擬古文・文語文・青学大現代文解説『濹東綺譚』永井荷風・近代批判
(1)なぜ、この記事を書くのか?→擬古文・文語文を得意分野にしよう。
大学入試現代文(国語)・小論文における、擬古文(および、擬古文的な、一時代前の読みにくい文章、文語文)の出題率は、決して低下していません。
むしろ、最近では、じわじわ増加しています。
最近では、2013年のセンター試験で、小林秀雄氏の「鐔」が出題され、この問題に対して、「一時代前の文章で読みにくく、問題として不適切ではないか」という批判がありました。
この種の意見は、難関国公立・私立大の入試の実態を知らない人々から出された、ある意味で無責任なものです。
受験生としては、冷静に入試の情報を入手して、合理的で、賢明な対応をとるべきです。
以下に、擬古文・文語文の出題状況について、センター試験、主な難関大学の出題を列挙します。
《1》最近の擬古文(および、擬古文的な文章、文語文)の出題状況
① センター試験
1991ー夏目漱石「道草」
1997ー島崎藤村「夜明け前」
2004ー森鴎外「護持院原の敵討」
2008ー夏目漱石「彼岸過迄」
2013ー小林秀雄「鐔」
② 難関国公立・私立大(一部です)
東北大ー岡本かの子、横光利一、
一橋大ー中江兆民、福沢諭吉、津田左右吉、
京都大ー岡倉天心、福地桜痴、西田幾多郎、福沢諭吉、永井荷風、
大阪大ー柳田国雄、永井荷風、岡本かの子、中島敦、
広島大ー久米正雄、
早稲田大(政経)ー高村光太郎、夏目漱石、木下杢太郎、岡本綺堂、正岡子規、
早稲田大(文化構想)ー北村透谷、南方熊楠、
早稲田大(国際)ー夏目漱石、森鴎外、二葉亭四迷、
上智大(法)ー津田左右吉、夏目漱石、
上智大(経済)ー坪内逍遙、福沢諭吉、夏目漱石、徳富蘆花、中江兆民、
上智大(文)ー幸田露伴、
中央大(法)ー穂積陳重、夏目漱石、吉野作造、
明治大(法)ー安部磯雄、幸田露伴、穂積陳重、
立教大(文)ー安部次郎、葉山嘉樹、
法政大ー梶井基次郎、柳宗悦、
立命館大ー長谷川如是閑、
以上は、最近、出題された例の、ほんの一部です。
上記の、東北大、一橋大、京都大、大阪大、広島大、早稲田大(政経)(文化構想)(国際)、上智大(法)(経済)(文)、中央大(法)、明治大(法)、立教大(文)、法政大、立命館大などを目指す受験生が、擬古文対策をするべきなのは当然です。
が、それまで擬古文を出題しなかった大学・学部が、突然、擬古文を出題することも、よくあります。
従って、油断は禁物です。
いかにも読みにくい擬古文は、頻繁に出題されているのです。
現代文の引用文が擬古文という問題も、頻出です。
従って、なるべく早く、擬古文対策をとることが大切だと思います。
(なお、擬古文・文語文対策をやっておくと、漢文・古文(特に、江戸時代)の文章読解、古文・漢文の漢字・単語問題(読み・意味)にも、かなり、役に立ちます。)
《2》擬古文・文語文対策ー擬古文・文語文解法のポイント・注意点
以下に、擬古文・文語文対策として、すぐに役立つ、擬古文・文語文解法のポイント・コツ・注意点を、簡潔に述べます。
① 古文・漢文の基礎を固める
→擬古文は、古文と現代文の過渡期(明治時代・大正時代)の文章であることを、意識してください。
② 慣れる
→過去問(他大学、他学部の過去問も含む)を多くやることにより、擬古文・文語文に慣れるようにしてください。
模擬問題(模擬試験・問題集など)は、作成者のレベルに問題があることが多いので、つまり、入試問題のように洗練されていないので、おすすめできません。
③ 粘る。諦めない
→最初(通読の第一回目)は飛ばし読みも可(早く全体像を把握する)→過去問を演習することにより、「粘ること」や「諦めないこと」、「早く全体像を把握すること」の有用性・重要性を実感してください。
④ 早く問題文本文に付加されている「注」に着目する
→「注」には、難読語の読み・意味や、難解部分の現代語訳が、記述されていることが多いのです。従って、早く着目すること、つまり、本文を精読・熟読する前に着目することが、必要です。
→入試問題は、案外、受験生に親切です。得点分布曲線を理想型にするためです。
⑤ 設問をヒントにする
→本番の問題では、本文が難解な時には、設問に様々なヒントがあることが多いのです。設問を精密にチェックして、ヒントを発見することを、心掛けてください。予想以上に、ヒントがあることに驚くと思います。従って、「注」と同じように、早く注目すること、つまり、本文を精読・熟読する前に注目することが、必要です。
以上に気をつけて、以下の予想問題(頻出問題です)に、チャレンジしてください。入試直前期以外では、時間制限を設定しないで、じっくり考えてください。
なお、下の『濹東綺譚』(永井荷風)は、頻出出典です。
来年度も出題の可能性が高いので、気をつけてください。
(2) 『墨東綺譚』永井荷風(2010青山学院大学過去問・解説)ー擬古文・文語文対策
(青字は問題文本文の「注」、当ブログによる「注」です)
(赤字は当ブログによる「強調」です)
【1】わたくしは帚葉(そうよう)翁(→「本文の注」(以下は「注」と表記)→筆者永井荷風の友人)と共に万茶亭(ばんさてい)(→「注」→荷風の行きつけの喫茶店)に往(い)く時は、狭い店の中の暑さと蠅(はえ)の多いのとを恐れて、店先の並木の下に出してある椅子(いす)に腰をかけ、夜も十二時になって店の灯の消える時までじっとしている。家へ帰って枕についても眠られない事を知っているので十二時を過ぎてもなお行くべきところがあれば誘われるままに行くことを 1 辞さなかった。翁はわたくしと相対して並木の下に腰をかけている間に、万茶亭と隣接した酒場に出入する客の人数を数えて手帳に書きとめる。円タク(→「注」→市内料金が一円均一の流しのタクシー)の運転手や門附(かどづけ)(→「注」→人家の門口で芸を見せ報酬をもらう人)と近づきになって話をする。それにも飽きると、表通りへ物を買いに行ったり路地を歩いたりして、戻って来るとその見て来た事をわたくしに報告する。今、どこの路地で無頼漢が仁義の礼を交していたとか、あるいは向こうの川岸で怪しげな女に袖を引かれたとか、かつてどこそこの店にいた女給が今はどこそこの女主人になっているとかいう類の話である。
【2】わたくしは翁の談話によって、銀座の町がわずか三四年見ない間にすっかり変った、その景況の大略を知ることができた。震災前表通りに在った商店で、もとの処(ところ)に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今はことごとく関西もしくは九州から来た人の経営に任(ゆだ)ねられた。裏通の到(いた)る処に海豚汁(ふぐじる)や関西料理の看板がかけられ、横町の角々に屋台店の多くなったのも 2 怪しむには当らない。地方の人が多くなって、外で物を食う人が増加したことは、いずこの飲食店も皆繁昌している事がこれを明らかにしている。地方の人は東京の習慣を知らない。最初、停車場構内の飲食店、また百貨店の食堂で見覚えた事はことごとく東京の習慣だと思込んでいるので、汁粉(しるこ)屋の看板を掛けた店へ来て中華蕎麦(そば)があるかときき、蕎麦屋に入って天麩羅(てんぷら)を 3 あつらえ断られていぶかし気な顔をするものも少なくない。飲食店の硝子(がらす)窓に飲食物の模型を並べ、これに価格をつけて置くようになったのも、蓋(けだ)し止むことを得ざる結果で、これまたその範を大阪に則ったものだということである。
【3】街に灯がつき蓄音機の響きが聞こえ始めると、酒気を帯びた男が四五人ずつ一組になり、互にその腕を肩にかけ合い、腰を抱き合いして、表通りといわず裏通りといわず銀座中をひょろひょろさまよい歩く。これも昭和になってから新たに見る所の景況で、震災後しきりにカフェーの出来はじめた頃にはまだ見られぬものであった。わたくしはこの不体裁にしてはなはだ無遠慮な行動の原因するところを 4 つまびらかにしないのであるが、その実例によって考察すれば、昭和二年初めて三田の書生(→「注」→慶応大学の学生)及び三田出身の紳士が野球見物の帰り群をなし隊を作って銀座通を襲った事を看過するわけには行かない。彼等は酔いに乗じて夜店の商品を踏みこわし、カフェーに乱入して店内の器具のみならず家屋にも多大の損害を与え、制御の任に当る警吏と相争うに至った。そして毎年二度ずつ、この暴行は繰返されて今日に及んでいる。わたくしは世の父兄にして未だ一人の深くこれを憤り、その子弟をして退学せしめたもののある事を聞かない。世はこぞって書生の暴行を以て〔 A 〕となすものらしい。かつてわたくしも明治大正の交わり、乏(ぼう)を承(う)けて(→「注」→ここでは「就任の依頼を受けて」の意)三田に教鞭(きょうべん)を把(と)った事もあったが、早く辞して去ったのは幸いであった。そのころ、わたくしは経営者中の一人から、三田の文学も稲門(→「注」→早稲田大学のこと)に負けないように尽力していただきたいと言われて、 5 その愚劣なるに眉をひそめたこともあった。彼等は文学芸術を以て野球と同一に視(み)ていたのであった。
【4】わたくしは元来その習癖よりして党を結び群をなし、その威を借りて事をなすことを欲しない。むしろ、これを怯(きょう)となして(→「注」→卑怯なことと考えて)排(しりぞ)けている。治国の事はこれを避けて論外に措(お)く。わたくしは芸林に遊ぶものの往々社を結び党を立てて、己に与するを揚げ与せざるを抑えようとするものを見て、之を怯となし、陋(ろう)となす(→「注」→心根が卑しいと考えること)である。
【5】鴻雁(こうがん)(→「注」→雁)は空を行く時列をつくって己を護(まも)ることに努めているが、鶯は幽谷を出でて喬木(きょうぼく)に遷(うつ)らんとする時、群をもなさず列をもつくらない。しかもなお鴻雁は猟者の砲火を逃るることができないではないか。〔 B 〕(永井荷風『濹東綺譚』「作後贅言」による)
ーーーーーーーー
(設問)
問1 傍線部1「辞さなかった」の意味として最適なものを次の中から一つ選べ。
① 決めなかった
② 断らなかった
③ 信じなかった
④ 話さなかった
⑤ 欲しなかった
問2 傍線部2「怪しむには当らない」の意味として最適なものを次の中から一つ選べ。
① 深い意味があるわけではない
② 不思議がるほどのことはない
③ 不調和だということはできない
④ 理由を詮索(せんさく)しても仕方がない
⑤ 悪く言うほどのことではない
問3 傍線部3「あつらえ」の意味として最適なものを次の中から一つ選べ。
① 想像し ② 食べ ③ 注目し
④ 残し ⑤ 料理し
問4 傍線部4「つまびらかにしない」の意味として最適なものを次の中から一つ選べ。
① くわしく知らない
② 研究していない
③ 肯定しない
④ 報告していない
⑤ 理解できない
問5 空欄Aに入る文字として最適なものを次の中から一つ選べ。
① 奇 ② 愚 ③ 是 ④ 否 ⑤ 無
問6 傍線部5「その愚劣なるに眉をひそめたこともあった」とあるが、筆者はなぜそのように感じたのか。その理由として最適なものを次の中から一つ選べ。
① 文学芸術は、野球のように、大学間の伝統の差によって勝敗が決まるものではないから。
② 文学芸術は、野球のように、夢中になるだけの価値があるものではないから。
③ 文学芸術は、野球のように、勝ち負けを競うような単純なものではないから。
④ 文学芸術は、野球のように、努力次第で結果が出せるようなものではないから。
⑤ 文学芸術は、野球のように、大学をあげて応援しなければならないようなものではないから。
問7 傍線部6「与する」の「与」の読みとして最適なものを次の中から選べ。
① き ② よ ③ そん ④ くみ ⑤ あたい
問8 空欄Bに入る文として最適なものを次の中から一つ選べ。
① 結社は必ずしも身を守る道とは言えない。
② 人間は必ずしも鳥と同じではない
③ 飛行は必ずしも万全の防御ではない
④ 無秩序は秩序あるに勝るのである
⑤ 災いの来たれるは時の運である
ーーーーーーーー
(解説・解答)
本文は読みにくいですが、ほとんどの設問が語彙力を問う問題)単語力を問う問題です。難解な本文を見ただけで簡単に諦めないことが大切です。入試合格・勝負のポイントは「粘り」です。擬古文、文語文問題は、このような知識重視型の問題が多いのです。単語力・語彙力をアップするようにしてください。
問1(意味選択問題・語彙力を問う問題)
基礎的な問題です。
(解答) ②
問2(意味選択問題・語彙力を問う問題)
「怪しむ」は「不思議だと思う」、「変だと思う」という意味です。
(解答) ②
問3(意味選択問題・語彙力を問う問題)
「あつらえる」(誂える)は「注文する」という意味。昔は「飲食店における注文」の意味でも使いました。
(解答) ③
問4(意味選択問題・語彙力を問う問題)
→頻出問題です。
「つまびらか」(詳らか)は「詳しい様子」という意味。
(解答) ①
問5(空欄補充問題・語彙力を問う問題)
空欄を含む文の二つ前の文「毎年二度ずつ、この暴行は繰返されて今日に及んでいる」、
直前の文「わたくしは世の父兄にして未いまだ一人いちにんの深く之を憤り其子弟をして退学せしめたもののある事を聞かない」より、
「この不体裁にしてはなはだ無遠慮な」(【3】段落第3文)「書生の暴行」(【3】段落第7文、空欄Aを含む一文)を肯定的に評価していることを読み取ってください。
(解答) ③
問6(傍線部説明問題・理由説明問題)
まず、傍線部の「その」に注目してください。
「眉をひそめる」は「嫌な時、心配な時に眉にしわを寄せる」という意味です。
「眉をひそめた」理由は、直前の「経営者中の一人から、三田の文学も稲門に負けないように尽力していただきたいと言われ」たことと、直後の「彼等は文学芸術を以て野球と同一に視(み)ていた」ことです。つまり、「文学芸術」を「野球と同一に視て」いて、「負けないように」と言ってしまうことを「愚劣」と表現したのです。
(解答) ③
問7(漢字の読み問題)
→頻出問題です。
「与(くみ)する」の意味は「味方する。助力する」です。「読み」も「意味」も最頻出です。
(解答) ④
問8(空欄補充問題)
直前の「鴻雁(こうがん)(→「注」→雁)は空を行く時列をつくっておのれを護(まも)ることに努めているが、鶯は幽谷を出でて喬木(きょうぼく)に遷(うつ)らんとする時、群をもなさず列もつくらない。しかもなお鴻雁は猟者の砲火を逃るることができないではないか。」、
直前の段落の「わたくしは元来その習癖よりして党を結び群をなし、其威を借りて事をなすことを欲しない。むしろ之を怯(きょう)となして(→「注」→卑怯なことと考えて)排(しりぞ)けている。治国の事はこれを避けて論外に措(お)く。わたくしは芸林に遊ぶものの往々社を結び党を立てて、己おのれに与くみするを揚げ与せざるを抑えようとするものを見て、之を怯となし、陋(ろう)となす(→「注」→心根が卑しいと考えること)である。」、
に注目してください。
直前の「列」・「群」が、「結社」の「言い換え」になっていることを読み取ってください。
(解答) ①
(3)永井荷風の紹介
永井荷風(1879~1959)本名壮吉。号は断腸亭主人。東京生れ。明治・大正・昭和期の小説家、随筆家。
東京都小石川に官吏の子として生まれる。高等師範学校付属中学校(1897年卒)をへて、東京外国語学校清語科(現東京外大)中退。福地源一郎に弟子入りし、広津柳浪に入門。習作のかたわら清元、尺八、落語を稽古。また福地桜痴に師事、歌舞伎作者の修業もする。ゾラに心酔して『地獄の花』などを著す。1903年より1908年まで外遊。帰国して『あめりか物語』『ふらんす物語』等の作品を発表して、「耽美派」の代表作家となる。1910年、慶応大学教授となり、『三田文学』を創刊。その一方、花柳界に入りびたって『腕くらべ』『つゆのあとさき』『濹東綺譚』などを著す。『腕くらべ』などで花柳界の風俗を描写した。
第2次世界大戦中は沈黙したが,戦後,その間ひそかに書きためた『浮沈』『踊子』『勲章』『来訪者』や 17年以来の日記『断腸亭日乗』を発表。 1952年文化勲章受章。
フランスから帰国後、東京の形骸化した西洋文明、皮相的な近代日本への嫌悪感を隠さず、反発した。偏奇館と名付けた自宅で孤独に著作を続け、反時代的、反俗的な文明批評家としての姿勢を貫いた。そして、江戸趣味へ傾斜しつつ、「かつての江戸」と「色街」を愛した。独自の文明批評と耽美享楽の作風で、「反自然主義文学」の代表作家として著名だった。
(4)当ブログにおける「擬古文・文語文」関連の記事の紹介
ーーーーーーーー
今回の記事は、これで終わりです。
次回の記事は約1週間後に発表の予定です。
ご期待ください。
5週間入試突破問題集頻出私大の現代文―30日間スーパーゼミ (アルファプラス)
- 作者: 斎藤隆
- 出版社/メーカー: 開拓社
- 発売日: 1997/10/01
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
私は、ツイッタ-も、やっています。こちらの方も、よろしくお願いします。
https://twitter.com/gensairyu2