現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2013早大政経国語(現代文)解説「悪人礼賛」・善意の暴走

(1)早稲田大学・上智大学・同志社大学の現代文(国語)の傾向分析・対策

傾向分析

 早稲田大学・上智大学・同志社大学の現代文(国語)は全学部的に、全国の難関大学の中でも特に、重厚で難解な哲学的な論考を出題しています。

 

② また、最新の論点・テーマを好んで出題しています。しかも、先鋭的で激烈な現代文明批判(現代文明論)の論考を、よく出題しています。

 

 もちろん、このような①・②の傾向は、他の難関大学でも多少は見られます。

 関東地域では、東京大学・一橋大学・マーチ大学(明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学)・慶応大学(小論文)で、一方、関西地域では、大阪大学・神戸大学・関西大学・関西学院大学・立命館大学で、早稲田大学・上智大学・同志社大学と同様の傾向が見られるのです。

 

 (これらの現代文(国語)問題は、興味深い、参考になるものが多いので、私は毎年、新しい入試問題を読むことを楽しみにしています。

 来年度以降の入試対策の参考資料として、注目するべき著者の本は、購入するようにしています。

 自分の人生を見直すきっかけになる本に遭遇することも多いので、早稲田大学・上智大学・同志社大学の新しい現代文(国語)問題には、常に注目しています。)

 

対策

①重厚で難解な哲学的論考についての対策

 これについては、早稲田大学・上智大学・同志社大学の最近の問題の中から、哲学的論考を選んで、時間を気にしないで、じっくりと演習していくとよいでしょう。

 分かりにくい問題に遭遇した時には、時間をおいて、再チャレンジしてみてください。

 (すぐに解答を見ない方が良い、と私は思います。)

 

 それでも、なお分からない時は、キーワードを中心に、分からない単語・表現を徹底的に調査することが必要になります。

 まだ、解答は見ないでください。

 辞書としては、分かりやすさ、新しい情報を網羅していることから、『大辞林』(三省堂)が、おすすめです。

 

 何冊かのキーワード集を駆使することも、大切なことです。

 キーワード集については、私は、以前の記事で以下のものを、おすすめしています。

 

 

 このように解答を見ないで、自力で、徹底的に熟読、調査することで、新たに発見できることがあります。

 

 もちろん、この方法を毎回、採用する必要はありませんが、時々は、意識して、この方法を採用してください。

 そうすると、実力が急速にアップしていくでしょう。

 

②最新論点・テーマについての対策

 最新論点・テーマについては、新聞等の書評が、かなり参考になります。

 書評を読むことは、それほど時間がかからないので、受験生にも負担になりません。

 最新の論点・テーマに、マメに注目することを心がけてください。

 私のブログの最新論点・テーマについての記事も参考にしてください。

 参考までに、このブログの最近の予想問題記事のリンク画像を、以下に貼っておきます。

 




 また、早稲田大学・上智大学・同志社大学の最近2~3年に出題された、最新論点・テーマの問題をやるようにするとよいでしょう。

 

この記事を書く理由→3・11東日本大震災関連 

 最近の早稲田大学・上智大学・同志社大学の入試現代文(国語)の問題の中で、特に気になっているのは、3・11東日本大震災の直後に2年連続して出題された、中野好夫氏の「悪人礼賛」という論考です。

 この論考は、上智大学(経済)で出題された翌年に、早稲田大学(政経)でも出題されました。

 内容は、「善意の暴走」、「善意の厚顔無恥」に対する徹底的な批判です。

 この内容は、「被災地ヘの救援物資」が、「善意による二次被害」になる場合があることと、対応していると思います。

 とすると、この論考は、私が特に重視している「東日本大震災後に新たに発生した論点・テーマ」といえるので、現代文(国語)・小論文対策として、このブログで取り上げることにしました。

 

(2)本問出題の背景ー3・11東日本大震災における「善意の暴走」「善意による二次被害」

 

 確かに、「善意」は、「思いやり」、「ケア」、「ホスピタリティ」(歓待)、「お世話」の重要な要素です。

 そして、「善意」、「思いやり」、「ケア」、「ホスピタリティ」は、「無縁社会」、「孤独死」、「孤立」等の現代社会の問題を解決するキーになる、プラス的なものです。

 

 しかし、「善意」はその行使の方向性を誤ると、

「小さな親切、大きなお世話」、

「ありがた迷惑」、

「独り善がり」、

「お節介」、

と、マイナス評価されることになります。

 

 3・11東日本大震災の時に、「救援物資による二次被害」が問題になりました。

 

 個人からの古着送付。

 これ自体はゴミです。

 それでは、個人からの新品の送付は?

 中に入っている物、老若男女の別も大きさも状態も分からない物。

 せめて、送るのであれば、段ボールの中は、1種類ずつにするべきです。靴下、下着やシャツが混在していると仕分けに時間がかかるのです。そして、段ボールの6面に何が入っているかを書くべきでしょう。

 

 せっかくのボランティアの人手が、「救援物資の仕分け」に振り向けられるという現状があります。

 これでは、「善意による二次被害」と評価されるのは、仕方がないと言えるでしょう。

 

  「送り手の思い」は分かります。

 しかし、現地の作業量、保管スペースへの負荷を考える必要があるのです。

 「個人からの小口の支援物資は百害あって一利なし」や、「単なる迷惑行為」という意見が、被災地には多いようです。

 

 何が必要とされているのか?

 送ったものを保管する場所はあるのか?

 送られてきたものを選別、分配する人手があるのか?

 すべては、送る側の「想像力」の問題です。

 「相互扶助」の基本的なノウハウ、マナー、モラルの問題です。

 

 これらの問題のために、最近では、個人からの物資を受け付けない措置を取った被災地域もありました。

 

  「ボランティア」についても、同様の問題があるようです。

 ボランティアのつもりで、被災地のニーズを無視して、「善意で来てやっているのだから」と、被災地を混乱させる人々の問題です。

 ほんの一部のボランティアの、傲慢、無礼、厚顔無恥の問題です。

 

 ここにも、「想像力」の問題があります。

 「相互扶助」の基本的なマナー、ノウハウ、モラルの問題があります。

 ひいては、「人間関係」におけるマナー、モラルの問題がここには、あるのです。

 

 

(3)予想問題、「悪人礼賛」・中野好夫氏の論考(エッセイ)ー早稲田大学(政経)・上智大学(経済)出題の問題

問題

次の文章は、中野好夫が1945年に書いた「悪人礼賛」と題するエッセイである。(一部省略した箇所がある)。これを読んで、あとの問いに答えよ。(→この問題文は、早稲田大学(政経)の問題文そのものです。)

(当ブログによる注意点→①この予想問題は、早稲田大学(政経)出題の問題を、一部抜粋したものです。

②当ブログでは、早稲田大学(政経)で出題された問題文本文の各段落の概要のみを記述します。入試問題そのままを読みたい方は、各種の解説書を見てください。

③【1】【2】【3】・・・・は、当ブログで付記した段落番号です。

④基礎的な語句の問題は省略します。)

【1】由来ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる。

【2】考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人から、思わぬ迷惑をかけられた苦い経験は数限りなくあるが、聡明な悪人から苦杯を嘗(な)めさせられた覚えは、かえってほとんどないからである。悪人というものは、ぼくにとっては案外始末のよい、付き合い易い人間なのだ。という意味は、悪人というのは概して聡明な人間に決っているし、それに悪というもの自体に、本質的には自らにして基本的グラマーとでもいうべきものがあるからである。悪は決して[  1  ]でない。そこでまずぼくの方で、彼らの悪のグラマーを一応心得てさえいれば、決して彼らは無軌道に、下手な剣術使いのような手では打ってこない。

【3】それにひきかえ、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい。

【4】かりにぼくがある不当の迷惑を蒙(こうむ)ったと仮定する。開き直って詰問すると、彼らは、切々、咄々(とつとつ)としてその善意を語り、純情を披瀝(ひれき)する。驚いたことに、途端にぼくは、結果であるところの不当な被害を、黙々として忍ばなければならぬばかりか、おまけに底知れぬ彼らの善意に対し、深甚な感謝をさえ示さなげればならぬという、まことに奇怪な義務を負っていることを発見する。もしそれ純情にいたっては、世には人間四十を過ぎ、五十を越え、なおかつその小児の如き純情を売り物にしているという、不思議な人物さえ現にいるのだ

5】それにしても世上、なんと善意、純情の売り物の夥(おびただ)しいことか。ひそかに思うに、ぼくはオセロとともに天国にあるのは、その[  2  ]さ加減を想像しただけでもたまらぬが、それに反してイアゴーとともにある地獄の日々は、それこそ最も新鮮な、尽きることを知らぬ知的エンジョイメントの連続なのではあるまいか。

【6】善意から起る近所迷惑の最も悪い点は一にその無法さにある。無文法にある。警戒の手が利かぬのだ。悪人における始末のよさは、彼らのゲームにルールがあること、したがって、ルールにしたがって警戒をさえしていれば、彼らはむしろきわめて付合いやすい、後くされのない人たちばかりなのだ。ところが、善人のゲームにはルールがない。どこから飛んでくるかわからぬ一撃を、絶えずぼくは恟々(きょうきょう)としておそれていなければならぬのである。

【7】その意味からいえば、ぼくは聡明な悪人こそは地の塩であり、世の宝であるとさえ信じている。狡知(こうち)とか、奸知(かんち)とか、権謀とか、術数とかは、およそ世の道学的価値観念からしては評判の悪いものであるが、むしろぼくはこれらマキアベリズムの名とともに連想される一切の観念は、それによって欺かれる愚かな善人さえいなくなれば、すべてこれ得難い美徳だとさえ思っているのだが、どうだろうか。
【8】友情というものがある。一応常識では、人間相互の深い尊敬によってのみ成立し、永続するもののように説かれているが、年来ぼくは深い疑いをもっている。むしろ正直なところ真の友情とは 相互間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて永続性をもつものではないのだろうか。

【9】「世にも美しい相互間の崇敬によって結ばれた」といわれるニ-チェとワーグナーの友情が、僅々数年にしてはやくも無残な破綻を見たということも、ぼくにはむしろ最初からの当然結果だとさえ思えるのだ。伯牙(はくが)に対する鍾子期(しょうしき)の伝説的友情が、前者の人間全体に対するそれではなく、単に琴における伯牙の技に対する知音としてだげで伝えられているのは幸いである。伯牙という奴は馬鹿であるが、あの琴の技だけはなんとしても絶品だという、もしそうした根拠の上にあの友情が成立していたのであれば、ぼくなどむしろほとんど考えられる限りの理想的な友情だったのではないかとの思いがする。
【10】 友情とは、相手の人間に対する九分の侮蔑と、その侮蔑をもってしてすら、なおかつ磨消し切れぬ残る一分に対するどうにもならぬ畏敬と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も永続性の

可能があるのではあるまいか。十分に対するベタ惚れ的盲目友情こそ、まことにもって禍(わざわい)なるかな、である。

【11】金はいらぬ、名誉はいらぬ、自分はただ無欲でしてと、こんな大それた言葉を軽々しく口にできる人間ほど、ぼくをしてアクビを催させる存在はない。

【12】金がいらぬという男は怖ろしい。名誉がいらぬという男も怖ろしい。無私、無欲、滅私奉公などという人間にいたっては、ぼくは逸早(いちはや)くおぞ気をふるって、厳重な警戒を怠らぬようにしてきている。いいかえれば、この種の人間は何をしでかすかわからぬからである。
【13】近来のぼくは偽善者として悪名高いそうである。だが、もしさいわいにしてそれが真実ならば、ぼくは非常に嬉しいと思っている。ぼく年来の念願だった偽善修業も、ようやく齢知命に近づいて、ほぼそこまで到達しえたかと思うと、いささかもって嬉しいのである。

【14】景岳橋本左内でないが、ぼくもまた十五にして稚心を去ることを念願とした。そしてさらに二十代以来は、いかにして偽善者となり、いかにして悪人となるかに、苦心修業に努めて来たからである。それにもかかわらず、ぼく自身では今日なお時に、無意識に、ぼくの純情や善意がぼくを裏切り、思わぬぶざまな道化踊りを演じるのを、修業の未熟と密かに深く恥じるところだっただけに、この定評、いささかぼくを満足させてくれるのだ。

【15】もっとも、これはなにもぼくだけが一人悪人となり、偽善者たることを念願するのではない。ぼくはむしろ世上一人でも多くの聡明なる悪人、偽善者の増加することを、どれだけ希求しているかしれぬのである。理想をいえば、もしこの世界に一人として善意の善人はいなくなり、一人の純情の成人小児もいなくなれば、人生はどんなに楽しいものであろうか、考えるだけでも胸のときめきを覚えるのだ。[  5  ]

【16】されば世のすべての悪人と偽善者との上に祝福あれ!

 

(注)1「オセロ」・・・シェークスピア『オセロ』に登場するムーア人の将軍。部下のイアゴーの計略にかかって破滅する。

2「マキアべリズム」・・・イタリア・ルネサンス期の思想家マキャベリに由来し、一般には目的のために手段を選ばないやり方をさす。

3「ニーチェ」・・・十九世紀のドイツ哲学者。作曲家・指揮者ワーグナーの音楽に触発されて深い親交を結んだが、後年は決別することとなった。

4「伯牙」・・・春秋時代の琴の名人。自分の音楽の唯一無二の理解者であった鍾子期が死ぬと、伯牙は琴をこわし、二度と手にしなかったと伝えられる。

5「橋本左内」・・・幕末の志士。福井藩士。景岳と号した。

問1 空欄1・2に入る漢字2字の語句をそれぞれ文中から抜き出し、記せ。

 

問2 傍線部3「彼らのゲームにルールがあること」とはどのような意味か。最も適当なものを次の中から一つ選べ。

イ 聡明な悪人の手口には常に決まったパターンがあるということ。

ロ 聡明な悪人には筋道立った論理と合理性が備わっているということ。

ハ 聡明な悪人ほどみずからの悪事をゲームのように見立てているということ。

ニ 聡明な悪人は法律や道徳を無視して自分たちのルールを作っているということ。

ホ 聡明な悪人どうしが連携して暗黙の了解のもとに悪事が行われているということ。

 

問3 傍線部4「相互間の正しい軽蔑」を具体的に説明している部分を、文中から60字以上70字以内で過不足なく選び出し、冒頭と末尾の5字ずつを記せ。

 

問4 空欄5に入る文として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

イ その時こそは自分一人が、悪人や偽善者の汚名を着ることもなく、したがって悪や偽善者ということばそのものが消え失せる世界となるだろうからである。

ロ その時こそは社会的な道徳や評価にかかわらず、お互いの主義や立場を乗り越えて、人と人との真の友情と結びつきが生まれる世界となるだろうからである。

ハ その時こそは始めて、泥の中から大輪の蓮の花が開くように、偽善や悪の満ちたなかから、文字通り純粋無垢の善が輝きだす世界となるだろうからである。

ニ その時こそは誰一人、不当、不法なルール外の迷惑を蒙るものはなく、すべて整然たるルールをまもるフェアプレーのみの行われる世界となるだろうからである。 

ホ その時こそは人々が道徳観学部的な価値観念のためから解放され、曇りのない眼で善意を善意として享受し、悪意を悪意として裁断することができる世界となるだろうからである。

 

問5 問題文の趣旨と一致するものを、次の中から一つ選べ。

イ 筆者が善意と純情を嫌うのは、善意と純情の奥底にはつねに、相手をおとしめようとする悪意と狡知が潜んでいるからである。

ロ 何が悪であり何が偽善的な行為であるかは、社会的な道徳や価値観が時代とともに変遷するので、一概に判断することはできない。

ハ 十代二十代の若い時代には、だれしも善意や純情の価値をうたがわないが、年齢を重ねていくほどに俗世間の悪や偽善をも許容するようになる。

ニ 聡明な悪人の行為は社会的なルールを踏み外すことがないので、誰も迷惑を蒙ることもなく、まったく罪に問われることもない。 

ホ 友情が長続きするためには、相手ヘの信頼が不可欠であるというのは誤りで、実はお互いを軽蔑しあうところから真の人間関係が生まれてくる。

ヘ ただ善意や純情をおしつけあうところには、信頼→できる人間関係は生まれず、かえって思いがけない災難や迷惑を蒙る原因にもなる。

 

(3)要約・解答・本問を効率的に解くポイント解説

 【要約

悪人には基本的グラマーがある。それを心得ていれば、警戒ができ、彼らも無軌道なことは仕掛けてこない。これに対して、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに、彼らは、その動機が善意であるというだけでの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい。その上、善意の悪い点は、その無法さ、無文法にある。警戒の手が利かぬのだ。ぼくは、世上一人でも多くの聡明なる悪人、偽善者が増加することを希求する。

 

解答】

問1 空欄1 無法  空欄2 退屈

問2 

問3 相手の人間・・・・両者の配合(65字)

問4 ニ 問5 

 

本問を解くポイント】

 本問を解くポイントを挙げます。

①本問を効率的に解くためには、本文を熟読する前に、注や設問をチェックするとよいでしょう。出題者の出題意図に早く着目することが大切です。

②また、本問のような先鋭的な激烈な現代文明批判(現代文明論)の論考は、私達の一般的常識を根本的に批判するものです。しかし、受験生は反発することなく、冷静に論理を追うようにした方がよいでしょう。特に、今回の問題はエッセイ(随筆)なので、著者の主観が、より鮮明に出ています。くれぐれも、反感を持たないようにしてください。

③次に本問を解くについては、「両義性」の意味を確実に理解しておく必要があります。

両義性】・・・「両義」は「二つの意味・意義」という意味です。「両義性」とは「ある言葉・概念に、相反する二つの意味・解釈が含まれている」という意味です。

 つまり、どのような問題・物事にも、必ず、プラス面とマイナス面があります。「善意」も同じです。プラス面だけではないのです。

 

問1 空欄補充問題

 空欄の直前・直後の熟読、丁寧なチェックがポイントになります。

空欄1 直前の一文に注目してください。「悪というもの自体に基本的グラマーがある」と記述されています。

空欄2 直後の「それこそ最も新鮮な、尽きぬことを知らぬ知的エンジョイメント」との対比で考えてください。

 

問2 傍線部説明問題

 まず、傍線部の直前・直後を熟読して、ヒントを把握することから始めてください。

 第一に、傍線部の「ルール」に注目します。次に、傍線部を含む段落における、「善人と悪人の対比」に注目して 、第ニ段落を熟読するとよいでしょう。

 

問3 抜き出し問題

 この問題は、設問を先に見ておくべきです。そうすれば、戦いを有利に進むめることができます。

 本設問では、傍線部の直前・直後をヒントにすることができます。特に、「友情とは、相互性間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて永続的性をもつ」に着目するとよいでしょう。

 

問4 空欄補充問題

 効率的に処理してください。選択肢をすぐに見て、消去法を駆使してください。

イ(X) 「したがって」以下が、明白に誤りです。

ロ(X) 「その時こそは社会的な道徳や評価にかかわらず」の部分が、直前の本文に矛盾します。

ハ(X) 全体的に、直前の本文に矛盾しています。

ニ(〇) 直前の本文と整合性があります。

ホ(X) 著者は「善意」をプラス評価していません。

 

5 趣旨合致問題

 趣旨合致問題は、各選択肢の内容を暗記してから、本文を熟読していく方が効率的です。

イ(X) このような記述は、本文には、ありません。→過去問からみると、「趣旨合致問題」では、「本文に記述のない選択肢」は、原則的に「誤り」とする扱いになっています。

ロ(X) このような記述は、本文には、ありません。

ハ(X) このような記述は、本文には、ありません。→この選択肢は、一般的常識に基づく記述ですが、本文に反することは明白です。 

ニ(X) 「誰も迷惑を蒙ることもなく、まったく罪に問われることもない」の部分は、本文にこのような記述がないので、誤りになります。

ホ(X) 「実はお互いを軽蔑しあうところから真の人間関係が生まれてくる」の部分は、本文にこのような記述がないので、誤りになります。

ヘ(〇) 本文の内容に合致しています。→この選択肢から明らかなように、中野好夫氏のこの論考は、「信頼できる人間関係」について考察したものです。決して、「善意」それ自体を否定したものでは、ありません。その意味で、この論考は、「逆説的」と言えるでしょう。

 

(4)中野好夫氏の紹介

中野好夫氏は英文学者、評論家です。英米文学翻訳の大家です。

主な著書、翻訳書は以下の通りです。

 

「雨・赤毛」(サマセット・モーム)(新潮文庫)

「ガリヴァ旅行記」(ジョナサン・スウィフト)(新潮文庫)

「月と六ペンス」(サマセット・モーム)(新潮文庫)

「ヴェニスの商人」(シェイクスピア)(岩波文庫)

「ロミオとジュリエット」(シェイクスピア)(新潮文庫)

「中野好夫集」(全11巻)(筑摩書房)

 

 中野好夫氏の著作は、最近は以下の大学で出題されています。

京都大学 「多すぎる自己没入型」

関西学院大学 「文学の常識」

関西大学 「金銭について」

熊本県立大学 「悪人礼賛」→早稲田大学、上智大学以外の大学でも、最近、出題されていることに注目してください! また、難関大学で出題される可能性が大です。

南山大学 「文学を成り立たせるもの」 

 

 中野好夫氏の論考は、最近も、頻出です。

 同時代の、志賀直哉氏、太宰治氏、小林秀雄氏と同様に、頻出著者と言えます。

 

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 以上で、今回の記事は終了します。次回の記事も、

予想問題記事の予定です

 

 

 

 

  

 

 

 

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