現代文最新傾向LABO 斎藤隆

入試現代文の最新傾向を分析し、次年度の傾向を予測する大胆企画

2012センター国語第1問解説「境界としての自己」木村敏・関係性 

(1)センター試験国語(現代文)の最新・傾向を知っておくことは、センター試験国語(現代文)対策の重要なポイントです。

 

 このブログは、国語(現代文)の最新傾向分析を発信することを目的にしています。

 そして、現代文の最新・傾向分析・予想問題記事に実績があります。

 

 このブログの実績は、以下の通りです。

① 2016年度・東大国語[大問1](内田樹)ー本文・設問ズバリ的中

② 2016年度・一橋大国語[大問1](長谷正人)ー本文・設問ズバリ的中

③ 2016年度・静岡大[1](鷲田清一)ー本文・設問ズバリ的中

④ 2016年度・センター試験国語[大問1](IT社会)ー論点・テーマ的中

 

 どうして、これほど多く、本文・設問ズバリ的中が、できたのか?

 それは、3・11東日本大震災以降の入試現代文(国語)の最新傾向の分析が、的確だったからです。

 

(これらについての、ズバリ的中の記事の、リンクできる冒頭記事画像を、この下に貼っておきます。今回の記事の理解を深めるために、これらの記事を読んでいない人は、ぜひ読んでください。)

 

 私は、今現在の入試現代文(国語)・の最新傾向としては、基本的に以下のように考えています。

 これは、このブログの第1回記事「開設の言葉ー入試現代文の最新傾向ー重要な、気付きにくい2本の柱」に書いた私の考えです。

 私の、最近出版した参考書(『頻出・難関私大の現代文』(開拓社))に書いたことを元に、2016年1月に書いたものです。

 

……………………

 

 今現在の入試現代文の最新傾向として、注目するべきポイントとしては、2つの大きな柱があります。

 

【1】1つの柱は、「IT社会の光と影と闇」です。

 この論点・テーマは、3・11東日本大震災の前から登場していたので、割と有名ですが、最近のスマホ(スマートフォン・パソコンに近い作りの次世代携帯電話)の爆発的な流行により、新たな論点・テーマが発生しています。

 スマホは、それまでの携帯電話とは、まるで違うものです。(インターネットの使い勝手が良く、ホームページの閲覧・動画視聴等に有用です。)

 それだけに、プラス面・マイナス面も、携帯電話と比較して、拡大化・深刻化するのです。

 私が、「IT社会の光と影と闇」と書き、「光と影」だけにしなかったのは、事態の深刻性を強調するためです。

 

【2】もう1つの柱は、「3・11東日本大震災の各方面に対する影響」です。

 「各方面」は、実に多方面にわたっています。

 入試現代文の問題を読んでいると、影響が思いもしない方面にまで及んでいる事に、驚かされます。

 「影響」は、単なる影響のレベルでは、ありません。

 今までないくらいに大きく、底知れぬほど深く、長期的なものと言えます。

 2015年の入試現代文にも、その影響は続いています。

 その事は、良い事だと思います。

 

……………………

 

 2016年の、センター試験や難関大学の現代文(国語)・小論文の入試問題を、検討している現在も、この考えは変わってはいません。

 そこで、基本的には、上記の視点から、3・11東日本大震災以降の5年間のセンター試験国語(現代文)(大問[1])の最新傾向を、分析していきます。

 

 

 リンクできます↓

 

 

 

 

 (2)センター試験国語第1問(現代文・評論文問題)の最新傾向を分析する前提として、2012年度以降の5年分の問題を概観します。

 

 あくまで概観なので、各年度の全設問の丁寧な問題解説は、しません。

 詳細な解説・解答は、各種解説書を参照してください。

 

 センター試験現代文(国語)の最新傾向を分析するために重要なことは、出題者の出題意図・問題意識を探ることです。

 出題意図を把握すれば、出題者の問題意識が、分かります。

 そのことが、センター試験現代文(国語)対策に役立つのです。つまり、日々の学習、読むべき本、本番での問題対応力(得点力)のアップ、次年度の出題予想に役立つのです。

 

 従って、出題者の問題意識が色濃く出ている設問を中心に解説していきます。

 そして、各年度の問題の、問題作成者の問題意識を考察していきます。

  

 

頻出難関私大の現代文 (αプラス入試突破)

 

    

(上の、Amazon のリンク画像の参考書は、3・11東日本大震災後に私が執筆したものです。私にとって、このブログの基盤的な存在です。興味のある方は、ぜひ一度、Amazon で、ご覧になってみてください。)

 

 

(3)2012年度センター試験国語第1問(現代文)・(「境界としての自己」木村敏)の、出題意図、本問作成者の問題意識の探究

 

 木村敏氏は、精神病理学者、京都大学名誉教授です。

 臨床哲学的精神病理学の立場に立ち、現代の「科学主義」・「客観主義」、つまり、「現代の科学的常識」・「客観性重視主義」に対して異議を申し立てる姿勢を保っています。

 

 木村氏は、最近の難関大の現代文(国語)・小論文における入試頻出著者です。

 最近では、早稲田大学(法学部)(商学部)、上智大学、法政大学等で出題されています。

 

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 今回の問題は、常識的にみると、少々、分かりにくい内容になっています。

 しかし、実は、本問の「自己(アイデンティティ)の相対化」・「自己(アイデンティティ)の否定」、そして、これと表裏一体の、「自己と他者の境界の重視」・「関係性の重視」・「間主観性の重視」は、最近流行の現代文・小論文の論点・テーマです。

 これらの論点・テーマは「自己(自分)」・「アイデンティティ」・「個性」・「私らしさ(自分らしさ)」の、過度の重視が目立ってきた10年くらい前(キラキラネームの氾濫が目につく頃)から出題され始めました。

 

…………

 

 2002年には、早稲田大学(教育学部)で大庭健氏の哲学的論考(『私という迷宮』→難関大(現代文・小論文)における入試頻出出典)が出題されました。

 この論考のキーセンテンスは、以下の部分です。

 「問題は、むしろ『殴られれば痛く、無視され・見捨てられたら辛い』という生身の人ー間のおさらいである。『・・・・された相手の身になって』という反実仮想による呼応によって、あなたも私も、人ー間としての自分でありえているのだ。」

 つまり、「呼ー応」こそが「人ー間」としての「自分」の成立要件だ、と主張しているのです。

 言い換えれば、「自分の呼びかけ」に対する「他者」の「応」、つまり、「他者」の「反応」・「応え」がないならば、「自分」は成立しない、「自分」は心豊かには生きていけない、ということです。

 

…………

 

 また、2011年には、早稲田大学(法学部)で、今回、センター試験現代文(国語)の問題として検討中の、木村敏氏の哲学的論考(『自分ということ』→この本も、最近流行の現代文・小論文の入試頻出出典)が出題されました。

(東大・京都大・一橋大・早稲田大・慶應大・上智大・同志社大等の現代文(国語)・小論文の対策としては、最新のものも含めて、哲学的論考を幅広く読んでおくことが不可欠です。新書レベルでよいです。→トップレベルの大学を目指すのであれば常識です。)

 この論考のキーセンテンスは、以下の部分です。

 「『人と人のあいだ』が、単なる空白の隙間ではなくて、ずっしりと重みのある、実質的な力の場である。」

 「音楽の生命は、音符に書かれたひとつひとつの音にあるのではなくて、音と音の間の『ま』にはたらいている湧きあがるような時間のたわむれにあるのだろう。」

 「自分と相手との『あいだ』が、二人の真に『会い合う』場所となりうるためには、そしてこの『あいだ』の場所が、自分と相手の『自己』を同時に成立させる自覚の場所となりうるためには、そこに『ま』と呼ばれるようなはたらきが十分にはたらいて、二人がそれぞれ自己自身の歴史を生きていながら、その『あいだ』においては、共通の唯一の時間の生成に関与しあっている、ということがなくてはならないのではないのだろうか。

 

 最後の引用文の前半部分に、2012年度センター試験と全く同一内容の、

「この(自分と相手との)『あいだ』の場所が、自分と相手の『自己』を同時に成立させる自覚の場所」

という、キーフレイズがあります。

 

 このキーフレイズは、この記事を読むあいだ(出来ることならば、受験が終わるまで。さらに言えば、これから、ずっと。)、よく覚えておいて下さい。

 

……………………

 

 著者が主張する「自己(アイデンティティ)概念の相対化」は、「自己(アイデンティティ)概念」そのものの否定では、ありません。

 一般的・常識的な「自己(アイデンティティ)概念」から派生する、

「個人の深刻な孤立化」、

各種の(「自己概念」の誤解に基づく)「傲慢」、

「共同体軽視・無視・嫌悪」、

「倫理・モラルの軽視・無視」

等のマイナス面を回避するために「新たな自己(アイデンティティ)概念」を模索・構築・創造しようするものです。

……………………

 

 それでは、2012年度のセンター試験国語(現代文)[1]の問題文本文・設問を検討します。

 まずは、2012年度の問題文本文の「概要」を書いていきます。(①②③・・・・は意味段落です。)

① 生きものは、環境との境界面で、環境との最適な接触を維持することにより生命を保持する。

当の個体自身の内部条件が、「内部環境」として環境側に加わることもある。

つまり、個体と環境との境界は、一義的に確定することは困難である。

 

② 集団は、個体と同じように、環境との境界面で、環境との最適の接触を維持することで、存続を保持する。

集団の中でも、人間集団は、個人が自己意識を持つので、境界面の生命維持の営みが、飛躍的に複雑化する。

個人の自己意識は進化の産物であり、生存の目的にかなっているが、集団行動と対立することもある。

自己意識に、それ本来の意味を取り戻させるためには、どうすればよいのか。 

 

③ 人間は、自分自身を「私」として意識し、「私」を他のすべての個体とは絶対的に別次元の唯一無二の存在として意識している。

一般的に、「自他関係」は「境界をはさんだ内部・外部」と想定されている。

 

④ しかし、「私」は、任意の一点ではなく、むしろ円の中心にたとえられるような、それ以外の一切の点と質的に異なった特異点である。

 円の中心には、内部がない。

あるいは、円の中心それ自身を「内部」と見るなら、中心は「内」と「外」の境界それ自身だということになる。

「私」と他者との関係もそれと同じで、「私」は「内」でありながら、「内」と「外」の境界それ自身でもあるという非合理な位置を占めている。

 

⑤ 生命空間における個体と環境の境界は、その「こちら側」にあるはずの「内部」をもたない。

生きものそれ自身とそれ自身でないものとの境界そのものとして、この境界を生きている。

この自己と他者の「境界」を、生きるだけでなく、意識するところに、人間的な自己意識が生まれる。

 

⑥ 生命の営みは、すべて境界という形をとるのではないか。

われわれの周りの世界にあるすべての境界には、つねに生命の気配が感じられる。

 (以上です。)

 ……………………

  次に、出題者の問題意識が、色濃く出ている設問(問5・問6)を、中心に解説していきます。

 まず、問5を検討します。

  問5に関する本文を読んでください。

「ふつうにいわれる「自他関係」とは、境界線上でかわされる心理的な関係ということだろう。そこではやはり境界をはさんだ二つの領域が想定されていて、他者は外部世界に、自己は内部世界におかれることになる。Dしかしそのようなイメージは、特異点としての「私」という自己を考える場合には適切でない。「私」が円の中心だとするならば、私以外のすべての他者は中心の外にいることになる。「私」自身ですら、これを意識したとたんに中心から外に押し出される。しかし中心には内部というものがない。」

 

 問5 傍線部D「しかしそのようなイメージは、特異点としての『私』という自己を考える場合には適切でない。」とあるが、筆者はどのような考えから適切でないと判断しているのか。その説明として最も適当なものを次の①~⑤のうちから1つ選べ。

 

 正解は、③でした。(他の選択肢が不適当な理由については、他の解答集を参照してください。)

 

③ 他者の属する外部世界との対立関係で自己をとらえる見方は、境界に隔てられた空間的な内部世界を想定しているが、絶対的な異質性をもつ「私」の自己意識は内部空間をもたない円の中心のようなものであり、むしろ他者との境界そのものにほかならないという考え。

 

……………………

 

 問5は、何を聞きたかったのでしょうか?

 この設問は、「自己(アイデンティティ)」についての、一般的・常識的な理解と、木村氏の見解との、際立った相違点を、聞こうとしています。

 「自己(アイデンティティ)」についての木村氏の見解は、一般的・常識的な理解と、まるで正反対です。

 

 「私の自己意識」は、「他者との境界そのもの」と、木村氏は、主張しています。

 「自己」は、「硬い外枠を持った内部世界」ではないのです。

 常識は、ここでは、全く通用しません。

 反発心を持たないで、木村氏の論考の文脈を理解することが、ここでのポイントです。

 「一般的な常識」も、あなたの外部から、やって来たものに過ぎないのです。

 「一般的な常識」に、あまりこだわらないことが、現代文(国語)・小論文対策の重要ポイントと言えます。

 (人生上も同じですが。)

 

 …………………………

 

6 この文章の論の展開に関する説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから1つ選べ。

 

正解は④です。

 

 ④ まず、環境との境界面における生命維持の営みについて、個体と集団それぞれの場合を対象として考察している。つぎに、他の生物に比して人間の場合は、自己意識の存在が集団と個体との関係を難しくしている、と指摘する。最後に、人間の自己意識は境界を意識するところに生まれ、そこに生命の営みがある、という結論に導いている。

 

 問題6は、何を聞きたかったのでしょうか?

 

 問題文本文第9段落第3文(私の概要⑤第3文(最終文))に、

 「この自己と他者の『境界』を、生きるだけでなく、はっきり意識するところに、人間的な自己意識が生まれる。」

という、キーセンテンスがあります。

 このキーセンテンスに注目できたか否かを、聞いているのです。

 ここに注目できれば、選択肢④の最終文に着目して、これが正解だ、とすぐに分かります。

 つまり、「自己」についての、一般的・常識的な発想を試験時間中には、執着しないで(無視して)、素直に(とにかく)木村氏の主張を理解していけば、難問では、ありません。

 むしろ、易しすぎるくらいです。

 (ただ、このような柔軟な読解の姿勢を身に付けることは、なかなか大変なことです。→日頃の勉強における自覚・訓練が大切です。)

 

 「自己は孤立しては生きていけない。」

 「自己と他者の境界にしか、生存の場は、ないのだ。」

 「自己と他者の境界でこそ生存できる、このことを意識することが自己意識である。」

 さらに言えば、「『自分』を意識することではなく、『自己と他者の境界』を明確に意識することが、『自己意識』だ。」という主張です。

 

……………………

 

 木村氏の、この主張は、一見、難解ですが、3・11東日本大震災以降の日本人にとっては、充分に納得できる見解です。

 安定した日常では、自覚しにくいことですが。

 あの非常時を、思い出してください。

 「自己」の、無力、情けなさ、弱さ、頼りなさ、そして、どうしようもない不安感を、思い起こしてください。

 そうすれば、木村氏の見解に、納得できるはずです。

 

 問5と問6は、同じことを、聞いています。

 

 まさに、センター試験国語(現代文)の問題作成者は、木村氏の主張のポイントを、聞いてきているのです。

 見事な、問題作成能力です。

 

……………………

 

 私は、この問題が、3・11東日本大震災直後の2012年度に出題されたことに、注目しています。

 つまり、出題の背景に、

「3・11への意識があったのではないか」、

「今こそ『連帯性』・『関係性』・『共同性』を再評価・見直しするべきだと意識したのではないか」、

と考えています。 

 とすると、かなりメッセージ性の強い問題です。

 問題作成者の問題意識が、顕著に感じられる問題です。

 私は、2012年に初めて、この問題を見た時に、その強烈なメッセージに、思わず唸りました。

 ある意味で、感銘すら受けました。

 

 この時期こそ、いや、これからもずっと、この「自己」・「アイデンティティ」・「連帯性」・「関係性」・「共同性」の論点・テーマを、じっくりと考えていくべきだからです。

 私は、3・11直後の2011年は、他の人々と同じように、いつも頭の片隅で「自己」・「アイデンティティ」・「連帯性」・「関係性」・「共同性」について、考えを巡らせていました。

 そして、2012年に、センター試験のこの問題を見た時の、あのほっとしたような、自分の目を疑うような、不思議な感じを、私は忘れることができません。

 

 今、この記事を、このように書いていて、このブログを始めたことができて、本当に良かったと思っています。

 あの時は、自分がブログをやることは、思っていませんでした。

 3・11東日本大震災、そして、この影響について、自分の意見を発信できる場があるということは、それ自体が、幸福なことだと思っています。

 

……………………

 

 ところで、「自己と他者の境界」とは、「関係性そのもの」と、置き換えることが可能です。

 

 そして、現在では、現代文(国語)・小論文における頻出著者達は、木村敏氏の「自己と他者の境界」のキーワードを、「関係性」・「間主観性」と表現する場合が多いのです。

 「関係それ自体」を再評価、見直そうとする発想です。

 

 3・11東日本大震災以降は、そして、2012年度センター試験以降は、「関係性」「間主観性」についての論点・テーマが、現代文(国語)・小論文の流行論点・テーマになっています。

 例えば、広島大学、早稲田大学(政経学部)(法学部)(商学部)、慶應大学(法学部・小論文)、明治大学(政経学部)(商学部)、法政大学等の、多数の大学で出題されています。

 

 そして、2016年度には、東京大学で、内田樹氏の論考(『日本の反知性主義』所収)が出題されました。

 内田氏の論考は、「『共同性・連帯性・関係性』を背景にしていない『知性』は、『真の知性』とは言えない」ということを趣旨とするものです。

 

 「自己概念の相対化」、「関係性の重視」のこの論点・テーマの流行は、センター試験、難関大学の国語(現代文)・小論文でしばらく続くでしょう。

 しっかりと理解しておくべきです。

 

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 特に、木村敏氏の著作は、「良き人間関係を構築」するために、そして、「人生」を穏やかに過ごすためには、とても役に立ちます。

 「人生」の最大級の難問の1つが「人間関係」です。

 私を含めて、多くの人にとっては、「人間関係」は、ほぼ永遠の「難問」でしょう。

 

 もともと、木村氏の、「自己」「あいだ」についての著作は、「人間関係」に悩む人間を救う意図で書かれたものです。

 私も、木村氏の著作を数冊読んで、「良き人間関係の構築」について、かなり参考になる点がありました。

 読者の皆様の中で、「良き人間関係の構築」について、悩みが、あるようでしたら、木村氏の「自己」、「あいだ」についての著作を参考にすると、よいでしょう。

(おすすめは、『自己・あいだ・時間』、『時間と自己』です。

 最後に、Amazon のリンクがありますので、ご覧になってみてください。この2冊は入試頻出ですので、現代文(国語)・小論文入試にも役立ちます。)

 

 つまり、木村氏の著作は、「現代文(国語)・小論文入試」にも、「人生」にも、大いに役立つのです。

 

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 次回の記事は、2013年度のセンター試験国語(現代文)[大問1](小林秀雄氏の論考を題材にした問題)について、その「出題意図」、「問題作成者の問題意識」等を検討する予定です。

 ご期待下さい。 

  

 

 

   

 

 

 

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