現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

『君たちが知っておくべきこと』佐藤優 ①・現代文・小論文予想出典

(1)現代文(国語)・小論文・予想出典ー『君たちが知っておくべきこと・未来のエリートとの対話』(佐藤優)について

 

 最近、出版された『君たちが知っておくべきこと・未来のエリートとの対話』(佐藤優)(新潮社)が、来年度の難関大学の現代文(国語)・小論文に出題されそうです。

 本書は、「真のエリート」を目指す若者たち(灘高生)に贈る、佐藤優氏の渾身の講義です。

 キリスト教の専門知識を背景に欧米文化の本質を論じつつ、「グローバル基準のエリートになるために、いかに学ぶべきか」を語る碩学の書です。

 

 レベルは、難関大学の教養課程の授業の最高峰、と言えると思います。

 あるいは、そのレベルも超えているかもしれません。

 数多くの重要事項を凝縮して述べているので、読者としては、集中、確認、反芻、丁寧な消化が必要になります。

 いわば、一流の和食、フランス料理、中華料理を味わう時のような心構えが不可欠です。

 このような、エキスの詰まった論考は、トップレベルの難関大学の入試現代文(国語)・小論文の素材になりやすいのです。

 (受験生だけではなく、大人にとっても、本書は、かなり有益です。)

 

 内容としては、

「エリートとは何か」

「知性とは何か」

「ニヒリズム(虚無主義)」

「教養を身に付ける方法論」

「他者の視点の獲得」

「教養の重大な価値」

「知的エリート社会の国際ルール」

「反知性主義への対処法」

「一般大衆との距離感覚」

など、いずれも、難関大学の入試現代文(国語)・小論文における頻出論点です。

 しかも、今までの難関大学の現代文・小論文の入試問題から見ると、佐藤氏の論考の方向性は極めて正統的です。

 

 また、対話形式、講義形式の文章は、難関大学の入試現代文(国語)・小論文において、今まで、何回か出題されています。

 

 そこで、難関大学の現代文(国語)・小論文の予想出典・問題として、本書の解説記事を書くことにします。

 

(2)佐藤優氏の紹介

 

【経歴】

作家。元外務省主任分析官。1960年生まれ。1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務した後、本省国際情報局分析第一課において、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害容疑で東京地検特捜部に逮捕され、2005年執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年最高裁で有罪が確定し、外務省を失職。

2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。

2006年『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

2016年第10回安吾賞受賞。

 

【著書】

『獄中記』(岩波現代文庫)

『同志社大学神学部』(光文社新書)

『いま生きる「資本論」』(新潮社)

『「ズルさ」のすすめ』(青春新書インテリジェンス)

『プラハの憂鬱』(新潮社)

『組織の掟』(新潮新書)

『功利主義者の読書術』(新潮文庫)

『先生と私』(幻冬社)

など。

 

 

(3)『君たちが知っておくべきこと』の「あとがき」の概要と内容解説ー(難関大学・入試現代文・小論文の観点からの)

 

 本書は、「まえがき」「講義部分」「あとがき」の、どの部分も、東大・京都大・慶応大・早稲田大・上智大・同志社大等の難関大学の現代文(国語)・小論文問題として相応しい、ハイレベルな内容です。

 そこで、私としては、本書については何回かに分けて、予想問題記事を書く予定です。

 今回は、「あとがき」について、解説していきます。

 

 以下では、「あとがき」の概要を、三つに分けて記述します。

 そして、それぞれの部分について、難関大学の入試現代文(国語)・小論文の観点から注目するべき事項を詳細に解説していきます。

 

【概要を読む際の、注意事項】

① 概要を記述します。

② なお、【】【】【】・・・・は、当ブログで付記した段落番号です。

③【8】段落の①②③・・・・も、当ブログで付記したものです。

④ 段落の省略が、あります。(全文を読みたい方は、本書を購入して下さい。)

 

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(本文の概要)

「【1】日本語でエリートという言葉には、何となく、嫌な響きがある。辞書を引くと、

〈選り抜きの人々。すぐれた資質や技能をもち、社会や組織の指導的地位にある階層・人々。選良〉(『広辞苑』)

〈特にすぐれていると選ばれた者。選良〉(『新潮現代国語辞典』)

と説明されている。この説明自体には、否定的なニュアンスはない。

【2】私はロシアに行って、エリートも庶民も、マスメディア関係者も、中立的な意味でエリートという言葉を日常的に用いるのを目の当たりにして驚いた。人間は群れを作る動物で、群れを作る動物には指導的部分、すなわちエリートがいるのは当然というのがロシア人の常識だ。また、政治エリート、経済エリート、軍事エリート、学術エリート、芸術エリート、スポーツ・エリートなどは、それぞれ別の才能を持っているので、どのエリートがいちばん偉いかという発想がロシア人には希薄だ。それだから、日本型のお受験や学習塾、予備校などはなく、勉強が好きな生徒が大学に進学すればいいと淡々と考えている。

【3】これに対して、日本語の日常的な用法で、「あいつはエリートだからな」、「エリート意識が強い人だ」というときは、間違いなく、否定的なニュアンスがある。さらにエリートと学歴が、ほぼ一体視されている。それゆえにさまざまな悲喜劇が起きている。

【4】いわゆる学歴エリートになってしまった人は、社会で自らがエリートであることを上手に隠さないと、周囲の嫉妬によって潰されてしまうリスクがある。このあたりの事情については、山内昌之氏が、歴史から見事に読み解いている。

【5】〈嫉妬を避けるのに便法はない。あまり人の嫉妬を意識しすぎると、おのずから生き方も退嬰的(たいえいてき)(→当ブログによる注→積極性、大胆さを欠く様子。保守的)になってしまう。

 思わず知らず、事なかれ主義(→当ブログによる注→面倒な出来事が発生さえしなければ、それでよいという消極的な考え方)となり、活力も奪われてしまうのだ。

 大事なことは人を言葉で刺激しないことである『沈黙は金なり』とはやはり至言なのだ。前5世紀のアテネ民主政の指導者ペリクレスは、民衆の癇(かん)に触りそうな発言や、自分が嫌味な奴だと思われる言葉が口から出ないように神に祈っていたといわれる〉(山内昌之『嫉妬の世界史』新潮新書)

【6】私は、1995年にモスクワでの勤務を終えて、東京の外務本省で勤務するようになった。1996年から2002年までは、秋学期に東京大学教養学部後期教養課程で、民族・エスニシティー理論に関する講義を行った。後期教養課程は、前期教養課程の1、2年次の成績が特によい東京大学の超エリートの集まる課程だ。学生たちは、選りすぐりで、確かに優秀だった。しかし、モスクワ大学の学生たちが、エリートであるという意識を素直に示して、勉学に励むとともにノブレス・オブリージュ(高貴なる者に伴う義務感)を身に付けようとしていたのに対し、成績の特に優秀な東大生たちは、周囲の嫉妬を買わないように細心の配慮をしていた。」

 

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(当ブログによる解説)

(1)ここでは第一に、難読漢字、分かりにくい表現を再確認して下さい。

 

「退嬰的」(【5】段落)

「事なかれ主義」(【5】段落)

「ノブレス・オブリージュ」(【6】段落)

 

(2)次に問題になるのは、【6】段落で述べられているノブレス・オブリージュ(高貴なる者にともなう義務感)」の意味です。

 これについては、佐藤氏は、本書の19ページでも、コメントしています。

 

「皆さんは日本のエリートの予備軍なんです。そこのところ、ちゃんと誇りを持ってほしいと思う。

 そしてエリートは独自のノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を強制する)、つまり社会の指導層として果すべき特別の義務を持つ。その精神は皆さんぐらいの年頃から形成していかないといけない。」

 

 「ノブレス・オブリージュ」は、欧米社会の基礎的な道徳観であり、「高貴なる身分に付随する義務」を意味しています。

 すなわち、「高い地位にある者は、それにふさわしい振る舞いをしなければならない」とするものです。

 「それにふさわしい振る舞い」とは、「その身分にふさわしい高潔さ、気品、寛容、勇気」です。

 

 「ノブレス・オブリージュ」の根本に流れる思想は、「人間として望ましき人格の養成」です。

  「ノブレス・オブリージュ」は、「普遍的な、高い品性」を重視しているのです。

 

 「ノブレス・オブリージュ」については、「 武士道」との関係に注目する見解もあります。

 

 新渡戸稲造は、英語で書いた『武士道』の中で、「人間としての尊厳」を基礎に置き、「人としての、正しい行い」を強く意識して、「高潔な精神」を維持することの重要性を強調しています。

 つまり、「高い品性」こそが、自らの「人間としての尊厳」を保持していくのです。

 

 「高い品性」の「独特の価値」を重視しているという点で、「ノブレス・オブリージュ」と「武士道」は、確かに、共通する側面があるようです。

 

(3)さらに、【4】段落以下で述べられている「嫉妬」の問題があります。

 人間社会、市民社会における「一般的な嫉妬」、そして、「日本社会の嫉妬」の問題です。

 これらについては、「一般大衆との距離感覚」として考えることも可能です。

 

 これらに関しては、佐藤氏は本書で以下のように述べています。

 

「反知性主義者は知性自体を憎んでいるから。皆さんなんか一番に標的にされるよ。偏差値が高いとはどういうことかというと、ボリュームゾーンから外れているということだ。民主主義は、基本的にボリュームゾーンに従って動いているから、皆さんは常に少数派であるという宿命を持っているわけ。

 そこで心得ておいてほしいんだけど、ボリュームゾーンであるところの大衆を完全に敵に回した場合、エリートは敗れます。」

 

 この発言については、佐伯啓思氏の次の論考が参考になります。

 

「自分よりも優れた(と感じる)者、あるいは不当に利益を得ている(と思われる)者を攻撃し、引きずり下ろすこと、ここに市民社会の権力作用があるとニーチェは考えた。

 しかし、次のように言うこともできるかもしれない。ある意味で、このような傾向は、別に市民社会などと言わずとも、人間の普遍的な習わしだと。

 人間が社会的な動物だという意味は、人間は、常に他者と自分を比較し、比較することにおいて社会性を身につけてゆくものだ、ということである。

 その結果として、この人は他人に対する優越感や、その逆の嫉妬によって動かされる。」(『現代民主主義の病理』)

 

 ここで重要なことは、市民社会の攻撃対象が、

「自分よりも優れた(と感じる)者、

あるいは不当に利益を得ている(と思われる)者」だ、という点です。

 

 言い換えれば、市民に、

「自分より優れている」と「感じられてしまうこと」、「不当に利益を得ている」と「思われてしまうこと」、

が危険なのです。

 

 すなわち、エリートにとっては、市民社会の「嫉妬の感情」が、何よりも「脅威」なのです。

 

 ましてや、現代の日本には、「欧米の平等思想」を誤解した「極端な平等思想(いわゆる、「悪平等」)」と、「和の精神」を曲解した奇妙な「同調圧力」が蔓延しています。(これらは、現代日本の「反知性主義」の産物だと思われます。)

 

 そのために、日本では、エリートが、自己の身を守るためには、「保身術」、つまり、後述する「韜晦(とうかい)」、「能ある鷹は爪を隠す」が不可欠なのです。

 

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(本文の概要)

 

「【7】山内氏によれば、嫉妬をうまくかわしたエリートは、旧陸軍の杉山元(はじめ)元帥だという。

 【8】〈① 自分の本当の力や真意を外に出すと必ず嫉妬の視線にさらされる。戦前の日本陸軍で、一貫して出世コースを歩んだ人間の一人に杉山元がいる。

 ② 杉山元帥は、能力を決して表に出そうとしなかった。同僚や部下の青年将校から、『ボケ元』や『グズ元』のあだ名が奉られたほどだ。

 ③ 陸軍には杉山を警戒する人間は少なかった。1938(昭和13)年の近衛文麿による内閣改造で陸軍大臣を追われたのは、もともと日中戦争の拡大に反対だったのに、陸軍の大勢に押されて主体性を欠いた定見の無さを近衛が嫌ったからだといわれる。

 ④ しかし、『ボケ元』はそれほど単純な男ではない。自分を陸相から罷免せんとする近衛らの策謀を、ちゃんと知っていたからだ。近衛の真意を読み空とぼけながら政治状況に対応していったあたりに、杉山の凄みがあるのである。端倪(たんげい)(→当方ブログによる注→はかり知ること。通常は、「ーすべからず」の形で使う)すべからざる能吏(のうり)なのだ。

 ⑤ 日本の社会では、すぐ圭角(けいかく)(→当ブログによる注→行動・言葉・性格が円満ではなく、角張っていること)や感情を表に出す人物は絶対に出世できない。

 杉山の茫洋(ぼうよう)(→当ブログによる注→広々としていて、果てない様子)とした態度は、すべて緻密な計算の上になりたつ保身術からきていた。

 それでいて、勝負に出るときは度胸もあった。杉山は、石原莞爾を中央から追放し復活させなかった立役者のひとりである。

 ⑥ 杉山のように、粘り強くハラを見せない人間は、現代のわれわれの周りにも必ずいるにちがいない。彼はなんと、陸軍大臣・参謀総長・教育総監という陸軍三長官職をすべて経験した稀有(けう)な存在である。それでいて杉山は、どうやら目立った嫉妬や反感を受けた様子は見当たらない〉(山内昌之『嫉妬の世界史』)

 

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(当ブログによる解説)

(1)まず、ここでは、以下の難読漢字に注意する必要があります。確認的に、列挙します。

 

「端倪」(【8】④)

「圭角」(【8】⑤)

「茫洋」(【8】⑤)

「稀有」(【8】⑥)

 

 (2)次に、「日本の社会では、すぐ圭角や感情を表に出す人物は絶対に出世できない。」(【8】①) という記述に着目する必要があります。 

 この記述は、「日本は嫉妬社会である」ということを前提にしています。

 きっぱりとしていて、分かりやすい表現です。

 このような明確な表現により、佐藤氏の本書の論考は、筋が明瞭になっているのだと思います。

 

 (3)第三に、【8】段落における以下の表現は、すべて同類表現であることに、注意する必要があります。

 

「能力を決して表に出そうとしなかった」(②)

「杉山の茫洋とした態度は、すべて緻密な計算の上になりたつ保身術からきていた」(⑤)

「杉山のように、粘り強くハラを見せない人間」(⑥)

 

 これらの表現は、「保身術」である、「自己韜晦(とうかい)」、「韜晦」 を意味しています。

 「韜」は、「つつむ」という意味、

 「晦」は、「くらます」という意味です。

 つまり、この熟語は、「自分の内心・才能等を目立たぬように、包み隠すこと」という意味です。

 この言葉は、入試頻出語句なので、注意が必要です。

 

 同類表現として、「能ある鷹は爪を隠す」が、あります。

 さらに、同類表現として、「大賢は愚なるが如し」があります。

 これは、「とても賢明な人は、自分の知識をひけらかしたりしないので、一見、愚かな人間のように見えてしまう。」という意味です。

 

 この表現の同類なものとしては、さらに、以下のものがあります。

「大知は愚の如し」

「大才は愚の如し」

「鳴かない猫は鼠捕る」

「深い川は静かに流れる」

 

 この論考が、入試に出題された場合には、これらの知識を問われる可能性があります。

 

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(本文の概要)

 

 「【9】杉山元の生き方は、ずるいように見える。『これからのエリートは、国際基準に従って、もっと自分の主張を堂々とするべきだ』と主張する人もいる。しかし、私はそのような見解には与(くみ)しない。どのエリートも自らが生まれ育った国家と民族の文化から離れて生きていくことはできない。エリートは、自分を拘束している文化を理解し、それに適応した行動をするときに、初めて現実に影響を与えることができる。杉山のような生き方をしないと、日本では現実に影響を与えることができないのである。このあたりの知恵を、私と対話した灘高生たちは既に備えていた。

【12】今回、話をした灘高生たちとは、親子くらい年齢が離れている。私の責務は、腐敗しかけている狼のような現在のエリートが、若いエリートを殺してしまわないように、さまざまな防御策を講じることだと思っている。 

【13】若い世代のエリートがきちんと活躍できるような環境が整うことによって、日本社会が強くなる。この灘高生たちは、10年後には世界と日本の第一線で活躍している。この人たちは、日本国民の幸福を増進するための努力を惜しまない社会人になると私は確信している。」

 

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(当ブログによる解説)

(1)ここでは、第一に、【9】段落に注目しました。

 「杉山の生き方は、ずるいように見える。」

 従って、「『これからのエリートは、国際基準に従って、もっと自分の主張を堂々とすべきだ』」と主張する意見もあるようです。

 これに対して、佐藤氏は反対意見を述べています。

 私は、佐藤氏の意見に賛成します。

 理由は、佐藤氏の、以下の「理由の記述」が、極めて正当だからです。

 「どのエリートも自らが生まれ育った国家と民族の文化から離れて生きていくことはできない。エリートは、自分を拘束している文化を理解し、それに適応した行動をするときに、初めて現実に影響を与えることができる。杉山のような生き方をしないと、日本では現実に影響を与えることが出来ないのである。」

 

 「日本社会は嫉妬社会」という「日本の特殊性」(各国にそれぞれの特殊性があります)を考慮しないで、画一的な理想論を主張することは、賢明では、ありません。

 このような、画一的理想論を主張する人(日本の学界や論壇には、この種の論者が多いようです)は、「郷に入っては郷に従え」という諺の内実を、もう少し勉強した方がよいでしょう。

 「国際基準に従って、自分の主張を堂々と主張すること」は、国際基準の通用する場、つまり、欧米の一部地域などで行うべきことでしょう。

 

 (2)次に問題になるのは、【12】段落の「腐敗しかけている狼のような現在のエリートが、若い世代のエリートを殺してしま」う、という点です。

 これは、やはり、「嫉妬」が理由なのでしょうか?

 

 上役が、将来性のある部下を、スポイル、つまり、駄目にしてしまうということは、よくあることのようです。

 自分の地位が脅かされると思うのでしょうか。

 ここにも、やはり、「嫉妬」が存在するようです。

 

 この場面で、連想されるのは、「後生(こうせい)畏(おそ)るべし」という論語の一節です。

 「後生」とは、「後に生まれた人。後輩」という意味です。

 この一節は、「自分より年少の者は、様々な可能性を内に秘め、努力により、将来どれほどの人物になるのか分からないのだから、若いといって、見下してはならない」という戒めの意味を含んでいます。

 この一節は、この「あとがき」が出題された時は、問われる可能性が大です。

 

(3)さらに、【13】段落の「日本国民の幸福を増進するための努力を惜しまない」という表現が、「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者に伴う義務感)」(【6】段落)に関連していることに、注目するべきでしょう。

 

 本書は、いわば、自らに課せられた「ノブレス・オブリージュ」を強く意識した佐藤氏が、「ノブレス・オブリージュ」を背負うべき「超難関高校生」への、「知のバトン」を試みた書と言えます。

 

 「あとがき」は、「講義部分」では触れなかった、「真のエリート」になるための重要ポイントを補説した点で、大きな価値があります。

 この点からも、この「あとがき」は、難関大学の現代文・小論文に出題される可能性が大であると思います。

 

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 今回の記事は、これで終わりにします。

 

 次回の記事は、「現代文・小論文予想出典・『君たちが知っておくべきこと』(佐藤優)②」の予定です。

 本書の「講義部分」から「反知性主義への対処法」「教養を身に付ける方法論」「教養の重大な価値」等を中心に解説するつもりです。

  

 

 


 

 

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