予想問題「スポーツと民主主義」『反・民主主義論』(佐伯啓思)
(1)現代文(国語)・小論文・予想問題(出典)ー「スポーツと民主主義」『反・民主主義論』(佐伯啓思)ーなぜ、これらの論考に注目したのか?
【1】『反・民主主義論』の紹介をします
表紙の帯には、「民主主義を信じるほど、不幸になっていく」という刺激的なキャチコピーがありますが、本書の内容は、極めてオーソドックスです。
表紙カバーには、以下のような、本書の概略があります。
(赤字は当ブログによる強調です)
《「民主主義を守れ」と叫ぶ人がいる。「憲法を守れ」と怒る人がいる。
だが、われわれは「民主主義」「憲法」を本当に考えてきたのだろうか。
それらを疑うことをタブーとし、思考停止を続けてきただけではないのか。
戦後70年で露呈しているのは「憲法」「平和」「国民主権」を正義とする民主主義の欺瞞と醜態だったー安保法制、無差別テロ、トランプ現象・・・・直近のニュースから、稀代の思想家がその本質を鋭く衝く。
知的刺激に満ちた本格論考。》
本書は、まさに、特に、「民主主義」をギリシャ時代の沿革から遡り、「民主主義」とは何か、を「本質的」に論考した書です。
このような、本格的・本質的な論考は、難関国公立私立大の現代文(国語)・小論文の問題として出題されやすいのです。
しかも、著者は入試頻出著者の佐伯啓思氏です。
そこで、今回、現代文(国語)・小論文対策として記事化しました。
【2】本書の紹介
本書は2016年10月20日に発行されました。
本書は、月刊「新潮45」連載の「反・幸福論」(2015年8月号~2016年5月号)に加筆を施し、改編したものです。
「加筆を施されている」ので、佐伯氏の最新の考察を読むことができます。
全体の構成は以下のようになっています。
第1章 日本を滅ぼす「異形の民主主義」
第2章 「実体なき空気」に支配される日本
第3章 「戦後70年・安倍談話」の真意と「戦後レジーム」→第1~3章は「日本の政治的混迷」に関する論考です
第4章 摩訶不思議な日本国憲法
第5章 「民主主義」の誕生と歴史を知る→本質的・哲学的論考です。来年度入試の現代文(国語)・小論文の流行出典になる可能性が大です。
第6章 グローバル文明が生み出す野蛮な無差別テロ
第7章 少数賢者の「民本主義」と愚民の「デモクラシー」
第8章 民主主義政治に抗える「文学」
第9章 エマニュエル・トッドは何を炙り出したのか→エマニュル・トッド氏は、「イギリス(英国)のEU離脱問題」・「アメリカ(米国)大統領選挙におけるトランプ現象」という「世界の混迷」について、「国民国家とグローバル化」の視点から、秀逸な見解を発表しており、大学入試現代文(国語)・小論文の分野においても、注目するべき著者です。
第10章 トランプ現象は民主主義そのもの→共和党のトランプ・アメリカ大統領候補が、トランプ・アメリカ大統領になったこと(「トランプ現象」)で、来年度の現代文(国語)・小論文のヤマ、流行出典になりそうです!
【3】本書に注目した理由
以下に、本書に注目した理由を列挙します。
① 佐伯啓思氏は、入試現代文(国語)・小論文における入試頻出著者です。
そして、本書は佐伯氏の最新の著作です。
佐伯氏の論考は、最近では、神戸大学、新潟大学、早稲田大学(政経)・(文)、立教大学、法政大学、中央大学、関西大学等で出題されています。
② 「民主主義」の論点・テーマは、最近の、現代文(国語)・小論文において流行論点・テーマになっています。
③ このところ問題になっている「集団的自衛権」に関連して、「日本国憲法論」・「憲法改正問題」・「憲法9条改正問題」が論点化・テーマ化しています。
④ 「グローバル(国際化)」は最近では、トップレベルの頻出論点・テーマです。
個別的には、「新自由主義」・「TPP問題」の論点・テーマとして、現代文(国語)・小論文で出題されています。→来年度以降は、「イギリス(英国)のEU離脱問題」・「アメリカ(米国)のトランプ現象」としても、出題されるでしょう。
以上の理由により、私は、本書は難関大学の現代文(国語)・小論文対策用の予想問題作成にかなり有用ではないかと、考えたのです。
【4】佐伯啓思氏の紹介
1949(昭和24)年、奈良県生まれ。社会思想家。京都大学名誉教授。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞。
佐伯氏は、入試現代文(国語)・小論文の頻出著者です。
著書は、
『隠された思考』(筑摩学芸文庫)(サントリー学芸賞)
『時間の身振り学』(筑摩書房)→神戸大学、早稲田大学(政経)で出題
『「アメリカニズム」の終焉』(中公文庫)(東畑記念賞)
『現代日本のリベラリズム』(講談社)(読売論壇賞)
『現代社会論』(講談社学術文庫)
『自由とは何か』(講談社現代新書)→立教大学、法政大学で出題
『反・幸福論』(新潮新書)→小樽商科大学で出題
『倫理としてのナショナリズム』(中公文庫)→関西大学で出題
『日本の宿命』(新潮新書)
『正義の偽装』(新潮新書)
『西田幾多郎・無私の思想と日本人』(新潮新書)
など多数。
(2)「スポーツと民主主義」を『反・民主主義論』(佐伯啓思)・『現代民主主義の病理』(佐伯啓思)を参照しながら解説します。
一方、佐伯氏は、最近(2016年8月4日)、朝日新聞の「異論のススメ」において、「スポーツと民主主義」という秀逸な論考を発表しました。
この論考も、「民主主義」に関して、「スポーツ」と対比するという斬新な視点で、本質的・本格的な論を展開しています。
そこで、この「スポーツと民主主義」を、『反・民主主義論』(新潮新書)、佐伯氏の名著『現代民主主義の病理』(NHKブックス)を参照しつつ、解説していきます。
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(佐伯啓思氏の論考)(概要です)
(青字は当ブログによる「注」です。赤字は当ブログによる「強調」です)
「【1】スポーツとは『ディス・ポルト』から出た言葉である。『ポルト』とは『停泊する港』あるいは、『船を横づけにする左舷』という意味だ。『ディス』はその否定であるから、『ディス・ポルト』とは、停泊できない状態、つまり、秩序を保てない状態であり、はめをはずした状態、ということになる。『ポルト』にはまた『態度』という意味もあるから、『まともな態度を保てない状態』といってもよい。
【2】どうみても、あまり褒められた意味ではなさそうである。事実、英語の『スポート』にも『気晴らし』や『悪ふざけ』といった意味があり、これなどまさしく語源をとどめている。
【3】その『スポーツ』の祭典が6日からリオで始まる。ロシア選手の組織的なドーピング問題や、大会会期中、不測の事態に要注意などといわれる今回のオリンピックをみていると、ついその語源を思い起こしてしまう。ロシアのドーピングなど、はめがはずれた(→「はめ(羽目)をはずす」とは「やり過ぎる」という意味)のか、たが(→「たが」とは「制約。抑制」という意味)がはずれたのか、確かに停泊すべき港からはずれてしまった。」
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(当ブログの解説)
語源から、ある単語の本来の意味を考察することは、正統的な本質的考察と言えます。
ここでは、
「ポルト=停泊=秩序」、
「スポーツ=ディス・ポルト=停泊できない状態=秩序を保てない状態=まともな態度を保てない状態=気晴らし=悪ふざけ」
を確認しておく必要があります。
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(佐伯氏の論考)(概要です)
「【4】ところで、スペインの哲学者であるオルテガが『国家のスポーツ的起源』という評論のなかで、国家の起源を獲物や褒美を獲得する若者集団の争いに求めている。その様式化されたものが争いあう競技としてのスポーツであるとすれば、確かに、ここにもスポーツの起源と語源の重なりを想像することは容易であろう。
【5】いうまでもなくオリンピックは古代ギリシャ起源であり、ギリシャ人はスポーツを重んじた。争いを様式化し、競技を美的なものにまで高めようとした。そしてギリシャでは『競技』が賛美される一方で、ポリスでは『民主政治』が興隆した。民主主義とは、言論を通じる『競技』だったのである。肉体を使う競技と言語を使う競技がポリスの舞台を飾ることになる。
【6】古代のギリシャ人を特徴づける特質のひとつはこの『競技的精神』なのである。スポーツと政治は切り離すべきだ、などとわれわれはいうが、もともとの精神においては両者は重なりあっていたのであろう。
【7】ということは、その起源(語源)に立ち返れば、両者とも一歩間違えば『はめをはずした不作法な行動』へと崩れかねない。競技で得られる報酬が大きければ大きいほど、ルールなど無視してはめをはずす誘惑は強まるだろう。
【8】それを制御するものは、自己抑制であり、克己心しかなかろう。そのために、ギリシャでは、体育は、徳育、知育と並んで教育に組み込まれ、若者を鍛える重要な教科とみなされた。その三者を組み合わすことで、体育はただ肉体の鍛錬のみならず、精神の鍛錬でもあり、また、自律心や克己心の獲得の手段ともみなされたのであろう。その上で、運動する肉体を人間存在の『美』として彫像に刻印しようとした。」
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(当ブログの解説)
第【6】段落の「スポーツと政治は、もともとの精神において重なりあっていた」という指摘は、意外な感じがしました。
「スポーツと政治な別のもの」という、私たちの常識が、いかに、いい加減で、無根拠なものかを、再認識させられます。
しかも、両者のもともとの起源が、「競技」であり、「両者とも一歩間違えれば『はめをはずした不作法な行動』へと崩れかねない」という指摘も、新鮮です。
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(佐伯氏の論考)(概要です)
「【9】問題は、言論競技としての民主主義の方で、むしろこちらの方が、成功したのかどうかあやしい。民主主義の精神を鍛えるなどということは不可能に近いからである。ただわれわれが垣間見(かいまみ)ることができるのは、ポリスのソフィストたちの『言論競技』のなかから、ソクラテスのような人物があらわれ、『哲学』を生み出したことである。」
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(当ブログの解説)
① 確かに、「言論競技としての民主主義」を考えると、「討論」と「ルールに基づく決着」が、スポーツと同じ発想だ、と納得できます。
② 問題は、「民主主義の精神を鍛えるなどということは不可能に近い」という佐伯氏の見解です。
この点こそ、今回の記事の重要ポイントです。
このことは、以下の解説で詳説していきます。
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(佐伯氏の論考)(概要です)
「【10】しかし、そのためにはソクラテスは『言論競技』を切り捨て、それを『言論問答』におきかえねばならなかった。彼は、政治よりも真の知識(哲学)を優位におき、それを教育の根本にしようとした。そうでもしなければ、スポーツも政治もただただ『はめをはずす』ことになりかねなかったからであろう。
【11】さて、これはギリシャの昔に終わったことなのであろうか。今日、われわれの眼前で展開されている事態をみれば、決してそうはいえまい。民主政治は、どこにおいても『言論競技』の様相(→勝利が目的。相手を屈服させることが目的)を呈している。アメリカのトランプ大統領候補をドーピングぎりぎり(→節度を外してしまった。一方、民衆は、それを聞くことに快感を感じている)などといえば冗談が過ぎようが、この現象が『ディス・ボルト』(→「秩序を保てない状態」・「はめをはずした状態」・「まともな態度を保てない状態」)へと急接近していることは疑いえまい。民主主義のたががはずれかけているのだ。」
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(当ブログの解説)
① 佐伯氏は、「『民主主義』の『支え』は、既に、かなり前に外れた」という趣旨で、以下のように説明しています。
「ソクラテスは、『真理』が何かはわからないが、それがある、としておかなければ人間の知的活動などありえない、という。知的活動はともかくも『真理』へ向かおうとするものだからです。そして、真理を知ろうとするその態度(→つまり、「謙虚な態度」ということです)がまた善い社会を作り、善く生きようという政治活動にも反映されるべきだとしたのでした。
そのときに、人は『真理』や『善』の奉仕者になり、政治は幾分かは謙虚なものとなったはずでした。しかし、ギリシャの民主主義者たち(ソフィストたち)は、ソクラテスがいうような『真理』も『善』も放棄し、人間こそがすべての尺度であり、力こそがすべてを生み出すことができる、とみなした。
このときに、民主主義は『知』という支えを失ったのでした。」(『反・民主主義論』P 197、198)
② また、「トランプ現象」については、以下のように説明しています。
「大事なことは、トランプ現象の登場は、決して反民主主義的なものではなく、それこそが民主主義そのものだということです。大衆の歓呼によって指導者を選ぶ。 一方、指導者たらんとするものは、大衆的歓呼をいかに引き出すかに腐心する、それこそが民主主義の核心にほかなりません。民主主義が大衆(デモス)による統治(クラティア)である限り、大衆の歓呼によって選出される指導者こそが民主政治の第一人者なのです。」(『反・民主主義論』P 204)
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(佐伯氏の論考)(概要です)
「【12】スポーツに高い公正性や精神性(スポーツマンシップ)を要求するアメリカで、民主主義という政治的競技において高い精神性や公共性が失われつつあるのは、いったいどういうことであろうか。」
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(当ブログの解説)
人々は、自分とは無関係な、スポーツ選手の経済的欲望・社会的欲望の暴走は、「高い精神性や公共性」、つまり、「公正性」・「上品さ」・「徳」・「冷静さ」を掲げて制御・制限できても、自分自身の「経済的欲望」・「社会的欲望」の制御・制限はできないのではないでしょうか。
「自由」、「権利」という名のもとに、人々は、自己が逸脱した行動をとっていることの「愚」に恥ずかしさを感じていない、あるいは、多少は感じていても、他者が同様な行動をとっていることから、自己の行動を容認しているのでしょう。
「資本主義の進展」・「新自由主義」・「IT革命」などにより、「宗教的精神」・「道徳的精神」が薄まってしまったことも、背景にあるのでしょう。
しかも、人々のその自己容認を承認する公教育、マスコミの報道が氾濫しているという現状があります。
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(佐伯氏の論考)(概要です)
「【13】今日、オリンピック級のスポーツには、ほとんど職業的とでもいいたくなるほどの高度な専門性を求められる。そのためには、スポーツ選手は職業人顔負けのトレーニングを積まなければならない。これは肉体的鍛錬であるだけではなく、高度な精神的鍛錬でもある。そこまでして、スポーツ選手は『ディス・ポルト』を防ぐ。しかし、政治の方には、そのような鍛練はほとんど課されない。
【14】その結果、高度なスポーツは『素人』から遊離して一部の者の高度な技能職的なものへと変化し、一方、政治は『素人』へと急接近して即席の競技と化している。どちらも行き過ぎであろう。スポーツと民主主義を現代にまで送り届けたギリシャの遺産が、ロシアのドーピングやアメリカの大統領選挙に行きついたとすれば、現代世界は規律や精神の鍛練の『場』である確かな『停泊地』を失ってしまったといわねばならない。」
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(当ブログの解説)
① 「民主主義は規律や精神の鍛練の『場』」という点について
「民主主義」は、意思決定の過程で「一定の相互理解」と「コンセンサス」が生まれていくのです。
「この過程こそ」が、「精神鍛練の場」なのです。
「この過程」が、人々の「知」を鍛え、高めていくのです。
② 対策論として、どのようなことが考えられるか?
参考になるのは、『反・民主主義論』における、以下の佐伯氏の見解です。概要を引用します。
「民主主義にせよ、議会主義にせよ、可謬性(かびゅうせい)(→「ミスをする可能性」という意味」)の前提にたっていることを忘れてはならないのです。(→この部分は「謙虚さ」の重要性の強調です)
民主主義、「国民の意思」、手続きを踏んだ議会の決定は、暫定的に正当だというだけなのです。議会での決定が間違っていたかもしれない、という自己省察を放棄してはならないのです。
民主主義であれ議会主義であれ、必要なものはある種の謙虚さと自己批判能力なのです。」(『反・民主主義論』P 146、147)
ここで、佐伯氏が強調するのは、「ある種の謙虚さ」と「自己批判能力」です。
つまり、「自分たちの行動を絶対化しない謙虚さ」と「冷静さ(自己批判能力)」です。
これと同様のことを、『反・民主主義論』の別の部分でも、述べています。
以下に概要を引用します。
「本来は、デモクラシーを支えるはずの、自己省察、他者への配慮、すべては暫定的な決定だという謙虚さ、声を荒げない討議。デモクラシーを支えるはずの、自己省察、他者への配慮、すべては暫定的な決定だという謙虚さ、声を荒げない討議。こうしたものを『国民主権』のデモクラシー自身が破壊してしまった。」(『反・民主主義論』P158)
佐伯氏は、これまで、「民主主義の、あるべき姿」を何度も、強調しているのです。
1997年に発行した『現代民主主義の病理』(NHKブックス)でも、以下のように主張しています。
「わたしには、現代日本の『不幸』はデモクラシーが成立していないからなのではなく、むしろ、そのデモクラシーがあまりにも規律をもたず、いわば無責任な言論の横溢(おういつ)をもたらしているところにある、と思われるのだ。そして、それは、現代日本に限らず、デモクラシーというものにつきものの病気なのである。自由が秩序によって牽制され、権利が義務によって牽制され、競争が平等によって牽制されるように、デモクラシーもある種の規律によって牽制されなければ、衆愚政治に堕して自壊するのである。そして、デモクラシーが言論による政治を柱にする限り、言論における規律をどのように確保するかこそがデモクラシー社会の課題となるであろう。」(『現代民主主義の病理』「序 無魂無才の不幸ー日本人の『精神』はどこへ」P 9)
以上の佐伯氏の主張は、ある意味で理想論ですが、追求するべき理想論でしょう。
対策論としては、これ以外には、ないのです。
人々は長期的視点を持ち、「規律」・「真理探求」・「善」・「謙虚」・「徳」、つまり、「倫理(モラル)」を、再評価するべきです。
そのことが、ひいては、自分自身の長期的利益、つまりは、確実な幸福につながることを意識するべきです。
言い換えれば、短期的視点、短期的利益に従って行動することは、「可謬性」が高まること、つまり、不安定な政治を招来しかねないこと、ひいては、「自分自身を不安定な場に置くこと=不幸にすること」を、理解することが重要なのだと思います。
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今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約10日後に発表の予定です。
なお、佐伯啓思氏の論考については、最近も、予想問題記事を発表しました。
こちらの記事も、ぜひ、ご覧ください。
現代民主主義の病理―戦後日本をどう見るか (NHKブックス)
- 作者: 佐伯啓思
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 1997/01
- メディア: 単行本
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