「原発の経済効果 神話に安住している間に」小熊英二/入試予想問題
(1)はじめに
入試国語(現代文)・小論文の頻出キーワード、重要キーワードである「自助努力」、「主体性」、「先入観」、「根拠なき神話」、「神話への逃避」、「思考停止状態」、「自己喪失」、「自己疎外」等を学ぶのに有用なハイレベルな論考(→「原発の経済効果 神話に安住している間に」小熊英二・2018年3月29日・朝日新聞・論壇時評)が最近発表されました。
そこで、入試国語(現代文)・小論文対策として、今回の記事で紹介・解説します。
しかも、この論考は流行論点である「地域振興」が論点です。
小熊英二氏の論考は、最近、中央大学・国語(現代文)、上智大学(総合人間)公募推薦小論文、群馬大学(社会情報)後期小論文等で出題されています。
特に、上智大学(総合人間)公募推薦小論文では、「論壇時評」からの出題です。
従って、今回紹介する論考は、そのまま、来年以降の入試の出典になる可能性が高いです。
熟読することを、オススメします。
なお、今回の記事の項目は以下の通りです。
(2)予想問題・解説/「原発の経済効果 神話に安住している間に」(小熊英二・2018年3月29日 朝日新聞/論壇時評)
(3)当ブログによる解説
(4)「根拠なき神話への逃避」・「思考停止状態」についての小坂井敏晶氏の論考
(5)現代日本社会における「長期的思考の欠如」について/内山節氏の論考
(6)「根拠なき神話への逃避」・「受動的状態」から脱するための対策論
(7)小熊 英二氏の紹介
(8)当ブログにおける「思考停止状態」・「根拠なき神話への逃避」関連記事の紹介
(2)予想問題・解説/「原発の経済効果 神話に安住している間に」(小熊英二・2018年3月29日 朝日新聞/論壇時評)
(問題文本文)(概要です)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
【1】最近の沖縄を訪ねて感じるのは、沖縄のなかの地域格差である。
【2】人口の半数が集中する那覇周辺域は、外国人観光客がめだち、有効求人倍率も高い。県の観光客数は昨年にハワイを抜いた。米軍基地の返還跡地にできたショッピングセンターもにぎわっている。種々の問題もあるにせよ、基地返還の経済効果を実感できる状況だ。
【3】だが、米軍基地の建設が行われている名護市辺野古は違う。ここは那覇からバスで2時間ほどかかるが、東京都心から山梨県に行くような感覚だ。活気があるとはいえない集落に、新しく立派な公共施設が立つ。政府は県を通さず、交付金を直接に市や集落に交付する。
【4】この2月、この名護市で、自民党と公明党が支援した新市長が、基地反対の前市長を破って当選した。当選後にこの新市長は、リゾートホテルの誘致や漁港の整備、各種補助金などの「御支援」の要望書を政府に提出した
【5】基地を歓迎する人はいないが、地域振興のために「迷惑施設」(→当ブログによる「注」→「迷惑施設」とは、人々が施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでほしいと考える施設です。騒音、大気汚染、水質汚染、射能汚染等が発生するという理由で反対されることが多い。主な具体例としては、学校(保育園・幼稚園を含む)、清掃工場、下水処理場、核施設(原子力発電所等)、軍事施設(軍事基地等)が挙げられます。)を受け入れる。これまでくり返されてきた図式だ。
【6】だが、一つ疑問がある。こうした手法は本当に地域振興に役立つのか。基地ではないが、原発については調査がある。
【7】新潟日報の前田有樹らは、柏崎刈羽原発の経済効果を調査報道した。(→『崩れた原発「経済神話」 柏崎刈羽原発から再稼働を問う』(新潟日報社原発問題特別取材班・著 明石書店)→《内容説明》「安全神話」崩壊後、いまだ生き残る「経済神話」。原発が稼働すれば地元経済が潤う、と感じている人は少なくない。それが再稼働を容認する理由のひとつになっている。だが、原発は地域振興にほんとうに役に立つのか。再稼働問題に揺れる柏崎刈羽原発。地元紙・新潟日報が原発と地域経済の問題を多面的に検証・追及した労作。)それによると、原発が地域経済に貢献するというのは「神話」だったという。
【8】柏崎市の産業別市内総生産額、小売業販売額、民間従業者数などを分析すると、確かに原発の建設工事が行われていた1978年から97年に、それらの指標は伸びていた。だがその伸び方は、県内で柏崎市と規模が近い市とほぼ同等だった。
【9】つまり、柏崎市の指標が伸びていたのは、原発の誘致よりも、日本経済全体が上げ潮だった影響が大きかった。柏崎市長を3期務めた西川正純氏は、このデータをみて「原発がない他の市と同じ歩みになるなんて」と絶句したという。
【10】唯一、建設業だけは市内総生産額が顕著に伸びていたが、原発建設が終わるとその効果も消えた。建設終了後の柏崎市は、人口減少が他市より激しく、一時的に増えた交付金や税金で建てた施設の維持管理で、財政が厳しくなっている。
(→まさに、「長期的視点の欠如」と言えます)
【11】にもかかわらず、柏崎商工会議所に属する100社を調査したところ、再稼働を願う回答が66社にのぼった。だが柏崎市には原発と無関係な業種が多く、原発停止で売り上げが1割以上減ったのは7社だけだった。再稼働でどの業種が活性化するのか尋ねたところ、「飲み屋」という回答が最多で、再稼働の経済効果を具体的に示せる企業は少なかった。
【12】なお東電幹部は、再稼働すれば原発作業員が減ると認めている。停止している方が、安全対策や維持管理の工事が多いためだ。実際に柏崎の作業員は、全基停止していた2015年度の方が、稼働していた06年度より2割以上多かった。原発が止まると作業員が減り、地域にお金が落ちないというのは誤解なのだ。
【13】なぜ、こうした根拠のない「神話」が流布したのか。この調査報道を行った前田は、これまでのメディアの報道姿勢を批判している。原発停止の影響を報じるとき、メディアは原発関連の仕事を受注する企業や繁華街の飲食店など、影響がありそうな会社を選んで取材しがちだった。これが、原発停止の影響を過大に語るコメントが多い背景だったのだ。(→「情報化社会」・「IT化社会」の「問題点」の指摘です)
【14】「だが思うに、無根拠な「神話」が生まれた最大の要因はメディアではない。メディアは、すでに流布していたイメージに束縛され、先入観に沿って取材していただけだ。最大の要因は、事態の変化を直視できない心の弱さである。(→「溺れる者は藁をも掴む」でしょう)
【15】原発と経済に、実はさほど関係はなかった。ただ、日本経済が上げ潮だった時期と、原発が建設されていた時期が重なっていたため、経済成長のシンボルになったにすぎない。だが人間は、「あの星が出ていた時は町が栄えていた」ということを、「あの星が出れば町が栄える」と混同してしまいがちだ。本当の原因を直視して解決に努力するより、他の理由に責任転嫁した方が楽だからである。経済が停滞し、社会が変化しているとき、人は神話に逃避(→当ブログによる「注」→「現実逃避」です。「現実逃避」とは、現実に求められたり、何かしなくてはならない物事から意図的に注意や意識をそらすための行為や心理状態。困難な状況から目をそむけ、不安から逃れようとするメカニズム)しやすい。
【16】だが、それは、状況から目をそらし、自ら努力する姿勢を奪ってしまう。冒頭に述べたように、沖縄県名護の新市長は補助金の要望書を政府に提出したが、政府の経済官僚はこう溜息(ためいき)をついた。
【17】「まずは自分たちで汗をかいてみる、自助努力(→「天は自ら助くる者を助く」という諺があります。神は自分自身で努力する人に手を差しのべる、ということです)でどこまでできるかやってみる。そんな当たり前の精神が欠けていると言わざるをえないです」
【18】こうした神話への逃避は他にも散見される。たとえば「大日本帝国憲法の時代は家族の絆が強かった」としても、「憲法を改正すれば家族の絆が強くなる」というのは幻想だ。それは変化に目を閉ざし、さらなる停滞を招くことになる。
【19】原発に限っても、世界の変化に対する日本の停滞は著しい。上田俊英が指摘するように、世界の風力発電設備容量は15年に原発を抜き、太陽光も原発に迫っている。発電コストも大幅に下がり、日本が原発輸出を試みている英国でも、風力の方が新型原発より4割近くも安い。
(→当ブログによる「注」→国際エネルギー機関(IEA)は2017年11月14日、太陽光発電が2040年までに多くの国や地域で最も低コストのエネルギー源となり、低炭素型電源の設備容量として最大になるとの見通しを発表しました。)
中国など他国が再生可能エネルギーに大幅に投資を増やすなか、日本の遅れが目立つことはNHKも報道した。
【20】今月で福島第一原発事故から7年。その間に世界は変わった。各種の神話から脱し、問題に正面から向きあうときだ。
(3)当ブログによる解説
確かに、「従順」が一般的に悪いというわけではありません。
人間は社会的動物です。人間は群れを作り、その中で他の人と同化したがる習性があるようです。人と違うということは、ある意味で危険なので、避けらる傾向があります。そこで、従順な姿勢をとり、自主的に体制に順応しようとするのです。
しかし、「従順」には、危険な側面があります。なぜなら、「思考停止状態」になるからです。
この危険な側面については、佐藤優氏の論考(『君たちが知っておくべきこと』)が参考になります。
以下に引用します。
(本書における佐藤氏の講義の概要)
「 人は、なぜ権威を信用してしまうのだろうか。
ニクラス・ルーマン(→本書による注→ドイツの社会学者(1927ー98)。行為の意味づけやコミュニケーションを重視した社会システムを構想した。他の主著に『社会システム理論』)は『信頼ー社会的な複雑性の縮減メカニズム』という本の中で、このメカニズムを説明している。
複雑なシステム、つまり複雑系の中でわれわれは生きている。この自分を取り巻く複雑な事柄を一つ一つ解明するために割(さ)く時間やエネルギーはない。でも、複雑性には、縮減するメカニズムがある。法律・マニュアルを作るというのは、その一つです。
そして、人間が持つ、一番重要かつ効果的に複雑性を縮減するメカニズムは「信頼」だというのがルーマンの仮説です。信頼によって、相当程度、判断する時間と過程を省略できます。→一種の「思考の放棄」であり、「他者への依存」です)
一方、ユルゲン・ハーバーマス(→本書による「注」→ドイツの社会学者、哲学者。社会における理性に基づくコミュニケーション、行為の重要性に着目した。他の主著に『公共性の構造転換』)も『晩期資本主義における正統化の諸問題』の中で、「順応のメカニズム」ということを言っています。
世の中の複雑さを構成する一つ一つの要素を一から自分で情報を集め、理屈を調べ、解明していくと時間が足りなくなってしまう。もちろん、面倒くさくもある。だから、自分に納得できないことがあるとしても、「誰か」が発した「これはいいですね」「これは悪いですね」という意見をとりあえず信頼しておく。それが続くと「順応の気構え」が出てきて、何事にも順応してしまうのです。
(→当ブログによる「注」→「完全な依存状態」、言い換えれば、「権威にコントロールされている」状態です。これは、「マインド・コントロール」と言ってもよい状態です。さらに言えば、「自己喪失(アイデンティティ喪失)」状態・「自己疎外」現象とも言うべき、最悪な状態なのです。分かりやすく言うならば、「人間のロボット化」、「反知性主義の極致」です。)
順応と信頼はコインの裏表です。一度信頼してしまうと「これ、おかしいんじゃないの?」と思っても、なかなかそこを突き詰めることができなくなってしまう。なぜかというと、信頼した人に裏切られたという意識を持つことによって、なんてつまらない人を信頼してしまったのかと、自分で自分が情けなくなるからです。」
(4)「根拠なき神話への逃避」・「思考停止状態」についての小坂井敏晶氏の論考
「根拠なき神話への逃避」・「思考停止状態」は、入試国語(現代文)・小論文における頻出論点なので、さらに説明します。
「根拠なき神話への逃避」・「思考停止状態」については、入試頻出著者・小坂井敏晶氏の明晰な論考が、かなり参考になります。
「どんな種類の命題でもその正しさが確信される過程では必ずどこかで思考停止が起こり、それ以上には疑問をさしはさまない地点がある。科学の分野であれ、宗教の世界であれ、日常的常識においてであれ、それはかわらない。その地点の彼岸に対して我々は無条件に信じているのだ。そういう意味では合理的証明と宗教的信仰とを完全に区別することは難しい。「理解する」「確信する」ということの意味は、科学においても宗教においても、究極的な地点ではそれほど異なっていない。」(『民族という虚構』東京大学出版会)
その上に、小坂井氏によれば、私たちの「日常的思考」には、「科学や哲学の知見」と異なり、それ自体に問題点があるようです。
以下に、小坂井氏の見解を引用します。
「我々の日常的思考は次の3つの点で科学や哲学の知見と異なる。
まず第一に、専門家と違い、問題を検討するための十分な情報がない。したがって部分的な検討しかできず、様々な角度から考察せずに結論に至ってしまう。
第二に、我々は社会構造に組み込まれており、所属する社会階層・年齢・性別・出身文化背景・職業などに固有な情報網から知識を得る。したがって偏った情報を基に判断せざるをえない。
第三に、他者とコミュニケーションを持ち、具体的状況にすぐさま反応しなければならない。したがって十分な考察を経ずに判断や行動が実施される。」(『民族という虚構』)
以上に加えて、「日本人の思考」の「一般的傾向」にも、問題があると、小坂井氏は、以下のように主張しています。
「日本は弱者に優しくとも、逸脱者や反抗者には生きにくい社会だ。美意識にせよ倫理観にせよ、良いものの基準が社会的に強く規定される。だから均質化しやすい。本来好ましいはずの向上心が仇になる。より良い生き方を目指す時点ですでに我々は誤った道を踏み出しているのではないか。」(小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』祥伝社・2017)
つまり、「主体的思考」、「主体的選択」というものには、どうしても本質的困難性が伴うようです。
私たちは、このことに自覚的であるべきでしょう。
この点は、「自由意志」、「自由」に関連する重大な問題です。
このことについて、小坂井氏は、以下のように鋭い分析をしています。
「自ら主体的に選択したと思っていても、我々は知らず知らずのうちに外界からの情報に影響を受けて判断は行動をしている。しかし、『嫌ならいいんですよ。強制する気はまったくありませんから』などと言われるために、本当は外的強制力が原因で引きだされた行為であるのに、その事実が隠蔽され、あたかも自ら選び取った行為であるごとく錯覚してしまう。ここには自由意志などない。あるのは自由の虚構だけである。」(『民族という虚構』)
(5)現代日本社会における「長期的思考の欠如」について/内山節氏の論考
なお、今回の小熊英二氏の論考においては、以下のように、現代日本社会における
「長期的思考の欠如」も問題にしています。
「【10】唯一、建設業だけは市内総生産額が顕著に伸びていたが、原発建設が終わるとその効果も消えた。建設終了後の柏崎市は、人口減少が他市より激しく、一時的に増えた交付金や税金で建てた施設の維持管理で、財政が厳しくなっている。(→まさに、「長期的視点の欠如」と言えます)」
現代日本社会における「長期的思考(長期的視点)の欠如」については、入試頻出著者・内山節氏の論考が秀逸なので、以下に概要を引用します。
「子どものころは、いつか地球が壊れるときが来るということを本気で心配したものだった。それが50億年くらい先のことだとわかっていても、安心感をもつことはできなかった。人類が生存できるのも、あと50万年くらいである。もっともこちらの方は人間が環境を破壊しつづけているために、もっとずっと早く生存できなくなる日が来ると考える人たちもいて、「そうかもしれない」と言うしかない状況のなかで、今日の私たちは暮らしている。
伝統的な日本の社会においては、人々は過去も未来も現在のなかにあると考えて暮らしてきた。現在があるから振り返る過去や、展望する未来があるという意味でもあり、過去は現在を支えながら、いまも存在し、未来のあることが現在を支えているという意味でもある。ところが、近代的世界ができてくると、人間たちは過去、現在、未来を時系列でとらえるようになった。過去とは過ぎ去ったもの、未来は将来でしかなくなった。とともに、人間世界における経済の役割が大きくなってくると、次第に短い時間幅で物事を考える習慣が定着するようになった。経済は100年後のことなど相手にしない。常に今のことであり、せいぜい数年先の経営である。
施行する時間幅の短さは今日の政策にも表れていて、たとえばアベノミクスをみても、金融緩和によって金をばらまけば一時的には金余りの状況が生まれるが、それが長期的にどんな影響をもたらすのかは、検討されているようには感じられない。これからどんな経済社会をつくっていったらよいのかという長期的な思想も、いまの政治から読み取ることはできない。
私はそれは、社会の劣化だと思う。
長い時間幅で思考することができなくなって、今の愉悦だけを求める思考が、この社会を劣化させている。この劣化した社会のもとでは、人間はどんなふうに生きたらよいのかとか、自然と人間はどんな関係にあったらよいのか、というようなことを深く考えることが、人間たちには苦手になってしまう。そんなことより、目の前の金やいまの自分を肯定してくれるものの方が、大事になるのである。ここから過剰なほどの自己肯定、現状肯定を望み、自分にとって不都合なことは無視する傾向も生まれてくる。
困ったことにこの傾向が、一部の経営者や政治家にまで広がっていることだ。彼らは原発事故が生みだした現実も無視したいし、アベノミクスがさしたる成果を上げていないことも無視したい。
不都合なことは無視し、自己肯定という愉悦だけを求める。深刻にとらえなければいけないのは、現在はびこっているこのような傾向である。ここから不都合な過去や未来を無視するという態度も生まれてくる。
このような状況のなかに身を置いていると、私は、過去や未来が現在を支えていると考えながら、過去、現在、未来を一体的にとらえていたスケールの大きな思考から、学びたくなる。」
(「社会を劣化させるもの」内山節・東京新聞2014年3月9日「時代を読む」)
(6)「根拠なき神話への逃避」・「受動的状態」から脱するための対策論
これは、かなり難しい問題です。
この点についても、上記の佐藤優氏の論考が参考になります。
この点に関して、佐藤氏は『国家と神とマルクス』の中で、「『読書と思索』が『順応気構え』から脱する、よい契機になった」と言っています。
確かに、「読書と思索」こそは、「順応気構え」という最悪の「受動的状態」から脱出する「最良の対抗策」と言えます。
「自分の考え」をしっかりと保持し、「自分の思考」に自信を持っていれば、たとえ、思考の時間やエネルギーがそれほど確保できないとしても、簡単に「順応気構え」の状態に陥ることはないでしょう。
「自己確立」のためには、「読書と思索」が不可欠です。
これこそ、上記の小熊氏の論考における「自助努力」です。
また、「現実直視」には、現実に対応する、対面する勇気が必要不可欠です。
まさに、小熊英二氏の主張する通りです。
「【20】今月で福島第一原発事故から7年。その間に世界は変わった。各種の神話から脱し、問題に正面から向きあうときだ。」
(7)小熊 英二氏の紹介
小熊 英二(おぐま えいじ)
1962年東京都生まれ。社会学者。出版社勤務を経て、慶應義塾大学総合政策学部教授。
専攻は歴史社会学・相関社会科学。
映画『首相官邸の前で』で2016年「日本映画復興奨励賞」受賞。
『社会を変えるには』(講談社現代新書)で新書大賞を受賞。
ほかの著作に
『単一民族神話の起源』(サントリー学芸賞)、
『<民主>と<愛国>』(大仏次郎論壇賞、毎日出版文化賞)、『1968』(角川学芸賞、以上新曜社)、
『生きて帰ってきた男』(小林秀雄賞、岩波新書)など。
(8)当ブログにおける「思考停止状態」・「根拠なき神話への逃避」関連記事の紹介
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今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
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