおくる事ができました。

 しかし、様々な資源の枯渇と、地球温暖化現象によって、人類は、存亡の危機にまで直面しています。

 21世紀は、「使い捨て社会」から「持続可能」な「資源循環型社会」の構築、「環境重視社会」への転換が求められています。 

 この改革は、地域レベル、国家レベル、地球レベルで、推進されるべきでしょう。

 

 エコ、リサイクル、リユース、ロハスデザイン(→「健康と地球の持続可能性を志向するライフスタイル」意味。一般的には、環境・健康を意識した製品、ライフスタイル(シンプルデザイン・スローライフ)などを含んでいます)、という言葉が、様々な場面で使われています。

 私たちの身の回りでも、「使い捨て文化」を見直そうという動きが起きています。

 これ自体は、よいことです。

 

 また、世界各国で、「使い捨て文化」に歯止めをかけようとする、国家レベルの積極的・具体的な動きが出てきているようです。

 

 これからは、古くなったり、壊れたりした物を捨てて、安易に新たに購入することは賢い行動ではなくなるのでは、ないのでしょうか。

 

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 これで、今回の記事は終わりです。

 次回の記事は約10日後に発表の予定です。

 

 

  

 

 

全体主義の時代経験 新装版

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藤田省三セレクション (平凡社ライブラリー)

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