現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

予想問題・丸山真男『日本の思想』Ⅳ「である」ことと「する」こと①

1)現代文(国語)・小論文・オリジナル予想問題解説・丸山真男『日本の思想』《Ⅳ・「である」ことと「する」こと》①」

 

なぜ、本書に注目したのか?

 本書は1961年発行ですが、今までに、東京大学、一橋大学、北海道大学、大阪大学(小論文)、神戸大学、慶応大学、上智大学、同志社大学、立教大学、青山学院大学、中央大学、法政大学、学習院大学、関西学院大学等で出題されています。

 

入試頻出出典が発生する理由

 本書が頻出出典になっているのには、それだけの理由があります。

 現代の学者などの関心を反映し、しかも、現代文明批判・近代批判・比較文化などについて鋭い視点を持ち、かつ、受験生の読解力を試すのに適切なレベルの論考というのは、実は限定されているのです。

 本書は、これらの条件に合致しているので、長期的に頻出出典になっているのです。

 

 さらに付け加えると、本書は、戦後のトップレベルの知識人である丸山真男氏の論考の中では、比較的読みやすく、受験生レベルでも何とか読解可能ということも、頻出出典となっている理由です。

 

 ともあれ、本書には、特に、「『である』ことと『する』こと」には、今現在も入試現代文(国語)・小論文の頻出著者(→丸山氏の論考は、他の入試頻出著者の論考に引用されていることも多いのです。最近の入試頻出著者の「思考の原点」のような趣があります)である「丸山真男氏の中心思想」が述べられています。

 この記事を、よく理解しておくことが、「他の丸山氏の論考」を読解する際の参考になります。

 

 

【2】本書の構成

 

 日本の思想 (岩波新書)

 

 

 

 

 

本書は以下の四部構成になっています。

(1)日本の思想

(2)近代日本の思想と文学・一つのケース・スタディとして

(3)思想のあり方について

(4)「である」ことと「する」こと

 

 

【3】本書の内容

 本書の内容については、長谷川宏氏(→長谷川氏は在野の哲学者。東京大学大学院哲学科博士課程修了。最近の現代文(国語)・小論文の入試頻出著者。長谷川氏の論考は、東北大学・千葉大学・国学院大学等で出題されています。著書は『日本精神史(上)・(下)』(講談社)、『ことばへの道・言語意識の存在論』(講談社学術文庫)、『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)等です)の論考、『丸山眞男をどう読むか』(講談社現代新書)に、分かりやすく書かれています。

 長谷川氏は、丸山真男氏の「自由観の基軸について、以下のように述べています。(なお、赤字は、当ブログによる強調です)

「『国体』の対極に『自由なる主体』が位置する構図ーそれは丸山眞男の政治思想の根幹をなすものだった。が、自由な主体とはなにか。・・・・西洋の近代国家には自由な主体が存在するのだ。そのことは、丸山眞男にとって公理に類することだった。西洋近代にあって、個人の自由が強く自覚され、自由の獲得と確保と拡大をめざす努力が執拗に続けられる。そう考えるのが、丸山眞男の自由観の基軸だった。」

 

 また、長谷川氏は、丸山眞男における「戦後の最大の思想的課題」について、以下のように述べています。

自由なる主体の確立が、丸山眞男にとって、戦後の最大の思想的課題であったことは疑いをいれない。が、つい一年前までは自由で自立した(無規定的な)個人がどこにも存在しえなかった日本に、どのようにして、そのような個人が生じうるのか。・・・・権力の抑圧がなくなったというだけで、個人は自由で自立した主体になれるのか。・・・・洋の東西の比較という手法によって、日本人の主体的自由の意識の遅れを明らかにしつつ、しかし、丸山眞男はその遅れをとりもどすところにしか未来を展望しえなかった。そして、遅れをとりもどすには、西洋の近代思想を学ぶなかで、人びとが真に自由で自立した主体になることがもっとも確実な道だと考えられた。」

 

 

 

 つまり、丸山真男氏の思想が目指すのは、「自由で自立した主体」になることです。

 本書『日本の思想』(岩波新書)は、1961年に発行されました。

 しかし、50年以上経過した現在でも、なお、私たちの心を揺さぶるエネルギーを有していることは、驚きです。

 なぜ、それほどのエネルギーを有しているのか?

 この問題については、この記事の後半で解説します。

 

 今回の「『である』ことと『する』こと」は、『日本の思想』の後半の一節です。

 この論考には、丸山真男氏の中心思想が示されています。

 ぜひ、じっくり読み取ってください。

 

 

【4】丸山真男氏の紹介

 ところで、皆さんは、丸山真男氏をご存知でしょうか?

 丸山真男氏の著作は、一部の高校現代文の教科書では取り上げられているので、それを使っている生徒は知っているでしょう。

 しかし、その他の人は、よく知らないと思われるので、丸山氏の略歴を書いておきます。

 

 丸山 眞男(まるやま まさお)(1914~1996)政治学者・政治思想史学者。戦後の代表的知識人。東京大学法学部卒業。元東京大学教授。科学としての政治学の確立を目指し、西洋の近代政治学の手法を巧みに適用した日本政治思想史の研究は、この分野に新生面を開いた。戦後は、民主主義の定着を願い、民主主義について積極的な発言をし、社会をリードした。新字体で丸山真男とも表記される。

 

 『日本の思想』(岩波新書)の発行部数は現在、累計100万部以上。大学の教員達から「学生の必読書」と評価されています。

 

 著書として、

『現代政治の思想と行動』(未来社)→2008早稲田大学(法)(→「この記事の続編の記事」で、問題(解答・解説)を提示します)、2009大阪大学(→良問です。演習を、おすすめします)、

『「文明論の概略」を読む』(岩波新書)→慶応大学(小論文)で頻出です→「この記事の続編の記事」で、慶応大学(環境情報)に出題された問題(『「文明論の概略」を読む』の重要部分)を提示します、

『忠誠と反逆ー転形期日本の精神史的位相』(ちくま学芸文庫)→2009中央大学(法)、2011一橋大学、(→ともに良問)、

等があり、いずれも、今現在も入試頻出出典です。

 

 

【5】丸山真男氏の著作を「予想問題」として取り上げた、さらなる理由→丸山真男氏の論考・思想に関する著作が、最近も、次々と発行されているからです。

 

 以下に、一例を挙げます。

『丸山真男の敗北』(伊東祐吏)(講談社選書)→2016年発行、

『丸山眞男「日本政治思想史研究」を読む』(橘川忠俊)(日本評論社)→2016年発行、

『丸山眞男と田中角栄「戦後民主主義」の逆襲』(佐高信)→2015年発行、

『加藤周一と丸山眞男:日本近代の知と個人』(樋口陽一)(平凡社)→2014年発行→樋口陽一氏は、著名な憲法学者です、

『丸山眞男を読む』(間宮陽介)(岩波現代文庫)→2014年発行→間宮陽介氏は入試頻出著者です。

 

 

(2)「『である』ことと『する』こと」の解説ー東大・上智大・学習院大の入試問題を参照しつつ

 

(丸山真男氏の論考)

(「・」の付加されている活字は赤字にしました)

 「【1】学生時代に末弘厳太郎先生の法の講義をきいたとき「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。金を借りて催促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。この説明に私はなるほどと思うと同時に「権利の上にねむる者」という言葉が妙に強く印象に残りました。いま考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいるように思われます。

【2】たとえば、日本国憲法の第十二条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、〔 イ 〕の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法第九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば〔 ロ 〕に向かって投射したものだといえるのですが、そこにさきほどの「時効」について見たものと、いちじるしく共通する〔 ハ 〕を読みとることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。つまり、この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その〔 ニ 〕の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という〔 ホ 〕になっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ空疎な説教でもありません。それこそナポレオン三世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです。」

……………………

 

問1 空欄イ~ホを満たす言葉として最も適当なものを選べ。(上智大)

イ 1 政府 2 議会 3 国民 4 政党

ロ 1 過去 2 現在 3 現実 4 将来

ハ 1 精神 2 規定 3 保障 4 矛盾 

ニ 1 義務 2 債権 3 権力 4 権利

ホ 1 警告 2 意味 3 脅迫 4 批判

……………………

(解答・解説)

(解答)

問1

イー3

ロー4

ハー1

ニー4

ホー1

(解説)

問1

【「空欄補充問題の重要性」について】

 空欄補充問題は、国語に占める配点の割合は、決して小さくはありません。

 この形式の設問が苦手であると、合格可能性は低くなります。

 

 しかも、空欄補充問題が出来ないと、文脈把握が困難になり、他の設問も解答困難になります。 

 従って、「空欄補充問題」対策は、かなり重要といえます。

 このブログでも、近いうちに、「空欄補充問題対策」の記事を発表する予定です。

 

イ 政治的な一般教養の問題です。

「入試現代文(国語)・小論文における一般教養の重要性」について」

 「政治的・経済的・社会的一般教養」は、「模擬試験」における現代文(国語)・小論文では、ほとんど出題されませんが、「入試現代文(国語)・小論文」で、よく出題されています。

 「社会科の試験?」と思うような問題も平気で出題されます

 「入試国語・小論文」においては、「一般教養のチェック」を大学側は重視しているようです。

 だからこそ、志望大学の過去問チェックは、非常に大切なのです。 

 

ロ ロを含む一文の「この規定」が直前の「第十ニ条」をさしていることを、読み取ってください。 

 

ニ 同一段落第ニ文の第十二条の条文に戻ります。

 次の段落の第一文もヒントになります。

 

……………………

 

 (丸山真男氏の論考) 

「【3】アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することは〔 A 〕困難である。」といっておりますが、(1) ここにも、基本的に同じ発想があるのです。私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、〔 B 〕日々自由になろうとすることによって、〔 C 〕自由でありでありうるということなのです。その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえなんとか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持ち主などにとっては、はなはだもって荷厄介(にやっかい)な代物(しろもの)だといえましょう。

【4】自由人という言葉がしばしば用いられています。しかし自分は自由であると信じている人間はかえって、不断に自分の思考や行動を点検したり吟味したりすることを怠りがちになるために、実は自分自身のなかに巣食う偏見からもっとも自由でないことがまれではないのです。〔 D 〕、自分が「とらわれている」ことを痛切に意識し、自分の「偏向性をいつも見つめている者は、なんとかして、ヨリ自由に物事を認識し判断したいという努力をすることによって、〔 E 〕自由になりうるチャンスに恵まれていることになります。制度についてもこれと似たような関係があります。」

 

……………………

 

問2 空欄A~Eを満たす言葉として、最も適当なものを選べ。(上智大)

A 1 さらに 2 同様に 3 完全に

B 1 逆にいえば 2 いいかえれば 3 いうまでもなく

C 1 はじめて 2 いつでも 3 ときには

D 1 つまり 2  同様に 3 逆に

E 1 相対的に 2 絶対的に 3 現実的に

 

問3 第【3】の傍線部(1)で「ここにも基本的に同じ発想があるのです」と言っているが、「アメリカのある社会学者」の言葉のどういう点に、筆者は「基本的に同じ発想」を見ることができると考えるのか。前の二つの場合と関連させて記せ。(120字以内。句読点も1字と数える。作文力をも見る)(東大)

 

……………………

 

(解答・解説)

(解答)

問2

Aー1

Bー2

Cー1

Dー3

Eー1

 

問3

自由は祝福や擁護にとどまる限り、これを確保することはできない。積極的に行使する努力の中にこそ真の保持がありうる。債権者や主権者としての権利も、単なる所有者である位置に安住せず、絶えず行動することによってのみ、真の保持がありうるのである。(句読点とも118字)

 

(解説)

問2

Cー直前の「現実の行使によってだけ守られる」に着目してください。

 

Eー「何とかしてヨリ自由に物事を認識し判断したいという努力」は、「相対的自由」に向かう努力と言えます。 

 また、筆者の見解からすれば、「絶対的自由」ということは、ありえないことになります。

 

問3

 設問文の「どういう点」「前の二つの場合と関連させて」の条件に注意してください。

 本文のテーマである「『である』と『する』の対比」と、直前の「祝福」・「擁護」・「行使」の関連に留意するとよいでしょう。

 内容的には、標準的な問題ですが、短時間で制限字数以内にまとめることは、簡単ではありません。

 日頃から、よく訓練をしておくべきです。

 

……………………

 

(丸山真男氏の論考)

 「【5】民主主義というものは、人民が本来制度の(2) 自己目的化を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなりうるのです。それは民主主義という名の制度自体についてなによりあてはまる。つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。

【6】「「プディングの味は食べてみなければわからない。」という有名な言葉がありますが、プディングのなかに、いわばその「属性」として味が内在していると考えるか、それとも食べるという現実の行為を通じて、美味かどうかがそのつど検証されると考えるかは、およそ社会組織や人間関係や制度の価値を判定する際の二つの極を形成する考え方だと思います。身分社会を打破し、あらゆるドグマ(→当ブログによる注→「①宗教上の教理・教義②独断」という意味)を実験のふるいにかけ、政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威にたいして、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックス(→「力学・原動力・活動力・エネルギー・迫力」という意味)は、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです。もしハムレット時代の人間にとって " to  be  or  not  to  be " が最大の問題であったとするならば、近代社会の人間はむしろ " to  do  or  not  to  do " という問いがさらにますます大きな関心事になってきたといえるでしょう。」

【7】もちろん、(3)「『である』こと」に基づく組織や価値判断の仕方は将来とてもなくなるわけではないし、「『する』こと」の原則があらゆる領域で無差別に謳歌(おうか)されてよいものでもありません。しかし、私たちはこういう二つの図式を想定することによって、そこから具体的な国の政治・経済その他さまざまの社会的領域での「〔 4 〕化」の実質的な進展の程度とか、制度と思考習慣とのギャップとかいった事柄を測定する一つの基準を得ることができます。そればかりでなく、たとえばある面でははなはだしく近代的でありながら、他の面ではまたおそろしく近代的でもある現代日本の問題を、反省する手がかりにもなるのではないでしょうか。」

 

……………………

 

問4 上の文章では、次の段落が省略されている。段落【1】~【7】のうち、どの段落のあとに入れたらよいか。(上智大)

 このように見てくると、債権は行使することによって債権でありうるというロジックは、およそ近代社会の制度やモラル、ないしは、ものごとの判断の仕方を深く規定している「哲学」にまで広げられるでしょう。

 

問5 傍線部(2)(3)を最も適切に代表するものを次の中から選べ。(学習院大)

(2) 1 無内容化 2 絶対化 3 老朽化 4 形式化

(3) 1 文化人や文化団体 2 職能団体 3 血族関係、人種団体 4 職業政治家の集団

 

6 空欄4の中に入れる言葉として最も適当なものを、次の中から選べ。(学習院大)

自由 観念 民主 保守 平等 定型

……………………

 

(解答・解説)

(解答)

問4【5】

問5

(2)ー2

(3)ー3

問6  民主

 

(解説)

問4 脱文冒頭の「このように見てくると」という表現は、「まとめ」の段階で使用されます。

 第【2】段落~第【5】段落までは、第【1】段落の「権利の上にねむる者」のロジックを、具体的に適用しうる範囲の検討になっていることを、読み取ってください。

 

問5

(2) 次の第【6】段落の「ドグマ」、「いろいろな領域で『先天的』に通用していた権威」とは「何か」を考えてください。

(3)直前の段落の第ニ文「いろいろな領域で『先天的』に通用していた権威」がヒントになります。

 

問6 直前の「具体的な国の政治・経済その他さまざまの社会的領域」に適合的なものは「何か」を、考えてください。

 また、直後の「制度」から、第【4】段落最終文、第【5】段落に注目するべきです。

 

……………………

 

 (要約) 

権利の上にねむる者は保護に値しないという民法の精神は、憲法にも当てはまる。また、これは西欧民主主義の道程がさし示す歴史的教訓でもある。自由や民主主義においても、不断に思考や行動を点検・吟味する日常の実践的努力が必要である。近代精神は、「である」論理・「である」価値から、「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものである。この二つの図式を想定することにより、現代日本の問題を反省する手がかりを得ることができる。

……………………

 

(3)当ブログによる発展的解説

 

 

 丸山真男氏は、第【7】段落において、「『である』こと」と「『する』こと」の二つの図式を想定することにより、「現代日本の問題を、反省する手がかりになるのではないでしょうか」と、提言しています。

 しかし、この『日本の思想』が発行されて50年以上経過した現在の日本において、私たちは、丸山氏の論考を糧にしていたのでしょうか。

 「自由」・「民主主義」を、しっかり保持するために、「不断に思考・行動を点検・吟味する日常の実践的努力」をしているのでしょうか。

 

 残念ながら、私は、とても、そうとは思えません。

 人間は、特に日本人は、そう簡単には変わられるものでは、ないのでしょう。

 大部分の日本人は、西洋的な「自由」・「民主主義」のとは無縁であり、むしろ、第ニ次世界大戦終結のその日まで「抑圧」の中に生き、そのことに、すっかり慣れていたのです。

 従って、日本全国憲法により、急に「自由」・「民主主義」を与えられても、それらを、うまく行使できないのでは、ないでしょうか?

 だからこそ、丸山真男氏の論考は、今もなお、私たちを惹き付けるのでしょう。

 

 これらを考えるについて、参考になる鷲田清一氏のインタビュー記事を最近、目にしました。以下に概要を引用します。(なお、赤字は当ブログによる強調、青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です。

 

「百年や千年の昔に、よく似た事態について書いている人がいる。問題を考える時の補助線になるような言葉を探しています。特に、「戦後」や、関東大震災など過去の「災後」、あるいは幕末・明治維新の動乱の後に、思想家、芸術家が語った言葉は意識的に選んでいます。政治学者の丸山真男、考現学(→現代の社会現象・状況を時間・場所を定めた組織的調査・研究により、世相・風俗(流行)を分析・解読することを試みる学問)創始者の今和次郎、福沢諭吉。動乱の後に最初にどんな言葉が、思想が立ち上がったのかがすごく気になります。昔の言葉が今のことを言い当てているように見えるのは、それだけ問題が根深くて簡単には変わらない、ということでもあります。」(2016・8・26「朝日新聞DIGITAL 」・「特集:おりおりの言葉」)

 

 

 鷲田清一氏の言葉には、感服します。

 今、丸山真男氏の、この「『である』ことと『する』こと」を読むと、まさに、「昔の言葉が今のことを言い当てている」と言えます。

 今現在の、日本の、政治的閉塞状態を予知していたかのように、私たちに教訓・打開策を語りかけてくれるのです。

 「私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。」(第【3】段落第4文)

 まさに、今現在も、この危険な状況は、全くないとは言えないのです。

 

 また、「もしかすると、現代日本の人々は、特に、一般にインテリと言われている人々は、一時代前のインテリよりも、かなり劣化しているかもしれない」と危惧する見解もあります。

 このような見解は、最近になって、多く目につきます。

 以下に、その一例として、内田樹氏の論考(概要)を引用します。(赤字は当ブログによる強調、青字は当ブログによる「ふりがな」・「注」です)

しかし、さまざまな市民レベルからの抵抗や批判の甲斐もなく、安倍政権による民主制空洞化の動きはその後も着実に進行しており、集団的自衛権の行使容認、学校教育法の改定など、次々と「成果」を挙げています。
 しかし、あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導くはずのこれらの政策に国民の40%以上が今でも「支持」を与えています。長期的に見れば自己利益を損なうことが確実な政策を国民がどうして支持することができるのか、正直に言って私にはその理由がよく理解できません。
 これは先の戦争のとき、知性的にも倫理的にも信頼しがたい戦争指導部に人々が国の運命を託したのと同じく、国民の知性が(とりわけ歴史的なものの見方が)総体として不調になっているからでしょうか。それとも、私たちには理解しがたい、私たちがまだ見たことのない種類の構造的な変化が起りつつあることの徴候なのでしょうか。私たちにはこの問題を精査する責任があると思います。
 今回の主題は「日本の反知性主義」です。ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』は植民地時代から説き起こして、アメリカ人の国民感情の底に絶えず伏流する、アメリカ人であることのアイデンティティとしての反知性主義を摘抉した名著でした。現代日本の反知性主義はそれとはかなり異質なもののような気がしますが、それでも為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っていることは間違いありません。それはどのような歴史的要因によってもたらされたものなのか? 人々が知性の活動を停止させることによって得られる疾病利得があるとすればそれは何なのか?  」(「まえがき」の中の「寄稿依頼の書面」(『日本の反知性主義』(編・内田樹))所収)

 

 なお、『日本の反知性主義』の中の内田樹氏の論考(「反知性主義者たちの肖像」)については、このブログで、以前に予想問題記事として発表しましたので、下にリンク画像を貼っておきます。

  

 


 また、鷲田清一氏は、「現代日本の思考停止状態」を以下のように論じています。(以下は概要です)

(なお、赤字は当ブログによる強調、青字は当ブログによる注です)

 

「正面からはなかなか反対しにくい問題というのが、いまの社会には意外と多くある。(→当ブログによる注→この状態を、難関大学の入試現代文(国語)・小論文に出題されている論考では、「全体主義的傾向・風潮」と表現していることもあります)

 たとえば「エコ」。いま、環境保護に反対するひとはたぶんいないだろう。けれども環境保護がめざす人類文明のサステイナビリティ(持続可能性)について言えば、人類文明が育んできた諸価値のうちのいったい何をサステイン(維持・育成)するのかについて、突っ込んで議論されてきたとは思えない。くわえて、地球温暖化が科学的に実証されたことなのか・・・・・・。こうした問いよりも、それを大きな声では発しにくい空気のほうが、わたしにははるかにリアルに迫っている。

 「安心・安全」がいかに監視社会の深化と連動しているかの指摘も、何かひねくれ者の発言であるかのように受けとられる。あるいは「イノベーション」。〈新しさ〉の形而上学(→当ブログによる注→「哲学」という意味)こそ近代という時代を空転させることになった元凶であることの指摘も無視して、「イノベーション」がいかにもニューウェイヴであるかのように呼びかけられる。

 ああでもない、こうでもないとじっくり吟味する余裕もないままに、こぞって思考停止状態に陥っているという印象が拭(ぬぐ)えない。言いかえると、論理に代わってイメージの連接が、推論を駆動しているかのような印象が拭えない。」(『わかりやすいはわかりにくい?』(鷲田清一)の第13章「わかりやすいはわかりにくい?ー知性について」の冒頭部分)

 

  

 鷲田氏の見解は、かなり参考になります。

 まず、確かに、私たちの生活において、「イメージ」のみで判断すれば足りるような些末な場面は、多いと思います。

 しかし、すべてを「イメージ」で判断することの危険性も、また明らかです。

 例えば、鷲田氏が言うように、「安心・安全」と「監視社会の深化」との密接な関係は、「自由」・「人権」に重大な影響を及ぼすものであることに、注意する必要があると思うのです。

 プラス面のみが強調されやすい「エコ」、「環境保護」、「安心・安全」、「イノベーション」。

 これらの問題こそ、そのプラス面とマイナス面とを鷲田氏の言うように「ああでもない、こうでもないとじっくり吟味する」べきでしょう。

 しかし、現代の日本においては、これらの「プラス面のみ」を一方的(一面的思考)に見るだけで、事柄を判断している感じです。

 まさに、鷲田氏の言うように、「思考停止状態と評価できるのです。

 「これらが、『自由』・『人権』への、マイナスの影響があることを、少しも考えられない」ということは、想像できないのです。

 しかし、現実は、現代の日本人の大多数は、「『自由』・『人権』へのマイナスの影響」を「少しも考えていない」感じです。

 それでは、「このような異様な状況」を、いかに考えるべきか。

 対策論として、どのようなことが考えられるかについては、今回の記事の字数が1万字をオーバーしたので、次回の記事で考察していきたいと思います。

 今回の記事は、これで終わりにします。

 

 



 

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