現代文予想問題/「感性は感動しない」椹木野衣/早大教育過去問
(1)なぜ、この記事を書くのか?
今回は、入試頻出著者・椹木野衣(さわらぎのい)氏の入試頻出論考である「感性は感動しない」(2018年7月発行の、椹木氏の初のエッセー集『感性は感動しない』(世界思想社)に所収)について解説します。
この論考は、最近、早稲田大学(教育学部)、一橋大学、津田塾大学、日本女子大などで同年度に、約30大学に出題された入試頻出問題です。
この論考は、入試頻出論点である「芸術論」として、かなり秀逸です。
受験生としては、一度は読んでおくべきでしょう。
今回の記事の項目は、以下の通りです。記事は約1万5千字です。
(2)予想問題/「感性は感動しない」椹木野衣/早稲田大学教育学部過去問
(3)当ブログによる解説/「はじめに」(『感性は感動しない』所収)についての解説
(4)椹木野衣氏の紹介
(5)当ブログにおける「芸術論」関連記事の紹介
感性は感動しないー美術の見方、批評の作法 (教養みらい選書)
- 作者: 椹木野衣
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2018/07/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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(2)予想問題/「感性は感動しない」椹木野衣/早稲田大学教育学部過去問
(問題文本文は太字です)
(概要です)
(【1】・【2】・【3】・・・・は当ブログで付記した段落番号です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
(青字は当ブログによる「注」です)
【1】岡本太郎は感性について次のように言っている。
「感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ。
感性というのは、誰にでも、瞬間にわき起こるものだ。
感性だけ鋭くして、みがきたいと思ってもだめだね。
自分自身をいろいろな条件にぶっつけることによって、
はじめて自分全体のなかに燃え上がり、
広がるものが感性だよ」 (『強く生きる言葉』)
【2】至極まっとうな言葉だと思う。とくに哲学的な定義に頼らずとも、感性に実体などないの、感性に実体などないのだから、どんな堅い石でもみがけるはずがない。にもかわらず、しばしば僕らは「感性をみがく」などと口にしてきた。どうしてだろう。
【3】日本人は 修行が好きだ。歴史物語でも伝記物でも、努力した者が高く評価される。一種の一種の因果応報思想かもしれない。高じて敗者にさえ独得の美学を見ようとする。むろん、それはそれで独自のドラマツルギーを生み出した。梶原一騎の劇画的世界などが典型だろう。僕も決して嫌いではない。 が、野球や拳闘のみならず、この筋で行くと、芸術まで苦行をよしとするようになってしまう。が、それはちょっとまずいのではないか。
【4】スポーツや学問がある種の苦行を必要とするというのは真実だ。それは芸能でも同じだろう。 たしかに芸能で修行が絶対の条件であり、技は磨かれなければ到底見られたものではない。しかし芸術はどうだろうか。芸術に修行が必要だろうか。
【5】たぶん、こんな疑問が出ること自体、僕らが芸術と芸能の区別をあまりうまくできていないことを示しているのではないか。
【6】はっきり言うが、芸術に技は必ずしも必要ではない。芸術に必要なのは、圧倒的に感性である。
【7】こんなことを書くとすぐに、いや、そのような感性重視の発想が、芸術のみならず、社会から文化に至るまで、すべてをなし崩しにしてしまったのではないか、いまこそ知識や経験を地道に積み上げる教育に戻るべきだ、という声が聞こえて来そうだ。たしかに、戦後の日本、とりわけ近年のわが国の諸分野におよぶ退潮の根本的な原因に、基礎教育の欠落があるというのは、その通りだろう。
【8】けれども、ここで僕が言いたいのは、もっと根源的なことだ。それは「芸術は教育可能か」という問題である。
【9】美術大学で教えている手前、言いにくくはあるのだが、大学で美術を教えるのはひどくむずかしい。とにかく、他の学問分野のようにおよそ体系といったものがない。教えられるのは、せいぜい美術の歴史をめぐる基本的な知識や、美術という制度をめぐる様々な社会的背景くらいではないか。しかし美術史や美学を修めたからといって、画家がよい絵を描くわけではない。彫刻家が見事な造形をなせるわけではない。むしろ、それに絡めとられ、わけがわからなくなってしまうことも少なくない。
【10】そもそも、よい絵とはなんであろうか。すぐれた美術作品とはどんなものであろうか。
【11】答えは簡単で、観る人の心を動かすものにほかならない。ポジティブな感情でもネガティブなものでもかまわない。 観る人の気持ちがわけもわからずグラグラと揺り動かされる。いても立ってもいられなくなる。一枚の絵がなぜだか頭からずっと離れない。それが、芸術が作品として成り立つ根源的な条件である。
【12】芸術が生み出すこうした現象を、僕らはしばしば「感動」などとひとくくりにしてわかったつもりになってしまう。これがよくない。その意味では 1 芸術にとって「感動」は諸悪の根源だ。
【13】感動などと言って済ませようとした瞬間に、あの苦労物語がここぞとばかり首をもたげてくる。 この絵を描くのに、画家がどれだけ血のにじむ努力をしたことか。どれだけ多くの人が関わり、波瀾万丈の道程があったことか。などなど。
【14】こうなってくると、無理矢理にでも感動しなければいけない気持ちにもなってくる。感動しなければ、自分が罪深いようにさえ思えてくる。一致団結して感動を支えるべきだ。そのためには、もっともっと勉強しなければならない。努力して感性をみがかなければならない。
ーーーーーーーー
(設問)
問1 傍線部1 「芸術にとって「感動」は諸悪の根源だ」とあるが、それはなぜか。その理由として最適なものを、次の中から一つ選べ。
ア その絵を本当には理解していないのに、自分が感動したことで理解したように思ってしまうから。
イ 感動という言葉でその絵を語ることによって、本当は感動していない自分を偽ることができるから。
ウ 芸術家の苦労と自分の感性が一致しなければならないと思い込み、芸術家に関する情報を集めることに熱中してしまうから。
エ 感動する要因はいくらでもあるはずなのに、芸術そのものではなく、芸術に対する否定的な感情こそが大切だと思ってしまうから。
オ 実際には感動していないにもかかわらず、自分の心が動かされたことを、感動という人に分かりやすい言葉で語ってすませてしまうから。
……………………………
(解説・解答)
傍線部直前の「その意味では」に着目してください。
直前の
「芸術が生み出すこうした現象を、僕らはしばしば「感動」などとひとくくりにしてわかったつもりになってしまう。これがよくない 」
が、傍線部の理由になります。
また、傍線部1の理由は、傍線部1の直後の二つの段落にも述べられています。
【13】「感動などと言って済ませようとした瞬間に、あの苦労物語がここぞとばかり首をもたげてくる。 この絵を描くのに、画家がどれだけ血のにじむ努力をしたことか。どれだけ多くの人が関わり、波瀾万丈の道程があったことか。などなど。 」
【14】「 こうなってくると、無理矢理にでも感動しなければいけない気持ちにもなってくる。感動しなければ、自分が罪深いようにさえ思えてくる。一致団結して感動を支えるべきだ。そのためには、もっともっと勉強しなければならない。努力して感性をみがかなければならない。」
(解答) ウ
ーーーーーーーー
(『感性は感動しない』本文)
【15】正直言って、そういうのは疲れます。
【16】ここには、「芸術に感動できる者はすぐれた感性の持ち主であり、ゆえに作品に込められた高い技芸や複雑な歴史を読み解く優れた感性を持つ」という偏見が横たわっている。
【17】なぜ偏見かというと、先の美術をめぐる教育の話でも出たことだが、作る側だけでなく観る側にとっても、知識や技術は鑑賞の助けにはなっても、それがあるからといって本当に心が動かされるとはかぎらないからだ。むしろ、それが邪魔になって目の前の絵に感性が届かない、ということだって起きてくる。
【18】最近、やたらオーディオ・ガイドとやらが発達して、美術館に行くと、みなヘッドフォンを掛けて絵を観ている。あれはいったい、本当に絵を観ていることになるのか。肝心の絵のほうが、解説を聞くためのイラスト風情に成り下がっていはしないか。あんなものを付けて絵を観せられるなら、ひたすら何も考えずじっと絵を睨みつけたほうがずっといい。
【19】そうでなくても、2 芸術をめぐって感動の源泉を知識や技術にもとめようとすると、どうしてもわかりやすい基準に頼りがちだ。「うまい」「きれいだ」「ここちよい」などがそれである。うまい絵、きれいな絵、ここちよい絵ほど、パッと観に判断しやすく、みなで価値を共有できるものはない。
【20】実は、岡本太郎が真っ向から否定したものこそ、この三つの基準であった。「芸術は、うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」と岡本太郎は喝破した。
ーーーーーーーー
(設問)
問2 傍線部2 「芸術をめぐって感動の源泉を知識や技術にもとめようとすると、どうしてもわかりやすい基準に頼りがちだ。」とあるが、それはなぜか。その理由として最適なものを、次の中から一つ選べ。
ア 芸術に関する知識や技術ならば人に伝えられるものだから、それは容易にわかるものだと考えてしまうから。
イ 芸術に関する知識や技術にはある種の水準があるので、それを満たしていればわかりやすいことは事実だから。
ウ 芸術に関する知識や技術は特定の人にしか身につけられないので、わからないと自分の感性が鈍いと思ってしまうから。
エ 芸術に関する知識や技術は教えられればわかるので、実はわかっていなくてもわかった気になる言葉に結びつけやすいから。
オ 芸術に関する知識や技術を踏まえていればネガティヴな感情は起きないので、自分の中のネガティヴな感情を隠すためにわかりやすい言葉を選んでしまうから。
……………………………
(解説・解答)
傍線部の直前・直後の文脈に注意してください。
【18】段落「最近、やたらオーディオ・ガイドとやらが発達して、美術館に行くと、みなヘッドフォンを掛けて絵を観ている。あれはいったい、本当に絵を観ていることになるのか。肝心の絵のほうが、解説を聞くためのイラスト風情に成り下がっていはしないか。あんなものを付けて絵を観せられるなら、ひたすら何も考えずじっと絵を睨みつけたほうがずっといい。」
【19】段落「そうでなくても、2 芸術をめぐって感動の源泉を知識や技術にもとめようとすると、どうしてもわかりやすい基準に頼りがちだ。「うまい」「きれいだ」「ここちよい」などがそれである。うまい絵、きれいな絵、ここちよい絵ほど、パッと観に判断しやすく、みなで価値を共有できるものはない。」
【20】段落「実は、岡本太郎が真っ向から否定したものこそ、この三つの基準であった。「芸術は、うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」と岡本太郎は喝破した。」
が、エ(→「芸術に関する知識や技術は教えられればわかるので、実はわかっていなくてもわかった気になる言葉に結びつけやすいから。」)に関連しています。
(解答) エ
ーーーーーーーー
(『感性は感動しない』本文)
【21】要は、ある絵を観て、「うわ、なんてみにくい絵なんだろう」「こういう絵はもう二度と観たくない」「こんな絵を描いた人物は、きっとどこか変なのだ」といった反応をすることを、芸術は排除するべきではない。世間的にはネガティヴだとされるこうした感情も、もしかするとその人の心の奥底に眠り、ずっと押さえつけられていたなにかに気づき、それを解放するきっかけになるかもしれないからだ。
【22】そして、どんな絵に心が揺さぶられるかは、けっきょくのところ、その人にしかわからない。誰にもわかってもらえない。ましてや共有などできるはずがない。感性がみがけないというのは、煎じ詰めればそういうことだ。
【23】つまり、芸術における感性とは、あくまでも観る側の心の自由にある。決して、高められるような代物ではない。その代わり、貶(おとし)められることもない。そのひとがそのひとであるということ、それだけが感性の根拠だからだ。
【24】ひとたびこれをまちがえると、3 感性の根拠が自分のなかではなく、作られた作品や、それを作った作者の側にあるように思い込んでしまう。しかし、芸術体験にとってこれほど不幸なことはない。
【25】他人のことは決してわからない。ましてや他人の感性などわかるはずがない。けっきょく芸術作品は自分で観るしかない。それは誰にも肩代わりができない、あなただけの体験だ。言い換えれば、個が全責任を負って観ることができるのが芸術だ。そして、これがすべてなのである。
【26】ところが安易にこの権利を作り手の側に渡してしまう。渡した途端、他人のことはわからないものだから、すぐにわかりやすい理由に頼ろうとしてしまう。この絵の描き手はどのくらい描写の技を持っているか、過去にどんな履歴を積んでいるか、どんな有力な流派に属しているか。これでは心は動かされない。反対に心を支配されてしまう。では、そうならぬためにはどうしたらよいか。
ーーーーーーーー
(設問)
問3 傍線部3 「感性の根拠が自分のなかではなく、作られた作品や、それを作った作者の側にあるように思い込んでしまう。しかし、芸術体験にとってこれほど不幸なことはない」とあるが、それはなぜか。その理由を述べた部分を35字以上40字以内で本文から一つ抜き出し、最初と最後の3字を、それぞれ記せ。
……………………………
(解説・解答)
「芸術体験にとってこれほど不幸はことはない」ということの「理由」を問われていることに、注意してください。
傍線部の「感性の根拠」は、直後の「自分のなか」です。
さらに言うと、文脈から見て、直前の
【23】段落「つまり、芸術における感性とは、あくまでも観る側の心の自由にある。決して、高められるような代物ではない。その代わり、貶(おとし)められることもない。そのひとがそのひとであるということ、それだけが感性の根拠だからだ。」
における、「そのひとがそのひとであるということ」です。
傍線部3は、「感性の根拠」を「作り手の側」に渡すことについて述べています。
傍線部3は、「感性の根拠」を「作り手の側」に渡すことは、「芸術体験にとって不幸なこと」である、と主張しているのです。
「芸術体験にとってこれほど不幸はことはない」ということの「理由」については、傍線部3より二つ後ろの、
【26】段落「ところが安易にこの権利を作り手の側に渡してしまう。渡した途端、他人のことはわからないものだから、すぐにわかりやすい理由に頼ろうとしてしまう。この絵の描き手はどのくらい描写の技を持っているか、過去にどんな履歴を積んでいるか、どんな有力な流派に属しているか。これでは心は動かされない。反対に心を支配されてしまう。」
に着目してください。
(解答) 他人の・・・・しまう
ーーーーーーーー
(『感性は感動しない』本文)
【27】感性などみがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とは「あなたがあなたであること」以外に根拠をおきようのないなにものかだ。一枚の絵の前に立って、いったいあなたがなにを感じるのか。たしかに、その感じ方には、当人が受けて来た教育や慣習といった様々な背景によって、色が付いているだろう。しかし、それはそれでよいのである。芸術にはまっさらな気持ちで接するべきだとする、別のかたちの潔癖主義の誘いに乗ることはない。4 芸術作品とは自分がなにものであるかを映し出す鏡なのであるから、汚れた自分のままがよいのだ。むしろ自分の汚れを絵に映してしっかりと見届け、そこから先へ進んでゆく糧にすればよい。
ーーーーーーーー
(設問)
問4 傍線部 4 「芸術作品とは自分がなにものであるかを映し出す鏡なのであるから、汚れた自分のままがよいのだ」とあるが、それはなぜか。その理由として最適なものを、次の中から一つ選べ。
ア 自分はどういう人間かを知るのが芸術を鑑賞する目的なので、何も知らない状態のままの自分で臨めばいいから。
イ 芸術作品は自分の中の醜い部分をも映し出す効果があるので、無理に純白の状態を装ってみてもしかたがないから。
ウ 絵画の鑑賞には知識や技術への理解は必要ないので、それまでに教わったことに新たにつけ加えなくてもよいから。
エ 芸術作品にはまっさらな自分が映し出されるわけではないので、それまで受けた教育を見つめ直す必要はないから。
オ ありのままの自分の感性によって芸術を鑑賞することで、はじめて芸術家の経歴をも含めた芸術家自身と向きあえるから。
……………………………
(解説・解答)
傍線部4の「汚れた自分」に言及しているのは、【21】段落です。
【21】段落「要は、ある絵を観て、「うわ、なんてみにくい絵なんだろう」「こういう絵はもう二度と観たくない」「こんな絵を描いた人物は、きっとどこか変なのだ」といった反応をすることを、芸術は排除するべきではない。世間的にはネガティヴだとされるこうした感情も、もしかするとその人の心の奥底に眠り、ずっと押さえつけられていたなにかに気づき、それを解放するきっかけになるかもしれないからだ。」
上記の、
「世間的にはネガティヴだとされるこうした感情」、
「その人の心の奥底に眠り、ずっと押さえつけられていたなにか」
が、「汚れた自分」に関連しています。
また、傍線部直後の「むしろ自分の汚れを絵に映してしっかりと見届け、そこから先へ進んでゆく糧にすればよい。」の部分もポイントになります。
(解答) イ
ーーーーーーーー
(『感性は感動しない』本文)
【28】芸術作品には芸術作品の「分際」というものがある。最終的には、あなたの生き様に何も及ぼさないのであれば、どんなに価値が高いとされている芸術でも、本当のところは粗大ゴミも同然なのである。
【29】別の言い方をすると、芸術家にとって、観る者の感性の優位には残酷なところがある。作り手が、自作の価値の源泉をできあいの知識や履歴に頼れなくなったとき、作家は丸裸にされてしまうからだ。
【30】職業柄、よく美術館やギャラリーを訪れるのだが、見事な技を持ち、様々な歴史的な文脈を踏まえ、まるで一個の構造物のようによく練られた作品に出会うことは 少なくない。しかし、それでいてまったく心を動かされないのだ。
【31】5 こういう作品には、なにか無惨なものがある。よくできていて、しかも同時に無惨なのだ。いや、よくできているということ自体が、無惨なのかもしれない。つまり、知識や技の痕跡は垣間見えても、直接、感性を呼び覚ます力がない。学習の対象にはなっても、絵を観ることの喜びや哀しみがない。怒りや晴れやかさがない。
ーーーーーーーー
(設問)
問5 傍線部 5「こういう作品には、なにか無惨なものがある」とあるが、何を「無惨」と述べているのか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。
ア 世間では価値が高くても、自分には粗大ゴミ同然であること。
イ すぐれた鑑賞者によって、芸術家の人間性が暴かれてしまうこと。
ウ「うまい」「きれいだ」「ここちよい」といった言葉で語れてしまうこと。
エ 芸術家が勉強して身につけた以上のことが表現されてしまっていること。
オ 鑑賞者が 汚れた自分の眼で観ることによって、芸術家の技術が無視されること。
……………………………
(解説・解答)
傍線部の「こういう作品」とは、直前の【30】段落の、「美術館やギャラリー」で出会う「見事な技を持ち、様々な歴史的な文脈を踏まえ、まるで一個の構造物のようによく練られた作品」です。
「無惨」の内容については、傍線部直後に、「よくできていて、しかも同時に無惨なのだ。いや、よくできているということ自体が、無惨なのかもしれない。つまり、知識や技の痕跡は垣間見えても、直接、感性を呼び覚ます力がない。学習の対象にはなっても、絵を観ることの喜びや哀しみがない。怒りや晴れやかさがない」と述べられています。
なお、【19】段落の
「そうでなくても、2 芸術をめぐって感動の源泉を知識や技術にもとめようとすると、どうしてもわかりやすい基準に頼りがちだ。「うまい」「きれいだ」「ここちよい」などがそれである。うまい絵、きれいな絵、ここちよい絵ほど、パッと観に判断しやすく、みなで価値を共有できるものはない。」
という記述も、ヒントになります。
(解答) ウ
ーーーーーーーー
(『感性は感動しない』本文)
【32】反対に、そうした知識や技に裏付けられることがなく、まったく教育を受けたことかない者が引いた素描の線に猛烈に心を動かされることがある。けれども、そこで描かれた線が、特になにか優れているわけではない。
【33】ここで勘違いしてしまうと、線を引いた者の無垢や天才を賞讃するという別の悪弊に陥ってしまう。安易に子供の描く絵はみなすばらしいと言ってみたり、障害をおった者の絵を格別に賛美したりしてしまう。6 本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかないづかない。気づこうとしない。結局、怖いからだろう。
【34】誰でも、自分の心の中身を知るのは怖い。だからふだんはそっと仕舞っておく。けれども、ときに芸術作品はこの蓋を容赦なく開けてしまう。冒頭に掲げた岡本太郎の言葉にある「いろいろな条件にぶっつける」というのは、まさにそのことだ。ゴツゴツとした感触がある。なにか軋轢(あつれき)が生じる。自分が壊れそうになる。こうした生の手触りを感じるとき、僕らは、自分のなかで感性が音を立てて蠢いているのを初めて知る。
【35】感性とは、どこまでも事後的にしか知れないものだからだ。
(椹木野衣「感性は感動しない」)
ーーーーーーーー
(設問)
問6 傍線部 6「本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、 そのことに気づかないづかない」とあるが、どういうことか。その説明として最適なものを次の中から一つ選べ。
ア 芸術作品は知識や技術ではどうにもならないものなのに、自分の未熟さを直視できないこと。
イ 芸術によって自分を見ているはずなのに、弱い者への同情によって、それが覆い隠されてしまうこと。
ウ 「かわいい」とか「かわいそう」といった通俗的な観念が自分の中にあることが怖くて、それに向き合わないこと。
エ 芸術の教育を受けていない人の絵に感動する自分が、そのような人たちと同等のレベルであることを知るのが怖いこと。
オ 感性は正しい自分の姿を見せているのに、 芸術の教育を受けていない人の作品が自分の感性よりもすぐれていると思いこんでしまうこと。
……………………………
(解説・解答)
直前の文脈に注目してください。
傍線部の「自分の心のなか」と、傍線部直前の
「 ここで勘違いしてしまうと、線を引いた者の無垢や天才を賞讃するという別の悪弊に陥ってしまう。安易に子供の描く絵はみなすばらしいと言ってみたり、障害をおった者の絵を格別に賛美したりしてしまう」
を対比することが、スタートになります。
傍線部の「自分の心のなか」を説明しているのは、以下の二つです。
【21】段落「要は、ある絵を観て、「うわ、なんてみにくい絵なんだろう」「こういう絵はもう二度と観たくない」「こんな絵を描いた人物は、きっとどこか変なのだ」といった反応をすることを、芸術は排除するべきではない。世間的にはネガティヴだとされるこうした感情も、もしかするとその人の心の奥底に眠り、ずっと押さえつけられていたなにかに気づき、それを解放するきっかけになるかもしれないからだ。」
【27】段落「感性などみがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とはあなたがあなたであること以外に根拠をおきようのないなにものかだ 。一枚の絵の前に立って、いったいあなたがなにを感じるのか。たしかに、その感じ方には、当人が受けて来た教育や慣習といった様々な背景によって、色が付いているだろう。しかし、それはそれでよいのである。芸術にはまっさらな気持ちで接するべきだとする、別のかたちの潔癖主義の誘いに乗ることはない。4 芸術作品とは自分がなにものであるかを映し出す鏡なのであるから、汚れた自分のままがよいのだ。むしろ自分の汚れを絵に映してしっかりと見届け、そこから先へ進んでゆく糧にすればよい。」
この二つの段落と、傍線部直前の「勘違い」に関連する、以下の記述を対比するとよいでしょう。
【32】段落「反対に、そうした知識や技に裏付けられることがなく、まったく教育を受けたことかない者が引いた素描の線に猛烈に心を動かされることがある。けれども、そこで描かれた線が、特になにか優れているわけではない。 」
【33】段落「ここで勘違いしてしまうと、線を引いた者の無垢や天才を賞讃するという別の悪弊に陥ってしまう。安易に子供の描く絵はみなすばらしいと言ってみたり、障害をおった者の絵を格別に賛美したりしてしまう。」
(解答) イ
ーーーーーーーー
(設問)
問7 本文では「感性」が キーワードとなっているが、筆者は要するに「感性」とは何を根拠としていると言いたいのか。
……………………………
(解説・解答)
「感性」について述べられている以下の箇所に注目してください。
【23】段落「つまり、芸術における感性とは、あくまでも観る側の心の自由にある。決して、高められるような代物ではない。その代わり、貶(おとし)められることもない。そのひとがそのひとであるということ、それだけが感性の根拠だからだ。」
【27】段落「感性などみがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とはあなたがあなたであること以外に根拠をおきようのないなにものかだ。一枚の絵の前に立って、いったいあなたがなにを感じるのか。たしかに、その感じ方には、当人が受けて来た教育や慣習といった様々な背景によって、色が付いているだろう。しかし、それはそれでよいのである。芸術にはまっさらな気持ちで接するべきだとする、別のかたちの潔癖主義の誘いに乗ることはない。4 芸術作品とは自分がなにものであるかを映し出す鏡なのであるから、汚れた自分のままがよいのだ。むしろ自分の汚れを絵に映してしっかりと見届け、そこから先へ進んでゆく糧にすればよい。」
上記の「あなたがあなたであること」とは「アイデンティティ」を指します。
(解答) アイデンティティ(8字)
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(3)当ブログによる解説/「はじめに」(『感性は感動しない』所収)についての解説
今回解説した「感性は感動しない」は、最近出版された『感性は感動しない』に収録されています。
『感性は感動しない』のテーマについては、「はじめに」に述べられているので、以下に引用します。
「私がこの本を通じて伝えたいことは、煎じつめて言えば、あなたにとっての世界が、まだ手つかずの未知の可能性の状態としてここにある、ということの神秘なのです。それを発見することができるのはあなただけだ、ということでもあります。絵を見たり文を書いたりすることは、ものを食べたり空気を吸ったりするのと違って、しなければそれで済んでしまうことです。しかし同時に、人生にとって無駄とも思えるそういう領域のなかに、私の言う神秘はひっそりと隠れていて、いつかしっかりと見つけられるのを待っているのです。/さあ、これからこの本を通じて、世界への新しい扉を開いてみて下さい。世界の入り口へと通じる扉は、実は一枚ではありません。その先にある隠し扉こそが、本当の扉なのです」(「はじめに」『感性は感動しない』)
上記の「はじめに」は、「絵画の鑑賞」が、「未知の自分の発見・確認」、「未知のアイデンティティの発見・確認」のために有用であることを示唆しています。
このことは、問3・4・6・7に関連しています。
「絵画の鑑賞」は、まさに「絵画の観照(→当ブログによる「注」→「観照」とは、主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知ること)」です。
言い換えれば、「自分の観照」、「アイデンティティの観照」、つまり、「人生の観照」なのです。
椹木野衣氏は、『感性は感動しない』に関する2018年9月5日の『朝日新聞(夕刊)』のインタビュー記事の中で、以下のように述べています。
「 芸術とは、自分の中にいる子ども、すなわち、かけがえのない、自分が自分であることの芯になるものと出会い直すためにあるのではないでしょうか」
このことを実感するためには、「芸術の鑑賞」・「感性」・「自分」・「アイデンティティ」について述べられている以下の箇所に注目してください。
【1】段落「岡本太郎は感性について次のように言っている。
「感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ。
感性というのは、誰にでも、瞬間にわき起こるものだ
感性だけ鋭くして、みがきたいと思ってもだめだね。
自分自身をいろいろな条件にぶっつけることによって、
はじめて自分全体のなかに燃え上がり、
広がるものが感性だよ」 (『強く生きる言葉』)」
【10】段落「そもそも、よい絵とはなんであろうか。すぐれた美術作品とはどんなものであろうか。」
【11】段落「答えは簡単で、観る人の心を動かすものにほかならない。ポジティブな感情でもネガティブなものでもかまわない。 観る人の気持ちがわけもわからずグラグラと揺り動かされる。いても立ってもいられなくなる。一枚の絵がなぜだか頭からずっと離れない。それが、芸術が作品として成り立つ根源的な条件である。」
【21】段落「 要は、ある絵を観て、「うわ、なんてみにくい絵なんだろう」「こういう絵はもう二度と観たくない」「こんな絵を描いた人物は、きっとどこか変なのだ」といった反応をすることを、芸術は排除するべきではない。世間的にはネガティヴだとされるこうした感情も、もしかするとその人の心の奥底に眠り、ずっと押さえつけられていたなにかに気づき、それを解放するきっかけになるかもしれないからだ。」
【22】段落「そして、どんな絵に心が揺さぶられるかは、けっきょくのところ、その人にしかわからない。誰にもわかってもらえない。ましてや共有などできるはずがない。感性がみがけないというのは、煎じ詰めればそういうことだ。」
【23】段落「つまり、芸術における感性とは、あくまでも観る側の心の自由にある。決して、高められるような代物ではない。その代わり、貶(おとし)められることもない。そのひとがそのひとであるということ、それだけが感性の根拠だからだ。」
【25】「他人のことは決してわからない。ましてや他人の感性などわかるはずがない。けっきょく芸術作品は自分で観るしかない。それは誰にも肩代わりができない、あなただけの体験だ。言い換えれば、個が全責任を負って観ることができるのが芸術だ。そして、これがすべてなのである。」
【27】段落「感性などみがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とはあなたがあなたであること以外に根拠をおきようのないなにものかだ。一枚の絵の前に立って、いったいあなたがなにを感じるのか。たしかに、その感じ方には、当人が受けて来た教育や慣習といった様々な背景によって、色が付いているだろう。しかし、それはそれでよいのである。芸術にはまっさらな気持ちで接するべきだとする、別のかたちの潔癖主義の誘いに乗ることはない。4 芸術作品とは自分がなにものであるかを映し出す鏡なのであるから、汚れた自分のままがよいのだ。むしろ自分の汚れを絵に映してしっかりと見届け、そこから先へ進んでゆく糧にすればよい。」
【33】段落「ここで勘違いしてしまうと、線を引いた者の無垢や天才を賞讃するという別の悪弊に陥ってしまう。安易に子供の描く絵はみなすばらしいと言ってみたり、障害をおった者の絵を格別に賛美したりしてしまう。6 本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかないづかない。気づこうとしない。結局、怖いからだろう。」
【34】段落「 誰でも、自分の心の中身を知るのは怖い。だからふだんはそっと仕舞っておく。けれども、ときに芸術作品はこの蓋を容赦なく開けてしまう。冒頭に掲げた岡本太郎の言葉にある「いろいろな条件にぶっつける」というのは、まさにそのことだ。ゴツゴツとした感触がある。なにか軋轢(あつれき)が生じる。自分が壊れそうになる。こうした生の手触りを感じるとき、僕らは、自分のなかで感性が音を立てて蠢いているのを初めて知る。」
(4)椹木野衣氏の紹介
椹木野衣(さわらぎ のい)
1962年埼玉県生まれ。
故郷の秩父で音楽と出会い、京都の同志社で哲学を学んだ盆地主義者。
美術批評家として会田誠、村上隆、ヤノベケンジら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた。
既存のジャンルを破壊する批評スタイルで知られ、蓄積なしに悪しき反復を繰り返す戦後日本を評した「悪い場所」(『日本・現代・美術』新潮社)という概念は、日本の批評界に大きな波紋を投げかけた。
ほかにも読売新聞(2010-2011)、朝日新聞(2017-)の書評委員としてあらゆる分野にわたる書評多数。
多摩美術大学教授にして岡本太郎「芸術は爆発だ!」の精神的継承者。
芸術人類学研究所所員も務める。
1児の父。
【おもな著書】
『シミュレーショニズム』(増補版はちくま学芸文庫)、
『反アート入門』『アウトサイダー・アート入門』(ともに幻冬舎)、
『太郎と爆発』(書房新社)、
『後美術論』(美術出版社、第25回吉田秀和賞)、
『震美術論』(美術出版社、平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞)
(5)当ブログにおける「芸術論」関連記事の紹介
「芸術論」は、入試頻出論点です。慣れるようにしてください。
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今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は、約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
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