現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題/『人口減少社会の未来学』内田樹/少子化社会・高齢化

(1)はじめに/なぜ、この記事を書くのか?

 最近、入試頻出著者・内田樹氏が編者となり、最近の入試頻出論点である「人口減少社会」・「少子化」・「高齢化」に関する論考集(『人口減少社会の未来学』)が発行されました。

 そこで、国語(現代文)・小論文対策として、この本の内田樹氏の論考についての解説記事を、書くことにしました。

 さらに、内田氏のブログ記事における、「人口減少社会」に関する問題意識についての解説記事を、書くことにしました。

 

 なお、今回の記事の項目は以下の通りです。

 記事は約1万字です。

 

(2)予想出典・予想問題/『人口減少社会の未来学』(編・内田樹)の概要・キーセンテンス

(3)「人口減少社会」対策の現状と、その原因

(4)「人口減少社会」への対策論①→対策論を考え、実行することが、私たちにとって最も緊急な公的課題ではないか

(5)「人口減少社会」への対策論②→「転換期の心構え」→情報を懐疑せよ

(6)「人口減少社会」への対策論③→「若者の地方移住」の意味するもの

(7)「人口減少社会」への対策論④→「学びたいことを学ぶ。身につけたい技術を身につける」

(8)「人口減少社会」への対策論⑤→「一般的な心構え」

(9)当ブログにおける「内田樹」関連記事の紹介

 

人口減少社会の未来学

人口減少社会の未来学

  • 作者: 内田樹,池田清彦,井上智洋,小田嶋隆,姜尚中,隈研吾,高橋博之,平川克美,平田オリザ,ブレイディみかこ,藻谷浩介
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2018/04/27
  • メディア: 単行本
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(2)予想出典・予想問題/『人口減少社会の未来学』(編・内田樹)の概要・キーセンテンス

 

①『人口減少社会の未来学』【Book 紹介】

21世紀末、日本の人口は約半数に――。人口減少社会の「不都合な真実」をえぐり出し、文明史的スケールの問題に挑む〝生き残るため〟の論考集。各ジャンルを代表する第一級の知性が贈る、新しい処方箋がここに。

 

《目次》

・「序論 文明史的スケールの問題を前にした未来予測」 内田樹

・「ホモ・サピエンス史から考える人口動態と種の生存戦略」 池田清彦

・「頭脳資本主義の到来――AI時代における少子化よりも深刻な問題」 井上智洋

・「日本の“人口減少”の実相と、その先の希望――シンプルな統計数字により、「空気」の支配を脱する」 藻谷浩介

・「人口減少がもたらすモラル大転換の時代」 平川克美

・「縮小社会は楽しくなんかない」 ブレイディみかこ

・「武士よさらば――あったかくてぐちゃぐちゃと、街をイジル」 隈 研吾

・「若い女性に好まれない自治体は滅びる――『文化による社会包摂』のすすめ」 平田オリザ

・「都市と地方をかきまぜ、『関係人』を創出する」 高橋博之

・「少子化をめぐる世論の背景にある『経営者目線』」 小田嶋 隆

・「『斜陽の日本』の賢い安全保障のビジョン」 姜尚中

 

 今回の記事で紹介、解説するのは、上記の中の「序論 文明史スケールを前にした未来予測 内田樹」という論考です。

 

 ②『人口減少社会の未来学』の概要

 

 「序論 文明史的スケールの問題を前にした未来予測」については、以下の内田氏のエッセイが、上記の「序論」の要約的な内容になっているので、以下に引用します。

(概要です)

(赤字は当ブログによる「強調」です)

(青字は当ブログによる「注」です) 

 

「日本は人口減社会の世界最初の実験事例を提供することになる」内田樹『AERA 』2018年2月19日号/巻頭エッセイ「eyes 」

「  編者として「人口減社会」についての論集を作った。21世紀末の日本の人口は中位推計で6千万を切る。80年でおよそ半減する勘定になる。驚くべきなのは、それがどのような社会的変化をもたらすのかについての専門家による予測が今もほとんど何もなされていないことである。私のような素人が人口減社会の未来予測についての論集の編者に指名されるという一事からもそれは窺(うかが)い知れる。専門家たちが専門的知見に基づいて「これからこうなります」と言ってくれたら、私などに出番は回ってこない。

 それでもようやくメディアで人口減が扱われるようになった。先日読んだある新聞では政治家や行政官、学者が人口減問題について意見交換していたが、結論は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」というものだった。それは結論ではなく、議論の出発点だろう。最後に政治家(福田康夫元首相だった)が「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と冷たく突き放して話は終わった。人口減については、誰も何も考えておらず、誰が考えるべきなのかについての合意も存在しないということだけはわかった。

 日本は人口減だが、世界の総人口はこれからもアフリカを中心に増え続け、世紀末には112億に達する。今でも地上では9人に1人が飢えている。人口が増えれば、飢餓や環境破壊はさらに進行するだろう。減らせるところから人口を減らすのは人類的には合理的な解である。人口減はどういうプロセスをたどり、どういう変化をもたらすことになるのか、日本はその世界最初の実験事例を提供することになる。

 世界史的な使命を担っているはずなのだが、その緊張感は日本の官民の指導者たちからまったく感じることができない。「婚活」だとか少子化対策だとかを思いつき的に語る以外は、相変わらず、五輪・万博やカジノ、リニア新幹線や官製相場でいずれ経済がV字回復して万事解決というような妄想に耽(ふけ)っている。若者たちが産業構造の劇的な変化を予期して、新しい生き方を模索し始めている姿だけが救いだ。

(『AERA』2018年2月19日号)

 

AERA2/19号

AERA2/19号

 

 

人口減少による地方消滅は避けられるか(朝日新聞オピニオン 日本がわかる論点2016)

人口減少による地方消滅は避けられるか(朝日新聞オピニオン 日本がわかる論点2016)

 

 

 「序論  文明史的スケールの問題を前にした未来予測  内田樹」において、注目した一節を以下に引用します。

 どれもが、重要な指摘と評価できます。

 キーセンテンスです。

 熟読してください。

 

「  日本の21世紀末の総人口は中位推計で6000万人と推計されています。これから80年間で人口がおよそ7000万人近く減る。これは政府や自治体が行っている婚活や育児支援のようなレベルの政策で対応できるスケールの変化ではありません。

 

「  人口減によって何が起きるかについての、科学的予測を踏まえた『国のかたち』についての国民的な議論はまだ始まっておりません。

 

「  日本社会には喫緊の論件だという切迫感がありません。それが不思議です。なぜなら、日本は世界で最初に超少子化・超高齢化のフェーズに突入する国だからです。

 

「  僕たち日本人は最悪の事態に備えて準備しておくということが嫌いなのです「嫌い」なのか、「できない」のか知りませんが、これはある種の国民的な「病」だと思います。

 戦争や恐慌や自然災害はどんな国にも起こります。その意味では「よくあること」です。でも、「危機が高い確率で予測されても何の手立ても講じない国民性格」というのは「よくあること」ではありません。それは一つ次数の高い危機です。「リスク」はこちらの意思にかかわりなく外部から到来しますが、リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない」という集合的な無能は日本人が自分で選んだものだからです。「選んだもの」が言い過ぎなら、「自分に許しているもの」です。

 

後退戦で必要なのはクールで計量的な知性です。まずはそれです。イデオロギーも、政治的正しさも、悲憤憤慨も、愛国心も、楽観も悲観も、後退戦では用無しです。

 

「  人口減は対処を誤ると亡国的な危機を将来しかねない問題ですけれど、それについては政府も自治体もまだ何も手立てを講じていません。今の日本にはまだ何の合意も何のルールも存在しないということです。

 

「  これから社会のかたちはどう変わってゆくのか。それについての長期的な予測を立て、それに対して私たちは何ができるか、何をなすべきかを論じ、とりあえず今できることから着手するのは未来の世代に対する私たちの忌避できぬ責任だろうと思います。

 

  最後に生き残るシステムは、それを維持するためにプレイヤーたちが人間的成熟を求められるようなシステム、プレイヤーたちが『いい人』『誠実な人』『言葉をたがえない人』だと周りから思われることが不可欠であるようなシステムである。

 (「序論」内田樹『人口減少社会の未来学』)

 

(3)「人口減少社会」対策の現状と、その原因

 

 現在の日本においては、「近い将来の人口減少」への「対策」は、惨憺(さんたん)の一言でしょう。

 「無策」としか言えません。

 将来の最悪の事態を考えない、最悪の事態に備えない、というのは、日本の伝統なのでしょうか?


 内田樹氏は、『街場の憂国会議』の中で、第二次世界大戦における、日本の「将来に対する無策」を、以下のように述べています。

「百戦百勝」以外に正解はないと信じている人間は、「どうやって後退戦を戦うか」、「どうやって、『負けしろ』を多めにとるか」、「どのあたりで和睦を切り出すか」といったことを主題的に問わない。

 それどころか、そういう問いを口にすること自体を禁じ、禁令を犯すものを「非国民」「売国奴」と罵り、投獄し、処刑する。

  「負け方」について思量することがそのまま「敗北」を呼び寄せると彼らは信じていたのである。

 歴史が教えるのは、どういうふうに「負ける」のが、よりましか、について何も議論しなかったのものたちは、想像を絶する負け方を引き寄せたということである。

 (『街場の憂国会議』内田樹)

 

街場の憂国論 (文春文庫)

街場の憂国論 (文春文庫)

 

 

 戦争の時に、可能性としてありうる「後退戦」について議論することさえ、憚れるとは、どういうことでしょうか?

 日本人は、ネガティブなことを議論とすることを、タブーとしているようです。

 単なる「言霊信仰」だけでは説明できない、日本人特有の感性があるのでしょうか?

 「未来の起こりうる危機的側面」について考えない、つまり、「危機管理」の発想がないというのは、単なる「無能」であり、「子供」・「幼児」ということです。

 

 このバカバカしさは、現代日本においても、当てはまるようです。

 現代日本においても、社会全体が「無能化」し、「子供化」・「幼児化」しているという一面があるのでしょう。

 現代日本の「無能化」・「子供化」現象と、その予想される「悲惨な結末」、「当然の結末」について、以下のように述べています。

 

「人口減社会に向けて/『日本農業新聞』の《論点》」『内田樹の研究室』2018年03月16日

日本農業新聞の「論点」というコラムに定期的に寄稿している。2月は「人口減社会」について書いた。あまり普通の人の読まない媒体なので、ブログに再録。

 わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。

 近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである

 人口減も同じである。この問題に「正解」はない。「被害を最小限に止めることができそうな対策」しかない。でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。場合によっては叱責される。だから、みんな黙っている。黙って破局の到来を待っている。

(「人口減社会に向けて」『内田樹の研究室』2018年3月16日)

 

食と農の黙示録―あしたへ手渡すいのち

食と農の黙示録―あしたへ手渡すいのち

 

 

 以上の記述は、「反知性主義」の発現の指摘そのものでしょう。

 「思考停止」状態の指摘、とも言えるでしょう。

 

 内田氏は、『日本の反知性主義』の中で、現代日本に蔓延している、悲しき「反知性主義」について以下のように述べています。

 もはや、日本社会においては、「反知性主義」は確固とした思考原理、行動原理になっている感じです。

 ある意味で、絶望的な状況です。

 

「  さまざまな市民レベルからの抵抗や批判の甲斐もなく、安倍政権による民主制空洞化の動きはその後も着実に進行しており、集団的自衛権の行使容認、学校教育法の改定など、次々と「成果」を挙げています。

 しかし、あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導くはずのこれらの政策に国民の40%以上が今でも「支持」を与えています。

 長期的に見れば自己利益を損なうことが確実な政策を国民がどうして支持することができるのか、正直に言って私にはその理由がよく理解できません。

 これは先の戦争のとき、知性的にも倫理的にも信頼しがたい戦争指導部に人々が国の運命を託したのと同じく、国民の知性が(とりわけ歴史的なものの見方が)総体として不調になっているからでしょうか。それとも、私たちには理解しがたい、私たちがまだ見たことのない種類の構造的な変化が起りつつあることの徴候なのでしょうか。私たちにはこの問題を精査する責任があると思います。

 今回の主題は「日本の反知性主義」です。ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』は植民地時代から説き起こして、アメリカ人の国民感情の底に絶えず伏流する、アメリカ人であることのアイデンティティとしての反知性主義を摘抉した名著でした。

 現代日本の反知性主義はそれとはかなり異質なもののような気がしますが、それでも為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っていることは間違いありません。それはどのような歴史的要因によってもたらされたものなのか? 

 人々が知性の活動を停止させることによって得られる疾病利得があるとすればそれは何なのか? 

(「まえがき」『日本の反知性主義』編・内田樹)

 

日本の反知性主義 (犀の教室)

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(4)「人口減少社会」への対策論①→

対策論を考え、実行することが、私たちにとって最も緊急な公的課題ではないか

 

 以下では、内田氏は、「人口減少社会への対策論を考え、実行することが、私たちにとって最も緊急な公的課題ではないか」と述べています。


「縮み行く世界」『内田樹の研究室』 2010年08月31日

「  一昨日の高橋源一郎さん、渋谷陽一さんとの鼎談の最後の方のテーマは「シュリンク(→ 「縮む、減る、少なくなる」という意味)してゆく社会で、市民はどんなふうにすれば尊厳を持って、かつ愉快に生きてゆくことができるか」ということであった。

 経済成長が止まったらもうおしまいだとか、人口がこれ以上減ったらもうおしまいだとか、国際社会でこれ以上侮られたらもうおしまいだ、とか「もうおしまいだ」的なワーディングで危機を論じる人がいる。

 たいへんに多い。

 私はこういう語り口は危険だと思う。

 というのは、そういうふうな言葉遣いで一度危機論を語ってしまった人は、警鐘を乱打したにもかかわらず事態が危機的になったときに「ほら、言ったことじゃない」と言う権利を確保してしまうからである。

 日本社会は不調になることによって、それを正しく予見した自分の知性の好調であることが証明される。

 そういう条件だと、危機論者は「もうおしまい」状態の到来を髪振り乱して押しとどめようとする仕事にはそれほど熱心にはなってくれない。

 そういう仕事は危機の到来を看過し黙許し、危機論者の必死の訴えに耳を貸さなかった諸君が後悔の涙にくれながらやればよいのだ。

 そういうふうに考えてしまう。

 これは属人的な資質の問題ではなく、「危機論を語る」ということのコロラリー(→「当然の結果」という意味)なのである。

 「俺の言うことをきかないと、危機になるぞ」という語り口で危機論を語ったのだが、誰も耳を傾けてくれなかったという苦い経験を持つ人は、いざ危機が到来したときに、つい「ほら、だから言ったじゃないか」と(口に出さなくても)思ってしまう。

 それどころか、危機の到来をはやめるような要因があれば、ついそれに「加担」してしまうことさえある。

 そういうことは無意識的に行われる。本人も自分が「危機の到来を加速するようなふるまい」をしていることには全然気づいていない。

 でも、危機論者にとって危機の到来は個人的には「喜ばしいこと」なのである(なにしろ彼らの未来予測の正しかったことが事実によって証明されるからである)。

 そういうのはあまりよくない。

 つねづね申し上げている通り、「ゴジラが来るぞ」と危機の切迫を訴え、備えの喫緊であることを論じたにもかかわらず「バカじゃないの」と嘲笑された科学者が、その予見の正しさを証明するためには、どうしたって実際にゴジラが来て都市を踏みにじる場面が必要なのである。

 彼が無意識のうちに(夢の中で、とか)「ゴジラの到来」を願ってもそれを責める権利は誰にもない。

 危機のときに、「だから、あのときああしていればよかったんだよ」というようなあとぢえを語るのは100%時間の無駄である。

 もう転轍点は過ぎてしまったのである。

 過去に戻ってやり直すことはできない。

 与えられた状況でベストを尽くすしかない。

  「経済成長が止まったらおしまいだ」と言っている人は経済成長が止まった時点で、自分はもう何の役にも立たない。何の政策も提言できない。何のビジョンも提示できないと宣言している。

 だって、「おしまい」というのは、政策提言もビジョンもプロジェクトもとにかく生産的なことは「なんにもできない」状況を指すからである。

 そのときにまだ次々と効果的な「打つ手」が思いつくようであるなら、それは「おしまい」の定義に悖る。

 実際には人口が減ろうと、経済成長が終わろうと、国際社会で侮りを受けようと、それでも私たちは生きていかなければならない。

 生きてゆかなければならない以上、「それでも自尊感情を保ち、気分よく生きるためにはどうすればいいか」という問いに知的資源を投じるのは生産的なことだ。

 高橋さんとそういう話をした。

 軍事用語を使って言えば、これからの日本は「後退戦」を戦うことになる。

 「百戦百勝以外はありえない」という『戦陣訓』のようなことを言う人間には後退戦は戦えない。

 だって、その立場からすれば後退戦などというものは「ありえない事態」だからだ。

 「ありえない事態」における適切なふるまいとは何かというような問いは、彼らには決して主題化しない。

 けれども、私たちはいま、それを主題として考究すべき時点にまで立ち至っている。

 無限に成長し続け、無限に人口が増え続け、無限に税収が増え続ける社会などというものは原理的に存在しない。

 そのような存在しないものを基準にして「そうでなくなったらおしまいだ」というようなことを言って青ざめるのは愚かなことである。

 繰り返し言うが、日本はこれから「縮んでゆく」。

 その過程でさまざまなフリクションが生じるだろう。

 それがもたらす損害を最小に抑制し、「縮むこと」がもたらすメリットを最大化する工夫を凝らすこと、それが私たちにとってもっとも緊急な公的課題ではないのか。

(「縮み行く世界」『内田樹の研究室』 2010年08月31日)

 

 「人口減少社会」への対策を考える際には、「次世代への責任」、「未来世代への責任」ということも考慮する必要があるということです。

 以下の内田氏のブログ記事も、同様なことを主張しています。


「神奈川新聞のインタビュー」「反骨は立ち上がる」『内田樹の研究室』 2017年05月03日

「  日本ははっきり末期的局面にある。これから急激な人口減を迎え、生産年齢人口が激減し、経済活動は活気を失い、国際社会におけるプレゼンスも衰える。

 日本はこれから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない。

後退戦の要諦は、ひとりも脱落させず、仲間を守り、手持ちの有限の資源をできるだけ温存して、次世代に手渡すことにある。後退戦局面で、「起死回生の突撃」のような無謀な作戦を言い立てる人たちについてゆくことは自殺行為である。残念ながら、今の日本の政治指導層はこの「起死回生・一発大逆転」の夢を見ている。

 五輪だの万博だのカジノだのリニアだのというのは「家財一式を質に入れて賭場に向かう」ようなものである。後退戦において絶対に採用してはならないプランである。けれども、今の日本にはこの「起死回生の大ばくち」以外にはプランBもCもない。

 国として生き残るための代替案の案出のために知恵を絞ろうというひとが政官財の要路のどこにもいない。

 だが、そうした危機的現状にあって、冷静なまなざしで現実を眺め、自分たちが生き残るために、自分たちが受け継ぐはずの国民資源を今ここで食い散らすことに対して「ノー」を告げる人たちが若い世代からきっと出てくると私は思っている

 日本の人口はまだ1億2千万人ある。人口減は止められないが、それでもフランスやドイツよりははるかに多い人口をしばらくは維持できる。指導層の劣化は目を覆わんばかりだけれど、医療や教育や司法や行政の現場では、いまも多くの専門家が、専門家としての矜持を保って、私たちの集団を支えるために日々命を削るような働きをしている。彼らを支えなければならない。

 後退戦の戦い方を私たちは知らない。経験がないからだ。

 けれども、困難な状況を生き延び、手持ちの資源を少しでも損なうことなく次世代の日本人に伝えるという仕事について、私たちは好き嫌いを言える立場にはない。

 それは国民国家のメンバーの逃れることのできぬ義務だからである。

(「神奈川新聞のインタビュー」「反骨は立ち上がる」『内田樹の研究室』 2017年05月03日)

 

(5)「人口減少社会」への対策論②→「転換期の心構え」→情報を懐疑せよ

 

 これからの「人口減少社会」は、日本の歴史にとって未知の転換期になります。

 その時に、私たちは、いかなる心構えをするべきなのでしょうか?

 内田氏は「懐疑的精神」の重要性を強調しています。

 

「『難しさ』とは何か?」『内田樹の研究室』(2017.1.15)

「 転換期というのは、大人たちの大半が今何が起きているのかを実は理解できていない状況のことです。だから、大人たちが「こうしなさい」「こうすれば大丈夫」と言うことについても、とりあえず全部疑ってかかる必要がある。今は「マジョリティについて行けばとりあえず安心」という時代ではないからです。

 社会成員の過半数がまっすぐに崖に向かって行進しているということだって、おおいにありうるのです。

 ですから、この本に書かれていることだって(今僕が書いているこの言葉を含めて)、みなさんは基本的には「全部疑ってかかる」必要があります。

(「『難しさ』とは何か?」『内田樹の研究室』2017年1月15日) 

 

 以上のように内田氏は、懐疑的精神の必要性を主張しています。

 その上で、手に入る限りの、あらゆる資料、判断材料を入手して、自分自身で熟考していくことが大切でしょう。

 

 (6)「人口減少社会」への対策論③

→「若者の地方移住」の意味するもの

 

 内田氏は、現代日本において、一部の若者たちが地方移住をしていることに注目して、この現象が「人口減少社会」の対策論の実践として有用ではないか、と主張しています。

 傾聴するべき意見として、以下に引用します。

 

「地方移住の意味するもの」『内田樹の研究室』2017年07月31日

「  先週の『サンデー毎日』に少し長めのものを寄稿した。

 もう次の号が出る頃だからネットに再録。

 地方移住者たちは直感的にそういう生き方を選んだ。それは経済成長が止まった社会において、なお「選択と集中」という投機的な経済活動にある限りの国富を投じようとする人たち対抗して、まだ豊かに残っている日本の国民資源-温帯モンスーンの豊饒な自然、美しい山河、農林水産の伝統文化、地域に根付いた芸能や祭祀を守ろうとする人たちが選んだ生き方である。

 先月号の『フォーリン・アフェアーズ・レポート』では、モルガン・スタンレーのチーフ・グロバル・ストラテジストという肩書のエコノミストが、経済成長の時代は終わったという「経済の新しい現実を認識している指導者はほとんどない」ことを嘆いていた。経済目標を下方修正しなければならないにもかかわらず、政治家たちは相変わらず「非現実的な経済成長を目標に設定し続け」ている。

 中でも質の悪い指導者たちは「人々の関心を経済問題から引き離そうと、外国人をスケープゴートにしたり、軍事的冒険主義に打って出たりすることでナショナリズムを煽っている」(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、2017年 第六号、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン、21-22頁)。

 まるで日本のことを書かれているような気がしたが、世界中どこでも政治指導者たちの知性の不調は似たり寄ったりのようである。

 だが、このエコノミストのような認識が遠からず「世界の常識」になるだろうと私は思っている。今求められているのは、この後始まる「定常経済の時代」において世界標準となりうるような「オルタナティヴ」(→当ブログによる「注」→alternative/「既存のものに取ってかわる新しいもの」という意味)を提示することである。

 若者たちの地方移住はその「オルタナティヴ」のひとつの実践である。

 海外メディアがこの動きを「超高齢化・超少子化日本の見出した一つの解」として興味をもって報道する日が来るのはそれほど遠いことではないと私は思っている。

(「地方移住の意味するもの」『内田樹の研究室』2017年07月31日)

 

 (7)「人口減少社会」への対策論④→「学びたいことを学ぶ。身につけたい技術を身につける」

 

 内田氏は、学生の立場からの「人口減少社会」への対策論についても言及しています。

 かなり参考になるので、以下に引用します。

 

「受験生のみなさんへ/サンデー毎日」『内田樹の研究室』2018年03月23日

「サンデー毎日」の先週号に「受験生のみなさんへ」と題するエッセイを寄稿した。

 高校生や中学生もできたら小学生も読んで欲しい。

 受験生のみなさんへ。

 こんにちは。内田樹です。この春受験を終えられた皆さんと、これから受験される皆さんに年長者として一言申し上げる機会を頂きました。これを奇貨として、他の人があまり言いそうもないことを書いておきたいと思います。

 それは日本の大学の現状についてです。いま日本の大学は非常に劣悪な教育研究環境にあります。僕が知る限りでは、過去数十年で最悪と申し上げてよいと思います。

 気鬱な予言になりますけれど、大学を含む日本の学校教育はこれから先ますます「落ち目」になってゆきます。V字回復の見込みはありません。もうすぐに18歳人口の急減によって、大学が次々と淘汰されて消えてゆきます。2017年度で大学を経営する660の学校法人のうち112法人(17%)が経営困難、21法人は2019年度中に経営破綻が見込まれています。みなさんがこれから進学しようとしている先は、そういう危機的状況にある領域なのです。

 じゃあ、どうすればいいんだ、と悲痛な声が上がると思います。上がって当然です。分かっているのは「こうすればうまくゆく」というシンプルな解は存在しないということです。

 初めて経験する状況ですから成功事例というものがない。生き延びる方途はみなさんが自力で見つけるか創り出すなりするしかない。書物やメディアで必要な情報を集め、事情に通じていそうな人に相談し、アドバイスに耳を傾け、分析し、解釈して、生きる道を決定するしかありません。

 そして、その選択の成否については自分で責任を取るしかない。誰もみなさんに代わって「人生の選択を誤った」ことの責任を取ってはくれません。

 どのような専門的な知識や技能を手につけたらよいのかを判断をする時にこれまでは「決して食いっぱぐれがない」とか「安定した地位や収入が期待できるから」という経験則に従うことができました。これからはそれができない。日本の産業構造や雇用状況は、これから、少子化、高齢化とAIの導入で激変することが確実だからです。

 でも、どの産業セクターが、いつ、どのようなかたちで雇用空洞化に遭遇するかは誰も予測できない。

 ですから、僕からみなさんにお勧めすることはとりあえず一つだけです。

 それは「学びたいことを学ぶ。身につけたい技術を身につける」ということです。「やりたくはないけれど、やると食えそうだから」といった小賢しい算盤を弾かない。「やりたいこと」だけにフォーカスする。

 それは自分がしたいことをしている時に人間のパフォーマンスは最も高まるからです。生きる知恵と力を最大化しておかないと生き延びることが難しい時代にみなさんは踏み込むのです。

(「受験生のみなさんへ/サンデー毎日」『内田樹の研究室』2018年03月23日)

 

 内田氏の言いたいことは、要するに、「人口減少社会」の到来という未知の転換期において、「生き延びる」ためには、目先の「不確定な」経済的利益にとらわれないで、「自らの意欲、希望」に従うべきだ、ということでしょう。

 私は、内田氏のこの意見に賛成します。

 そもそも、いつの時代でも、「自分の人生を大切にする」ためには、そういう「心構え」が不可欠なはずです。

 ましてや、未知の一種の動乱の時代には、この「心構え」こそが、自分を助けることになるでしょう。

 「好きこそ、ものの上手なれ」です。

 

(8)「人口減少社会」への対策論⑤

→「一般的な心構え」

 

  「一般的な心構え」としては、第二次世界大戦研究の第一人者・半藤一利氏の以下の見解が妥当でしょう。

 第二次世界大戦史・太平洋戦争史の研究を通して、秀逸な「日本人論」を主張している半藤氏の「人口減少社会」に関する考察は、かなり説得力があります。

 

『日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか 撤退戦の研究 (知恵の森文庫)』半藤 一利

「  たぶん日本は国家としての急激な伸張はもう望めないでしょう。美しく成熟するためにはどうすればいいかを考えなければならないときにきている。

 成熟の進行と少子化によって消費パワーは確実に落ちていく。それは国力の衰退を意味し、その結果、日本は一、二の国に追い越されることになる。ただし、一、二の国に追い越されても、日本が依然として経済的な大国であることは間違いない。

 

「  日本人は、これ以上思う通りに欲望を発散させないこと。ここまでで結構ということで満足することに合意すれば、これ以上自然は壊れない。

 今の生活の欲望をこれ以上発散させないこと、これ以上余計なことはしないこと、自己限定の決意、そうした落ち着いた生活というものを覚悟する。

 

「  戦略とはチョイス、選択。そして、選択とは決断。戦争で開戦するかしないかも難しい決断だが、最も難しいのは撤退戦である。

(『日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか  撤退戦の研究 (知恵の森文庫)』半藤 一利)

 

日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか 撤退戦の研究 (知恵の森文庫)

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 (9)当ブログにおける「内田樹」関連記事の紹介

 

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今回の記事は、これで終わりです。

次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。

ご期待ください。

 

   

 

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