予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/日本人論
(1)なぜ、この記事を書くのか?
入試頻出出典・『日本文化における時間と空間』は、入試頻出著者・加藤周一氏の、これまでの著作の集大成のような内容になっています。
加藤氏は、これまでの著作で、日本人の特徴として、「集団主義」、「大勢順応主義」、「現在主義」、「感覚主義」を指摘してきています。
『日本文化における時間と空間』においては、この日本人の特徴を、「時間」と「空間」を軸として、歴史的に体系的に考察しています。
そこで、今回は現代文(国語)・小論文対策として、本書のポイントを解説します。
記事は約1万字です。
今回の記事の項目は以下の通りです。
(2)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/①「全体の構成」
(3)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/②「時間について」
(4)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/③「空間について」
(5)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/④「『今=ここ』の文化」
(6)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/⑤「大勢順応主義」という「日本文化」の「負の側面の改革」
(7)当ブログにおける「日本人論」関連記事の紹介
(2)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/①「全体の構成」
(青字は当ブログによる「注」です。)
(赤字は当ブログによる「強調」です。)
全体は三部構成になっています。
第一部では時間について、第二部では空間について、検討しています。
第三部では、「時間と空間の関係」を「全体と部分の関係」の視点から考察されています。
また、第三部では、「日本文化の問題性」と、「その対策」についても見解が示されています。
加藤周一氏は、日本の土着的(→伝統的)世界観として、「現在主義」、「集団主義」、「大勢順応主義」をあげています。
この日本人の傾向を説明するために、加藤氏は、3つの諺を挙げています。
第1は、「過去は水に流す」という諺です。これは、「現在主義」そのものです。
現在の生活の円滑化のために、過去を気にしないことを理想化する態度を意味しています。
第2は、「明日は明日の風が吹く」です。
「冬来たりなば、春遠からじ」とあるように、四季のはっきりした日本ならではの発想です。
寒い冬の次に春は必ず来る、明日の事は余り考えない事にするという楽観論です。
第3は、「福は内、鬼は外」です。
外とは一線を配し、周辺に枠を設け、身内だけを重視し、外の事は余り関心を示さない性向を指します。
わが国は江戸時代の260年間、世界で類例を見ない鎖国政策をとっていました。
これは「福は内、鬼は外」との考え方と関連性があり、日本人は文化を尊ぶが、普遍的思想や論理に弱いと、加藤氏は解説しています。
以下は、加藤氏の説明です。
「 出来事は当事者の生活空間すなわち特定の集団の内側で起こる。日本で典型的な集団は、長い間、家族およびムラ共同体であったが、いずれの場合にも集団の境界は明瞭で、集団成員の仲間内に対する態度と外人(そとびと)に対する行動様式とは、対照的に違う。すなわち「福は内、鬼は外」である。
鬼は外の背景は、おそらく、強い集団帰属意識である。
関心は集団の内部すなわち「ここ」に集中し、外部すなわち他所(よそ)に及ぶことが少ない。
たとえば盆に典型的な祖先崇拝の理由も、おそらくは、他界における祖先の霊への関心ではなく「ここ」の出来事に係わり、毎年ここへ帰ってくる霊への関心であろう。」
(『日本文化における時間と空間』)
「現在主義」は、失敗を反省しない生き方でもあります。この点について、加藤氏は以下のように指摘しています。
「 日本社会には、そのあらゆる水準に於いて、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係に於いて定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。
日本が四季のはっきりした自然と周囲を海に囲まれた島国であることから、人々は物事を広い空間や時間概念で捉えることは苦手、不慣れだ。
それ故、日本人は自分の身の回りに枠を設け、「今=ここに生きる」の精神、考え方で生きる事を常とする。「この身の回りに枠を設ける生き方は、国や個人の文化を創り出す土壌になる。
一方、ヨーロッパは陸続きの大陸であり、各国はそれぞれ固有の文化、歴史があり、加えて幾度の戦争を体験していることから、経験上共通の概念を取り入れる努力をしている。例えばドイツと他国の間ではヒットラーの「ユダヤ人虐殺」に関しては互いに過ちであるとの共通の認識を持っており、ドイツ人は「過去は水に流す」式の日本人の意識とは大きな違いがある。
ドイツ社会は「アウシュビッツ」を水に流そうとしなかったが、日本社会は「南京虐殺」を水に流そうとした。その結果、独仏の信頼関係が「回復」されたのに対し、日中国民の間では信頼関係が構築されなかったことは、いうまでもない。」
(『日本文化における時間と空間』)
(3)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/②「時間について」
加藤氏は「日本人の歴史的な時間観」を論じる前提として、ユダヤ文化、ギリシャ文化、中国、インドの時間感覚を確認しています。
日本人の時間感覚と対比されるものとしては、ユダヤ人の時間感覚が挙げられます。
これは、初めがあり終わりがある時間感覚です。神による宇宙の創造に始まり、最後の審判に終わる時間感覚です。
ギリシア人ので代表的な時間感覚は「循環する時間」です。
これに対して、日本の時間のとらえ方は、加藤氏によれば、三つに分類されます。
ユダヤ人とは対照的に初めがなく、終わりがない直線の時間。
それに季節、日本の四季から連想される循環する時間。しかし、この時間にはギリシアのような宇宙、あるいは朱子学的な形而上的色彩がない、日常的な循環する時間です。
さらに、普遍的な時間としての、個々の人生、誕生から死までの初めがあり終わりがある時間です。
この三つの時間は、加藤氏によれば、以下のように、どれも「今」に生きることの強調に向かうのです。
「 今はゴムひものように伸縮する。
始めなければ終わりない歴史的時間は、方向性をもつ直線である。この直線上の事件には先後関係はあるが、直線全体の分節化は出来ない。円周上を循環する自然的時間の場合には、事件の先後関係ばかりでなく、分節をあきらかにすることができる
すなわち古代文化の中心であった地域では、四季の区別が明瞭で、規則的であり、その自然の循環する変化が、農耕社会の日常的な時間意識を決定したであろう。
日本文化の時間の表象の第二の型は、始めなく終わりなく循環する時間である。季節であり、時間の円周は四季に分節化される。九世紀以降平安朝の宮廷文化は、季節に敏感な、というよりも敏感であらざるをえなかった生産者=農民の感受性を、全く非生産的な美的領域に移して、洗練した。「枕草子」は有名な「春はあけぼの」、「夏はよる」、「秋は夕暮」、「冬はつとめて」で始まる。
四季に集中するのは、その傾向はすでに「万葉集」にもあらわれていて、それが「古今和歌集」において徹底したのである。しかも四季の変化に対する関心は、平安朝以後さらに強まり、俳諧師たちにとってほとんど強迫観念になって、制度化された季語を生むに到った。
四季を中心にして循環する時間の概念は、平安朝が洗練した美的領域を超えて、より抽象的で一般的な時間の意識にも影響した。
しかし「諸行無常」の方は、歴史的時間の循環ではなくて、始めあり終わりある人生の話である。命短し。これは人間の条件であって文化によって異なるものではない。文化によって異なるのは、その事実に対する対応の仕方である。
人生は一定方向へ進む有限の直線であるから、分節化される。故に青年といい、中年といい、老年という。一度過ぎ去った一分節はもどらない。すなわち無限の歴史的時間とは異なり、人生の経験された有限の時間は構造化される。
かくして、日本文化のなかには、三つの異なる時間が共存していた。
すなわち、始めなく終わりない直線=歴史的時間、
始めなく終わりない円周上の循環=日常的時間、
始めがあり終わりがある人生の普遍的時間である。
そして、その三つの時間どれもが「今」に生きることの強調へ向かうのである。」
(『日本文化における時間と空間』)
そして、加藤氏は「日本語」、「日本文学」を取りあげて、日本人の時間観を検討しています。
「日本語」については、「時制」の問題に注目しています。
加藤氏は、ヨーロッパ語が厳密な時制の体系を有するのに対し、日本語は過去・現在・未来を明確に区別しない、と主張しています。
つまり、客観的時間よりも主観的時間を重視し、「過去・現在・未来を区別することより、現在の中に過去と未来を収斂させる傾向がある」ということを、以下のように指摘しているのです。
「 日本語文法が反映しているのは、世界の時間的構造、過去・現在・未来に分割された時間軸上にすべての出来事を位置づける世界秩序ではなくて、話し手の出来事に対する反応、命題の確からしさの程度ということになろう。」
(『日本文化における時間と空間』)
日本語においては、過去・未来は現在に収斂しているのです。
この点に関して加藤氏は、『源氏物語』の冒頭部分を引用しています。
「いづれの御時にか。女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより、「われは」と、思ひあがり給へる御かたがた、めざましき者におとしめそねみ給ふ。おなじ程、それより下臈の更衣たちは、まして、安からず。」
上記の現在形と過去形の混用に注目して、加藤氏は、以下のように記述しています。
「 語り手の意識にとっては、過去形は対象との距離を強調する。女御・更衣が大勢居たこと(「さぶらひ給ひける」)、そのなかに身分はあまり高くないが、すぐれて時めき給う主人公が居たことは、過去の客観的状況である。
そこで何がおこったか。「そねみ」がおこり、更衣たちの不満がおこった。それが現在で叙述されているのは、語り手にとっては強い関心の対象だからである。現在形の動詞によって、語り手の意識は対象に接近する。」
つまり、出来事の叙述には、語り手と語られる対象との「心理的距離感」が反映されるのです。
それでは、「文学」では、時間の問題はどうなっているのでしょうか。
加藤氏は前述のように、『源氏物語』の中では、過去の出来事を語りながら、現在の動詞を使用して、対象への接近を図る手法を指摘しました。
加藤氏は、この手法は『平家物語』で、より効果的に使用されていると主張しています。
次に、本書は、「俳句」における時間表現の検討に入ります。
加藤氏は、芭蕉の句の中では、過去はなく、未来はなく、ただ現在、「今=ここ」に全世界が集約されていると述べています。
文学だけでなく、さらに、文学以外の諸芸術における時間も取り上げられます。
音楽、能、絵画で日本人の時間観は、如何に外部化しているか?
加藤氏は、絵画においては、絵巻物を日本絵画の代表としています。
絵巻物は全体としては長いけれども、広げられた部分しか見えないので、今への集中を特色としていると言えるのです。
そして、まとめ的に、加藤氏は「行動様式」という章で、「行動と時間」の関係を考察しています。
この中では、「幕末期の武士たちの行動」の検討が、最も注目されます。
この時期に大勢順応主義が蔓延し、過去・未来を考慮しない行動が目立った事実を、加藤氏は、厳しく指摘しています。
その上で、「現在も日本人がこの傾向から抜け出るのは極めて難しいだろう」と、加藤氏は判断しています。
以下に一部を引用します。
「 戦後の日本の外交に関しては、もちろん、さまざまな要因を考慮しなければならない。
2・26事件の1936年以後敗戦の45年まで陸軍は事実上外交を無視していた。45年から52年まで占領下の日本には外交権がなかった。52年から「冷戦」の終わった89年まで、日本は「米国追随」に徹底していた。
ということは、事実上外交的な「イニシアティブ」をとる余地がほとんどなかった、ということである。日本国には半世紀以上も独自の外交政策を生み出す経験がなかった。
そこでわずかに繰り返されたのが、情勢の変化に対するその場の反応、応急手当、その日暮らし、先のことは先のこととして現在にのみこだわることになったのだろう。
おそらく過去を忘れ、失策を思い煩わず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統文化があった。」
(『日本文化における時間と空間』)
このことこそが、「今に生きる」であり、「現在主義」であり、「現世主義」です。
(4)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/③「空間について」
日本文化の「空間認識」に関しては、加藤氏は『古事記』に顕著な、日本の島々に限られている視線を指摘しています。
世界は日本列島に等しいのです。
つまり、外界への関心が存在しないのです。
限られた空間は境界内です。
これは家であり、ムラであり、国です。
そして、その構造は重複しているのです。
さらに、境界内と境界外が厳密に区別されているのです。
この「閉鎖的空間の特徴」を、加藤氏は3点挙げています。
まず、「奥の概念」です。
神聖なものは奥にしまわれ、私的空間は奥で展開されるのです。
次は、「水平面の強調」です。
ゴチックの高塔とは対比的です。
さらに、「建て増しという発想」が挙げられます。武家屋敷の間取りを紹介しつつ、全体の設計が曖昧であり、建物を継ぎ足していく手法が日本建築の特徴だとしています。
以下に、本書からポイントを引用します。
「 世俗的空間のなかでオクへ向かえば、私的性質が強まる。住宅の玄関から客間へ、客間から居間・寝室・奥座敷へ。そのオクを「人に見せず、大事にする」ことはいうまでもない。
しかし、今日でも、現在の米国の中間層の習慣に比べるば、日本の家庭には家族の生活習慣を人に見せる習慣がない。
なぜだろうか。
おそらく私的生活空間の秘密性は、その空間の境界の閉鎖性にほかならず、ムラ境や国境の閉鎖性を生み出したのと同じ社会心理的傾向が、それを生みだしたのにちがいない。それは家族の日常生活を外部から遮断し、内外の区別を強調しようとすることであって、家族内部で個人の私的願望や行動が尊重されることでは全くない。」
「 日本では宗教的建築でさえも、平屋または二階建てで、地表に沿って広がり、天へ向かって伸びていくことはない。神社には塔がない。
一部の神々は確かに「高天原」から降ってきたとされるが、「高天原」は天上よりも山頂にあったらしい。降ってきてしかるべき仕事をしたのち天に昇ったという話も『古事記』にはない。
しばらく地上にあってのち天へ帰ったのは、八百万の神々でなくて、かぐや姫や羽衣を取り戻した天女や民話のなかの鶴である。神社があえて天上に関わらなければならない理由は弱いだろう。
例外は、仏教寺院の五重塔である。しかし、第一に、仏教は外来宗教であり、仏塔の「日本化」である。
日本では層を五重または三重に限り、幅の広い廂をほとんど水平に四方に出して、垂直の線を隠した。日本化とは塔の非塔化である。
日本では、宗教建築においてさえも天を指して上昇する傾向はなかった、あるいは極めて弱かったということ、建築空間を水平面に沿って構成する傾向こそが極めて強かった、ということを証言するのである。」
「 家屋の、都会の、建て増しの思想を、もっともよく象徴しているのは、首都の地下鉄工事かもしれない。
建て増し主義からは伝統的空間意識の二つの特徴を予想することが出来る。
すなわち「小さな空間」の嗜好と、左右相称性(シンメトリー)の忌避である。後者は「非相称性」の好みと言い換えることが出来る。
建て増し主義の背景には、全体から細部へではなく、細部から全体へ向かう思考の傾きがある。その傾きは、当然、細部すなわち「小さな空間」に注意を集中する心理的傾向を生み出すだろう。「小さな空間」が独立すれば、たとえば楽茶碗の「景色」が洗練され、根付け彫りにおどろくべき工夫が凝らされる。
日本文化の中の空間の特徴は、単に「シンメトリー」の不在でなく、故意に、意識的に、ほとんど計画的に「シンメトリー」を避ける傾向である。たとえば桂離宮の建物の入り口へ導く敷石の配置は、目的合理性のある一定幅の直線の左右対称性を避けて、不規則である。
このような二つの特徴が、いわば芸術的理想の一つの形成として完成したのは、15世紀から16世紀にかけての茶室の文化においてである。」
(『日本文化における時間と空間』)
加藤氏は、日本建築における「水平志向」と「非相称性」を指摘しているのです。
「非相称性尊重」の感覚は、中国や西洋の大部分の建築と対照的な美学であると、加藤氏は主張しています。
建築物、茶器等、茶室の独自性については、明白でしょう。
農村の住空間は狭小でしたが、その空間を極限まで単純化したのが茶室でした。
日本の最大の建築物が東大寺の大仏であるとすれば、最小のものが利休の茶室であるとしています。
加藤氏は、利休の芸術観を美学革命として、高く評価しています。
特に、「非相称性」についての以下の一節は、秀逸で、興味深い内容になっています。
「 この国にはアジア大陸の広大な砂漠や草原がない。人は谷間や海岸の狭い平地に住み、風景はどの方向を眺めるかによって異なり、日常生活の空間があらゆる方向に均質に広がっていない。自然的環境は左右相称性よりは非相称性の美学の発達を促すだろう。
社会的環境の典型は、水田稲作のムラである。労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は、共通の地方神信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。個人の注意は部分の改善に集中する他はないだろう。
非相称性の美学が洗錬の頂点に達するのは、茶室の内外の空間においてである。その時期はおよそ15・16世紀の内乱の時代(戦国時代)と重なっていた。
ムラ社会全体の極度の安定が人の注意を細部に向けたとすれば、武家社会の全国的な流動性(「下剋上」と内乱)、その全体の秩序の極度の不安定も、社会的環境の全体からの脱出願望を誘うだろう。
大きな自然の小さな部分としての庭、その中へ吸い込まれるように軽く目立たない茶亭、その内部の明かり取りの窓、窓の格子に射す陽ざしが作る虹、茶道具、殊に茶陶、その釉薬が作る景色の変化。
そこにあるのは非相称的空間であり、その意識化としての反相称的美学である。」
(『日本文化における時間と空間』)
次に、「絵画」について、加藤氏は、画面構成の視点から、中国絵画と比較しています。
すなわち、日本の芸術家たちが中国の伝統から受容したのは、「画面上の空白」、「空白を活性化する構図」です。宗達や琳派は、これらを元にして、独創的手法を発展させました。また、水墨画では雪舟等が天才を開花させました。
さらに、加藤氏は、続けて以下のように述べています。
「 中国人の芸術家が伝統を重視して写実的に自然を描くのに対して、日本の芸術家は、筆勢という画家自身の能力を尊重する。
視線は外よりは内に向いている。
画題の土地を訪れたこともないし、その興味もないだろう。限られた空間のなかに閉じこもって仕事をする傾向は、21世紀の今日にも見られる。」
加藤氏の次のような自問自答は、「日本人論」としては、極めて斬新です。
「 それにしても、なぜ、日本人の目は外よりも内へ向かうことが多いのか。
なぜ、徳川時代に石門心学が流行したのか。
なぜ、両大戦間に私小説が文壇を支配したのか。
その理由は、おそらく当事者の居住空間が閉じていれば、表現空間も閉じるからである。
環境を変える希望がなければ、自己を変えるほかはない。見る対象が動かなければ、見方を変える工夫が日常化するだろう。」
以上は、日本芸術に発現した空間感覚の特色の考察でした。
次に、加藤氏は「行動様式」として、「対外関係」と「伝統的むら空間」の「特徴」について検討しています。
まず、 「日本の歴史を通じて、対外関係は外の世界に開く、次に閉じると言うことの繰り返しである。この傾向は今でも変わっていない」
としています。
そして、日本人が日常的に暮らす空間としての「ムラ」について、以下のように述べています。
「 その特徴として、境界が明瞭であること、縦社会であること、個より集団が優勢であること、つまり、個は所属集団に順応すること、が挙げられる。
ムラの外の外部は、近い外部、遠い外部がある。遠い外部からの訪問者はムラの人間とはほとんど交渉がなく、付き合いは対等ではない。このことは日本の対外交渉のありようを想起させる。
外国との関係は絶えず上か下かであり、対等な関係ということがなかった。」
以上の記述には、近代の、偏りに満ちた日本外交への憤懣が感じられます。
(5)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/④「『今=ここ』の文化」
この項目においては、まず「時間」、「空間」についての考察内容の簡潔なまとめが提示された後、「時間」と「空間」の相互関係が「全体と部分」という視点から、以下のように整理されています。
「 全体の観念を考慮に入れず、部分を重視する日本文化の特色は、時間的には「今」、空間的には「ここ」を強調することになる。」
これゆえに、加藤氏は日本文化を「今=ここ文化」と位置付けます。
閉じられた空間、ムラで代表された共同体は、保護と抑圧の両面を備えています。
集団による抑圧が特に激烈だったのは、加藤氏によれば、徳川時代以降の400年間です。
「伊勢参り」は、息詰まる社会からの一時的な脱出願望の現れ、と加藤氏は説明しています。
その流行が終了してしまえば、以前の日常が始まる。抑圧が我慢の限界を越えれば、打ちこわしや一揆が発生する。
「脱出願望」については、加藤氏は、かなり丁寧に論じています。
「脱出願望」は明治以降も森鷗外、永井荷風等に見られます。
加藤氏は時間的な脱出願望(T脱出)、空間的な脱出願望(S脱出)を区別して解説しています。
「時間的な脱出願望としては、ユートピアの夢想、これは日本では少なく、むしろ日本では時代的に過去にさかのぼって理想的な場所を求める傾向が強かった」として、加藤氏は本居宣長が古事記に没頭したことを脱出願望として把握している。
T脱出の具体例としては、旅と亡命が挙げられています。
旅に出かけたとしても、いつかは戻ってくる。
これに対して亡命では人は帰ってこない。
日本では、亡命者はほとんどいなかった。
亡命は時に命をかける選択です。
特に、ナチズムが支配したドイツ、オーストリアからは多くのユダヤ人や、反ナチスの知識人たちが亡命しました。
加藤氏は、亡命の問題を詳述しています。
芭蕉、雪舟は、旅に出たが、多くの歌人は、歌の舞台となる地域に出向きませんでした。
加藤氏は、以下のように述べています。
「 雪舟や芭蕉が偉大なのは、彼らが日本の「自然」を発見したからである。発見するためには京都や江戸の旅の、閉じた文化圏の枠を破ってそこから脱出する必要があった。しかし、今では彼らの発見した「自然」そのものがなくなった。少なくとも、その大部分が失われた。」
物理的に時間から脱出することは困難だし、鎖国状態の国からの脱出も現実的には難しい。
加藤氏は、18世紀の日本における「脱出願望」から派生した4つの思想を説明しています。
近松の浄瑠璃に顕著な義理人情の貫徹の生き方、
石門心学、
荻生徂徠的な古代中国崇拝思想、
本居宣長的な古代日本崇拝思想。
これらは、どれも、外的環境が変わる見込みがなく、変える気持ちがないので、内部的環境を変える工夫と言えます。
そして、本書の最後では、以下のように、禅の「悟り」による時空の超越について言及しているのです。
「 心の外の世界では、すべての出来事は時空間の中で起こる。しかし心の内側でおこる想念は時空間に束縛されずにおこり得るし、またおこり得たという報告は、古来無数にある。時空間を超越する条件は主として宗教的であり、その中でも人格的な絶対者・神を媒介する場合と、そうでない場合がある。
人格的神を媒介しないで、時空間のみならずすべての二律背反(自他・生死・有不有)を超える神秘的経験の代表的な例は、禅の「悟り」であろう。
「今=ここ」を強調する日本文化も、究極的には「今即永遠」、「ここ即世界」の普遍的な工夫を必要とした。その必要が日本文化における禅の役割の背景であるだろう。」
これを読むと、ある意味で、一種の空しさを感じてしまいます。
「日本文化」というものは、日本人にとっては、足枷に似た重荷の側面があるのかもしれません。
そして、現代の日本人が、いまだに「禅」に惹かれているということは、一面では、不幸なこととも言い得るのでしょう。
(6)予想問題/『日本文化における時間と空間』加藤周一/⑤「大勢順応主義」という「日本文化」の「負の側面の改革」
加藤氏の著作のメインテーマは、「現在主義」、「集団主義」、「大勢順応主義」という「日本文化」の「負の側面の改革」と言えます。
以下では、加藤氏のこれまでの著作における、「日本文化」の「負の側面の改革」というメインテーマについての主張を、概観してみます。
「大勢順応主義」については、加藤氏は、以下のように述べています。
「 戦前の経験を踏まえて、戦争の決定は権力だけではできないのであり、大衆操作と大衆の側の大勢順応主義があって初めて可能になる。」
「消費社会というのは、比較的豊かな大衆が、自由の幻想をもっているということですね。主観的には自由と感じている。そして客観的には、広告会社やマス・メディアが操作している。
孫悟空は、大変勇ましく戦います。さんざん戦うのだけれども、結局のところ、それはお釈迦様の掌の上で踊っているにすぎない。彼は自由に、それこそ縦横無尽に戦っているのだけれども、お釈迦様の掌の上のことにすぎない。消費社会のなかで、みんな自由だと思っているし、ふるまっている。
自由自在に活躍して、縦横無尽に外国を旅している。次から次へと、買い物をし、自動車を買い換えている。しかし、客観的に見ると、それは大広告会社などの宣伝の掌で踊っているにすぎない。いまの消費社会はそういうものでしょう。」
(「加藤周一 戦後を語る」『ある晴れた日の出来事』)
さらに、加藤氏は、『戦後世代の戦争責任』において、「大勢順応主義と少数意見の関係」について、次のような重要な見解を述べています。
「 少数意見が生きている社会では大勢順応主義が起こりにくい。少数意見がつぶされると、大勢順応主義が加速されていきます。その動く方向を最終的に決めてしまうのが、権力による操作ということになると思います。」
「ドイツのヒットラーがいい例です。ヒットラーは大衆操作をやるのに、独創的な工夫をしました。それはアメとムチの政策です。
いろんな福祉政策を実行し、失業問題を解決し、レクリエーションなんかも増進した。また、ニュールンベルグ大会のように花火を打ち上げたりする。みんなでたくさんの旗を振って、制服を着て行進する。一種の大衆ヒステリー状況をつくる操作をしてしまうわけです。それがアメの方です。
しかし、もし政府に反対すれば秘密警察を使って弾圧した。これがムチの方です。」
(『戦後世代の戦争責任』)
そして、「一億総懺悔」という、ごまかしの議論を糾弾しています。
さらに、権力の「操作」の嘘を見抜く力があり、見抜くために必要な知識を持っているインテリ層が、「操作」を世に知らしめるための努力を怠った責任について言及しているのです。
「大勢順応主義に陥らず、戦前の状況を招来しないためにどうするべきか」について、加藤氏は、『転換期 今と昔』の中で、参考になる幾つかの提言をしています。
第1は、「歴史を学ぶことの大切さ」です。
この点について、加藤氏は、以下のようにも述べています。
「 どういう価値を優先するか、その根拠はなぜかということを考えるために必要なのが教養です。それがないと、目的のない能率だけの社会になってしまうでしょう。」(『教養の再生のために』)
特に重要なのは、歴史的教養でしょう。
過去の成功例、失敗例が充満している歴史から学ぶことが何よりも必要なのです。
第2は、「自分の見解を持つことの重要性」です。
これは、独立心を持つことでもあります。
第3は、「立場を変えて見ることの必要性」です。
多角的視点を持つことこそが、偏狭なナショナリズム、大勢順応主義を回避するためには必要なのです。
しかし、日本では、「少数意見の価値」がそれほど認めらてはいません。
この点について、加藤氏は以下のように、「少数意見の尊重」を強調しています。
「 ほんとうに怖い問題が出てきたときこそ、全会一致ではないことが必要なのだ、と私は考えます。
それは人権を内面化することでもあるのです。個人の独立であり、個人の自由です。
日本社会は、ヨーロッパなどと比べると、こうした部分が弱いのだと思います。平等主義はある程度普及しましたが、これからは、個人の独立、少数意見の尊重という考え方を徹底する必要があります。
日本の民主主義は平等主義的民主主義だけれど、少数意見尊重の個人主義的な自由主義ではない。それがいま、いちばん大きな問題です。」
(加藤周一『学ぶこと・思うこと』加藤周一)
日本人が多角的視点を持っていないことによる問題を、加藤氏は、何度も論じています。
「なぜ、『日本文化における時間と空間』を書こうと思ったのか」(『語りおくこといくつか』)の中でも、加藤氏は、以下のように述べているのです。
「 意識的に先を見るように努力することが大切である。
日本人には、世界の中の日本という発想がない。
アメリカは自分に都合の良い世界秩序を作ろうとする。フランスも同じ。考えられる世界秩序は、いくつかあって、その中でアメリカに一番利益になりそうな秩序を提案主張する。
日本は「そういうことでは日本の企業が持たない」とか「それでは日本の農家が潰れる」とか直接的なことを訴える。
「ムラ」メンタリティは、外に向かって国際的な議論をしていない。
日本に対して損になりそうなことが通りそうになる場合、抵抗してそれで負けたら我慢する。
我慢に我慢を重ねて、これ以上我慢できなくなれば、「ここで一か八かやってみよう」となる。」
(「なぜ『日本文化における時間と空間』を書こうと思ったのか」 加藤周一 『語りおくこといくつか』)
この分析は、現在の日本にも、そのまま通用する感じです。
何かを幼児的に全面的に信用し、それに極度に依存しようとする姿勢は、日本の病的な伝統なのでしょうか。
いつから、このような愚かな民族になってしまったのでしょうか。
加藤氏は、この問題を徹底的に追及しています。
インタビュー集『世紀末ニッポンのゆくえ』の中でも、次のような鋭い指摘をしています。
「 明治以来の日本は集団主義で一億一心、団結して与えられた目的を達成することはできるが、方向転換能力がないために必然的に失敗します。この100年に成功も失敗もあって、戦後もその気質が続いていると思います。
しかし、今、それが隠されているように見えるのは、戦後がアメリカの占領下から始まったからでしょう。現在は法的に独立し、内政面では占領は終わりました。
しかし、外交政策と軍事面ではだいたいアメリカに従っていますから、アメリカの準保護国的状況、実質的には半独立国です。」
(『世紀末ニッポンのゆくえ』)
最近の日本における政治的な大勢順応主義の問題性は、加藤氏以外の、様々な学者も指摘しているのです。そ
例えば、白井聡氏は、最近の著書『永続敗戦論』の中で、現在の大勢順応主義に対して、以下のように論じています。
「「侮辱の中に生きる」ことに順応することは、「世界によって自分が変えられる」ことにほかならない。
私はそのような「変革」を断固として拒絶する。私が本書を読む人々になにかを求めることが許されるとすれば、それは、このような「拒絶」を共にすることへの誘いを投げ掛けることであるに違いない。」
(『永続敗戦論』白井聡)
現在の混沌とした世界情勢の中でこそ、大勢順応主義への警戒は、必要不可欠と言えるのです。
特に、大勢順応主義に流されやすい日本人は、このことを強く意識する必要があるのでしょう。
(7)当ブログにおける「日本人論」関連記事の紹介
「日本人論」、「日本文化論」、「日本社会論」は、最重要の入試頻出論点です。
積極的に様々な論考を読み、理解を深めるようにしてください。
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次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
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